エピローグ 彼女たちの旅立ち
長い冬が終わった。
窓から差し込む日差しが暖かい。
その光に呼び覚まされたようにガルサ・ブランカ城の中庭の木々も新緑に萌え始めた。
冬の間は姿を見せなかった虫や鳥の姿も見える。
春の訪れだ。
《これならそろそろ行けそうね……》
少し開いた窓から流れ込んで来る風に吹かれながらエルミーラ王女は思った。
空気はまだ暖かいとは言えないが、真冬の切れるような冷たさはもうない。これならば出立することは十分に可能だろう。
準備の万端はもう整っている。
この冬の間そればかり考えてきたようなものなのだから―――後はもう実行に移すのみだ。
王女は大きく息を吸い込んだ。
心の中は期待と不安がない交ぜだ。
まだ見たことがない白銀の都をこの目で見られるというのはものすごく楽しみだが、その反面、彼女に課せられた任務も極めて重大なのだから……
《といってもプライベートだしね》
任務のことで不安になったときには彼女はこう思うことにしていた。
これがフォレスからの公使ということであれば、それこそ失敗は許されない。
だが今回はあくまで大皇后からの“個人的なお招き”という建前だ。それならば肩肘張っても仕方がない。それに……
《あのおバカは……》
王女は首を振った。
―――というのもアウラがあちらで既に十二分にもめ事を起こしてくれているのだから……
しかもその内容たるや……
《あれ以上の恥なんて、さらしたくたってさらせないでしょ?》
王女は笑ってため息をついた。
昨年の年末にメルファラ大皇后から手紙が届いたときの騒ぎはもう大変なものだった。
そもそも都から書状が届くということ自体が滅多にないことなのに、それも名だたる大皇后からエルミーラ王女宛の名指しなのだ。
しかもその中身と来たら―――さすがの王女も卒倒しかかったくらいだ。行方不明になっていたアウラがなぜか都に現れて大皇后の屋敷に押し入った、というのだから……
だったらそのことを糾弾する内容でもおかしくないのに、なぜか彼女は大皇后の気に入られたらしく、彼女はしばらく都に滞在することになったのですぐにはそちらには戻れない。ついては迎えがてら都に遊びに来ないか、といった内容だった。
全く意味が分からない。
時期が時期でなければ速攻で都まで飛んでいっただろうが、あいにくもうパロマ峠は雪と氷で閉ざされていた。
そこで雪が溶けたらすぐに伺いますという返事を山慣れした兵士に持たせて、死んでも届けろと言って送り込むことしかできなかった。
ともかく今の状況では大皇后が何を考えているのかさっぱりだ。
ただ一つ言えることは、これはアイザック王のベラと都の関係改善計画にとって千載一遇のチャンスでもあるということだった。
元々フォレスと都の間はあまり深いつながりがない。
だからいきなり行って話しましょうと言っても構えられてしまうだろう。
できればその前に都で根回しをしておきたい。だからこそフィンの存在は大きかったのだが……
ともかく今回、アウラが少々別なやり方だが渡りをつけてくれたわけだ。これを利用しない手はない。
しかもその相手たるや都の大皇后だ。もちろん彼女本人には政治的な権限はないだろうが、大皇に対する影響力は大きいだろうし、大皇本人と話す機会だってあるだろう。
《にしても、ル・ウーダ様は……》
一体彼は何をしているのだ?
勝手にレイモンに潜入して工作してくると言って姿を消してそれっきりだ。
一応アラン王の所に連絡は来ているらしいが―――冬の間はいずれにしてもシルヴェストとは音信不通になってしまうし、あれからどこで何をしていることやら……
そもそも今回のようなときのために彼にいてもらったようなものなのに……
《帰ったら少々お灸を据えてやらなければ……》
そんなことを考えていると後ろの方から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
「まあ、ディーンちゃま、ディーンちゃま、どうなさいましたか?」
コルネの声だ。
王女は振り返るとゆりかごの方に歩み寄った。
「ディーンはどうしたの?」
「おむつが汚れたみたいです」
そう言ってコルネはおむつを替える準備を始めた。
王女は複雑な気持ちで自分の息子とその世話をするコルネを見つめた。
本当ならもっと自らの手で世話してやりたいのだが、特に最近は公務が忙しくてなかなかそのような暇がとれない。
王子に関してはこのコルネと、お育て役のセリウス夫妻―――つい先日正式に結婚してそうなった彼らに任せっきりなのだ……
「いない間はディーンをよろしくね」
「もちろんです。お任せ下さい!」
コルネは胸を張った。
今度もまたかなり長く城を空けることになる。
帰って来られるのは秋も遅くになるだろう。
そんなに長く会わなかったら忘れられてしまわないだろうか?
ベラに行くときもこのくらいの長さにはなるのだが、あそこへなら王子も一緒に連れて行ける―――というより、そうしないとロムルースが何と言うことやら……
だが今回そうするわけにはいかなかった。
何しろ任務が任務なのだ。王国の未来がかかっていると言っていい。
《それにもし私たちの身に何かあったりしたら……》
そんなことにこの幼き王子を巻き込むわけにはいかない。
まさかそんなことはないとは思うが―――そのとき部屋にメイが入ってきた。
「王女様。そろそろお時間です」
彼女も最近は秘書官の制服が板に付いてきている。
「分かりました」
王女は綺麗になってすやすや眠っているハルディーンの頭をそっと撫でる。
「じゃあ行ってくるわね」
それから王女は息子の額にそっとキスすると、謁見の準備のため部屋を出た。
シルバーレイク物語 あぶない秘密工作 完