王女の休日
第1章 赤ちゃんに完敗
「わーっ! かわいい! 私にも抱かせて!」
メイはリモンから赤ん坊を受け取った。
腕の中の赤ん坊はメイの顔を見てにこっと笑った。
「あ? 笑った? 笑った!」
「もう笑えるんですね」
横で見ているリモンの頬も緩みっぱなしだ。
「もう二ヶ月になりますから」
ニコニコしながらそう答えたのはパミーナさん―――大皇后の筆頭侍女の方だ。一行はこちらに来てからずっと彼女に世話をしてもらっている。
赤ん坊がきゃっきゃっと笑ってメイの腕の中で動いた。
あう~―――どうして子供ってこんなに可愛いのだろう?
そうなのだ。
彼女達が大皇后に謁見したときにはみんな緊張のあまり卒倒しそうだった。
互いに自分だけ先にぶっ倒れるわけにはいかない―――と、ほとんどそれだけの想いで立っていられたようなものだ。
そしてそのあと連れて来られた場所でアウラが―――赤ん坊のおむつを取り替えているのを見て彼女達がどれほど脱力したかは、まさに筆舌に尽くしがたい!
《アウラ様~ちょっとこれは卑怯ですよ~》
この二ヶ月間、彼女達は自分たちの心配をしていないときは、どうやってアウラを締め上げてやろうかとそればかり考えてきたようなものなのだ。
だがその姿を見て王女はこう尋ねるしかなかった。
「……その子は?」
王女の問いにアウラは答える。
「あたしの子供だけど……抱いてみる?」
「え?」
そう言われて拒否できる女などいない。
ほとんど機械的に赤ん坊を受け取った王女はしばらくその子供を見て固まっていたが、赤ん坊が笑うと気がついたようにアウラの顔を見返した。
「あなたの……子供⁉」
「うん」
王女は側にいたメルファラ大皇后の方を見た。大皇后はくすっと笑うと答えた。
「申し訳ございません。せっかくですので少々驚かそうかと思いまして……」
「………………」
そんな調子で彼女達は瞬時にして毒気を完全に抜かれてしまったのだ。
彼女達が今いるのは大皇后の屋敷の庭だった。
その屋敷そのものがガルサ・ブランカ城に匹敵する広さがあって、その庭園は更に広い。
まるで森の小径のようなところを抜けて来たところには、ちょっとした池の畔に歓迎の宴の準備ができていて、並べられたテーブルの上には山海の珍味が山盛りになっている。
《これって……やっぱり歓迎してくれてるのよね?》
太らせてから食べようとかそういった魂胆ではないと思うのだが……
だとしたら大皇后は本気で王女達を招待してくれていたということなのだろうか? 今となってはそれを疑う理由はもうほとんどないのだが……
《だとしたらあの手紙って……?》
もう少し詳しく状況を書いてくれていればこんなに悩まずに済んだものを―――そう思ったときメイは気づいた。
多分―――いや間違いなく、あれはわざとなのだ。
曖昧な書き方をしていたのも、アウラに子供ができていたことを伏せていたのも、やってきた王女達を驚かそうとただそれだけのためだったのだ。
どうやら彼女達は都の貴族の余興に乗せられてしまったのではないだろうか?
王女達はその釣り針にこれ以上もないくらい本気で食いついてしまったと、そういうことなのでは?
メイは周囲のテーブルにあるごちそうを眺めた。
元厨房にいただけあってこれがどういったものかはよく分かる。
特に真ん中のテーブルに置いてあるのは多分、海の魚と大海老だ。
話には聞いたことがあるが見たのは初めてだ。これを逃したらあと一生食べられないかもしれないが―――だがこの数ヶ月の心労を思えばこれでも安いかもしれない。
「それでこの子の名前は何ていうんですか?」
メイがパミーナに尋ねると、彼女は首を振った。
「まだ決まっていないんですよ。お父様がお帰りになったらつけてもらおうということで。だからみんな“坊や”って呼んでます」
「お父様って、やっぱりル・ウーダ様なんですよね?」
「はい。そうおっしゃってました」
まあ、それは驚くべき事ではないのだが―――コルネからいろいろ話を聞いたりもしているし……
だが、アウラが母親になるなんて何だかまったくイメージが湧かなかった。
エルミーラ王女のときにも同じくらい実感は湧かなかったものだが……
ぽけっと赤ん坊を見つめているメイにパミーナが言った。
「さあ皆さん。せっかく遠いところをいらしていただいたのだから、お食事をどうぞ」
「あ、はい……」
メイがパミーナに坊やを手渡すと、彼女は坊やをゆりかごに移した。
緊張が抜けたら何だかお腹がすいてきたのは確かだ。
あたりは見渡す限りごちそうの山という感じだが―――自分たちだけ先に頂いてしまっていいのだろうか?
少し離れた所ではエルミーラ王女が真っ赤な顔でアウラを叱りつけている最中だった。
「あんたね、本当にどれだけ心配したか分かる?」
「ごめんなさい」
アウラは小さくなっている。
「大体なに? どうして大皇后様の屋敷に押し入ったりしたのよ!」
驚いたことにこれは事実だったらしい。
先程大皇后と謁見した際に彼女の口からはっきりと聞いたのだ。
アウラが最初にこの屋敷に来たときには、屋敷の警備を突破して中に入ってきたのだと―――だが彼女はまたそれに関しては一切不問にするとも言った。詳しい経緯はまた後でということで……
そのまま連れて来られたのがこの場所なのだ。
「ごめんなさい。ここにフィンが来てるかと思って……」
「どうしてル・ウーダ様がここにいると思ったのよ?」
「ファラと昔なじみだって言ってたから……でも守衛が入れてくれなかったんでつい……」
それにしてもアウラは大皇后と随分仲良くなっているようだ。大皇后の事を“ファラ”と呼んでるとか―――本当に何がどうなったのだろう?
「当たり前でしょ! 見知らぬ人間がアポ無しで来て簡単に入れてもらえるわけないでしょ? 大体どういう格好で行ったのよ? もう少し自分の立場をわきまえてちょうだい! ついかっとなって世界大戦を起こされたらたまらないのよっ!」
「ごめんなさい……」
火を噴きそうなエルミーラ王女を見て、メルファラ大皇后が笑いながら止めに入った。
「まあまあ、王女様。その件に関しましてはこちらは一切気にしておりませんので、ご心配なさらないで下さいな」
「でも大皇后様……」
「堅苦しくお呼びにならないで下さい。“メルファラ”で構いませんわ」
「え? でも……」
大皇后はにこっと笑って首を振る。王女はうなずいた。
「分かりました……メルファラ様。それでしたらこちらも“エルミーラ”で結構ですわ」
「ありがとう。エルミーラ様。ともかく彼女が来てくれたお陰でこうして私達が出会えたのですから、それでよろしいじゃありませんか。ところで喉は渇いておられませんか? こちらの物などいかがですか」
大皇后は近くの給仕に命じて盆にのせた様々な飲み物を差し出させた。
「ええ……ありがとうございます」
王女も少々怒鳴りすぎて喉が涸れかかっていたようだ。
一息ついたところで大皇后が言った。
「それにしてもル・ウーダ様がフォレスに仕官なさっているとは、こちらも聞いて大変驚きましたわ」
「ル・ウーダ殿には我が国も大変お世話になっております。いつぞや本国がベラと戦争になりかかったとき、それを防ぐために尽力して下さいましたし」
王女が答えると大皇后は横のアウラを見ながら言った。
「伺っております。彼女もそのとき大活躍なさったとか?」
アウラが慌てて首を振る。だが王女は真剣な表情になって答えた。
「はい。それはもう。彼女がいなければ私があの場に間に合うことなどできなかったでしょうから。話はもっとこじれていたでしょうね」
「あれはナーザがいたから……」
王女は首を振るとアウラをじっと見つめて言った。
「あなたがナーザを助けたからできたことよ。それには感謝してるわ」
「……うん。ありがとう」
大皇后は赤くなるアウラを見て微笑んだ。
ちょっと間を置いてエルミーラ王女は大皇后に尋ねる。
「ところでお訊きしてよろしいでしょうか? ル・ウーダ殿のことなのですが?」
「はい。何でしょうか?」
「大……メルファラ様はル・ウーダ殿とどういったお知り合いだったのでしょう?」
大皇后は少し間を置くとまじめな顔になった。
「あなたは……私の兄のことをご存じでしょうか?」
王女の目が少し見開かれる。
彼女も都で起こったメルフロウ皇太子の暗殺については聞かされていた。
「え? まあ……確かその……」
「暗殺されたことも?」
「ええ、はい」
それを聞いて大皇后は軽くうなずくと言った。
「兄は、エルセティア姫と……ル・ウーダ様の妹君ですが、そのお方と結婚しておりました。そして例の事件の際にはル・ウーダ様がいろいろと尽力して下さったのです。もちろん私もその場におりましたから……それ以上はちょっと話しづらいのですが……」
王女は慌てて首を振る。
「いえ、構いませんわ。こちらにもちょっと話しづらいことはいろいろございますし」
それを聞くとなぜか大皇后は声をあげて笑った。どうやらアウラがいろいろと喋っているようだが……
王女はそれに気づいたと見えて彼女の方をちらっと見る。
アウラが慌てて首を振るが―――王女はにこっと笑ってうなずいた。
あは! あれは公式の場でメイがドジを踏んだ時に良く見せる、その件については後でゆっくりお話しいたしましょう、という笑顔だが……
そんな空気を察してか大皇后が話題を変えた。
「それにしても当の本人のル・ウーダ様がここにいらっしゃらないというのは、少々寂しゅうございますね」
エルミーラ王女もうなずいた。
「はい。こちらにも昨秋以来、特に連絡はなくて……シルヴェストのアラン様の方にも最近は連絡が来ていないようで……」
「ル・ウーダ様はレイモン王国に潜入して何か調査をなさっていたそうですね?」
「はい。そう聞いております。こちらから指示したことではないのですが……ル・ウーダ殿ならば何かお考えがあってのこととは思いますが……実際中原にはいろいろときな臭い情報が飛び交っているようで……メルファラ様はレイモンが都を攻めるという話はお聞きになりましたか?」
大皇后はうなずいた。
「はい。存じております。複数のルートから情報が入っているようなので、かなり確かなことではないかと思いますが……ただそのようなことが本当に起こるかというと、少々疑問ではございますが」
エルミーラ王女もうなずいた。
聞いていたメイも同様だった。
それはフォレスでの分析では、基本そういうことは無いということで意見はまとまっていたからだ。
現在レイモンと小国連合の戦力が拮抗しているせいで、中原では両者互いに動けない状況になっている。
だがそのバランスに都そのものは含まれていない。
そこにレイモンが都攻めの軍勢を割り振ったら、残りが減ってバランスが崩れる計算になってしまうというのだ。
中途半端な戦力分散がまずいということはレイモンも間違いなく承知しているはずだ。
従ってこれは何かの攪乱作戦なのだ。
敵に背を向けるふりをして、釣られて出てきたところをレイモンに有利な平原の戦いで叩く作戦ではないか? というのがフォレスでの会議の結論だった。
王女が都行きを決めたのはそのためもあった。
いくら大皇后からの招きがあったといっても、さすがに本物の戦場となるような場所に行くわけにはいかない。
だがこれが単にレイモンの情報戦略であるのなら、都方面は逆に安全だということになる。
もちろんそれ以外の可能性もないわけではないから、慎重に状況は確認していかなければならないが―――そのため王女一行は都への途上にある自由都市メリスに調査員を配置して、中原の情勢を逐一報告させていた。
それによれば今のところ中原は全く平穏だという。
そこでエルミーラ王女が首をふりながら言った。
「本当にそんな愚かなことは起こって欲しくありませんわ……でもこういった話になると殿方は本当に生き生きとして参りますし。私には少々理解できませんが」
「そうですわね。本当に」
二人は笑った。
それについてはメイも同感だった。
彼女はもう軍事関係の会議にも王女と共に参加していた。
もちろんそれは国を統べていくためには必要なことだとは思うのだが―――戦略だの戦術だのを語るときのあの人達の熱の入れようは、少々異常だと思う。あの様子を見ていると、単に面白いからという理由でも他の国に攻め込んでいってしまいそうだ。
どうしてもうちょっと互いに仲良くできない物なのだろうか? その方が絶対いいに決まっているのに……
「ただそのことについては私の父も大変心配しております。何しろ相手はあのレイモンでございますし」
それを聞いて大皇后もちょっと暗い顔になった。
エルミーラ王女はその表情を見て言った。
「そこで……こちらでも何かできることがあるのではないかと考えているのでございますが……」
大皇后は王女の顔を見た。
「できること、でございますか?」
王女はうなずいた。
「ご存じの通り、我が国は古来よりベラ首長国と親しくさせていただいております。現首長のロムルース様も私は良く存じ上げておりますし……ですので、例えばあなたのお言葉をロムルース様に直接お伝えして差し上げたりすることなどができたり致します」
大皇后は一瞬ぽかんとしたが、やがてはっとしたように目を見開いた。
「それは……まあ、素晴らしいことですわね」
それから彼女はしばらく考え込んだ。
「そういったお話でしたら、一度改めて夫も交えてできるとよろしいですわね」
今度はエルミーラ王女の目が輝いた。
「まあ、本当でしょうか?」
「はい。夫も喜ぶと思いますわ」
「ありがとうございます」
王女は深々と頭を下げた。
メイはその会話を聞いて少し驚いていた。
こういったご婦人方というのは政治の話には疎いのが普通なのだが―――王女の意図がこんなに簡単に伝わってしまうとは思ってもいなかったのだ。
それは王女も同様だったようだ。
彼女は苦笑しながら軽く首を振ると言った。
「それにしてもル・ウーダ殿は全く……」
「ル・ウーダ様がどうか致しましたか?」
「いえ、実はこういった話は実はル・ウーダ殿にお任せしようと思っていたのですよ。それなのにどこかに消えてしまって……」
「確かにそうですわね。本当に今どこをうろついている事やら……」
そう大皇后が答えたときだった。
「申し訳ございません。不肖の息子がご迷惑をおかけしております」
後ろの方から男の声がした。
振り返ると中年の紳士と婦人が立っている。
その姿を見て大皇后が微笑んだ。
「ああ、よくいらっしゃいました。エルミーラ様。こちらはル・ウーダ・パルティシオン様とウルスラ様です」
「ああ、ル・ウーダ殿のご両親ですか?」
メイは二人の姿を見た。
父親のパルティシオンは何となくフィナルフィンに雰囲気が似ている。
母親のウルスラはちょっとやつれた感じだが、あまり貴族的な感じではなく親しみやすそうだ。
「この度は本当に申し訳ございません」
そう言って二人は深々と頭を下げた。
エルミーラ王女は手を振った。
「いえ、こちらこそ。聞けばアウラがそちらにご厄介になっているとか? ご迷惑ではありませんでしたか?」
それを聞いてウルスラが答える。
「いえ、迷惑なんてとんでもございません。娘が増えたみたいで、本当に楽しゅうございました」
「パルティシオン様はフォレスでも有名でございます。父も碁が好きで、ル・ウーダ殿とはよく打っておりました」
王女の言葉にパルティシオンは首を振って答える。
「あれがですかな? 全然だめな奴ですが、お相手になるのでしょうか?」
「いえ、父もかなりのヘボでございますので、丁度いい勝負のようでございますわ。私にはよく分からないのですけど」
一同は笑った。
それをきっかけに雑談が始まった。
アウラはしばらくそれを聞いていたが、ふっとそこから離れるとメイ達の方にやってきた。
「リモン、メイ、久しぶり」
アウラがにこにこしながら手を振った。
メイはため息まじりに答える。
「アウラ様! もうみんな心配したんですよ?」
「ごめんね。本当に」
そういう風に言われるとどうしても憎めないのだ。この人は……
「来たの、二人だけ?」
「はい。グルナさんとコルネはハルディーン様のお世話で残ってます。ガリーナさんは最近王妃様のお相手も多くって……」
その答えにアウラは目を輝かせた。
「ああ、王子様にも早く会いたいわね」
「とっても可愛らしいですよ」
それを聞いてアウラがちょっと残念そうな顔になった。
「そうなんだ……ファラの子供もいたら良かったのに」
「……ですよね。きっと」
聞けば何年か前に大皇后はご懐妊なされたのだが、子供は生まれて来られなかったという。へその緒が絡みついてしまったとかで―――フォレスでも知られていた話だから、都では皆さぞかし落胆したことだろう。
「で、他に来てるのは? さっきロパスとコルンバンを見かけたけど?」
アウラは辺りを見回しながら言った。
「はい。コルンバンさんとヴィッキーレさんが王女様の補佐で、あとロパスさん以下、親衛隊の方々です」
コルンバンとヴィッキーレはフォレスの外交官として年季の入った人物だ。
ロパスは国王の親衛隊長で、組織上アウラやリモンの上司に当たる。
「ロパスにも謝っとかないと……どこだろう?」
「さっきあっちにいたと思いますが」
リモンが左の方を指さした。
そのときアウラが、リモンの薬指に指輪が光っていることに気がついた。
「あれ? リモン、それって……」
「え? あ、はい」
リモンがぽっと赤くなる。
「ねえ見せて、見せて」
アウラはリモンの手を取るとその指輪を見た。
アウラが持っているのと同じような組み合わせ指輪だ。見ただけでは何かよく分からないが、相方の物と組み合わせると何かの形になるはずだ。
「へえ! 相手はどんな人?」
それを聞いてリモンはまた赤くなると、近くにいた警備兵の一人を指さした。
「彼です」
「え?」
アウラは驚いてその兵士の顔を見た。
兵士もいきなり見つめられて赤くなる。それから弾かれたように礼をする。
「アウラ様。お初にお目にかかります! ルカーノと申しますっ!」
「あ、ども。初めまして」
アウラが礼を返すとリモンが言った。
「親衛隊の新人なんですが、腕は確かです」
「へえ。そうなんだ」
アウラはにっこりと笑った。それを見てメイはまたつい口を挟んでしまった。
「でも入ったときはいきなりリモンさんに叩きのめされてたんですよ?」
「ちょっと! メイ!」
リモンがまたまた赤くなった。
「わ、ごめんなさい」
「へえ、そうなんだ。リモンすごいわね!」
「いえ、だから……」
リモンが恥ずかしそうにうつむいてしまう。
「それじゃちょっとやってみる? 久しぶりに」
「え? 今ですか?」
リモンは驚いたように顔を上げた。
「ああ、でもこの格好じゃね……」
アウラは自分たちの服装を見た。二人とも纏っているのがひらひらとしたドレスだ。
「いいですけど。それなら着替えましょうか?」
「そうね」
二人はあっという間に合意して、連れだって行ってしまった。
メイは苦笑いしながら二人を見送った。
もちろん二人は薙刀の練習を始めようとしているのだ。
城にいたときもベラを旅していたときも暇さえあればこんな調子で二人で―――ガリーナが来た後は三人でやっていたから、別段驚きはしなかったが……
「どうしたの? 彼女達はどこに?」
去っていく二人に気がついて王女が尋ねた。
「あの、ちょっと戦いに行くって」
「ええ? 再会早々? こんな所でまでしなくても……」
王女も苦笑いをする。
二人が話しているのを聞いて、大皇后が不思議そうに尋ねた。
「どうなさったのですか? お二人はどちらに?」
「いえ、どこかでまた薙刀の練習を始めようとしているんですよ。いくら今日は仕事じゃないとはいえ、今やらなくてもよろしいのに」
王女はあきれたようにため息をついた。それを見てメイが言った。
「せっかくですから大皇后様に見せて差し上げたらどうでしょう?」
あの二人の立ち会いは結構見物なのだ。
王女もちょっとうなずくと大皇后に尋ねる。
「ああ……メルファラ様はそういったことにご興味はございますか?」
「ええ。もちろん」
大皇后は微笑んでうなずいた。
「それでは……ルカーノ!」
王女の声に答えて先程の若い兵士がやってくる。
「聞いてた? あの二人を連れてきてもらえる?」
「は! 承知致しました」
兵士はそう言ってぱっと姿を消した。
やがてしばらくして、ルカーノに連れられてアウラとリモンが姿を現した。
二人とも動きやすいように親衛隊の制服に着替えている。
「あなたたち、メルファラ様が練習を見たいっておっしゃられてるの。いいかしら?」
「え? うん。わかった」
アウラはあっさりとうなずいたが、リモンは驚きのあまりぽかんとしている。
そんな彼女にアウラが言った。
「大丈夫よ。いつも通りやれば。とりあえず三本勝負でいく?」
「え? はい……」
そういうわけでアウラとリモンの試合形式の練習が始まった。
二人は薙刀を手にしてまず王女達の方に向かって礼をする。
次いで互いに数歩離れると向かい合って立った。
それと共にリモンの目が真剣になり、間に緊迫した空気が流れ始める。
《やっぱり格好いいなあ……》
対峙している二人を見ながらメイは思った。
リモンは相手をきっと見つめながら薙刀を中段に構えている。
対するアウラはリモンから目は離していないものの、薙刀は片手に持って地面に立てたままだ。
「あれって……」
大皇后が何か言おうとするのを王女が首を振って押さえた。
「大丈夫ですわ……」
その瞬間、リモンがつつっと間を詰めたかと思うと、嵐のように斬りかかっていった。
《うわ……》
リモンは完全に本気だ。
こうなるともうメイの目にはもう何がどうなっているのか分からない。
斬りかかっていると思えば足を払っているし、何本も連続で突きを見せたかと思えば反転して胴を狙っているし……
ところが今度はアウラのすごいことには、それを軽々と躱していくのだ。
リモンの薙刀がうなりを上げてやってくるのを、どう見ても顔面紙一重の所で瞬きもせずにかわすのだ。どうかするとリモンの薙刀がアウラを貫いたように見えることさえある。
二人が持っているのは当然木製の練習用だが―――それでも当たったら痛いでは済まないのだが……
やがてリモンの攻撃は収束し二人は再び少し離れて対峙した。
二人とも大きく息をしているが、まだ全然疲れている様子はない。
「ええっ?」
だが続いてのアウラの行動を見て、メイは息を呑んだ。
なぜならそれまで片手に持って受け流しにしか使っていなかった薙刀を、今度は両手でしっかり持って構えたのだ!
メイはちらっと側にいた王女の顔を見た。彼女の顔にも同様に驚きが浮かんでいる。
だが当然その向こうの大皇后など、都側の人々にはぴんと来ていない様子だ。
まあそれは仕方がない。フォレスにいた頃の二人の立ち会いを見ていなければ分からないだろう。アウラがまともに構えるなんて―――よっぽどの相手でないとそうしないのだから。
それとも大皇后が見ているからサービスしているのだろうか?
そんな考えも浮かんだが―――メイは二秒で却下した。あのアウラだ。そんな風に気が回るはずがない。
これは間違いなくリモンがそれだけ強くなっているということの証明だ!
《リモンさん……》
何だかすごく感慨深いものがあった……
メイはまだ薙刀を始める前からリモンとは仲が良かったし、彼女の進歩をずっと側で見てきたからだ。
それまではリモンも城にいる普通のメイドの一人だった。
ところがメイとリモンが仲良くなってからしばらくして、王宮にル・ウーダ・フィナルフィンという都の貴族と一緒にアウラという女薙刀使いがやってきたのだ。
そしてその数日後、彼女が親衛隊に入ったという話が城中に一気に広まった。
聞いた当初、メイも驚いた。親衛隊とはものすごく強い兵隊が集まっているところなのだ。そこに女が入れるなんてあり得るのか? というのが全員の素直な感想だった。
ところがそれから少しして、親衛隊の公開練習に彼女が参加するという話が広まったのだ。
《あれがリモンさんの転機だったのよね? 間違いなく……》
もちろん城中の暇な人間がこぞって見物しに行った。
《あはは。王女様のコネがあって良かったわよね……》
王女と親しくなっていたおかげで、メイもその試合を特等席から見ることができたのだ。でなければメイなどには入る隙さえなかったくらいで―――それはともかく……
―――城の中庭は立錐の余地もないほどの人出だった。
そのアウラという女性が、ガルブレスというベラの高名な剣士で王女の伯父にあたる人の養女だということは、既にお披露目されていた。
その彼女がガルガラスというフォレス軍の中隊長と決闘して瞬殺したという話も、各所で囁かれていた。
だがガルガラスを知っていた者は一様に首をかしげていた。彼はフォレス軍の中でも使い手として知られていたからだ。
だから彼が相手が女だとみて手加減してやったのだろうという見方が一般的だった。
そこにこの試合の話である。多くの人がアウラの実力をこの目で見てやろうと詰めかけたのは当然だった。
その試合に出て来たアウラを見たとき、人々はまさに反応に困った。
何しろ彼女は女性の基準から言えば平均以上だったにしても、親衛隊員の男たちに比べれば一回りも二回りも小柄なのだ。
手にしている薙刀もそれほど長いわけではないし―――それなのに彼女はそういった男たちを相手にしても、全く動じている様子でもない。
人々が固唾をのんで見つめているうちに、試合は始まった。
ところがそこで人々は更に混乱した。
なぜなら、試合が始まったというのにアウラは薙刀を地面に立てて構えようともしないのだ。
そして更に混乱することには親衛隊の兵士の方が怖がっているかのようで、そんな彼女に突っかかって行こうとしないのだ。
そのとき彼らは既にアウラの実力を思い知らされた後で、彼女の技のお披露目相手というのはもはや罰ゲームに近かったことを、まだ隊員以外は誰も知らなかった。
《どうして攻めて行かないんだろう?》
このようなことには疎かったメイでさえ不思議に思った瞬間だ。
「イヤアァァァァ!」
そんなかけ声と共に親衛隊員がアウラに打ちかかった。
《ええっ⁉》
次の瞬間、人々は誰もが絶句した。
なぜならそれと同時にアウラが自分から相手の刃の下に入っていって―――なのにその刃は幻を斬ったがごとく空を切り、逆にアウラの薙刀がぶんと振りおろされると相手は剣を取り落として跪いていたのだ。
「一本!」
人々は見た物が信じられなかった。
いったい何が起こったのだ?
人々が呆然としている中、次の試合が始まった。
次の相手に対しても全く同じだった。
アウラはまた薙刀を立てて待っているだけで、親衛隊員がその回りをぐるっと回っていくが―――また打ちかかろうとした瞬間、今度は何故か先にアウラの薙刀の切っ先が隊員の喉元にぴたりと突きつけられていたのだ。
「一本!」
三人目の相手はドミトールといって、親衛隊では最強の剣士と謳われていた。
彼が出てくると、見ていた一同の間から低い驚きの声が上がった。
何故なら今度はアウラが構えたからだ―――といっても、薙刀を右肩に担ぐようにして、やや左半身で相手をじっと見ているだけなのだが……
初見の相手なら馬鹿にされていると激高しそうな構えだが、ドミトールは鋭い眼光で中段に構える。
それからしばらく二人は見合って動かない。
誰もが二人の間に飛び散っている火花を感じて息を呑んだ。
すると―――ふっとアウラの口元に笑みが浮かんだかと思うと、いきなり無造作にドミトールに近づいて行ったのだ。
《えっ?》
それに反応してドミトールが気合いと共に斬り込んでいくが―――ぱしゅっと木剣同士がこすれるような音がして、次の瞬間ドミトールが大きく後ろに飛び下がった。
そんな彼にまたアウラはつかつかと近づいて行って、それにまたドミトールが反撃するが―――アウラが薙刀を振ろうとした瞬間、彼がまた飛び下がる。
そんな彼にまたアウラがすたすたと近づいて行って、また同様な折衝の結果ドミトールが下がったときだ。
「場外! 一本!」
ドミトールが思わず足下を見る。
確かに彼の足が試合場の外に出てしまっていた。
親衛隊ルールではいかなる理由であろうと場外に出た方が負けになる。試合場の縁は絶壁になっているようなものだからとメイも聞いたことがあるが……
ドミトールががっくりとうなだれた。
人々は驚きのあまり声も出なかった―――とそこにパチパチと拍手の音がした。
見るとエルミーラ王女だ。アウラが彼女に向かってぺこりとお辞儀する。
それとともに辺りは拍手喝采の渦となった―――
そのように親衛隊の大きな兵士達を彼女が次々に手玉にとっていく様は、メイには格好いいというよりはちょっと怖かった。
だがそのときふっとふり向くと――― 一緒に見ていたリモンの目はまさにきらきらと輝いていた。
だからしばらくしてリモンが薙刀を習い始めたと聞いたときには、少々驚きはしたものの、意外とは思わなかった。
意外と言うならそれは何故かコルネまでが薙刀を習うなどと言い出したことだ。
はっきり言ってあの娘がそんなことに向いていないのは明らかだ。
しかしあの小娘が思い込んだときの瞬間風速はすごいのだ。聞けば最初にアウラに教えてくれと頼み込んだときには、コルネの方が必死だったという。
もちろんメイはそれがあまり長続きしないことも知っていたが……
果たせるかな、コルネは数ヶ月もしないうちにギブアップしてしまったが、リモンの方はめきめきと腕を上げていった。
リモンが薙刀を習いだしてからもよくメイは残ったお菓子を持って遊びに行ったものだが、そんなとき大抵遅くまで彼女は練習していた。
その頃の彼女はメイから見ても可哀想なくらい痣だらけだった。アウラはそういうところは一切手抜きをしなかったからだ。
時々二人の練習風景を見ることがあったが、それこそまるでアウラに一方的に叩きのめされているようにも見えた。
だがリモンはそれについては一言も文句を言わなかった。
その頃にはメイも彼女がものすごく負けず嫌いなことは分かっていた。だから頑張って下さいと励ますことしかできなかった。
そしてあの王女の誘拐事件……
《痛かったと思うのに……》
あんな目に会ったなら誰だってもう怖くて二度と薙刀なんて持ちたくないと思うだろう。
メイがお見舞いに行ったとき、思わずそう言ってしまったことがあるのだが、リモンは黙って首を振って答えたのだ。今度はちゃんとやるから大丈夫だと……
そんな彼女をずっと見てきたからメイには分かった。
何よりも嬉しかったのはリモン本人なのだと。
その証拠に今の彼女の横顔には誇らしげな表情が浮かんでいる。
あんな顔はいつかの凱旋式で黒の女王の守護天使をやったとき以来だ。
「リモンさーん!」
メイは思わず声援をあげていた。一同の視線がメイに集まる。
《あわわわわっ!》
彼女は慌てて口を押さえるが、アウラとリモンは集中していて全くそれに気づかない風だ。
やがてアウラの口元がきゅっと引き締まったかと思うと、今度はつっと出て行ってリモンに斬りかかった。
アウラの攻めというのはいつも見ていて不思議だ。
リモンの先程の攻めと違ってそんなにすごそうには見えないのに、何故か相手はどんどん追いつめられていくのだ。
彼女たちの薙刀術については以前ガリーナから詳しい説明を受けたことがあるのだが―――確かにリモンやガリーナの戦い方を見ていればそれで納得がいくのだが、アウラのそれはあの理屈では全く説明がつかない。
《ちょっと長いリーチを生かして、自分の間合いで勝負するっていうのがキモのはずなんだけど……》
そのためには相手に間合いに入られる前に、一気にぐいぐい押していくという作戦にならざるを得ないはずなのだが、アウラはむしろいつも先に相手に攻めて来させるのだ。
一度彼女にそこの所を聞いたことがあるのだが……
『ああ? うん。でもこっちが楽だし』
と、全く訳が分からないのだが―――それを聞いたリモンやガリーナも苦笑いするばっかりで……
後からまたガリーナに話を聞いたら、要するにこれは“名人に定石なし”ということらしい。すなわち凡人とは見えている世界が違うのだと……
だがメイには全くちんぷんかんぷんなその世界がリモンには見え始めているのだ。
アウラが構えたということがまさにその証明なのである。
《リモンさん……》
メイは固唾をのんで彼女の戦いを見つめた。
だが、そんなアウラの攻撃をリモンは必死の形相で躱していくが、気づいたら立木の下に追い込まれて動けなくなって、一本とられてしまった。
次の一本もそんな感じで、結局この手合いもやっぱりアウラの圧勝だった。
だが試合が終わるやいなや、アウラがリモンを抱きしめて言ったのだ。
「すごいじゃない。リモン。これならもう背中任せて大丈夫ね」
リモンの目が丸くなった。
「本当ですか?」
「うん」
アウラが微笑む。
「ありがとうございます」
そう言ったリモンの目には涙がにじんでいる。
メイにはその涙の意味がよく分かった。
そのとき大皇后がリモンに向かって拍手しながら言った。
「素晴らしいわ。アウラと互角にやりあうなんて」
それを聞いてリモンが首を振る。
「いえ、全然だめです」
だが大皇后も首を振った。
「うちの警備兵など一瞬で終わっているのですから。フォレスには強いご婦人がたくさんいらっしゃるのですね」
「といいますか、あの二人は少々例外なんですが……」
エルミーラ王女が苦笑いしながら答える。
確かにあの二人以外で城の兵士と互角にやり合える女といえばガリーナと、後はナーザくらいか? だがこれは多いというのだろうか? 少ないというのだろうか?
大皇后は微笑みながら続けた。
「ともかく二人とも着替えていらっしゃい。リモンさんでしたか? ご褒美を差し上げたいのですが、何か欲しいものはありますか?」
「え?」
いきなり聞かれてリモンが絶句する。
「リモン、良かったね」
「いえ、だから……」
目を白黒させているリモンに、大皇后は微笑みながら言った。
「今思いつかないならゆっくり考えていらっしゃい」
「は、はい……」
リモンはアウラと共にまた着替えるために戻っていった。
辺りは再び和やかな午餐の空気に包まれた。
素晴らしい料理を堪能して上等のワインも頂いて、メイはこの上もなくゆったりとした気分だった。
まったく最初はどうなるかと思ったが―――ともかく大皇后とこんな風にお近づきになれたというのは本当に良かった……
とすれば後は……?
《あれ?》
何だか都に来て為すべき事の大半は終わってしまったような気がするのだが……
もちろん王女と大皇の会見が後に控えてはいるが、少なくとも戦争になったり地下牢に閉じ込められるような事はなさそうだし―――だとしたら?
メイは大皇后が席を外した隙に王女に尋ねてみた。
「えっと、王女様、それで都にはいつまで滞在するんでしょうか?」
それを聞いて王女もあっといった顔で上を見上げる。
何しろ当初は都に来た後の状況が不透明すぎたので、明確な計画はなかったようなものなのだ。
「そうねえ。大皇様とのお話にもよると思うけど……でも坊やの頭が座るまではいた方がいいかしら」
「ああ、そうですね」
帰りの旅は坊やと一緒になるのだから確かにその方がいいだろう。
「じゃあ帰りは夏くらいですか?」
「そうね。だとするとしばらく滞在することになるわねえ……ということは……ふふっ」
王女が意味ありげな笑みを浮かべる。
ああ! この表情は―――何だかとっても“息抜き”をしたがっている顔だ!
もちろん王女の息抜きとは、例の少々困ったご趣味のことだが……
「どうなさるおつもりですか?」
その王女の様子を見て割って入ったのはコルンバンだ。
彼はまだかなり若いが城の筆頭外交官をしていて、仕事柄メイも話すことが多い。有能で国王の信頼も厚いのだが、まじめすぎるのが玉に瑕だ。
今回の旅に同行した理由は多分―――と言うより間違いなく、王女の暴走を抑える役割が入っている。
「え? せっかく都までやってきたんですし、少しはあちこち見て回ってもよろしくありません?」
王女はとぼけた様子で答えるが、コルンバンも首を振った。
「それは構いませんが、あまり怪しいところには出入りなさらないで下さい」
「怪しいって、何のことでしょう?」
コルンバンは正面から王女の顔を見て言った。
「文字通りの意味でございます。都まで来て恥をさらされては……」
だが王女はにこにこしながら答える。
「大丈夫ですわ。それこそここでは私の顔など知られておりませんから」
王女は行く気満々のようだ。
コルンバンはそれを聞いて絶句した。
メイも彼の気持ちはものすごくよく分かるのだが――― 一体どうしたものだろう?
「どうなされました?」
とそこに大皇后がアウラとリモンと連れだって戻ってきた。
「いえ、しばらくこちらに滞在すると思いますので、どこに出かけるか相談していたのです」
それを聞いた大皇后が目を輝かせた。
「それならばルナ・プレーナ劇場などいかがですか? アウラ達も一緒に」
「え?」
王女は驚いて大皇后の顔を見た。
それを聞いていたコルンバンが尋ねた。
「ルナ・プレーナ劇場と言えば……あの伝説のミュージアーナ姫が舞台に上がったという?」
大皇后はうなずいた。
「ええ、そうですわ。いかがでしょう?」
「それは素晴らしい!」
コルンバンは思わず叫んでしまって、それから慌てて咳払いをしてごまかす。
「いえ、申し訳ございません。つい……」
それを見て大皇后は微笑んで言った。
「コルンバン様は音楽劇がお好きでいらっしゃいますか?」
「ええ? まあ、たしなみ程度でございますが」
「でしたらチケットをご用意致しましょう」
「ええ? よろしいのですか?」
コルンバンの目が輝いた。
「もちろん。他の方々もよろしければ。人数を教えて頂ければロッジをご用意致しますわ」
「過分のご厚意、痛みいります」
コルンバンは感極まった風で大きく礼をした。
実際彼はこういうことが大好きで、酔っぱらったときなどはガルサ・ブランカを一大芸術都市に、みたいなことを熱弁していたりする。
そこで彼が大皇后に尋ねた。
「それで、今はどのような演目が上演されているのでしょうか?」
「ええっと、確か今度は『レイシアンの歌』だったと思いますわ」
レイシアンの……歌⁉
「ええっ? 本当ですか?」
今度叫んだのはメイだ。一同の目がメイに集まる。
「いえ、その……」
彼女は赤くなってうつむいた。
「あなたも音楽劇がお好き?」
大皇后の問いにメイはしどろもどろで答える。
「いえ、あまり見たことは……でもその原作は、その、知ってまして……」
「ああ、そうですわね。有名なお話ですから」
それから大皇后は王女の方を向いて言った。
「エルミーラ様もいかがでしょうか?」
「ええ、もちろん喜んで」
王女はうなずいたが、メイは王女は今ひとつこういった長い演劇みたいな物は苦手なのを知っていた。
特にこのレイシアンの歌というのは全部上演するのに何日もかかる大作だったりするし……
そのとき一緒に戻って来ていたリモンがコルンバンに言った。
「そう言えばコルンバン様。あちらで碁盤の用意ができていましたが」
「おお、そうか。それでは失礼させて頂きます」
どうやらパルティシオンと碁を打つことになったらしい。
コルンバンはガルサ・ブランカ城では一番の打ち手でもある。こんな機会を逃せるはずがない。
彼が行ってしまった後、王女が今ひとつ乗り気でないような様子を見て大皇后が囁くように言った。
「もしかして音楽劇とかはお嫌いでしたか?」
「え? いえ、そんなことはございませんが?」
王女が慌てて否定するが……
「実は私も結構眠くなる方でして……」
「え? メルファラ様もでしょうか?」
そう言って王女はあっと口を押さえた。
大皇后は笑った。
「ええ。でもそんな場合でもお友達が多ければよろしいのでは?」
「お友達? でございますか?」
「ええ。アウラの」
王女が不思議そうに尋ねると、大皇后はアウラの方を見て意味ありげに微笑んだ。
それに気づいたアウラは一瞬ぽかんとしていたが、やがてはっとした様子で答える。
「え? もしかしてクリスティ?」
「はい」
大皇后がにっこり笑ってうなずく。
二人の会話を聞いて王女が不思議そうに尋ねる。
「クリスティ様とは?」
大皇后は微笑みながら答えた。
「この間アウラと街に行ったときにばったりと出会ったんですよ。大変お美しい方ですわ。何でも彼女の昔なじみなんだそうで」
「昔なじみ?」
「ええ。なんでもヴィニエーラという所にいた際にご一緒だったとか……」
………………
…………
……
王女はそれを聞いて絶句した。メイも同様だ。
《ヴィニエーラ? ってことは……》
もちろん彼女達はその場所がどういうところで、そこでアウラが何をしていたか知っていた。
そこでご一緒だった大変美しい人といえば……
「まあ、それは素晴らしいですわね」
王女が怪しい笑みを浮かべながら答える。
「でしょう?」
大皇后も一緒になって微笑む。
メイはちょっと心配になった。いいのだろうか? 本当に?
多分劇場で一緒に劇を見るだけだったら問題ないはずなのだが……