王女の休日 第3章 ゴーストタワーの魔女たち

第3章 ゴーストタワーの魔女たち


「リディール?」

「ニフレディル様!」

 手すりの向こうに浮かんでいる女性の姿を見て、大皇后とパミーナがほっとしたような声で叫んだ。

 この人なら覚えがある。最初に大皇后と謁見したときに紹介された大魔導師だ。

 ニフレディルはすうっと手すり越しに飛んで入ってくると、じたばたしているファシアーナとアウラの前に降り立った。

 すると締め付けているテーブルクロスの力が緩む。二人はテーブルクロスを取り払うと、ニフレディルの顔を驚いたように見た。

 ニフレディルは引きつった笑いを浮かべながらファシアーナに言った。

「あなたねえ、メルファラ様の警護だったんじゃないの?」

「え? ああ? まあ、その……」

 警護? 何のことだ?

 ニフレディルはファシアーナの顔の前に自分の顔を近づけて睨みつけた―――のだが……

「それなのに、何? 酒臭い!」

 ニフレディルは顔をしかめてファシアーナの顔を両手で挟んだ。

「わ! やめろ! もったいない!」

「お黙りなさい!」

 途端にあたりに酒の匂いが充満した。

《もしかして……魔法でお酒を抜いた⁉》

 確か魔導大学で高位の魔導師ならそういうこともできるが、ちょっと間違えたら死ぬ、と習ったような……

「一体どれだけ飲んだんですか!!」

「何てことするんだ!」

「それはこっちのセリフです!」

 そう言ってニフレディルはいきなりファシアーナの頭を叩いた。

「ともかくまずは皆さんにお謝りなさい!」

 ファシアーナの顔に叱られた子供のような表情が浮かぶが―――仕方なさそうに頭を下げた。

「ううう……どうも、申し訳ありませんでした。大皇后様。それに……王女様?」

 それからぽかんとしているアウラの方を見る。

「うう……あんたにもごめん。今日のところは引き分けと言うことで……」

 それにアウラが答える前に、ニフレディルがまたファシアーナの頭を叩く。

「何が引き分けですか! あれは惨敗というのです‼」

「ええ? 何でだよ?」

「彼女が本気だったら最初のあのときにあなたは喉を掻き切られてたでしょう?」

「え? まあ、でもさ……」

 ニフレディルはファシアーナににじり寄る。

「それに今だって、何で動かなかったんですか?」

「え? それは……」

「“動けなかった”んでしょ? 彼女の方が速いから」

「そんなこと……」

 そう言いつつもファシアーナは目をそらす。

 ニフレディルは彼女の頭を両手で掴んで正面を向かせる。

「そんなこと? 何ですか?」

「あはははは……って、お前、ずっと見てたのかよ?」

「そうですけど、そ・れ・が何か?」

「あはははは」

 それからニフレディルはアウラの方を向いて言った。

「ごめんなさい。アウラ。この人ちょっとバカなんで許して頂けますか?」

「え? あ? はい……」

 アウラもしどろもどろだ。

「おいおい」

 ファシアーナが後ろから突っ込むが、ニフレディルが振り返って彼女を睨む。

「何ですか!」

「いや、何でもないけどさ……バカっていうのはさ……」

 二人がまた言い争いを始めそうになったので大皇后が割って入った。

「あの、リディール? 彼女をちょっと診てもらえないかしら?」

 そう言って倒れているクリスティを指した。

「ああ、そうですわね」

 ニフレディルはうなずくとクリスティの側に来て、側で尻餅をついていたメイに尋ねた。

「どんな感じなの?」

「え? はい、ちょっと頭を打ったみたいで……」

 ニフレディルはクリスティの額に手を当てる。しばらくそうしてから軽く微笑むと言った。

「大丈夫です。軽い脳震盪ですね」

 それから再び彼女はクリスティに意識を集中させると、クリスティが目を開いた。

 続いて驚いたようにあたりを見回しながら体を起こしたが、ちょっとふらついたのでニフレディルが支えた。

「私どうしたのかしら? あの、若君はどうなりました?」

 クリスティが頭を押さえながら言うと、ニフレディルが答えた。

「マグニのバカ息子ならシアナが先程懲らしめてましたよ?」

「え? シアナ? あ? あなたは……」

「初めまして。ニフレディルと申します」

「え? あの大魔導師の? 本当ですか?」

 クリスティがいきなり赤くなるが―――なぜかそれに釣られてニフレディルまでちょっと赤くなる。

「まあ、ごめんなさい。変なこと考えちゃいました?」

「いえ。まあ……」

 そこにアウラが尋ねた。

「クリスティ、大丈夫?」

「ええ。もう大丈夫よ。アウラちゃん」

「良かった!」

 アウラが彼女に抱きついた。

 それを見てメイもほっとした。ともかくこれで今度こそ一件落着だ。

「それではどうなさいます? メルファラ様」

 エルミーラ王女が大皇后に言った。大皇后もうなずいた。

「そうですわね。パミーナ」

「かしこまりました」

 パミーナがうなずいた。

 こうなったらともかく引き上げるしかない。この後の予定は中止にせざるを得ないだろう。

 ところがパミーナがロッジを出て行こうとするところをファシアーナが呼び止めた。

「どこに行くんだ?」

「え? 馬車の準備をしに行くんですが」

「ええ? もう帰るのか? なあ、みんなあたしの家に来ないか? お詫びっちゃなんだけどね」

 王女と大皇后は顔を見合わせた。ニフレディルも驚いたように言う。

「あそこにこの方々を?」

「いいじゃん。景色いいし」

 ニフレディルが大皇后に言った。

「あの、ちょっとあそこはどうでしょう?」

 だが大皇后は何やら嬉しそうな表情だ。

「でも私も話には聞いていたので、見てみたいとは思っていましたが……」

「よし! じゃあ決まりだ!」

 ファシアーナはいきなり大皇后とエルミーラ王女の手を取ってつながせた。

 ぽかんとしている王女を横目に、今度はアウラとクリスティの手をつながせる。

 最後に自分が大皇后とアウラの手を取って五人で手をつないだ状態になった。

「じゃあ残りは頼むぞ」

「ちょっと! シアナ!」

 ニフレディルが叫ぶが―――その次の瞬間五人がいきなりふわっと浮かび上がったかと思うと、ロッジの手すりを超えて飛び出していったのだ。

「ええ?」

「きゃああ!」

 エルミーラ王女とクリスティの悲鳴が聞こえる。

 残されたメイ達は慌てて身を乗り出して彼女達を目で追った。

「大丈夫だって! 手を放すなよ!」

 その声と共に一行は劇場の高いところにある天窓をくぐって消えて行ってしまったのだが……

「あの……」

 メイとリモンが呆然として振り返ると、ニフレディルが大きくため息をつきながら言った。

「あなた方も手をつないで」

「ええ?」

「いいから早く」

 そう言って彼女はメイとリモンの手をつながせた。それからパミーナの手を取る。

 次の瞬間体の重さがなくなったような気がしたかと思うと、メイ達の体はふわっと浮かび上がっていた。



「わ! わ!」

「初めて?」

 思わず声の出たメイにニフレディルが言う。

「いえ、しかし……」

 魔導大学で何度かやってもらったことはあるが、あのときは魔法使いの人と一対一だったし……

《それにリモンさんは初めてなんじゃ?》

 親衛隊の訓練ではそういうことはあまりやってなかったと思うが……

「手を放しちゃだめよ?」

 メイとリモンはがくがくとうなずいた。

 途端に四人は宙を飛び始めた。

 ロッジの窓を抜けて劇場の中に来ると、平土間の人たちが驚いたように彼女達を見上げている。

《うわ! スカート……》

 これでは下履きが丸見えでは? だがニフレディルが笑って言った。

「大丈夫ですよ」

 何が大丈夫なのだ? と思ったところで彼女は気がついた。

 全員のスカートはなぜか両足にまとわりついていて、見える隙間が空いていない。

 これも彼女がやっているのだろうか?

「行きますよ」

 四人はふっと浮かび上がると劇場の天窓を抜けた。

 途端に白銀の都の夜景が眼下に広がった。

「わああ!」

 メイは思わず声をあげていた。こんな光景は生まれて初めてだ!

「きゃあああ」

 だが反対側からパミーナの悲鳴が聞こえた。見ると彼女がニフレディルにしがみついている。

「怖いのならそうして目を閉じてらっしゃい」

「はい! はいっ!」

 こんな景色が見られるのにもったいない―――そう思ったら何だか右手が痛い。見るとリモンが彼女の手を思いっきり握りしめている。

「あの、リモンさん……」

「あ、ごめん……でも」

「それじゃあたしの腕にしがみついていたら?」

「う……うん」

 リモンがメイの腕にしがみついてきた。彼女の体の震えが伝わってくる。

 その様子を見てニフレディルが言った。

「大丈夫。あまり遠くないから。少しの辛抱よ」

 リモンとパミーナは答える元気がないようだ。

 一行は街の上空を抜けると、またぐんぐんと高度を上げていった。

 ここからだと白銀の都全体が見渡せる。高台の上の貴族の屋敷も足下だ。

 それから一行は水平に飛び始めた。

 風がびゅんびゅん当たってかなりのスピードで飛んでいるようなのに、足下の光はゆっくりと流れていく。

 やがて一行は銀の塔の横を抜けていった。

 塔の窓から輝きが漏れていて光の塔のようだ。こればかりは上がどこにあるか見えないくらいだ。

 一行は塔を後にすると湖沿いの崖の上を飛んでいった。

 足下にあった屋敷群が段々少なくなっていって、やがて下は真っ暗になり月と星の明かりだけになってくる。

「見えたわ。あれよ」

 ニフレディルが言った。

「え?」

 メイは目をこらしてみた。何もないようだが―――いや、前方に大きな城のような建物のシルエットが見えるのだが……

《でも真っ暗なんだけど……?》

 何だか全然人が住んでいる気配がしないのだが……?

 やがて一行はその暗い建物の上空に到達した。

 湖に面した高い崖の上に、月明かりに確かに大きな城のシルエットが浮かび上がっている。

 だが近づけばその違和感の正体がよく分かった。

 その建物はあちらこちらが崩壊していて、敷地内も庭というよりは森みたいだし、よく見ると壁面には蔦がびっしりとからみついている。

 要するにどう見ても廃墟なのだが……

「ええっと、あの、ここって?」

「シアナの屋敷よ。まあ廃墟って言った方が相応しいけど」

「あははは、あのそれで?」

「あそこよ」

 ニフレディルの示す方を見るとそこには高い塔が立っているのが見えた。

 その頂のあたりに小さな明かりが灯っている。

「あそこですか?」

「そうよ。もうすぐよ」

 ニフレディルはあっさりと答えるが……

 やがて一行はその塔の頂付近にあるバルコニーに降り立った。

「もう大丈夫よ。二人とも」

 その言葉にリモンとパミーナが恐る恐る目を開けるが……

「きゃあああ!」

 一行が立っているのはものすごく高い塔の上だ。

 しかも立っているのが崖の近くなので、実質の高低差はさらにそれ以上だ。

「ともかく中に入りましょうか」

 言われた方を見るとバルコニーに面して木の扉が付いている。

 メイはニフレディルと共にリモンとパミーナを支えながら塔の中に入った。

 一体どんなところなのだ?

 そこはいくつもの蝋燭でライトアップされた丸い部屋だった。

 横の方には上下の階に向かう螺旋階段があり、反対側の壁は一部直線になっていて扉が付いている。

 床には分厚い絨毯が敷かれていて、壁面には結構上等そうなチェストとか戸棚がある。その中には銀の食器がいくつも並んでいる。

 部屋の中央には低いテーブルがあり、その周囲にはクッションがいくつも転がっている。

 メイはぽかんとしてそれを眺めた。何だか結構普通の部屋だ。

 魔女の住処のイメージとはちょっと違う気もするのだが……

「よう! 来たな?」

 やってきた一行に言ったのはファシアーナだ。

 彼女の側にエルミーラ王女と大皇后が座り込んでいる。その側でクリスティがまた床の上に伸びていて、それをアウラが介抱中だが……

「彼女は?」

 ニフレディルが尋ねるとファシアーナが頭を掻きながら答える。

「高いところ、ちょっと怖かったみたいでな」

「ちょっと怖かったって!」

 大皇后が少し怒った口調だ。

「だってその二人がさ。嬉しそうだったから」

「え? あら? 何のことでしょうか? ね。アウラ!」

「え? うん……まあ……」

 エルミーラ王女がすっとぼけた調子で言うが―――ということは王女達が煽っていたのか?

 飛び上がっていた際にはクリスティは特に慌てていなかったようだから―――上空で一体何が起こったのだろうか?

「その二人も?」

 ファシアーナの言葉にふり返ると、リモンとパミーナも真っ青な顔で座り込んでいた。

「すみません。ちょっと休ませてください」

 ニフレディルが二人に言った。

「ええ、いいわよ。お休みなさい」

 それから彼女はメイに向かって言った。

「それにしてもあなたは元気ね。王女様もそうだけど。こうなっちゃう方が普通なんだけど」

 いやいや……

 メイは苦笑しながら答えた。

「何かあんまり苦にならないんですよ。それに王女様も高いところは大丈夫ですから」

 それを聞きつけて王女が言った。

「なによ? その何とかと煙みたいな言いぐさは?」

「そんなこと言ってませんって!」

 それを聞いてファシアーナが横のアウラに尋ねた。

「ん? 王女様、高いところが得意って?」

 アウラが答える。

「塔の部屋からシーツのロープで下りたことがあるの」

「ええっ?」

「なんですか? それは?」

 思わず大皇后も尋ねる。知らない他のメンバーは一様に驚いた表情だ。

「ちょっと! アウラ!」

「え? でもみんな知ってるし」

「何のことですの? 聞かせて頂けます?」

 ニフレディルの問いに王女は苦笑いしながら答える。

「あははは。実は以前ちょっと高い塔の上に拉致監禁されたことがございまして……」

「まあ……」

 それから例の王女の武勇談が始まった。こうなるとしばらくかかりそうだ。

 メイは辺りを見回した。それから横のニフレディルに囁く。

「ここ、飲み物とかそういった物はあるんでしょうか?」

「それならこっちよ」

 ニフレディルは先だって歩き出して、反対側の壁にあった扉を開ける。

 その先は小さな厨房になっていたが、中は意外に整理されていた。

「お酒とかはシアナが出してくるでしょうけど。何かちょっと作りましょうか。あなたお料理は?」

「それなら任せてください!」

 痩せても枯れても元シェフ志望だ。見れば食材もそれなりに揃っている。その気になれば結構な物を作れそうだが―――劇場で結構みんな飲み食いしていたから、あまりこってりしない方がいいかもしれない……

「ここは私がしますから、ニフレディル様はあちらで休んでらっしゃってください」

 そう思ってメイは言ったのだが……

「でも火の付け方とか分かるの?」

「え?」

 言われてみると火を付ける道具がない。

「こういうこともあるから用意しとけって言ったんだけど……」

 その言葉と共に竈にぽっと火がついた。

《うーむ。この厨房は魔法使い仕様か……》

 ならば手伝ってもらわないとどうしようもない。

 そこでメイはニフレディルと二人で簡単な料理をこしらえた。

 すると匂いをかぎつけてファシアーナがやってきた。

「お、悪いな。リディール。それと……」

「メイです」

「メイちゃんね。覚えとこう」

 ファシアーナはにっこり笑うと厨房の奥に頭を突っこんでごそごそすると、高そうなワインの瓶を取り出した。それからテーブルに乗った料理を見て言った。

「これ持ってっていいのか?」

「ええ」

「よし」

 途端に皿が浮かび上がったと思うと、ファシアーナの後に続いてぞろぞろついていく。

 メイがそれをぽかんとしてみていると、ニフレディルが言った。

「さあ、私達も行きましょう」

「はい」

 リビングに戻ると二人は歓声で迎えられた。

「まあ! 美味しそうですね」

「この子なに? プロの料理人か何かか?」

 大皇后やファシアーナの言葉に王女が答える。

「彼女は城の厨房で何年も修行してましたから」

「へえ、すごいね」

「まあ、おいしいわ~!」

 クリスティが一口食べて微笑んだ。どうやら彼女も元気になったようだ。

 こんな風に喜んでもらえるのは嬉しいのだが―――何だかちょっと複雑な気分だ。

 そこにリモンとパミーナがやってくる。

「ごめん。一人でやらせちゃって」

「いいのよ。ニフレディル様が手伝って下さったし」

「え? あの……」

「いいんですよ。ともかくみんなお座りなさいな。メイちゃんもほら」

 三人は座って輪の中に加わった。

「よし! みんな揃ったところでまた乾杯だ!」

 一同は何度目かの乾杯をした。

 何だか久々に満ち足りた気分だ。

 メイがそんな気分に浸っていると、話題は先程の騒ぎの方に向かっていった。

 アウラがクリスティに尋ねた。

「それにしてもクリスティ、さっきの奴、何だったの?」

「マグニ本家の若様なんですが……」

「ええ? 本家の? ということは?」

 王女が驚いた声を出す。

「ええ。順位は低いけど、一応皇位の継承権もありますね」

 ニフレディルの言葉を聞いて王女が少し引きつった顔でメイの方を見た。

 それについてはメイも同様だった。

 都に来るのに大公家とか小公家のことを調べずに来るわけにはいかない。

 ベラの建国にも大きく関わっているあの大聖が東の帝国を滅ぼした後、七つの家族を率いて旅をして、最後に見いだした安住の地がこの白銀の都だと言われている。

 その大聖の直系であるベルガ、ハヤセ、マグニの三家を大公家、七家族の末裔であると言われる、アスタル、カマラ、エルノン、クアン・マリ、マテラ、ル・ウーダ、ヴァリノサを小公家と呼ぶ。

 要するにマグニの本家と言ったら、都でも名家中の名家なのだ。

《その若様をあたしたち半殺しに?》

 いや、最後にとどめを刺したのはファシアーナだが……

「その若君がどうして私達のところに来たのでしょう?」

 大皇后の問いにクリスティが答えた。

「私の場合、ごひいきにして頂いているお客様がたくさんいらっしゃって、それで次の順番が随分先になることもあるんです」

 それを聞いた全員が納得したようにうなずいた。

「なので時々、予約の近い方に何というか、“直談判”なされて、代わりに来る方もいらっしゃって……郭ではお客様のことは普通口外致さないのですが、ああいう御方に無理に頼まれると、どうしても断れない者もおりまして……」

「要するに予約してた方と強引に入れ替わってたと?」

 大皇后の問いにクリスティはうなずいた。

「まあ、そういうことです」

「それにしてもちょっと強引過ぎますわねえ。いくら何でも既に私達が一緒にいるところに来てあんなことを言い出すなんて……」

「多分当てが外れて腹を立てていたのではないかと」

 そう言ってクリスティはアウラを見て笑った。

「どういうことです?」

「え? まあ、その……」

 大皇后の問いにアウラが口ごもる。

 代わってクリスティが答えた。

「実は今回私達も代わって頂いてたんですよ。今日は本当は別な御方との約束になってたんですが、大皇后様とか、外国の王女様とかがいらっしゃるということで、こちらから言って代わって頂いてたんです」

「まあ……」

「もちろんそのお客様にはカトレア姉様におもてなしして頂くことにして……でもカトレア姉様もお忙しいんで、それで今度のお休みにアウラちゃんが行ってあげるということで話がついて……」

「そこまで言わなくていいでしょ?」

 アウラがちょっと赤い顔で抗弁する。

「あら、ごめんなさい。でも姉様、とっても喜んでたから……」

 えっと―――アウラってやっぱりすごいのか?

 以前、強くて優しくてとってもお上手なアウラの噂を聞いたことがあるが、それに関してメイはまだその実力を見たことはないわけで―――けほんけほん。

 クリスティの言葉を聞いてファシアーナが首を振りながら言った。

「なるほど。で、若様はそっちの客と代わって待ってたら別人が来たっていうんでキレてたのか?」

「多分そうかと」

「全くどうしようもない奴だな。あの程度じゃ足りなかったかね?」

 だがクリスティは首を振った。

「そんなこと言わないでくださいな。助けて頂いたのは大変感謝しておりますが……あの御方もいろいろ大変なんです。確かにいろいろ強引なところはありますが、私といるときは可愛いお方なんですよ? 寂しがり屋で……」

 それを聞いてファシアーナはちょっと驚いた風だったが、やがてにっこりと笑った。

「あんた、いい子だね。あんな奴かばうなんて」

「そんなんじゃありませんわ」

 クリスティはぽっと赤くなった。

 この人はあの男が好きなのだろうか? メイには理解ができないが―――いやそれを言ったら王女様が某国の首長様をとっても好きなことだって―――げふんげふん。

「なるほど。ま、いいや。それでさ……」

 ファシアーナが話題を変えようとしたときだ。ニフレディルが突っ込んだ。

「ちょっとお待ちなさい。シアナ。それでどうしてあなたがあそこで暴れていたか聞いていないのですが?」

「え? いや、まあね」

 考えてみればそもそも彼女達は何故ここにいるのだ。たまたま観劇に来ていた、というわけではないだろうし……

 そういえば確か……

 ニフレディルは続けた。

「約束は大皇后様方を“陰ながらお守りする”ということでしたよね?」

「え? ああ。うん。まあね」

 ファシアーナはそっぽを見ながらうなずく。

「じゃあ何ですか? あれは? この方々を巻き込んだらどうするんですか!」

「う・う・う……」

 そこに大皇后が口を挟んだ。

「ちょっと待ってください。リディール。その“陰ながらお守りする”とはどういうことでしょう?」

 ニフレディルは微笑んだ。

「も・ち・ろ・ん、ハルムート殿からご依頼を受けましたので」

「あら、まあ、そうでしたか。ほほほほ」

 あからさまに不自然な笑いだが……

「大皇后様もあまりあの方に心配をおかけにならない方がよろしいかと」

「そうですわね。最近髪も薄くなってきているみたいですし。おほほほほ」

 要するに大皇后がこんな風に男装してお忍びで出歩くなんて、やっぱりこっちの基準でも無茶だったということか? それで側近の誰かが心配してこっそりと護衛を付けようとしたと、そういうことなのだろうか?

 ―――だとすればメイはその人の気持ちが痛いほどよく分かった。

 でもそれなら彼女の最初の登場の仕方は何だったのだ?

 大皇后も同じ事を考えていたようだ。

「でもそれならどうして最初は彼らと一緒に来られたのです?」

 それを訊いてファシアーナは言葉に詰まった。

 ニフレディルが冷たい目で彼女を見つめる。

「あはは。もう、見ていいから」

 そう言ってファシアーナは自分の頭を指さした。

「それでは」

 ニフレディルは彼女の額に手を当てると、目を閉じて何かぶつぶつ言い始めた。

「……劇場に来て……たくさん飲んで……お手洗いに行った帰りにボコボコになった彼らと出会って……誰にやられたと聞いたら、ロッジを間違えて入ったら有無を言わさずやられたとか言われて……それで二人を連れて乗り込んだら、そこにいるのが大皇后様と気づかずに?」

 ニフレディルは目を開けるとファシアーナをあきれたように見つめた。

「まあ、そんな感じか? あはは」

 ニフレディルは手を放すと大きくため息をついた。

 それから大皇后に向かって深々と頭を下げる。

「私があのとき絶対断っておけば良かったんですね。こんな人に任せられると思った私がいけませんでした。申し訳ありません」

「おいおい」

 ニフレディルはファシアーナを睨みつけた。

「お黙りなさい! そもそも警護に来てるというのにあれだけ酔っぱらって! 単にただ酒が飲みたかっただけでしょう?」

「え、そんなことないって。ちゃんと見張りもしてたって」

 ニフレディルが彼女ににじり寄ってもう一度じろっと睨んだので、ファシアーナは黙りこんだ。

 それからニフレディルはまたため息をつく。

「挙げ句に片が付いたと思ったら、今度は彼女に喧嘩を売ったりして。あれはどういう事ですか?」

「ああ、だからほら、例の騒ぎのとき、彼女に魔導師の警護なんて役に立たないって言われたじゃん。だから……」

 ニフレディルの体がわなわなと震えた。

「役に立ってないってあなたがたった今実証してたでしょ! これなら彼女に任せていた方が千倍ましです!」

 ニフレディルはすごい剣幕だ。アウラが苦笑いしながらなだめに入ろうとした。

 だがニフレディルはそれを無視してまくし立てた

「大体なんですか! こんな剣士を相手にしてあんな間合いじゃ動けないに決まってるじゃないですか! どうして手すりの向こうから狙わなかったんですか!」

「ああ、そうか。そうしてれば良かったのか……」

 アウラの苦笑いがそのまま引きつる。

 ちょっと、なにげにニフレディル様は怖いこと言ってないか?

「ともかくもう一度皆さんにお謝りなさい!」

 ニフレディルはそう言って子供を謝らせるようにファシアーナの頭をぐりぐり押さえつけた。

「うう、みんな、ごめん」

 そんな様子を見て大皇后が少しあきれた様子で言った。

「リディール。もうその辺でいいんじゃないですか?」

 一同もそれを聞いてうなずく。

 とはいえ―――そもそもこういう場合、どう反応したらいいのだろうか?

 そんな間の悪い沈黙が場を支配した。

 そのときだった。クリスティが少し恥ずかしそうに口を挟んだ。

「あの~、ここってシャワーとか浴びられません?」

 それを聞いてファシアーナが得たりといった様子でうなずいた。

「あ、それなら下の階にあるけど……でもどうせならみんなでお風呂に入らないか?」

「みんなで、ですか?」

 クリスティが不思議そうに尋ねる。そんな広い風呂場がこの塔にあるのだろうか?

「ああ、とっときの場所があるんだ」

 そう言って彼女はニフレディルに向かって目配せした。

「ええ、そうですわね」

 ニフレディルもうなずく。

「みんなもいいかな?」

「でも着替えとかはどうしましょうか?」

 大皇后が尋ねるとファシアーナが答えた。

「あたしので良けりゃ。浴衣とかもあるし」

「どう致します?」

 大皇后が一同を見回すと、エルミーラ王女もうなずいた。

「行きましょうか? よろしいですわね?」

 他の一同もうなずいた。

 実際何度も冷や汗をかかされていて、確かにお風呂に入りたい気分ではある。

「あ、ごめんなさい。それじゃちょっと手伝って頂けるかしら?」

 ニフレディルがリモンとパミーナに言った。

「あ、はい」

「お二人は上の部屋の箪笥から皆さんの着替えとかタオルを出して、その籠に入れてきて下さらない?」

「はい」

「それからメイちゃん、せっかくだからお料理とかも持って行っておきましょう」

「お風呂でですか?」

「食べられるところもあるの」

「あ、はい……」

 そんな広いところなのか? ともかくメイは彼女の後を付いていった。

 ニフレディルは厨房の端にあった持ち手の付いた大きな箱を指して言った。

「この中に入れてちょうだい。ここじゃワゴンが使えないんで」

 その側面が開くようになっていて、中は棚で仕切られている。

「わかりました」

 魔女の館というのは何かと違っているものだ……

 メイ達が荷物を持ってくると、ファシアーナが言った。

「じゃ、行こうか。みんな並んで」

「また飛んでいくんですか?」

 クリスティがちょっと弱々しげに尋ねる。

「ここ出口はそこしかないんだ。階段は壊れちゃっててね」

 いや、それって―――あー、まあいいけど……

「あの~」

 心配そうなクリスティにファシアーナが笑いかける。

「分かってるって。もう宙返りとかしないから」

 メイは吹きだしそうになった。

《そんなことしてたんだ……》

 クリスティが伸びてしまうのも当然だが―――というより、王女も大皇后もそんなことされて平気だったのか? アウラはともかく……

 ファシアーナ達はバルコニーに出て行った。

 それを見てニフレディルも言った。

「じゃあ私達も出ましょう」

 それと共に荷物が浮かび上がって彼女の後を付いていく。

 メイ達はおっかなびっくりその後に続いた。

 バルコニーに出るとニフレディルが言った。

「みんな荷物はしっかり握っておいてね。それから空いた手で私に掴まって……あ、帯のところが掴みやすいわよ」

 三人は荷物を持つと恐る恐るニフレディルの帯を掴んだ。

「じゃあ行くわよ」

「はいっ!」

 メイはわくわくしながらうなずいたが、リモンとパミーナはやはり震えていた。