知りすぎていた娘 第2章 真夏の夜の夢

第2章 真夏の夜の夢


 防衛会議から数週間が経過していた。

 現在、都軍とレイモン軍は銀の湖の畔で睨み合っているところだ。

 王女達の予想通り、都軍の防衛ラインをレイモン軍は突破できずにいた。その結果最初にちょっと小競り合いがあっただけで、その後はずっと膠着していた。

 しかし王女達は今、別な戦場にいた。

「ソースはどう?」

 ホイップクリームのボウルを手にしたエルミーラ王女が尋ねる。

「ばっちりですよ。でももう少し冷まさないと」

 王女はそのままやって来るとメイの手にしている鍋を覗いた。

 ほかほかした湯気と共に甘酸っぱいイチゴソースの香りが漂ってくる。

「まあ。おいしそうね」

 メイの周囲にはそれだけでなく、焼き上がったばかりのタルトベースの香ばしい香りや、クリームに使うバニラなどが渾然一体になった甘い匂いが立ちこめている。

《うっふっふっふ……》

 ここしばらく離れていたとはいえ、厨房はかつては彼女の戦いの場だった。こういった香りを嗅ぐだけでどうしても心が高揚してきてしまう。

 メイは思わず笑いたくなったがそれは心の中だけに抑えておいた。

 王女はイチゴソースを確認すると周囲を見て言った。

「ところでアウラはもう?」

 それを聞いてクッキーの型を抜いていたリモンが答える。

「先程お迎えに行かれましたが?」

「まあ! 急がないと!」

 王女は慣れた手つきでクリームを泡立て始めた。

 いま彼女達がいるのは、都から馬車で数時間ほど西に行った所にあるハヤセ・アルヴィーロ氏の別邸だ。

 山間のちょっとした盆地になっていて周囲には広い牧場がある。

 フォレスの田舎とちょっと似た感じで何だか和む光景だ。

 ―――とはいっても、ここには遊びに来たのではない。疎開してきたのだ。

 ほぼ間違いなく大丈夫だろうとは思うのだが、やはり都は前線に近い。

 そのため貴族の子女達は皆、こうして田舎の別邸に移動している。王女達もまた同様の理由でこちらに置かせてもらっていた。

 何しろ王女は都では悪目立ちしてしまっていた。あの防衛会議の一件はあっという間に都中の噂になっていたのだ。

 その中にはどう間違ったか知らないが、ベラの姫が都を滅ぼしにやってきた、みたいな話まであったりするし―――まああれではそんな誤解を受けても仕方ないのだが……

 というわけでアルヴィーロ氏から彼の別荘に来ないかと言われて、渡りに船で飛びついたというわけだ。

 来てみればこの別邸はとても気分の良いところだった。

 空気もいいし景色もいい。別邸の管理者はあの日に案内役をしてくれたイクストーヴァ氏で、屋敷の使用人達も皆親切だ。

 メイはすぐにこの場所が好きになった。

 だがそうはいっても周囲は何もない田舎だ。特に現在の状況ではあまり遠くまで出歩く事もできない。

 すなわち屋敷の周囲を一渡り見てしまったら、後は何もすることがないということだ。

 だが王女はそれについてはあまり困ってはいなかった。

 というのは一行が滞在している棟にはアルヴィーロ氏の余った蔵書が置いてある部屋があって、その中の物は好きに読んでいいと言われていたのだ。

 見てみるとアイザック王の図書館にも無いような本があったりする。王女は大喜びでそれを読み始めたのだ。

 メイも読書は嫌いではないが、こんなにいい季節には外出したい質だった。どうせ冬になれば嫌と言うほど暇ができるわけだし……

 そこでメイはよく一人で別邸周辺を散策していたのだが、そうしているうちに知り合った庭番の老人から野イチゴの穴場があることを聞きつけたのだ。

 そこで彼女は思いついた。

 もうじきまたメルファラ大皇后が遊びに来られるというが、これでおもてなししたらどうだろうかと。

 ただの遠乗りのようなことは王女はあまり好まないのだが、イチゴ狩りとかキノコ狩りのように“戦果”が挙がるタイプの外出は結構乗り気になってくれるのだ。

 果たしてそのアイデアは王女も気に入ってくれた―――というより、完全に本気になってしまったのだ。

 メイはデザートに出したりヨーグルトに乗せたりしたらいいくらいに考えていたのだが、話しているうちにどうせなら王女の得意料理の一つであるイチゴのタルトを作って出そうということになってしまったのだ。

 そして今日は早起きしてイチゴ狩りに行って、今こうしてタルト作りの真っ最中というわけなのだが―――ちょっとしたトラブルがあってスケジュールは逼迫していた。


「まあ、いい香りですね!」


 気づくと厨房の戸口に立っているのは―――大皇后だ。うわー、やっぱり間に合わなかった!

「まあ、ファラ様!」

 王女が慌てて大皇后を迎えに行こうとするが、手にしたホイップクリームのボウルを見てちょっと躊躇する。

 それに気づいて大皇后は手を振った。

「みなさん、お続けになってくださいな。ちょっと見ているだけですから」

 王女がばつの悪そうな笑みを浮かべながら答える。

「ごめんなさい。もう少しお待ち頂けます?」

「ええ。もちろん」

 王女はクリームを泡立てる作業を続けた。

 大皇后は厨房に入って来ると王女達の仕事ぶりをにこにこしながら眺め始めた。

 しばらくして王女の作業が一段落した。彼女はクリームに角が立つことを確かめると言った。

「ごめんなさいね。できあがった物をお出しするつもりでしたのに」

「いえ……それよりアウラから聞いてますわ。お怪我は大丈夫ですか?」

「え? それは全然ですわ」

 王女はそう言って足を振った。

 怪我というのはイチゴ狩りからの帰り道のことだ。先日までの雨でぬかるんでいる場所があって、そこで王女が足を滑らせてしまったのだ。

 最初はアウラが何とか支えたのだが、王女が手にしていたイチゴ満載の小籠がすっ飛びそうになって、それも助けようとしているうちに二人で見事に転倒してしまったのだ。

 しかしそうなってもアウラだ。彼女が下側になって支えたおかげで王女は膝をちょっとすりむいただけで済んだのだが―――二人とも、特にアウラは体中泥だらけになってしまって、服を着替えたり髪を洗い直したりしているうちに時間が経ってしまったのだ。

「後はこれを乗せてっと……」

 王女はタルトの上にクリームを塗って平らにならしていく。

「後はあれと……メイ、ソースは?」

「もう大丈夫です」

 ソースは十分に冷えている。

 答えたメイの方を見た大皇后は、彼女の脇のテーブルに野イチゴが山盛りになったボウルがあるのに気づいた。

 大皇后はその側までやってきて少し不思議そうに尋ねた。

「これを摘んで来られたのですか?」

「ええ」

 王女が答える。

「このまま乗せるのですか」

「え? そうですけど? それに後からお好みでイチゴソースも」

 だが大皇后は今ひとつぴんと来ない表情だ。

 どうしたんだろう? もしかして彼女はイチゴが嫌いだったのだろうか?

 でも若い女の人がイチゴ嫌いなんて事があるのだろうか?

 メイがそんな風に思っていると、大皇后はちょっと首をかしげながら言った。

「野イチゴって……何か味がないですよね?」

 あ! もしかして!

 それを聞いて王女もぴんと来たようだ。

「ちょっとそれ召し上がってくださいな」

 そういって王女が微笑む。

「え?」

 大皇后は恐る恐る一粒食べた。途端に口元が緩む。

「まあ? これは!」

 大皇后はそう言ってまたもう一つつまんだ。

「野イチゴにも色々種類があるんですのよ。確かに大抵はまずいんですけど」

「本当に!」

 そういって大皇后は野イチゴをもう一つ口に運ぶ。

「それでは少し先に差し上げましょうか?」

 そういって王女は小鉢にイチゴを取り分けた。

「え? でもケーキに乗せるのでは?」

「大丈夫です。こんなに乗せたら山になってしまいますわ」

「まあ、確かに!」

 そう言って大皇后は笑った。それから王女はあたりをぐるっと見回すと言った。

「えーっと、後は飾り付けだけかしら?」

 メイはうなずく。

 残った作業はタルトの上に野イチゴとミントの葉っぱを乗せるだけだ。

「どうなさいます? ファラ様。ちょっとおやりになりますか?」

 王女は大皇后に尋ねたが、彼女は首を振った。

「いえ、あまりこういう事はする機会がございませんでしたので」

「それではお部屋に参りましょうか? 長旅お疲れになったでしょう?」

「よろしければ」

 それを聞いて王女はメイに言った。

「じゃあ後はお任せするわ」

「あ、はい」

 メイはうなずいた。

 それから王女は部屋の隅にいたリモンに目配せする。彼女も軽くうなずくと王女達を先導して歩き始めた。

 メイはほっと一息をついた。厨房に偉い人が来ると普段よりもずっと緊張してしまう。

《それにしても王女様は……》

 泥まみれになった王女達が着替えている間にメイ達が作業していれば、間に合わせることは十分できた。

 だが今回は王女が自分でやると決めていたのだ。実際タルトの生地は昨夜から王女本人が仕込んでいた物だ。勝手に手を出されたら嫌なのはメイにもよく分かるのだが……

「さてと……」

「メイさん、メイさん」

「え?」

 振り向くと料理長が目を丸くしていた。

「今のが大皇后様?」

「ええ? そうですけど?」

 と、普通に答えてメイは彼がびっくりしている理由に思い当たった。

 厨房に大皇后がやってくるなどということは極めて異例―――というか、彼らにとっては一生に一度あるか無いかレベルの話なのだ。

「おきれいな方ですね……」

「本当に。ほれぼれしちゃいますよね。あのお姿は……」

 これに関しては心の底からそう言える。

 だがこの何ヶ月か接してきてそのお姿の裏にはかなりとんでもない性格が秘められているようにも見えるのだが―――などということを彼らにぺらぺら喋るわけにはいかない。

 今はともかくタルトを完成させるのが先決だ。

「それよりすみません。散らかしちゃって。後で片付けますから」

「いや、いいんですよ」

 料理長は扉の隙間から中を覗いていた他の料理人達に言った。

「ほら、おまえら、やれ!」

 同じく中を伺っていた料理人達がぞろぞろと入ってくる。

 メイが挨拶すると、彼らも彼女に微笑みかけた。

 ここの人たちとはもう顔なじみだ。というより、今まで滞在した大抵の場所の厨房の人たちとは顔なじみになっていたと言っていい。

 公務がなくて暇だったときなど、メイの足はつい厨房の方に向かってしまうのだ。

 料理人達が相手だといろいろ話のきっかけが掴みやすいし、屋敷の裏話なんかも聞けたりする。もちろん余ったお菓子なんかももらえるし……

 料理長はあたりを片付けながらタルトにイチゴを並べているメイに言った。

「それにしても、お姫様のお料理っていうからどんなもんかと思ってたら……」

「すみません。汚しちゃって」

 王女も多分に漏れず作る方は好きなのだが片付ける方はあまりお好みでない。

 だがそれを聞いて料理長は首を振った。

「いえ、そうじゃなくって、みんなやって頂けたんで少々びっくりしてたんですよ」

「え? ああ、そうですよねえ」

 そっちの話だったか―――メイは笑ってうなずいた。

 こういったお姫様方がお料理と称する物を行う場合によくあるパターンとして、例えば今回ならタルトの台の所までは料理人達が作って、最後にイチゴを並べるところだけをやって頂くといった感じになるのだが―――多分最初にこの話を持ち込んだときは料理長達はそんなことを考えたはずだ。

 ところがエルミーラ王女の場合は本格的に生地を作るところから始まって、型に入れたり焼いたりといった所も全部自分でやってしまったのだ。

 挙げ句に時間がなかったとはいえ、最後の飾り付けの所だけを他人に任せているのだから……

「すごく手慣れてらっしゃったねえ。お城でもお料理なされてるんで?」

「最近はちょっと……でも前は自炊なさってたそうで」

 メイがそう答えると料理長は驚いて手を止めた。

「自炊? 王女様が?」

 あ、しまった―――フォレスだと周知のエピソードなのだがこちらじゃ……

「あははは。それがちょっと王様と喧嘩して引きこもられたことがあって、そのときグルナさん……っていう侍女の人に習ったそうなんですよ。だから一番得意なお料理がクリームシチューとバターロールだったりして」

「はあ?」

 料理長は目を丸くして、それから笑いだした。

「なんというか、変わったお姫様だねえ」

 あはは―――全く否定できない。

 そんな話をしている間に野イチゴのタルトは完成した。

「じゃあちょっとそこ借りますね」

「どうぞ」

 メイはタルトを冷蔵庫に入れる。

 こういったところはさすがに都の大貴族だ。お屋敷に住み込みの魔導師がいて、いつの季節でも氷はふんだんにあるのだから。

 タルトが冷えるまでの間に、余った生地で作ったクッキーを焼くことにする。リモンが型抜きまでしてくれていた物だ。

 焼き上がりの間、厨房の人と雑談しながらメイは何か幸せをかみしめていた。

《最近は心臓に悪いことばっかりだったし……》

 国家戦略がどうのこうのとか、戦争がどうのこうのとか、何だかもうずっと遠くの世界の話のような気がする。

《まあ今も思いっきり戦争中なんだけど……》

 とは言ってもあれ以来会議に呼ばれていないので、それに関する詳細は分からないのだ。

 それが当然と言えば当然なのだが―――そもそも、たまたま都に遊びに来ていた田舎王女が防衛会議に呼び出される方がおかしいのであって……

《戦争なんて早く終わればいいのに……》

 ここはフォレスに似ていて良いところだが、逆にそれ故に故郷を思い出させてしまうところもある。

 こんな風にばたばたしていればいいのだが、落ち着いてしまうとふっとガルサ・ブランカのみんなの顔が瞼に浮かんできて……

 王女も口には出さないが時々そんな表情で庭を見つめていることもあるし―――そんなことを考えていると……

「メイちゃん。どう?」

 やってきたのはパミーナだ。

「エルミーラ様がお待ちかねなんだけど」

「もうそろそろ行けますよ。丁度良かった。お願いできます?」

「ええ」

 メイが冷蔵庫からタルトを取り出すと、パミーナはびっくりした表情でそれを眺めた。

「これ、エルミーラ様が?」

「ええ。生地もクリームもみんな。乗ってるイチゴもご自分で摘まれたの」

「すごい!」

 それから二人はお茶の準備をして、ワゴンにタルトと焼きたてのクッキーを乗せた。

「じゃ、よろしくお願い」

「分かったわ」

 パミーナがワゴンを押して出て行った。

 それを見届けるとメイは最後の片付けをしてからエプロンを脱いで客室に向かった。

 部屋に来ると丁度そこではパミーナがタルトを切り分けているところだった。

「まあ! 本当に美味しそう!」

 客間にはメルファラ大皇后とエルミーラ王女の他にアウラも正装で座っている。

 アウラの場合は着るつもりだった服が泥だらけになってそれしかなかったというのが真相だが……

「これをかけて頂くと美味しいですわよ」

 切り分けられたタルトにエルミーラ王女が自らイチゴソースをかける。大皇后はそうして差し出されたタルトを口にすると満面の笑みになった。

「まあ……これをミーラ様が全部お作りに?」

「ええ、ご覧になられたとおり、台の所まではですけど」

 それを横で聞いていたアウラが言った。

「ごめんね。ミーラ。あたしが転んでなければ……」

「何言ってるのよ。あなたがイチゴの籠を守ってくれたからじゃない。さすがに真っ白なタルトは出せないでしょ?」

「んー……でも……」

 口ごもるアウラを見ながら二人がくすくす笑う。

 それから大皇后はまたタルトに乗っていたイチゴを口にすると言った。

「これ本当に野イチゴなんですの? 時々道ばたにあるのをつまんだことがあるんですが、狩りのときなんかに……でもこんなに甘いのは食べたことが無いんですが」

「形が丸いのじゃありません? あれはまずいんですよね。私も食べたことがございますが。でもこんな風に先がとんがっていると美味しいんですのよ」

 エルミーラ王女がイチゴを一つ持ち上げて大皇后に良く見せる。

「あら、確かに……でもどこにあるんでしょう? あまり見たことがありませんが……」

 それを聞いてエルミーラ王女がメイの方を見て言った。

「彼女が穴場を聞き出してきたんですの」

「穴場?」

 大皇后がメイの顔を見て尋ねる。メイは答えた。

「ああ、はい。庭番のほら吹きじいさんに聞いたんです」

「ほら吹きじいさん?」

「ああ、そう言われているおじいさんがいるんですよ。こちらのお屋敷のお庭の手入れをしている人で、昼間っから酔っぱらってたりしてるんですが、このあたりの山にすごく詳しいんです。でも本当にその名の通りのほら吹きじいさんで、穴場まで下見に行ったときなんかもう変な話が次から次に……」

 それを聞いて大皇后は興味を覚えたようだ。

「どんなお話なんです?」

「例えばこんな感じで……」

 メイは話し始めた。


 ―――野イチゴの穴場へ案内してもらう道すがら、メイと老人は雑談をしていた。

「ほう? 姫様は野イチゴがお好きなんか?」

「野イチゴっていうか、本当はブルーベリーが一番お好きなんですが、でももう季節を過ぎちゃってるでしょ?」

「さすがにこの時期ではのう……季節を過ぎていると言えばあのときもそうだったが……」

 そういって老人は遠い目をする。

「何なんですか?」

「最近はそうでもないんだが、以前は姫様もよくいらっしゃったんだがな。ああ、うちの姫様だが」

「アンシャーラ姫ですか?」

「そうそう。姫様がこんなに小さい頃から知っておるが、あの頃は本当に可愛らしかったんだよ」

 アンシャーラ姫とはハヤセ家のご令嬢で、何度かお目にかかったことがあるが、ああいうのを佳人と言うのだろう。まさに非の打ち所がない姫君だ。

「ところがな、姫様がこちらにご滞在なさっていたとき、風邪を引いてひどい熱を出されたことがあってな……そこで姫様がコケモモのジュースが飲みたいとおっしゃるのだ」

「あーっ! あれ美味しいですよね。でも確か取りに行くのが大変なんですよね?」

「ああ。このあたりじゃあそこまで行かないとなあ」

 そう言って老人は遠くに冠雪している山の頂を指さした。

「季節はもう冬も近かった。行っても見つからんかもしれん。だがわしは取りに行ったんだな。それで姫様がよくなられるんならと思ってな……あの山のことは知り尽くしておるし、多分あの場所ならあるんじゃないかと思ってな」

「で、あったんですか?」

「ああ。案の定その場所にはもう少しだけ実が残っておってな、ジュース一杯絞る分くらいは取ることができた。これで姫様に美味しいジュースを差し上げられると思って喜んで帰ろうとしたんだが、急に霧が出てきて道が分からんようになってしまった」

 メイはうなずいた。

「わしはこのままではまずいと思った。風も冷たいしそのうち雨になるかもしれん。だが何も見えなければわしだって道を間違うかもしれん。でも姫様が待っておる。わしは焦った。とそのときだった。どこからか声が聞こえたのだ」

 これって何かの怪談なのか? 怖い話は―――大好きだが……

 そこでメイは尋ねた。

「どんな声ですか?」

「か細い、泣くような声でな。そのときはまるで子供の声のようにも聞こえたから、わしはその声頼りにその方に行ってみたんだな。ところがそこには子供ではなく、見たこともない白い鳥が横たわっておったのだ」

「白い鳥? 白鷺みたいな?」

「いいや、白鷺とは全然違う。見たこともない白い大きな鳥だ。ともかくそいつを見るとずいぶん衰弱している。わしが近寄っても逃げようともせん。これは労せずして晩飯のおかずにもありつけたかと思ったのだがな」

「まあ、そうですねえ」

 二人は笑った。それからまた老人は真顔になると続けた。

「ところがそのときどこかから声が聞こえたんだ。今度ははっきりした言葉だった。お腹がすいて飛べません。どうかその実を頂けませんか? と、こんな言葉でな」

 老人は少々芝居がかった様子でその鳥の喋り方を真似してみせる。

 メイはちょっと驚いて尋ねた。

「その鳥が、喋ったんですか?」

 老人はうなずいた。

「わしはあたりを見回したがもちろん誰もいない。見たらその鳥が悲しそうな目でわしを見つめておるのだ。それでわしは今話したのがその鳥だと気づいたのだ」

「ええ?」

「まあ信じられんかもしれんがな。ともかくわしはその鳥に言ったさ。このコケモモは姫様に差し上げる大切なものなんだってな。でもそいつは、このままでは私はここで死んでしまいます、とか言うのだ。だからわしは可哀想になってその鳥に取ってきたコケモモの実をやったのだよ。鳥なんだから二~三粒やれば十分かと思ってな」

「はい……」

「ところがそいつは何とぱくぱくとわしの持っていたコケモモを全部食ってしまいおったのだ!」

「えっ?」

 老人の表情を見てメイは思わず吹き出した。

 それを見て老人は満足そうに微笑むと続けた。

「わしは怒ってそいつを締めてやろうと思ったさ。ところがだ。またそいつが言いおるのだ。ありがとうございます。これで力がわきました。故郷に帰ることができます、とかな。そして言ったのだ。あなたのご親切には感謝しています。ですから一つご恩返しを致しましょう、とな」

「恩返し……ですか?」

 メイの問いに老人はにっこり笑ってうなずいた。

「ああ。一体どんな恩返しなんだ? とわしは尋ねた。ところが鳥の奴はそれには答えずいきなり飛んで行ってしまったのだ。わしは呆然としたよ。でもしばらくしたら霧も晴れてきたんで、すごすごと戻るしかなかった」

「はい……」

「ところがだ。屋敷に戻ってみると姫様は起きてぴんぴんしておるのだよ。聞けばわしのいない間に白い大きな鳥が飛んできて、屋敷の上空をしばらく旋回しておったそうな。そうしたら姫様の熱が急に下がって動けるようになって、そうするちにその鳥は飛んで行ってしまったのだと」

「へええ!」

「今思うに、あの鳥は白の女王の化身の鳥だったんじゃなかろうかな。北の空に白い鳥の星座があるが、あそこから落ちてきた鳥だったんじゃないかとな。やはり親切をしておけばそれなりの報いがあるものだと思ったさ」

 そう言って老人はくっくっくと笑った―――


「……って感じで」

 メイの話を聞いて大皇后はちょっと首をかしげた。

「それって……本当なのでしょうか?」

 メイは笑って首を振る。

「さあ、どうでしょう? 後でお館でも聞いたんですけど、みんなどうせコケモモがみつからなかったからそんな話をでっち上げたんだろうとか言ってて。でも本当だったら素敵ですよね」

 その答えを聞いて大皇后も微笑んだ。

「そうですわね。他にも何か話されていたの?」

「ええ。まだありますよ。例えば……」


 ―――その後老人とちょっと星の話になったのだが、それから彼は思い出したようにこんな話を始めた。

「そういえば今から何年か前のことだったが、わしは星からやってきた王子と出会ったんだぞ」

「星の王子様ですか?」

 この時点ではもう老人の話の方向性が分かっていたので、メイは調子を合わせた。こういった話は元々大好きだし……

 メイが興味津々な様子なので老人は嬉しそうにうなずいた。

「ああ。丁度あれは気分のいい夏の夜だった。わしは一杯引っかけて涼んでおったのじゃよ。満天星降る夜とはああいう夜の事を言うのだろうがな。そうやって夜空を眺めて居ると、星が一つ動いているのに気がついたのだ」

「星が動くって……流れ星ですか?」

「最初はわしもそう思ったさ。ところがそいつは流れて消えるんじゃなくて、もっとゆっくりと、何だかこっちに近づいて来るように見えるのだ。わしは目をこすった。その晩は随分飲んでいたんでな、目の迷いかと思ったのだがな。でもそれは明らかにこっちにやってくるのだ。そしてだ。その星は何とわしの頭の上でぴたりと止まったのだ」

「ええ?」

「もちろんびっくりしたさ。でもよく見るとそれは星じゃなくってな。どうやら空飛ぶ車だったのだ」

 それを聞いた途端にメイは素で反応していた。

「えええええええ?」

 その叫び声に老人の方が驚いた。

「ああ?」

「い、いえ、あはは。空飛ぶ車? って、もしかして飛空機ですか?」

「そうも言うらしいがな」

「ほえ~……」

 メイの昔読んだお話には時々飛空機という空飛ぶ車の話が出てきた。

 特に有名なのが東方旅行記だが、その中では主人公のブラッグが飛空機で大破砕帯を超えて大冒険するのだ。

 もちろんそんな物が実際にあったらもう何をしてだって乗りに行くだろうが……

「で、続けていいかな?」

「あ、はいはい!」

 老人は笑いながら話を続けた。

「ともかくわしはびっくりしてそれを眺めておったのだ。するとそれから誰かが降りてくるのだ。わしは身がすくんで動けなかった」

「はい」

「するとそいつは言ったのだ。ミュージアーナ姫はどちらにいらっしゃるでしょうか? とな」

 メイはちょっとぽかんとした。

「ミュージアーナ……姫ですか?」

 その名前はもちろんメイもよく知っている。都の伝説の舞姫の名前だ。実在の人物だが、随分昔に亡くなっているということも……

「ああ。わしもそいつが何を言ってるのかよくわからんのでぽかんとしておった。するとそいつは言ったのだ。私はどちらを向いても砂ばかりの砂丘の星からやって来ました。私の城はその中にあるオアシスにあります。古来よりこんこんと湧き出るその泉によって私の国は潤ってきました……」

 老人はまるでその男になりきって話し始めた。メイは苦笑いしながらそれを聞く。

「春になれば美しい花が咲き乱れ、暑い夏の日差しもナツメヤシの葉が遮ってくれます。秋になれば豊かな実りがあり、冬の冷たい朝には氷の宝石が大地を飾り付けてくれるのです。このような素晴らしい光景を与えられただけでも私達は感謝すべきでしょう。でもやはり一つ足りない物があるのです。そうです。美しい女性の輝きが! とかな」

「あはははは」

「そこでわしは聞いたのだ。もしかしてあんたはミュージアーナ姫を迎えに来たのか? とな。すると奴はこう言った。もちろんです。お住まいの場所を教えて頂ければお礼を致しますよ。とな」

 メイがうなずく。

「でもわしは生まれてからずっとここで暮らしておったから、都とか他の場所には詳しくない。それにミュージアーナ姫はずっと昔に亡くなってると、そう言おうとした。ところがだ。そう言った途端、それまでは礼儀正しい王子だと思っていた男がいきなり怪物に変身して襲ってきおったのだ」

「えええ?」

「そいつはわしを組み敷いては凄まじい形相でこう抜かすのだ。お前は知っていてとぼけているな? 俺様を騙そうなんて考えたら承知しないぞ? 本当の事を話すか、今ここでお前の頭を食いちぎってやるか、どちらかを選べ! とな」

 ひえええ! いきなりの大展開!

「もちろん頭を食いちぎられるのはご免だが、今までだって本当の事を話しているのだ。信じてもらえないからといって、それならばどうすればいいと思う?」

「えっと……どうすれば?」

 こういった場合は普通、何か上手なトンチで撃退することになるのだろうが……

「そのときわしは思い出したのだ。大旦那様が避暑に来られていることをな。そこでわしは言ったのだ。ミュージアーナ姫を娶ろうと色々な星から王子様方がやって参ります。ですのでまずは姫にお目通りされる前に、幾つか試験をお受けにならねばなりませんと。あちらに見えるお屋敷に居られる旦那様がその試験官をされておりますので、そちらをお訪ねください、とな」

「え?」

 メイはぽかんとして老人は見返した。老人はにっと笑った。

「わしだって必死じゃった。それにお屋敷に行けば護衛や魔導師様だっているからな。化け物だってやっつけてもらえるだろうて」

「………………」

「ともかくそれを聞いて化け物は何とか納得してくれたみたいでな、また今度は元の王子に変身すると空飛ぶ車に乗って行ってしまったのだ」

 そう言って老人はほっほっほと笑った―――


「それで?」

 大皇后がぽかんとして問い返した。

「それだけなんです」

「ええっ?」

 首をかしげる大皇后に、メイは笑いながら続けた。

「それがですね。次の日おじいさんは怖々とお屋敷まで行ったそうなんですよ。もしかしたら怪物に焼き払われて無くなってたりしないかってね。ところが全く何も起こってなくて。誰かが尋ねてきたようなことさえ一切無いそうで」

「じゃあ、それって……」

「もちろん酔っぱらって夢を見てたんだと思いますよ。おじいさんの顔は真剣でしたけど。まあ、鳥の話のときも同じくらい真剣に話してましたけど」

 大皇后の口元が緩む。

「これはどういうお話なのかしら?」

 彼女の問いにエルミーラ王女が答えた。

「厄介ごとは他人に押しつけろという教訓でしょうか?」

 王女達は爆笑した。

「面白いご老人ですね。まだ他にも?」

 大皇后は興味津々だ。

 こんなバカ話が受けるとはちょっと思っていなかったが……

「はい。それから私が飛空機つながりで東方旅行記の話をちょっとしたら、今度は昔遺跡掘りをしていたときのことを話してくれたんですよ」

「遺跡掘り? ついさっき、ずっとこちらで暮らしていたとおっしゃっていたようですが?」

 鋭い突っ込みだ。

「まったくですね。あはは。それでもおじいさんは昔遺跡掘りをしてらしたそうで、そこで一度、深層の扉を見つけたことがあるんだそうですよ。今まで誰も開けたことのない」

「ええ?」

 遺跡の奥には色々と不思議な物が埋まっている。そういった物を掘り出す仕事を遺跡掘りという。アウラの薙刀の柄もそんな物の一つだ。

 だが今ではおおむね苦労の割には実入りが少ない。宝物のような物はもう取り尽くされているからだ。だから誰も行ったことのない深層を見つけるしかないのだが……

「まさかそこで?」

「はい。そのまさかだそうですよ」

 昔の伝説にはよく、そこで眠っている人を見つける話があるのだが……


 ―――物語も佳境に入って、老人は声をひそめた。

「もうわしは口から肝っ玉が飛び出るほどびっくりしておった。何しろそんなのは噂話だとばかり思っておったからな。でも目の前に眠っておる娘はどう見ても本物なのだ」

「はい。それで?」

「わしはほれぼれとその娘を見た。なかなか美しい娘だ。もちろんうちの姫様ほどではなかったがな、それが一糸纏わぬ姿で、見事な乳の形でなあ。見た瞬間に体の一部がかちんこちんになってしまうほどにな」

「あはははは」

 笑ってしまってからメイは慌てて明後日の方を見てごまかした。

「そうやってわしが娘に見惚れておったときだった。どこからか声が聞こえてきたのだよ。それはまさにその娘の声だった」

 あ、やっぱり……

「娘は言った。私は悪い魔導師に呪いをかけられて、ここにこうして眠らされてしまいました。お願いです。私を起こしては下さいませんか? お礼は致しますから、とな。わしは尋ねた。だがどうやって起こしたらいいのだ? そんな方法は知らない、とな。すると声はこう言った。絵の出る壁の前で秘密の合い言葉を唱えてくださいと。ただその際に悪い魔導師の妨害があるかもしれませんが、心迷わされないで下さいと。そしてその合い言葉を教えてくれたのじゃ」

「それで、どうしたんですか?」

「もちろんわしは合い言葉を唱えに行ったさ。ところがだ。絵の出る壁の前に立って合い言葉を唱えようとしたときだ。どこからかもう一つの声が聞こえてきた。声は言った。奴は東の帝国の大魔導師の末裔だ。黒の女王に追い払われてここに封じられているのだ。目覚めさせてはならん、とな」

 メイはうなずいた。

「どちらを信じたらいいと思う? 目の前の美女か? それとも誰とも知れぬ声か? あんたならどうするね?」

 どうすると問われても……

「まあ……私は殿方ではないんで……」

 それを聞いて老人は自分の頭を叩いた。

「はは。そりゃそうだ。お嬢さんじゃしょうがないな。うん。だがもちろんわしがどうしてしまったかはお分かりのようだな? そのときはわしもまだ若かったしな」

「え、まあ……」

 老人はにたっと笑うと続けた。

「まあそういうわけで、わしはつい美女の言葉に従ってしまったのだよ。そしてわしは壁に向かって合い言葉を唱えた。何だか不思議な全く意味をなさぬとしか言いようのない言葉だったが……それはともかく唱え終わると、何か低い唸りのような音が聞こえてくる。振り返ると娘の眠っていたあたりから白い煙が立ち上っておってな、その煙の中から先程の娘が現れたのだ……いや、見事な姿でなあ、わしはふらふらとその娘を抱きしめてしまいそうになった。ところがそのときその娘がこう言ったのだよ」

「はい」

「はっはっは! 妾を目覚めさせてくれて感謝するぞ! とな。その言葉にはぞっとする響きがあったんだが、そのときの私はもう素晴らしい女体に目が釘付けになっておってな、そんなことには気づかなんだ」

「あはははは」

 真っ昼間から若い娘に話す内容ではないように思うが―――老人はもう役に入り込んでいる。

「それから娘は言ったのだ。奴にここに封じられて妾はずっと考えてきたのじゃ。妾を目覚めさせてくれる者がいたら世界の王にしてやろうとな。じゃが百年経ってもそんな者は現れなかった。そこで妾は考えた。もし次の百年の間に妾を目覚めさせてくれる者がいたら、この胸の中で永遠の悦楽の日々を過ごさせてやろうと。じゃがもう百年経ってもそのような者は現れなかった」

「えっと、それって……」

 老人はにたりと笑う。

「そうだ。そのときになってやっとわしは少々まずいことになったと気がついた」

「あははは」

 この手の話では常に気づくのが遅すぎるのだ。

「そして娘は言った。そこで妾は思ったのじゃ。次の百年に妾を目覚めさせた者には、永遠の安息を与えてやろうぞ! とな」

 老人はもう迫真の演技だ。

「もちろんわしは逃げだそうとしたが、今度はもう体全体がかちんこちんで動くこともできんのだ」

「あはははは」

 この老人は話がうまい。庭番にしておくには惜しいんじゃないのか?

「そのときだった。また声がしたのだ。その声は言った。お前は私の言葉を信じなかったようだが、そのせいで窮地に陥っているようだな、と。わしは必死に祈った。どなたか存じませんがお助けください。何でも致しますから、とな」

 メイはうなずいた。

「するとその声は言ったのだ。そ奴は我々の敵だからな。助けるのにやぶさかではない。だがそれには一つ条件があるが良いか、とな。もちろんこちらに選択の余地などない。そこでわしは言った。どんな条件でも構いません。お助け頂けるならば、とな」

「はい」

「すると声は言ったのだ。よかろう。ならば一つ歌を歌ってもらおうか、とな。それを聞いてわしはさすがに訊き返した。歌を歌うと? こんな状況で一体どんな歌を? とな。すると声は答えたのだ。もちろん子守歌に決まっておる。お前は奴をもう一度眠らせたいのだろう? と言うのだ」

 こ、この話は……

「それで歌ったんですか?」

 メイの問いに老人はうなずく。

「もういいも悪いもないしな。そこで小さい頃母親に歌ってもらった子守歌を、必死になって歌ったのだ。こんな感じでな」

 そういって老人は子守歌を歌い始めたが―――見事に下手くそだ。

 苦笑するしかないメイを見て老人は続ける。

「こんな風に歌いながらも内心は気が気ではなかった。魔女が今にも襲いかかって来るのではないかとな。ところが魔女は襲ってくるどころか、わしの歌に涙を流して感動しておるのだ。そしてそのまままた眠りについてしまったのだよ」

 これは―――こう答えるしかない。

「ええっ? どうしてですかーっ?」

 それを聞いて老人は言った。

「今のわしの歌はどうだったか? 魔女を眠らせられるほど上手いと思ったか?」

「いえ……」

 メイは首を振った。

「もちろんそうだ。はっきり言ってわしは歌などだめだった。わしの子守歌など聞いたら死体でも起き上がって来ると言われたこともあるしな」

「あはははは」

 そこまではひどくはないと思うが……

「ともかくそのときはわし自身が一番びっくりしておった。するとまた声が聞こえてきたのだ。声は言った。もしお前が私の言葉を信じていなければ、そんな歌は何の役にも立たなかっただろう、とな。だがお前の歌には真実の気持ちが含まれていた。だから奴を眠らせることができたのだ、とな」

 そして老人は続けた。

「分かったような分からないような話だがな。ともかく気づくと体が動くようになっている。わしは這々の体で逃げ出した。それ以来遺跡掘りはやめてこうして庭番をして暮らしているんだがな。まあ人生地道に行くのが一番だ」

 そういって老人はくっくっくと笑った―――


「あら? これって……」

 エルミーラ王女のつぶやきにメイはうなずいた。

「そうなんですよ。ベラにもほとんど同じ話が伝わってますよね」

「そうそう。でもこちらでは眠っていたのは赤ん坊でしたわね」

 王女の言葉を聞いて大皇后がちょっと驚いた。

「まあ! そうなんですか?」

 メイは軽くうなずきながら答えた。

「はい。だからおじいさんもどこかでそういった昔話を聞いたんだと思いますよ。それをさも自分が体験したみたいに」

「まあ……」

 そう言った大皇后はちょっと残念そうな表情だ。

「でもそうだって分かっててもこういう話を聞いてると、ちょっとわくわくしてきませんか?」

「え?」

 大皇后はちょっと言葉に詰まって口ごもる。それを見て王女が笑って言った。

「この子達は幾つになっても本当にそんな“お話”が好きなんですよ」

「この子達って、私よりもコルネですよ?」

 確かにベラを外遊中、コルネと一緒になってそんな話を聞き回ったこともあるが―――あれは彼女に付き合ってやっただけだ! あんなお馬鹿と一緒にしないで欲しい!

 だがそんなメイを見て王女はふっと笑うと言った。

「ふうん。政務日誌にまで記録してたくらいだから私はてっきり」

 ぶーっ!

 メイは真っ赤になった。

「あ、あれは、たまたま手元に書く物がなかったから……」

「どうなされたんですか?」

「それがですね……」

「わー! わー!」

 今ばらさなくてもいいと思うのだが。あの後さんざん絞られたんだし―――ちょっと政務日誌にガルザという村に伝わっていた伝統のミートパイのレシピと、それにまつわる言い伝えをメモしてただけではないか! そうしたら後の会議でそのページを読まなければなければならなくなって、それをあの政務官がっ! 関係ない事ぐらい見れば分かるだろっ!

「まあ! 見てみたかったですね」

 そう言って大皇后は笑いこけた。

「全く。場の空気が凍り付くというのはああいうのを言うんですわね」

 もう、勝手にしろーっ!

 むくれたメイを見て大皇后が笑って言った。

「まあ、メイちゃん。すごくしっかりしてると思ってたけど、失敗もするんですね」

 それってあまりフォローになってないですから!

「でもそんなに昔話とかがお好きなの?」

 大皇后の問いにメイはうなずいた。

「え? まあ。本当に好きなのはコルネって子なんですけど。あの子、そういう話をすぐ信じちゃうんですよ。未だに大破砕帯の向こうにはケンタウロスがいるって信じてるし。大体ブラッグが乗って行った飛空機だってあるかどうかも分からないのに」

 そう言ってメイは笑った。

 ところがそれを聞いた大皇后は真顔で答えた。

「あら? ございますけど?」

「は? 何がですか?」

「飛空機ですけど?」

 メイは思わず大皇后の顔を見つめた。からかおうとしている顔ではない。

 ということは……

「ひっくうき? が?」

 メイは焦って舌を噛みそうになった。

 当然のことだろう。飛空機なのだぞ? 空飛ぶ車なのだぞ! それが存在するというのだから!

 小さい頃からメイは荷馬車に乗って我が家に戻るときなどによく夢想していた。このまま丘の上から空に向かって走って行けたらどんなに気分がいいだろうか、とか……

「銀の塔の地下に飛空機と呼ばれる物はございますわ。ただ壊れてしまっているみたいで、どうやっても飛ばないようなのですが……」

 メイは目を見開いた。もしそんな物を見られるのなら何だってやってやるが?

 それを聞いた王女も訊き返していた。

「それって、本当なのですか?」

 大皇后はにっこりと笑って答えた。

「見たいですか?」

「はい! はいっ!」

 その言葉にメイは脊髄反射していた。

 それから気がついてメイは王女の方を振り返る。

 王女の横顔にはちょっと引きつった笑みが浮かんでいる―――メイは顔が赤くなった。

 そんなメイをちらっと見ながら王女は答えた。

「ファラ様、本当によろしいのですか?」

「ええ。もちろん。多分週末ならリディールが何とかなると思いますので、案内を頼んでおきましょう」

「ニフレディル様はお忙しいのでは?」

「まあ、戦況も安定しておりますので大丈夫でしょう……多分。それにミーラ様方なら喜んで案内してくれると思いますし」

 やっぱり忙しいことは忙しいのか……

 だがこんな機会を逃したら次なんて無いかもしれないし……

 メイは王女の顔を物欲しげにじーっと見る。王女はそれに気づいてぷっと吹き出すと、それから大皇后に言った。

「それでは……お言葉に甘えてお願いしてしまいましょうか?」

 それを聞いて大皇后が答える。

「いえ。大したことじゃありませんし。こんなに美味しいタルトを頂けたんですからこの程度どうと言うことはありませんわ」

 メイは内心で万歳をすると、即座にタルトの大皿を差し出して言った。

「そ、それじゃもう一個いかがですか?」

「それでは頂きましょうか」

 微笑みながら大皇后が答える。

 タルトを取り分けながらメイは頬が緩むのを抑えきれなかった。

 飛空機が見られる? そんな素敵な事って―――ああっ、生きていて良かった!

《にしても……》

 半分以上が無くなっているタルトの大皿を見てメイは思った。

 彼女があの老人に出会っていなければこの野イチゴのタルトもなかったわけだし、飛空機の話にもならなかっただろう。

 ということは、あのほら吹きじいさん様々だということか?

《うふふふふふ……》

 にたにた笑っているメイを王女やアウラが呆れ果てた表情で見つめていた。