知りすぎていた娘 第4章 ファイナル・デスティネーション

第4章 ファイナル・デスティネーション


 メイとリモンは男の後に従った。

 男は荷馬車まで行くと荷台からごそごそと何かを取り出し始める。

 一体何を出そうとしているのだ?

「えっと……あのお名前は?」

 メイが尋ねると男は背を向けたまま答える。

「ああ。俺はフェーゴってんだ」

「あ、どうも。フェーゴさん。それで?」

「まずはこいつに着替えな」

 フェーゴが出してきたのは農家の娘が着ているようなワンピースの普段着だ。

 はっきり言ってかなり貧相な代物なのだが……

 メイとリモンは一瞬顔を見合わせた。

 だが確かに互いの服を見れば着替えなければならないのは一目瞭然だった。

 二人の着ていたドレスは血でべっとりと汚れている。死んだ御者を動かそうとしたときに付いてしまったのだ。

「うえぇ……」

 気づいたら今更ながら気分が悪くなってくる。

 でもそれなら持ってきた着替えでもいいのでは?―――と言いかけてメイは愕然とした。

 彼女達の荷物は死体を乗せようとしたときに下ろしてそれっきりだ!

 背に腹は代えられないというのはこのことだった。

 二人は軽くうなずきあうと馬車馬の陰に走った。

 慌ててドレスを脱ぐが、血は下着にまでべっとりと染みこんでいる。こちらも着替えなければならないようだが―――替えは?

 フェーゴのくれた服は上着だけだった。二人はまた顔を見合わせた。

「えっと、その、フェーゴさん?」

「なんだ?」

 フェーゴが荷馬車の御者台から二人の方の覗き込むが―――二人は上半身裸だ。

「いやあああ!」

 思わずメイは胸を押さえて座り込む。

 リモンはそれをかばうようにフェーゴに背を向けて怒鳴った。

「何見てるのよ!」

 だがフェーゴはリモンの背を見つめて絶句している。


「何、見てるのよ!!」


 リモンが再び怒鳴って、手近にあった石を投げつけた。

 フェーゴは慌ててそれを避けると後ろを向いて言った。

「呼んだのはそっちだろうが!」

「だからって……見なくてもいいでしょ!」

「あのなあ……」

 確かにそうだったが―――ともかくメイは言った。

「あの、だから、その、下着ってあるかなって聞こうと思って……下まで染みちゃってるから」

 それを聞いて男ははっとした様子で答えた。

「下着? ああ……そうか。忘れてた」

「えええ?」

 忘れてたって―――それではこのドレスを直接肌に着るのか? 下が透けることは無いにしても、夏物で意外に薄手だから―――それよりも何よりも……

「じゃ、その、下履きも?」

「すまん」

 ………………

 …………

 あの御者の血の染みこんだ下履きをこのまま履いているか、それとも何も履かないでおくか?―――なんだか究極の選択のような……

 普段なら笑い飛ばせたかもしれないが、今のメイにそんな余裕はなかった。

 思わず涙がこぼれて来る。

 どうして自分がこんな目に会わなければならないのだ? 人が死んで―――ひどい目にあって……

 挙げ句に着る服までが無いと来ている……

 メイは力が抜けてへたへたとしゃがみ込んでしまった。

 そんな彼女を見てリモンが言った。

「メイ?」

 メイはすすり泣くばかりだ。

 リモンはフェーゴに向かって釘を刺した。

「ちょっとこっち見ないでください」

「あ、ああ……」

 男はあちらを向いたまま答える。

 それを確認してからリモンは大急ぎで自分の服を着替えると、今度はメイの下着を脱がせ始めた。

「え?」

「脱いどかないと血が染みだしてくるわ」

「………………」

 確かにそうだ……

 メイは汚れた下着を見つめた。

 このまま新しい服を着ても、これではまた汚れてしまう―――メイはリモンのなすがままにされた。

 リモンはメイの体にも着いていた血を綺麗にぬぐい去ると、フェーゴのくれたドレスを着せてくれた。

《こんな風に服を着替えさせられるなんて……まるで子供みたい……》

 そう考えると今度は何か笑いがこみ上げてきた。

「どうしたの?」

「ううん。なんでもない……」

 メイは着せられた服に注意を向けた。

 肌触りは悪くないが―――かなり絶望的にサイズが合っていない。

 特に何というか胸のあたりが緩すぎるし……

 でもまあ、そのせいで乳首は浮いていないにしても―――下の方はスースーするし……

 二人が着替え終わって戻ると、男はにやにやしながら二人を見つめて言った。

「すまねえな。なんせこっちもすごく急な話だったんで、そこまで頭が回らなくってな」

 それから男はメイの胸のあたりをちらちら見ながら言った。

「あんたらのサイズを聞いてる暇もなかったんで、ちょっと大は小を兼ねるって方針で選んできたんだが……」

 それを聞いたメイの中で何かが切れた。


「それってどういう意味ですかっ!」


 思わずまた目から涙がこぼれてくる。

「そりゃ、私の胸、小さいですけど、こんな所でバカにしなくたっていいじゃないですか!」

「はい?」

 フェーゴはぽかんとしている。

 それを見てメイはますます怒りが沸き上がってきた。

「こんなひどい目にあって、殺されかかったんですよ! それなのに、私の胸なんてどうでもいいじゃないですか!」

 自分でも何を言っているか分からない。

「は? 胸って……??」

「みんな死んじゃって、ルカーノさんだって……そんなときに胸の話なんてしないで下さい!」

「ちょっと、メイ!」

 リモンがメイを抑えようとする。

 彼女に抱きすくめられて、目からは止めどなく涙がこぼれ落ちてくる。

「ちょっとこれ、飲ませてやれ」

 そう言ってフェーゴがリモンに水筒を渡す。

 リモンがそれを受け取るとメイに差し出した。

 反射的にそれを一口飲むと、冷たい水が喉を潤す。メイは少し気分が落ち着いてきた。

「おい、大丈夫か?」

 メイはじろっと無言でフェーゴを見返した。

「えっとな、その、服のサイズのつもりだったんだが……」

 そう言って男は頭を掻いた。

「え?」

 何だって? 服のサイズ?

 ………………

 …………

 ……

 メイはしばらくぽかんとしてその言葉の意味を考えた。

 そしてその意味が分かった途端に怒りはすうっと引いていくと―――今度は恥ずかしさで顔が真っ赤になる。

「あ、えっと、その……」

 男は苦笑いしながら言った。

「いいって。あんな目に遭ったんだからな。元気があるのはいいことだ」

 ………………

 なんて事だ。こんな所で取り乱してしまうとは……

「ともかく乗んなよ。ちょっと汚えが」

 メイとリモンは促されて男の荷馬車の荷台に乗りこんだ。

 実際かなりボロな馬車だ。こんな造りでは干し草でも満載していない限り、乗り心地は最悪なのは間違いないが―――今は文句を言っている場合ではない。

「おい、ちょっとその長物は……」

 フェーゴがリモンが手にしていた薙刀を見て言った。

「あ、それなら」

 リモンが薙刀を折りたたむ。

「へえ。そりゃ便利だな。よし。じゃあ行くか」

 そう言って男は馬車を発車させたのだが―――その方向に気づいてリモンが言った。

「どこに行くの?」

「都だが?」

 都?

 リモンがフェーゴをきっと睨む。

「どうして? こんなことになったのだから、王女様や館の人にまず連絡しないと」

 だが男は首を振った。

「そりゃまずい」

「どうして?」

「だって、その館の人が黒幕だからな」

 ………………

 …………

 ……

「えええ?」

 どういうことだ? イクストーヴァ氏が??

 メイは反射的に尋ねていた。

「どうしてですか? イクストーヴァさんが? どうして王女様の命を狙ったりしてるんですか?」

 王女が狙わる理由なんて――― 一杯あるが……

 やっぱり劇場であの御曹司を半殺しにしたのがまずかったのだろうか? その後防衛会議で彼の父親に恥を掻かせてしまったし……

「やはりマグニの人たち?」

 リモンもフェーゴに尋ねる。彼女も同じ事を考えていたのだろう。

 だがそれを聞いて男は首を振った。

「いや、マグニとは関係ない」

「え? でもそれじゃ後は王女様が狙われる理由なんて……」

 メイは考え込んだ。

 一国の首長クラスの人物にもなれば敵も結構いるものだ。エルミーラ王女だって例外ではない。

 少し前にもフォレスでは反王女派を更迭している。次期国王に女なんてとんでもない! といった一派が相変わらずいることはいるのだ。

 またベラにもロムルースが王女にたぶらかされてダメになった、とか主張する勢力があって……

《あの人はそういう問題じゃないと思うんだけど……》

 ともかくそんな勢力が裏で結託してベラで王女は二回も襲撃されたのだ。その二回目にはメイ自身も大被害を被っているわけで……

《じゃあまさかあの人たちが⁉》

 彼らがそのために都まで追ってきたと? さすがにそこまではしないと思うのだが……

 メイは頭を抱えた。

 フェーゴが振り返ってそんな彼女を見ると言った。

「何考えてるんだ? 王女も関係ないぜ?」

「え? それじゃどうして?」

「そもそも狙われてるのはあんただよ」

 ………………

 …………

 ……

「は?」

 間の抜けた顔で訊き返すメイに、フェーゴは噛んで含めるように言った。

「奴らが、殺そうとしてたのは、王女なんかじゃなくて、あ・ん・ただって!」

 メイはその言葉の意味をはっきり理解するまでに少々時間を要した。

 ………………

「ちょっと、ちょっと、ちょっと、どうしてですか? 一体あたしがなにしたって言うんですかっ!」

 男はふっと笑った。

「あんたは少し知りすぎてしまったから、かな?」

「知りすぎたって……一体どれのことですか?」

 それを聞いてフェーゴはちょっと呆れたような顔をする。

「どれのことって……あんたヤバいことをそんなに知ってるのか?」

「だって、秘書官だし……」

 曲がりなりにもこういう役職にあれば王女様のお腹のお肉以外の国家機密だって知る立場にあるのだ。

 だが―――知ってしまったからといって即座に消されなければならないような秘密なんてあっただろうか?

 あの反王女派の陰謀に関してだって、相手方としてはもしメイを捕まえたならばいきなり殺すのではなくて、王女側の出方を吐かせるとかした方がいいはずだし―――って、うわあ、それって拷問されたりするのか? いきなり殺されるよりずっと嫌かも……

 男は笑ってうなずいた。

「ああ、そうだったな。確かに秘書官ってのは敵さんにとっては狙いやすいポジションだしな。今後注意しておいたほうがいいと思うが……当面は関係ない」

「それじゃ何なんですか?」

 そうじゃないとしたら―――特にこちらに来てからあった事と言えば……

 一番ヤバかったのはニフレディルが酔っぱらって魔法を失敗したことか?

 あれについてはもし他人にバラしたりしたら十三通りの死に方から選ばせてもらえるということになっているが……

《さすがにそれはないわよね……》

 だとすると一体?

 全くちんぷんかんぷんの表情のメイ達にフェーゴは言った。

「話せば長くなるから。これから順に話すけどさ、その前にちょっと訊かせてくれねえか? 俺たちが出会う前、どうしてあんたらが馬車で爆走してたかってことをさ」

「あ、うん……」

 そこでメイは朝からのことをかいつまんで話した。

 話を聞き終えてフェーゴは驚いたように言った。

「なるほどな……彼氏については残念だったな……それにしてもあんたら、よくやったよ」

 よくやったと言われても何だか全然嬉しくない。

 メイとリモンはただ黙ってうなずいた。

「だが少なくとも一人逃してるって事だから、やっぱりこれは早急に都に行かないとな。いいよな?」

 それを聞いてリモンが尋ねる。

「でもそれなら王女様達が危険にならないの?」

「あのアウラとかロパスとかが側についてて、そう簡単に危なくはならないだろ?」

 二人はうなずかざるを得なかった。

 荷馬車はゴトゴトと動き出した。そこでメイは尋ねた。

「で、説明してください。どうして私が狙われてるんですか?」

 フェーゴはうなずいた。

「有り体に言えばだ。敵さんは今日あんたが銀の塔に行って、ニフレディル様と飛空機を見ることを殺してでも阻止したかったということだ」

「は?」

 メイとリモンは顔を見合わせる。

「あの……よく分からないんだけど、それのどこがいけないんですか?」

 今言ったことのどこにそんな秘密があるというのだ?

「でもハヤセ・アルヴィーロ氏にとってはそれは途轍もなくまずいことだったって事だ」

「え? アルヴィーロさんが? って……じゃあ今回のことはアルヴィーロさんがやったことなんですか? あんな親切なのに?」

「いや、親切だからって善人だとは限らないだろ?」

「それはそうだけど……」

 メイは口ごもる。

「まあ、実際数日前までは正真正銘に親切な人だったと思うがな。あんたが余計なことをしなければ」

「余計なこと? 数日前?」

 何かやったか? 数日前やったことと言えば……

 ………………

「それじゃあの野イチゴのタルトを作ったのが、何かそんなにまずかったんですか?」

 実はあれはアルヴィーロ氏が手塩にかけて育てていたとか……

 男は吹き出した。

「んなわけないだろ!」

「じゃあ、何ですか? もったいぶらずに教えて下さいよ」

「もったいぶってるつもりはないんだけどな……ともかくだ。まず、今日あんたらは銀の塔まで飛空機を見に行くことになっていた。そうだな?」

 メイはうなずいた。

「でもそれがどうして……」

「最後まで聞けって。で、どうしてそうなった?」

「どうしてって、元はといえば大皇后様とお話してて、飛空機のことになって、そしたら見せてくれるって言うから」

「どうして飛空機の話になったんだ?」

「どうしてって、それは庭番のおじいさんの見た夢の話からで……」

 それを聞いてフェーゴは振り返るとメイを見てにやっと笑った。

「それがな、夢じゃなかったらどうする?」

 ………………

 …………

 ……

「え?」

 夢じゃないって……

「飛空機で来た怪物の話が?」

 リモンが驚いて訊き返す。

「まあそういうことだが」

 メイとリモンは顔を見合わせる。

 だから何だというのだ?

 それのどこが命がけの機密なのだ?

 というか、館の人間なら誰だって知っている話なのだが?―――まあ、本当と信じてるわけではないが……

 それからフェーゴは急に話を変えた。

「ところであんたら、エルセティア姫の事件については知ってるか?」

 メイはうなずいた。

「え? もちろんですよ。ル・ウーダ様の妹君で、亡くなられた皇太子様のお后様で、大皇后様と大皇様双方のご友人でもあったそうで……でも失踪されて、それ以来全く手がかりがないとか……」

 この件に関してはフォレスで行った事前調査でも情報は仕入れている。

 フィンに聞くことができたならもっと詳しいことが分かったのだろうが、何しろ彼もその頃は行方不明だ。

 だがもちろんこれだって都なら誰だって知ってる情報なのだが……

 それを聞いてフェーゴはうなずく。

「その通りだ。で、彼女がどこに住んでたか覚えてるか?」

「それはジアーナ屋敷だったそうですが?」

 そこには一度大皇后に連れて行ってもらっているが、その豪華さは何だかもう途方もないというほかない。

 敷地の広さからして一個の町くらいにあるし、特にあのガラスの離宮ときたらもはやこの世の物ではないといった風情だ。

 あんなところに一人で住むという感覚がもはや理解不能だが―――そんなことを思っているとフェーゴが言った。

「エルセティア姫は失踪したっていうが、全くの手がかり無しに消えてしまうっていうのは難しいよな? 普通、何らかの痕跡は残るだろ? “空でも飛んでいけば”ともかく……」

 それを聞いてメイは顔を上げた。

 この人はどうして“空でも”の所を強調したのだ?

 もちろんその意図は分かるのだが……

《え?》

 でもあの老人の話では、怪物はミュージアーナ姫を娶りに来たと言っていた。

 そしてジアーナ屋敷が元々誰の屋敷だったかと思えば……

 メイはリモンの顔を見る。彼女はまだ意味が分からずぽかんとしているようだ。

 そこでメイは言った。

「それじゃ何ですか? 飛んできた飛空機の怪物が、ミュージアーナ姫と間違ってエルセティア姫をさらって行ってしまったと?」

「ええっ?」

 リモンが驚いてメイを見る。

 当然だ。メイだって単にお話をつなげてみただけだ。

「そんなこと、あるわけないですよねー? あははははっ!」

 メイは笑った。

 ―――だが男は笑わなかった。

「あはは……えっと、あの……?」

 メイの笑いがフェードアウトしたところで、男が答える。

「その可能性が高いって事だ」

 ………………

 …………

 ……

 メイとリモンはまた顔を見合わせた。

 えっと、これって一体……?

「でもあの怪物はお屋敷に行ったんでしょ? でも次の日、何事もなくって……」

 そう言いながらメイは大変なことに気がついてしまった。

「……じゃあ、アルヴィーロさんはそれを隠してたんですか?」

「分かってきたようだな?」

 あの老人はその“怪物”に屋敷に行けと言ったという。

 だが次の日、誰もそのことを知らなかった。だからみんなそれを老人の夢と思ったのだが―――実は本当に怪物が来たのだが、それについては厳重な箝口令が敷かれていた、という可能性もあるわけだ。

「でもどうしてそんなこと……」

 そんなことをして何の意味がある?

「ハヤセ氏にとってはある意味運が悪かったんだがな……あの晩、別邸に来ていたハヤセ・アルヴィーロ氏の所に妙な男がやってきた。男はオアシスの王子でミュージアーナ姫を娶るためにやって来たという。そのため試験官のお館様に会いたいとか何とか。当然ハヤセ氏はどこか頭のネジの外れた奴がやって来たと思ったが、彼が乗ってきたのは正真正銘の飛空機だった」

「ええ? それも本当だったんですか?」

「ああ。動く飛空機なんて都にもなかったから、ともかくその男を屋敷に留めておこうとした」

 それは当然の判断だ。メイはうなずいた。

「で、ハヤセ氏は適当に男と話を合わせて、その際に『ミュージアーナ姫ならジアーナ屋敷にいる』とその屋敷の位置まで教えてやったそうだ。もちろん深い意味はない。ところがその次の朝だ。エルセティア姫が失踪したという一報が入ったのは……そして男の姿は屋敷から忽然と消えていた」

「………………」

「もちろんそれには消えた男が関係している可能性が高い……だがハヤセ氏はそのことを黙っておくことにした」

「え? どうしてですか? そんなことしたら……」

 さっさと通報して何がまずかったのだろうか?

 そんなメイ達を見ながらフェーゴは言った。

「あんた、アンシャーラ姫は知ってるか?」

「知ってますが? 何度かお会いしましたよ。とっても綺麗な方ですね」

「ああ。それじゃ彼女が元メルフロウ皇太子の妃候補だったってことも?」

 ………………

 …………

「え? そうだったんですか?」

 それは知らなかったが―――あれだけの美貌と家柄があれば、別に意外だったりはしないが……

 でも、ということはエルセティア姫はアンシャーラ姫の恋敵だったということか?

「でも、だからって黙ってますか? 普通? 確かにライバルだったかもしれないけど、その人の失踪を喜ぶなんて……」

 だがフェーゴは首をふった。

「冷静に考えればそうだっただろうな。でもそのときはそうはいかなかった。まあ一瞬の判断ミスって奴かな?」

「というと?」

「その前の年だが、大皇后がご懐妊されたが、御子は生まれる前に亡くなってしまった。それをきっかけに大皇に第二妃をという話が持ち上がったんだよ」

「ああ、はい……」

 メイ達はうなずいた。こういった話はよくあることだ。

「その候補になったのがそのエルセティア姫とマグニのキャルスラン姫、そしてアンシャーラ姫だ」

「あ……」

「ハヤセ氏は今度こそ何としても自分の姫を大皇の妃にしたかった」

「……それでエルセティア姫が発見されないように黙ってたんですか?」

 そういった気持ちは分からんでもないが……

「それもあるが、それよりもその事件に自分が関わっていると勘ぐられたくなかったんだろうな」

「勘ぐられるって? 何を?」

「ハヤセ氏が黒幕じゃないかってさ」

 メイは目を見張った。

 確かにそういうことを言われるかもしれない。

 何しろその男は偶然にしろアルヴィーロ氏の別邸を経由しているのは事実だ。

 だとすれば誰だって何故その男がそうしたのか知りたくなるだろう。単に道が分からなかったから尋ねただけだとは―――ちょっと考えにくいわけで……

「それにハヤセ氏にはそうしたくなるだけの理由があることは周知の事実だ。だからそんな憶測をされるだけでも十分立場は悪くなる。妃選びなんてイメージが大切だからな。その上、ただでさえアンシャーラ姫は旗色が悪かった。現大皇がまだ皇太子だった頃エルセティア姫に求婚したことがあるそうだし、キャルスラン姫とは元々許嫁の間柄だった。そこに割り込んでる形だったんでな」

 そんな経緯があったのか……

 だとすれば必死になる理由も理解できるが……

「……でも黙ってたらもっとまずくないですか? 後からばれたら……」

 それを聞いてフェーゴはあっさりうなずいた。

「ああ。全くだな。だからハヤセ氏はこうやって“知りすぎた奴”を消そうと一生懸命な訳だ」

 えーっと……

「……でもやっぱり……別にアルヴィーロさんは間違いなく潔白なんだったら、やっぱり正直に言った方が良かったと思うけど……」

 それを聞いてフェーゴは答えた。

「後から考えたら全くそうだろうがな。だがやっちまった以上、もう後には引けなくなっちまったってことだ。今更言ったりしたらもっと立場が悪くなる」

「そうだけど……」

 こうなってしまった以上もう後には引けない。突っ走るのみだ―――という状態については何だか色々思い当たるところはあるが……

「それにな、ハヤセ氏ってな、色々運も悪かったんだな」

「運が?」

 フェーゴはうなずくと話し始める。

「ああ。まず本人が前大皇陛下の弟だってことは知ってるよな? そして前陛下の直系には姫君しかいなかった事は?」

「あ、はい。エイジニア皇女とエイニーア皇女ですよね?」

「ああ。皇女には継承権がないから、その時点では彼は継承者だったわけだ」

「あ、はい……」

「その後エイジニア皇女とエイニーア皇女に皇子が生まれたので、継承権はそちらの皇子に移って第三継承者となった」

「はい……」

 考えてみればアルヴィーロ氏は大皇になり損ねた人だったとも言えるわけで……

「その頃都ではベルガ一族の内紛が凄かったことは知ってるな?」

「はい。ジークの家とダアルの家の抗争ですよね。大皇后様がジークの家出身で、大皇様がダアルの家出身で、両者がご結婚なされたことで両家は和解したと」

 フェーゴはうなずいた。

「ああ。で、元々ハヤセ家はジークの一族とつながりが深かった。彼はジークが落ちぶれたときも見捨てずに彼らを支えた数少ない支援者だった。だからジークⅦ世がエイジニア皇女と結婚したときには小躍りして喜んだだろうな」

「でしょうね」

「だからメルフロウ皇太子が生まれたときには、アンシャーラ姫がその后となるってのはもはや決定事項みたいな物だった」

「はい……」

「ところが実際に皇太子妃となったのは、ル・ウーダ・エルセティアとかいうどこの馬の骨ともつかない姫だ。ハヤセ氏の落胆はいかばかりだったかな?」

「あはははは……」

 言われてみれば―――うーむ……

「それでもまだハヤセ家がジーク一族と親密なことは変わらない。メルフロウ皇太子が即位した暁には、十分な政治的影響力を与えられる立場になれるはずだった……」

「でも……亡くなられたんですよね?」

「ああ。いろいろきな臭い噂もあるが……ともかくメルフロウ皇太子は“病死”されて、カロンデュール皇子が結局大皇の座を継ぐことになった。これではもう終わりだ」

「そうですよね……」

 そう答えながらメイはちょっとフェーゴの表情を窺った。

 どうやらフェーゴは皇太子が暗殺されたという事はあまり知らないようだが―――もちろんそんなことを彼に話す必要はないが……

 フェーゴは話し続ける。

「だがジークには凄い隠し玉があったんだな。それが例の御方だ。裏でハヤセ氏がどう絡んだかは知らないが、あの美貌だ。ともかくメルファラ皇女がカロンデュール皇子を陥とすことに成功して今に至るわけだが、ハヤセ家はこうして辛うじて権力の縁に留まれた。だがやっぱり今の権力の中心はダアル一族で、ハヤセ家はそこから見れば外様だ。いつ放り出されてもおかしくない。もっと確実な絆が欲しくなるのは当然だろう?」

「はあ……」

 またどろどろとした話になってきた……

 確かに権力のある所、この手の話は一皮剥けばどこだって渦巻いている物だが―――フォレスでも王女の祖父の代にはそんなことがあったみたいだし……

「そんな訳だから、ここで黙っていたことがばれたりしたら十分な失脚の理由になる。たとえ本当に無関係だったとしてもな。何しろエルセティア姫は大皇とも大皇后ともえらく仲が良かったらしくて、失踪後、二人してものすごく落ち込んでたって言うしな。そして草の根を分けても探し出せって言って、ものすごい捜索が行われたらしい」

 確かにそうなってしまった以上、今更そういうことがありましたとか言い出せるわけがないが……

「でも私が今日ニフレディル様に会ったからといって、そこまでばれたりしますか? そもそも私はそこまで気づいてなかったし……」

 フェーゴはちょっと首をかしげた。

「さあな。でもアルヴィーロ氏はその話を聞いて震え上がったのさ。あのニフレディルという魔導師は頭が切れることで知られてるし。それに魔導師連中はあの事件を今でも根に持ってる奴が多いらしくてな」

「それってどういうことです?」

「ほら、その後に凄い捜索が行われたって言っただろ? ところが普通の捜索では何の手がかりも出てこない。それこそ空を飛んで出て行かない限り、そんなことはあり得ないって事になってな。だとしたら誰が疑われる?」

 メイはうなずいた。

「あ、それは魔導師の人たちですよね?」

 フェーゴはにやっと笑った。

「そうだ。だから当時都にいた魔導師は全員呼び出されて頭の中まで調べられたそうだぜ。それを調べる役をしたのがニフレディルらしいし」

「あはははは……」

 なるほど―――それはいろんな意味で根にもってるかも……

「そこでだ。あんたが彼女に会いに行って『どうして飛空機を見たくなったんだ』と問われたら何と答える? あの庭番の話をするんじゃないのか?」

「え? まあ、多分するでしょうね……」

 聞かれなくともその辺の話はしてしまう公算大だが……

「すると彼女ならそれとエルセティア姫の失踪を関連づけて考える可能性があるわけだ……いや、絶対そうとは言い切れないが、もしそうなったらどうする? もちろん彼女は念のために調査するだろう? そうしてやって来た真実審判師に対してしらを切りとおせるか?」

 ………………

「多分……無理ですね」

「分かっただろ? そうなったら最後だ。だからそうなる前に手を打たなければならないってな」

 メイは頭がくらくらしてきた。

 これは本当に今起こっている出来事なのか?

「ついでに言えば、あの立派な馬車を貸してくれたのだって親切からじゃない。狙いがあんたじゃなくて王女だと思わせるためだ。みんながそう思ってくれれば、屋敷の連中はシロになる」

「え? どうして?」

「だって馬車に王女が乗ってないことを知ってるからな。王女狙いで空の馬車を襲うわけがない。すなわち犯人はそれを知らなかった奴らだ、と見せかけるためだ」

「あ、なるほど!」

「そしてみんなは存在しない犯人を捜すのに躍起になって、巻き添えを食った運の悪い女官のことは誰も顧みない、とまあ、こんな予定だったんだがな。即席で作った計画にしては良くできていたが……まあおかげでこうしてうまく行ってないわけだが」

 メイは絶句した。

 もうどうコメントしていいのやら……

 そのときそれまで黙っていたリモンが尋ねた。

「あなたはどうしてそんなことを知っているのです?」

 フェーゴはちょっと驚いた顔でリモンを見る。

「詳しいことは言えないが、ハヤセ氏の思い通りになってもらったら困る勢力があるんだよ。俺はそっちに属してるんだが、その勢力はハヤセ氏の側近にスパイを送り込んでいる。そこから来た情報だ、ということでいいか?」

 二人はうなずくしかなかった。

 もっと色々訊きたいことはあるのだが―――ともかく今は味方と信じるしかない。

 そんな様子を見てフェーゴはちょっと安心した表情になる。

 それから彼はリモンに向かって言った。

「というわけなんで、それ、何とかならないか?」

「え?」

「そんな風にされてると結構気が散るんだ」

 リモンはフェーゴをしばらく黙って見つめていたが、やがて隠し持っていた短刀を鞄の中にしまった。

 メイは気づいていなかったのだが、彼女はいつでも抜けるようにずっと身構えていたのだ。

「サンキュー!」

「別にまだ完全に信用したわけではありませんから」

 それを聞いてフェーゴはくっくっと笑う。リモンがじろっと男の顔を睨む。

 それに気づいて男は笑うのを止めて真顔になると言った。

「そういうわけでだ。これからのゲームのルールを説明しとこう。なに。難しい訳じゃない。あんたらが生きてニフレディルの元にたどり着ければあんたらの勝ち。途中で死んだら負けだ」

 いや、しれっとそういうことを言われても……

「それまでは俺は可能な限りあんたらを助ける。だが、俺以外の助けはあまり期待しない方がいい。何しろ急な話だったんで、動けるのは俺だけだったんだ」

「俺だけって……それじゃ他に味方の人はいないって事ですか?」

「まあ、そういうことだな」

 こういう場合―――何と言えばいいのだ?


「……どうも、お手数をおかけします」


 それを聞いたフェーゴは爆笑した。

「いや、それじゃご丁寧なご挨拶、痛みいります、か?」

「いいじゃないですかっ!」

 ってか、そこまで変だったか?

 ともかく今は余計なことは考えず、最終目的地に行き着くことだけを考えよう。

「あ、そう言えば……」

 リモンが思い出したように言う。

「なに?」

「パミーナさんが迎えに来ることになってたけど……」

「あ!」

「誰だ?」

 フェーゴの問いにメイが答える。

「パミーナさん。大皇后様のお付きで、今日迎えに来てくれる事になってたんです」

「何でまた?」

「私達だけじゃ道を知らないから。ほら、元々は私達だけで来る予定だったんで。御者付き馬車になるなんて今日の朝分かったことだし」

「ああ、そうか」

 フェーゴは納得したようにうなずいた。

「彼女は巻き込まない方がいいわね」

 リモンの言葉にフェーゴがちょっと考え込む。

「……どうしたもんかな」

 その様子を見てメイが言った。

「どうしたもんかって、パミーナさんまで巻き込んじゃ可哀想でしょ? このまま街道を行けばいいんじゃないですか? ちょっと時間はかかるけど……」

 だがフェーゴは首を振った。

「それはまずいな」

「どうしてです?」

「館にはお抱えの魔導師がいたはずだ。しかも超一級の……要するに心話のできる、な? だったらもうアルヴィーロ氏には連絡は行ってるはずだ。それを聞いて旦那が黙ってると思うか? 間違いなく“お迎え”を出してくれるんじゃないか?」

「あ……」

 メイは手を口に当てる。まさにその通りだ。だがそうすると……

「でもフェーゴさん、このあたりに詳しいんですか? 何かこのあたりの話し方じゃないみたいですけど」

 彼の話し方のアクセントはあまり都風ではない。

「ああ、そのとおりだ。全然分からねえ」

「ええっ? じゃあどうやって塔まで行くつもりだったんですか?」

「それをこれから考えようと思ってた。街道沿いが危ないことだけは確かだが……でもこのあたりの裏道はややこしいし……」

 三人は黙って互いの顔を見合わせた。

 それからリモンが言った。

「とにかく出会ったら道だけでも尋ねてみたら?」

「ああ、そうしかないかな?」

 それで済めばいいが―――でも、それで分かるくらいなら案内なんて不要だという気もするのだが……