第5章 バトル・ロマンス
三人を乗せた荷馬車は山道を抜けて、ゆったりとした丘陵地帯に差し掛かった。
ここは都の穀倉地帯で、街道の見晴らしのいいところから眺めると、中小の農場が一面に広がっていて、更にその向こうに銀の塔が微かに望めることもある。
メインの街道はこの先ずっと南の方に回り込んで下町に入り、そこからまた高台の銀の塔に行くルートになるが、それだと一時間以上は遠回りになる。
丘陵地帯を突っ切っていけば距離はずっと近いのだが、ここは網目状に道が広がっていて見通しも悪く、しかも結構どこも似たような景色だ。地元の人間でないとすぐ迷ってしまうというのでパミーナに案内を頼んでいたのだ。
やがて一行は小さな村に差し掛かった。
「あ、あれあれ! あの水色の日除けの!」
メイが目ざとくパミーナのカブ―――スポーツタイプの二輪馬車が村はずれに止まっているのを見つけた。
フェーゴは荷馬車をその方に向けた。
見知らぬ荷馬車がいきなり横に止まったのに気づいて、パミーナが驚いて振り返った。
それから荷台にメイとリモンが貧相な格好で座っているのを見て目が丸くなる。
「どうしたのよ? 二人とも……」
メイが答えた。
「それが、ちょっと大変なことになってて……」
「大変ってどういうことよ?」
「それが、話せば長くなるんで、ともかく塔への近道教えてもらえない?」
「え?」
パミーナはちょっとぽかんとしてから、首を振った。
「近道っていったって、口で簡単には説明できないわ。ともかく話を聞かせてよ」
三人は顔を見合わせた。
話してしまっていいのだろうか?―――そうすると間違いなく彼女まで巻き込んでしまいそうなのだが……
でも、そうしないと塔まで行き着けそうにないのも確かだし……
そこでフェーゴがパミーナに尋ねた。
「地図とか描いてもらえねえかな?」
「あなたは?」
代わりにメイが答える。
「フェーゴさんっていって、私達を助けてくれたの」
パミーナの目が丸くなる。
「助けられた? 一体何から?」
「私達を襲った連中から」
「え? 盗賊が出たの? こんな所に?」
「ちょっと違うんだけど……ねえ、それでともかく急いで塔まで行かないといけないの。だから地図描いてもらえる?」
だがパミーナは首をかしげた。
「……描けないことないけど、分かれ道が分かりにくいのよ。一杯あって目印も何もないし……だから案内して上げようと思ってたんだけど……それにどうして塔まで? 盗賊だったらまず村の番所に行った? じゃないと他の人が襲われるかもしれないし……」
メイとリモン、それにフェーゴの三人は顔を見合わせた。
パミーナの言うことは一々もっともだ。
だが少なくとも今の状況では番所に行くなど論外だ。
そこでメイが言った。
「ごめんなさい。パミーナさん。ちょっとそうするわけにはいかない事情があるの。ありがとう」
そしてフェーゴに向かってうなずく。
彼も仕方ないといった表情で馬車を出そうとした。
「ちょっと待ってよ! みんな! どうしたっていうのよ? 訳くらい話してくれてもいいじゃない? それになに? そんな格好で塔に行くつもり? 入れてもらえないわよ?」
メイ達は互いの着ている服をもう一度眺めた。
農作業をするような格好で、挙げ句に妙に合っていなくてぶかぶかだ。
フェーゴは薄汚れた行商人のような格好だし、乗っているのはかなりボロな荷馬車だ。
言われてみたら確かにこれでは門前払い間違いない。
「じゃあどうすれば……」
「こっちに親戚の家があるから、そこで借りられると思うわ」
再度三人は顔を見合わせる。
来て欲しいのは山々だが―――そのときリモンが頭を下げて言ったのだ。
「それではお願いします。パミーナさん。何かあったら私が命に代えても守りますから」
パミーナ目がまた丸くなる。
「何よ? それ……大げさな……」
だがメイも首をふった。
「いえ、あまりその、大げさでもなくって……また襲われるかもしれなくって……」
彼女の言葉を聞いてパミーナは訳が分からないという表情で三人の顔を見回した。
「あの、本当にどういう事?」
「ともかく出立してから話しましょう」
「ええ? うん……」
パミーナは曖昧な表情でうなずいた。
「それよりも、えっと……」
メイはリモンとフェーゴの方を見て口ごもった。
「なに?」
「パミーナさんとお話しするなら、その……」
リモンは即座にメイが口ごもっている理由を察した。
「乗せてもらえばいいじゃない?」
メイは笑いがこみ上げてくるのを抑えながら言った。
「二人乗りだけどいいかな?」
「あたしはこっちでいいし」
「ありがとっ!」
メイは荷馬車から飛び降りるとパミーナのカブの側まで行って尋ねた。
「横に乗っていい?」
「いいわよ」
「ありがとっ!」
後ろの方でフェーゴがリモンに尋ねている。
「あいつ、何喜んでるんだ?」
「パミーナさんのギグに乗れるからよ」
またリモンは間違えている! メイは後ろに向かって叫んだ。
「ギグじゃありませんよ? これはカブです。カブリオレです。間違えたら可哀想です」
「はあ?」
「ほっといていいから」
ぽかんとしているフェーゴの横でリモンが首を振りながら答えた。
む! また何か言ってるな? でもこれは大切なことなのだが……
巷の連中は単に車輪が二つだからと言う理由でギグとカブをごっちゃにしているが、これは全然違った乗り物なのだ。
確かにちょっと見には似ているかもしれないが、乗ってみれば一発で分かる。嘘だと思うならギグで同じくらいに飛ばしてみたらいい。同じ乗り物だとは決して思えなくなるから!
そういう大切なことだというのに、どうしてみんなもっと注目してくれないのだろうか?
「じゃあ行くわよ?」
パミーナがそう言って発車させた。
「あー……」
「ん?」
「いや、動き出しがとっても気持ちいいから……」
パミーナもちょっと首をかしげながらうなずくと、後ろを振り返った。
フェーゴとリモンの乗った荷馬車が付いてくる。少しばかり緊張していたせいであまり気にならなかったが、さっきの荷馬車の荷台ははっきり言って乗り心地が悪かった。今になってお尻が痛くなっていることに気がついた。
「それで何が起こったの?」
パミーナが尋ねた。
「うん、それがね……」
メイは再びかいつまんで起こったことを話した。
―――パミーナはもちろん驚愕した。
「ええ? あなた“が”狙われてるって? ハヤセ様に? 一体どうして?」
「それがね……これも込み入ってる話なんだけど……」
そのときだった。
街道の前方から警備兵の制服を着た男が三人、馬に乗ってやって来たのだ。
男達はやってくるとメイ達一行をじろっと見ると言った。
「ちょっといいか?」
「え? 何でしょう?」
パミーナが答える。
「こちらの方で山賊が出たと聞いてやってきたのだ。メイドが二人行方不明になっている。知らないか?」
これは―――どうして彼らは彼女達のトラブルを知っている? 通常の伝達手段ではそんなに早く情報が届くはずがない。
だとしたら間違いなくハヤセ氏の息がかかっているということか?
「え? さあ……」
パミーナが口ごもる。警備兵は一行をじろっと観察した。
「すまんが、あなた方はどちらまで?」
「え? 都に帰ろうとしてるんですが」
「そちらの娘とかも?」
「え?」
一行は見るからに怪しい取り合わせだ。
高級なカブに乗った身なりのいい女性の横に農民風の娘が乗っていて、しかも服が全然合っていない。その後ろから汚い荷馬車が付いてきているが……
パミーナはしどろもどろになった。そこでメイが慌ててフォローするが……
「あの、川で水遊びしていたら転んで濡れちゃって、近くの家の人に服を借りたんですが……」
などという説明でごまかせるだろうか―――途端に警備兵が目を見開いた。
「東方訛りだ! じゃあおまえらかーっ?」
うわあああああ! しまったぁぁぁ!
警備兵は剣を抜くとメイ達に指示した。
「お前ら、馬車から降りろ!」
「え? え?」
ど、どうしよう? こういう場合一体どうしたら―――このカブならかなりの速度は出せるだろうが、馬を振り切るというのはちょっと無理だし、大体リモン達が置いてけぼりになってしまうし……
「ともかく降りましょう」
「うん……」
パミーナの言葉にメイは不承不承うなずいた。
馬車から降りてメイがちらっと後ろの方を見ると―――リモンが手で何か合図をしている。
《!!》
メイは横のパミーナに囁いた。
『合図したら後ろに走って』
パミーナは目を見開くが、黙ってうなずいた。
「よし。それじゃ後ろの奴らもだ……」
「今よ!」
メイはパミーナの手を引くと後方に走った。
同時にリモンとフェーゴが荷馬車から飛び降りてくる。
メイとパミーナは二人の後ろに隠れた。
「じゃあ、後は任せな」
「それじゃ後は任せて」
二人が同時に言って、それからちらっと睨み合う。
男達は馬から下りるとそれぞれ剣を抜いて迫ってきた。
それを見てフェーゴが言った。
「おいおい。いきなり物騒だな? 俺たちは本当に都に行く最中なんだぜ?」
「つべこべ言わず、その武器を捨てろ」
「そういうわけにはいかないだろ?」
そういってフェーゴは腰の剣を抜いた。
同時にリモンは後ろ手に持っていた折りたたみ式の薙刀をかちりと組み立てる。
「抵抗する気か?」
「だってしょうがねえだろ?」
リモンとフェーゴは数歩前に出ると、並んで武器を構えた。
彼らのやりとりを見てパミーナは真っ青になった。
「大丈夫よ」
「でも相手三人よ?」
「大丈夫よ……多分……」
リモンの腕は確かだし、フェーゴだってあそこで追っ手を二人倒している。
大丈夫だ。きっと大丈夫だろう。大丈夫のはずだが……
男達はちょっと目配せすると、二人がフェーゴに、残りの一人がリモンに向かって襲いかかって来る。
「ちっ!」
さすがに二人同時にかかられて、フェーゴはたじたじだ。
「ああ!」
メイは思わず声が出たが、フェーゴは二人の攻撃をきっちりと受けきった。相当の使い手なのは間違いない。
だがやはり二対一では相手の攻撃を受けるだけで精一杯のようだ。
リモンの方はというと、こちらはずっと睨み合いを続けている。相手は見慣れない武器に警戒しているようで、なかなか打ちこんでこない。
「あ! あ!」
パミーナが心配そうな声を出す。
気持ちはよく分かるが……
《大丈夫よね⁉》
もちろん大丈夫だ。大丈夫に決まっている。そうじゃなかったら―――でも……
そのときだった。リモンが業を煮やしたのか、いきなり横を向いてフェーゴに対していた男の一人に向かって斬りかかっていったのだ。
「おいっ!」
フェーゴが思わず声をあげるが……
「危ない!」
メイもつい叫んでいた。
当然ながらリモンに相対していた男がこれ幸いと斬りかかってきたからだ。
だがそれが彼女の狙いだったのだ。
リモンは男の剣を薙刀の柄で叩いて軌道をずらすと、小柄で男の肩を思いっきり突いたのだ。
男がうめき声を上げてのけぞり、次の瞬間にはリモンの薙刀がその脇腹をざっくりと切り裂いていた。
「ごあっ!」
男が妙な声をあげてうずくまる。そんなことになるとは考えていなかったのだろう。フェーゴにかかっていた男達は一瞬躊躇した。
そこに間髪を容れずにリモンが襲いかかった。
男の一人がリモンとフェーゴの挟み撃ちに会う。男は一瞬どちらを相手にするか迷って避けるのが遅れた。そして男はリモンの刃は何とか逃れたが、フェーゴの剣を受け損なって剣を取り落としてしまった。
男はちらっとあたりを見回して、剣を拾い直すのが無理と察すると、いきなり逃げ出そうとする。
「逃がすな!」
そのときには既にリモンは男の足を払っていた。
男が避けようとしてよろめいたところを、太ももを貫かれてもんどり打って転倒する。
「この……」
残った男が激昂してリモンに向かおうとするが……
「お前の相手はこっちだろうが!」
横からフェーゴが男に襲いかかる。
慌てた男はその攻撃を避けきれず、胴体を深々と貫かれていた。
男は膝からがっくりと崩れ落ちると、そのまま事切れた。
その様子を見てリモンがふうっとため息をつく。
だがそれを見てフェーゴが言った。
「おいっ! 気を抜くな!」
見るとリモンが最初に倒した男が立ち上がって来ようとしている。
リモンはその男に薙刀を突きつけて言った。
「動かないで!」
だがフェーゴはつかつかとリモンの横を抜けてその男に歩み寄ると、いきなりその男の胸を刺し貫いたのだ。
「え?」
リモンが思わず声をあげる。
フェーゴは今度は足を刺された男の側に行って尋ねた。
「あんたらのボスは誰だ? やっぱりハヤセ氏か?」
「だったら……」
「いや、いいんだ」
そう言うなりフェーゴは再び男にとどめを刺した。
「ええっ?」
メイは思わず声をあげた。
そこまでせずとも―――リモンも目を見開いてフェーゴを見ている。
だがフェーゴはふり返ると言った。
「おい。やるなら最後まできちんとやれよ。いいな?」
「………………」
思わずメイは言っていた。
「そんな! 無抵抗の人を……」
それを聞いたフェーゴはメイをぎろっと睨む。
恐ろしく冷たい目だ。
「あのな。今はこいつらの命なんかよりな、あんたの命の方がずっと重要なんだよ。分かってっか?」
「………………」
「生かしといて色々喋られたらどうするんだよ? ゲームのルールはさっき説明したよな?」
メイは頭の中が真っ白だった。
えっと、こういった場合一体どうすれば……
そのときパミーナの手が彼女の肩に触れた。
「メイちゃん……」
がくがく震えているのが伝わってくる。
そういえば彼女は修羅場はこれが初めてか?
「大丈夫よ」
メイはパミーナを抱きしめる―――というより抱きついているような感じだが、ともかく今はそうする事しかできない。
「ともかく長居は無用だな」
「でもちょっと彼女を……」
少し休ませてあげないと―――でもこんな死体がごろごろしている所では逆効果か?
そう思ったときだ。
「大丈夫です」
パミーナはそう言って深呼吸をすると、ぶるぶると首を振り、頬をぴしゃぴしゃ叩いた。
「えっと……」
「ともかく行きましょう」
メイ達は驚いてパミーナを見た。
しっかりしているとは思っていたが、ここまで気丈だったとは―――ともかくこうなってしまった以上、一緒に頑張ってもらうしかない。
「うん」
うなずくとメイは彼女とまたカブに戻ろうとした。
そのときリモンがぼそっとつぶやく。
「でも、この先大丈夫かしら?」
フェーゴも言った。
「敵さん、うようよいると考えた方がいいな」
メイとパミーナは顔を見合わせる。
それって次回があるということか?
今回は勝てたけれど次に勝てる保証などないし……
敵が何人いるかも分からないし……
でも捕まってしまったら終わりなわけで……
………………
…………
……
「えっと、それじゃ……どうやって銀の塔まで?」
メイの問いに、誰もが顔を見合わせるだけで答えない。
それからリモンがぽつっと言った。
「例えば……」
「例えば?」
メイの促しにリモンは小声で答える。
「どこかに隠れてて、誰か別な人に知らせてもらうとか……」
それを聞いてパミーナが驚いて自分を指さした。
「え? あたしが?」
だが即座にフェーゴが首を振る。
「いや……危険だ。相手だってその可能性くらい考えるだろうし、彼女が来ることはイクストーヴァ氏だって知ってたんだろ?」
「え? うん……」
これでは彼女に行ってもらうわけにもいかない。
「じゃ、どうすれば?」
「さあ……」
フェーゴは首をかしげる。
えっと、どういうことだ?
これは―――このまままっすぐ都に向かうと、途中敵に出くわす可能性が高い。
どこかに隠れていて誰かに行ってもらうわけにもいかない。
当然戻るわけにもいかないし……
だとすると……
「誰も知らない秘密の道なんて……」
メイは尋ねてみたが、パミーナは首を振った。
「そんなのないわよ」
メイは目の前が暗くなってきた。これって―――もしかして詰んでるのか?
そのときだった。
「あの……皆さんは結局ニフレディル様の所に行くんですよね?」
パミーナが言った。
「うん」
「それって、ファシアーナ様の所じゃだめなんですか?」
………………
…………
……
「え? あ!」
メイとリモンは顔を見合わせた。
フェーゴが不思議そうな顔で二人を見る。パミーナは続けた。
「幽霊屋敷の方なら方向違いだから誰も来ないかも……」
「道、分かるの?」
「ええ、まあ」
「それ! いいかも!」
そう言ってメイはリモンの手を握る。彼女も黙ってうなずいた。
「あん?」
フェーゴだけが蚊帳の外だ。そこでメイが言った。
「ファシアーナ様、ご存じですか?」
「そりゃ聞いたことあるが? あの大魔導師でいいのか?」
「はい。あたし達、一度ファシアーナ様の家に招待されたことがあって、仲良しになったんです」
「ええっ?」
フェーゴの目が丸くなる。
「ファシアーナ様なら塔まで安全に連れてってくれると思うんです」
「なるほど。いいんじゃないか? それ」
フェーゴはうなずいた。
「それじゃ行きましょう」
三人の娘は互いにうなずきあうとそれぞれの馬車に分乗した。
メイは何だかうきうきしてきた。
まだ終わってはいないようだ。考えれば手はある物だ! ちょっと希望が見えただけでこんなに体が軽くなるとは……
でもその頼みの綱がファシアーナというのはちょっと―――というか、かなり不安だった。
動き出した馬車の中でパミーナがぼそっと言う。
「ファシアーナ様……お酒を召し上がってなければいいんですが……」
「う……」
ニフレディルもこぼしていたが、休みの日は昼間っから飲んだくれていてどうしようもないとか―――あはははは。今日は休日だ。
「ま、ともかくそれって家にはいるって事よね?」
「多分……」
ただし正気である保証はないということだが……
「とにかく行ってみましょうよ」
「そうよね」
こればかりは考えていても仕方ない。パミーナのカブは軽やかに走り出した。
だが、しばらく行った所でパミーナが言った。
「この取り合わせって目立たないかしら?」
それはメイも気にはなっていたところだった。
全員服はちぐはぐだし、高級なカブが汚い荷馬車を先導しているし、おまけにメイ達はうっかり口を開くことさえできない―――そんなことをしたらまた先程のようにばれてしまいそうだし……
「うーん……でもどうしたら?」
こんな状況を無理なく説明できる設定なんて……
だがパミーナは賢かった。
「幽霊屋敷に行く途中に病院があるのよ。そこに病人を運んでるって事にしたらどうかしら?」
「え? それって……」
何だかいい考えに思える。パミーナは続けた。
「救急馬車なら四人ぐらい軽く乗れるし、中も見えないし。危険な病人って事にしたら覗こうともしないんじゃない?」
メイはぽんと膝を叩く。
「ちょっとみんなに聞いてみましょうよ」
そこでパミーナは馬車を止めると後続の荷馬車と並行した。
話を聞いてリモンとフェーゴもうなずいた。
「それは良さそうだな。で、救急馬車はどこで借りられるんだ?」
「この先の村だけど、知り合いがいるから」
パミーナはこの付近の村の出身なので、近くに親戚がたくさんいるらしい。
しかも大皇后付きの筆頭侍女にまで出世した彼女は、このあたりではかなりの有名人だという。
「だから私が頼めば大丈夫よ」
そこで四人は細かい手はずを相談した。
その結果、メイとリモンは旅の途中で急病になったことになった。そこを通りがかったフェーゴが見かねて荷馬車で運んでいた所でパミーナに会って、病院まで案内してもらっている最中という設定だ。
おかげでメイはまた荷馬車の荷台だ。
一度あのカブに乗ってしまうと荷馬車の荷台とはお世辞にも快適とは言えないが―――こればかりは仕方がない。
しばらくして一行はパミーナに導かれて、次の村の一軒の農家に運び込まれた。
表の騒ぎに中年の女性が驚いた顔で出迎えた。
「どうしたの? パミーナちゃん?」
「それが、叔母さん……旅の人が急に病気になってて……それで救急馬車をお借りしようと。その馬車じゃ揺れるし、遅いし」
そう言って彼女は荷馬車に横たわっているメイ達を指さした。
ぐったりしているメイとリモンを見て叔母さんは仰天した。
「まあ、まあ、それは大変!」
彼女がそう言って二人をよく観察しようとするのをパミーナが止める。
「だめ! 近づいたら。もしかしたら伝染するかもしれないから」
「え?」
叔母さんが驚いて振り向く。パミーナはさも深刻そうに答える。
「ただの食あたりにしては症状がひどいのよ。血を吐いたりして」
「血を? えええ?」
実際リモンの服には血の染みがついている―――本当はさっきの立ち回りで受けた返り血だが……
「それでもしかしたらコレラかもって、そちらの方が」
パミーナがフェーゴを指さす。フェーゴは軽く挨拶すると言った。
「こちらの方々がひどいことになってたんで、あっしの馬車で運んでたんですが、そこにこのお嬢さんがいらっしゃって、病院の場所をご存じだっていうんで」
叔母さんもフェーゴに挨拶すると尋ねた。
「本当に……そんな危ない病気なんですか?」
フェーゴは首を振る。
「いや、あっしも医者じゃないんで。でも前にこんな症状を見たことあって、少なくともただ事じゃないんで、早急に病院に連れてかないと」
叔母さんはうなずいた。
「それじゃともかくお医者様をお呼びしましょうか?」
いや、それはまずい! 仮病がばれてしまう!
もちろんそれはフェーゴとパミーナも瞬時に悟った。そのため二人は血相を変えて同時に答える。
「それはだめです!」
「それはだめよ!」
「え? どうして?」
そう聞かれてパミーナは一瞬言葉に迷ったが、すぐに答えた。
「どっちにしてもここで治療は無理だから。なるべく早くバレーナの病院まで連れてった方がいいわ!」
叔母さんはその剣幕に押されてうなずいた。
「分かったわ。それじゃともかくお家の中に……」
「いや、移ったらまずいから。可哀想だけどあちらとかに」
そう言って彼女は厩を指さした。
「……仕方ないわね……あなた達大丈夫?」
メイとリモンは黙ってうなずくと、いかにもふらふらした様子で立ち上がろうとする。
フェーゴとパミーナが慌ててそれを支えると、彼女達はよろよろと厩まで歩いていった。
馬は現在農場で作業中のようで、厩の中は空だった。
メイ達が寝藁の上に横たわるとパミーナは戻っていって馬屋の外で叔母さんと話し始めた。
二人が話す声が聞こえてくる。
「本当に大丈夫なの? その人達」
「ええ。今のところは何とか。でも早くしないと分からないわ」
「私が見といてあげましょうか?」
「だめよ。移るかもしれないから。誰も近づけないでおいて」
「でも……」
それを聞いてフェーゴが外に向かって言った。
「なにかあったらあっしがお知らせしますんで」
叔母さんは納得したようだ。
「……分かったわ。ともかく救急馬車を借りて来るわね」
「お願いするわ」
この叔母さんの親切さにはいろんな意味で涙が出てくる。そんな人を騙してるかと思うと本当に胸が苦しくなってくるが……
それからしばらくして叔母さんが馬車で出て行く音が聞こえてきた。その音が聞こえなくなるとパミーナがやって来て言った。
「ここに食べ物とかを置いておくから。あまり食欲の出る場所じゃないけど」
今は馬は出払っているとはいえ、厩の中だ。馬糞などの臭いが立ちこめていて普通はランチに適した場所ではない。
メイは田舎育ちだったからまだ良かったが、リモンはずっと顔をしかめている。
「世話かけるな」
フェーゴが答えた。
「いいえ。ともかく頑張って。服とかを借りて来るから」
そう言ってパミーナは去っていった。
やがてあたりは静寂に包まれた。どこからか鳥の声が聞こえてくる。
メイは大きくため息をついた。
《何なんだろう……これ……》
本当だったら楽しい旅行のはずだったのが――― 一体彼女はこんな所で何をしているのだろうか?
何だか本気で疲れた―――そう思って寝藁の上に横たわると、急に眠気を催してきた。
―――メイは馬車で野原を疾走していた。乗っているのは彼女のカブだ。こつこつと貯めていたお金で、ついにこのカブを買うことができたのだ。
「ひゃっほー!」
やはりカブは違う! こんな凄い速度で走ってもとても安定している! この先道がぐねぐねとしている所があるが、これだったら問題なく抜けられるに違いない……
そう思った所で彼女はトランクにリモンが乗っていたことを思い出した。メイは彼女に声をかける。
「大丈夫? やっぱり横に来ない?」
「私は大丈夫だから」
リモンが返事する。でも大丈夫とは言ってもやはりトランクに乗せるというのは気が引ける―――ってか、どうして彼女はトランクなんかに乗ってるんだっけ?
そのとき道が急カーブに差し掛かる。速すぎないか?
「うおっ!」
だがカブは綺麗にカーブを曲がりきった。さすがだ!
メイは彼女の横の空いた座席を見た。
そこには血の染みがついている。そうだった―――彼女が座ったらシートが汚れてしまうから後ろでいいって言ったんだっけ……
シートが汚れるのは嫌だけど、でもやっぱり横に乗せてあげなければ―――そう思ってメイは再びリモンに声をかけた。
「リモン、リモン?」
だが返事がない。
「どうしたのよ! リモン! ねえ!」
そのときメイは思い出した。今のカーブはかなり急だったが―――まさかそこで振り落とされてしまったのでは?
メイは慌てて引き返す。さっきのカーブまで戻ると、そこにはリモンが倒れていて、フェーゴが何か言っている―――
「おい! どうした! しっかりしろ!」
えらくリアルな声だが―――メイはぼうっと目を開く。薄暗い厩の天井が見える。どうやら本当に眠ってしまっていたらしいが……
「おい! おまえ! どうした?」
フェーゴが何か叫んでいる。えらく切迫した様子だが一体何が?
メイは寝ぼけ眼でその方を見て―――びっくりして飛び起きた。
そこではリモンが寝藁の上にうずくまって胸を押さえているのだ。
ひどく苦しそうな息の音が聞こえる。
「どうしたの?」
「さっきから急にこうなった」
起きてきたメイに気づいてフェーゴが答えた。
「ええ?」
リモンは虚ろな目で床を見つめたまま浅い呼吸を繰り返している。
そのたびに喉の奥から、かすれた音が聞こえてくる。
フェーゴがその背中をさすっているがまるで気がつかないようだ。
「おい! お前! 聞こえるか?」
だがリモンは反応しない。
「リモン、ねえ、リモン!」
それを聞いてリモンはゆっくりとメイの方に振り返った。目から涙がこぼれ落ちる。
だが彼女はそのまま無言で胸を押さえてうずくまった。
「ちょっと! リモン!」
こういう場合、一体どうしたら―――リモンの体がびくびくしている。
「ちょっとこのままじゃヤバいぞ。おい……」
フェーゴがそういってあたりを見回す。確かにそうだが―――そのときメイは思い出した。
《そう言えばこれって、確か……》
メイがまだ厨房で働いていた頃、同僚に緊張するとこんな風になる娘がいた。
彼女がそういった発作を起こしたとき何をしていたかというと……
「ねえ、フェーゴさん。袋持ってない?」
「は? 袋?」
「そう。袋。それをこう鼻と口に当てて、その中で息させるの」
「それで治るのか?」
「知らない。でも治ってたの。その子は」
ともかく試してみるしかない。
だが問題は彼らは見事に着の身着のままだ。いる場所も厩の中で……
「袋なんてねえよ」
「じゃ、借りて来る!」
そういってメイが立ち上がろうとした所をフェーゴが止める。
「おい! お前は伝染病の重病人だろうが!」
「あ!」
じゃあ一体―――そのときフェーゴがにやりと笑った。
「要するに“袋みたいな物”があればいいってことだな?」
「え、まあ……」
メイは曖昧にうなずいた。でも袋みたいな物って……
そう思った瞬間フェーゴはやにわにリモンを抱き起こすと、いきなりキスをしたのだ。
「へ?」
メイはあまりのことに硬直した。
それはリモンも同様だったようで、目がまん丸に見開かれる。
それから当然身をふりほどこうとするが―――フェーゴにがっちりと抱きすくめられて身動きが取れない。
「ちょっと! 何してるんですか! こんなときに!」
メイは慌ててフェーゴを引っ張ったが、彼女の力程度ではどうにもならない。
だがフェーゴが言った。
「ふふほほほうはほほは……」
キスをしたままじゃ何を言っているのか分からないだろうが!
と思ったときだった。
《袋のようなもの?》
メイは気がついた。人間の口とか肺も袋のようなものじゃないのか? だったら……
でもこんな方法でいいのだろうか?
《えっと、こういった場合、一体どうしたら……》
ともかく今は見守るしかない。
メイはおろおろしながら二人を見つめた。
やがてリモンの見開かれていた目がゆっくりと閉じられる。
「リモン!」
メイは思わず叫んだ。まさか、死んだ? そんなバカな……
同時にフェーゴがゆっくりと唇を離すと、リモンの背中をそっとさすり始めた。
「大丈夫か?」
リモンは薄目を開けると黙ってうなずいた。
「ともかくゆっくりとだ。ゆっくりと息してろ」
メイはほっとした途端にがっくりと寝藁の上に座り込む。
それを見てフェーゴがにやっと笑った。
「大丈夫みたいだぜ。サンキュー。いいこと教えてくれて」
フェーゴの言った“いいこと”というのは明らかに別な意味を指しているようにも思えるのだが……
ともかくリモンの発作は収まった。結果オーライではあるが―――というか、こんなときにふざけるな! と食ってかかろうとしたそのときだった。
「ごめん……なさい」
リモンが言った。
それを聞いたフェーゴがリモンの頭を荒々しく撫でる。
「何謝ってるんだよ? せめて怒ったらどうだ?」
そうだそうだ!
「え?」
だがリモンはぽかんとしている。
フェーゴはリモンの肩を抱いた。
「お前さ、ちょっとテンパりすぎだろ? お前はよくやってるじゃねえか」
「でも……」
そう言ってリモンの目が泳ぐ。
フェーゴはそんな彼女を見て言った。
「お前さ、殺したのは初めてか?」
リモンがぴくっと動いた。また体が震え出す。
言われてみれば確かに、リモンが本当に人を殺したのは―――アウローラでは天秤棒でぶん殴っただけだから、もしかしたら今日が初めてかも……
フェーゴはリモンの肩を引き寄せると戸惑っている彼女の顔を見つめた。
「もういっぺんキスするか?」
「いいです!」
リモンは慌てて身を引く。
フェーゴはそんな彼女から手を離したが、リモンはそれ以上は離れようとはせず、フェーゴの横に座ってうつむいた。
そんな彼女を見ながらフェーゴが言う。
「あんまり気に病んでもしょうがねえ。やっちまったもんはな。俺だって初めてのときは、結構来たもんだぜ。何日かは殺った奴の顔が瞼から離れなくってな」
リモンはうつむいたままだ。
「でもな、いいことだってあるんだぜ?」
いいこと? それを聞いてリモンも少し驚いた表情でフェーゴの顔を見る。
「お前はな、力を手に入れたんだ。きれい事を言ってる奴がくたばってく中で、生き延びていく力をだ」
そう言ってフェーゴはメイの方をちらっと見た。
《な、なによ!》
だって無抵抗の人を殺さないっていうのは当たり前だ! 普通は……
「本当に生きていくためにはそんな力が必要なんだよ」
《いや、それって……》
メイは何か違うと言おうとした。
だが言葉が出ない。
一体何が違うのだ? 実際いまメイの命があるのは“そんな力”に守られたからで……
リモンの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
次いで彼女の喉からまたかすれた音が―――だが今度はすすり泣きだ。
フェーゴが再び彼女の背中を撫でてやる。
二人はしばらくそうして寄り添っていた。
そこにメイが割り込む余地は全くなかった。
《……殺したんだ……》
一線を越えてしまうということはこういう事なのだろうか?
だとしたら『そんなこと気にするな』などとは彼女からはとても言えない。
同じ経験のある、同じ側に立っているフェーゴだから、初めてこんなことを言っても納得できるわけで……
フェーゴはリモンの背中を撫でながら言った。
「お前さ、やめとけよ」
「え?」
「こんな仕事、やめとけ。まだお前なら戻れるだろ?」
「………………」
「気分が悪くなって当然だ。誰がどう見たってろくでもねえことだからな。白目剥いた死体の側で平気で……飯が食えるようにとかなったらもう終わりだぜ?」
それを聞いたリモンがぎゅっと両手の拳を握りしめた。
そしてすっと背筋を伸ばすとフェーゴの顔をまっすぐに見つめる。
「あなた……私の背中の傷、見たでしょ?」
フェーゴはちょっと慌てた。
「え、いや、そりゃしょうがないだろ? ああいう場合……」
だがリモンはふっと目を伏せると続ける。
「私が王女様を……守れなかった傷……痛かった。すごく痛かった。なのに背中なの。傷は。だから私を斬った奴の顔さえ覚えてないの」
えっと―――リモンは何を言い出したのだ?
「いや……だからな?」
口ごもるフェーゴを横目にリモンは続ける。
「ベッドの中で私、ずっと泣いてた。王女様はさらわれてしまって、それなのに何の役にも立てなくて……辛くて、苦しくて……」
「それって、それってさ、お前のせいじゃないだろ?」
フェーゴはしどろもどろだ。無理もない。いきなりこんな深みに嵌められたら慌てて当然だ。
だがリモンはそんな様子は目に入らぬように、フェーゴの目をじっと見据えると言った。
「だから決めたの。私もう二度と背中は向けないって」
フェーゴはたまらず目を逸らす。
それはそうだ。誰だってあんな目で見つめられたら……
「お前さ、ちょっと思い詰めすぎだって。まじめすぎるって言われなかったか?」
リモンは黙って首を振る。
「そうかもしれない……けど、これしかできないから。私はメイみたいに賢くないし、体を張ることしかできないから……」
それを聞いてメイも仰天した―――ここで彼女を引き合いに出すかーっ?
「リモン? あの……」
「だからさ……」
二人ともそれ以上言葉が出ない。
それこそこういうときにはどうしたらいいのだ?
メイとフェーゴは顔を見合わせた―――これはいけない。何かリモンに変なスイッチが入ってしまったようだが、ここはともかく何か話題を変えねばっ!
そこでメイは言った。
「あー、そういえば、エルセティア姫がいなくなっちゃったって言ってたじゃないですか」
「あ?」
フェーゴはぽかんとした顔だ。
「王女様がいなくなったときも、同じような感じの大騒ぎだったんですよ?」
「あ? ああ……」
フェーゴは曖昧にうなずく。メイは構わず話し続けた。
「王女様がさらわれたときも、まるで跡形なく消えちゃったみたいで、国内で大捜索が行われたのに見つからなかったんですよ。どうしてだったと思います」
「えっと、どうしてだったんだ?」
意図を察してくれたのかフェーゴが尋ね返すが、何だか棒読みっぽい―――まあこの際仕方ないが……
「それがですね、王女様の場合は悪い奴に騙されててですね、ロムルース様がこっそりと王女様を連れ出しに来たって信じちゃってたんですよ。それで王女様ご本人が旅の遊女の格好で出て行っちゃって。誰も自分から出て行くなんて思ってなかったら、それで全然分からなかったんですよ」
「へえ」
「とんでもなく悪知恵が働く奴ですよね。王女様をさらった奴って」
「そうだなあ」
「エルセティア姫のときも、何かそんなことってなかったんでしょうか?」
「……さあ、俺には何とも」
フェーゴは首をかしげる。
「でしょうねえ。まあ、ともかく王女様もアウラ様もカンカンで……あ、その、王女様をさらってった奴ってのが、アウラ様の仇でもあったみたいなんですよ。だからアウラ様、もし本当にそいつだったら絶対に自分が斬るって。でもそう言うと王女様が、いきなり殺したらダメだ、まず背後関係を吐かせるために拷問して、それからじわじわとなぶり殺さないと、なんて言ってですね……」
それを聞いてフェーゴが咳き込んだ。
「お前の所の王女様って何者なんだよ? この間は会議でとんでもないことをおっしゃってたみたいだが?」
「あはは。知ってました? だから大変なんですよ。いろいろこっちでお膳立てしてもすぐチャラにしてくれちゃったりして……もう本当に迷惑な方で……」
「メイ、そんなこと言ってていいの?」
そのとき口を挟んだのがリモンだった。
しゃきっとしているいつものリモン―――のように見えるが……
「リモン! もう大丈夫?」
「ありがとう。メイ。それにフェーゴ」
「あ、ああ……」
こう面と向かってお礼を言われても何というか返答に困るが―――フェーゴも何か気まずそうだ。
リモンはそんなフェーゴを潤んだような瞳でじっと見つめている。やっぱりまだ何か普通じゃないような……
そこで今度はフェーゴが話題を変える。
「それはそうと、さっきの技、なかなかだったぜ」
「さっきの技って?」
リモンがちょっと首をかしげる。
「右の奴と見せかけて左の奴を柄でぶっ飛ばした奴だよ」
それを聞いてリモンはうなずいた。
「あれはアウラ様に教わったんです。相手が二人のときにはあれが効くって」
「へえ、そうかい」
「アウラ様は、その何というか、滅茶苦茶なんです。立ち会っても毎回構えが違ってたりして。どんな風に来られても臨機応変に対応できないとって」
そう言ってリモンはちょっと微笑んだ。
それを見てフェーゴも少しほっとしたようだ。そして彼はにやっと笑うと言った。
「へえ……臨機応変ね。だったらさっき戦ったときにもそんなやり方があったと思うぜ?」
「え? どんなやり方です?」
リモンが興味深そうに尋ねる。
それを見てフェーゴは彼女ににじり寄りながら言った。
「相手がこんな風に近づいてきたときだ」
「はい」
「ここでばっと前をまくってやる。すると男の目線は……」
そう言ってリモンのスカートをめくった次の瞬間―――フェーゴの目線はそこに釘付けになってしまった。
何しろ彼女は、メイもそうだが、まだ下履きをつけていない。
というわけでフェーゴの目の前には、予想以上の物が現れてしまったのだから……
「何すんのよ!」
次の瞬間、親衛隊での訓練で培われたリモンの綺麗な右ストレートがフェーゴの顔面にヒットしていた。
フェーゴはもんどり打って倒れる。
リモンはスカートの前を押さえると後ろを向いてしまう。
えっと―――こういった場合は……
「あはは、すごく……有効な戦法ですね」
「だろ?」
フェーゴが床に伏したまま親指を立てる。
「バカじゃないの! あんた!」
リモンは首まで真っ赤だ。
パミーナが戻ってきたのはそのすぐ後だった。手には二人分の寝間着を持っている。
「二人とも、着替え持ってきたわ。その格好じゃさすがに……」
そう言って彼女は床に突っ伏しているフェーゴをみて目を丸くした。
「どうしたんですか? え? 血だらけじゃないですか?」
「え?」
リモンが慌ててその方を向いた。
「大丈夫だって。鼻血だから」
「どうしてですか?」
それから彼女はリモンの様子が変なのに気づいて言った。
「どうしたの? まさかこの人が?」
「いや、そういう訳じゃなくって……」
分かりやすく説明するのはなかなか大変だったが、何とか状況を納得したパミーナは苦笑いしながら言う。
「ともかく二人とも着替えて。下着もちゃんとあるから。もうじき馬車が来るわ」
「ありがとう」
それからリモンがフェーゴをじっと睨む。
「分かってるよ!」
フェーゴは鼻を押さえながら厩の外に出て行った。
メイとリモンが着替え終わった頃、表の方で救急馬車が来る音がした。
「それじゃそこに寝ててね」
「あ、うん」
自分達が危篤の病人だということをすっかり忘れていて、うっかり外に駆け出す所だった。
それから二人は救急馬車に担架で運ばれると、後部のボックス内に設えられたベッドに寝かされた。二人だとちょっと狭かったが仕方がない。
それから扉がぴったりと閉じられる。そうなると小さな明かり取りの窓があるだけで、馬車の中は薄暗い。
「それじゃ気をつけてね」
「行ってきます」
外でパミーナと叔母さんの声が聞こえる。それから馬車は動き出した。
《おー!》
メイは内心感心していた。この馬車は見かけはちょっと古かったが、結構乗り心地がいい。さすが病人や怪我人にあまり負担にならないようにできているらしい。一体どういう構造になっているのだろうか―――などと考えていると、御者台の方からパミーナの声がした。
「もう村から出たわ。大丈夫よ」
メイとリモンは起き上がるとベッドに腰をかけて窓から外を覗いた。馬車は田舎の道をゴトゴト走っている。
「ここからどのくらいなの?」
「一時間くらいかしら」
一時間か―――もうすぐだと考えるべきか、まだそんなにあると考えるべきか……
だが問題さえなければあとはここに乗ってるだけでファシアーナの屋敷、というか“住んでる所”にたどり着けるはずだ。
問題さえなければ―――だが。