第7章 離宮防衛軍
メイはいらいらしながら待っていた。
彼女が今いるのは都の郊外にある大皇の離宮の一室だ。
都周辺にはそういった場所が数多くあるが、ここはその中でも最も閑静な地域で、主に大皇や大皇后が体調を壊されたときの静養の場所として使われていた。
「あの、エルノン様ってまだでしょうか?」
もうすぐ小夜会が開かれる時間なのだが……
「多分もうすぐいらっしゃるのではないかしら」
側に控えているメイド服を着た女性が答える。
大皇直々の夜会だというのに、遅刻なんてしてきて大丈夫なのだろうか? 他人事ながら心配になってくるが―――やがて窓の外から夜会の前奏曲が聞こえてきた。
「あ……始まっちゃった……」
メイのつぶやきを聞いて、隣の女性が近くの執事服を着た男に向かって言った。
「どうしましょうか? エルノン様抜きで始めますか?」
「いや、もう少しお待ちしてみようか」
そんなやりとりを聞きながらメイは窓の外を眺めた。
日はもうとっぷりと暮れている。
星の数ほどの篝火で照らし出された庭園にはテーブルが一杯に並べられ、その上には見事な料理が盛りつけられている。
その周囲では何組もの仮面をつけたカップル達が、夜会の始まりを待っている。
もしかしたら結局メイだけ参加できないのだろうか?
《うー……いいな》
メイは下の連中を羨ましく思った。
お腹は減ってきているし、それ以上に今晩の“趣向”を間近で見られないというのはとても残念なのだが……
そのときだった。
「エルノンご夫妻がいらっしゃいました」
そんな声と共に部屋の扉が開かれる。
周囲の一同がぱっと立ち上がった。
それに続いて部屋には着飾った夫婦が入ってきた。夫の方は四十近いようだが、妻はまだかなり若い。
「申し訳ございません。出立に少々手間取りまして……」
エルノン氏がそう言って、それから案内された部屋の中を見て少し戸惑った表情になった。
「ええと、こちらは?」
夫妻はもう一度部屋の中を見回す。
当然だろう。夜会に招かれて来たというのに、通されたところは庭園でも広間でもなく、従業員の控え室のような部屋なのだから……
「申し訳ありません。エルノン殿」
その声を聞いてエルノン夫妻はびくっと体を震わせた。
それから声の主を見つけると二人共に目を見張った。
「大皇……様? それに大皇后様? どうしてまたそんなご格好で?」
もちろん先程メイが話していた“メイド”と“執事”はメルファラ大皇后とカロンデュール大皇本人に他ならない。
大皇はエルノン氏に微笑みかけた。
「今日はちょっとした趣向がありまして。それで少々ご協力をお願いしたいんですがよろしいでしょうか?」
「それは……もちろん構いませんが、一体どのような?」
「それにはまずお召し物を着替えて頂きます。奥方様も。少々時間が切迫しておりますので」
「あ、かしこまりました……」
大皇は訝しげなエルノン氏を連れて別室に入っていった。
「それでは奥方様はこちらにどうぞ」
「あ、はい……恐れ入ります」
メイド服姿の大皇后に手を差し出されて、エルノンの奥方は目を白黒させている。
まあいきなりだと仕方ないかもしれないが―――ともかく大皇后とメイは奥方と共に別室に向かった。
そこは更に狭い従業員用の更衣室だ。
「それでは奥方様。こちらに着替えて頂けますか?」
そういって大皇后が奥方にメイド服を差し出す。
「え、ええ……」
部屋には何人かの本物の侍女が控えていて、手慣れた手つきで奥方の着替えを手伝う。
奥方はメイよりはかなり年上だが、確かに体つきはそっくりだ。
「それと着てらっしゃいましたドレスをちょっとこの子にお貸し願えますか?」
そう言って大皇后がメイを紹介する。
大皇后の願いだ。奥方は一も二もなくうなずいた。
侍女達は奥方の脱いだドレスを今度はメイに着せてくれた。こんな服を一人では到底着付けることなど不可能だ。
「えっと、どうなさるのです?」
自分のドレスを着て立っているメイを見て、奥方が心配そうに尋ねた。
それを聞いて大皇后が答える。
「彼女があなたの替え玉になるんですのよ」
「替え玉? ですか?」
「はい。詳しくはこれから説明致しますから。さあ、こちらにどうぞ」
大皇后は着替え終わった奥方をまた別の部屋に導いた。
そこは今度はちょっとした広間だったが、中にはなぜか侍従や侍女の格好をした男女がたむろしていた。
その中の一人がやって来た奥方を見て声をかける。
「まあ、シャリー! あなたも?」
「あら、ニーア?」
もちろんそこにいたのは本来の客人達だ。
「それではお庭にいらっしゃるのは?」
「みんな“替え玉”なんだそうですよ?」
「え? 一体何が始まるのです」
「それは見てのお楽しみとか」
「まあ……」
そのとき誰かがメイの手を引っ張った。
振り返るとエルノン氏の服を着込んだがっちりとした紳士が立っていた。彼はデルフィーノという都警吏の副長官だ。
「それではよろしく。メイ殿」
「はい。お願いします」
メイは彼と手を組むと部屋を出て行った。
「メイ殿。あまりにやにやなさらぬ方がよろしいですぞ」
庭園への道すがら、思わず彼女の頬が緩んだのをデルフィーノ氏が目ざとく見つけて注意する。いくら嬉しくても貴族たるもの、みだりに感情を露わにしてはいけないらしい。
「あ、はい……」
―――とは言っても、色々な意味でこみ上げてくる笑いを抑えるのは大変だった。
《何だかお姫様になったみたい……》
こんな素晴らしいドレスを着て夜会に出られるというだけでも女の夢だというのに、それが大皇様お名指しの宴なのだ。代役ではあっても心がはずむ。
しかも今回はそれだけではない。とっておきの“趣向”が待ち構えているのだから……
―――あの大冒険の次の日、メイとリモンはニフレディルとこのデルフィーノ氏と共に、ハヤセ・アルヴィーロ氏の本邸を訪ねていた。
彼女達の事件は、東方から来ていた王女の馬車が崖から転落して、侍女二人が行方不明になったが王女本人は事なきを得た、といった感じで流れていた。
それよりも都では大皇が体調を崩されて離宮で静養するという発表の方が大ニュースだ。
《あれだけひどい目にあったのに……》
当事者にとってどれほど大変だったとしても、やはり客観的に見ればその程度の出来事なのだ。
実際王女本人は全く無事であるし、単に侍女が行方不明というのではインパクトに欠けるのは間違いない―――今ひとつ納得いかないが……
豪華な応接の間に通されると、アルヴィーロ氏は既に来て待っていた。
「これはニフレディル殿、それにデルフィーロ殿、急にいかがなされたのでしょうか?」
何となく落ち着かない様子だ。ニフレディルはにっこりと笑うと答えた。
「これはアルヴィーロ様。急にお訪ねして申し訳ありません」
「いえいえ、それでどのようなご用件でしょうか? 本日はこれからちょっと出かけなければならないのですが」
「はい。手短に申し上げますわ。まずは……」
そう言ってニフレディルはメイとリモンに合図する。二人は顔を隠していたヴェールを取った。
それを見たアルヴィーロ氏は目を見開いた。
「あなた方は……確か……」
「エルミーラ様の秘書官のメイさんと、こちらは護衛官のリモンさんです」
二人が挨拶するとアルヴィーロ氏も慌てた様子で答礼した。
「えーっと、これは?」
「はい。行方不明になっている彼女達ですわ」
「どうしてまた?」
アルヴィーロ氏はメイ達とニフレディルの顔を見比べながら言った。
「実は昨日、こちらのデルフィーロ様が彼女達を保護されていたのです」
それを受けてデルフィーロがちょっと前に出るとうなずいた。
アルヴィーロ氏は今度は彼とニフレディルの顔を見比べながら言った。
「なんと? どうしてすぐに連絡されなかったのです?」
それを聞いてニフレディルが伏し目がちに答える。
「それが……有り体に申しますと、彼女達の“事故”なんですが、どうもあの別邸の関係者が関わっているようなのです。そのためとりあえず公にするのを差し控えておいて、まずはこうしてあなたにご相談しようかと思いまして」
「え? どういうことです?」
驚くアルヴィーロ氏にニフレディルは説明を始めた。
「実は彼女達の乗っていた馬車が何者かに細工されていたらしいのです。道中それに気づいて調べていたら御者が急に襲ってきたそうで、それで護衛の兵士が殺されてしまって……」
「はあ……」
「その御者はそちらのリモンさんが何とかしたそうなのですが、更に追っ手がやって来て、二人は馬車で逃げたそうです。でもあの道ですから、細工された馬車ではもう先に進めなくなってしまって、敵に追いつかれていたちょうどその場に彼の一行が通りかかったそうなのです」
そう言ってニフレディルはデルフィーノの顔を見た。デルフィーノも軽くうなずく。
アルヴィーロ氏は目を見開いたままかくんとうなずいた。
続いてデルフィーノが話し始めた。
「昨日はちょっと狩り場の下見に行こうとしていたのですが、そこでそちらのリモンさんが一人で奮闘されているところに行き当たったのです。いいも悪いもありませんから、ともかく私達は彼女に助太刀して敵を倒しました。それから話を聞いてみると、これはちょっと館に戻るのはまずいと思いました。それで彼女達を一旦保護して連れ戻ったのですが、幸い私はシアナと昔なじみだったので、リディールさんにこうして連絡を取ってもらったのです」
「そうでしたか……」
うなずくアルヴィーロ氏にニフレディルが言った。
「馬車に細工をしたとなると、犯人は少なくとも館に出入りできる者でないと難しいと思いますが……ただそうだとするとそれはエルミーラ様を狙ったのではなく、このメイかリモンのどちらかが狙いだったように思えるのです」
アルヴィーロ氏がはっと顔を上げる。
「え? どうしてです?」
「館の者が犯人だった場合、あの馬車に王女が乗っていなかったことは知っているはずですから」
「ああ、そうですな……」
「ですがそこで一つ分からないのですが……」
「どのようなことでしょうか?」
「その者は彼女達なんかを狙って一体何の得があったのでしょうか? 聞いた経緯からは、かなり大がかりな計画的犯行に見えるのですが……」
「確かにそのようですが……私には……」
首を振るアルヴィーロ氏にニフレディルは大きく同意の素振りをする。
「そうでしょうねえ。あんなに念入りに殺そうとするなんて、相当の恨みがあるか、何かよっぽど知られたくないことを知ってしまったか……彼女達が言うには『ともかくお前たちには死んでもらう』と言われたそうで……でもそこまでされる理由に関しては全く思い当たりがないと……」
そこでニフレディルがじっとアルヴィーロ氏を見つめながら尋ねた。
「そこでハヤセ様にお尋ねしたかったのです。何かそういったトラブルのような物をご存じありませんか?」
アルヴィーロ氏は慌てて首を振る。
「いえ、申し訳ありませんが私にもさっぱりです」
ニフレディルはさも残念そうにうなずいた。
「そうですか。それでは仕方ございませんわ。実は私も楽しみにしていたんですよ。昨日は彼女達に飛空機を見せてあげる約束をしていたんです。それが台無しになってしまって……」
「はい……」
アルヴィーロ氏がちょっと引きつった顔でうなずく。
そこでデルフィーノが不思議そうに口を挟んだ。
「ほう? 飛空機を、それはまたどうして?」
「彼女が乗り物が大好きなんだそうです」
「あ、はい」
メイがうなずく。
「何でもこの間大皇后様がエルミーラ様をお訪ねになった際に、飛空機でお館にやって来た怪物のお話になったそうで……」
「お館とは? ハヤセ様のあの別邸にですか?」
「はい。何でもその怪物は星の世界からミュージアーナ姫を娶りにやってきたそうで」
それを聞いたデルフィーノはぽかんとしてから笑い出す。
「ははは。ミュージアーナ姫のお噂は天界にまであまねく広がっているのですかな? それにしてもちょっと遠すぎたようですな。噂が届くのが少々遅れてしまったようで」
「ですわね。今は管理人しか住んでおりませんのに。ジアーナ屋敷には……」
それからアルヴィーロ氏が苦虫を噛みつぶしたような顔をしているのを見て、ニフレディルは言った。
「あら、申し訳ございません。お仕事がございましたでしょう? ではそういうわけですので、彼女達はこちらで保護しておきます。何か分かりましたらこちらのデルフィーノ殿の所にご連絡頂けるでしょうか?」
「もちろんですよ」
アルヴィーロ氏はうなずいた。
だがその間メイとリモンは、ニフレディル達の会話でアルヴィーロ氏の顔が段々引きつっていくのを見ながら、こみ上げてくる笑いを堪えるのに必死だった。
「それではお邪魔致しました」
ニフレディルはそういって礼をすると、一行はその場を引き上げた。
会見からの帰りの道すがら、メイはニフレディルの後ろ姿を見ながら、この人だけは敵に回したくないとしみじみ思った―――
二人が庭園に出ると、そこには何組もの仮面のカップルがそぞろ歩いている。
みんな貴族風の出で立ちだが、もちろん中身は替え玉だ。
メイ達が出て来たのを見て、その中から一人の貴婦人がつつっと寄ってきた。
「遅かったわね」
その声はアウラだ。
彼女の立ち居振る舞いはだけは本当に美しい。ほれぼれしてしまう。
「ごめんなさい。さっきやっといらっしゃったの」
「それじゃみんな揃ったのかしら?」
「はい」
メイがうなずくとアウラは近くの燕尾服を着た紳士に向かって軽くうなずいた。
紳士がうなずき返すと、アウラは宴の上座を指しながら言った。
「“大皇后様”はあっちよ」
そこには素晴らしいドレスを身に纏った女性がカウチの上に寝そべっている。
《パミーナったら、まるで本物みたい……》
さすがにいつも大皇后の側に控えているせいか、何だか細かい仕草までそっくりだ。しかも……
《うわあ……こんなにスタイル良かったんだ……》
彼女が身につけているのは本物の大皇后のドレスで、あの見事な体のラインが浮き彫りになるようなデザインになっている。それを見せてもらったエルミーラ王女の顔ががちょっと引きつっていたが……
《あのお風呂のときには全然気づかなかったけど……》
あのときは別なことで色々頭が一杯だったから―――などということを考えていると、アウラが言った。
「じゃ、危ないからあっちの方に行ってて」
「はい」
メイはうなずくと上座の方に向かった。
さすがに今回の“余興”はあまり間近だと、とばっちりを受ける可能性がある。さすがにそういうのはもう二度とご免だ。
大皇后のふりをしているパミーナの側には、同様に着飾った女性が何人もたむろしていた。
「ごめんなさい。遅れちゃって」
メイは“大皇后”に小声で話しかけた。
「遅かったわね。もう来ないかと思ったわ」
「それが何だかエルノンの奥様が出がけにパニくっちゃったらしくて」
「それは……そうだったの……」
パミーナはあっさりと納得した。
今日の夜会はもちろんのこと、敵をおびき出すための壮大なトラップである。
メイ達が生きてニフレディルに保護されていると知ったアルヴィーロ氏は、予想通りに最後の手段に訴えたのだ。
元々彼は都での権力の座に固執していた。
メイ達がフェーゴから聞いた話は大方が事実だった。すなわち彼は今のままではどんどんジリ貧にならざるを得なかった。
だが通常のやり方ではもう挽回は見込めない。そのためにレイモンと通じて偽りの侵攻をさせるという一世一代の大バクチに打って出たわけだ。
それはつい先日まではおおむねうまく行っていた。
ところが全く予想外の所から、彼の地位が危険に晒されてしまったのだ。彼がエルセティア姫の失踪に関与しているということになってしまったら、今の地位から転落してしまうのはほぼ間違いない。
実際あの後、カロンデュール大皇とメルファラ大皇后に事件の経緯を話したところ、二人して完全にぶち切れて、今すぐアルヴィーロを連れてきて首を刎ねろ!―――みたいな勢いだったのだ。
その剣幕にはメイ達の方がびっくりした。二人にとってエルセティア姫というのは、本当にとても大切な友人だったのだろう……
それはともかく、そうやってアルヴィーロ氏が失脚してしまったら、もはや対レイモン戦において影響力を奮うことができなくなるということだ。
それはレイモンにとってもまずい話だった。
何故なら結局レイモンも都を力押しで落とせるほどの兵力は投入していなかったからだ。そんな兵力を投入したら当初の大方の予想通りに背後ががら空きになってしまう。
レイモンの作戦もまたアルヴィーロ氏の内通に完全に依存していたのだ。
こうなってしまったらレイモンは一体どう出るだろうか?
大人しく撤退する可能性もあるが、ここまでの事をやってしまったのだ。単なる無駄手間以上の様々な悪影響は不可避だ。
何しろレイモンは、今まではある程度中立の立場にいた白銀の都を完全に敵に回してしまったのだ。
しかもそうやって突っかかってはみたものの、結局何もできずに逃げ出したという形になるわけだ―――これではレイモン王国という国の威信に大きな傷がついてしまう。
レイモンはこの何十年かで急成長した国家だ。少なくとも国内にはまだ旧ウィルガ王国やラムルス王国の残党も残っているという。
そこにレイモン軍が都を攻めて歯が立たずすごすご引き返したとなると、今まで大人しくしていた彼らはどう考えるだろうか?
すなわちこのままだと国家戦略上の致命的な失敗になりかねないのだ。
レイモンだってそのことに気づかないわけがないだろう―――ならば、なりふり構わずに何が何でも元を取りにやってくる可能性は高いと考えるべきだ。
だとしたら彼らはどうするか?
そういった場合に一番ありそうなのが、相手の頭を直接取りに来ることだ。
頭とは、それはすなわち―――大皇の首だ。
大皇が倒されたらそれこそ都はパニックに陥るだろうし、もし生きたまま拉致でもされよう物なら様々な意味で都は終わりだ。
アルヴィーロ氏は果たしてそこまでするだろうか?
如何に追いつめられていたとはいえ、さすがに都を売るような真似はしないのでは? という観測もあった。
しかし結局の所アルヴィーロ氏は『それほどまでに追いつめられていた』のだった……
当然ながら彼の行動は子細が監視されていた。だから彼のその後の行いは、もはやすべてが大皇側に筒抜けだった。
その数日後、彼は銀の塔に召喚を受ける。そこで幾多の証拠を突きつけられ、全てが終わっていたことを知ったのだ。
事を穏便に済ませたければ、それで全てが片付いたとしても良かったかもしれない。
だが、都にも意地という物がある。いいように振り回されていたばかりでは面子が立たない。
だからレイモンには少しばかりお返しをしてやろうということになったのだ。
―――それが今回の夜会だった。
アルヴィーロ氏は立場上、大皇や大皇后の消息を掴みやすい。そのため警備が手薄な時と場所を敵に知らせることも簡単だ。
そこで彼にレイモンの部隊を今晩の夜会に招待するよう、手はずを整えてもらったというわけだ―――もちろんそういった客を相手にするには、都の貴族では少々手に余る。そのため彼らのホストとして選りすぐりの兵士達が指名されていた。
だが何分急な話である。完全に信頼できて、なおかつ腕の立つ兵士を揃えるのはなかなか大変だった。
しかも女性のいない夜会など普通あり得ない。だがそんな女性となると更に数が少ない。
そこでアウラやリモン、それにメイ達も作戦に参加することになったのだ―――というより、こちらから思いっきり売り込んだという方が正しいが……
《リモン……》
メイはルカーノの遺体の側で一言も喋らずにじっと座っていた彼女の姿を思い出した。
彼女にとっても他の仲間にとっても、これは弔い合戦以外の何物でもない。
こうして彼女達はレイモンの刺客を迎え撃つべく待ち構えているのだった。
―――というわけで回り回ってエルノンの奥方のパニックに結びついてしまうわけだが……
まずその理由の第一は、この夜会は表向きは本当に大皇がプライベートに客を招いて行う夜会だったということだ。
すなわち大皇や大皇后本人がこの場に居合わせているのだ。そんなところに招かれるというのは、当然都の貴族達にとっては極めて栄誉なことだ。
もちろん一般的にはこのような罠を仕掛ける場所に大皇本人がいたりするのは危険だ。当然ながらそのことに関してはさすがにずいぶん議論された。
しかし敵はアルヴィーロ氏経由以外にもスパイを送り込んでいる可能性がある。いわばどこから情報が漏れるか分からないわけだ。大皇達を別の場所に避難させていたらそちらが狙われてしまった、などとなっては元も子もない。
ならば場所は同じにしていたほうが警備しやすいだろうということで、今回のようなやり方になったのだ。
そして理由の第二は、このエルノン氏の家柄の問題だ。
要するに彼はエルノン一族の中でも傍系で、平たく言えばかなりの格下の家柄だったのだ。
すなわち大皇本人からの家宛の招待状さえ来るはずがなかったところに、唐突に名指しで招待されてしまったのだ―――そんなわけで奥方が出がけに緊張のあまり気分が悪くなってしまったらしい。
実際この夜会に招かれた客人達は多かれ少なかれ面食らっていた。
夜会というのは様々な理由で開かれるが、呼ばれる客は同じ一族同士だったり、友人同士であったり、派閥関係であったりと、選ばれるメンバーにはそれなりの意味がある。
だがこの夜会に呼ばれた客人達にその“意味”を見いだせた者はいなかっただろう。
本当に彼らの常識からしたらおかしな取り合わせだったのだ。
一族も別々だったし、初めて顔合わせする同士もいる。職業も都でのポストも様々だ。そんな家に何故か唐突に大皇からの名指し招待状が来たのだから……
しかし彼らは面食らってはいたが、不審に思っている者はいなかった。
というのはその招待状には『仮面をご持参下さい』と書かれていたからだ。
その一言でみんなは納得した―――すなわちこれは多分何かのサプライズパーティーなのだ。行ってみれば分かるだろうと……
都の貴族の間ではそういった趣向は頻繁に行われていたので、今回もその類だとみんな信じていたのだ―――まあ実際その通りなのだが……
だから招待者の間では組み合わせは籤などで適当に決められたのでは? ということに落ち着いていた。
だがその点はちょっと違っていた。
今回の夜会では替え玉になる者の方が先に決まっていたため、後からそれに合わせて体格が似ているカップルを選び出したのでこうなってしまったのである。
すなわちエルノン夫妻が招待されたのは、エルノン氏の体格がデルフィーノ氏に、奥方の体格がメイにそっくりだったためだった。
《このドレス……ぴったり……》
実際にメイが今着ているのはエルノンの奥方のドレスなのだが、全く直し無しでぴったりと体にフィットしている。胸のあたりまで……
最初この話を聞いて何をバカなことをと思っていたら、都中の姫君や奥方の身長やスリーサイズをきっちりと把握している者が本当に存在しているのだから―――ある意味都は本当に恐ろしい所だ……
「どう? あなたも召し上がる?」
そんな感慨に耽っていると、初老の婦人がグラスを差し出してきた。
ワインのように見えるが、もちろんアルコールは入っていない。
「ありがとうございます」
メイはグラスを受け取った。
彼女はルウさんだ。パミーナのお母さんで、以前一度泊めてもらったときにごちそうになったことがある。
何でも大皇后様に昔からお仕えしていたそうだ。だから彼女がパミーナに話を聞いて自分もと志願して来たときは大皇后もずいぶんと渋ったらしいが、結局押し切られてしまったという。
確かに今の彼女は文字通りに命がけの仕事の最中なのだが―――メイは妙に緊張感が湧かなかった。
何しろ今、周りにいるのは都とフォレスを代表する手練れ中の手練れの一団なのだ。その上……
「マジ? ジュースしかないの?」
「当然でしょう? 何考えてるんですか!」
彼女の後ろの方でぶつくさ文句を言っているのはファシアーナで、たしなめているのは当然ニフレディルだ。
この人達は性格はともかく、その実力は都の、ひいては世界随一の魔導師だ。メイも何度か図らずしてその片鱗を目撃したこともあるわけだが……
ともかくあのときの孤立無援さに比べれば、まさに大船に乗っているようなものなのだ。
そのときバルコニーの上から聞こえてくる音楽が舞曲に変わった。
それを聞いてそれまではあちらこちらに散らばっていた客人達が、カップルになって踊り始める。
「それではお手を拝借してよろしいですか?」
そう言ってやって来たのはデルフィーノ氏だ。
ダンスなんて――― 一応王女の秘書官である以上、こういう場に出ることもある。だから少しは練習してきたのだが……
《やはり何というかこう、柄じゃないわよねえ……》
村祭のフォークダンスとかならまだしも―――などと言っている訳にはいかない。今の彼女は夜会に出ている貴族の奥方なのだから……
「はい。喜んで……」
メイはデルフィーノの手を取ると一曲踊った。
彼のリードが上手かったこともあって、とりあえず相手の足は踏まずに済んだが―――ほっとしたところに周囲から歓声があがる。
見ると今度出てきたのはアウラだ。
彼女とペアを組んでいるのは初老の紳士だ。ハルムートという大皇后家の警備隊長だというが―――この二人のダンスは見事という他はなかった。
あたりからため息が漏れる。
「すごいわねえ……」
横にやってきた女性の言葉にメイも思わず相づちを打ったが……
「そうですねえ……って! 王女様?」
間違いない! 来たのはエルミーラ王女だ。仮面を付けていようとメイが間違うはずはない。
「あはは。ちょっと来ちゃった」
「ちょっとじゃないです! 何してるんですか! 危ないから下がっていて下さい!」
「だって、上は大変なのよ?」
「それはそうかもしれませんが……」
本来の客人達は今、屋敷の中の結構狭い一室に閉じ込められている状態だ。王女はそこで彼らの相手をするのが役目だったわけで、それが大変なことはよく分かるが……
「分かってるって。すぐ戻るから」
王女は微笑むと近くにあった盆からグラスを取って一口啜るが、それがジュースだと気づいてちょっと顔をしかめた。
《まったくもう……》
計画の当初はエルミーラ王女までが下に参加すると言って駄々をこねられて大変だったのだ。
大切な部下を失って黙っておけるわけがないと―――その気持ちはよく分かるのだが、さすがに一国の王女にそんな危ないことをさせるわけにはいかない。
やっとのことでなだめすかして上にいてもらうことにしたのに、これでは意味がないではないか!
「ともかくそれを召し上がったら上に……」
そのときだった。誰かが叫ぶ声が聞こえる。
メイがその方を見ると、森の中からばらばらと武装した男達が現れるのが見えた。
「あ!」
メイは王女と顔を見合わせた。何というタイミング!
「えーっと……」
王女をどうするか? このまま一人で戻らせるのはまずい! それならば―――ここが一番安全なはずだ!
「王女様はパミーナさんの側にいて下さい」
「分かったわ」
その瞬間だった。庭園のあちこちに立てられていた篝火がいきなり明るく燃え上がったのだ。
その光に、侵入してきた男達と、その前に薙刀を構えて立ちふさがっている二人の女性が浮かび上がる。
同時にその周囲を固めるように、男達も隠し持っていた剣を抜いた。
侵入してきた男達は明らかに動揺した。
「皆様、いらっしゃいませ。本日は私どもの宴にようこそ!」
頭上からメルファラ大皇后の声がする。
見ると彼女が大皇と共にバルコニーの上から見下ろしていた。
「くそ! 罠か!」
侵入者の一人がつぶやくのが聞こえた。
「それではゆっくりしていって下さいな」
それと共にBGMがドラマティックな戦いの音楽に変わる。
次いでそれに合わせるかのように周囲の篝火がひときわ明るく輝いたかと思うと、その中から何かが次々に出てきたのだ。
「ええっ?」
見ていたメイも目を疑った。
出てきたのは何というか―――空を飛ぶ巨大な輝く蛇だ。それが何匹も現れると、いきなり侵入者達に襲いかかっていったのだ!
蛇が侵入者の一人に巻き付いた瞬間、その男は火だるまになった。男の断末魔の悲鳴が響き渡る。
同時に他の蛇たちも残った男達に襲いかかっていく。
メイと王女が振り返ると、ファシアーナとニフレディルが二人で並んで立っている。
ファシアーナは黙って腕組みしており、ニフレディルは胸の前で手を組んでいる。
間違いない! この二人の仕業だ!
それは侵入者達の士気を挫くのに十分だった。
「退け! 退け!」
侵入者の一人が叫んだが、そのときには彼らの退路は待ち伏せていた兵士達によって塞がれていた。
「勝負あったわね」
王女のつぶやきにメイも同意しようとしたときだった。
侵入者達はいきなり全員で包囲網の一カ所に突進したのだ。
「あっ!」
包囲が完成した後ではもう遅いが、今はまだ隙があった。それを逃さずに突いた相手を褒めるべきなのだろう。
その場所で敵味方入り乱れた乱戦になる。これでは魔法の援護も難しい。
とは言っても多勢に無勢だ。残りの兵士達が加勢に行き着くと、大部分の侵入者達は降伏するしかなかった。
だがその前に数名の侵入者が脱出に成功した。
「逃げたぞ!」
「追え!」
味方の兵士達が口々に叫ぶ声が聞こえる―――ところがその中にアウラの叫びが混じっていた。
「リモン! だめよ!」
メイと王女は顔を見合わせた。
今日の作戦に臨んでリモンはものすごく気合いが入っていたように見えたが……
途端にエルミーラ王女が声のした方に向かって走り出した。
「え? あの?」
メイは一瞬何が起こったのか戸惑ったが―――もちろん彼女はリモンのところに向かおうとしているのだ!
「王女様! お待ち下さい!」
メイも慌てて後を追う。
行く先の戦いはまだ終わっていない。危険なんて物ではない!
だが王女に比べてメイはこのようなドレスを着慣れていなかった。そのため裾を踏んで思いっきりつんのめって転んでしまったのだ。
《うわーっ! 綺麗なドレスがーっ!》
などと考えている余裕はない。
「どうした! メイ!」
ロパスの声がする。
「王女様が!」
メイが指した方を見ると王女が森に駆け込んでいくのが見える。
ロパスが慌ててその後を追う。
メイも慌てて立ち上がると、今度は王女がしているようにドレスの裾を持ち上げながら全力で走った。
幸い森の中は手入れが行き届いていて下草などもなく、あちこちに篝火も立てられていたので王女を見失わずに済んだ。
「王女様ーっ!」
二人は王女に追いつくと、ロパスが彼女の腕を取った。
「離してよ! リモンは?」
「落ち着いて下さい。私が探します。王女様は下がっていて下さい」
「でも……」
見ると王女の顔は涙で崩れている。
彼女はルカーノを失ったことに対してかなり落ち込んでいた。ここでリモンまで失ったら―――などと考えたら居ても立ってもいられなかったのはよく分かるが……
「王女様が怪我されたりしたら、元も子もありませんから!」
メイがそう言ったときだ。少し離れた木立の向こうから剣戟の音が聞こえてきた。それに女声が混じっているが―――間違いない! リモンの声だ。
三人は顔を見合わせた。
「とにかく私から離れないで下さい」
ロパスの言葉にメイと王女はうなずく。
三人がその場に駆けつけたときには、戦いは既に終わっていた。
地面には二人の男が倒れている。
篝火の下で立って話しているのは―――リモンともう一人誰かが……
「……お前、バカか? 一人で突っ込んでんじゃないよ?」
「ごめんなさい……」
その声を聞いてメイは思わず手を口に当てた。
《この声は……フェーゴさん?》
メイ達がやって来たのにリモンが気づく。
「あ、メイ、王女様? どうしてこんな所に?」
その言葉に男が振り向いた。
メイはその男の顔を見て確信した。間違いない。彼はフェーゴだ!
「リモン! その人って……」
「ええ。何だかまた助けて頂いて……」
リモンがばつが悪そうに答える。
メイも少し呆れて尋ねた。
「何でフェーゴさんがここにいるんですか?」
だが彼はそれには答えず、メイの後方をじっと凝視している。
振り返ると―――その視線の先にはエルミーラ王女の姿があった。
メイは納得した。当然だ。いきなり王女が現れたりしたら普通は驚くに違いない。
そこでメイは王女に言った。
「あ、お話ししていた方です。あの人が私達を助けてくれたフェーゴさんです」
「すみません。ちょっと興奮してしまって……」
リモンもそう言って王女に頭を下げる。
メイは安堵のため息をついた。
《全く無茶するんだから……》
いくら熱くなろうと、やはり一人で先行してしまうのは良くない。
実際、今また彼に助けられていたみたいだし、せっかく助かった命が無駄になるところだったかもしれないのだ。ここはやっぱりがんと叱ってもらわないとまずいだろうか?
………………
だが、妙な沈黙が場を支配していた。
《ん?》
王女は何も答えない。一体どうしたのだ?
よく見ると―――何故かエルミーラ王女が体をわなわなと震わせているのだが……
《どうしたのかしら?》
リモンが一人で突っ込んだのがそれほど気に障ったのか?
―――だが次の瞬間彼女の口から出た言葉は、全く違った物だった。
「その子から離れなさい!」
王女がフェーゴに向かって言った。何故かひどく冷たい口調だ。
「え?」
メイとリモンは驚いて王女の顔を見る。冗談を言っている表情ではない。
振り返ってフェーゴの顔を見ると―――彼の顔には妙な笑みが浮かんでいる。
それから再び王女が言った。
「その子から離れなさい! フェデルタ!」
………………
…………
……
え?
今、王女は何と言った?
メイは王女の顔を見る―――驚くほど真剣な表情だ。
フェデルタ? フェデルタだって?
フェデルタって―――あの王女拉致事件の実行犯の親玉だった、あのフェデルタか?
「お久しぶりでございますな。エルミーラ様」
メイは驚いて振り返る。
この答えは一体何だ? それってまさか―――本当に?
そのとき後方からアウラの声がした。
「そこにいるのはミーラなの?」
アウラはその場にやってくると少々息が上がった声で言う。
「リモンはこっちに……」
そして彼女はリモンとその後ろにいるフェデルタに気がついた。
途端に彼女の表情が一変した。
「おまえ……」
いきなり彼女はフェデルタに斬りかかろうとした。
途端にフェデルタがアウラの方にリモンを突き飛ばす。よろけたリモンをアウラが避けている間に、フェデルタは姿を消していた。
「追いなさい!」
王女の声に従ってアウラとロパスが逃げたフェデルタの後を追う。
だが次の瞬間……
「早く!」
「おう!」
森の中からそんなやりとりが聞こえたかと思うと、木々の間を抜けて二人の人影が飛んでいった。
どうやら魔導師が仲間だったらしい。
残されたアウラとロパスは地団駄を踏んだ。
だがこの状況ではもうどうしようもない。
すごすごと帰ってきた二人を見て王女は地面を蹴りとばした。
そしてリモンを睨みつけると吐き捨てるように言った。
「どうしてあんな奴と一緒にいたの!」
それを聞いた途端に、リモンの目がかっと見開かれる。
それから彼女は膝から崩れ落ちるようにして王女の前で両手をつき、地面に頭をこすりつけた。
「申し訳ございません……申し訳ございません……」
やがてその言葉には嗚咽が混じり、やがてただのうなり声のようになっていく。
そのときメイは気がついた。
《違うでしょ! 何してるのよ! あたしは⁉》
メイは慌ててリモンの側に跪いて彼女の肩を抱く。
「違います! 王女様。リモンは悪くありません! どうしてそんなことおっしゃるのですか?」
その途端、王女ははっと我に返ったように二人を見つめた。
それから慌ててリモンの前にしゃがみ込む。
「そうよね……ごめんなさい。そうよね。あなたは知らなかったんだし……」
だがリモンには何も聞こえていない。
「リモン! ごめんなさい!」
王女がリモンを抱きしめる。リモンが泣き崩れた顔を上げて王女を見つめる。
「申し訳……ございません」
「もういいのよ。大丈夫?」
そう言って王女がリモンを立ち上がらせると―――リモンは人形のように従った。