エピローグ 裏切り者

エピローグ 裏切り者


 リモンが立ち直るまでにはしばらくの時が必要だった。

 無理もない。

 婚約者を失ったというだけで普通ならば十分なのに、その後たった一人でメイ達を守るために戦い、味方だと思って信頼した男はフォレス王家にとって―――それだけでなくアウラとリモン本人にとっても最悪の仇だったのだ。

 何しろアウラの胸の、そしてリモンの背中の傷を付けた張本人こそが、このフェデルタだったのだから……

 だが実際、彼がいなければメイ達の生還が不可能だったというのも事実だ。

 それにメイが実際に関わってみた印象では、決してあの男は邪悪な存在ではなかった。

 確かに抜け目なく、あるときは残忍と言ってもいい。

 だが別なところでは妙に間抜けな面もあったし……

 それが全て見せかけだったと考えることもできるが―――だがあのときパニックになったリモンを立ち直らせた言葉は、決してまやかしではなかったと思う。

 そして別れの瞬間、御者台への小窓越しにフェーゴを見つめていたリモンの瞳には、既に特別な気持ちが込められていたのではないだろうか?

 だとすればこそ、その裏切りは彼女の心を深く深く傷つけてしまったわけで―――いや、考えてみればこれは裏切りでさえなかった。

 出会ったときからフェデルタは自分は『敵の敵だ』と言っている。そして最後まで、彼女達に死なれたら自分の目的のために困るという立場を崩していないのだ。

《でもそれだったら……どうしてあそこにいたんだろう?》

 離宮の戦いで、リモンが一人突出した現場にどうして都合良く彼は現れたのだ? 王女やアウラに見つかったらそれこそ思いっきりまずいというのに……

 フェデルタにとって離宮の様子を陰から見張る必要はあったかもしれない。

 だがそこでリモンが危なくなっていたからといって、助けに入る必要性はあるのだろうか?

 あのときとは違って、もう関係ないと思うのだが……

 こればかりは当事者に聞いてみるしかないが―――リモンには口が裂けたって訊くわけにはいかなかった。

 メイ達はリモン自身が立ち直るのをただ見守っていくことしかできなかった。

 ある意味幸運だったのは、そうするだけの休息期間を取ることができたということだ。

 メイとリモン、そしてパミーナの活躍によりハヤセ・アルヴィーロ氏の野望は潰えた。

 彼は最後のレイモンの大皇拉致計画を阻止することに協力したため、処刑されるようなことはなかったが、当然のことながら都での地位は完全に失った。

 その結果、レイモンと都の間の戦線は完全に膠着状態になった。

 もしかしたら都から打って出たら簡単に敵を蹴散らせていたかもしれないと思うのだが、主戦派のハヤセ氏を失った今、マグニ氏率いる穏健派が主流になってしまったため、このまま敵が帰って行くの待つことになってしまったからである。

 確かにもう少ししたら冬だ。そうなればレイモンも引き上げざるを得ないだろう。戦闘をすれば何だかんだで被害が出るのは間違いない。そういう判断も有りだとは思うが……

 だがそれも長くは続かなかった。

 というのは、レイモンの背後で小国連合が動き出したという報告が入ったからだ。

 これは王女達も想定していたことだが、それを聞いたレイモンはついに撤退せざるを得なかった。

 こうしてレイモンの都侵攻作戦は完全な失敗に終わったのだ。

 しかしうかうか喜んでもいられなかった。

 何故ならその意味することは、中原で本格的な戦争が始まってしまったということに他ならないわけで―――フォレスに帰るにはアイフィロスを通っていかねばならないが、今はそちらでレイモン軍とアイフィロス軍が睨み合っているという。

 これではそこを通過するわけには行かない。しかもやがて冬だ。

 そんなわけで結局エルミーラ王女一行は、少なくとも翌年の春までは都に留まらざるを得なくなったのだ。

 そこで大皇家が用意してくれたのがジアーナ屋敷だ。ジークの家の全盛期、伝説のミュージアーナ姫を住まわせるために贅を尽くして建てた宮殿だ。

 別にそこ以外でもいくらでもゆっくり滞在できる場所はあったのだが、大皇后がそこを使わせてくれた理由は、彼女と大皇がメイ達の活躍に心底感謝してくれていたためだった。

 メイ達の活躍については結局いろいろな政治的理由があったため公にされることはなかった。

 もちろんメイ達にとってはどうでもいいことだったが、大皇后はそうできなかったことをかなり気にしていたらしい。

《あんなすごいブローチもらってそれ以上なんて……》

 そこでメイとリモン、それにパミーナの三人はあの活躍の褒美にと、内々で大皇后から素晴らしいご褒美をもらっていたのだ。

 メイはには巨大なサファイアの、リモンには同じく巨大なルビーの、パミーナには巨大なエメラルドの填った素晴らしい細工のブローチだ。

 こんな逸品はエルミーラ王女でさえ幾つもは持っていないという代物だ。

 その上ジアーナ屋敷にまで住まわせてもらえるわけで―――しばらくはまるで夢のような生活だった。

 だがそういうことには結構すぐ慣れてしまうものだ。

 ジアーナ屋敷がいくら広いとは言っても、一ヶ月も探検していればさすがにおおむね見てしまえる。

 やがて雪の季節がやってくると、もう簡単には外出もできなくなってくる。

 そうなればまたいつもの冬越しだ。

 部屋の中での少々退屈だが平穏な日常―――まあ、今回はアウラの坊やの世話が大変なのだが……

 なにしろ母親に似たのか大変活発な赤ん坊で、油断しているととんでもないところに潜り込んでいたりして、そうなるとジアーナ屋敷は広い分始末に悪い。

 それに大皇后やファシアーナ、ニフレディル、それにクリスティなどの退屈しない客人も多いことだし―――そんな適度に騒がしい環境の中で、リモンはゆっくりと心の傷を癒すことができたのだった。

 正月頃には彼女はすっかり元気になった。

 とはいっても何もかもが以前と同じになったわけではない。

 彼女の場合、何だか急に大人びたような、すごく落ち着いた雰囲気を身につけていた。

 そのためかどうかは分からないが少なくとも一つ、みんなを驚かせる出来事が起こった。

 その日は久々にアウラとリモンが、ジアーナ屋敷のホールで薙刀の手合いをしていた。

 季節は真冬だ。屋敷の外は雪で真っ白だ。

 こんな時はいつもは部屋の中で読書でもしているのが普通だが、ジアーナ屋敷は中で運動会ができるほど広い。おかげでアウラ達は運動不足にならずに済んでいた。

 その戦いの始終をメイは見ていた。

 メイや王女達にとってそれは格好の暇つぶしだったこともあるが、リモンにとっては復帰第一戦だ。体がなまっていて怪我しないかちょっと心配だったためでもある。


 ―――その戦いが始まった瞬間、メイは何かいつもと違う感覚を覚えていた。

 何が違うのかすぐには分からなかった。特にここ最近はリモンが寝込んでいたせいもあって調子が出ないのかと最初は思った。

 だがやがてその違和感の理由に気がついた。

 二人の対戦を見るときは、これまでは側にいるだけでその気迫がびりびり伝わってきて、見ているこちらまで熱くなってきたものだ。

 そしてリモンはいつも炎のようにアウラに向かっていった。メイはそれがリモンのスタイルだと思っていたし、彼女は誰と戦ってもそんな調子だったのだから……

 だが今の二人の間にはそんな熱気がない。なんだかひどく―――静穏な雰囲気なのだ。

《リモン、やっぱり調子が悪いのかしら?》

 二人が対峙してからも妙に間が長い。いつもならすぐにリモンから仕掛けていくのに、今日は動こうとしない。

 だがアウラの方も同様だった。

 彼女の場合は自分からはすぐには仕掛けないのだが、相手が出て来なければ自分から動いていく。

 だがその彼女もじっと動かずにリモンの姿を凝視している。

《この感じ……なんだろう?》

 そのときふっとリモンが動いた。

 次いでぐんと加速するようにアウラに向かって打ちかかっていく。

 アウラも同時に反応してリモンの薙刀を打ち落とそうとするが―――二人の間で薙刀の風切り音が聞こえる。そしてすれ違いざま……

 

 ゴスッ

 

 そんな鈍い音がした。

 あたりは静まりかえった。

《今の音は……》

 メイは思わずリモンの姿を見る。だが彼女は薙刀を振り抜いたままの姿で立っている。

 がくんと膝をついたのはアウラの方だった。

《えっ?》

 アウラとリモンの手合わせでこんな感じの怖い音がするのは決して珍しくはなかったが、交錯後にアウラがうずくまったのを見るのは初めてだった。

 驚いたようにリモンが振り返る。

「あの、大丈夫ですか?」

 アウラは驚いたようにリモンを見上げるが、やがてにっこりと笑った。

「ちょっと……痛いかな……」

「あの……」

「大丈夫だって」

 そう言って立ち上がりつつも、彼女の顔には苦悶の表情が浮かんでいた。

「リモン! すごい! もしかして初めて?」

 メイは思わず声をかける。それを聞いてあたりにいた親衛隊員達が歓声をあげる。

 ここにいる者達はみんなアウラには痛い目に会わされていたからだ。

《それにしても……》

 いったいどうしてしまったのだろう?

「じゃ、続き行こうか?」

 そう言ってアウラがにっこりと笑う。

「え? 大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。このくらい。リモンだっていつもそうだったでしょ?」

 それを聞いてリモンも微笑んだ。

「それでは……お願いします」

 その後の二本は結局アウラが取り返したが、明らかにアウラは本気だった。

 そしてそれも決して楽に取ったのではないということはメイの目からも明らかだった。

 いったい彼女の中で何が起こったのかは分からなかったが―――メイはちょっと置き去りにされた気分だった―――


 それを機にリモンは親衛隊の紫章メンバーに昇進した。

 紫章とは親衛隊内でも特に優れた者に与えられる地位だが、先日の働きに加えて、アウラに薙刀を持たせて一対一でまともに一本取れた者はフォレスやベラを含めても何人もいないのだから、もちろん文句のある者がいるはずもなかった。



 と、こんな感じで王女達は比較的平穏な日々を過ごしていたのだが、その間、中原での戦局は風雲急を告げていた。

 王女達を含め誰もが、間違いなく戦いは長引くと予想していた。

 小国連合の総勢力とレイモンの勢力は拮抗している。互いにそう簡単に決定的な戦果をあげられるはずがない。

 だがその予想はこれまたあっさりと外れてしまったのだ。

 というのは、レイモンの背後から侵攻してきた小国連合の一国であるアロザール王国が、秋口には一気にバシリカを陥とし、それから三ヶ月もしないうちにレイモンの首都アキーラまで陥落させてしまったのだ。

 翌年の二月のことである。

 すなわち―――レイモン王国は崩壊したのだ。

 リモンが昇進してから約一ヶ月後のことであった。

 都に籠もっていた王女達にとっては何が起こったのかさっぱりだ。誰もがこんな早い決着は想像さえしていなかった。

 だが理由はともかく一つ明らかなことは、これで中原は安全になったということだ。

 そこで王女一行は雪解けを待ってフォレスに帰る支度を始めた。

 だが時と共に錯綜していた情報が段々とまとめられてきて、アロザール王国がどうやってレイモンに勝ったかが分かってくると、何だか喜んでばかりもいられなくなってきたのだ。

 そこにはどうも何らかの大がかりな魔法が関与していたらしい。それによってレイモンの兵士達が動けなくなり、そのためアロザール軍に蹂躙されてしまったというのだ。

 そして報告によれば、バシリカやアキーラでは大虐殺と言える事態も発生していたらしい。

 これは一体どういうことなのだ?

 もちろんメイや王女に分かるはずがなかった。

 彼女達の知る範囲において、フォレスやベラ、エクシーレでもそのような魔法が使われたり開発されたという記録はない。銀の塔の魔導師達にもアロザールの使った魔法がどのような物だったかさえ分からなかった。

 これがかなりまずいことなのはメイにも想像がついた。

 今までの世界各国は都派とベラ派に二分されていたわけだが、それが均衡を保って来られた大きな理由は、ある意味都とベラが互いの手の内をよく知っていたからに他ならない。

 だがその両者が知らない魔法があるらしいのだ。

 もしそれが事実だとしたらアロザールは“第三の魔導源”を手に入れたということになるわけだが……

《第三……の?》

 そんなことになったらこれからの世界勢力図は一体どういう事になってしまうのだ?

 だがその問いに回答を与えてくれる者は誰もいなかった。

 いずれにしてもこれ以上はメイ達の手に余る話だ。ならば何はともあれ彼女達は早急にフォレスに戻らねばならない。

 その出立の迫ったある日のことだった。



 その日、エルミーラ王女達のところにまた大皇后が訪ねてきた。

 彼女は冬の間よく遊びに来てくれたのだが、今日はなんだか様子がおかしかった。

「これはいかがなされました? ファラ様?」

 エルミーラ王女が尋ねるが、大皇后はひどく取り乱した様子で首を振る。

 それから彼女は王女に一通の書状を手渡した。

「それが……まずはこれをお読みになって下さい」

 見ると国家間の親書で使われるような高級な形式の書状だ。

「一体どうされたのですか?」

 訝しげなエルミーラ王女がそれを手にして読み出すが、読むうちに段々表情が険しくなり、最後に唐突に目を見開いて体を震わせたかと思うと、アウラに向かって手招きした。

「ちょっと……これ……」

「どうしたの?」

 不思議そうな表情のアウラがそれを受け取って読んでいくが、同様に険しい顔になった挙げ句、最後は呆然となって手紙を取り落としてしまった。

 側にいたメイは慌ててそれを拾ったが、読んでいいのかどうか―――そう思って王女の顔を見ると、王女は青ざめた顔で軽くうなずいた。

 そこでメイもその手紙を読んだ。

 それはアロザール王国の国王から白銀の都の大皇に宛てた公式書状だったが、それにはこう記されてあった。

親愛なる白銀の都に御座すカロンデュール大皇殿


 大地をあまねく照らす白銀の輝きが永遠なるように。

 さて先年、今は無きレイモン王国が白銀の都の大皇殿の大いなる権威に抗って挙兵という暴挙を行ったことは記憶に新しい所と存じあげる。

 幸いレイモンの野望は挫かれ、都が戦禍に晒されずに済んだのはまことに幸運なことであったと存ずるが、かくなる結末を迎え得た背景には、我が国を含む小国連合各国がレイモンの背後から侵攻し、各国将軍及び兵士達が命を賭して戦ったからに他ならないのは明らかであろう。

 この戦いにおいて我がアロザール王国の同胞達が、バシリカ城塞及び首都アキーラを陥落させたということが、レイモンという凶悪な敵を滅ぼすための最大の功績となったと自負しているわけであるが、このことは大皇殿にも必ずや認めて頂けるところであると信じている。

 もちろん戦いにおいては勝利を得たといっても、その痛みから逃れることができない。すなわち我が国も勝利するためには幾多の犠牲と流血を強いられざるを得なかった。

 であるからして、我らがこの勝利に関して大皇殿にささやかな報償を望んでいるということについても必ずやご理解が頂けることであろうと信じている。

 我がアロザール王国は、白銀の都との永遠の平和と共栄を望む物である。従って両国の絆を深め、その未来への礎となり得るよう、我が国の次の世代を担う愚息アルクスの妻としてメルファラ大皇后殿を頂きたいと所望する次第である。

 なお、シーガルへ来て頂く際には大皇后殿の古くからのご友人、ル・ウーダ・フィナルフィンを迎えに上がらせようと考えている。

 良いご返事を期待している。


アロザール王国王ザルテュス

 読み終わってメイの顔からも音を立てて血の気が引いていくのが分かった。

「メイ殿?」

 今度は不思議そうにロパスが彼女の顔をのぞき込む。

 そして彼女から手紙を受け取ったロパスが今度は真っ青になり―――と、その場の一同は手紙を回し読みしながら順番に蒼白となっていった。

 読み終えてしばらくは誰も口を開かなかった。

 メイの頭の中でからからと何かが回っている。

 ちょっと待て!

 一体全体何が起こっているのだ?

 どうしてそんな書状にフィナルフィンの名前が載っているのだ?

 そしてその内容たるや……

 確かに今回の戦役において、アロザールが抜群の成果を上げたのは間違いないが……

 だからといってこんな要求をしてくるなんてあり得ないだろう? 普通?

 せめて未婚の娘がいたとかいうならともかく―――大皇后をいきなり寄こせとか、非常識極まりない!

 いや、そういえば昔の歴史の本ではそんな話があったような気もするが―――いや、おとぎ話じゃないんだし、一体全体、ああ! もう何が何だか分からないっ!

 すすり泣きが聞こえてきた―――見るとアウラだ。

 アウラは大皇后の前に跪くと床に涙をこぼした。

「ごめん……ファラ、ごめん……」

「アウラ……」

 大皇后も何をどうしていいか分からない風だ。

 アウラは泣きながら言った。

「あいつが……こんな悪い奴だって知らなかったから……ごめん……今度見つけたらあたしが……あたしが絶対責任とって……ごめん」

「アウラ。だめよ」

 今度はエルミーラ王女が彼女の肩を抱くようにして言った。

 アウラが振り返る。王女の顔には冷たい怒りが覗いている。

 王女は首を振った。

「だめよ? いきなり斬らないようにね。まずは何でこんなことしたか吐かせてからじゃないとだめよ?」

「うん……」

「それからよ? それからだからね?」

「うん……」

 王女の言葉にアウラは泣きながらうなずいた。

 それからって―――王女は慰めてるのか煽ってるのかよく分からないが……

 とは言っても、メイにだって慰め方が分かるわけではなかった。


シルバーレイク物語 王女の休日 完