キケンな出世街道 第1章 シーガルへの道

キケンな出世街道


第1章 シーガルへの道


 大平原地帯の南部の街道上を、アロザール王国の首都シーガルに向けて一台の馬車がひた走っていた。

 屋根付きの長距離用で―――メイだったらベルリン型だと即座にコメントしたことだろう。

 その中には三人の男が顔を付き合わせて座っていた。

 一人は三十代半ばくらいのやや小柄な男、もう一人は少しやせ気味の二十代の男、最後の一人は顔立ちの良い少年だ。

 だが彼らはあまり気の合った仲間というわけではないようで、馬車の中には気まずい沈黙がずっと流れていた。

《どうしてこうなっちゃったんだよ……》

 その中の一人、フィナルフィンは心の中でつぶやいた。

 多分そう考えたのはもう優に千回は越えていると思うが―――フィンは力ない笑みを浮かべると馬車の窓の外を見る。

 外には長閑な田園地帯が広がっていたが、現在は茶色っぽく寒々と枯れた田畑が広がるだけで、あまり生きて動いている物も見えない。

 その先には時々岩がごつごつした山が見えることがある。そういった唐突に現れる岩山群は北部では珍しかったが、アロザール王国領内のこの地方ではよくある光景らしかった。

 岩山の上には時たま古い城が建っていることがある。

 もしこれがアウラと来ていたのであれば間違いなくちょっと見学していこうという話になったと思うが、今そんなテンションは全く上がらなかった。

 フィンは小さなため息をつくと再び同乗者を眺めた。

 前に座っているのはプリムスという男だ。

 彼とは結構な因縁があった。

 最初彼と出会ったのはエルミーラ王女拉致事件の起こる少し前、エクシーレとの小競り合いの顛末を報告するためベラに使節として赴いたときだった。

 その頃プリムスはベラの外交担当の大臣をしていたのだが、彼こそがベラ、フォレス、エクシーレ三国間の全面戦争にまで発展しかかったあの大陰謀の黒幕だったのだ。

 彼は正体を隠してベラに潜入して先代の首長グレンデルに取り入ると、彼とその息子のレクトール、それに彼の兄のガルブレスの暗殺に成功する。

 さらにはエルミーラ王女の誘拐事件を起こし、若い国長ロムルースを煽ってエクシーレやフォレスに戦争を仕掛けさせたのだ。

 本当に後一歩のところで東方世界は大戦乱の坩堝に叩き込まれていた。

 だがその事件はほとんど奇跡的に、どこもそれほど傷つくことなく収束できてしまったのだが―――もちろん細かい被害がなかったわけではないにしても―――その背景にフィンとアウラの尽力があったことは自他共に認める事実であった。

 すなわちその点において両者は相容れぬ仇敵の間柄だったのだが……

「フィン君。喉渇いてないか? もうすぐまた宿があるから、そこで一休みしていこうか」

 プリムスは気さくにフィンに話しかけてくる。

「え? まあ、そういえば……」

 フィンは軽くうなずいた。

 昼食を取ってから随分経っている。その申し出に異存はないのだが―――彼とこうして普通に会話していると妙に落ち着かない。

 当然のことながらフィンは、プリムスと話ができるようになると即刻セロの件について尋ねた。

 だが聞かれたプリムスは、にっと笑って……

『ああ、確かにありゃちょっと凹んだが、今は気にしてないから』

 と、それっきりなのだ。

 気にするなと言われても困るし、だからといって問い詰めるわけにもいかないし……

 プリムスはあの陰謀をフェデルタという仲間の剣士と実質二人で始めて、あそこまで仕上げていったらしい。それには長い期間と相当の労苦が費やされているはずなのだが……

《考えてみたらとんでもない奴らだよな……》

 たった二人で国家転覆を企てて、ほとんど成功しかかったのだから……

 彼らにとって色々と幸運な要素もあった。

 最後の最後にあんな大騒ぎになってしまったのは、ロムルースがプリムスの予想を遙かに超えた大暴走をしたためで―――しかしそれはベラ側にとってはある意味幸運だった。

 雨降って地固まる、というか、集中豪雨で山崩れが起きたらその下から古代遺跡の扉が出てきたというか―――そのせいでエルミーラ王女に完全なスイッチが入ってしまったのだ。

 あの戦い以降、王女は年の半分以上をベラで過ごしていた。

 彼女はそこでロムルースを引きずり回しながら各地を回っては国の立て直しを図っているのだが、その際には様々な指示を直接的に出していたりして―――どこをどう見ても内政干渉だ。

 彼女はロムルースと婚約さえしていない単なる外国の王女でしかなく、法的には何の権限もないのだ。

 だがそのあたりはもう結果オーライというか、特に王女が身籠もってしまってからは完全にうやむやになっている。

《ちょっとあれって……なあ……》

 あの騒ぎはいつ思いだしても呆然としてしまうのだが……

 それはともかく、もしそんな彼女の活動がなかったらベラは自壊していたかもしれなかった。そのような所にアドルト一族を凱旋帰国させるのが、プリムス達の最終目的だったのだろうが……

 そんな事情もあったので彼らの陰謀を潰したことに関しては、互いに済んだこととして手打ちにすることも不可能ではなかった。

 だが一点だけ、ちょっと簡単には妥協できない問題があった。

《こいつらがあの小屋で……》

 ―――そう。彼はかつてアウラを陵辱した二人の男のうちの一人だったのだ。

 フィンは目を閉じる。

 そうすれば彼はいつでも瞼の裏に彼女の姿をまざまざと浮かび上がらせることができた。

 その記憶の中でも最も鮮やかなもの。

 それは彼女の肩口から腹にかけての大きな刀傷だ。

 彼はその形や大きさだけでなく、その細かい手触りまでもはっきりと思い起こすことができる―――なにしろ夜二人で楽しむときには大抵、彼女のちょっと小振りだが形の良い乳房と共にその傷跡が目の前で艶めかしく揺れていたからだ。

《こいつらがあれを付けたんだ……》

 フィンの腰にも古傷があった。あの山荘でファラを守って戦って受けた傷だ。アウラの傷に比べたら全然大したことはなかったのだが、半端なく痛かった記憶がある。

 だがそれよりも大きかったのはアウラが受けた心の傷だった。

《ガルブレスの屍の横で……》

 それはフィンの想像を絶していた。

 彼とアウラが出会ったとき、まさに彼女は野獣になりかかっていた。

 彼女がそれを克服して深い淵から帰還してくるためには、様々な人々の助けが必要だった。もしそれがなかったら彼女が一体どうなっていたのか、怖くて想像もできない。

 エルミーラ王女、ナーザ、アイザック王や王妃、王女お付きの三人娘―――今は四人か? それにヴィニエーラにいた娘達の思い出もそうだっただろう。

 そんな多くの人々に支えられて彼女は立ち直った。

 そうやってある程度その傷が癒えてくれたからこそ、フィンはあんな風に暢気にアウラと視察旅行することもできたのだが―――それでも時々フィンは気づかされることがある。今でもその記憶は彼女の心の奥底で疼いていることに……

 現在でも彼女は十分男嫌いで通じる。

 もちろん男に触られてもすぐに斬ったりはしなくなったが、未だに彼女がその辺の男に愛嬌を振りまくようなことは一切ない。彼女の笑顔を知っている男性といったらまだほんの僅かなのだ。

 今でも見知らぬ男達に囲まれるような場所では彼女がひどく緊張するのがフィンにはよく分かる。

 だから彼が側にいてやらないとだめなのだ。彼が間に挟まってやらないと彼女は簡単に暴走してしまう。

 実際アウラと旅をしている間、何度そうやって酒場の喧嘩などに巻き込まれたことか……

《ちょっと胸を触られたくらいで一々相手をKOしないでほしいんだけど……》

 フィンはそういった騒ぎを収める度に、彼女をこうしてしまった奴に対する憎悪を再確認していた。

 そいつだけは、そいつだけは許せないのだと!

 そして今、目の前にいるのは彼女にそんな傷を負わせた男なのだ!

 それなのに……

 それなのに……

 実物を目の前にしてしまうとフィンは彼を憎みきれなかった。

《どうしてこうなっちゃったんだよ……》

 まず一点。厳然たる事実として、フィンには彼らに命を助けられたという大恩義があった。

 間違いなくあそこで彼らが来てくれなかったら、フィンはアリオールに拷問されて殺されていたか、少なくとも一生不具のような体にされていたに違いない。

 それだけならまだ個人的に彼を恨むことは可能だっただろう―――当初はそのつもりだった。

 だからフィンは当然そのことで彼を問い詰めた。お前は一体何を考えてアウラにそんなことをしたのか? と。


 ―――その問いにプリムスはまじめな顔で答えた。

「奴らは理不尽な理由でお館様を放逐した。奴はその一人だ。本来あの代の国長はアドルト一族の番だったのだ。それを奴らが横取りしたんだろう?」

 それを聞いてフィンはいきなり言葉に詰まった。少なくとも国長番がアドルト一族にあったのは事実なのだ。

 もちろんそのことに関する説明はあるが―――それはいわゆる“勝ったフェレントム一族の見解”だ。長くベラにいたプリムスがそれを知らないわけがないし、フィンが今ここでそれを繰り返したところで何の解決にもならない。

 冷静に考えればそのとき起こったことは権力争い以外の何物でもなかった。アドルトとフェレントムという二つの勢力が国の首長の座を巡って争ったのだ。

 フィンは今までアドルト一族の立場で物を考えたことがなかった。

 だがこういったことは大抵どっちもどっちとしか言いようがないのが普通だ。例えばあのジークとダアルの確執にしたって……

「だから俺は胸を張って奴を倒したと言うさ。褒められはしても、誹られる謂われなど一切ない。それに……君は奴がどれほど恐ろしかったかわかるか?」

 そう言ってプリムスはフィンを見た。

「あんなことは二度と御免だ。奴の強さは半端じゃなかった。それは君だってよく知ってるだろう? たった一瞬遅れたらどうなっていたか。俺はセロじゃあれだけ離れていてもあの娘の太刀を避けきれなかった。あの甲冑を身につけていなければやられてたぜ。間違いなく……でも奴の強さはあんなもんじゃないんだぞ?」

 プリムスは思い出しただけでも身震いがするという様子だ。

 フィンは黙って歯を食いしばるしかなかった。

 ガルブレスはあのアウラの師匠なのだ。

 本気になったアウラを今まで何度も見たことがあるが、例えばあの最初のエレバスとの戦いのときなど、彼は戦いには関係がなかったというのにその場から一歩も動けなかった。

 そんな相手を倒しに行けと言われたら?

「俺もフェデルタの奴も、本当にやったのか、夢じゃないのかって何度も何度も確かめたんだぜ。そんな所にすごい“ご褒美”が転がってたらどうするよ?」

 フィンは言い返せなかった。

 彼はある意味、そのときのプリムス達の気持ちが理解できてしまったからだ。

 なぜなら彼にも同じような体験があった。

 アウラと共にアラン王の元へ、場合によったら本気で殺すつもりで行ったときだ。

 そのときの異様な高揚感、王が敵でないと分かったときの気の抜けたような感じ……

 とてもじゃないが冷静だったなどと言えたものではない―――


 もちろん、だからといってそれでプリムス達がアウラにしたことが帳消しになるわけではない。

 わけではないのだが……

《どうしてこうなっちゃったんだよ……》

 プリムスが正真正銘のクズであれば何と良かったことだろうか。

 それならば表では追従しながら、裏で憎み続けることは簡単だったからだ。いつか裏切るにしても全く心が痛むこともないだろう。

 だがなんだ? これは? もしかして彼も彼なりの正義の元に行動していただけなのか?

 だとしたら彼を悪人と呼べるのか? 少なくともフィンはアリオールに殺されそうになったのだが、彼を悪人と言うわけにはいかない。

 それとこれとどこが違うというのだ?

 ポイントは彼らがアウラに対して行った仕打ちだが―――もしそれがアウラでない別な娘に対してだったらどうだろう?

《いや、そんなこと考えたって……》

 今さら仮定の話をしてもしょうがない。しょうがないのだが……

 ともかくこの怒りのやり場をどこに持っていけばいいのだろう? 現実としてアウラはあれだけ苦しんでいたのだ。その犯人が目の前にいるというのに……

《どうしてこうなっちゃったんだよ……》

 ちょっと物わかりが良すぎないか?

 もっと盲目的に人を憎むことができればよかったのに!

 だがフィンにはそれができないことも分かっていた―――というか、そもそも彼がそんな性格だったとしたら、彼の馬を盗んで逃げようとして勝手に落馬して足を挫いた見知らぬ娘をわざわざ助けに戻ったりしただろうか?

 そんなフィンの思いを知ってか知らずか、プリムスは親しみやすそうな口調でフィンの側に座っていた少年に声をかけた。

「君もいいだろ?」

「うん! うん!」

 少年が笑ってうなずいた。

 フィンはじろっとその少年の横顔を見る。綺麗な顔立ちだ。首筋はか細くて、女と間違えられるかもしれない。

 だがその体つきはれっきとした男だ。

《要するにこのバカのせいなんだよな?》

 ただでさえ頭痛の種が多いというのに……

 彼はボニート―――レイモンの首都アキーラで、アルエッタを拉致してフィンをおびき出した男娼だ。

 彼がなぜ今一緒にいるかというと、アリオールの館にフィン同様縛られて転がされていた関係で、仲間だと勘違いされて一緒に“救出”されていたのだ。

 こいつが妙な策略でアルエッタを拉致したりしなければ、そもそもこんな事態になっていなかったのは間違いない。

《こいつを憎んでやればいいのか?》

 そうするのが一番いいようにも思うのだが―――それにも一つ問題があった。

 彼はフィンがシルヴェストの男娼ルートを潰したときに、密書を運んでいた男娼本人だったのだ。

 だからそのせいでひどいお仕置きを受けて、いつか仕返しをしてやると決心していたという。

 そんな彼の目前にフィンが現れたのだ。

 すなわちフィンがああしていなければ、彼だってそんなことはしなかったわけで……

《あ・あ・あ……どうしてこうなっちゃったんだよ……》

 この無限ループからは当分抜け出せそうもなかった―――


 と、このようにフィンは彼の仇敵と行動を共にしていたのだが、そうなってしまった最大の理由はつまるところ、彼らと当面の目的が一致してしまったために他ならなかった。

 そのあたりの経緯を語るには、もちろん彼がアリオールの館から救出されたときまで遡る必要がある。



《どうもこうもないよな……これって……》

 フィンはまだ完全にははっきりとしない頭で周囲を観察しながら考えていた。

 彼は昨夜、何とか救出されて今ここにこうして無事にしていられるわけだが……

《これって状況はもっと悪いんじゃないのか?》

 フィンのいる部屋は変わった内装だ。

 人や動物、鳥といったモチーフで埋め尽くされた絨毯がまず目につく。都やフォレスの絨毯は幾何学的模様が多く、こういったリアルな生き物の柄は珍しい。

 また部屋の明かりも天井からつり下げられたランタンなのだが―――背の高い人だと頭をぶつけたりはしないのだろうか? 光っているときはともかく、昼間なんかは特に……

 そんな感想はともかく、その部屋はきちんと片付けられていて、雰囲気としてはどこかの商家の客間のような感じだ。

 そこに置かれた長椅子にフィンは特に拘束もされずに座っていた。

 部屋には男が四人いた。正面に座っている初老の紳士は以前アキーラの郊外で出会った昆虫好きのロクスタだ。その横にはプリムスが座っている。

 フィンの後ろには別な男が二人いる。彼らは昨夜フィンを助けてくれた一味のメンバーらしい。当然二人とも魔導師だが、都やベラのようにローブを羽織っていたりはしない。それを着てくれていたら大体のクラスが分かるのだが―――まあレイモンでそういった格好をするわけにもいかないのだろうが……

 フィンは再び前にいるロクスタに注意を戻す。

 体調は悪くなかった。

 一晩気絶していたせいでエステアに飲まされた薬もほぼ切れている。

 だが魔法で逃げ出そうというような気は全く起こらなかった。何故なら周囲にいる者は間違いなくフィンに比べて格段に上の実力を持っているはずだ。怪しい素振りをしただけで天井に貼り付けられてしまうに違いない。

 それに、理由はともあれ彼らは命の恩人なのだ。

《ともかく話してみるしかないよな……》

 何を言われようと反論できる立場ではないのだが……

「さて、具合はどうかね? 朝食は食べられたか?」

 そんなフィンを見ながらロクスタがにこやかに言った。

「あ、はい。おかげさまで」

 フィンはうなずいてから、ロクスタとプリムスの様子を窺う。

「うむ。それはよかった。あの薬は人によっては胃腸症状の副作用が出るからな」

 ロクスタはお茶のカップを手に取ると一口啜った。

 それから応接テーブル上に盛られている緑色のつやつやした丸いお菓子の山を指して言った。

「何ならそれも召し上がるといい」

「えっと、これは?」

 フィンはその手のお菓子を見たことがなかった。するとロクスタが微笑んで説明する。

「ああ。ピータと言って米の粉から作るそうだ。アロザールでは普通に出てくる。緑なのは何とかいうハーブを練り込んでいるとかでな。あそこは色々と美味い物があって住みやすいぞ」

「え? てことはあなた方は今アロザールに?」

「そういうことになるな」

 ロクスタはにやっと笑った。

《アロザール!》

 もちろんフィンはその国の名を知っていた。

 アロザール王国はレイモンを包囲している小国連合の一つで、ほぼレイモン王国の真南にあたる。海がある数少ない国の一つで―――現在海に面しているのはアロザールとレイモンだけだが―――海産物の輸出でかなり裕福な国だ。

 だがそういった本からでも得られるような知識以上のことはあまり知らなかった。

 都にいたときは宴会用の魚が採れる国という認識しかなかったし、フォレスからは遠い上に都派の国だったので情報が入りにくかったためだ。

 そのため今回の視察旅行でもじっくり見て回る予定にしていたのだが―――それはともかく、アドルト一派がアロザールにいるということは、おそらくフォレスやベラでは全く知られていなかった事実だ。

《おい!》

 それに気づいてフィンは蒼くなった。

《こんなことを知って、おいそれと帰れるのか?》

 だがこれはフィンが彼らに囚われた以上、遅かれ早かれ知ることになったことだ。今更騒いでも仕方がない。

 フィンは動揺をごまかすためにピータを一つ取って口にした。もちっとした変わった歯触りだが、甘くて結構美味しい。

「あ、これ、行けますね」

「そうじゃろ? わしも気に入っておるのだよ」

 ロクスタもそれを一つ取って口にした。

 フィンはピータを食べ終えるとロクスタに尋ねた。

「それで、お訊きしていいですか?」

「ああ。どうしてわしらが君を助けたかということかな?」

「はい」

 フィンはうなずいた。

「それは、彼の推薦があったからだな」

 ロクスタは横にいるプリムスを見た。

《推薦??》

 フィンはプリムスの顔を見る。プリムスはそれに気づいてにやっと笑った。

「でも……」

 フィンは少し混乱してロクスタの顔を見る。ロクスタは軽くうなずいた。

「もちろん知っておるよ。君のしてくれたことはな。確かに君のおかげであっちの作戦は失敗に終わったと言っていいが……」

「ならどうして?」

 焦って尋ねるフィンを見ながらロクスタはふっと笑って答えた。

「簡単だ。そのような人材であれば敵にしておくよりは、味方の方が良いに決まっておる」

 フィンは絶句した―――正論過ぎて反論のしようがない。

「えっと、でも僕は……」

 混乱しているフィンを見て、ロクスタは尋ねた。

「君はわしらが憎いかね?」

「え?」

 口ごもるフィンを見てロクスタは軽く首を振る。

「わしらは別に何とも思ってはおらんよ。本当に憎かった者はもうこの世にはおらんしな」

「本当に憎かった?」

「ああ。フィーバスが本気で憎んでいたのは、ガルブレスとグレンデルの二人だけだ。その二人に関してはこ奴がきっちりと片をつけてくれているしな。残りははっきり言ってどうでも良いのだよ」

 そう言ってロクスタはプリムスをちらっと見る。

《フィーバス?》

 ぽかんとしているフィンを見てプリムスが言った。

「ル・ウーダ殿はお館様の放逐についてあまりよくご存じではないのでは?」

「ああ、そうか。ル・ウーダ殿はどのように聞いておるのかな?」

「えっと……」

 その件はベラでもフォレスでもかなり微妙な話題で、ほとんど語るのも憚られていた。そのためフィンは最初にアイザック王から聞いた話以上のことを、今でもよく知らなかった。

 フィーバスとは確かアドルト一派の一人だったような気がするが……

 そこでフィンはアウラと共にフォレスにやってきた際に聞いた話を繰り返した。


 ───当時のベラ首長国には、有力な王族が二系統あった。一つがフェレントム家、もう一つはアドルト家といった。

 フェレントム家には三人の兄弟がいた。長男がガルブレス、次男がグレンデル、そして末の娘がルクレティアだ。

 そのときの次の長の継承権はアドルト家にあった。だがそのアドルトの跡継ぎというのがひどく評判の悪い男だった。折しもちょうどその頃はシフラ攻防戦の直後で、ベラの国内は大混乱に陥っていた。

 ガルブレスとグレンデルはぼろぼろになった魔道軍の建て直しに奔走していた。だがアドルトの跡継ぎは魔道軍は用無しだと言って解体しようとした。

 それをきっかけに国内は内乱状態になる。だが軍を味方に付けたフェレントムの勢力がアドルトの勢力を駆逐することに成功した。一種のクーデターである―――


 それを聞いてロクスタはうなずいた。

「うむ。確かにおおむねそんな話だ。で、そのアドルトの跡継ぎとは?」

「え? それがそのフィーバス……殿では?」

「違う。跡継ぎは次男のフラベウスだ。フィーバスはガルブレス達と共に、フラベウスを討ったのだよ」

「えっ⁇」

「確かにフラベウスは無能な上、粗暴だったからな。誅殺されたのもやむなしといったところか。だがそうするために奴らに手を貸したフィーバスまで追放するというのはどうだろうな?」

「えええっ?」

 フィンは絶句した。

 聞いたことのない話だが―――本当の事なのか? これは?

 少なくともフィンにそれを否定する材料は何もない。これが事実なら、フェレントムの兄弟とフィーバスとは仲間だったということなのだが……

《ってことは、本来次の国長は、そのフィーバスだったってこと?》

 しかしそのフラベウスが次男で跡継ぎだったって事は―――フィーバスはその弟か? じゃあ長男は?

 そこでフィンは尋ねた。

「えっと、アドルト家の長男は誰だったんです? 早世されたということでしょうか?」

「いや、長男がフィーバスだ」

「え? それじゃどうして継承者じゃなかったんです?」

「フィーバスにも力が現れてな。君と同じくらいかもしれんが」

「あ!」

 そうだったのか―――言われてみれば当然だ。

 ベラの国長の血筋は、都の大公家と同様に魔導師を多く輩出することで知られている。

 だが魔導師が政治に関わることは女王の禁忌で禁じられているわけで―――それはベラも同様だ。

 フィーバスが国長になれない理由は分かったが……

《だからといって国から追い出す理由にはならないよな?》

 魔導軍の総帥とか魔導大学の学長とか、色々と国長並のポストはあるわけだし……

 フィンは考えた。だとしたら何が起こったのだろうか?

「あの、それで、一体……」

「何が起こったと思うね?」

「………………」

 フィンはフェレントム一族とアドルト一族に関してはあまり詳しく知らなかった。

 だが二つの勢力が権力争いをしているような場合、どちらかが一方的に悪いなどということがないことだけは、既に身に染みて知っていた。

 都にいた頃はフィンは明らかにジーク勢力の一員だったわけだが、ジークⅦ世がその娘を使ってやろうとしていたことは史上最悪級の欺瞞工作だったわけで……

「えっと……ベラでは継承者がみんなそんな理由で継承できない場合、何か規定はあったんですか?」

「一族内に継承できる者が一人もいないなどということはなかったのでな。傍系もあるしな。みんな追放されなければの話だが」

「はい……」

 現在ベラにアドルト一族はいないわけで……

 ということは―――やはりフェレントムの兄弟が国長になったというのは、かなり異常な事態だったのではないだろうか?

 混乱しているフィンを見てロクスタが言った。

「何だか話が脱線しつつあるようだが、要するに、少なくともわしらと君との間にはあまり憎み合う理由はない、と言いたかったのだ。分かってもらえるかな?」

「え? まあ……」

 そう言ってフィンはちらっとプリムスを見た。

 確かに彼はアドルト一派に対しての直接的な恨みはない。

 だがプリムス個人に関しては別だった。彼は何と言ってもアウラの仇なのだ。

 彼女がいたら彼を許すことなどあり得ないだろう。

 だが―――今ここにアウラはいない。

《ってことは……?》

 ここで全てを拒否したとしたらどうなる?

 はいそうですかと帰らせてもらえるなどということはあり得ず、間違いなく殺されてしまうことになるだろうが―――当然死にたくなどない。そうなったらもう二度とアウラに会うこともできないのだし。

 ならば彼らに協力してでも生き長らえるしかないわけだが……

《でも……》

 そうやっておめおめと生きて戻って、それをアウラに伝えたとしたらどうなるだろう?

《当然あいつ……》

 彼女はプリムスを見逃してきたフィンのことをどう思う? そして間違いなくプリムスを殺しにアロザールまで出かけて行くに違いない!

《これって……》

 それは同じくアウラを失うことなのではないだろうか?

 フィンは頭を抱えた。

 どっちがましなのだ? まるで究極の選択のように思えるのだが?

《でも……》

 そうなのだ。彼にはまだ使命が残されていた。

 そもそも彼らは王命を受けて中原の状況を視察に来ていたのだ。

 だとしたら彼は少なくともこの情報をアイザック王に届ける義務があるのではないだろうか?

《だとしたら?》

 ―――とりあえずこの場は生存を考えて、その後ことは後から考えた方がいいのではないだろうか? 生きてさえいればまだ終わったわけではないのだから。

 フィンは大きくため息をついた。

「あまりこちらには選択権はないようですし」

 これは何よりもアウラに対する最大の裏切り行為なのだが―――今はそのことは棚に上げておくしかない……

「では協力して頂けるのかな?」

「はい……」

 見るからに気が重そうなフィンの様子を見てロクスタは言った。

「今までの経緯を考えれば気乗りしないのは分かる。だがこれは君にとっても、それに我々にとっても悪くない話なのだがな」

「ええ、もちろんです……」

 彼の言うことはよく理解はできるのだが……

 まだ完全には納得できていない様子のフィンを見て、ロクスタは仕方ないといった表情で言う。

「まあ、昨日の今日だ。すぐには気持ちの整理はできないと思うが……これからよろしくお願いするよ」

「はい」

 うなずいたフィンを見てロクスタは軽く居住まいを正した。

「うむ。それでは手始めにまず色々訊きたいこともあるのだが、良いかな?」

 フィンは顔を上げた。

「どのようなことです?」

「そうだな。まず聞きたいのは、君がどうして中原であのような行動をしていたか、ということだ」

 それは当然の質問だった。

 そこで彼は今までこういった質問をされた際に答えてきたことを話した。

 すなわち彼がレイモンの侵攻を止めたかったこと、そうすることがシルヴェストやその同盟国フォレスの国益にもなるということなどだ。

 このあたりは既に何度も説明済みなので、フィンは淀みなく彼らに説明することができた。

 それを聞いてロクスタはちょっと首をかしげると答えた。

「うむ。だが普通レイモンが都に侵攻したりしたら背後の国が黙っていないだろう? 無理にそんな工作する必要はあったのかな?」

 それももっともだ。実際、常識的にはそうなってしまうはずだった。それ故に“レイモンは簡単には都には手が出せない”というのが一般的な結論なのだ。アラン王も同様に考えていたのだから……

「確かにそうなのですが、都があっさりと落ちてしまう可能性もあるんです。そうなってしまったらもっと悪い状況になりますから」

 そしてフィンはアラン王にも話したように、自分が都出身であること、そのため魔導軍の内幕も知っていることなどを話した。

「それに都に内通者がいる可能性も考えなければなりません。ともかくレイモンだって分かってやっている以上、その誘いに乗って攻めるのは無駄……とまではいかないにしても、効果はあまりないんじゃないかと思います。だから別の方法で侵攻を止めるしかないと思ったんです」

 その話を聞いてロクスタは驚いたように眉を顰めると、少しの間考え込んだ。

 それから顔を上げると尋ねた。

「それは誰かからの指示なのかな?」

 にこやかなようで目は笑っていない。

「いや……そういうわけでは」

「個人判断でわざわざそんな危険なことを?」

 ロクスタはフィンをじっと見つめた。

「……そうです」

 フィンはうなずいた。実際その通りだし……

 その様子を見てロクスタふっと笑った。

「都の者がフォレスに随分な忠誠心だ」

「………………」

 フィンは口ごもった。確かにかなり不自然な話である。

《フロウの暗殺の事とかを話した方がいいかな?》

 そう思った瞬間、ロクスタが逆にフィンに尋ねた。

「もしかして都で何かあったのでは?」

「え? 何かって……」

「君の妹君はメルフロウ皇太子妃だったな。確か」

「はい……そうでしたが……」

「そのあたりにもっと強い動機があったりするのではないかな?」

 フィンは息をのんだ。

 どうやらロクスタはその話も知っているらしい。メルフロウが暗殺されたという噂は陰では結構囁かれている。どこかからその話を聞き込んだのだ。

「聞けば都では長らくジーク一族とダアル一族が争っていたらしいな。ダアルの王子とジークの姫が結ばれてやっと収拾できたそうだが、実質はジーク一族が吸収されたようなものだと聞いたのだが、これについては?」

 フィンはうなずいた。

「ええ、おおむねその通りです」

「当然君はそのジーク派だったわけだ」

「ええ……まあ、そうですが……外敵が侵攻してきているときに派閥争いなんて……」

 如何に浮世離れしている都の貴族でもそこまでアホではないと思うのだが。

 だがそれを聞いてロクスタはにやっと笑った。

「本当にそうかな?」

「どういうことです?」

 フィンは驚いて顔を上げる。ロクスタはそんなフィンの表情を見定めるように見つめてから答えた。

「レイモンとの同盟は、決して都にとっても悪いことではないだろう?」

「え?」

 フィンはぽかんとして、それからロクスタの言ったことの意味を考える。

 レイモンと都の同盟? そんなことは考えたこともなかったが……

 そもそもレイモン王国はクォイオやシフラで都の面子を完膚無きまでに叩きつぶした仇敵中の仇敵なのだ。

 現在の世界情勢の根幹は、都やベラに代表される“旧勢力”とレイモンという“新勢力”が拮抗しているという構造にある。フィンはその旧勢力側に属しているわけだが、その新勢力と対峙するには旧勢力内の足並みを揃えなければならないわけで、そのためアイザック王は都とベラの調停をしようと考えていたりして……

 今回の視察旅行もそんな前提の元に行われているのだ。

 だが理由はともかく、ここでレイモンと都が同盟したと仮定したら?

 ………………

 …………

《そりゃ……最強だよな?》

 そう考えてフィンはまた呆然とした。

《でもそれだと……》

 そうなってしまったらアイフィロスやアロザールは都側に付くだろうし、当然小国連合は瓦解だ。シルヴェストやサルトスがどうなるかはもう分からないし、そうなればフォレスやベラは?

 まずいなんて物ではない!

《でもそんなことが……》

 確かにそうなれば致命的な事態と言って良いが、そもそもこれは仮定の話だ。本当に都とレイモンが和解するなどということがあるのだろうか?

 それはフィンの思い込みだけではなく、都でも基本的にはそういう空気だったはずだ。少なくとも彼が都にいた頃はそうだった。

《いない間に都がそんな方針に変わっていたのか?》

 面子にこだわらずに実利を取ろうとする考え方だってあるわけで―――特に最近はそういう考え方がよく理解できるようになってしまっているし……

 でもいくら何でも可能なのか? 都がそんな誇りと伝統を放棄してしまったら―――単なる山間の小国でしかないわけで……

 だからこそレイモンと組む可能性というのもあるのか?

 そんなことを考えながら呆然としていると、ロクスタが続けた。

「今回の侵攻がそういった同盟を結ぶためのきっかけとしたらどうかな? それは当然都に利することなのだが、君はそれを阻止したいわけだ」

 フィンはうなずこうとして―――思わず息を呑んだ。


《都に利することを阻止するって?!》


 その言い方ではまるで彼が、都の意志に反して動いているようではないか?

 そんなフィンをじっと見ながらロクスタは続けた。

「ジーク派だった貴族は今はばらばらになってしまっているが、中には上手くダアル派に鞍替えした者もいるようだな。ハヤセ・アルヴィーロ氏とか」

「え?」

 フィンは驚いてロクスタの顔を見る。何で急にここでアルヴィーロ氏の名前が?

 もちろん彼はアルヴィーロ氏のことをよく知っていた。

 ジークの家が零落しかかったときにも変わらず彼を支援していた数少ない家の一つだ。それだけにジーク一族にとっては大恩がある人といえる。

 だがもちろん彼だって単に慈善で動いていたのではない。ジークⅦ世とエイジニア皇女の結婚の際には裏で色々動いていたという噂もある―――まあ都ではよくある話だが。

 でもどうしてここで彼の名前を?

 そう考えた瞬間、フィンは気づいた。


《アルヴィーロ氏が……内通者なのか⁉》


 ロクスタはそれを知っていてフィンにカマをかけようとしているのか?

《そんなことって……》

 それからフィンは愕然とした。

《思いっきりあり得るよな?》

 フィンもまたハヤセ氏の運がかなり悪かったということをよく知っていた。

 まず本人が前大皇の弟で第三継承者だったことだ。

 この“第三”という数字は最高権力に届きそうで届かないという微妙な数である。まずそのことを本人はどう思っていただろうか?

 そして例のメルフロウとエルセティアの結婚。

 あれはジークⅦ世があんな陰謀を企てていたからこそ可能になったわけで、普通なら幼なじみだったとしてもまずあり得なかった。

 そうでなければ間違いなくメルフロウの正妃は、ハヤセ家の令嬢であるアンシャーラ姫だったはずだ。

 更に今度はメルフロウ皇子が“病没”してしまい、カロンデュール皇子とメルファラ皇女が結ばれて―――当然都の勢力はダアル派を中心に回り始める。

《そんな中でアルヴィーロ氏が存在感を示すには?》

 何かそのために大きな“業績”をあげたいと考えても不思議ではない。

《業績……》

 例えば敵対し合っていた国同士の間を仲介して同盟を作るとか……

 フィンは顔を上げてロクスタを見る。

《彼は知っているのか?》

 こうなったら……本人に聞いてみるしかないだろう。

「えっと……アルヴィーロさんのことについて、何を知っているんですか?」

 それを聞いてロクスタはにこっと笑った。

「うむ。ダアル派の強い中で大変だという話だ。そのため何か一発逆転のチャンスに賭けているのではないかな?」

 フィンは思わず息を呑んだ。

 今のロクスタの答えは間違いなくそれを示唆していた。

《本当にアルヴィーロさんが内通者なのか?》

 フィンの記憶では彼は人当たりのよい、しかし貴族には珍しく毅然とした立派な人だというイメージだったのだが―――だが印象なんて当てにならないことも多い。

 それより、それならば彼はどうして都を攻めさせたりしたのだ? そんなことをして―――そう考えてフィンは首を振った。

 いや、今のように関係がこじれている状態で、簡単にレイモンとの同盟が結べるはずがない。当然他国も黙っていない。何かのきっかけが必要だ。

 そこで例えばレイモンが攻めてきたという状況を作る。これはお互いに合意の上でやっていることだから、どういった結末でもつけられるわけだ。

 そこで何かドラマチックに過去の誤解を解くような演出をしたりして……

《不可能じゃないよな?》

 だが……

 そうなのだ。そんなことをされたら困るのは……

 フィンは真剣な顔でロクスタを見る。

「あの、それで、あなた方は……どちら側なんですか?」

 ロクスタはふっと笑った。

「もちろん、わしらだって都とレイモンの同盟など望んではおらんよ」

 フィンはふうっと息を吐いた。

 ともかくこれで、少なくともフィンとロクスタ達の利害が一致していることが分かった。

 それならば交渉の余地もある。

「で、尋ねたいのだがな。君は一体誰の指示で動いているのかな?」

 それを聞いてフィンはまたうっと息を呑む。確かにそう訊きたくなるのは当然だろう。

《彼は僕がハヤセ氏の反対勢力の指示で動いていると考えているんだろうか?》

 言われてみればもっともだ。敵国内で一人こんな危険な工作をしていたのだ。個人の趣味だとは思ってもらえないだろう。

 だが……

 フィンは顔を上げるとロクスタに言った。

「あの、ちょっと考えさせてください」

「ああ、構わんが?」

 フィンは頭を抱えた。

《そんな勢力なんてないし……》

 フィンの行動目的は結局の所、非常に個人的なものだった。

 だがそんなことを言って信じてもらえるだろうか?

《なら適当にでっち上げるか?》

 いや、言い逃れのためにそんなでっち上げをしても無駄だ。彼らは間違いなく裏をとろうとするだろうし、嘘だとすぐばれてしまうに違いない。

 だがアキーラの秘密組織を仕切っていたドゥーレン達だってバックにアラン王がいたわけで、そういった行動にはそれなりの背後関係がほぼ必須と言って良いが……

《いや、彼らの場合、それだけじゃないよな?》

 彼らはかつてウィルガの大地という反政府組織だった。彼らの目的は滅びてしまったウィルガ王国の再興のためで……

 だとしたら……

 そこでフィンはもう一度じっくりと考えると、顔を上げておもむろに話し出した。

「確かに私はある御方のために動いています」

 それを聞いてロクスタは納得したようにうなずいてから尋ねた。

「どちらの御方かな?」

 当然の質問だったが、フィンは首を振った。

「いえ、それはお答えしない方がいいと思います」

「それは、どうしてだ?」

 ロクスタは眉を顰める。フィンは彼の目をじっと見ながら答える。

「まず、私の行動はその方に指示されたわけではありませんから」

「ん?」

「その御方は私がこうして動いていること自体、全くご存じありません。私が敵国でこんな工作をしていることが知れたら……お立場がますます悪くなるかも知れませんし……」

「………………」

 フィンは続けた。

「ロクスタさんも言われた通り、ジーク派はもうばらばらなんです。もうそんな勢力なんてないんです。そんな組織があったらここまで出てこなくても、都の中でも色々できました。それができないから、そういった力が全くなくなってしまったから、私は一人でこんなことをしていたんです」

 それを聞いてロクスタは考え込んだ。

《納得してもらえただろうか?》

 ロクスタがフィンのバックを知りたがったのは当然だ。

 もしハヤセ氏の反対勢力なる物が存在したとしたら、アロザール側が同じ目的を持っている以上、共同して何かができると考えるのはごく自然だ。少なくとも互いの活動が干渉しないよう注意する必要だけはある。

 だがこういった事情であれば、すなわちその“御方”がまったくの無力であるということであれば、その正体が不詳でも大勢に影響はないはずだ。

 パワーゲームに力無き者など不要なのだから。それにある意味真実でもあるし……

「そんな勢力は、ないと?」

 フィンはうなずいた。

「で、その御方が誰かも教えたくないと?」

「はい。その件に関しましてはご容赦頂けないでしょうか?」

 ロクスタはまた考え込んだが、やがて不承不承うなずいた。

「まあ、そういうことならしかたあるまいな」

 フィンはほっとため息をついた。

 とりあえずこの件に関しては何とかなったようだが―――まだ話すべきことはたくさんある。

 そこで彼はロクスタに尋ねた。

「で、あなた方がこちらにいたということは、あなた方も今度の侵攻を止めようとしていたのだと思うのですが……」

 彼らはどのような手段を採ろうとしていたか、と訊こうとしたところでロクスタが割り込んだ。

「いや、そういうわけではない」

 フィンはぽかんとして答えた。

「え? でもそれでは……都とレイモンの同盟には反対だったのでは?」

 相手はグルなのだ。侵攻が芝居ならば当然大軍を率いる必要はない。レイモン国内で人員の移動とかが発生していなかったのは当然だ。

 だからそれは背後の守りが相変わらず鉄壁だということを意味する。たとえ侵攻に呼応して小国連合側が動いたとしても、間違いなく同盟締結まで時間を稼がれてしまうだろう。

 フィンは慌ててそういったことを説明しようとした。

 だがロクスタはそれを遮るように言った。

「バシリカがどうして陥ちないと言えるのかな?」

 ………………

 …………

「は?」

 フィンはまたぽかんとしてロクスタの顔を見る。

《バシリカが? 陥ちる?》

 小国連合が動いた際に、アロザールが攻めることになる最大の拠点がバシリカだ。

 ここはかつてのウィルガ王国の都だったところで、現在のレイモンでも最大の人口と繁栄を誇る都市だ。

 もちろんそこは南からの侵攻を想定して都市は厳重な防壁で囲われているし、何よりもその地を防衛しているのはあの大ガルンバ将軍その人なのだ。

 どう考えてもそこが簡単に陥ちるなどということは考えられないのだが……

「いや、でもあそこは確か四万の軍隊が守っているはずです。アロザールは? 聞いた話だと全部で五万ぐらいだったと思いましたが……」

 このぐらいの戦力差では一気に攻め落とすことなど不可能だ。間違いなく戦線は膠着するだろう。

「なかなか正確な情報だな。だが君が明かしていないことがあるように、こちらにも明かせない事情があったりするわけだ」

「………………」

 フィンはロクスタの顔を見た。からかっている顔ではない。

 ということは、本当に何か方策があるというのだろうか?

《どうする? 彼らは信じられるのか?》

 今までの話しぶりからみてロクスタは間違いなく思慮深い人物のようだ。

 彼が無知でそう言っているようには見えなかった。

 フィンは考えた。

《だとしたら……》

 確かにバシリカが陥ちるようなことがあれば、話は全然変わってくる。

 レイモンだってそんなことは想定していないはずだし、そうなれば悠長に都攻めをしている余裕などないはずだ―――というより、レイモン側は大ピンチに陥ったという方が正しい。

 何しろバシリカが陥落するということは、首都アキーラが完全に無防備になるのと同義なのだから……

《もし彼らに本当にそれが可能なのであれば……》

 現在中原を覆っている緊張状態。レイモンと小国連合の衝突―――その状況に大きな変化が訪れることになる。

 それが良いことなのか悪いことなのかは分からないが―――少なくともアイザック王はレイモンが脅威だと考えているし、少なくともその脅威が減ることを意味する。

《でも……》

 フィンは目の前に座っているロクスタ、そしてプリムスの顔を眺めた。

《アロザールがそんな軍事力を持っていたとしたら、どうして今まで動かなかったんだ?》

 それに彼らは“その後”どうする気なのだろうか?

 そういう意味で彼らが信用できるのだろうか?

 その件に関しては分からないとしか言えなかった。

 言えることは、いま彼が話している人物は、少なくとも理性的に会話のできる人物だということだ。もちろんその背後には別な動機があるのかもしれないが―――それならばフィンだって同様だ。

《ともかく今考えるべき事は……》

 そもそも何故フィンが中原で工作しようなどと考えたのか?

 それはファラのためだった。

 アラン王の言った『マオリがあの美しいお方にのぼせたとかいう説もあるが』という言葉に打ちのめされたからだと言っていい。

 実際調べてみたら本当にその可能性もあるのだ。

 そして彼女の事だ。もしそんなことになったら自分からレイモンに人質に行くと言い出してもおかしくない。

 だが―――フィンは彼女にそんなことをさせたかったのではなかった。

 彼女には幸せになって欲しかったのだ!

 あのときにはそうすることが彼女に与えられる最高の幸せなのだと信じていたのだ。

 だからこそフィンは……

 ………………

 …………

 ……

 そう思ってフィンは首を振る。済んだことを考えても仕方がない。

 ともかく彼の目的はファラを守るということだった。

 ここでアロザールに協力するのはその目的にも叶っている。それにこうなってしまった以上、もはや彼らに頼る以外に手立てがないのだ。

 フィンは大きくため息をつくと答えた。

「分かりました……それでまず私は何をしたらいいのでしょうか?」

 それを聞いてロクスタは満面の笑みを浮かべると大きくうなずいた。

「うむ。うむ。そうだな。まずは一度シーガルまで行って頂いて、フィーバスやザルテュス様に会って頂こう」

 ザルテュス様とは多分アロザールの国王のことだが―――ということは、彼らはフィンを下っ端の使い捨てにするつもりはないということか? まあいずれにしても選択の余地はないわけだが。

 しかし何から何まで言いなりになっているわけにもいかない。

「承知致しました」

 フィンはそう言ってうなずいた後、再び顔を上げるとロクスタの目を見据える。

「ですが一つお願いがあるのですが」

「なにかな?」

 ロクスタはちょっと眉を顰める。

「私の協力の期限なのですが、いわゆる、その、“彼ら”の意図が挫かれるまで、ということでお願いできないでしょうか?」

「ん? それは何か? 要するにレイモンの侵攻が失敗するまでということかな?」

 フィンはうなずいた。

「そうです。私はフォレスに仕えている身です。人は二君に仕えるわけにはいきません。現在は両者の利害が一致しているので問題はないのですが、その後となると私はどちらかを選ばなければならなくなります」

 ロクスタはうなずいた。

「うむ……だが君はそこでフォレスに戻って、我々のことを報告するのだろう?」

「それは……そうなります。でも彼らに“今より正しいこと”を伝えることもできますし」

 ロクスタはちょっと考えると答えた。

「ふむ。まあそういうことも可能かもしれない。だが、それには最終的にはフィーバスやザルテュス様の了承を得なければな」

「はい」

 フィンはうなずいた。言われてみれば当然だった。

「その件についてはシーガルで直接話をしてみるがいい。紹介状にも書いておくから」

「ありがとうございます」

 頭を下げたフィンを見てロクスタは振り返ると言った。

「それじゃプリムス。彼のことはよろしく頼むぞ?」

「承知しました」

 プリムスもうなずいた。それから彼はロクスタに尋ねた。

「で、もう一人の方はどうします?」

 それを聞いてロクスタは首を振ると答える。

「どうもこうも。その辺に埋めておくしかなかろう?」

「え?」

 フィンは思わず声をあげる。

 もう一人とはもちろんボニートのことだが―――その辺に埋める?

 その表情を見てロクスタが尋ねる。

「彼は君とは無関係なのでは?」

 彼に関しては、何で囚われていたのかと聞かれたのだが、単に知らない奴としか説明していなかった。

「いや、関係はないですけど、何も知らないバカなんで放してやればいいんじゃないですか?」

「ん? 君は彼のことを知らないのではなかったのか? なんで何も知らないバカだとわかるのかな?」

「え? あ……」

「それに我々の顔などを知られた以上……分かるだろ? そこは?」

 ちょっと待て!

 確かにボニートとはほぼ無関係のようなものだし、フィンがこんな窮地に陥ったそもそもの原因があのバカにあるのも確かだ。

 しかし彼があそこで卵を奪わなければ奴だってあんなことはしていないわけで……

 でもフィンにとってもあれは必死の行動だったのだ。そのせいで奴がひどい目に会った挙げ句に殺されて埋められたからといって……

 いや、やっぱり寝覚めが悪いなんてもんじゃないのだが……

「やめてください!」

 彼は思わずそう叫んでいた。

 必死の表情のフィンを見ながらロクスタはにやっと笑った。

「ではどうしたいと?」

「一緒に……連れて行っていいですか?」

「それは構わんよ。最初からそう言ってくれればいいのに。本当は大切なんだろ?」

 ………………

「え?」

 何か少し勘違いされているような気もするが―――だがそのあたりに関してはうやむやのまま、フィンはプリムスとボニートと共にアロザール王国の首都、シーガルに旅立つことになったのだった。