キケンな出世街道 第4章 行方不明の娘

第4章 行方不明の娘


 その夜、フィン一行は宿屋に併設されていた居酒屋で宴会を開いていた。

 彼らの前には地場の新鮮な魚を使った豪華な料理が並べられている。さすがアロザールきっての港町だけあって、魚の種類は半端でない。

「うわ、これって都だったら貴族様しか食えないんじゃね?」

 フィンは目の前の赤い大きな魚を見て言った。

「うむ」

 ファーベルがうなずく。

 もちろんフィンも貴族の端くれだったから今まで何度かそんな機会はあったのだが、そういった物が出てくるのは都でもこれぞという大宴会のときだけだ。例えば皇太子の披露宴とか……

 それを思い出してフィンはちょっとため息をついた。

「ねえ、喉渇いたよ~」

「わかった。じゃあ乾杯するか」

 フィンはグラスを手にするとファーベルとボニートに向けて差し出した。

「それじゃ乾杯!」

「乾杯」

「かんぱ~い!」

 居酒屋には現地の客も来るが、時間が早かったので客の数はまだそれほどではない。

「それにしてもこの酒、美味いよな。米から作るんだって?」

「うむ」

 ファーベルがうなずいた。

「これだったらもっと輸出したって良さそうなんだが」

「暑いとだめになる」

「そうなんだ……でもワインだってそうだしな。あれってどうやって運んでたんだろう?」

 そんなことをつぶやいているフィンにファーベルがぼそっと突っ込んだ。

「今度は酒屋をやるのか?」

「あはは、そういうわけじゃないけどさ」

 ヴォランと旅を始めてからというもの、何か頭が商売のことばかりに行ってしまうようだ。もしかしたら結構向いているのだろうか? 行商人というのは……

《もしあのときこうだって分かってたら、どうだったんだろう?》

 フィンは今こうして都から遙か離れた片田舎の町で、見知らぬ酒を飲みながらささやかな幸福に浸っているわけだが……

《確かにきついことも多いけど……でもこんな料理は……それこそティアじゃないけれど》

 目の前のテーブルに並んでいる料理や酒は、都で食すのとは全く趣が違う。確かに贅を尽くした高級な食卓というわけではないが……

 あの頃は都の外というのは彼らにとって全く未知の領域だった。

『行って……大丈夫ですね?』

 彼女がそう言ったとき、フィンには他の選択は考えられなかったのだ。

 だがもしこれが今だったならどうだろう?―――ちょっとくたびれたり暑かったり寒かったりお腹がすいたり寝心地が悪かったり危険だったりすることもあるけど、でも楽しいことも結構あるんだよ! とか、真顔で言えるに違いない。いや実際そうだったし……

《本当にどうなってたんだろう……》

 彼女達とあのとき都落ちしていたら、彼の人生は一体どんな風になっていたのだろうか?

 ―――などと思い出に浸っていると、また緊張感のない声がする。

「どうしたの? フィン! 何か暗いよ?」

 フィンはボニートを睨みつけた。

「グラス空っぽだよ」

 ボニートが瓶子を持ってニコニコしている。フィンはむっとした顔で空のグラスを彼に差し出した。

 もちろん奴はフィンのそんな気分などお構いなしだ。

「このお酒、美味しいよね」

 美味いのは確かだがな。フィンはため息をつきながら言った。

「お前、飲み過ぎるなよ?」

「大丈夫だって。それよりあの揚げ物、おかわりしていい?」

 料理の中に魚のすり身を揚げたような物があったのだが、ボニートは妙にそれを気に入ってしまって、一人で一皿食べてしまっていた。

「まだ食うのか? 別にいいけど。太ったって知らないぞ」

「大丈夫だよっ!」

 ボニートは大喜びで追加注文を始める―――と、そんな感じで宴は進み、適当に酒も入っていい気分になってきたときだった。ファーベルがフィンにぼそっと尋ねた。

「それで、今後は?」

 もっともだ。フィンはうなずいた。

「うん。それなんだがな……」

 今日の取引はかなりの成功と言っていい。持ってきた毛織物はほとんど捌けて、荷車には良質の綿織物が満載だ。一部は換金してもらったので懐も非常に暖かい。行商人的には言うことなしという状態なのだが……

「とりあえずはしばらくあちこちを飲み歩くかな」

 本当はこんなに早く商品がなくなる予定ではなかったのだ。だから当面はあちこちの商家を回ったり、近郊の村に足を運んだりしつつ情報を集めるつもりだったのだが……

「飲み歩く?」

 ファーベルが訝しげな顔をする。

「もちろんさ。酒場ってのは噂話の宝庫だからな。あと……」

 郭とか―――と、言おうとしてフィンは口を濁した。

 こちらもまた酒場以上に情報収集にはもってこいなのだが―――フィンにはあの晩の誓いがあった。

 まあ確かにここに来るまでに色々事故的な出来事はあったにしても、フィンの方からそれを破ったことはまだない。もうちょっとで破りそうになったことは多々あったが……

 だが彼らがここに来ている理由は現地調査だ。そんなときには遊女の噂話というのは本気で有用なのだ。男はそういう所では口が軽くなる物だし、遊女達はそこで知った秘密というのは漏らさないのが建前だが、もちろんそれを何とかする手管などいくらでもある。

《ファーベルに行ってもらうか?》

 そう考えてフィンは吹き出しそうになった。彼が女達から言葉巧みに情報を引き出している姿など想像もつかないが―――それに彼にはシーガルに奥さんと子供が六人いるらしい。あまり悪の道に引きずり込むような事をするわけも行かないし……

《でもそうしたら残りは……》

 そう思ってフィンはボニートをちらっと見るが……

「ん?」

「いや、なんでもない」

 はっきり言ってこいつは美少年で、女の目から見てもやっぱりイケてるらしいというのは昼間の客引きの効率を見ても証明されている。しかも本人は両刀だと称している。ただ女は面倒だから嫌いなのだそうだが……

 だからこいつを行かせることは不可能ではなかったが―――それには致命的な問題があった。

 それはこいつがバカだということだ。

 調子に乗ったら何を喋り出すか分かったものではない。フィンが監視していないと情報を引き出すつもりで引き出されてしまいかねない。

《だったら相手だけはこいつにさせて……見てるのが好きとか言って……》

 フィンは咳き込んだ。きれいな少年を連れた行商人が郭にやってきて、娘の相手は少年にさせて自分は見ていただけ? バカな! 余計に噂になってしまう!

 フィンはため息をついた。

 それというのも……

 それというのも……

《うう……やっぱり商売女以外はって誓っとくべきだったかなあ?》

 などと後悔しても後の祭りである。

《じゃあやっぱりファーベルか?》

 ここはお国のために必要なことなのだとか言えば……

 そんなことを考えていたときだ。

 ファーベルがフィンをつついて後方を示した。何やらひどく真剣な表情なのだが―――そこで振り向くと、そちらから大きな酒瓶を持った大男が近づいて来るのが見えた。

 男は眉を顰めて何だかひどく怒っているようにも見える。そのごつい体つきから彼もまた海の男のようだが―――明らかに何か挙動が不審だ。

《おいおい……》

 酒場で絡まれるというのは今までもそう珍しいことではなかったが、普通は理由といえる何かがあるものだ。例えばアウラが酒を引っかけたとか、アウラがナイフを喉元に突きつけたとか、アウラが相手を殴り倒したとか……

《ってか、これだと“絡んでる”って言うよな? 普通……ははっ!》

 それはともかく、何かあの男に恨まれるような事はしただろうか? 全く記憶にないのだが……

 そのときフィンは思い当たった。

《もしかして? メダックスの?》

 ファナーリが確か言ってなかったか? メダックスがごろつきを雇って商売敵を潰しているとか何とか。もしかしてコルティナ商会と取引したことを妬んでこいつを送り込んできたとか―――ってことは何だ?

《俺たちはずっと監視されてたってことか?》

 それって……

 フィンはファーベルに向かって目配せすると、男の方に向き直った。

 すると男が言った。

「お前らかよ? 北から来た商人って?」

「そうですが? 何かご入り用でしょうか?」

 フィンは精一杯丁寧に答えてみる。

「んなんじゃねえよ!」

 そう言うなり男はいきなり手にした酒瓶を振り上げると……


 ドカン!


 と、大きな音を立ててテーブルの上に置いたのだ。

《ひぇ?》

 フィンは反射的に身をひく。すると男は怒ったような口調で言った。

「飲め」

「あ?」

「飲めって言ってんだ!」

 そう言って男は酒瓶の栓を抜くと、フィンの方に差し出した。

 ………………

 …………

「えっと?」

 一体どうしたらいいんだ? これは?

 するとファーベルがいきなり自分のグラスを空にすると、男に差し出したのだ。

 男は黙ってそのグラスに酒を満たす。ファーベルはそれをぐっと飲むと、フィンにもグラスを出せと促した。それから耳元で囁いた。

「こいつ、話をしにきた」

「え?」

「こっちじゃ酒を奢る」

「ああ……」

 何かそういう習慣なのか? ならいいが……

 フィンは言われるがままにグラスを差し出した。

 男はフィンのグラスにも酒を注ぐ。男に睨まれながらフィンはその酒を飲んだが―――これでは味も何も分かったものではない。

《それで、どうすりゃいいんだ?》

 するとファーベルが男に尋ねた。

「で?」

 男はぼそっと答える。

「娘だ」

「がどうした?」

「見たら、教えて欲しい」

 娘? 人捜しか何かか?

「ああ? 迷子か?」

「違う! 行っちまったんだ!」

 行っちまったって―――じゃあ家出か何かか?

「何で行かせた?」

 それを聞いてその男が急に涙目になる。

「言えなかったんだよ。いや、言おうとしてたんだってよ。でも行ったらもういなくてよ……」

 それを聞いてファーベルがちょっと首をかしげて尋ねた。

「おい。その娘って、おまえのか?」

「いや、村のだ」

「先に言え! バカめが」

「すまん」

 えーと―――どういうことなのだ?

 フィンには今ひとつよく分からないまま、会話は続いていく。

「で、なんで俺たちに言う?」

「また北に帰るんだろ? 途中にいるかもしれない」

「途中? って、村が幾つあるか分かってんのか?」

「分かってる。だから泊まったときに訊いてくれればいい」

「それだけでいいのか?」

「あいつはザモスに付いて行っちまったんだ」

「ザモス?」

「女衒なんだよ。そいつは」

「先に言え! バカめが」

「すまん」

 男がそう言って頭を下げると、ファーベルはいきなりフィンの方を向いて言った。

「で、どうする?」

 フィンはぽかんとした顔で答えた。

「いや、だから何なんだ? 人捜しして欲しいって事か?」

「みたいだ。途中の郭にいるらしい」

 要するに何だか知らないが―――この男は女衒についていった娘を探しているということか? ということは、その娘はどこかの郭にいるということなのだろうが……

 確かに行商人なら次々に町伝いに動くし、そういった所に立ち寄っていくのも普通だから、彼らに頼むというのは有りだとは思うが……

「って言っても、一体どんな娘なんだ? 名前も顔も分からないし」

 フィンが尋ねると聞いて男が答える。

「名前はロゼット」

「でも郭じゃ源氏名を名乗ってるのが普通だけど」

 遊女同士でも本名は知らないことも多い。

「大丈夫だ。二の腕に大きな火傷の痕がある」

「ああ、それだったら……」

 そういうはっきりとした特徴があるのなら訊けば分かるかも知れないが―――だがフィンにはちょっとした問題があった。あの夜の誓いのせいで、そういった所に立ち寄ることができないのだ。

《いや、でもこれで行く理由ができたよな?》

 元々郭にも情報収集に行きたかったわけで、こんな理由があれば行って何もしなくても問題ないような―――本当は一晩じっくりと話を聞けるといいのだが……

 まあいい。これは結構渡りに船というのではないだろうか?

 そこでフィンは座り直すと男に尋ねた。

「でももし見つかったとしてどうすりゃいい?」

「手紙くれ」

 そういって男は銀貨を取り出してフィンに握らせた。

「なるほど。で、宛先は?」

「クエンタ村、ナダール」

 フィンはノートを取り出してそれをメモした。それから彼に尋ねた。

「でさ、もうちょっと詳しい話を聞きたいんだが……彼女は君の娘さん?」

 と言いつつ目の前のナダールという男はそんな大きな娘がいるような齢にも見えないのだが―――それを聞いて男は目を丸くして答える。

「んなわけねえ!」

「でもさっき娘って……」

「村の娘だ!」

 ぽかんとしたフィンにファーベルが横から補足した。

「漁から父親が帰れなかったら、家族は村で面倒見る。母親は村の嫁で、娘は村の娘」

 ってことは? 同じ村に父親を失った母娘がいて、その娘を彼は探しているということか。

「はは。なるほど……じゃあそのロゼットって娘を?」

 ナダールはちょっと赤くなってうなずいた。

「んだ」

 やっと状況が分かってきた。それならば彼が必死なのもうなずける。

 それはそうと村の嫁、村の娘はいいとして―――フィンはファーベルに尋ねてみた。

「で、ちなみに息子がいたら?」

「海に行く」

「はは。そうなんだ」

 なんだかいろいろ知らない習慣があるらしい。

「でも村で面倒見るっていうなら、何でその娘は……」

 そう尋ねかけてフィンは口をつぐんだ。

 考えてみれば全ての村が裕福なわけではない。貧乏な村ではそういった女達を養うのが大変なこともあるだろうし……

 実際その想像は当たっているようだった。ナダールは暗い顔になると言った。

「男は兵隊にとられるし、この何年か不漁だったし……」

 あ、やっぱり……

 そのとき横で話を聞いていたボニートが口を挟んだ。

「で、行っちゃったと……その子、あんたが好きだってこと知ってたの?」

 うわ。このバカはまた直球なことを……

 フィンはナダールが怒り出さないか少し身構えたが、男は逆にもっと落ち込んでしまった。

「謝ろうと思ってた。ずっと……」

「謝る?」

「あいつの火傷、俺のせいだ。だから……ふざけてただけなんだ。でも……」

 どうやら火遊びか何かをしていてうっかり彼女を傷つけてしまったということだろうか?

 見かけによらない純情男のようだ。

「済んだことだ」

 ファーベルがナダールに酒を差し出す。

「すまん」

 男はそう言って鼻を啜った。

 それを見てフィンはさらにナダールに尋ねた。

「で、そうそう。彼女のことをもう少し訊きたかったんだ。年齢とか背格好とか」

「歳は十五。背は少し低いが、いいおっぱいだ。目は細くて、髪は黒で……少し癖があって……」

 娘の特徴をメモし終わるとフィンは更に尋ねる。

「行った先に全く心当たりはないのか? その女衒、何て名前だったっけ」

「ザモス」

「うん。そいつの居場所はわからないのか?」

「訊いた。でも行ってもいなかった」

「女衒がいなかったのか?」

「違う。女衒が言った郭にはいなかった」

 ということは?

「そこからまた別な所に郭替えしたとか?」

「いや、来てないと」

 フィンは首をかしげた。

《ということは、誰かが嘘をついたと?》

 ともかくその娘がザモスという女衒に付いて行ったとして、そうなると女衒が娘を送った先を偽ったか、送られた先の郭の方で隠している、か?

「名前が変わってたってことは?」

「火傷の痕、訊いたが、いなかった」

 それだったら本当にいなかったのだろうが……

「その他はどこを調べた? このあたりは?」

「いなかった」

「シーガルは?」

「知らん。だから頼んでいる」

 フィンは考え込んだ。彼の言いたいことはよく分かるが、でもあまりにも効率が悪そうな―――そこでフィンは言った。

「うーん。やっぱりそのザモスってのに、もう一度訊いてみるのがよくないかな」

 このナダールという男はどう見ても話し上手ではない。そのせいで女衒が勘違いした可能性もあるかもしれない―――そのときだった。

「ザモスって、あのメダックスの所に出入りしてる奴だろ?」

「ああ、あいつの仲間かよ」

 近くの席に座っていた別な客達が話すのが聞こえた。

 この時間には酒場は客でおおむね埋まっていたが、そのメダックスというのは丁度午後に聞いた名前ではないか。

 フィンはその男達に尋ねた。

「メダックスって人買いもやってるのか?」

 それを聞いてその客は答えた。

「あいつは売れるもんなら何だって売るさ」

「んだ」

 連れの男もそう言ってうなずく。

 メダックスというのは、この地域ではかなり嫌われているらしい。

《でもどうしたもんか……》

 ナダールの話には同情はするが、これでは雲を掴むような話だ。これからの移動経路上にある郭で話を聞くことはできるにしても……

《でもそんな傷のある娘なんて、あまりいいとこには行けないよな……》

 遊女というのは見栄えが命だ。そんな派手な火傷の痕があったりしたら、間違いなく高級な所では採ってくれないだろう。

 だが娼館は安い所の方が数が多い。その辺の安宿や安酒場の給仕が終わったらそっちのサービスも、なんてのもざらだ。

《だからまあ、ダメ元で頼んでるんだと思うけど……》

 この男が自力でこのあたりを全て探し回るなんてのはまず不可能だろうし。

《最初にちゃんと伝えておきゃ……》

 そうなのだ。最初にちょっと歯車が食い違ってしまうと、後からはもう簡単に修復できない状況に陥ってしまうわけで―――今のフィンのように……

 フィンはナダールに、とりあえず全力を尽くしてみるが、見つからなくても恨むなよ、といったようなことを言おうとした。

 だがその頃には結構酒も入っていたので、話す内容がうまくまとまらない。

 そのときだった。ボニートがナダールに言ったのだ。

「ロゼットちゃん、もうダメかもね」

「あん? どうしてだ?」

 ナダールが怖い顔でボニートを睨む。だが―――ボニートは顔が真っ赤だ。どうやらこいつも酔っぱらっているようだ。

「だって、そのメダックスってウィルガ人なんでしょ?」

 ナダールはうなずいた。

「お兄さん、郭に売られた娘がどうなるか知ってる?」

 ナダールはぽかんとした顔でボニートを見る。こいつ、一体何を言い出したのだ?

「すっごく運のいい娘はね、綺麗な服着て、美味しいもの食べられて、ずーっとおもしろおかしく暮らせるんだけど、大抵はその辺の宿とかにいたりするよね。でも、そんな娘はまだいい方なんだよ」

 ナダールは黙ってボニートの話を聞いている。

「彼女、二の腕に大きな火傷の痕があるんだって?」

「ああ」

「で、家族もいないの?」

「ああ」

「じゃあうってつけだよね」

「何がだ?」

 ボニートがにやっと笑った。


「知ってる? ウィルガ八百年の裏歴史って」


「ああ?」

 ナダールは目を見開いた。フィンも同様だ。何だそれは? 聞いたこともないが……

「ねえ、郭に行って女の子を殴ったりしたらどうなるか知ってる?」

「はあ?」

「もちろん夜番にボッコボコにされるよね?」

「当たり前だ」

「でもさ。いるんだよ。そんな奴が。痛めつけて相手がヒーヒー言うのを見るのが好きな奴。そういうことさせてくれる所もあるんだけど、あれにもちゃんとしたルールがあってねえ」

 ふと見ると酒場中の客がボニートの話に興味を持ったようだ。みんな彼の方を見ている。

 それに気づいてボニートはさらに調子づいた。

「でさ、世の中にはそういうのにも飽き足らない奴がいてね、得てしてそういう奴って金持ってたりするんだ。そうするとどうなると思う?」

 ボニートは辺りを見回してまたにっと笑う。

「そうなんだよ。そういうことするために、女の子を買って来ちゃったりするんだ」

「………………」

「もちろん表だってはそんなことできないから、お館に奉公にって連れて来られるんだ。だから本人は大喜びさ。最初は。だってその辺の郭に行くよりずっといいじゃない。そっちの方が。でもさ。行ってみて初めて何かがおかしいって気がつくんだ」

「………………」

「奉公だったらまず仕事を教わるわけでしょ。なのにまず連れて来られるのが、館の地下室なんだよ。そこには彼女が見たこともないおかしな装置がいっぱいあってさ、でっかい男がやってきてその一つに彼女を縛り付けるんだ」

「………………」

「それから何されるかっていうと、着てる服を一枚一枚はぎ取られていってねえ、今度は体中を隅々まで調べられるんだよ。それで処女だって分かったら、ちょっとだけは優しくしてもらえるんだけど、その後のことを考えるとどっちがいいか分からないけど……とにかくそうやってじーっくり検分されて、お館様のお気に召したらねえ、太ももの裏側にこんな焼き印を押されるんだ」

 そう言いながらボニートは親指と人差し指で丸を作ってみんなに見せる。

「それがある限り、これから永遠にお館様の性奴隷ってことになるんだ」

 周囲はしーんとしていた。

「もちろん気丈な子だったら、そのへんでちょっと逆らったりするんだけど、そんなことしたらどうなるかっていうと、もちろん逃げようったって逃げられないから、男にすぐに捕まっちゃって、テーブルの上に四つん這いにさせられて、手足が動かないように縛り付けられて、そして『まずお前のその口をどうにかしなければいけないな』とか言われて、口にこんな金属の輪っかをはめられるんだ。そうするともう口を閉じることもできなくて、あーっあーって言うだけなんだけど、その開いた口の中に男達は代わる代わるに自分のモノを……」

 ボニートは男娼上がりだからこういった猥談は得意で、酔っぱらった際にはいろいろと披露してくれていた。

 これがプリムスと三人の時などならそれでも良かったが、ちょっとここでこれはあまりにも下品すぎる。それこそこのバカの口をどうにかしなければ―――フィンがそう思った瞬間だ。


 パキン!


 ナダールが手にしていたグラスが握りつぶされていた。

《げ!》

 見回すと周囲の男達の表情も―――何だか目の色がおかしいぞ?

 もしかして、しーんとしていたのは聞き入ってたんじゃなくて、マジにドン引きしていたんじゃ?

 ナダールはいきなりボニートににじり寄ると、どんとテーブルを叩いた。

「本当かよ?」

「え?」

 その剣幕にボニートの目が点になるが……


「ロゼットがそんな目に会ってるってかぁ?!」


 再びナダールがテーブルを叩くと、分厚い天板がみしっと言った。

《うわ! やべえ!》

 これではボニートが殺されかねない! 身から出た錆とはいえ、でも後始末をさせられるのはこっちだ。

 だがどうやって彼を助ける? 魔法で吹っ飛ばすのが一番楽だが、彼が魔法使いであることはここでは秘密だ。えーっと―――するとファーベルがふらっと立ち上がってナダールの肩に手を置いた。

 フィンはほっとした。

《ここは彼に任せるのがいいか……》

 だがそのファーベルの表情を見て、フィンは凍り付いた。

 ファーベルはナダールをそのまま横に押しのけると、いきなりボニートの胸ぐらを掴んでねじり上げたのだ。

「あいつら、そんなことやってやがるのか?」

「はひ! ふふひぃ!」

「答えろ! ゴルァァ!」

 ファーベルはそのままボニートを宙づりにする。ボニートは手足をばたばたさせるが、大人と子供のようなものだ。

「ちょっとちょっと!」

 フィンは慌てて割り込もうとするが、別な客に振り払われて尻餅をついた。

「メダックスの野郎、そんなことを?」

「野郎、ぶち殺すか?」

「おうよ!」

 見たら店の客が全員立ち上がって血相を変えている。中には手に武器らしき物を持っている奴もいる。

《うわ! ヤバいぞ! これって……》

 フィンは慌てて飛び起きると、近くの椅子の上に上って大声を上げた。

「ちょっと待て! 違うって! ただのヨタ話だって!」

 だが誰も聞いてくれそうもない。

「みんな、落ち着けって! そいつは……」

「うるせえ!」

 途端に横の方から大きなジョッキが飛んできて、フィンの頭に命中して粉々になった。



「そういうことで、二針ほど縫うことになりまして……」

 まだ頭の包帯が取れないフィンが、フィーバスに言った。

「それはまた災難だったな」

 フィーバスが笑いを堪えながら答える。

 あの騒ぎから約半月の後、フィンは再びシーガルに戻ってそれまでの経緯の報告を行っていた。

 場所はまたシーガル城のあの部屋だが、今回はフィーバスとアルクス王子の他に、ファーベルの上司のアルデン将軍もいた。

「で、傷はまだ痛むのか?」

「いえ、もう大体塞がっていて。出血の割には大したことがなかったようです」

 あのとき飛んできたジョッキはフィンのこめかみに見事にヒットして砕け散った。そのためフィンの額がぱっくりと割れて、血が派手に噴き出したのだ。

 顔中血まみれになって伸びてしまったフィンを見て、ファーベルがやっと自分の役割を思い出してくれたらしい。彼がその場を取りなしてくれたおかげで、暴動にはならずに済んだようだったが、おかげでタルタルからは早々に引き上げざるを得なかった。

《火に油を注いだのはファーベルだけどな》

 そのことはアルデン将軍には言わないでおいたが……

「確かにボニートは無神経でしたが、でもあそこまで激高されるというのもちょっと予想外で、止めるのが遅れてしまって……」

 それを聞いてアルデン将軍が言った。

「ル・ウーダ殿は自分の妹や娘がそういう目に会っていると言われて、平気でおられるのか?」

 彼はもう白髪の老人だったが、同じく漁師の出身だったそうで今でも立派な体格をしている。

 その顔は真面目一筋と言った感じだ。出来事の報告なのであそこで起こったことをおおむね正確に伝えたのだが、それを聞いて彼もまたカンカンに怒っていたのだ。

 アルデンは口をへの字に曲げてフィンを睨みつけている。

 フィンは慌てて弁明した。

「いえ、もちろん平気なんかじゃありませんよ。でも、すみません。ちょっと村の娘とか嫁とか言った話はそれまで知らなくって、だから同じ村が本当に家族同然だったとは思ってもなくってですね……」

 それに対して何か言おうとしたアルデン将軍を抑えたのはフィーバスだ。

「まあ、アルデン。ル・ウーダ殿は来てまだ日が浅いから……で、ともかくその後の話を聞こうじゃないか」

 アルデンは黙ってうなずいた。

「はい。それで考えたんです。奴らが本気でそういうことをしていたらどうなるかって」

「本気でだと?」

 アルデン将軍はまたフィンを睨む。

 フィンはそれにはもう構わずに続けた。

「そうです。もしそんなことになったらアルデン様は許せませんよね?」

「そんなこと決まっておるわ!」

 また怒り始めそうになったアルデンの機先を制してフィンは続けた。

「当然あなたの友人も、アロザールの魂を持った方ならばみんな同じですよね?」

「当たり前だ!」

 何が言いたい? という表情のアルデンを見て、フィンはうなずいた。

「そこで、タルタルのトラドール陛下の取り巻き連中なんですが、奴らすべてがウィルガ人じゃありませんよね? 地元の人間だって随分混じってると思うのですが、彼らはどう思うでしょう? 自分達のボスがそんな非人道的なことをしてると知ったら」

 それを聞いてアルデン将軍は目を見開いた。

 それからフィーバスやアルクス王子の顔を見る。

「こちらに寝返ってくれる者がいるかもしれないし、場合によったら造反してくれることだっがあるかもしれません。ただ、もちろん現時点では何の証拠もありません。娘が一人行方不明になっているだけで……だから調査しなければならなかったんです」

 そのフィンの言葉を聞いてフィーバスが言った。

「なるほど。で、ファーベルの部下を送り込んだと?」

「はい。そうです」

 それを聞いてフィーバスは笑いながらアルデン将軍に向かって言った。

「アルデン、そういうことらしいが?」

「はっ」

 アルデンは赤い顔をしてうなずいた。

 あの後フィンはファーベルの部下達に金を渡して、各地の郭に行ってロゼットのことや、それ以外にも娘が行方不明になっていないか調査させたのだった。

 その際の資金を王宮の金庫から出してもらったりしたのだが、ファーベルの部隊が公費で郭に行かせてもらっているという噂があっという間に広がってしまい、それを聞いたアルデン将軍がこれまた激怒していたのだった。

「で、その結果はどうだったのだ?」

「それなんですが……」

 問題はそちらの方だった。

「ロゼットの行方に関しては結局分かりませんでした。私とファーベルはザモスのルートを洗ってみたんですが、やっぱりナダールの言ったとおりで」

 それを聞いてアルデン将軍が言う。

「そのザモスとかを締め上げてみたのか?」

「そんな、確証も無しにそんなことはできませんよ」

 将軍は何か言いたそうだったが何も言わなかった。

「色々と素振りの怪しい感じはしたんですが、女衒なんて元々そんなものですし……で、その他の噂についてなんですが、遊女とか娼婦の行方が分からないことなんてざらで、郭替えもよくあることだし……」

「そうだろうな」

 フィーバスはうなずく。

「怪しいと言えば一件だけ、ある娼婦が女衒に連れて来られる際にもう一人仲間の娘がいたらしんですが、その娘が今度お屋敷のお勤めができるかも、とか言って喜んでたっていう話はあったんですが……」

「お屋敷のお勤め?」

「普通ありませんよね? そんなの」

 フィーバスはまたうなずいた。

 当然のことながらそういったお屋敷では身元のしっかりした娘しか雇わない。女衒の連れてくるような女など、通常は論外だ。

「それで? その娘は?」

「別れてそれっきりだそうです。どこのお屋敷かも分からないし。しかもその娼婦は随分年増だったそうで……あったとしてもかなり昔の話でしょうし」

「ふうむ」

 フィーバスは考え込んだ。

「そういうわけで申し訳ありませんが、調査に関してはあまり成果が上がったとは言えませんでした……結果が出ていれば面白かったんですが……」

「それではどうするのかね?」

「当初の計画通り、タルタルの城に潜入する方法を考えるしかないでしょうか? ただご存じの通り色々な問題点が……」

 そのときだった。それまでは横で寝そべって彼らの話を聞いていただけのアルクス王子が口を挟んだのだ。


「ねえ。面白い結果が出なかったんなら、出しちゃえばいいじゃない」


「はい?」

 フィンは驚いてアルクスの顔を見る。

「言ってること、わかんない?」

「いや、その、証拠を捏造しろと?」

「捏造だなんて、フィン君って悪人だなあ……まあ本当に何も出なきゃそうだけどね」

 アルクスはそう言って大人びた表情で笑った。フィンは口ごもる。

「えっと、あの……」

 アルクスは今度はアルデン将軍に向かって言う。

「なあ、アルデン。どう思う? もしかしたらそのメダックスって奴が、君たちの姉妹を性奴隷にしてるかもしれないんだよ? そんなことを看過できる?」

 アルデン将軍は真っ赤になって口をぱくつかせるだけだ。

 それからアルクスはぴょんと体を起こすと、フィーバスに言った。

「そんな可哀想な娘達を救ってやるのって、やっぱり上に立つ者の勤めだとは思わない?」

 いや、そうかもしれないが、まだ証拠も何もないのだが……

 だがフィーバスはうなずいた。

「アルクス様がそうおっしゃられるならば」

 それを聞いてアルクスは立ち上がるとまたフィンに話しかけた。

「それじゃそのザモスって奴なんだけど、今どこにいる?」

 フィンは慌てて答えた。

「え? 最後に会ったのはクリーチという村ですが」

 クリーチ村とはタルタルの北に一日ほど行ったあたりにある、結構大きな村だ。

「そこで女漁りしてるの?」

「そのようですが」

「じゃあ行こうか」

 フィンが答えるとアルクスはそう言ってぽんと肩を叩いた。

「え?」

 フィンは泡を食った。

《行くってどこへだよ?》

 そう思った瞬間だった。アルクスが言ったのだ。

「もちろんクリーチ村だよ? そのザモスって奴にはいろいろ訊きたいことがあるだろ?」

 フィンは背中がぞくっとした。一瞬だったが―――いや、これは間違いない! 三流とはいえフィンも一応都で教育を受けた魔導師だ。この感覚は知っている! 考えていることを読まれたのだ!

 フィンは驚いた表情でアルクスを見つめた。

「えっと……」

「僕が一緒に行けば話もはかどるだろ?」

 そう言ってアルクスはにやにや笑っている。

 いや、確かにそんな能力があるのならそうだが―――でも真実審判を行うにはそれなりの手続きが必要であって……

 だがそこでフィンは気づいた―――その手続きを承認するのは国王なのだ。

 目の前にいるのは次期国王で、現国王といったら……

 ということは?

「それからアルデン。いつでも部下を寄こせるよう待機しといてね。急がないと逃げられるかも知れないから」

 アルクスはアルデン将軍に指示をする。

「承知しました」

「さて、それじゃ行くよ」

 そう言ってアルクス王子はすたすたと歩き始めた。フィンは慌ててその後を追う。

《えっと……えっと……》

 確かにあのザモスという男は正直には見えなかった。だが読心能力のある魔導師がいればもう嘘など通用しない。そうすればとりあえずロゼットの行方だけは分かるに違いない。

 でも……

《多分、本人が行方を知らせないよう言ってるんだろうけど……》

 彼女の件に関してはそれが一番可能性が高そうだった。身を売った娘は故郷との縁を切りたがる者も多いからだ。

《ってことは……》

 今度はメダックス達が陰で娘をさらっては性奴隷にしている、みたいな話をでっち上げて流布させるという、そんな作業が待っているのだろうか?

《何だかなあ……》

 こういったやり方というのは、はっきり言って邪悪な気がするのだが―――いや、目的は手段をある程度は正当化するはずだ。

《そうでもしないと第二王子を殺しに行かなきゃならんとすれば……》

 ―――まだこっちがマシだと思う他なかった。