世界の危機とワンダーライフ 第1章 ドキドキ新生活

世界の危機とワンダーライフ


第1章 ドキドキ新生活


 チャイカやネイ達と同居し始めて一ヶ月が経過していた。

《ふう~……なんか本気で暑くなってきてるなあ……》

 フィンは疲れた体を引きずるように自宅への帰り道を急いでいた。

 この季節は日没までまだもう少し時間がある。歩いているだけでじっとりと汗ばんでくるほどの陽気だ。

《これで六月なんだからなあ……》

 真夏になったら一体どういうことになるのだろう?

 アロザールというのはまあ悪いところではないのだが、この暑さだけは勘弁して欲しい。

 その話を出すとチャイカは『確かに昼間は少々暑うございますが、午後には夕立が降りまして、その後は涼しくなるのでございます』とか言っていたのだが―――本当なのだろうか?

《うー……今日は先にシャワーを浴びるか?》

 昼間いろいろあったせいでかなり汗をかいている。

 だが同様に喉の渇きと空腹も結構限界点だった。

 フィンが疲れ果てていたのは、アロザール王国の第一軍の視察という名目で軍の駐屯地に行っていたせいだった。

 正直、評議会の相談役なんて名誉職程度の物だと思っていた―――だがその予想は大きく外れて、本当に色々な相談事が持ち込まれていたのだ。

 特にセロの戦いについてはこちらでもよく知られていて、そのため軍事関係の様々な事項に関しての意見を求められることも多かった。

 フィンは尋ねられたことに対して常識的な答えしか返していないつもりだったのだが、実戦や各地を実際に歩いて得られた体験に基づいた常識だ。参考になったと喜んでもらえることも多く、おかげで今ではなし崩しに軍司令官補佐役みたいな立場にもなりつつあったのだ。

《だからもっと地味にしてないとだめだってのに……》

 色々知らん振りをしていた方が良かったのだろうか?

 だがそんなことをしていたらもっとまずいことになりそうだった。

「何かなあ……聞きしに勝るっていうか……」

 彼が疲れていたのは延々歩き回った挙げ句に酒まで飲まされたからだけではなかった。

 視察した駐屯地というのが、彼の目から見ても問題山積だったからである。


 ―――フィンがシーガルから少し離れた所にある第一軍の駐屯地に入ったときには少々緊張していた。

 フィンはこれまでアルデン将軍やファーベルらとともに行動していたが、彼らはアロザールの第三軍という軍団で、クーレイオンの作戦時の整然とした行動を見てもかなり練度の高い兵団だった。

 だがアルデン将軍らと色々話をしていると、彼らが何故か妙に不安がっていることに気がついた。将軍がこのまま北伐を行うのは現状では苦しいかもしれないなどと語るのを聞いて、当初は少し心配性過ぎるのではと思ったくらいなのだ。

 だが詳しく話を聞いてみるとちょっと様子が違っていた。

 第三軍というのはアロザールの現地人を主体とした軍団なのだが、これは人数比から言ったら一番少なく、アロザール軍の大部分を構成する第一軍と二軍は傭兵主体の軍団だったのだ。

 そこでフィンは将軍から第一軍と第二軍を視察して、改善できるところがあったら教えて欲しいと頼まれたのだが……

《とは言ってもなあ……》

 彼がちょっと見て回ったくらいで何かが改善できるとも思えないのだが……

 だが頼まれた以上一応やるべきことはやらなければならない。

 そういうわけで彼はこうして今日、第一軍の駐屯地を訪れていたのだった。

「ル・ウーダ様。こちらが駐屯地の正門になります」

 同行しているのはブルッススという第一軍の連隊長の一人だ。ひげ面のごつい男だが、どういう噂を聞かされているのか知らないが妙に低姿勢だ。

「ああ」

 フィンはその門をくぐって―――まず目を見張った。

 駐屯地の中はフィンにもすぐ分かるくらいに弛緩した空気が流れている。

 まずあちこちにゴミが散らかっているし、兵士達はだらしなく制服の胸をはだけてあちこちでふらふらしているように見える。

《確かに暑いっちゃ暑いけど……》

 フォレスでは少なくとも昼間にはあり得ない光景だ。

 それから彼はブルッススの案内で屯所内を回り始めたのだが、それで分かったのは正門あたりはまだ整っていたということだ。奥の宿舎のあたりは、それはひどいものだった。

 しかも汚れているだけならまだましだった。

「よう。ブルッススの旦那。今日はまたどうしたんだい?」

「誰だ? そいつは?」

 ふらふらしている兵隊達が上官のブルッススにタメ口をきいてくる。

「うるさいぞ。貴様ら。こんなところで油売ってないでとっとと失せろ」

 ブルッススも彼らに向かってわめき返すが、それから気づいたようにフィンに対して言い訳を始める。

「申し訳ありません。ル・ウーダ様。礼儀作法も弁えぬ連中でして……」

「え? ル・ウーダ?」

「女抱かせてくれる先生か?」

「おーい、じゃあ今度は俺たちの番か?」

 兵士達は今度はそんなことを言い出した。

 ファーベルの部下に郭の調査に行かせた話はこっちにも届いているらしいが……

「やかましいぞ? 貴様ら、とっとと消えろ!」

 ブルッススは兵士達を追い散らした。

 フィンは少々呆れた顔で彼らを見ていた。

《上官や来客に対する態度か? これって……》

 何かそのあたりは基本だと思っていたのだが……

 それからさらにあちこちを回ってみたのだが、どこもかしこもこんな調子だ。

 一通りの案内が終わった頃、正午の鐘が鳴った。そこで彼らは士官用の宿舎に戻って昼食を取ることにした。

 士官用の食堂はそれまで見た場所に比べたらまだましとは言えたが、それでも下士官連中はあの兵士達と大差ないように見える。

《うーむ……》

 フィンは食事を取ろうとしたのだが、他の士官達がフィンをじろじろと見るので何か落ち着かない。

 更にそれに輪をかけるようにブルッススが彼に尋ねた。

「で、ル・ウーダ様。こちらはいかがだったでしょうか?」

 いかがって―――そう問われてもコメントに困るのだが……

 まあ、上品ぶっても仕方ないし……

「そうだなあ、なんていうか……討伐団にいたときみたいだな」

 フィンは思った通りにコメントした。

「討伐団? ですか?」

「ああ。以前グラテスにいたとき、盗賊の討伐団に入ったことがあってね、そんときの雰囲気に似てたというか、何というか……あはは」

 それを聞いて近くに座っていた下士官の一人が言った。

「兄ちゃんが賞金稼ぎをしてたのかい?」

「おい! こら! ル・ウーダ様になんて口の利き方だ!」

 ブルッススが慌てて言うが、何かもう些細なことのような気がしてきた。

 そこでフィンはあの頃の気分に戻って答えた。

「まあいいって。実際そうだったんだから。ちょっとアルバイトだったんだけどね」

「グラテスっつったら……あんた、バルコって知ってるかい?」

 下士官は思わず懐かしい名前を出してくる。

「ええ? あんた、奴の知り合いか?」

「ああ。何度か一緒に仕事したことがあるぜ」

「へえ。そうなんだ。こんなところにバルコを知ってる奴がいるなんて……」

 あいつって結構有名人だったんだ。

「討伐団ってどんな奴相手だったんだ?」

 今度は別な男が尋ねてくる。

「ボルトス一派さ。知ってるか?」

 フィンが答えるとその男は目を丸くした。

「ええ?」

「どうしたんだ?」

「知ってるも何も……じゃあ、あの後入ってきた魔法使いってのが?」

「あの後?」

「あんとき、情報がだだ漏れになってメンバーが随分抜けたじゃないかよ。俺も抜けた口なんだよ。あんときに」

「え? じゃあ……」

 確かにそんなことがあった! ボルトス一派のスパイが混じっていて討伐団の情報が相手に漏れて、それで結構人が抜けたと言っていたが……

「後から聞いて、何かとんでもない凄腕が入ったせいで、結局一派は壊滅したって言うじゃねえか。そんなことなら抜けるんじゃなかったって地団駄踏んだもんだぜ」

 あはははは。こんな所で知られてるんだ……

「ええ。そうなんだ……でもあのときはロゲロ達に持ち逃げされて、みんなあまり儲からなかったんだが」

 フィンは苦笑いしながら答える。

「その話も聞いたぜ。何か黒幕にシルヴェストの偉いさんが付いてたとか何とか」

「結構有名なんだな……」

「お見それしましたぜ。旦那……おい! 酒持ってこい」

「え?」

 その頃にはあたりには人だかりができていた。

「ボルトス一派とか、どうやってやっつけたんですかい? 前の年は半分くらいが殺られちまったって話なんですが」

「ああ、それはなあ……」

 そんなこんなで真っ昼間から酒を飲んでは、武勇談を話す羽目になってしまったのだった。

 こうしてとりあえず彼らと親睦が深められたという意味ではOKと言えないこともなかったのだが―――


 傭兵と賞金稼ぎはほとんど同じような連中がやっている。国同士の小競り合いがあれば彼らは国に雇われるし、平和になればそういう連中は解雇されて賞金稼ぎに回る。

 多かれ少なかれ、各国の通常軍には傭兵が含まれてはいるのだが―――アロザールの第一軍と第二軍はほぼこんな連中で構成されていた。これはさすがにちょっと比率が高すぎないだろうか?

《盗賊の討伐隊とかならこれでいいんだろうけど……》

 確かにボルトス一派討伐隊はこんなノリだったのは間違いない。

 だがやることが討伐程度ならともかく、一国の軍隊としてはどうなのだ?

 実際ちょっと都合が悪くなるとすぐ逃げ出すような連中だ。その目的も単に金目当て以外の何物でもない。

《大丈夫なのかな……これ……》

 こういう奴らは勝っているときはいいが、旗色が悪くなると総崩れになりがちだが―――レイモンとの戦いは決して安穏なものではないはずだ。

 レイモン国内を視察した際には行商人として屯所にも何度か入ったが、各地のレイモン軍は大変よく統制が取れているように見えた。

《この調子だと単なる数勘定じゃ済まなくなるかも……》

 今までのフィンの行動の大前提は、小国連合とレイモン王国の戦力が拮抗しているということだ。

 その最大の根拠は各国の軍隊の人数だ。南部方面に関しては、アロザール王国全軍約五万に対してレイモンのバシリカ防衛軍が約四万であった。これはそれだけを見れば間違いなく互いに簡単には仕掛けられない均衡状態といっていい。

《数の上ではだけど……》

 戦いの帰趨が数だけに帰着しないということもまた事実だ。それはセロでフィン自身が証明したことでもある。

 その数の差をひっくり返すためには様々な要因が必要になるが、そこには兵士の質というのが最も大きく関係する。

 セロの戦いの際のベラ軍は多くが徴募兵で、驚くほど士気が低く統制も取れていなかった。

 対してネブロス連隊はフォレス最精鋭だ。それにセロという地の利、冬が近いという時の運などが加わった結果として、僅か千五百で十倍のベラ軍を食い止めることができたのだ。

《でも今度の相手はガルンバ将軍だし……》

 もし実戦でアロザール軍がレイモン軍に蹴散らされたりしたら全ての基本前提が狂ってしまうのだが……

 ということはもしかして、彼は何とかしてアロザール軍を立て直す必要があるのだろうか? でなければ今までやってきたことが何もかも無駄になってしまいそうな気さえするのだが……

《でもどうやって?》

 一介の三流魔法使いにこれ以上何ができるというのだ?

 フィンが何度目かのため息をついた頃、彼の屋敷に到着した。

「ただいまー」

 ―――だが返事がない。

《あれ?》

 いつもならほとんど待ち構えていたように三人で出迎えてくれるはずなのに……

 すると奥からボニートがやってきた。

「あ、フィン。お帰り」

「どうしたんだ? 今日は、チャイカさんは?」

 ボニートが食堂の方に向かって叫ぶ。

「チャイカさーん! 帰ってきたよ~!」

 それに答えるかのように奥から悲鳴が聞こえてきた。

「え?」

 一体何が起こっているのだ?

 次いでどたばたとチャイカが走って出てくると、フィンの顔を見るなり両手で顔を覆って床にへたり込んだ。

「お、おい……」

 何なんだ?

「申し訳ございません」

 チャイカがいきなり土下座する。

「ちょっと、どうした?」

 どうでもいいことで一々土下座するなとかなりきつく言ってから、彼女はそれほどはそうしなくなっていたのだが―――何かひどくまずいことが起こったのだろうか?

 フィンの声を聞いてチャイカが顔を上げる。目に涙が浮かんでいる。

「おい、どうしたんだよ」

「申し訳ございません。それが……」

「ああ」

「パンを焦がしてしまったのでございます」

「はああ?」

 フィンは脱力のあまり、しばらく声が出なかった。

 パンを焦がしたって―――それでこんなに騒ぐほどのことか?

「本当に申し訳ございません。ご主人様に焦げたパンなどをお出しするなど言語道断でございますが、焼き直すにも時間がかかりますし、買ってくるにもこの時間では開いている店もございません。本当にこうしてもう、伏してお許しを願う他はないのでございます」

 チャイカは床に額を擦りつけて謝り続ける。

「ちょっと、顔を上げてよ。焦げたって、何? 炭になっちゃったのか?」

「え? そういうわけではございませんが……」

「どんな感じだ? 見せてよ」

 チャイカは渋々と言った様子でフィンを厨房に案内する。

 そこは確かにちょっと焦げ臭かったが、香ばしいパンとシチューの香りが漂っている。

 フィンはテーブルの上に大きな丸いパンを見つけた。確かにかなり真っ黒とは言えるが―――この程度食べられないわけがない。

「何だ? これなら全然大丈夫だろ?」

「ええ?」

「いいよ。これ食べようよ。捨てるのなんてもったいないし」

「えええ? よろしいのですか?」

 目を丸くするチャイカにフィンは言った。

「ああ。ともかく食卓の準備をしようよ。お腹がぺこぺこなんだよ」

「はい、はいっ! すぐに準備いたします」

 チャイカはネイとボニートに指示を出して、てきぱきと夕食の盛りつけを始める。

 フィンは食堂のテーブルに座ってそんなチャイカ達の姿を眺めていた。

《はは。チャイカさんでも失敗することあるんだな》

 彼女はこの一ヶ月、一緒に暮らすようになってからというもの、メイドとしての完璧な能力を見せつけていた。おかげでフィンの肩身が狭いような気がするくらいだ。

 だがこんな風にドジを踏むところもあるとなると、逆に親近感が沸いてくる。

 ネイ達が全員分の食器をテーブル上に並べている間に、チャイカがワゴンに乗せたパンとシチューを運んでくる。その後からボニートがサラダを持った大皿を持ってきた。最近は奴もチャイカにしっかりと躾けられていて、この程度のことはちゃんとやるようになっている。

 それから彼女は各自の皿にシチューを注ぐと、パンを切り分けた。

 焼きたてパンの香りがふわっと広がる。やはりちょっと皮が固くなりすぎているだけで、中の方は大丈夫なようだ。それだってシチューに浸して食べれば十分食べられそうだし……

「それじゃいただきます」

「いただきまーす」

 テーブルを囲んで四人は夕食を始めた。この一ヶ月はずっとこんな感じだ。

 夕食はパン以外はまずまずの出来だったが……

《さすがにエッタのと比べちゃだめだよな……》

 ドゥーレンの所でアルエッタが作ってくれたすじ肉シチューはなかなか絶品だったが、今そんなことを口にしたりしたら確実に泣かれてしまいそうだ。

 代わりにフィンは尋ねた。

「それより今日は何だか北方風なんだな?」

「それはご主人様がこちらの食事には飽きたとおっしゃっておられましたので」

「え?」

 フィンはぽかんとした。そんなこと言っただろうか?

《そう言えば……》

 数日前、たまには肉料理もいいかもみたいなことを言った気はするが―――このアロザールは魚は豊富なのだが逆に肉や乳製品は少ない。

 また主食も米が主流でパンはあまり一般的ではない。チャイカもこちら出身なので、成り行き現地風の食卓となってくる。

 となれば都育ちのフィンだ。ときにはパン食が恋しくなることもあるわけだが、それとこちらの料理に飽きたというのはまた別の話であって……

「いや、飽きてなんかないんだけど……たまには肉料理も食べたいなってだけで。でもそれでこれ作ってくれたのか?」

 フィンはパンとシチューを指して言うと、チャイカはちょっとはにかんでうなずいた。

「ありがとう。その気持ちが一番嬉しいよ」

 それを聞いてチャイカが感無量と言った笑みで答えた。

「ああ、なんとお優しいお言葉でございましょうか?」

 大げさなのは相変わらずだが、そういうところにはもう慣れてしまってきていた。

《あ、結構いいなあ……こんなの……》

 最近彼女も疲れていたのだろうか? こんな風に笑うのをあまり見ていなかった気がするが……

 その笑顔を見てフィンはうっかり考えていた。

《何だか本当に家庭ができたみたいだよなあ。正直彼女、非の打ち所がないし……》

 そんな姿を見ているときゅっと抱きしめてキスしてやったりしたくなるのだが……

《うー! いかんいかん!》

 フィンは慌ててその考えを押し殺す。

 たとえあのときの誓いが“商売女以外は抱かない”というものだったとしても、彼女はそのカテゴリー外なのだ。

 それにこの先あまり彼女と親密になりすぎると色々と問題がある。

「グラス、お注ぎいたしましょうか?」

「あ、頼むよ」

 フィンは彼女にグラスを差し出すと、チャイカが酒を注いでくれる。

《くそ……冷やす魔法も覚えときゃよかった……》

 この酒はきんと冷やすと美味しいのだが、この季節は氷はなかなか手に入らない。

 それはともかく、フィンは酒をすすりながらまたいつものことに思いを馳せていた。

《で、いつまでここにいるんだ? 俺は?》

 こちらに来てからというもの、何だか日に日に不安がいや増してくる。

 彼はレイモンの野望を挫くまでという約束でこちらに仕えている。それはまだ果たされていないから、契約上は当面こちらに留まらなければならない。

《とりあえずアラン様に報告はしたけど……》

 レイモン国内での活動に関しては定期的にアラン王に報告するということになっていた。それについてはヴォランやドゥーレンと一緒にいるときはあまり気にしなくて良かった。

 だが彼らと別れ別れになってしまった今は独自に報告を行わねばならないのだが―――二月に囚われて以来、もう数ヶ月音信不通状態になっている。先方もさぞ心配しているはずだ。

 だが一体どうやって連絡を取ったらいいのだ?

 その手段についてフィンはさんざん悩んでいた。迂闊な手段は取れないのだが―――ところがフィーバスはあっさりと言った。中身を確認させてもらえるならいくら手紙を出しても構わないと……

 それだけ信頼されているのか、それとも何か罠が仕掛けてあるのか判断がつかなかったが、状況が状況だけにフィンはその条件を呑むしかなかった。

 それに彼にも今の状況でフィーバス達のことを通報するのがまずいことは分かっていた。下手をすると小国連合を瓦解させかねないネタである。特にレイモンが動き出しかかっている今、そんなところで藪を突いて蛇を出すわけにはいかないのだ。

 そういうわけでアラン王には、彼がアリオールに捕まったところをアロザールの工作員に助けてもらい、その縁でしばらくアロザールに協力するといった内容の手紙を送っていた。

 この件に関してはそれで一応片は付いたのだが……

《本当にこのままでいいのか?》

 当初は彼らの手助けというからには、彼の魔法能力を生かした潜入調査などをさせられるのだと思っていた。そういうことなら仕事が一段落すればいつでも抜けられるのだが、現状はなぜかますますアロザールの国政そのものに関与しつつある。

 軍の顧問みたいなことを始めると、きっちりとした区切りという物がなく仕事はエンドレスにやってくる。これでは抜けるに抜けられないのだが……

《それに殿下の方もなあ……》

 もう一つ気にかかっているのはアルクス王子のことだった。

 彼は一体何者なのだろうか? 年齢僅か十三歳だというのに、完全に老成した大人の精神を持っている。

 その理由についての説明はあるのだが―――あの能力を利用して一種の英才教育をしていたらああなってしまったということなのだが……

《そんなアンバランスな育て方して良かったのか?》

 子供はもっと子供らしく育てるべきではなかったのだろうか?

 ―――などと思っても彼にはどうしようもない。

 ともかくフィンはそんな人間に接したことがなかったので、王子の思考回路は訳が分からなかった。

 フィーバスも確かに心の奥底では何を考えているか分からないところはあるが、一応まともに話のできる相手だ。

 だがこの王子は本当によく分からない。

 クーレイオンの解放に際しては、たまたまフィンと目的が一致していたから一応の協力関係は築けたのだが、それでも古城の地下での振る舞いはどう見ても少し常軌を逸していた。

《もしあいつが本当に訳の分からないことを言いだしたら……》

 フィンにそれを拒否することはできないのだ。

 とりあえずはまだネイを押しつけられただけだが―――会いに行くとすぐに『可愛がってやった?』みたいなことを言い出すし、何だか彼にとっては全てが遊び半分なのではないだろうか?

 だとしたら、そんなものにいつまでも付き合ってはいられないわけで……

《いつかは袂を分かたなきゃならないんだよな……》

 だがそうなるとそれがもう平和裡に行くという保証はなかった。

 現在は双方の利害が一致しているからいいのだが、それが終わってしまったらどうなるのだろうか? 彼らは約束を守ってくれるのだろうか?

 フィンはフォレスに戻ったらフィーバス達がここにいることを報告せざるを得ないのだが、本当にちゃんと行かせてもらえるのだろうか?

《もしそれがだめだったりしたら……》

 そうなったら彼は単身ここから脱出を試みなければならなくなるだろう。

 だが……

 フィンはそう思って食卓を取り囲んでいるチャイカ達を見た。

《こいつら……マジどうすればいいよ?》

 置いて逃げたりしたら何をされるか分からなかった。

 それにもし『出頭しないとこいつらを殺すぞ』みたいな触れを出されたとして、それを無視して逃げ続けることができるだろうか?

《無理だって……》

 考えるだけで胃が縮む。

 だとしたら―――全員を連れて逃げるしかないが……

 フィンは気が遠くなってきた。

 彼らは目に見えない鎖でつながれた足かせなのだ。フィーバス達は多分フィンのそういった性格を見越して彼らをフィンにぶら下げたのだ。

《あいつを見捨てられなかった時点で……》

 フィンはネイとじゃれているボニートを見る。

 助けられた時点では間違いなく敵の一人でしかなかった彼を、うっかり助けるように言ってしまったせいで―――ロクスタはそういうところをしっかり観察していたに違いない。

《うー……一体どうしてくれよう?》

 何だか思いっきり嵌められているというか、自分でハマりに行ったというか……

「お下げいたしましょうか?」

 チャイカの声にうなずこうとして、フィンは思わず息を呑んだ。

 彼女の着ているドレスの胸元を締めている紐が緩んでいて、大きな乳房がこぼれそうになっていたからだ。

「おい、それ」

「あ、申し訳ございません」

 彼女は涼しい顔で紐を結び直すが―――その手つきも妙にエロチックで、フィンは慌てて目をそらす。

「じゃあ俺はシャワーを浴びてくるから」

「承知いたしました」

 フィンはそそくさと食堂から逃げ出した。

 彼女はこういうところが妙にルーズだった。

 こちらのメイド用の衣装はただでさえ露出が激しいのに、ことに最近は暑くなってきたせいでそれに拍車がかかっている。

 冬服はちょっと胸元のカットが大きいくらいだったのだが、夏服は臍近くまで開いていてそれを交差した紐で止めるデザインだ。それに布地も薄くなっていて、下に着ている物がちょっと透けて見えたりするし……

 フィンはそのまま風呂場まで行くと服を脱いでシャワーを浴び始めたが―――見るともう体の一部が先走っている。

 フィンは大きくため息をついた。

《確かに涼しいだろうけどさ……》

 このままではやがてふらふらと間違いを犯してしまうのは間違いない。

 今までもそれとなく何度も指摘はしているのだが―――その度に謝って服装を直すことは直すのだが……

 そこで彼はもっと根本的な解決をするため、もう少し露出の少ない服を着せようとしたこともあった。だが、今は城からの派遣なので城の侍女服でなければならないと断られてしまったのだ。

 実際彼女の着ている服は現在のシーガル城の侍女服そのものだった。

《マスターになってやれば好きな服を着せられるんだろうが……》

 あの後フィンはアルクスの所に行って、彼女のマスターになるということはどういうことかと尋ねた。

 するとアルクスは涼しい顔で『もちろん何の拘束力も強制力もないけど、彼女が望むからそうしといてあげたんだ』などと答えるのだが―――そんな単なる形式上のことであれば別にマスターになってやってもいいのかもしれない。

 だがたとえ拘束力がなかったとしても、やはりそれは彼女を奴隷として扱うことに他ならないのではないだろうか? だとしたら―――たとえ形式上でもそういうことには抵抗があった。

 そんなこんなでずるずると今に至っていたのだが……

《本当にそのうちどうにかしないとな……》

 そのとき脱衣場の方に誰かが入ってくる音がする。

 フィンは慌てて身構えた。

「なんだ?」

「ご主人様。お着替えをこちらに置いておきますのでお召しください」

 確かに慌ててやってきたので着替えを持ってきていなかった。そういうところは彼女は実によく気がつく。

「あ、ああ。ありがとう」

 フィンはほっとした。

 ―――というのは彼女と風呂場でもろに鉢合わせしたことも一度や二度ではないからだ。

 こちらが入っているところに堂々と入ってきたり、妙な時間に何故か彼女が入っていたり……

 確かに最初の頃、彼女が一々風呂に入っていいかなどと聞きに来るものだから、好きなときに好きなだけ入れとは答えたのだが―――すると本当によく分からない時間帯に、しかも日に何度となく入っているのだ。

 本人が言うには、汗臭い状態でご主人様にお仕えはできないということらしいが―――どちらかというと度を超した風呂好きとしか思えない。

 そのために館の管理がおろそかになっているということはないので、別に構いはしないのだが……

《確かに清潔なのはいいんだけどさ……》

 クーレイオン古城で彼女を助けたときも、こんな石鹸の香りを漂わせていたが―――救出のためだとはいえ、そんな彼女をフィンはしっかりと抱きしめている。体がその感触をまだ覚えていたりするわけで―――思い出しただけでまた硬くなってしまう。

《あうー……》

 何かもう生殺し状態に近いのだが―――でももしここでずっと暮らすのなら、ずっとこんな状態が続くわけで……

 さもなければあの晩の誓いを破ることになるかどちらかだが―――これって、あのアウラとの寸止め生活の再来なのではなかろうか?

《あのときは確かに辛かったよな……》

 フィンは遠い目であの辛く苦しい日々を思い起こした。

《なんでまたこんな目に……》

 本当にどうして彼はこんな目に何度も遭わなければならないのだろうか?

 フィンは鬱々とした気分で体を拭くと、チャイカの持ってきた夜着に着替えて寝室に向かった。

 それから大きくため息をつくとベッドの上に転がった。

「さてと……」

 まだ寝るには少々早い時間のような気もするが、明日はまた別な駐屯地の視察がある。ならばそろそろ寝てしまおうか―――そう思った時だ。ノックの音がした。

「ん? なんだい?」

 それと共にチャイカが入ってきて尋ねた。

「ご主人様。お夜食等もございますがいかがなされますか?」

「ああ……」

 どうするか? それも悪くない。夕食の後、夜食をつつきながら雑談することもよくあったのだが―――今日は昼間っから酒を飲まされて結構疲れている。

「いや、ありがとう。でも今日はもう寝ることにするから。もう上がっていいよ」

 フィンはそう言って彼女を下がらせようとした。

 それを聞いた途端だった。

「さようで……ございますか……」

 チャイカは力なくそう言うと、いきなり糸が切れたようにくたっと跪いてしまったのだ。

「え?」

 一体何なのだ?

 だがチャイカはそのままうつむいて肩を震わせている。

「チャイカさん、どうしたんだ?」

 チャイカが顔を上げてフィンを見つめるが―――目が潤んでいる。

《えええ?》

 フィンは慌てた。何かまずいことを言ったのか? だが今は、上がっていいと言っただけだし、その前に何かあったか? 全く心当たりがないのだが……

「あの、ご主人様……」

「ああ?」

 チャイカは潤んだ瞳でフィンをじっと見つめると、やにわに床に平伏した。

「私めは……ご主人様のために今日まで誠心誠意の努力を重ねて参ったつもりでございましたが、もはやこれ以上どう致しましたら良ろしいのか、もはやこの貧弱な頭では考えも及ばないのでございます。それ故、恥を忍んでお尋ね致したいと存じます。あの、本当に何が至らなかったのでございましょうか? もしご不満だった点をご教授願えましたら、それこそ何でもお命じ通りに致します。どうかこの哀れな端女にお教えくださいまし」

「はあ?」

 一体彼女は何を言っているのだ?

 フィンはぽかんとしてそれを聞いていた。

 不満な点って―――強いて言えば彼女が完璧すぎたことくらいか? それも今日パンを焦がしてくれて帳消しになってるし……

「いや、別に不満な点なんて……君は本当によくやってくれてると思うし、もう十分すぎるぐらいなんだけど」

 チャイカが驚いたような顔でフィンを見上げる。

「あの……でしたらその、なんと申しますか、ご主人様より、その頂けないのでございましょうか? その……」

 そこまで言ってチャイカはまた恥ずかしそうに下を向く。

「頂く?」

 チャイカは意を決したように答えた。

「はい。その、ご褒美なのでございますが……」

 ………………

 …………

 ……

「え?」

 フィンは驚愕した。

《ご褒美?》

 彼女は城からの派遣という建前だったから、フィンは彼女の給金のことは全く考えていなかった―――ということはもしかして彼女は今までずっとタダ働きだったのだろうか?

「それって、城で貰ってるんじゃないのか?」

「いえ、殿下にお願い致しましたら、ご主人様より頂けとのことでございました」

 フィンは天を仰いだ。

《そういうこと、先に言ってくれないかなあ!》

 そりゃ泣きたくもなるだろう。

「分かった。だから顔を上げて」

 それを聞いてチャイカの表情がぱっと明るくなる。

「で、幾らくらいなんだろう? こっちの相場って……」

 フィンは今まで侍女を雇ったことなどなかったので、基本的な相場を知らなかった。

「月に銀貨二十枚とかかな? それじゃ安すぎるかな?」

「は?」

 今度はチャイカがぽかんとした顔でフィンを見ている。

「どうしてお金が頂けるのですか?」

「は?」

 給金でなければ何の話なのだ?

 そのときだった。

「もう……見ちゃいられないなあ」

 見ると寝室の入り口にボニートが立ってにやにやしている。

「何してる?」

「いや、話し声が聞こえたからさあ」

「お前には関係ないだろ?」

「そりゃそうだけど……でもそれじゃチャイカさんも泣いちゃうよね」

 チャイカがむっとした表情でボニートを睨む。

「どういうことだよ?」

「ご褒美って、こっちの方なんじゃない?」

 そういってボニートは後ろを向いて尻をぽんぽんと叩いた。

 一瞬戸惑った後、その意味を理解してフィンは顔に血が上る。

「お前、バカなこと言ってんじゃ……」

「フィン、知ってる? チャイカさん、いつもこの時間は、すごく可愛い下着をつけてるんだよ」

「お前は黙れ!」

「いいじゃないか!」

「うるさい! とっとと寝ろ!」

 フィンはボニートを部屋から押し出すと、扉をばたんと閉めた。

「あははは。あのバカ、またいつもの調子で吹いてるんだよな?」

 だがチャイカは真っ赤な顔をしてフィンを見つめて―――それからまた唐突に土下座したのだ。

「申し訳ございません。本来私めの方などから口に出すべきことではないことは重々承知はしておりますが、ただ先日お部屋の掃除をさせて頂きました折り、その、干からびた塵紙などを見つけてしまいまして……この私めなどよりもその方がましだとお考えになられているかと思いますれば、もはやどうにも耐え難く、こうして生き恥をさらして申し上げております次第にございまして……」

「お、おい!」

 フィンは真っ赤になった。

《しまった! あれ、片付け忘れていたか?!》

 というか、どうしてこの年になってそんなことで慌てなければいけないのだ?

 そういう問題じゃなくって!

「いや、ましだとか、そういうわけじゃなくてだな……」

「もしやご主人様は何かのご心配をなされておられるのでしょうか? それでしたら全くご無用でございます。毎日黄緑茶は服用してございますし、もし男相手のようになさりたいのであれば、そちらの準備も全て済ませてございます。何でもお好きなようにお申しつけ頂ければ良いのでございまして……」

「ちょ、ちょっと……」

「何でございましょうか?」

 そう面と向かって問い返されてフィンは言葉が出てこない。しばらくぱくぱくと口を動かした後、やっと答えた。

「えっとな、その、要するに俺には好きな人がいてだな」

「はい」

 はいって……

「だからその、ちょっとまずいだろ?」

 だがチャイカは不思議そうな顔で答える。

「私めごときにそのようなお気兼ねをなさることはございませんが?」

「いや、こっちの問題なんだよ!」

 チャイカは全く理解できない様子だ。

「でもその御方はこちらにはいらっしゃらないのではございませんか?」

「そうだけど」

「でしたならばそのようなお気分になられた際には如何なされておられたのでしょうか? 郭などに行かれておられたのでは?」

「いや、だから行ってないんだよ」

「ええっ?」

 今度はチャイカが驚愕した。

「それはまた……どうしてその御方はご主人様にそのようなことをお命じになられたのでしょうか?」

「いや、命じられたとかそういったわけじゃなくて……」

「はい?」

「自分で誓ったんだよ」

「はい??」

「俺にはあいつしかいないから。かけがえのない奴だから。あいつと一時別れてこちらで仕事をしなければならなくなったから、それで誓ったんだ。もうあいつ以外の女は抱かないって。本当はもっとすぐに終わるはずだったんだよ。だからちょっと我慢すればまたすぐあいつに会えるって思ってたんだよ。でもちょっと思惑が狂っちゃってね。そういうことなんだ。分かってくれるか?」

 それをチャイカは目を丸くしながら聞いていた。

《分かってくれたか? もしこれで分かってくれなければ……》

 だが彼女はやがて残念そうにうなずくと答えた。

「そういうことでございましたら……私めなどが口を出すべきことではございませんが……」

 フィンはほっとした。

「ですが少しお尋ねしたいことがあるのでございますが、よろしゅうございますか?」

「なんだ?」

「あの、今ご主人様は女は抱かないとおっしゃられましたが……古城にて私めは既にご主人様にしっかりと抱きしめて頂いておりますが、あれはどう考えたらよろしいのでございましょうか?」

 ぶはっ!

「やはりその、挿入行為がなかったから、ということでよろしゅうございましょうか?」

 げほっ!

「いや、まああれは、ああいう状況だったからってことで……まあ、そうだね」

 そういう所に突っ込まれたら―――“挿入行為”とか言ったらアリオールに捕まったときエステアにしっかりやられちゃってるし……

「それに、ご主人様がお望みでしたら、私めの手や口にてお慰め致すこともできるのでございますが、そのようなご奉仕に関しましては如何でございましょうか?」

「いや、その……」

「もしお体に触れてはならないとのお達しでしたら、こう、遠くよりご主人様のお気持ちを高めるべく、舞を踊ってみたり、淫靡な行為をお見せ致したりすることも可能なのでございますが、そのようなご要望はございませんでしょうか?」

 フィンは頭がくらくらしてきた。

《こいつ! 悪魔か!》

 正直フィンはもう色々限界だった。

「いや、だからさ、なんて言うかその、君には本当に感謝してるんだ。だからずっとここで働いてて欲しいんだけど、いや、君に魅力がないわけじゃなくて、というか本当に君は魅力的だと思うけど、でも人はセックスだけの関係が全てじゃなくてね、だからこういうことには二人の気持ちっていうのが重要で、要するにそのさ……」

 もう自分でも何を言っているのかよく分からなくなってきた。

 だがチャイカはフィンが頑なに拒否していることだけは分かったようだった。

 彼女は力なくため息をつくと下を向いて肩を震わせ始める。

《お、おい!》

 フィンはおろおろと彼女の側にしゃがみ込む。

《一体どうすれば……》

 そう思ったときだった。チャイカが顔を上げると涙を流しながら言った。

「あの……ご主人様。それでしたら一つだけお願いしてよろしゅうございますか?」

 な、何だよ?

「え? ああ……」

 何を言い出す気だ?

 フィンは戦々恐々として彼女の顔を見る。チャイカはそれを見て答えた。

「あの……オナニーのお許しを頂けるでしょうか?」

 ………………

 …………

 ……

「はあぁ?」

 フィンは完全に固まってしまった。

 答えられたのはしばらく経ってからだ。

「いや、何で俺がそんなことを……」

「もちろんご主人様のお許しがなければしてはならないのでございます」

 再びフィンは目が点になる。

 それから、かくかくとうなずくと言った。

「OK。いいから。好きなだけしていいから」

 それを聞いたチャイカの顔がぱっと明るくなった。

「本当でございますか? お許しを頂きまして心から感謝致します!」

 彼女はそう言って涙を拭くやいなや、いきなりドレスの胸の紐をほどき始めた。

 フィンは蒼くなった。

「ちょっと待て! ここじゃやめてくれっ!」

 それに気づいてさすがに彼女も赤くなる。

「ああっ! 何とはしたないことでございましょう。大変申し訳ございませんでした!」

 そう言って彼女は立ち上がるとフィンに大きく挨拶をしてから、ほとんどスキップしながら部屋を出て行った。

 その後ろ姿を見送った後フィンはふらふらと後ずさりすると、腰が抜けたようにベッドに座り込んだ。

《ちょっと待てよ!》

 一体何なんだ? これは?

 とりあえずこの場は何とかやり過ごしたが―――これでいいのか? いい訳ないよな?

 そして彼は思い出した。

 彼女はクーレイオンの“被害者”でもあったということを。

 それはとりもなおさず、彼女も“性奴隷”にされていたということなのだ。

 彼はそれまで性奴隷という物について、単に監禁されて乱暴されたくらいに考えていた。だからそこから救い出してやればまた普通の生活に戻れると思っていた。

 だが……

《もしかして彼女って……》

 フィンは“ウィルガ八百年の裏歴史”を甘く見ていたことに気づき始めていた。