第2章 涙の海水浴
そろそろ夕暮れも近く、部屋の中は少し薄暗かった。
窓のすぐ外ではソテツの木立が海風に揺れ、その合間から白い砂浜とエメラルドグリーンの海が見えた。
遠くから時折波の音に混じって子供達の笑いさざめく声が聞こえてくる。
フィンとチャイカは部屋の中で二人きりだ。
チャイカがまだ潤んだ瞳でフィンを見つめる。
「ご主人様。いかがでございますか」
「うん。ずっと良くなってきたよ」
「それでは……よく見せて頂きますか?」
「君も、そこ、随分濡れちゃってるじゃないか」
「いえ、まずはご主人様のそれの方が先でございます」
フィンが仕方なくうなずくと、チャイカはフィンの、こちらもぐっしょり濡れた服をそっと脱がし始める。
「うあっ!」
「大丈夫でございますか? 大変敏感になっておられますので、痛かったらおっしゃってくださいまし」
「何とか大丈夫だよ」
「それでは……まあ、大きな……」
「あ……あう……」
再びフィンが呻く。
そこに窓からファーベルが顔を出した。
「フィンの具合、どうだ?」
チャイカはファーベルに答えた。
「少々重症でございます。ほらこの通り、大きな水ぶくれになっておりまして……」
「こりゃひどい」
それを見てファーベルは顔をしかめた。
「この通りご主人様はちょっと動けそうにございませんので、ネイ達と一緒にバーベキューは始めて頂けますか?」
「わかった。後から持ってく」
「ありがとうございます」
うぐう……
《うう……やっぱり海なんて……》
―――時は真夏になっていた。
フィン達は今、ファーベルの一家と共に海水浴に来ていた。屋敷の片付けを手伝って貰って以来、彼らとは家族ぐるみのつきあいになっていたが、彼らから一緒に来ないかと誘われたのだ。
もちろんフィンは海水浴なる物をしたことはない。だから最初は海に浸かるのがそんなに面白いことなのか? とも思ったのだが、その話を聞いたチャイカが珍しく行きたそうな様子だったので、何だかよく分からないが同行することにしたのだった。
聞けば彼女も“村の娘”だったそうで、子供の頃は海で泳ぐことが唯一の楽しみだったという。
彼女は一緒に暮らし始めてからずっと立派に屋敷を管理してくれている。それなのに彼女の望む“ご褒美”をおいそれとは与えてやれない絡みもあって、たまには息抜きをさせてやりたいと思ったのだ。
彼らが来ていたのはシーガルから船で半日くらいの所にあるオーラ・オヴァーレという海岸だった。ここは景色が良いのでシーガルからリゾートに来る貴族や金持ちも多いらしい。
実際、最初のうちはフィンも心底こちらに来て良かったと思ったものだ。
景色は素晴らしいし、こんな浜辺でのんびりしているだけで最近の多忙な生活の疲れも癒されるというものだ。
だがそこには一つ恐ろしい罠が秘められていた。
「あの……ご主人様。一つお訊きしてよろしいでしょうか?」
チャイカが不思議そうな顔で尋ねる。
「なんだ?」
「私めが日焼け止めを塗って差し上げようとしたとき、どうして行ってしまわれたのでしょうか?」
「え? あはははは」
何と答える?
いや、もう笑ってごまかすしかない。
「いや、ちょっとね。ははははは」
チャイカはちょっと首をかしげたがそれ以上は訊こうとはしなかった。
《お前があんなの見せるからだぞ?》
ほとんど事故だったとはいえ……
それはフィンがチャイカに“解禁”してやってからしばらくしてからのことだった。
―――その夜はちょっと暑かった。フィンはちょっと寝苦しかったので少し庭に涼みに行こうと寝室から出て階下に降りようとしていた。
するとどこからか誰かが苦しんでいるような声が聞こえてくる。
《ん?》
フィンはその声の方に向かった。見るとチャイカの部屋の扉が少し開いていて、声はそこから聞こえてくるようだ。
「チャイカさん。どうかしたのか?」
フィンは部屋の中を覗き込み―――それからぽかんと凍り付いた。
中ではチャイカがベッドの上で一糸まとわぬ姿で四つん這いになって、何やら体を蠢かせている真っ最中だったのだ。
「え?」
チャイカがフィンの声に気づいて顔を上げると―――二人の目が合う。
フィンは驚きのあまり目を逸らすこともできない。だがチャイカはちょっと目を見開いただけだ。
「あ、申し訳ございません。少々お待ちを」
そう言って彼女はまるで食事の最中にちょっと声を掛けられたとでもいったような態度で手早く後始末をすると、下着を着けて夜着を羽織る。
それから何事もなかったかのようにフィンの前で跪いた。
「お待たせ致しました。ご用は何でございましょうか?」
フィンはそれをずっと間の抜けた表情で見ていたが―――もちろん用などあろうはずもない。
「いや、その、声が聞こえたから……」
「はい?」
チャイカが不思議そうな顔でフィンを見上げる。
「えっと、だからその、なんていうか、病気か何かになったかと思って……」
しどろもどろでフィンが答えるとチャイカはちょっと首をかしげる。
「いえ、私めは特に? ああ、もしかしてあの声お聞きになって?」
「え? まあ……」
チャイカは土下座した。
「申し訳ございません。ご主人様にそのような心配をして頂くなど、過ぎたお気遣いにございます。もしあの声がお耳触りとおっしゃられますのであれば、今後は声を出さぬように致しますが……」
「え、まあ、そうだな」
チャイカはうなずいた。
「承知致しました。その他何かございませんでしょうか?」
「えっと、ちょっと暑いから……少し喉が渇いたかと……」
「承知致しました。お水に致しますか? それともお酒などがよろしゅうございますか?」
「いや、水でいいけど」
「少々お待ちくださいませ。寝室までお持ち致します」
そう言ってチャイカはすたすたと出て行ってしまった。
フィンは呆然とその後ろ姿を見送ったのだが―――
それ以来という物、フィンはチャイカをどう扱っていいかますます分からなくなっていた。
《ああいう時って、普通きゃーっとか言うよな?》
というか、扉を開けっ放しで明かりもつけたままするか? 普通―――じゃなくって!
それ以来彼女の顔を見るたびにあのときのことが思い出されて、もうなかなか平常ではいられない。
フィンは正直何度も彼女をクビにしようかと考えた。
《でもなあ……》
クビにするとして一体どんな理由がある?
彼女の仕事っぷりはほとんど完璧だった。
北方風の料理もあれ以来どんどん腕を上げている。家の中のことは彼女がいないともう何も分からない。
彼女は建前上シーガル城の侍女なので、たまに登城することがあるのだが、それでちょっと空けている間にも色々困ったりするくらいだ。
一度何か苦手なことはないかと訊いてみたら、裁縫はあまり得意ではないらしいが―――服を繕わなければならないことなんてそう毎日あるわけではない。
新しいメイドを雇ったって彼女並どころか、その半分も期待できないだろう。
とどのつまりフィンが困っているのは、彼女の存在がフィンのいわゆる劣情を刺激しすぎてくれるからという一点に尽きるのだが……
それ以来チャイカのそんな姿を見たわけでもないのだ。服の露出が多いことに関してはもう街中がそうだったし、どちらかというとフィンの妄想の方が勝手に膨らんでしまっているのであって……
これって何だろう? アウラと出会ってあの川下りをしたとき、うっかり彼女の裸身を見てしまった後みたいな感じだろうか?
だがそのときと大きな違いは、アウラの場合はうっかり抱きしめていたら殺されていたのだが、チャイカの場合はその反対で……
《だ・か・ら……》
そういうことが溜まり溜まっていたせいで今日の昼間、チャイカが水着姿で―――こちらの水着は胸と腰だけを隠しただけで、ほとんど裸と大差ない―――怪しい白いぬるぬるした液体を手にして近づいてきたのを見て、反射的に逃げてしまったのだった。
それからずっとこそこそ彼女から隠れるようにしていたら、気づくと体中がひりひりしている。そこで彼は始めて日焼けという物の存在に思い至ったのだが……
そこですぐ戻っていればここまではひどくならなかっただろう。
だがフィンはそれから更にしばらくうじうじと思い悩んでいた。またこの季節は普通午後になるとスコールが降るのだが、この日は運悪くずっとよく晴れてくれていた。
その結果としてフィンはほとんど全身火傷のような状態になってしまったのだった。
真っ赤な体でふらふら戻ってきたフィンを見たチャイカの慌てようはすごかった。
彼女は真っ青になってフィンを近くの川まで連れて行くと、服を着たままの彼にざばざば水をぶっかけ始める。当然彼女も膝から下はびしょ濡れだ。
やがてフィンは唇が蒼くなってぶるぶる鳥肌が立ち始めたが、それで痛みが少し治まったのは確かだった。
それで二人が別荘に戻って手当をしようとしていたとき、ファーベルが心配して見に来たのだった……
ファーベルの去った後、チャイカは濡れたフィンの体を拭いて、用意していた薬を全身に塗り始めた。それから当て布をして包帯を巻こうとしていたときだ。
「フィン、大丈夫?」
今度はボニートとネイが焼けた魚や肉と飲み物を持ってやってきた。
「ありがとう。そこに置いておいてちょうだい」
「はーい」
「うわあ……すごい」
フィンの肩のあたりにできている大きな水ぶくれを見てボニートが目を丸くする。
「何かお手伝いすること、ありますか?」
ネイも同じく丸い目で尋ねるが、チャイカは手を振って答えた。
「いえ、ここは大丈夫だから。行ってらっしゃい」
「はーい」
二人は元気に戻っていった。
《くそ……》
フィンは忌々しげにその後ろ姿を見守った。
もちろん彼らもずっと海でファーベル家の子供達と遊びまくっていたのだが、チャイカの日焼け止めのせいでこうしてぴんぴんしている。
フィンも泳ぎなどはともかく、晩のバーベキューは楽しみにしていたのだ。それは都の実家でもよくやっていたし、フロウやティアとやったあの湖畔のバーベキューパーティーは忘れ得ぬ思い出だったりするわけで……
「ふう……」
「まだお痛みですか?」
「ちょっとな」
さっきよりはましとはいえ、正直ちょっとではない。
「今晩一晩くらいは痛いかもしれません」
「あはは、そうか……」
「とりあえず飲み物は多めにお取りください。火傷のような物でございますので、熱さを鎮めるために体が水を使うのでございます」
「あ? そうなんだ」
フィンはチャイカから飲み物を受け取って一口飲む。あっさりと甘い果汁だ。
その間に彼女は手慣れた手つきでフィンの体を包帯でぐるぐる巻きにしている。
《何というか……彼女、何でもできるんだな?》
治療を終えて一段落した後、フィンは綺麗に巻かれた包帯を指しながらチャイカに尋ねてみた。
「チャイカさん、これってどこで覚えたんだ? これ、素人じゃ難しいだろ?」
捕まる前に看護師でもしていたのだろうか? だがそれだとメイド仕事がこれだけ完璧というのも変な気がするが……
「包帯の巻き方でございますか? それでしたらクーレイオンにて教えて頂きましたが?」
「クーレイオンで?」
「はい」
フィンは驚いてチャイカの顔を見た。
もちろん彼女は冗談を言っている顔ではない。至って真面目な表情だ。
どういうことだ? 彼女はあそこで虐待されてたんじゃないのか? それともスタッフとやらになった後の話なのか?
「いかがなされました?」
「いや、ちょっと意外だったから。その、クーレイオンって奴隷にする娘にそんなことを教えてるのか?」
一体何の意味が……?
《それとも、何か包帯ぐるぐる巻きでする不思議なプレイがあったりするのか?》
そんなことを考えて、フィンは慌てて咳き込んだ。
だがチャイカは真面目な顔で答える。
「いえ、全てではございませんが? ファミューラになる者にだけでございます」
「ファミューラ? なんだそれ?」
その問いに対してチャイカはすらすら答え始めた。
「一言でヴェルナと言いましても……あ、これは奴隷のことを私どもはこう申しておりましたのでございますが、何でも古い言葉なのだそうですが、それにも色々な種類があるのでございます。一番普通なのはフォルマと呼ばれます。その他にペクスと呼ばれる者や、私どもファミューラと呼ばれる者に大別されるのでございます」
「はあ……」
「ファミューラとは正式にはヴェルナ・ファミューラという名前でございまして、平たく申せばメイド奴隷という意味でございましょうか。ただ私はファミューラ・テネブレという呼び方の方が好きでございます。これは闇のメイドという意味なのでございますが、実際私どもは夜の暗闇の中で一番活動しておりました故」
というか、彼女は古語も分かるのか?
「いかがなされました?」
目を丸くして彼女を見つめていたフィンに、チャイカが尋ねた。
「いや、聞いたこともない話だったんで……なんて言うか、君たちはずっと虐められてただけだと思ってたんで……」
「虐げられていたと言えばその通りでございますが……もしか致しまして、ボニートが言っていたようなことでございますか?」
「え? まあ、な」
一緒の生活が始まって間もないころ、ボニートがまた酔っぱらってタルタルでやったような猥談を始めたことがある。それを彼女は眉一筋動かさずに聞いていたのをよく覚えているが―――もちろんそのときはフィンがしっかり奴の口を封じてやったが。
それはともかく、チャイカはフィンの疑問に首を振りながら答える。
「正直、そのような真似をする者は素人なのでございます。あのようなことを行いましてもラメンタにしかなりませぬし」
「ラメンタ?」
「はい。ゴミくずとかガラクタとかいった意味だそうでございますが」
「ああ?」
「ヴェルナ・セクサリスと申しますのは、あ、私たちは常々性奴隷などとは申さず、こう称して参りましたが、これには二重の意味があるのでございます。最初の意味はご存じの通り高貴な御方のために性的にご奉仕する娘のことでございますが、もう一つ、本人もまた性愛という物に耽溺しております点が重要なのでございます」
「性愛に耽溺って……本人が性の奴隷ってことか?」
チャイカは真面目な顔でうなずいた。
「はい。その通りでございます。それでございましたらご主人様にも末永くご寵愛頂けるのでございますが、ラメンタではそういうわけには参りません」
「どういうことだ?」
「よくその辺の成り上がり者が調教などと称して単に娘を虐待しておりますが、あれは本当に痛ましいものでございます。あのように単なる力任せに犯され続けてしまいますと、本来とても快いはずの行為その物が嫌悪の対象となってしまうのでございます。そうなってしまいますともはやどうしようもございません。娘は見かけ上従順に男の言いなりにはなりますが、それはもう生ける屍以外の何物でもないのでございます」
《これって……最初に出会った頃のアウラのことか?》
あいつは言いなりになる代わりに見境なく斬ってたが……
「ところがそのような下衆が得てして良い顧客だったりするのでございます。触れるたびに壊していくのでございましたら、当然次々と新しい娘を買っていかねばなりませんし……大旦那様がよくぼやいておられました。ウィルガと共に貴族の嗜みというものも滅びてしまったと」
えーっと―――何だかいきなりヘビーな話のような気がするのだが……
「あはははは……それで、そのファミューラとかフォルマって何が違うんだ?」
チャイカはうなずいた。
「通常のヴェルナといえば、お部屋に囲っておくような者のことですが、それがフォルマでございます。それに対しましてファミューラとは、通常は屋敷の侍女として働いているのでございます」
「要するになんだ? 手出し自由のメイドってことか?」
だがチャイカは首を振った。
「もちろんお望みであればそのように楽しんで頂いても構わないのでございますが、それだけなら別にフォルマにメイドの格好をさせれば済むことなのでございます」
「ん……まあな……」
「ファミューラの一番重要な職務とは、他のヴェルナの世話役なのでございます」
………………
…………
「え?」
驚きを隠せないフィンにチャイカは軽くうなずくと続けた。
「どこの国でも、娘を監禁するような行為は重い犯罪でございました。ただいつの世でもなぜかそのような需要があるのでございます。そう致しますとそのような娘達の世話をする者が必要になるのでございます。食事を与えなければなりませんし、着替えや入浴、さらには下の世話が必要になることもございますが、当然そのようなことをその辺の者に任せるわけにはいかないのでございます」
言われてみれば確かにそのとおりだが……
「また娘達が病気になったり、鎖で繋がれているような場合はよくそこが擦れてただれてしまうようなこともございますが、それがひどくなったからいって、おいそれと普通の医者に診せるわけにも参りません。それ故、そういったサービスを専門に行う者が必要になるのでございます」
「………………」
今まで考えたこともなかったが―――確かに監禁とかそういった行為を行う際にはそんな“スタッフ”が必要になるのは自明だ。でなければ間違いなくすぐ死んでしまうわけで……
だがそうするとその“スタッフ”とは、口が固く絶対に信頼できる者でなければならない。
あちこちで吹聴されたりしたら身の破滅だ。しかもそういった者達は人数が少ない方が秘密を守るには都合いい。言い換えると少人数で―――場合によったら一人で何でもこなせるような能力を持った“侍女”が必要になるわけで……
「それが……君たち?」
「はい」
チャイカはうなずいた。
それで彼女は包帯の巻き方とかがこんなに上手かったのか―――って、ちょっと待て! これって何だ?
フィンは驚異の目で彼女を見つめていた。
《何か俺って今とんでもない奴と一緒にいるんじゃないのか?》
フィンはおずおずと尋ねた。
「えっと……じゃあ、君たちはクーレイオン古城で、その“ファミューラ”になる訓練をしてたってことなのか?」
「はい。そうでございます」
古城にあった様々な道具や設備、それにあそこでアルクスがやったことなどからフィンは単にそこでは娘達が虐待されていたとしか思っていなかった。
だが今のチャイカの話が正しければ、あそこでは一体何が行われていたのだ?
そう思うとフィンは思わず尋ねてしまっていた。
「訓練って、一体どんなことをされたんだ?」
そう言ってしまってからフィンは慌てた。
《しまった! これってまずい質問じゃ?》
だがチャイカはあっさりとうなずいた。
「お話し致しましょうか?」
「え? まあ、君が良ければ……」
いろんな意味で訊いていいのかよく分からなかったが、フィンはもう好奇心が抑えられなかった。
「承知致しました」
チャイカはうなずくと話し始めた。
「私めも多分に漏れず村の娘でございましたが、実際の所多くの村では全ての娘を養うことなど難しく、余った者は身売りするのが普通でございました。私めも同様でございましたが、大変運の良いことにお屋敷で奉公する口があると言われたのでございます。でもそのためには今の田舎娘のままではだめなので、ちょっとそのための“職業訓練”を行う必要があると言われたのでございます……」
―――クーレイオン古城に来たときのチャイカ達は、一様に希望に胸を膨らませていた。
彼女達は皆、各地の村から買われてきた娘達で、運が良ければ遊女として名を上げることもできたかもしれないが、大抵は名もない娼婦として一生を終えるしかなかった所なのだ。
だがお屋敷の侍女というのは、長期間の雇用がほぼ約束されて安定した収入が得られる上、場合によっては屋敷の関係者と結婚するようなことも可能だし、何よりも真っ当な全く憚りのない仕事である。
身寄りのない女にとってそれ以上の仕事などほとんど想像がつかなかった。
古城で彼女達はまず“上の棟”に収容された。そこはフィン達が突入した際、ファーベルの担当だった別館である。
娘達はそこでまず、通常の侍女としての職務を徹底的に叩き込まれることになった。
彼女達は上の棟に入っただけでもう目が眩んでいた。
こちらも本館と同様に洗練された豪奢なウィルガ風の内装だったからだ。そこは彼女達が今まで見たこともなかったような別世界だった。こんな所で働けるだけでもまるで夢のようだったのだが……
次いで彼女達の前に一人の美しい女性が現れた。
娘達は彼女がこの館の女主人かと思ったが、実は彼女がこれから娘達を鍛えることになった“教官”で、彼女の服はこういった館での侍女の一般的な服装だったのだ。
教官となった女性は、彼女もここの出身でつい最近まで別な高位の貴族の屋敷で働いていたと語った。
彼女の落ち着いた振る舞いを見た娘達は思わずにはいられなかった。ここで頑張ればいつか彼女のようになれるのだと。その生きた証が目の前にいるのだと―――それはある意味完全に真実であったのだが……
彼女達はそのとき、自分たちがもはや逃れようのない蜘蛛の網に捕らえられていることに全く気づいていなかった―――
フィンはちょっと覚悟して聞いていたので、それまでの話に少々拍子抜けしていた。
「そこじゃ……虐められなかったのか?」
チャイカはうなずいた。
「はい。もちろんぐずぐずしていればぴしりとやられますが、少々厳しい寄宿舎と大差ないと言われております。私めは寄宿舎には入ったことはございませんが」
「そうなんだ……」
何だか本当に職業訓練みたいだ……
《ってか、こんな学校作ってきちんと教育したら、普通に有用だったりしないか?》
都でもフォレスでも侍女は大抵がコネで入ってくる。そのため仕事を覚えるまで、本気で使いものにならなかったりすることが多いのだ。
―――文句を言う者など一人もいなかった。
広い屋敷の掃除、洗濯、調理、部屋のセッティング、給仕、その他諸々、確かに色々と辛く厳しいことはあるにしても、このような素晴らしい屋敷を維持管理するのに必要なことだと理解できたからだ。
この訓練において性的な要素は、実際的な状況を除いては一切なかった。
もちろん侍女であれば主人の着替えや入浴を手伝ったり介護をしたりすることもあるので、そういう場合は必然的に裸のつきあいになるが、それだけのことだ。
チャイカ達は全員が村の娘だったが、それはおおむね既に経験済みであるということも意味していた。そのためそんな訓練の際にはふざけて仲間とじゃれ合ったり、下絡みの軽口を飛ばすような者もいたが、そんなところを教官に見つかったら思いっきり睨まれて、場合によったら罰を受けることさえあった。
とはいっても正直訓練は厳しかったので、あまりそんな余裕はなかったと言った方が正しい。それにそんな娘達は結果的に訓練に身が入らず、後のテストで多くは姿を消していったからだ―――
「テスト?」
「はい。大旦那様や本物のお客様などに滞在して頂いて、そのお世話を致すのでございます。これで粗相をしたり致しますと容赦なく失格となりまして、私めも皆も、大変緊張しておりました」
―――テストは厳格であったがある意味非常に公平でもあった。
実際の所、このテストに合格すればどこの屋敷に上がっても即戦力として使えるレベルであった。
そのため希にはここから本当に奉公に上がれた者もいるらしい。ただ、そのためにはやはり身元を詐称する必要はあったらしいが……
それはともかく、そういったテストだったので、合格できなかった者もそれなりにいた。同じことをやってもどうしても物覚えが悪かったり手際の悪い者はいる。そういった者達は容赦なく姿を消していった―――
「その子達ってどうなったんだ?」
「おおむねはそのまま売られたり、こちらでフォルマとして教化されたりしておりました」
「教化?」
「ああ、そうでございますね。下世話な言い方では“調教”みたいなことになるのでしょうか? 詳しくお話し致しますか?」
「いや、また後で」
フィンも若い男性であるから興味津々だったのは間違いないが、今聞いてしまったら色々アレなことになりそうだったので、ともかくここはチャイカ本人の話を優先することにした。
―――残った者達は、更に希望が膨らんでいた。テストに合格すれば厳しい訓練を終えてついにお屋敷での奉公ができるのだと。彼女達は選ばれた者であり、それを勝ち取ったのだと。
だがそれは訓練の第一段階に過ぎなかったのだ。
彼女達は今度は“下の棟”に移されることになった。フィン達が後から行った、地下倉庫の先にあった地階である。
そのとき初めて彼女達の心に不安がよぎった。
それは上の棟から下の棟に移される際に、何故か目隠しをされて連れて行かれたこと。
やってきた下の棟は、上同様に豪奢な内装であったが、なぜか窓が一つもなかった。
そして最後に彼女達に与えられた場所は、今までとは打って変わった、冷たい石壁がむき出しの粗末な部屋だった。
教官も上とは別な者に替わり、今度は前と違って男女複数名がいた。
だが部屋は粗末でも必要な物はそろっていたし、屋敷によってはこんな部屋に住まわされることもよくあると聞いて、娘達は納得した。
またそこで彼女達がしなければならなかったことは、結局その棟の管理であり、それならば今まで行ってきたことと大差がなかったからだ。
だがそれまでとは大きく異なっていたこともあった―――
《ってことは……ここからあっちの方の教育が始まるのか?》
フィンは心の準備をした。
「異なっていたことって?」
だがチャイカの答えはちょっと違っていた。
「はい。それは教師達がそれまでとは打って変わって意地悪になるのでございます」
「……意地悪?」
「はい」
意地悪って……??
―――まず最初に変わったのは、彼女達の仕事が昼夜関係なしに命じられるようになったことだ―――とはいってもここでは日の光は差し込まないので、いつが昼でいつが夜かなど分かるはずもない。
ともかくそれまでも朝早くから夜遅くまで働いてはいたが、最低限の睡眠や休息は得られていた。
だが下に来てからはゆっくり寝ている暇はなかった。
眠りについて少しうとうとしてもすぐに叩き起こされて仕事を命じられるのだ。
当然そんなことをされると文句の一つも言いたくなる。だがそうすると今度は上と違って大変な懲罰が待っていたのだ。
上でも大きなミスをしたり命令に背いたりしたら罰を受けたが、それは両手を出させて小さな鞭でぴしりとやったり、ひどいときでも一食抜きといった程度だった。
最初にそれが明らかになったのは、寝入りばなに起こされて不機嫌だった娘が教官に対してささやかな口答えをしたことだった。
それまでなら『そんなことでは良いお屋敷にはあがれませんよ』などと諭されるくらいで、大した罰を受けるほどのことではなかった。
だがこちらでは違っていた。
教官はいきなり全力でその娘を張り倒したのだ。
一同は一体何が起こったのはすぐには分からなかった。
張り倒された娘も同様だった。
教官は茫然自失の娘にスカートをたくし上げて立っていろと命じる。勢いに呑まれて娘が言うとおりにすると、教官はいきなり娘の下履きを引き下ろすと、むき出しになった尻に思いっきり鞭をくれた。
こちらの教官の持っていた鞭は、上で使っていたような可愛いものではない。一発で娘の尻に真っ赤な線ができる。
娘が絶叫して倒れ込むと、教官は『寝ていいと誰が言ったか? 立て!』と命じるが、娘は恐怖のあまり身がすくんでいる。すると教官はそこにいた別の娘達に『その娘を立たせなさい』と冷たい声で命じる。
娘達もまた呆然としていたのですぐにはその命令に従えなかった。
教官が恐ろしい顔でにじり寄ってくるのを見て、一人の娘が慌てて倒れた娘の手を取って立たせようとする。それを見ていたチャイカも慌てて彼女に手を貸したが―――教官は『そのまま前屈みに立たせておきなさい』と命じると、女の尻が真っ赤になるまで何度も何度も鞭打った―――
「さすがにそのときは私めも目の前が真っ白でございました。その娘は来て以来親しくしていた娘だったのでございますが、それ以降という物、他人のことを思う余裕などなくなっていくのでございます」
「………………」
―――このように彼女達は昼夜関係なく、呼ばれたらすぐに駆けつけて命じられたことを実行しなければならなかった。
当然ながらそのような生活は慢性的な疲労を蓄積させる。
彼女達はやがていつでも頭がぼうっとしている状態になっていった。そうなると当然ミスは避けられない。
だがそれでも懲罰はやってくる。
いつやってくるか分からない命令に備えているだけでも神経に堪える。
だがそれでもミスは注意すればある程度は避けられるだけましだった。
もっと悪いことは、与えられる命令がどんどん理不尽になっていったことだ。
それまでは少なくともその命令の意味は明白だった。
例えば上の場合は当然ながら、様々な作業は生活の基本リズムに基づいて発生した。
すなわち午前中は部屋の掃除や模様替えを行い、午後からは夕食や風呂の準備をするといった流れがあった。
そのため、今後の作業が何かはおおむね予測することができたし、突然の割り込み作業にはそれなりの理由―――突然の来客など、があった。
だが下に来てからというもの、まずそのリズムというものがなくなった。
昼夜が分からないからというだけでなく、あらゆる作業が複数の教官の単なる気まぐれで与えられるようだった。
食事や風呂のタイミングは教官によって出鱈目だったし、ある教官に言われて掃除したところを別の教官から再度掃除しろと言われるようなこともザラだった。
それでも娘達が何とかその要求に答えていると、今度はもう明らかな嫌がらせとしか言えないことが始まった。
例えば掃除が終わったところで今度は溜まったゴミを床にぶちまけろ、などといった命令が与えられるのだ。それに泣く泣く従うと、またそこを掃除しろというのを日に何回も繰り返されたりする。
水を汲んできては流すことを延々行わされたりもする。クーレイオンは山城のため、水くみはそれだけで重労働だった。
また寝ているところを起こされて行ってみると、単に数歩離れたテーブルの上のグラスを持ってこいというだけの命令だったりする。
だがそのような意味不明な命令であっても、逆らうのはおろか、ちょっと嫌な顔をするだけでもひどい懲罰が待っていた。
前述のように鞭打たれるのはその場で済む分まだ軽い罰だった。
下で格段に増えたのは“食事抜き”だった。
これは上でも与えられることはあったがそれは特にひどいことをした場合だった。
だが下に来るとちょっとしたことでもすぐにこの罰が与えられるのだ。
彼女達の作業は結構な肉体労働が多い。睡眠不足に空腹が重なるとますます作業にミスが増える。ミスをすれば更なる懲罰を受ける。
しかも上の食事抜きは“一食抜き”のことだったのに対し、下では“許しが出るまで食事抜き”なのだ。この絶食は地味なようで非常に効き目は大きかった。
また土下座しながら『私はご主人様の端女でございます。いかなるご命令でもお下しくださいませ』と言わせ続けられることもあった。
同様に壁に向いて立ち、いいと言われるまで身じろぎするなというのもあった。
もちろんこれらがどのくらいの長さか予め教えてくれるわけがない。場合によっては一日以上に渡ることさえあった。当然ちょっとでも休んだり身じろいだりしよう物なら途端に鞭が飛んでくる。
しかも長時間に渡る場合は被罰者を監視するのは仲間の娘の役割になっていくのだ。
監視役の娘には罰せられている娘が命令に背いたら即座に報告しろとの命が与えられる。
そして報告しなかったり嘘の報告をしたりした所が見つかったら、今度はその役割が逆転してしまうのだ―――
「……ひどいな。それって……」
何かちょっと想像とは違うが壮絶なのは間違いない……
「はい。それだけでなく、仕事をさぼっていた所を見たら報告しろとも言いつけられておりまして、もうその頃には周りにいる者全員が敵のような気持ちでございました」
「………………」
「それでも中には気丈な娘がございまして、ついに教官に対してどうしてこのような愚かなことをするのかと問うた者がいたのでございますが……」
「どうなったんだ?」
「教官はにやりと笑いますと『お前みたいな娘を待ってたんですよ』と答えまして、彼女をそれまで入ったことのない下層に連れて行ってしまったのでございますが、数時間後まるで人が変わったかのようになって戻って参りました」
「下層? 一体そこで何があったんだ?」
「はい。そこには岩壁をくりぬいて作られた小部屋がございまして、大変狭く天井も低く、立ってもいられませんが、床がひどく凸凹しておりまして座ることもならないという部屋なのでございます。部屋の扉は何人かで動かさねばならないような石でできておりまして、中に閉じ込められたら一寸先も見えぬ暗闇で、自分の吐息以外の音も全く聞こえぬのでございます」
「………………」
「そのようなところに閉じ込められますと、自分の心臓の音が異常に大きくなりまして、そのまま押しつぶされてしまいそうな恐ろしさを覚えるのでございます。叫んでみても全てが石の中に吸い込まれてしまいまして、生きたまま埋葬されたと思えばよろしいのでしょうか?」
チャイカは思い出すだけでも寒気がする風だ。
「チャイカさんも……もしかして?」
「はい。一度だけ。正直二度とご免なのでございます。あそこに入れられるくらいなら、その場で首を掻き切って頂いた方がよほど親切なのでございます」
「一体何やったんだ?」
「いえ、そのときは呼ばれたのに行くのが少し遅れてしまいまして。教官の虫の居所が悪かったのでしょうが」
「ええ?」
「いえ、失敗の軽重と処罰の重さはあまり関係がないのでございます。もちろんあからさまに逆らったりしますとひどい罰を受けますが、そうでなくともひどいときはひどいのでございます」
「そんな滅茶苦茶な……」
「その通りでございますが……でも、言われたことをそれが何であれきちんとやりさえすれば、罰は受けませんでしたので。ともかく与えられた命令さえきっちり行っておりますれば良かったのでございます」
「………………」
―――ある意味、ルールが明確になればそのような生活でも耐えられる物となっていった。日にちの感覚もなく、常に薄明るいランタンの光の下で何も考えずにただただ教官の命令に従っていくだけの存在。
やがてそのことに関して娘達は何も疑問に思わなくなっていった。
なぜなら少なくともそうしていれば懲罰を受けることはないのだ。
辛い仕事を言いつけられても、それをともかくこなしていさえすれば、またささやかな休息の時を得られるのだ。余計なことを考えてそれさえも失ってしまうことに何の意味があるのか?
元々彼女達は自分の村にも居場所がなかった者が大半だった。
彼女達はそもそも守るべき物など持ってはいなかった。
だから教官の前に出るときには床に土下座しろなど言われてもそれほど抵抗なく受け入れることができた。それで失う誇りなど何もなかったからだ。
娘達がそのルールを骨の髄まで身につけ、ただ言われたことを遂行する装置となりきったとき、次の段階が始まった―――
「それって……」
「はい」
チャイカはうなずいた。
―――それは唐突に始まった。
その日は何故か普段より少し長い休息が与えられた。普通なら寝入ってもしばらくすればまたすぐ何かを言いつけられるというのに、その日は自然に目覚めるまで眠っていられたのだ。
だが娘達はそれが何を意味するか、もう考えようとはしなかった。
彼女達は黙って次の命令を待った。
やがて教官が来て付いてくるように命じた。彼女は娘達を豪奢に内装されたホールのある階層にある部屋に連れて行った。その部屋は比較的狭かったが、床には絨毯が敷かれていて置かれている家具類も立派な物だった。
一つ普通でないことは、隣の部屋との境目の壁に周囲が額縁のように装飾された大きな四角い窓が開いていたことだった。
その先には簾が下がっていて、隣の部屋の中は見えなかった。
そこで娘達は窓に向かって置かれた椅子に座り、じっと黙って前を見ているよう命じられた。
これは一体何なのか? さすがに少し疑問が湧いてくる。
するとふっと部屋の明かりが消されて真っ暗になった。
だが今ではその程度で動じる者はもういなかった。黙って見ていろと言われたのだ。彼女達は息を殺してじっと命令に従った。
すると今度は隣の部屋の明かりがついた。簾は郭の見せ場にあるような非常に薄い作りだったので、こうすると隣の部屋の中が見えるようになった。
その部屋も比較的狭かったがやはり豪奢な内装で、中央には大きなアロザール型の長椅子が置いてあった。
そこにはよく見知った女が腰を下ろしている。かつて彼女達が憧れていた上の棟の教官だった女性だ。そこにガウンを着た若い男が入って来る。その男は本館の使用人として娘達も何度か顔を見たことがあった。
男が入ってくると女は立ち上がって、いきなり二人は濃厚なキスをする。
見ていた娘達は思わず声を上げそうになるが、彼女達の後ろにいた教官達に軽く首筋をなでられると、すぐまた与えられた指示を思い出す。
キスを終えると男は長椅子にちょっと足を開いた形で腰を下ろした。だが女の方はいきなりするすると着ていた衣服を脱ぎ始めたのだ。
娘達は声を出さぬよう歯を食いしばる。このときにはもうみんな二人が何をしようとしているのか想像が付いていた。
やがて女は一糸まとわぬ姿になって、その見事なボディーが窓の向こうに浮かび上がる。
女は男の前に跪くと軽く舌なめずりしてちょっと首をかしげる。男は黙って少し腰を振る。
それを見て女はにじり寄ると男のガウンの前を開いた。
娘の一人がまたうっかり声を挙げて教官にたしなめられる。
男もその下には何も着ていなかったからだ。
女の目の前に男の一物が姿を現すと、女はそれに顔を寄せていきなり口に含んだ。
男のモノは見る間にむくむくと大きくなっていく。それがはち切れそうになると、男は女を立たせて長椅子の上に四つん這いにさせた。
女の裂け目が既にてらてらと濡れぼそっているのがこちらからもよく見えた。
男がその場所を指で撫でると、女がぴくっと身を震わせる。
やにわに男はそそり立った自分の一物をその裂け目に埋め込んでいった。女がたまらずに喘ぎ声を上げる……
娘達は目をかっと見開いてその光景を見つめ続けた。
それまでは命令されていたから声を上げなかったのだが、今ではもう驚きのあまり言葉を失っていた。
実はそれまでの訓練の間、職務や懲罰にあからさまな性的要素が込められたことはなかった。
それまでに男を含む裸体がなかったわけではない。
侍女の職務には着替えを手伝ったり背中を流してやるような行為もある。そういった訓練では当然そのような物も目にすることになる。
だから当初は至らぬことを考える者もいたが、すぐにそれは掃除で彫像を磨くような“作業”となっていった。
それに加えて下では懲罰として衣服を剥ぎ取られることが多々あった。
鞭打ちの場合などには通常尻をむき出しにされた。
また、呼び出された際に衣装の乱れがあったような場合『お前のような者に着せる服はない』などと言われて服をみんな剥ぎ取られ、そのまま裸で作業するように言われることもあった。
だが本人も他の娘ももうそれを気にしている余裕はなかった。余計なことを考えていたらいつ今度それが自分に降りかかってくるか分かったものではない。
だからある意味娘達は裸体を見ることには慣れっこになっていたのだが、それと性的な行為を結びつけて考えることはなかったのだ。
だが今見ているこれは一体何なのだろう?
その光景はそれまでの訓練で様々なことが麻痺していた娘達の心にも強烈な刺激となって飛び込んでくる。
もちろん彼女達は命令に必死に服従し続けるが、体は無意識のうちに反応し始めていた。
そのときだった。
彼女達の後ろに控えていた教官達が娘の背後に忍び寄り、後ろからそっと抱きしめるとドレスの袖口に手を差し込んできたのだ。
娘達の衣装は、袖口が広く開いているデザインだったので―――そのためフィンはロゼットの火傷の後を見つけることができたのだが―――教官はそのまま労せずに娘達の乳房や乳首に指を這わせることができた。
さすがにそのときは皆、声を上げて身じろぎした。
だが教官は怒らず『黙って前を見ていなさい』と囁くだけだ。娘達はすぐに命令を思い出してその通りにしようとするが―――目の前の光景に加えて教官の絶妙なる愛撫だ。体の芯の方から甘い妙な感覚がわき上がってくる。
娘達はほとんど無意識に愛撫に合わせて身もだえを始める。
気づくと教官のもう一方の手が、彼女達のスカートの中に指を這わせ始めている。自分でももうその中がぐっしょりと濡れているのが分かるが―――今そんなところをまさぐられたりしたら―――
「その先のことは少々記憶が曖昧なのでございますが、ともかく一生懸命じっとしていようとしておりましても、もう体が勝手になってしまいまして……で、気づきますと何と教官の腕に抱かれているのでございます。そんな私めに教官は『今までよくやった。これがご褒美だ』などと申すのでございます」
「………………」
「もう、何と申しますか、暗闇に光を見たと申しますか、灰色の光景の中にわき上がってくるあの感覚だけがリアルに色づいていたとでも申しましょうか、地下の生活はもう何もかもが絵空事のように思えておりましたのでございますが、初めてまだ自分が生きて存在している、そのような気持ちだったのでございます」
「……で、それからはそういうことを?」
「はい。もちろんそれまでの作業がなくなるわけではございません。理不尽な命令は相変わらず与えられるのですが、それを上手くこなしますとご褒美としてこちら側の訓練をさせて頂けるようになるのでございます」
ご褒美って……
「こちら側って言うと……」
「はい。当然、教官に逝かされているだけではだめなのでございまして、色々なご主人様方のご要望に応えられますよう様々な手管を習い始めるのでございます。まず最初の基本はお口でのご奉仕なのでございますが……」
「あはははは」
フィンは乾いた笑いをあげてチャイカの話を遮った。
「如何なされました?」
「いや、ちょっとまた喉が渇いたみたいなんで……飲み物とってきてもらえるかな?」
「承知致しました」
チャイカは立ち上がると出て行った。
その後ろ姿を見ながらフィンは大きく息をついた。
そう彼女に命じたのは本当に喉が渇いていたのもあるが、もう一つの大きな理由はうつぶせに寝ていたせいでベッドに押しつけられていた彼のモノが大きくなってしまったためだった。これ以上そんな彼女の話を聞いていたら……
ともかく真面目なことを考えなければ。
《それにしても……闇のメイドって……》
チャイカはある意味フィンの想像を絶した存在だった。
言われてみれば確かにその通りだ。
非合法な監禁などが行われる局面で必要となる現場スタッフ。確かに何をするにしても大抵それを支える裏方が存在するものだが、ファミューラとはウィルガ裏社会を陰からひっそりと支えてきた存在なのだというのだろうか?
彼女から今聞いた話では、その訓練は極めて組織だって合理的な方法で行われているように思える。それこそウィルガ八百年の裏歴史によって培われてきた……
《今後どうすりゃいいんだよ?》
彼女は一見非の打ち所のない女性に見えるが―――何かが根本的に違っているとしか言いようがなかった。
これまで彼は彼女を普通の人として扱おうと努力してきたのだが―――これだと何だろう? もしかして彼女を抱いてやるのが一番親切だったりするのだろうか?
《じゃないだろ?》
フィンは慌ててその考えを打ち消した。
そうしながらまた考える。
実際の所、彼が彼女を慰めてやらない理由というのは、あの誓いを立ててしまったというただ一点に尽きるのであって、もしアウラがここにいたならどうしただろうか? 多分彼女は率先して慰めてやったに違いないと思うが……
《あはははは!》
―――などと理由を付けてやってしまったら、それまで大切に守ってきた何かの歯止めが外れてしまうような気がするし……
本当にどうしたらいいのだ?
フィンはまた大きくため息をついた。
《どうしてこんな面倒な奴ばっかり回りに集まるんだ?》
そのときチャイカが飲み物を持って戻ってきた。
「こちらでよろしゅうございますか?」
「ああ。ありがとう」
ジュースを差し出す彼女の素晴らしい体が目に飛び込んでくる。
豊かな胸、くびれた腰つき。きめ細かな肌―――その彼女はいかなる要望にも応じてくれる、というより彼女の方がそれを求めているのだ!
そう思った瞬間、フィンの理性は吹っ飛んでいた……
………………
…………
……
のだが……
「うあーっ!」
「いかが致しました?」
「いや、ちょっと動いたら擦れてね……」
「お気を付けくださいませ」
幸か不幸か日焼けのせいでそれ以上はぴくりとも動けないのだった。
色々な意味で涙の海水浴から戻って数日の後、フィンは早朝に城からの呼び出しがあって登城していた。
だが半ば寝不足もあって頭はぼうっとしている。
《何なんだよ、こんなに早くから……》
あの日以来本気でチャイカの顔を正面から見られない。
結果的には未遂に終わったとはいえ、精神的には完全に陥落していたのだから。
ともかくこのままでは早晩、あの誓いは破られてしまうに違いない。そうなったら……
《そうなったらどうだってんだ?》
そう思っては次の瞬間その思いを打ち消す。
最近のフィンの思考はこの無限ループで構成されていた。
フィンが軍議の間にやってきたときもまだそんな感じで頭の中はピンク色だった。
だが中に入って顔を上げると、そこの雰囲気は恐ろしく緊迫している。
《え? なんだ?》
フィンは慌てて挨拶した。見るとアルデン将軍だけでなく、全軍の将軍とその副官、ウィレギースを初めとする重要な評議会議員など、アロザールの中枢を担うメンバーが勢揃いだ。
「ル・ウーダ・フィナルフィン、参りました」
「うむ」
ウィレギース議長がうなずく。
フィンはアルデン将軍後方のいつもの席に腰を下ろす。それから将軍にささやいた。
『あの、一体何が起こったのですか?』
将軍は苦虫をかみつぶしたような顔で答えた。
『レイモンが白銀の都に侵攻したそうだ』
………………
…………
……
その言葉の意味がフィンの脳みそに染みわたるには、しばしの時間を要した。
「なんですって?」
フィンは思わず大声をあげた。一同が驚いてフィンの顔を見る。
フィンは慌てて手を振って謝った。
『あの、それで?』
フィンは再びアルデン将軍に尋ねる。
『わしも詳しくは知らん。だがシルヴェストから、これを機に動くから我らにも出陣を請う書状が来ているそうだ』
『………………』
『多分八月の半ばには先行部隊が出陣するだろう』
『……はい』
それはそれまで頭の中にあった何もかもを吹き飛ばすのに十分だった