プロローグ 続!クォイオの惨劇
というわけでフィンはクォイオの宿屋の天井から逆さ吊りにされて、夢にまで見た想い人だった大皇后と、かっとなると少々危険な婚約者と、将来主君となるであろう姫君と、その姫君の取り巻き達と、都最恐の魔導師ペアと、さらには自分の妹と、よく分からない女兵士の一団などに囲まれて、彼がどうして“せいどれい”の少年を連れ歩いているかを弁解しなければならない立場に追い込まれていた。
「えーっと、その……」
フィンが説明しようとすると、それを遮るようにエルミーラ王女が言った。
「メイ。それって、何かの勘違いよね? 子供ってよく意味も分からずそういう言葉を口にしたりするし」
さすが王女様! と感動しようとしたのだが……
「いえ、私も最初はそう思ったのですが、この子、その、“せいどれい”のことを実に詳細に知っておりまして、私も知らなかったこととかも、ですからその、勘違いではないかと……いや、あははは」
メイは頭を掻きながら、ちょっと顔が上気している。
エルミーラ王女その他の視線が再びフィンに突き刺さる。
「それでは、ル・ウーダ様がこの子を?」
王女はフィンを横目で見ながらメイに尋ねた。
「いえ、それは……」
「いいえ、教わったのはチャイカさんという方だそうですが……」
「あの……すみません……」
「チャイカさん? その方は?」
「アロザールに滞在中、二人の世話をなさっていた女性だそうです」
「女性……」
王女はちょっと目を見開き、同時にたくさんの視線がフィンにざくざく突き刺さる。
「いや、だから……ちょっと説明を……」
「この子が申しますには、その方は“ヴェルナ・ファミューラ”なんだそうですが……」
「ヴェルナ・ファミューラ?」
その言葉を聞いても大部分の女達はぽかんとしただけだったが、エルミーラ王女だけは驚いたように眉を顰め、やがてじと~っとした視線でフィンを見つめた。この目は……
《まさか……知ってるのか?》
「何なんですか? それ?」
その視線に気づいたメルファラが王女に尋ねた。王女は軽くうなずくと答えた。
「古い言葉でヴェルナとは奴隷、ファミューラとは女性の召使いのことを意味しますが、かつてのウィルガ王国ではヴェルナ・ファミューラと言うと、もうちょっと違った意味があったとか……」
それから王女は“ヴェルナ・ファミューラ”に関する正確な知識を一同に披露したのだった。
《エルミーラ様……どうしてそんなこと知ってるんですかっ!》
アイザック王の図書館とそこに入り浸っていた王女を侮ってはいけなかったのだ。
フィンはもう魂が抜けそうだった。
説明を聞き終わった女達は一同に、何か汚らわしい物でも見るかのようにフィンを見つめる。
「まあ……」
メルファラも口に手を当てて、横目でちらちらとフィンを見ている。
その表情には深い悲しみが……
「いや、ですから、説明させて……」
だが無慈悲にもエルセティアがそれを遮った。
「あんた、もうパパになってるっていうのに、お姉ちゃんのことは放ったらかしで、自分だけは綺麗なメイド奴隷さんといちゃついてたってわけ? 信じられない!」
「だから話を聞いてくれって」
フィンはかすれ声で叫ぶ。いくら何でもこんな誤解を受けたままこんな所で果てるわけにはいかない―――のだが……
あ? こいつ今、何か変なことを言ってなかったか?
「……って、おい、今何てった?」
「だ~か~ら、綺麗なメイド奴隷さんといちゃつけて楽しかった? って言ったのよ!」
「いや、そうじゃないだろ? じゃなくて、その前。パパ、だと?」
それからフィンは首をひねってアウラの方を向く。
視線が合うと、アウラは黙ってうなずいた。
《なんだって?……パパ?》
頭の中で何かがからから回っているが……
「えっと……」
混乱しているフィンを見てエルミーラ王女が天使のような笑みを浮かべて答えた。
「かわいい坊やですわよ~? とってもお元気で」
「えっと、その……」
「大丈夫ですわ。今は実家に預かっていただいております。ウルスラ様も大変お喜びでございました」
「母上が? えっと……」
そこに突然アウラがにじり寄ると言った。
「で、名前!」
「え?」
「まだ坊やだから。名前っ! フィンが帰ったらつけてもらおうと思ってたのに……」
アウラの目からまた涙がこぼれ落ちる。
「そうですわよ。もう一歳のお誕生日を過ぎておりますのに、名無しの坊やでは可哀想じゃございません?」
エルミーラ王女もたたみかける。
「いや、だから……」
いきなりそんなことを言われても―――ただでさえ混乱しているというのに!
さらにアウラが涙目で続ける。
「せめて名前だけでもつけて。そうすればもう邪魔しないから……」
「はあ? 邪魔?」
何の話だ?
それを聞いて急にメルファラが割り込んだ。
「アウラ、その話はもう終わりにしたでしょう? 私の夫はカロンデュールなのですよ?」
「でも……」
いったい何の話だ? もしかして……
………………
…………
もしかして??
フィンはそのとき恐ろしい、だが状況を見れば至極当然な可能性に思い当たった。
「えっと、その……」
「そんなコソコソしなくて良かったのに。言ってくれれば、あたしだって……」
「えっと、その、アウラ、だから……」
どうするつもりなんだよ?
―――そこに王女が言った。
「そうですわね。妙な理屈をこじつけたりせずに、普通におっしゃって頂ければ私達だって決して無碍には致しませんでしたが」
「あの、王女様、何のお話で?」
王女は再び天使のような笑みを浮かべる。
「も・ち・ろ・ん、勝手に一人でレイモンに行ってしまわれたことですよ。父上も私もこれについては正直、怒っております」
「あの、こじつけと言われますが……」
「違うのですか? フォレスの国益とやらを考えればそれが最善だったそうですが……」
フィンは抗弁しようとしたが、そこにいきなりアウラが割り込んだ。
「フィン、本当はファラのことが好きなんでしょ? ずっと前から……」
「ぶはっ!」
「ねえ、フィン!」
「いや、だから、その……」
口ごもるフィンの顔を見てエルミーラ王女がにた~っと笑った。
「このような危険なことをわざわざ父上の命に逆らってまでなさるなど、一体ル・ウーダ様は何をお考えだったのかずうっと不思議に思っておりましたが……こちらに来てみて確かに納得いたしましたわ。あのようなお方のためならば確かに私でも、命の一つや二つ賭けたくなってしまいますものねえ。おほほほ」
「ミーラ様! お戯れは!」
メルファラがちょっと赤い顔で口を挟むが……
「ひえっ!」
フィンの口から思わず訳の分からない声が漏れる。
ばれてるのか?
もはや何から何までばれているというのか??
………………
…………
……
だが―――考えたら当たり前ではないか。
ファラとアウラと王女が一緒にいて、何だかとても馴染んでるようだし、アウラはフィンの身内同様だし、だとすればもう彼女たちがフィンとファラの昔話を聞いていたところで何の不思議もないわけで……
だとすれば……
「まだごまかそうとなさるのですか?」
「いや、その……」
フィンはもう観念するしかなかった。
「その……すみません。その通りです。でもアウラ……」
フィンはアウラの方を向いて、ともかく自分の気持ちを伝えようとした。
だがそれをエルミーラ王女は無残にも遮った。
「アウラとのことでしたら後でゆっくりとお話し合いくださいな。その前にいろいろ訊きたいことがございますので」
王女の言葉にアウラは黙ってうなずいて引き下がる。
もちろんフィンが抗う訳にはいかない。それにエルミーラ王女が訊きたいということだってそれ以上に重要なはずで……
「訊きたいことといいますと……」
「もちろん、レイモンに潜入したあなたがどうしてアロザールの代表としてファラ様をお迎えにあがったのかとか、そういったことでございますわ」
フィンはうなずいた。
ともかくまずはこれに関する説明をしないことには話が始まらない。
「もちろん話します!」
「ではどうぞ」
そう言って王女はにこにこしているのだが……
「あの……申し訳ありませんが……」
「はい。なんでしょうか?」
「すみません。その、話せば長くなるんで、その、下ろしていただけないでしょうか? ちょっと頭に血が上ってきて……」
フィンは当然まだ逆さ吊りのままだで、何だかそろそろ視界が赤っぽくなってきている。
「だったら軽身の魔法かけたら? そうすれば血も軽くなるぞ?」
にやにやしながら話を聞いていたファシアーナが口を挟む。
「そんなの無理ですよ!」
一流の魔導師なら簡単な魔法であれば無意識のうちにかけ続けることもできるのだが、フィンは残念ながら三流だった。
「まあ、それでしたら仕方ありませんわね。アウラ、ル・ウーダ様の……」
フィンはほっとした。
「耳の横を切って差し上げて。そうすれば余分な血も抜けるでしょうから」
「ええ? でも……」
マジに命令に応じるべきかどうか迷っている声だが―――いや、迷うなって!
「やめてください! 体中の血が抜けてしまいます!」
フィンは涙声で叫んだ。
「という冗談は差し置いて、そろそろ下ろして差し上げましょう」
「うん」
洒落になっていない。この姫は全く洒落になっていない!
確かに前々からいろいろと破天荒な姫だったのは間違いないが、何だかそれに輪をかけてひどくなってないか?
それにしてもしばらく見ないうちに何だかみんな、前とは随分変わってしまっているようだが……
フィンはやっとの事で縄を解いてもらうと女達の円陣の中央に座らされた。
「ではどうぞ」
「はい……」
フィンはつっかえながらこれまでのことを話し始めた。
喉が渇いてからからなので水を一杯欲しい、などと言い出せる雰囲気ではなかった。
フィンが話し終えたときには、外はもうとっぷりと日が落ちていた。
「……フィーバスが……そのようなところにいたなんて……」
エルミーラ王女はぎゅっと歯を噛みしめている。
それから周囲の女達の顔を見渡した。話を始めた頃に比べて随分数が減っているが、残った女達はみんなフィンの話の内容が極めて重大だということを理解してくれていた。
「参ったね。こりゃ……どうだよ?」
そう言ってファシアーナがニフレディルに目配せする。
ニフレディルはちらっと彼女の顔を見たが、黙って首を振った。
彼女はフィンの話の間にも時々鋭い質問を投げかけて来ていたので、何かを見いだしてくれるのではと半分期待していたのだが―――彼女にとってもアロザールの使った“大魔法”は未知の物のようだった。
《ニフレディル様に分からないなんて……》
いったいどうすればいいのだ?
そのときだった。
「まだお時間はかかりますか? 夕食、いかがいたしましょう?」
やってきたのはパミーナだ。
「いえ、今終わったところよ。もうこんな時間なのね。おなかぺこぺこなわけだわ」
王女達は夕食も取らずにフィンの話を聞いていたのだ。
もちろんフィンも飲まず食わずで話し続けていた。
「じゃあ行きましょうか」
女達はざわざわと立ち上がると宿屋の奥の部屋の方に向かった。
《えっと……付いてっていいんだよな?》
フィンが少しまごつきながら立ち上がると、アウラがつっと近づいてきた。
「アウラ……ごめん……」
「うん」
うつむき加減にそう答えるアウラを見て、フィンは思わず彼女を抱きしめたくなったが、あたりにはまだ人目がたくさんあったので思いとどまった。
通常食堂に使われているホールが今は簡易謁見室になっているため、食事の際は奥の部屋が利用されていた。
部屋の中には小綺麗なテーブルクロスの掛かった六人がけテーブルが四つ並んでいたが、その上に何だかよく分からない料理が並べられていて不思議な香りを漂わせている。
部屋には二十人を超える人がいたが、フィンとネイ、それに知らない男一人を除いて、後はみんな女ばかりだ。
そのときメイが奥からライスの鉢を持って出てきた娘に声をかけた。彼女もずっと記録のためにフィンの話につきあっていたのだ。
「アラーニャさん、ごめんなさい。大変だったでしょ?」
「いえ、大丈夫です」
「今日はまたアラーニャちゃんが?」
ファシアーナがにこにこしながら言う。
「こんなのしかできなくて、お口に合うかどうか……」
「いや、すごくいいよ。これ。都でも受けるんじゃないかな?」
「そんな……」
《あの子、アラーニャっていうのか?》
何かすごく和やかな雰囲気だが―――フィンは一同を見渡した。
この場で彼が顔を知っているのは、アウラとメルファラ、そのお付きのパミーナ、エルミーラ王女とそのお付きのメイとリモン、ファシアーナとニフレディルの大魔導師ペア、それと妹のエルセティア、最後にネイだ。
それ以外はみんな初めて見る顔だった。特に女戦士の一団に関しては本当に何だかよく分からない。
《いったいどこから来たんだろう?》
彼女たちの話し方は明らかに都風ではない。他の地域でもほとんど聞いたことのない訛り方だ。
それに昨日見たときはわりと都の近衛兵風だったのだが、いま彼女たちが着ている衣服のデザインは、変わった刺繍が施されたゆったりとしたシャツに、提灯のようなズボン、それに頭をすっぽり隠すようなヴェールをかぶっているという、あまり見たことのないスタイルだ。
本当に何者なのだろう?
更に妙なのは何故かエルセティアが彼女達のリーダーのように振る舞っていることなのだが……
《そういえばさっきこいつ何か言ってたよな?》
最初に吊り下げられたときに彼女がやって来た際に―――そう。確か“ヴェーヌスベルグの女王”だとか何だとか……
「はあ?」
フィンは思わずエルセティアの顔を見てそうつぶやいていた。
その後はそれどころではない展開だったので半分忘れかけていたが……
「なによ?」
その視線に気づいてエルセティアが言った。
「いや、それで、その服ってなんだ? 最近の劇か何かか?」
こいつならあり得ることだ。フィンが出奔する遙か前から彼女はルナ・プレーナ劇場に入り浸っていて、気に入った登場人物がいたらすぐに口まねとか、時にはコスプレまでしていたのだ。
だがそれを聞いてエルセティアはぽかんとした。
続いて脇で聞いていたメルファラが急に笑い出したのだ。
「え?」
「そういえばフィンは知らなかったのですね」
「は?」
「ああ、そうそう。こいつその前に逃げたんだったよね」
エルセティアがにやにやしながら言う。
「何の話だよ?」
このとき、フィンはまだエルセティアが姿を消した事件について知らなかった。
「ひどいわ! かわいい妹が死にそうな目に遭ってるときに、この男は綺麗なメイド奴隷さんと乳繰りあって……」
「だから違うって!」
なんなんだ?
訳の分からない様子のフィンにメルファラが言った。
「あなたが都を出て行ってからしばらくして、ティアもいなくなってしまったんですよ」
「え? いなくなった?」
フィンは驚いてメルファラとエルセティアの顔を見た。
「聞きたい?」
そういってエルセティアがに~っと笑った。
フィンはいやな予感がした。
長いつきあいだ。こいつがこういう顔をするとろくなことにならないのだ。
「いや、後でいいよ。お腹も空いてるし」
「何よそれ! あんたあたしがどうなったって構わないっての?」
「誰もそんなこと言ってないだろ!」
「じゃあ黙って聞きなさいよ!」
「お前、夕食はどうするんだよ? 食べてないだろ?」
「あたしダイエット中だからいいのよ」
「ああ? ちょっと……」
フィンは情けない顔で周囲を見渡したが―――どうやら彼女がこうなると簡単には止まらないことはみんな学習済みのようだった。