砂漠の女王様 第2章 ヴェーヌスベルグ

第2章 ヴェーヌスベルグ


 それから一年が経った。

 ティアとアラーニャは森のオアシスで水浴の真っ最中だ。

「はあ~。気持ちいい!」

 今日はちょっと暑いので冷たい水の感触がことさら快い。

 少し離れたところではアラーニャがゆっくりと泳いでいる。北のオアシスで教えてあげて以来、彼女は水泳が結構気に入ったようだ。

 と、いきなりアラーニャは逆さまになるとふっと水面下に姿を消した。

《アラーニャちゃんのお尻も結構キュートよね……》

 そう思いながらティアはお腹の肉をつまんでみる。

 うん。北にいたときは怠惰な生活が祟って少々太り気味だったのだが、こちらでは色々体を動かすことも多いのでスタイル的には随分改善されている。

 そのとき水中から大きな魚が飛び出すと水しぶきをあげながら逃げていった。その後からアラーニャがひょっと現れて残念そうな声を上げる。

「あ~っ!」

 ティアは苦笑いしながら言う。

「やっぱり無理じゃない?」

「うー……どうしてみんなできるんだろう?」

「みんなって、シャアラとマジャーラだけじゃない。あの子達がおかしいのよ」

 手づかみで魚が捕れるとかどういう運動神経をしているのだ? あの二人は……

「そうだけど……」

 アラーニャはちょっと残念そうだ。

 それからすーっとこちらの方に泳いできて水から上がると近くの石に腰掛けた。

 彼女もティア同様一糸纏わぬ姿だ―――当然のことなのだが、ここ、ヴェーヌスベルグではそういう格好でも全く人目を憚る必要がない。

「あ~、ティア~! アラーニャちゃ~ん

 声がするので振り返ると、腰布を着けただけの黒髪の女性が二人こちらにやってくるのが見えた。アルマーザとマウーナだ。

 この二人といま話に出たシャアラはトルンバ以来の付きあいで、ティア達は今では彼女達の家族でもある。

「早いですね~。ずいぶん

 アルマーザがそう言ってアラーニャににやっと笑いかける。

「え? でも……」

 マウーナも続けて言った。

「よーく磨いとかないとねっ

 その言外の意味に気づいてアラーニャの背中がちょっと赤くなる。

 アルマーザとマウーナは持ってきた着替えの包みを岸辺に置くと、優雅な身振りでするっと腰布を脱ぎ捨てた。

 その姿を見ると―――うーむ。何度見てもこう、ちょっと落ち込まざるを得ない。

 ここ、ヴェーヌスベルグの人たちはともかくみんなスタイルがよい。狩りとかで野山を駆け回っているせいなのだろうが、若い子はみんなこういう風にしなやかでスレンダーなボディなのだ。

 もちろんお母さんになってくるとちょっとぽっちゃりめになってくる人も多いが、すると今度は何かむっちりとした色香が漂っていたりして……

 しかも……

 ティアの見ている前で全裸の二人はオアシスにととっと駆け込むと、綺麗な弧を描いて水中に飛び込んだ。

 跳ね上がった水しぶきに一瞬虹がかかる。

《綺麗よね……》

 こういった何でもない動きなのに、それが妙になめらかで美しい。



「なんかアウラお姉ちゃんに似てるわよね。お姉ちゃんも黒髪だし」

 エルセティアのその一言はフィンの妄想を爆発させた。

《そのヴェーヌスベルグって、アウラみたいなのの大群が? しかも……》

 みんな裸で?

「もちろん、いつも裸で生活してるんじゃないわよ? 冬はすごく寒かったりするし、夏だって日焼けしちゃうと肌が荒れるから。でもそうじゃなかったらもう、みんなズボラになっちゃって……」

 フィンの頭の中を天国のような光景が駆け巡る。

《いや、だから……》

 そんなことを思うに任せていたら体が変になってしまう。

 フィンは慌てて 1+1=2、1+2=3、2+3=5、3+5= ―――と計算を始めた。こういうときに気を静めるのにいいと言われているものだが―――どれほど効果があることやら……



 それから四人はしばらく水の中でじゃれ合った。

「あれ? もうこんな時間ですか?」

 やがてアルマーザが空を見上げて言う。確かに陽は結構傾いている。

「そろそろ準備しないとですね」

「そうね」

 女達はめいめいに水から上がって用意していたタオルで体や髪の水滴をぬぐい去ると、腰布をつけて集落への道を辿った。

 オアシスの森を抜けるとすぐに彼女達の集落はある。

 そこには三角の天幕がたくさん建っている。いずれも綺麗な刺繍が施されていて、その模様で誰の天幕かが一目瞭然なのだ。

 ティア達はその中の一つに向かった。砂漠に出た月と星をアレンジした模様だ。

 中に入ると既にアーシャが待っていた。

 彼女はあの日トルンバにやってきた女達のリーダーだったが、彼女とは今では一番親しくなっている。

「待った?」

 マウーナが尋ねるとアーシャは首を振る。

「ううん。こっちも今来たところ」

 天幕の柱に渡された横木からは何着もの、これまた綺麗に刺繍が施されたワンピース型のドレスが吊り下げられている。

 ティアはそこから青地に星座模様の刺繍の施されたドレスを手に取って身につけた。いつもながらぴったりだ。

《さすがルルーね……》

 このドレスは晴れの日用なので個人所有ではなくみんなで共用しているのだが、そのため着る人が変わる度にサイズを調整しなければならない。

 だがティアの場合こういうのを選ぶときになるとすぐ目移りしてしまって、いつも決めるのが遅くなってしまう。おかげでいつも彼女には迷惑をかけてしまうのだ。

 見回すと女達は既にめいめいにドレスアップしている。

 ティアがドレスを着終わったのを見てアーシャが言った。

「ティア。いい?」

「いいわよ」

 ティアはうなずくとアーシャを座らせ、後ろから彼女の髪をくしけずり始めた。

「さらっとしてていいわよね。あんたの髪」

「あたしはそっちの巻き毛の方が羨ましいけど?」

「そう? ただの癖っ毛なのよ。これ」

 こういうのは常に隣の芝生の方がよく見えるものなのだ。

 ティアは手際よくアーシャの髪型を整えていった。

「どう?」

 セットが終わってアーシャに鏡を渡す。

「うわ! ありがと!」

「きゃ! アーシャ、きれい。ねえ、じゃあ今度は私も」

 マウーナが甘えたような声を上げる。

「OK! OK! 慌てないで。みんなやってあげるから」

 ヴェーヌスベルグにやって来たとき、正直ティアは不安だった。

 さすがにここで居候を決め込むというわけにいかないだろうが、曲がりなりにも彼女はお姫様育ちなのだ。彼女に何かできることなどあるのだろうか?

 悪霊屋敷でもそうだったが、彼女がだらだらしていたのは家事一般を手伝おうにも勝手が分からなすぎて断念せざるを得なかったためだ。そうでなければもっといろいろやってあげたのに……

 だが結局それは杞憂だった。

 こちらに来てみて気づいたのだが、ここの女達はとても美しいがその髪型などを見ると、短く切りそろえていたり、伸ばしている場合でも単にポニーテールだったり、よくて三つ編みに飾りが付いていたりと、何というか、実に“素朴”なのだ。

 そこで試しに都で流行っていた髪型にしてみてあげたらこれが大受けで、数ヶ月もたたないうちに彼女はヴェーヌスベルグのトップスタイリストとなっていたのだ。

《どこだって女の子は女の子だもんね……》

 全員の髪型のセットが終わって―――ティアの分はアラーニャが手伝ってくれるが―――化粧も済ませた頃、天幕の入り口からは夕日が差し込んできていた。

「そろそろ行かなきゃ」

「うん」

 女達は揃って天幕を出た。

 そろそろ夕餉の時刻なので集落内は他の女達がうろうろしている。もちろんみんなおおむね腰巻き一つの姿だ。

 彼女達は着飾ったティア達の姿を見て笑いながら手を振った。

「じゃね」

 アーシャが彼女達に挨拶して集落から出ようとしたときだ。

 向こうから水汲みの女達の集団が戻ってきた。みんな頭に水の入った壺を乗せて見事なバランスで歩いてくる。

 ティア一行はこういうときのしきたりに従って道を開けた。

 水汲み娘達を率いているのはヴェガといってアーシャの姉なのだが、ティアから見ても震いつきたくなるような美女だった。

「またあんたたち?」

 ヴェガはすれ違いざまアーシャにそう言って、更に一同をじろっと見回した。

「そうよ」

 アーシャが冷たい声で答える。

「そう。行ってらっしゃい」

 それからヴェガ達はまっすぐに行ってしまったが、その声や表情には隠しようのない羨望と嫉妬の色があった。

《ま、しょうがないけど……》

 彼女達の待遇がいいのはそれだけの理由があるからで―――ティアから見たらかなりささやかな優遇にしか思えないのだが、それでも普通の女達から嫉妬を買うにはかなり十分なのだ。

《ん~、でも半分自業自得ってこともあるし……》

 来た当初はこれが結構逆の立場だったのだが……

 ここでアーシャとヴェガの確執の話を始めたら長くなるのでそれは後回しにして、ティア一行はそこを離れてオアシスの外に向かっていった。

 林の中の道を抜けるとその外には広い墓地があった。

 一行はその墓地の前に立つ。

 眼前には無数の墓標が立ち並んでいて、ちょうど今、その彼方の低い丘の横に夕日が沈もうとしているところだった。

 その光景を見てティアは思わず涙が出てきた―――いや、ここにこうして立つと、そうならざるを得ないのだ……

「ティア……もう、また……」

 アーシャがそう言ってティアの肩を撫でる。

「ごめん……でも……」

 そう。この場所は彼女達の悲しい歴史が一点に凝縮された場所―――すなわちこのヴェーヌスベルグに来て死んでいった男達の墓場なのだ。

 女達は黙って跪くと黙祷を捧げはじめた。

 ティアとアラーニャもそれに習う。

 そんな彼女達を見ていつもティアは複雑な気持ちになる。

《あたしなんかがここにいていいのかしら……》

 正直、ここを見るまで彼女は今ひとつぴんと来ていなかった。

 こうしてそれを目の前にしても、それがとても悲しいことなのはよく分かるが―――でも祈るにしても、彼女にどんな祈りの言葉があるというのだ?

 でも、ある意味、だからこそ今の全てが許せるのだ。

 こんなことになってしまったという運命に対して……

 皆が祈りを終えて立ち上がる音が聞こえる。

「じゃ、行きましょうか」

「うん」

 一行は来るときとは打って変わった軽い足取りで引き返すと森の奥の方を目指した。

 森の奥にはちょっとした空き地があって、そこにはひときわ大きな天幕が立っていた。

 空き地の出口の所に女が二人立っている。

 一人は彼女たちの基準では少しぽっちゃりしていて、もう一人はやや痩せ気味だが―――アカラとヤーラだ。彼女たちもトルンバ以来の仲間だ。

「準備OKよ」

「ありがとう」

「今日作ってくれたの、アカラ?」

「そうよ。シャアラが取ってきてくれた鴨なのよ」

「うわーっ! じゃ、絶対美味しいわね!」

 そんな話をしているティアにマウーナが言う。

「ティアったら、どうしてこんなときに食べることばっかり……」

「だってアカラ、お料理上手じゃない」

「アカラのお料理なんていつでも食べられるじゃない」

「ま、そうなんだけど」

 二人に手を振ると一行は天幕に向かった。

 今その入り口は開け放たれていて、低いテーブルの上に豪華なごちそうが乗っているのが見える。この晩餐をさっきの二人が持ってきて盛りつけてくれたのだ。

 そしてその奥には……


「おー、いいぞ。入れ入れ!」


 イルドが大きな座布団の上にお大尽スタイルで座っていた。

「きゃ~! イルド様~っ」

 マウーナがいきなりイルドの横にダッシュする。

「あ! マウーナ! ずるいですよ!」

 アルマーザが後を追ってその間に割り込もうとするが、そのときにはアーシャがこそっと反対側の場所を占めていたので、結局後ろから抱きつくしかなかった。

 そんな彼女達をティアとアラーニャが苦笑いしながら眺めていると、イルドが声をかけてくる。

「そこの君たちもほら、入って来いよ……って、え? お前らかよ?」

「悪かったわね。あたし達で」

「いや、お前らの日だったっけ? 今日って」

「そうよ! 覚えてなかったの?」

「いや、あはは、何かもう日付の感覚とかなくってさ。そうかそうか」

 こいつはもう―――こっちは指折り数えて待ってるって言うのに!

 大体この男は、とっとと死ぬって言うから色々妥協してやったのだ!

《だっていうのに……》

 そう思った瞬間またティアの腹の底から怒りが湧き上げてきた。

 ティアはイルドの前に仁王立ちするとぎろっと見下した。

「そろそろ一年よねえ。ここに来てから」

「え? ああ、そんなになるか? 早いもんだな」

「で、一つ聞きたいんだけど?」

「何でも言ってごらん?」

「それであんた、結局いつ死ぬのよ?」

「んなこと言われたって……」

「あのねえ、あんたが死ぬって言うから、もう何でもかんでもあんたの好きにさせてあげたんじゃない! まさか最初っから分かってたんじゃないでしょうね?」

「いや、そんなことないって。俺だって怖かったんだぞ?」

「どうだか! ともかくねえ、男ってのは言ったことには責任取る物でしょ?」

「どうやって?」

「死ね!」

「お前そんなに俺に死んで欲しいのかよ?」

「やかまし! 死ぬって言ったならとっとと死ね~!」

 そう言ってティアはイルドの胸ぐらを掴んでぐらぐら揺する。

「おい、こら! やめろって!」

 その様子を見てイルドの隣にくっついていたマウーナが甘えたような声で言う。

「あーん、またティアがイルドに意地悪言ってる~」

 それを聞いてイルドの背中にくっついていたアルマーザが答える。

「いつものことじゃないですか~」

 ティアがぎろっと睨むと二人は素知らぬ素振りでそっぽを向いた。

「まあお前もここ来いって」

 イルドはいきなりティアの腰を掴むとくるっと回して自分の膝の上に座らせた。

 それから耳元でささやく。

「お前のためならいつでも死ぬ準備はできてるさ」

「嘘言いなさいよ! その両手は何よ?」

 そのときにはもうイルドの両手は両脇に座っているマウーナとアーシャの胸とお尻をなで回していた。せめて囁いてる間くらい囁く対象を撫でる物だろ? 普通……

 しかもティアのお尻のあたりでは既にもぞもぞと大きくなりかかっている“あれ”の感触がするし……

 ティアは大きくため息をついた。

 そうなのだ。

 最初から薄々予感はあったのだが―――どうやらこのバカ男にはヴェーヌスベルグの呪いも避けて通って行ったらしい。

《まったく……何だったのよ? あれって……》

 ここにやってきたときのティアとアラーニャの決意は、それはもう悲壮な物だった。

 キール/イルドと一緒にいられるのもあと数ヶ月。残された時間はあと僅かなのだ。

 だとしたら?

 もちろん呪われてしまうのは怖かった。

 だがヴェーヌスベルグの女達を見ていると本当にごく普通の娘達だ。アーシャとかアルマーザとか、本当にいい人達で、そんな彼女達と一緒ならその後でも何とかなりそうに思えた。

 だからティアとアラーニャは自分の気持ちに素直になることにしたのだ。

 それから半年の後、アーシャの言葉にほぼ偽りはなく、同時にやってきていた他の男達は―――あのとき他の村からも数名の男が来ていたのだが―――本当に全員死んでしまった。

 だがなぜかキール/イルドだけはぴんぴんしていた。

 どうやら怪我が治るのと同じ理由で呪いも効かないらしい、ということが分かったときにはもう後の祭りで―――だからあのお墓に行ったときはいつも涙が出てきてしまうのだ。あの人達に悪くて……

 かりかりしているティアの顔を見てアラーニャが言う。

「ティア様? まずはお食事にしません? 冷めちゃいますよ?」

「まあ、そうね」

 それと共に女達はめいめいに食卓を囲む。まずはここでエネルギーを補給しておかねばならない。

「うわ! この鴨、大きい!」

「シャアラがとってきたの?」

「そうだって」

「おいしそう!」

「よっしゃ。じゃあちょっと待ってろ」

 イルドがそう言って鴨のローストを切り分けて女達に配り始める。こういうのは何か和む光景だ。

「いただきまーす」

 全員に行き渡ったところで晩餐が始まった。

 こんな風に食事をする光景は、何だか家族の夕餉のようだ―――というか、彼女達とは実際“家族”なのだが、ヴェーヌスベルグの家族とは通常の意味での家族とは随分異なっている。

 まずここでは父親という者がいない。

 それから姉妹というのはほぼ全てがいわゆる“異母姉妹”に相当する。

 すなわちここの家族とは夫を共有した女達とその娘達で構成されることになるのだ。

 ここの家族とはそんな共同体であったのだが、ティアとアラーニャは外来者だったので、キールとイルドの本来の“連れ添い”ということでその中に入れてもらったのだ。

 だが今回の件は、ヴェーヌスベルグ史上でも極めて異例だった。

「イルド様~、お酒はいかがですか~?」

 アルマーザが徳利を手に甘い声を出す。

「うん。ちょっともらおうかな? でもちょっとでいいぜ。立たなくなったら困るからな」

「や~だ~!」

 この男は―――まあ、イルドだから仕方ないと言えばそれまでだが―――そう。要するにこいつはここに来てから一年間、ずっと飽きもせずこういう生活を続けてきているのである。そして当然のごとくに『こんないい所だったならもっと前に来とけば良かった』とかほざいているわけで……

 それがどういうことかというと、このヴェーヌスベルグには今、おおむね千人弱の女達がいるのだが、もちろんそれには子供とか老人も含まれているので、いわゆる“成人女性”は数百人というところだ。

 そしてこの男は既にそのような女性とは全て関係を終えていて、それどころか今では“二周目”も終わりかかっていたりするのである。

 おかげでまずいきなり前述の家族構成のしきたりがおかしくなっていた。

 今までのルールを踏襲してしまうと、ものすごい大家族ができてしまうわけで―――だがこれは中でも些細な問題だった。

 問題というのはこういうことだ。

 まず、子孫を作ることはここの女達にとっては何よりも優先される行為だった。

 来た男は通常は数ヶ月で死んでしまう。しかも男に呪いが現れたらもう子作りどころではなくなってしまうので、実質それができるのは二ヶ月前後だ。

 だからその間に可能な限り効率よく異なった女性と交わる必要があった。

 もちろんキール/イルドの場合も同様の扱いを受けた。

 あの墓場を見せられてはティアもアラーニャも承諾せざるを得なかった。最初は二人だけで慰めてあげようと思っていたのだが……

 ともかくそれによってある必然的な結末がもたらされる。

「ねえ、ターラのところなんだけど、もうすぐ生まれそうなのよ。名前考えてくれた?」

「え? そうなのか? わかった。もうちょっと待っててって、言っといてくれ」

 そうなのだ。

 そんな風に一年間この男が“可能な限り効率よく異なった女性と交わり続けた”結果、ヴェーヌスベルグには時ならぬベビーブームが到来していたのである。

《大丈夫なのかしら……》

 ヴェーヌスベルグオアシスは結構豊かなところで、周囲に生えている果物や穀物、芋類、オアシスの魚や飛来してくる鳥などを採取することで十分に自給自足することができた。

 だがそれは人口が今以上に増えないという前提の話だ。

 これまでの彼女達は常に一族滅亡の恐怖にさらされながら暮らしてきた。彼女達はそのためにそれこそ涙ぐましいまでの努力をしてきたのだ。

 ここに来てそれを目の当たりにしたからこそ、ティアもアラーニャもキール/イルドをみんなと共有するなどという生活が受け入れられたのであって―――だからその反対の危機というのは今まで誰も考えてもみなかったのだった。

《まあもうちょっと余裕はあるんだろうけど……》

 既に彼女の義理の娘が数十名いて、更にその倍くらい生まれそうな状況を考えると、そんなに悠長にしてもいられないように思うのだが……

 しかしその元凶は明らかに全くそんなことは気にしていなかった。

 食事が一段落したところでイルドが嬉しそうに言う。

「よっしゃ。それじゃ今日の一番乗りはだれだ?」

「あたしよっ!」

 マウーナが手を挙げると……

「一番! 乗りぃ!」

 と叫びながらイルドを押し倒して、その上に馬乗りになった。

 それからするっとドレスを脱ぎ捨てて腰巻き一枚の姿になる。

 マウーナは大きな胸を両手で支えると腰を揺らし始めた。

《うわ! マウーナったら……いきなりもう……》

 久しぶりのことだからというのもあるが、すごいハイテンションだ。

 自分の好きな決して嫌いでない男の上で別な女が悶えるなどという様は、正直、最初の頃はちょっと直視できなかった。だが……

「あ、アラーニャちゃん、お茶、いいかな?」

「はい」

 今ではそんな光景を見ながら、ゆっくりと食後のお茶を啜れるようになっていたりするのだ。

 所変われば風俗習慣も変わる。

 ここ以外の場所であれば、男と女は大体同じ数くらいいる。従って一人の女が一人の男を独占したって別に構わない。

 まあもちろん、困ったことに何故かそれがうまくいかないことも多いのだが―――ティアもそのせいで都では一人悶々としていたのだが、それもその気になれば解決可能な状況になっていた。

 それを渋っていたのはひとえにファラに対して遠慮してしまったとかそっちの理由で―――ともかく、まあ急がずとも何とかなるさ、と構えていて何の問題もなかった。

 だがヴェーヌスベルグの女達にとっては状況は全く異なっていた。

 何しろ彼女達にとってはこれを逃したら本当に一生男と縁がないかもしれないのだ。

 前述の通り、彼女達は年に一度、各地の村を回って男を集めてくる。

 そうやって来る男達は年ごとの当たり外れはあるが、おおむね数名がいいところだった。

 そしてよっぽど精力に溢れた男でも、複数の女を毎晩全力で相手し続けるなんてことはちょっと困難だ。

 普通の男であれば当然もっと相手できる数は少なくなるし、その上呪いのせいで男が元気でいられるのは長くて二ヶ月前後だ―――などといった要素を鑑みれば、一人の男が相手にできる女の数というのは経験的に、延べ数十人前後だった。

 すなわち五人来たのであれば百五十~二百人である。

 要するにこれをみんなで分けないといけないのだ。

 そこで争いにならないようにと、男と寝られる順番は一族の掟としてきっちりと決められていた。

 まず十分に成熟していてまだ身籠もったことのない者が最優先だ。

 次に身籠もったが流れてしまった者、最後にまだ余裕があれば経産婦といった感じだ。

 こんな順序だから一度で子供ができなかったら次の機会は翌年に持ち越しで、子供ができてしまったらもう二度と男とは縁がないような物なのだ。

 だが一つだけ特例があった。

 その男を連れてきた者やその家族であれば、時々その列に割り込むことが許されるのである。

 それ故に例の夫狩り―――正式にはヤクート・マリトスと呼ぶが、そのイベントは彼女達本人にとっても非常に重要なイベントだった。

 それはともかく、イルドと終わった後、そんな彼女達がほとんど泣きながらティアとアラーニャにお礼を言ってくる様を見ては、もう彼女達にどうこう言うことは不可能だった。

 彼女達は本当にこれ以上ないくらい真剣だった。

《それにまあ、なんというか、キャパは十分だしね》

 イルドはこの点においても例外的存在だった。

「ああ、もっと、もっと、もっと……」

 マウーナはもう一糸纏わぬ姿でイルドに跨って喘いでいる。

 奴が下からがんがんとマウーナの大きなお尻を突き上げているのがここからも見えるが―――やがてイルドがうっと唸り、マウーナがびくっびくっと硬直する。

 マウーナがとろんとした目でイルドを見下ろす。

「どうだ?」

「いやん、もっと……」

「よっしゃ」

 イルドはそのまま抜きもせずに腰を動かし始めると、やがてすぐに萎えかかっていた物も元気になって、マウーナのお腹の奥をがんがんと突き始める。

「あ、あん、あん……」

 まず第一にイルドのバカはこのように素で絶倫なのだった。

 そして第二にキール/イルドは変身することで怪我が治ったり疲労が抜けたりする便利体質なのだが―――その効能には“精力のリセット”というとんでもなくここ向きの効果もあったのだ。

 というわけで、彼/奴の手に掛かれば一晩に五人くらいは軽く相手できるのである。

 こうなっていなければこれをティアとアラーニャの二人で相手しなければならなかったわけで……



「ちょっとそれって、やっぱり大変じゃない? 身が持たないっていうか。それとも慣れちゃうのかな? やってるうちに……うふっ♪」

 ………………

《いったいこれはどういう拷問なんですか?》

 半ば朦朧としてきた頭でフィンは考えた。

 エルセティアはもうおかしなテンションになってしまっている。まあ別に元々こういう奴だったといえばそれまでだが、でももう少しこう、お嬢様らしくいろいろ表現できたりしない物なのだろうか?

「だからチームでお相手するって習慣があって助かったわあ!」

「ああ? チーム?」

「うん。ヴェーヌスベルグじゃねえ、もう子種っていうのはねえ、血よりもずっ~と大切なのよ。本当に一滴だって無駄にできないんだから。失敗なんて許されないのよ。だから一人の人相手に五人で当たるっていうのが伝統なのよ」

「ああ?」

「だからねえ、あのエロ本みたいに、砂漠のテントで一対一なんて、絶ーっ対あり得ないの。三文作家が見もしないで適当に想像で書くから、ああいう風にリアリティーのない表現になるのね。大体美味しそうに飲み下したとか、もう勿体なくて論外でしょ? 普通!」

「あはは」

 あの本ってそんなに有名な本なのか?

「でね、まずメインの子が一番乗りっていうの。普通だとその子がしっかりと子種を受け取れるように、残りの四人が協力するのよ。二人が男の人に、もう二人が一番乗りの子について、色々と前戯をしてあげたりとか。キスしてあげたり体中いろいろ舐めてあげたりとかするんだけど、特に男の人が年取ってたりしたら、そうやらないと立たなかったりするから」

「あははは」

「でもあのバカはね、そんな気遣いも何もあったもんじゃなくて、もう本っっっ当に盛りのついた犬みたいに毎日パコパコパコパコ……次の朝にはチーム全員が足腰立たなくされてるのよ? どう思う?」

 どう思うって言われたって……

「あはははは」

「でもおかげでみんなには本当に感謝されちゃって、よくぞあいつを北のオアシスなんかから連れてきてくれたって、それであたしとアラーニャちゃんは特別に、二週間に一回、無条件でしてもいいってことになったんだけど……アーシャだって月に一度なのよ。だからそれがみんなのすごい気持ちだってことは分かるんだけど……でもやっぱり二週間に一回って……ね?」

 そういってエルセティアはちょっとため息をつく。

《だから知るか!》

 こっちはそれ以上にずっと何もしてないんだ!

 本当にどうしてくれよう? この状況……



 というように最近では落ち着いて食事などもできるようになっていたとはいえ、さすがに目の前でずっとこんな痴態を見せつけられればどうしたって体の芯がうずき始めてしまう。

 そのときティアの髪を撫でる感触がした。

 振り返るとアーシャがとろんとした目つきでティアを見つめている。

「じゃ、いく?」

「ええ」

 二人は絡み合っているマウーナとイルドの横をすり抜けて天幕の奥に向かった。

 そこにはいろんなサイズのマットレスやクッションが置いてある。そのうちの一つに二人は腰を下ろすと、おもむろに唇を重ねあう。

 いつも彼女の唇はふわっとしていい感触だ―――と、そこからアーシャの舌がするっと侵入してきてティアの舌と絡み合った。

 しばらく二人はそうしてお互いを味わい合っていたが、やがてティアはおもむろに唇を離すとアーシャに横たわるよう促した。

 次いで彼女の上着の紐をほどいて豊かな胸を露わにする。

「いつ見ても大きいわねえ」

 ティアはそう言いながら彼女の乳首を軽くひねった。

「あん……」

 アーシャが見かけによらず可愛いうめき声をあげて、ティアの頭をぎゅっと自分の胸に引き寄せる。

 ティアはアーシャの胸に頬ずりをしながら、既につんと立っている乳首を口に含んで軽く歯を立てると、その先を舌の先で転がすように愛撫した。

 アーシャがまたうめき声を上げる。

 ティアはそのまま空いた手でもう一方の方の乳房も愛撫し始めた。

 ちょうどそのとき視界の端からアラーニャとアルマーザが入ってくるのが見えた。

 入ってきた二人も近くのマットレス上に陣取って深いキスを交わす。

 それからこちらはアルマーザがアラーニャの上着を脱がせると、その胸を愛撫し始めた。

「あん……」

 アルマーザが耳たぶに息を吹きかけながら体をさすっていくと、アラーニャの体はすぐに上気して赤みをおびていく。

 やがてアルマーザの指がすっとアラーニャの腰巻きの下に滑り込んでいくのが見えた。

 途端にアラーニャが「あっ」と声を上げて軽くのけぞる。

「まだだめですよ~? もっととろとろにしとかないと。キール、困っちゃいますよ~?」

 それを聞いてアラーニャは恥ずかしそうに顔を背けるが、アルマーザの指先から逃れようとはしなかった……



《だから何の話なんだよ? これ……》

 そんなフィンの表情に気づいてかどうか、エルセティアは言った。

「いやあ、びっくりした? あたし達も最初びっくりしちゃったんだけど、考えたら当然よね。女しかいないんだから。だから普段は女同士なのよ」

「ああ、まあ、な」

 確かに言われてみればそうだが……

「それにね、慣れてきたら、もしかしたらこっちの方が良かったりして……えへ。だって女のいいところなんだから、女の方がよく知ってるしね」

「ああ、まあ、な」

 そりゃそうだろうが……

「だから最初はイルドを待ってる間、することないし、何か変な気分になってくるし、だからアーシャがちょっとやってみる? とか言うから、物は試しってやってみたんだけど、これがね、へへっ、いや、何か、彼女とだったらいつでもできるしで、それにほら、彼女とっても素敵だし」

「………………」

 要するにそれで病みつきになったと? はいはい。

「でもやっぱり一番燃えるのはイルド相手にしてるときだけど」

 どうにかしてくれ。これってもう既にただののろけ話では?

 そのとき、ティアの眼差しがちょっと真剣になった。

「でもこれ、もっと前に分かってたらどうだったかなって考えちゃうのよ」

「もっと前?」

「そう。あたしとフロウが結婚してたときも、ファラになって遊びに来たときも、ずっと一緒のベッドで寝てたのに、本当に何もなかったのよ。こんなの想像もつかなくって……」

「げほっ!」

 いきなり人にそういう想像をさせるな!

「だからねえ、正直どうしようかって思ってたのよ。もしファラに再会して、また一緒に休みましょうか、なんて言われたら、ね?」

 ね? じゃない! だから人にそういう想像をさせるな!

「そうしたらびっくりなのよ。ファラったら、もう、お姉ちゃんとかエルミーラ様とかともう、ずっとそんなだっていうのよ? どう思う?」

 だから何度も言うが人にそんな想像を……

 ………………

 …………

《?!》

 ちょっと待て! このアホはいまなんて言った?

 ファラが? アウラと? エルミーラ王女と? ずっと“そんな”だって?

 ………………

 …………

 ……

《そんなって、どんな?》

 ―――もちろんこの話の流れから言えば、そんなっていうのはそんなことなのだが……

 フィンにとってそれは青天の霹靂であった。

「な? なんだって?」

「だから、エルミーラ様。何か女の人がお好きなんだって? それにお姉ちゃんも、とっても“お上手”なんだって?」

「おい、ちょっと、ええええええ?」

 ちょっと待て。どういうことだ? そんなことがあっていいのか? 大体ファラは白銀の都の大皇后なのだぞ? それがベラの友好国フォレスの王女と―――その、関係を持ったと? 一体どういうスキャンダルだ?

「びっくりでしょ? さすがにそんななんて思ってもなかったから、でも混ぜてもらおうにも迂闊なことすると呪いが移っちゃうかもしれないし、それでちょっとどうしていいか悩んでて……」

 いや、悩むところはそこか?

 フィンは頭を抱えた。

 この際こいつのことはともかく、大皇后と王女が何かそんな関係になったとか、ばれたらどういうことになるというのだ?

《とは言っても……》

 ………………

 …………

 もしかしたらそれほどでもないのかもしれない。

 平常時ならいざ知らず、今はアロザールが全面的な戦いを起こして中原は大混乱の真っ最中だ。都にしたってレイモン侵攻からアロザールの大皇后の要求と、その対応に大わらわで……

 問題があるとしたらアロザール側がそういったスキャンダルをどう捉えるかだろうが……

《でも、元々他人の奥方を横取りしようとしているのはあっちだし……》

 その奥方に変わった愛人がいたからといって難癖の原因になるだろうか?

 よく分からないが……

「えへ。どうしたの? 気になる?」

「気になるに決まってるだろ!」

「そうよね。エルミーラ様って素敵だし。こう、毅然としてるところが……」

 こいつは何か勘違いしているようだが……

「それにアウラお姉ちゃんの噂って本当なの? 触っただけで逝かせちゃえるんだって?」

 思わずフィンの脳裏にいつぞやの彼女とパサデラの絡みがフラッシュバックしそうになったが……

《1+1=2、1+2=3、2+3=5、3+5=……》

 ともかく話が脱線したらどこまで行くか分からない。とっとと本筋に戻って頂かなければ。

「え? まあそうみたいだけど……で、アラーニャがどうしたって?」

「本当にそうなの?」

「いや、だからそうだけど、その話は後でゆっくりしてやるって。だからアラーニャは?」

「うふ。そんなにアラーニャちゃんが気になる? それじゃねえ……」

 そう言ってエルセティアはにーっと笑った。

《あ……なんかちょっとマズったかも!》

 と思ってももう後の祭りだった。