エピローグ 続々!クォイオの惨劇
「でね、エルミーラ様やお姉ちゃんがこっちにやってきた話とかを聞いてびっくりしちゃって。ってかさあ、結局あんたのせいじゃないのよ? あんたがお姉ちゃんを放って消えちゃうから、お姉ちゃんがダアルの屋敷に乱入することになって、そのせいでエルミーラ様達が来ることになったんだし」
「ええ? そ、そうなのか?」
その辺の話はまだ何も聞いていないのだが……
「でもおかげで本当に心強い味方が一杯できて。お姉ちゃんもリモンさんも本当に強いのね。びっくりしちゃった。シャアラとかが束になってかかっても叶わないとか」
「あ、まあ、な……」
アウラはまあ例外的だとは思うが、リモンもそんなに強くなっているのだろうか? 確かに昨日見たときはすごく精悍な顔つきになっていたように思うが……
「それでみんな、仲良くなって、えーっと……」
エルセティアは大あくびをした。
「あと、メイちゃんのお料理がとってもすごいのよ。びっくりしちゃった。何か元は宮廷料理人だったんだって? それがどうして秘書官なんかをやってるのかしら?」
「うん。彼女色々と気が利くから抜擢されたみたいでな」
「へえ~。いいなあ。あんなお料理上手な秘書官、あたしも欲しいなあ」
それは昨日も言っていただろ? だからおのれには過ぎた娘だっての!
そのときばたんと食堂の扉が開くと、わらわらと女達が入ってきた。
リモンを先頭に、エルミーラ王女とメルファラ大皇后、アウラと両魔導師、その後ろからヴェーヌスベルグの女達と思われるのがぞろぞろ入ってくる。
厨房からアカラと呼ばれていた娘が顔を出した。
「あ、みなさん。おはようございます」
「おはよう」
そう言ってメルファラ大皇后が、食堂の奥の上座に向かおうとして、部屋の隅で空になった夜食の皿を前に座っていたフィンとエルセティアに目を留めた。
「まあ、徹夜なさっていたんですか?」
「あはは。まあ」
フィンが苦笑いしながら答えると、アカラがやってきてエルセティアに尋ねた。
「ティア様。朝食、どうしますか?」
「え? たべる。たべる~!」
本当に食うことに関してはだけはひたすら貪欲な奴だな。
そんな会話を聞きつけてエルミーラ王女とアウラもやってきた。
「あ、えっと……その。おはようございます」
フィンは二人に挨拶をしたが、王女はその顔をまじまじと見かえすと、それからぷっと吹き出した。
「それでは、夕べは?」
「え? あははは」
「……で、お話は終わりましたか?」
「え? まあ何とか」
それを聞くと王女は少し真剣な顔になった。
「ああ、それでは食後にちょっとお話があるのですが、よろしいでしょうか?」
「え? できればちょっとその、少し寝かせてもらえると……」
だが王女は首を振る。
「申し訳ありませんが少々緊急のお話なので。いえ、久々にお会いしたのでしょうから積もるお話もあるかとは思っておりましたが、まさか徹夜なさるとは……」
あはははは。
「すみません。えっと……」
くそ! あのガキは!
フィンはティアにも謝らせてやろうと振り返って見たのだが……
「ねえ、ティア、ティア!」
エルセティアは既にテーブルに突っ伏して完全に潰れている。メルファラが突っついているが、もうぴくりともしない。
メルファラは近くにいた娘達に声をかけた。
「マジャーラさん、ちょっとお願いできますか?」
「ああ! もうしょうがないなあ」
マジャーラは横にいたもう一人に声をかけると、手慣れた様子でくったりと寝ているティアを二人で抱えて寝室まで運んでいった。
《このガキは……喋るだけ喋っててめえは……》
そこにほかほかと湯気を上げている朝食をアカラが持ってやってきた。
「あら? ティア様は?」
「寝てしまいました」
「まあ、お食事も取らずに? よっぽど眠かったんですね。でもそれじゃこれ、どうしましょう?」
アカラはティアの朝食を手にして途方にくれる。
「それでは私が頂きましょう」
「え? 大皇后様が? でもお席が……」
「今日はここでいいわ。別にいいでしょ?」
「え? え、はい」
アカラが大皇后の前に朝食を並べ始める。
というか、考えてみたら大皇后が宿屋の食堂でみんなと一緒に朝食?
「あの、食事とかはいつもこんな感じで?」
そう思ってフィンが尋ねると、メルファラは笑って答えた。
「彼女達が来るまでは部屋に運ばせていましたが、何だか楽しそうなので一緒にすることにしたんです」
「はあ……」
「あの湖のバーベキューもそうでしたが、やっぱりみんなで一緒に食べると美味しいでしょう?」
「ああ、そうですね……」
彼女がまだ“メルフロウ皇太子”だった頃の事が思い出されてくるが―――それを思うと、何もかもが変わり果ててしまったようだ……
やがてフィンの前にも朝食が運ばれてきて、ともかくやっとまともな食事にありつくことができた。
ちょっとしたオードブルから始まって、温かいスープと厚切りベーコンエッグにこちら風の黒パンに蜂蜜入りのバターといった一見ごく普通の朝食だったが、結構素材とかは吟味されている。
食後に濃いコーヒーとメイ特製のデザートケーキで人心地つくとフィンは尋ねた。
「食事はどうされてるんです? メイがみんな?」
フィンのテーブルにはメルファラ大皇后とエルミーラ王女、それにアウラとメイが座っていた。
それを聞いてエルミーラ王女が答える。
「メイだけじゃなくて、パミーナさんも上手だし、今だとアカラさんとかアラーニャさんもいるから、結構面白いんですよ」
「そうなんですか」
フィンの計画ではなるべく都側の随行員を減らしたかったので、食事などは全部アロザール側が用意するという手はずにしてあった。
もちろん道程の宿屋に任せるわけには行かないから、アロザール側の随行員には腕の良い料理人も交ぜていたのだが、ルンゴの村で全員捕縛されてしまった後、一体どうなってしまったのかとちょっと心配だったのだ。
それを受けてメルファラが言った。
「そうですね。西の方のお食事、ちょっと変わった味ですが、慣れたら結構美味しいものですし」
それを聞いてメイが言った。
「任せてください! アカラさんとかアラーニャさんには、ばっちりレシピは聞いてますから」
「あれってフォレスに戻っても作れそう?」
エルミーラ王女の問いにメイがちょっと首をかしげる。
「うーん。香辛料が手に入りにくいとは思いますが、でもサルトスあたりだったら手に入ると思うし」
「そう。それは楽しみね」
そんな雑談を聞きながらフィンは思った。
《うーむ……これにチャイカさんがいたら、東西南北全部揃ったんじゃないだろうか?》
南方の料理はあれはあれで結構良かったのだが……
そう考えるとやっぱり置いてきたのはどうだっただろうか―――とは言っても、もしそうならば彼女のマスターになってやったということで――― そんなことになったら一晩逆さ吊りでティアの話を聞かされていたかも知れないし……
《あはははは!》
フィンはテーブルに座っている面子を再度見渡した。
本当にどういう取り合わせなのだ? こうやって見ると何だかものすごく当たり前に一緒にいるようなのだが―――こんな風に一緒にいられる理由というのが、全く想像もつかないのだが……
それはともかく、さっき王女が何か言ってたよな?
「えっと、それで、お話とは?」
ともかく緊急の話と言うことなのだが……
それを聞いてエルミーラ王女が軽くみんなに目配せすると話し始めた。
「はい。実は今後のことなのですが……」
フィンはうなずいた。
確かにこれは緊急の話である。
今後どうするかということは、現在の彼らの最重要課題なのは間違いない。その重大な意味合いが徐々に染み渡ってくるにつれて、寝ぼけてはいられない状態になってくる。
そうなのだ。そもそもフィンが想定していたのは、メルファラ大皇后が少数のお付きを従えてやってくるという状況だった。数名までであれば行商人のふりをして脱出もできると考えて、そのための準備は一応してきてはいるのだが……
フィンは食堂内を見渡した。
そこには二十名近い女達がたむろして和気藹々と食後の団欒を行っている。部屋の隅の方ではネイが数名の女達に囲まれて可愛がってもらっているようだ。
反対の隅にはあれはキールの方だろうか? 男が一人いて、その周りを取り囲むように女が数名、雑談をしている。
その先でニフレディルとファシアーナに挟まれて話しているのはアラーニャだろう。
こんな大人数を一体どうやって逃がせばいいのだ?
そんなことを考えているとエルミーラ王女が言った。
「正直言いまして、私たちはこのようにアロザールに対して完全な敵対行動をとってしまいました以上、もはやこのままにしておくわけには行かないと思うのです」
「あ、はい……」
全くその通りであった。
大皇后一行は詰まるところ、同行していたアロザールの随行員と、お迎え役としてやってきたフィンの一行をみんな武力制圧してしまったわけで―――早晩その状況がアロザール側に知られないはずがない。
「本来でしたらもっと内密に、ル・ウーダ様にコンタクトを取るのも有りかと思っておりました。ただその時点でル・ウーダ様がそこまで信頼できるかどうか、私どもの間でも意見が割れておりまして……もしル・ウーダ様が本当に敵方に寝返っているのなら、余計に悪い結果になるだろうということで」
「あ、はい……」
フィンが味方だと分かっていれば、予めこっそりとコンタクトを取れれば色々とやりやすかっただろう。だがもし本当に敵になっていたなら―――うっかり信用してそれを逆手に取られてしまったら致命的だったのは間違いない。
都の立場から見ればフィンが本当に信用できるかどうかは、二つに一つといった状況だっただろうし……
「ですので、ここでお会いしてル・ウーダ様の真意を確認するのが先ということでこちらに参っておりましたのですが……ティア様がああいう風にいらしてしまった時点で、もはや後戻りできない状況になってしまったかと考えております」
「はい……」
フィンは内心蒼くなった。実際その通りなのだ―――ってか、あのバカもしかして、最悪の事をしでかしてないか?
言葉の出ないフィンに王女は尋ねた。
「それで、お聞きしたいのですが、ル・ウーダ様はどのようなお考えでしたでしょうか?」
「え?」
「こちらへは、ただファラ様をお迎えに来られたのでしょうか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「ではどのようなお考えが?」
フィンはがっくりと頭を垂れる。
「えっと、その、ともかく昨日お話ししたとおり、私はアロザール王国の名代としてやってきてはおりますが、国内での私の力は本当にささやかな物でして……自前で使える兵士とかもございませんし……一応各地の兵に私の名前で指示は出せますが、それも大皇后様をお迎えするために必要だという名分がある場合だけなのです。ですので結局、逃げ出す場合に逃げやすいようにと可能な限り警備を甘くすることくらいしか……そうでなければそもそもこんな婚姻なんて阻止してます。この命をかける程度でそれができたのであれば……」
エルミーラ王女はメルファラ大皇后とちょっと顔を見合わせて、それからふっとため息をついた。
「では、結局ここでファラ様とお会いになって、それからどうなされるおつもりでしたか?」
「一緒に……逃げようと思っていました。でも、その、ファラ……大皇后様を一人逃がす事しか考えておりませんで、いや、もう数名までなら何とかなるかもしれませんが、その……」
王女は辺りを見回してにっこりと笑った。
「まあ、そうでしょうね」
フィンは顔を上げると尋ねた。
「あの、そもそも、どうして王女様やアウラがこちらに?」
「まあ、それは話せば長いことになるのですが……」
そういって王女は大皇后やアウラの顔を見てまたにっこりと笑う。アウラがばつの悪そうな顔でうつむく―――そう言えばさっきエルセティアが何か妙なことを口走っていたと思うが……
「きっかけはアウラが最初ファラ様のお屋敷に押し入って、私たちが都に呼びつけられたところから始まりますが……」
「はああ?」
それって嘘じゃないのかよ?
「でもそれを機会に、ファラ様とは本当に良いお友達になれて、逆に彼女に感謝してるくらいなんですよ」
フィンは思わずアウラに尋ねた。
「本当かよ?」
「うん」
………………
「まあその辺のお話は、後でゆっくりできるんじゃありませんか?」
そう言ってメルファラ大皇后がエルミーラ王女の肩を自然な様子で撫でる。
《何か、本当に親しげだな? どうなってるんだ? これって……》
それからフィンは昨夜、エルセティアが言っていたことを思い出した。
《そういや、女しかいないんだから普段は女同士とかで……そして……》
―――そのとき、ティアの眼差しがちょっと真剣になった。
「でもこれ、もっと前に分かってたらどうだったかなって考えちゃうのよ」
「もっと前?」
「そう。あたしとフロウが結婚してたときも、ファラになって遊びに来たときも、ずっと一緒のベッドで寝てたのに、本当に何もなかったのよ。こんなの想像もつかなくって……」
「げほっ!」
いきなり人にそういう想像をさせるな!
「だからねえ、正直どうしようかって思ってたのよ。もしファラに再会して、また一緒に休みましょうか、なんて言われたら、ね?」
ね? じゃない! だから人にそういう想像をさせるな!
「そうしたらびっくりなのよ。ファラったら、もう、お姉ちゃんとかエルミーラ様とかともう、ずっとそんなだっていうのよ? どう思う?」
だから何度も言うが人にそんな想像を……
………………
…………
《?!》
ちょっと待て! このアホはいまなんて言った?
ファラが? アウラと? エルミーラ王女と? ずっと“そんな”だって?―――
えっと、あの……
エルミーラ王女は向き直るとフィンに向かって言った。
「まあ、細かい経緯はともかく、大切なお友達に不幸が降りかかろうとしているときに、しかもそれが自分の国の臣下のせいかもしれないとなったら、私としては出て行かざるを得ないでしょう?」
「あ、はい、申し訳ありませんが……」
「もちろん私は信じておりましたが……あなたがファラ様をお救いするために、何か体を張って行動していたということを」
「ありがとうございます……」
「でしたらあなたにもお分かりですね? この方はそれだけの価値のあるお方なのです。だから私たちもここにいるのだということを」
「ミーラ様……」
メルファラが何か言おうとするのを、エルミーラ王女は首を振って遮った。
「今はこれからのことを考えましょう。ル・ウーダ様も私たちが信じていたとおりのお方だったようですし」
それを聞いて大皇后が少し赤くなる。
「で、一つお聞きしたいのですが……」
「はい。何でしょうか」
「このままアロザールに行くという選択肢はあるのでしょうか? まず私たちはアロザールのザルテュス様やアルクス殿下のことについては全く存じません。もしそのお方々がル・ウーダ様の目から見て立派なお方であるというのならば……」
フィンは蒼くなって王女の言葉を遮った。
「それはだめです!」
「そうなのですか? こちらでの出来事は、ル・ウーダ様の協力があれば、不幸な事故としてごまかす事もまだ不可能ではないとは思うのですが……」
「だめです。アルクスはフィーバスなんかよりずっと悪質です。あの大魔法も、知っているでしょう? あれは邪悪な何かです。僕にはそれだけはできません!」
それを聞いてエルミーラ王女はうなずいた。
「分かりました。だとするとあちらはちょっと無理になってしまったので、残るはどうにかして逃げる、ということでしょうが……」
あちら? 無理って? 一体何だ?
「あの、無理になってしまったとはどういったことでしょうか?」
エルミーラ王女はにっこり笑った。
「ああ、逃げる以外の方法も考えてはいたのですよ? ただ随行員の方々を倒してしまったのでちょっと無理になって……」
もしかしてあのバカのせいで、彼女達が考えていた何か優れた作戦が不可能になってしまったということだろうか?
「あの、それって、どのような方法だったのでしょう?」
フィンの立場で何かフォローできたりすることはあるだろうか?
「はい。例えばアウラを替え玉にして、閨で国王を暗殺してみようかと。でもそのためには相手に警戒されてはいけませんし……」
………………
だあああああああああ!
そんな作戦だめだって!
「あ、あははははは!」
潰れてくれてラッキーだった―――というか、この人達ならそれが可能ならやるとか言い出しかねないし……
「そういうわけですので、やはりここは逃げるしかないのかと」
フィンは脱力しながらうなずいた。
「はい……でも、先ほども申しましたとおり、こちらの準備は、その……」
「全員まとめてというのは無理でしょうね」
「はい……」
「でも、人が増えたことによってできることも増えていますよね?」
「え?」
フィンは思わず王女の顔を見つめる。王女はにっこりと笑った。
「例えばここでファラ様だけをこっそりとお逃がしして、誰かが替え玉になってこのまま行くとか」
「えっと、あの、でもそうすると……」
エルミーラ王女は顔を伏せる。
「そうですわね。身代わりになった方は……少々辛い目に遭うことにはなるでしょうが……でも、今ここにいる全員、そういった覚悟は端からできておりますし……」
そう言って王女はアウラやメイの顔を見た。
それに気づいてメイが苦笑いを浮かべるが―――それって、何かそうなったら仕方がないけどやっぱり嫌だなあ、みたいな表情だが……
《えっと、ちょっと待てよ!》
確かにそういうことをすれば、ファラが逃げ出せる可能性はぐんとアップするだろう。
だが誰が身代わりになるにしても事が発覚した後、その女性が一体どういう目に遭うかといったら―――あのアルクスだぞ?
フィンは背筋がぞっとしてきた。
エルミーラ王女は更に続けた。
「小さいグループに分かれてばらばらに逃げるという手もあるかもしれませんが、そうすれば一塊になって動くよりも目立たないでしょうし……」
それもあるかも知れないが―――でもやっぱり全員無事なんてことはないだろうし……
だが、色々な方法の中ではそれが一番まともと言うか、正直それ以外選択肢なんてないのでは?
「そういうわけで全く手段がないというわけではないのですが……でも私、思うのですよ」
そういってエルミーラ王女は妙な笑みを浮かべながらフィンを見つめた。
「誰かの犠牲の上に誰かが助かるというのは……少し面白みに欠けますわよね?」
はあああ?
フィンはぽかんとして王女の顔を見つめた。
何だかすごくどこかで聞いたことのあるフレーズだが……
そうだ! 以前フォレスで間違って軍事施設に入り込んでしまったときのことだ。
そしてアイザック王の元に連行されて、フォレスを守るために国外追放してくれとか頼んだときだ―――あのときアイザック王はこう言った……
『ル・ウーダ殿。貴公のお気持ちは大変よく分かった。確かに今の案はなかなかそそられる物があるな。誰もそう傷つかずにうまく事が収まりそうだ……だが、少し面白みに欠けるな』
―――と……
「えーっと……」
王女はにこっと笑った。
「あそこで父上が面白いことを考えていなかったらどうだったでしょう?」
王女はもちろん、知っていたのだ! そして王があんなことを考えていなければ―――絶対にこんなひどいことにはなっていないが……
「………………」
「ですのでそうと決めてしまう前に、まだもう少し時間はございますから、色々と可能性を検討してみた方がいいと。そのためにもル・ウーダ様にお会いできるのをお待ちしておりました」
「しかし、可能性と言われましても……」
一体どうしろと?
王女はそこで側にいたメイを見た。
彼女はそれまでノートに彼らの会話を一生懸命メモしていたが、王女の視線に気がついて驚いたような表情で言った。
「え? あれですか?」
「そうそう。ル・ウーダ様にお話ししてみて」
「本当にいいんですか?」
「もちろんよ。私たちではよく分からないから、ル・ウーダ様に聞いてみようということになったでしょ?」
「分かりましたっ!」
そういってメイはノートをばさばさっとめくり始める。
《なんなんだよ? 一体……》
それからメイはあるページを開くと、話し始めた。
「えーっと、この西部周辺には、アロザールの主力軍隊は現在いなくて、守備兵力だけ。主に傭兵で構成されていて、その数は合わせて三千ほど。それが少人数に分かれて、各地の敗残兵狩りを行っている、と、これはこれでいいんですよね?」
「え? ああ。大体そうだけど?」
何が言いたいのだ? この娘は?
「で、ですね、魔導軍の兵力を表す時、一級魔導師は一人大体五百名って勘定することがあるじゃないですか?」
「え? ああ、確かにそうだけど?」
「で、ですね、こちらにいらっしゃるシアナ様と、リディール様って、もうお一人で一級魔導師二名とは言わない実力をお持ちじゃないですか?」
「ああ、確かにあのお二方ならそうだけど……」
あの二人は都でも破格の実力を持った魔導師として知られている。
「ということは、控えめに見ても、お二人で二千人分くらいって見込めますよね?」
「え? まあ……」
フィンが曖昧にうなずくと、メイは力を込めて乗り出してきた。
「それにアラーニャさん、すごいんですよ。この一週間でめきめき実力つけちゃって」
「そうなのか?」
「はい。リディール様もびっくりされてて、で、彼女がもう二百五十人分くらいになるかもしれないし」
フィンはだんだんメイが何を言わんとしているか分かって来た。
「ちょっと待て、えーっと、要するにその三人で二千二百五十人分の兵力になるって言いたいのか?」
メイはしれっとうなずいた。
「はい。計算上はそうなりますよね。だからそのぐらいの兵力があるって考えれば、この辺のアロザール軍なら何とかできるんじゃないかな~って思って。あはは。どうでしょう?」
あまりの話にフィンはぽかんと口を開けたまま声も出せなかった。
メイはさらにとんでもないことを付け加える。
「それにほら、ル・ウーダ様、あのセロの戦い、すごかったじゃないですか。だからル・ウーダ様ならこっちの戦力が少なくても何とかしてくれるんじゃないかなって、お話ししてたんですよ」
「あ、あの……」
目を白黒させているフィンにエルミーラ王女がたたみかける。
「私からもお尋ねしますが、色々検討すべき課題は多いと思いますが、如何でしょうか?」
えーっと、えーっと……
「あの、結局今、何人いるんでしたっけ?」
それを聞いてメイがすらすらと答え始める。
「はい。都からはファラ様とパミーナさん、リディール様とシアナ様、フォレスからは王女様とアウラ様とリモンさんにあたし、ティア様と一緒にアラーニャさんと、キールさんとイルドさんが入れ替わりで、ヴェーヌスベルグのアーシャさん、シャアラさん、マジャーラさん、アルマーザさん、リサーンさんにハフラさん、マウーナさんとサフィーナさんと、アカラさんとルルーさんですね。それにル・ウーダ様とネイ君を合わせたらえーっと……二十三人ですね」
フィンは気が遠くなってきた。
ネイまで入れて二十三人って! セロの戦いだって千五百人くらいはいたんだぞ! しかもほとんど女じゃないか!
確かに普通の男よりは兵力になりそうなのも混じってはいるが―――いくらなんでもそれは無茶というものだろうが?
「えっと、あの、兵力換算っていうのはですね、何といいますか……」
何といえばいいのだ? 頭の中が真っ白で言葉が出てこない。
その様子を見てエルミーラ王女が言った。
「もちろん今すぐに答えを出す必要はございませんわ。もっともあまりゆっくりしているわけにも参りませんが……」
全然気休めになっていないのだが―――王女は微笑みながら続けた。
「どうしようもないと分かれば仕方ございませんが……ただそうするともう、無理にあがき立てないで、今ここで全員自決するという筋も視野に入れておくべきかもしれませんね」
脅迫だろ? それってもしかして脅迫だろ!
「でももしうまくいったら……ここにいる皆さんがル・ウーダ様には素敵なお礼をして差し上げることもできますし」
「素敵なお礼?」
間抜けな顔でフィンが王女の顔を見ると……
「もちろんここにいらっしゃるような美しい方々のす・て・き・なお礼と言えば、もう決まってるじゃございませんか! おほほほほ!」
エルミーラ王女が―――ああ! この人、もう何か変なスイッチが入ってないか?
「ミーラ……」
アウラが赤い顔をして口を挟むが王女は笑って首を振る。
「ここにいる全員が生き延びる道を考えてくださるんですから、そのくらいのお礼は当然でしょ? 我慢なさいな」
それを聞いてアウラは頭を抱えた。
いや、悩むなって! というか、素敵なお礼って、ちょっと待てよ、ここにいる娘の半分くらい呪われてなかったっけ?
目を白黒させているフィンを見て王女はぷっと吹き出した。
それから今度は真顔になって言った。
「ともかくル・ウーダ様。まずは考えては頂けませんか? そして教えて頂きたいのです。その結果がどうだろうと責任を取って頂く必要はございませんから」
………………
「え?」
王女はフィンの目を真っ正面から見据えた。
「それは、こちらの役目ですので」
フィンの背筋に電気のような物が走る。
その王女の眼光からは―――あのアラン王に感じたような強烈な意志がほとばしっているのが感じられる。
射竦められるというのはまさにこのことだ。
言葉の出ないフィンを見て王女はにこっと笑うと、反対に座っていたアウラに目配せした。
「お部屋に。そろそろお疲れでしょうから」
「うん」
アウラはうなずくとフィンの横にやってくる。フィンはアウラに掴まって立ち上がった。
「すみません。それでは今日は……」
「はい。おやすみなさい」
そう言って王女は微笑んだ。
「それから……」
「ええ、おやすみなさい」
メルファラもにっこり微笑んでフィンを送り出す。
フィンは少々ふらつきながら、用意されていた寝室に案内された。
頭の中は真っ白だ。
《えっと……どうすりゃいいんだ?》
フィンはベッドの上に座り込んだ。
何か今、とんでもない無茶振りを食らった気がするのだが……
だが王女は本気だ。何がどうなろうとやる気の目だ。あれは……
でも……
もう頭が全く回らない。
そのときふっと懐かしい香りが鼻をつく。
振り返るとアウラが彼の横に座って、その身を持たせかけていた。
フィンはほとんど無意識に彼女の肩を抱くと、ぎゅっと自分の方に引き寄せた。
「ごめん。もう二度と離れないから……」
「うん」
それから彼女の瞳を見つめる。アウラは少し顔を上に向けてその瞳はゆっくりと閉じられる。
フィンはその唇に自分の唇を合わせた。
夢にまで見たアウラの唇の感触……
「ごめんな……」
「うん……」
ともかく今は眠ろう。
目が覚めたらこれらは全部夢で、銀の湖の畔で、アウラの膝枕の上で、子供達に囲まれて……
だったらいいんだが……
シルバーレイク物語 砂漠の女王様 完