エピローグ 不都合な真実
アキーラ城の謁見の間には大勢の人々が集まっていた。
広間の中央にあるかつての王座には、アリオール暫定王が座っている。周囲はもちろん彼の親衛隊が固めていたが、その斜め後方には特別に雅な席がしつらえてあり、そこには大皇后と彼女を支えた女戦士たちが座していた。
《あれからもう二週間か……》
そんな広間を眺めながらフィンはまだ夢のようだった。
この何ヶ月か、すべてがめまぐるしく変動し、濁流に押し流されているかのような毎日だった。それを何とか泳ぎ切れたというのは、まさに奇跡が起こったとしか言いようがない。
《でも……やりとげたんだよな? みんなで……》
フィンは彼と一緒に戦ってくれた女戦士たちを誇らしげに眺める。
彼女たちが頑張ってくれなかったら、こうして彼らがここに集うようなことは永遠になかっただろう。“ベラトリキス”という言葉は元は単に“女の戦士たち”を意味する古語だが、今ではそう言えばそれが彼女たちを指すようになっていた。
《それだけの価値はあったからなあ……》
わずか二ヶ月そこらの活動ではあったが、彼女たちは間違いなく歴史にその名を刻んだのだ……
フィンがそんな感慨にふけっていると、横にいた男がぎりっと歯ぎしりをするのが聞こえた。
その男とはハルムートだ。その横にロパスの姿も見えるが―――彼らは大皇后や王女に付き従ってやって来たのだが、レイモン領内で呪いにかかって動けなくなってしまったのだ。
そしてやっとこうして呪いが解けたのだが、それ以来まさに人が変わってしまったようだった。
フィンにはその気持ちが痛いほどよく分かる。
なにしろ彼らはその人生と誇りをメルファラ大皇后やフォレス王家に捧げてきたのだ。それなのにこんな危急の際、まさに何一つ役立つことができなかったのだから―――彼らはそのことを心の底から恥じ入っていた。
彼らの横顔を見てフィンは自身の胃が縮むような気がした。
その眼光はまさに飢えた獣のようだった。その心の中でうごめく想いはただ一つ。呪いの解けたいま、どうやってこの恥辱を晴らすべきか? ただそれだけなのだ。
それは彼らだけでなくレイモン人の男すべての気持ちでもあった。
《反攻はすごいことになりそうだよな……》
アキーラの解放がなったいま、次の目標はレイモン全土の制圧であり、東部のアロザール軍への攻撃である。
《アロザールは後方に憂いがないということで、全軍をシルヴェストやアイフィロスに向けているから……》
今ここで背後から打撃を加えることができたら、相手は総崩れになるのは間違いない。
だがもちろんレイモンの復興がなったとはいえ、まだ国力は脆弱である。単独でアロザールと戦える力はいまだない。
だからこの戦いはシルヴェストやアイフィロスと連携して行う必要があった。
そして今日、要人たちがここに集まっているのは、シルヴェストのアラン王に向けた使者が戻ってくるからだ。
使者はヴォラン。このような任務には最適の男だ。彼は反攻の手順をアラン王と相談しに行ったのだ。
《たぶんこちらが一気にロータを抜いてトルボを攻めるということになるだろうな……》
あそこを落としてしまったらメリスのアロザール第二軍と、シフラの第一軍、第三軍を分断できる。
レイモン軍はまだ数では少々劣るとはいえ、その士気は凄まじい。
それこそすべての動ける男が一矢報いてやろうと軍に志願してきているようなものなのだ。そうでなくとも私財をなげうって後方支援を申し出る者も多い。
その上こちらにはファシアーナやニフレディルなどもいる。
十分にトルボを落とすことは可能なのだ。
《だとすればあとはタイミングだけど……》
それについてはシルヴェストやアイフィロスの状況にもよるだろうし、戻ったヴォランの報告を聞くまでだ。
―――フィンがそんなことを考えていると、広間の入り口あたりが騒がしくなった。どうやら使者が到着したようだ。
果たせるかな、人々の間を通って入ってきたのはヴォランだった。
あたりから歓声がわきあがるが―――ヴォランはそれに応えようとしない。わりとお調子者だからいつもならこんな場合は喜んで反応するのだが……
《ん? なんだかえらく暗くないか?》
彼の足取りはなぜかすごく重そうだった。
それに気づいてか、あたりの歓声がトーンダウンしていく。
彼はアリオールの前まで行ってひざまずいた。
「ヴォラン殿。大儀であった」
アリオールの言葉にヴォランがうなずく。
「御意にございます」
「それでアラン殿はどのように?」
「それが……」
そう言ってヴォランは沈黙した。
「ん? どうした?」
「それが、悪い報せと……何といいますか、楽しい報せがございまして……」
一同のいぶかる声が上がる。
アリオールは眉をひそめて尋ねた。
「それでは……悪い報せから聞こうか?」
「は。まず、アラン様からは我々がアキーラを奪回したことに関しましては、大変なお褒めの言葉を預かっております。アラン様はこうおっしゃいました。これはまさに偉大としか言いようのない行いであり、千年の歴史に残る快挙であろうと。後世の人々はこう語るであろう。レイモン人はクォイオ、シフラ、そしてアキーラで奇跡を起こしたと!」
まさに最大限の褒め言葉だった。なのにどうしてそれが悪い報せなのだ?
人々のそんな思いの中、ヴォランは続ける。
「しかし、アラン様はこうもおっしゃったのです。だがいま私達と共に反攻を行うことはできないのだと……」
おおっと低いうめきがもれる。
「なんだと? いったいどうして? まさかまだ我らを……」
アリオールの目の色が変わっている。ヴォランは悲痛な表情で答えた。
「いえ、違うのです。アラン様がおっしゃるには、アロザールはまだ秘密兵器を隠しているらしいとのことで……」
「なん……と?」
場がしんと静まりかえった。
まさに悪い報せだった。
今回この中原の国々がアロザールに蹂躙された理由は、まさにあの呪いにあった。
今でこそ何とか解呪する方法が見つかったからこうして反撃ができたわけだが、その呪いの正体については依然まったく不明なのである。
アロザールの呪いは都にもベラにも類した記録が全くないものだった。そのため有効な対応策がなく、あのようになすすべもなくやられてしまったわけだが……
《そんな秘密兵器がまだあるって?》
アリオールがフィンに尋ねた。
「フィン殿。貴公は何かご存じではないのか?」
フィンは首をふる。
「いえ、私は何も……そもそもアロザールの呪いに関してもまったく知らされておりませんでしたから……だから第二の秘密兵器がないとは言えません」
場に重い沈黙が垂れこめる。
それからヴォランが言った。
「そうおっしゃったアラン様は、まさに苦悶の表情をなさっておられました。ともかくシルヴェストでも全力をあげてその正体を探っている最中で、それが分かるまでは迂闊には動けぬと……」
ヴォランは言葉を切って、あたりを見回す。
「しかしそれが多少の犠牲は出ても防げるという性質のものならば……我々がその犠牲を厭うことはないと。それが貴公ら、レイモン人民の示した勇気に対する返礼だとおっしゃいました」
あたりに低いうめきのような声が広がる。
まさにアラン王の苦渋の決断であった。
《アラン王の言うことだから間違いないよな……》
彼は情報収集の重要性を誰よりもよく理解している。こうなってからは間違いなく全力をもってアロザールの内容を調査しているだろう。その彼が第二の秘密兵器の存在を示唆するのであれば、まさに迂闊には動けないのだ……
アリオールは大きくため息をつくと言った。
「そうか……大儀であった。して、もう一つの楽しい報せというのは?」
「それがその……」
ヴォランがまた口ごもる。
「どうした? よい報せではないのか?」
「実は……呪いを解く方法に関してなのですが……」
なぜか彼は額をひくつかせながら答える。
あたりがざわっとする。フィンは妙な胸騒ぎがした。
「我々が解呪の方法を見つけて、こっそりと味方を増やしていたと申しますと、アラン様はこうおっしゃられたのです……ああ、さすがル・ウーダ殿だ。そちらでもあの誓いの儀式の秘密を解き明かしたのだな、と。そしてあのボニートという小姓を送ってくれて心から感謝しておるともおっしゃっておりました」
「誓いの儀式の秘密? なんだそれは?」
「それが……アロザール人はその仲間になるためには互いの血を混ぜるという誓いの儀式を行うそうなのですが、そうすることで呪いは解けるそうで……」
「は?」
「それを聞いた私が絶句したのを見て、アラン様が理由をお尋ねになりましたゆえ、私がこちらの方法を説明いたしましたところ、皆様にはたいへん楽しんでいただけまして……」
………………
…………
……
そして―――ざわりという音が響く。
それは、その場の男たち全員が、一斉にフィンに向かってふり返った音だった。
あたりは張り裂けそうな緊張に包まれた静寂となる。
その空気にフィンの口はからからになった。まさかこれは……
「あ、やっぱり……」
その静けさの中、ハフラのつぶやきが妙に大きく響いた。
シルバーレイク物語第10巻 太陽と魔法のしずく おわり