プロローグ 三文役者

プロローグ 三文役者


 クレアス村の酒場は近隣の村人と旅人とで満杯だった。

 何しろステージの上ではこのあたりでは最近とみに名高い“ドニカ”と“ディーネ”の二人組が素晴らしい舞と音楽を披露しているのだから。

 入りきれなかった客は立ち飲みで踊り子に声援を送っている。

「ほらっ! お待ちっ!」

 酒場の女将が骨付き肉のフライ満載のお皿をどんとテーブルに置いた。

「ほら、嬢ちゃんも、遠慮せずにお食べよ!」

「ありがとうございますぅ」

 “末っ子のメイ”はぺこっとお辞儀をすると、フライを手にしてやや遠慮がちにかぶりつく。がぶりといったら口の中を火傷するからだ。

 つんとニンニクとスパイスの香りが鼻をつき、噛んだところからじゅわっと肉汁が溢れてくる。

《これ、マジ美味しいんだけど……》

 すこし感心しながら彼女は上目遣いであたりを見回す。

 隣では“リモン姉さん”がうつむき加減に黙々と肉を食べている。

 向い側では……

「きゃあああ! ディーネさーん。素敵よ~~っ!」

 そんな叫びを聞いてステージ上からディーネが何やらばつの悪そうな笑顔で手を振った。

 “シルエラ姉さん”は少々お酒が入りすぎたようで、さっきからずっとこの調子だ。

 その隣では“ルース若旦那”がなんだか目を白黒させているし、その横のテーブルでは“旅の剣士のロパスさん”と“番頭のセリウスさん”が苦虫を噛みつぶしたような顔でお酒を飲んでいる。

 ―――もちろんその正体は、お忍びでやってきたエルミーラ王女一行である。

 ドニカとディーネとはつい先日このあたりで王女探索をしていたナーザとアウラだ。

 シルエラ姉さんとはその際のエルミーラ王女の偽名で、メイとリモンは今はその妹という設定である。

 ルース若旦那とはベラの国長ロムルース様だし、剣士のロパスさんはそのまんま宮廷警備隊長のロパスだ。番頭のセリウスさんだけが説明が必要だが、彼は国長の館の侍従頭で、ベラ側の侍女や侍従の統括をしている人物だ。

 彼らとは旅の途中で出会って親切にしてもらっている―――のである。

「お嬢ちゃん達、ちゃんと食ってるかあ?」

 今度は宿屋の親父さんがやってきて親切に声をかけてくれる。

「ええ、どうもぉ。頂いてますぅ」

「おいおい、それっぽっちか? もっといっぱい食べないと姉ちゃん達みたいになれないぞ?」

 それを聞いてリモンがちょっと顔を赤らめた。前に結構な骨の山が築かれていたからだ。

「よけいなお世話ですぅ!」

 メイだって既にそういうことを試してみたことはあるのだ。だが確かに横方向には大きくなれたものの、肝心の場所は全然元のままで、戻すのに大変苦労したのだ。

《うーん。まだ希望がないわけじゃないからねっ》

 彼女はまだ十七歳。人には将来性というものがあるのである。

 そんなメイ達に酒場の親父が言った。

「でもよ。そんな野郎、見つかったってまた逃げられちまうんじゃないのかい?」

「それでも……お父さんだし……一度顔を見たくて……」

 メイはそう答えてうつむいた。なんだか白々しすぎて自分のセリフに笑い出しそうになるからだ。

「そうよぉ! くたばる前に一度くらい顔を拝んでやらないと気が済まないじゃない!」

 話にいきなりシルエラ姉さんが加わって来る。

《あー、なんでこんな汚い話し方ができるんだろ? 王女様なのに……》

「そうでしょ? リモン!」

「え? ええ……」

 リモンは最初から半分硬直気味なので、曖昧にうなずくしかできない。

 彼女たちは姉妹という設定なのだが、見かけは全くそんな風には見えない。髪の色からして王女は栗色、リモンは金髪、メイは黒と全然違う上、顔つきも違うしそのスタイルに至っては―――というわけでみんな母親が違うということになっているのだ。

 だとすると彼女たちの父親とは、そんな女達を取っ替え引っ替えして捨てたストライクゾーンの広いゲスということになるのである。

 それはともかく、彼女たちがどうしてこんな田舎の宿屋で三文芝居をしているかというと、それには次のようなわけがあった……



 フォレス王国を未曾有の混乱に陥れたベラとエクシーレの同時侵攻は、後に「セロの戦い」と呼ばれるようになるが、メイはその終結後すぐに王女付きの侍女に取りたてられた―――というのは彼女はゆくゆくは今のグルナに替わる王女の秘書官という役割を期待されていたからだ。

 だが元はといえば彼女は厨房の一料理人だ。すぐにそんな仕事がこなせるわけがない。

 そこでまずは王女の側付きという役目をこなしながら、平行して秘書官に必要な勉強もしていこうということになったのだ。こうして彼女はまだ傷の癒えない先輩のリモンについて、その手伝いをすることになったのだが……

《何だか全然仕事してないし……》

 あれから一月半が経っているというのに、メイは侍女の仕事をほとんど覚えられなかった。

 というはまず、あの後すぐに派手な凱旋式が行われたからだ。

 戦争のおかげで秋に行われる収穫祭は中止になっていた。だがそれはガルサ・ブランカの人々だけでなく、そこで稼ごうとしていた旅芸人達にとっても大きな痛手になっていた。そこでアイザック王は戦勝を記念する大凱旋式を行うことにしたのだ。

 そこではナーザとアウラだけでなくリモンにまで黒の女王の両翼天使という重要な役割が与えられており、王女は凱旋式の主役である。すなわちその準備でてんてこ舞いになってしまったのだ。そこでメイは王女の侍女というよりはただの雑用係として忙殺されていた。

 まあその甲斐もあって凱旋式は希に見る盛況に終わったのだが、今度はその後すぐにこのベラ旅行である。

 当然、本来ならもっとしっかりと準備して行かなければならなかったのだが、そろそろ本格的な冬だ。街道が雪で閉ざされる前に彼女たちは大急ぎで出立しなければならなかった。

 旅に出てしまえば王女の世話はグルナ、リモン、コルネ、メイの四人でしなければならない。ここでやっと侍女らしい仕事ができるようになった―――と思ったら、それは最初の二日で終わる。

 なぜなら山を下りてベラ領に入った所に、ロムルースから派遣された数十名の侍女と侍従の軍団が待ちかまえていたからだ。

《最初何かと思ったもの……》

 彼らを統括する役目をになっていたのが先ほどのセリウスだ。彼はロスカ侍従長の実子にあたり、ずっとハビタルの宮廷に仕えていたという。そしてロムルースからは王女に不便なことが一切ないようにという厳命を帯びていた。

 実際に彼らはまさにエキスパートの一団で、どんなことでもあっという間にこなしてしまう。しかもベラ領内ではメイ達には勝手が分からないことも多い。その結果、フォレス側の侍女や従者の仕事がほとんどなくなってしまったのである。

 ハビタルに到着後、エルミーラ王女は即座にクレアス村に向かった。虜囚時の「借り」を返すためである。

 そこには国長のロムルースも同行したが、その際に王女がガミガミ言ったため、セリウス配下の侍女達は十名くらいにまで減った―――それでも十分すぎるのは間違いないのだが。

 というのはともかく、ベラの首都ハビタルからクレアス村までは馬で急げば一日、ゆったり馬車に乗っていっても二日といった行程だ。一行は年末の行事が始まる前に軽く用事を済ませるつもりで出てきたのだが―――それはかなり大きな間違いだった。

「おいっ! そこを空けろ! 持ち上げるぞ!」

 横転した荷馬車の横でローブを着た魔導師が声を張り上げる。あたりの野次馬がばらばらっと場所を空けると、魔導師はじっと精神を集中した。すると荷馬車はぐぐっと浮かびあがり、空中で正しい向きに回転すると、すっと路上に降りたった。

《ふえー、すごい……》

 魔法がこんなに本格的に使われるところを見たことがなかったので、メイはただただ驚嘆するばかりだ。

「荷物を集めろ!」

 セリウスが指示すると、侍従達が散乱した古着を集め始めた。メイもそれに混じって近くに落ちていた荷を拾って持っていく。

 対向から来ていた古着屋の荷馬車が王女一行とすれ違う際に、路肩から落ちてひっくり返ったのだ。

「ありがとうございます。申しわけございません」

 古着屋の親父は平身低頭だ。普通ならば復旧が大変なことになるのだが、王女一行の護衛にはベラの一級魔導師も含まれていたのでこんな簡単に何とかなったのだが……

《それにしても、道狭いわよねえ……》

 この街道はハビタルからフランに続くかなり重要な街道だ。それなのに二日目の行程に入ると道がやたらに細く、路面もひどく悪くなっていた。

 王女一行にはそれでも従者が二十名以上はいるので長い行列になっていた。古着屋は当然道の端に避けてやり過ごそうとしていたのだが、そのときやってきたのが王女の乗ったラットーネ工房製の朱塗りのベルリン68年型、通称“ファイヤーフォックス”である。

 この馬車は特に長距離の旅行に適しているのだが、そのための安定性や居住性を良くする目的もあって、普通の馬車より一回りサイズが大きいのだ。

 もちろん主街道ならそれで問題はない。だがこの街道では離合の際に接触しそうになってしまう。だがこんな高級車を傷つけたりしたら身の破滅だ。そこで古着屋は慌てて荷馬車を動かそうとしたのだが、既にぎりぎりの幅だ。路肩から脱輪して荷馬車は横転し、荷物があたりに散乱してしまったのである。

 問題はそれだけではなかった。一行はここに至るまでにも既にずいぶん時間をロスしていた。

「この先もこんな道なんですか?」

 グルナが侍従頭のセリウスに尋ねている。

「はい。どうもそのようです。この調子では到着は夜遅くになってしまうかもしれません」

「まあ、どうしましょう。王女様、そろそろご機嫌がお悪くなられておりますのに……」

「ともかく先触れの者はやっておりますので……」

 そもそもこの街道は舗装がなっていなかった。大小の石がごろごろしているため、まずスピードが出せないのだ。

 その上轍が深く凹んでいるところもあるのだが、そういうところには泥水が溜まっていたりして馬車が汚れてしまうし、大きな馬車は轍と車輪の幅が合わないので傾いてしまって走らせるのに細心の注意がいる。

 それに加えてあちこちに大きな落石が放置されているのである。幅の狭い馬車なら横をすり抜けられても、大型の馬車だとわざわざ石をどけなければならない。

 おかげで護衛に付いてきた一級魔導師の人は、先ほどから出ずっぱりで道路整備だ。

 そんな箇所が出てくるたびに一行は停止しなければならない。王女の機嫌が悪くなるのも仕方がなかった。

 しかしメイはといえば、それほど退屈はしていなかった。

 なにしろ王女だけでなくベラの国長やクレアスの領主とかまでが混じった一行だ。侍従の乗る馬車でもワンランク上の高級車だ。そんな馬車達を眺めているだけでも彼女は楽しめたのだが―――なかなかみんなそういう境地には達せないらしい。

 と、そのときだ。

「いつまでここで待っていればよろしいのかしら?」

「どうなっているのだ? セリウス」

 険のある声とともに現れたのはエルミーラ王女とロムルースだ。

「は。申しわけございません。実は……」

 セリウスが二人に状況を説明するが……

「ああ? 到着は夜中になるだと?」

「はい。何分この先もこのような道が続いておりますので……」

「ふざけるな。何とかできんのか?」

 それを聞いてセリウスはしばし絶句する。

《うわー。セリウスさん可哀相……》

 王女だったらもう少し話は分かりそうなのだが、このロムルースという国長では……

「あの、それでしたら皆様は先に馬で向かわれてはいかがでしょうか? 本日は天気もよろしければ……」

 確かに普通ならなかなか良い提案だと言えた。だがしかし……

「嫌よっ!」

 今度はエルミーラ王女が即座に却下した。

「え?」

「馬に乗るのなんて嫌って言ってるのっ!」

「ミーラ、あまりわがままを言うんじゃないぞ?」

 ロムルースは取りなしてくれようとしたのだろうが、それは完全な逆効果だった。

「何よ! 元はといえばあなたのせいでしょ!」

「え? でも……」

 セリウスが驚いた様子で二人の顔を見比べているが、どうやら彼は王女がセロに向かって馬を走らせた際にできた鞍擦れのおかげで、しばらく車椅子生活になったことを知らないのだ。

「だがなあ、ミーラ。ずっとここにいるわけにもいかないだろう?」

「嫌だったら嫌なのっ! だったら今日はここに泊まるわっ!」

「王女様。それは困ります……」

 セリウスはもう真っ青だ。

《うわあああ……セリウスさん本当に可哀相……》

 そこにやってきたのがナーザとアウラだ。

「どうなさいましたの? そろそろ陽も傾いて参りましたが?」

「あ、ナーザ様、実は……」

 地獄に仏とセリウスが彼女に事情を説明するのだが……

「王女様に……馬で、と?」

 ナーザまでが天を仰いで絶句する。

 わけが分からぬ様子のセリウスにアウラがしれっと言った。

「ミーラねえ、セロの渡しに駆けつけたときに馬に乗りすぎて、お尻が擦りむけちゃったの」

「げほっ!」

 セリウスは吹きだすのを全力で堪えた様子だ。そこに王女が畳みかける。

「そうなのよ? 本当にひどい目にあったんだから。まだ跡が残ってるのよ? 見たい?」

「げほっ、げほっ」

「ミーラ! なんてことを言うんだ。はしたない!」

 ロムルースがまた逆効果なことを言うが……

「だーかーら、みーんなあなたのせいでしょうがっ!」

 本日最悪の知らせが届いたのは、そんな言い合いの真っ最中であった。

 先触れに出していた使者が慌てたようすで戻ってきたのだが、その場にいた国長や王女を見て色を失い、セリウスに向かって遠くから手招きをしたのだ。

 彼は少し首をかしげながらその場を辞して使者の元に向かったのだが……

「なんだって⁉」

 メイのところからでもセリウスが大声をあげるのが聞こえた。

「おい。どうしたのだ?」

 ロムルースがセリウスを睨む。

 いつも冷静沈着だったのに、戻ってきたセリウスは明らかに取り乱している。

「それが……その……」

「いったいどうしたのです?」

 王女の問いにセリウスは混乱した様子で答える。

「いえ、その実は、クレアスで夕食の準備ができないとかで……」

「はいぃ?」

 王女の声が裏返るのも当然だ。

 一行は今晩は村の宿屋に泊まることになっていた。領主の館は道を別れたその先だし、王女のそもそもの目的がクレアス村だったからだ。

 ところがどうもその宿屋で夕食の準備ができていないらしい。

「ああ? どういうことだ?」

「それが、食材の調達が間に合わなかったとかで……」

「…………」

 ロムルースと王女だけでなく、その場全員が顔を見合わせる。

「食材がないってどういうことです?」

「長様や王女様に失礼な物は出せないからと、ハビタルから魚などを取り寄せようとしたらしいのですが、何か手違いがあったらしくいまだに届いていないとかで……」

「……それでは行っても夕食がないと?」

「ありていに申しますれば……」

 それを聞いて全員が沈黙する。

 少々辛いことがあっても、美味しい食事にありつけてお風呂に入ってぐっすり眠れれば、また明日も頑張ろうという気になれるものなのに……

《夕食が……ない⁉》

 なんだかメイは気が遠くなってきた。

「あの……引き返すというのは?」

 側にいた侍従がセリウスに小声で尋ねるが、彼は首をふる。

「夕べの村か? いや、今からこの人数だ。あっちだって準備ができないだろう。それにこんなところでは向きも変えられないし……」

 そうなのだ。馬車というのは簡単に向きを変えたりバックしたりできない。ある程度の広場があるところまで進まないと戻ることができないのだ。

 ともかくこんなところまで来て空腹で寝るというのは耐えがたいのだが―――そのときメイはふと疑問に思ったことを尋ねていた。

「あのー」

「なんです?」

 セリウスがじろっとメイを見る。

「クレアス村ってもう村に食べ物がないんですか?」

「いや、そういうことはないでしょうが……」

 それを聞いた王女が尋ねる。

「食べるものはあるというの?」

「それは……ただ、民草の食するものですからお口に合うかどうか……」

「合うかどうかなんて、食べてみないと分からないじゃないですか?」

「でも無粋な物ですから……そのようなお召し物も汚れてしまいますし……」

「服が? そんなもの……」

 そこまで言って急にエルミーラ王女は上目遣いで考えこむと、今度は急ににこ~っと不穏な笑みを浮かべた。

 もしこれが未来のメイだったらここで大慌てしていたところだろう。だが現在のメイにはわけが分からず、ただぽかんとそれを眺めていた。

「それではみんな、そんな民草の姿で行くことに致しましょう

「はい?」

「汚れてしまうというのなら、汚れていい格好をしていけばいいのです。そんな服なら先ほどご迷惑をおかけした商人の方から買って差しあげられますわよね?」

「え? いえ、しかし……」

 いきなりのとんでもない提案にセリウスは目を白黒させている。

「みんなもどう?」

「あ、おもしろそう!」

 アウラは即座に同意する。

「ミーラ。ちょっとそれは……」

 ロムルースが難色を示すが……

「なに言ってるのよ。ここは人々の生活を実際にその目で見てみるチャンスじゃないの。玉座にふんぞり返ってるだけじゃ見えないこともあるのよ?」

 正論のようなそうでないようなセリフに、ロムルースは返す言葉が出ない。

「しかし王女様、いずれにしても馬車はすぐには出せませんし……」

 メイはこれは王女がセリウスに痛いところを突かれたと思ったのだが……

「それにこれなら私、馬に乗っていってもよろしくてよ?」

 王女が一枚上手だった。

「…………」

 セリウスはしばし絶句し、それから余計なことを言ったメイをぎろっと睨んだ。

《ひえっ!》

 だが彼はそれ以上はもう何も言わず、はあっと一つため息をつくと、くっと気を取りなおした表情になった。

「承知致しました」

 それから仕事を始めたセリウスの手際は見事だった。てきぱきと指示を出しはじめたと思ったら、あっという間にそこにはちょっと変わった取り合わせの旅人の一団が現れていた。

「あー、それでは皆様はナーザ様に連れられた身寄りのない一団ということでよろしですね?」

「はい」

 ナーザが苦笑いをしながら答える。

 その身寄りのない娘というのはエルミーラ王女、アウラ、リモン、そしてなぜかメイが含まれている。この四人姉妹が失踪した父親を探しているという設定になっているのだが……

「あの……やっぱり私も行くんですか?」

「だってグルナもコルネも馬に乗れないじゃないの」

 メイは残って馬車に乗っていく方が百万倍良かったのだが、こういった理由で先行隊に入れられてしまったのだ。

《もしかしてセリウスさん、私があんなこと言ったから……》

 恨み言を言っても決まってしまったことは仕方がない。

 その間にもセリウスはてきぱきと役を確認していく。

「お館様はハビタルの呉服問屋の若旦那ということですのでお忘れなく。何か分からなければ番頭の私に振って頂ければ何とかしますので」

「あ、ああ……」

「ロパス様は途中で知り合った旅の剣士ということで、ネブロス連隊の話を聞いてフォレスに仕官しに行く途中でしたね?」

「うむ……」

 ―――そんな感じで役割の決まった一行がクレアスに先行したのだった。

 そんな彼らを送り出すのが王女の衣装を身に纏ったグルナだ。一行から王女や国長が消えてしまっては困るので替え玉にされてしまったのだが……

《グルナさん、大丈夫かなあ……》

 なんだか目が白丸になっていたが……

「それにしてもセリウスさんってすごいですねえ」

 メイは横を歩いていたナーザに話しかけた。

 こんな無茶振りにあっという間に、しかも完璧に応えてしまうなんて、どう見てもただ者ではないのだが……

「何でも小さいころからロムルース様にお仕えしていたそうよ」

 聞いてなんだかとても納得である。

 ともかくあとは隅っこの方で大人しくしていればいい。彼女はそう思っていたのだが……

「まあ! ドニカさん! それにディーネさんじゃありませんか!」

 一行がクレアス村についた途端そんな声に出迎えられてしまったのだ。

「え? あなたは……あ、シレンさん?」

 ナーザとアウラが王女を探索している際に盗賊から助け出した娘だ。当然そんな彼女が二人の顔を見忘れるわけがない。彼女はクレアスの仕立屋の娘だったから、ここにいても全く不思議ではなかった。

 それを聞いてあちこちから「ドニカとディーネだって?」「また来てくれたのか?」などといった声が上がり始める。

 二人が王女を探す手段として披露した芸は、この地域で噂の的になっていた。ところが二人はフランからこちら、隣の「山の宿」までやってきたというのに、クレアス村はスルーしてどこかに行ってしまったのだから、事情を知らない大方の村人は憤懣やる方なかったのだ。

 そんなわけで作戦はいきなり方針転換しなければならなかった。設定をちょっと変更して、ナーザとアウラはドニカとディーネで、探していた娘シルエラとその妹二人に付き添って旅をしていることになったのだ。

 そしてナーザに……

『私たちはステージに上がらなければならなくなったから、王女様が何か暴走しそうになったら何とかしてね?』

『えっと、それってどういうことでしょう⁉』

『その場その場で状況を見て……ああ、それじゃ私は行くから』

 などということを振られてしまったのだが……



 ナーザのリュートが最後の和音をかき鳴らし、アウラが手にした薙刀をかざして深々とお辞儀をする。

 あたり一面大歓声だ。

《もしかしてアウラ様って、すごいんじゃない?》

 メイはこういった舞という物をあまりじっくりと見たことはなかったが、それでもまるで引き込まれてしまいそうな迫力だった。

 今アウラが着ているのは見事なフラン織りのドレスだ。持っている薙刀とはちょっと合わないような気もするがそれは仕方がない。何しろこうなるとは予想していなかったので、踊り子衣装やリュートなどは持ってきていない。

 だから最初はそれを理由に公演は断ろうとしていたのだが、シレンの家は仕立屋だ。あっというまに素晴らしい衣装を持ってきて、サイズ合わせまでしてくれたのだ。リュートも少々古かったが酒場に置いてあった。というわけで公演をやらないわけにはいかなくなったのだ。

「すてきよー。ディーネちゃーん。愛してるわ~~

 それにしても“シルエラ姉さん”はさっきからテンション上がりまくりである。

「あ、どうもありがとうございます。え? こんなに? ありがとうございます」

 ナーザが観客からおひねりを集めている。

《ナーザさんって昔はこれが本職っていってたっけ?》

 なんだかそんなことを聞いた気もするが、それがどうして王様のお側に仕えていたりするのだろう?―――それを言うなら単なる田舎の農場の娘だったメイが王女様にお仕えしているというのも不思議以外の何物でもないわけだが……

 そんなことを考えていたときだ。

「王女様がお見えになったぞ!」

 遠くからそんな声が聞こえた。

 どうやら一行がやっと到着したらしい。確かにもう時間はかなり遅くなっている。

《うわー、グルナさんもコルネもお腹すかしてるだろうなー》

 酒場の食事は確かに“民草の食するもの”ではあったが、かなり満足のいける物だった。エルミーラ王女だけでなくロムルースもけっこう気に入った風だ。もちろん油が飛んだり臭いが染みたりしそうなので、確かに晩餐とかには出しようのない物だったのだが……

「え? 王女様がいらしたの? うわー、見たいぃ!」

《え?》

「ねえ、みんな、見に行きましょーーっ!」

 そう言っていきなり王女が外に飛び出してしまったのだ。それに釣られて酒場の客もわれ先に出て行き始める。

《えええええええ?》

「ちょっと、メイ!」

 リモンが慌ててメイの手を引っ張る。

「あ、うん」

 二人は慌てて王女の後を追った。

 外はかなりの人だかりだ。村に王女や国長の一行が来ることはもちろん周知であったから、近郊からもかなりの野次馬が集まっていた。宿屋の公演がこんなに満杯だったのもそういうわけがあるのだが……

「王女様は?」

「あ、あそこよ!」

 メイとリモンが王女を追っていくと、ちょうどそこに篝火に照らされた“王女一行”の馬車団がしずしずと入ってくるところだった。

「ほら、お前達道を開けろ!」

 野次馬を護衛兵達が押し戻している。王女は人垣を分けてそんな集団の最前面に出ていくと、慌てて後ろから付いていくメイに手を振って叫んだ。

「うわーすごいー、すごい馬車よー!」

「あ、あのー……」

 いつも乗ってる馬車なんですけど……

「きゃあああ、王女様~、お顔見せて~!」

 グルナさんが顔を見せたりしたらまずいんじゃないかと思うのだが……

《えっと、これってどうしたら……》

 メイがそう思ったときだ。

「おい、こら、そこの娘! そんな前に出るんじゃない」

 今にも馬車に駆けよりそうな彼女を見て、護衛兵が寄ってきたのだ。だが……

「だって前に出ないと見えないじゃないのっ!」

「あー、見世物じゃないんだ! とっとと下がれっ!」

 だが王女は下がるどころか護衛兵にくってかかる。

「あん? いいじゃないのよお! 減るもんじゃなし!」

「なんだと? いい加減にしないと……」

 そこまで言って護衛兵は絶句した。

《うわっ! これって……》

 もちろん彼は大騒ぎしている娘の正体に気づいたのだ。

「あん? いい加減にしないとどうするっての?」

 王女は逆に兵士ににじり寄っていく。兵士は口をパクパクさせるだけだ。

《うわあ! これって、これって……》

 止めてくれそうな人は―――って、あたりの野次馬はもちろん、おもしろそうに騒ぎを眺めているだけだ。横のリモンもおろおろとした様子で凍りついている。ということは……?

《えっと、もう……》

 メイはなるようになれと駆けだして、王女の腕にすがりついた。

「お姉ちゃん、お姉ちゃん、やめようよ。兵隊さん、困ってるよ?」

 王女が驚いてふり返る。

「ええ、だってこいつ……」

 メイは王女の言葉をさえぎって護衛兵にペコペコ頭を下げる。

「ごめんなさい。兵隊さん。お姉ちゃん酔っ払っちゃったの」

 そう言って王女を引き戻そうとする。

 見ると反対側にはリモンも来てくれている。

「お、おお。ほら、若い娘が飲みすぎるんじゃないぞ?」

「ごめんなさーい。兵隊さん」

「ああ? ちょっと、あんたたちぃ? なによ、ちょっとぉ」

 メイとリモンはぶつくさ言う王女の両脇を抱えて群衆の中に引き戻した。

「なによ! せっかく……」


「せっかく何でしょうか?」


 ふり返るとそこには額に青筋を立てたナーザがいた。

「あはははは」

「良くやってくれたわね。メイ」

 ナーザはメイに怖い顔で笑った。

「あ、はあ……」

 そこから王女はナーザにさんざん絞られ始めたのだが、そんな所にロパスとセリウスも駆けつけてきた。

 怒られている王女を見て二人とも心底安心した様子だ。それからロパスがメイを見て言った。

「いや、ちょっと肝を冷やしたが……メイ殿。上手く機転を利かせてくれたな?」

「いえ、その……」

 これって一応褒められたということでいいんだろうか?

「だができればそうなる前に止めてくれたらもっと有り難かったのだが」

「ええっ?」

 そうなる前……⁉

 目を白黒させているメイを見ながらセリウスがぽつっとこぼす。

「あの王女様のお付きというのも大変なようですね」

「ははは。まったくです」

 メイはなんだかとんでもないところに来てしまったことに気づき始めていた。



 翌日の夜のことだ。

「ふわあぁぁ」

 メイは手にしていた本をテーブルに置いて、大あくびをした。

《なんでこんなに分かりにくく書けるのかなあ……》

 彼女が今読んでいたのは、空いている時間に読みなさいと王女から押しつけられた法律の本だ。彼女は「入門レベルだから簡単よ?」などと言っていたのだが、とんでもない。まるで外国語で書かれてるかのようにちんぷんかんぷんだ。

《王女様っていつもこんな本を読んでるのかしら……》

 これまで大好きだった読書が、いきなり嫌いになってしまいそうだ。

 とは言いつつも、これが必要なことは理解できた。王女様はゆくゆくはフォレスを治める女王様になろうとしているのだ。だとしたらそんな彼女をサポートするメイも、こういったことをある程度は分かっていないと話にならない、のだが……

《あたしにできるのかしら? そんなこと……》

 王女もナーザも、彼女なら大丈夫だと言ってくれるのだが、それって買いかぶりなのではないだろうか?

 ただ、今そんな仕事をしているグルナが向いてないということは確かだ。プライベートなお客様を取り次いだりするのであればいいのだが、公用ともなってくるともう何だかよく分からなくなってしまうらしい。

「はあぁ」

 メイはどたんとベッドに倒れ込むと、大きなため息をついた。

 彼女が今いるのはクレアスの宿屋の四人部屋だ。残りの三人はもちろんグルナ、リモン、そしてコルネだが、まだ仕事があるらしく部屋には戻ってきていない。

 メイは天井を眺めながら昼間のことをぼんやりと思い起こした。今日はある意味、かなりめまぐるしい一日だったと言って良い。


 ―――まず午前中早々、王女がクレアスの村人の前に正式に姿を現したのだが、その姿を見て多くの、主に男が仰天した。もちろん昨夜の公演で目立ちまくっていた上に、そのあとの騒ぎだ。そんな彼らに向かって王女はにこやかに挨拶した。

「皆様、初めまして。と申し上げましても既にお見知りの方々もいらっしゃるようですね。はい、そうです。父を訪ねる三人娘の長女シルエラとは仮の姿で、私、本当はフィリア・エルミーラ・ノル・フォレスと申す者でございます。以後お見知りおき下さい……」

 そして唖然とする人々に向かって、さらにこう続けた。

「あ、それと昨夜、私のお尻を触った方が三人ほどございましたが、こういう場合普通なら縛り首にするところでございますが、今回は恩赦に致しますのでご心配なさらぬよう」

 と言ってみんなに手を振ったのだが―――


 後から王女はどうして受けなかったんだろう? などとこぼしていたが―――いややっぱり無理だと思うんですが……


 ―――続いて王女は一同を引き連れて雑貨屋に向かった。今回のクレアス行きはこれが主目的だった。王女がここで盗賊に囚われていた際に、盗賊が王女のためにいろいろかっさらっていったのだが、その代金を延滞料込みで支払ったのだ。

 これに関しては根回しが終わっていたようで、雑貨屋の主人も混乱せずに代金を受け取った。

 だがその次がまたサプライズだ。

 王女は今度は仕立屋に向かって、そこの娘シレンに金一封を手渡したのだ。

 聞けばナーザとアウラが王女を発見できたのは、途中で盗賊に捕まっていた彼女を偶然に助けだしたのがきっかけだったという。彼女からクレアス村で女物の服や本などが大量に盗まれたという話を聞いて、そこに王女がいると確信したのだそうだ。

 シレンはまだナーザとアウラが賞金稼ぎでシルエラという娘を探していたと思っていたから、まさに青天の霹靂である。

「……というわけで本当の事は言えなくて、ごめんなさいね」

 ナーザの説明にシレンは完全に目を白黒させている。そこに王女が尋ねた。

「それにしても夕べアウラに貸して頂いた衣装、とても素敵でしたけれど、一体どなたがお作りになったの?」

 シレンは赤くなって答えた。

「え? その、私ですが……」

「まあ、そうなの? それでは一着注文しようかしら?」

「ええ?」

 驚くシレンに王女は自分のドレスを指さしながら続けた。

「こちらに来て思ったんだけど、ほら、こういう服ってカジュアルなときにはとても肩が凝るの。ベラ風のドレスだとすごく楽そうだし」

 フォレスの衣服は襟元がきっちりと締まるスタイルが普通なのだ。

 そこにアウラが横から口を挟む。

「でもそれってこれからは寒くない?」

「もちろんあれで外を歩いたら寒いですよ? そういうときはあんなコートを羽織ります」

 シレンは壁に掛かっていた毛皮のコートを指さした。

「ああ! あったかそう!」

「せっかくだから他のドレスも見せて頂きます?」

「ええ? あ、承知しました……」

 という調子で彼女のところでいろいろ服を見せてもらっているうちに、午前中は終わってしまったのだった―――


《いや、綺麗な服、一杯あったなあ……》

 聞けばシレンの父親は元はシルヴェスト王国の都グリシーナの出身でそちらで修行してきたらしいのだが、フラン織りに惚れ込んでとうとうこちらまで来て店を構えたという。

 そのためかシレンの服は田舎らしからぬ、妙に垢抜けたセンスがあった。

 メイもその点非常に感銘を受けたのではあるが……

《でも……胸元の開いたのばっかだし……》

 将来性にかけて、今は黙って見ておくしかないのだった。

 それから昼食を取った後、今度は一行は村のジェイル―――監獄に行って、王女を拉致していた盗賊団と面会した。


  ―――牢屋の中では六人のまだ少年に毛が生えたような若者達が、がたがたと震えていた。そんな彼らに王女がにこやかに話しかける。

「まあ、みんな。元気だった?」

 もちろん彼らがまともに返事ができるわけがない。何しろ来たのは王女だけでなく、この地方の領主に、ベラの国長ロムルース本人とその取り巻き達だ。護衛兵達は見るからにいかつい風体だし、その後ろには魔導師まで控えている。

「こいつらがミーラを誘拐したというのか?」

 ロムルースがじろりと彼らを見下ろして言う。だが王女は笑って手を振った。

「なに言ってるのよ。むしろ助けてもらったのよ? ま、形式上は拉致されたってことになるわけだけど、彼らが連れてってくれなかったら間違いなくあそこで行き倒れてたわ」

「しかし、いかが致しましょうか。こやつらはこのあたりを荒らしていたのは事実ですし」

 領主の言葉にロムルースはまた男たちをじろりと睨む。

「さて、どうするか。処刑しようにも、機甲馬は壊れてしまったしな……」

 盗賊達は縮み上がった。そこにまた笑って王女が取りなす。

「ちょっとルース。荒らしてたって言っても、小屋荒らしとかそんなのでしょ? まあ、クレアス襲撃というのが一番の大仕事だったみたいだけど」

「ふん。そうだな。ならばむち打ちというところか?」

 それを聞いて取り巻きの何名かはうなずいたが、そこでエルミーラ王女が言った。

「それでもいいけど、私、もっといいアイデアを思いついたのよ」

「アイデア? どんなアイデアだ?」

「このあたりの道を直させるのよ。ルースも見たでしょ? 来るまでの道のひどさ。フランから歩いてくる途中、私、あれで足を折りそうになったんだから」

「ああ、なるほどな……だがこの人数でやったところでたかが知れてないか?」

「だったらこのあたりに巣くってる盗賊をみんな捕まえちゃえば? 他にもたくさんいるみたいだし、大掃除するいい機会じゃないの?」

「わかった。よし。そうしろ」

 控えていた領主は驚いたような表情で二人の会話を聞いていたが、ロムルースに命じられると即座に大きくうなずいた―――


 それについてはメイも大賛成だった。今の仕事で一ついいことと言えば、王女の馬車に乗せてもらえることだ。しかもこのファイヤーフォックスならその気になればものすごいスピードが出せるのだ。それなのにこんな凸凹道をトロトロ走らなければならないというのは、大変遺憾なお話であるわけで……

《しかし……うーむ……》

 馬車に乗せてもらえるのいいとして、昨夜のようなことがこれからも多々あるとなると、これは果たして良い取引だったのかということには疑問符がついてしまうわけなのだが……

 ―――まあ、そんなことを思い悩んでいても仕方がない。メイはため息をつきながらテーブルに置いた本を再び取り上げた。だが……

《うー……お仕事してる方がずっとおもしろそうなのに……》

 午後からずっと読んでいるのだが、さっぱり頭に入ってこない。

 王女一行はジェイルに行った後、さらに王女が囚われていたという盗賊のアジトにも足を伸ばした。だがそこは村からかなり近かった上、本当にただの田舎家だ。早々に退散してくると、後はもう何もやることがなくなってしまったのだ。

 そんなときでも侍女というのは細々とした用向きがあるものなのだが、大抵のことは例の侍従頭セリウスとその配下の侍女たちがやってくれる。フォレスの、しかもまだメイドとしては見習い以下のメイにまわってくる仕事などないのだ。

 彼女が夕方からずっと本を読んでいたというのはそんな理由もあるのだが……

「ああ、疲れたっ!」

 そんな声とともに戻ってきたのはコルネだ。彼女はベッドに腰掛けて本を手にしているメイを見るなりにっと笑って言った。

「ああ? メイちゃん? 本なんか読んでるのお? いいご身分ねえ」

 メイはそんなコルネをじろっと睨む。

「あん? 読みたきゃあんただって読んでもいいのよ?」

「え? だってあたし忙しいしぃ。そんな暇なんてあんまりないしぃ」

 などと嫌みったらしく言いつつ、なぜか寄ってくるとメイの読んでいた本を手に取るが……

 ………………

「ええ? なにこれ……」

「王女様に読めって言われたからよ!」

「へえ~。そりゃまた大変だ~。がんばってね~」

 何だか言い方がいちいちムカつくのだが。この小娘は!

 メイとコルネは学校の同級生だった。そこで二人とも優等生だったおかげで城勤めの口が開けたのだが、コルネの場合、国語と歴史だけが突出して良かった。そのわけは彼女の実家がガルサ・ブランカで雑貨屋を営んでおり、その商品の中にいろいろな本が含まれていたせいだ―――すなわち彼女はそんな商品が売れる前にこっそり読むことができたのだ。

 そもそも本なんて貴重品だから、普通の子は薄っぺらい教科書くらいしか読む物がない。しかしコルネの場合、そんなわけで他の子とは読書量が段違いだったのだ―――要するにただの反則なのだが、まあ、メイもそんな彼女と仲良くなったおかげでよく家に泊めてもらって、そこでお相伴にあずかったりもしていたからあまり悪し様には言えないが……

 しかし売り物の本というのは大抵は大人向けの物語だったりする。おかげでコルネも読書傾向がとても偏ってしまって、特に中原の方で流行っていた悪漢小説がお気に入りで、『いつか満月の夜に黒い馬に乗った闇のプリンスが迎えに来てくれるのよ?』などと本気で口走っていたりして―――要するに単なるバカなのである。

「それで今日は何も怒られずにすんだの?」

 もちろん言われたならば言い返さねばならない。

「別に。大丈夫よ。今日は!」

「今日は、ね。ふっ」

「なによーっ!」

 このコルネというのは王女様付きになってから結構長いというのに、いまだによくしょうもないドジを踏んでは怒られているのだ。昨日も王女様のスリッパを出したら左右が逆さまだったとかいうのをやらかしていたが……

《何でそんなの間違えるのかしら?》

 そんなドジまみれであればとっくの昔に首になっていてもいいのだが、ところがもっとややこしいことを言われたような場合は、結構まともにこなすのである。

 例えば図書館から本を持ってこい、とかいった簡単な場合には、なぜか十冊に一冊くらいは間違って再度取りに行かされる羽目になる。

 だがこれが偉い来客が来るから準備しておけとか言われたなら、普通の子なら逆にパニックになりそうなところを、その来客がどんな人物かとかまで考慮した上で、ちゃんと立派にもてなしの準備ができたりするのである。

 要するにこの娘は集中力はあるのだが、それが切れたらとことん弛緩するらしい。

《それに薙刀のときだって……》

 城にアウラがやってきて王女の護衛になったときに、彼女から薙刀を習おうと言いだしたのはコルネだった。

 メイはどうせすぐリタイアするんだからやめておけと口を酸っぱくして言ったのだが、彼女はリモンを口説き落として二人で薙刀を習い始めたのだ。

 しかしその後はまさにご覧の有様である。

《まったく瞬間最大風速はすごいんだけど……》

 そんなことを思ったときだ。部屋の扉が開くと戻ってきたのはそのリモンだった。

「あ、お帰りなさい」

「お帰りなさーい」

「うん」

 リモンは二人に軽く会釈すると、部屋の中を軽く見回して尋ねた。

「グルナさんは?」

「あ、私が出てくるときは王女様やセリウスさんたちと打ち合わせしてましたけど?」

 コルネが答えるとリモンはまた軽くうなずいた。

「そうなの」

 それから黙って髪を下ろし始めると、ぱさっと綺麗な金髪が広がった。

 普段は邪魔にならないようにかっちりと結い上げているから分かりにくいが、こうやって見るとリモンはなかなか綺麗なのだ。

 そんな彼女にコルネが話しかけた。

「でもすごかったですねえ」

「え? 何が?」

「だってロパスさんから一本取ったんでしょ?」

「あれ、聞いてたの?」

「そりゃ聞こえちゃいますよ~」

 そうなのだ。彼女はコルネとは正反対で、とにかく粘り強い。

 彼女の仕事っぷりは見ていてとても安心感があった。そして薙刀もあれからずっと続けている。あんな大けがをしたら普通の人ならもう怖くて止めてしまいそうなのに、彼女は違っていた。

 それは今日の夕食時のことである。


 ―――食材調達も何とかなり、クレアスの宿屋ではわりとまともなディナーが出されていた。

《うーむ……でもこれだったら昨日の方がインパクトあったかなあ……》

 出てきた料理は決して不味いといったものではなかったのだが、一応メイも先日までは宮廷料理人の端くれであって、その目から見ると色々と物足りない点は多かった。

 だがまあ、こういう田舎の村の宿屋の料理人にそこまで期待するというのは酷である。

 そんなことを考えていたときだ。

 ガシャン! と、グラスの割れる音がした。

「ああっ! 申しわけございません」

「いや、こちらこそ……」

 見るとグラスを取り落としたのはロパスだ。彼は王家の親衛隊長で、このベラ旅行では王女の護衛隊長を勤めているのだが―――何やら右手首をかばっている様子だ。

 それを見たアウラが言った。

「まだ痛いの? お医者さんに見せたが良くない?」

「いえ、大丈夫です。これしき……」

 そこに王女が尋ねる。

「手首をどうかしたの?」

「うん。リモンがちょっといいのを入れちゃって」

「ええ?」

 アウラの答えに一同の視線がリモンに集まる。リモンは赤くなってうつむいてしまった。

「ロパスから一本取ったって言うの?」

「うん」

 アウラはあっさりうなずいたが、それを聞いた多くの者が仰天した。

 何しろ親衛隊といえば国王やその家族の命を預かるのが役目だ。半端な腕で勤まる仕事ではない。すなわちフォレスでも最強クラスの剣士達の集まりなのだが、その隊長から彼女が一本取ったというのだから……

「リモン、そんなに強くなってたの?」

 王女が驚いて尋ねるが、リモンは絶句する。

 代わりにアウラが答えた。

「いや、何てか、それはまだまだなんだけど」

「どういうことなの?」

「ほら、前からリモン、警備隊に混じってやらないかって言ってたじゃない。だから午後、時間が空いたからロパスに稽古相手になってって頼んだんだけど、ロパス、暇がないって言うの」

 こういう説明だと彼女はあまり要領がよくない。王女が小首をかしげてロパスを見る。

「ですから、私の任務は王女様の護衛ですのでとお答えしたのですが、ならばリモン殿が一本入れられたら教えてもらえるかと、そうおっしゃられまして……」

 アウラというのはナチュラルに人を怒らせる才能がある。

「それで立ち会ったら一本取られたって言うの?」

「はい……」

「何か出会い頭っていうのじゃないの?」

 それを聞いてロパスは大きく首をふった。

「いえ、違います。こんな場合それは一番警戒致しますので……その、正直、婦女子の護身術だと侮っておりました私めの不徳なのですが……ガルブレス様は何ともその、恐ろしい技を編み出されておりまして……」

「ブレスおじさまの、技?」

 ロパスはうなずいた。

「はい。まさに極めれば天下無双ともなり得るかと……」

 王女は目を丸くした。

「それをリモンに?」

「うん。彼女筋がいいって言ったでしょ?」

 そのときのリモンは何だか小さくなっていたのだが―――


 リモンは答えた。

「ロパス様もおっしゃっていたでしょう? あれはあの技を編み出したガルブレス様がすごかったんですから」

 だがコルネは首をかしげる。

「そうなの? 何か負け惜しみじゃないのかなあ?」

「そんなことありません。私なんてまだ全然です」

 だが、そう言ったリモンの表情は何か誇らしげだった。

 そこで交わされた会話はメイは今一つ分からなかったが、少なくとも彼女が頑張っていることだけはよく分かる。

 彼女が薙刀を始めてからまだちょうど一年くらいだ。だがその間、入院していた時を除いてほぼ毎日、一生懸命それに取り組んできたことをメイはよく知っていた。

《それに比べてこの娘は……》

 メイがじとっとコルネを見つめると……

「あん? なによ。その目はっ」

「別に何でもないけど? ふっ」

 そんな風にまたじゃれ合おうとしたときだ。部屋の扉が開くとグルナと、それに続いてエルミーラ王女までが入ってきたのだ。

 一同は慌てて居住まいを正すが、王女はにこやかに手を振った。

「いいのよ。ゆっくりしてて」

 王女には専用の部屋があるというのに、いったいこんな所に何をしに来たのだろうか?

 彼女はそこにいるメイド一同を見回すと、またにこっと笑う。

「えーっとね、さっきグルナやセリウスさんとも話してたんだけど、ほら、ちょっとみんな仕事が暇じゃない? だから少し方針を変えようかと思うの」

 それは常々思っていたことではあるが―――三人は顔を見合わせた。

 王女はメイとリモンに向かって言った。

「えっとこれから私の身の回りの世話はグルナとコルネにやってもらうから、あなた方二人はもういいわ」

 もういい? もしかしてそれって―――もうクビになるということなのかーっ?

「え? でもそれでは……」

 リモンも驚愕して尋ねる。顔が真っ青だ。

 その表情を見た王女が笑って言う。

「話は最後まで聞きなさいって。リモン。あなたは明日から護衛隊に混じってもらいたいの。そこで薙刀の練習だけでなく、護衛の仕事も一緒に覚えて欲しいんだけど」

「え?」

 王女がにやっと笑う。

「ロパスねえ、あんな顔してて結構悔しがってたみたいなのよ。それであちらからリモンをきっちり訓練してみたいって言ってきたの」

 リモンは驚いて目を見張った。そこにコルネが口を挟む。

「それってもしかして仕返ししようとか……」

 王女が吹きだした。

「そんなわけないじゃない。元々女性の隊員がアウラだけだから、できればもっと欲しいって思ってたところなのよ。でもまあ、訓練は厳しいと思うけど、どうする?」

 だがリモンは即座に答えた。

「やらせて下さい!」

 王女は満足そうにうなずいた。

「分かったわ。そしてメイだけど……」

 彼女は今度はメイを見てにこっと笑う。

「はい?」

 メイはとても嫌な予感がした。

「あなたちょっと留学してこない?」

「はいぃぃ⁉」

 えっと、留学って―――あの留学ですか?

「ほら、前にもちょっと言ったでしょ? ベラの魔導大学で勉強してこないかって。ガルサ・ブランカでは学べないことがいろいろあるからって」

「あ、はい……」

 確かにそういう話はあったのだが……

「だからこの際ちょうどいい機会なんじゃないかって思って。ちょっと急だし期間も短いんだけど。いいわよね?」

 そう問われてどうして嫌だと言えようか?

「え? その、はい。もちろんですー」

「じゃあ二人とも、そういうことでよろしくね?」

「はいっ!」

「はいー」

 リモンはやる気満々だったが、メイの頭の中は真っ白だった。