メイの初恋メモリー 第2章 ブルーベリー白書

第2章 ブルーベリー白書


 さて、異国の王女が夜中に窓からやってきて食事を所望していくなどといったことは、普通ならば一生に一度あるかないかの体験だろう。

 だがメイの場合、今月で既に三回目だった。

「メイさんの作ったお食事って、本当に美味しいわ~」

「それはどーもありがとーございますうー」

 下宿にはイービス王女が今日もまたやってきて、食堂で夜食のパンケーキを食べていた。

《あはー、さすが王女様。遠慮って物を知らないわ~》

 怒りを通り越してもう呆れるしかない。

「でもアダマス寮なのに、そんなにお食事が美味しくないんですか?」

「そ~なんですよ~。私もびっくりしてしまいました~」

 もちろんイービス王女は例の超VIP専用のアダマス寮の住人だった。そのようなところだからまさに至れり尽くせりの環境だと思っていたら、実はそうでもないのだという。

《確かにここはリゾート地じゃないわけだし……》

 学校とは勉学の場であり、遊びに来る場所ではない。従って学生寮のルールや待遇に関しては、貴人用の寮も一般用の寮も平等が原則なのだそうだ。だから国元ではおおむね贅沢三昧をしてきた学生達にとっては、かなり貧相な生活環境なのだという。

 しかし王女がここによくやって来ていた理由は、単にうっかりして食いっぱぐれることが多かったためらしい。そんなときには国元で世話役だったアスリーナの元にやってきて、食事を作ってもらっていたそうなのだが……

《アスリーナさんもあまりお料理は上手じゃないみたいだけど……》

 聞けば彼女の作るオムレツはずいぶんと色や形が違うらしい。だから王女が来るのも本当に空腹で仕方ない場合に限られていたとのことだが、今は明らかにわざわざやって来ている。

《まったく……あんな約束するんじゃなかった……》

 メイはため息をついた。その約束というのは……


 ―――あの日の後、アスリーナが再度謝りに来て、王女のことをいろいろ話してくれたのだ。

 彼女もサルトス出身で、王女の乳母の娘だったので幼少の頃から姉妹同様に育ったのだという。

「すみません。よく言いきかせてはいるんですが、なにぶんああいう人なので……とにかくよくうっかりするんです。今日もそうだったみたいなんですが、さすがに私がチェックしに行くわけにも参りませんし……」

「でもそれだったら他に食べるところとか色々あるんじゃないんですか?」

 大学町には夜遅くまで開いているレストランなどもたくさんある。お金がないわけでもなかろうに?

 だがアスリーナは大きくため息をついた。

「私もそう申しているのですが……色々難癖を付けてはうちにやってくるんですよ」

 それって要するにアスリーナさんに会いたがっているということでは? 会話を聞いていれば二人はとても親密な様子だったが―――それはともかく……

「でもどうして窓から入ってきたんですか?」

「それは私たちがそうしているのを見て気に入られてしまって……」

 はあ……?

「え? でも王女様、魔法使えませんよね?」

「あははは。そうなんですけど……」

 何と言っていいかよく分からないのだが……

「あの、それで……」

 と、そこで急にアスリーナが真剣な表情になった。

「はい?」

「実は私、今度二級への昇格試験があるんですが……」

「え? 二級への、ですか?」

「はい……」

 魔導師にも色々なレベルがあるのだが、非常に大きく分けると一級、二級、三級、見習いという区分になる。

 このうち“見習い”とは単に魔法の才能があるというだけの者で、“三級”が最低限能力を制御できる者だ。

 魔導師として実用に耐える能力を使える者が“二級”で、その中でもさらに比類のない力が使える者が“一級”になる。そうなれば国家お抱えも夢ではない。

 要するに二級になるということは、魔導師にとってまず一人前と認められるということであり、最初の最も大切な関門なのだが……

「あの……それで……」

 アスリーナは何か言いたそうだったが、それ以上は言葉にできずにうつむいてしまった。

 それを見たメイはピンときた。

「あの……もし王女様がまたいらっしゃったら……ですか?」

 アスリーナはビクッと固まる―――これは多分間違いない。

 実際そうなった場合、今後どう対応すればいいのだろうか?

 メイにとっては王女といえど赤の他人だ。玄関から帰って頂くというのも有りだろう。

 だがアスリーナの立場ではそんなわけにはいかない。

 ところが魔法を使うととても精神力を消耗するという。実際、今も彼女の目の下には隈ができていて、げっそりと疲れ果てた表情だ。

《なのにあの王女様のお世話を?》

 紹介されたときに何だか怖く感じたのも、こんな調子でストレスが貯まっていたからだろう。

 だとしたら?

《こんな場合はしょうがないでしょ?》

 困った王女様に振り回されるお付きの立場というのは、なんだかもう既視感ありまくりだ。もしそれで彼女が昇格できなかったとしたら、もう可哀相すぎるではないか⁉

「あのー……ちょっとお食事を作るくらいなら、私構いませんよ?」

 メイがそう言うと、アスリーナは弾かれたように顔を上げた。

「えっ? でも……」

 メイはにっこりと笑う。

「お料理なら得意ですし、それほど手間にもなりませんので……」

 アスリーナの目が丸くなる。

「あの、でも、本当によろしいのですか? メイさんだって色々ご都合が……」

「ええ、ですからまあ、時々なら、ですけどね」

 アスリーナの目から涙がこぼれ落ちると……

「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!」

 彼女はメイの両手を取って、額にこすりつけながら何度も何度も感謝した―――


 というわけでメイは思わずそう約束してしまったのだが……

「ごちそうさまでした~」

「いえー、こちらこそー」

 こういう場合、普通ならば相手だってそれなりに遠慮して、来るにしても本当に時々にしておいてくれるものなのだが、あちらの世界ではこちらの常識が通用しないらしい。

 大家さんにも相談してみたのだが、実はこういうことは国元にももう知れていて、羽目を外しすぎないのであれば適当に放置しておいてくれとのことなのだそうだ。しかしそれで他国の留学生の勉学に支障が出るということであれば、裏から手を回してくれてもいいそうなのだが……

《あはは、まだそこまでじゃないから!》

 とりあえず今のところは、だが……

「リーナさんはは今日も遅いのかしら~」

「仕方ないんじゃありませんか? 昇格試験ってすごく大変だって聞きますし」

「そうなのよね~」

 分かってるんならもう少し配慮してあげたら? と言いたくなるところをぐっとこらえる。

 それから王女の食器を下げようとすると、彼女はそれを遮って……

「いえいえ~、これは私がやりますから~」

 と、立ち上がって食器を流し場に下げていく。それからギブアンドテイクとやらで洗ってくれるのはいいのだが……

《うー、大丈夫だろうなあ、今日は……》

 一国の王女がそんな水仕事などできるのだろうかと心配していたら、それはまさに的中していた。初日にはいきなりカップを割ってしまって、前回も心臓に悪い派手な音を立てていたが……

 そんなことを思いながらメイが横目でちらちらと王女の手元を見ていると……

「ん~? どうなさいました~?」

「い、いえ、普通は王女様ってこういうことはなさらないんですよねって」

「そ~ですね~。リーナさんが洗うの見てはいましたが~、自分ではあまりやりませんでしたねえ……って、それではエルミーラ様はご自分で洗ったりなさるのですか?」

「え? どうして?」

 そんな話をしただろうか?

「だって普通はなさらない、ってことは?」

「あ……」

 ぼけっとしているようで、何だか鋭いところもある人なのだ。

「まあ、そのエルミーラ様はお上手ですね」

「え? そうなんですか?」

「はい。なんて言いますか、一時期、自炊をなされていたことがあって……」

「自炊、ですか? それはまたどうして?」

 イービス王女は驚いた様子で尋ねる。まあ当然だ。

「ほら、イービス様もお聞きになってますよね? エルミーラ様が昔ちょっとした過ちをした話なんですが」

「あの……郭に行かれたというお話ですか?」

 メイはうなずいた。

「はい。そうなんですよ。そのせいでしばらく、侍女にみんな出て行かれてしまったことがありまして、その間ほとんどお一人で生活なされていたんですよ」

 イービス王女は手にしたお皿を取り落としそうになった。

「わあ、お皿!」

「あらあら」

 とりあえず今日はまだ割らずにすんだ。

「まあ~、びっくりしました~。そんなことがあったんですね~」

 王女の反応の方に少々びっくりしたのだが―――やっぱりこれが普通ということでいいのだろうか? もう当たり前すぎてメイには慣れっこになっていた話なのだが……

「まあ、昔のことですけど。今はさすがに自炊はしてませんよ?」

 イービス王女はうなずいた。それからまた彼女が尋ねたのだが……

「でも……郭には今でも行ってるってお話も聞くのですが~、さすがにそれってデマですよね~?」

 あはははは。

「いや、実はそのー、本当なんですけど……」

「えーっ?」

 王女はさらに驚いたが、まだ次のお皿を手にしていなかったので何も壊れずに済んだが……

「あの~、郭で何をなさっているんですか?」

 王女の問いはストレートだ。

「あは。それは廓ですから多分、いろいろ、その……もちろん女の人が相手だから面倒なことにはならないと思うんですが……って、いや、私が実際に見たわけじゃなくてですね……」

 王女の目が丸くなる。

「よく、お父上はお許しになられましたねえ……」

「そうなんですよねえ。もうその辺は私なんかには何とも……」

 そんな風に答えるメイを、王女はしばらく驚いたようすで見つめた。

「メイ様はエルミーラ様をよくご存じなんですねえ……」

「え? あ、まあ……付き合いはわりと長かったりしますので……」

「お付き合いが長い? 失礼ですがメイ様はその、庶民だったんですよね?」

 言われてみればその疑問は当然だろう。

 メイはうなずいた。

「はい。それが、最初はブルーベリー摘みに行ったのがきっかけだったんですが……」

「ブルーベリー? あの青い果物の?」

「はい。ほら、私が厨房に勤めていたことはお話ししましたよね?」

「はい~。美味しゅうございました~」

「あれは見習いに入ってすぐの頃だったんですが……」

 メイは王女との出会いを語り出した。


 ―――それはある初夏の日だった。朝食の後片付けが終わって一段落していたのだが、そのとき厨房にいたのはたまたまメイ一人だった。

「ちょっと?」

 入り口の方から聞き慣れない声がする。一体誰だろうか? メイが顔を出すとそこには若くきれいな女性が立っていた。その顔を見るなりメイは腰を抜かしそうになった。

《この人って……》

 間違いない。エルミーラ王女だ。

 遠くから何度か見かけたことはあったが、こんな間近で見るのは初めてだ。

「えっと、はい。あの、なんでしょう?」

 口ごもるメイを王女はじろっと見つめる。何だか怒っているような顔だ。メイは心臓をぎゅっと掴まれたような気がした。

「ジャムがないのよ。ブルーベリーのジャムが」

 メイは一瞬ぽかんとして、すぐ納得した。考えてみれば厨房に来るということはそういった理由以外あり得ない。

「あ、はい」

 メイは慌てて地下室にジャムを取りに行った。驚きのあまり心臓がばくばくしている。ただでさえ偉い人は苦手だというのに、よりにもよって王女様だなんて……

 噂によると先日城で大変な騒ぎがあって、それ以来王女様は引きこもってしまわれているらしい。

 それだけならともかく、何故だか知らないが、女の子はあの王女様にだけは近づいてはいけないと言われているのだ。

 いったいどうしてなんだろう?

 しかしもっと詳しい事情を訊こうとしても、大人達は何故か口を濁して話してくれないのだ―――


「あはは。そうでしょうねえ~」

「子供には言いにくいのは確かですからねえ。でもまあ、いずれにしたって私には関係ない話なんですよ。厨房の下働きなんかに。普通なら……」


 ―――地下室でメイは言われた物を探した。

「えっと、ジャム、ジャム……!!」

 そこで彼女は愕然とした。ないのだ。ブルーベリージャムが! ストロベリーにラズベリー、アプリコットにカシス―――だがブルーベリーだけがないのだ‼

《えーっ? どうしよう?》

 悩んでみても、無い物はどうしようもない。

 仕方なくメイはその辺にあった各種のジャムを一揃い持って上がった。

 メイがテーブルの上にジャムを並べ始めると王女が言った。

「なによ? これは?」

「あの、申し訳ありません。ブルーベリーを切らしておりまして、こちらのはいかがでしょうか?」

 だが王女はメイが出してきたジャムをじろっと見ると、冷たく言い放った。

「私はこんなのが欲しいんじゃないの。ブルーベリーはどうしたの?」

 そんなことを言われても―――蛇に睨まれた蛙というのこういうのを言うんだろうか?

「あの、申し訳ありません。えっと……」

 頭の中は真っ白だ。何も言葉が浮かんでこない。

 そのときだった。

「どうなさいました?」

 入り口からもう一人誰かが入ってきたのだ。

 メイがその方を見ると……


「そのお方は?」

「はい。ナーザさんといいまして、その頃は王女様の教育係みたいな事をなされてたんですが、なんでもラムルスの出身なんだそうです」

「ラムルス……ですか?」

 イービス王女の表情が少し変わる。

 ラムルス王国というのはかつてサルトス王国の隣にあった国だ。だが今はレイモン王国に滅ぼされて、もう存在していない。彼女にとってはメイよりもずっと身近な国なのだろう。

「私の国にもラムルスから来られた方がたくさん住んでおりますが……遠くまで来られたのですねえ。その方は」

「はい。色々あちこちを流浪してきたみたいで……で、そのナーザさんなんですが、結構意地悪なんですよ」

「意地悪?」

「はい」


 ―――ナーザはテーブルの上に並んでいる各種のジャムを見ると、にこっと笑って言った。

「おや、ブルーベリーがありませんね?」

「申し訳ありません。あの、在庫を切らしちゃってるみたいで……」

 メイの答えを聞いたナーザは、今度は王女に向かって微笑みかける。

「まあ、それは大変ですわね? エルミーラ様。在庫がないそうですわよ?」

「分かってるわよ!」

 王女はむっとした顔でナーザを睨む。だがナーザは涼しい顔だ。

「ではどう致しますか? 自分で何とかするとおっしゃってらしたようですが?」

「分かったわよ。ないなら自分で作るわよ!」

 メイはびっくりした。

 確かに一般の家庭ではジャムなど普通は自家製だ。市場で果物を買ってきて自前で作るのが当たり前なのだが、王家でもそうなのだろうか?―――


「エルミーラ様はご自分でジャムが作れるんですか?」

「いや、今ならともかく、あの頃はどうだったでしょうねえ……でもそのときはそれ以前の問題がありまして……」


 ―――それはともかく、今はそうするにしても少々困難があった。

「でも今日は市が立っておりませんから、買ってくるわけにはまいりませんね」

 ナーザの言うとおり、市は週三日。今日は市のない日だった。

「…………」

 王女は口ごもった。こうなればもうどうしようもないはずで、王女は目の前にある別なジャムを適当に選んで帰ってくれるだろう―――メイはそう思った。

 だがそこでナーザは全然別のことを言い出したのだ。

「それでは自分で摘んでらっしゃいますか?」

「え?」

 王女は驚いてナーザの顔を見る。

「今の季節でしたら野原に生えているかもしれませんよ?」

「そうなの?」

 王女のちょっと驚いた表情が、何だかとてもかわいらしく見えた―――


 それを聞いたイービス王女が懐かしそうに笑う。

「あ、私も一度イチゴ狩りはしたことがありますよ。楽しかったですねえ」

「ですよね。イチゴ食べ放題ですし」

「そうそう。リーナさんなんか食べ過ぎておなかを壊したりして」

「えー、そうなんですか……」

 でもその気持ちはとても分かる。

 なにしろ彼女は農場育ちだ。ブルーベリーやラズベリーなどは、実家近くの丘にいくらでも生えている。メイの脳裏に家族との楽しいイチゴ狩りの思い出が駆けめぐった―――だから心に魔が差したのかもしれない。


 ―――そこで思わずメイは口を挟んでいた。

「今なら一杯生ってますよ」

 王女はメイの顔を見る。

「あなた、場所知ってるの?」

「え? まあ……」

 メイがうなずくと……

「じゃあ行きましょう」

「え? あのどちらにですか?」

「その場所に決まってるでしょ? ブルーベリーが生ってる場所よ!」

「はいぃ⁇」

 一体全体どういう展開なのだ? これは?

 そもそもどうして彼女はここまでブルーベリーにこだわっているのだ? 他のジャムだってどれも負けず劣らず美味しいと思うのだが……

 その頃には騒ぎを聞きつけて厨房の料理人達が彼らを遠巻きにしていた。

 メイは哀願するような目で料理長を見る。だが彼もいったいどうしていいのか分からないようすでおろおろしている。

 それに気づいたナーザが彼のそばまで行った。

「ちょっと彼女をお借りしてよろしいですか?」

「え? まあ。しかし……」

 料理長はちらっとメイと王女に視線をやる。それを見たナーザは小声で何かを囁いた。料理長はちょっと考えてからうなずいた。

 ナーザは戻ってくると言った。

「料理長さんの許可も頂きました。それでは行きましょうか?」

 こうなったらいいも悪いもない。メイは二人の後に続いて厨房から出た。

 だが、一緒に歩きながらメイは別なことが心配になっていた。

 前を行く二人はメイが見たこともないような綺麗な格好をしているわけだが……

「えっとあの……」

「なに?」

 ナーザが振り返って答える。

「そのお召し物でいらっしゃるんですか?」

 ナーザはそれを聞くとにっこり笑って王女に言った。

「エルミーラ様? 彼女がそう言っておりますが?」

「だったらどうだっての?」

「あの、汚れてしまうかと……汁が付いたら」

「まあ、そうですわね。エルミーラ様。いかが致しましょうか?」

 ナーザは相変わらずにこにこしながら王女に言う。

「…………」

 王女はまた口ごもった―――


「ナーザさんて何ていうか素直じゃなくって……このときもそうだったみたいで」

「どうだったんですか?」

「それが、お付きの人が誰もいなくなってしまって、王女様が困ってたそうなんですよ。なのにそんな調子でいかが致しましょうか? なんて言うもんだから……」

「はあ……」

「それで王女様が、じゃあ自分でやればいいんでしょ? って答えたそうなんですよ。もう何か売り言葉に買い言葉で……」

「まあ……」

「王女様も言いだしたら頑固だから、後には退けなくなってしまって……」

「そうなんですか~」

 あの頃のメイでさえ、ナーザというのはどういった人なのだろうと不思議に思ったものだ。


 ―――ともかくそこでメイは言った。

「せめて、エプロンとかがあればいいのですが……」

 王女はちょっと考えこむと、メイを睨むように見つめた。

「それって、どこ?」

「あの、私達のでよろしければ取ってきますが」

 メイが小さくなって答えるが、王女は首を振る。

「私が行くから。どこにあるの?」

「厨房の控え室ですが……」

 それを聞くなり王女は自分で控え室の方に歩き出した。メイは驚いて後を追った。

 控え室の奥にはエプロンがたくさん下がっている。王女はその中からなるべく汚れていない物を選ぼうとしたが―――そうはいっても厨房用だ。綺麗に洗濯はしてあっても取り切れない染みや焦げは仕方がない。

 王女はそのエプロンを見てまた少し考え込んだが、それ以上何も言わなかった。

 次いで三人は厩にやって来た。

 もちろんいきなりの話だから馬車が準備されているはずがない。王女の馬車がやってくるまで三人はそこでしばらく待たされた。

 その間王女はむっとした顔で取り付く島がないし、ナーザはにこにこしながら黙っているだけだ。メイは一人不安のあまりぶっ倒れそうだった。

 だがそれは馬車がやって来た途端に吹っ飛んでしまった。正確には彼女が馬車に乗って動き始めた瞬間だが―――


「いや、それがですね、本当にすごいんですよ! もう、思わず叫んじゃいましたー」

「え? 何がそんなにすごかったんですか?」

 イービス王女が不思議そうな顔でメイの顔を見る。

「それがですね、全然揺れないんです!」

「??」

「ほら、ワゴンとかはもうサスがないから、動き出したら道の凸凹がそのままがくんがくん来ちゃうじゃないですか。だから干し草満載した上でもないと、とてもじゃないけど気持ちよくないんですよ。乗合馬車だって同じような物だし」

「はあ……」

「でも王女様の馬車は違ったんですよー。いきなり滑るように動き出したんですからー! シートが柔らかいっていうのあるんですけどね、それだけじゃないんです。まるで魔法かって思ったら、ナーザさんが教えてくれたんですよ。この馬車はサスペンションがしっかりしてるから揺れないんだって」

「はあ……」

「それがベルッキ工房製ランドー55年型王室仕様の通称“フェザースプリング”だったんですよ。先代ベルッキがサスペンションに特別な改良を加えた名車中の名車で。まさに春風に乗って空を飛んでるみたいで、もう感動しましたーっ!」

「えっと……」

「ほら、馬車に乗るのって素敵でしょ? 学校の行き帰りとかに乗せてもらえたらすごく嬉しかったんですよね。座ってるだけであたりの風景が流れていくのって、見てたらすごく楽しいじゃないですか。坂道を上がっていったら、丘の上からそのまま空に飛んでいけそうでしょ? でも乗せてもらえるのは大抵空いたワゴンとかなんで、乗り心地はサイテーなんですよ。すぐお尻が痛くなってきて……」

「あの、それで……」

「それで私、夢ができたんです。大きくなって働いてお金が貯められたら、こんな馬車が買えたらいいなーって。あ、いや、さすがにフェザースプリングなんて無理ですよ? あれはもう世界に一台しかない王室専用車ですから。ブルーサンダー……も無理だろうけど、まあ例えばラットーネにスタントライダーってカブがあったりするんですが、そのくらいなら買えるかなー、とか……」

「えっとそれでメイさん?」

「はい?」

「その素敵な馬車でどちらに向かわれたのですか?」

 メイはちょっと熱くなりすぎたことに気づいて赤くなった。

「あ、そーですよねー。そうなんですよ……」


 ―――王女はナーザがメイに馬車の説明をしているのをしばらくつまらなそうに聞いていたが、やがて怒ったように口を挟んだ。

「それで?」

「はい?」

「私達はどこに行けばいいの?」

「あ、すみません。東の街道に向かって下さい。一時間もかかりません」

「そう」

 そんな調子で短い馬車旅が始まった。メイはその乗り心地にほとんど夢現だった。

 だがそんな感動的なことが、王女にとってはどうでもいいようだった。対面に座っている王女はずっと浮かない顔なのだ。

《こんな素敵な馬車にいつも乗れるのに、どうして嬉しくないんだろう?》

 そう思ったがさすがにそれを口に出すことはしなかった。

 目的地には予想以上に早く着いた。

 考えてみれば揺れが少なければ速く走っても大丈夫なのだ。これってもしかしてものすごい発見なのではないだろうか?―――などということを言える雰囲気でもないので、彼女は馬車から降りて二人を案内した。

「こっちです」

 街道から細い踏み分け道をしばらく歩いて行くとその場所だ。メイ達が“野いちごの丘”と呼んでいるその穴場についた途端に、今度は王女が目を丸くした。

 収穫にはちょうど良い季節で、房のようになったブルーベリーがそこら中の葉の隙間から見え隠れしている。

「これが、そうなの?」

「はい」

 王女は恐る恐るといった感じでその粒を一つもぎ取ってまじまじと見つめている。

 その横でメイは近くの房から一つちぎってはぽいと口に入れた。なかなか良く熟れていていい感じだ。

 それを見た王女はまた目を丸くした。

「食べられるの?」

「はい? もちろん。美味しいですよ?」

 王女は手にした実を恐る恐る口にした。

 途端に王女の頬が緩む。それから彼女は実をちぎってはすごい勢いで食べ出した。

 その姿をメイがびっくりして見ていると、王女はいきなり顔をしかめて口の中の物を吐きだした。どうやら熟れていない実を食べたらしい。

「ちゃんと色づいたのでないと酸っぱいですよ」

 言ってしまってからメイはまた怒られるかと思ったが、王女は振り返るとおもしろそうに笑う。

「そうみたいね」

 さっきとは全然違う、屈託のない笑顔が浮かんでいる。

 メイは何だか嬉しくなった。

「でもジャムを作るならそういうのをちょっと混ぜておくと美味しいんですよ」

「そうなの?」

「はい。うちで作る時はそうしてます」

「ふうん。って、食べてばっかりじゃだめね。始めましょうか」

 なんだか素敵な笑顔だ。

 それから彼女たちはブルーベリーを摘み始めた。メイとっておきの穴場だけあって、小一時間もしないうちに籠一杯のブルーベリーが手に入った。

 それから城に帰るまで王女はずっと上機嫌だった―――


「ああ、思い出しますね~。私が摘んだのは赤いイチゴで、畑にできてたんですが……ブルーベリーというのは木なんですか?」

「ああ、はい。ラズベリーとかと一緒で低い木なんです。こんな感じで房になってまして、フォレスなら七月くらいが旬ですか」

「七月ですか~、ちょっと遅いですねえ」

「え?」

「いえ、春になったら国に帰る予定なので、帰りがけにどうかなって思ったんですが~」

「あー、さすがにまだ寒いかも知れませんねえ。でもお国でもブルーベリーくらいあるんじゃないですか?」

「そ~ですね~。帰ったら聞いてみましょ~」

 イービス王女がにっこり微笑むと、メイに尋ねた。

「それでエルミーラ様と仲良くなられたと、そういうわけなのですか?」

 メイは首をふった。

「いえ、このときはまだ仲良くなったというわけでは……でもそのニコニコ顔を見てたら、何か怖い人って感じがしなくなってですね……」

 それでまた言ってしまったわけなのだが……


 ―――城が見えてきた頃だった。そこでメイはナーザにずっと心配だったことを尋ねてみたのだ。

「あの、王女様がジャムをお作りになるんですか?」

「そうおっしゃってますから」

 ナーザは相変わらずにこにこしながら答える。

「王女様は離れの方にお住まいなんですよね? お砂糖とかは足りてますか? 結構たくさん使うんですが。足りなければお持ちしますよ?」

「まあ、エルミーラ様。いかが致しますか?」

 またこの言い方だ。どうして王女様は怒らないのだろう?

 だが王女はメイに言った。

「たくさんって、どのくらいいるのよ?」

「実の重さの半分くらいはいりますから。甘いのがお好きでしたらもっとたくさん」

 王女は手にしたブルーベリーが満載の小籠をじっと見つめた。

「分かったわ。じゃあ戻ったら取りに行くわ」

「え? でも……」

 どうして彼女はそんなに自分ですることにこだわるのだろう? 砂糖くらい持ってこいと言えばいいのに。

「なにか?」

「…………」

 王女に睨まれればそれ以上の反駁などできない。

 だがメイが口ごもったのにはそれなりの理由があったのだ。

 それは厨房のストックに王女が来てみれば一目瞭然だった。

 そこは薄暗く、様々な物が雑然と並べられていて、初めてではどこに何があるのか全く分からないのだ。メイもやっと最近大体の配置が把握できたくらいだ。

 王女は呆然とした様子で中を見ている。そこでメイは恐る恐る奥の方にある砂糖の壺を指さした。王女は無言でそれに従い、なんとか必要なだけの砂糖を手に入れる。

 戻って来ると待っていたナーザが二人の姿を見て言った。

「まあ、エルミーラ様。彼女がいてくれて本当に助かりましたわね。あ、そういえばまだ名前を聞いてなかったわね?」

「あの、メイです」

「ありがとう。メイちゃん」

「どういたしまして」

 だがそれを聞いていた王女は、なぜかわなわなと肩を震わせ始めたのだ。それに気づいたメイは、王女の表情を見て愕然とした。

 どうして王女は泣いているのだ?

「もういいわ!」

「え?」

「もういいって言うのよ!」

「あの、でも、それは?」

 メイは王女の前にあるブルーベリー満載の籠を指さした。

 彼女はしばらくそれを見つめていたが、いきなりそれをメイに押しつけた。

「あげるわ! あなたに!」

 そして王女はそのまま行ってしまったのだ。

 メイは目の前が真っ白になった。もしかして王女を怒らせてしまったのか? いったい自分はどんなまずいことをしたというのだ?

 だがそのときナーザが彼女の頬に触れた。

 驚いて振り返ると、彼女が優しくメイの頭を撫でてくれる。

「あなたは気にしなくていいのよ。本当に今日はよくしてくれたわ。ありがとう」

「え、はい……でも、その、これは?」

 メイがブルーベリーの籠を指すと……

「王女様がそう言ってたし、あなたが好きにしていいわ。何だったら王女様からのご褒美だと思ってちょうだい」

 それからナーザも行ってしまった。

「…………」

 後はメイだけが残された。

 そんな経緯で手に入れた籠一杯のブルーベリーと共に厨房に戻ると、なぜか料理長達がひどく心配そうに待っていた。

 彼らは戻ってきたメイの話を目を丸くして聞いていたが、最後に一言、ほっとしたようにつぶやいた。

「はは。あんたが摘まれてたらどうしようかと思ったよ」

「??」

 その言葉の意味が分かったのはもっとずっと後のことだ―――


「摘まれるって、どんな風に摘まれるんでしょうね~?」

 この王女様の遠慮の無さにも、メイはそろそろ慣れ始めていた。

「さー、さすがに知りませんよ? なにしろそちらの方のけじめだけは、しっかりつけてらっしゃいますので……」

 とは言いつつ最近アウラ様とは何やら怪しいことをなさってるようではあるが……

《まああの方は色々別格だし……》

 ガルブレスの養い子ということで、血のつながりはなくても形式上はエルミーラ王女の従姉妹にあたるのだ。

「そ~なんですか~。でもどうして王女様は泣いてらしたんでしょうねえ?」

 そう問い返されてメイははたと困った。

「え? あー、それって……どうしてだったんでしょうか? 一人でできなかったんで悔しかったからとか、でしょうか?」

「まあ、それだったら私なんかずっと泣きっぱなしにならなければ~」

 あはははは。

《でも……そういえばどうしてだったんだろう?》

 彼女はあそこで王女が泣いた理由を、これまであまり突き詰めて考えたことがなかった。単にナーザが意地悪だったせいくらいに考えていたのだが……

「それでその後、王女様とは?」

「あ、はい。そんなだったんで、エルミーラ様ってちょっと変わってるけど悪い人じゃないなって思ってたんです。そうしたらしばらくして、友達にコルネっていう子がいるんですが、その子が王女付きになってしまいまして、それでお菓子の差し入れとかをしてたんです」

「へえ~」

「その頃なんですよ。王女様が自炊なされていたのが。グルナさんが……ああ、王女様の最初のお付きの人なんですが、すごくお料理上手で。その人に教えてもらって。何かあの頃はまるでグルナさん一家みたいでしたよ」

「そ~なんですか~」

「そこに出入りしているうちに、王女様ともよくお話しするようになって、すると何だかそのうちに秘書官をやってみないか、みたいな話になって……」

「まあ、そうだったんですか~」

 こうやって考えてみると、あそこで思わず『今なら一杯生ってますよ』などと口走ってしまったのが、メイの人生の転機だったのかも知れない。あの出会いがなければその後も王女様とはあれほど気やすく話せなかったと思うし、あの事件のときだって……

 と、そのときだった。

「ただいまーっ。あ、王女様、またいらしてるんですか? ああ、メイさん、ありがとうございます!」

 そんな声とともにアスリーナが帰ってきた。

「いえいえー」

 彼女の姿を見て王女が尋ねた。

「今日もラグーナさんはいらっしゃらないのですか?」

 アスリーナは首をふった。

「彼女、しばらく帰れないんじゃないでしょうか? 魔導軍志望なんでそういう練習はこの辺じゃきついですからー」

「あー、それじゃ余っちゃいましたね~」

「え?」

「いえ、アスリーナさんとラグーナさんの分も作っておいたんですが……」

 メイがそう言ってホイップクリームの乗ったパンケーキを見せた。

 どうやらこの王女様はもう一人の下宿人のラグーナという魔法学生にも色々迷惑をかけているらしい。そういうことは本人もある程度は自覚していたらしく、メイに彼女たちの分も作ってあげようと提案してきたのがイービス王女なのだ。

「これ、私にですか?」

 アスリーナの目が丸くなる。

「甘いもの、お嫌いでしたっけ」

「とんでもないーっ!」

 アスリーナはすとんと席に付くと、メイがお茶を注いであげるのが待ちきれない様子だ。

「それじゃどうぞ」

「いただきますーっ!」

 それからアスリーナはパンケーキにナイフを入れて、ぱくっと口に含むと……

 ………………

 …………

「お・い・ひ~~~!!」

 思わずそう叫んでから、メイが目を丸くして聞いていたのに気づいて真っ赤になった。

「まあ、リーナさんの『おいひー』が出ましたわ」

「いーじゃないですか!」

「リーナさんねえ、小さいころから本当に美味しいもの食べると、こう言うんですよ~」

「だからいちいち説明しなくてもいいじゃないですかっ!」

 あはははは。

 それにしてもこの二人は主従という関係なのは間違いないのだが、何だかとても仲がいい。

「えっと……アスリーナさんって、お母様が王女様の乳母って言ってましたっけ」

「はい。私が二つ下になります」

「じゃあ子供の時からずっと一緒だったんですね? 王女様と」

「まあそうですね。気がついたら王女様がいて、ずっと一緒に育ってきました」

「そーなんですよ~? リーナさんは素敵なケライなんです~」

 えーっと―――そんな言い方して気に触ったりしないのだろうか?

「ま、確かにそうですねえ。ちっちゃい頃は何するにしても王女様の後をくっついてましたから」

 だがアスリーナの方は全く気にしていないようだ。

「そうなんですかー」

 わりとほのぼのとした光景が目に浮かぶ。

「王女様、本当におてんばで、城中で悪戯ばかりしてて」

「え~、そうだったかしら~?」

「そうですよ。ご開祖の銅像にまたがって降りられなくなったじゃありませんか」

「あ~、あったわねえ、そういうこと~」

「庭中の木という木は全部登ってましたし」

「だって、木があるんだから仕方ないじゃないの~」

 どこの冒険家ですか?

「王女様は木登りが得意だったんですか?」

 メイが尋ねるとアスリーナが答える。

「木登りというより、高いところが好きなんですよ。何かと同じで」

「えー? ひどい~……って、どうしてうなずいてるんですかあ?」

 王女がめざとくメイの反応に突っこむ。

「あ、いや、ほらだって、ここの二階に登るのって結構難しくありませんか?」

 ほとんど垂直の壁なのだが……

「そうでもありませんよ~? 手がかりはしっかりしてるし、苔も生えてないし……」

 やっぱりかなり得意なんだ……

「それにそのおかげでリーナさん、魔法が使えるって分かったんですよ~?」

「必死だったんですって! あのときは!」

「え?」

「だから王女様が木から落ちられたので、無我夢中で念じたんですよ。そうしたらなぜか落ちるのが遅くなって、ほとんどケガもなく済んだんですが……」

 もしかして結構ドラマチックな魔法の初発動ではないか? こんな感じで自然に使えてしまった人って、大成する人が多いと聞くが……

「だからってもういちど飛び降りなくてもいいじゃないですか! おかげで足の骨を折ってしまって……」

「…………」

「痛かったわね~、あのときは……」

 あはははは。それでも懲りずに登ってくるわけなんですね?

「でもアスリーナさん、サルトス生まれなんですよね? 魔法の才能があったなんて、結構珍しいですよね?」

「おじいさんがベラから来た魔導師だったんですが、こちらで結婚して。でもお父さんには出なくって、私に出てきたんですが」

 魔導師の血筋に魔法が使える者が出やすいのは確かだが、確実に出るというわけでもない。

「それですぐこちらに?」

「いえ、見習いのときはお抱えの魔法使いの人たちに教えてもらってたんです。やっぱりベラは遠いですから……」

「あー、そうですよねえ……」

 サルトス王国からだと、ここまで来るのに高い山をいくつも超えて来なければならないのだ。

「でも才能が本格的ってお墨付きを頂いて、王様なんかも期待して下さって、それでこちらに留学することになったんですが……」

 そこで何故かアスリーナはじとーっとした目つきでイービス王女を見た。

「だーってえ、リーナさんが行っちゃったら寂しいでしょう?」

 王女がばつの悪そうな笑みを浮かべる。

 メイは大体状況を理解した。

「あは、それで王女様も一緒に来てしまったわけですね?」

 と、言いつつ、それならばそんなジト目で王女を見る必要もないように思ったのだが……

「まあそうなんですけど。でも王女様、最初は魔法科に入るって言って国を出てきたんですよ?」

「は?」

 魔法科?

「いいアイデアだと思ったんだもの~」

「えっと……その、どういうことですか?」

 アスリーナが説明をする。

「だから、王女様、自分にも急に魔法の才能が現れたって言いだして、私と一緒に魔法科に留学すると」

「……え? でも……王女様、魔法は使えないんですよね?」

 アスリーナは大きくうなずいた。

「もちろんです」

「じゃあどうやって?」

「王女様がその証拠にみんなの前で魔法を使ってみせるって言って、本当に使って見せたんですけど、それは私が陰から操ってたんです」

 メイは一瞬ぽかんとして、次いで吹きだしそうになった。

「あ、あの……そんなのすぐにバレるんじゃ?」

 大体こういった場合まずは魔法使いのチェックが入るものだ。そんな手でごまかせるはずがないのだが……

「それが何でか、それならば一緒に行けということになってしまいまして……」

「えっ?」

「理由が分かったのはこちらに来てからです。私はもちろん魔法科でこの下宿に住まわせて頂きましたが、王女様が入ったのはアダマス寮で、普通科の入学手続きが済んでおりました」

 ははははは。

「えっと……そうだったんですか?」

 思わず王女に尋ねると……

「そうなんです~。こちらに来たら母から私宛に手紙が来ておりまして~、若いうちに広い世界を見てくるのはいいことだから、こちらで学位の一つも取ってこいなどと書かれておりまして~」

「はあ……」

「もう、騙されたんですよ~? 鬼のような母親だとは思いませんか~?」

 いや―――むしろこれほどできたお母さんって他にいないんじゃ?

 そこにアスリーナが言った。

「まあ、ともかく一応お約束は果たせそうなんですよね?」

「え? それなら多分~」

「約束?」

「はい~。学位論文は仕上げておりまして、学位なら取れるんじゃないかと~」

 え? そうなんだ……

「“前大聖期の旧界文化”ってタイトルなんですが~、そういったテーマにご興味ありますか~?」

 うえーっ?

「いや、昔話はわりと好きなんですが……」

「それがおもしろいんですよ~? 特にベラの北部ではその時期の村の跡とかがよく発掘されるんです~。それと大聖後の遺跡を比較すると~……」

 と、今度は王女がなにやらペラペラ話し出しそうになったところに、アスリーナが割りこんだ。

「王女様。メイさんが目を白黒させてますよ? といいますか、今日はそろそろお帰りにならないと。私も明日がありますし、眠いんですっ!」

「あら~、残念。しょうがないですねえ」

 王女は大人しく諦めた。

「それでは私、王女様をお送りしていきますので」

「はい。お気を付けて」

 それから二人は一緒に二階に上がっていった。最初は何かと思ったのだが、アスリーナは彼女の部屋から飛行魔法で王女を送っていくのだ。

 その姿を見送りながらメイは思った。

《仲いいんだなー。本当に……》

 二人の間には子供のころから培ってきた絆があった。王女様はアスリーナをまさに妹のように思っているようだし、アスリーナは王女の気まぐれにやれやれといった表情をしていても、でも何故かすごく楽しそうだ。

 それに対して……

《エルミーラ様と……私?》

 二人の間にはどんな絆があるのだろう?