第3章 秘密のガリーナ
それから一月ほどたった七月の夜のことだ。
メイは王女とアウラ、そしてリモンと共に中庭の車庫にほど近い茂みの陰に隠れていた。
「本当なのかしら?」
王女がつぶやく。
「目撃者は多数いますので、そこは間違いないと思いますが……」
メイはそう答えるが……
《いや、でも王女様本人が来ることないと思うんだけど……》
ここは城の中だしアウラやリモンもいるから危険はないとは思うが、そういうことこそこちらに任せておけばいいように思うのだが……
「でもあのガリーナさんが?」
リモンのつぶやきにアウラが答える。
「メイと同い年だったんでしょ? だったら恋してたっておかしくないし」
えーと、どうしてここで私が引き合いに出てくるんでしょう?
「でもそれだったらこんなにコソコソしなくてもいいんじゃないですか?」
メイがそう言うとアウラも首をかしげた。
「それはそうだけど……」
ここに彼女たちが潜んでいたのは、夜中にガリーナがここで逢い引きをしているという情報を掴んだからだった。
《マルテさん達の情報網、もう凄まじいから……》
あれ以来メイはリモン派、ガリーナ派の子たちとはわりと親しく付きあってきた―――というか、敵に回したら恐ろしすぎる。そこで彼女たちに色々な情報を流すことで、一応の信頼は勝ち得たのである。
《ま、実際二人を独占しようなんて気、さらさらないから……》
ところがそうすると今度は彼女たちの方から二人に関しての情報が次々に入ってくることになる。好きな食べ物とか着る服の好み、身長やスリーサイズまで、メイが知らないようなことまでが丸裸だ。
《あは。人気者って辛いのねえ……》
その程度ならまあ良かったのだが、その中にひとつ、ちょっと聞き捨てならない情報が混じっていた―――彼女が夜中にこっそりと冷凍魔導師のフェリエと密会していたというのだ。
フェリエとは昨年の夏にメイがハビタルに行ったときに契約してきた、水産物の冷凍輸送を担当する魔導師だった。そのため彼はこの春から定期的にフォレスにやってきているのだ。
《でもフェリエさん、ファリーナさんと婚約したって聞いたけど……》
ファリーナとはベラの厨房に勤めるパティシエールで、フレーノ卿事件のときに知り合った女性だ。今年の春は例のどさくさもあって彼女とはゆっくり話す機会がなかったが、ベラの厨房の人からそんな話を聞いていた。
ということは?
「もしかしてフェリエさんの方が、ファリーナさんに遠慮してるからとか?」
メイはそう言ってみたが……
「ハビタルならともかく、ここはガルサ・ブランカだし……」
リモンが答える。
「そうですよねえ……」
たとえフェリエが浮気していたとしても、こんな遠隔の地でコソコソする必要はなさそうなのだが……
そこに王女が尋ねた。
「前回も夜中って言ってた?」
「だそうですが」
「でも六月はまだ寒いわよねえ……」
「そうですよね」
ベラならばともかく、フォレスでは六月だと夜はまだ肌寒い日が多い。あまり密会には適した状況ではないのだが……
《だとしたら何か別な用だったのかしら?》
それ以外の理由? いったい何があるというのだ?
以前のメイならば、個人的なことでもあるし、そんなことは胸の奥にしまっておいたことだろう。だがあのとき彼女は王女に、何かあったら相談すると約束してしまっていた。これがそうすべき問題なのかはよく分からなかったが、ともかくこういう懸念があるのだがと王女に話してみたのだ。すると……
『まあ! それは大変だわ! 調べてみなくては!』
と、王女がなんだかとってもやる気になってしまったのである。
《絶対、色々ストレスが貯まってるんじゃないかしら……》
王女はベラでも忙しかったが、フォレスに帰ってきてもやはり忙しかった。不在にしていた間に山のように仕事が溜まっていたからである。アイザック王も彼女を後継者と決めた以上、そういうところは手加減してくれなかった。
おかげでメイも忙しかったのだがまだ見習いの身なので、本当に大変なのはグルナの方だ。
《グルナさんが引退したら、これがみんなこっちに来るのかー……》
想像するだけでげっそりしてくるが―――そんなわけでここ最近、王女は例の“息抜き”には全く行けていなかったのだ。
《適度な休息って必要なのよねー》
そんなことを思っていたときだ。
「来たみたい」
アウラが小声で注意を促す。一同の間を緊張が走る。
「間違いないわね」
王女がうなずいた。
遠くの方からぴんと背筋を伸ばしてやってくるのはガリーナだ。こんな暗い中では顔はよく見えないが、歩き方をみればメイにだってすぐ分かる。
ガリーナはときどき立ち止まってあたりを見回しながら、一同の潜む茂みの前を通り、車庫のそばの大きな木の下に行った。
「前回もあそこだって言ってたわね?」
「はい」
ガリーナはそこで待ち始めた。すると今度は反対の方から誰かがやってくるのが見えた。
こちらは少し背をかがめて足音を忍ばせている。だがその人物が魔導師のローブを着ているところは遠目でも分かる。
「フェリエさんですよ。間違いなく」
「ふーん……」
そこで二人は何やら小声で話しはじめた。
彼女たちが潜んでいる場所から少し距離があったので、二人が何を話しているかは聞こえなかったのだが……
《何か……逢い引きっていうのとは違うんじゃない?》
それだったら手を握ったり抱きあったりしそうなものだが―――二人は単に立ち話をしているようにしか見えない。
そんな様子で二人はしばらく小声で話しあっていたが、フェリエが何かを言って首を振ると、ガリーナはがっくりと肩を落とした。
《え?》
もしかしてこれって……
ガリーナさん、振られちゃった?
―――一同は顔を見合わせた。みんな考えていることは同じようだ。
「えっとその……どうしましょう?」
「どうするって言われても……」
王女もこればかりはどうしようもなさそうだ。
そうこうしているうちに二人は別れて、ガリーナがこちらの方に歩いてきたが、その歩き方には見るからに力がなかった。
そして一同の潜んでいた茂みの近くで大きくため息をつくと、しゃがみ込んで頭をかかえてしまったのだ。だが……
《え?》
茂みの下には隙間があって、ちょっと横を向けばその陰にいたメイが丸見えになってしまって―――メイが思わず身じろぎしてしまってかさりと音を立ててしまって、それを聞いたガリーナがふり向いて……
「メイ……殿?」
二人の目が合った。
メイはがさっと立ちあがった。
「あはははは! いや、別にその、盗み見するつもりじゃなかったというか、ちょっとつもりだったんですが、その、ほらー」
ガリーナはまん丸な目をしてメイを見つめる。
「どうして……ここが?」
「いや、ですからねー」
どうにもこうにもごまかしようがないのだが―――そこに今度は王女が立ちあがった。
それに続いてアウラやリモンも顔を出す。
彼女たちの姿を見てガリーナは驚愕した。
「エ、エルミーラ、様?」
王女はうなずいた。
「ガリーナ。ちょっとね、見ちゃったものだから……」
………………
それを聞いたガリーナはまさに凍りついた。
「あなたがフェリエ魔導師と夜中に会ってるって話を聞いてね……」
途端にガリーナが地面に平伏した。
「申しわけございません!」
それを見て王女が少し慌てる。
「そんな、別に謝らなくたっていいから」
「いえ! 何とも弁解の余地などございませんですから……」
「弁解って、別に怒ってるわけじゃないし……でもねえ、フェリエ魔導師には約束した人がいるんでしょ?」
「それは存じております! だからその方にご迷惑をかけないためにも……」
王女は首をかしげた。
「その人に迷惑がかかるから、こちらで?」
??
今ひとつよく分からないのだが―――どこで逢い引きしようとそれは良くないことなのでは?
だがガリーナはうなずいた。
「はい……その、上手くいかないと不都合なことになるなどと申されまして……」
上手くいかないと、不都合?
「もしかして、二人の間に何か問題でも?」
「はい。最近かなりその……」
その答えを聞いた王女は目を見はり、それからちらっとアウラの方を見る。
「え?」
「いや、ほら……」
「あ……」
二人が何やら納得し合うが―――このときはメイはまだアウラとフィンの間に一時期あった問題について知らなかった。
そして王女が尋ねた。
「じゃあ二人の間がうまく行ってないから、あなたが“お手伝い”してあげようと?」
「え? まあ、そうとも言えるかも知れませんが……」
その答えを聞いたメイは内心仰天していた。
《ガリーナさんが……お手伝いを?》
王女がにこ~っと笑った。彼女も同じことを考えているに違いない。
初めての体験というのは、特に女に子にとっては一生の思い出だ。それが寂しい結果に終わったりしたらとても悲しい人生になってしまうわけで……
《あー! 思いだしたらまた腹が立ってきたっ!》
それはともかく―――若い男は恋人にそんな思いをさせないようにと、お金を貯めて郭に行って経験を積むのだ。
だが田舎に住んでいるとそうそう近くに郭がないことも多い。なのでそういう場所にはそんなカップルのために一肌脱いでくれる“お手伝いお姉さん”(決しておばさんなどと呼んではいけない)がいたりするのだ。
《でもそうするとガリーナさんって……そんなに経験豊富なのかしら?》
この人はメイと同い年なのだが―――いや、確かに後宮に勤めてたわけだから、そんなこともあるかもしれないが、でも後宮って郭とはまた違うだろうし……
《でもこのあいだ王女様のご休息の護衛の話をしたとき……》
何やらはにかんだような笑みを浮かべていたが……
そして自分とガリーナとの体型を比較して……
………………
…………
メイは考えるのを止めた。
―――だがそれはそうと、王女は少し重要なことを忘れていないか?
そこでメイが王女にささやいた。
『でも断られてたんですよね?』
「あ!」
二人は顔を見合わせる。
ということはどういうことなのだ?
状況を整理してみると―――フェリエとファリーナの間がうまく行っていなかったので、ガリーナが手伝おうと言ったが断られた?―――のであれば、彼女があんなにがっかりする必要はないわけで……
だとしたら―――手伝ってあげているうちに、段々ガリーナの方が本気になってしまって、ついに告白したのだが、やっぱり断られたんだとしたら……
《だって私と同い年だし……》
遊女やお姉さんと違って、体だけの関係だと簡単に割り切れるわけがない―――か?
《えっと、こんな場合いったいどう言えば……》
そこで王女が言った。
「ねえガリーナ」
「え? はい……」
「人を好きになるっていう気持ちはね、とても大切なことよ。でも、こればかりはね。二人の気持ちが絶対に一致するなんて保証はないから」
「はい?」
「だから気を落とさないのよ? あなたは素敵な人だから。あなたのことを見てる子だって一杯いるのよ?」
「え? え?」
だがガリーナは言われたことがよく分からないという表情だ。
「今は辛いかもしれないけど。でもそれこそ時間が解決してくれるから」
「あの、申しわけございません。その……何をおっしゃられてるのでしょうか?」
「え?」
ガリーナは再び平伏した。
「ともかく私めはエルミーラ様に仇なす気持ちなどはさらさらなく、ただその、主君よりそのような命を受けてしまいましたがために、かような真似をさらしておりまして……」
「え? ルースが?」
「いえ、グレイシー様でございます」
「え? あのグレイシーが?」
「左様でございますが……」
「あの人がそこまで二人の心配を?」
「はい? 二人? ですか?」
さすがにみんな話がどうもかみ合っていないことに気づいてきた。
そこで王女が尋ねた。
「あの、もういちど最初から聞くけど、あなたあそこでフェリエ魔導師と会ってたわよね? 前回のときも」
「はい……おっしゃるとおりでございます」
「そして今、魔導師の返事を聞いてがっかりしてたでしょ?」
「……はい。それもそのとおりでございますが……」
「それって、告白したら断られたからじゃないの?」
………………
…………
ガリーナはぽかんとその言葉を聞いていたが、いきなり跳ね上がった。
「はいいいいい? ど、どうして私がフェリエ殿に懸想を? そんなことしてはおりませんが!」
「え? じゃ何のお話しだったの?」
「え? いえ、その、それではご存じだったのではなかったので……」
「何をご存じだったって?」
ガリーナはあっといった様子で口を押さえた。
王女がにやーっと笑った。
「あー、何隠してるのかしら?」
「い、いえ、何も……」
「えー? 教えてくれないのー?」
そう言って王女がガリーナの脇の下をつついた。多分それほど深い意味のある行動ではなかったと思うのだが……
「ひやあぁ!」
弾かれたようにガリーナが飛び下がった。
一瞬何が起こったのか分からなかったのだが……
《もしかして……ガリーナさん、脇腹が弱点?》
王女もしばし目を丸くしてガリーナを見つめていたが、いきなりにやっと笑った。
「ま! それじゃ体に聞いちゃおうかしら? アウラの魔性の指先にかかって耐えられた子なんていないのよ?……ふふっ」
アウラがえっと言う表情になるが、聞いたガリーナはくたくたとくずおれてしまった。
《ガリーナさん……何て聞いてたんだろう?》
アウラに関してはガルブレスの養い子で、薙刀を使えばものすごく強いということの他に、もう一つ怪しい噂があるのだが……
「分かり申した……実は私、あの後謹慎を申しつけられていたのですが……」
ガリーナは万策尽きたといった表情で語り始めた。
「あ、ええ」
王女がちらっとリモンの顔を見る。彼女の顔にも複雑な表情が浮かんでいる。
「そうしておりますと、しばらくしてグレイシー様から呼び出しがかかったのでございます。行ってみますとグレイシー様がカンカンに怒られておりまして……」
「ルースとケンカでもしたの?」
「はい。そのようで……実はそのエルミーラ様がフォレスにお帰りになった後、国長様がもう腑抜けのようになられておしまいになって、それでグレイシー様がたしなめられたそうなのですが……」
王女は笑い出しそうになったのを堪えた。
「……それで、聞く耳持たなかったと?」
「はあ。グレイシー様もあのようなお方ですから、それでちょっとエルミーラ様のことを悪し様に申しまして……」
王女がちょっと眉をひそめる。
「悪し様に? どんなひどいことを言ったのかしら?」
「それが……一度の間違いでは飽き足らず、未だにそのような場所に出入りしているなど、もうどうかしている、などと……」
………………
王女だけでなく、その場全員が拍子抜けした。
「あ……ま、それはそうだけど、それでルースが怒ったのね?」
「はい……」
「まあ、困ったわねえ。この場合グレイシーちゃんの方が正論だし……」
いや、王女様がそんなこと言うのは本当は良くないと思うんですが……
「で、それから彼女はなんて言ったの?」
「それがそうではなくて……」
「え?」
「国長様は、エルミーラ様はそのような不埒なことはしていないと。嘘偽りを申すなとそのようにお怒りのようで……」
「え?」
一同は顔を見合わせた。
そういえば去年、フィンと一緒にベラに来た帰りがけ、ロムルースがそんなことを言うから困ったとかいった話を聞いた記憶があるが―――まだそう信じていたのか?
王女も目を丸くして尋ねた。
「それじゃルースは、まだ私が郭なんかには行ってないって信じてるの?」
「そのようですが」
「……でも、ベラにだって証人くらいいるでしょ? フォレスからベラに行く人はたくさんいるし……」
「グレイシー様もそうおっしゃったのですが、国長様は、誹謗中傷の輩がそうほざいているだけだと。エルミーラ様には敵も多いので、そういう者達が悪い噂を流しているのだと譲らなくて……」
………………
「そこでつかみ合いのケンカになりそうだったので、侍従どもが取りなしましてその場は収まったそうなのですが、そんなわけでグレイシー様はもうカンカンで、それで私に言われたのです」
「なんて言われたの?」
「フォレスに行ってエルミーラ様が、その、不埒な行いをしている証拠を見つけてこいと……」
………………
「不埒な行いの……証拠?」
「はあ……」
ガリーナは力なくうなずいた。
「でもどうしてあなたに?」
「後宮の外にはそういうことを頼める者がいなかったのではないかと……私ならかようにこちらに来る理由もございますれば……」
王女はうなずいた。
「ああ……でもフェリエ魔導師はどういう関係が?」
「フェリエ殿は連絡係なのでございます。普通に手紙を送ったら中を見られるかもしれないと」
まあ、一応は秘密工作なのだから、そのぐらいの注意は必要か?
「でも彼ってそれこそ後宮の外の人なんじゃ?」
「はい。そうなのですが、実はファリーナ殿のお菓子をグレイシー様がことのほかお気に入りで、ファリーナ殿はよく後宮に出入りされているのです。私も良く存じておりますが、グレイシー様は彼女から冷凍輸送のことを聞き及んだそうで……」
「まあ……でもそれって結構危ない橋よねえ? 普通なら……」
他国の王女の不埒な秘密を探ってこいという話だ。一般論から言えば、命に関わる仕事にもなりかねないわけだが……
「はあ……なので報酬ははずむと。しかし断ったりしたらファリーナ殿を後宮専属にしてしまうかも、などと言われたそうで……」
王女はちょっと首をかしげたが、はっとした表情になる。
「後宮専属って……それってもしかして……出られなくなるってこと?」
ガリーナはうなずいた。
「はい。そういうことになりまして……もちろん年に何日かの休みはもらえますが、それ以外はずっと……」
もちろん部外者のフェリエが後宮に出入りすることなどできないとすれば―――これは完全な脅迫ではないか!
そこで思わずメイは尋ねていた。
「まさか任務に失敗したからって、腹いせにファリーナさんに当たるなんてことはないですよね?」
だがそれを聞いたガリーナはうっと言葉に詰まる。
「えーっ? ファリーナさん、それこそ関係ないじゃないですか?」
だがガリーナは力なくうなずく。
「そうなのですが、なにしろグレイシー様は頭に血が上るといろいろ無理難題を出されるお方でして……」
「…………」
「ともかくそんなわけなのでお引き受け致したのですが……こちらに来てみればエルミーラ様の郭参りのことは皆様よくご存じで、メイ殿にも相乗りのお話しなどをいろいろ伺いまして、なので私が聞いた話をまとめて前回の輸送のときにフェリエ殿に持っていってもらったのです」
「ああ、そうだったの……で、その返事がさっきの?」
「はい……」
「なんだって?」
王女の問いにガリーナは答えた。
「その程度の証言ならベラでいくらでも手に入る。それをお館様が信じないから問題なのだ。もっと動かぬ証拠を持ってこいとのことで……」
………………
…………
一同は顔を見合わせた。それは確かに肩も落としたくなるだろう……
「えっと……動かぬ証拠って、何らかの物的証拠ってことでしょうか?」
メイが尋ねると王女がうなずく。
「でしょうね」
王女のその行状に関して言えば、もうフォレスでは常識というレベルの話になっているのでメイは事実を疑ったことさえなかった。
だが言われてみればメイ自身がその現場を見たわけではない。見たと言う人がたくさんいて、王女もまったく否定していないというだけで。
《そういう証言じゃダメっだって?》
だとしたら何かの証文ではないが、そんな感じの証拠の品が必要だということか?
《でもそんな証拠って……》
どんなものがあるのだろう?
横を見ると王女も腕を組んで考えこんでいるが―――やがてうんうんとうなずくと、にこ~っと笑った。
《あ? 何だろう? この笑い……なんかまた……》
メイにもそろそろ王女のそんなところが理解でき始めていた。
「分かったわ。それじゃこうしましょう。メイ。ガリーナを手伝ってあげなさい」
「は?」
「はいぃ?」
今何ておっしゃったのでしょう? このお方は?
「あの、手伝うって?」
「だから証拠探しよ。私は忙しいからそんな暇ないし」
それはそうだが……
「えっと、でも私もそれほど暇があるわけでは……」
王女はにこっと笑った。
「だったら公務ということでいいわ。とりあえず明日の会議には出なくていいから。ロパスにも言っておくからガリーナも大丈夫よ」
「えーっ?」
「あの、エルミーラ様?」
色を失う二人に王女はニヤニヤしながら答える。
「だってそれが見つからないとファリーナって子がいじめられるんでしょ?」
「あ、いや……まあ……」
それだけは避けたいのは確かだが……
「それにそんな物があれば私も見てみたいし。ねっ」
………………
「あ、それと公務なんだから報告は逐一お願いよ」
「……わかりました」
そんなわけでメイはガリーナと共に、王女の不埒な行いの動かぬ証拠とやらを見つける羽目になってしまったのだった。
翌日の朝食後、二人はメイの部屋で作戦会議を始めた。
彼女の居室は王族の住む西棟最上階の一角にあって、窓からは城の中庭が一望の下だ。広さはそれほどではないにしても、家具や調度はこれまで住んでいた町の下宿とは段違いだ。ここに住み込めるというのは、城に勤める全ての侍女が羨望するところなのだが、メイはそんな立場になってしまったことに今ひとつ馴染めなかった。
《留学してたときもそうだったけど……》
こういうのを生来の貧乏性というのだろう。
それはともかく……
「えっと……それじゃもういちど、ガリーナさんが報告したっていう中身を教えてもらえませんか?」
「分かり申した」
部屋にはベッドとデスクの他に小さな応接セットもあって、そこにガリーナが落ちつかなげに座っている。メイの場合はそろそろ王女がどういった人物か分かりつつあったが、ガリーナはこんなことになるとは想像もしていなかっただろう。
「前回は私がこちらでいろいろと聞き込んだ話をお送りしたのですが……」
ガリーナが真っ先に話を聞いたのがコルネだった。彼女はあっけらかんと王女の“息抜き”について話してくれた。
その息抜きはおおむね月に二回、泊まりがけで、行き先はアサンシオンというフォレスで最も格式の高い遊郭であること。またその夜には王女付きの侍女はみんな休みになるので、実家が市内のコルネは家に帰るのが習わしだということ、その際にはすごく立派な馬車で行くなどという話も出てきた。
「それを聞いたときにはコルネ殿が同乗しているとは思いませんで……」
「あは、まあそうでしょうねえ。あ、それで車庫に来てたんですか?」
「はい。馬車の記録を調べてみようと思ったのですが……後宮では馬車には予約帳がありまして、使用する日時や使用者、使用目的などを書く欄がありましたので……」
「あ、いいところに目をつけましたね」
確かにそこで使用者が王女、行き先がアサンシオンとか書いててくれれば、確実な証拠と言えただろうが―――前述のごとくフェザースプリングは王女専用だったので、予約は不要だった。
「そこでメイ殿に相乗りの話を伺ったので、それについてもいろいろ尋ねてみましたが、王女様がお綺麗だったとか、フィエルという方に頼めば手配してくれるとか、話がはずんだら市内をぐるっと巡ってくれるとか、競争率が激しいからなかなかくじに当たらないとかいった話ばかりで……」
「みんな途中で降りちゃいますもんね」
「はい。最後まで同乗しているのはアウラ様かナーザ様だけだそうで」
「そうなんですよ。まああのお二方が証言してくれればロムルース様もお信じになるでしょうけどねえ……」
「お二人に来ていただくのは……無理でしょうねえ」
「ああ、それはちょっと。ナーザ様はエクシーレ方面で今ものすごく忙しいし、アウラ様は王女様の警護なので……年末になればまたベラに行きますが、それじゃ遅いんでしょ?」
「はあ……」
それにそんなことになったら王女が自分で説明するとか言いだしかねないし。そんなことになったらますます紛糾しそうだし……
「ともかくそういうことを書いて送ったらあんな返事が来たと」
「そうです」
うーむ。なかなか敵は手強いわけだ。だが今の話で糸口は掴めていた。
「でも馬車の予約帳とかはいいアイデアだと思いますよ。だとしたら他に似たものがあればいいわけですよね?」
「他にですか?」
メイはうなずいた。
「はい。例えば……王女様のスケジュールとか……」
「あ、スケジュール表があるのですか?」
まさにその管理が秘書官の最大任務の一つだ。だからメイは既にそれがどういうものかよく知っていた。
「ええ。でもだめですねえ。あれには『ご休息』としか書かれてないんで……」
「そうですか……」
ガリーナは残念そうにうなずく。
「でも……ああ、王室行状録の方はどうでしょう?」
「王室行状録?」
「はい。お城の出来事や王家の方々が行ったことが記録されてるんですよ。それにはなんて書かれてたかなあ……」
「そのような物を見せてもらえるのですか?」
「ふふっ。それこそ秘書官の特権の一つですから まだ補佐見習いですけど」
そこで二人は東棟の図書館の側にある書記官の部屋に向かった。
「あー、お邪魔しまーす」
部屋に入ると壁一面書棚で埋まっていて、その奥には様々な記録が保管されている書庫への扉があった。
デスクには初老の男性が座って何か書き物をしていた。
「おはようございます。エクセンブルムさん」
エクセンブルム書記官は顔を上げると、メイを見てにこっと笑う。
「あ、あんたか。仕事には慣れたかい?」
「ええっと、それはまだまだなんですが……」
メイの仕事柄、ここに来て様々な資料を調べたり書き写したりすることが多く、彼とももう顔なじみだ。
「それで今日は何の書類が必要なんだ?」
「王室行状録なんですが、例えば去年とか一昨年とかを見ていいですか?」
「構わんよ。ちゃんと戻しておけばな……そちらは?」
「あ、ガリーナさんといいまして、今度王女様の警護を務めることになったんですが」
「ほう?」
どうして連れてきたんだとか訊かれたらどうしようかと思っていたが、書記官はそれ以上は興味がないらしく、またデスクの上に目を落とした。
そこで二人は奥の書庫に入っていった。
「えっと行状録っと……ああ、そこですね。それです」
「これですか」
ガリーナはメイが背伸びしないといけないような高さにも軽々と手が届く。
二人はそれを見てみたが……
「ああ、こちらにも王女ご休息としか書かれてないですねえ……」
「そうですねえ……」
もっと古い年度の記録を見ても、そのような書き方しかされていない。
「まあしょうがないですけど……」
王女の郭通いなんてのは、本来ならば間違いなくあり得ない話だ。そういうことを堂々と公文書に書くはずもないわけで……
「でも記録なんてのはスケジュールだけじゃないですから……他にもほら、そう、例えばお金の動きなんかもありますよね?」
「あ、そうですね」
そこで二人は今度は城の経理官の元にやってきた。
「あ、どうも、こんにちわー」
経理官のクルメーノはメガネをかけた中年の男性だ。
「やあ、メイちゃんか。久しぶりだねえ。かわいい格好じゃないか」
「あはは。どうもー」
この人には厨房にいた頃からかなりお世話になっている。
「秘書官になったっていうけど、どうだい?」
「いや、まだまだ右も左もわかんないんですけど……」
「そうかー。まだ半年だしね。ゆっくり慣れてけばいいさ……それよりちょっと、これどう思うよ?」
「え?」
クルメーノは帳簿をメイに見せた。それは最近の厨房の支出に関するページだったが……
「あれ? また材料費がずいぶんかかってますねえ」
「だろ? 最近そんな贅沢してたか?」
「いやー、この頃って王女様はベラにいたし、むしろお客さんとかも少なかったんじゃないですか?」
「だよなあ。また無駄にいろいろ買い込んでるんじゃないか?」
メイが食材管理をするようになってからといもの、無駄遣いが減ったせいで厨房の材料費が二割方安くつくようになったのだ。それで王妃様からお褒めの言葉をもらったこともあるのだが……
「あはははは。でもほら、私もうそっちから離れちゃったんで……」
「分かってるって……」
クルメーノ経理官はためいきをつく。
「で、それはそうと急に何の用だい?」
「あ、はい。実はその、王女様がご休息に行かれるときのお支払いって、どうなってるんでしょうか?」
いきなり尋ねられてクルメーノは目を丸くしたが、すぐに首をふった。
「え? 知らんよ? 王女様のお小遣いから出てるんだろ? そっちの方がよく知ってるんじゃ?」
「あ、まあ、そうですよねえ。お城に請求が来たりとか、まあしませんよね?」
「んなわけないだろう?」
「ありがとうございます。どうもお手数をおかけしましたー」
考えたら当たり前だった。
経理部の部屋を出るとガリーナが心配そうに尋ねた。
「えっと、それではどうすれば……」
だがメイはこれについては心配していなかった。
「これは一番簡単ですよ。グルナさんに訊けばいいんです」
二人はまた元いた西棟最上階に戻った。城中をぐるっと一周したような案配だ。ガルサ・ブランカ城は広いからそれだけで結構くたびれてしまう。
グルナは今では王女の執務室となっている柊の間で書類の整理中だった。
「あ、グルナさーん」
「まあ、メイ。王女様のお仕事、もう終わったの? だったらこちら、手伝ってくれない?」
「いやー、まだまだなんですよ」
「申しわけございません」
ついてきたガリーナが深々と頭を下げるので、グルナが慌てて手を振った。
「やっぱり簡単にはいかないのね?」
「はい。それでちょっと訊きたいんですけど」
「なあに?」
「王女様が郭に行かれるとき、お支払いってどうなってるんですか?」
グルナは即座に答えた。
「それは王女様個人の金庫から持ってかれてるわよ?」
「あ、じゃ毎回現金払いで?」
「そうだけど?」
「領収証なんて……ありませんよねえ」
「そんなの見たこともないけど」
メイとガリーナは顔を見合わせた。
「あなたたち、いったい何を調べてるの?」
彼女はあの場にいなかったので詳細は知らされずに、今日はメイとガリーナが王女の仕事のために別行動すると聞かされていただけだった。
そこで二人はこれまでの経緯をグルナに話した。
「え? そんな風に王女様が郭に行ったことが分かる証拠?……うーん」
グルナも頭をかかえてしまう。
そこにガリーナが尋ねた。
「エルミーラ様は、その、ご休息に行かれる際に、特別な準備をされることとかはございませんか?」
「え?」
「例えばその、特別なお召し物で行かれるとか……」
「いいえ? 普通のお出かけ用のドレスでいらっしゃいますけど? どうして?」
「いえ、ですから何かそんな物を準備しなければならないとしたら、その方面から何か辿れないかと思いましたので……」
「ああ、そういうこと?」
もしそんな専用の品があれば、それを購入した記録があるかもしれないと?
いい考えではあったが、グルナは首をふった。
「うーん。もう本当に行くときはいつもどおりのお姿で……お着替えとかお化粧道具も持って行かれますけど、いつもお使いになってるものだし……」
なければどうしようもない。
「はあ……どうもありがとうございます……もし何か思いついたことがあったら、教えて下さい」
見るからにがっかりした二人を見て苦笑いしながらグルナが言った。
「いいわ。そんなの早く終わらせてお手伝いして欲しいし」
「はいー」
なんだか終わったらますます忙しくなりそうだが……
さて、それはそうとこれでガルサ・ブランカ城内で分かりそうなことは、おおむね見てしまったということだろうか?
その結果ここにはあまり証拠となる品はないということで―――だとすれば……
《もしかして、王女様の“行き先”を調べるしかないのかしら?》
行き先といえばもちろんそこは……
二人はまたメイの部屋に戻ってくるとソファーに座りこんだ。顔を見合わせると二人とも大きなため息をついた。
「お城だともうこんな感じでしょうかねえ?」
メイの言葉にガリーナもうなずいた。
「そのようですね。だとしたら?」
「やっぱり……アサンシオンに行ってみるしか……」
ガリーナがちょっと赤くなる。言ったメイも少々頬が熱くなってくる。
「でも……確かに予約帳はあるかもしれませんが、そういうところに本名を記したりする物でしょうか?」
真っ当な意見だ。
「さあ……でも王女様、身分を隠す気なんて全くないから、書かれてても気にしないと思うし……」
とは言ってみたものの、普通は郭の方が配慮して穏当な書き方をしていそうだし。この方面でも望み薄という気はする。
「あとそれに……」
「それに?」
「他にも何かあるかもしれないし……」
「他ですか?」
ガリーナが首をかしげる。
「だから例えば、そこで王女様がお使いになってる物があったりとか?」
それはほとんど口から出まかせだったのだが、聞いた途端にガリーナが真っ赤になった。
「お使いに? なった、もの?」
その反応に驚いてメイが思わず見つめると、ガリーナはあからさまに目を逸らした。
「いえ、そんなはしたない想像などしておりませんから!」
いや、してますよね? 何か、絶対……
「あの……もしかしてガリーナさんって……そういうご経験が?」
「あれは断れなかったんです! 私から誘ったことは一切ございませんし……」
何かすごく正直な人だなあ……
「いや、だから、別にいいんですけど。その、もしかして後宮でもおモテになったとか?」
ガリーナはさらに赤くなってうなずいた。
「え? まあ……その……」
後宮という場所については主に本からの知識しかないが、そこは主君を除く男子禁制の閉鎖空間なので、女官同士でそのようなことがよくあるとかないとか……
《そんな中にガリーナさんみたいな人ががいたら、そりゃいろいろあるわよねえ……》
いろいろあるって―――どんなことが?
思わずメイは想像してしまった。
《二人でこう、抱きあって……キスしたりして……それから……やっぱり裸になって?》
その後いったい何がどうなるのだろう?―――そういった体験がほぼ皆無だったので、ほとんど想像がつかない。
などと考えていると、メイも何やら体が火照ってきた。
《あはははは。いや、何かまずいでしょ、これって……》
ともかくちょっとこの話題から離れなければ―――と、そのときだ。
《あ! これじゃない!》
素晴らしいアイデアが閃いた。
「えっと、二人とも裸なんですよね?」
ガリーナがぽかんとメイを見る。ちょっと大丈夫か? この人、といった表情だが……
「いや、ですからね、そういうときってそれでいいんですよね?」
「え? まあ、それはそうでしょうが……」
「だったら普段見えない物も見えたりするわけで……」
ガリーナがまたかっと赤くなるが……
「いや、だから服の下に隠れてるほくろとかも」
………………
…………
「え? ああ、それは……」
ちょっと間を置いてからガリーナが慌てたようにうなずいた。
「だとしたらですよ? そういう証言なら信じるしかないんじゃないですか? ほら、確か郭の遊女さんってわりと行ったり来たりしてるって聞きますから、ハビタルに行った方もいるんじゃないかと」
「あ? 確かにそういう方もいらっしゃいますね……」
ガリーナがうなずいた。メイの言わんとしているところが分かってきたようだ。
「で、王女様、腰のあたりに結構大きなほくろがあるんですよ。湯浴みのお手伝いしたときに見たんですが、小さいころ一緒に水浴びしたとか聞いてますから、ロムルース様もそれってご存じなのでは?」
「ああ、そうかもしれませんね」
「それをその子が知ってたとすれば、もう信じるしかないでしょ? だったら後はそういう子を探して教えてあげればいいんじゃないかと」
馬車が郭に入っていったとかいった話なら、中に王女が乗っていた保証などないだろうなどと言いがかりはつけられるが、これならぐうの音も出るまい?
ガリーナは目を見張った。
「そうでしょうね……でも……」
「でも?」
「そんな話を聞いたらロムルース様、逆上されてその子をお手打ちにしたりして……」
………………
…………
……
二人は顔を見合わせた。
「あはははは!」
「あはははは!」
いや、マジあの人ならやりかねないぞ?
「いい考えだと思ったのにー……」
メイは気落ちして応接テーブルに突っ伏してしまった。
「メイ殿、どうか気を落とされずに」
「ありがとーございますー」
ガリーナさんって優しいんだなあ。そう思ったときだ。
「でもそうすれば、他にもそのようなことがあるのでは?」
「他に? ですか?」
メイは顔を上げる。するとガリーナが真顔で尋ねた。
「メイ殿は王女様とご一緒したことは?」
「いや、ないですよー! あるわけないじゃないですかー」
メイはあわてて手を振った。だが……
「あ、でもナーザ様やアウラ様なら……」
あの二人なら、王女が郭の中で何をしているか詳細に知っているのは間違いない。彼女たちから話を聞ければ、もっといいアイデアが出てくるかもしれないではないか!
残念ながらナーザは今、使節としてエクシーレに行っていて不在だ。だがアウラなら庭で親衛隊と練習中のはずだ。