第5章 策謀の結末
それから数日後。メイとガリーナは地方視察から帰ったばかりの王女の元に報告にやってきていた。
だが二人の姿を見た王女が驚いたようすで尋ねた。
「どうしたの? 二人とも。目が真っ赤よ?」
メイが頭を掻きながら答える。
「あはは。この二日ほど、あまりよく寝ておりませんので……」
「一体、何があったの?」
「証拠が見つかったんですよ。しかもすごいのが二つも!」
王女の目が丸くなる。
「え? 証拠って、この間の?」
「はい!」
メイは意気揚々とうなずいた。
「それって……どんな?」
王女が恐る恐るといった様子で尋ねる。
「はい。まず最初のなんですが、お城の中では色々と埒があかなかったので、二人でアサンシオンまで行ったんです」
「まあ……」
「そこで色々聞いてみたら、すごいのがあったんですよ! アヴリルさんというプリマの方が、色紙を持ってたんです。覚えてらっしゃいますか?」
「色紙?」
「はい。何でも鳴かない小鳥で勝ったとかで……」
途端に王女は吹き出した。
「もしかして、あのときの⁈」
この驚きよう。間違いない。
「多分それですけどー。いやー、私もびっくりしましたー」
「それをここに?」
「いや、持ってきてませんが?」
「え? どうして?」
「だってアヴリルさん、それをものすごく大切にしてて、取っちゃったりしたらもう可哀相で見てられなくって……」
王女はうっと言葉に詰まり……
「……そうだったの」
と仕方なさそうにうなずいた。
「それで別な証拠を見つけたんです」
「あ、それがもう一つの方ね?」
「はい。それがこれなんですけど……」
メイは大きな封筒に入った書類の束を差しだした。
「これは?」
「一言でいえば、王女様のご休息の日と、アサンシオンの星マークのお客さんの来る日が一致してるってことを示した資料です」
王女はああっとうなずくと、書類を受け取って目を通した。
「ほら、もう何年にもわたってぴたり一致してるじゃないですか。ご休息が中止になったときにも星のお客様がキャンセルになってて」
王女はさらに添付されている分厚い資料に目を通す。それから顔を上げると驚嘆の眼差しでメイとガリーナを見た。
「もしかして……これ、作ってたの?」
「はいー。もう大変でしたよー。なにしろ今回の調査は、ガリーナさんが単独で内密にってことになってるじゃないですか。するとこっちがあからさまに協力したことが分かったら困りますよね?」
「それはそうだけど……」
「で、ご休息と星マークが一致してることはすぐ分かったんですが、証拠にするなら元の資料がないとまずいじゃないですか」
「ええ」
「お城の記録の方に関してはガリーナさんが、お間抜けな秘書官を言いくるめて書かせたって触れ込みで、王室行状録から王女様の動向を抜き書きした資料を作成しまして……」
王女は資料を見てうなずくが、もう一つの資料の方を見ると首をかしげた。
「ええ。でも、こっちは原本なんじゃないの?」
メイはうなずいた。
「そうなんですよー。アサンシオンの古い予約表なんですけど、これはガリーナさんがこっそり持ち出したってことになってまして」
「えっ?」
王女はその資料を見てまた目を丸くした。
「お城の秘書官が写しを作る理由ってのが見つからなくって、そうしたんですが……」
「でもそんなことしたら……」
メイはまたうなずいた。
「はい。そうなんですよ。本当に持ってっちゃったら向こうも困るんですよ。わりと誰かがあのときに来てたか来てないか、とかいった調べが入ることがあるらしくって」
「そうでしょ?」
「だから私の保証で写しを作って、アサンシオンに置いてきたんです。でもそれだと抜き書きじゃダメなんで、完全な写本を作らなきゃならなくって……いやー、ガリーナさんもずいぶん頑張ってくれたんですがー、あはははー」
王女はしばらく絶句した。
「それで……二日寝てないの?」
「はいー。まあ……さっきちょっと寝ましたがー。ほら、フェリエさんが帰るときに持ってってもらわなきゃならないでしょ? だからちょっと急いだんですけどー」
………………
…………
そこでなぜか王女は不自然な間を置いた後……
「まあ……それは悪いことをしたわねえ……」
と、ひどくばつが悪そうに言った。
「いえいえー。まあこれも人助けですからー」
「本当にメイ殿にはお世話になり申した」
ガリーナも頭を下げる。
だが王女は微妙な笑みを浮かべてこう答えたのだ。
「だけどこれはちょっと送れないわよ?」
「はい?」
いま王女様は何と言ったのだ?
「これをフェリエ魔導師に持っていってもらうことはできないから」
………………
…………
「ええっ? ど、どうしてですか?」
王女は苦笑いを浮かべながら答えた。
「確かに素晴らしい証拠ね。これならいかなルースでも納得してくれると思うんだけど……」
「はい。そうですよ?」
「でもこれ、グレイシーちゃんがどんな風に利用すると思う?」
「え?」
王女はガリーナを見ながら言った。
「彼女、結構短気みたいだから、勝ちほこってこれをルースに突きつけたりするんじゃない?」
ガリーナは言葉に詰まり、それからうなずく。
「多分、そんな感じかと……」
「で、そうなったらルース、どうするかしら? 大人しく納得してくれればいいんだけど……逆ギレされたら面倒なことになると思わない?」
………………
…………
……
ま・さ・に、その通りだった。
二人は言葉を失った。
「グレイシーちゃん、離縁されちゃったりして?」
「ええっ?」
ガリーナが色を失う。
「ま、それだけなら自業自得ってことだけど……でもまた国長様が国政をほっぽり出してフォレスまで突っ走ったりしたら、もうあちこち迷惑なんて物じゃないし」
「………………」
「なのでそんな証拠が出ても送るわけにはいかないから、出た時点で止めておこうと思ってたの……それで逐一報告してって言ったんだけど……」
メイは目が点になった。
「でも、ほら、王女様、視察に行かれちゃって……」
「そうなの。だから悪いことをしたわねえと……こんなに早くに出てくるとは思わなかったんだもの。メイちゃん、ちょっと有能すぎよ?」
「えーっ?」
秘書官というのは有能すぎてもいけないのかーっ⁈
「えっと……でもそれならどうするんですか?」
その当然の質問に王女はにやっと笑って答えた。
「そうなったら私が一筆書こうと思ってたのよ」
「王女様が? グレイシーさんにですか?」
いったいどんな手紙なのだ?
「ええ。じゃあ今から書きましょうか。メイ、筆記してね」
「あ、はい。少々お待ちを」
メイは急いで口述筆記の準備をした。これも秘書官の役割の一つである。王女様は色々お忙しいから、手紙などはよっぽど重要な物でないと自筆では書かない。それ以外の場合はこうやって秘書官が筆記してサインだけをもらうのだ。
それはともかく……
「じゃあ行くわよ? 親愛なるグレイシー様へ」
「し・ん・あ・い・な・る・ぐ・れ・い・しー・さ・ま・へ……と」
「お元気でしょうか。先日は後宮の中ををご案内くださいまして、大変ありがとうございました。その際に知らずとはいえ失礼なことを申してしまいましたが、あのあと母から大目玉を食らいました。どうかお許し下さいませ」
「……お・ゆ・る・し・く・だ・さ・い・ま・せ……と」
「さて、先日よりベラからガリーナというお客人が来ております。話を聞けば、試合で負けたために一念発起してアウラの弟子になりたいとか。向上心のある大変素晴らしいお方だと存じます」
「……お・か・た・だ・と・ぞ・ん・じ・ま・す……と」
聞いたガリーナがちょっと赤くなる。
「しかしそのような方に、私の恥ずかしい秘密を探らせようとするのは、いかがな物でございましょうか?」
え?
「もしこのようなことがロムルース様のお耳に入るようなことになったとしたら、とてもお怒りになることでしょうね?」
え? え?
「でも私はそのようなことは望んでおりませんので、グレイシー様にはご自重なされることをお勧め致します」
………………
…………
……
「あのー、ちょっと、これって脅迫状なんじゃないですか?」
「そうだけど?」
王女はしれっと答える。
「えっと、その……」
「でも絶対黙るでしょ?」
「それはそうですが……」
目を白黒させるメイに、王女がにーっと笑った。
「そもそもよ? これってグレイシーちゃんとルースのケンカじゃないの。証拠が出てきたならさっきみたいな騒ぎになっちゃうわけで。だからそれを未然に防ぐには、彼女の方から取り下げてもらうしかないじゃないの」
「それは……分かりますが、じゃあガリーナさんの立場は?」
二人の話を聞いていたガリーナは、既に真っ青になっている。
そんな彼女に王女が言った。
「ねえ、もし証拠を送ってそんな騒ぎになって、あなたも安泰でいられると思う?」
「えっ」
「絶対にこれを持ってきたのは誰かとかいったことになるわよね?」
「…………」
「確かにあなたはグレイシーちゃんの命令を受けてやったことだけど。まあ彼女共々処分されることになるわねー?」
えっと、もしかしてこれって……
《ガリーナさん、最初から詰んでたってこと?》
彼女が証拠を見つけられなければグレイシーの怒りにさらされ、証拠を見つけたら見つけたでロムルースの逆鱗に触れると?
「そのような場合は全てを認めていかような処分でも受けるつもりでした……」
「まあ、そんな覚悟で……」
うわあ、何か本当に良い人過ぎないか? この人……
それを見た王女が急に真面目な表情になった。
「ねえ、ガリーナ。あなた家族が人質になったりしてる?」
「え? いえ、それはございませんが……」
すると王女はガリーナをまっすぐ見つめて尋ねた。
「だったらこの際こっちに本気で来ない?」
「え?」
「私ねえ、腕の良い女性の護衛がもっと欲しいと思ってるのよ」
「え?」
「どっちに転んだってあなたには良くないことにしかならなさそうだし」
ガリーナは一瞬言葉に詰まるが、それから首をふった。
「いえ、しかし私は未熟者で……親衛隊の方々にも刃が立ちませんし……」
それを聞いた王女が吹きだした。
「なに言ってるのよ。アウラがあなたはすごく見込みがあるって。やっぱり小さいころから薙刀を使ってるから、飲み込みが早いって言ってるのよ?」
ガリーナが驚いたように王女を見た。
「アウラってねえ、お世辞が言えない人なの。だから彼女がそう言ったのなら間違いなく本当なのよ?」
ガリーナはしばらく絶句して、それからおずおずと尋ねた。
「あの……それではこちらに置かせていただいて……本当に構わないと?」
「もちろんよ」
王女がにっこり笑った。すると……
「ありがとうございますっ!」
ガリーナがそう言うなり、いきなりまた床に平伏したのだ。
その姿を見て王女が苦笑する。
「あー、ちょっとこちらじゃいちいちそれ止めてね? ベラの後宮じゃないんだし」
「あ、はい……」
ガリーナが戸惑った様子で顔を上げる。メイはそんな彼女に手を差しのべた。
「ガリーナさん、良かったじゃないですか!」
「いえ、これもメイ殿のおかげかと……」
「いやいやー。それにいてくれたら喜ぶ子が一杯いますよ?」
「あ……」
ガリーナがちょっと赤面した。
この何日かガリーナと二人で部屋に籠もっているというので、例のガリーナ派の子たちから白眼視されかけていたのだが、事情が分かると今度は全面的に協力してくれたのだ。コーヒーや夜食を持ってきてくれたり、足りない資料を取りに行ってもらったりと、仕事が早く片付いたのは彼女たちの協力の賜物だった。
そんなことを考えていると王女が何やら微妙な笑みを浮かべながら尋ねた。
「だとしたらガリーナ、実は……ちょっとお願いがあるんだけど……」
いつもならずけずけ物を言う王女が、妙に話しにくそうなのだが……
「はい。なんでしょうか?」
あ、これってもしかして……
「実はねえ、郭に行くときの護衛もお願いできるかしら? リモンはこういうの、ちょっとダメなんで……」
あ、やっぱり……
「え?」
ガリーナは目を丸くする。
「いや、だからね? 別にあなたまで一緒でなくていいから。ナーザもそうだったし。その間、小娘とお茶してるだけでいいんだけど?」
あはは。さすがにちょっとこれは悩むだろうな、とメイは思ったのだが……
「そういうことならば構いませんが?」
ガリーナはあっさりとうなずいた。
「え? 本当?」
頼んだ王女の方が少々以外な様子だ。
「お方様がお楽しみの最中の警護もお役目でしたので」
メイと王女は顔を見合わせながら納得した。
「うふ まあ、ありがと」
《あー、やっぱりこれが主目的だったか……》
メイはそう思ったのだが……
「何しろしばらくアウラがいなくなるかもしれないんで。その間どうしようかって思ってたのよ」
「え? アウラ様がいらっしゃらなくなるのですか?」
驚いてガリーナも問い返す。
「実はねえ、今ちょっとした計画を立ててるのよ」
「計画、ですか?」
あー、今度はどんな悪巧みなのだ?
「ほら、最近アウラとル・ウーダ様って、何かすれ違ってばかりで」
「ああ、それはそうですねえ」
メイもガリーナもうなずいた。
アウラは王女付きの護衛で、フィンはアイザック王の相談役だ。最近は王が王女に国政の一部を任せている関係で、両者は別行動になることが多い。するとそれに従う二人も一緒にいられる機会が極めて限られてしまうのだ。
「だからね、しばらく二人で旅をしてもらおうかと思ってるの」
「旅、ですか? 新婚旅行みたいな?」
メイの問いに王女はクスッと笑う。
「まあ……それにしたら少々長いかしら? 二年ぐらいはかかりそうだし」
「え? そんなに長く?」
いったい何の旅なのだ?
「ええ。行ってもらうのって、中原一帯だから」
そう言われてもガリーナはぴんとこない様子だったが、さすがにメイはすぐに理由を察することができた。
「え? あ、それじゃ……」
「そう。ル・ウーダ様にあちらの情勢を、実際にその目で見てきてもらおうかって思ってるのよ。でもほら、あのあたり治安が悪いところもあるし、レイモンの国内とか、もう未知の領域と言っていいし……だから腕のいい護衛もいたほうがいいじゃない?」
メイはうなずいた。
「あは……そういうことなんですね?」
だが王女はそこで怪しい笑みを浮かべる。
「でも、アウラが一緒に行くってことは、ル・ウーダ様には内緒よ?」
「え? どうしてですか?」
「ふふっ。そのほうが面白いじゃないの」
「…………わかりましたー」
やっぱりおおむねは悪巧みだった……
「さて、それじゃお手紙を仕上げてしまいましょうか? どこまで言ったっけ?」
「あ、はい。えーっと『グレイシー様にはご自重されることをお勧めします』ってところまでですが……」
「あ、そうね。では……あと、グレイシー様には何点かご忠告を差し上げたいと思います」
「……お・も・い・ま・す……と」
どういう忠告なんだろう? どうせろくな内容ではないと思うが……
「まず、このような任務をこなすには人選という物が大切です。その点ガリーナさんは少々不向きでしょう。心も体も正直すぎますし、あんなに目立ってしまっては隠密行動は難しいと思われます。そういう場合は、厨房の隅をこそこそ這いずり回る小鼠のような人材を登用すべきかと存じます」
………………
何かちょっと引っかかる言い回しなんだけどっ!
「また、このようなことを命じられる際には、ご自身の名前はお出しにならずに、いつでも切り捨てられる部下をご利用なさるのが賢明かと存じます」
………………
…………
あはははは。
メイがじとーっと王女を見つめるが……
「なに? うふふっ」
あー、もう……
「それで、続きはどのようにですかっ?」
「はいはい。最後に、たとえどれほど私がロムルース様をお慕い申し上げておりましても、決して結ばれることのない身の上でございます。いざというときに側にいて支えてあげられるのは、あなたしかございません」
………………
「なによ?」
「いえ……」
何かちょっといい話で締めようとしているな?
「どうかご自愛下さいますよう。フィリア・エルミーラ・ノル・フォレス……で、終わり!」
「……はい。できました」
王女はメイの書いた下書きを読んでうなずいた。
「それじゃ後で清書して持ってきてね。フェリエ魔導師にはそれを持っていってもらうから」
「はい。分かりました」
あー、疲れた。何だかすごく疲れた気がするが―――と、そこでメイは一つ気がついた。
「えっと、あのー……」
「なあに?」
「もしかして最初から、証拠が見つかっても送る気なんてなかったんですよね?」
「まあ、そうね?」
「それじゃ、証拠なんて探さなくても良かったんじゃないですか?」
王女はうふっと笑った。
「え? でもほら、ちょっと何か引っかかる物があったから……それに見つかったじゃないの。大変な物が」
「えっと……あの色紙ですか?」
「ええ。あれはちょっとまずいわよねえ……」
メイはうなずいた。
「あー、まあ、確かにそうですよねえ。何かの拍子に流出したら、大変ですよねえ」
「そうなの。だからどうしようかしら?」
「どうしようって?」
「まさか闇に葬るというのも……もしかして仕方ないのかしら?」
………………
…………
「えーっ⁈ だってあんなに大切にしてるのに」
「だから困ってるのよ」
いや、確かにあれがかなりまずいブツということは確実なのだが、でもあれをもらった遊女には何の責もないわけで―――というか、悪いのは百パーセント王女様の方で……
「あのー、例えばとりあえず王女様が預かっておくというのは?」
「預かってどうするの?」
「それで代わりの物を何かあげるとか」
「代わりの物って?」
そう問われてメイも困る。なにしろ世界に一枚きりの貴重品だ。簡単に替わる物があるだろうか?
「ま、ともかく今すぐ結論を出す必要があるわけではないし、ちょっと考えておきましょう」
「はあ……」
多分あの様子ではアヴリルがあれを手放すことなんてないだろう。だが変な奴には知られないように秘密にしておけと釘くらいは刺しておく必要はあるだろうか?
《うー、偉い人の立場っていろいろ大変なんだなー……》
ちょっと前まではメイの周りの世界は単純な物だったのだが……
《そうそう。そういえば……》
この調査によって分かったことがある。
「あー、そういえば王女様? アサンシオンに最後に行ってからもう一年近くになりますよね」
エルミーラ王女の郭通いというのはもうフォレスでは常識事項であるのだが、実はこのように最近は全くお見限りなのであった。
「あらまあ、そんなになるかしら?」
昨年の初夏まではかなりの頻度で息抜きをなされていたのだが、そこでエクシーレとの小競り合いが始まって以来、一気に行く機会がなくなってしまったのだ。国王が東方の国境地帯に出向いていった間、王女が国政を代行したからだ。
また小競り合いが終わった後も事後処理がいろいろあって―――そのときにメイがフィンと一緒にハビタルに派遣されたのだが―――やっと一段落して「さあ!」と思った瞬間、あの拉致騒ぎだ。
それが解決した後はしばらく鞍擦れで車椅子生活になってしまってそれどころではなかったし、それが治った頃にはあのベラ旅行だ。
《本当にいろいろあったけど……》
その旅行は単なる物見遊山ではなく、内部がガタガタになりつつあったベラという国を立て直すための旅行でもあった。だからメイが留学していた間も王女は精力的に地方の視察をして、ロムルースに色々と助言を行っていた。もちろん息抜きどころではない。
というわけであのときにはさすがの王女も耐えかねたのだと思うが、今度はそこにイービス王女からの招待があって―――という顛末なのである。
そうしてフォレスに戻ってからも王女は色々と忙しく、結局今までずっと“お休みなし”なのであった。
「そうなりますよ。それについてはもうバッチリ調べがついてますから!」
「あはは。確かにそうね」
「だからそろそろ行ってあげたらどうですか? 郭の子たち、みんな王女様を待ちかねてましたよ?」
それはメイにとっても秘かな楽しみのときだったわけで―――なぜなら相乗りを発案した関係で、彼女はフェザースプリングへの優先的搭乗権を持っていたのだ。
「ま! あなたがそんなことを言うなんて」
「だってみんなすごく嬉しそうでしたよ? 王女様のお話するの」
メイが遊女たちとちゃんと話したのはあれが初めてだったが、少なくともみんな王女が大好きなのは事実だ。
「そうなの……」
ところがそこでなぜか王女の表情が暗くなる。
??
不思議そうに見つめるメイに王女が言った。
「実はちょっと問題があってね……お父様に行くのを止められてるのよ」
「え? それはまたどうして?」
今さら何の問題があるというのだ?
「だってベラでは二度も襲撃されたのよ? 郭なんて場所は暗殺者にとっては願ってもない場所だから、安全が確保できなければ行ってはダメだって」
「…………」
言われてみればこの上なく当然のお達しであった。
そもそも昨年の拉致事件にしても、こんな田舎の小国の変わり者の王女だからと、みんな油断しすぎていたためなのだ。
だがこれからはもうそうはいかない。彼女はフォレスの次期女王であり、ベラ首長国に対してもある意味“強い発言力”を持っている女性なのだ。もはや彼女の動静がこの地域全体にとって大きな意味を持ち始めている。
そんな人物がほとんど共も付けずに郭で遊んでいるというのは、まさに危険極まりないとしか言いようがないわけで―――エストラテ川で死にかかった身としては、確かにきちんとしてもらいたいポイントであった。
となれば一番根本的な解決策と言うなら、郭に行くのを止めることだが……
「ね、何かいいアイデアないかしら? うふ」
そんなことが無理だとすれば、あとは……
「ガリーナさん、後宮警備をしていた立場から、何かいい考えはありませんか?」
専門家に頼るのが一番だ。
「え? あ……」
いきなり話を振られてガリーナが面食らうが……
「まあ、そうよね。いかがかしら?」
王女にも問われて彼女はしばし考えこんだ。それから真面目な表情で答える。
「あの、どうしてもあの郭に行かなければならないのですか?」
「え?」
「遊女を城に呼び寄せれば、かなり安全になると思いますが」
真っ当な意見だ。だが王女は……
「あー、まあそうねえ。でも私の部屋じゃ三人とかは無理だし」
三人呼ぶのは確定事項なんですね?
「しかしあそこの奥の間まで、入ろうと思えば普通の客でも入れてしまいますね」
「そうよねえ」
あの後アサンシオンの中をいろいろと案内してもらったのだが、王女がいつもご利用になるVIP用の奥の間にも、普通の客がその気になれば来られてしまう構造になっていた。
「あの通路が施錠できるようになれば、少しは安全でしょうか? その場合、侵入者は従業員用の裏通路を通らねばならなくなりますから。確か夜番の詰め所もありましたね」
メイは少々驚いた。
《わりと本気で色々見てたんだ……》
彼女はただただ驚嘆して見物していただけだったのだが……
「え? ああ、たしかにそうよね それじゃ……」
王女が喜ぶが、ガリーナが首を振る。
「ただ……従業員の協力があれば話は別ですが……」
「うーん……」
再び王女は考えこむ。
アサンシオンとしてもそこで暗殺事件があったとなれば立ち行かなくなるから、可能な限りは協力するだろう。だがあくまで一企業としての立場である。従業員の誰かが買収されることを完全には防げないだろう。
《でもそれを言いだしたら……》
呼んだ遊女が買収されてないとは言えないし、城の従者でさえも絶対安全とは言えない。ロンディーネ事件を引き起こしたあのマレーズという女も、一見身元は確かだった。後から調べたら嘘だったことが分かったのだが……
「そういうわけですので、安全を期するなら後宮のような場所を作るしか……」
「まあ、そうなんだけど、今すぐにはちょっとね」
えっとー、やがては作るつもりなんでしょうか?
「それにあそこだと毎回違った子と遊べるし……」
あはははは。もうどうなんでしょう? メイはそんな気分だったが……
「だとしたら……あとは何重もの警備で囲うとか、ですか?」
ガリーナはあくまで真面目だった。
「そうなるのかしら……」
「ただそうなると、現状では親衛隊の方々にお頼みするしかありませんが」
「そうなのよねえ……それもちょっと……」
王女が残念そうにうなずく。
《え? でもロパスさんとか、親衛隊の人なら間違いなく信頼できるんじゃ?》
メイは一瞬そう思ったのだが……
「あーっ」
「ん?」
「いや、なんでもないですー」
これが普通の警備なら何の問題もない。というか、現状まさにそういう状態になっている。しかしこれは王女様が息抜きをされている間の話なのである。
《えっと……護衛って声の聞こえるところにいないとダメなのよね……》
何かあったらすぐに駆けつけられないと護衛の役に立たないわけで。でもそうすると、別な色々なお声も聞こえてしまうのでは?
《あはははは!》
王女が難色を示すのも仕方がなかった。
「だとしたら結局……アサンシオンの改修を頼んでみるってことかしら?」
「改修とかそんなにすぐに可能なのでしょうか?」
「さあ、でも少しぐらい補助金は出せそうだし」
王女とガリーナがあくまでそのような話をしている横で、メイは別なことが気になりだしていた。
《えっと、こんな調子で王女様が息抜きに行けなくなったりしたら……》
メイの秘かな楽しみ、相乗りは一体どうなってしまうのだろう?
ということはアサンシオンの改修というのを全力プッシュすべきなのだろうか?
「あと、その場合にも護衛はもっと増やす必要はありますね?」
「まあ、そうよねえ……今までみたいに気楽には行けなくなるわねえ……」
それって―――その場合にも相乗りは厳しいということか?
《いや、それはまずいわよね? 絶対! 楽しみにしてる子だって多いんだし!》
確かにメイならば今後フェザースプリングに乗る機会もあるだろう。しかしそれは完全なフォーマルの場ということになる。あんな風にわいわい乗っていけるのなんて……
そのときメイの脳裏に妙案が閃いた!
「あーっ」
「ん? どうしたの?」
「だったらこういうのはどうでしょう?」
「どんなの?」
「私が去年ハビタルに派遣されたとき、マルデアモールに行った話、しましたよね?」
「ええ」
「そこにあったじゃないですか!」
「何が?」
「もちろん、夢の馬車ですよ!」
「…………」
「あそこではブルーサンダーを改造して、その中で色々とお楽しみができるようになってるんですけど、そんなのを作っちゃえばどうですか? ほら、走ってたら中でなに喋ってたって聞こえないじゃないですか。さすがにフェザースプリングを改造するっていうのは、何ですけど……あ、でもシートをきれいに倒せるようにするとかなら、わりと簡単にできるかも……」
………………
…………
……
あれ? 何だろう? この気まずい間は……
「えっと……それで郭の子を乗せて、町中走り回るっていうの?」
「メイ殿、ちょっとこちらの気候では夜は寒くありませんか?」
真面目に突っこまれてメイは困った。
「え? いや、まあ……」
「さて、冗談は置いておいて、本当にどうしましょうか?」
えーっ。わりと本気だったのにー……
「いえ、私にもそれ以上は……」
「うー……アウラがいてくれるのなら、彼女にお願いするのも有りなんだけど……でも彼女、ル・ウーダ様がお好きだし……」
「見るからに相思相愛というご様子ですね。お二人は……」
その様子を見た王女がまた不穏な笑みを浮かべる。
「そうなのよ……あ、それじゃあなたは? 後宮の警護ともなれば、そのようなご経験があったりして?」
途端にガリーナは真っ赤になった。
「いえ、申しわけありませんが、その、専ら私は受ける方でしたので、王女様をご満足なさらせることなどとても……」
………………
…………
「え? あなた、そうなの?」
「はあ……」
「……それじゃ仕方がないわねえ……」
なにが仕方ないというのでしょうかー??
―――といったわけで、この問題は簡単には解決ができないのであった。
そのため王女はこのあとしばらく慢性的欲求不満状態になるのであるが……
《あー、また何かおかしなこと思いつかないといいんだけど……》
だんだん王女の人となりを理解できてきたメイだった。
そして夏の終わり。フィンとアウラは旅立っていった。
立ち去っていく二人の後ろ姿を見送りながら、メイは思わずつぶやいていた。
「いやー、すごい旅行ですね。それにしても……」
「まさに世界一周だものね……」
エルミーラ王女も同様につぶやく。
現在のフォレスにとって中原の情勢というのは、長期的に見るならば最大の問題だ。そのためにアイザック王は都の貴族、ル・ウーダ・フィナルフィンを雇ってその方面の対策を考えているのだ。
《そのためには都とベラの同盟もあり得るって……》
話が大きすぎてメイにはまだ全然ぴんとこない。しかし二人はまさにその前段階として中原の情勢をその目で見てくるようにと送り出されたのだ。
彼らの旅程はまずエクシーレから始まる。二人ともこの地域に関してはあまり詳しくないので、まずはそこを見てきてもらって、冬にハビタルで合流することになっていた。そのため本格的な旅程は来春からということにはなるが……
《そこからシルヴェスト王国に行って、サルトス王国に行って、アロザール王国を通って、レイモン王国を縦断して、白銀の都に行って、帰りがけにアイフィロス王国を通ってくるなんて……》
だから戻って来られるのは再来年なのだ。
もちろん途中途中で報告の手紙を送るのは当然として、道程中の友好国に対するフォレスからの親善使節の役割も担っている。
また最後の白銀の都に行ったときには、ベラとの同盟の可能性も探ってくることになっている。まさに責任重大だ。
《でも、二人ともすごく嬉しそうだったし……》
何だか本当に新婚旅行に出かける二人を送り出したような気分だ。
そんな二人を見てメイはふと思った。
《それにしても中原って……》
一体どんなところなのだろうか?
その大きさはメイの想像を超えていた。
なにしろ、たった一年前まではガルサ・ブランカを離れたことさえなかったのだ。その間にいろいろあって、隣国のベラまでなら足を伸ばすことになったわけだが……
それさえも、ものすごく遠いところまで行って帰ってきた気がしていたのに、彼らはそれよりももっともっと遠くへ行くという。
《そういえばイービス様とかアスリーナさんとか、元気かな?》
フィンとアウラはサルトスにも立ち寄ることになっているから、二人の近況が分かれば教えて欲しいとは頼んでいるが……
《また会えたりすること……あるのかなあ……》
彼女たちが再びこちらにやって来ることなどあるのだろうか? だが王女とは普通、結婚相手の居場所にずっと留まることになる。だからこそ王妃様からその前に広い世界を見てこいと送り出されたわけで……
《だとしたら自分で行くしかないけど……》
そんなことをちらっと考えて、メイはふっと笑う。
《そんな用事なんて考えられないし!》
遠くに出かけていくことがフィンとアウラの役割だとすれば、メイの役割はこの地に留まることなのだ。
「えっとそれで王女様、午後の会議なんですが……」
「あら? 会議なんてあったかしら?」
あー、やっぱり!
「ほら、この間、続きは今日って!」
「え? あ、そうだったわね……」
「資料、グルナさんのところにありますから、見ておいて下さいね?」
「あー、今日はゆっくりできると思ってたのに……」
今はそれを果たすことに専念するしかない。
―――エクシーレからナーザが素晴らしい報せを携えて戻って来たのは、それからしばらくしてからのことだった。
シルバーレイク物語 第4巻 女王候補の見習い秘書官(上) おわり