第2章 彼女たちの時間
それからほぼ半月の後、一行は大河エストラテの下流にあるライフェンという町の領主の館に滞在していた。
先年の視察旅行ではベラ南部及び西部の地方を回ったので、今年は東部から北部に向かう予定になっている。
川を下っていくと草原地帯が尽きてだんだん乾燥地帯になっていくのだが、その先に喜びの海という大きな内海があった。そこは海と呼ばれるだけあって舐めると塩辛く、川魚だけでなく海の魚も生息していて、極めて多彩な魚介類が水揚げされることで知られていた。
ライフェンの町はその水産物輸送の中継地点として栄えていたので、今回の視察場所の一つに加えられたのだ。
さてその日メイは王女の部屋の片付けを行っていた。
《うーん……王女様って結構、散らかし屋さんよねえ……》
僅か数日の滞在なのに部屋の中はずいぶんとひっくり返っている。こういう仕事は本来コルネの役割なのだが、ここに来てお腹を壊して二日ほど寝込んでいるのだ。
だがここは純然たる王女のプライベート領域だ。おいそれと他国の侍女には頼めないので、メイにその役目が回ってきたのである。
《全く調子に乗って食べ過ぎるんだから……》
何しろこのような旅行をしていると、フォレスではまず口にできないような様々な美味しいものにありつけるのだ。メイも意識的にセーブしていなければ少々ヤバかったところだ。
それはともかく……
《ま、旅行中だからそんなに物は多くないからいいけど……》
聞くところによればグルナが初めて王女の元に来たときには、それは大変な有様だったらしい。
元々王女は、あの事件まではまさに我が儘の言い放題で、身の回りのことなど全部侍女任せだった。当然片付けなどしたことがない。だから事件のせいで侍女がいなくなってしまうと、部屋の中は完全なゴミの山になってしまったのだ。
そこでグルナに教わりながら色々覚えたので、今では身の回りのことは一通りは自分でできるのだが、そもそもがそれほど几帳面な性格ではないのである。
散らかった衣類や小物を片付け終わると、メイはデスクの上に取りかかった。ここにも本やら手紙やらが乱雑に積み上げられている。
《あー、こんなの出しっぱなしでいいのかなあ?》
手紙は大部分が王女の私信で、王妃様やロムルースとやりとりした手紙がほとんどだが……。
メイがそれらを整理して文箱に収めていると、中に妙に無粋な茶封筒に入った手紙が混じっているのに気がついた。
「あれ? これって……」
裏返してみるとハビタルにあるフォレス領事館からだ。
《公文書が紛れ込んでるのかしら?》
だったら困ったことになりかねない。そこでメイは中身を確認してみたのだが……
………………
…………
《は? セリウスさんの身辺調書?》
何でそんなものが?―――と、メイが腕組みしているところに、エルミーラ王女が戻ってきた。
「あら、綺麗になったわねえ」
ニコニコしながら部屋の中を見回している王女にメイが尋ねた。
「あのー、これって何でしょう?」
差しだされた封筒を見て王女は一瞬あっという表情になるが、すぐににま~っと怪しげな笑みを浮かべる。
「まあ、見ちゃったの?」
「ええ。公式報告が紛れてたかと思って、中を確認しちゃいましたが……」
「だったらそういうことよ?」
「えっと、でも、どうしてセリウスさんのことを?」
「そりゃあ調べないといけないでしょう?」
王女は怪しい笑みを浮かべながら答える。
《??》
メイはしばし考えたが理由が分からない。
「あのー、どうしてですか?」
それを聞いた王女が拗ねたように答えた。
「だーってえ、グルナを変な男にお嫁にやれないじゃないのぉ」
………………
…………
……
このお方はいつグルナさんの保護者になったのだろうか?
「あのー、セリウスさんなら大丈夫だと思いますけど? 仕事なんか完璧だし、すごく信頼できる人だと思いますが……」
だが王女はふっと笑う。
「甘いわよ? そういう奴こそ裏で何やってるか分からないんだから。私はねえ、グルナがみすみす不幸になるのを見てられないのよ」
何だか不幸確定みたいな言い方だが、ちょっとどういうことなんだろう?
「えーっと、でもですねえ……」
「だってほら、そんな風に騙されてた子がいたじゃない」
「え?」
それってまさか……
「確か……リザ……何とかさんだったっけ?」
「うわーっ! うわーっ!」
何てことを蒸し返す人なんだーっ‼
「ともかくグルナもみんなも私の家族同様なんだから心配して当然でしょ?」
「ええ、まあ……」
そんな風に思ってくれるということは大変嬉しいのだが……?
「それよりメイ、最近リモンの調子はどうなの?」
何だか話を逸らされたような気もするが、こちらもかなりの問題だった。
「あー、あんまり調子よくは……見えないですね」
約二週間後に大試合を控えているというのに、最近の彼女はあまり調子がいいとは言えなかった。五人抜きをした頃とは打って変わって、相手に攻め込まれてたじたじになっている姿をよく目にする。
「やっぱりそうよねえ……緊張しちゃったのかしら? 何か考えこんでいるのもよく目にするし……」
「そうですねえ……昨日も夜遅くまで一人で練習してましたが……」
正直、端から見ても彼女が悩んでいるのはよく分かる。
とは言っても試合に出ると約束してしまった以上、そう簡単に止めるなどとは言えないわけで……
「それじゃちょっと様子を見てきてもらえる? あんまり根を詰めすぎてもよくないだろうし、適度に息抜きも必要だから」
王女が心配そうな表情で言った。
このお方から“息抜き”などと言われるとまた別なことを想像してしまうのだが、今回は正真正銘の意味だろう。
「あ、分かりました」
これについてはメイもかなり気になっていたのだ。
だが武芸に関しては門外漢だ。基本的にあちらの人たちに任せておくしかないのだが……
《それじゃお菓子でも持って行ってあげようかしら?》
それが邪魔になることはないだろうし、彼女がそうするのは久しぶりだった。
《最近は若い子たちばっかりだったから……》
ガルサ・ブランカ城のお菓子配達システムは見事に機能していて、ここ最近メイが出る幕が全くなかったのだ。
そこでメイは王女の部屋を辞すると、厨房に向かった。
「あ、どーもー。こんにちわー」
「あら、メイさん、こんにちわ」
中で片付けをしていた料理人のおばさんがにこやかに答える。
メイは厨房の料理人とは既に仲良しになっていた。
何しろ所変われば出てくる料理も変わる。同じ料理でも地域によって味付けに個性がある。そんなところをつい尋ねていると、どうしても仲良くなってしまうのである。
「夕べのお魚、いかがでした?」
「あ、すごく美味しかったですがよ? フォレスじゃあんまり見ない魚でしたが」
特にこの地域は新鮮な魚が豊富で、それを贅沢に使った料理が多い。メイが知らなかった魚もよく出てくる。
「ああ、あれは傷むのが早いんで、なかなか遠くには出せないんですよ。新鮮なうちはいいんですけど」
「へえ。ちなみにどんな格好してるんでしょう」
「見ますか? こちらですよ」
おばさんは厨房の隅にある生け簀にメイを案内した。
「これですよ」
生け簀には腹が黄金色に輝く中型の魚がたくさん泳いでいた。
「うわー、綺麗ですねえ。きらきらしてる」
「古くなるとすぐ色が濁ってしまって。そうなると身が崩れてしまってダメなんです」
「冷凍してもダメなんですか?」
「あー、やっぱり解凍物より新鮮な方が段違いですねえ」
「そうですか、フォレスじゃちょっと無理ですかねー」
「フォレスまでって、あはは」
山国のフォレスでは生の魚は魔導師の冷凍輸送に頼らなければならず、そんな魚料理は超高級品なのである。
「……で、メイさん。何かご用があったのでは?」
おばさんに促されて、メイはここに来た理由を思いだした。
「あ、そうそう。忘れるところでしたー。実はちょっとお菓子とかがあれば分けてもらえないかなーって思って」
「お菓子、ですか?」
「ほら、うちのリモンさんが近々大きな試合を控えてまして、それで差し入れをしようかと思いまして……」
だがおばさんは考えこんでしまった。
「リモンさんって……あの金髪の剣士の方ですか?」
「はい。そうなんですけど」
「あの、すみません。今、ちょっと切らしてまして……これから作ってるのでは……間に合いませんよねえ?」
「いえ? そこまでして頂かなくても……」
さすがにそんな手間を取らせるわけにはいかない―――と、そこにおばさんがはたと膝を打った。
「あ、それでは町に行かれてはどうでしょう? レトラの店のプルム団子が絶品なんですけど?」
「プルム団子?」
メイはその名前を聞いたことがなかった。
「ああ、甘辛いタレに漬けて焼いたお団子なんですが、このあたりでないとなかなか食べられませんよ?」
「え? それは食べてみたい! けど……」
そこでメイは言葉に詰まる。
「お忙しいのなら、これから買い出しに行くところなんで、一緒に買って来させましょうか? 本当はお店で焼きたてを食べるのが一番美味しいんですが……」
親切な申し出にメイは首をふった。
「いえ、そうではないんですが……ちょっと大丈夫かなって思ったんで」
「何か心配なことが?」
おばさんは不思議そうに首をかしげる。
「いや、実はですね、前回来たときに襲われてしまったことがあってですね……」
メイはこの間の襲撃事件の事を話した。
「それでちょっと気になっちゃったんですが……」
ところがおばさんはびっくりした表情で答えた。
「え? あなた方を襲うなんて、ここにはもうそんな奴なんていやしませんよ?」
「ええ?」
「フォレスの王女様には、来て頂くのをみんな心待ちにしておりましたから」
「そうなんですか?」
今回は町や村の雰囲気がずいぶん違うとみんな言っていたが、メイはあまりピンときていなかった。前回は魔導大学に行っていたため視察に同行していなかったので、そのときの雰囲気を知らなかったからなのだが……
「そうですよ。うちの町にも王女様の魔法をかけて欲しいって、うちの旦那も言ってますしねえ」
??
「王女様の? 魔法?」
不思議そうなメイにおばさんがニコニコ笑いながら答えた。
「ええ。そのせいでフランがすごく裕福になったとか?」
「はいぃ?」
いったいこの人は何を言っているのだ? メイは最初は訳が分からなかった。
「いや、町を裕福にする魔法なんてないと思うんですけど……」
「え? でもその魔法でフラン織りの売り上げが二倍になったそうじゃないですか?」
それを聞いてだんだん理由が分かってきた。
《あ! 確かあれで遠くから商人が来られるようになった、とか言ってたっけ?》
あのクレアスまでの道もひどかったが、その先のフランまではもっとひどい悪路だったという。ところが王女の命令でそれを補修したことと、工事のために付近の盗賊を一掃したことにより、遠方からの買い付けに来やすくなったのだ。
《しかも大きな馬車も通れるようになったんだし》
フラン織りとは元々その品質は折り紙付きだ。
「あっはっはー。あれが王女様の魔法だなんて言われてるんですか?」
「上流から来た人が口々に言ってますよ?」
「いやまあ、何と言いますか……」
そこでメイはざっと事情を説明したのだが、おばさん今ひとつピンときていないようだ。
《まあともかくそれで歓迎されるんならいいかな?》
それにそのような事ならこちらでもやっている。
視察旅行ではまず領主の館で謁見が行われる。そこで地元の人々から色々な話を聞いて、この地域の問題点と改善策を考え、首長ロムルースの名で発布するのだ。
地域ごとに状況は様々だからフランのように劇的な例はそこまではないが、少なくとも今までが悪すぎた。どこの地域でもそれなりの改善は見られているのだ。
《だったらここにも魔法が少しくらいはかかるかも……》
昨日の会議で出ていたのだが、ここは広い土地はあるのだが雨が少ないためによい耕地にならない。そこでエストラテ川から水を引いて用水路を作ったらどうだろうというような話が出ていたが……
「……そんな風に王女様もロムルース様も、色々と考えてらっしゃいますので、ここももっとよくなっていくと思いますよ?」
「そうでしょうか?」
「はい。エクシーレともこれから仲良くしようって言ってますし」
「あは。そうですね」
あんな戦争がなくなれば、そのぶん豊かになれるのは間違いない―――ともかくそんな状況ならば町にそのプルム団子とやらを食べに行っても、全く問題はなさそうだ。
そこでメイは料理人のおばさんと別れると、今度は庭の親衛隊のところに向かった。
今日は王女の外出や謁見がないので護衛を担当する親衛隊も暇だ。
そんな場合は大抵リモンは親衛隊に混じって訓練を行っているのだが、今日はガリーナだけで彼女の姿が見えなかった。
メイはガリーナに尋ねた。
「あれ? えーっと、リモンさんは?」
「ああ、リモン殿なら今日は来ておりませんが?」
「え? どうかしたんですか?」
「いえ、ほらやはりあの試合のことでいろいろお悩みの様子なので、隊長殿が……」
それを聞いて、横にいたロパスもうなずいた。
「ああ。何かテンパってるみたいだったんで、今日は休ませたぞ?」
どうやらみんな同じように感じていたらしい。
「ああ、それ、王女様も心配してらしたんですよ。それで私もちょっと気分転換なんかはどうかなって思って来てみたんですが」
「気分転換か? それもいいが、どんな?」
ロパスの問いにメイが答える。
「はい。さっき厨房で聞いてきたんですが、何でも町にプルム団子とかいう美味しいお団子があると……」
その瞬間、ガリーナの表情が変わった。
「え? プルム団子が?」
「あ、はいっ」
その勢いにメイは少しばかりたじろいだ。それに気づいたガリーナが赤くなる。
「あ、すみません。いや、ちょっと好物なもので……」
「あはは。そうだったんですか。じゃあガリーナさんも一緒に来ます?」
「え? 構わないんですか?」
「こちらは全然構いませんが……」
横で聞いていたロパスが笑いながら言った。
「ああ、構わんぞ。行ってこい」
ガリーナが満面の笑みになる。
「ありがとうございます! では行きましょうか」
そう言って彼女が先立って歩き出した。心なしか足取りがはずんでいる。
《あはは! よっぽど好きなんだな……》
先行くガリーナはすらりとしてすごく大人びて見えるが、実はメイと同い年である。こんな姿は親しくならないとなかなか見えてこない一面だ。
二人はリモンとガリーナの居室に向かった。
この領主の館では二人部屋なので、彼女たちは同室だった。
リモンは自室のベッドにうつ伏せに寝転がって、何やら考えこんでいる様子だった。
「こんにちわー」
声を聞いてリモンが顔を上げる。
「あ、メイ? それにガリーナ? どうしたの?」
「いや、それほど大した用事でもないんですが……天気もいいし、ちょっと気分転換に町に出かけませんか」
「町に?」
リモンはやや気乗り薄といったようすだったが……
「ええ。そこにプルム団子ってすごく美味しいお団子があると聞きまして」
彼女の眉がピクリと動く。
「プルム団子?」
それに答えたのはガリーナだった。
「はい。まあ一言でいえば焼き団子なんですが、それにかかっているタレがこの地域でないとできない特別なものでして、すごく香ばしい香りがするのですよ」
「そうなの?」
メイも詳しくは知らなかったがうなずいた。
「みたいなんですけど、私も食べてみたくって。どうですか?」
「分かったわ。行く」
リモンがにっこり笑ってベッドから体を起こすと、ふぁさっと長い金髪がゆらめいた。
前にも言ったが彼女は実はかなりの食いしん坊で、結構食べ物で釣ることができるのである。
「ちょっと待っててもらえる?」
リモンはまだ部屋着のままだ。もちろん女子の支度に少しばかりの時間がかかるのは世の常だ。
「いいですけど……あ、それじゃ髪の毛、結ってあげましょうか?」
「え? ああ……」
そこでリモンがメイクをする間にメイが彼女の髪を結い始めた。
「久しぶりですねえ」
「そうねえ」
昨年の冬、メイが王女付きになってすぐの頃、彼女はリモンに色々と仕事を教わっていた。
だがその頃はリモンが退院したてで、まだ背中の傷が突っ張って手を後ろに回すとかなり痛んでいた。そこでメイがずっと彼女の髪を結ってあげていたのだ。
その後メイが留学から帰った頃にはリモンも完全治癒しており、またメイは秘書官の、リモンは護衛官としての役割につくことになったため、そんな機会も自然になくなっていたのだが……
《でも、あの頃はこんな風になれるなんて思ってもみなかったけど……》
初めて彼女を見たとき、彼女はまさに雲上人であった。
リモンはメイより二年ほど先輩の侍女で、厨房の下働きだったメイとはほとんど関わりがなかった。そのため怖い顔をした金髪のメイドさんがいるな、くらいにしか思っていなかった。
彼女の事を意識し始めたのは、コルネが王女付きになって以来のことだ。
コルネが休みのときにはいつも二人で帰っていたのだが、そんなときよく彼女がリモンに全力グーで殴られたとか泣き言をこぼしていたのだ。
《あの子、言うことが大げさだから……》
最初はもうどんな暴力メイドかと思ったものだ。
だが話をよく聞いてみると、リモンが虐待をしていたのではさらさらなく、単にコルネがドジを踏んだところを見つかってはぽかりとやられていただけなのだ―――しかも一緒に後始末を手伝ってくれたりとか、もしかしてとてもいい先輩なのではなかろうか?
だが当時からかなり力は強かったらしく、本人は軽いつもりでも、叩かれた方はかなり痛かったのは確からしい。聞けば父親が兵士だったらしく、そんな父譲りの腕力と運動神経が今の薙刀の技に役立っているのは間違いない。
メイには姉妹がいなかったので、こういう“お姉さん”というのにはちょっと憧れていた。
《羨ましいって言ったら、あの子真顔で怒ってたけど……》
どう見てもダメなのはコルネの方だったのだが―――そんなわけで、彼女があちらこちらで悪く言われているのを知ったとき、メイは理由が分からなかった。
確かに自分から王女付きを志願するというのは、あの頃なら変わり者と見られても仕方はなかった。だがグルナは王女付きがもっと長いのにそこまでひどくは言われていない。
その訳が分かったのは彼女がある小さな事件を目撃してからだった。
―――そのときメイは上のフロアに夜食を持っていった帰りだった。厨房へ続く廊下の曲がり角に差し掛かかると、先方から言い争いのような声が聞こえてきたのだ。
角から顔を出して見ると、若い侍女が古参の女官に叱られているところだった。
「まったくどういうつもり? あのあとお客様をどれだけ待たせたと思うのよ?」
「すみません。でも……」
「いちいち口答えするんじゃないわよ! あんたのせいでこちらまで大迷惑なのよ!」
それはメイにとってもそうだった。廊下の真ん中でそんなことをされると困ってしまうのだが、脇をすり抜けてもいいのだろうか? 回り道して行くとすごく遠いし―――そんなことを考えているところに通りがかったのがリモンだった。
彼女は曲がり角でたたずんでいるメイを不思議そうに眺めたが、すぐその先で起こっていることに気づいた。
だが彼女はそのまますたすたとそちらに向かって行くと、廊下を塞ぐように立っていた二人の侍女をじろっと見た。
それに気づいた古参の女官が言った。
「なによ?」
「どうしたんですか?」
リモンの問いに古参は答えた。
「この子が部屋の支度をしていなかったから、お客様をずっと待たせなければならなかったのよ」
リモンはならば仕方がないといった表情で若い侍女の方を見た。だが彼女は両手を握りしめ、涙声で抗弁した。
「支度はしました! ご夫婦だっていうから大きなお部屋を……」
それを聞いた古参が言う。
「だから誰も夫婦なんて言ってないでしょ? いつ私が言ったの?」
「でもリメール様と奥方のためにお部屋をって……」
「リメール様とラバドーラの奥方は全く関係ないでしょ? たまたま今日お城に泊まられるだけで。それなのにあんなスイートを用意したりして」
「そんなこと……」
若い女官は口ごもる。
そこにリモンが口を挟んだのだ。
「そんな言い方をしたら誰だって勘違いしませんか?」
「え?」
古参は驚いてリモンの顔を見る。
だが彼女は古参の顔を正面から見据えると言った。
「お客様に割り当てる部屋はあなたが決めるんじゃなかったんですか? どうしてちゃんと教えてあげなかったんですか?」
今度返答ができなくなったのは古参の方だ。
確かに彼女が誰はどの部屋と具体的に指示しておけばこんなことにはならなかったわけで……
「そ、そんなこと言われなくたってきちんとするもんでしょ?」
だがリモンは黙って古参をじっと見つめる。
古参は一~二歩下がると若い侍女を見て……
「とにかくもうあんなことしないでよ」
そう言うと去って行った。
だが彼女は分かれ際に明らかに他人に聞こえるようにつぶやいた。
「ふん。王女様の“お気に入り”だからって!」
その“お気に入り”を嫌な感じに強調したのはメイにも分かった。だがリモンはちょっと歯を食いしばったように見えたが、何も言わなかった。
「あの……」
若い侍女がおずおずとリモンに話しかけようとする。だが今度はリモンは彼女を見つめるとぴしりと言った。
「あなたももっと注意しなさい。どんなお客様が来ているかとかは」
「は、はい……」
そしてふっと微笑みかけると、そのまま彼女もすたすた行ってしまった―――
その一部始終を見ていたメイは理解した。
リモンは彼女よりは年上とはいっても、その古参に比べたら娘のような年齢だ。その娘にあんな風に言われたら確かに腹も立つだろう。多分彼女はどんな相手にもあの調子なのかもしれない。だったら悪口を言われるのも仕方ないが……
実際、今から考えたらもう少し大人の言い方があったようにも思う……
だが、少なくともメイはそのとき彼女がすごく格好いいと感じたし、同じように思っていた娘も多かったのだ。
それから彼女はかなり意識してリモンを見るようになっていった……
《ってところにあれだったんだけど……》
コルネにケーキを持って行ったら、何故かお茶会になってしまった事件だが……
それ以来ちょくちょくリモンとは話をする機会ができたのである。
―――だが、彼女と本格的に親しくなったのは例の“相乗りの提案”以降のことである。
あのときはコルネのことで頭がいっぱいで、リモンの事などほとんど考えてはいなかったのだが、彼女も超然としていたようでやはり内心では気にしていたのだ。
相乗りが始まってしばらくして、コルネがメイに一冊の本をくれた。
それは前々からメイが欲しいと思っていた、大聖の末裔たちの伝説を集めた本だった―――あの“始まりの物語”の編者が書いたものなのだが、本なんて贅沢品だ。高くてちょっと買うわけにはいかない。
彼女が驚いて理由を聞くと、それはグルナ、リモン、コルネの三人が王女様への誤解を解いてくれたお礼にと、お金を出し合って買ってくれたのだという。そしてそれを発案したのがリモンだったのだと……
メイはこんな形でプレゼントをもらったのは初めてだった。少なくともそれまでの人生の中で一番嬉しかった出来事のひとつだった。
そこでまたそのお礼にお菓子を持っていったのだが、そのときたまたま一人でいたのがリモンだった。彼女は喜んでお菓子を受け取ってくれて、メイのためにお茶まで入れてくれた。
それがきっかけでリモンとは行けばしばし雑談をする仲になったのだが―――何しろ二人の間にはコルネというこの上もない共通の話題がある。
メイにとってもそうだったのだが、リモンにとってもコルネはダメな妹のようなものだったらしく、彼女を肴にお茶を飲むのはこの上もなく美味しかった―――王宮にフィンとアウラがやってきたのは、それから二年ほど後である。
「メイ殿は何か嬉しそうですねえ」
え? 何か顔に出てたか?
「え? いえ、別にそんなわけじゃ」
メイは慌ててごまかすが……
「この子ってときどきそんな風に一人でニヤニヤしてることがあるのよ」
「えーっ」
リモンはけっこう観察眼も鋭かった。
ともかくそんなこんなで準備が整った。リモンは立ちあがると枕元に置いてあった薙刀を手にする。
「それ、持ってくんですか?」
「持っていかないと様にならないじゃないの」
「そうですけど……」
リモンとガリーナは親衛隊の制服姿だが、確かに武器がないと何だか様にならない。
《ま、いっか……》
こうして三人は町に向かった。
ライフェンの領主の館は町外れの低い丘の上なので、坂を下ったらすぐに町の通りだ。
しかし道行く一行の姿はちょっと浮いていた。
「うわあ、何だか目立ってますねえ」
メイがいま着ているのはフォレス風のメイド服だ。しかも王女付き用なので仕立ても高級な上、肩口には大きくフォレスの紋章が縫い付けられている。その上、両脇に親衛隊の女性制服をぴしりと着込んだ二人が、薙刀を担いで付き従っているのだ。
道行く人々が何やら奇異の眼差しで一行を見ているのだが……
「これじゃまるで私が護衛されてるみたいじゃないですか」
だがリモンが答える。
「メイだってもう重要人物じゃないの。色々と国家機密も知ってるみたいだし」
「そこまで大層なものはまだ知りませんって!」
うーむ、これだったら私服で来た方が良かったのだろうか? などと思っていると……
「それでそのレトラの店とは?」
ガリーナが尋ねた。
「あ、川岸の方に行けばすぐ分かるって言ってましたが……」
とは言っても根本的にこの街の地理がよく分からない。
そこであたりを見回すと、近くに人影が見えた。
「ちょっと聞いてきます」
メイがたたたっとそちらに向かうと、門扉の陰に男が立っていた。
「あのー、すみません。川岸の方にあるレトラの店ってご存じですか?」
「うえっ!」
尋ねられた男はなにやらひどく驚いているのだが……?
「あのー……」
「レ、レトラの店、ですか?」
男が吃りながら答える。
「はあ。そうですけど」
「それだったら……その角を曲がってまっすぐ行けば」
「あ、どうもありがとうございます」
そう言ってメイはお辞儀をしたのだが、男は返事も早々に駆け去ってしまった。
??
「何か私、失礼なことしてました?」
「さあ……」
戻ったメイが尋ねるが、リモンもガリーナも首をかしげるばかりだ。
ともかく一行は男に言われたとおりに歩いていった。
そうしてしばらく行ったときだ。前方から男が三人やって来るのが見えた。
三人ともとても立派な体格をしていたのだが―――いきなり彼らが前に立ち塞がったのだ!
メイはそのまん中の男に見覚えがあった。
《え? あの人って……》
男がぎろっと睨むが……
「あーっ! あのときのーっ!」
思わずメイは男を指さして叫んでいた。
「誰?」
リモンが横目で尋ねる。
「あの、川で船に乗ってきた人ーっ!」
「なんですって?」
リモンとガリーナの顔色が変わる。
確かにそうだ! あの川遊びのときに王女を襲おうと船縁から上がってきて、メイを川に放りこんだあの刺客ではないか‼
《もしかして……嵌められたーっ?》
あの厨房の料理人は町は安全だと言っていたが―――実は彼女たちをおびき出す罠だったのか?
リモンとガリーナが薙刀の鞘を抜こうとした、まさにそのときだった。
「ど、どうかお助けくだせえーっ!」
彼女たちの前で男たちが三人まとめて土下座したのである。
………………
…………
「えっと、あの?」
メイはわけを尋ねようとしたが……
「どうか命ばかりは!」
「本当にあのときはすんませんでしたーっ」
「一家皆殺しだけは許してくだせえ」
「えっと、ちょっと何ですか? いったい……」
メイが再び尋ねるが……
「こいつ、悪い奴に騙されてただけなんでさ」
「心から反省してるって言ってますんで」
「こんな奴でもおっ母と子供がいるんでさ。そいつらには罪はありましねえだあ」
彼女の言葉を聞いてもいない。
そこで業を煮やしたリモンが、薙刀の石突きをがんと地面に突きたてる。
「あなた方、いったい何しに来たんです!」
その剣幕に男たちはほとんど腰を抜かす。
それから右の男が刺客を指さしながら尋ねた。
「え? それじゃ……こいつを一族もろとも成敗しに来たんじゃ?」
「はあぁ?」
三人は顔を見合わせた。
「何だか本気で怯えてますね」
「うん」
「何か誤解があるのではないでしょうか?」
確かにガリーナの言うとおりだ。そこでメイはまた尋ねる。
「あのー、私たちがそんなことをしに来るわけないじゃないですか?」
「え? そうなんですか?」
刺客の男が目を丸くする。
「だってあなた、もう罪は償ってるんでしょ? すごく痛い鞭打ちだったみたいだけど」
あのサルトス流の鞭打ちというのは、思い出すだけでも鳥肌が立ってくるのだが……
「……へえ」
「じゃあもうチャラじゃないですか」
それを聞いて男たちはしばらく黙りこみ、それからおずおずと尋ねる。
「それで……構わないんで?」
「もちろんですよ」
「じゃあどうしてそんななりで……」
男がリモンとガリーナを指して言う。
「いや、単にこれが制服だから着てるだけなんですけど? 私たちちょっとプルム団子を食べに来ただけで。レトラの店のが美味しいって聞いて」
男たちは顔を見合わせると、弾かれたように立ちあがった。
「レトラの店? もちろんでさ。それじゃあ、ご案内しますから」
「え? いえ、場所さえ教えてもらえばそれでいいんですが……」
「いや、そこなら行きつけの場所ですから!」
男たちは先だって道案内をし始めた。
メイ達は顔を見合わせるが、こうなったら彼らに付いて行くしかない。そしてその道すがら詳しい話を聞いたのだが……
《それにしてもひどい誤解じゃないの……》
やってきたのはあのときの刺客と、その兄弟だった。彼らはエストラテ川で漁師をしていたが、そのせいで泳ぎが上手く、ベラの反王女派に目をつけられたらしい。
純朴な漁師たちは彼らの口車に乗せられて王女暗殺に加担したのだが、真相を知って心底後悔していた。そこに今回の視察である。やってきた王女一行の中に、あのときの“小さなメイド”と薙刀使いが二人もいるのを見て、男たちは仰天した……
「どーしてですか?」
何でこんなに怯えられるのだ?
「だって、フォレスの王女様にはおっかない女薙刀使いの護衛がついてるって」
「あ、確かにそれはそうですけど?」
アウラのことならまあその通りと言っていいが……
「その女ってもう、言い寄ってきた男九十九人の首を刎ねてるんでしょ?」
「はあぁ?」
以前ガルガラスたちがそんな話をしているのを聞いたことがあるが―――アウラの噂は何やらずいぶん歪んだ形で流布しているらしい。
「そいつらって女にしか興味がなくって、だからあんたをひどい目にあわせたこいつを、絶対に容赦しないって……」
………………
いや、あながち間違いでもないのだが―――いや、どうして複数形になってるんですか?
「えっと誰がそんなこと言ってるんですか?」
「みんな言ってまさ」
要するに彼らはメイが、そんな恐ろしい薙刀使いを連れて仕返しに来たと思っていたのだった。
「だーかーら、そんなことしませんって! 何度も言うけど、あなたもう罪は償ったんでしょ?」
だが男は首をふる。
「国長様が許してくれたって、あんたが許してくれるとは限らんじゃねえですか?」
はあ? そんなに執念深い女だって思われていたわけ?
「いや、そんな仕返しをやり合ってたら収拾がつかなくなるんで、法律ってのが決まってるんです! だから大丈夫です。心配しないで下さいっ!」
メイの剣幕に男たちはともかくうなずいた。
《うー。何なの? これ……》
だがメイもそのあたりについてはつい先日魔導大学で習ったから分かっていたわけで、もしそうでなければ彼らと同じようなものだったかもしれない。
《こういう基本って学校で教えてあげた方がいいんじゃないかしら?》
だがベラには私塾のようなものはあるが、メイの通った無償の学校のようなものはないようだ。
《そのあたりも王女様に言っておいた方がいいのかな?》
メイがそんなことを思っていると―――前の方からぷ~んと香ばしい香りが漂ってきた。
「ああっ、これですこれですっ!」
ガリーナが嬉しそうに声をあげる。
一行は川岸の波止場の近くまでやってきていた。そこに一軒のやや煤けた店があって、その香りは煙と共にそこから流れ出していた。
彼らが近づくと中から店主らしき中年女性が飛びだしてきて、男たちに尋ねた。
「あんたら、どうだったね?」
「いや、だいじょうぶでさ。レトラ姐さん」
彼女はほっとした表情で、後に続いていたメイ達を見る。
「こちらのお方が?」
「へえ。どうも本当に団子を食いにいらっしゃったようで」
レトラははあっとため息をつくと、男たちを叱り始めた。
「だーかーら、言ったでしょうが! バカかね? 本当にあんたたちは!」
聞けば兄弟たちはこの店の常連だったそうで、今日も昼間からたむろしていたらしい。そこに領主の館から厨房の下働きがやってきて、これからメイ達がここにやってくるという話をして行ったのだ。
《ああ、確か買い出しに行くって言ってたもんね……》
あの厨房のおばさんが気を利かせてくれたのだろうが―――それを聞いた男たちはくだんの理由で仰天し、それが本当かどうかと見張りを立てていたら、メイ達がかような格好で現れたためにこんな騒ぎになったのであった。
《あー、もう何ていうのかしら……》
ため息しか出てこないが―――そんなことよりも今の彼女たちにはもっと切実な問題があった。
「あのー、それでお団子頂いていいですか?」
この香りを我慢するのは、もう辛抱が堪らないのだが。
「もちろんですよ。さあどうぞ」
レトラがにっこり笑った。
店の中はあの香ばしい香りが充満している。
《うわー、よだれが出そう……》
見るとリモンもガリーナも既に待ちきれないという表情だ。一皿ずつではどう考えても食べ足りなそうだ。そこでメイは尋ねた。
「あ、そうそう。これって一皿おいくらですか?」
まあ、二~三皿くらいならお金が足りないなんてことはないだろうが―――ところがそこに男が割りこんだ。
「いや、お代なんてとんでもねえ」
「え?」
「あっしらが奢りますんで。好きなだけお上がりくだせえ」
「え? でも……」
「せめてものご恩返しで」
いや、そっちが勝手に誤解してただけのような気もするのだが……
「いいんですか?」
「はい。もちろん」
そこまで言うのならそのご厚意に甘えようか?
と、そこに焼きたての団子が皿に盛られてきた。
「ではいただきます」
「はい、どうぞ」
メイはそれを口にして―――思わず頬が緩んでくるのがわかった。
リモンはもう二つ目を口にしているし、ガリーナは……
「あはは。思い出しますねえ……小さいころ、母にこれを買ってもらうのが楽しみで……」
と、何やら感極まったという表情だ。
「ガリーナさんの実家ってこのあたりなんですか?」
「いえ、もう少し上流なんですが。でも川の畔で、村にこれを焼いてるお店があったんですよ。でもハビタルに出た後はなかなか食べられなくって……」
「ええ? ハビタルじゃ売ってないんですか?」
それを聞いたレトラが答える。
「ああ、何か田舎のお菓子って思われてるんじゃないでしょうかねえ」
「そんな、もったいないですよ……絶対支店を出したら人が入ると思うんだけど……」
「そうですか?」
「フォレスから来た私がそう言うんですから間違いないですよ! 何だったらガルサ・ブランカ支店でもいいですよ。絶対食べに行きますから!」
「あはは、ありがとうねえ」
わりと商売っ気のないおばさんのようだ。
《うーん。でも結構いい商売になりそうなんだけど……》
こういう名産品をもっと広めるのも、町の繁栄につながると思うのだが……
「あ、おかわり、いいですか?」
その間にリモンはぺろっと一皿平らげていた。
「あ、私も」
ガリーナも負けじと追加を頼む。
《あはははー。ここで大食い競争にならないといいけど……》
二人とも大柄だし普段の運動量も半端ないので、相当の大食漢なのである。
そんな風に雑談しながらお団子を食べていると、ガリーナがぽつっと言った。
「そういえば私がこの道に入ったのも、これがきっかけでしたか……」
「この道って、薙刀を始めたことですか?」
メイの問いにガリーナが答える。
「そうです。最初のきっかけは母とこのプルム団子を食べに来たときでしたよ。すると村の広場で薙刀の試演が行われてたんです」
「へえ」
「やってたのは地元の道場の人たちだったんですが、それがすごくカッコ良くって。それで母にせがんで道場に通わせてもらったんです」
「そうなんですか」
「そこで運良く強くなれまして、全国大会でいい成績を取れたおかげで、後宮から警備をしないかと口利きがありまして……それでハビタルに出ることになったんですが……」
「え? ベラの全国大会に?」
「はい」
いや、やっぱり彼女はただ者じゃなかったわけだが……
「でもやっぱり試合が近くなったら夜も寝られませんでしたねえ」
それを聞いたリモンがぴくりとしてふり返る。
ガリーナは懐かしそうな笑みを浮かべながら続けた。
「全国の選手を相手に自分の力が通用するかどうかとか、考え出したらキリがありませんしね」
リモンがガリーナを見ながら小さくうなずく。
「そんな迷いを吹っ切れるかどうかが大切なんですが……なんて言うは易しですしね」
確かにそれはそうなのだろうが……
「これは私の場合なんですが……試合が近づいてきて、何かもう食欲もなくなってきて、でもそれではいけないと思って村に出たら、ちょうどこれの匂いがしてきたんです」
「あは、それで食欲が出てきたと?」
「まあ、それもありますが、そのとき小さな女の子がこれを食べてたんですよ。それを見たときふっと薙刀を始めたきっかけを思いだしたんです。あのときの演武がすごくカッコ良かったことを……」
「はい」
「それで思ったんです。もし今の自分をかつての自分が見たらどうだろうって。カッコいいって思ってもらえるだろうか? って……だからその子のために戦ってやろうって思ったら、何だか迷いが消えて……」
「そうなんだ……その子のために、ね……」
それまで黙って聞いていたリモンがふっとつぶやいた。それからガリーナに微笑むと言った。
「ありがとう。ガリーナ」
ガリーナはばつが悪そうに首をふる。
「いえ、ただの独り言ですから」
「でも聞こえちゃったから」
そう言ってリモンは笑った。その表情は何かが吹っ切れたようにも見える。
《やっぱり同じ道を志してる人は違うのよねえ……》
同じ経験をしている人だからこそ、その言葉に重みがある。
ガリーナが来てリモンにもいい刺激になっているようだ。
―――三人がそんな話をしていると、今度はジュウジュウと肉が焼けるような音と香りがしてきた。それがまた食欲をそそるのだが……
「あれ? もうこんな時間?」
外を見るともう日が陰り始めている。
「そろそろ帰らなければ」
三人は立ちあがった。テーブルの上には空になった皿が一ダースは乗っている。それを示しながら横にいた男たちに尋ねる。
「あの、これ、美味しかったんでつい頼んじゃいましたが、本当にいいんですか?」
「も……もちろんですよ。あははは」
その様子ではけっこう懐に痛かったのでは? とも思ったのだが、ここはご馳走になっておくことにした。
こうして三人は慌てて領主の館に戻ったのだが……
「心配してたのよ? 何かトラブルがあったんじゃないかって」
三人の帰りがあまりにも遅いので王女やロパスが案じていた。
「いえ、少々予想外のことはありましたが、別にトラブルってわけじゃなくって……」
メイの説明を聞いて王女があきれ顔で言う。
「それで三人で十二皿も?」
「あ、まあ……」
「ふふっ。よっぽど美味しかったようね?」
「え? それは本当に……あ、それに夜になったら同じようなタレで肉や魚を焼いて出したりもしてるみたいで。それもすごく美味しそうでしたが」
と、メイはうっかりそう答えてしまったのだが……
「まあ、そうだったの? だったらそれは確かめないといけないわ。上に立つもの、人々の暮らしのことも知っておかないと……」
「え?」
王女がにたーっと笑った。
「じゃあ明日にでも案内してね」
しまったあああ!
「エルミーラ様? またお忍びに行かれるおつもりですか?」
横で聞いていたロパスが青い顔で尋ねる。
「別に、居酒屋だったらみんなで行けるからいいじゃないの」
「えっと、しかし……」
「ルースにも言っとくから。じゃ、そういうことでっ」
王女はウキウキした足取りで行ってしまった。
「メイ殿~~~っ!」
呆然とした表情のロパスがメイを睨む。
「うわー、すみません。すみません!」
だがこうなった以上なるようになるわけで―――その翌日、レトラの店ではどこからかやってきた旅の娘が大騒ぎをすることになるのだった。
ちなみにコルネはまだお腹が治っていなかったので連れていってもらえなかった。