第3章 剣術御前試合
そしてついに試合の日がやってきた。
《うおー……何か広い~っ!》
エストラテ川が喜びの海に流れ込む河口付近、アウローラの波止場の沖に浮かぶ三角州に立って感じるのは、まさにその一点だ。
メイの育ったフォレスは山国なので空は狭かった。彼女にとっては見わたせば山や森が見えるというのが当たり前だった。
だがここには何もない。
喜びの海の方向には水平線以外何も見えない―――白き湖の湖畔にはよく立って、その水面は果てしなく広いように思っていたのだが、それでもその向こうには雪渓を頂いた高い峰々が聳えていた。
だがここではどちらを見ても何もない。
この付近ではエストラテの川幅は広く、対岸の波止場でさえ黒い染みくらいにしか見えないのだが、その先の陸地にも盛り上がりという物がないのだ。
先日滞在したライフェンでも、川岸はゆるい丘陵になっていて森や畑が広がっていたのだが、ここにはそのような起伏がまるでなく、とにかく平べったいのだ。
《でも、おかげで朝焼けは本当にすごかったけど……》
彼女たちの今いるアウローラの領主の館は五階建てで、この地域では一番高い建物だ。その窓から水平線上に昇ってくる朝日を見たときには、メイも思わず息をのんだ。
《王女様もすごく気に入ってたみたいだけど……》
そのあと魔導師に頼んでもっと高空から見せてもらったりもして、城を作るのならこんな所に十階建てくらいのを作りたいとか言いだしているのだが……
《絶対すぐに飽きるって思うんだけど……》
メイはやっぱり山とか森が見える光景の方が心が落ちつくのだが―――リモンの試合が行われるのはこのような場所だった。
中州にはたくさんの天幕が建っていた。その中のひときわ目立つ三つがロムルース、エルミーラ王女、セヴェルス王子の天幕だ。
中央には四隅に柱が建てられた試合場ができていて、その周囲には観覧用の幕屋が仕立てられている。そこはもう見物人だけでなく立会人も席に着いており、いつでも試合が始められる状況だ。
《そろそろね……》
メイはフォレスの天幕に戻った。
中ではエルミーラ王女が黙って手を組んで座っていた。その横にグルナとコルネもいるが、二人とも落ち着かない様子だ。
「大丈夫かなあ、リモンさん……」
コルネが心配そうに尋ねる。
リモンは選手用の天幕なのでここにはいないのだ。
「大丈夫よ。あんなに練習してたんだし」
「そうよね……」
気休めとは分かっていてもそう答えざるを得ないが……
今回の試合はトーナメント制で参加者は八名。ベラとエクシーレからは三名ずつ、フォレスからはリモンの他に、同行していた親衛隊メンバーでは最強のドミトールが出場する。
昨夜の前夜祭のときメイも参加選手を間近で見る機会があったのだが……
《なんかもう怖かったし……》
何しろ全員リモンよりも一回りも二回りも―――メイとならば三回りも四回りも大きな男達なのだ。
しかもその全員が一国を代表するようなトップ剣士だ。びりびりと張りつめた気がメイにさえ感じられて、息が詰まりそうだった。
《その上くじ運が悪いのよねえ……》
そこで組み合わせの抽選が行われたのだが、リモンはいきなりの第一試合だ。そのうえ相手はエクシーレのアフタルという剣士で、優勝候補と目される一人だった。
メイだったら間違いなく緊張でぶっ倒れているに違いない。
《でも結構リモンさん、落ちついてたわよね……》
彼女が見る限り、リモンは淡々とその結果を受け止めているようだった。だとすればメイにはもう応援することしかできないわけで……
―――そんなことを考えているうちに、天幕の外でゴーンと銅鑼の音がした。
それと共に……
「国長様のー、ご入場ですー」
そんな声が聞こえてくる。ついに開始の時間だ。メイ達も立ちあがって準備をする。
やがて王女入場の銅鑼が鳴り、一行は天幕から出た。
王女の周囲をまたメイ達が取り囲むが、今回はリモンがいないため後ろの護衛はガリーナとロパスである。
試合場の正面には王族が観戦するための豪華な幕屋がしつらえられていて、その中央にロムルースが座っている。王女一行がその左側に陣取ると、今度はセヴェルス一行が入ってきて右手の席に座った。
一同が席に着き終わると、彼らの前にがっしりとした老人が現れた。立会人を務めるベラ軍の最高司令官、モルスコ将軍だ。
一礼をすると将軍は厳かに言った。
「それではこれより、ベラ首長国、エクシーレ王国、フォレス王国による、三国対抗剣術大会を開催致しまする。選手達はこれより前へ」
それと共に後方の選手用天幕から、八名の出場者達が現れた。
観戦者たちから低いどよめきがあがる。
もちろんそれは屈強な男達の中の紅一点―――彼女の場合は黄一点か? のリモンに対してのものだ。
《うわあ……》
メイの胃が縮こまっていく。だが……
「リモン殿、落ちついてらっしゃるようですね……」
ガリーナがつぶやいた。
メイは思わずふり向くと尋ねた。
「大丈夫そうですか?」
「それは……」
ガリーナも請け合うことはできなかったが……
「でもあれなら、もしかして……」
緊張して固くなってしまうと、実力を出し切れずに負けてしまう。厨房で初めてのディナーを任されたとき、そんな大失敗をしかかったことがあるので、そこだけはメイにもよく分かる。
《でも平常心でいられるっていうのなら……》
親衛隊を五人抜きしたリモンを見たときには、まさに胸のすく思いがしたが……
《もしかして……ちょっと期待していい?》
またあんな快挙が見られるのか? だったら嬉しいなんて物ではないのだが―――そんな調子で息をのんで見つめている間、モルスコ将軍が試合のルールを説明していた。
「……試合は三本勝負で行われる。それぞれの得物は飛び道具でなければ何でもよい。場外に出た場合は一本となる……」
それが終わると、昨夜決まった組み合わせ表が掲げられた。
「では始める前に、国長様よりのお言葉がございまする」
それに応じてロムルースが立ちあがった。
「お前達、よく来てくれた。ここにベラ、エクシーレ、フォレスの剣士が揃うというのは、まさに画期的な出来事である。我らはこれまで様々な確執を抱えて相争ってきたが、今はそのような過去に囚われるのではなく、新しい未来に向けての第一歩を踏み出すときである。従って勝負の結果がどうあれ遺恨を残すことなく、正々堂々と互いの技を競い合って欲しい。以上だ」
あたりから盛大な拍手がわきあがる。
この挨拶はもちろん昨夜エルミーラ王女などと一緒にあれこれ考えたものだが……
《あはは。これだとロムルース様でもちょっとカッコいいかも……》
本来ならばベラの国長様というのは都の大皇と並び立つべき立場の人なのだが……
―――そうこうしているうちに、選手一同は後方の選手席に下がり、第一試合の準備が始められた。
「それでは第一試合を行います。まずはフォレス王国、リモン殿ーっ」
あたりから盛大な拍手がわき上がる。
その中を薙刀を手にしたリモンがすたすたと歩いてきた。
《本当に落ちついてるみたい……》
少なくともメイにはそう見えた。
「対しますはーっ、エクシーレ王国アフタル殿ーっ。両者前へーっ」
その声とともに出てきたアフタルは、体つきこそ男たちの中では普通だが、その眼光は飛ぶ鳥を射落とさんとするばかりの凄まじさだ。
両者が手にしているのはもちろん真剣ではなく試合用の木剣であるが、まともに当たれば骨の一本くらい折れてしまうのは間違いない。
《うー……やっぱり大丈夫かなあ……》
だがもはや彼女には祈ることしかできない。
二人は並んで眼前の王族達に一礼をすると、開始線に立って向かいあった。
あたりのざわめきが鎮まっていく。
「始めっ!」
審判員の声が響きわたる。
それと共にリモンがすっと右の中段に構えた。同様にアフタルも中段に構えてしばし睨み合う。
《うわー……》
自分の心臓がドキドキ鳴っているのが聞こえてくる。
先に動いたのはリモンだった。じりじりと間合いを詰め始めたのだ。それに呼応するように相手も間合いを詰めていき……
「イヤアッ」
パシーン!
そんなかけ声と共にリモンが右の袈裟懸けで斬り込んだところを、相手が受け止めた。
次の瞬間、ハアッというかけ声と共にリモンが相手の左小手を狙ったが、アフタルは素早く身を引いて再び遠い間合いで対峙した。
それからまたしばしの睨み合いが続き、またリモンが間合いを詰めていくと再び袈裟懸けに斬り込んだ。アフタルはまたそれを受けたのだが……
「あっ!」
メイは思わず声が出ていた。アフタルが受けた瞬間に一気に踏み込んで間を詰めようとしたのだ。
だがその瞬間リモンは身を沈めぎみにアフタルの足を払っていた。
「おっ!」
アフタルが思わず声を上げて、及び腰ぎみに後ろに下がる。どうやらリモンの剣先が足をかすめたらしい。だがあまりにも浅かったので一本にはならなかった。
《これってもしかして……》
メイは希望がわいてきた。だが……
二人が再び対峙して、またリモンが斬りかかっていった瞬間だ。
アフタルはその刃をふわっと受け止めると、くるっと下から剣先を回して薙刀を横に払い、リモンの右小手を打ったのだ。リモンが思わず薙刀を取り落とす。
「一本!」
あたりからどよめきがあがる。
「えっ?」
メイは起こったことがよく分からなかった。
だが旗はどう見てもエクシーレ側に上がっている。
《取られちゃったの?》
思わずあたりを見回すが、王女もガリーナもコルネもグルナも呆然と旗を見つめている。何か言おうにも言葉が出てこない。
その間にも試合は進んでいく。
一本を取られたリモンは、それでも慌てたようには見えなかった。
ルールは三本勝負なので、あと二本連取すれば勝つ目はあるのだが……
二人は再び対峙すると、またリモンがじりじりと間を詰めていき、気合いを込めて斬り込んでいった。
それをまたアフタルが受けた瞬間だ。今度はリモンがすっと薙刀を引くと、今度は突きの連続で攻め込んでいったのだ。
アフタルがのけ反りぎみに飛び下がって間を取る。そのときだ。
《え? 笑ってる?》
メイは見たような気がした。リモンの口元に笑みが浮かんだような気がしたのだが?
《気のせいだったのかしら?》
再度見たら全くそんなことはないし、そもそもこんな強い相手に一本先取された状態で笑える物なのだろうか? それとも何か奥の手が?
そしてまた二人は対峙し、リモンが斬り込み相手が受けるが、今度は相手もなかなか出て来にくいようだ。しばらくそんな膠着が続いたかに見えたが―――リモンが再び相手の出に合わせて脛を狙った瞬間……
パシーン!
アフタルがそれを読んでいたかのようにリモンの手元近くを打った。
カランと音がして手から薙刀が落ちると、アフタルの木剣がぴたりとリモンの面に入っていた。
「一本!」
………………
もしかしてこれって……
「勝負あり! エクシーレ王国、アフタル殿の勝ち!」
―――たとえどんなに信じたくなくとも、それが現実だった。
あたりから何やら残念そうなどよめきが上がるが……
「両者前へ!」
二人の選手が王女達の前にやってきて礼をする。
そこにロムルースがねぎらいの言葉をかけようとしたのだが……
「ちょっと! 一本も取れないとか、あまりにも情けないんじゃないの?」
いきなりエルミーラ王女が立ちあがるとリモンを叱りつけたのだ。
「申しわけ……ございません……」
リモンは小さくなってひざまずく。
驚いてふり返ると、王女がすごい形相でリモンを睨みつけているのだが……
《えーっ? そんなに怒らなくたって……》
メイの目から見たらむしろよく頑張ったと思うのだが―――ここは何か取りなすべきなのだろうか? だが彼女の立場で何ができる? そう思ったときだ。
「いえ、エルミーラ王女様。決してこの方は弱くはございません」
そう言ったのは対戦相手のアフタルだった。
「最初の足は、もう少しで一本取られるところでしたし、実戦ならば少なくとも最初に血を流したのは私でした」
王女はそんなアフタルをじろっと見るが、ふんと鼻を鳴らして席に着く。
そこにセヴェルス王子も言った。
「エルミーラ殿。私もリモン殿の技は見事だと思いましたよ。ほらロムルース殿も、勝敗の遺恨は残さずにとおっしゃっておりましたし」
エルミーラ王女は憤懣やるかたないといった様子で答える。
「いえ、今回の試合は、この者がどの程度できるかというのも大きな興味だったはずでございます。なのにせっかくの皆様のご期待をこんなにも不甲斐なく裏切ってしまっては、こちらの立つ瀬がございません!」
「ミーラ、そこまで怒らなくてもいいのではないか?」
ロムルースにもたしなめられて、エルミーラ王女はふんと拗ねたように横を向いてしまった。
そこで彼がリモンにねぎらいの言葉をかける。
「ともかく二人とも見事な試合であった。結果はこうであったが、リモン殿も見事戦った。今後も精進を重ねるように」
リモンは大きくうなずいたが、顔を上げることはしなかった。
こうして彼女の試合は終わった。
リモンのことを思うとその日は夜まで気が気でなかった。
メイの心情からいえば、今すぐにでも行って慰めてやりたかったのだが、これは三国対抗の御前試合だ。王女の側近として許可もないのにその側を離れるわけにはいかない。
メイ達がフリーになれたのは試合の表彰が終わって、さらにその後の祝勝会がお開きになった後だった。もう夜もとっぷりと更けている。
《っていうか、あんな無碍な言い方ってなかったと思うんだけど……》
リモンの部屋に向かいながらメイは思った。
そもそもリモンは薙刀を始めてまだ二年くらいだし、本来ならアウラが出るべきところの代理なのだ。
《それに敗者復活戦があったら、二番だったかもしれないんだし……》
大会の優勝者はリモンの対戦相手だったあのアフタルだったのだ。すなわち最強の相手と戦っていたわけで、そんな人に負けたからって仕方ないのでは?
《こんな場合王女様なら、こっそり見て来いって言いそうなものなんだけど……》
正直、メイはまだ秘書官補佐見習いなのだから、いてもいなくてもいいような立場なのだ。ちょっと様子を見に行かせてくれても良かったと思うのだが―――そう思ってメイは昼休みにそうお願いしたのだが、王女の返事はにべもなかった。
《よっぽど期待してたのかしら?》
だとすれば分からないでもないが―――と、そこにガリーナがやって来た。
「あ、ガリーナさんも上がりですか?」
メイが手を振るとガリーナがうなずいた。
「はい。やっと解放されました。メイ殿もリモン殿のところに?」
「そうですけど、ガリーナさんも?」
「はあ……ちょっとあれでは……」
「ですよねえ……」
二人はため息をついた。
「でも……こういった場合、何て言えばいいんでしょう?」
ガリーナは言葉に詰まる。
「それは……難しいです。人それぞれですから、一人にして欲しいって人も多いでしょうし。そんな場合はそっとしておくしか」
「ですよねえ……」
だがともかく、まずは行って見るしかない。
そうして二人はリモンの部屋の扉の前に立ったのだが……
『あははは! で、どう? 怖かった?』
『もうみなさんびっくりしてらっしゃいましたが』
『だってあのくらい言わないとダメでしょう? それでどうだったの?』
『あ、はい。良かったです』
『良かったって?』
『何というか、やっぱりすごくて……』
………………
はあ?
中からそんな会話が聞こえてくるのだが―――明らかに王女とリモンの声だ。
メイとガリーナは顔を見合わせた。それからメイが恐る恐るドアをノックする。
『誰?』
「あの私ですが。あとガリーナさんと……」
『いいわよ。入ってらっしゃいな』
二人が部屋に入ると、そこには本当に王女とリモンがいて、何やら和やかな様子なのだが……
………………
…………
「どうしたのよ? 二人とも」
言葉の出ない二人に王女が言った。
「えっと、その、どういうことです?」
それを聞いた王女がにこ~っと笑った。
「ふふ。聞きたい?」
絶対これは何か仕組んでいたな?
「聞きたいですけどっ!」
「じゃ、教えてあげるけど、いいわよね?」
「え? はい」
リモンがうなずくのを見て王女が言った。
「実はね。あの後、夜になってからリモンがやってきたのよ」
「あの後?」
「ほら、あなた達が一人四皿ずつお団子を食べてきた日よ」
「は? 一人四皿?」
首をかしげるメイに王女が言う。
「ほら、三人で一ダースって言ってたから……」
いや、それはちょっと……
「違いますよ? あのときは私が二皿で、リモンさんとガリーナさんが五皿ずつでしたけど?」
「まあ……」
王女が目を丸くしてリモンとガリーナを見る。
「どうしてそんなこと覚えてるんですか⁉」
思わずガリーナが赤い顔で抗弁する。
そこにリモンが苦笑いしながら口を挟んだ。
「この子、変に細かいこと覚えてるのよね」
「そうそう」
王女までがうなずいて、三人でじとーっとメイを見つめているが……
「だからいいじゃありませんかっ! で、リモンさんが何て言ったんですか!」
んなことどうでもいいではないかっ!
「あ、そうそう。それでね、リモンが尋ねてきたのよ。試合には勝たなければいけないのかって」
「え? そんなことを?」
リモンは小さくうなずいた。
「で、私がね、それは勝てた方がいいけど、どうしてそんなことを聞くのかって尋ねたのよ。そうしたら、初戦なら何とか勝てるかもしれないけど、二戦目以降はまず無理だろうって言うのよ」
メイは首をかしげた。
「でも……あそこで五人抜きとかできたんだし、絶対無理なんて言えないんじゃないんですか? そうですよねえ?」
と、隣のガリーナに同意を求めたのだが……
《?》
ガリーナもなぜか、うっといった表情で絶句している。
それから彼女は小さく首を振ると答えた。
「それは……多分リモン殿の言われる通りかと……」
「え?」
メイが驚いて彼女を見つめると、ガリーナは説明を始めた。
「薙刀には剣術では使われない太刀筋があるんです。並の剣士ではそんな太刀筋に対応ができないんで圧倒的に戦えるのですが……相手が優れていればすぐに対応されてしまうんですよ」
リモンがまた小さくうなずいた。
「今度の試合に集まっていたのは最高の剣士ばかりですし、最初の試合でそんな太刀筋を見せてしまえば、もう二度と通用しないと考えるべきなのです」
「そういうものなんですか?」
メイの問いにガリーナは振り向いてリモンに尋ねた。
「ほら、例えばドミトール殿なんかもそうだったんですよね?」
彼は今回フォレスからのもう一人の代表だったが、初戦は勝ち上がれたが二戦目で破れている。
リモンはうなずいた。
「うん。初めてのときは一本取れたけど、あの後はほとんど触らせてももらえないし」
へえ、そうだったんだ―――と思ったところに王女が続けた。
「そんなわけなんでね、私尋ねたのよ。それじゃ試合に出るのをやめたいのかって。確かにあのときは勢いで決めちゃったから、無理ならしょうがないって思ったんだけど……」
それから王女は不思議そうにリモンを見る。
「でも彼女ね、試合には出たいって言うのよ」
「はい?」
メイも驚いてリモンを見た。彼女はばつが悪そうに下を向いた。
「それはまたどうして?」
「もちろん私も理由を聞いたんだけど……何でも彼女の任務は私を守ることなんだから、いざというときに負けるわけにはいかないんで、もっと強い剣士と戦わなければいけないとか……」
メイは首をかしげる。
「えーっと……でも、それだったら無理に出ない方がいいんじゃないんですか? その太刀筋っていうのをみんなに見られちゃったらまずいんですよね?」
王女もうなずいた。
「ええ。私もそう思ったんだけど、でも太刀筋にもいろいろあって全部出すわけではないので、とかでね」
「んー……何かこう、必殺技は隠しておくみたいな?」
今ひとつよく分からないが、王女もまた首をかしげながら答える。
「何だかそんなことらしいんだけど……ともかくそうしたいんしなさいって答えたのよ。でもこれは国際試合だから国や私の名誉がかかってるわけで、負けてもいいけどその場合はカンカンに怒るからねって言っておいたのよ」
「あはは。あれはそうだったんですか……」
だから王女はあんな怒り方をしたわけか。何だか怒り方が芝居がかっているような気もしていたのだが―――と、そこでガリーナが呆れた声でリモンに尋ねた。
「それじゃ……まるで練習してるみたいだって思ってたら、本当に練習してたんですか?」
「ええ、まあ……」
リモンが顔を赤らめながらうなずいた。ガリーナはほっとため息をついた。
「まったくもう……びっくりしたじゃありませんか」
「ごめん。でもこういうことは黙ってないとまずいし」
ガリーナがうなずく。
「それはそうですが……で、手応えはあったのですか?」
「ええ。少し」
リモンが微笑んだ。
「それは良かったじゃないですか」
そこにメイが尋ねた。
「えっとあのー……それって何のお話でしょう?」
何やら二人で納得し合っているのだが―――メイや王女には何のことだかさっぱりだ。
それを聞いてガリーナが答えた。
「あ、ですから今リモン殿は、近間の攻防を集中的に訓練していたところなのですが……」
????
ぽかんとしている二人を見て、ガリーナがちょっと考えこむ。
「あの、それをお話しするとなると少々専門的になるのですが……もちろんお二人は剣を習ったようなことはございませんよね?」
二人はうなずいた。
「それは王女様は王女様だし、私は料理人でしたから」
そうメイが答えると……
「ああ、だとしますと……」
ガリーナはまたそこで少し考えこむと、さらっと答えた。
「えーっと、そもそもこのアウラ様の薙刀術は、ガルブレス様がアウラ様のために編み出されたもので、小さな者が大きな者と互角に戦うための技なのです」
メイと王女は顔を見合わせた。
「え? そうなの?」
王女の問いにガリーナがうなずく。
「はい。何と言いますか、アウラ様を見ておりますと分かりにくいと思うのですが、本来は女性が男の剣士と戦うための技術体系と申しましょうか、そういう流派なのです」
そんな話は初耳だった。アウラとリモンが二人で練習している姿はずっと見てきたが、アウラがそんな説明をしているところは見たことがないし……
王女が興味津々で尋ねる。
「何それ? 面白そうなんだけど……難しいの?」
ガリーナは首をふった。
「いえ、理念の部分であれば誰でも理解できると思いますが……」
「だったらちょっと説明してもらえる?」
「分かりました」
ガリーナは軽く咳払いをすると話しはじめた。
「えっとまず、剣士とはその名のとおり剣で戦うわけですが、私たちが剣を持っても男には勝てません。同じだけ修練したとしても、肉体的な力の差というのは如何ともしがたいからです。そこでガルブレス様は薙刀を使うことにしたのですが……えっと薙刀と剣の最大の違いは、お分かりですよね?」
ガリーナがメイと王女に尋ねた。
「えっと……長さですか?」
そこでメイが答えると、ガリーナはうなずいた。
「はい。そうです。相手よりリーチが長ければ、相手が届かないところから一方的に攻撃ができるわけです」
確かにそれはその通りなのだが……
「でも……それだったらどうして短い薙刀を? ガリーナさんの使ってたのの方がいいんじゃないんですか?」
再びガリーナはうなずいた。
「はい。私もそう思っていました。でも剣士を相手にするときは必ずしもそうではないのです……えっと、リモン殿、ちょっと手伝って頂けますか?」
「何を?」
「実演した方が分かりやすいので」
「いいわよ」
リモンの部屋の隅には練習用の木剣や薙刀が何本も立てかけてあった。ガリーナは彼女に木剣を持たせると自身は薙刀を手にした。
「普通に構えて下さい」
そこでリモンが木剣を中段に構えると、ガリーナは薙刀の柄の端の方を持って構えた。
「私が以前使っていた長薙刀だとだいたいこのくらいのリーチがありましたが、例えばメイ殿が相手の剣士の立場だとしたらどうしますか?」
「え?」
いきなりそういうことを問われても困るのだが……
「別に難しく考える必要はありませんから」
「あー、えっとそれじゃ……」
見れば少なくとも五十センチ以上はリーチの差がある。だったら……
「えっと……頑張ってどうにかして間を詰めようとしますか?」
ガリーナがにっこりとうなずいた。
「もちろんそうですよね? これだけ長さの差があれば、誰だってまずはその差を詰めようと考えます」
続いて彼女は薙刀を普通に構え直した。
「ところが今使っている物ですと、だいたいこんな間合いになりますが……」
「あー、ほとんど差がありませんね」
「そうです。だったらどうしますか?」
そう問われてメイは答える。
「えー? それじゃ普通に斬り込んでみますか? ちょっと注意はしないといけないでしょうけど……」
聞いたガリーナがまたにっこり笑う。
「そうですね。大して差はないから行ける! と、そう来てくれたら、まさにこちらの思う壺なのです」
「え?」
そこで今度はガリーナがリモンの横に並んだ。
「こうして見るとどうでしょう?」
こうやって横から見ると薙刀の切っ先の方が十センチほど先に出ている。
「ちょっと……長いですけど……?」
「そうなんです。ちょっと長いんです」
??
メイと王女は顔を見合わせた。
「このアウラ様の薙刀術は、このちょっとの差を生かすためだけに、そのためだけに全てが仕組まれていると言っても過言はないのですよ」
「でも……たったこれだけですよ?」
メイはその僅か十センチほどの幅を示した。それを見てガリーナがうなずいた。
「そうです。でもそれだけあればこちらは斬られずに、相手にはそれだけの深さの傷を負わせることができますよね?」
………………
…………
いや、確かにそれはその通りなのだが……
「えーっ? でもすごくぎりぎりじゃないですか?」
「そうです。アウラ様の薙刀術の極意は、この相手とのぎりぎりの距離を見切ることなのです。いわば私たちはこの“ちょっと”に全てを賭けているわけで、もし相手がそこに思い及ばなければ、後はこちらのやりたい放題にできるわけです」
ガリーナがにっこり笑うと、横でリモンもうなずいた。
「へえぇ……」
「そうなんだ……」
そんな説明を初めて受けて、メイも王女も思わずうなるしかなかった。
そこでまたガリーナはリモンと正面から対峙した。
「例えばリモン殿お得意の、持ち替え左袈裟ですが……それ以前にそもそも剣術に袈裟斬りという斬り方はないんですよ。そんな斬り方をしてくるのは間違いなくド素人で……」
「そうなんですか?」
メイの問いにガリーナは薙刀を置いて自らも木剣を手にすると、八の字に振り回した。
「ほら、親衛隊の人たちがこんな風に剣を振り回しているのを見たことがありますか?」
「あー、それはないような気がしますが……」
「実は剣術では、そういうことをしてくる相手には“切り落とし”という必勝法があるのです」
「切り落とし?」
何やらかっこよさげな響きだが……
「それってどうやるの?」
王女が尋ねるとガリーナがリモンに小さく合図した。
「それではちょっと袈裟懸けに斬ってきてもらえますか」
リモンはうなずくと木剣を八相に構えて、斜めに斬り込んでいった。ガリーナはそれに合わせて剣を真上に振りかぶると、そのままリモンの面を打つ。
「どうでしょう?」
???
どうでしょうと言われても……
「えーっと?」
王女も首をかしげる。ガリーナの木剣がリモンの額の上で寸止めされているが―――だから何なのだ?
「相手と同じタイミングで上からこう斬ればいいのです」
「あの……でもリモンさんの剣も当たってるのでは?」
相打ちになっているようにしか見えないのだが―――ところがガリーナは首をふった。
「いえ、これが木剣だからそう見えますが、真剣勝負なら寸止めはせずに一気に下まで斬り下ろします。すると真上からの斬りが先に、相手の額から手元までを両断するのです」
ガリーナが木剣を振りおろしてリモンの手元でまた寸止めする。
「確かにその後、勢いで相手の剣も当たるかもしれませんが……このように手元が断ち切られていれば、そんな刃にはもう威力がありません。文字通りに肉を切らせて骨を断つという結果になるのです」
「……おおっ! 何かすごくカッコいいですね! ガリーナさん、すごいです!」
ガリーナがちょっとはにかんだ。
「いえ、みんなこれはアウラ様の受け売りですので」
「え? アウラがそんな説明をしてくれたの?」
思わず王女が尋ねる。メイにも彼女がそんな饒舌に説明している姿が想像できないのだが―――ガリーナは首をふった。
「いえ、アウラ様の場合は、ほらこうやってこうすれば、相手の首、飛ぶでしょ? みたいな感じで実演して下さるのですが……」
あは、それなら何だかすごくよく分かる。
「ともかくそんなわけで、剣術の太刀筋は上からの斬り下ろしと突きが基本になってしまうのです。他の太刀筋では全部この切り落としに負けてしまいますので」
「へえぇ……」
メイ達が納得してうなずくと、ガリーナは再び薙刀を手にした。
「でもこれはお互いのリーチが互角だ、ということが大前提になるのです。剣の場合は常に相手の間合いは自分の間合いですから……ところが薙刀の場合、僅かではあってもそのリーチが違うわけで……」
ガリーナは再び薙刀を手にすると八相に構えた。リモンが軽くうなずくと剣を中段に構える。そこからガリーナが袈裟懸けで斬り込んでいくのをリモンが切り落とそうとしたのだが―――その剣先はガリーナの眼前で空を切り、薙刀の切っ先がリモンの首筋を捉えていた。
「このようにぎりぎり届かないんです」
「おおぉ!」
「なので薙刀ならこのような剣術で使えない太刀筋が自在に使えるのです。しかももう一つ、薙刀の場合は……」
今度は彼女は薙刀を振り上げると、頭の上でくるっと回しながら左右の手を持ち替えて、左の袈裟懸けで斬り込んだ。
「薙刀というのはこのように半身で構える関係で、左右の持ち替えができなければ話にならないんです。剣術の場合だとこの左袈裟というのは、手が交差してしまいますからますます使えないんですが……」
それを聞いたリモンが実際にやってみせる。
「薙刀ならば、こうやって持ち替えてしまうことで左でも全く自然に振るうことができますし、こうやって反転しながら踏み込むから、右の袈裟以上に遠くまで届くのです」
「ああっ、なるほど……」
「こういうことを知らない相手だと、全然届かないと思っていたらいきなり、しかも反対からざっくり斬られていたと、そんなことになるわけです」
メイは思わず膝を叩いていた。
「あは! じゃあ、それで最初親衛隊の人たちが?」
「そうですよね?」
リモンは黙ってうなずいた。ガリーナは続ける。
「あの方々はフォレスでも最強の人たちですが、それでも最初は嵌まってしまったわけです。また薙刀にはこの左袈裟の他にも横薙ぎや薙ぎ上げなど、様々な太刀筋がありますが……」
そう言ってガリーナは色々と薙刀を振って見せた。
「これらはみんな剣術では使われないため、すぐには対処が難しいんです」
「あ、それがさっき言ってた太刀筋ですか」
メイの問いにガリーナはうなずいた。
「はい。それもこれもみな、このちょっとの差があるからこそ使えるわけで……見かけはほんの僅かの差なのですが、その実はまさに天地の差なのです。並の剣士なら気づいたときにはもう勝負はついてしまっているのですが……強い剣士が相手だとそうは簡単にいきません」
リモンがまた小さくうなずいた。そしてガリーナが再びリモンと対峙する。
「確かにこのように薙刀はリーチがあるので、剣士の剣は相手の体には届きませんが……」
ガリーナが袈裟懸けに斬り込むと、今度はリモンがそれを木剣で受け止めた。
「薙刀の刃をこうして受けることはできます。こうなれば……」
リモンがガリーナの薙刀を制しながら一歩踏み込む。
「こうやって剣の届く間合いに入られてしまいます。この距離のことを“近間”と呼んでおりますが、これだと今度は相手の方が優位になってしまうのです。何しろ剣士というのはほとんどこの間合いだけで戦っているわけですから」
「あ、それで近間の攻防なんですね?」
ガリーナはうなずいた。
「そうです。こちらにリーチがあるといっても、それこそ僅か一歩の差でしかありません。受けて捌かれたら、どうしたって近間に入られてしまいます。そこを凌げなければ、強い剣士には勝てないわけです」
「はあぁ……」
メイはうなずいた。だがそこでまたガリーナがにっこり笑った。
「でもここに短い薙刀を使うことの優位性があるのです。長い薙刀だとこの距離に入られてしまったら柄が邪魔になって、もう手も足も出ない状態になってしまうのですが、短ければまだ相手の剣を捌く手段があります。例えば、くねり小手ですが……」
ガリーナはリモンの剣をぱんと弾いて、小さくくねらせるように左小手を打った。
「こんな感じで素早く奥小手を狙うことができます。後ろの小手は剣だと浅くなりがちですが、薙刀ならリーチがあるのでしっかり入りますし、相手が力任せに受けてきたら……」
続いてガリーナの袈裟懸けをリモンががんと大きく振って受けるが、そこでガリーナがすっと薙刀を手前に引き抜く。勢い余ってリモンの体が泳いだところに、今度は突きが入った。
「薙刀の場合、前後の動きが剣よりもずっと大きいので、こんな風に躱すこともできます。あと、脛打ちですが、長薙刀では基本技の一つですが、この薙刀だと遠くからは届きません。しかし……」
今度はガリーナはリモンの膝の裏を打つ。
「近間ならこのように十分に届きます。こんなことができるので近間でも一方的に不利というわけではないのですが、弱点もたくさんあるのです。例えば打ち落としですが……」
そう言ってガリーナがまた斬り込むが、それをリモンはふわっと受け止めたかと思うと、いきなり下に叩き落とした。ことんと薙刀が床に落ちる。
「薙刀とは両手を離して持つため、このように上から打ち落とされるのにとても弱いのです。またこのような剣捌きの技術は、剣士の方が遙かに上とみて間違いありません。そしてもう一つ、致命的な問題としまして、薙刀では鍔迫り合いというものができないことです」
そこでリモンがさらにガリーナに詰めよって鍔迫り合いの形にする。
「このように相手の剣を刃で受けた場合、剣なら両手で押し込めますが、薙刀では片手で支えるしかありませんし、柄で受けることはできますが……」
ガリーナが今度は柄の中央でリモンの剣を受け止めるが、相手の刃を避けようとすると万歳した状態になってしまった。
「これでは相手が男だったらそのまま押しつぶされてしまいます。それに柄は木ですから、まともに剣を受けたりしたらへし折られてしまうかもしれません。こうなったら文字通りにお手上げなんです」
「えっと……それじゃどうすれば?」
「こうなる前に何とかするしかありません」
「相手に近寄られたら、何とかして離れるようにするわけですか?」
ガリーナはうなずいた。
「はい。そうなのですが……ただ単に下がってはダメなのです。そんな逃げ腰ではどんどん相手に追いつめられてしまうので、だから逃げるのではなく、攻撃して相手を下がらせなければならないのです」
「はあぁ……」
メイは大きくうなずいた。
「そんなわけでリモン殿は、そのあたりを集中的に練習しろとアウラ様に言われておりまして……」
「アウラ様が?」
「はい。旅立つときにはこんなことになるとは思ってもなかったでしょうから。アウラ様は自分がいない間はそこをしっかり練習しておけと……そしてこの近間の訓練は結局、強い剣士との場数が一番ものを言うわけでして……」
そこまで聞いたエルミーラ王女がリモンに言った。
「まあ、そうだったの……練習してたっていうのはそういうことだったのね?」
リモンが黙ってうなずくとガリーナが尋ねた。
「それで、結構手応えはあったんですよね?」
「ええ」
またリモンがうなずいた。
「あの足をかすったというのですか?」
メイの問いにリモンは首をふる。
「いえ、そこじゃなくって」
「え?」
そこでまたガリーナが解説してくれる。
「それはまさに薙刀ならではの攻撃に面食らったのだと思いますが。それよりもむしろ後半に、相手が間を取りなおす場面が何度もあったところではありませんか?」
「ええ。まあ……」
リモンがうなずく。
「何しろ相手は優勝者でしたからねえ……それを下がらせたという意味では、あの試合は本当に無駄ではなかったと思いますが……」
「そうだったの……」
メイと王女は感心して二人を見た。
これまでもリモンが強くなっていたということは分かるが、具体的なことに関してはまさにちんぷんかんぷんだったのだ。
「それにしてもガリーナさんって本当に説明が上手ですねえ」
メイがしみじみとつぶやくと、王女もうなずいた。
「そうよねえ。アウラやリモンじゃ何か要領を得なくって。すごくよく分かったわ」
「あ、いえ、その……」
ガリーナがちょっと上気する。
「申しわけございません……」
リモンが赤くなってうなずく。
そんな二人をニコニコ見つめながら王女が言った。
「で、ともかく練習がうまくいったというのは分かったけど、このことは口外しないようにね? 国際対抗試合で練習してましたとか言ったら、それこそ相手に失礼だから」
「それは……もちろんです」
リモンはうなずいた。
《まったくもう……あそこで何か掴んだんじゃないかって思ってたけど……》
ガリーナの昔話を聞いて何か吹っ切れた様子だったのだが……
《要するに強い相手と練習したかった?》
こんな方向に吹っ切れていたとか……
大体こんな大試合に出るというのなら、まずは勝敗が気になってしまうと思うのだが―――彼女はそういうとことんマイペースなところもある。
そこに再度リモンが頭を下げて王女に言った。
「本当に申し訳ありませんでした。今回は……でもこの次はちゃんと試合して、国や王女様の名誉も一緒にお守りできるようにしますから……」
それを聞いた王女がにこ~っと笑った。
「え? それじゃこの次は優勝してくれるの? それって三国一強くなるってことよね?」
「え? いえ、その……」
リモンがしどろもどろになるが―――いや、確かにその通りだ。
《あはは。こういうとこ、結構勢いで言っちゃうもんな……リモンさんって……》
だが並み居る剣士達を打ち破っていくリモンの姿なら、メイも心から見てみたいと思った。
《でも……やっぱ大変よねえ……》
あのものすごく強い剣士達の姿は未だに脳裏に焼きついている。あんなのを相手にするんじゃ、やはりちょっと無理なんじゃないかなあと思ったときだ。
「リモン殿ならできるんじゃないでしょうか?」
ガリーナが真顔で言った。
「え?」
リモンを含めた三人がガリーナを見る。
「リモン殿の胆力という物にはまさに敬服いたしますので……」
リモンがちょっと赤くなる。
「何言ってるのよ?」
「いえ、ほら私なんかまだアウラ様の課題が全然こなせておりませんので」
「あ、ガリーナさんにも課題が出ていたんですか?」
「ええ」
ガリーナがうなずいた。
「ちなみにどんな?」
と、尋ねてしまってからまた大変な説明になってしまうのではと危惧したのだが、ガリーナはあっさり答えた。
「それは目を閉じないようにすることなのですが……」
「え?」
メイと王女が不思議そうに彼女の顔を見る。
「ですから、薙刀とは間合いがかように大切な物ですから、一瞬でも目を閉じてしまってはいけないのです。ですが……」
いきなりガリーナが薙刀をメイの目の前に突きつけたのだ。
「ひえぃっ!」
メイは思わず両手で顔をかばい目を閉じて尻もちをつく。
「あ、危ないですってーっ!」
ガリーナは笑った。
「あはは。申しわけございません。でも薙刀の間合いを生かすということは、相手の剣先がいつもこのくらいの距離を飛び交っているということなんです」
「………………」
「普通ならばメイさんのようになるのが当然なんですが……」
そう言って今度はリモンに同じように薙刀を突きつけた。
だが彼女は瞬き一つせずにさっとそれを避けて、剣先を掴んだ。
「だから危ないでしょ?」
「ほら、このように全然大丈夫なのですよ」
………………
リモンが苦笑する。
「私だって怖いわよ。でもアウラ様なら大丈夫だからって思ってたら、慣れちゃったけど」
いや、そういう問題なのだろうか?
「確かにアウラ様ならそうそう当てる事はないと思いますが……それでも事故という物は……」
ガリーナも首をかしげるが、そんな彼女にリモンが答えた。
「だってグミを切ったの見たんだし」
「グミ?」
「えっとそれってもしかしてコルネが言ってた?」
メイが尋ねるとリモンがうなずいた。
「そう。あのときは本当にびっくりしたけど……」
「何の話なのです?」
ぽかんとするガリーナに王女も言った。
「まあ、聞いてないの?」
「はあ、多分……」
そこでメイが話しだした。
「それがですね、けっこう習いたての頃でしたよね? アウラ様が剣技には“まあいのみきり”とかいうものが重要だって言って、実演してくれたことがあるそうなんですよ」
「実演……ですか?」
「そうなんです。ほら、ル・ウーダ様っていらっしゃるじゃないですか。アウラ様とご親密な」
「はい」
「そのル・ウーダ様の鼻の頭にですね、グミの実を貼りつけて、それを真剣で斬っちゃったそうなんですよ。グミだけを。鼻は切らずに」
ガリーナが絶句する。
「えーっ? まさか……」
信じられないといった様子のガリーナにリモンが言った。
「いえ、本当よ。私、側で見てたもの」
「そこまでの……腕前だったのですか?」
リモンはうなずいた。ガリーナが呆れ顔で言う。
「だったらもう、サルトスの御前試合ででも勝てるのでは?」
「あ、そんな話もあったらしいんですよ。でもいろいろあって行けなくって……」
………………
「そうだったんですか……」
ガリーナは心底感心したという様子ではあっとため息をついた。
と、そこにノックの音がした。
『リモン? いい?』
『だいじょうぶ?』
グルナとコルネの声だ。
「いいわよ!」
それに王女が返事をすると―――ドアの外で二人が絶句するのが分かる。
それから二人がおずおずと扉の隙間から頭を出すが、中には王女だけでなくメイやガリーナまでいるのを見てさらに驚いた。
「どうしたのよ? 二人とも」
言葉の出ない二人に王女がニヤニヤと言った。
「えっと、その、どういうことです?」
グルナの問いに王女がにこ~っと笑う。
「ふふ。聞きたい?」
「それは……聞きたいですけど……」
「じゃ、教えてあげるけど……二人ともまたいいわよね?」
王女がリモンとガリーナに言った。
「え? またですか?」
「だって、もう息がぴったりで、それにすごーく面白かったし」
「はあ……」
「はい……」
―――そんなわけでガリーナとリモンはもう一度薙刀術の講習をする羽目になったのだった。