第4章 96時間リベンジ
それから数日後の朝、メイとリモンは波止場に向かってのんびりと歩いていた。
「あはー、やっとゆっくりできますねえ」
「そうね」
今回の大会はベラ、エクシーレ、フォレスによる国際大会だ。試合が終わったからといってすぐに暇になるわけではない。その後も三日ほどはいろんな会合や懇親会などがあって、侍従も護衛も大忙しだ。そして昨日、エクシーレの一行がやっと帰国していったため、こうして一段落できたのである。
《ここで一休みしたら、また視察旅行になるんだけど……》
このあとは一旦ハビタルに戻って新年を迎え、年明けには北方を回ってくることになっている。年末には新年のセレモニーがあって王女も出ずっぱりになってしまうので、軽く一休みするチャンスは今しかない。
《本来ならここがご休息のタイミングなんだろうけど……》
フォレスでなら間違いなく王女はアサンシオンに繰りだして行ったことだろうが、この旅先ではさすがになかなかそうは行かなかった。
《おかげで変な楽しみができちゃったんだけど……》
メイは軽くため息をついた。
―――それは昨夜のことだ。メイとリモンはいきなり王女に呼び出された。
王女はニコニコしながらやってきた二人に言った。
「やーっと終わったわねえ。あー、肩が凝った」
「そうですねえ。明日からはしばらくご休養ですか?」
王女はうなずいた。
「ま、そんなところね。だから二人も少しゆっくりしていいわよ」
「はい。ありがとうございます」
と言いつつも、こんなことならわざわざ呼び出す必要などないのでは? と思ったときだ。
「で、リモン? 試合に負けて残念だったわねえ。そうでしょ?」
王女の顔には何やら怪しげな笑みが浮かんでいる。
「え? いえ、それは……」
リモンが、それは終わった話だしどうしてそんなことを? といった表情で不思議そうに首をふるが……
「いやいや、悔しかったわよねえ。そういうときにはこれでヤケ食いでもしてらっしゃいな」
と、王女は彼女の手に銀貨を何枚も握らせたのだ。
「え? え?」
戸惑うリモンにさらに王女はたたみかける。
「ほらほら、アウローラには美味しいものが一杯あるって言うじゃないの。ヤケ食いし甲斐があるわよ~」
これはもしや―――そう思った瞬間、今度は王女がメイに言った。
「で、メイ。あなたはリモンが羽目を外しすぎないように、一緒に行ってあげなさいね」
「はいぃ?」
「でも美味しいものが一杯あるからって、あなたも食べ過ぎたらダメよ?」
………………
メイはじとーっと王女を見つめた。
「要するにその、美味しいお店を探して来いとそういうことですか?」
王女はあからさまに目を背ける。
「何言ってるのー? リモンがきっと辛い思いをしてるからー、それでちょっと気晴らししてらっしゃいってことなのよー?」
二人は顔を見合わせた。
「あー、はい。お心遣い、感謝しますー」
「承知しました」
「何だか心がこもってないわねえ」
あはははは!
などと下心丸出しで言われて、どう心を込めろというのだっ!―――
つまり、いい店があればまた旅娘とかに化けて繰り出そうというのである。
《ま、確かにレトラさんのところも、クレアスのときも美味しかったけど……》
この手の酒場で出てくるような料理は城ではなかなか食べられないので味をしめてしまったようなのだが、これは宮廷料理とは違って店による当たり外れが大きい。一度途中の宿屋でそこの料理を取ってみて、ウエッとなったことがあったりして―――そこで元宮廷料理人のメイに見立てて来させようという魂胆なのである。
《でもまあ、これならまだ穏当だろうし……》
王族がお忍びで市井を巡るような話はよくあるし、酒場でちょっと騒ぐくらいなら―――郭とかに出入りするよりはずっとマシであろう。
《それに趣味と実益も兼ねてるし……》
横を歩くリモンは朝から上機嫌だ。
確かに勝敗にはこだわっていなかったとはいえ、試合そのものは大きなストレスだっただろう。一息つけて美味しいものを食べられるのが嬉しくないわけがない。
そんなことを考えているうちに、二人はアウローラ中心街の近くにさしかかった。
あたりの人通りが急に増えてくる。
《ふふ、さてどうかな?》
メイはあたりを見回した。
ライフェンではメイがフォレス王女付きメイド服、リモンは親衛隊の制服に薙刀という出で立ちで行ったせいで、あんな騒動になってしまった。同じ轍を二度踏むわけにはいかない。そこで今回はご当地の私服でやってきたのである。
《……にしても、これで寒くないとか、やっぱ暖かいんだなあ……》
二人が身につけているのは冬服のドレスで、夏服ほどの露出度はないにしても襟ぐりなどはかなり大きく開いている。さすがにそのままでは寒いので、外出時にはコートを羽織りマフラーを巻くというのがこの地の冬のスタイルだ。行き交う人々もおおむねそのような格好である。
だが今はもう十一月も後半だ。これがフォレスならそろそろ雪景色の日もあったりして、こんな格好では即座に凍え死にそうなのだが……
《ふふ、でも見事に街の光景には溶け込んでるわよね?》
メイは心中ほくそ笑んだ。これならばもうあのときのような好奇の的になることはない……
「あれ?」
はずだったのだが―――人々の視線がなぜか彼女たちに集まっている。
《え? どうして? 変装は完璧なはずなのに?》
いったい何が間違っているのだ?
リモンもその視線に気づいたようで、何やら落ち着かなくなった。
「どうしたのかしら?」
あたりを見回しながら小声で尋ねてくるが……
「何か変でしょうか?」
メイにも理由が分からない。この服はセリウス配下の侍女たちに選んでもらったものだから、おかしな所なんてないはずなのだが……
《あーっ!》
と、そのときメイは気がついた。
人々の視線が二人に集中しているのではなく、男どもの視線がリモンに集中している! のである。
彼女はこの地では比較的珍しい金髪だし、ベラのモードではコートを羽織っていても、すらっとした体のラインがよく分かる。それできりりと背筋をのばして颯爽と歩んでいく姿は―――とてもよく目立っていた。
「あはははは」
「何がおかしいのよ?」
そこでメイが耳打ちした。
「どうやらリモンさんに見惚れてるだけみたいですよ?」
「え?」
リモンも理由に気づいてちょっと赤くなった。
《それにしても……》
少々ムカつくのは、隣のメイは完全にスルーされていることだがっ!
《ふっ! まあいいけどっ!》
ともかく二人が執念深いフォレスのメイドと残虐非道な薙刀使いと思われてなければそれでいい。
そうと分かればもうそんな視線など無視である。しつこくやって来たのなら食らわしていいのは肘鉄だ。
そうこうしているうちに二人は市場にさしかかった。
「うわあ、壮観ですねえ……」
「そうねえ」
アウローラはこの地域では一番大きな街なので、川岸に面した広場には大きな市が出ていた。
場所柄だけに魚屋の割合が多いが、その他の商品もまた豊富に揃っている。
山のこちら側のいわゆる旧界地域では、魚がまともに捕れるのはこの喜びの海とそれに注ぐ大河エストラテ周辺だけだ。すなわち水産物というのはこの地域では本質的に高級品であり、その出荷拠点のアウローラには、旧界全域からの買い付け業者などが集まって来ていた。
そのため街の中央部には小綺麗な商家の屋敷が建ち並び、立派な旅館や洒落た料亭なども多い。また水産物と入れ替わりに各地から様々な物品も運ばれてきて、ベラでも屈指の商業都市として栄えていた。
しかしそうは言ってもやはり元々は漁師町であり……
「おらーっ! ちょっと退いた退いたーっ!」
天秤棒を担いだ威勢のいい魚屋が駆けさっていく。こんな下町の喧噪こそが、この街のメインカラーだった。
「えーと、それでどこから行きましょうか?」
これだけ広いと目移りしてしまう。
「厨房の人から何か聞いてないの?」
「いや、聞いたんですけど、一杯あるからなあって腕組んじゃいましてね。魚市場の方に行けばどこでも美味しいぞとか」
「じゃあそちらの方に行ってみる?」
「そうですね」
魚市場はこの広場から少し離れた波止場の近くにある。二人はまたのんびりとそちらに足を向けたのだが……
「あっ、すみません」
角を曲がったところでうっかりと衛兵にぶつかりそうになってしまった。
衛兵はぎろっとメイを睨むが、それ以上は何も言わずにまたあたりの監視を始める。
《ふー、びっくりした……》
街角にはどこもかしこもこんな武装をしたベラの衛兵が立っている。時々は魔導師の姿も見える。
もちろん三国の王族が揃うというのだからこうなるのは当然だった。エクシーレの一行が帰ってもまだ国長と隣国の王女が残っている。厳重な警備を緩めるわけにはいかないのだ。
と、そこにリモンがぽつっとつぶやいた。
「でも……要るわよねえ……」
「何がですか?」
メイが尋ねるとリモンは答えた。
「あ、ほら、王女様、また出歩かれる気満々でしょ? でもこれなら安全なのかなって思ったんだけど……」
「だけど?」
「でもやっぱり護衛が全然要らなくなるわけじゃないわよね」
「それはそうでしょうけど……」
リモンがふーっとため息をついた。
「いったいどうしたんですか?」
何を悩んでいるのだろう?
「いえ、ほら、こんな格好じゃ、やっぱ薙刀なんて持ち歩けないしって思ったから……」
「あー、それはそうですけど……あ、この間の?」
「うん。剣士だったら私服で剣を帯びてても変じゃないんだけど……」
「あー、ですよねー」
メイはうなずいた。
アウラが王女の護衛になって以来、その手の話はちょくちょく出て来ていた。
確かに薙刀は大変有効な武器なのだが、持ち運びには少々不向きだった。
彼女たちが使っているのはその中でも短い物なのだが、それでもリモンの身長ほどにはある。普通に担ぐと頭の上にぴょこんと飛びだして、遠くから見ても一目瞭然なのだ。
その上ポンチョとかの旅姿ならまだしも、いま着ているコートだと―――似合わないことおびただしい。
「公式の場とかならいいんですけどねえ」
「ええ」
そんな場面なら制服に薙刀という姿で全く問題はないのだが、例えばお忍びの王女をそれとなく護衛したいというような場合には、もうどうしようもないのだ。
なので以前も見たようにドレス姿で戦えるような訓練もしているのだが、正直それでは親衛隊はおろか、並の剣士にさえ歯が立たない。
《あのときも結構落ちこんでたみたいだし……》
川遊びでの襲撃の際、アウラやナーザはしっかり働いていたのに、彼女は何もできなかったと悔やんでいたのだが……
《でも水の中から来るとか想定もしてなかったんだし……》
リモンの座っていた場所は離れていたし、船内は狭くて簡単には駆け寄れなかった。そこはむしろアウラやナーザを褒めるべき所だろう。
「そういえば柄を折りたたみ式にするって話はどうなったんでしょう?」
リモンはうなずいた。
「職人さんに頼んでいろんな試作品を作ってもらってるんだけど……」
「あ、そうなんですか? いいのができそうですか?」
だが彼女は首をふる。
「色々難しいみたいで……ほら、戦ってるときに抜けたりしたらまずいし、継ぎ目が凸凹してても使いにくいし……」
「はい」
「それに急に襲われたときなんか、組み立てに時間がかかってたらダメでしょ?」
「あ、確かにそれもそうですねえ」
「それにもちろん丈夫じゃないといけないし、あと雨の中だったら泥水に濡れたりもするから、掃除もしやすくないといけないし……」
「あー、色々と難しいんですねえ」
そこでリモンがふっと笑う。
「でもわりといいのはできてたのよ? ところがアウラ様が、継ぎ目は目立たないようにして欲しいっていうから、職人の人頭抱えちゃって」
「え? どうしてですか?」
「わざと短く持って相手をごまかす時とかに困るんだって。そんなときに継ぎ目が目だったら分かりやすくなっちゃうとか」
「えーっ? そんなことまで考えないといけないんですか?」
リモンはまた笑った。
「ガルブレス様だったら絶対見逃さないって言ってたけど」
「はあぁ……」
としか言いようがない。
「でも上手く塗装したり革巻きにすれば何とかなるかもって、色々やってくれてるみたいで。フォレスに戻ったらできてるんじゃないかしら?」
「ああ、だといいですねえ」
フォレスに帰るのは来年の春だ。メイの脳裏に思わず故郷の光景が浮かんでくる。それに比べて……
《遠くに来たのよねえ……》
異国の街を異国の衣装で歩いていると、ますますそんな思いが募ってくる。
《ハビタルや魔導大学でも大概だと思ったものだけど……》
このアウローラはそこと比べても全然違う光景だ。ベラは広い……
そんなことを思いながら歩いていると、リモンがいきなり立ち止まった。
「ん? どうしたんですか?」
「いえ、ちょっと……」
リモンの表情が妙に真剣だ。
《??》
それからまた彼女は歩きはじめるが、しばらくしてまた立ち止まる。
それから何やら遠くの方を見つめると、しばし考えこんだ。それから唐突にメイに尋ねる。
「ちょっとこっち行っていい?」
「いいですけど……波止場は反対ですよ?」
「うん」
リモンはうなずくと、すたすた歩きはじめた。メイは小首をかしげながら後に従った。
少し行ったところでリモンが歩みを緩めると小声でメイに言った。
「あの人、どう思う?」
「え?」
彼女が指したのは、少し先を歩いている茶色いコートを羽織った男だった。
「どう思うって……」
いったい何が? と訊き返そうとしたのだが、そのときメイの脳裏にも何かが引っかかった。
《あれ? あの人って……見たことある?》
最近わりとあんな感じの後ろ姿をよく見かけていたような気がするのだが―――リモンが尋ねた。
「もしかして……セヴェルス様じゃない?」
「え?」
そんなバカな! と返そうとして、はたと思いあたる。
《一人で出歩くことが多いのよね?》
エクシーレの一行は昨日国に戻って行ったのだが、王子が一人こっそり舞い戻ってアウローラを散策している、などということが―――十分にあり得るか?
メイとリモンは顔を見合わせた。
「確かに似てるような気はしますが……もっと近くで見てみないことには……」
「それじゃちょっと行ってみましょう」
メイは慌てて引き留めた。
「待って下さいよ。お一人で楽しまれてるのなら、邪魔しない方がいいんじゃ?」
着ているのはかなり上等のコートのようだが、それでもそのあたりの金持ちの息子といった出で立ちだ。お忍びを楽しんでいるのなら、その方がいいに違いない。
だがリモンが小声で言った。
「でもあの人を尾行してる人がいるのよ」
「え?」
「ふり向かないで」
「…………」
「後ろの路地の陰に、灰色のコートの下に大きな剣を隠した奴がいるの。そいつが誰かを追けてるみたいだったから、誰かなって思って見たら、あの人だったのよ」
「あー……はい」
どうやらここでもリモンは色々と練習していたらしい。
というのは護衛というのは剣の腕はもちろんであるが、それ以前に怪しい相手を見つけ出す能力がもっと重要なのである―――その点もアウラは比類なかった。
《ガリカのときもアウラ様が最初に見つけてずっとマークしてたって言ってたし……》
先に相手を見つけてしまえば戦わずして勝つこともできるわけで、リモンもそういう訓練はずっとしていたのだ。
《ま、確かにいい練習機会だけど……》
こんな息抜きのときにまで仕事を持ち込むのはどうだろう?
だがともかく、そんな事情であるのなら仕方がない。
「それなら教えてあげた方がいいかもですね」
そこで二人は足を速めると茶色いコートの男に近づいて行った。
《いや、まだ顔を見てみたら全然別人ってこともあるだろうし……》
そういう場合は―――ま、知らんぷりだ。わざわざ自分からトラブルに首を突っ込む必要はないわけで―――そう思いながらその男を追い抜いてふり返ったのだが……
《!》
メイは笑いが引きつった。
《うわーっ! 本物じゃないのーっ!》
男はまごうことなきセヴェルス王子本人だった。
《えーっと、こういう場合、何て声をかければ?》
そう思ってふり返ると―――リモンはもっと固まってしまっている。
《あはははは。言い出しっぺなのにー。えーっと……》
すると……
「あれーっ? 君たち……」
王子の方から二人に声をかけてきたのだった。
「あ、あはははは。奇遇でございますですねえ。あははー」
メイがしどろもどろに答えると、王子はにっこり笑った。
「いやー、本当だねえ。君たちも今日はお休みなのかい?」
「えー? まあ、ほら、仕事が一段落なさいましたのでー」
「ちょっと、何緊張してるんだい?」
緊張しないわけないだろうがーっ!
「いえ、でもほら、王子……」
と、そのときだ!
いきなり王子がメイをがばっと抱きしめて、頬ずりをしてきたのだ‼
《qうぇrちゅいおp@「あsd★□◆◎△仝♀▼♂〆ーーーっ!!!》
頭の中が真っ白だ。
「いやー、本当にひさしぶりだねえ。大きくなったねえ」
はあ⁇ なに言っているのだ? この人は?―――そんな彼女の耳元で王子が囁く。
『いや、だからその呼び方は止めてね?』
………………
…………
頭の中のホワイトアウトが晴れていくにつれて、確かにその通りだということが分かってきた。
メイは慌ててうなずいた。
『でもそれでは……』
『うーん、じゃあヴェル君とでも呼んでくれる?』
………………
「えーあー、はい承知しました……」
『いや、だからそんな堅苦しく話してたらおかしいじゃないか。普通にしててよ』
それもその通りなのだが……
『そ、それでは、失礼して……分かりましたーっ」
「うんうん」
セヴェルスはにこにこうなずいた。
続いて今度は横で目を丸くしていたリモンの手を取る。
「君とも久しぶりだねえ。おばさんはお元気?」
「え? あ、はい……」
リモンもともかく王子に調子を合わせる。
それはさておき、いつまでも猿芝居を続けているわけにはいかない。そこでメイは小声で尋ねた。
「あの、ところで今日はお一人ですか?」
王子はまたにっこり笑う。
「うん。そうだけど? あ? なに? デートしたいのかな?」
「違いますってーっ!」
慌ててメイが手を振ると、王子は首をかしげた。
「えー? じゃあどうしてそんなこと聞くんだい?」
「じつはちょっとお尋ねしたいんですが……」
そこでメイは後ろの路地の陰にいる男をちらりと見る。
「あの人ってお知り合いですか?」
その人影を見て王子の顔色が変わった。
「どうしてそんなことを?」
「いや、あの人がおう……じゃない、ヴェルさんの後を追けてるみたいで……」
それにリモンがつけ加えた。
「しかも大きな剣を隠し持っているようなのですが」
王子はしばらく絶句した。
それからはあっとため息をついて路地の方をじろっと睨むと、手招きをした。
路地陰の男は一瞬戸惑ったようすだったが、やがて慌てたようにこちらに走ってきた。
男に向かって王子が言った。
「おい、何だよ! 付いてくるなら見つからないようにしろって言ったじゃないか!」
「は、はい?」
「なのに、こちらのお嬢さんに一発で見抜かれたりしてさあ!」
男は驚愕の眼差しでメイを見るが……
「いえ、私じゃなくってリモンさんが……」
男は慌ててリモンを見て、それから王子に向かって大きく頭を下げた。
「申しわけございませんでしたーっ!」
ああ? 何なのだ? これは……
「あのー、いったいどういうことなんでしょうか?」
思わずメイが尋ねると……
「え? だってほら、ここって一応外国だし、一人でうろつくのは危ないって言うんだ」
いや、それはそうだと思うのですが……
「でもさあ。こんなむさい男どもに囲まれて歩いたって楽しくないだろ?」
いえ、でもそれは立場上仕方がないのでは?
「だから来るんなら見つからないようについて来いって言ったんだけど……」
あー、やっぱり困った人なんだあ―――メイは大きなため息をついた。
それから王子に向かって深々と頭を下げる。
「ああ、そういうことでしたら大変失礼致しましたー。それではどうぞごゆっくりお楽しみ下さいー」
それから護衛の男にも頭を下げる。
「あー、どもー。差し出がましいことしちゃいまして、ごめんなさいー」
「お、おお……」
それからリモンと共にさっさとその場を離れようとしたのだが……
「あ、ちょっと待ったー!」
王子が二人を引き留めた。
「え? 何でしょう?」
「せっかくだから一緒に行かない?」
………………
…………
はあ?
「えーっ? でもほら……」
だが王子は相変わらずのニコニコ顔だ。
「君たちみたいな子達と一緒なら、全然平気だし」
「はいぃ?」
要するにこれってナンパされてるってことか?
「それとも何か用事でもあるのかい?」
「ん、まあ、一応主命がありますので……」
確かにそれは間違いではない。
「主命? エル……ご主人様の?」
「はい」
それを聞いてセヴェルス王子が小声で尋ねた。
『そんな格好で……スパイ活動でもしてるの?』
メイは吹きだしそうになった。
「違いますってー。その、ちょっとこのあたりで美味しいお店を探してこいと言われておりましてー」
聞いた王子は目を見張った。
「美味しい店? だったら知ってるよ?」
「え?」
「だってアウローラに来たのはこれで三回目だし」
「えーっ? そんなに来てるんですか?」
「だってこのあたりって半分エクシーレみたいな所じゃない?」
「え? ああ……」
このエストラテ川下流地域は長年ベラとエクシーレで領有を争ってきた地域だ。現在の国境線は川向こうの低い丘陵地帯だが、そうなったのはつい三十年ほど前の戦争の結果だ。
それ以前はその先のヘンドラー地方までがベラ領土だったのだが、さらにその前はこのアウローラまでがエクシーレの領土だった。この地域は時代と共にベラとエクシーレの間を何度も行ったり来たりしているのである。
「それにあの市場の魚だって、結構エクシーレから売りに来てるんだよ」
「え? そうなんですか?」
「ふふ。ま、厳密には密貿易になるんだろうけど。誰も気にしちゃいないからね」
「はあ……」
「それにほら、ここって毛織物の問屋もあるだろ?」
「え? あ、そういえば……」
「それなんかもほとんどエクシーレ産だったりするしね」
「えーっ?」
そういう話はあまりよく知らなかったが、言われてみれば納得である。
《うー……試合の準備が大変で、そういうのってあまり調べてる余裕なかったし……》
しかしここがそんなにアバウトな地帯だとは思ってもいなかったが……
「そういうの、放っといていいんでしょうかねえ?」
思わずメイは尋ねていたが、王子はうーんと首をかしげた。
「さあ。でも昔からそうみたいだし、今取り締まり始めたらみんな困っちゃうんじゃないのかなあ」
「あー、まあ、そうですよねえ……」
このあたりのこと、エルミーラ王女はどう考えているのだろうか? 帰ったらちょっと聞いてみなければ―――と思ったときだ。
「で、美味しいお店ってどんな? 街の方にはお勧めの料亭があるよ?」
「いや、どっちかっていうと、もっと庶民的なところの方がいいかもですが……」
王子は納得したようにうなずいた。
「あー、それなら魚市場の近くに歓楽街があってねえ、そこの居酒屋にもお勧めできる所があるんだけど」
「え? そうなんですか?」
「うん。昼食もやってるし、行ってみる?」
「えーっと……どうします?」
メイはふり返ってリモンに尋ねたが……
「どうするって……」
リモンは口ごもる。こういう場合、彼女はあまり当てにならない。
《うーん、何か妙な成り行きだけど……》
こうなったらもう乗りかかった船だ。
「それじゃお願いできますか?」
「うん。分かった。じゃ、行こうか」
セヴェルスはにっこり笑うとすたすた歩きはじめた―――のだが……
「その前に、ちょっとあっち寄っていっていい?」
そう言って下町の方角を指さした。
「え? それは構いませんが?」
そこで二人はセヴェルスについていったのだが……
《下町に何の用なんだろう?》
そこは何の変哲もない町並みだった。
ベラのアウローラという場所柄、建ち並ぶ家屋は木造の平屋だが、そこに漂う空気はガルサ・ブランカの下町と大差ない。
「あー、ここ、ここ」
案内された場所にはこんもりと茂った小さな森があった。
《森……?》
だから何? メイはそう思ったのだが……
「ほら、何かすごくない?」
王子がなにやら感心した様子で森を眺めている。
「えっと? どこがですか?」
「あの木だよ」
木?
王子が指した先には、その森の中でひときわ高く聳える大木があった。確かにこんな場所だとちょっとは目立っているかもしれないが、山育ちのメイにとってはまあそこらにある普通の大木だ。
「えーっと?」
首をかしげるメイに王子が言う。
「あの形とか、ちょっとおもしろくない?」
「え?」
言われてみれば確かに少しひねこびていて変な形と言えるかもしれないが……?
メイが返答に困っていると、今度は王子はつかつかとその森に入っていった。
二人が慌ててそのあとを追うと……
「あれえ?」
「どうしました?」
メイ達が王子の元に来ると、大木の下に古い小さな石碑が立っていた。
「何か書いてるなあ、でも良く読めないなあ……」
それからまたセヴェルスは森から出ていくと、近くを歩いていた老人に尋ねた。
「あ、ちょっといい? あの木についてなんだけど」
「ユリアヌス様の木ですかな?」
「え? ユリアヌス様の木?」
「そうですじゃ」
老人の答えは王子だけでなくメイにも意外だった。
ユリアヌスとはベラ初代の大魔導師だが、アウローラにはその彼がこの地にやってきた際に、修行した森から持ってきた木の苗を植えたという伝承があるのだ。
「でもそれって中町の公園にあるんじゃ?」
メイ達が地元の領主に案内されて街を見物した際には、そのように説明された覚えがあるのだが―――それを聞いた老人は、くっくっくと笑った。
「ははは。あれは偽物なのですじゃ」
「え? 偽物?」
老人はうなずいた。
「確かに元はあの場所にユリアヌス様の木はあったのですがな、あるとき大水が出て流されてしまったのですじゃ。しかしそれでは長様に失礼なのでと、当時の領主様が魔導大学の森から取り寄せて植え替えたものでしてな」
「へえぇ」
「ところがこの地の子供がその種を取ってきて髪飾りにしていたのですよ。そこでその髪飾りを植えたところ生えてきたのがその木だと伝えられておりましてな。あの石碑にはその話が刻まれておりましたが、何分古いものですから今では読めなくなっておりまして」
「へえぇ、そんなことがあったんだ」
セヴェルスは大きくうなずくとにっこり笑って老人に小銭を握らせた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
………………
えーっと……
反応に困っているメイ達に王子は言った。
「あー、前来たときに遠くから見て、結構気になってたんだよ。そうかあ、そんな由来があったんだあ……」
それからコートのポケットから小さなスケッチブックを取りだすと、その木の写生し始めた。
メイが驚いてのぞき込むと王子は笑って答えた。
「あ、ほら、忘れないように面白いものは描いておくんだ。あとで見返すと楽しいだろ?」
「え? ああ、そうですね……」
王子は描き慣れていると見えて、ものの数分であたりのかなり詳しいスケッチができあがった。
「お上手なんですねえ」
「あは。描いてるうちに慣れちゃうもんだよ……じゃ、行こうか」
王子はスケッチブックをしまうと歩きはじめた。メイとリモンは慌てて後を追った。
「あのー、おう……ヴェルさんは昔の伝説とかが好きなんですか?」
王子はにこっと笑ってうなずいた。
「そうだねえ。結構好きかなあ? 同じ話でもあちこちで色々違ってたりしておもしろいし。アウィス様のお話とか……」
「ぶーっ!」
いきなり虚をつかれてメイは吹きだした。
「あれえ? どうしたんだい?」
王子がニヤニヤとメイを見つめている。
「さ、なんでしょうねえ。はははっ」
これは知っててからかってる顔だな?
「でも……君の所のご主人様って博識だよねえ」
メイはまた吹きだしそうになるのを堪えた。
「あはははっ。まあそうかもしれませんね」
「政治とか国際情勢とかにも詳しくって」
「あははー、まあそうですねえ」
「かと思ったらアウィス様のお話もご存じだったみたいだし」
もう引っかかんないからねっ!
「あはっ。本当にそうですねえ。あはははっ」
「いやあ、本当に楽しかったよ。あのときは」
「あー、それは何よりで良かったですー」
一体何が楽しかったんだ?―――そう思った瞬間だ。
「あっ!」
王子がまたおかしな方向に歩きはじめた。
《?》
メイとリモンが慌ててまたそのあとを追うと―――そこには飴屋があった。
店先には色とりどりの飴が入った壺が並べてあるが……
《飴?》
まさか飴が欲しいのか? と思ったら……
「うわー、いっぱいあるなあ、どれにしよう」
本気で飴を買うつもりだ。
《えー……》
二人がまたまた反応に困っていると、王子が二人に小皿を取って渡した。
「欲しいのをそれに入れるんだ。十個で銅貨一枚だよ。もちろん割り勘なんてケチなことは言わないからね。ははっ」
「はあ……」
ともかくそんなわけで王子に飴を買ってもらって、一行は歩き出した。
飴玉なんて久しぶりだ。確かに子供のころはお祭りとかで買ってもらえるのが楽しみだったが―――そんな昔懐かしい味を味わいながら……
《うーむ……なんだろう?》
この王子様は言うこともやることも、てんで予想がつかない。
「えっと、ヴェルさんって甘いものがお好きなんですか?」
「あは。そうだねえ、結構好きかなあ。あ、ほら、よく祭りなんかで砂糖菓子にホットアルカが出てくる屋台とかがあるじゃない。あれなんかつい入っちゃうよね」
「あはー、かなりの甘党なんですねえ。そんなお祭りにも一人でいらっしゃるんですか?」
「そりゃね。じゃないとのんびりできないし」
うーむ。護衛の人達が本当に大変そうだ。
「そういえば、ちょっとこんな話を聞いたんですけど」
「ん? どんな?」
「それがですねえ、とある王子様がおりまして、よく一人でお忍びに出かけるそうなんですが、それが何でも街の悪を是正するためだとか?」
すると王子はうなずいた。
「……あー、その話?」
「はあ。そういう噂を小耳に挟んだもので」
「あー、あれねえ。そんなつもりはなかったんだけど」
「つもりはなかった?」
「うん。いや、ある町でのんびりぶらぶらしてたら、なんか変な奴らに絡まれてさあ、ケンカになっちゃったんだけど、多勢に無勢でね」
「えーっ、そんな、危ない……」
「あは、まあほら、そういうのって金さえ渡しとけば普通、命までは取らないし」
「…………はあ」
「でもさあ、さすがに激しくムカついたんで、ちょっと軍隊連れて仕返しに行ったんだ」
「軍……隊⁈」
「ほら、だっていざとなったら一軍の指揮くらい取らなきゃならないわけで。で、やっつけた相手っていうのが領主の息子でさあ、親の権勢かさにやりたい放題やってたみたいで。まあそれで町の人からは結構感謝はされたんだけど」
「………………」
「それ以来そんな噂が広まっちゃって、困ってるんだ」
「はあ……」
何というか、いちいちコメントに困るのだが。この人は―――と、そのとき一行の横を立派な馬車が通りすぎた。
「あ、ファルクス工房!」
メイが思わず口走ると、セヴェルス王子が不思議そうに尋ねた。
「ん? 何それ?」
「あ、いえ、今通った馬車を製造した工房なんですが」
「そんなの見ただけで分かるのかい?」
「分かりますよ。マークがあるし、それに優れた工房っていうのはどこも一目で分かる特徴があるんですよ。ファルクス工房だとあの屋根の形ですね。あの独特のカーブはなかなか他にはないんですよねえ……」
そこでメイは彼女をじとーっと見ているセヴェルスに視線に気がついた。
「な、なんでしょう?」
「いやー、詳しいんだなって思って」
しまった! つい調子に乗ってしまった!
「いえいえー。それほどでもー。というか、それじゃヴェルさんの馬車ってどんな馬車ですかー?」
メイは話をごまかそうとしたのだが……
「え? 馬車なんて持ってないけど?」
「えーっ⁉」
「そんなに驚かなくてもいいじゃないか」
「でもその、一国の……偉い方が、ご自分の馬車もなしとか?」
「あー、いや、あれ嫌いなんだ。酔うから。馬に乗ってる方が小回りもきくし」
「…………」
何かちょっと許せないかもとメイが思ったときだ。
「あ、ほら見て。あれあれ」
また王子があらぬ方を指さした。
「今度は何ですか?」
そちらの方にはとりたてて何もないようなのだが―――王子はすたすたと歩いて行くと、一軒の雑貨屋の前で止まった。
《雑貨屋⁉》
「ほら見てよ。この籠。珍しいよねえ」
えーっ?
「籠が、ですか?」
「だってほら、葦を編んで作ってるじゃないか。エクシーレじゃあまりそういうの見かけないから……それに形も変わってるし……ねえねえ、これ何に使うの?」
王子が店番に問いかける。
「ああ、そりゃローチを取るときに使うんでさ」
「ローチ?」
「これくらいのちっちゃい魚でさ、でも唐揚げにしたら美味しいんで」
「へえ……じゃああれは?」
そんな調子で店番と会話しているのを、メイ達は呆れた表情で見つめていた。
「やあ、ごめんごめん。待たせちゃって」
しばらくして王子は戻ってくると、メイに葦でできた小さな魚をくれた。
「なんですか? これ?」
「何とかいう大きな魚を釣るときに、餌の代わりに付けるんだってさ。でも飾りにもカワイくない?」
ん、まあ確かにちょっとカワイいかも……
「……あ、ありがとうございます」
「君の分もあるよ」
セヴェルスはリモンに声をかけたが―――彼女は背を向けてじっと遠くを見ていた。
「あの、リモンさん?」
メイが声をかけるとリモンが慌ててふり返る。
「え? あ、なに?」
「ほら、君にもこれあげる」
「……え? あ、ありがとうございます」
リモンがちょっと赤くなってうなずいた。
「何見てたんだい?」
その王子の問いに……
「あ、いえ、護衛の方、まだたくさんいるなって思って……」
………………
「えー? 他にもいたのかい?」
「ええ、まあ……先ほどの人を含めて四人ほど」
………………
「あはははー。お嬢さんにそんな余計な心配させるとか、もうあいつら減給だなー」
もう何と言っていいのか……
《だからリモンさんはちょっと仕事しすぎでしょう、ほんとに……》
というかこの状況、冷静に見れば王子様とのお忍びデートとも表現可能なわけで……
「さてさて、じゃあそろそろお腹も減ってきたし、お店に行こうか」
「あ、はい」
ともかくやっと当初の目的を達成できそうだ。
そうして一行は魚市場にやってきた。あたり一面魚屋の露店が並んでいる。
「うわー、いつ来ても壮観だねえ」
「そうですねえ」
それに関しては全く同感だ。
何度も言うとおりフォレスでは魚は貴重なので、特に生の魚などは立派な木箱に入れられてちょこんとやってきたりする。だがここではそれが山積みだったり、桶の中でまだ泳いでいたりするのだ。
「うおー、これがこんな値段で……」
メイが思わずうなる。
「ああ、この白い魚、よく出てくるよね」
「はい。ここでは一番取れるんじゃないですかね。白身でさっぱりしてるからどう料理しても行けますしねえ。お勧めは蒸してハーブソースをかけるやつなんですが、ムニエルもいいですよ。ただ身が柔らかいから返すときに気をつけないと崩れちゃって……ああ、こっちの赤いのは脂がのってるんで、シンプルに塩で焼くだけでも……」
「君、フォレスにいたっていうのに、魚料理にも詳しいんだねえ」
王子が目を丸くしてメイを見ていた。
「え? ああ、あはは。実はこうなる前は厨房で料理人をやっておりまして」
「料理人だったの?」
「はい。そうしますとねえ、あの王妃様がベラ出身なものだから大変なお魚好きで、それでお魚料理のやり方を知らないと話にならないんですよ」
「へえ、そうだったんだ……じゃあそっちのお嬢さんは?」
「リモンさんは元はお付きの侍女だったんですが」
「え? そうなの? ずっと護衛官じゃないんだ。へえ。みんなすごいんだねえ」
王子は素直に感動した風だ。
「さてさて、話を聞いてたらますますお腹が減ってきたねえ。さて、どうしようか。美味しい魚料理の店ならいくらでもあるんだけど、ちょっと変わったところもあるよ?」
「変わったと言いますと?」
「貝の料理の専門店とか」
「貝、ですか?」
「うん。これが一度行ったけど、いや、結構すごくて。貝だけで何十種類もあるし……そういやそのご主人様って、貝とか、あとエビや蟹の類とかはどう?」
「あー、どうでしょうねえ。フォレスじゃ滅多に出てきませんからねえ、それって……」
「じゃ、行ってみる?」
これは何だか期待が持てそうだ!
「はい。お願いします」
メイがうなずくと王子は先立って歩き出した―――と、そのときだった。
左手の方から何やら怒声が聞こえてきたのだ。
《何? ケンカかしら?》
メイがそちらを見ると、ベラの衛兵が一人こちらに駈けてくるのが見えた。顔は半分兜に隠れているのでよく分からないが―――なんと抜き身の剣を手にしている! しかも……
《え? あれ……血?》
その剣の刃にはべっとりと赤いものが付いているように見えるのだが―――お尋ね者でも追いかけているのか? そう思ったときだ。
《ええっ⁉》
その衛兵はなぜか一直線にセヴェルス王子に向かって来たのだ。
「おぁ?」
セヴェルス王子が剣の柄に手をかけるが、その衛兵はそのまま躊躇なく斬りつけてきたのである‼
「ぬわあぁぁっ!」
王子は慌てて剣を抜くと、何とか最初の一撃は受け止めた―――だが、勢い余って尻もちをついてしまう。
衛兵がとどめとばかりに剣を振り上げた―――と、そのときだった。
「待ちなさいっ‼」
男がふり返ると、そこには天秤棒を手にしたリモンが立っていた!
「下がりなさい!」
だが男の口元にはうすら笑いが浮かぶ。
そして邪魔者をとっとと片づけてしまおうとその方に向かって身構えたのだが―――先に動いたのはリモンだった。
彼女は天秤棒を中段に構えると一気に詰めよった。衛兵は斬撃に備えて構えを上げるが、次の瞬間、天秤棒がくるりと回ると……
「イヤアアァァァ‼」
ゲシッ!
「ぬおっ!」
リモン渾身の左袈裟を右手首に食らって、手から剣が吹っ飛んだ。
男が驚いてそちらを見たところに―――また天秤棒がくるりと回ると、今度は右袈裟が兜の左側頭部にめり込んで鈍い金属音を立てた。
男はそのまま突っ伏すように倒れると、ぴくりともしなくなった。
《え? え?……》
まさに一瞬の出来事だった。
「だ、大丈夫ですかーっ!」
遠くから何人かの男が駆けよってくるが、それに向かって王子がわめいた。
「ちょっと待てよ! 何だよ! これは! 話が違うじゃないか!」
え?
「も、申しわけございません!」
男たちは顔面蒼白だ。
「マジちびるかと思ったぞ? このお嬢さんがいなかったら、どうなってたと思うよ?」
「本当に、申しわけございません」
護衛達は平身低頭だが―――そのうちの何人かは血を流していた。
「あの、みんな、ケガを?」
思わずメイが尋ねると……
「それが、その、こやつ、恐ろしい手練れでございまして……ランブルが深手を負いまして……」
「何だと? あのランブルが?」
王子が驚愕の眼差しで倒れている男を見る。
そこで護衛の一人が伸びているベラ衛兵をひっくり返して兜を取ると―――一同はその顔を見て、メイやリモンも含めて絶句した。
「ア フ タ ル ⁉」
アフタルと言えば先の大会で優勝した剣士ではないか⁉ それがどうして⁇
「あの、これってその、どういうことなんです?」
メイの問いに王子が青い顔で答える。
「あの、悪いけど、ちょっとここは騒がないでもらえるかな?」
「え?」
「あと、見たことは黙っててくれる? 特にベラの国長様なんかには」
「え? え?」
「だってほら、僕がベラの兵士に襲われて死んだとかになったらさ」
………………
…………
それって―――せっかくの和平がおじゃんというか、前よりももっと悪くなってしまうのでは?
メイは慌ててぺこぺことうなずいた。
「はいっ! もちろん喋りませんが……でも王女様には……」
報告しないわけにはいかないが……
「うん、それは仕方ないだろうけど……」
セヴェルスはうなずいた。
「あの、でもいったい……」
「詳しい説明はあとでするから。ちょっとここは二人で帰ってもらえるかな?」
そこに護衛の一人が尋ねた。
「え? それでよろしいのですか?」
何だか秘密を知られたからにはただでは返せん! みたいな表情なのだが―――王子は首をふった。
「大丈夫。この二人ならね。じゃあご主人様によろしく」
「あ、はい……」
何が何やらわけが分からない。本当ならばもっと詳しいことを聞きたかったのだが……
「あー、何だ何だー! ケンカかー!」
あたりを見ると野次馬が集まって来つつある。確かにこんな所で長話はできない。
そこで護衛の一人が叫んだ。
「あー、間抜けな奴だなーこいつー。魚屋とケンカして負けてやんのー」
「しょーがないなあ、ともかく連れてかなきゃなー」
全力でごまかしにかかっている。
二人は騒ぎに紛れてその場を離れた。
《ちょっと本当にどういうことなんだろう?》
どうやらとんでもなくまずい騒ぎに巻きこまれてしまったようなのだが―――一つ言えることは、あれから僅か四日目にして、リモンの試合の雪辱を果たせたということであった。