エルミーラ王女のすてきな家族計画
第1章 夢で逢えたら
その日メイはベラ北部に位置するガルザ村に滞在していた。
《ん~、暖ったか~い!》
宿屋のロビーのまん中では大きなストーブが赤々と燃えている。ここは領主の館から離れているため、宿屋は貸しきりなのだ。
今は年を越して一月の半ば。このベラでも真冬の真っ盛りだ。
去年のこの時期は魔導大学に留学中で、大学と下宿を行ったり来たりの毎日だったからそれほどとも感じなかったが、このベラ北部地方に来ると寒さが身に沁みる。
《何ていうか……光景が寒いのよね……》
フォレスのこの時期は雪に埋もれて一面の銀世界だ。それはそれで単調な光景なのだが、針葉樹の森にはまだ緑はあるし、凍結した湖では色とりどりの子供達がスケートを楽しんでいる。春が待ち遠しいのは間違いないが、冬には冬の楽しみがあった。
だがこの地方の冬景色はまさに荒涼としていた。
この地域はあまり雨が降らない。そのため緩やかにうねる丘陵地帯が続いているのだが、低い灌木の茂みばかりで高い木があまり生えていないのだ。
もちろん雪もそれほど降らないので茶色い土があちこちむき出しだ。それなのに朝晩はフォレス並みに冷え込むので、地面はがちがちに凍りついている。それが太陽の熱で中途半端に融けると……
《うー、もうファイヤーフォックスがぐちゃぐちゃなのよね、もう……》
実際ここに来るまでの道は今までになくひどかった。あたりには何もないから道幅はあるのだが、ともかく凸凹している。聞けば道を綺麗にならしても、凍ったり融けたりしているうちにすぐ穴ぼこだらけになってしまうらしい。
だが地元では酪農で生計を立てている人たちが多く、みんな馬で移動しているからこんな道でもそれほど困らないらしい。
《うー、結論からいうと嫌いだわ。ここって!》
最初来たときにはこんなだだっ広いところを馬車ですっ飛ばしたら気分がいいだろうなあなどと思ったのだが……
そんなことをととりとめもなく考えていると、ドアが開いてフィンが入ってきた。
フィンとアウラは夏の終わりに視察旅行に出かけたのだが、秋にエクシーレ国内を回った後、冬にハビタルで合流していた。これから春までは王女一行と一緒にベラ国内視察に同行することになっているのだ。
フィンはメイを見ると手を振った。
「あー、寒いですねえ。ル・ウーダ様」
「そうだねえ」
「打ち合わせは終わったんですか?」
「ああ、大したことじゃなかったから……で、アウラは?」
「アウラ様ですか? それならみんなと川原に行っちゃいましたよ?」
「川原?」
フィンは意外そうに首をかしげた。
「この辺に川なんてあったっけ?」
メイはクスッと笑った。
「あー、それがですね、ほら、来る途中にちょっと大きな川を渡ったじゃないですか。あそこなんですけど」
フィンはまた少し考えて驚愕の表情になる。
「えーっ? あそこまで?」
「走れば三十分くらいだしって言って」
「あはははは」
「もう元気ですよねえ。みんな。私なんかこんな日はストーブの側でぬくぬくしてるのが一番だって思うんですけど」
「あはは。だよねえ……じゃあ、戻ってくるのは……」
「暗くなるまでには戻ってくると思いますが」
「あー、そうかー。ありがとう」
フィンはがっくりと肩を落として去っていった。
《アウラ様、帰ってからはみんなとばっかりだし……》
とは思ってもこちらはこちらで大変なのだ―――もちろん“みんな”とはリモンとガリーナのことである。
というのは戻ってきて例の試合のことを聞くと、アウラがものすごく残念がって、俄然やる気になってしまったのだ。
《んなことならもっとしっかり教えとけば……とか言ってたけど……》
十分すぎる成果は上がっていたと思うのだが―――ともかくそのため合流して以来、暇があればリモンとガリーナを特訓しているのである。
何しろ春になったらフィンと一緒に本格的に中原に行ってしまって、帰って来られるのは来年になってしまうのだ。だからこの機会にしっかりと教えこんでしまおうと、傍目で見ても相当のスパルタなのだが……
《それに喜んで付いてく二人も二人なんだけど……》
リモンが負けず嫌いなのは分かっていたのだが、ガリーナもそれに負けず劣らずだった。でなければベラの選手権でベスト4とかにはなれないだろう。
それに小さいころから薙刀を扱ってきたこともあって、最近ではアウラ流にも慣れてきてめきめき腕を上げているのだ。既にリモンとの立ち会いならば彼女の方が分がいいくらいだ。
《おかげでそろそろ弟子入りは終了か? なんて言われちゃったりしてるけど……》
だがこれが男の剣士相手となると、今度はリモンの方が怖がられている。何というか武芸には門外漢のメイが見ていても、リモンの立ち会いには迫力、というか殺気がある。
そのあたりはガリーナ本人が一番良く分かっていて、冗談めかしてそんなことを言われたときには『いえ、五人抜きをしてやっと並べたということですので』などと答えていたが……
《言った親衛隊の人、ちょっとぴくついてたけど……》
リモンの五人抜きは親衛隊メンバーにとっては正直、悪夢であった。おかげで彼らも本気で薙刀の太刀筋を研究したせいで、今ではそう簡単に勝たせてはもらえなくなっているのだが……
《でもガリーナさん、する気満々なのよね?》
あの御前試合の後に例の薙刀の講釈を受けたときには、初見相手以外には彼女たちはもう大変なのかなという印象だった。実際ガリーナもリモンもそんな表情だったのだが、アウラが戻ってきて特訓を始めて以来、何やら目つきが変わってきているのがメイにも分かる。
そこでどんな訓練をしているのかは『せっかくだから秘密特訓にしましょう』などと王女が言いだしたため誰も詳しくは知らないのだが、ともかくこんな風にみんなでどこかに訓練に行っては、帰ったときには二人ともヘトヘトになっているというのがここ最近の彼女たちの姿だった。
《おかげでル・ウーダ様……》
あんな様子で黄昏れているフィンの姿をよく見かける気がするが……
でもまあ旅行の間は間違いなく夫婦水入らず状態だったわけだし、中原に行った後も二年近くはそうなるわけで、まあもう少しの辛抱だろうし―――そんなことを考えていると……
「うわーっ、寒いーっ!」
コルネがお使いから戻ってきた。
「あー、お帰りー」
「何なの? この寒さ。耳がちぎれるかと思った」
「帽子してかなかったの?」
「だって晴れてたし……」
何というか雪もないしベラは温かいというイメージがあるので、ついこの寒さを舐めてしまいがちなのだ。
「ってことは……」
メイはいきなりコルネの両耳をつねった。
「んぎゃ! 何てことするのよ!」
「ふふ。こないだやられたお返しじゃ!」
「あー、なんて執念深い奴! いいじゃないの、あのくらい……って、あたたた、あたたたた、この、人でなしがーっ!」
同じような失敗はこの間メイもやらかしていて、そのときにはさんざんこいつにいたぶられたわけだが。
「はいはい。で、買ってきてくれた?」
「え? ああ、ほら」
コルネは手提げの中からノートを出してメイに手渡した。だが……
「…………なにこれ? カワイくない……」
普通に事務に使うような質実剛健としたノートである。
途端にコルネが食ってかかる。
「ああ? ハビタルじゃないんだから! こんな田舎にそんなカワイいノート、売ってるわけないじゃないのよ! 人がせっかく寒い思いして買ってきたのに、あんたの血は何色なのよぉ!」
おのれこそ逆の立場だったら絶対同じことを言うくせに!
「ま、いいわ。ともかくご苦労であった。下がって良いぞ?」
メイはそう言って手を振るが……
「なに言ってるのよ。いいから早くパイの話、メモっちゃいなさいよ!」
「えー? 何で今? 後でいいじゃないの」
「あれじゃなくって、もっと詳しい話を聞けたのよ。お店のおじさんから」
「え? あの話の?」
「うん。そうそう」
これは主にコルネの趣味だったのだが、二人は昔から各地の伝説の本をたくさん読んでいた。そのときは色んな所には色んな話があるのだなあと思っただけだったが、こうやって遠くに来てみると、そんな本に書かれていただけの話が実際に語られているところに遭遇したりするのである。
特に今来ているベラの北部地方は独特で、いつぞやの宴会で話題になった獣伝説が本当に伝わっているのだ。実際にそれを聞いたときは、メイもちょっとわくわくしてきたものだが―――そんな伝説を、夕べもこの宿で聞くことができたのであった。
「それがね、夕べの話だとあのパイは代々獣に捧げられていた供物だってだけで、どうしてそのパイだったのかってのは分からなかったでしょ?」
「うん」
「それが聞いたらね、アウィス様みたいな女の子が出てくるのよ!」
「え? そうなの?」
この地域の獣伝説では“虹の獣”という言い方はされずに単に“獣”と呼ばれていて、大抵は地域を荒らす悪い存在であった。そこに初代の大魔導師ユリアヌスがやってきて獣を退治したり、飼い慣らしたというような話になるのが普通なのだが……
コルネは話しはじめた。
―――ベラ北部のとある谷間に小さな村があった。そこは痩せこけた土地で作物もあまり取れず、人々は大変貧しい生活をしていた。ところがある日そこに獣がやってきて荒らし始めたのだ。
人々はただ逃げ惑うしかなかった。中央の魔導師を呼んで来ようにも、こんな辺境の地だ。行って戻ってくる間に村人全て食い尽くされてしまうだろう。
と、そこに逃げ遅れた少女がいた。彼女の前に獣が立ち塞がった。獣が大きな口を開けて少女をひと飲みにしようとしたときだ。
「私なんて骨ばかりで全然美味しくありません。お母さんの作ったこのお弁当の方が百倍、いや千倍は美味しいですから!」
少女はそう言って獣に、母の作ってくれたミートパイを差しだしたのだ。
もちろん獣がそんなことを聞いてくれるわけがないと誰もが思った。
ところが獣は「ふむ。良かろう。だったらそれを食べさせてみろ」と答えたのだ。
そこで少女が恐る恐るパイを差しだすと、獣はペロリとそれを平らげて満足そうに答えた。
「確かにお前の言ったことは嘘ではないな。こんな美味しい物を食べられるのならそちらの方がいいに決まっている。よし分かった。これからはここに来るときにはそのパイを食べることにしよう」
だがそれを聞いた少女は恐る恐る答えた。
「でも、あなたのように大きな獣がそれだけで足りるのですか? この村は貧しくて、家畜も少ないし、小麦もあまりできません。あなたが満足するほどに作ったら、村の人たちの食べる分がなくなってしまいます」
それを聞いた獣は答えた。
「ふむ。それについては心配することはない」
そうして獣は天高く飛んで行ってしまった。
心配するなと言われても―――人々は顔を見合わせた。
だが次の年、獣の言葉が本当だと分かったのだ。なぜならこれまでに見たこともないほどの豊作の年になって、作物は取り切れないほど実り、家畜はどれもこれも肥え太り、獣が十頭やってきても満腹できるほどのパイが作れたのだ。
しかもその豊作はその次の年も、その次の次の年もずっと続いた。
やがてその村はこの地域で最も豊かな村として知られることとなった。
こうしてその村では毎年その少女のミートパイを獣に捧げる伝統ができたのだった―――
「おー、確かにあの話に似てるわねえ」
メイがうなずくとコルネが興奮気味に言う。
「でしょ? これってもしかしてエクシーレの伝説が変形した物なんじゃないかしら?」
「うーん、そうかなあ……でも、この獣って結構いい獣よね?」
「そうなのよ。グルメなところなんかも」
「それで夕べの話につながると?」
「そうなのよ」
夕べ聞いた話ではこのあとはこう続いていた。
―――その村ではそうやって秋になるとミートパイを作って獣に捧げていた。
ところでこのミートパイにはベルアブラットと呼ばれる独特のハーブが必要だったのだが、これが危険な山奥に行かないと採れない稀少な物だった。
そして何代か後の村長がそれを取ってくる手間を惜しんで、ベルアブラットと似た別なハーブを使ってパイを作って捧げたのだ。
その秋、獣はまたやってきた。だがその偽物のパイの香りを嗅ぐなり、ふうっとため息をついて首をふると、人々に向かって言ったのだ。
「どうしてたったこれだけのことができなかったのだ? 私は本当にこれを楽しみにしていたのに。だからこの村に本来来るべき災厄を除いてやっていたというのに」
そう言ってそのまま飛び去ってしまったのである。
人々はもしかして取り返しのつかないことをしてしまったのでは? と気づいたが、もはや手遅れだった。
そのとき谷の上流の方から轟くような音が聞こえてくると、巨大な山津波がなだれ下って来て村を襲ったのだ。人々は逃げる間もなく全ては押し流され、その村のあった場所はそれ以降、草一本生えない不毛の谷となってしまった―――
元料理人の立場から言えば、やはりこういう手抜きはしちゃダメだと思います。
「あれって本当に食べたら一口で分かるもんね。あ、何か変わってるって!」
メイはうなずいた。
「うんうん。最初はちょっと戸惑うんだけど、あの香り、ちょっと癖になるわよねえ」
「あれ、作り方も聞いたんでしょ?」
「もちろん。ベルアブラットがたくさん手に入れば戻っても作れるわよ……あ、それじゃとっととメモっとかないとね……」
メイは筆記用具を取りだした。
最近、厨房などで聞いた話やレシピを日記に書いていたのだが、予想外に分量が増えてしまってノートが一杯になってしまったのだ。今日コルネに買ってきてもらったのはその続きだったのだが……
《さーすがに日誌なんかに書いてちゃまずいもんね……》
丁度そのとき手近にあったのがそれだけだったのだが―――と、そのときまたロビーの扉が開いた。
「本当に申しわけありませんでした」
「いえ、グルナ殿のせいではありませんよ」
入って来たのはグルナとセリウスだが、何やらグルナが平謝りの様子だ。
《え? グルナさん、何やっちゃったんだろう?》
最近はメイが頑張っているので彼女があまり秘書官の業務をしなくともよくなっているのだが……
「あの、どうしたんですか?」
その声にメイとコルネがいたことに気づくと、グルナが落ちこんだ様子で答えた。
「ああ、それがね、ほら、今度王女様のドレスをまた新調することになってたじゃない」
「ああ、はい」
二人はうなずいた。
一国の王女ともなると見かけには常に気を使っていなければならない。同じ服をずっと着続けているなどというのは、たとえそれがお気に入りであっても論外だ。なのでもちろんこちらに持参しているものだけでも何十着もあるし、こうして新調することもよくあるのだ。
《その点、侍女とかは楽でいいわよね》
公式の場ではいつも同じ制服を着ていればいいので、その着替えが何着かあればいい。プライベートなときの服はもう少しはあるにしても……
そこでコルネが尋ねた。
「それじゃそのドレスがお気に召さなかったんですか?」
エルミーラ王女の場合、そういうことにはあまりうるさく文句を言う人ではないのだが……
ところがグルナは首をふった。
「いえ、デザインはとてもお気に入りなさって……なんだけど、入らなかったのよ」
「入らなかった?」
「何だかウエストがきつすぎて……」
メイとコルネは顔を見合わせた。
「でもちゃんと測ったんですよね?」
だがグルナは首をふった。
「それがね、ほら、このところちょっと忙しかったじゃない? だから仕立屋さんには前のドレスのときの採寸表を渡したんだけど……」
………………
…………
確かに本来ならば毎回採寸するのが筋ではあるが……
「でも、この間作ったのって……あの試合のときでしたよね?」
メイが尋ねるとグルナが力なくうなずいた。
「そうなの。だから大丈夫かって思ったんだけど……」
何年も前のことならともかく、たった二ヶ月ちょっと前ではないか? ということは?
「えっと……それじゃその間に王女様がそれだけお太りになられたと?」
「そうみたいなの……」
グルナがため息をついた。
いや、言われてみれば最近少し王女様は、以前と比べて少々ふくよかになられたような気もしていたのだが―――と、そこに唐突にセリウスが話しかけた。
「それでメイ殿……」
「え? はい」
「確かにジャンクフードというのは食べて美味しいのは間違いありませんが……」
「え?」
いったい何の話だ?
「我々も王女様の美容と健康を害さぬよう、栄養のバランスを考えて献立を立てておりますれば……」
「え? え?」
「それをあのように頻繁にはちょっと……」
………………
…………
「えっと……その、もしかして、あの酒場巡りのお話しですか?」
セリウスはうなずいた。
《あはははははは!》
文字通りエルミーラ王女はあれに味をしめていた。アウローラではあんな結果になってしまったわけだが、その後も各地の酒場に謎の旅娘一行が現れていたのだ。
しかもそれにはメイが一役買っていて―――厨房の人たちと仲良くなるコツを掴んだら、地元民お勧めの店や変わった郷土料理というのが結構見つかる物なのである。
「いや、しかしですねえ……」
あれって“息抜き”に行けない王女のささやかな息抜きみたいなわけで……
「昨夜もあのパイを三つも召し上がっておられましたが……」
「え? 三つも?」
夕べは例のミートパイの話を聞いたメイが頼んで実際に作ってもらったのだが―――結構大きかったぞ? あれは……
「あー、確かにそのくらい食べてらっしゃったけど……」
横にいたコルネもうなずいた。
そのときメイはまだ厨房で色々話を聞いていたので、戻ったときには大皿に山盛りにあったパイはほとんどなくなっていた。それを見ててっきりリモンやガリーナの仕業だと思っていたのだが―――普段運動しない人がそれだけ食べたとしたならば……
《あははは! もしかして……あたしのせい?》
引きつった笑いを浮かべながら顔を上げると、セリウスとバッチリ目が合った。
「そんなわけなので、もう少しお控え願えますか?」
あはははははははっ!
なんてこった! 確かにあれはメイにとっても趣味と実益を兼ねる行為だったので、少しばかり調子に乗っていたかもしれないが……
と、そのときだ。
ロビーのドアがばたんと開くと、セリウス配下の女官がやってきた。
「あ、こちらでしたか!」
その表情、なにやら尋常ではない様子だ。
「ん? どうしたんだ?」
「それが、王女様が急病になられて……」
………………
…………
「「「「ええーっ?」」」」
その場にいた全員が一斉に驚きの声をあげる。
「急病ってどんな?」
グルナが尋ねると女官が答えた。
「それがいきなりお腹を押さえて嘔吐なされて……」
「お腹を?」
「嘔吐?」
………………
…………
……
続いて全員の視線がメイに集まる。
えーっ⁉
「もしかして……あのパイの食べ過ぎで?」
「そんなー!」
「それとも何か悪い物が入っていたのでしょうか?」
悪い物って……
「いや、でも食べたのは昨日ですよ?」
それだったらもっと病人が出てないとまずいのでは?
「ともかく行きましょう」
グルナが先だって歩きはじめる。
まさにその通りだ。
一同は慌てて王女の部屋に向かった。
《でぇぇぇぇ! マジでーっ⁉》
駆けつけるメイの頭の中は真っ白だった。
《どうして? あれって何か問題が?》
変わったパイがあるという話を聞き出して、実際に作ってもらったのはメイなのだが……
《でもそんな変な物なんて入ってないし!》
あのベルアブラットだって確かに稀少なスパイスではあるが、むしろ滋養強壮によいという話で王宮の厨房にも置いてあったものだ。だがその場合、少量を風味付けに使うものであって、昨夜のパイのようにふんだんには使わないのだが……
《それじゃ入れすぎたら毒になるとか?》
そういうことは確かにあり得るが……
《でもそれじゃ他の人は?》
あれを食べたのは王女だけではないはずだ。だが他にそんな症状がでた人はいないのだが、個人の体質という物もあるわけで―――ぐるぐるとそんなことを考えながらメイはグルナとセリウスに続いて王女の部屋に駆けこんだ。
「エルミーラ様! お具合は……」
セリウスがそう尋ねようとしたときだ。
「おのれ! ミーラに何かあったら貴様、承知せんぞ⁉」
「お許し下さい! 決してそのようなことは……」
見ると宿屋の主人が床に平伏していて、ロムルースがものすごい形相で睨みつけている。
「だからルース。そんな大したことないから」
ベッドに寝ている王女が取りなそうとしているのだが……
「いや、だから昨夜のあのパイに当たったとしか考えられないだろうが!」
「だーかーら、それならみんなおかしくなってないとダメじゃないの」
王女がそう言ってもロムルースは頭に血が上っていて聞く耳を持たない。
「ならばこやつがミーラの分に一服盛ったのであろう?」
「とんでもございません! どうして私が」
主人は顔面蒼白だ。
何やらこちらもおかしな修羅場になっている。
《あちゃー、ロムルース様がこうなったら……》
見るとセリウスも頭に手を当ててため息をついている。
それから首をふるとロムルースに言った。
「お館様、その者が一服盛ったという証拠があるのでございますか?」
「何だと?」
「医者は何と言っておりますか?」
「いや、まだ来ていないが」
「だったらまずそちらが先だと心得ますが」
「分かっている!」
「その者からは私どもからよく事情を聞きます故、こちらにお寄越し願いますか?」
ロムルースはふんと鼻を鳴らして主人に目配せする。宿屋の主人は慌ててセリウスの元にやってきた。セリウスが主人に小声で二言三言言うと、主人はペコペコしながら退散した。
《あはは。まったく……》
何だかんだでこの人はロムルースの扱いに慣れている。いてくれなかったらこんな場合には本当に困っていたところだ―――などと感慨にふけっていたところに、フィンとロパスが駆けこんできた。
「エルミーラ様がご病気だって?」
「お具合はいかがなのです?」
二人に王女が笑いながら言った。
「もう、ルースったら大げさなのよ。ちょっと胃の具合が悪いだけなのに……」
「だがミーラ、今まで風邪一つ引かなかったではないか!」
「たまにはそういうことだってあるわよ!」
そんな王女の様子を見る限りは、それほどやつれているようにも見えないが……
フィンとロパスも顔を見合わせてた。
「でも……う、また何か気持ち悪くなってきた……」
そこにずっと付き添っていたコルネが慌てて洗面器を差しだすが……
「うー……何かもう出るものないし……」
そんな様子はかなり辛そうにも見える。
これって―――やっぱりひどい病気なのか?
と、そこにまた部屋の扉が開いて医師が入ってきた。
「遅いぞ!」
怒気を含んだロムルースの言葉に、医師が頭を下げた。
「申しわけありません。村で急病人が出ておりまして……」
「いいから早く!」
「承知しました。ではお付きの方以外は皆様……」
王女様の診察だ。一同はうなずくと、コルネ以外のメンバーは一旦部屋から出た。
それから一同は呆然と顔を見合わせる。
「いったいどうしたというのだ。先日まではあんなに元気だったのに……」
ロムルースが泣きそうな顔でつぶやくが……
《いや、その言い方ってすごくヤバい病気みたいなんですけど……》
いくらなんでもそんなことはないと思うが……
「ともかく医師の診断を待ちましょう」
フィンの言葉にみんなうなずくしかない。
それにいま視ているのはハビタルから同行してきたベラでも最高の医師なのだ。少々の病気なら全く心配はないと言えるわけなのだが……
―――診察は思いのほか早く終わった。
「あー、みなさま、どうぞ……」
部屋の扉が開いてコルネがみんなを中に招き入れたのだが……
《なに? この子……》
何やら目が白丸になっているのだが……
一同が不思議そうに部屋に入ると、王女が布団から首だけを出してとても可笑しそうにこちらを見ている。
???
そんな一行に医師が言った。
「エルミーラ王女様のご症状でございますが……その、何と申しますか……」
医師の表情にも何とも言えない困惑が浮かんでいる。
「なに? よくない病気なのか?」
ロムルースの言葉に医師は首をふる。
「いえ、むしろ本来ならばおめでとうございますと申すべきところなのでしょうが……」
おめでとうございます?
一同が顔を見合わせたところに、フィンが思わず尋ねた。
「え? それって……もしかして?」
医師はうなずいた。
「はい。つわりでございます」
………………
…………
……
つわり?
「ええええ? それではミーラは?」
ロムルースの言葉に医師はうなずいた。
「はい。ご懐妊でございます。ちょうど四ヶ月目に入ったくらいでしょうか」
………………
…………
……
全員、茫然自失だった。
《ご懐妊?》
えっと、こういう場合、普通ならまず祝福してあげるというのが筋なのだが……
《いや、でも、ほら……》
そうなのだ。これがお妃様とかだったならともかく、エルミーラ様はまだ……
《“王女”様がご懐妊?》
一般的な言い方では“未婚の母”ですよね? これって……
でも、この方はフォレスの王女様で、ゆくゆくは女王様にもなろうというお方で……
《えっと……こういう場合、いったいどう反応すれば?》
事態はまさにメイの処理能力を超えていた。
そこで思わず横のセリウスの方をふり返るが―――さすがの彼も今回ばかりは開いた口が塞がっていなかった。
《あはははは!》
そこに口を切ったのがグルナだ。さすがにこういう場合は女性の方が頼りになる……
「えっとそれじゃ……ドレスが入らなかったっていうのは……」
「あは。お腹が大きくなってたからみたい」
あー、グルナさんもちょっと動転してる? ってか、王女様ももっと慌てて頂いてもよろしいのでは?
でもそれで一つ分かったことは……
《それじゃ王女様がお太りになったのは、私のせいじゃなかったわけね?》
メイは安堵のため息をつこうとしたが―――いや、じゃなくって! それよりも……
そこでグルナがやっと一番肝心な質問をした。
「あの、それでお腹のお子様はいったいどなたの?」
そうなのだ! 問題はそこである!
ところがそのときだ。エルミーラ王女とロムルースが顔を見合わせて同時に言ったのだ。
「それじゃやっぱりあのとき?」
「それではあれは夢ではなかったのか?」
は?
要するにこの方々、そういう覚えがあると?
「あの、いったいどういうことでございますか?」
セリウスが蒼白な表情で尋ねると王女が笑って答えた。
「いえね、ほらあの宴のとき、私もちょっと参加してたのよ。そちらの二次会の方に」
………………
…………
……
「えええ?」
「なんですと?」
「なんだって?」
「はいーっ?」
全員が思わずにじり寄るところに、医師が立ち塞がる。
「皆様、その、あまり大きな声を出されては……」
確かにそうだった。
そこでメイは思い出した。
「それじゃ、あのときちょっと早く引き上げられたのは……」
あのファリーナさんのお菓子バイキングのときだ。アウィス様のお話などをした後、わりと早々に今日はちょっと疲れたからと自室に引き上げてしまったのだが……
《大変なお役目だったからって思ってたんだけど……》
何しろベラとエクシーレの歴史的会談の立ち会いである。気疲れするのは当然だ。誰もがそう思ってそっとしておいたのだが……
「うふ。まあね」
あ゛ーーーーっ!
「いや、でも王女様が現れたりしたら大騒ぎでしょう?」
その場の誰もがいわゆる鼻の下をのばして美女達を見繕っている最中に王女様なんかが現れたら、阿鼻叫喚の絵図になるのでは?
それを聞いた王女はにこ~~っと笑った。
「ふふ。だから変装していったの」
「変装? って、いったい……」
と言いつつもメイには答えが見えていた。
「そりゃ決まってるでしょ? ああいう所にふさわしい格好っていえば……」
「まさか、その……遊女の?」
「あ・た・りっ!」
一同はまた絶句した。
《一国の? 王女様が? 遊女の? 格好をして⁉》
男たちはまさにみんな目を白黒させている。
「あの……どこからそんな衣装を?」
メイの問いに王女はあっけらかんと答える。
「そりゃ、アサンシオンの子からに決まってるでしょ? いつかゲームで身ぐるみ剥がしたことがあって……」
そこにロムルースが驚愕の表情で口を挟む。
「ミーラ! それはどういうことだ?」
「なにが?」
「それではあの噂は本当だったのか? お前が郭に行っているという……」
………………
…………
一同はまたまた絶句した。
《此の期に及んでまだ言ってるんですか? このお方は⁉》
メイは心底脱力したが……
「だからあたし上手だったでしょ? おぼこのお姫様じゃああはいかないわよ?」
ロムルースは真っ赤になってくちをぱくぱくさせるが―――そしてそれ以上何も言わないということは……
《あはははは》
もう、どうにでもなってください!
ともかく一つ言えるのは、これにはさすがのロムルースも納得しただろうということだ。とすれば……
《ガリーナさん、よかったわねえ》
王女がグレイシーを脅迫して黙らせたのはいいのだが、それで彼女のベラでの立場が好転したわけではなかった。最近はフォレスに馴染んでいたので普段はそうでもないのだが、やはり時々は故郷のことが恋しくなるようで、そんな彼女にお菓子を持って行ってあげたこともある。
だがそれよりも……
《じゃあもしかしてこれって、計画的に?》
こっそりと衣装まで用意していたということは、その場の出来心とかではなく、周到に準備された行動だったということでは?
《そういえばあのとき、大人しかったわよねえ……》
あのお菓子バイキングのとき王女はかなりお酒を召し上がっていたようなのに、全然騒いでいなかった。酒場に繰りだしていったような場合は大抵どんちゃん騒ぎになっていたのだが―――それがそんな悪巧みを心中に秘めていたからだとすれば……
《王女様が酔っても大人しいときはもっとずっと危険だった、と?》
あははははは!
そんなの分からないって!
「あの、でもそれならどうしてお二人とも黙って……いえ、あれ?」
グルナがそう尋ねようとしたのだが、途中で混乱して頭を抱えた。
そうなのだ。二人の先ほどの素振りは、黙っていたというより、さっきまではお互いに夢だと思っていたようなのだが?
《それってどういうこと?》
そこでメイは尋ねた。
「そういえば、やっぱりあのとき、とかおっしゃってましたよね?」
王女はまたにこ~~っと笑うと答えた。
「あは。それがね、ちょっとあのときたくさん飲んでたので、少々記憶が曖昧で……」
記憶が曖昧になるほど飲んでいたとか……
「ほら、これって一つの正念場じゃない? だからまあちょっと景気づけに……」
「それはまあ歴史的な会談のお見届け役ですから、少々なら仕方ないとは思いますが……」
メイはため息をつきながらそう答えたのだが……
「なに言ってるの。そんなのお父様やナーザがお膳立てしてくれてたから、座ってるだけでよかったし」
「え?」
「正念場って言ったらもちろん、女の子の一生に一度のこと に決まってるじゃない?」
………………
…………
あー、そちらでしたかー。はい。わかりましたー。
「でね、だからあのお菓子はちょっともったいなかったんだけど、あの場は早々に引き上げたのよ。こんな機会が今度いつ来るか分からないじゃないの」
「はあ……」
「それでね、部屋に戻って持ってきた服に着替えて、広間に行ったの」
そこで思わずコルネが声をあげる。
「あーっ、それじゃあの長持の中って?」
「うふ」
それを聞いたフィン尋ねた。
「長持?」
「それが大切な思い出の服が入ってるからって持ってきてて、中も見せてもらえなかったんです」
あー、確かにそういう長持、あったなー。いっぺん尋ねたら遠い目で『もういない大切な友達の着ていた服だから』とか言われて、ロンディーネさん関係かと思ってそれ以上は追及しなかった記憶が―――そこでメイはじとーっとした目つきで尋ねた。
「ではその思い出の服を着てた方は、もうアサンシオンにはいないと?」
「ええ。ずいぶん前に郭替えで行っちゃって」
あははははは!
もういちいち細かいところに突っこんでいたら話が進まない。
「で、それで広間に行かれたんですね?」
「そうなのよ。さすがに最初はびっくりしちゃったけど……」
王女様はもう完全に開き直りモードに入っているようだ。だったら……
「本当に誰も王女様って気づかなかったんですか?」
こちらももう事務的に質問するしかないっ!
「だって灯りは暗ーくしてあったし、みんな相方の女の子の方に夢中だったし」
まあ、そうですよねー。
「でも遊女さんたちの方で知らない人がいたら、怪しまれたりしないんですか?」
「こんな大きな宴だとたくさんの郭から呼ばれるから、お互いに知らない顔があっても怪しまれたりはしないのよ?」
「よくそこまでお調べになりましたねえ」
すると王女はまたにこ~~~っと笑った。
「うふ。だってガリーナが詳しかったから」
ああああ! 思わずメイはセリウスと顔を見合わせた。
《ガリーナさんを引っこ抜いたのもここまで想定して?》
腕の立つ護衛が必要だったのは確かだが、隙あらば一石何鳥も狙ってくるお方なわけで……
「えーっと……それからどうなさったんですか?」
「うふ。でね、広間に行ったらそこでルースとセヴェルス様が一緒にご歓談なさってたの。セヴェルス様がまだお相手を選んでいなかったから、みんなそっちの方に注目してて、私がちょっと混ざっても誰も気にしなくて」
あの宴の作法では主賓がまず好きな子を選ぶ権利があるそうだ。もちろん主賓に選ばれるということは遊女達にとっても最高の栄誉だから、その場全員が虎視眈々とセヴェルス王子に注目していたわけだ。
「でね、さすがにあまり前に出てもまずいかなって思ってたら、ルースがお手洗いに立ったのよ。そこでこっそり後を付けたの」
それを聞いたロムルースが言った。
「いや、驚いたぞ。あのときは。おかしなところをうろうろしている遊女がいると思ったら、ミーラだったのだからな」
「あのときのルースの顔も一生忘れられないわ」
「当たり前だろう! あんなところにあんな格好でいるなんて!」
まあ、そうでしょうねえ……
「それで、そのままお二人で?」
メイが尋ねると王女は首をふった。
「ううん? ルースに先に部屋に行ってろって言われて、私は翠玉の間に行って待ってたの」
「中座するならセヴェルス殿に断っておかねばならないだろう?」
「あー、はい……その翠玉の間って、確か……」
「ああ、水上庭園でルース専用のお部屋なんだって」
「それは立派なお部屋だったんでしょうね」
「もちろん! 広くて庭に面していて夜景がとっても綺麗で……で、待ってたらすぐにルースが戻ってきて……それから、うふふ」
「うむ」
ロムルースが赤い顔でうなずく。それを見て王女も頬を赤らめながら……
「もう、ルースったら、本当にすごくて……私もう何度も何度も……」
「おいこら!」
「あら? うふっ」
その場全員、もはや開いた口が塞がらなかった。
あー! えーっと-……
「で、ともかくお二人で素敵な夜をお過ごしになられたと……」
「ふふっ」
まあ、なるようになってしまわれたのならもう仕方がないのだが―――メイは尋ねた。
「でも、お二人ともそのときのこと、よく覚えてらっしゃいますよね?」
「んなの忘れるわけないじゃないの?」
「え? でも先ほどは夢だったっておっしゃってませんか?」
それを聞いたエルミーラ王女がうなずいた。
「ああ、そうなのよ。それがね、二人で思いっきり燃え上がって、それで私もうぐったりしちゃってルースの腕の中で寝ちゃったんだけど……」
「はあ……」
「朝方目を覚ましたら何だか違う部屋にいたのよ」
「えっ?」
一同がざわっと王女を見る。
「何か小さな部屋で、ベッドも小さかったし……それで部屋から出たらどこにいるかよく分からないし……」
はい?
「そこでうろうろしてたら大浴場があったのでお風呂に入ったの」
それを聞いたコルネが驚いた顔で尋ねた。
「それで着替えを持ってこいって言われたんですか?」
「ちょっとあの服じゃ帰れないじゃない?」
「何があったの」
メイが尋ねるとコルネは答えた。
「ああ、あの朝ね、館の侍女の人に起こされて、王女様がお風呂で着替えをなくして困られてるって……不思議だなってちょっと思ったんだけど、眠かったし、すごく広いお風呂だったし……」
「はあ……」
さすがにこれで責めるというのは、いかなコルネでもちょっと酷だろう。
そして王女が続けた。
「それで部屋に戻ってもう一回寝ちゃったんだけど……それから起きて、ルースと顔を合わせたら、全然知らないって顔してるのよ? それでおかしいなって思って……でもほら、さすがに直接は訊けないじゃない? だから行ったはいいけど、酔って寝ちゃって見た夢だったのかなって……すごくリアルだったんだけど……」
そう言いながら王女がじとっとロムルースを見つめると……
「いや、こちらも朝起きたら、横に寝ていたのはグレイシーだったのでな、あれは夢だったのかと……」
「ええっ?」
思わず一同は驚きの声をあげた。
《えっと、なに? これって……》
二人は一緒に燃え上がったはずなのだが、起きてみたら王女は一人で小部屋に寝ていて、ロムルースの横にはグレイシーがいた? そんな状況から考えれば、二人が夢だったと思ったのは納得はいくが―――そこにコルネが言った。
「あの、お二人はその、終わってから抱きあってお眠りになってたんですよね?」
「え? ええ」
王女はうなずいた。
「そこにグレイシーさんがやってきたのでは? でもまさか王女様がいるなんて思ってないから……」
それを聞いたフィンがぽんと膝を叩く。
「あ、それでどこかの遊女と思って運び出させたってことか?」
「はい。これなら理屈は通りますよね?」
コルネがそう答えたときだ。
「まあ、大丈夫ですか?」
グルナの声にみんながふり返ると、よろめいたセリウスを彼女が慌てて支えているところだった。
「いえ、ちょっとした立ちくらみですから……」
「どうかお座りになって下さい」
さすがのセリウスもこれには相当のダメージを受けているようだった。というより……
《いや、これってリアルに首切りモノじゃないの?》
彼がそのお世話を一身に引き受けていた異国の王女様が、旅先で妊娠してしまったというのだ。どう考えても百二十パーセント悪いのは王女の方だが―――それでも立場上、責任を取らなければならないのでは?
………………
…………
《うわーっ、これって可哀相すぎる!》
メイは心底セリウスに同情した。
と、そこにフィンがぼそっと言った。
「あの、それでその、もし生まれたのが王子だったら……継承権ってどうなるんでしょう?」
一同はあっと言って顔を見合わせた。
《継承権⁉》
もし生まれたのが男の子だったなら、ゆくゆくは女王様の王子であるから、第一位のフォレス王位継承権がある。しかし父親がロムルースでもあるわけで、ならばベラの長の継承権もあったりするのでは?
《えーっ⁉》
周囲の全員が頭をかかえている。どうやら考えているのは同じことのようだが……
「あら、それなら私がベラの継承権は放棄すると宣言すればいいでしょう?」
王女があっけらかんと言うが、ロムルースが突っこんだ。
「何を言う! それよりミーラ、君がベラにやってきてくれればいいだけじゃないか?」
「だめなのよ。ルース。私はフォレスを継がなければならないから」
「しかしこうなってしまったらもうそれどころではないだろう?」
「それどころってどういうことかしら?」
王女が険のある目つきでロムルースを睨んだ。
《うわーっ、なんかまた剣呑になってきたっ!》
ともかくちょっと色々ありすぎで、みんな頭に血が上っている。どうにかしてクールダウンしなければ……
《えっとでも……こういう場合いったいどうすれば……》
頭の中は真っ白だ。誰かに振ろうにもセリウスはぐったりしているし、こういう場合に役立ちそうなフィンもただ呆然としている。
と、そのときだった。
部屋の扉がばんと開くと……
「ミーラ、病気なんだって?」
「王女様!」
「お加減はいかがなのですか?」
そう言いながらどやどやと入ってきたのが、アウラ、リモン、ガリーナの三人だった。
三人とも相当急いでいたと見えて、息を荒げている。
それを見てフィンが答えた。
「いや、実は病気じゃなかったみたいで」
「病気じゃない?」
アウラが首をかしげる。
「ああ。それが、ご懐妊なんだそうで」
………………
…………
……
「ご懐妊?」
さすがのアウラもびっくりして目が丸くなった。
リモンとガリーナに至ってはもうあごが外れそうな表情だ。
「あはは。そうなんだって」
そんな三人に王女が笑いかける。そこでアウラが尋ねた。
「で、パパは?」
王女はにこっと側にいたロムルースに微笑みかける。
「うむ」
彼がうなずくのを見たアウラは、満面の笑みを浮かべた。
「へえぇ。よかったじゃないの! ミーラ!」
「おい、アウラ……」
フィンが思わず突っこむが……
「だって二人ともすごく好き合ってたじゃない?」
アウラのそのとてもストレートな答えに誰もが絶句した。
いや、確かにそれは間違いない事実ではある。だがこの場合……
「えっと、その、おめでとうございます」
と、そこでガリーナがそう言って深々と最敬礼をした。
「おめでとうございます。王女様」
それに続いてリモンも最敬礼する。
《そうだよ! まずはともかく……》
何だかんだで色々忘れていたが、これが今は一番大切なことなのではないか?
そこでメイも大きくお辞儀をした。
「王女様っ! ご懐妊、おめでとうございます!」
そもそも新しい命が生まれるということはとても素晴らしいことなのだ。まずはそれを喜んで、細かいことは後でゆっくり考えればいいわけで!
ま、別の言い方をすれば、問題なんて先送りにしてしまえばいいのである。