エルミーラ王女のすてきな家族計画 第3章 続・私を廓に連れてって

第3章 続・私を廓に連れてって


 二人はまず後宮にやってきた。

 門の前には昨日と同じ若い門衛が立っていたが……

「よ! 元気か?」

 ガリーナが彼女たちににこやかに挨拶すると二人の目が丸くなった。

「ああっ! これは先……」

 そう答えようとした左の娘の袖を右の娘が引っ張った。気づいた娘はあっといった表情になり、続いて二人の口元ににやっとした笑みが浮かぶと……

「「これはこれは、ガリーナ様ぁ! いらっしゃいませぇ!」」

 わざとらしく大仰にお辞儀をした。

「あのなあ」

「今日はこちらにいかがな御用向きでございましょうかー。ガリーナ様ぁ~!」

 ガリーナは何だか疲れた様子だ。

《あはー、あの宴のときもこんな感じだったなあ……》

 何しろ昨年の春までガリーナは彼女たちの仲間だったのだ。それがひょんなことに今ではフォレス親衛隊の一員で王女専属の護衛である。いわば大出世というわけで……

「おまえら……ま、いいけど、ロザビー、いるか?」

「先輩なら今日は非番なので詰め所にいると思いますが」

「ちょっと会いたいんだけど。取り次いでもらえる? なにしろ私、部外者なもんで

 ガリーナがにっこり笑うと……

「はい~。承知致しました~」

 左の娘がニコニコしながら奥へ走っていった。

「それじゃそこでお待ち下さい」

 右の娘が二人を門の脇にある待合所に導く。

《はは。警戒厳しいのよね》

 アポなしで来た以上、このように少々待たされるのは仕方がない。

 後宮というのはその性質上、一般人の出入りは厳しく制限されている。

 この厳重な門も実は後宮の“中門”で、長の后が住まうエリアにはさらに“内門”を通って行かなければならない。その先には国長とその后、それに仕える侍女達しか入れない。それ以外の者は長の許可がない限り見ることはあたわぬのだ。

 その逆に、内部で仕える侍女達も特別の理由がなければ後宮外に出ることは許されない。

《ファリーナさんもこんな所に閉じこめられそうになってたのよね……》

 そんな内門の中をメイは一度見たことがあるわけだが、確かにそれはそれは美しい場所だった―――だがそれでも一種の牢獄のような場所であることも間違いない。

「それでみんな元気か?」

 ガリーナが門衛の娘に話しかける。

「ま、相変わらずですよ」

「そっか……」

 それだけの会話だったが、メイはその様子が何か気になった。

「こちらはガリーナさんの後輩なんですか?」

 そこでメイが尋ねると……

「え? ああ。二つ下で。こいつも大会で……えっと準決勝だっけ?」

「あ、はい」

 彼女がちょっとはにかんだように笑った。

「へえぇ。後宮の警備隊ってみんな大会の入賞者なんですか?」

 メイは何の気なしにそう尋ねたのだが、途端にガリーナとその娘の顔が暗くなった。

「いや、そういうわけでもないんだけど」

 ??

 何だかこの様子、尋常でないように思うのだが?

 メイがそれ以上突っこんでいいのかどうかと迷っているところに、大柄な衛士が駆けこんできた。

「まあ、ガリーナ! 元気だった?」

「や、ロザビー。お前も元気そうだなあ」

「まあね。落ちこんでなんかいられないから」

「そっか」

 その会話にも何やら微妙な空気が漂っているのだが……

「で、今日は何の用? 後宮の見学がしたいとか?」

 ロザビーがニヤニヤしながら尋ねる。

「なに言ってるんだよ。いや、ちょっと王女様のご用ではあるんだけど」

「エルミーラ王女様の?」

 彼女の目が丸くなった。

「ああ……詳しくはこちらのメイ秘書官から」

 そう言われて初めて彼女は横にいたメイに気づいた風だ。

「あ、メイです。エルミーラ様の秘書官補佐をしております」

 メイが挨拶するとロザビーもかしこまった。

「申し遅れました。ロザビーと申します」

「で、お話というのはですね……」

 そこでメイが話し出そうとしたら、ロザビーが押しとどめた。

「いえ、こんな所では。こちらへどうぞ」

 そう言って先立って案内し始めた。二人は立って後に続く。

 前庭の片隅に警備隊の詰め所があった。案内されたのはそこの応接室だったが、さすがにここは昨日の応接間とは段違いに質実剛健としている。

「あは。ここだとやっぱ落ちつくなあ……」

 ガリーナが思わずこぼす。

「なに? 帰って来たくなった?」

「いや? まだ当分」

「そう」

 ロザビーはそう言ってまた視線を落とす。

《帰ってきて欲しいのかしら?》

 今の様子ではガリーナはこちらでも結構人望があったようだが―――そこでロザビーがメイに話しかけた。

「それで王女様のご用事とは?」

「あ、はい。実はちょっとお訊きしたいことがあるんですが、昨年に行われたセヴェルス様をお迎えした宴のときなんですが、そのとき皆さんは警備をなさってたんですよね? 夜通し」

「はい。それはもちろんですが?」

 彼女は当然だといった様子でうなずく。

「実はですね、そこでちょっと、国長様のお相手をしていた遊女がどんな人か、ご存じないかと思いまして」

 さすがにそれを聞いたロザビーはぽかんとした。

「え? 長様のお相手を?」

 そこでメイはさも困ったような様子で笑って見せた。

「あはは。実はそのですねえ、うちの王女様がその、郭とかに出入りしているって話はご存じですよねえ?」

「え? まあ……」

「それでですね、この旅の間とかも長様と王女様、ずっとご一緒じゃないですか。それで色々歓談なされているうちにあの宴の話になって、それで長様のお相手だった遊女がもしかしたら知り合いなんじゃないかと言いだされまして……」

 ロザビーの目が丸くなる。

「はい……え? でも、長様はそれを信じてらっしゃらないんじゃ?」

 メイはにっこり笑った。

「いえ、さすがにそういう誤解はもう解けてらっしゃいますよ? ご本人からそう言われればさすがに」

「……あは、そうだったんですか」

 それからロザビーはガリーナを見る。

「じゃ、なに? 姫御前のお怒りも?」

「いえ、姫様にはまだお伝えは……でもいずれは」

「そうなの。良かったじゃない。もう一時はどうなることかと……」

 あの脅迫状によってグレイシーは大人しくはなったものの、それで原因が取り除かれたわけではない。そのためガリーナのこちらでの扱いは“勝手に出奔していった者”ということになっていた。

 もちろんグレイシーやロムルースの許可は得ているから、別に不義理を行っているわけではないのだが―――彼女がフォレスに仕官したことに関しても、ベラ側としては出奔した誰がどこに仕官しようと知ったことではないという立場であった。

 だがこうして諍いの原因がなくなってしまったら、彼女が望むのならまた復帰する目もあると思うのだが―――だが今はそういう話をしている暇はなくって……

「あの、それで……」

 ロザビーは慌ててうなずいた。

「あ、すみません。それで長様のご相手のお話ですね?」

「はい」

 だがそこで彼女は首をかしげた。

「でも……ちょっと仲間に聞いても分かるかどうか……」

「あー、やっぱりそうですか?」

 ここに来る途中にガリーナからも聞いていたのだが、衛士というのは客に安全に楽しんでもらうのが役割であって、その行動をいちいち監視していたりはしないという。確かに大きな刃物を持った者にじろじろ見られていたら、気分が削がれてしまうのは間違いないが……

『もちろん駆け出しの頃は気になってしまいますが、そのうち慣れてしまうので』

 ガリーナはそう言って笑っていたが……

「あの晩はそれほど目だったトラブルもありませんでしたし……」

「そうなんですか? 例えば誰か迷ってる人がいたりしませんでしたか?」

「え? そういう方ならいつもいらっしゃいますし」

「あー、そうですかー」

 少なくとも王女がお手洗いに行って帰りに迷ってしまったということは十分あり得るわけだ。

「ともかく仲間にも聞いてみますが……お急ぎなんですか?」

「え? いや、それほどでもないんですが、でもほら、王女様がご機嫌を損ねますと、国長様までが不機嫌になられますので……」

 ロザビーは納得したようにうなずいた。

「分かりました。それで聞いたらどうしましょうか?」

「ああ、それは私かガリーナさんの方にお伝え願えれば」

「分かりました」

 今すぐ何かが分かるとは思っていなかったが、この調子だとやはり見込みは薄いだろうか?

 何だか先行きはかなり厳しそうだなあとメイが思っていたときだ。外で人の気配がしたと思ったら、部屋にがやがやと数名の衛士が入ってきた。みんなやや年配の人たちだが……

 と、そのうちの一人がガリーナに目を留めた。

「あらまあ、これはこれは。珍しい人が」

 猫なで声のようなちょっと不快な響きだが―――それを聞いたガリーナが無表情に答えた。

「お久しぶりです」

「まあ、フォレスに行ってご出世なさったんですってねえ。一体どのようにして王女様のお気に入りになられたのか、羨ましいですわ」

 えーっと、この言い方って―――メイがそう思った瞬間だ。ガリーナがきっとその女性を見据えると冷たい声で答えた。

「それはもちろんガルサ・ブランカに行って、アウラ様の弟子になりたいと頭を下げてお願いしたからですが? それ以外に何か?」

 女性はまともに言いかえされて絶句した。ガリーナは更にたたみかける。

「そこで分かったことは、ここでやってるようなことが実戦の役になんて立たないとアウラ様が言われたのは、もっともだったということでした」

 唖然として声の出ない年配の女性に向かってガリーナがにやりと笑う。

「でも実際ここでは間男を追い出すくらいしかありませんから、それで十分なのも間違いありませんが?」

「んな……」

 先輩の衛士は口をぱくぱくさせたが、ガリーナはもうそちらは見ずにロザビーにふり返った。

「だからもしここが生ぬるく思えてきたのならフォレスにいらっしゃい。本当の強さとはどんな物かが良く分かりますから」

「えっと……」

 その場全員が唖然とする中、ガリーナはすっくと立ちあがる。

「それでは失礼致します。今日はありがとう。ロザビー」

 それからすたすた歩きはじめた彼女の後を、メイは慌てて追った。

《ひー、もめ事は起こしたくないって思ってたのにー》

 いきなりこんなことになるとは……

 後宮の中門を出てしばらく行ったところでガリーナがふうっと息をついた。それからふり返るとメイに笑いかける。

「あー、ちょっとすみません。少々熱くなってしまって……」

「い、いえ、一体何があったんですか?」

「ま、良くある話ですよ……」

 そして彼女が語るには、要するに後宮警備隊にも色々な派閥があって、派閥同士は仲が悪いということだった。

 その中でも彼女たちが“実力派”と呼んでいるグループと“縁故派”と呼んでいるグループの間にはかなりの確執があったらしい。

「元々こういう場所ですから全員が縁故採用されていたそうなのですが、しばらく前に、先代の長様が亡くなられた事件をきっかけに、国内大会の上位入賞者を家柄に関わりなく入れるようになったのですが……」

 当然古いメンバーと、新しく入ったメンバーのそりが合うわけがなかった。

「試合とかをしたら問題外なのですが、何分相手にはいわゆる政治力というのがありまして……」

「あー、何となく分かります」

 もちろんガリーナは自他共に認める実力派の主要メンバーだったわけで、だからこそアウラのあの言葉に激怒したのも無理はなかった。

 そして試合に負けるとそのことで相当に後ろ指をさされた挙げ句、フォレスに来ることになったのも縁故派の誰かがグレイシーに耳打ちしたかららしい。

 と、そこでガリーナが心配そうに尋ねた。

「えーっとそれで、あんなこと言ってしまって良かったでしょうか?」

「あんなこと?」

「ほら勝手に、嫌だったらフォレスに来い、みたいなこと言っちゃったじゃないですか?」

 メイはにっこり笑った。

「あー、そういうことなら……多分だいじょうぶじゃないですか?」

「本当ですか?」

 ガリーナは少し驚いた。

「だってほら、王女様だって結構あれこれ言われてるじゃないですか。女なんかには無理だみたいなこと。だからそういった話ならきっと味方になってくれますって」

 それに関してはメイはかなりの確信があった。

「そうでしょうか?」

 だがまだ心配そうなガリーナにメイは請け合う。

「はい。それに女性の護衛の数だってもっと多くてもいいし。アウラ様が視察に行かれたら、リモンさんと二人っきりじゃないですか」

 この事情も大きい上に、何よりもアウラがいなくなったら郭への護衛は誰が行くとかいう問題もあるし―――けふんけふん。

「そうですか」

 ガリーナは安心した様子でにっこり笑った。

《あはははは! でもガリーナさんも大変な所にいたんだなあ……》

 それっぽいことは確かにフォレスにもあったりするわけだが、少なくとも王女周辺ではこんな風に後ろから刺されるようなことはない―――はずだ。

《でももしまかり間違って王女様がお后になっちゃったりしたら……》

 そのときはメイがこんな環境に放りこまれるというのか? どう考えたってフォレスから来たメンバーなんて超少数派なのは間違いないし……

《あ、でも私が選ばれる保証はないのよね? それにグルナさんならセリウスさんがいるし

 なんだ、苦労するのはコルネだけか だったらいいやっ!

 ―――なんてのはともかく!

「えーっと、それじゃやっぱりその、あちらに行ってみるしか……」

 ガリーナが戸惑いぎみに言う。

「でしょうねえ……」

 メイもそう答えて顔を見合わせる。

 そう。衛士に聞いて分からないのであれば、直接お相手をした遊女達のいるところ―――郭に行って聞いてくるしかないわけで……



 その翌々日の午後。ハビタルの大通りをメイはガリーナと共にカブ―――スポーツタイプの二輪馬車を走らせていた。

「メイ殿。ちょっとスピードの出し過ぎでは?」

「え? そうですか?」

 このカブは当然借り物だが、例のバレーナ工房製で、サスペンションが気持ちよく効いているためついスピードを出したくなってしまうのだ。

 本当ならもっとぶっ飛ばしたかったのだが、ここはハビタルの街中だ。人を引っかけたりしたら大変なのでメイは仕方なく速度を落とした。

《いかんいかん……》

 つい手段と目的が入れ替わってしまいそうだが、彼女たちはこれからベラのナンバーワン遊郭、マルデアモールに向かおうとしているのだ。

 ベラでは“よき報せをもたらしたる者をもてなす宴”は、その家の奥方が取り仕切ることになっている。すなわち今回の場合には長の后がその役割なのだが、まだ正妃がいないためグレイシーが正式なホステスだ。

 そしてかつてはその家の娘が直々に客をもてなしていたと言われるが、さすがにそんな習慣は廃れてああして郭から遊女を呼んでくるようになっていた。

 そしてあのときはハビタル最高級の遊郭からプリマクラスの一流遊女達が投入されていたのだが、そうすると一つの郭だけでは数が足りないのでマルデアモールの他に、アンゲルッススとアウデンティアという郭からも多数の遊女達がやってきていた。この三つがベラ三大遊郭とも呼ばれているそうだが……

《一ヶ所だったら楽だったんだけど……》

 ガリーナとこうして出てくるための口実を作るのも大変なのだ。

《それはそうと……》

 メイはもう一度頭の中を整理する。

 知りたいこととは要するにあの晩、確かに王女がロムルースと床を共にしたことだ。

 するとそのとき一番彼らの近くにいたのは遊女達なのだから、ロムルースのお相手を見ていた可能性は高く、人相風体でも覚えていてくれたらほぼそれで決まりと言っていいだろう。

《でももし……》

 こちらはあまり考えたくないのだが―――ロムルースの相手をしたという遊女が現れてしまったら困ってしまうのだ。なぜならそれは王女の嘘の証明になってしまうわけで……

《あー、そのときはそのときで!》

 それよりも一番ありそうなのは、結局何だかよく分からないということだが……

《灯りは暗いっていうし、みんなお相手のことで頭が一杯だろうし……》

 メイは首をふった。そんなことを今から思い悩んでも仕方がない。

《ともかく行って聞いてみなきゃね

 こればかりはやってみなければ分からない。

 そうこうしているうちに二人のカブはハビタルの歓楽街に差しかかった。

 だがまだ夕暮れまでには間があるので、それほど人通りは多くない。やがて白塗りで窓のない、お城のように目立つ建物が見えてきた。

「だいじょうぶでしょうか……」

 ガリーナが不安そうにつぶやくが……

「ああ、ここには一度来たことがあるから大丈夫ですよ」

 何だかんだで郭に来るのはこれで三度目だ。さすがに少しは余裕があるわけで……

 メイはマルデアモールの駐車場にカブを止めると、ガリーナと一緒に横手の通用口から中に入っていった。

 玄関ホールに入ると中はまだ薄暗く、若い娘が一人で掃除をしている。

「あの、姉御さんはいらっしゃいますか?」

「え? あの、どなたですか?」

 娘は訝しそうに、ぶ厚いコートを羽織った二人組を見つめた。

「あー、実はですね、私たち……」

 二人がコートを脱ぐと娘は思わず口に手を当てた。

 なぜならその下からフォレス王家の紋章が縫い取られた王女付きのメイド服と、同じ紋章の付いた護衛官の制服が現れたのだから……

「ちょっとご用がありまして、お話を伺いたいんですが?」

「はい! ただいま!」

 娘は奥に走って行った。

 ここもちょっと悩みどころであった。なぜなら前回の調査の場合は“主命”だったから、普通に堂々としていればよかった。だが今回はメイが勝手にやっていることなのだ。だとすれば郭に出入りするところを見られると少々まずい。

 だが私服で行ってしまうと今度は身分を証明する手立てがない。

 そこで制服の上にこういうコートを羽織るという作戦に出たのだが……

《うー。冬でよかった!》

 フォレスの服はとにかく暖かくできている。夏場にはそれだけで暑気あたりでぶっ倒れたりしかねないわけで……

 そんなことを考えていると、奥からぱたぱたと姉御がやってきた。

 それからメイの姿を見ると……

「あら? あなた、確か……」

 そう言って首をかしげた。どうやら何となく顔を覚えていてくれたようだ。これは幸先がいいかもしれない。

 メイは姉御にお辞儀をした。

「あ、あのフレーノ卿の件のときには一度お世話になりました。メイと申します。今ではエルミーラ様の秘書官を務めさせて頂いておりますが」

 姉御は大きくうなずいた。

「ああ、そうそう。あのときの……あらまあ、見違えちゃって!」

 そこで姉御は二人を奥の客間に案内した。

《あ、ここ前にも来たところだ!》

 あのときはフィンやフレーノ卿の執事パウロム氏、それにネリウス長官などのおまけだったわけだが……

「それで今日はどのようなご用件で? また馬車の調査ですか?」

「いえ、今日は違うんですが……あの夢の馬車、まだあるんですか?」

 姉御はうなずいた。

「もちろんですよ。夏になると大人気なんで、もう一台増やそうかという話もございまして」

「え? もう一台? またブルーサンダーですか?」

「いえ、さすがにベルッキのは値が張るんで……今度はファルクス親方に注文しようかと」

「ああ! 親方なら立派なものが作れそうですねえ。ああ、そういえばこの間、フレーノ卿の所で初乗りさせてもらいましたが……」

 と、思わずメイが調子に乗りそうになったところを、ガリーナが脇をつつく。

「メイ殿!」

「あ、あはは! いや、そうそう。馬車の話をしに来たんじゃなくて、実は……」

 そこでメイは本題に入った。

「……お館様の夜のお相手が誰だったか、でございますか?」

 話を聞いて姉御も首をかしげる。

「はい。王女様が大変ご興味を持たれておりまして……」

「そのようなことならばお話しするのはやぶさかではございませんが……ただ、お役に立てるかどうか……」

「何か難しいことがあるんですか?」

「いえ、何しろあのような高貴な方々のおもてなしに粗相があってはいけませんから、特に厳選した子たちを送っておりますので……」

「といいますと?」

「要するにお相手がいればそのお方を全身全霊でおもてなしするのが礼儀でございますから。そんなときに他が何をしているかなんて気にしてたら失礼じゃありませんか」

「ああ……ですよねえ……」

 プロとはそういうものなのか……

「それにお相手を選ぶときも、人によってはこっそりと耳打ちするだけということもよくございますし」

「耳打ち? ですか?」

「はい。こっそりと後でおいでって耳打ちするんです。それで別々に部屋に行く方も結構いらっしゃいまして。それだと端から見ていても誰がお相手だったかなんて分かりませんしねえ」

「そうなんですか……」

 へえ。そんな恥ずかしがりの男もいるのか……

「それになにより、もういなくなってる者もおりますし」

「え? いなくなった?」

「はい。郭替えで。他国にいった者が何人か」

「え? そんなにも?」

「秋はそのシーズンなんですよ。だからあの後どこもかなり入れ替えがあったと思いますよ?」

「……そう、なんですか……」

 メイは内心がっくりした。

《でーっ! これじゃ全然ダメじゃないの……》

 いきなり第三の可能性が極大になってしまったわけで……

「ともかく今いる者は呼んで参りますわね」

「はいー。よろしくお願いしますー」

 こうして姉御はあの宴に参加した遊女を呼んできてくれたのだが……

《うわー……壮観……》

 アサンシオンで遊女が勢揃いしたときもびっくりしたが、こちらはさらに度肝を抜かれる。何しろベラ最高の郭の最高の遊女達なのだ。その上ここではその衣装が限界ぎりぎりで……

《あはー。もう何か完全に違った世界よねー》

 もちろんそちら方面はもう最初っから完全に諦観していたのだが、今回の件に関しても姉御のいうとおりほとんど何も分からなかった。

 何しろあのときの彼女たちはセヴェルスの気が引けるかどうかが最大の関心事で、ロムルースのことは完全に二の次だったという。そしてセヴェルスの片がついた後もエクシーレの使節団やベラの高官などが多数残っていて、ロムルースがいなくなっていたことに気づいた者は誰もいなかった。

「だってグレイシー様の前で露骨にお誘いできないじゃないですか?」

「そうそう。そういうときは長様の方からお声がかかるので」

 ―――そんな調子で結局大したことは分からず、少々落胆しながらその場を引き上げようとしたときだ。

「あの、エルミーラ王女様にお仕えしているとおっしゃってましたよね?」

 その中のひときわ美しい娘が声をかけてきた。

「え? はい。そうですが?」

「でしたらその、アウラお姉様はご存じですか?」

 アウラお姉様??

「アウラ様ならよく知ってますけど。それどころかこちらのガリーナさんはアウラ様のお弟子さんなんですよ」

「あ、どうも。ガリーナです」

 ガリーナがそう言って挨拶すると、その娘は体中が真っ赤になった。

「まあ、アウラ様の……お弟子?」

 それからうっとりとした目つきでガリーナを見つめる。

 その様子を見てメイはピンときた。

「いや、お弟子といっても薙刀の方のお弟子なんですが?」

 ………………

 …………

「あらやだ。あたし勘違いをしてましたわ」

「あははは。えと、それであなたは?」

「あら、申し遅れました。私パサデラと申しまして……アウラお姉様には一方ならぬご恩がございまして」

「ああ、そうなんですか」

 メイはその名を聞いたことがなかった。

「それで、お姉様は今はどちらに?」

「ああ、今はこちらに戻ってますけど? ル・ウーダ様と一緒に」

 メイがそう答えるとパサデラの目が丸くなった。

「え? 戻ってらっしゃるのですか? ル・ウーダ様と一緒って……あのル・ウーダ様ですか?」

 このあたりでル・ウーダ様といえばフィンしかいないが……

「多分そのル・ウーダ様だと思いますが? ル・ウーダ・フィナルフィン様ですけど」

 パサデラの目がさらに丸くなった。

「まあ……アウラお姉様が……その、男の方と一緒に?」

 どうしてこの人はそんなに驚いているのだろうか? まあ男に愛嬌を振りまいたりするタイプじゃないのは事実だが―――でもいつも楽しげにフィンをいじめていたのは確かだし?

「えっと、何か端で見ていても微笑ましくなるくらい、仲がおよろしいんですけど?」

 パサデラは手で口を押さえてしばらく硬直した。

「まあ……それじゃあのアウラさんって……ご本人だったんですのね?」

 それからそんなことを何やらぶつぶつつぶやいていたが、うんとうなずくとメイに言った。

「あの、それでは少々お待ち頂けますか?」

 そう言って彼女は奥の方に駆けていった。

「なんなんでしょう?」

「さあ……」

 メイとガリーナが首をかしげていると、パサデラはすぐに息を切らせて戻ってきた。それからニコニコしながらメイにピンク色の封筒を差しだす。

「あの、お戻りになったらお出ししようかと思っていたのですが、これを“お二人”にお渡し願えませんか?」

「それは構いませんが……」

 ともかく彼女はアウラの昔の知り合いらしい。それにもしかして昨年の宴のときにフィンの相手をしたのが彼女だったとか?

 メイが封筒を受け取ると、ほんのりと甘い香りがした。


 ―――こうして彼女たちと別れて離れに戻る道すがら、ガリーナがぼそっと尋ねた。

「あの、メイ殿。その手紙なんですが……」

「はい?」

「アウラ様に渡すのは構いませんが、もしどうやってもらってきたんだって聞かれたら、どう答えましょうか?」

 ………………

 …………

「あっ!」

 彼女には悪いが、事が片付くまではお預けにしておくしかなかった。



 ともかく今は疑惑の解明が先決だった。

 あの宴に呼ばれた遊女達はベラ三大遊郭から呼ばれていたので、残りの二つも調査しなければならない。しかし二人で行動できる時間は限られている。

 そこでメイとガリーナは残りの郭は一気に調査してしまおうと考えた。初めてならともかく郭での調査はもう三度目以降だ。となれば少しは慣れてくるだろうと思ったからなのだが……


 ―――マルデアモールの次に行ったのはアンゲルッススという郭だった。

 二人が中に入るとホールはがらんとしていた。だが郭が始まるのは夜からだ。それは別に構わないのだが……

「あのー。ごめんくださーい!」

 メイの声を聞いて中からぼさぼさ髪のまだ子供のような娘が出てきた。だが郭には小娘といって小さいころから入って修行する子もかなりいるという。これも特に驚くには当たらない。

「えっと?」

 娘はやってきた二人を驚いたようすで見つめた。

 まあ確かにこんな二人連れが時間外に来れば驚くだろう。そこでメイは優しく彼女に尋ねた。

「あの、姉御さんはいらっしゃいますか? 折り入ってお話があるんですが……」

 それを聞いた娘はまじまじとメイを見つめた。

「お話って、お姉さんがですか?」

「ええ。そうですけど。実は……」

 そう言ってメイは身分を明かそうとしたのだが、そこで娘はいきなりうなずくと……

「わかりましたーっ! ちょっと待ってて下さいねっ!」

 そう言うなり奥に駆けこんで行ってしまったのだ。

《え?》

 もう少し色々尋ねられると思ったのだが?―――メイは少々拍子抜けした。

 姉御を待っている間、あたりを色々見ていたのだが……

《へえぇ。郭が変われば色々変わるんだ……》

 前回行ったマルデアモールやアサンシオンは何とも淫靡な空気が漂っていたのだが、ここの郭は何だか優しい雰囲気だ。

 そんなことを思っていると奥から姉御が現れた。やや小柄であまり肉感的ではないが、若い頃にはすごく綺麗だったことが伺える。

「私にご用というのは……」

 それから彼女も目を丸くしてメイを見つめると、ガリーナに尋ねた。

「この方が?」

「あ? はい」

 ガリーナがとりあえずうなずくが……

《何かこう、ガリーナさんを保護者とか思ってるんじゃ?》

 まあそんな誤解を受けるのも仕方ないけどっ!

 初対面の人に子供扱いされるのはもう慣れっこである。

「ともかく奥へどうぞ」

 二人は郭の応接室に通された。

「えっと、それで実は私……」

 そこでメイは用件を切りだそうとしたのだが―――姉御は黙って首をふった。

「理由をとやかく言っても始まりませんよ。ここへ来た以上は……」

 は?

「それであなたはお幾つ?」

「え? その、十八ですが?」

「まあ……」

 姉御は感嘆した表情でメイを見た。

《あのねえ、だからいいじゃないですかっ!》

 年齢が何の関係があるのだ?

「ではこちらにいらっしゃい」

「え?」

 メイはぽかんとした。

「あの?」

「あなたは少々お待ち下さいな」

 同じく不思議そうに尋ねるガリーナを姉御は押しとどめた。

「ほら、はやく」

 姉御は応接室の奥の扉を開けてその中にメイを誘った。よく分からないがともかく彼女に従ったのだが……

《えーっ⁉》

 中はなぜか豪華な寝室になっている。

 唖然としているメイに姉御が言った。

「さ、見せて下さる?」

「は? 何をですか?」

「もちろんあなたの裸よ?」

 ………………

 …………

 ……

 裸?

「ちょと、ちょと、ちょと何ですかー! もしかして私が身売りしに来たって?」

 すると今度は姉御がぽかんとした。

「え? 違うんですか?」

「違いますーっ!」

 それから慌ててメイはコートを脱いだ。

 その下から現れたフォレス紋章入りのメイド服を見て姉御の目が丸くなる。

「ああ? それは……」

「いえ、実はその私、こちら方面の者でして、ちょっとそのエルミーラ王女様に関わることでお話を伺いたくって、その参ったわけですがっ!」

 姉御は呆然としてメイの話を聞いていたが、それから慌ててペコペコ謝り始めた。

「まあ、まあ、申しわけございません! えっと……あはははは!」

「あははははは!」

 こういう場合はもちろん笑うしかない!

 二人は慌てて元の応接間に戻った。

「えっとそれで?」

「はい。それが……」

 メイが用件を手短に述べると、姉御は平謝りだ。

「分かりましたわ。ともかくあの宴に出た子たちは呼んで参りますから」

 そう言って慌てて出て行った。

 その様子を見ていたガリーナが尋ねた。

「もしかして……売り込みに来たって思われてたんですか?」

「そうみたいで……」

 メイがうなずくとガリーナは何と答えていいか分からないという表情でもごもご言った。

 確かにそうだろう。

《何考えてるのよ! あの人……逆だったならともかく……》

 どうしてメイが身売りしに来たなんて勘違いできるのだ? ガリーナならばまだ分かるが……

 と、そのときだった。


「ふーん。お前が?」


 驚いてふり返ると、応接間にひらひらとした可愛らしい衣装をつけた少女が入ってきたところだった。

《うわーっ! カワイい!》

 歳は十四~五だろうか。まさにメイならずとも思わず頬ずりしたくなるような愛くるしさなのだが……

「へー、へー、へー」

 その子はそう言いながらメイの周りをくるくる回り始めたのだ。

《何なのよ? この子は……》

 思わずメイとガリーナが顔を見合わせていると……

「おいっ! ちょっとカワイいからって調子に乗るんじゃないぞ?」

 今度はいきなりガンを付けてきた。

「へ?」

 その上だ。メイがびっくりして彼女の顔を見つめると―――少女はいきなりメイの首に手を回して唇を合わせると、舌を入れてからみ合わせてきたのだ。

《はわわわわわぁぁぁぁ!?》

 驚きのあまり声の出ないメイに向かって少女は嘯いた。

「はっ! 舌遣いとか全然素人じゃないの!」

 え?

「うふ。でもいいわ。あたしがしっかり仕込んであ・げ・る・からっ

 もしかしてこれって―――そう思ったときだ。


「ペペローネっ! 何してるの! そこで」


 応接間の入り口には真っ赤な顔をした姉御が立っていた。

「え? だって新入りには最初にガツンと言ってやらないとって、姉ちゃんいつも言ってるじゃないか?」

 あ、やっぱり……

「その方は新入りじゃありませんっ!」

「え?」

 ペペローネと呼ばれた美少女はあんぐりと口を開けてメイを見た。

「だって……カロたんが、ものすごい逸材が入ってくるからって言いふらしてたじゃない?」

 逸材??

「だからあの子は後できつくお仕置きします!」

 ………………

「えーっ!」

 それからふり返ったペペローネにメイは……

「あー、実はほら、私このような者でして……」

 そう言って服に縫い込んであったフォレスの紋章を示した。

 ………………

 …………

「わーっ。これはどうも失礼しましたーっ!」

 平謝りの彼女を見ながら、あきれ果てた顔で姉御が言った。

「全くこの子は本当におっちょこちょいで……うちのプリマなのに」

 ………………

 は? いま何と?

「プリマ……ですか?」

 何かの聞き間違いかと思って、思わずメイは尋ね返したのだが……

「そうなんですよ」

 姉御はさらっとうなずくと、入り口の方に向かって呼びかけた。

「ほら、あなたがたも入ってらっしゃい!」

「「「はーい」」」

 そんな声とともにぞろぞろ入ってきた“少女達”を見て、メイは納得した。

 彼女たちはまさに光り輝く天使たちだった。

 マルデアモールではその遊女達の美しさに見惚れたものだが、ここでは彼女たちのその煌めくような可憐さに圧倒される。

《うっわー……》

 そう。要するにこのアンゲルッススは子供好きな大人のための娯楽場だった。

「えっと……こちらではみんなこんな子供が?」

 いいのだろうかと心配になってしまうのだが―――姉御が吹きだした。

「なに言ってるんですか。本当の子供なんて使えませんよ?」

「え? そうなんですか?」

「そこのペペローネなんてもう二十二歳ですよ?」

「あーっ! 永遠の乙女の年齢をばらしたーっ!」

 ………………

 …………

 そしてメイは思いあたった。

「じゃ、その逸材ってのは……」

「あはは。ほら、子供の時代って短いじゃないですか? だからずっと子供のままでいられる人っていうのは貴重なんですよ。ここでは」

 ………………

 …………

 ……

 ぬあーーーーっ!


 ―――そんな風にメイのアイデンティティーがガリガリ削られるような出来事があったあげくに、肝心の件に関しては結局何も分からなかった。

 メイの話を聞いてペペローネは答えた。

「そんなの見てないもの。だいたいあたし達があいつらみたいに媚なんか売ったら、ドン引きされちゃうじゃないのよ?」

 あー、まあそうかもしれないが……

「でもそれならどうやってお相手を見つけるんですか?」

 それを聞いたペペローネが答えた。

「それはね 端っこの方でしれっとお菓子食べたりしてるのよ。するとチラチラ視線を感じるから、そうしたら庭の方に一人で行くの。すると大抵優しいおじさんがやってくるから

 それを聞いた別の美少女が言った。

「エクシーレの人も結構来たもんね~

「うんうん」

 はあ、そうなのですか……

 そして肝心のロムルースに関しては……

「国長様ならおっぱいが大きい方が好きだから、こっちには来ないし

 ―――とのことであった。



 続いて行ったアウデンティアも同様に“個性派”が揃った郭であった。

《うっわー……》

 こちらは今度は大柄な人、ふっくらとした人、男らしい人など、そういったちょっと変わったタイプの遊女が勢揃いしていた。彼女たちの一番の特徴は、悩み事などがあったら親身に相談に乗ってくれそうな何とも優しげな雰囲気である。

《郭ごとに色々違うんだなー……》

 そのあたりの予備知識は全く入れていかなかったので、メイもガリーナもただただ感嘆するのみである。

「ふふ。あちらが花ならばこちらは実ですから」

 かなり丸くなっている姉御はそう言って笑っていたが―――ともかくそんなわけここでもロムルースのお相手は見つからなかった。

 彼女たちもその特性上、マルデアモールの美女達のように自分から積極的に売り込んだりはせず、じっと獲物がかかるのを待つスタイルなのである。

 その分あたりの様子はよく見ていたのだが、当然のことながら彼女たちが注目していたのはセヴェルスとその取り巻きであった。そして彼女たちの一人が言うには……

「ああ、国長様ならセヴェルス様に何か囁いて、わりと早くに引っ込んでしまいましたわ」

 それはロムルースの話と付合する証言ではあったが、彼が誰に声をかけていたかとかは誰も見ていなかった。

「国長様はもういつでもよりどりみどりだから、一人で先にお休みしていることもよくあるみたいだし」

 こちらはグレイシーの話を裏付ける証言である。

「はあ……ちなみにセヴェルス様はどんな方とご一緒だったんですか?」

 落胆したメイはついでに尋ねてみたのだが、遊女達は首をかしげた。

「さあ、誰だったのかしら?」

「え? 分からなかったんですか?」

 彼に注目していたのではなかったのか?

「それがセヴェルス様、誰かにこっそり耳打ちしたみたいなのよ。国長様が下がってからしばらくして、じゃ、僕もそろそろ休もうかな。あは……とか言って下がっちゃって」

「そうそう。マルデアの子がえ~っとか言ったら、ふふ。君たちがケンカにならないようにね、なんて……ずいぶん遊んでらっしゃるのね」

「あー、そうですかー」

 そういえばあのときもナチュラルにメイ達とのデート? が始まってしまったが、やっぱりそういうことにはとても手慣れていた様子だったし……

「それじゃみなさん、それからは他の方のお相手をしていたと?」

「まあ、大体はそうね」

「大体?」

「中にはあぶれてた子もいたから……ほら、トロータ。水上庭園は初めてだからってすごく張り切ってたのに、帰ってからのあのしおれようといったら……」

「そうそう。もう泣きながら引きこもっちゃって」

 ん? 相手にあぶれてうろうろしてたなら、何か変わったことを見た可能性があったりして? そう思ってダメ元で尋ねてみたが……

「そのトロータさんは今いらっしゃるんですか?」

「いえ、秋に郭替えでグラースに行っちゃいましたけど」

「あー、そうですか」

 やっぱりダメだった。

 そんな調子で結局めぼしい情報は入らぬまま、引き上げようとしたときだった。

 メイとガリーナが玄関に向かっていたら、廊下の向う側からすらっと背の高い女性が数名の小娘を引き連れてやってくるのが見えた。

《あれ? あの人もプリマなんじゃ?》

 この何回かの郭巡りで見た一流と呼ばれる遊女には、みんな何かそれなりのオーラというものが感じられた。前から来る人もそんな気品を湛えているように見えるのだが……

《でも宴に出た人はさっきみんな集めてもらったわよね?》

 どうしてだろう? と思ったが、考えてみれば郭替えで後から入ってきた人なら当然だということに思いあたる。

《あはは! もうまったく……》

 そう思ってメイが軽く会釈して横をすり抜けようとしたときだ。その女性がぴたりと立ち止まったのだ。そして……

「おまえ、もしかして?」

「あなたは……先輩ですか?」

 は? なに? この会話……

 ふり返ると、その女性とガリーナが驚愕した様子で互いに見つめあっていた。

《は? どういうこと?》

 取り巻きの小娘達も驚いたようすで二人を見ている。すると……

「ガリーナ~! 久しぶりだなあ!」

 女性はいきなりガリーナをガバーッと抱きしめたのだ。

《はえ?》

 だが当のガリーナはそのことにはそれほど驚いていないようすだ。

「先輩、えっと、でもどうして?」

「ふふ。びっくりした?」

「それはびっくりしますが……」

 わりと冷静に受け答えしているが……

「私はびっくりしたぞ? こんな所で再会できるなんてなあ……ってか、いったいどうして?」

「それは、少々用事がありまして……」

「用事? こんな所にいったいどんな……え? まさか」

「は?」

「お前もこっちに転向しようってのか?」

 ………………

 …………

「違いますってーっ!」

 ガリーナは慌てて否定した。

「どうして? お前わりと向いてるかもしれないぞ? あんなとこで腐ってるんじゃないのか?」

「いえ、今はそういうわけでは……といいますか、先輩こそ、またどうしてこんな……」

 先輩は遠い目をしてふっと笑った。

「まあな。なんていうか、ちょっともう、やる気なくなっちゃってさ」

「ああ、まあ、あんなことがあれば……」

 ガリーナもうなずいた。

「しばらく本当に落ちこんでたんだけど……そうしたらお前のこと思いだしてさあ」

「私の?」

「そうそう。それで勘違いしちゃってね?」

「勘違い?」

「うん。もしかしてあたしってこっちの才能あるんじゃないかって。ほら、お前いつもあんなに喜んでくれたじゃない?」

「んなっ!」

 ガリーナが首筋まで真っ赤になる。

 先輩は彼女の脇のあたりにそっと手を這わせた。

「あ! ダメです! そこは……」

「ほら、やっぱり感じやすいところなんか変わってないじゃない」

「んーっ! や、やめてくださいっ!」

 ガリーナはジタバタしているが、先輩の腕からは逃れられない。

「でさあ、だからこれってあたしの腕がいいからって思っちゃったんだな? それでこの際って一念発起して、こっちに来てみたら……」

 女性はあははと笑った。

「いやー。厳しいのなんのって! もう何度くじけそうになったか分からないさ!」

「えっと……」

 先輩はガリーナの瞳をじっと見つめると……

「でもね? その度に君の顔を思い出すと、辛い気持ちがふっと消えてさ。また明日も頑張ろうって気になってさ」

 まさに自然な動作で彼女とキスを交わした。

 ガリーナはもう硬直状態だ。

「君には感謝してるんだよ?」

 それから女性はガリーナの背中からお尻の方をまさぐり始める。

「えと、その、先輩……」

 ガリーナの目がとろんとしてきている。

「ふふ。ちょっと早いけど部屋に行く? ここにあたしの部屋があるんだよ?」

「えと、その、あの……」

 メイは二人のようすに圧倒されていたのだが、このままではガリーナが拉致されてしまいそうな勢いだったので思わず声をかけた。

「あのー、すみません。ちょっといいですか?」

 そのとき先輩は初めてメイの存在に気づいた様子だった。

「ん? えっと? 彼女は?」

 ガリーナが慌てて正気に戻る。

「メイ殿です! フォレスのエルミーラ様の秘書官を務めてらっしゃいます」

「フォレス? エルミーラ様?」

 先輩は目を丸くした。そこでガリーナは何とか体を振りほどいた。

「私も今はそちらで王女様の護衛を務めさせて頂いております」

「ええっ?」

 先輩はしばらく呆けたようにガリーナを見つめてから尋ねた。

「フォレス? またどうして?」

「話せば長くなりますが……」

「じゃあこんな所で立ち話でも何だろ? あたしの部屋行こうよ」

「え? でも……」

 部屋に行ってナニをするつもりだ? と思ったら……

「そちらの方も一緒に。せっかくだからお茶でもしていかないか? それとも急ぎ?」

 けふんけふん。

「いえ、それほどでは……」

「じゃあ行こう行こう!」

 こうして二人はアウデンティアのプリマ、“ティグリーナ”と一緒にお茶することになってしまったのだった。


 聞けば彼女の本名はアリアといって、ガリーナの後宮警備隊時代の先輩で、入隊したときから公私ともにずっと色々お世話になっていたという。

 彼女は当時の“実力派”の中でも、トップの実力を有していた。

「あのー、それでお訊きしても構いませんか?」

 メイが恐る恐る尋ねると……

「え? どうしてあたしがやめたかって? いいけど。嵌められたんだ」

 ティグリーナはあっさりと答えた。

「嵌められた?」

「それがさあ、あいつらあたしが対戦相手に薬を盛ってるとか言いだしやがって。もちろんふざけるな! じゃあ調べてみろよ? って言ったら、本当に薬が見つかってさあ」

「うわー……」

 なんだそれは?

「あれは本当にひどかったです」

 ガリーナも大きなため息をつく。

「その場で全員ぶちのめしてやってもよかったんだけど、何かもう、急にアホくさくなってきてさ……で、即刻辞表出してやったさ」

「はあ……」

「ちょっとあれは潔すぎませんでしたか?」

 そんなガリーナの言葉に先輩は鼻を鳴らす。

「はっ。だってあんなババアどもの顔なんてもう一瞬たりとも見てたくなかったんだもん」

「まあ、お気持ちは分かりますが……でもそれでどうして……」

 そうそう。転向先としてもちょっと畑が違いすぎでは?

「ふふ。だからさっき言ったろ? なんかもうやんなっちゃったんで、心機一転。全然別なことやってみたくなってさ。で、まあこんな部屋ももらえちゃったりしてさ」

 遊女が自分の部屋をもらえるというのは一流の証だ。だがその部屋は今まで見たプリマの部屋とはやや趣が違っていて、普通に上品な、高級なお屋敷の一室といった雰囲気だ。最大の特徴といえば、部屋の壁に立派な薙刀が架かっていることだが……

「あれって本物ですか?」

「あ? 本物だよ。さすがに刃は引いてあるけど。ここじゃ芸の一つだな。ぶん回してみせると結構受けるし」

「そうなんですかー」

 彼女はガリーナの先輩だけあって大柄で肩幅も広く、確かに薙刀の型を見せるだけでとても映えるだろう―――と、そこでガリーナが尋ねた。

「えっと、先輩はいつからこちらに?」

「え? やめてから半年くらい経ってからかなあ」

「それからずっと?」

「うん。そうだけど?」

 要するに彼女はずっとここにいたということのようだが……

 そこでメイは尋ねたのだが……

「えっと……それでティグリーナさんはどうして水上庭園には行かれなかったんですか?」

「そりゃ……だってさすがに昔仲間に顔合わせたら気まずいし」

「あ、まあ、そりゃそうですよね」

 当然の話だった。そこで今度は彼女がガリーナに尋ねた。

「んで、それこそおまえ、どうしてフォレスなんかに?」

 ガリーナはうなずいた。

「ああ、はい。それが去年の春のことなんですが、後宮にエルミーラ様と一緒にアウラ様がいらっしゃいまして……」

 それを聞いたティグリーナが笑って尋ねる。

「アウラ様? はは。すごい名前だねえ。もしかしてヴィニエーラのアウラお姉様だったりして……」

 だがガリーナは素直にうなずいた。

「実はそうなのですが」

 それを聞いた彼女はしばらく絶句した。

「え? ほんと?」

「はい」

 信じられないという様子の彼女にガリーナがまたうなずく。

「その人がいま、エルミーラ様と一緒にいるの?」

「はい。なんでもガルブレス様の養い子だったそうで、義理の従姉妹にあたられるそうなのですが……」

「なに? ガルブレス様の? マジで?」

「はい」

「へえぇ……んで?」

 ティグリーナは興味津々だ。

「はい。そのアウラ様が後宮にいらっしゃいまして、私たちの練習を見てケチを付けられまして」

「ケチ付けた?」

「はい。あんなのは実戦の役に立たないとか何とか」

 ティグリーナはぷっと吹きだした。

「はは。で、もしかしてお前……」

 ガリーナは苦笑いしながらうなずいた。

「はい。ぶち切れて勝負を申し込んだのですが、そうしたらそのお弟子のリモン殿にボロ負けいたしまして」

「え? お前が?」

 ティグリーナは真剣に驚いた。

「はい。実際アウラ様の流儀は非常に実戦的でして、正直あれでは歯が立ちません」

 ………………

「そうだったのか……じゃあ、それでフォレスに?」

「それにもいろいろあったのですが……まあ結果的に今、アウラ様の下で研鑽させて頂いてます」

「へえぇ……そうだったんだ……」

 ティグリーナは驚愕の表情でガリーナを見た。

「で、なに? 少しは歯が立つようになったのか?」

 ガリーナは笑って首をふる。

「いえ、リモン殿にならともかく、アウラ様には……何というかもう、風のようで」

「風?」

「はい。もうこちらの動き出しが完全に見切られているみたいで、打ったと思ったら打たれているのです」

 ティグリーナの目が丸くなった。

「へえ……そんなに強いのか……」

 その瞳の中に何やら小さな炎のような輝きが浮かぶが―――彼女はふっと笑うと言った。

「でもま、そっちの方はもう完全に鈍っちゃったしな」

「先輩ならちょっと練習すれば大丈夫ですよ?」

「あはは。嬉しいこと言ってくれるねえ。でもさすがにこんなにブランクがあったらダメだから……それより、そのアウラ様なんだけどさ」

 ティグリーナがじっとガリーナを見つめた。

「はい?」

「とってもお上手だっていうのはほんと?」

 ………………

 ガリーナは真っ赤になって答える。

「いえっ! そちらの実力は拝見したことがございませんからっ!」

 ティグリーナは彼女の肩に手を回した。

「そうなの? いや、ほら、あたしさ、ここじゃこんな強いお姉様キャラやってるじゃない。だからよく比較されるんだよ。それでずっと気になってたんだけど……」

 それからティグリーナはじっとガリーナを見つめた。

「あ、そうだ。じゃあお前、せっかくだからそっちの方もアウラ様のお弟子になって来いよ?」

「はわ?」

「で、その技をあたしに教えて? こんなんだから女のお得意さんも多くてさ」

「え? 女性もよく来るんですか?」

「ああ。うちはわりとね……って、そういえばエルミーラ様って郭に出入りしてるって聞くけど、あれほんと?」

 ガリーナがどう答えたものかとメイを見る。そこで彼女はうなずいた。

「え? ああ、まあ嘘ではありませんね」

 それを聞いたティグリーナはにっこり笑う。

「へえぇ。じゃ、うちにも来てくれない? 王女様御用達とかいったら箔もつくし。館に招待状出していいかなあ?」

「えーっと……さすがにそれは……」

 アサンシオンからも来てないのに、いきなりそれは……

「うふ じゃあ秘書官様に預けておくっていうのは?」

「あー、まあ、それなら……」

 などといった調子で彼女からの手紙も受け取ってしまったのだったが……



 二人は離宮に戻るとメイの部屋でぐったりしていた。

 郭回りなんてもう慣れたとか思っていたのだが、まさに甘かった。

「奥が深いんですねー……」

 メイが思わずつぶやくと……

「あはは。そうでしたねえ」

 ガリーナも疲れたように答える。

「うー。でもどうしましょう。この手紙……」

 パサデラからの手紙も渡せていないし、ティグリーナの手紙もいきなり渡すわけにはいかないし……

《まあ、あげたら王女様、喜びそうだけど……》

 でもセリウスとかにバレたら卒倒するだろうか?

 それはともかく……

「でも疑惑が解明できなければどうしようもないのでは?」

 ガリーナも疲れ果てた様子で答える。

「ですよねー」

 ともかくここまでで分かったことは、この調子では解明なんて夢また夢なのでは? という事実だった。

 前回の調査に比べて状況はややこしいし、それに今回は王女などには秘密の調査で、大っぴらには動けないのだ。

《だったらどうすれば?》

 確かに王女様のお相手が別人だった可能性は高くないと言えるから、こうなったら放っておくということも―――いや、どうなのだろう? 本当にそれでいいのか? もしまかり間違って本当だったりしたら、いったいどんな騒ぎになる?

 メイ達がそんな調子で頭をかかえていたときだ。

「あ、二人とも、こんな所にいたの?」

 部屋にいきなりグルナが入ってきた。

 メイは慌てて手紙を隠す。

「え? 何ですか?」

「それが大変なのよ。セヴェルス様がやってきたいんだって」

 ………………

 …………

「え? セヴェルス様が?」

「そうなの。王女様の急病の話を聞いて、お見舞いに来たいんだって」

「あ……」

 それは王子にとってはとても自然な話だった。何しろあの会談のときだけでなく、喜びの海をエスパーダ号で一日遊覧してきたのだ。そして場合によったら王女の結婚相手ともなり得る方であって……

「えっと……でもそうなったら……」

「そう。他にも色々来るだろうから、今から対策を練っておかないと……」

「ですよねー」

 もちろんまだ王女の真の病名を明かすわけにはいかないわけで……

《うわー……これって……》

 しばらくは疑惑の解明どころではなさそうだった。