エルミーラ王女のすてきな家族計画 第4章 その夜の出来事

第4章 その夜の出来事


 エルミーラ王女の部屋に向かう足取りは鉛のように重かった。

《うー……やっぱ止めようかなあ……》

 立ち止まっては何度もそう考える。

 調査をして結局よく分からなかったからには、本人に聞いて確認するしかないのだが―――そもそも王女のお相手が本当にロムルースだったかなんてことはまだ何も問題にはなっていないのだから、ここでメイが騒ぎ立てても仕方がないのでは? 単に王女の機嫌を損ねるだけの結果にしかならない気もするし……

《でも……》

 考えたくはない。本当に考えたくはないのだが、仮にもしこれが本当だったとしたならば、それが後から発覚してしまったとしたならば、その影響はいかばかりであろうか?

《ううぅ……》

 そういえば前に一度似たような状況に直面したことがあったが―――えーっと、そうだ。あれはフレーノ卿の事件のときだ。

 あのときはたまたまメイ達の来訪によって卿の処刑が延期されてしまったのだが……

《どう考えたってベラの内部事情だったし、あたし達が動く道理なんてなかったし……》

 そう。あのときも彼女たちが何もしなくとも、それで何が起ころうとも、誰にも誹られることなどなかった。

《その点に関してなら今回だって……》

 後から何が起ころうとメイ達に何の責任もないのでは?

《だったら……》

 メイは回れ右して帰ろうかと思った―――だが体が動かない。

 どうしてなのだろう? 確かに彼女には何の非もない。知らなかったといえばそれまでなのだが……

《だったらどうしてあのときナマズサンドを食べに行かなかったのよ?》

 あんなことは気にせずにそうしておけばよかったのだ。あれから何だかんだで結局ナマズのサンドイッチを食べる機会はなかった。

 だがそのおかげでファリーナやフレーノ卿と仲良くなれて、素敵なお菓子を食べたりファルクス工房の名車に初乗りできたわけで―――差し引きとしては得をしているとは思うが……

《うー……でも今回はそんな余得もなさそうだし……》

 単なるくたびれ損に終わってしまいそうなのだが―――って、あれ? そんな論点でいいのか? 何だか頭がよく回らないが……

 そんなことを思い悩みながら長い廊下をとぼとぼ歩いて行くと、やがて王女の居室の扉が見えてきた。

 扉の前でしばらく逡巡した後、メイは思いきってノックした。

「あのー……メイですが」

「入っていいわよ」

 彼女は部屋の中に入った。

 中央には天蓋付きの大きなベッドが置かれていて、そこに王女は横たわっていた。

「どうしたの? 改まって」

 彼女が尋ねると、メイはまたしばらくもじもじしてから答えた。

「あの、ちょっとその、お尋ねしたいんですが……」

「なあに?」

「あの……王女様のお腹の御子様についてなんですが……」

「この子がどうかしたの?」

「いえその……とても言いにくいことなんですが……」

 口ごもるメイを見て王女は眉をひそめる。

「言いたいことがあったなら、はっきりとおっしゃいなさい?」

「はい。それではその……」

 メイはそこで何度か深呼吸をして、ついに尋ねた。


「御子様のお父様は、その、本当にロムルース様なんでしょうか?」


 ………………

 王女はじっとメイを見つめる。

「どうしてそんなことを尋ねるの?」

 メイは心臓をぎゅっと握られたような気分になった。

「だからその……もしかして王女様の過ちを、ロムルース様がかばってるんじゃないかって思って……いや、ですからそんなことないって言って頂ければそれでよくって……」

 だが―――王女は何も答えず、じっとメイを見つめるだけだ。

「あの……?」

 それからふうっと王女はためいきをつくと―――にやーっと笑ったのだ。

「そう……あなたも気づいちゃったのね?」

「え?」

「余計なことを考えなきゃ、もっとずっと生きてられたのに……」

「え? え?」

 王女様は何を言っているのだ?

 そのとき部屋の奥の扉が開くと、アウラが出てきた。

「え? なに? メイも気づいちゃったの?」

「そうみたい。しょうがないわねえ」

 しょうがないって……

《えっと、えっと……》

 だが、逃げようにも体がすくんでしまって動けない。

「大丈夫。アウラは上手だから痛くないわよ?」

 いや、そういう問題ではなくって―――と、そのときメイはアウラが片手にぶら下げている物に気がついた。


「心配ご無用ですよ? 気がついたら私もこうなってましたから……」


 それは喋るガリーナの生首だった。

《ひいぃぃぃぃぃぃっ!》

 一体これはどういうことだ?

 メイは王女に向かって叫ぼうとしたのだが―――その姿を見て愕然とする。

《なに? あれ……》

 なぜなら王女のお腹はもう臨月になったかのように大きくなっていたのだ。

 だがまだ四ヶ月の半分くらいのはず。

《一体……誰の子⁉》

 背筋が冷たくなってくる。

 だがメイがその質問を発する前に……

「ごめんね。メイ」

 アウラの薙刀が振りおろされた。



「ふぎゃーーーーっ!」

 ベッドの下には柔らかい絨毯が敷かれていたため、ずり落ちてもケガはしなかった。

 床の上でメイはしばらく呆然としていた。

《何て……夢よ……》

 悪夢を見てベッドから転がり落ちるというのは、子供のとき以来だが……

《ってか何よ! あの最後のは……》

 何だかコルネの闇のプリンスネタが混ざっているのだが……

 ともかく、本当に夢でよかった……

 よかったのだが……

《でも……こういう可能性も……マジある?》

 ………………

 …………

 ……

 あはははははは!

 んなわけないよね? いくらなんでも!

 いや、でも……

《そうなったら、秘密は絶対守りますから、ともかく一生をかけて誠心誠意お仕えしますからって泣いて頼むしか……》

 いや、だからそんなことないって! 絶対! 多分……

 何だか頭の中がぐるぐるしてくるが―――だがともかく今日はそんなことで思い悩んでいる暇はなかった。なぜならセヴェルス王子がお見舞いにやってくる日だからだ。

 これが普通の相手なら「ちょっと王女の気分が優れませんので」で済むのだが、さすがに彼に対してはそうはいかない。

 そして王子がやってくるのであれば、後宮と水上庭園の責任者であるグレイシーもやってくる。

 その他王子のお付きとかベラの高官とか、そういった人たちが勢揃いするわけで……

《うー……これってそれこそ正念場よね……》

 今はまだ王女の秘密を明かす準備ができていない。彼らには秘密を気取られることなくお帰り頂かねばならないのだ。

 そのための手はずは昨日までに一生懸命考えたから、まずは大丈夫だとは思うのだが―――こんな日に遅刻するわけにはいかない。

 メイは慌てて朝の支度を始めた。



 王女の部屋は離宮で最も眺めのよい明るい二階にあった。

《あはは。あの部屋、もっと薄暗かったもんね……》

 今朝の夢を思いだしたら今でも背筋が冷たくなってくるが、部屋の中央にある天蓋付きのベッドはほぼ見たままだ。

 王女は今は部屋の片隅にあるドレッサーの前でメイクの真っ最中だ。

「いかがでしょう? このような感じで」

 やってくれているのはアナトラという年配の女性だが、侍従長ロスカに昔から仕えていたという、最も信頼置ける侍女の一人だった。

 彼女にはメイ達も色々お世話になっていた。例えばアウローラを散策するときに着ていって、リモンが目立ってしまったコートとかは彼女の見立てだ。

《さすがそういうセンス、いいのよね……》

 さらに彼女はメイクの腕も抜群だった。

「あら、いいわねえ。まるで本当の病人みたい!」

 エルミーラ王女が笑いながら答える。

 なにしろ普段の彼女は正直つやつやしていて、どう見ても面会謝絶が必要な病人には見えない。なので今回は少々病人らしくしてもらわなければならないのだ。

「お笑いになられるときも、もう少し疲れたような感じにして頂いた方がよろしいかと」

「え? ああ、こんな感じ?」

「はい。そうです。そんな感じでしょうか?」

 アナトラの指示に従いながら、王女が尋ねた。

「でもあなた、こういうの上手ねえ。コルネじゃこうはいかないから……」

 アナトラは苦笑した。

「いえ、先代の奥方がよく仮病をなさっておいででしたので」

 それを聞いた王女の目が丸くなった。

「先代って、カルディア様が?」

 アナトラはうなずく。

「はい。元々それほど体がお丈夫な方ではございませんでしたが、おかげで気に入らない会見のようなときにはよく……」

「あのお母様が? そうなんだ」

「もちろんエルミーラ様がいらっしゃったようなときにはもう元気一杯でしたけど」

「そう……」

 王女は懐かしそうにうなずいた。

《カルディア様ってずいぶん前に亡くなられたのよね……》

 ベラ先代の国長グレンデルの后カルディア―――すなわちロムルースの母君は、十年ほど前に病気で急逝していた。だがそのおかげでその後に起こった色々な不幸な出来事を見ずにすんだとも言える。

《ロムルース様と王女様のご縁談をことのほかお喜びになってたとか……》

 今回の旅行でメイは王女とロムルースの側にずっと付き従っていたのだが、二人の会話の端々によくその后の名が現れた。そんなときの二人は見るからに幸せそうだったが―――多分王女にとっても、もう一人の母親のような存在だったのだろう。

 メイクが終わると王女は立ちあがって大きく伸びをした。

「さあて! じゃあ頑張って病人するわよーっ!」

 はは。本当に頑張って欲しいですねえ―――などとメイが思っていると、王女がいきなり尋ねてきた。

「それで来るのは何時くらいかしら?」

 そのあたりのスケジュールはバッチリ頭に入っている。

「え? ああ、今はお館様と会見中ですから、あと一時間くらいかかりますね」

「そう。ルース、一人で大丈夫かしら?」

「あー、まあ、セリウスさんもご一緒ですし、大丈夫だと思いますが?」

 曲がりなりにも一国の長に対してそんな心配をするのは失礼だと思うのだが、メイにも王女の気持ちはよく理解できた。

《誰だっけ? このさい二人でフォレスとベラを共同統治したらとか言ってたのは……》

 そんな話は普通はあり得ないのだが、この二人だと何だかあり得そうで怖くなるのだが……

《そうなったら私の立場ってどうなるのかしらねえ……》

 この件がどう転ぶかでメイの未来はちょっと信じられないくらい変貌してしまうのだが……

《なんせ文字通り首になる結末まであるし……》

 あっはははは!

 そんなことになったら笑うしかない。もう本当に絶対笑ってやるから!

「まあ、そうよね……それじゃお茶にしましょうか?」

 そんなメイの内面を知らない王女がにこやかにコルネに言った。

「あ、はい」

 彼女が即座に準備にかかる。

「あは。こんな風に食べて寝てばかりじゃ、太っちゃいそうねえ」

「まあ、そうですね」

 グルナが苦笑いしながら答える。

 ともかく王女様は平常運転ということで―――ともかく、こういう人をだまくらかすようなことは大好きなお方なので、今日はうまくやってくれると思うが……

《はあ、とっとと終わってほしいなあ……》

 内心では気が気ではないのだが、ここでメイが慌てても仕方がない。まあなるようになるだろうとお茶を飲んで待つことにした。

 その間に会見の手順をおさらいする。

 今日は王女のお見舞いということなので会見時間は長くはない。大人しくさえしていれば、真実がバレることもないだろう。

 王女のお腹はまだ四ヶ月半なので、それほど目だって大きくはなっていない。だから今の夜着にガウンという姿で問題はない。

《えっと、それで話す内容は……》

 病気の原因が旅の疲れが溜まったという建前になっているので、北部の視察がかなり厳しかったという話をすることになっている。

《実際、そうだったもんねえ……》

 とにかくベラの辺境では道がよくなかった。王女は乗馬が嫌いなのでどこへ行くにも馬車なのだが、そうすると立ち往生するようなことが頻繁にあった。一度は挙げ句に天候が悪化してきて、本気で車中泊せねばならないかという事態もあったのだ。

《あのときはちょっと心細かったわよねえ……》

 彼女たちの乗っている長距離用のベルリン型は、そういう場合でも中で寝られる仕組みにはなっているのだが、何しろ季節が季節だ。いかな馬車好きのメイでも、ちょっと勘弁という状況だったのだ。

《近くに村があって本当によかった……》

 いきなりの国長や王女の来訪に村人達はてんてこ舞いしていたようだが、それでも村の宿屋にみんな入りきれて、何とか事なきを得たのである。

 夕食もあり合わせの物ではあったが、とりあえずは満足できる物だったし……

《あー、そうそう。その辺の話も出るかもしれないんだった……》

 国長と王女の一行であるから料理人なども同行していて、普通は彼らが作った料理が出されてくる。だが前述の通り王女は庶民の店や料理に味をしめていた。そのためメイが厨房の人にいろいろ聞いたり調べたりしていたのだが……

《中には消化の悪そうな物もあったもんね……》

 おかげでセリウスに怒られそうになったのだが、そのため……

『あー、ちょっと悪役を被ってもらえますか?』

 今回は彼にそう言われている。

 旅の疲れが溜まっているところにそんな店に出かけたり料理を食べたりしていたので、ついにひどくお腹を壊してしまったというストーリーなので、致し方ないところなのだが……

《でも、セヴェルス様なら喜んでくれるんじゃないかしら?》

 メイの日記にはそういったときのことが細かく記されていたから、具体的なネタには事欠かないのだ。彼もお忍びでそういう店にはよく行っているみたいだし……

《獣の話をしても面白がってくれるかもしれないし……》

 ともかくそんな話題で盛り上がれれば、まあ大丈夫なはずだ。


 ―――メイがそんなことを反芻していると、一行が長の館を出てこちらに向かったという報せが来た。

「さあて、それじゃ準備しましょうか」

 王女の言葉に、お茶の道具などは一旦片づけて、みんなそれぞれ配置につく。

 客のもてなしはグルナとアナトラが中心に行うので、コルネとメイは何かあった場合の控え要員だ。リモンとガリーナは外回りの警備に就いている。

 本来ならアウラもいるべきなのだが、午前中にはまた会見が入っているので、フィン共々そちらに出ている。それが早く終わればこちらに戻ってくるとのことだが。

《まあ、アウラ様だとぽろっと何か言っちゃったりしかねないし……》

 側にいてくれたら物理的にはこれほど頼りになる人もいないのだが、政治的なことになるとこれほど頼りにならない人もいない―――そんなことを考えていると、ついに一行がやってきた。

「みなさま方のお着きです」

 セリウスに率いられて、セヴェルス王子とロムルース、それにグレイシーが入ってきた。

 そのあとから侍従長のロスカやセヴェルスのお付きのデュナミス、さらにベラの高官や魔導師、さらには御殿医なども従ってくる。

 彼らは入ってくるとまずエルミーラ王女に一礼した。

《予定通りのメンバーね……》

 今のところ特に問題はないようだ。

「ミーラ。具合はどうだ?」

 ベッドの端に腰をかけたエルミーラ王女が一礼をすると答えた。

「はい。もう随分よくなりましたが、セヴェルス様、それに皆様方もご心配頂きありがとうございます」

 だがその喋り方にはいつもの張りがない―――もちろんこれも練習の成果だ。

「さあどうぞ、皆様もおかけ下さいな」

 王女が客に椅子を勧める。やってきた一同はそれぞれ準備された席に座った。

「申しわけありません。私はこんな姿で失礼致します」

 夜着の上にガウンを纏った王女の姿を見て、セヴェルス王子が言った。

「うわあ、確かにちょっとおやつれのようですね」

「はい。少々旅の疲れが溜まってしまったとのことで……でも医者の言うことには、しばらくこうして休んでいればすぐ回復するとか」

 セヴェルスはにっこりと笑った。

「ああ、はい。それは聞きましたが、いや、本当によかったですね。大したことがなくって」

 そこにグルナとアナトラがお茶のお盆を持って入ってきて、一同に配り始める。

「いや、話を聞いたときにはびっくりしましたよ。昨年お目にかかったときにはとても元気そうでしたから……それで何はともあれこうして参った次第ですが……」

「本当にご心配をおかけして申しわけありませんわ」

 王女がうち沈んだ様子で答える。

《あはは。王女様も堂に入ってるなあ……》

 メイクの効果も相まって、これならばまちがいなく病人に見えるだろう。

 それを見た王子が何やら悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「いやあ、でも実は来る途中は、本当に心配していたんですよ?」

「そこまでご心配頂かなくとも?」

 王女が少し不思議そうに尋ねると……

「いえいえ、実はもしご懐妊だったらどうしようかって」

 王子がやや冗談めいた調子でそう答えた瞬間だ。


 ガシャン!


 見ると王子のカップにお茶を注ごうとしていたアナトラが手を滑らせてカップをひっくり返していた。

《え⁈ 今セヴェルス様、何て言った?》

 一瞬あたりが沈黙する。

「あ、も、申しわけございませんっ! お召し物が汚れませんでしたか?」

 アナトラが慌ててテーブルを拭き始めるが……

「あ、いや、大丈夫だけど……」

 セヴェルスが驚いた様子で彼女を見て、それから今度は王女の顔を見た。

 王女は一瞬呆然としていたが、それからむっとセヴェルスを睨む。

「いきなり何をおっしゃるのです? アナトラもびっくりしてしまいますわ」

 セヴェルスは笑って頭を掻いた。

「あはは。すみません。いやー、ちょっとした思い出があったので、それでまさかと思って」

「思い出? ですか?」

 王女が首をかしげる。

「はい。それがほら、昨年私が来たときに大変素晴らしいおもてなしをして頂いたじゃないですか」

 そう言ってロムルースの方をふり返る。

「いや、セヴェルス殿がいらっしゃるのであれば、あの程度当然だが?」

 ロムルースが答えると、セヴェルスはニコニコ笑った。

「いやあ、楽しかったですよ。本当に……で、実はあのときのことなんですが……」

 セヴェルスはちょっと真面目な顔になる。

《あ? セヴェルス様、いったい何を?》

 この方はとにかくマイペースなところがある。何というか、空気を読まないときにはとことん読まないわけで……

「実はですね、美しい方々の中に何やら、エルミーラ様の姿を彷彿とさせるふくよかな子を見つけまして、あの晩はその子と楽しませて頂いたんですが……」

 ………………

 …………

 はい?

 王女達がぽかんとしていると、グレイシーがぼそっとつぶやいた。

「また茶髪の腹ボテ?」

 なぜかそれを聞いたロムルースがうっといった表情になる。

「はい? 一体それは何なのでしょうか?」

 それをめざとく見つけた王女が、にこっと笑って突っこんだ。

 ロムルースの目がまた泳ぐが、そこにグレイシーがにっこり笑って答えた。

「いえ、このような宴を行うとよく、郭からそのような遊女が送りこまれてくるのでございます。するとなぜか長様の覚えめでたいことがよくございまして……」

「ルースの覚えめでたい?」

 王女が首をかしげながら尋ねると、ロムルースが赤くなった。

「いや、だから……」

 その様子を見ながらグレイシーがしれっと続ける。

「なにしろ長様のお手つきともなればそれだけで格が上がりますし、郭側としても客が呼べるのでしょう?」

 えっと、要するにその“茶髪の腹ボテ”さんがなぜかロムルースにもてると?

 そして一つの事実としてエルミーラ王女の髪は綺麗な栗色をしているわけで……

《あはは! もしかしてそれって……》

 王女もほぼ同時にそれに気づいたようだった。彼女はにこ~っと笑うとグレイシーに尋ねた。

「えーっと、それで腹ボテとは?」

 グレイシーも同様ににこ~っと笑うと答える。

「だってあのサイズでしたら私たちの基準から言えば腹ボテと申しますので……」

「ほう? どのくらいのサイズでしょう?」

 王女がちょっとむっとした表情で尋ねると、グレイシーはあたりを憚るように立つと王女の耳元に囁いた。

「……このくらいなのですが?」

 王女の顔が赤くなった。

「どうしてそれが?」

 グレイシーがしれっと答える。

「え? まさかこれって王女様の? それは大変申しわけございませんでした」

 そしてあからさまに大仰に謝る。

「なぜかこのお館様お好みのサイズがあちこちに流布しておりまして……いえ、まさか王女様のサイズとは露知らず、失礼なことを申し上げてしまいましたわ。本っ当に申しわけございませんでした」

 あー、絶対これってあの脅迫状の報復だな? うん。間違いない。

 王女はじとっとグレイシーを睨んだが、それ以上は突っこまずにつぶやいた。

「なんてこと! どこから漏れたのかしら? 犯人を見つけたら国家機密漏洩罪ね?」

 そう言ってグルナをちらっと見る。彼女の顔が蒼くなるが、すぐに王女はクスッと笑うと今度はロムルースを睨みつけた。

「なによ。ルースも。あたしのそっくりさんとずっとお楽しみだったの?」

「いや、だから……」

 そこにまたグレイシーが口を挟む。

「いえ、そっくりさんなんて。それほどの者はまだ現れておりませんが。あくまでセヴェルス様のおっしゃったように、お姿を彷彿とさせるような娘でございまして」

 えっと、まあ何となく状況は分かったが―――何とも紛らわしい話だ。一瞬本当にドキッとしたではないか……

 あたりを見回すとみんな同じ気分のようだった。

《しょうがないわよねえ……アナトラさんもあんな不意打ちだったわけだし……》

 あそこでは誰がお茶を出していても間違いなく同じようなことになっただろう。

 そこでエルミーラ王女もにっこり笑ってセヴェルス王子に尋ねた。

「で、その私の姿を彷彿とさせる娘さんの名前はなんとおっしゃったのですか?」

 ともかくここは話をうやむやにしていくところだろう。

 ―――ところが王子は首をふった。

「いや、それが分からないんですよ」

「分からない?」

「名前を聞かなかったんで」

 それを聞いていたグレイシーがまた口を挟んだ。

「まあ、それはまた奥ゆかしい娘さんでしたこと。朝まで一緒にいて名も名乗らなかったと?」

 確かに遊女というのは商売なのだから、名前の売り込みをしないなんて不思議だな―――と思ったときだ。

「いやー、気がついたらいなくなってたんですよ」

「いなく……なっていた?」

 グレイシーの目が丸くなる。

「はい。終わってからちょっとうとうとしてたらいなくなってて……しばらく待っても帰ってこないから、何だか怒らせちゃったのかなって思って……それで自室に引き上げたんですが」

 それを聞いたグレイシーが目をむいた。

「「ええっ⁉」」

 同時に王女の秘密を知っている者達からも思わず声が漏れる。

 その様子に気づいたセヴェルス王子が不思議そうに尋ねた。

「あれ? どうなさったんですか?」

 エルミーラ王女を始め一同が絶句した瞬間だ。


「何て失礼な! 本当に名前が分からないのですか⁉」


 グレイシーがすごい剣幕で王子ににじり寄ったのだ。

「え? ああ……」

 思わず王子は体を退く。

「どこの郭の者とかも?」

 王子はのけぞったままうなずいた。

「うん。結構飲んでたしなあ。でも、やっぱこっちでも朝までいてくれるもんなんだよねえ。普通は……」

「もちろんです‼」

 グレイシーはしばらく絶句していると、いきなりセヴェルス王子の前に跪いて頭を床にこすりつけたのだ。

「ああっ! 申しわけございません。何てご無礼をを……ああ、どうしてそのときおっしゃって頂けなかったのですか? いえ、全ては私の不徳でございます!」

 その姿に驚いた王子が慌ててグレイシーに声をかける。

「そんなお姿は似つかわしくありませんよ。どうかお立ち下さい」

 だが平伏ししたままグレイシーは首をふる。

「いえ、私はあの場を任されていたのでございます。それなのに一番大切なお客様にそんなご無礼をおかけしただけでなく、今の今まで知りもしなかったなどと……」

 王子はグレイシーの横に跪くとその肩をなでた。

「まあまあ、ほら、こちらも十分楽しませて頂いたんですから、何か事情でもあったんじゃないでしょうか?」

 王子になだめられてグレイシーは渋々といった様子で頭を上げるが、横を向いて肩を震わせながら……

「一体どこよ? そんな失礼な王女似なんかを送りこんで来たのは……」

 などと半泣きでぶつぶつ言いはじめた。

 だがそれを見ていた他のメンバーの心中には、別のとんでもない疑惑が渦巻き始めていた。

《ちょっと待ってよ、これってどういうこと?》

 セヴェルス王子の相手をした“王女似の遊女”が途中で姿を消してしまった?

 少なくとも遊女とは、朝に客を送り出すところまでもてなすのが礼儀だと聞いた。途中で勝手にいなくなるとか―――しかも相手は王子なのだぞ? プロの遊女がそんな失礼なことをするか?

 だがしかし……


 ―――そう。これがもし“アマチュアの遊女”だったとしたならば?


 メイは横目でチラチラと関係者の顔を見た。

 グルナは両手で口を押さえている。コルネの目は虚ろだ。アナトラは真っ青になって震えているし、ロスカは苦虫を噛みつぶしたような表情だ。セリウスの顔は完全に凍りついていて、まさに能面のようだ。

 途端にメイの胃までがキリキリ痛くなってきた。

 そう。すなわちその“王女似の遊女”が実は本当に王女だったとしたら―――これってものすごく状況と付合するのでは?

《あのとき王女様もずいぶんお酒を召し上がってらしたわよね?》

 そして王女はうっかり間違えてセヴェルスと楽しんでしまって、後から気づいて慌てて逃げたのだとしたら……

 ………………

 …………

 ……

 と、そのときセリウスが愕然とした表情でロムルースと王女の顔を見比べた。

《え? まさか気づいた?》

 エルミーラ王女の過ちを、彼が必死でかばっているという可能性に……

 そして当の王女はそっぽを向いて額に手を当てている。

《何かヤバくない? この雰囲気……》

 その空気を破ったのはセヴェルスだった。

「あー、みなさん。そこまで深刻にならなくても。こちらは全然気にしてませんから。ほら、それでね、悩んじゃってたわけなんですよ」

 一同の注目を集めるとセヴェルスはにこやかに続けた。

「ほらあ、噂に寄れば、なんでもエルミーラ様って遊女の真似がお得意とか?」

 一同は再び絶句する。

「それで後から考えたら、まさかあの子が本物の王女様だったりしないよね、なんてちょっと心配になってしまいまして」

 ………………

「で、先ほどあんなことを言って、そちらのご婦人を驚かせてしまったわけなんですが……」

 ………………

 …………

「いや、もちろん私だって一国の王子ですから。そんな場合にはもちろん責任をとらせて頂きますよ?」

 そう言って王子は仰々しく王女の前に跪くと手を差しのべた。

 王女は笑いながら手をふると……

「何をおっしゃってるのでしょう? 私がルースとセヴェルス様を取り違えるなんて、絶対にございませんから!」

 そう答えて――――――慌てて口を押さえた。

 ………………

 …………

 ……

「え? あの……」

 セヴェルス王子がぽかんとした表情で王女を見つめる。

「取り違える? って……」

 ぎゃあああああああ!

 痛恨のミスどころではなかった。身に覚えがなければそんなセリフが出てくるはずがないわけで―――さすがの王女も取りつくろうことができず、真っ青になっている。

 いや、そもそもこの会見でこんな話題になるなど、誰も想像さえしていなかったのだ。王女を責めるわけにもいかないのだが……

 あたり一同全員顔面蒼白だ。

 だが驚いたのはセヴェルス王子も同様だった。

 そして彼は王女とロムルースを交互に見ながら尋ねた。

「あの……もしかしてその、本当にご懐妊……なのですか?」

 王子の顔からも血の気が引いている。

 間違いなく彼は宴での失態のせいで皆があたふたしていると勘違いして、ちょっと場を和ませようとしたのだろうが―――もう少しネタを厳選して頂ければ幸いだったのだが……


「今のお話は本当なのですか?」


 そこでぶち切れたのがグレイシーだった。

「え? 何が?」

 慌てて王女がごまかそうとするが……

「じゃ、なに? あなた遊女に化けてお館様に夜這いをかけてたっていうの?」

「な、何のことでしょうか? おほほほ」

「とぼけないで! まあ、何て恥知らずな! 挙げ句に相手を取り違えて? バカじゃないの?」

「だからそれは違いますって!」

「なにが違うのよ! だってあの夜お館様はお一人でお休みだったんですから!」

 聞いた王女が口ごもる。

《うわああああ!》

 いきなりとんでもない修羅場になってしまったが―――そこにロムルースが割って入る。

「おい! グレイシー! 仮にも他国の王女に向かってなんて言い草だ!」

 彼の言葉は普通なら引いてしまいそうな怒気を帯びていたのだが……

「ロムルース様! 仮にもあなたはこのベラ首長国の国長なのですよ?」

 グレイシーは真っ正面から言いかえした。彼女ももう完全に怒り狂っている。そして……


「そのお方がどうしてこんな恥知らずな女を庇うのですか‼」


 それは一番発して欲しくない言葉だった。

 聞いたロムルースは真っ赤になる。

「庇うだと? 一体誰が⁈」

 そう言ってロムルースが手を上げるが、グレイシーは正面に仁王立ちになって見返した。

「いかがなのです‼」

 その様子にロムルースがたじたじとなったところにセリウスが割って入る。

「お館様。お止め下さい!」

「しかし……」

「ともかく気をお鎮めになって下さい。お二人とも」

「ちょっと! あなたも……」

 グレイシーがそんな彼をなじろうとしたが、セリウスは首をふって彼女を押しとどめると、静かな口調でロムルースに尋ねた。

「お館様……私からもお尋ね致したいのですが……」

「なんだ?」


「まさか……本当にお庇いなさっているということは……ございませんよね?」


 ロムルースはしばらく絶句して、それからセリウスに詰めよる。

「はあ? 戯けたことを言ったら承知しないぞ?」

 だがセリウスも一歩も引かない。

「しかしそれでは朝お二人が別々だったことはどう説明します?」

 ロムルースは真っ赤になって口をぱくぱくさせるだけだ。

 そこにグレイシーが尋ねる。

「朝別々ってどういうことよ?」

「お二方がおっしゃるには、あの日お二人は夜を一緒にお過ごしになられたそうなのですが、朝起きてみたら別々の部屋で寝てらっしゃったそうなのです」

 グレイシーの目が丸くなる。そして矛先が王女に向かう。

「何それ! どういうこと?」

 王女もむっとした顔でにらみ返す。

「だーかーら……確かにあのとき遊女の格好で宴に忍んでいったけどっ!」

 王女は開き直った。

「でも、私と一緒だったのはルースで、セヴェルス様ではございません!」

「そうだ! ミーラの言うとおりだ!」

 追従するロムルースにグレイシーが詰めよる。

「それではどうして私が行ったときにこの人はいなかったのです?」

「それは……」

「もしかして夢でも見ていらっしゃったのでは?」

 そう言って彼女はじろっとロムルースを見つめた。

「なんだと?」

 口ごもる彼に、グレイシーはにっこりと笑いかける。

「私と一緒のときでもよく寝言で王女様のお名前を口走ってらっしゃいますわよ?」

「んな……」

 真っ赤になるロムルースにセリウスも言った。

「お館様。お館様の大切なお方は私たちにとっても大切なお方です。その方をお守りするためにはいかなる事でも為すつもりでございますが……でも本当の事を言って頂けなければ、それも適いません」

 セリウスに見つめられ、ロムルースはしばらく絶句すると―――清々しくキレた。


「誰が嘘つきだ! 嘘などついていない! 貴様ら私を愚弄するのかっ!」


「しかしお館様!」

「うるさい! ふざけたことを言う奴は許さん! セリウス! グレイシー! まずはミーラに謝れっ!」

 二人が歯を食いしばる。

 いや、高飛車にそういうことを言われては、二人としても素直にはうなずけないわけで―――それに同じ疑問はこの場の関係者全てが抱いているに違いない。

 高圧的に行けば行くほど疑惑を深めてしまうのでは?

《げえぇぇぇっ! マジでーっ⁈》

 こういう場合一体どうしたらいいのだ?

 ともかく……

 ともかく……

 そんなメイの頭に名案が閃いた。


「あー、ちょっと待って下さい!」


 途端にあたり全員の視線が彼女に集まる。

「なんだ?」

 ロムルースがじろっとメイを見る。

《ぎゃーっ!》

 内心では悲鳴を上げながらも、今降りてきたアイデアならきっと……

「いや、ですから、その、ほら、ロムルース様が、王女様と、その、夜をご一緒したという夢を見てたとしますよ?」

「だったら?」

「それだったとしたら、ほら、王女様がロムルース様と一緒だったっていうのも夢ってことになりますよね?」

「はあ?」

「ということはお二人は夢の中で出会って、その、愛し合われたわけで……」

 誰もが、何を言ってるんだこいつ? という表情だが……

「ってことは、王女様のお腹ももしかして……」

「もしかして?」

「想像妊娠だったりして……あは!」

 ………………

 …………

 ……

 冷ややかな沈黙が場を支配した。

《あれ?》

 名案かと思ったけど―――わりとそうでもなかったかもしれない……

「何だこの小娘は?」

 声の調子が氷点下二百七十三度くらいだ。

「はいぃっ!」

 こちらに来て以来かなりメイはロムルースと接していたと思っていたのだが、向う側からはあまり存在を認識されていなかったらしい。

「つまみ出せ」

 ロムルースはマジギレしていた。

「ひえーっ! すみません! すみません!」

「メイ! あなたねえ、こんなときに……」

 王女までが真顔だ。

《うわあああ、しまったあああ!》

 もしかして逆効果だった?

 こうしてメイがつまみ出されそうになっていたときだ。


「あたしセヴェルス様って初めてなんだけど……」

「おいおい。聞こえるぞ。ちゃんとしとけよ?」


 そんな会話と共にやってきたのがフィンとアウラだった。