第５章 悪い奴ほどよく眠る

「あれ？ どうしたの？」

　追い出されそうになっていたメイをアウラが不思議そうな顔で眺め、それから彼女を追いたてていたロムルースの護衛を睨んだ。

「この子が何したのよ？」

「いえ、それがその……」

　護衛は口ごもる。

「いやー、その。ちょっとロムルース様を怒らせてしまいまして……」

　メイが答えると……

「どうして？」

　そう尋ねてから、アウラも部屋の中に充満する異様な空気に気がついた。

「メイ……あんた何したのよ？」

「いや、そのですね……何と言いますか……」

　そのときエルミーラ王女が盛大に吹きだした。

「あはーっ。それが本当にひどいことなのよ？」

「えーっ⁈」

　ちょとまてーっ！

「ひどいことですか？」

　フィンが不思議そうに尋ねると、王女はにーっと笑って答えた。

「とても大切なお話をしてる最中に、とんでもないジョークで場を凍らせたんだから」

「はあぁ？」

　二人ともさっぱり分からないという様子だ。

　そこにセヴェルス王子が割りこんだ。

「えーっと、こちらの方々がもしかして？」

　王女がうなずく。

「あ、はい。セヴェルス様とはまだ対面しておりませんでしたね？ そちらがアウラで、そちらがル・ウーダ様です」

　それを聞いたフィンがセヴェルスに向かって敬礼した。

「白銀の都、ル・ウーダ・ヤーマンの一族、パルティシオンの子、フィナルフィンと申します。以後お見知りおきを」

　セヴェルスはにこやかに笑って答えた。

「あなたがあのル・ウーダ殿でしたか。お名前はかねがね……ああ、私はフィルム・セヴェルス・ノル・エクシーレ。お初にお目にかかります」

　それに続いて優雅なドレスを身に纏ったアウラが非の打ち所のない優雅な礼をすると……

「えっと、ベラの、フェレントム一族の、ガルブレスの、養い子の、アウラと申します」

　見事な棒読みで挨拶した。

　セヴェルスは一瞬目を丸くしたが、すぐににこっと笑って答えた。

「アウラ殿。セヴェルスと申します。お話は色々伺っておりますから、どうかお気を楽にどうぞ」

「あ、どうも」

　その様子にあたりの人々の頬が緩むのが感じられた。

《この人は……》

　最近は前よりはマシになったとはいえ、黙っていれば令嬢なのに、というところは相変わらずだ。

　だがそのおかげで場の空気が少々なごんだのは僥倖であった。

「それでその、大切なお話とは？ 私たちが来て良かったのですか？」

　フィンが王女に尋ねると、王女は満面の怪しい笑みをたたえながら答えた。

「それがね、あはは。バレちゃったの」

　………………

　フィンはしばらく絶句する。

「あの、もしかしてあれがですか？」

「ええ」

　フィンが思わずメイの方をふり返る。

「まさか……それを？」

　それをって……

《私がバラしたとーっ？》

　メイは慌てて否定しようとしたが、その前に王女がまた笑い出した。

「違うのよ。その子じゃないから」

　二人はとりあえずは納得したようだが―――そこでアウラが言った。

「だからこういうのって隠したりしない方がいいって思ってたんだけど……それでみんなびっくりしてたの？」

「うん。まあそれもそうなんだけど……今さらそれはもうどうでもよくって」

「どうでもいい？」

　その答えにフィンとアウラはまた顔を見合わせる。

　そこで王女が少し真剣な顔になると、グレイシーとセリウスを見ながら言った。

「だってこの人達が、私がルースとセヴェルス様を取り違えたって言うのよ？」

　………………

　それを聞いたフィンとアウラはまたしばらく絶句した。

「えっと、その、どういうことです？」

　答えたのはセヴェルス王子だ。

「ああ、実はあの晩、私が王女様に似た遊女と一夜を共にしたという話をしたのですが……」

　それを聞いたアウラが王女に尋ねた。

「でもミーラ、ルースと一緒だったんでしょ？」

　王女はうなずいて答える。

「うん。そうなんだけど……ほら、朝別々に寝てたじゃない？」

　ところがそれを聞いたアウラがぽかんとした顔になった。

「え？ 別々って？」

　フィンが目を丸くして訊く。

「え？ おまえ聞いてないの？」

「初耳だけど？」

　そこでフィンが状況を説明する。

「いや、だから実は二人は朝起きたら別々の部屋で寝ていたそうで、国長様のお側にはそちらのグレイシーさんがいたっていう……話してなかったっけ？」

「うん。聞いてないけど？」

　アウラがあっさりうなずくと、フィンが苦笑しながら答えた。

「うん、じゃあ、そういうことみたいで……」

　確か、あのときは後からやってきたんだっけ？ リモンやガリーナと一緒に。

　でも普通なら後からいろいろ尋ねるものなのだが―――そんな所が彼女らしいともいえるが……

「へえぇ……でもどうして別々だったの？」

　さすがに驚いてアウラが尋ねるが……

「それは……結局どうだったのです？」

　フィンもアウラの付き添いで、ハビタルに戻ってからはほぼ別行動をしていたので、それ以上はあまり詳しく聞いていなかった。

　そこでグルナが答えた。

「それが、結局よく分からないのです」

「よく分からない？」

「はい。その後グレイシー様に確かめたら、ロムルース様は最初からお一人でお休みだったと」

「最初から？ 一人で？」

　グレイシーもうなずいた。

「はい。私が部屋に行ったときにはお一人でお休みでしたが？」

「お一人で？」

　フィンはそうつぶやくと今度はセヴェルス王子に尋ねた。

「それでセヴェルス様は王女様に似た遊女とずっとご一緒だったと？」

　だが王子は首をふる。

「いえ、ずっとじゃないんですよ？ 何やら途中で姿を消してしまいまして」

「ええっ⁈」

　それを聞いたフィンは驚愕して―――それから渋面になった。

　それからおずおずと尋ねる。

「それでその……取り違えられたという話に？」

　グルナがあちこちをチラチラ見ながらうなずいた。

「はい……」

「でもそんなこと絶対してないから！」

　王女が口を挟むが……

「もちろん信じておりますが……」

　そうは答えたもののフィンも黙りこんでしまった。

　あたりがまたざわめき出しそうになったときだ。フィンが口を開いた。

「えっと、その、早急に結論を出すにはまだ……ともかく関係者が全員揃っていますから、もう一度最初から話を確かめてみてはいかがでしょうか？」

「ああ、まあそうですわね？」

　王女がうなずくとロムルースとセヴェルスも同意した。

《おーっ、さすが！》

　ともかくケンカになるのは一旦避けられたようだが……

「えーっと、それでどこから始めましょうか？ まあ、夜になってからで構いませんよね？」

　一同がうなずく。それを受けて王女が話しはじめた。

「それでは……昼の部が終わって皆さんと別れたあと、私たちは素敵なお菓子のお城を頂きました」

「お菓子のお城？」

　アウラがいきなり目を輝かせる。王女もにっこり笑うと答えた。

「そうなのよ。案内された部屋に行ったら、まん中にどどーんとお菓子でできたお城や山や湖があって、それがみーんな食べられるの」

「へえぇ……」

　アウラが感心したところにセヴェルスが口を挟んだ。

「ええ？ それはすごい！ 見せて頂きたかった……」

　ロムルースとグレイシーがえっといった表情で彼を見る。

「あ、いや、甘い物には結構目がなくって……あ、でも大丈夫ですよ？ もうお菓子をもらえなくっても泣いたりしませんから」

　二人が何と答えていいか悩んでいる様子の所に、王女が言った。

「ベラには素晴らしいパティシエールがいらっしゃるんですよ。ああ、それならセヴェルス様にも作って差しあげればいかがですか？ お帰りになられるまでに」

「もちろんですわ。ご期待下さいな」

　グレイシーがうなずくと王子は満面の笑みになる。

「うわあ。楽しみだなあ！」

　なんだか本気で楽しみにしている表情に見えるが……

《あはは……飴玉買ってもらっちゃったもんね……あのときも結構一人で食べてたし……》

　そこで王女はコホンと咳払いをすると続けた。

「そこで私たち一同は素晴らしいデザートを頂いたのですが、私はちょっと先に引き上げさせて頂いたのです。なにしろ少々酔いも回っておりましたし、昼間の大イベントの見届け役という重責もございましたので。おほほ」

　一同の表情は―――あー、誰も信じてない顔だな？ まあ仕方ないが……

「で、部屋に戻りますと、用意しておりました遊女の衣装に着替えまして、皆様のいらっしゃる大広間の方に忍んでいったのでございます」

　そこにまたアウラが口を挟んだ。

「よくそんな服持ってたわねえ……って、もしかしてアルトから巻き上げたあれ？」

　王女がニコッと笑う。

「うふ よく覚えてるわねえ？」

「だって女同士であんまり自爆ってないし」

「そうよねえ。私もびっくりしちゃったんだけど」

　そこでセヴェルス王子が不思議そうに尋ねた。

「えっと、何のお話ですか？」

　それにアウラがあっさりと答えた。

「あ、鳴かない小鳥ってゲームなんだけど」

「え？ 女性同士であれを？ どうやって……」

　思わずそう口走ってしまってから、セヴェルスはあたりを見回して咳払いした。

「あー、それでどうなったのでしょう？」

　あはは。結構そういう方面にもお詳しいようですねえ―――という表情でエルミーラ王女は話を続けた。

「そうですわね。おほほ それで私が参りますと宴もたけなわで、セヴェルス様とルースが美しい方々に囲まれて楽しそうに歓談していらっしゃいました」

　初めて聞いたときにはこのあたりで既にみな仰け反っていたのだが、今さら本当にもはやどうでもよかった。

「そこでさすがに皆様の中に混じるというのは少々気が引けましたので、どうしようかと思案しておりましたところ、国長様がお手洗いに立つのが見えましたのでその後を追ったのでございます」

　そこで王女がロムルースを見ると、彼はうなずいた。

「ああ。ミーラの言うとおりだ。そうしたら廊下に彼女がいて……いや、わが目を疑ったのだが、まさにミーラだった」

　そこでグレイシーがちょっと眉をひそめながら尋ねる。

「それからどうなされたのです？」

　王女は相変わらずの表情で続けた。

「はい。そうしますと国長様が翠玉の間で待っているようにと仰せられたので、私はそこで待っていたのでございます」

「翠玉の間で？」

「はい」

　王女がうなずくとグレイシーは首をかしげた。

「でも私が行ったときには……まさか部屋をお間違えになられたのでは？」

「え？」

　王女がえっといった表情になる。グレイシーは続けた。

「対になる紅玉の間と間違えたのでは？ そちらはセヴェルス様がお使いになっておりましたが？」

　一同が愕然とした表情になるが……

《部屋を間違えた？》

　王女だって水上庭園に詳しいわけではないし、だとしたら―――だが王女は首をふった。

「それは間違えるはずはありませんわ。だいたい色が全然違うでしょう？ 私は緑色のお部屋に参りましたが？」

「まあ……そうでしたか……」

　確かにメイも検分の時に見たが、二つの部屋はその名のとおり翠玉の間は緑の、紅玉の間は赤の基調でしつらえられていた。

「それで私はそこで待っていたのでございますが、その間、国長様は？」

　エルミーラ王女の問いにロムルースは答えた。

「ああ。今日はここで中座するが、ゆっくり楽しんでいって欲しいとセヴェルス殿に伝えに行ったのだが……」

「ええ？ そんな話……」

　一瞬グレイシーが目をむいたが、すぐにそんなことを彼女に話せるはずがないと気づいたらしく、むっとして口を閉じた。

「ああ、確かに。長様からそんな風に言われましたね。覚えてますよ」

　セヴェルスもうなずく。

　郭で聞いた話とも一致しているし、このあたりまでは間違ってないようだ。

「で、翠玉の間で待っておりましたら、長様がやってらっしゃって……で、その後のことは……どの程度お話をすれば？」

　などと聞かれても返答に困るが……

　一同が答えないので、王女はニコニコ笑いながら続けた。

「ともかく大変素敵な夜でございました。それで二人とも真っ白に燃えつきてしまったかのように抱きあって寝てしまったのですが……」

　そうしたら朝起きたら別々だったと―――これでは結局、肝心の所はよく分からないのでは？

　と、皆がそう思った瞬間だ。

「えーっ？ 寝てしまったって、眠っちゃったの？」

　唐突にアウラが尋ねたのだ。

「え？ そうだけど」

　王女が不思議そうに答える。

「遊女の格好で？」

「それはそうだけど？」

　その答えを聞いたアウラは王女をまじまじと見つめた。

「何やってるのよ⁉ あたしだったら叩き出すわよ？ そんなの見つけたら！」

「は？」

　わけが分からないという様子の王女には答えずに、アウラはグレイシーに尋ねた。

「そうでしょ？ それともこっちじゃ違うの？」

　一同には彼女の意図が全く分からなかったのだが―――グレイシーだけは何故か大きく目を見開くと両手で口を覆ったのだ。

　そんな彼女にアウラが尋ねる。

「えっと、あなたが行ったときルースは一人だったって言ったけど、その前に誰も中見てないの？」

　グレイシーは首をふった。

「いえ……まず見に行かせましたわ。それから……そう。帰りがちょっと遅いから、どうなっているのかと思ってたら戻ってきて、お館様は一人でお休みだと……」

「それって小娘？」

「ええ」

「じゃあその子に聞いてみれば？」

　そこでフィンが尋ねた。

「えっと。どういうことだ？」

　アウラがにっこり笑って答えるが……

「よくね、駆け出しがそういうドジを踏んで、お仕置きされるの」

「はあ？」

　いつもながら要領を得ない。

　それを聞いたグレイシーが補足した。

「遊女とはお客様をおもてなしするのがその務めでございます。そのもてなし役がお客様の前で前後不覚とか、あり得ませんでしょ？」

　一同は目を見張った―――確かに言われてみたらそんな気はするが……

　そこでフィンが尋ねた。

「えーっと……確かに、そんなの見たことなかった気はするけど……そんな大失態なんですか？ 寝ちゃうっていうのは？」

「もちろんよ！」

「当然でございます！」

　アウラとグレイシーが同時にうなずいた。

　そこで王女がつぶやく。

「そういえば……私が寝てる間もみんなずっと起きてたわよねえ……昼夜逆転してるからだろって気にもしてなかったけど……」

「えっと……小娘って郭の小娘だよね？ その子たちも投入されてたのか？」

　フィンがセリウスに尋ねると、彼もうなずいた。

「もちろんです。夜遅くでもありますし、遊女の身の回りのことなどは、あの子たちでなければ分からないことも多々ございますし」

　それからフィンはまたアウラに尋ねた。

「で、そんな子たちがぐうぐう寝ている遊女を見つけたらどう思うかってこと？」

　アウラはうなずいた。

「郭だったら真っ先に夜番が呼ばれるのよ？」

「そういう場合、こちらではどういうことに？」

　フィンがセリウスに尋ねるが……

「いえ、それは……」

　彼は首を振って、それからやにわに立ちあがると……

「調べて参ります！」

　そう言って部屋から駆けだしていった。

　その日の夕方。水上庭園の一室でメイたちは息を殺して待っていた。

　長方形の部屋の長い壁面には大きな御簾が何枚も垂れ下がっており、それに向かってゆったりした椅子が幾つも置かれていた。

　最前列にはグレイシーが座り、その後方にロムルース、セリウス、ロスカなどのベラの高官達や、セヴェルス王子とその側近。さらにはメイとグルナ、リモン、コルネ、アウラ、フィンなどのフォレスの面々が陣取っていた。

「まるで郭の見せ場ね」

　アウラがつぶやいた。

　この何度かの郭回りでそんな感想になるのはメイにもよく分かる。

　見せ場とは郭の遊女を客に見せる場所のことで、指名のない大部屋遊女はそこでやってきた客が選んでくれるのを待っているのだ。

「水上庭園にこんな部屋があったんですねえ……」

　メイがつぶやくとガリーナが答えた。

「そのときの趣向によって、こちらで遊女を選んで頂いたこともあったそうです」

「なんかもう、至れり尽くせりなんですねえ……」

　ともかくもう感心するしかない。

　それはそうと彼女たちがこうして待っていたのは、疑惑の解明が大詰めに差しかかっていたからだ。

　セリウスの仕事は早かった。

　あれから配下に指示を出して各郭に使者を立て、グレイシーにロムルースの様子を見に行かされた小娘がいないか調べたところ、あっという間にそういう娘が見つかったのである。

　しかもその際にその小娘は……

『あの、やっぱりいけませんでしたか？ あの人運び出しちゃったの……』

　などと口走ってぶるぶる震え始めたという。

　そこで使者が彼女をなだめすかして尋ねたところ、以下のような状況だったという。

　彼女たちは即座に水上庭園に連れてこられて、まずその遊女を放りこんだのがどの部屋だったか尋ねられたのだが―――彼女たちが示したのは、まさにあの朝エルミーラ王女が目を覚ました部屋だった！

　こうなったらもうほぼ確実と言っていいが、まさに最後の仕上げとしてこれから首実検が行われるのである。

《まさかここで違うなんてことはないと思うけど……》

　さすがにどう考えたってそれだけはないはずだが―――そんなことを思っていると、アナトラが入ってきてセリウスに報告した。

「準備はできました。いつでも大丈夫でございます」

「分かった」

　彼はうなずくと入り口の別な侍従に目配せをする。侍従は隣室への扉を開けた。

　するとそこから四人のまだ子供のような娘達がおっかなびっくりといった様子で入ってきた。

　彼女たちは既に緊張でガチガチだったが、部屋の中に大勢のものすごく偉そうな人々がいるのを見て完全に肝を潰した様子だ。

「いらっしゃい。ほら、こちらへ」

　そんな彼女たちにグレイシーが優しく声をかける。

　娘たちは、とにもかくにも彼女の元に向かった。

「驚いたでしょ？ でも気にしなくていいのよ？」

　その優しい口調に小娘達の緊張が少し和らいだようだ。

《へえ……グレイシーさんって後輩には優しいのかしら？》

　この国の遊女が夢を見るとしたならば、国長の妾姫とはその最高の地位である。彼女はそんな夢を実現した者として尊敬と羨望の眼差しを集めていた。もちろん駆け出しの小娘達にとってはもはや雲上人である。

《いろいろきついところもあるけれど……》

　メイにとってはかなり苦手なタイプであったが、ロムルースの寵愛を受けているのは単に見目が麗しいというだけではないのだろう。

「今日来てもらったのはね、ちょっとこれを見てもらいたいだけなのよ？」

　そう言って彼女が合図をすると、部屋の灯りがふっと消えた。

　同時に御簾の向こうがふわっと明るくなり、薄い布越しに遊女が一人座っているのが見えた。

　もちろんそれは薄衣を纏って遊女のようなメイクをしたエルミーラ王女である。

《あはは！ あれじゃ混じってても分からないわよねえ……》

　遊女の基準では少々太めとはいうが、あの立派な胸や太ももは決して見劣りするものではない―――だが、その表情はさすがにかなり強ばっていた。

「あーっ！」

　小娘の一人が思わず声を上げる。

「どう？」

「はい。そうです。あのときのお姉様です！」

　あたりから低いどよめきが上がる。小娘達はびくりとしたが、グレイシーがまた優しい声でなだめる。

「ほら、後ろなんて気にしなくていいから。みんなもそう思う？」

　小娘たちはうなずいた。それから別の一人が言った。

「間違いありません。私、足を持ったんですけど、同じ傷がありました」

　王女がフランの屋敷から逃げだして夜道で転んだときの傷は、今でも生々しく残っていた。

「そう。みんなありがとうね？」

　そう言ってグレイシーは一人一人を軽く抱きしめていった。

　小娘達の顔に紅が差す。それからグレイシーが言った。

「本当によく機転を利かせてくれましたね？ もしあそこで騒ぎ立てたりしていたら、お国の面子が丸潰れになるところでした。まかり間違えばエクシーレ王国との和平会談が失敗に終わってしまったかもしれないところでした……」

　小娘達が青ざめる。

「そんなひどい失態をしたというのにあの女は、今の今まで逃げ隠れしたりして……」

　彼女が明らかに聞こえるようにそう言うと、御簾の向こうの“遊女”の顔が更に引きつった。

《あはは。さすがに我慢して下さいね？》

　悪いのは王女様なんだし……

「えっと、それであのお姉様はどうなるのでしょう？」

　小娘の一人がおずおずと尋ねる。

「ふふ。もちろんこれから大変なお仕置きが待ってますから」

　そう言ってグレイシーがにやりと笑うと、小娘達は心底怯えた様子だ。

「だからあなた方はこんな愚かな間違いを犯してはだめよ？」

「「「「はいーっ」」」」

　四人は弾かれたようにうなずいた。

　―――ともかくこうして王女の記憶が正しかったことが証明されたのであった。

　また同じく今回の調査で、セヴェルス王子の相手をしていたのがアウデンティアのトロータだということもほぼ判明していた。

《あの人がそうだったなんて……》

　メイの聞いた話は相手にあぶれてしまって悲観していたということだったが―――まず彼女は“王女似”であった。そのため宴に行ったら国長様のお手つきがあるかもと言われて大層張り切っていたという。

　そして郭の同僚が言うことには……

『それがもうものすごい方向音痴で、自分の郭の中でも間違えてうろうろしてるのに、水上庭園なんかに行って大丈夫かしらってみんな心配してたんですが……』

　なのだそうで、さらには彼女はあの後、自分から郭替えを志願してエクシーレの首都グラースに行ってしまったという。

《要するに本当にお手洗いかどこかに行って帰れなくなったんじゃ？》

　だとすれば戻った彼女が悲観していたのも当然だった。何しろ国長はおろか、正賓のセヴェルスに見初められたというのにそんな大失態をしでかしてしまったのだから。

　これでセヴェルスがあんな人柄でなければ、本当に宴が大失敗になるかもしれなかったところである。

《なんかもう、何もかも際どかったのよね……》

　あのアウローラの襲撃事件でもそうだったが―――ともかく彼女の行った先は分かっているので確認はすぐ取れるだろう。というか……

『ふふ。じゃあ僕が行って確かめてくるから。迂闊なこと言って首をくくられたりしたら困るよね？』

　などと王子が言っていたのだが、任せていいのだろうか？

《グラースに行ったって言うのは、多分機会があればセヴェルス様に謝るためよね？》

　だとしたらそれが一番いいのだろうか？―――もうメイには判断の付かない案件であるが……

　ほっと一息を付いてそんなことを考えていたときだ。

　退出しようとしていた小娘の一人が侍従と何やら話していたかと思うと、いきなりたたたっとメイの方に走ってきたのである。

「あ、メイ様！ 本当にいらっしゃいました！」

「は？」

　メイがぽかんとしていると……

「あのときは本当に失礼しましたーっ！」

　そう言って彼女は大きく頭を下げた。

「えっと……あなた、誰？」

「あの、カロッタですけど？」

　アンゲルッススに行ったとき彼女なんていただろうか？

　そんなメイを見てカロッタはあっという表情になる。

「あ、もしかしてあのとき私、起き抜けだったから頭ぼさぼさだったんですが……」

　………………

　…………

「あーっ！ もしかして……カロたん？」

　あのメイが身売りしに来たと言いふらした小娘（一般用法）かーっ⁉ なんだ？ 髪を上げたらちょっとカワイいじゃないか……

「はい！ あのときは本当にすみませんでした！」

「い、いえいえ……」

　っていうか―――メイが横目であたりを見回すと、当然ながら全員の視線が彼女に集まっていた。

《げーっ！ 考えたらこの子達と私が知り合いのはずがないじゃないの！》

　何かヤバい！ と思った瞬間だ。

「あ、それでペペちゃんからこれ預かってますので」

　彼女がメイに可愛い封筒に入った手紙を押しつけた。

「ペペちゃん？」

「ペペローネさんです。姉さんとか言ったら怒られるんで」

「あ、そう……」

「それじゃまた。お待ちしてますから！」

　そう言うとカロッタはたたたっと去っていった。

　引きつった顔でメイは彼女を見送ったが―――ふり返ると奇異の眼差しに囲まれていた。

「ねえメイ～。どうしてあの子と知り合いなの～？」

　コルネが嫌みったらしく尋ねてくる。

「それに今の手紙は？」

　グルナも不思議そうに尋ねる。

「いやー、単なる個人的な手紙だと思いますが。はい」

「でもペペローネってあの子供プリマでしょ？」

　そう言ったのはグレイシーだ。さすがに彼女はよくご存じであった。

　さらに……

「ああ、それにアウデンティアに行ったときに、メイ殿とガリーナ殿によろしくと言われたのですが？」

　調査に行った侍従の一人がこんな所で余計な口を挟む。

　あはあはあは！

　そしてとどめはセヴェルス王子で……

「ということは……お二人も王女様同様、郭通いなされていたのですか？」

「「違いますーっ！」」

　メイとガリーナが同時に叫んだ。

　これ以上ひどい誤解を受ける前に真実を話しておくしかなかった。

「あ、ですので実はちょっと調査をしてたんですっ。ガリーナさんと一緒に！」

「はいそうです！」

　ガリーナも慌ててうなずく。

「調査？」

　首をかしげるみんなにメイは慌てて説明した。

「いえ、ですから実は何日か前にその、もしかしたら王女様、相手を間違えてて、長様がかばってるんじゃないかって気がついて……いや、絶対そんなことはないって思ってたんですよ？ でもとにかく確認だけはしておかなきゃって思って……でもほら、こんなのって迂闊に人には話せませんし……」

　さすがに一同もすぐに納得してくれた。

「ああ、そうだったの。二人で姿が見えないことが多いから、どうしたかって思ってたんだけど……」

　グルナがほっとため息をつく。

「私も気づいたときには背筋が冷たくなりましたから……」

　セリウスもやれやれといった表情でつぶやく。

「まあ、そんなこんなでいろんな方と仲良くなれまして。それでお手紙をくれたんじゃないかなーと」

　だがそこでセリウスが言った。

「だとしたらそのペペローネさんが何らかの有益な情報を寄こしてくれたのかもしれませんね？」

「え？ でももう話は解決したんだし……」

「手紙を書いた時点では分からないでしょう？ それに知られていない別なことが書かれているやもしれませんし」

　うー。まあその可能性もないことはないだろうが―――もしそうだったらお礼もしなければならないし……

　そこで渋々メイはみんなの前でその手紙を開いた。

　………………

　…………

　……

「あはははは！ やっぱりただの私信でしたねっ！」

　ってか、別にあれがファーストキスだったわけでは―――と思った瞬間、脳裏にあの黒歴史がわき上がる。

「うわーっ！」

　いやまて。むしろこれがファーストキスの方が幸せよね？ そうそう。あんなのは無かったことにして、実はペペちゃんが最初の相手で……

　………………

　…………

　……

　それはそれで悲しい初体験なのでは？

「はあ……」

　と、そのときやっとメイは、みんなから可哀想な子を見るような目で見つめられていることに気がついた。

「な、なんですかっ！」

「ときどきメイって面白いよね？」

　アウラがつぶやく。

「そうなんですよ。この子は実は面白いんですよ？」

　コルネがニヤニヤしながら相槌を打つ。

「いーじゃないですかっ！」

　そこにガリーナがぼそっとつぶやいた。

「でもこれなら行ったとき、あの子たちにも聞いておけば良かったですねえ……」

　………………

　…………

　……

　あはははは！

《だって、そんなこと知らなかったんだし……》

　ともかくこのようにして王女ご懐妊事件における最大の難題は解決されたのであった。

　その日の夜。メイはグルナ、リモン、そしてガリーナと王女の部屋の前にいた。

　さすがに今度の騒ぎはちょっとみんな堪えていた。結果的にはまあこうして何とかはなったのであるが……

《でも一歩間違えば……》

　一体どういうことになっていたのだろう？

　周りのみんなも心配だったのは同じだ。

　そもそもご懐妊というだけでいろいろと大変なのに、今回は秘密を絶対に漏らしてはいけないとか―――神経がどうにかなりそうだっただろう。

《みんな気づいてなくて良かったわよね……》

　他のメンバーはあのときまでは取り違え疑惑には思い及んでいなかったようだから、まだ平穏だっただろうが―――ガリーナは別として……

　だからさすがに今回は、こんなことをしでかした意図を聞きだしておかないわけにはいられなかった。

《アウラ様もいてくれたら心強かったんだけど……》

　だが彼女はフィンと一緒にセヴェルス王子の接待をしている最中だ。今後もみんなが揃える機会なんてそうそうない。

「それじゃ行きますよ？」

「そうね……」

　グルナが少し辛そうにつぶやく。他のみんなも浮かない顔だ。だがこればかりは仕方がない。

　メイは扉をノックした。

「はーい」

　中からコルネの声がして、扉が開く。外にいるみんなを見て、彼女も小さくうなずいた。

「ん？ だあれ？」

「みんなが来てますが」

「みんな？」

「はい。グルナさんにリモンさん、ガリーナさんにメイです」

「お入りなさい」

　一同が部屋に入ると王女はゆったりした服を着て、何か書き物をしているところだった。

　だがすぐに彼女はメイ達の少し尋常でない様子に気づいた。

「それで？」

　メイは周りのみんなの顔を見回す。全員が軽くうなずく。

　そこでメイは大きく息を吸い込むと尋ねた。

「えっと、単刀直入に申しますが……どうして相談してくれなかったんですか？」

　王女は少し目を見ひらいたが……

「相談って、今度のこと？」

　冷静にそう答えてお腹をさすった。

「はい。そうです」

「だって相談なんてしてたら止められてたでしょう？」

「当たり前です！ 止めるに決まってるじゃないですか！」

「だったら……」

　そこでメイは首をふった。

「でも、本当にちゃんとした理由があるんだったら、こちらだって少しは考えますよ？」

　そこにはほぼ確信があった。この王女がまったく何も考えなしにあんな暴挙に出るはずないと。

　王女はじっとみんなを見た。

「そりゃもちろん理由もなしにこんなことできないし」

「だったら教えて頂けますか？」

　メイがまっすぐ王女の目を見つめる。王女は小さくうなずいた。

「そうね……それじゃみんな、立ってないでお座りなさいな。眠くなるかもしれないから」

　眠くなる？ ということは……

　一同が手近なソファに座ると、王女は語り始めた。

「かつて中原に小さな国がたくさんあった頃、それらの国々は都派とベラ派に分かれて対立し合っていました……」

　ここで他の一同が少し顔を見合わせる。どうして歴史の話が始まるのだ？ と。

　だがそれを聞いてメイは少しほっとした。なぜなら、多分そのくらいの理由は絶対にあると思っていたからだ。

　だからこそ王女を問いただすというこんな役割を買って出たのだから……

「はい。続けて下さい」

　王女はにこっと笑うと話を続けた。

　メイはうなずいた。

「レイモンの台頭ですよね？ 彼らが通常軍のみで魔導軍を撃破したことを」

　王女もうなずいた。

「そう。そのときはまだ誰も深く意味を考えなかったけど、とてもとても大きな変化の波が押し寄せてきていたの」

　このあたりのことはグルナ以下にはちんぷんかんぷんだっただろうが、勉強してきたメイにはよく分かった。

「でも、間には高い山があるからそう簡単には侵攻されないって話もありますよね？」

「まあそうなんだけど。でもね、まだまだ懸念材料はあってね……」

「こんなときに私は、フォレスを継ぎますって言っちゃったのよ」

　正直その時点では誰もがそこまで大変な話だとは思っていなかった。アイザック王でさえ最初はベラとの関係さえ保っていればいいだろうくらいに考えていたのだが……

「お父様も後から気づいてちょっと蒼くなったみたい」

　そう言って王女はふふっと笑った。

　あまり笑い事ではないのだが―――でもどうすればいいかと言われたら、もう笑うしかないだろう。

「で、こうなったらってぶち切れてあんな大計画を始めちゃったみたいなんだけど……」

「あの、都とベラとの同盟の話ですか？」

「そうそう。でもね？ それをするならまずもっと足下を固めておかなければならないのよ」

「足下？」

「エクシーレね」

　そろそろメイにも話が見えてきた。

「でもね……こうなったら今度はエクシーレが本当の脅威になるのよ。ほら、この間ティベリウス様も話してたでしょ？ あちらにも色々選択肢があるって……」

「あ、はい……」

　あの船上会談で確かに彼は言っていた―――『レイモンと組んでお父上の邪魔をしてもいい。そうすればこの旧界くらいならもらえるかもしれないしな』―――などと……

　あれを聞いたときには少々圧倒されていたから、そうかと思っただけだが―――確かに彼らにはもうそれが可能なのだ。

　そしてベラ派のシルヴェストやサルトスがレイモン対策で手を離せない今、中原からの援軍がやってくるのは今度はエクシーレの方なのだ。

　それに改めて気づいてメイは背筋が冷たくなった。

「ナーザさん、凄かったんですねえ」

「ええ。本当によく味方に引き入れてくれたわ。国内には反対派の方が多かったみたいなのに……」

　もう本当に色々際どかったのだ……

　と、そこで王女が言った。

「だからね。私が結婚する相手はセヴェルス様がいいんじゃないかなって思ってるのよ」

　それを聞いてそれまで本当に半分寝かかっていたグルナ達が一気に目を覚ました。

「え？ セヴェルス様ですか？」

　コルネが驚いて尋ねた。

「そう。だってティベリウス様は信頼できるとは思うけど、ほら、もうお歳だし、だからもっと確実な絆が欲しいじゃないの？」

「ああ、まあそれはそうですが……」

　言われてみれば分かる理屈だった。

「それにここ最近会ってみて、決して悪い人じゃないようね？ まあ、相当の狸っぽいけど」

「あー、まあ、確かに、といいますか……」

　メイとリモンが思わず苦笑する。

「ただその場合、どちらが王となるか、ね？ 実権をどちらが握るかによって、今後のことがガラッと変わってしまうわけだから」

　それもそうだった。

　エルミーラ王女を后としてセヴェルスを王として迎えた場合、当然国としての最終決定権はセヴェルスにある。最初は猫をかぶっていて後から本性を現されたとしても手立てがないのだ。

　だからフォレス側としては彼を女王の婿―――王婿として迎えたいと思っているのだが、そのような微妙な立場には今度は相手側が難色を示している。

「まあ、だからいざとなったらル・ウーダ様あたりが適当だったりするんだけど」

　あたりが、ですか……

「ともかく、いずれにしても私がルースと結婚するという可能性はないのよ」

「本当にそうなんでしょうか？」

　グルナが残念そうに尋ねるが……

「そうよ。たとえセヴェルス様が無理だったとしても、例えばアイフィロスのヴェンドリン王子とか、それこそル・ウーダ様とか、今後の計画にとって役立つ相手でないといけないの」

　メイには分かった。

　確かに理屈の上では分かった。

　だが―――何だかすごくモヤモヤするのだが……

「でもね。そうなると今度はベラとの間が疎遠になってしまうかもしれないのよ。特にルースはあれほど私を好いていてくれるから、だからこそなんだけど……」

　そこで王女は全員の顔を見る。

「だから絆を残したかったのよ？」

　え？ ということは……

「普通ならこれってね、二者択一の問題なの。あちらを取るかこちらを取るか……でも、私は女だから、もう一つ別な選択があって」

「そ、それでですか？」

「だって、結婚した後じゃ完全な不倫じゃないの。でも今だったらOK。子連れの片親が結婚するのなら何の問題もないしね？」

　王女はそう言って笑ったのだが―――いきなりメイの視界がにじんできたのだ。

「え？」

　王女が驚いて見つめるが―――涙がぽろぽろこぼれてきてその顔が見えない。

「どうして泣くの？」

「だって……」

「だって？」

　メイは思わず答えていた。

「王女様って、いや、女王様ってそんなことまでしなくちゃいけないんですか？」

「え？」

　エルミーラ王女は虚をつかれたようだった。

「だって……子供ができるのって、一番嬉しいことじゃないですか！ なのに、それをこんな風にしなくちゃならないなんて……」

「でもね？」

「いえ、言ってることは分かるんです。分かるんです。でも……」

　メイは首を振る。

「でも？」

「すごく可哀想で……」

　………………

　…………

　……

「わたしが……可哀想？」

　何だかすごく寂しそうな声だった。

《え？》

　メイは思わず顔を上げる。

「いえ、その……」

　だが王女はふっとため息をつくと伏し目がちにつぶやいた。

「そうね。女王様って可哀想なのね……」

「えっと……」

　王女はそこで首をふると……

「ありがとう。でももう決めたんだから」

　それからまっすぐにメイを見つめた。

　メイはすすり上げると答えた。

「そうですか。でしたら私たちの心も決まってますから」

　王女が目を見張る。

「王女様がそれほど一生懸命なら、私たちだって協力しますから。たとえ王様に背くことになっても……」

「え？」

「そうよね？ みんな」

　メイの言葉にグルナ、リモン、コルネ、そしてガリーナがうなずいた。

「みんな……」

「だからもう一人で頑張りすぎないで下さい」

　………………

　…………

　……

　今度は王女の目から涙がこぼれ落ちる。

　それから彼女はメイの肩を抱いてつぶやいた。

「ありがとう」

　それから王女はグルナ、リモン、コルネ、ガリーナの肩を同様に抱いて「ありがとう」とつぶやいた。

　ほっとしたような、だが何となく気まずい間……

　それをやにわに王女が破る。

「あ、それじゃコルネ、お茶を入れてくれない？」

「あ、はい。分かりました」

　張りつめていた緊張がふっと解ける。

《ふー。疲れた……》

　何ともいやな役回りだったが、ともかく良かった……

　コルネの淹れてくれたお茶を飲みながら、メイは大きくため息をついた。

　そしてまた王女に彼女は尋ねていた。

「それにしても、どうしてあんな無茶なことをしたんですか？ 他にもっとマシな機会はなかったんですか？」

　それを聞いた王女はふっと鼻を鳴らす。

「確かに最初は私だってそう思ってたのよ？ ルースと一緒にいればそんな機会なんていくらでもあるだろうって」

「え？ それじゃ？」

「そうなのよ。来てみたらもう全然隙がなくって。二人っきりになろうとしても絶対誰かさんに邪魔されるし」

「えーっと、それってそのもしかして、セリウスさん？」

「そーなのよ！」

　あー、確かに彼なら……

「でも、それは向こうの立場としても仕方ないのでは？」

　そもそも異国の姫を預かっている身と考えれば、そちらの方が正解のような気が……

「だからってあそこまでガードしなくたっていいじゃないの。おまけにグルナまでとっちゃいそうだし」

　グルナの顔が赤くなる。

「なんで弱みでもないかって探ってもみたんだけど……」

　………………

　…………

　え？

　そのときメイは思いだした。

「じゃああれって？ それでセリウスさんのあら探しをしてたんですか？」

　いつぞや王女の部屋の整理をしていたら、セリウスの身辺調書が出て来たが―――そしてこの調子では結局弱みは見つからなかったというわけで……

「だから何よ？」

　王女は平然と答えるが……

《いや、それって彼が悪いわけじゃないし　というか、ただの逆恨みなのでは？》

　もしかして思っていたほど大きな人物ではないのか？ このお方は……

　メイは大きくため息をつく。

「あのですねえ。グルナさん、本気でセリウスさんが好きなんですけど！」

「なに言うのよ！」

　グルナが首まで真っ赤になるが、メイは気にせずに続けた。

「そんなことしたってグルナさんがそう決めたなら行っちゃいますって。そしたら嫌われるだけですよ？」

　思わず王女が言葉に詰まる。

　グルナがおろおろした様子で二人を見ている。

《あ、しまった……ちょっと言いすぎた？》

　メイは慌ててフォローした。

「ああ、それならセリウスさんをフォレスに引っこ抜いたらどうですか？ どんな仕事でもこなせそうですし」

　王女の顔が輝いた。

「まあ確かにそうすれば……」

「え？」

　グルナが驚きと希望に満ちた表情で彼女を見るが―――王女がにっと笑った。

「そうすれば遠くの戦場に送ったりするのも自由だし……」

　………………

　あ゛ーーーーーっ！

「だーかーら、そんなことしたらグルナさんまで戦場に行っちゃいますってっ！」

「あらまあ、そうねえ……」

「というかですよ？ それこそちゃんと話してもらってたら、グルナさんからセリウスさんにお願いしてもらうことだってできたんじゃ？ そうしたらセリウスさんだって考えてくれましたよ？ きっと……」

「え？ それって、グルナにたらし込んでもらえってこと？」

「どーしてそういう発想になるんですかっ！」

　この人―――根が実は本当に邪悪なのか？

　メイがまた大きくため息をついたときだ。王女がニヤニヤしながら言った。

「ふふ。やっぱり泣いてるメイより怒ってるメイの方がカワイいわね」

「え？」

　思わず顔が熱くなるが……

「ごまかされませんよ！ これで終わったわけじゃないんですから！ で、いつどうやって発表するんですか？ 継承の問題とかはどうしましょうか！」

「あらまあそれなのよねえ。どうしましょう」

　はあ……

　メイはこんな人と同じ道を歩むと決めてしまったわけだが……

《あー……ちょっと早計だったかなあ？》

　そう思ってあたりを見回すと―――みんなの顔にもそんなやれやれと言った表情が浮かんでいた。

　だとすれば、ま、ともかくメイ一人だけではないのなら……

　暗い夜道もみんなで行けば怖くない！

　―――本当に……？

　とまあそんなわけで、王女の御子の父親は間違いなくロムルースということになり、やがて王女ご懐妊が正式に報告された。

　だが公式には父親は“とあるやんごとなきお方”というだけで、その正体は不明ということになった―――まあこう言えば分かる人になら分かるわけで、ならばそうしなければならない理由も明白なわけで。

　そして父親が“不明”なのだから、もちろん御子が王子だったとしてもベラとは無関係で、フォレスの継承権だけを持っていることになるのだった。

　まあそれなりの結末と言って―――だから本当にいいんでしょうか⁈

　なお、そうなった経緯についてはもちろんのこと国家機密であった。