プロローグ 戦士の休息

プロローグ 戦士の休息


 開け放たれた窓から流れ込んでくる風が、汗にまみれた二人の裸身から心地よく熱気をぬぐい去っていく。

《あー……いい風だ……》

 ベッドに大の字に寝そべって天井を眺めながら、フィンは独りごちた。

 ちらと横を眺めると、アウラがくったりとうつ伏せている。

《ちょっと張り切りすぎたかなあ……》

 本当に久しぶりだった。

 彼女とこれだけゆっくりできたというのは、グリシーナで別れたとき以来だ。

 それからというもの、レイモンに潜入して禁欲生活を続け、アロザールではチャイカさんの色香を耐え忍び、なぜかクォイオで再会できたらそこからはひたすら解呪解呪解呪の毎日だ。

 それが一段落したと思ったら今度はアキーラ解放戦のためにてんてこ舞いで、何とそれが達成されてしまうと今度は大皇后とその女戦士たち(ベラトリキス)の人気は絶頂で、彼女たちを一目見たいという人々は引きも切らさず、おかげで護衛かつそのメンバーのアウラもまたプライベートな時間など全くとれないという有様だったのだ。

 しかもアキーラ解放で話は終わりではなく、アロザールとの戦乱はまだ続いている。

 ここでもたもたしていると相手にも余裕を与えてしまうので、一気に決着をつけてしまうべく昼夜の別なく全員一丸で侵攻準備に余念がなかった―――まさにそのときだ。アロザールがまだ秘密兵器を隠しているとの情報が得られたのは……

《確かにそりゃそうだけど……》

 彼らはアロザールやその黒幕であろうアルクス王子の正体に関して、ほとんど何の知識もないのだ。あの呪いは彼らが何枚も持っているカードの一枚に過ぎない可能性も十分にあるわけで……

「はあ……」

 思わずため息が出る。

 あれを克服するためには、まさに多大な犠牲が払われたというのに……

 だが大きな不幸のあとには、小さな幸せがおまけに付いてくるものだ。

《でなきゃ……》

 うっとりとした表情で横たわるアウラの裸身をフィンは隅々まで眺めた。

 そう。そのせいでアラン王が迂闊に動けなくなったため、こちらも同様に動けなくなってしまったのだ。

 本来ならこんなところで立ち止まっているわけにはいかないのだが、対抗しようにもそれがいかなる物なのか何なのかが全く分からなくては手の打ちようがない。

 ならばここでしばし休息して戦いの疲れを癒やしておいた方がマシだろう―――ということでフィンとアウラがこうして昼間からゆっくりと戯れ合っていられたのだ。

《綺麗だよな……》

 文字通りに何度も何度も夢で見てまぶたに焼き付いていたその姿だ。

 豊かな黒髪の間で閉じられている彼女の瞼―――かつては怒ったように睨みつけられてばかりだったのが、今やそれが開けばそこには彼を見つめてくれる潤んだ瞳がある。

 その下の引き締まったしなやかな体に、ちょっと小ぶりだが形のよい乳房。

 間を走る引きつれた胸の傷跡までが愛おしい。

 今はうつ伏せているからそれは直接見えないが、代わりに背中からお尻にかけての美しい曲線が彼女の呼吸と共にゆったりと上下している様が眺められる。

 思わずフィンの指がそのラインの一番盛り上がっている場所に伸びると―――それを感じたアウラが顔を上げた。

「ん? お尻の方がよくなった?」

「いやいやー、違うって!」

 と反射的に答えつつも、頭の中はあの解呪の光景でピンク色に染まってしまう。

 彼の目前で艶めかしくうごめくマウーナの豊満なお尻。

 心の中ではそれをもう何百回も蹂躙してしまったわけで……

 しかもアウラはすぐ側でそれを見ていたのだ。

《じゃ、していいわよとか言われたら……どうするよ?》

 そんなことになったら……

 そんなことになったら……

《うわ、断り切れるか? 俺……》

 その瞬間だ。

「そういえばフィン、お尻……」

「えーっ⁉」

 思わず叫び声を上げたフィンを見てアウラは不思議そうに首をかしげた。

「どうしたの?」

「どうしたって、ほら……」

 しどろもどろのフィンにアウラが不思議そうに続ける。

「いや、痛くないかなって思って」

「は?」

 ………………

 …………

 それから今度は別な記憶が蘇ってきた。

 あの後アリオールたちに『せっかくだから君も仲間になろうな』と両脇を抱えられて……

「いやー、もう大丈夫だってー」

「そう? 慣れないと痛いって聞いたから」

「あはははは」

 まあ、こちらがやっていたとおり最大限の配慮はしてくれたわけだが、呪いのせいで体の力が抜けていた男たちと違ってフィンの場合は……

《あはははははっ!》

 ともかく忘れよう! 忘れるぞ! まああれでチャラってことになってるわけで。過去を振り返っていても仕方がない! 未来を見据えて生きていかなきゃ!

 ―――などとフィンが脳内で格闘していると、扉の方から侍女の声がした。

「アウラ様、リーブラ様。お飲み物をお持ちしました」

「ああ、そこに置いといてくれ」

 そんな風に普通に答えてしまってから……

《って、あ……》

 フィンは自分とアウラが裸で寝そべっていることに気がついて慌てて服を探す。

 だが服は風呂場で脱いだっきりだ。

《えっと……どうしよう?》

 扉の前には草で編んだ衝立があるのでまだ見られてはいないと思うが―――もう一歩踏み込めば中の様子が丸見えだ!

 だが侍女は入り口近くの小テーブルに飲み物を置くと、そのまま立ち去っていった。

 フィンは安堵のため息をつく。

《いやあ、もう少し気にしないとなあ……》

 あの頃のフィンは完全に麻痺してしまって、若い娘たちの間に裸でいても全然気にもならなくなっていた。賢者タイムがかなり多かったこともあるが―――だが今ここに来たのはレイモン人の侍女だ。彼女たちにとっては当たり前の筈がない。

 と、そのときアウラがつぶやく。

「あ、リーブラ様か。何か変なの。この名前」

「しょうがないじゃないか。僕は死んじゃったことになってるんだし」

 そう。“ル・ウーダ・フィナルフィン”という男はクォイオで惨殺されたことになっていた。

 アルエッタの言うことには、逆さ吊りにされて三枚に下ろされて塩水をかけながら遠火でじっくりと焼き殺されたとか何とか。

 実際彼は大皇后をさらいに来た極悪人として地元民の憎しみの対象になっていた。

 そこで開放中は彼は女装して“フィーネ”と名乗っていたわけだが、こうなってはそれもできない。そこで今後は“リーブラ・トールフィン”と名乗ることになっていたのだ。

「通称がフィンってところは同じだから、普段は困らないだろ?」

「うん。そうね」

 リーブラとは元々はウィルガの小貴族の名字だが、バシリカの虐殺で断絶したところも多く、フィンはそんな中の一つに成りすますことができたのだ。

 “彼”はそのときたまたまアキーラ方面に出かけていて虐殺は免れたが、呪いを受けて動けなくなっていたところを大皇后の一行に助けられたという設定になっていた。

 そこで彼が提案した様々な作戦が解放の成功に大きく寄与したことから、大皇后からはルンゴの女将さん同様に深く感謝されており、その過程でアウラとも恋仲になったということになっている。

 そんなわけなので彼はベラトリキスとは別の、単なるアウラの恋人としてアキーラ城の片隅に部屋をもらっていて、彼女の元に足げしく通って来ているという立場になっていた。

 だが当然これではアウラに何か用事があればそちらを優先せざるを得なくなり、これまでなかなか二人きりになれなかったのもそのためだった。

「あ、そうだ。それこそ名前といえば……」

「ん?」

「アルマリオンはどうだ?」

 アウラの目が丸くなる。

「アルマリオン? それ、もしかして?」

 フィンはうなずいた。

「うん。坊やの名前だ」

 アウラが満面の笑みを浮かべる。

「アルマリオン、アルマリオン……普通に呼ぶときは、マリオちゃんでいいの?」

「そうなるな」

「ありがと

 いま坊やは都にいるフィンの両親の元に預けられている。

「早く帰って顔を見てみたいな。おっきくなってるだろうな」

「えっと今幾つなんだ?」

「あー、そろそろ一歳半かな?」

「うわ、そんなにもなるのか?」

 全くもって実感がわかない。アウラと息子とそんな家庭を持つなんて……

 だが、その前途にはとんでもない障壁が立ち塞がっていた。

《秘密兵器かよ……》

 みんななるべく平気に振る舞おうとしてはいるが―――だが事によったら状況はまた振り出しに戻ってしまうかもしれないのだ。

 アロザールの呪いに関しては都もベラもその存在さえ知らなかった。とりあえずその解呪の方法が分かったからいいものの、呪いの本質に関しては相変わらずだ。もし奴らが今後別の呪いを持ち出してきたら、それが解けるという保証は全くない。

 そのことを考えると何だか胃がキリキリと痛くなってくるのだが……

 窓の外から歓声が聞こえてくる。

「きゃーっ! 何すんのよーっ」

「あはーっ! 油断大敵ーっ!」

「やったな? このぉ!」

 ―――中には素で平気な奴らもいた。

「あいつら元気だなあ」

「そうねえ」

「王女様たちも一緒か?」

「うん。ファラも一緒だって」

「そっか。みんなにもゆっくり休んでもらわなきゃ……」

 アキーラ解放の立役者、メルファラ大皇后とその女戦士たち(ベラトリキス)は現在はアキーラ城の、かつてマオリ王の家族が居住していた離宮に滞在していた。まさに超VIP待遇なのだが……

「でももう飽きちゃってるみたいだけど」

「だよなあ……」

 問題は彼女たちがそこから出ることができなかったことだ。

 どんなに素晴らしい宮殿でも、そこに閉じ込められているのであれば牢獄も同様だ。

 だがそうせざるを得ない理由もあった。

《あの呪いがなあ……》

 彼女たちはまだヴェーヌスベルグの呪いに取り憑かれたままなのだ。

 その上あの性格だ。フィンもアリオールも本当に心苦しく思っていたのだが、彼女たちを野放しにするわけにはいかないわけで……

《彼女たちといえば……》

 そこにはまた別な問題もあった。

「そういえばサフィーナに薙刀教えるって言ってたな?」

「うん」

「彼女だけ? シャアラとかマジャーラは?」

「あの二人は今のスタイルで十分いけるし。でも彼女、小っちゃいからこっちがいいかなって」

「そうなんだ……」

 そうなのだ。

 あれから何だか有耶無耶になっているが、この問題も残っていた。彼女がフィンに懸想しているという話なのだが……

「あの子本当にセンスいいのよ。きっと強くなるから」

 アウラはにこにこしながら話し続ける。

 彼女はそんな娘がいることが気にならないのだろうか?―――といって問いただすわけにもいかないし……

「あ、そうそう。それで今晩はエステアの所に行くから。泊まってくると思う」

「え? そうなんだ?」

 エステア―――リエカさんの所にだけは一緒には行けない。この世で一番危険なところなので……

 そんなフィンがよっぽど残念そうに見えたのだろう。アウラがするっと寄り添ってくるとフィンのモノを優しく愛撫し始めた。

「じゃ、もう一回、する?」

 アウラが甘い声でささやく。

 彼女がこんなことを言ってくれるなんて、最初に出会った頃には想像も付かなかったのだが……

「え? あはは。元気あるかな?」

 と言いつつ、体の方は既に反応し始めている。

「あるじゃないの」

 猫のようにしなやかな動きでアウラが跨ってくると、彼のモノがするりと彼女の中に収まってしまう。

「うあっ」

 思わず声の出たフィンにアウラがまた微笑みかけると、その肢体が艶めかしくうごめき始めた。