禁じられた火遊び 第4章 愛の逃避行

第4章 愛の逃避行


 その日は典型的なアロザールの夏の日だった。

 チャイカとアルクスは天蓋付きの小舟に乗って、湿原の間を縫うように走る水路をゆっくりと進んでいた。

《暑うございますね……》

 小さな舟とはいえ、それをずっと漕いでいれば汗びっしょりになってしまう。

 水面上を吹き抜ける風が、じっとりと濡れた体から僅かばかりの熱は奪ってくれるのだが、まさに焼け石に水というところだ。

「あれえ? こんなにも遠かったっけ?」

 アルクスは座っているだけなのにすでに辟易としたようすだ。

「もう少しでございます」

 櫓を漕ぎながらチャイカは答えた。

 ここはコラリオン離宮―――アロザール王家の後宮である。

 首都シーガルからアルバ川を挟んだ対岸には、デルタの中に所々岩肌を交えた小山が島のように散在している。

 各々の島には大小のウィルガ風宮殿が建っていて、そこに各地から輿入れしてきた姫が住まっていた。

 島の多くには橋が架かっていて互いに行き来できるが、中にはこのように小舟でないと行けない離宮もあった。

 チャイカは舟を脇の細い水路に漕ぎ入れる。それを見たアルクスが尋ねた。

「あ? そっちは違うんじゃ?」

「いえ、こちらでよろしいのでございます」

 それからしばらく漕ぎ進むと彼女は小さな桟橋に船を泊めた。その桟橋はつい最近作られたらしく、踏み板が真新しい。

 チャイカは桟橋に上がると手を差し伸べる。

「ではこちらにお越し下さい」

 アルクスはチャイカに手を取られてその小島に上陸した。

 そこから島の小尾根の方に踏み跡が続いているが、これもつい最近切り開かれたらしく、足下はまだ柔らかい。

 チャイカは舟の中から細長い包みを持ち出すと、それを肩に担ぐ。

「さあ、こちらでございます」

 彼女はアルクスを案内してその坂を上っていった。

 しばらく行くと二人は小尾根の上に出た。

「あー、ここから見えるんだ」

 デルタの向かい側には大きめの島があって、そこにやや小振りの離宮が建っているのが木々の間からよく見える。

「そちらでございますが、少々お待ちを」

 アルクスがチャイカの指した方を見ると、小さな木のテーブルと椅子がしつらえてあった。

 チャイカは担いでいた包みから望遠鏡と三脚を取り出すと、椅子の前で組み立てて調整を行う。ピントが合うとその先に彼に見せたい物がくっきりと見えた。

《今日もお励みになっておられますね……》

 彼女は微笑むとアルクスに言った。

「どうぞ、ご覧下さい」

「ああ」

 アルクスは椅子に座ってその望遠鏡を覗いたのだが……

「うわー」

 思わず彼は声を上げた。

 なぜならその視界の先には大きく開け放たれた離宮の窓があって、その奥のベッドの上でいま、一人の娘が激しくオナニーをしていたのだ。

 その娘は胸はそれほどでもないが、なかなかそそるお尻の形をしている。彼女は窓の方に向かって両足を広げていたため、濡れぼそった局部がここからでもはっきりとよく見える。その上を彼女の指が激しく上下しているところだった。

「あれが……コレットちゃん?」

 アルクスが望遠鏡を覗いたまま、少し驚いた声音で尋ねる。

「はい。そうでございます」

「あの堅物の子が?」

「はい。最初は恥ずかしがって窓も閉め切っておりましたが、さすがにこの季節はそれでは暑うございますので、今ではもうこのように」

 コレット姫はサルトスの王族の血も引くまさに高貴な姫であった。そのような姫が正妃ではないにしても他国に輿入れするということは、それは国の体面を背負ってやってくるということである。

《だからアルクス様ももう少し丁重に扱って差しあげれば良かったのですが……》

 しかしこの王子は全くそんなことには興味が無く、来たときに一度は床を共にしたものの、それ以降は完全に放置していたのだ。

《姫様も気位の高いお方であれば……》

 おかげで先日チャイカの所にねじ込まれてしまって大変だったのだ。

《でもこのような御方に、そのようなことをお求めになりましても……》

 アルクス曰く、アソコの具合が悪い、なのだそうだが―――そんなことは当然に決まっているのだ。

《ちゃんと仕上げてから寄越して頂ければこちらも楽なのですが……》

 しかし高貴な姫君というのは純潔であるということが重要なのだ。多分に漏れず彼女もまたそうだった。しかしそんな姫が初夜で自分から上手にできるはずがない。聞けば彼女も目を閉じてじっとしていただけだというが……

《それではどちらにいたしましても良いはずがございませんが……》

 だからアルクスの方からそれなりに扱ってやるべきだったのだ。

 だがこの王子は本当にわがままだ。他人に対する配慮という物が無い。それでも彼女が好みの体つきであればまだ良かったのだろうが……

《アルクス様は大きな乳房がお好みなのは分かってはおりますが……》

 姫の胸はあまり揉み甲斐がなさそうだった―――彼女がそんなことを思っていると……

「へええ……うわ、なんだ? あれ結構大きいけど、入れちゃうのかな……うわ、入れちゃったよ……」

「今はお一人でお楽しみ中ですが、夜になればコレガやベネーラと三人でそれは激しくお戯れになっておられでございます」

 それからアルクスは望遠鏡から目を離すと、まじまじとチャイカを見た。

「あは。君もすごいねえ。こんな短期間で」

 チャイカは首を振る。

「いえ、これは人が皆生まれ持った性でございまして、ただそれを手助けして差しあげただけなのでございます。どのようなお方でも適切に導けばこうなりますゆえ」

「適切にって? どんな風に?」

 アルクスが興味深そうに尋ねる。

「そうでございますね。一番大切なことは、信頼関係を築くことでしょうか」

「信頼関係?」

 彼は少々意外そうに首をかしげた。

「はい。この秘密を知るものは私めとアルクス様、それにあの二人以外には他には誰もおらず、私どもが秘密を漏らすことも一切ないと信じていただけることなのでございます」

「へええ」

「そうやって他の誰にも知られることはないと確信できれば、人とは案外簡単に心のたがが外れてしまうものなのでございます」

「へええ。でも見られてないっていうだけで、あのコレットちゃんがこんな風になっちゃうのかい?」

「手順を尽くせばその通りでございます」

「どんな手順なんだい?」

「それは人それぞれなのでございますが……コレット様の場合は大変ご聡明なお方でございましたので、まずはアルクス様のご寵愛が欲しければ、閨の中で満足させてやらなければと最初に申し上げました」

「へえ。最初に言っちゃうんだ」

 チャイカはうなずいた。

「はい。こちらにおわします姫様方で、お世継ぎのアルクス様のご寵愛を受けたくない者などおりません。なのでそこを梃子にすれば、大抵どのようなことでもやってみようという気になるものなのでございます」

 それからチャイカは説明を始めた。


 ―――コレット姫は不安と不信のまなざしでチャイカを見つめていた。

「それで私をどうしようというの? 遊女の手管でも教えてもらえるのかしら?」

 だがチャイカは首を振る。

「いえ、それは姫様のようなお方には不要な物でございます。もちろんどうしてもとおっしゃるのであれば、お教えして差しあげることもできますが」

 姫は少々意外そうに首をかしげた。

「……じゃあ、どうすればいいのよ?」

 そこでチャイカは答えた。

「まずはお楽しみ頂きます」

「は?」

「ですから、姫様にはまずは楽しんで頂きます」

「楽しむって……?」

「もちろん、愛の愉悦をでございます」

 姫は目を丸くして黙り込んだ。

 そこでチャイカは後ろに控えていた侍女二人を紹介する。

「こちらで姫様のお世話をいたします、このコレガとベネーラでございますが、この者達が姫様が愉悦を得られますようお手伝いをいたします」

「コレガでございます」

「ベネーラでございます」

 二人が姫の前に平伏する。

 アロザールの夏向きのメイド服はあちこち風通しのスリットが空いていて、そこから二人の見事な体が垣間見えている。

 この二人はクーレイオン古城でチャイカが教育していた娘達であった。

 彼女たちはあの後みんな故郷の村に帰された。

 だがあのロゼットのように恋人が待っていたような場合はいい。しかし多くの場合彼女たちが身売りしたのは村が貧しく身寄りも無かったせいだった。しかも彼女たちの多くは既にチャイカ達の手によってフォルマとして開花した後だった―――そんな彼女たちはもう村には居場所がなくなっていたのだ。

 そこでアルクスは彼女たちをこのコラリオン離宮の侍女として雇ったのだ。もちろんその目的は彼女たちをつまんで楽しむためだが、しかし彼女たちにとってもそれはもう願ってもない待遇だった。

「この者達は昼間は色々と雑事がございますゆえ、始めるのは今日の夜からにいたしましょう」

「始めるって、何を始めるのよ」

 コレット姫が疑い深そうに尋ねる。

「そうでございますね、姫様はお一人でお楽しみになったことはございますか?」

「は?」

 いきなりの不躾な問いに姫の口があんぐりと開く。

「ですので、オナニーをなさったことはございますか?」

 さらにチャイカは平然とたたみ掛ける。

 姫の顔がかーっと真っ赤に染まる。

「ん……ないわよ‼」

「でしたらまず、夕食後にはゆっくり湯浴みなさって頂いて、それから裸でそちらのベッドに横たわって頂きます」

 チャイカは魚の捌き方でも教えるかのように説明を始めた。

「それから一人が姫様の乳房を優しく揉みしだき、乳首を軽く噛んでは舌で転がしたりして差しあげます。あ、大丈夫でございます。この者達は女の壺というものを熟知しております故、決してご不快な目には遭わせませんので」

 コレット姫は真っ赤になって口をパクパクさせている。

「それから大きく足を広げて頂いて、もう一人がその谷間に聳える小さな塔を舌でじっくりと愛撫して差しあげましょう」

「は?」

 姫の目がまん丸になる。

「陰裂の間に垣間見えるクリトリスと申し上げた方がよろしかったでしょうか?」

「んな、んな……」

「そうすればまずは痺れるような愉悦をお楽しみ頂くことが叶いましょう」

 そう言うとチャイカは横の侍女達に目配せした。

 それを見た二人は立ち上がって一礼すると退室した。

「それでは私もこれで下がらせて頂きます。午後はごゆるりとお過ごし下さい。何かございましたらそちらの呼び鈴をお使い下さい。あと、お一人で退屈でしたら、読み物なども用意しております故」

 チャイカは部屋の隅の大きな本棚を指さすと、呆然としている姫を一人残して部屋を出た―――


「その読み物って……」

 アルクスが可笑しそうに尋ねる。

「はい。頂いたものでございます」

「あはは。あれ読んでたんだ?」

「はい。どうやらこっそりと見ていらっしゃったようで」

「それから?」

「はい。その夜には、申し上げたとおりのことをして差しあげました」

「へえ。どうだった?」

 チャイカはうなずいた。

「はい。何もせぬうちからその谷間は溢れんばかりに濡れぼそっておりまして、乳首を軽く捻ってやるだけで軽く逝っておしまいに。それからその夜はもう何度も何度も達して頂けました」

「そんなに簡単に?」

「はい。姫様の頭の中は、間違いなくあれからずっと、自分がそのようにされている光景で溢れかえっておられたのでしょう」

「よく分かるね」

「いえ、姫様の場合、オナニーなどという言葉がよく分かっておいででした。なので知識はお有りになるのですが、実践したことはなかったのでございます。そのため体は火照ってしまったのにそれを冷ます手段が分からず、ますます熱が内にこもって破裂寸前になっておられたのでございましょう」

「へええ……」

「特にこのような高貴なお方というのは、家の体面だの何だのと、その内なる悦びを無理矢理にむしり取られておりまして、しかしそれ故にその熱で心の底はふつふつと沸き立っているものなのでございます。そして一度このような悦びを味わってしまいますと、あとは正直、為すがままなのでございます」

 アルクスは感心したように尋ねた。

「へえ……何かもっとすごいことをしてると思ってたけど……」

「すごいと申しますと?」

「例えば二人で押さえつけてこうやっちゃうとか」

 そう言ってアルクスは腰を振ったが、チャイカは微笑んで首を振った。

「いいえ、そんな無理強いだけはしないのでございます。あくまでご自分から始めていただかなくては。だからあそこには男はおりませんし、あの二人もコレット様にこのようなことができるとお教えすることはありますが、あくまで何をなさるかは姫様がお決めになることなのでございます」

「ふーん」

「そして姫様が何にご興味を示されたかにつきましては逐一報告を受けております。それを元に次は何をしていただくか、方針を決めるのでございます。そのようにして適切に誘導していけば、すぐにあのように自分から貪欲に悦びを追求し始めるようになるのでございます」

「へええ……」

 アルクスは興味深そうに望遠鏡を覗き続けた。

《久々のご教化でしたが……》

 かなり間が空いてしまったので少々心配であったが、とりあえずはつつがなく進行中だ。

《教える生徒は変わってしまいましたが……》

 最初アルクスは彼女の生徒はメルファラ大皇后だと言っていた。

 ところがその大皇后が来る途中に逃げ出してしまって、何故かレイモン解放のために戦っている、などという報せを聞いたのが一月半ほど前。それでもアルクス王子だけでなく誰もが、そんな無茶が通るわけがなく、すぐに捕まってやってくるだろうと思っていたのだ。

 ところがなんとその大皇后が本当にアキーラを解放してしまったというのだ。

《やはりル・ウーダ様が?》

 彼が関わったせいなのだろうか?

 その報告はまたアルクスの膝の上で聞いていたのだが……


 ―――しばらく前のことだ。その日またコラリオン離宮の一室でいつものようにアルクスとチャイカがいちゃついていると、フィーバスがシフラにいるアルデン将軍からの急使と共にやってきたのだ。

《フィーバス様直々にいらっしゃるとは?》

 チャイカは不思議に思ったが、急使の報告はまさに驚天動地のものであった。

「あん? アキーラが奪い返された? どういうこと?」

「それが何とも、どうやら奴ら、あの呪いを解く方法を見つけ出してこっそりと兵力を蓄えていたようで、そして一気に攻め落とされてしまった由に」

「はああ?」

 これまでは何があっても動じなかったアルクスが目をむいて絶句した。

 それから尋ねる。

「じゃ、メルファラ大皇后は?」

「アキーラに入城した由にございます」

 アルクスが呆然として、チャイカを愛撫する手も止まってしまった。

《まあ……》

 膝に乗ったままのチャイカもそれを聞いて愕然としていた。

 その間に将軍の急使が戦況を説明していった。

「……ともかくこのような事態なので、蜂起したレイモン軍をはやく潰さないとまずいことになります。そのためには第一軍や第二軍からかなりの兵力を回さなければなりません」

 アルクスが急使をじろっとにらむ。

「でもそんなことしたらエルゲリオンとかアランが動くだろ?」

「それは仕方ありません。そちらは一時耐え忍び、まずは蜂起した連中を潰しておかねばこちらの戦線が持ちません」

「ああ?」

 そこでアルクスがフィーバスの方をじろっと見る。フィーバスもうなずいた。

「私も将軍と同意見でございます」

 それを聞いたアルクスが膝の上からチャイカを払いのけた。彼女はそのまま床の上に崩れ落ちる。

 それから王子は立ち上がるとブツブツ言いながら歩き回り始めた。

「なんだって? ふざけやがって……」

 チャイカはこのような政治や軍事には疎かったのだが、それでもこれが大変な事態であることはよく分かった。

「どうかご決断を」

 将軍の急使が促すが―――アルクスは振り返ると答えた。

「あー、分かった。トルボの守備隊くらいは回さなきゃな」

「はい? でもあれは三千五百ほどで。その程度では奴らを止められませんが?」

 そこでアルクスはフィーバスに向かって言った。

「あれがあるだろ?」

 フィーバスは一瞬面食らったが―――今度は顔色が変わる。

「あれを……こちらに回すと⁉」

「そうだよ?」

「でもあれはあちらのダメ押しに……」

 そう言ってから彼は考え始めた。

「しかし……ああ、いや、確かにそうする他はありませんか……」

 その会話を聞いていた使節が首を捻った。

「あれとは何なのです?」

 アルクスはニヤッと笑った。

「ふふ。秘密兵器があの呪いだけって思ってたんならちょっと甘かったって事さ。あのバカどもに思い知らせてやる!」

「はい? そのようなものが?」

 フィーバスがうなずいた。

「ああ。そういうことだ。詳しいことは後ほど私が教えるから……」

 目を丸くしている急使にアルクスが言った。

「わかったらともかくあんな奴らはとっとと叩きつぶして、メルファラ大皇后を連れてこいよな? あ、ついでにル・ウーダもいたらね」

「……あ、承知いたしました」

 二人が帰っていった後、アルクスは憤懣やるかたない様子で、部屋をうろつき回った。

「ってことは、えーっと……あー、何だかんだで時間がかかりそうだなあ、はあ……」

 彼はため息をつくと跪いていたチャイカを見た。

「じゃあしょうがないなあ。それじゃコレットちゃん、頼もうかな?」

「は? コレット様を? ですか?」

「だって大皇后様が来るのって、もうちょっとかかりそうだし……この間言ってただろ。教育してやろうかって?」

「あ、はい、そのようなことでしたなら承知いたしました」

「教育ってどのくらいかかるんだ?」

 チャイカは少し考えて答える。

「そうでございますね。やはり数ヶ月は見ていただかないと」

「数ヶ月? はあ、まあちょうどいいかな?」

「でもそのためには少々準備が必要ですが……」

「どんなんだ?」

 アルクスが首をかしげる。

「まず私の他にサポートするフォルマが二人ほど。これはコレガとベネーラがおりますゆえ、これをこちらの専任に回していただきとうございます」

「えー? 二人とも?」

「はい。アルクス様の覚えめでたいことは存じておりますが、できればそのように」

「しょうがないなあ。他には?」

「はい。クーレイオンから押収した品々を使用させて頂きたく」

 アルクスがニヤッと笑う。

「あはっ。なるほど。それから?」

「あとは他人からは絶対に覗かれない場所が必要でございます」

「覗かれない場所?……ああ、使ってない病人用の離れがあるけど、そういう所でいいのかい?」

「はい。結構でございます」

「他には?」

「いえ、これだけ揃えて頂ければ。あの姫様ならば必ずやお楽しみいただけるお方になられるかと存じます」

「へええ……」

 こんな調子でコレット姫の教育係になったのだが―――


「うわー、逝っちゃったよ……ぐったりしちゃって……」

 それから彼は望遠鏡から目を離すとチャイカに言った。

「これだけ激しけりゃもう十分なんじゃないのかい?」

 だがチャイカは首を振って答えた。

「まあ、ここで味わおうと思えば味わえますが、しかし今のままではただの色狂なのでございます。男の物を扱う技も身につけておりませんし、それならばコレガなどを相手になされた方がずっとお楽しみいただけるでしょう」

「あは。あの子たち以下と?」

「はい、このままではその通りでございまして、わざわざコレット様のような姫様を教育した甲斐がございません」

「姫だと何が違うんだ?」

「それは誇りでございます」

「誇り?」

 意外そうなアルクスにチャイカは説明した。

「はい。姫様には姫の誇りという物をしっかり持って頂かなければ、ヴェルナ・レギーアとなることは叶わないのでございます」

高貴なる奴隷(ヴェルナ・レギーア)ねえ……」

 平民を育成して作るヴェルナ・フォルマと、このような高貴な姫を素材に作るヴェルナ・レギーアはまさに天地の差があるのだが、現物を見てみないとなかなかその違いが分からないものなのだ。

「コレット様にはここからもう一皮むけていただきたいと思っておりますが、それにはもう少し時間を頂きませんと。またその際にはアルクス様にもご協力を頂きとう存じます」

 アルクスはニヤッと笑った。

「そうかい。君がそう言うのなら、任せておこうか」

「ありがとうございます」

 それを聞くとアルクスが立ち上がって伸びをした。

「さてここは虫も多いし、そろそろ帰ろうか」

「承知いたしました」

 それから二人は島を離れ、舟でアルクスの離宮に戻ってきた。

 彼らが戻るとそこにはシーガルからやってきた伝令が待っていた。

「あん? 今度は何の報告だ?」

 アルクスが不機嫌に尋ねる。

「は。悪天候のために船団の到着が少し遅れるとのことでございます」

「あー、そんなこと? 分かった分かった」

 アルクスは伝令を追い払うとチャイカに笑いかける。

「さーて、コレットちゃんの準備できてないとしたら、これはどうしようかなー?」

 彼は思わせぶりに膨らんだ股間をチャイカに示す。

 チャイカは思わずアルクスにそれで貫かれたときのことを思い出して、体が熱くなる。

「ふふ。なに? その顔は」

「いえ、何でもございませんが」

 チャイカは平然を装って首を振るが……

「ふふ。顔に書いてるよ。それが欲しいなあって」

「申し訳ございません」

「しょうがないなあ。じゃあ君で我慢するしかないか」

 そう言ってアルクスが手慣れた手つきでチャイカの服を剥ぎ取り始めた。

「このような端女でよろしいというのなら……」

 だが彼女ももう既にできあがりつつあった。コレット姫の痴態には彼女とて興奮しないわけにはいかなかったからだ。

「コレガもベネーラも最近お見限りだしねえ」

 そう言いながらアルクスがむき出しになったチャイカの乳房を弄り始める。

「あっ、いえ、もうしばらくしたらあの者達も手が空くと思います故、そうなったら、あっ、ご存分に……」

 アルクスが手を止めて尋ねる。

「ええ? どういうことなんだい?」

 もうすぐコレット姫の訓練は第二段階にさしかかるのだが……

「説明を始めましたら少々時間がかかりますが……」

「ならいいや。楽しみに待ってるよ?」

 アルクスはあまりゆっくり話を聞いている気分ではないようだった。

「承知いたしました」

「ふふ。あれれ? どうしてここがこんなになっちゃってるんだい?」

「あっ、私は、あっ、卑しい女でございますから……」

「ふふ。本当にそうなのかなあ?」

 アルクスに愛撫されながらチャイカは陶酔の境に落ちていった。



 見事な天蓋付きのベッドに横たわってフィンはぼけっと考えていた。

《なんか今までで一番待遇がいいかもなあ……》

 彼が寝ているのはアキーラ城の最高の客室だ。壁面には見事なタペストリが飾られ、部屋の調度も名人級の職人が作った業物だ。

 その上食事もこれまた立派なもので、着ている夜着が最高の織物でできているということも、以前の行商の経験からよく分かる。まさにここは王侯が住まうにふさわしい部屋だった。

 ただし……

《窓の鉄格子とかがなきゃの話だけど……》

 彼は数日前からここに軟禁されていたのだ。

 その理由は、彼がこれからここを脱出してロータまで逃亡するからだ。

 もちろんそれは仕組まれた狂言なのだが、司令官のグルマンには彼が命からがら逃げてきたことを信じさせなければならない。

 そこでスタートから同じことを体験しておけば、この逃避行を語る際にいろいろとリアリティが出せるのだ。

《すぐに退屈するかと思ったけど、そうでもなかったしな……》

 その理由はこの部屋の壁面の一つが大きな本棚になっていて、そこに様々な種類の本が用意してあったからだ。

《これ読んでるだけで半年くらいは軽く過ごせそうだし……》

 すなわちここに閉じ込められたル・ウーダ氏もそんな感想を抱いたということだ―――そのようなことは実際に体験してみないと分からない。

《さて、そろそろかな……》

 時は深夜。窓の外は真っ暗闇だ。

 耳を澄ましても城の中は静まりかえっている。

 しかしそのために時間が経つのがやたらに遅いような気がするが―――彼が少々待ち疲れて眠気を催してきたときだ。


 トントン…トン


 ドアをノックする音がする。

《来た!》

 フィンは立ち上がるとドアに近づいて内側から、トン…トントンというリズムでノックを返す。

 するとカチリとカギの回る音がして、ドアが開いた。

 部屋の外には若い―――というより、まだ少年にも見える衛兵が立っている。

「お待たせしました」

「ありがとう。で?」

「これです」

 衛兵が持ってきた包みを受け取ると、フィンは中を改める。そこにはアキーラ城の衛兵の制服が入っていた。

 彼は手早く着替えを済ませ、ベッドの毛布の下に枕や脱いだ服などを入れて寝ているように偽装する。

「じゃ、行こうか」

「はい」

 二人は城の廊下を歩き出した。

 草木も眠る時間帯だ。廊下には所々に燭台があるが、おおむね薄暗い。

 フィンは衛兵に案内されて階段を下った。

 この下には衛兵の詰所があるのだが、そこに起きている者はいなかった―――というのは、彼を迎えに来た衛兵が今日の不寝番だからだ。

「さあ、こちらです」

 衛兵がさらに下の階に彼を導く。

 階段を降りたところで彼は立ち止まると、慎重に向こうを覗いた。

「大丈夫です。いません」

 この詰所の衛兵はこの時間は定期巡回中なのだ。

 二人は足音を忍ばせて廊下を抜けて下への階段を下った。

「隠れて下さい」

 フィンが言われたとおりに物陰に隠れてしばらくすると、一階の詰所からも巡回が出ていくのが見えた。

「今です」

 こうして三つの詰所の前を抜けると、二人は城の中庭に出た。

「ふう……」

 思わずため息が漏れる。大丈夫と分かっていても緊張してしまう。

 なぜならこの“作戦”を知るのは必要最低限の者だけで、一般の衛兵などにはフィンが今日逃亡するようなことは知らされていないのだ。なので予定外のことが起こったら、本当にトラブルになってしまう。

《でもこいつらみんな真面目でよかったよなあ……》

 二人はかなりギリギリのスケジュールの隙間を見つけてこうやってすり抜けてきたのだ。一人がちょっと寝坊しただけで失敗してしまうわけで……

《あのときよりは全然マシだけど……》

 ディロス駐屯地を襲撃したときには、巡回がやってこなくて散々冷や汗をかかされたが……

 それはともかく―――フィンは辺りを見回した。

「まだ来てないのか?」

「もう少し時間がかかると思います」

「そっか」

 まあ、ここでそんなおかしなことになるわけはない。

 彼はのんびりと待ちながら、この作戦のことを再度反芻することにした。

《あー。つまらんことをすぐ思いつくし。まーたしょうもないネタかと思ったら……》

 フィンのロータ潜入作戦は、アキーラ城の脱出を具体的にどう行うかという所で壁にぶち当たっていた。

 しかしこの作戦は極秘裏に行われなければならないため、あまり多くの人に意見を聞いて回るわけにもいかない。そこでみんなが苦慮しているところに、エルミーラ王女からおもしろい話があるからちょっと辰星宮に来ないか? との伝言が来たのだ。


 ―――その道すがらフィンとアリオール、それにラルゴは首をかしげていた。

 なぜなら、エルミーラ王女が用があるというのなら水月宮に呼び出すのが筋のはずだ。辰星宮とはヴェーヌスベルグ娘達のたまり場なのだが……

 だが辰星宮につくと、そこにはエルミーラ王女やメルファラ大皇后以下、ベラトリキスの面々が勢揃いしていた。

 やってきた三人に王女が言った。

「よくお越し下さいました。今日はちょっとティア様の方からお話があるそうなので、お呼びいたしました」

 三人は顔を見合わせる。

《ティアが?》

 フィンは嫌~~な予感がした。

「それならどうして王女様の名で?」

 フィンが尋ねると、ティアが割り込んだ。

「だってあたしの名前だったらお兄ちゃん、後回しにするじゃないの!」

「当たり前だ!」

 あれ以来フィンはこいつに散々な目に遭っていたのだ。

 予想通りティアはつけあがった。

 まずは一日中発声練習とやらをやらされて、しかもピッチが合わないとネチネチ嫌みを垂れる。お手本を歌ってくれるのはいいのだが、すぐに脱線して変なアレンジをし始める。その上何故か夜中に呼び出されたと思ったら、新しいレッスン方法を今思いついたとか―――それが女声だと分かりにくいかもしれないからとキールが歌うのを聞かされただけで……

《こっちだってあまり寝てないんだからな!》

 フィンはぎろっとティアをにらむが、こいつがその程度でめげるはずがない。

「んで、練習はちゃんとしてきたの?」

「そのために呼び出したのか?」

「そろそろ聞いてもらわないと。お兄ちゃんの歌にレイモンの未来がかかってるんでしょ?」

 いや、ある意味その通りだが―――そこでアリオールが苦笑しながら言う。

「リーブラ殿のコンサートというのであれば、また別の機会にして頂きたいのですが?」

「あー、違うのよ。それはまた別の話で」

 このボケは冒頭からでも話が脱線するのだ。

「んで、要するに何の話なんだ」

 むっとした顔でフィンは尋ねるが……

「うん。それで何かいいアイデア出たの?」

「いいアイデアって……脱出の話か?」

「うん」

「いや、まだなんだが……」

 ティアがにたーっと笑った。

「ふっふー。それじゃこんなのはどうかしら?」

「こんなのって? 城からの脱出方法か?」

「うん。そうよ

 フィンとアリオール、それにラルゴは顔を見合わせた。

 こいつの言い方には甚だしく不穏なところがあるが―――しかしまったくデタラメな話のために王女が手を貸すだろうか? しかもそのエルミーラ王女やメイまで何やら微妙な笑みを浮かべているのだが……

 不審顔の三人にティアは話しだした。

「えっとね、要するにル・ウーダって男がアキーラ城から孤立無援の状態で、どうやって逃げたらいいか悩んでるのよね?」

 フィンはうなずいた。

「まあそういうことだが……」

「うん。ここはアカラのお手柄なんだけど……」

「えー、だから一人がダメなら二人で逃げればって言っただけなんだけど……」

 アカラが手を振って答えるが―――フィンはずっこけそうになった。

「いや、だから一人でも困難なのに、二人とか、もっと大変なんだって!」

 ところがティアはちっちっちと指を振った。

「ふふっ! 普通はそう思うんだけど、これがまさに逆転の発想なのよ」

「はあ?」

 フィン達はまた顔を見合わせる。そんな彼らを見ながら、ティアは偉そうに言った。

「だって二人だったら、一人じゃできないことができるでしょ?」

 ………………

 …………

 いやまあ、確かに一般論としてはその通りだが?

「で、一体何ができるってんだ?」

 ティアがまたにやーっと怪しい笑みを浮かべる。

「それはね?」

「それは?」

「キッスよ

 …………

 ……

 キス????

 このバカが何を言ってるのかまったく意味不明なのだが―――そう思って辺りを見回すと、アリオールとラルゴも同様に面食らった顔だが、エルミーラ王女達は相変わらずニコニコと笑っている。

「だーかーら、二人いないとキスできないじゃないのっ」

 首をかしげているフィン達にティアが言う。

「いや、そりゃそうだが、それがここで何の関係がある⁈」

 だがティアは相変わらずの怪しいニヤけ顔だ。

「ふふふっ、えっとね、どうしてここから逃げるのがそんなに大変かって言えば、それは助けてくれる人が誰もいないからでしょ?」

「そりゃそうだが?」

「だったら身内に手引きしてくれる者がいたらどう?」

「いや、だからそんな身内がいないから困っているんだが」

「でもそれがあたしたちの仲間だったら?」

 ………………

 …………

 ……

 はあぁ?

 三人はまた顔を見合わせる。そこでティアがアリオールに尋ねた。

「ねえ、アリオール様。あたしたちって結構信頼されてるわよね?」

「え? まあそれはそうですが……」

 アリオールはうなずいた。

 そこでティアはフィンをぴしりと指さした。

「要するにね、このル・ウーダって男がね、実は凄~い女ったらしで、あたしたちの仲間の一人を手なずけちゃったのよ」

「あ?」

「このル・ウーダって奴はねえ、君の瞳は星の輝きのようだー、君の愛が僕を蘇らせてくれたー、アロザールについたことは心から反省しているー、だから君を絶対に幸せにしてやるからー、とか何とか、歯の浮くようなセリフを並べ立てて、純情可憐な女の子を騙しちゃったのよ。悪い奴よねえ

 ティアはそう言って三人の顔を見た。

「そしてね、その子がね、完全にのぼせ上がっちゃって、この極悪人のル・ウーダを逃がそうとして、いろいろとお手伝いするの。その子にうるうるした目で、お願い とか頼まれて、ほっぺにチュッとかされちゃったりしたら……その辺の兵隊さんとかなら結構な無理でも通っちゃったりしない?」

 三人は目を見張った。

《いや、確かにそれはそうかもしれないが……》

 フィンとアリオールが顔を見合わせた。

「でもそれでは脱出するときは?」

 ティアは即座に答えた。

「そりゃ彼女を置いて一人で逃げるとかあり得ないでしょ?」

 ………………

「じゃあ、もしかして二人で脱出すると?」

「そうよ! だから名づけて、愛の逃避行作戦 なの!」

 ………………

 …………

「ああ?」

「はあ?」

「なんですと?」

 フィン、アリオール、ラルゴの三人はしばらく絶句した。

 それからアリオールが首を振る。

「いや、それはあまりにも危険だ!」

 だがティアはうんうんとうなずいた。

「そうなのよ。だから恋仲になる子は足手まといにならないように、強くなきゃならないの。なのでパミーナちゃんとかメイさんとかアカラとかルルーなんかはダメなのよ?」

 強くなきゃ?

《……ということはアウラか? 確かに彼女となら可能だろうが……》

 フィンがそう思ってアウラの顔を見た途端に、彼の心を読んだかのようにティアが指を振った。

「ちっちっち。ダメよ! アウラお姉ちゃんは!」

「あ? どうしてだよ?」

 ティアはまたニヤッと笑う。

「だってお姉ちゃん、その筋じゃヴィニエーラのアウラお姉様だってこと、みんな知ってるでしょ? そんな人をどうやってたらし込んだって聞かれたら、どう答える気?」

 あ、あ、あ……

「で、あと強い人だけど、リモンさんは、ほらこんなことには向かないじゃない」

 ああ、それは確かだが……

「シャアラとマジャーラは二人ともリアルアマゾネスでしょ? 何か純情って感じじゃないし……」

 いや、意外と純情かもしれないけど……

「アルマーザでもいいかもだけど、そうするとアラーニャちゃんのお手伝いができないし……」

 そちらの方が重要なのか?

「アーシャだとおっぱいに見とれて作戦失敗しちゃいそうだし……」

 おい、だんだん説明がいい加減になってきてないか?

「ってことでここはやっぱりね……」

 あ、もしかして―――


 そのとき中庭の木立の陰から人影が二つ現れた。

「あ、来たみたいですね」

 現れたのはレイモンの若い侍女と―――マントを羽織ったサフィーナだった。

「フィン!」

 彼女はそう叫ぶなりフィンの胸に飛び込んでくる。

「サフィーナ」

 フィンは彼女をしっかりと抱き止めた。

《うわ……やっぱ……》

 身長は彼の肩くらいしかないが、その引き締まった体つきはまさにアウラを小さくしたらこうなるのではないかとという手触りだ。しかし……

《うわ……綺麗な服だな……》

 彼女がマントの下にまとっていたのは、あまり見ないデザインの服だった。

 だぼっとしたズボンの上に、ゆったりと前の開いたドレスを羽織って、帯で止めている。

 目を引くのはその布地に施された細かな刺繍だ。要所にはビーズが縫い付けられていて、灯火にきらきらと煌めいている。

《いや、確かにこれは大切な門出なんだけど……》

 そう。この服はヴェーヌスベルグの娘達が最も大切な日に着る晴れ着―――別名“勝負服”なのであった。


 ―――ティアはにや~~~っと笑った。

「もう彼女しかいないでしょ?」

 と、後ろに控えていたサフィーナを指さした。

「この子本当にお兄ちゃんのこと好きだし、ヒバリ組でも大活躍だったのは知ってるでしょ?」

「…………」

 それは紛れもない事実だった。

 彼女は多くの実戦を経験していて、なりは小さくとも信頼できるという評価を得ているのだが……

《でもやっぱり小さいとなあ……》

 あの戦いを通じて一番大きな怪我をしたのも彼女なのだが―――と、そんな心の中を見透かしたようにリサーンが口を挟んだ。

「ねえ、フィンさん。小さいからって馬鹿にしてると本当に痛い目見るから。この子ねえ、怒ったらあたしたちの中で一番凶暴なのよ?」

「凶暴?」

 三人は驚くが、リサーンは続ける。

「そうなのよ。ほら、前にシャアラとケンカして負けたって話……知らない?」

「え? ああ……」

 確かアウラがそんな話をしていたが……

「確かにすごい殴り合いのあとねえ、叩きのめされちゃったんだけど、でもそのあとシャアラがねえ、腰を押さえてうずくまって、血を吐いちゃって」

「えっ?」

「それで治療師を呼んだらあばらが折れちゃってて、その後しばらくぐるぐる巻きで絶対安静で……」

 フィン達が驚いてシャアラの顔を見ると、彼女は苦笑しながらうなずいた。

「あはは。ありゃ痛かったなあ……」

「で……サフィーナは?」

「うん。息を吹き返したら泣きながら椰子の木に登っちゃって、次の日まで降りてこないし……」

 ………………

 …………

《えっと、あの……マジかよ?》

 彼女の顔を見るとばつの悪そうな笑顔は浮かんでいたが、否定はしなかった。

 それはそうと……

《最初っからそのつもりだったな?》

 フィンはベラトリキスの連中をじろっと見回す。彼女たちの笑顔はもちろんそれを証明していた。

 それから彼はアリオールを見るが―――彼も考えこんでいた。

《でも、確かに有りのシナリオだよな……》

 ベラトリキスの発言力は城の中は非常に高いと言っていい。その娘が協力してくれるとなれば―――しかも確かにサフィーナはあの中では一番純情可憐に見えるのは確かだし……

《こんなこと……こちらからは絶対頼めないけど……》

 危険の度合いは今までとは段違いだ。しかもレイモンの男達は、彼女たちにはこれ以上絶対無理をさせたくないと心の底から思っている。

 だが今は危急のときだ。そこに彼女たちの方から提案してきているわけで……

 それから色々検討をしてみたが、確かにこれなら何とかなるのでは、という結論に達したのだった―――


 こうしてフィンは腹を決めたのだ。

《ともかく今はできることなら何でもしなきゃならないわけだし……》

 それから彼はサフィーナを再度ぎゅっと抱きしめる。

「じゃ、よろしく頼むよ?」

「ん」

 彼女が小さくうなずくと上を向いて背伸びをする。

 フィンはすこしかがむと、彼女の唇にキスをした。

《柔らかいな……》

 この作戦は決して相手に見抜かれてはならない。そのため行動中は本当の恋人同士っぽく振る舞わなければならない。だからこうして最初からその役になりきっているのだが……

《うわ、どうしよう……このまま舌入れちゃっていいのかな……》

 思わずそんなことを思っていたら―――サフィーナがすっとフィンから離れて、一緒に来た侍女の手を取った。

「コーラ、ありがと」

「はい。がんばってください!」

 そんな二人を見て……


 ―――ティアがにやーっと笑いながらフィンに釘を刺した。

「ともかくお芝居がバレたら何もかも終わりなのよ? そのことだけは肝に銘じとくのよ? そのためにはあんたはこのル・ウーダってのになりきらなきゃダメなんだからね?」

「分かってるって」

 フィンはうるさそうに手を振るが……

「本当に分かってる? あんたは純情で可憐なサフィーナちゃんを騙して食い物にしようとしている腐れ外道なんだけど、見かけだけは聖人君子みたいな奴なのよ? だからキスしてるときでも、内心は『へっへっへ、どうやってこの初々しい体を弄んでやろうか?』なんて思ってるんだけど、それをおくびにも出さないで、まるで運命の恋人みたいに振る舞わないといけないんだからねっ

 フィンは一瞬絶句するが……

「あのなあ。だからそれなら見かけは普通の恋人同士っぽく振る舞ってりゃいいんだろうが!」

 ややこしいことを考えさせるな!―――


 などというあのアホのセリフがフラッシュバックする。

 だがしかし……

《ぐぬぬ。ほんとにゲスな奴だよなあ。この“ル・ウーダ”って……》

 この設定だとこの男は、内心はアロザールへ逃亡する気満々なのに、外見はベラトリキスの一員を騙せるほどに誠実なふりをしていたわけだ。

 もちろん彼女を愛しているというのは完全なる打算の上で、逃げるための道具であると同時にアルクスへの素敵なお土産なのだ。このまま単に逃げたのでは何をされるか分からないが、ベラトリキスの一人を献上できたとなれば、まだ怒りも収められるだろうという……

 だがアロザール時代から築き上げてきた彼の評判からいえば、ル・ウーダとはこういう人間だというのは大変リアリティがあった。

《うー……だって、ああでもしないとあいつをシルヴェストに遣れないじゃないか……》

 しかしそのため彼はボニートを楽しむだけ楽しんで捨てたことになっていたわけで……

 本物の彼がそういう人間でないことは身内は分かってくれているものの、自分がそのように悪し様に思われるというのは辛いものなのだ。

「じゃ、行くぞ?」

「ん」

 二人は若い衛兵と侍女コーラに礼をすると、足を忍ばせて裏門に向かった。

 門衛の詰所には明かりがともっているが、左から二番目の窓だけカーテンが降りている。

《よし。手はず通りだ》

 フィンが扉をまたトントン…トンというリズムで叩くと、中から若い門衛が現れた。

「お待ちしてました」

「悪いな。つきあわせちゃって」

「仕方ないですよ。こんなことなら協力するしかありませんし」

 兵士は脇にある通用門のカギを開けて二人を城の外に導いた。

「さあこちらです」

 兵士は二人に先立って歩き出す。

 深夜のアキーラ市街はしんと静まりかえって、人影は全く見えない。

 だが注意を怠るわけにはいかない。うっかり夜警に出くわしてしまった間違いなく騒ぎになってしまう。今回の作戦はそういったヒラの夜警などには伝えられていないのだから。

 果たしてしばらく行ったところで兵士がしっと言って二人を裏路地に導く。

「静かにしてて下さい」

 三人が身を潜めていると、前の通りを二人の夜警が通っていった。

 その姿が見えなくなってから彼らはまた通りに出て、東に向かった。


 ―――しかし重要な問題が残っていた。

 フィンはティアに尋ねた。

「分かったよ。でも彼女と恋仲になったとして、それからどうするんだ? いくらサフィーナの頼みでも、そいつを勝手に城から連れ出すとかは無理だろう?」

 だが彼女はまたにや~っと笑う。

「うふ。ま、普通はそうなんだけど、でも、一カ所だけ行けるところがあるのよ?」

「行ける? どこに?」

「誓いの見張り台よ

「は?」

 それを聞いたフィンはぽかんとしただけだったが……


「なんだと?」

「ああっ! それでキスなんですか⁉」


 アリオールとラルゴが驚愕したのだ。

 フィンは驚いて尋ねた。

「何なんです? それは?」

「いや、市の城壁の東側にある見張り台なのだが、そこから見る朝日は極めて美しいのだが……」

 アリオールが目を丸くしながら答えるが……

「はあ?」

「そこで日の出の瞬間に、将来を誓い合った二人がキスをすれば、一生幸せに暮らせると言われているのだ」

 その話はフィンは初耳だったが……

「そんな場所があるんですか?」

「ああ。アキーラ育ちなら誰でも知っている話だ」

 だからと言ってどうしてそこになら行けるのだ? と思ったときだ。ラルゴが何やら懐かしそうな顔でつぶやいた。

「でも、消防団に見つかってしまったら失敗なんですよね」

 それを聞いたアリオールも遠い目で答える。

「ははは、怖い親父が多かったからなあ。その目をいかに盗むかというのが大変でな……だから囮役をしてやったことがある」

 それを聞いていたメイが思わず尋ねる。

「え? アリオール様がお手伝いしたんですか?」

 アリオールがにっこり笑う。

「ふふ。私だって若かった頃はありますよ」

 それを聞いたエルミーラ王女が微笑む。

「まあ、今でもお若いじゃないですか」

「はは。痛み入りますな」

 その会話を聞いてフィンは状況が何となく理解できてきた。

「えっと、ってことは、要するにサフィーナが僕とそこで将来を誓いたいって言えば、みんな手伝ってくれると?」

 アリオールがうなずいた。

「まあ、その気持ちは大変よく分かりますね」

 ってことは?―――そのために若い兵士や侍女が協力してくれるということか?

 しかも一人どころか複数の人々が?

《そのうえ……時間は深夜帯なんだし……》

 これまでの案に比べて、驚くほどの好条件ではないか⁉

「で、そこでその諜報員と待ち合わせるわけですか?」

「うん。そうなの」

 アリオールの問いにティアがうなずいた。

 それを聞いたラルゴがつぶやく。

「確かにあそこならば遙かに警備も手薄ですから……素人工作員でも何とかできそうですね。あとは城壁を降りるだけですが……リーブラ殿なら簡単なことだし……」

「まあ……ただ一応魔法は封印しておいた方が……」

「ならばロープを準備させましょう」

「あ、ですよね……」

 と、言ってからフィンはサフィーナを見た。

「それで大丈夫なのか?」

「ん。大丈夫だと思う」

 そういえば先日あのすごく高い木に登ってたって言ってたっけ……

 ということは―――


 行く手に東の城壁が見えてきた。

《さて、ここからが本気の本気だぞ?》

 城壁には見張所や兵士の詰め所も兼ねた塔が一定間隔で立っているが、兵士はその一つの基部にある門に慎重に近づいて行った。

「人影は……ありませんね」

 予定では諜報員が潜入して見張りを眠らせておいてくれるはずだ。

 平時ではここには消防団員が常駐して市内の火災を監視していたのだが、今は非常時だ。中にいるのはレイモン兵なのだが、まだ完全に解呪が完了したわけではない。そこでここには年配の者や女性の徴募兵が回されていたが、それならば素人諜報員でも薬を盛るくらいなら可能だった。

 それよりもまずいのは本物のカップルとうっかり遭遇してしまうことだが……

《それは本当に怖いおじさん達が回りを固めてるから大丈夫だと思うけど……》

 彼らが潜入しそうな経路というのはアリオールの部下が固めているのだが、本気になった彼らの行動力を甘く見るわけにはいかないとのことで……

《まあ、この時期だからなあ……》

 この戦時下にさすがにそんな余裕はないとは思うのだが……

「じゃ、行きますよ?」

 二人は兵士の後をついて塔内に入った。

 薄暗い螺旋階段が上に伸びている。それをしばらく上がっていくと石畳のフロアに出た。

 兵士が声を潜めて言う。

「ここに詰所がありますから」

 それから彼はそうっと足を忍ばせて詰所に向かい、中を伺う。

 それからフィン達に手を振った。

「どうやら眠っています。静かに行きましょう」

 フィンとサフィーナが顔を見合わせてニコッと笑った。諜報員はどうやら上手くやったらしい。

 それからさらに上に向かう階段を上ると別のフロアに出て、そこで兵士が彼らを部屋の一角にある扉に導いた。

「ここからいったん外に出ます」

 扉を開くと―――そこからは静まりかえったアキーラの市街が見えた。ずいぶんな高さだが、フィンもサフィーナもそういう所は気にならない。

 この時間なので所々に街灯の明かりが見えるだけだが、宵の口ならば見事な夜景だったに違いない。

「ここを通ると上の詰所をパスできるんですよ」

 そこから三人は城壁の内側につけられた猫走りを歩くと、隣の塔まで行く。ここにも誰もいなかった。

「この上です」

 そう言って兵士は先だって螺旋階段を上っていくと塔の上に出た。

「おお……」

 さすがに思わず声が出る。

 上空には満天の星で、月が西の空に沈みかかっている。

 東を見ると、そこにはレイモンの平原が見わたすかぎり広がって、空が少しだけ白みかかっている。もうしばらくしたら日の出だ。

 と、そこでサフィーナが兵士に尋ねた。

「おまえ、ここでキスしたことある?」

「え? はは。まだないんですけど?」

 と、彼は頭を掻いたのだが……

「あ、そ。ごめんね」

 そう言って彼女がやにわに隠し持っていた短剣で兵士の胸を貫いたのだ。

「あ?」

 兵士は何が起こったか分からないという様子で数歩下がるが―――その後ろには何もない空間が広がっていた。

「ふあぁぁぁ!」

 そんな叫び声と共に、兵士は城壁の内側に落ちていった。

 それからドサッと音がして―――あたりは静まりかえった。


 ―――しかし計画にはまだ細かい問題が残っていた。

「確かにそうすればみんな色々協力してくれるだろうけど、さすがに厳重な監視下のはずだし、いくらなんでも二人だけでってわけにはいかないよな?」

 フィンの問いにティアはうなずく。

「そりゃそうよ。見張りの兵隊くらいはついてこないと嘘っぽいわよねえ」

「そいつはどうするんだ?」

「始末しちゃえば?」

 ティアはあっさりとそう答えた。

「は? 始末する?」

 いくらなんでもそれって―――と思ったときだ。

「そーよ? だってそういうのにうってつけのがいるじゃない」

 そう言ってティアは後ろに座っていたキールを指さした。

 ………………

《あははは。確かに……》

 彼の体質ならば少々のことならば大丈夫だが……

「そうすれば相手だって信用してくれるでしょ?」

 まあ、確かにそれはそうなのだが―――


 もちろん門衛の兵士役は彼であった。

 下にはニフレディルが待っているから死ぬことはないはずだが……

《でも可哀想な役割だなあ……》

 べつに死にはしないが痛いことは痛いらしいし……

 だが今はそんな同情をしている余裕はない。

「あー、その服汚れてないのか?」

「ん? マントにちょと血がついた」

「んじゃ、捨ててけ」

「ん」

 それからフィンは振り返って見張所の陰を見る。

 ここからがまさに本番なのだ。

「いいぞ。出てこいよ」

 フィンがそう言うとそこから男が一人現れた。

「お前がヴェルスか?」

「へえ……」

 だが男は目を丸くして晴れ着を着たサフィーナを見つめている。フィンはニヤッと笑った。

「それじゃ紹介しよう。彼女が大皇后の女戦士(ベラトリキス)、黒猫のサフィーナだ」

 男は慌ててぺこんとお辞儀する。

「あ、よろしくお願いしますだ」

「ん」

「で、準備はできてるか?」

「へえ、もちろん」

 ヴェルスが包みを取り出すと、中から女物の服を取りだした。サフィーナがそれを受け取るとその服に手早く着替える。

 その間にヴェルスが持ってきたロープを城壁の外に垂らした。

「大丈夫ですかい?」

「任せとけ」

 実際これに似たようなことはアウラと散々にやってきた。フィンは慣れ親しんだ動きで城壁を下っていった。

 続いてサフィーナだが、彼女は懸垂下降は初めてだと言っていたが、二~三回練習しただけですぐに覚えてしまった。

《本当に運動神経いいんだな》

 アウラと同じで、こういった方向では足手まといにはなりそうもない。なんだかかつて彼女と一緒に川下りをしたときのことが思いおこされるが……

《いやいや……》

 そんな感慨に耽っているわけにはいかない。それよりも……

「おい、大丈夫かよ?」

「大丈夫ですだよ……」

 一番ビビっていたのがヴェルスだ。

 おっかなびっくりで降りてくるヴェルスにフィンが声を掛ける。今ここで彼に落ちられたら目も当てられないのだが……

 だがさすがにそういう結末にはならず、城壁を降りたところには用意した馬が待っていた。

 三人はひらりとそれにまたがる。

「それじゃ案内よろしく頼むよ」

「承知しました」

 ―――こうして二人はアキーラから脱出した。