禁じられた火遊び 第7章 サフィーナ、しくじる

第7章 サフィーナ、しくじる


 その日の昼過ぎ、フィンとサフィーナは予定通りにロータにたどり着いた。

 中央平原は大河アルバによって東西に大きく分断されているが、このロータは川に橋が架かっていて馬車などでそのまま渡河できる数少ない場所の一つだ。

 橋の両端にロータの街は広がっているが、橋の手前の西岸の方が大きな市街になっていて、その外れにある砦が現アロザール軍の本拠となっていた。

 街の周囲には軍が駐留していて、一般人が通行しようとすればアロザール発行の通行証が必要で、検査も厳しく行われる。

 彼らの目前にはそんな検問があって荷馬車の長い列ができていた。

「えー? これ並ぶの?」

 サフィーナが嫌そうに言うが……

「んなわけないだろ。ついて来いよ」

 この炎天下、そんなことはしていられない。

 フィンは列を馬で追い越すと、検問をそのまま通り過ぎようとした。

「ちょっと待て! 止まれ!」

 当然のことながら兵士が制止するが―――フィンはその男をちらっと見ただけで無視して先に進む。

「おい! こら!」

 彼らの前に数名の兵士が立ち塞がった。

「止まれ! 何している!」

 だがフィンは馬の上から兵士達を傲慢そうに見下した。

「どけよ! 邪魔だ」

「なんだと?」

 兵士達が激高して詰め寄ってくるが……

「おい、お前、何て名前だ?」

 フィンは兵士に尋ねた。

「あ?」

「だから、名前を聞いている。人に話しかけるときにはまず名乗るだろうがっ!」

 兵士が真っ赤になって剣を抜こうとするが……

「お前、俺が誰だが知ってやってんのか?」

 フィンはじろっとその男を見下ろした。

「え?」

「俺はル・ウーダ・フィナルフィンだ! グルマンに用があってやってきたんだ! とっとと案内しろ!」

「え? しかし……」

「おい、ル・ウーダって裏切ったんじゃ……」

 フィンはその男をぎろっと睨みつける。

「バカか? 貴様は! 裏切ってたらこんなところにのこのことやってくるか! あのなあ、俺は嵌められて殺されかかったんだぞ? お前らの仲間にな? いいからはやくグルマンの所に連れて行け!」

「しかし……」

「しかしも案山子もあるか! 俺は王国評議会の相談役、ル・ウーダ・フィナルフィンだぞ。エグジタス島の灯台守に飛ばされたくなかったら、とっとと案内しろ!」

「は、はい……」

 その剣幕に圧された衛兵が慌てて二人を砦に案内する。

 フィンとサフィーナは悠々とその後をついて行った。

 ロータの街の建物は石造りの赤い瓦葺きで、屋根には魚の背骨のような突起があった。

「変わった屋根なのね」

「ああ、昔国があった頃からの風習なんだそうでな、魔除けになるとか」

 これは以前一度来たときにヴォランから聞いた話だが……

「ふーん」

 サフィーナは物珍しそうにあちこちを眺めている。

《こんなときじゃなきゃもっとゆっくりと街の観光もできるんだが……》

 この町は交通の要衝だけあって、おもしろい店や物も多いのだ。

 だがもちろん今は任務優先である。

 二人は門衛に案内されて、砦の門をくぐった。

《あはは。ここを襲うのは大変だよなあ……》

 あのディロス駐屯地とは比べものにならない規模の砦だ。

 中はかなり広く宿舎もたくさん建っていて、その中のひときわ大きな石造りの三階建ての建物がどうやら司令官の公邸に使われているようだ。

《一応予定通りだな……》

 さて、これからが本番の本番だ。

 二人は公邸の応接室に通された。

 そこは元々レイモンの砦だったらしく、見事に質実剛健とした作りだ。飾りといえば壁に掛かっている何枚かのタペストリだけで、それ以外は石の壁がむき出しだ。

 しばらく待っているとロータの司令官、グルマンが現れた。

 彼より少し背が高く、軍人らしくがっちりとした体つきだ。

「これはル・ウーダ様。よくぞご無事で」

 グルマンが丁重に挨拶する。

 司令官グルマンとはフィンがアロザールの第一軍や第二軍を視察したときに会ったことがある。ただしそのときも一言二言話しただけで、それほど親しかったというわけではない。

 それはともかく……

「無事じゃない! もう少しで殺されるところだったんだぞ⁉」

 フィンはグルマンを睨みつけて怒鳴った。

「あの、一体どのようなことが?」

「だからお前らの部下のモデストか? あの野郎がデタラメな証拠をでっち上げて俺を嵌めようとしやがったんだ。あの手紙は見たんだろ?」

「それは、はい」

「お前らあいつらの躾をどうやってるんだ?」

「申し訳ございません。なにしろレイモンの連中ですから。表向きはこちらになびいたふりをしても、裏では何を考えてるか」

 ―――と、このあたりでフィンは何か違和感を感じていた。

《こいつ、何をそんなに落ち着き払ってやがるんだ?》

 普通ならば少なくとも混乱してるはずなのだが?

「ともかく長旅お疲れでしょうからまずはごゆるりとお休み下さい」

 その言葉と共に入り口からバラバラと兵士が入ってくると、剣を抜いて彼らを取り囲んだのだ。二人とも玄関で荷物や武器は預けてあるので、今は完全な丸腰だ。

「おい、何の真似だ」

 だがグルマンはニヤッと笑った。

「だからゆっくりと休めって言ったのさ。地下牢でな」

「あ?」

 それから彼はちらっと横の兵士に目配せする。

 すると兵士が肩掛け鞄を差し出した。

「あっ」

 思わずサフィーナが声を上げる。フィンも驚いていた。

《あれって、サフィーナの鞄じゃないか⁈》

 グルマンはそれを受け取ると中から棒状のものを取りだした。

「そちらのお嬢さんは何やら変わった物をお持ちですな?」

 見ると―――それはあそこで受け取った信号弾だった。

 ………………

「何だよ? それは?」

 フィンはとぼけようとしたが……

「彼が色々教えてくれまして」

「え?」

 フィンが振り向くと―――戸口に立っていたのはランブロスだった。

「旦那……やっぱ無理ですよ」

 さすがにフィンも開いた口が塞がらなかった。



《マジかよ……》

 地下牢の中でフィンは茫然自失だった。

《ランブロスが裏切ってた⁇》

 いったいどうしてだ?

 こんな裏切りをした以上、いまさら彼がレイモンに戻るなんて無理だが―――彼の家族はアリオールの精鋭とスズメ組が救出しに行っているのだ。

《これじゃ家族に会えないだろうが?》

 彼とは昨日から今日の朝まで一緒だった。そこから受けた印象は、とても真面目で家族思いの男だということなのだが……

《あれが全部嘘だったってのか?》

 昨夜彼は娘のためにアルマーザが描いてくれたアルちゃんとマーザちゃんをことのほか喜んでいた。あの笑顔が芝居だったというのか?

 いかに信じられなくとも、それが事実なのは間違いない。

「はあ……」

 フィンは大きくため息をついた。

《ともかく、今後のことを考えなきゃなあ……》

 落ち込んでいても始まらない。

 フィンはあたりを見回した。石壁にごつい鉄格子。入り口も鉄製で、彼の力ではもうどうしようもない。

《助けを待つしかないのか?》

 だが、バックアップ部隊は彼らの現状に気づいているだろうか?

 ………………

 …………

《いや、まだだよな?》

 計画では彼らは客分としてここに滞在し、そこでメルファラ大皇后の誘拐計画を話し合うはずだった。それには少なくとも午後一杯はかかるはずで、何らかの連絡が取れるのは夜になってからだ。

《そこで返事がないことで、初めて異変に気づくわけで……》

 少なくとも彼らが動き出すのはそれ以降ということだ。

《その間どうなる?》

 だが彼らが殺されるようなことはないはずだ。アルクスはル・ウーダが生きていれば生きたまま連れてこいと言ってるようだし……

《でもサフィーナは?》

 彼女は今どうしているのだろう? 彼女だって当然殺されるようなことはないはずだ。

 だが……

《味見しようとか……しかねないよな?》

 ………………

 …………

「おいっ!」

 思わず声が出る。

 彼女が生娘だったなら手を着けることは憚られるかもしれないが―――なんてことはないわけで……

 フィンは両拳を握りしめた。

「ちょっと待てよ?」

 だが―――この状況で彼にそれを止める術はない。

《サフィーナ……》

 途端に胸がぎゅっと潰れるような気がした―――だがそこでフィンは首を振る。

《いや、ともかく殺されるわけじゃないんだから……》

 その程度―――というのも何だが、彼女だって危険を承知で来ているのだ。

 フィンは何度も深呼吸して心を落ち着けた。

 ともかく今はそういうことは置いておいて、これから何ができるかを考えねばならない。

《まず、俺たちは今ここで殺されることはないはずだ……》

 しかしやがてシーガルに送られるのも確実だ。

《その手段はまず船か……》

 ここからならアルバ川を船で下っていくのが最も手っ取り早い。だがその船足は意外に遅く、途中に早瀬が二カ所ほどあってそういう所では荷物の積み替えも発生する。

《多分チャンスは色々あるよな?》

 その頃にはアリオール達だって同様に考えるはずだから―――と、そこまで考えてからフィンは愕然とした。

《ってことで陸路を取るってことも?》

 考えたら少し遠回りになるが、ロータからアルバ川の東岸をクルーゼ村経由の陸路でバシリカに入ることだって可能だ。

 それどころか、そのままセイルズの町まで行って、そこから大河ヘリオスを下って海路でシーガルに向かう経路も考えられる。むしろその方が相手方から見れば安全で……

《その場合は当然馬車に押し込められるわけで……うわあ……》

 あのクソ暑かった荷馬車の荷台が思い起こされるが―――ともかくそうなると広い平原だ。脇道を使われると発見はかなり困難だ。

《機を見て逃げ出すのはできるかもしれないけど……そこから戻ってくるのが大変だぞ?》

 状況はあまり芳しくないようだ。

 可能な限り早く脱出しなければ、どんどん困難になっていきそうなのだが……

「参ったな、こりゃ……」

 そうつぶやいて―――フィンは吹き出した。

《参ったなんてもんじゃないだろ⁉》

 こんなに孤立無援な状況に陥ることなんて―――だが……

《あれ? 結構あったか?》

 孤立無援といえばまず思い出されるのが、グリシーナ城にアウラと一緒に囚われたときだが―――確かにあのときはやけっぱちであったが、アウラも一緒だったし、わりとそこまで孤立無援という気がしなかったが……

《じゃあ、あの山荘のときか?》

 ル・ウーダ山荘でアルジャナンの一味に襲われて、大怪我をしながらファラと一緒に岩棚の上に隠れていたときは――― 一応はあのバカが助けを呼びに行ってくれてたんだよな……

《それじゃ今度のアキーラ解放のときは……》

 これは客観的に見たらまさに孤立無援だったのだが―――仲間がいるというのはまさに心強かったのは間違いない……

《ってことは……あはは!》

 そう。一つ正真正銘の孤立無援状況があった。

《アリオールの屋敷でベッドに縛り付けられて……》

 あのときはまさに彼一人きりで、しかも助けも全く見込めない状況だった。

《あれ助かったのはまさに奇跡だもんなあ……》

 プリムスが助けてくれるなど、まさに考えられない話だった。だから彼はその恩返しもかねて、アロザールに協力していたわけだが……

《あはは。人生最大の危機はリエカさんだったわけだ……》

 フィンはぷっと吹き出すが……

《いや、でもこれだって人生で五指に入る危機だよな?》

 そんな危機がこれだけあるという人生もどうかと思うのだが……

 などと考えていたときだった。

 だだだっと駆けてくる音がしたと思うと、慌てたようすの兵士が二人現れた。

「おい! 出ろ!」

 そう言って一人が牢の扉の鍵を開けた。

「え?」

 その間にもう一人が入ってきて、フィンをまた後ろ手に縛る。

「おい、何だよ?」

「いいから来い!」

 抜き身の剣で突っつかれて、フィンは仕方なく言うとおりにした。

 だが内心真っ青だった。

《おい! もうどこかに移送されるのか⁉》

 地下牢に入れられた以上、シーガルに送られるのはもう少し後だと思っていたのに……

《これじゃ見つけてもらえないかもしれないぞ?》

 フィン達が捕らえられたことに気づけば、アリオール達もロータから出ていく船や馬車などを注意深く見張るだろうが、今このタイミングではそんな監視はしていないはずだ。

《おい、ヤバいぞ、これって……》

 だとしたらどこかで縄を焼き切って逃走するしかないのか?

 だがそうしたらサフィーナは?

 ………………

 …………

《さすがにそこまで別々ってことはないよな?》

 とりあえず同じ船や馬車に乗せられたのならチャンスはあるはずだ。

《もう少し我慢だ》

 ともかくこういう場合は焦ったら負けだ。

 注意して周囲を観察して、好機を逃さないようにしないと……

 そんなことを考えながら歩いていると、兵士は地下牢のあった建物から出て司令官の公邸に向かった。

《??》

 と、その下に人だかりができている。

 集まった連中がみんな上を見ているのだが―――そこでフィンも上を見上げると……

「あぁ??」

 そこに展開されている光景を見て言葉を失った。


「早く連れてこーい! 死ぬぞ! こいつが!」


 司令官のグルマンが下着姿で宿舎の三階の屋根から逆さ吊りにされていて―――さらにその横にサフィーナがぶら下がって、そんな風に叫んでいるのだ。

 ………………

「えっと?」

「いいから来い!」

 兵士達はフィンを連れて人混みをかき分けて、グルマンとサフィーナの下にやってきた。

「ほら! 連れてきたぞ!」

「よし! じゃあフィンの手をほどけ!」

 上からサフィーナが叫ぶ。

「え?」

 兵士が躊躇するが……

「いいから早くしろ!」

 そう叫んだのはグルマンだ。

 兵士は慌ててフィンを自由にする。もちろん剣を抜いた兵士に取り囲まれてはいるが……

「フィン! 来てくれ!」

 サフィーナが叫ぶ。

 こうなったらもう行くしかない。

 そこで彼はおもむろに前方にいた兵士を魔法で吹っ飛ばした。

「うおぉ?」

 そうやって空いたスペースに駆けだすと、軽身の魔法をかけて二階の窓の下の庇に飛び乗った。

 あたりから低い歓声が上がるが、そういうのは無視して今度は三階の庇まで飛び上がる。

 そこまで来るとすぐ横にグルマンとサフィーナがぶら下がっていた。

「フィン。もう手が痛い。代わってくれ」

「代わるって?」

「代わりにぶら下がってくれ」

「え?」

 フィンは一瞬ぽかんとするが、どうやらサフィーナがぶら下がっているせいでグルマンが落ちずに済んでいるようだ。

《え? 体重、倍くらいは違いそうだが……》

 だがすぐにグルマンを吊っているロープは二重だが、サフィーナのぶら下がっているロープは一重だということに気づく。いわゆる動滑車の原理で釣り合っているらしい。

「ああ、分かった」

 そこでフィンがサフィーナの捕まっていたロープに飛びつくと―――ずりずりっと下がり始めた。

「うわっ……」

 フィンが慌てて軽身の魔法で体を軽くすると下がる速度がゆっくりになる。

「ちょと待っててくれ」

 そこでサフィーナがするするっとロープを登っていくと、三階の屋根の庇に手をかけてひょいと上に飛び登った。

 途端にサフィーナの重さを失ったせいで今度はグルマンが落下し始めるが……

「うわぁぁぁぁ!」

 グルマンが悲鳴を上げる。

 そこでフィンが魔法を解くと、今度は落下が止まって代わりにフィンが下がり始める。

《うわっ! これって難しいぞ?》

 中途半端な重さにするというのは結構大変なのだが―――と、そのときだ。

「おーい。上がってきていいぞ! こっち引っ張ってるから」

 サフィーナの声が聞こえる。

「ああ」

 再度軽身の魔法をかけるが、今度はグルマンは落ちなかった。

 そこでフィンもそのままロープを登って屋根の上に出た。

 そこではサフィーナが屋根の上にある背骨のような突起の一つにロープをひっかけて、全体重をかけて引いていた。

「これ、あそこに巻き付ける、手伝ってくれ」

「ああ」

 二人でロープを突起に巻き付けて結ぶと、サフィーナがふうっとため息をついて屋根の上に尻餅をついた。それから両手をぶるぶると震わせながら……

「うー、疲れた~」

 と、さもほっとしたようにつぶやいた。

「一体何が起こったんだ?」

 驚いてフィンが尋ねると……

「いや、それがちょとしくじった」

「しくじった?」

 何をどうしくじったらこうなるんだ?

「それよかフィン。あいつに聞くなら今だぞ?」

 ………………

 …………

「お、おぅ」

 まさにその通りだった。

 そこでフィンは屋根の上から顔を出すと、逆さまのグルマンに尋ねた。

「おーい、グルマン、ちょっと教えて欲しいんだが」

「な、何だ?」

「秘密兵器って何なんだ?」

「知らん!」

「おいおい。このロープ、何だかこすれて切れそうなんだが」

「だから知らん。本当に知らんのだ‼」

 グルマンがわめく。

「何だ? そこまで命がけで守らなきゃならないことなのか?」

「違ぁーう! 知らないからだ。知らんもんは喋れん!」

 あー? これだけ苦労してこういうオチ?

「本当に何も知らないのか?」

 そう言いながらフィンはロープをゆらゆらと揺らした。

「ひいぃ! だから送られてくるのは九月の半ばだってことだけだ」

「送られてくる? ってことはそれは物体なのか?」

「そうなんだろう。アルバ川を船で運んでくるとか」

「その他には?」

「だから知らん! それさえあればお前らなんか簡単に蹴散らせるってこと以外はな!」

「はあ……」

 と、そこでサフィーナが口を挟んだ。

「フィン。もうロープが持たないんだけど」

「おいおい……だそうだが、他に言いのこしたいことはないか?」

「助けてくれ。だから本当に俺たちにはそういうことしか知らされてないんだって!」

 グルマンの声は完全に裏返っている。

「えっとなんだ? そいつは物体で、船で運んできて、九月半ばってことだけ?」

「そうだ。だから助けてくれ!」

 フィンはため息をついた。

「しょうがないなあ。じゃあ俺たちは行くけど……」

「おい。俺は?」

「ほら、急いでハシゴとかを持ってきてもらえよ。じゃあな」

 そしてフィンは再び屋根に上る。

「えと、それでどうする?」

 サフィーナが尋ねる。

《あー、問題はそこなんだが……》

 そう思ってフィンはあたりを観察した。

 すると砦の外壁にある望楼が見えた。その部分が四角い塔になっていて、頂上の見張所には屋根がついている。

「ああ、あそこがいいか?」

 見張所だったら信号弾も常備しているはずだ。

 バックアップが期待できない状況で逃げ回るよりは、あそこで信号弾を打ち上げて待っている方がいいだろう。それが見えるところには斥候がいるはずだ。

「じゃあ俺に負ぶされ」

「ん」

 サフィーナがフィンの背中に飛び乗った。

 こんな風に高い所に上がるのはアウラと一緒に散々やってきたが―――彼女の場合、背中に感じる柔らかな感触という物にはちょっと欠けるが……

《うわ、軽いな……》

 その分飛びすぎることを注意しなければならなそうだ。

「じゃ、行くぞ?」

「ん」

 フィンは屋根の上を駆けて勢いをつけて、隣の棟の屋根に飛び乗った。

 下から何やら叫ぶ声が聞こえるがそんな物は無視だ。

「弓とか持ってる奴はいないか?」

「ん? ああ、まだいない」

「そうか」

 フィンはサフィーナを負ぶって屋根伝いに望楼の下までやってくる。

 見張所までは高さ数メートルほどだが、そこから兵士が一人目を丸くしてこちらを見下ろしているのが見える。

「突っ込むから捕まってろよ?」

「ん」

 フィンはそのまま勢いをつけてその兵士めがけて飛び上がった。

「うわわわ!」

 兵士が慌ててよける。

《ちっ》

 そのまま体当たりできれば吹っ飛ばせてたものを……

 二人はそのまま見張所内に着地した。

「貴様……」

 そう言って兵士が剣を抜くが……


 ずどん!


 次の瞬間、兵士はフィンの衝撃魔法で吹っ飛ばされ、手すりを越えて落ちていった。

「うわああぁぁぁぁ……!」

 そんな悲鳴が段々小さくなっていって―――さいごにドボンと水音がする。

 下を見ると運良く砦の周囲に巡らされた堀に落ちたようだ。

「おお、運が良かったな」

 敵兵でも殺してしまうというのは寝覚めが悪いわけで……

「で、信号弾は?」

 サフィーナが尋ねる。

「えーっと、下か?」

 床の一カ所に階段の穴がある。のぞき込むと階段を降りたところで扉が閉まっていた。

《下に誰かいるか?》

 だがそれだったら今の騒ぎに出てこないはずがない。

 フィンは慎重に階段を降りると中の音を聞く。人の気配はないようだ。

 そこで扉を開けると―――果たしてそこには誰もいなかった。

 その部屋は見張りの詰所らしく、中央にテーブルと椅子が何脚か、部屋の隅にベッドが二つ、一面の壁には戸棚が置いてあって、下からの階段が同様に上がってきている。

「信号弾を探してくれ」

「ん」

 二人で戸棚を引っかき回していたら信号弾はすぐに見つかった。

「あ、それからそうそう」

 フィンは軽身の魔法で戸棚を持ち上げると、階段の中に突っ込んだ。さらにその上にベッドやテーブルなどありったけの重量物を重ねて乗せる。

「これでそう簡単に上がって来れないな」

 果たせるかな、彼らがそこを出ようとしたときに、下の方から扉をガンガン叩く音が聞こえてきた。

「さて、長居は無用だ」

 それから二人は見張所に上がるが、そのときには下の方に弓兵が集まっている。この場所だと流れ矢に当たるかもしれない。

「じゃあ、屋根まで上がろう」

「ん」

 フィンはまたサフィーナを背負うと見張所の屋根の上に上がった。

 屋根は緩い四角錐型になっていたので、砦の外側に向いた斜面だと死角になって矢は飛んでこない。

「じゃあぶっ放すか……」

 そう言ってフィンはポケットから信号弾を取り出して打ち上げようとしたが―――何やらサフィーナが物欲しそうな目で見ている。

「やってみるか?」

「ん

 フィンが信号弾を渡す。サフィーナが嬉しそうにそれを空に構えてひもを引っ張ると―――シュバッ! ポーン! と目立つ煙と共に上空で花火が炸裂した。

《練習も楽しそうだったもんな……》

 訓練のときには集まった連中がみんなやりたがって大変だったのだ。

《しかし……こいつを使う羽目になるとは……》

 最後の最後の手段という位置づけだったのだが―――それはそうと……

《ちゃんと見ててくれるよな?》

 ロータの砦は市街の外れにあって反対側がアルバ川の小さな支流に面している。

 先ほどの兵士が落ちた堀はそこから水が引かれているのだが、その向こうは湿地帯になっていて、アリオールのバックアップ部隊の斥候がどこかに潜んでいるはずだが……

《寝てたりするわけはないと思うけど……》

 だがそこから前線のキャンプまで連絡が行って、スズメ組は家族の救出作戦だから―――ニフレディルとリモンが助けに来てくれるには少し時間がかかるはずだ。

《ま、ここならしばらくは大丈夫だろうから……》

 詰所の扉は塞いだし、それを何とか破ってもこの屋根の上に上がってくるのは無理だろう。もしやってきても魔法で吹っ飛ばしてやればいいわけで……

 だとすれば―――そこでフィンはサフィーナに言った。

「ここでしばらく待つことになりそうなんだけど……」

「ん」

「それで、どうしてあんなことになってたんだ?」

「あ、そだな」

 サフィーナがうなずいた。


 ―――二人が拘束されたあとフィンは地下牢に連行されたが、サフィーナは最上階のグルマンの居室に連れて行かれた。

 それから彼は兵士の一人に命令する。

「もうしばらくしたらこいつらを送り出すから、馬車の準備をしておけ」

「はっ」

 そう答えた兵士にグルマンは念押しする。

「目立たないようにだぞ? どこに奴らの手先が紛れ込んでるか分からないからな?」

 それから別な兵士にも命令する。

「あと、出航の準備もしておけ。こちらは明日の午後に出航するからと周知させるようにな?」

「承知いたしました」

「じゃあ行け」

 兵士達が去ると、グルマンはドアを閉めて内側から鍵をかけた。

 それから振り返って……

「ふふ。もう少ししたらまた長旅が始まるが、その前にちょっとお楽しみといこうじゃないか?」

 そう言いながら嫌らしい目でサフィーナの体をじろじろ見つめると、ニヤッと笑った―――


「うわ! ヤバかったな……」

「ん? 何が?」

 サフィーナが首をかしげる。

「いや、だから俺たちが捕まったことはまだアリオール達は知らないはずだから、そんなにとっとと送り出されてたらまずいところだった……」

「そうなのか?」

「ああ、マジヤバかった……それでどうなったんだ?」

「ん。んなこと言われて困ってしまった。そういうことをするに(やぶさ)かではなかったんだが……」

「はあ?」

「ん?」

 サフィーナがまた首をかしげる。

「いや、吝かではないとか……」

「何か間違ってたか?」

「いや……そういう言い回しをよく使うのか?」

 サフィーナはにっこり笑ってうなずいた。

「あ、これはメイが持ってきた本に書いてあった」

「ああ、そうか……ってか、え?」

 以前は確か子供向けの本を読んでたとかじゃ? もうそんな難しい本を読んでるのか?

「なんだ?」

「いや、それで?」

「ん。で、こういうのをもしかして役得というのではないかとも思ったが」

 役得……⁈

「でもあんま楽しんでるとフィンが殺されるかもしれないし」

「いや、それはないはずだが?」

「え? どして?」

「いや、だから俺たちは生きて連れて来いという命令になってるはずだから」

「ああ! そうだったか、ちくしょう、それだったら……」

 サフィーナがあからさまに落胆する。

《あの、それだったらもしかしてお楽しみしてたと?》

 この子達の感性は未だによく分からないところが多いが―――だがサフィーナは顔を上げると首を振った。

「でも、あそこじゃやっぱ嫌だったし」

「どうして?」

「だって、あいつ、あんなところでいきなり始めようとするんだぞ?」

「あ?」

「何か散らかってるし、シャワーもないし。だからこんな汚いところでやるのか? 嫌だって言ったらあいつ怒りだして」

 シャワーがあればよかったのか?

「それで、お前の立場は分かってるのか? 大人しくしないとあの男もどうなるか分からないぞ? とか言ってのしかかってきて、ベッドに押し倒されてしまって、しょうがないからつきあってやることにしたんだが……」

「お、おう……」

 なんか、結局ひどい目に遭わされてるのか?

「ところがあいつ、いきなり自分のちんぽを取りだして綺麗にしてくれとか言いだすし」

 サフィーナがさも嫌そうな顔をする。

「綺麗にって……」

「うん。しゃぶって綺麗にしろとか」

 まあ、そりゃ嫌だろうが……

「いや、しゃぶるってのは綺麗にするためじゃないだろ? 最初に洗っとくもんだ」

 いやごもっとも……

「それでなんかもうムカついたんで……」

「ああ」


「思いっきり噛んだ」


「ひいぃ!」

 フィンは思わず悲鳴を上げていた。

「ん?」

「いや、想像するだけで痛いからっ! それ……」

 恐ろしいことをする娘だが……

「でもそんなことして、グルマンは……」

 フィンが蒼い顔で尋ねるとサフィーナはあっさりとうなずいた。

「ん。だからあいつぶち切れて、あたしを殴ろうとしたんだが」

 おいっ!

「大丈夫だったのか?」

 サフィーナはまたあっさりうなずいた。

「ん。すぐに頭、引っ込めたから。そしたら……」

「そしたら?」

「あいつ自分の股ぐらを思いっきりぶん殴ってピクピクし始めた」

 ………………

 …………

 あはははは!

「なんで、近くにあった花瓶でとどめを刺した」

 ………………

 …………

 ……

 フィンは絶句していた。

《確かリサーンが……仲間の中じゃ一番凶暴だって……》

 フィンは思わず彼女の顔を見る。

 ヴェーヌスベルグ娘の中では一番小さくて可愛いという印象しかなかったのだが―――まさに黒猫。肉食獣なのだった……

「あれがティア様の言っていた変態って奴かな?」

「あはー、まあそうだね」

「ティア様がよくフィンのこと、そう呼んでたけど。まさかフィンもああいうこと……」

「それは違うからねっ!」

 こんな可愛い娘に変なことを覚えさせるんじゃない!―――ってのはともかく……

 フィンは大きくため息をついた。

「よかった……でも無茶するなよな……」

 だがサフィーナは不思議そうに首をかしげる。

「ん? あいつノロマだったし。終わったらやっつけようとは思ってたんだが?」

「そうなのか?」

 このような娘の口からそんなことを言われても、普通は信じられないとしたものだが……

 それはそうと……

「それからどうしたんだ?」

「ん。で、周りを見たらその部屋には何だか変な物が一杯あるんだ」

「変な物?」

「ムチとかロープとか、あとローソクもやたら一杯あったが」

「………………」

 あいつ、そういう趣味だったのかよ……

「んで、また起きてこられたら困るんで、両手両足を縛って動けないようにした」

「あは。そうか」

 ヴェーヌスベルグではときどき噂を聞いた変な奴らが襲ってきたりするため、みんなそういう技術は身につけている。実際、風呂場をノゾこうとしたイルドが縛り上げられて転がされているのを何度も目撃しているわけで……

「でもそこで困った。鍵はあるから出て行こうと思ったら出て行けたんだが、外は兵隊が一杯いるし。フィンがどこにいるかも分からないし」

「ああ」

「そこであいつを人質にしてフィンを連れてこさせようと思った。でも部屋の中じゃ囲まれたらどうしようもないし」

「ああ」

「そこで屋根から吊すことにした」

 ………………

「屋根からって……あいつを?」

 それこそサフィーナの倍は体重がありそうな奴なのだが?

「別に村じゃ、ああやって重たい物を持ち上げるとか、よくやってたから」

「ああ、そうか……でも……?」

 それからどうやれば?

 首をかしげるフィンにサフィーナが説明する。

「だからほら、ここの町って家の屋根に何か骨みたいな出っ張りがあるだろ? まずあそこにロープを結んで、それからあいつの両足の間を通して、またあの出っ張りに引っかけて引っ張れば、あいつを吊せるだろ?」

 フィンはその説明を頭の中で再現していたが……

「えっと……ええ?」

 屋根に上がって、ロープを結んで、また部屋に戻って?

「何がええ? なんだ?」

「いや、だからどうやってあの屋根に登ったんだ?」

 だがまたサフィーナが不思議そうに答える。

「ん? 普通に登ったが?」

「普通に?」

「だから窓枠の出っ張りに立つだろ? そこから飛び上がって屋根の端に捕まって、くるっと回って、それからえいやって」

 ………………

「おい。三階だぞここは⁉」

 一階と二階に小さな庇はあるが、落ちたらそのまま地面に激突なのだが……

「そうだが?」

 サフィーナは不思議そうに首をかしげた。

「……いや、分かった」

 そういや、いじけたら木に登って一晩降りてこない子だったっけ……

《なんかもう、突っ込んだら負けだよな……》

 ともかく話の続きを聞こう。

「それで屋根に上って、ロープを結んで、それを伝って降りて、振り子みたいにして窓から飛び込んで……」

「ああ」

 いや、軽身の魔法をかけたフィンならばそういうことも可能だが……

「それからあいつの両足の間にロープを通したが……あいつまだぶらぶらさせてたんでパンツは履かせてやった」

 あは。親切な子だなあ……

「それからまた上に上がって、ロープを出っ張りに引っかけて引っ張ったんだが、あいつ重いし、滑りも悪いしで、思いっきり踏ん張らなきゃならなかった」

「ああ……」

「それでも何とか窓から引きずり出すことはできたんだが、窓から落っこちたところでがくんってなって、慌てて踏ん張ろうとしたら足が滑った」

「あ?」

「それでそのまま屋根から落ちてしまって、でもああやって釣り合って止まってくれたのはラッキーだったが……」

 ラッキーって―――話を聞いているだけで背筋が寒くなってくるのだが……

「で、ちょと困った。別にこのままロープを登っていけば屋根には上がれるんだが……」

「あ、ああ……」

「でもそのときにはさすがにロープから手が離れそうだったんで」

「あ、それだと……」

 その瞬間グルマンは頭から地面にめり込むわけで……

「ああ。そうしたらあいつ死ぬから、秘密兵器の話を聞けなくなるし」

「あはは」

「それであいつを蹴飛ばして目を覚ましてやって、フィンを連れて来いって言わせたんだ。さすがにすぐに状況は分かったみたいで」

「あはは」

「いや、あのロープあんま太くないんで、握ってたら疲れるんだ。もう少しあいつらがのろのろしてたら本当に落っことしてたところだ」

 あはははははは!

 いや、もう何といってコメントすれば?

「ともかくすごかったな、お手柄だよ」

「そっか?」

「ああ。君がいて本当に助かったよ」

「あは。ありがと」

 サフィーナがにっこり笑った―――と、それからポッと赤くなる。

《??》

 どうしたんだ?

「んじゃ、帰ったら……するか?」

 ………………

 …………

 ぷはーっ!

 一体こんなところで何を言い出すんですか? この娘は……

「だって二回もお預けになってるんだし……」

 二回って―――グルマンのも勘定に入ってるのか?

《えっと、でも帰ったらもう作戦は終了なわけで……》

 だが―――彼女がまさに体を張って頑張ってくれたせいで、こうして二人とも脱出に成功したわけで……

《だったらお礼という意味でも……彼女が望むのなら……》

 と、そのときだった。

「ん?」

 サフィーナがそう言って遠くの方を凝視した。

「どうした?」

「誰か来るけど……」

「え?」

 フィンが彼女の指した方を見ると―――遙か遠くの湿地上に白い点が飛んでいるような……

「リディール様か?」

「ううん。違うみたい」

「えっ⁈」

 彼女たちは砂漠育ちなのでとても目がいい。

《違うって⁈……それじゃ誰だ?》

 ファシアーナたちの作戦が早く終わって帰ってきたのだろうか?

《いや、さすがに妻子達が囚われてる村って、結構距離があったよな?》

 どう早くできたとしても、帰ってくるのは明日の朝くらいだ。

 だとすればあとは消去法で……

「あ、やっぱアラーニャだ」

「ええっ⁈」

 しかしその飛び方を見ていると何だか上下に上がったり下がったりしていて、まさに不安定だ。

《あれって……どう見ても初心者の飛び方だよな……》

 いや、確かに彼女も作戦についてきていたが――― 一体どうして?

 二人が混乱している間にも、彼女はふらふらとこちらに近づいてくる。

「おーい! こっちだ!」

「アラーニャ!」

 二人が手を振るとアラーニャも手を振り返して、不安定ながらも何とか二人の元に到着した。

「はあ……」

 アラーニャが大きく息を吐いてへたり込む。

「おい、大丈夫か?」

「らいじょうぶ……れす~……」

 いや、大丈夫じゃないだろ?

「ともかく一休みしろ」

 サフィーナがそう言って背中を撫でる。

「はひー」

 しばらくしてアラーニャが少し元気を取り戻したので、フィンは尋ねた。

「えっと、それでどうして君が? リディール様は?」

 アラーニャが答えた。

「リディール様は地下水路の下見に行ってて……」

「地下水路?」

「はい。砦の地下につながってる水路があるそうなので、そこを見に行きました」

 砦の地下につながってる水路?

「ってことは……じゃあ、僕たちが捕まってたのが分かってたのか?」

「いえ、フィンさん達じゃなくって、時間になってもランブロスさんが帰ってこないんで、もしかしたら途中で捕まったんじゃないかってことになって」

「あ、そっちか……」

「それでバレた可能性もあるから、念のため対処しておこうってことになって、それからみんな大忙しで……」

「そうだったのか」

 うわあ、アリオールってマジ頼りになるなあ……

「で、レイモンの人達はフィンさん達が連れ出されないか見張りに行って、ヒバリ組のみんなは砦の地下に通じる水路があるって聞いて、そこから突入できないかって行っちゃったんです」

 あははは。確かに向こうとしてもフィン達がこんなに早く脱出してくるとは思ってもなかっただろうが……

「で、私はお留守番をしてたんですが、そうしたら信号弾が上がったって報せがやってきて……」

 あはははは!

「で、君がやってきたと?」

「はい」

 そのときカコーンと屋根に矢が当たる音がした。

 先ほどから下から撃っている奴がいるとは思っていたが……

「ひゃん」

 アラーニャがびくっとするが、それを見たサフィーナが言った。

「大丈夫。あんなの当たんないから」

「あ、はい……」

 だがあまりここに長居も無用なわけで……

「あの、アラーニャ、頭ははっきりしてる?」

「はいっ! 大丈夫です!」

 彼女が元気に答える。この様子なら魔法のための精神力は大丈夫だろうが……

「ちなみに一つ尋ねるけど……君、二人抱えて飛んだことは?」

「ありません! でも頑張ります!」

 彼女がまた元気に答えるが―――あははははっ。

《あー、ここは先にサフィーナだけを帰らせるか?》

 そうすれば彼は身軽になるから逃げるだけなら何とかなるかもしれないし―――そんなことを考えていると……

「大丈夫。アラーニャならできる!」

 サフィーナがそう言って彼女の背中を叩いた。

「え? はいっ!」

 それからじろっとフィンを見つめる。

「あたしだけ行かせようなんてダメだぞ?」

「え? でも……」

「要するに振り落とされなきゃいいんだろ? だったらほら、アラーニャはフィンをアルマーザみたいに持ち上げてろ。あたしはお前の腰にしっかり抱きついてるから」

「あ、はい」

 そこでアラーニャが後ろからフィンの腰に手を回してくるが……

《あは! これがアルマーザのよく言ってたアラーニャちゃんのおっぱいか……》

 確かになかなか素敵な感触で―――などというのはさておき……

「よし! いいぞ!」

「はいっ」

 それから三人の体がふわっと浮き上がった。

「大丈夫そうか?」

「はい。大丈夫です」

 ―――そうして、フィンの人生最悪の飛行体験が始まったのだった。



 その日の夜、フィンは顔中を包帯でぐるぐる巻きにされて、まだクラクラする頭でサフィーナがアリオール達に報告するのを聞いていた。

「……で、結局分かったのはそれだけだったと?」

「ん。そうだった」

 アリオールは明らかに落胆気味にうなずいた。話を聞いていた彼の部下や、ヒバリ組のメンバーも同様だ。

「だがともかく、それが分かっただけでもまだ動きようはある……サフィーナ殿、本当によくやってくれた」

「ん」

「それと、リーブラ殿も本当によくやってくれたな。感謝するぞ」

 あはは。

 声を出すと痛いのでフィンは小さくうなずいた。

 アラーニャの二人乗せ初飛行はまさに心臓に悪かった。この飛行魔法というのは最初のうちは高度を維持するのが難しく、上がりすぎたからと慌てて下がると今度は下がりすぎて、という上下振動ができてしまいがちなのだ。

 そこに抱えている荷物の重さが加わってくると、運が悪ければ地面に激突して即死だ。

《何とかそれは堪えたんだがなあ……》

 一度地面に激突しそうになったときには、フィンが軽身の魔法をかけたため衝突は回避できたが、今度は高く上がりすぎて降りるのが大変だったのだ。

 そして一番注意しなければならないのは着地のときで……

《どうしても安心しちゃうもんなあ……最初は……》

 だが、手にしていた“荷物”をうっかり吹っ飛ばしてしまう事故というのは、着地や急な方向転換のときに起きるものなのだ。

 フィンが包帯でぐるぐる巻きになっているというのは、そうやってすっ飛ばされて顔面から地面に突っ込んだからだった。

《いやあ、砂浜だったから良かったけど……》

 固い地面だったらどうなっていたことやら―――それに砂浜といっても結構小石混じりだ。おかげでしばらく気絶していたうえに、顔が派手にすりむけてしまって……

 ミーティングが終わるとニフレディルがやってきた。

「具合はいかがです?」

「ま、なんとか……」

「しばらくは安静にするように。頭も打ってますからね」

 言われずとも、寝返りを打とうとするだけで、あちこち痛いわけで……

「ああ、それと先ほどシアナから心話があったんだけど……」

「ランブロスの家族ですか?」

「ええ」

 彼が裏切っていたとはモデスト達も寝耳に水だった。

 彼らが言うにはランブロスは信頼できる奴だったし、フィンの悪辣さには一番憤っていたという。そこでファシアーナに、助けた彼の家族に話を聞いてもらうことにしたのだが……

「彼の奥さんもリアちゃんもランブロスなんて男は知らないって」

「えっ⁈」

 知らない⁈

「先ほどアリオール様とも話したんだけど、多分ランブロスはどこかで記録を改ざんしたんじゃないかってことになって」

「改ざん? どうして……」

「ほら、工作員には家族の人質がいるでしょ? それが本物だったら何かあったときに困るけど、偽物だったら?」

「あっ……」

「で、そういう抜け目のない奴が、どっちに勝ち目があるかって考えれば……」

 ………………

「勝ち目……ですか……」

 そう。冷静に考えればそういう結論にしかならないのだ。

 彼らが行っていたのは、秘密兵器とは何か? という調査だったわけで―――たとえその正体が分かったとしても、対抗できる保証などどこにもない。

《やっぱ無理、って言ってたのはそういうことか……》

 むしろモデスト達をそういう勝ち目のない戦いに巻き込んだという言い方もできるわけで……

《いや、今それ考えても仕方ないから!》

 そんなことを言ってたら、アキーラの解放なんてできなかった!

《ともかく終わってからだ……》

 どういう結末になるかは分からないが、そのときにやるだけやったと言えればそれでいいじゃないか―――フィンがそんなことを考えていると……

「大丈夫か? フィン」

 サフィーナとアラーニャがやってきた。

「ごめんなさい……」

 アラーニャは半泣きだ。

 フィンは顔が突っ張って笑えないので、黙ってうなずくと彼女の頭を撫でてやる。

 そんな彼を見ながらサフィーナが無念そうにつぶやいた。

「これ、しばらくは……無理だな?」

 あはははは!

 こうして今回もサフィーナはお預けになってしまったのだった。