禁じられた火遊び 第8章 メガマンマ・マギクス(だいおっぱいまほう)

第8章 メガマンマ・マギクス(だいおっぱいまほう)


 ふわっと吹き抜けていく風の中に、秋の兆しが見え始めていた。

《もう九月か……》

 サフィーナとの決死の大冒険から三週間。フィンは予想外に多忙な時間を過ごしていた。

《まさかこんなに忙しくなるとはなあ……》

 あの作戦の成果から考えれば、ここはもう座して天命を待つという境地になっていてもおかしくはなかったのだが……

《ここ最近、連日の会議だったし……》

 今日は久々に早く切り上げられたのだが、この一週間、朝から深夜までずっと作戦会議の連続だったのだ。それがやっと一段落したおかげでこんな明るいうちに部屋に帰れるのだが……

「あはー、外って明るかったんですねえ。あはっ!」

 横ではメイがまぶしそうに空を見上げている。

「そうだな」

 彼女もまた秘書官として、そういう会議のほとんどに付き合わざるを得なかった。

《さて、それじゃ今日こそはアウラのところで過ごせるかな?》

 作戦から帰ってしばらくの間はぐるぐる巻の安静でそれどころの話ではなかった。それがやっと癒えたと思ったら、夜はよくサフィーナと練習しているとかで……

《どうしようかなあ、マジで……》

 彼女との約束はあれから何だかうやむやになってしまっていた。

 元々フィンとサフィーナはあまり顔を合わす機会がない。なのでちょっと出会ったついでにどうのこうのということができない。

 そのためには彼女を名指しで呼び出すか、こちらから辰星宮に出向くかなのだが……

《あのバカに知られたら……》

 もちろんそうなればティアや他のヴェーヌスベルグ娘の知るところとなってしまうわけで、一体どんな騒ぎになることやら―――などと考えているうちに今度は、息つく暇もなくなってしまって……

《うーん……》

 と、そのときメイが言った。

「あ、そうだ、せっかくだからみんなの所に寄って行きませんか?」

「え? 仕事場に?」

「はい」

「あー、どうしようなあ……」

 正直スルーしたい気持ちで一杯なのだが、メイと一緒でないと離宮に入りにくいし……

「あ、もしかしてリエカさんですか?」

「えっ⁉」

 フィンが図星を指されて振り返ると、メイがにっこりと笑った。

「今日はいないと思いますよー?」

「え? そうなの?」

「はい。アリオール様とお出かけって言ってましたから」

「え? そうなんだ……」

「だからすごい目で睨まれたりしませんよー? あれ、端で見てても怖いですもんねー」

 此の期に及んでもフィンは彼女には嫌われまくっていた。

「あははははっ! いやー、でも、メイってアリオールのスケジュールまで把握してるわけ?」

「いえ、夕べたまたま会ったら、今日の夜はいないからって言われて。それでまたアウラ様と? って尋ねたら、今日はアリオール様とです って感じで」

「あはははは。そうか……」

 アキーラの解放後、アウラはリエカさん―――ヴィニエーラ時代はエステアと呼ばれていた彼女の所によく遊びに行く。彼女にとっては唯一の旧友だ。気持ちは大変よく分かるのだが……

《でもどうして『なんなら一緒に来る?』とか言えるんだろうなあ……》

 もう本当にアウラの感性はよく分からない。そんなことしたら確実に殺されそうなんだが―――しかもそのせいで一緒にゆっくりできる時間が予想以上に減っているし……

 などとフィンが内心ため息をついているうちに、二人は仕事場に到着した。

《うわあ……いつ見ても壮観だなあ……》

 そこは元はアキーラ城の広間だったのだが、今ではずらっとテーブルが置かれていて、数十名以上の、主に女性が一心不乱に青色の軍服を縫っていた。

 メイがあたりを見回して、それから手を振った。

「あ、みんなー、お疲れー」

 その一角にはルルーとアルエッタ、それにアカラ、リモン、マウーナの姿が見えた。

「あ、フィンさん、メイさん!」

 ルルーがにこやかに手を振り返す。それに気づいた他の女性達も彼女に気がつくと……

「あらー、メイ書記官様ですよ」

「うわー、ほんとだー」

 途端にあたりがガヤガヤし始める。

《あはは。もう書記官ってのには突っ込まないんだな……》

 巷ではメイ秘書官とメイ書記官は完全にごっちゃになっていて、彼女ももう諦めたらしい。

「あー、ほらー、みんな手を止めちゃダメですよー」

「あ、はーい」

 ルルーの声がしてみんなまた裁縫に精を出し始める。

 メイはルルーに尋ねた。

「お疲れさまー。捗ってる?」

「うん。みんな頑張ってくれてるから、この分ならここの分は三日くらい前までには終わりそうだし」

「あー、そうなんだ。すごい!……って、あ、だからリエカさんが?」

 ルルーはうなずいた。

「え? うん。だってすごく頑張ってくれてたんだし。あとアルマーザも」

「あ、そういえば姿が見えませんねえ」

「なんでもアラーニャちゃんの魔法の練習を手伝うとか」

「あは。そうですか」

 メイがフィンの顔をちらっと見る。

《あはははっ。確かに練習は大切だよねっ》

 フィンの顔の包帯は取れたが、まだ大きなかさぶたが残っていた。

「でもそれだったらルルーさんも一休みしたら?」

「大丈夫よ。私なら。休んだって別な服、縫ってるだけなんだから」

「あはははは」

 メイが苦笑しているが―――アキーラ解放作戦のとき、正直彼女のイメージというのはほとんど無かった。

 あの頃はファラと王女、それに穀潰し一名を除けば、パミーナ、アカラ、ルルーの三人が主な非戦闘要員だった。そのうちパミーナは昔なじみで、アカラは西方風の独特な料理のためわりと印象に残っていたのだが、ルルーに関しては何だか地味な子だなというイメージしかなかったのだ。

 だがここ最近、彼女の裁縫に対する情熱が並々ならぬところが露見してからは、その印象ががらっと変わっていた。

《何てか、水を得た魚って奴だよな? これって……》

 解放作戦中はいつも大量の洗濯物を抱えて駆けずり回っている姿しか記憶にないのだが、今ではこの仕事場のリーダーとしてこの大仕事をさばいているのだ。

 彼女にとっては新しい服を作るというのが何よりも楽しいことらしく……

《あはは。確かに綺麗な服はいっぱい作ってくれたけど……》

 ただしフィーネさん用だが―――おかげで彼女のことを無意識に脳が拒否していたのかもしれない。

「それじゃやっぱり今日も遅くまで?」

「それは、もう少しの辛抱だし」

「じゃ、また夜にはお夜食持ってくるから」

 途端にあたりから歓声が上がる。

「きゃあ、ありがとう!」

「メイ様のお夜食、美味しいのよねっ!」

「いやいや、ちょっと手伝っただけですからねーっ」

「あー、だから嬉しくってもみんな手を止めちゃダメですよー」

「あ、はーい」

 そんな調子で一同はまた裁縫を続けた。

 ―――この唐突なルルー大活躍の場が訪れたのは、フィンとサフィーナがロータからもたらした情報が役に立ってしまったためだ。

《ほんとになあ……あんなんじゃ苦労しただけ無駄だったかって思ってたけど……》

 何事もやってみなければ分からないものだ。



 それは今から一週間ほど前の、八月末のことだった。

《マジ、何か分かったのか?》

 フィンは眠い目をこすりながら会議室に向かっていた。

 時は夜半過ぎ。こんな時間に呼び出されるということは、何か有益な情報が得られたからに違いないが……

 フィンとサフィーナが得てきた情報から、アロザールの秘密兵器とは何らかの実体がある物で、アルバ川を船で遡って九月の半ばまでに運んでくるということは分かった。

 すると逆算すれば、それがいつどこを通るかが大まかに分かるわけで、そのあたりを中心に網を張ることにしたのである。

《でもなあ……》

 たとえそれがどんな物か分かったにしても、それに対抗できるかはまた別の話で―――そんなことを考えているとエルミーラ王女とメイに出会った。

 王女がフィンに尋ねた。

「何か分かったのですか?」

「いえ、僕も呼び出されただけで。多分そうだと思いますが……」

「そうですか」

 三人が会議室にやってくると、そこには既にアリオールやラルゴ、その他軍の司令官などが揃っていた。

「ああ、よくいらして下さった」

 アリオールが王女に一礼する。

「秘密兵器が分かったのですか?」

 王女の問いにアリオールは首を振った。

「いや……その絵は送られてきたのですが……それが非常に禍々しいものだとは想像はつくのですが、どういうものか皆目見当もつかないのです。あれだけ苦労したというのに……」

 フィン達は顔を見合わせた。

《だろうなあ……》

 あのアロザールの秘密兵器だ。見ただけで何とかなると思ってはいなかったが―――多分その絵というのは、調査員が決死の潜入を行って描いてきた物に違いないのだが……

 アリオールは暗い声で言った。

「ともかくそれで、皆様方にも見るだけ見て頂こうかと……これなのですが……」

 そう言って彼はテーブルに置いてあったスケッチをフィン達の方に差し出した。

 そこで三人はそれをのぞき込むと……

 ………………

 …………

 ……

 それからぽかんとして顔を見合わせる。

 アリオールがため息をつきながら言う。

「まあ、お分かりにならないのも無理ないとは思うが……」

「いや、その……」

 フィンは少し口ごもって、再度エルミーラ王女とメイの顔を見る。

「どうかなさったか?」

 アリオールは不思議そうに首をかしげたが、そこでメイが言った。

「あのー、これってあれに似てますよねえ? あれが足をつぼめたらこんな風になりません?」

 王女もうなずいた。

「ええ。そうよねえ」

「あれ? とは?」

 不可解な表情のアリオールに王女が答えた。

「いえ、まだ詳しくは話してなかったと思いますが……これって以前、私どもがセロで戦った機甲馬に似ているように見えるのですが……」

「機甲……馬?」

 王女はうなずいた。

「はい。で、大きさはいかほどで?」

「それは、幅は一尋程度で、長さはその倍くらいですが」

「でしたら大きさも合っておりますし、色もこのとおりですか?」

「はい。そうですが……それはいったい?」

 そこで王女がフィンに目配せする。そこで彼は説明を始めたが……

「えっと、それはベラに昔から伝わっていた物なんですが……あーっ! だからプリムスはあれの動かし方を知ってたわけだ!」

 思わずフィンは叫んでいた。

 あの機甲馬の動かし方はベラにもほとんど伝わっておらず、辛うじて片足の上げ下ろしができたので、それで罪人の処刑用に使われていたわけだが……

「ああっ! そうですわね!」

 王女もはたと膝を打った。

「えっと……あの?」

「あ、はい……」

 そこでフィンはその機甲馬がセロの戦いに投入された経緯を話した。

「……と、このように凄まじい攻撃力があるのですが……」

「なんですと?」

 アリオール達は蒼白になった。

「それが少なくとも六機あるというのですが……」

「六機?」

「はい。一機でそれほどということは……」

 アリオールたちが頭を抱えた。

 ―――しかしそのときフィン達の脳裏には別な思い出がまざまざと湧き上がってきていた。

 そして唐突に王女が吹き出した。

「どうしました」

 アリオールが不思議そうに尋ねる。

「いえ、また思いだしたら……ぷふっ」

 王女がお腹を押さえてヒクヒクし始める。

「どういうことです?」

「ですので、その戦いを凌いだからこそ私たちがこうして、こうして……あーっははははは!」

 とうとう王女は腹を抱えて笑い出した。

 ぽかんとしているアリオール達にメイが苦笑しながら答えた。

「えっと……それがフィンさんたち、裸で持ち上げて谷底に落っことしたそうなんです」

「は?」

 アリオール達の目が丸くなる。

「いえ、私が見てたわけじゃないんですよ?」

 そう言ってメイはフィンを見る。

「いや、だからその、機甲馬を観察していた分かったんですが、どうも武器を持たない相手は攻撃しないようなので、持っていないことがはっきり分かるようにと、服を脱いで下に潜り込んだんです……」

「服を脱いでというと……全部?」

「はあ」

 ………………

 …………

 アリオール達が呆然とフィンを見つめる。

《いや、だってさあ、あのときは……》

 ともかく一番安全と思える方法だったわけで……

「それで……どうなされたのです?」

「あ、はい。それで、僕の魔法で軽くできたんで、それで持ち上げて……あ、そのときにネブロス連隊の人も参加して、滝壺に運んでいったんですが……」

「……全員裸で?」

「はあ」

 ………………

「それで?」

「はい。で、滝壺に落としたら、ひっくり返って動かなくなって……」

 ………………

 アリオール達が顔を見合わせるが、そのとき爆笑からなんとか回復できた王女が言った。

「いえ、ぷっ、本当なんですよ? リーブラ様の言ったことに間違いは、くふっ、ございませんから……」

「……えっと、要するにその機甲馬はひっくり返せば動かなくなると?」

「はい。少なくとも自分では起き上がれないようで。あと背中にある閃光を発する目のような物も壊れてましたし……」

 それを聞いていたメイが言った。

「それだったらシアナ様とかなら簡単なんじゃないですか?」

「ああ、まあ、そうだね」

 ………………

 アリオール達はまた顔を見合わせるが……

「しかし、そのことは相手も知っているはずですよね?」

「え?」

 アリオールの言葉にフィンは虚を突かれた。

「当然こちらにファシアーナ様やニフレディル様がいることも分かっていますし、それにも関わらず投入してきたということは……」

「え? あ……」

 フィンと王女は顔を見合わせる。

《だよな? いくら何でも同じ轍は踏まないよな?》

 それに彼らは機甲馬の力の全てを知っているわけではないのだ。もし他にもっと別の力があったりしたならば……

「でも……それでも打てる手は打っておくべきですよね?」

 フィンがそう言うとアリオールはうなずいた。

「もちろんです。そのときのことをもっと詳しく教えて頂けますか?」

「はい。でしたらあとロパスとアウラも呼んでもらった方が……」

「アウラ殿を?」

 驚くアリオールに王女が答えた。

「ええ。彼女もあの機甲馬を持ち上げてた一人なんですよ?」

「アウラ殿が?」

「はい」

「いやでも今、裸だったと……」

 王女はまたぷっと吹き出した。

「ええ。見事な紅一点でございましたが」

 ………………

 …………

 アリオール達がまた目を白黒させる。

「間近で見た人の感想は聞くに値しませんか?」

「いえ、そうですが……」

 そこで大急ぎで二人が呼びにやられた。

 やってきた二人も話を聞いて目が丸くなる。そして開口一番アウラが……

「えーっ⁉ またあれを裸で抱えてくの?」

 フィンは首を振った。

「いや、そんなことしないって。ほら、今度はシアナ様とかもいるし」

「え? ああ、良かった。でもほんとにひどいのよ? フィンって。みんなの前でいきなり脱げ! とか言うし」

 一同が一斉に吹き出す。

「いや、だからあれはさあ……」

「だって本当は脱がなくっても良かったんでしょ? ネブロスが言ってたじゃない」

「いや、だからあれもそうだったんじゃないかって。確かめたわけじゃないし」

「ん? どういうことです?」

 またまた不思議そうなアリオールに王女が言った。

「あ、いえ、単に武器を所持していないだけで大丈夫だったようなのですよ。裸にならなくとも……くふっ」

 そしてあのときネブロスが説明した内容をみんなにまた解説した。

「ほほう」

 全員のニコニコした視線がグサグサとフィンに突き刺さる。

《うー……だってあのときはしょうがなかったんだって……》

 確かに必要以上な処置だったわけだが、でもそんな検証をしてる暇なんてなかったし―――ってか、最近も何だか似たようなことがあったような気もするが……

 ―――といった一幕の終了後、ロパスが嘆息しながら言った。

「しかしまさか……機甲馬だったとは……でも確かに符合しますな。あれの動かし方はベラには伝わっていなかったそうですし」

 王女もうなずいた。

「はい。なので、この兵器が機甲馬だと考えて対策を打っておくのは無駄ではないかと」

「でしょうな……」

 一同がうなずいた。

 こうして一同は対機甲馬戦の作戦を考えることになった。

 アリオールが全員の顔を見渡して言った。

「まず敵軍をどこで迎え撃つか? ということなのだが……」

 これによって作戦ががらりと変わってしまう。

 機甲馬はバシリカからアルバ川を船で運んできて、ロータでアロザール軍と合流して、そこからアキーラに進撃してくると思われるのだが……

《アルバ川沿いはまだアロザールの勢力圏だしな……》

 敵が一機とかなら小鳥組が突入するのも有りかもしれないが、今回敵は六機もある。これでは無理だろう。

 またロータには民間人もたくさんいるので、そこを襲うというのもまずい。

 アキーラに立てこもるというのも論外だ。そんなことをしていても援軍は見込めないし、敵の数は少ないとはいえ、各城門に機甲馬が二機ずつ割り当てられるとすれば、迂闊に打って出ることもできなくなる。単に戦況が膠着するだけで……

 するとロータから来る途中で迎撃ということになる。

《レイモン軍のパワーを最大限に発揮できるのは、平原の戦いだしな……》

 だが士気は高いとはいえまだ最盛期の十分の一程度の戦力だ。あまり突出すると今度はアキーラの防衛が手薄になってしまう。

「だとしたら……やはりアキーラ近郊で決戦するしかないということか?」

「そういうことになりますね」

 状況を一気に変えようと思ったら、会戦で決着をつけるのが一番早いわけだが……

《どっちにとってもだけど……》

 負ければ一気にレイモンは壊滅してしまうだろう。

 だが籠城戦をしても単に座して死を待つだけだとすれば、他に選択肢はないのだ。

「そのような場所としたら……コルヌー平原あたりでしょうか?」

 テーブル上に広げられた地図を見ながらラルゴが言った。

「そうだな」

 コルヌー平原とはアキーラからほど近い街道沿いにある、トゥバという村の手前に広がる大きな平原だ。

「あそこならば軍を展開するのに十分ですが……まさに正面衝突ですな?」

 ラルゴの言葉に一同は黙り込む。

 ともかくレイモンという地勢にはあまり奇襲をかけられるような場所がない。

 そうすると機甲馬と正面から戦うことになるのだが―――そこでラルゴが言った。

「しかもリーブラ殿は、機甲馬は大変な速度で動き回れると言われましたが……それに縦横無尽に動かれたら、かの大魔法使いの方々でも手に負えないのでは?」

 ………………

 いきなりの難問だった。

《いや、そうだよなあ……》

 こちらは二人で相手は六機。その上あのような大きな物を動かそうとすれば、彼女たちでもそれなりに接近せねばならない。

《うわあ……これって簡単じゃないよな?》

 ということは、どうにかして敵の動きを止めなければならないということか?

《でもどうやって?》

 セロではフォレス軍が作った侵入防止の柵をあっさりと乗り越えられてしまったのだ。

 ―――と、そのときだ。

「あ、でも機甲馬がいても誰も襲わないのであれば、それは飾りと同じですわよね?」

 そう言ったのはエルミーラ王女だ。

「え?」

 一同が驚いて彼女の顔を見る。

「いや、それはそうでしょうが……」

 アリオールが首をかしげるが、そこで王女がフィンの顔を見た。

「ほら、リーブラ様、確かあの後、機甲馬がどうやって敵味方を判別してたかって話しておりましたよね?」

 ………………

「え? ああっ!」

 フィンは思わずテーブルを叩いた。

「敵味方の判別……ですか?」

 ラルゴが尋ねる。

「あ、はい。ほら、プリムスが制御箱を壊してしまうまでは、機甲馬はフォレス兵だけを正確に狙って閃光を発してたわけで……」

 それに続けて王女が言った。

「で、確かそれって軍服じゃないかって話になってませんでしたか?」

「軍服? ですか?」

 アリオールの問いにフィンはうなずいた。

「あ、はい。えっと、そうです。あのときなぜかベラ軍はたくさんの徴募兵がいたにも関わらず、正規兵のみでやってきました。スペースなら十分にあったはずなのに……それでどうしてかってことになって……」

 機甲馬が敵を蹂躙した後にとどめを刺すだけならば、徴募兵で全く十分だ。それなのにわざわざ正規兵だけを投入してきたのだ。

「要するに機甲馬は着ている軍服を見て敵味方を判別していたと?」

「はい。ほら、甲冑とか兜とかだとどうしても人によって違うじゃないですか? だから全員に共通していたのは、その下に着ていた軍服じゃないかってことになったんですが……」

 一同は顔を見合わせて―――それからラルゴが尋ねた。

「では、こちらもアロザールの軍服を着ていたら、襲われないということですか?」

「いえ、そうかもしれないということなのですが……」

 フィンが歯切れ悪く答えるが……

「でもそうなれば……ふふっ」

 エルミーラ王女がにっこり笑う。

「そうなれば皆さんが負ける要素などないのでは?」

 アリオール達の目がギラリと光った。

「はは。まさに……」

 それから部下に向かって尋ねる。

「こちらに向けられた敵の構成は?」

「あ、はい。ロータにいたアロザール軍に、トルボの守備隊が合流しているという報告はありますが……」

「正規兵だけか?」

「はい……たださすがにレイモン兵をこちらに差しむけるような真似はしないと思いますが……」

 シルヴェストやアイフィロス方面では、アロザール側についたレイモン兵が先鋒になっていた。

「まあ、そうだろうが……一応状況は符合しているということだな?」

 一同は顔を見合わせる。

「だとしたら準備をしておく価値は……あるな?」

 全員がうなずいた。


 ―――という経緯で今、アキーラ中の裁縫ができる男女が大急ぎでアロザールの軍服を縫っていたのだった。



 その作業場はアキーラ城の一角に作られたのだが、ベラトリキスはその情報を真っ先に知る立場にあった。そして話を聞いた途端にルルーがアルエッタと共に真っ先に作業を始めたのだ。

 そこに裁縫の得意な他のベラトリキスや城内の侍女達が加わってこんな大所帯になってしまったのだが、何やらいつの間にかルルーがそこの責任者みたいになっていたのだ。

「でも、わりと意外だったなあ。メイが裁縫できなかったとは……」

 仕事場を出た後フィンが思わずこぼすと、メイが苦笑しながら答える。

「いやあ、ほら、お城に務め始めてからはもうずっとお料理ばっかりで……」

 確かに、末席だったとはいえ彼女は宮廷料理人だったのだ。やはり生半可な努力じゃそんな肩書は得られないわけで……

《でもおかげで、夕食は半端なく美味しかったし……》

 パミーナやアカラなど、他にも料理上手はいたが、やはりメイの腕前はひときわ抜けていて、しかも彼女が旅の途中に集めてきたレシピのノートまであったおかげで、毎晩それこそ各地の様々な美味しい料理が堪能できたのだ。

 帰ったらそんな夕食が待っているというのは、あの戦いを戦い抜けた要因の一つだったのは間違いないだろう―――そんなことを考えていると、前方から洗濯物を山積みにしたワゴンがやってきた。そこで道を空けると……

「あ、もう会議は終わったのか?」

「あ、サフィーナ!」

 ワゴンを押していたのはメイド服姿のサフィーナだった。

「うわ、大丈夫? いっぱいあるけど」

 メイが尋ねると彼女は首を振る。

「大丈夫。全然軽いから」

 確かに彼女は小さい割に力持ちだ。

 それからフィンの方をちらっと見てちょっと赤くなる。

「んじゃ、仕事があるんで」

「頑張ってね!」

「ん」

 ワゴンを押していく彼女の後ろ姿を見ながら、メイがぽつっとつぶやいた。

「サフィーナ、カワイいわね」

「ああ、そうだなあ」

 こうやっているとどこから見ても小さな可憐な女の子なのだが……

《あははは! 本当に人は見かけによらないよなあ……》

 あの娘が一人でグルマンを手玉に取ったとか、今でも信じられないのだが―――ヴェーヌスベルグ勢でも男役だった娘はやはり裁縫や料理は苦手だった。

 彼女の他にシャアラ、マジャーラ、リサーン、ハフラなどはそのため裁縫部隊には属していなかったのだが、城内の侍女や料理人などでも裁縫のできる者が軍服の縫製に駆り出されてしまったため、彼女たちがそこで開いた穴を補っていたのだ。

 最初はベラトリキスの方々がと恐れ入られてしまったのだが、手が足りないのは事実である。また彼女たちもみんなが働いているのにゴロゴロしているのはおおむね性に合わないわけで……

《あの女王様は別だけどなっ》

 確かあいつもそれなりに裁縫はできた気がするが―――ただし作ってたのは怪物の着ぐるみとかだったりするのだが……

「リサーンたちもメイドやってたっけ?」

「はい。リサさんとハフラさん、アーシャさんも。シャアラさんとマジャーラさんはお皿洗いとか」

 あはは。あの二人がメイドだとちょっと怖いかもしれないし……

「でもアーシャも裁縫苦手っててのもちょっと意外だったな」

「何だか踊りの練習ばかりしてたとか……でもほんとに不器用だから踊らされてたってリサさんが言ってましたけど」

「あはは。あの子口が悪いからなあ」

 ヴェーヌスベルグ娘達の関係というのは、普通の姉妹とはずいぶん異なっている。というのも彼女たちはみんな同い年で誕生日も二~三ヶ月くらいしか違わないため、姉とか妹といった上下関係がなく、その点ではみんな平等なのだ。

 その意味では例えば学校の同級生に近いのかもしれないが、だが彼女たちは父方の血がつながった紛れもない姉妹でもあり、その絆はずっと強いのだ。

《確か、ハフラとマジャーラ以外はみんな同じ家って言ってたもんな……》

 アーシャ以下残りが属するのはアルスロの家といって、ヴェーヌスベルグにおけるティアやアラーニャの家でもあった。そのためティアがこちらに来ると言い出した際にはみんな付いてきてくれたのだ。

 また家の違うハフラとマジャーラも、こちらは幼少時からつるんでいる幼なじみだ。そのため共同で何かする際の息の合い方というのは、まさに見事なものだった。

《いや、本当に最初はどうなるかって思ったんだが……》

 二十三人でクォイオに孤立したときには、それこそ世界中の誰もがこんな結末など塵ほどにも予期していなかったわけで……

《まさに彼女たちこそが秘密兵器みたいな物だったよなあ……》

 思わずそう思ってから―――フィンはメイを見た。

「あ、そういえば秘密兵器ってどうなったんだ?」

 聞いたメイが苦笑した。

「あー、それなんですけど、いない間色々考えたんですけどねー」

「へえぇ。例えばどんな?」

 ま、こちらの方はあまり期待しても仕方ないが……

 メイがうなずいた。

「一つわりといいのを思いついたんですが……みんなに却下されてしまいまして」

「却下?」

「はいー。ほら、アロザールがバシリカを陥落させたとき、街の周りを楽隊がぐるぐる回ったら呪いが広がっちゃったじゃないですか」

「ああ」

「だから敵軍の回りをみんなで踊って回ったら、向こうもビビるんじゃないかって思ったんですが……」

 ………………

 …………

「あははは。あー、なんてか、まあな……」

「あー、それで他にもいくつか、アイデアの卵みたいなのはあるんですが」

「卵?」

「はい。例えばほらあのシフラ戦のときのことは、フィンさんよくご存じですよねえ?」

「え? あ、まあな」

 かつてのレイモン王国が都とベラの連合軍を破ったシフラの攻防戦については、フィンはたくさんの本を読んで研究済みであった。

「あのときはほら、人間爆弾ってデマにビビった兵隊が内通して、市内に敵兵を引き入れたのが決定的だったじゃないですか?」

「ああ、確かに……」

 クォイオの戦いに続いて行われたシフラ攻防戦では、城塞都市シフラに立てこもる都とベラの魔道軍をレイモンがどう攻めるかという戦いだった。

 その際にレイモン側は、魔導師達が一般兵士の魂を焼き尽くして敵に大ダメージを与える魔法を使おうとしている、というデマを流したのだ。

 その頃、一般兵とは魔導師の単なる楯としか思われていなかった時代だ。しかもその魔法は忠誠心の高い兵士ほど破壊力が大きくなるとされていて―――その結果、離反する兵士がたくさん現れてメイの言ったとおりになってしまったのだ。

「で、そんな感じのデマを流せたらどうかなーって思ったんですが……あんまりいいのが思いつかなくって……」

「ああ、確かになあ……」

 デマというのはうまくツボを突ければ絶大な効果を生むこともある。

 だがそれも時と場合によりけりだ―――あのときは魔導師と一般兵の間に大きな軋轢があった。それまでも魔道軍は通常軍を格下と見下していたのだが、確かに魔法力が戦いの勝敗を決定していたから一般兵たちもあまり文句が言えなかった。

 だがそのウィルガ魔道軍がレイモンの通常軍団に蹴散らされてしまったのだ。

 しかも当時のウィルガ魔道軍は慌てふためくだけでまともな対応ができず、結局そのままバシリカは陥落し、ウィルガ王家は魔道軍と共に隣のラムルス王国に亡命する。

 ラムルス王がそれを受け入れたのは、これが尋常な出来事ではないと判断したからだったが―――ウィルガ王国は都派だったがラムルス王国はベラ派だった。そのため史上初の都とベラの連合魔道軍がシフラでレイモン軍と対峙することになったのだが……

《互いに主導権争いで内紛してたんだよな……》

 しかも都とベラだけでなく、急遽本国から派遣された増援の魔導師と、現地の魔導師の間にも諍いが発生し、都合四つの派閥がにらみ合っていたのだ。

 そんな彼らを見て兵達が不満を募らせていたところに流されたそんな噂だ。兵達の間に動揺が広がるのは早かった。

 こうしてレイモン王国は二度目の奇跡を起こしたわけだが……

「あのときは、何てか、状況が揃ってたからなあ……軍の中がもうバラバラだったし……」

「ですよねー。だから例えばあの機甲馬は兵士の魂を吸って動くんだー、とかいったのはどうかとも思ったんですが……」

「んー……あの呪いだって、味方には被害がなかったことは明らかだし、いきなりそんなこと言ってもあまり信用してくれないだろうなあ……」

「そうなんですよねー」

 などと話しながら歩いていると、二人は奥庭にある東屋の側を通りがかった。

 そこは庭園を眺める絶好のスポットだったが、今そこではファシアーナが酒のグラスを手に涼んでいるところであった。

 九月に入ってもこちらはまだまだ暑い。

「あれアルマさんとアラーニャさんはこちらじゃなかったんですか?」

 メイが尋ねる。先ほどの仕事場では二人は魔法の練習と言っていたが……

 ファシアーナは首を振った。

「うんにゃ? なんか訓練するとかで城の裏手にいるけど?」

「そうなんですか?」

 まあ、空を飛ぶ練習とかならファシアーナが付きっきりでなくとも大丈夫だろうが……

「それよりおーい、できたかー?」

 ファシアーナが振り返ってそう言うと……

「話しかけないで!」

 見るとそちらではニフレディルがボウルを手にして何やら精神集中をしている。

 その前のテーブルには、ミルクのボトルや卵の入った籠、砂糖の壺や泡立て器などの道具が置いてあるが……

《あはははは! まだやってたんだ……》

 数日前のこと。そのときフィンもたまたま居合わせたのだが、雑談をしているとアイスクリームの話になって、そこでメイがアイス作りはグリムールが上手だったという話をしたのだ。するとニフレディルが対抗心を燃やして俄然やる気になってしまったのである。

 ところが実際に作ってみると、明らかにグリムールの物の方が美味しかった。

《いや、アイス作りの才能というか、その経験は、魔法とはまた別なんだけど……》

 メイもそう言って慰めていたが、それ以来ニフレディルはこうしてアイスクリーム作りに精を出していたのだ。

「あはは。リディール様も結構負けず嫌いなんですねえ」

 メイが小声でつぶやくと……

「あは! あいつな、試験前になったら、よくお菓子作って現実逃避してたんらぜ?」

 ファシアーナが少々ろれつの回らない声で言うと……

「はぁ? あなただって試験前にはまんま逃げ出してたでしょうがっ!」

 ニフレディルがこちらをじろっと睨んだ。

《あはは。ニフレディル様でもやっぱり……》

 というか、これには仕方ない事情もあるのだ―――というのが、敵が機甲馬ならばひっくり返してしまえば無力化できるのだが、それを行えるのはファシアーナとニフレディルの二人だった。従ってあの後に彼女たちが呼ばれて、実際にそういうことが可能かどうかいろいろと確認をしたのだ。

 そこでまず分かったのは、二人の力をもってしてもあれだけの重さの物をひっくり返すには、かなり接近する必要があるということだった。

 それは当然彼女たちの身に危険が及ぶということである。

《弓で集中攻撃されたらアウトだもんなあ……》

 矢が命中しなくともそのような状況では彼女たちといえども落ち着いて魔法など使えない。

 しかも機甲馬は六機あるというのだ。

 ただ、相手の作戦としてはまず機甲馬を突入させてこちらを蹂躙した後、ゆっくりととどめを刺しに来るはずだ。だとすれば開戦時には前面に六機の機甲馬が並ぶという形になる。

《その時にやっちゃえばいいわけなんだが……》

 すなわちその瞬間に、前を高速に飛行しながら次々に機甲馬をひっくり返していけばいい。

 だが二つの魔法を同時に使うというのは高等技術だ。

 この場合、飛びながら念動の魔法を使わなければならないのだが、片方だけならばこの二人なら造作も無い。しかしそれを同時に、しかも戦場で敵味方が注視しているようなところで行うというのは、かなり敷居が高かった。

 そこでそれを確実に行うにはニフレディルがファシアーナを抱えて飛んで、ファシアーナが次々に機甲馬をひっくり返していくのがいいという結論になった。

 これ自体は二人とも小鳥組で散々似たようなことをやってきたので、問題はなかったのだが……


 ―――話を聞いたニフレディルがぽかんとした顔で訊き返す。

「は? そんな格好で?」

「え、あの、多分その方が安全だと思うんですが……」

 そう。機甲馬は武器を持った者を優先して攻撃する。そのためフィンはあのとき武器を持っていないことを明確にするため、裸で機甲馬を持ち上げたのだ。

 そのことに関してはネブロスの論理で、多分武器さえ持っていなければ大丈夫ということにはなっていたが―――誰も本当にそうかどうか確認したわけではない。

「いや、別に裸ってわけじゃなくて、武器を持っていないことが分かるような衣装の方がベターじゃないかなってことなんですが……」

 ニフレディルはじとっとした目でフィンを睨む。

「それは要するに肌が透けて見える服ということですか?」

「えっと、その……」

 それを聞いていたファシアーナが笑いながら言った。

「ああ、それならエッタちゃんが、綺麗なランジェリーを縫ってくれるって」

「そういう問題ですか?」

 いや、気持ちは分かるのだが―――と、そこにメイが口を挟む。

「あのー、アラーニャさんじゃ……やっぱダメですよね? 彼女ならそういうこと気にしないとは思いますが……」

 ニフレディルは首を振った。

「いえ、彼女にそんな飛行を任すのはまだ危険ですし、念動のパワーも足りませんから」

 そう言ってから彼女はしばらく考えこみ、それから大きくため息をついて、ものすごく嫌そうに渋々と……

「ま、そういうことなら仕方ありませんが……」

 そう答えてくれたのだが―――


《いや、何てかニフレディル様の反応の方が普通なんだよな……》

 なんだかここの連中の裸はもう見慣れてしまっていたが、そんなことは普通じゃ絶対あり得ないことで―――しかも本当ならそれって天国みたいな話のはずなのに、何だか全くそんな記憶はないし……

 などとフィンが回想していると、ニフレディルがメイに言った。

「あ、ちょうどいいところに来たわ。今度のはどうかしら?」

「え、あ、はい」

 そこでメイが出されたアイスクリームを試食すると、彼女の目が丸くなる。

「おおっ! うん。美味しいですよ。これならどこに出しても大丈夫です!」

「まあ、本当?」

 ニフレディルが素直に微笑んだ。

「へえ。どれどれ」

 そこにファシアーナもやって来て味見をするが……

「うむ、まあまあだな」

 何やら偉そうに上から目線で感想を述べる―――途端にニフレディルがぎろっと彼女をにらむ。

「は? そんなに酔っ払って味が分かるんですか?」

「らいじょうぶらよー」

 ファシアーナがそう答えながら酒瓶からグラスに蜂蜜色の酒を注ぐと、一瞬でグラスに真っ白な霜が降りた。

「この酒なー、こんな冷やしても凍らないんらよなー。ほらー、キラキラして綺麗らろー」

 それを見ていたメイの目が丸くなった。

「シアナ様⁉ それってフランマじゃないですか? そんなのがぶ飲みしたら潰れちゃいますよ?」

「あははー、らいじょーぶー」

 全然大丈夫じゃなさそうだが―――だが彼女たちの責任は半端ではない。少々飲んで気を紛らわしていたとしてやむを得ないが……

 そんなことを考えていると……

「あ、そうだ。もう一つあったんですよ」

 いきなりメイが話しかけてきた。

「え? 何が?」

「秘密兵器のネタです

「あはは。どんな?」

 するとメイは真顔になって答えた。

「水を爆発させるんです」

「は?」

「実はシアナ様の露天風呂で、リディール様がアルカの古酒を飲み過ぎて、酔っ払ってお風呂を爆発させたことが……」

 と、そこまで言ったときだ。いきなり彼女が地面から浮かび上がって……

「あらまあ、メイちゃん? そのお話は秘密じゃなかったかしら?」

 ニフレディルがニコニコしながら後ろに立っていた。

「あー、いや、でもほら、それがアロザールをやっつけるヒントになるかもしれないんですよ?」

 メイが浮かんだままそう言うが……

「やっつけるヒント?」

 そこに赤い顔のファシアーナもやってくる。

「あははー、そういややってたなあ、こいつ。風呂沸かそうとして」

 フィンは思わずニフレディルの顔を見た。

《ニフレディル様が?》

 例えばお茶を魔法で温めようとして、力の加減を間違えて吹きこぼして火傷する、などという失敗は散々やってきた身の上だが……

「あらまあ、何かしら?」

 ニフレディルがにこーっとフィンに笑いかける。

「いえー、何でもありませんよ?」

 と、そこでファシアーナがメイに尋ねた。

「んで、ろうすんら?」

「いや、だからほら、例えば敵軍が川を渡ってるときに川が爆発したらびっくりすると思いませんか?」

「あははー。そりゃびっくりするとは思うけろさー……さすがにあらしれも、川全体を爆発させんのはむりらろ?」

「いえー、だからこれは一つの例で、要するに何て言うか、敢えて魔法を失敗させてみたらどうにかならないかなーって……」

 フィンとファシアーナ、それにニフレディルは思わず顔を見合わせた。

《敢えて失敗させる?》

 魔法の失敗というのは一般的には洒落にならない結果をもたらす。その最たる物が人体発火とかで―――そのため魔法使いはいかに魔法の力を制御するかということに細心の注意を払うものなのだが……

「例えばー、空飛ぶ魔法を失敗させたら、逆に地面にめり込んじゃったりしませんか? そうやってみんなで棒で叩くとか……」

「あははー、それなら重くする魔法があるぞー? でも地面にはめり込まないんだなー、これが」

「え? じゃあどうなるんですか?」

「あー、潰れて肉塊になるんらー」

 ………………

「おえーっ、見たくないですぅ」

「あははー、それだったらアラーニャちゃんのポルターガイストなんかの方が……あはー、人間竜巻だなー、こりゃ」

 思わずアラーニャがキャーキャー言いながら敵の間を走り回って、敵兵士が渦を巻いて吹き飛ばされていく光景が浮かんでくるが……

「それって可哀相ですよー」

「あはははー。らよねー」

 何というか、まあ、少なくともこのネタは無理にしても、魔導師はいかに確実に魔法を発動するかという訓練を散々やってきてるわけで、彼らにとって一種の盲点だったかもしれないが……

 ―――と、そのときだった。

「あー、皆さん、ちょっと胸をお借りしたいんですが、よろしいでしょうか?」

 やってきたのはアルマーザだ。

「胸を貸せって何か試合でもしているの?」

 ニフレディルが尋ねると、アルマーザは首を振る。

「いえ、ちょっと違うんですがまあそんな感じになってまして……」

 一同は顔を見合わせた。



 アルマーザは木立の間の細道を抜けると、四人を離宮の片隅にある空き地へと誘った。

 ここは庭園とは地続きだったが城の陰になって見えない場所で、離宮の資材置き場のようになっていた。

「そんなところで何してるんですか?」

 メイが不思議そうにアルマーザに尋ねる。

「いえね、アラーニャちゃんが、自分が未熟なせいでリディール様がひどい目に遭わされるって落ち込んじゃってまして……」

「え? 別にそういうわけではありませんよ?」

 ニフレディルがそう言いつつも、何やらばつの悪そうな表情だ。

「あー、でも彼女、そう思い込んじゃってて、それでもっとパワーが上げられないかって」

「パワーを?」

 ニフレディルが首をかしげる。

「はい。飛行の魔法はまだまだ下手くそなんですけど、念動の魔法なら前から得意じゃないですか。だからあれのパワーを上げられれば、リディール様の代わりになれるんじゃないかって言って……」

 それを聞いていたメイが尋ねた。

「えっと……それじゃシアナ様が飛んで、アラーニャさんがひっくり返すの?」

 アルマーザはうなずいた。

「はい。それで私の他に、ティア様とイルドと一緒に特訓してたんですが……」

 四人は顔を見合わせる。

「そのメンバーで何の特訓を?」

 ニフレディルが呆れた様子で尋ねる。

「それがですね、ほら、昔イルドがアラーニャちゃんをぐにゅっとやったらドカンときたっていうじゃないです? だからまたそういうことをしてみたらパワーが上がるんじゃないかって……」

 聞いた途端にニフレディルが蒼くなる。

「ちょっと! そういうことはやめなさい! 危ないでしょう⁉」

 だが……

「あははは。本当に危なかったです。イルド、骨折っちゃったりして……」

 と、アルマーザはあっけらかんと頭を掻くが……

「あ・の・ね・え……」

 ニフレディルはカンカンだ。

《ってか、ダメだろ? このメンバー……》

 ティアのバカが適当なことをやったせいで、アラーニャがおっぱい魔導師になってしまったのだが……

「でも暴発はしてもパワーはそこそこで、それはやめたんですが……」

 ニフレディルが呆れたようにため息をつく。

「まったくもう……って、それじゃ今度は何をやってるんですか?」

「あ、それでなんですが……」

 とそのとき、前方からきゃーきゃーと歓声が聞こえてきた。

《ああ? 何してるんだ?》

 一同が到着すると、地面には大きな何トンもありそうな庭石が転がっていて、その回りにいたのがアラーニャとティア、イルドの他に、アーシャ、シャアラ、マジャーラ、ハフラ、リサーンで―――しかも何やらみんな上半身裸なのだが……

「なにしてんら? おまえら……」

 思わずファシアーナが尋ねると、アルマーザが答えた。

「それでですね、ティア様が言ったんですよ。アラーニャちゃんのパワーが足りないのはおっぱいが小さいからなんじゃないかって」

「は?」

「んで、それじゃ他人のを使ってやってみたらどうかってことになって……で、あたしのでやってみたら、何とパワーが上がっちゃったんですよ」

 ………………

 …………

 ……

「「「「はあ?」」」」

 フィンとメイ、ニフレディル、ファシアーナが全員突っ込んだ。

「それで今度はティア様のでやってみたら、これもやっぱりパワーが上がって……あ、でもあたしがちょっと勝ったんですけど……」

「いーじゃないのよ! そんなこと!」

 ティアが突っ込む。

「でまあ、他のおっぱいでもやってみようってことになって……」

 ………………

 …………

「んで、裁縫で忙しくない連中に集まってもらったんですが……」

 と、そこでメイがあたりを見回して……

「え? でもサフィーナさんは………………あー、いや、何でもありません」

 あはははは!

「で、そうしたら今度は誰が一番高く飛ばせるかという勝負になったりしちゃって……」

 あはははははは!

「そうなの?」

 ニフレディルが呆れたような顔でアラーニャに尋ねると……

「あ、はい、そうです」

 と、彼女が恥ずかしそうに答えた。

《いや、確かに何てか、魔法ってそういう所はあるけど……》

 魔法の媒体とはそれ自身に魔力があるのではなく、魔法使いが魔力を使う際の触媒のようなものなのだ。それでどういった力を出せるかは、それが何なのかではなく、術者がそれにどんな力があると信じているか? というところに依存する。

《あははは! まさにこれこそおっぱい術士……》

 ニフレディルとファシアーナは呆れた顔で彼女たちを見つめていた。

 そこにメイが尋ねた。

「それで誰が一番高かったんですか?」

「今のところやっぱりアーシャよね」

 リサーンが答えた。

《あはは! さすが白鳩(おっぱい)のアーシャ……》

 だがそこでハフラが首をかしげながら言った。

「でも大きさなら私とかシャアラの方が大きいのに……」

 それを聞いていたリサーンがぷっと笑う。

「やっぱサイズだけじゃなくって、形や手触りまで含めた総合力なのよ。あんたの場合芸術点が圧倒的に不足ね。それとシャアラのは中身筋肉だし」

「あん?」

「おいこら!」

 ハフラとシャアラがぎろっとリサーンをにらむ。

 と、そこでニフレディルが尋ねた。

「それで胸を貸せっていうのはもしかして?」

 アルマーザはうなずいた。

「あー、はい。この際だからシアナ様とリディール様も。魔法使いのお胸だったらもっと凄いことになるんじゃないかって……」

 ………………

 …………

 ファシアーナがアルマーザをじろっと睨んで……

「あん? 天下の大魔法使いにこんなこと言った奴は……もう……」

 途中で脱力した。

 あははははは。何てかもう怖い物知らずなんだよなあ―――と、そこでメイが尋ねた。

「あのー、でもそれって、アラーニャさんが魔法を使うのに、シアナ様とかリディール様のおっぱいが必要になるってことでしょ? 何てか、ちょっと無駄なんじゃ……」

 ………………

「あれ? あ、そうなりますか?」

 アルマーザが首をかしげる。

「あのなあ……」

「はあ……」

 魔法使い達はもう突っ込むのに疲れたようだ。

「ま、それはともかく、それでどの程度パワーが上がったんです?」

 ニフレディルが尋ねると、アラーニャがアーシャの顔を見る。

「え? はい。それじゃまたいいですか」

「ええ」

 そこでアーシャが庭石から少し離れたところに立って、その後ろからアラーニャが彼女のおっぱいを支えるように持ったのだが……

「あら?」

 アーシャが驚いたような声を上げて後方を見た。

 みんなが振り返ると……

「あ、ティア、こちらだったのですか?」

 そこに現れたのはメルファラ大皇后とパミーナだった。

 それからみんなの不思議な格好に気づいて目が丸くなるが―――だがそのとき、一同はみな、同じことを考えていた。


《《《《《《《《《《《《 総 合 力 ⁉ 》》》》》》》》》》》》


 そんな彼らにメルファラが不思議そうに尋ねる。

「いったい何をなさっているのですか?」

「いや、それがね……」

 ティアが起こっていたことのあらましを説明すると……

「え? それなら私のも試してみますか?」

 彼女があっさりとそう答えた。

「ええっ? でもファラ様⁉」

 側にいたパミーナが顔面蒼白だが……


「ぬおおおおおおおおおおっ!」


 いきなり起こった雄叫びは、当然イルドのものだった。

 途端にティアの指示が飛ぶ。

「あーっ! ちょっと! そこのケダモノ、ふんじばって!」

「「「「「はーい!」」」」」

 娘達が一気にイルドに飛びかかると……

「おい! 何をする! 見せろーっ!」

 ―――まさに熟練の手並みでイルドを縛り上げて袋をかぶせる。

「おい! こらーっ」

「あ、ついでにそっちも」

 え?

「「「「「はーい!」」」」」

 次の瞬間、フィンも同様に縛り上げられて袋をかぶせられ、地面に転がされていた。

「何で俺までっ!」

『あ? 男はみんなケダモノなのよ?』

 いや、確かにこれまで何だかだでヴェーヌスベルグ娘達の体は見飽きるほど見ていたが、ファラの体を見たことはなかったわけで、ちょっと見てみたいと思ったりはしたわけだが……

『じゃあやってみましょー』

『ええ』

『えーっ? ファラ様、本気ですか?』

 パミーナが心配そうに尋ねているが……

『だってこれがアラーニャさんの役に立つのでしょう?』

『えっと……』

 それから何やら衣擦れの音が聞こえてくる。そして……

『『『『きゃあ、いつもながら、ファラ様、きれい!』』』』

 娘達の歓声が聞こえる

『そうですか?』

 なにやら恥ずかしげなファラの声だ。

 続いてアラーニャが言った。

『あの、じゃ、すみません。そこに立って頂いて……』

『あ、はい』

『それでは失礼します……』

 …………

『……あんっ!』

『ごめんなさい、痛かったですか?』

『いえ、ちょっとそうではなくって……』

 おいおいおいおい……

 それからあたりがしんとして……

『『『『『うわーっ』』』』』

 そんな叫び声が聞こえて―――次の瞬間……


 ずっしーん!


 地面が揺れた。

 ………………

 …………

 ……

『すごい……』

 驚いたようなニフレディルの声だ。

『おお? これならマジあたしの代わりでもできそうだな』

 と、そこにメイの声が聞こえる。

『えっとでも、それってアラーニャさんが魔法を使うときには、ファラ様をああやって抱いて、おっぱい揉まなきゃならないってことですか?』

 ………………

 …………

 ……

 変な妄想をさせるな! ってか、それって全然ダメじゃん……

 確かに彼女は力を出せるようになったが、本質的な問題が―――そう思ったときだ。

『ファラ様? ちょっと失礼いたします』

 ニフレディルの声だ。

『え? はい……あ? なにを……あっ! ああっ!』

 ????? 何だかすごく喘ぎ声っぽかったんだが……

 それから……

『アラーニャ。ちょっといいかしら?』

『はい?』

『そこに立って一人で石を持ち上げてごらんなさい』

『え?……あああっ⁉』

 アラーニャがなぜか驚愕した声をあげる。

 ?????

 ニフレディルが促す。

『ほら、やってご覧なさい?』

『あ、はい』

 それから一瞬の沈黙の後に……

『『『『『えーっ⁉』』』』』

 そんな叫び声が聞こえて―――次の瞬間……


 ずっしーん!


 再び地面が揺れた。

 ………………

 …………

『えっ⁉ どうしたんですか? いきなり?』

 メイの声がするが……

『ふふっ。それはね? ほら、見てご覧なさい?』

 ニフレディルがそう言うとともに、メイの驚愕した声が聞こえた。

『えっ……ぬぅわぁぁぁぁっ! 何ですかーっ? これ! おっぱいがーっ!』

 ………………

 あたりがしんとする。

『あの……メイさん。どうしたんですか?』

 アルマーザの不思議そうな声だ。

『どうしたって、見て下さいよーっ。これ、こんなに大きくなっちゃって!』

『はい? なにが?』

『だからあたしのおっぱいが……って、あれ? 元通り?』

 メイの混乱した声が聞こえるが、そこでニフレディルが言った。

『分かったかしら? アラーニャ』

『えっと……それじゃ私のもそうだったんですか?』

『そうよ。これは幻覚の魔法なの』

 幻覚⁉

『えーっ⁉ 今のが幻覚ですか? 手触りまでしっかりあったのにーっ!』

 メイの驚いた声だ。

『あっははは。こいつなら見かけだけじゃなくて手触りや味まで自在なんだぞ?』

 ファシアーナがそう言うとメイが……

『あーっ、だからさっきファラ様のおっぱいを……って、味まで再現するにはやっぱり?』

『あははー。そりゃ最初に舐めとかないとなー』

 ぬあーっ! 変な妄想させないでくれーっ!

 と、そこでニフレディルが言った。

『ということで分かった? アラーニャ。いま見えていたのはただの幻なのよ? だからこの大岩を飛ばしたのは、間違いなくあなたのおっぱいの力なのよ?』

『えっ⁉』

 アラーニャの驚いた声。

『さ、やってごらんなさい。あなたならもうできるから。先ほどのときのことをしっかりイメージして』

『あ、はいっ!』

 それからまたあたりが沈黙すると―――なにやらアラーニャのつぶやきが聞こえてきた。

『ファラ様のすてきな…………』

 しばらくの沈黙。そして……


『おっぱいーっ!』


『『『『『うわーっ』』』』』


 ずっしーん!


 またまた地面が派手に揺れた。

 ………………

 …………

 ……

『きゃーっ! できましたーっ! リディール様ーっ!』

『うんうん。よくやったわねえ』

 それを聞きながらフィンは内心舌を巻いていた。

《ニフレディル様、すごいなあ……》

 先ほども言ったが、魔法の媒体とはそれが何かではなく、術者がどう信じているかに依存する。それはとりもなおさず魔法の限界をも規定することになるのだが……

《こんな風に誘導するもんなんだ……》

 さすがは都の名教官だ。もちろんアラーニャの才能とそして素直さが半端ないという所もあるのだが……

 こうしてアラーニャのレベルが上がったが、そういうパワーを出したいときにはおっぱいだけでなく、ちょっとした呪文も必要になってしまったというのは―――まあ、些細な問題であろう。