プロローグ 魔法使いの小間使い
人生というのは何がどう転ぶか分からない。
アルマーザが生まれたヴェーヌスベルグは砂漠のオアシスにある。
その周辺にこそ緑の木々や水辺があるが、一歩踏み出せば果てしなく広がる砂の海だ。
―――それが彼女の知っていた世界の全てだった。
彼女はそんな光景の中に始まり、そんな光景の中で終わっていくのだと信じていた。それ以外の世界など想像もできなかったからだ。
だが変化は突然訪れる。
それは彼女がヤクートに参加したときだった。
ヤクートとは本来ならヴェーヌスベルグの退屈な日常の中で唯一心躍るイベントで、誰もがその番が回ってくるのを心待ちにしている。
もちろん実際に参加できるのは家族の中でもわずか六名。しかし遠征に行けない者もその準備で忙殺されることになるし、終われば家族みんなに特別な“報酬”があるのだから……
だがその年は最悪だった―――なぜならそれがオッソの家との“ヤクート対決”だったからだ。
アルマーザのアルスロの家には、アーシャという希有な才能を持つ踊り手がいた。だから本来なら大船に乗った気分でヤクートに向かえたはずだった。
だがオッソの家にはヴェガ―――そのアーシャが唯一勝てない相手がいた。
《実際ひどかったですからねえ……》
彼女たちは山脈の麓の村を五つ回る予定だったが、ヴェガたちは四つ目の村までに三人の男を手中にしており、それ以上は連れて帰れないという状況だった。
それに対してこちらはゼロ。だから最後の村トルンバにはもう行かないから、好きにしてこいなどと言われる始末だ。
ヤクートに行ったからといってそう簡単に男が手に入るわけではない。
村でまともに暮らしている男ならば呪われた女たちの所に来たいとは思わないし、そもそもこの地域は人口がそれほど多くはない。一つの村から得られるのはゼロというのがむしろ普通で、ヴェガ一行が四つの村から三人の男を得たというのは、まさにずば抜けた結果だったのだ。
アルマーザたちが勝つか引き分けるためには最後の村で三人以上を得なければならなかったわけだが―――結果は何とマイナス一名だった!
何故マイナスかというと、男は一人手に入ったのだが、余計な女が二人ついてきてしまったためだ。
ヴェーヌスベルグという女ばかりの村に、さらに女が来ても意味がない。まさに完敗だった。
アルマーザはその結果にそれほどこだわっていなかった。ヴェガ相手にアーシャはまあよく頑張った方かな? といったところだったのだが、村にはアーシャに期待していた女たちも多く、そんな彼女たちが失望する様を見るのはちょっと辛かった―――のだが……
「ぷふっ!」
思わず笑いがこみ上げてくる。
そう。運命というのはどこで変転するか分からない。
それはもちろん、彼女たちの得た男というのがキール/イルドというとんでもない奴で、一緒に来た女の一人ティア様は、自分は白銀の都から来たお姫様だなどと言い出すし、もう一人のアラーニャちゃんは何と魔法のおっぱいを持っていたのだ
その後の展開はもう何が何やらわけわかめで―――気づけばティア様はヴェーヌスベルグの女王様になっているし、おっぱい魔法使いのアラーニャちゃんはアルマーザの大親友になっていた。
それだけでも大概な話だというのに、ある日村にやって来た人が、山の向こうで大戦争が行われていて、勝った国の王様が無礼にも都の大皇后を王子の妃にしようとしている―――という話をしたら、ティア女王様がぶち切れてしまったのだ。
それまでも彼女は、都では大皇后や大皇とはもうマブダチだったのよ~♪ などと吹聴していたのだが、もちろんみんな話半分で聞いていた。そもそもそんなお方がこんなところをウロウロしている筈がないわけで。
ところが彼女は本気で大皇后を救いに行くと村を出る準備を始めてしまったのだ。
アルマーザたちは慌てて諫めたのだが、彼女がその気になったら梃子でも動かぬ頑固さがある。そしてそうなればキール/イルドとアラーニャちゃんもついて行く。
そこで彼女たちも一緒に行くことに決めたのだ。
何しろ彼らだけではいろいろと心許ない―――などという物ではない。そもそも囚われの大皇后様を助けるのに三人ではどう考えたって少なすぎるに決まっている。
そこで立ち上がったのがティア様の親友アーシャを筆頭に、ケンカに強いシャアラとマジャーラ、弓の上手なマウーナにすばしっこいサフィーナ、奸計が得意なハフラとリサーン、アラーニャちゃんの親友の自分ことアルマーザであった。
そのメンバーを見て呆れて付いてきてくれたのがアカラとルルーだ。
というのは正直こいつら、アルマーザ以外はみんな女仕事が全然で、そうすると全員分の食事の支度とか繕い物とかが、全部自分一人にかかってきていたわけで……
《あはははは。来てくれて良かったわ、マジで……》
かくして一行は村を旅立ったのだが、正直最初はみんなちょっと腰が引けていた。
なにしろヴェーヌスベルグを出たのはこの間ヤクートに行ったときがほとんど初めてだ。大山脈の向こうに行くことなど考えたこともなかったのだ。
だがティア様たちのいない生活というのも、もう考えられなかった。
彼女たちの来る以前のことを思い出してみると、どうしてあんな暮らしで満足できていたのだろうと不思議に思えてくる。
それにティア様が言うには山の向こうの中原という所はとても綺麗な場所で、食べ物も美味しいそうだ。そこで一念発起、彼女たちは故郷を飛び出したのである。
そしてその結果がどうなったかというと……
「どうしてこうなっちゃうんでしょうねえ?」
思わずアルマーザはつぶやいた。
彼女が今いるのはレイモン王国の都、アキーラ城に併設された後宮の一角にある水月宮の一室だ。
床には色鮮やかなふかふかの絨毯が敷き詰められ、壁にも様々な美しい絵柄のタペストリが吊されている。家具や天蓋付きのベッドなども見事な細工が施された逸品ばかりだ。
こんな場所がこの世の中に存在するなど、ここに来て実際に見てみるまでは彼女の想像力の及ぶ遙か彼方であった。
だがその素晴らしい部屋の中は、あたかも少し前までここで大乱闘が行われていたかという有様だった。
床の上にはたくさんの女物の衣装が散乱し、ベッドの布団はぐしゃぐしゃで、あちこちに酒瓶は転がっていて、斜めになったサイドテーブルの上には色々な本や書類がうず高く積み上げられ、一部は床に散らかっている。
「この間片付けたばっかりですよねえ……」
アルマーザはため息をつきながら部屋の整頓を始めた。
彼女たちが中原にやってきてからというもの、見る物聞く物、珍しいものばかりだ。
だがそれ以上に驚いたのはここで出会った人々だった。
まずびっくりしたのがティア様が本当の本当に大皇后の親友だったということだ。
メルファラ大皇后―――そのお姿を初めて見たのはルンゴという村の宿屋だったが、単に寝衣を着て座っていただけなのにその美しさは光り輝いているようだった。そんな彼女とティア様が「ティア」、「ファラ」と呼び合う仲だったとは……
その上、何故か一緒にフォレスという遙か東にある山国の王女様と凄腕の女剣士たちに、カワイい秘書官までが付いてきていて―――しかしアルマーザにとって真の運命の出会いと言えたのが、大皇后の護衛に都の大魔導師がいたことだ。
そもそもヴェーヌスベルグのあった西の砂漠地帯では、魔法使いというのはほとんど伝説の存在だった。
実は砂漠に流される呪われた者達というのが魔法の才能を秘めた者だったのだが、人々はそのことを知らなかった。
そこにたまたまやってきたティア様がアラーニャちゃんの教育をしてくれたおかげで、彼女の魔法の才が花開いたわけだが―――どうもそのやり方が少しばかり間違っていたたらしい。
《あはは。めっちゃ怒られてましたもんね》
おっぱいで魔法が使えるなんてちょっと変わってるなとは思っていたが、これは都の基準でもかな~りまずかったようだ。
それ以来アラーニャちゃんは大魔導師たちの弟子になった。
そしてそんな彼女の魔法の練習をこっそり覗いていたら、なぜか彼女までがその手伝いをすることになってしまったのだ。
《といっても……》
確かに一緒にいればそれなりに魔法のことは教えてもらえるのだが、アルマーザには魔法の才能はない。そんな彼女に一体どんな手伝いができるのか? ということに関しては、何だか未だによく分かっていないのだ。
それよりも問題は大魔法使いの一人のファシアーナ様だが、この人が何というか、片付けられない人なのだ。
村の母親たちの中にもそんな人はいた。シャアラの母さんのマハータなんかがそうだったが、ちょっと目を離していると彼女のテントの中はぐちゃぐちゃになってしまうのだ。
だが彼女の場合、散らかるといっても狭いテントの中だ。その辺の物を長持ちに入れてしまえばそれで事足りる。
だがファシアーナ様は大魔法使いだった。しかも都から来た淑女でもある。するとその荷物の量も半端ないのだが―――朝などに着る服を選んでいるときなどはある意味圧巻だ。
長持ちの蓋が吹っ飛んだと思ったら中から服が一気に噴出してきて空中を踊り回ったかと思うと、その中の一つを残して残りはばらばらっとそのまま床に落ちてしまうのだ。
一度「そうやって出せるんならしまうこともできるんじゃないですか?」と尋ねたのだが、答えは「えー? 面倒じゃん」とかだったし……
というか、魔法使いなんだからずっとローブを着ていてくれたら手がかからないで済むのだが―――もう一人の大魔法使いニフレディル様はいつもそうなんだし……
ちなみにニフレディル様の方は今度は神経質なまでに几帳面だ。
彼女の部屋はいつも完璧に整頓されていて塵一つ落ちておらず、アルマーザが手を出す余地など微塵もない。
ともかくそんな部屋の片付けはこれまでファラ様御付のパミーナさんがやっていたのだが、大皇后様というのも細々と身の回りの世話をしてやらないと一人では何もできない。おかげで彼女の負担が半端なくなっていたのでアルマーザが手伝ってあげることにしたのだが……
《何かもう専属の小間使いですよね? これって……》
気がついたら彼女は何だかそんな存在と化していたのであった。
しかも話はまだまだ終わっていない―――というのは、この戦いが終わったら彼女はティアやアラーニャ、キール/イルドと共に都に行くことになっていたからだ。
《都に行ってからもこんな調子なんですかねえ……》
ニフレディルやファシアーナは、アラーニャの才能は素晴らしいから都に行ってしっかりと訓練した方が良いという。それに都の学者ならキールとイルドの変わった体質に関しても何か分かるかもしれないと。
となればその手伝いのアルマーザも自動的について行くことになるのである。
もちろんアラーニャちゃんと別れて故郷に帰るなんて選択肢は存在しない。
《それに都って綺麗な所なんですよね?》
これまでもティア様が何度もそんな話はしてくれたが―――彼女がそんなことを考えていると後ろの方から……
「ん~っ、あーっ!」
―――そんな呻きが聞こえてきた。
振り返ると、洗い終えた洗濯物の山の横でアラーニャが諸肌脱ぎになろうとしている。
「あれ? アラーニャちゃん、おっぱいは無しじゃなかったんですか?」
「だって~、難しいの~。これ~」
「でもリディール様にそう言われてませんでしたか?」
「でもこんな調子じゃお昼までに終わらないの」
………………
「んー、それも困りますねえ……それじゃまあ、黙ってますから」
「うん」
そして彼女がかわいらしいおっぱいを両手で持ち上げると―――床から洗濯物が一枚ふわりと浮かび上がって空中に広がった。
続いてそれがゆっくりと折り畳まっていって、最後はふわりと長持ちの中に収まった。
「ふう……」
アラーニャがため息をついている。
「そんなに難しいんですか?」
「うん」
魔法を使えない者にとってはその辺の加減は全く分からない。
彼女はこの念動の魔法は大得意で、羽箒を三本同時に操って人をくすぐったりできるのだが、洗濯物を畳むというのはまた全然別だと言う。
だがニフレディル様なら洗濯物三枚ずつぐらいを次々に畳んでいけるので、この程度の山ならあっという間に片付いてしまうのだ。
アルマーザはこれまで魔法使いならちょちょいと指を振るだけで部屋の片付けなどできてしまうと思っていたのだが、ニフレディル様の言うことには部屋を片付ける魔法があるのではなく、魔法で部屋を片付けているだけなのだそうだ。だから何かをする場合、何をどうするといった具体的な手順がきっちりとイメージできてないとダメだという。
《それはともかく……》
辺りを見回すとまだ半分も終わっていない。
「しょうがないですねえ……」
アルマーザはブツブツ言いながら片付けを続行した。
しかしファシアーナといえども部屋を無限に散らかすということはできないわけで、やがて作業にも終わりが見えてくる。
振り返るとアラーニャの仕事もほぼ完了だ。
《ま、今日はまだマシな部類でしたね》
と、一息ついた瞬間だ。
「アールマちゃん」
「はいぃ!」
ファシアーナが来たかと思って思わず飛び上がって振り返ると……
「何だ、パミーナさんじゃないですか。脅かさないでくださいよ」
部屋の入り口にニコニコしながら立っていたのは、大皇后の筆頭侍女のパミーナだ。
彼女とは最近は何だかんだで一番一緒に仕事をしているのだが、彼女はこういう口まねが結構上手だったりする。
「あら、ごめんなさい。片付け、終わりました?」
「あ、もうすぐですよ」
「そう。それじゃ悪いんだけどあれ、続きをお願いできないかしら? 私、ちょっと天陽宮まで呼ばれちゃって」
そう言って彼女は洗濯物が入ったワゴンを指さした。
「ファラ様とミーラ様とリモンさんの分は集めたんだけど、アウラさんとメイちゃんとサフィーナさんの分がまだで」
「あ、いいですよ」
こちらも大魔法使いや自分たちの分を洗い場まで持っていくところだ。アラーニャもいるし大した手間ではない。
この水月宮は以前はフォレスから来た王女様―――エルミーラ様一行の専用だったのだが、今ではそれに加えてメルファラ大皇后にパミーナ、ファシアーナにニフレディル、アラーニャとアルマーザ、ついでにメイの所にサフィーナまでが加わった大所帯だ。
それというのも近々都から大皇様の一行がやってきて天陽宮に入るため、これまでそちらに逗留していた大皇后一行がこちらに移ってきたためだ。
おかげで洗濯物の量も半端でない。
「それじゃお願いね?」
パミーナは手を振るとそそくさと去って行った。
その後ろ姿を見送るとアルマーザはアラーニャに尋ねる。
「こちらの分は?」
「うん。大丈夫」
「それじゃ行きましょうか」
二人はそれぞれ洗濯物のワゴンを押して、アウラとメイの部屋の方に向かった。
その途中、玄関脇に差し掛かったときだ。
「あ、あの……」
見るとパリッとした服を着込んだ若い男が立っていた。その男をアルマーザはよく見知っていた。
「あれ? カサドールさん? こちらは水月宮ですよ? マウーナはあっちですが?」
アルマーザはヴェーヌスベルグの連中が巣くっている辰星宮の方角を指さしたのだが……
「いえ、今日はリーブラ様に、ここでと」
「え? 聞いてる?」
アルマーザが横のアラーニャに尋ねるが、彼女は首を振る。
と、そのとき奥からパタパタと小さな娘が走ってきた。
「あ、カサドールさん、こちらですよ。フィンさんも来てますから」
「分かりました。ありがとうございます」
アルマーザは小声でその娘、メイに尋ねた。
「何か約束があったんですか?」
彼女は大きくうなずいた。
「ほら、例の件、フィンさんと相談したらどうかってことで」
「あは そうでしたか!」
そういうことなら別に構わない。
「じゃ、行きましょうか」
「うん」
アルマーザとアラーニャはワゴンを押して水月宮の奥へと向かった。