第3章 サフィーナ、相談する
その日、辰星宮の太白の間にはエルミーラ王女とメイがやってきて、ティアとヴェーヌスベルグの娘たちに向かって公会議の結果を報告していた。
「……そんなわけで大方の予想通り、年明けに全軍でバシリカにいるアロザール軍を攻めるということになりました。北側からはレイモン軍とアイフィロス軍、旗頭に白銀の都の大皇様の軍が進軍し、東からはシルヴェストとサルトスの軍が進軍します……」
そんな調子でメイがノートを見ながら報告を続けているが、その内容は多分こうなるだろうと聞かされていた物とほぼ同じで、それ自身は目新しいものではなかった。
アルマーザを含めて彼女たちが気になっていたのは別な点だった。
メイの説明が一段落した所で、ティアが尋ねた。
「えっとそれで、その戦勝祈念式典なんだけど……」
この戦は歴史的な戦いになる。そこで戦勝祈念の式典を行おうということになったのだ。
正月明けに侵攻の準備が整った所で、全軍の司令官を招いてメルファラ大皇后が祝福をすることになったのだが……
「それってみんなお花振ってるだけでいいの?」
ティアの問いにエルミーラ王女がうーんとうなる。
「そうですねえ……何かして頂ければもっと盛り上がるとは思うのですが……」
王女は口を濁してティアの顔を見る。
「あははは。そうよねえ……」
ティアも少々引きつり気味の笑みを返す。
メイもちょっと赤い顔で付け加える。
「いやあ、あれってほんとに凄いって思うんですけど……」
「あはは。そうだけど……」
エルミーラ王女も苦笑する。
あれ、とはアーシャのヤクートダンスのことであった。
前々からエルミーラ王女はヤクートの踊りに並々ならぬ興味を抱いていたのであったが、色々忙しくてなかなか披露する暇がなかった。
そこで最近やっとそのさわりの部分を実演することができたのだが……
《やっぱ、戦勝祈念式典とかじゃダメですよねえ……ありゃ……》
確かに彼女の踊りは素晴らしいのだが、そのような場で踊るには少々場違いと言うべきであった。
「まあともかく、皆さんが笑顔で手を振ってさしあげれば、それで十分でしょう?」
「それはそうなんだけど……」
ティアは残念そうだが、良いアイデアがあるわけでもない。
と、そこで今度はリサーンが尋ねた。
「あのー、で、その式典に参加するときなんだけど……また甲冑?」
アルマーザもそれが一番気になっていた。
しかしメイがにっこり笑って答えた。
「いやあ、そういう話もあったんですが、前回がすごく不評だったんで、今度はちゃんとした衣装にしてもらうことになりました」
娘たちがおぉっと歓声をあげる。
「でも衣装ってあのひらひらしたドレスか?」
尋ねたのはシャアラだ。あたりからクスクス笑いが起こる。
あのお見合いのときにはみんなそんなドレスを着ていたのだが、そのときの彼女やマジャーラを思い出すと―――ぷふっ!
「あ、それは安心してください。エッタさんがいいアイデアを出してくれまして」
「エッタさんが?」
「はい。ほら、皆さんがこちらに最初に着てきた服があるじゃないですか? あれはどうかって」
ルルーが目を丸くする。
「あれを? でもあれって普段着だし、あちこちすり切れちゃってるんだけど?」
一同も首をかしげる。
最初に着てきた服というのはヴェーヌスベルグの伝統的な衣装で、ゆったりとしたシャツとズボンに家ごとに決まったパターンの刺繍が施され、様々な色の腰帯を巻いたものだ。さすがにそういう格好では目立ちすぎるので、こちらに来てからは現地の古着を調達して着ていたのだが、彼女たちにとってはあまりにも普通すぎて何だかピンとこない。
しかしメイはまたにっこりと笑って首を振る。
「いいえ、あれをアレンジして見栄えのする服にしちゃうんですよ」
「アレンジ?」
「そーなんですよ。ほら、ここにエッタさんの描いたデザインがあるんですが……」
彼女は何枚かのスケッチを取り出して一同に見せた。
「おーっ!」
のぞき込んだ一同が歓声を上げる。
《うわあ……あの服が、変われば変わるもんですねえ……》
確かにシャツ、ズボン、腰帯といった要素は共通しているのだが、それ以外は全然別物と言っていい。これがこんなカッコいい衣装になってしまうなんて……
「でも、この帽子って……」
何だかずいぶん派手なのだが……
「あ、エッタさん、調子に乗って描いてたらこうなっちゃったなんて言ってましたが……だから皆さんの意見も聞きたいって」
「へえ……いや、でもいいんじゃないの?」
「うんうん。これならシャアラでもアーシャでもどっちでも似合いそうだし」
「でもこれをエッタさんが作るの?」
メイは首を振った。
「いや、彼女はお引っ越しの準備があるんで。でもこんなデザイン画があれば作ってくれる人はいるからって」
「あ、そうなんだ」
彼女の父親ドゥーレンは、アラン王の命でレイモンに潜入していた諜報員だった。しかし今回の戦いでその必要がなくなってしまったため、彼らは家族でシフラに移住することになっていたのだ。
《エッタさん、バリバリのアキーラっ娘なんですけどねえ……》
聞いた話だと生まれはどこか別の場所だったらしいが、物心ついたときには既にアキーラのドゥーレン工房にいて、そこでずっと育ったという。
しかし服飾デザイナーを目指していた彼女にとっては、シフラの方が環境が良いのも確かだった。
この戦いでは好む好まざるに関わらず、多くの人が人生の転機を迎えようとしていた。
「んで、その戦勝祈念式典が終わったら? もう何もないの?」
リサーンの問いにメイがうなずく。
「はい。私たちはみんなアキーラで待機ということになります」
「シアナ様やリディール様も?」
「はい。これまでが八面六臂の大活躍だったから、ここは休んで下さいってことになって」
何しろ都の魔道軍が総出でやってきているのだ。超一級クラスの魔法使いが文字通りあり余っている。今回の戦いが大船に乗ったような気分でいられるのはそのせいもある。
「それで他に質問はありますか?」
一同は首を振る。
「では最後に王女様から何かありますか?」
メイがエルミーラ王女に尋ねるが、彼女は微笑んで首を振った。
「いえ、ともかく本当にご苦労様でしたということです。これまで本当に大変でしたから、みんなしばらくはゆっくり休んでください」
確かにそれはまごうことのない事実であったから、そのこと自体に異存はない。
王女はそんな表情の娘たちを見渡すと……
「それで他になければ、今日はここまでに致しましょうか」
「はーい」
いつもの散会の合図だ。
それからメイは広げた書類やノートなどを片付けると、サフィーナの顔をちらりと見た。だが彼女は小さく手を振った。
「あ、後から行く」
「うん。分かった」
そこで彼女は王女と連れだって水月宮に戻っていった。
何やらほっとしたような空気があたりに漂った。
《本当にやることなくなっちゃいましたねえ……》
彼女たちが中原に来てからというもの、毎日がてんてこ舞いだった。
アキーラの解放後にちょっと暇になった瞬間はあったものの、その後は例の秘密兵器対策でさらに忙しい毎日だ。
そしてあの決戦に決着がついてやっと一段落できたのだが、まだ戦いは予断を許さない状況だ。どんな展開になるか分からないということで、まだまだ緊張した日々が続いていたのだ。
だがこれでほぼ正式に彼女たちの役割は終わった。
戦勝祈念の後に彼女たちがもう一度登場するとすれば、それは凱旋式だが……
《さすがに今からそれの準備をするのはまずいですよねえ……》
というわけでこれから冬の間、ぽっかりと時間が空いてしまったのだ。
この時期、もうマグナバリエ山脈は雪に閉ざされていて、越えるに超えられない。帰るにしても暖かくなるまで待たねばならない。
「式典ってやっぱ座ってるだけなのかなあ」
アカラがぼそっと言った。
「じゃないのか?」
シャアラが答える。
「お食事とかも出ないのよねえ」
「出ないでしょ。そりゃ」
「出るのならお酌とかしてあげたりできたのに」
それにリサーンが突っ込む。
「え? シャアラとかマジャーラが? あたしの酒が飲めねーのかーって口に酒瓶を突っ込んじゃいそう」
一同が吹き出す。
「あー? 幾ら何でもそこまではしないぞ?」
どこまでやる気でしょうね?
「でも……することないなら何してよっか? それまで……」
アカラの問いにハフラが答える。
「んー……そういえば付け払いがあったんじゃない?」
マジャーラがぽんと手を打った。
「あー、確かに、終わったら払いますよって、ファラ様の借用書でいっぱい何やかや買ったよな」
シャアラもうなずく。
「あー、そりゃ払わないと。じゃあみんなで手分けして?」
それに対してハフラが答える。
「別に急ぎじゃないんだからみんな一緒にのんびり回ってもいいんじゃない?」
「あー、それもそうだね……でも行くならいつ?」
「今は戦の支度とかで忙しそうだし……」
「そうねえ、やっぱ出陣してった後かしら?」
「んじゃまだもうちょっと先ねえ」
一同がそんな話をしていると……
「うーん……」
ルルーのうなり声が聞こえた。
「どうしたのよ?」
「え? いや、あの服、良かったなあって思って……」
一同がうなずいた。
「あ、うん。そうよねえ。エッタさんって上手よねえ」
「あの普段着があんな風になっちゃうなんて……で、どうしたのよ? 深刻な顔して?」
そこでしばらくルルーは下を向いて考え込んでいたが、それから顔を上げるとうなずいた。
「よしっ! 決めたっ!」
「何を決めたのよ?」
「あたし、シフラに行く」
………………
…………
「え?」
一同は驚愕する。
「あたしもシフラに行ってちゃんとした縫製技術とデザインを習ってくる」
「えーっ」
「いや、エッタさんと話してて、あなたも来る? なんて言われてたりしたのよ。でもちょっとほら、一人じゃ……でもあんなデザインできるようになりたいし……」
と、そこでアーシャが尋ねた。
「それじゃあなたともお別れになっちゃうの?」
ルルーが一瞬言葉に詰まる。
「え? いや、まだそう決まったわけじゃ……」
そうは言いつつも、もしそうなれば次に会えるのがいつになるか全く分からないのは確かだった。
「いいんじゃないの? 行ってみれば」
そう言ったのがリサーンだ。
「どうしてよ。もしかしたら会えなくなっちゃうのよ?」
「だってシフラってまだ近いじゃない。フォレスに比べれば」
そしてサフィーナを見る。
「ん? なによ?」
「あそこからだとメイさんとケンカ別れしたら、帰ってくるのに世界を横断しなきゃならないんでしょ?」
「あ? ケンカなんかしないんだから!」
そう―――最初はこの戦いが終わったらまた元の暮らしが始まるのだと思っていた。
だがサフィーナがメイとくっついてしまった時点で、それが不可能なことが明らかになっていた。
《まさかメイさんに村に来てもらうわけにはいきませんもんね……》
すなわち彼女が今後メイと一緒にいるためには、一緒にフォレスまで行ってそこで暮らさなければならないのだ。
それについてはエルミーラ王女が、女性の親衛隊員の枠はまだあるから大丈夫だと保証してくれていたが……
しかしそうなるとヴェーヌスベルグの仲間とは今生の別れとなるかもしれない。
《遠いんですよねえ、フォレスって……》
本当に世界の反対側なのだ。それに比べればシフラはまだ近い。
と、そのときだ。
「あ、それじゃ私も行こうかな? フォレスへ」
そうつぶやいたのはハフラだ。
「え?」
リサーンが驚いて彼女の顔を見る。
「ミーラ様から聞いたんだけど、お父様のアイザック様が古代遺跡の研究してて、図書館には古代遺跡の本がたくさんあるんだって」
「え? マジ?」
リサーンの目がまん丸だ。
「何だ? ハフラも来てくれるのか?」
サフィーナが目を丸くして尋ねる。
「だって……これ逃したらあと一生そんな機会ないかもしれないし」
「それはいいなっ!」
彼女は満面の笑みだ。やはり一人で見知らぬ土地に行くというのは少し寂しかったのだろう。
そんな会話を聞きながら……
「えーっ?」
リサーンが何やら絶句している。
《あはは。ハフラが行っちゃったら結構ショックですよね?》
彼女たちは家は違うのだが、小さい頃から一緒につるんでいた大親友だ。
「へえ……おまえそんなことを考えてたのか?」
ハフラにそう尋ねたのはマジャーラだ。
「せっかくのチャンスだし……そう思わなかった?」
だがマジャーラは首を振る。
「いやあ、確かにこっちにはいろいろ変わったもんもあったけど……でもやっぱみんなで村に帰るんだよなって思ってたなあ……」
何人かの娘たちがうなずく。
そうなのだ。
アルマーザだって魔法使いの小間使いになるまではそんな風に考えていたのだ。
彼女もまたティアとアラーニャ、キール/イルドと共に都に行くことになっている。しかし彼らはやがて戻ってくることが確定しているので彼女たちとはまた状況が違うのだが、それでも全くこれまでとは同じではない。
《アラーニャちゃんはそのときは本物の大魔法使いだし……》
しかも彼らと一緒にニフレディル様までが来てくれると言っている。
そうなればヴェーヌスベルグそのものがこれまでとは変わってしまうだろう。
行っても、留まっても―――もはや彼女たちは変化からは逃れられないのだ。
多分アルマーザだけでなく、ここにいる全員の胸にそんな思いが去来していたに違いない。
と、そこでアーシャが言った。
「まあ、ともかく春までは一緒なんだし」
「あはは。そうよね」
そうそう。深刻なことなんて柄じゃない―――というのが彼女たち、ヴェーヌスベルグの娘なのだ。
でなければ百年以上もあんな呪いを抱えてやって来られるわけがないのだから。
その場がお開きになった後、アルマーザは水月宮に帰ろうかと思ったのだが……
《あーでもその前に一休みしていきましょうか》
戻ってもアラーニャはまだ魔法の練習中だし、ファシアーナの部屋は昨日片付けたからまだそれほどには散らかっていないはずだ。
辰星宮にはテラスのように張り出したガラス張りの温室が付属していた。
夏の間はものすごく暑いから敬遠していたのだが、この季節には暖かくて一休みするのには最適の場所だ。
温室中央には小さな噴水が作られていて、周囲にはあまり見たことのない南方の植物が植えられている。
「うお~」
アルマーザはその脇のベンチに座って大きくのびをした。
それから寝転がって上を見ると、ガラス越しに青い空と白い雲が見える。
それをぼけっと眺めていると何やら睡魔が襲ってくるが―――と、近くでがさっと音がした。
《ん?》
起き上がると、そこにいたのはサフィーナだ。
「あれ? 何か用事だったんじゃ?」
メイにくっついて帰らなかったということは、何かこっちに用があるのだと思ったのだが?
「え? うん……」
サフィーナはそううなずいてあたりをウロウロし始める。
《ん? これって……》
物心ついたときからの付き合いだ。彼女がこんなときは何か相談に乗って欲しいというのに間違いない。
そこでアルマーザは尋ねた。
「もしかして……メイさんと何かあった?」
「むぎっ」
サフィーナが訳の分からない叫びをあげて固まってしまう。
《何だか図星みたいですねえ……》
しかし、先ほどの様子では特にケンカをしているという風でもなかったが……
「えっと、どしたん?」
「んー……」
サフィーナは何やら煮え切らない。
はて? 一体何をそんなにためらっているのだ?
《あ、もしかして……》
アルマーザはにたーっと笑う。
「もしかしてこの間の本の続きが欲しいとか~?」
サフィーナは明らかに動揺する。
「え? 違うもん」
「ほんとか~?」
「え? いや、だから……」
ふふふっ! この様子なら間違いない。
この後宮にある各離宮は概ね似たような構造なのだが、離宮ごとに付属する施設が異なっている。この辰星宮にある温室なんかもそうだし、水月宮には小さなステージがある。
そして天陽宮にはちょっとした図書室があるのだが、その蔵書にはお堅い本だけでなく、かなりの数の冒険小説やロマンス小説が含まれていた。
天陽宮には当初、メルファラ大皇后と共にファシアーナとニフレディルが逗留していた。そのためアルマーザもよくそこに出入りしていたのだが、そのついでにみんなにリクエストされた本を持ってきてやっていたのだ。
《ハフラなんかも喜んで読んでましたが……》
そしてサフィーナは元々読書の練習という建前でメイとくっついていたわけだが、その甲斐あって今では結構な読書家になっていたりして、彼女もお得意さんの一人だった。
しかしそこにあるのはそれだけではなかった。
ある日アルマーザは図書室の隅に目立たない小部屋があるのを発見し、その中に入ってみると―――何やら怪しい黒表紙の本がたくさん置いてあったのだ。そしてこの間彼女が借りに来たときに、その中の一冊をこっそりと混ぜてやったりしたわけだが……
「うふふ? お役に立てましたか~」
「むーっ」
この様子ではマジお役に立ったらしい。
「大丈夫ですよ~ まだまだありますから~」
アルマーザがまたニターリと笑うと……
「んー、違うの。今はその話じゃないの」
今は?
「えーっと……じゃあ何なのよ?」
「んー……んー……」
何を悩んでいるのだろう? まあ、元々この子は口下手なのだが……
「あ、それじゃもしかしてあれ? 護衛訓練?」
「え?」
「何か最近負けっぱなしでしょう?」
サフィーナがむっとした顔になる。
「だってあれはリサーンが意地悪だから!」
「いや、でも刺客がそんな正々堂々と襲ってくるわけないでしょ?」
「ん、まあ、そうなんだけど……」
その悩みもアルマーザには理解ができた。
サフィーナがメイと共にフォレスに行った後、彼女はアウラやリモンと共に王室の親衛隊に属することになっている。親衛隊の最大の任務は王や王女などの護衛だ。そこに入れば彼女もその役割を担うことになるわけだが―――そこで彼女はちょっとした壁にぶち当たっていた。
壁というのはメイを護衛するときのことだ。
彼女は王女の秘書を務めている関係で、悪い奴に狙われる可能性が結構高いという。
かといって秘書官ごときにそこまでの護衛人員を割けるわけではない。するとメイが外出する場合、サフィーナが一人で護衛するということも起こるわけだ。
彼女が薙刀を習い始めてからまだ数ヶ月だが、その進歩はアウラも驚くほどだった。だから強さという点に問題はなかったのだが……
《武器の種類によって色々あるんですねー》
話を聞いてアルマーザも目から鱗だったのだが―――要するに薙刀というのは護衛には今ひとつ適した武器ではなかったのだ。
薙刀には長い柄があって、剣よりもリーチが長いという特性がある。
しかしそれを取り回すには半身に構えて左右を持ち替えるなど、剣とは全く違った動きをしなければならない。ところが背中に誰かをかばった状態でそのような動きをするのは非常に難しいのだ。
《うっかりしてたらメイさんをぶちのめしちゃいますしねえ……》
特にリモンの戦いを見ていればよく分かるのだが、薙刀というのは前後左右全ての方向でそのリーチ内に入るのは大変危険だった。なので護衛対象からある程度離れた場所で戦わなければならなくなるのだが……
《そこを反対から狙われちゃうんですよね……》
相手が一人なら問題はない。
しかし二人以上で組んで来られると、一気に守るのが難しくなってしまうのだ。
剣ならば背中に護衛対象を庇いながらでも戦えるのだが―――その点をアウラにも尋ねたことがあったが、なぜか彼女は『うん、だから難しいの』と暗い顔になってしまった……
《何かあったんでしょうか?》
それはともかくアウラとリモンがフォレスの親衛隊のエースであることも間違いない。そこで彼女たちがどのように戦っているかというと―――敵が現れたら体の大きな男の親衛隊員が護衛対象の周囲を固め、彼女たちが前に出て敵と戦うのである。
最初にその話を聞いたときには少し驚いたが、薙刀は守りよりも攻めに用いた方がその長所が生きるのだ。
前に出れば薙刀を自由に振り回せる空間ができる。
また薙刀の場合、剣よりも死角が少ない。
人間は背中がどうしても弱点になる。しかし薙刀は半身の構えで左右が頻繁に変わるために全方向に目が届きやすい。真後ろからの攻撃にも一歩踏み換えるだけで簡単に対応できる。
また相手が薙刀の太刀筋を知らない場合―――むしろ大抵の相手がそうなのだが、最初の一撃で勝負がついてしまうのが常だ。すなわちこちらから攻めれば非常に効率よく敵を倒していけるのだ。
このやり方は大勢に囲まれたような場合に、大変効果的だった。
《一度見ましたが、カッコよかったですもんね……》
以前レイモンの兵士にフォレス風の護衛戦術をデモンストレーションしたことがあったのだが、そのときは男性の親衛隊員が護衛対象を―――そのときはパミーナだったが、彼女をがっちりと取り囲み、アウラとリモンが襲撃役のレイモン兵をまさに撫で切りにしていったのだ。
しかしサフィーナ一人でメイを守るという状況ではそれができなかった。
サフィーナが戦うために前に出てしまうと、メイが一人で孤立してしまうのだ。
それが何とかならないかと彼女はここ最近、リサーンやハフラに頼んで研究をしていた。
具体的にはメイを連れ歩いている所を彼女たちに襲ってもらうわけだが―――もちろん真剣は使わない。ヴェーヌスベルグ風に煤を塗った木剣を使い、体が黒くなったら死亡というルールだが……
《まあ、相手が一人なら何とかなるんですがねえ……》
サフィーナには非常に鋭い観察眼があったので、変装して近づいてきていきなり襲うといった攻撃ならばほとんどが防げていた。
しかし相手が二人になって、一人が囮でもう一人が背後から忍び寄って―――というような状況では連日メイは真っ黒にされていたのだ。
《ま、あーいうのはリサーンとかハフラの十八番ですからねえ……》
その才能のおかげで小鳥組が大活躍できたわけだが……
「あまり一人にこだわらなくてもいいんじゃないの? もう一人雇うことだってできるでしょ? 王女様の側近なんだし、お給金だっても結構もらえるんじゃ?」
「ん。まあ、それはそうなんだけど……今はその話じゃなくって……」
ん? その話じゃなかった? だったら?
「それじゃないなら?」
「んー……」
一体何を口淀んでいるのだ?
メイに関係のあることで、彼女がいない所で相談したい話ということのようだが……
と、そこでアルマーザはもう一つ思い当たる。
「あ、それじゃもしかしてあれ? メイさん、なんかもう性格変わっちゃうじゃない。手綱を握ったら」
「え?」
「あの馬車、メイさんのもらったの、ほんとに凄くスピード出るけど。もうびっくりしちゃったけど。この間一度乗せてもらって……」
「あ……うん」
「もしかしてあれで事故ったりしないかって心配してるんじゃ?」
サフィーナはうなずいた。
「え? それはまあ……」
「ですよねー。正直ちょっと怖かったし。リサーンなんか乗った後、吐きそうになってたし。ちょっとまずいよねえ。あれは……」
「ん、まあ、そだね」
「でもクリンちゃん、すごいよねえ。あれが全然平気なんて」
「だよね」
「何でも彼女、馬術大会で優勝したことがあるんだって。子供の部で」
「へえ? そうなんだ?」
「おかげで仕事、代わってあげたことがあったりして」
サフィーナが驚いた。
「え? アルマーザが?」
「あはは。何かもう、うるうるした目で、いいんですか? なんて喜ばれちゃって……カワイいよねえ。彼女……でも後から絞られてたみたいだけど」
「そりゃそうだよな」
最近はまるでお友達のようになっているが、クリンはあくまでベラトリキスに仕える従者なのだ。アルマーザに仕事を代わってもらったなどということが知れたら、怒られるのは仕方がない。
「でも嬉しそうなんよね~、メイさん……あの笑顔見てたら、ちょっと諫めにくいし……」
「え? ん、まあ……」
そこでアルマーザは腕を組む。
「ということは、どうやってやんわりとスピード出すなって言うか、ってことかあ……」
うむ。しかしこれは意外に難題かもしれない。リサーンなどが散々「ちょっと速すぎって~、怖い~!」などと叫んでいても馬耳東風なのだ。
エルミーラ王女から釘を刺してもらうのがいいのだろうが、そんなことを直訴するのもどうだろう? 雑談しているときにしれっと話題に出すとか?
などと考えていると……
「んまあ、それもそうなんだけど……今はそれじゃなくって……」
「え? まだ違うん?」
「ん」
サフィーナはうなずく。
「んじゃ、一体何なのよ?」
彼女はその後まだしばらく逡巡していたが、ついに重い口を開いた。
「んー、それがね……えっと、その、メイがね?」
「メイさんが?」
「ん。そのね……夜ね……」
「夜?」
「ん。夜。ちょっと激しいんだ……」
………………
…………
……
さすがにこれにはどう反応したらいいのだ?
「夜、激しいって……メイさんが?」
「ん」
………………
…………
「まあー、メイさんだって普通の子なんだしー、そりゃやっぱりハマっちゃったりするんじゃないのー? あんただって覚え立ての頃は指が止まんないの~とかずいぶん言ってたじゃないのよ?」
「え? ん、まあな。でもな……」
「でも?」
「メイな、逝っちゃった後、くったりして寝ちゃうんだ」
「はあ……」
「寝顔はすごくカワイいんだけど……」
「はあ……」
「でもほら、あたし、ちょっとカッカしてて……」
………………
…………
「あ、まあそれはそうでしょうが」
「んでな、我慢できなくなって、キールの所に行ってきたんだけど……」
「ふん」
「そしたら帰ったらメイが……泣いてて……」
………………
…………
「泣いてた??」
「うん。布団ひっかぶってガタガタ震えて泣いてて、どこ行ってたんだーって泣き付かれちゃって……」
………………
…………
「ガタガタ震えて泣いてた??」
「ん。まるであのときみたいに……それで結局朝まで抱いててあげてたんだけど……」
「あー……」
「これだともう、メイ置いて夜、出てけないんだけど……それでどうしようかって……」
あははははは!
アルマーザはサフィーナの両肩をつかむ。
「いや、ちょっとそれって変でしょ?」
「やっぱそうか?」
「そうですよ。絶対変だって!」
二人が同棲するようになった経緯については、メイが夜中に怖がっていたところをサフィーナが慰めてあげたからだと聞いていた。どうしてそんなに怖かったかというと、あのマグナフレイムで壊滅した敵軍の惨状が夢に出てきたからだというが……
アルマーザは見ていなかったが色々な人から話を聞くと、死体がゴロゴロしていて腐臭が凄まじくて、もう地獄のような有様だったという。
そんな場所にメイはエルミーラ王女と共に視察に行って早々に引き上げてきたのだが、その夜のことだったそうだが……
《でも、あれからずいぶん経ってますよねえ?》
それで今頃そんな風になってしまうのだろうか?
人の心とは難しいものなのだが、彼女はそれに関するスペシャリストを知っていた。
そこでアルマーザとサフィーナは連れだって水月宮に戻ってきた。
二人が月虹の間に入ると、中ではエルミーラ王女とメイ、アウラ、リモンがくつろいでいる所だった。
「あ、どもー」
アルマーザが手を振ると……
「二人とも、お帰り」
メイがにっこりと笑って挨拶する。
《こう見ると何か全然いつも通りなんですけど……》
しかし今は明るい昼日中だ。怖いお化けが出てくるのは闇の中と相場が決まっている。
アルマーザはメイに尋ねた。
「あ、リディール様はいらっしゃいますよね?」
「え? 確か今、自室でアラーニャさんの練習を見てると思いますが?」
「そうですか。じゃ、メイさん、ちょっと一緒に来てもらえます?」
「え? どうして?」
メイが不思議そうに首をかしげる。
「いや、サフィーナに聞いたんですけど、夜、ちょっと何かあったそうで?」
「夜?」
メイは一瞬ぽかんとしたが、それから顔が青くなる。
「え? 何のことでしょー?」
「いや、だからそんなに一人じゃ怖いってのは何か変なんで、リディール様に見てもらった方がいいんじゃないかって」
「え?……でも……」
メイが口ごもるが、そこでエルミーラ王女が尋ねた。
「一体どうしたの?」
アルマーザはうなずいた。
「いえ、それがサフィーナが言うにはですが、彼女がちょっと夜出かけてメイさんを一人にして戻ったら、布団の中で真っ青になって泣いていたとか」
「ええ? そうなの?」
「え? いや、まあちょっとあのときは……」
王女の問いにメイは口ごもる。
「それって困りますよね? 一人じゃ寝られないとか。だからリディール様なら何とかしてくれるんじゃないかって」
「まあ、そうねえ……」
王女も深刻そうにうなずく。
「いや、あまりそこまで気にせずとも……」
メイは気が乗らない様子だが、しかしきっぱりと断るわけでもない。
「でも、サフィーナがすごく心配してますよ?」
「………………」
アルマーザのその言葉にメイは黙り込んでしまった。
その様子を見てエルミーラ王女が言った。
「そういうことならばリディール様にお願いしてみましょう」
「え? そんな大げさな……それにこれってお仕事の依頼になっちゃいますし……」
彼女の懸念も尤もだった。
今アルマーザがしようとしていたことは、ニフレディルにメイの心を見てもらって恐怖の原因を突き止めようということだが、これは魔法使いへの正式な仕事の依頼になるのである。そして大魔導師へ依頼するということは、高額な報酬が発生するということでもあった。
実際アキーラ解放作戦では彼女たち二人には散々働いてもらっていたのだが、メイが逐一その記録をとっていて、払えるようになったならその報酬を払うことになっていた。
《ミーラ様、ちょっと割引してもらわないとアリオール様、困るかなーなんて言ってましたが……》
しかしエルミーラ王女は首を振る。
「いえ、メイ? あなたの体はとっても大切なんですよ? お金なんて気にしなくていいですから」
「え?」
「それにそんな不眠症になって昼間居眠りされては私が困りますからね」
「……はい」
メイはちょっとむっとした表情でうなずいた。
そこで一同はニフレディルの部屋に向かった。
部屋の前まで来ると扉は開いていて、中を覗くとそこではアラーニャの魔法の練習の真っ最中だった。
中央にはテーブルが二つ置いてあって、一つは空だが、もう一方にはテーブルクロスがかかった上にティーセットが置いてある。
「はい。じゃ元に戻してみて?」
「はいっ」
アラーニャがじっとティーセットを見つめると、それがふっと宙に浮かぶ。
続いてテーブルクロスが浮き上がると隣のテーブルの上まで飛んでいって、その上で広がってふわりと被さるが―――何だか皺だらけだ。
「んー……」
アラーニャが魔法でその皺を直そうとするが、そうすると浮いていたティーセットがふらつき始める。
《うわ、大丈夫かな……》
しかしすぐにそのふらつきは収まって、やがてテーブルクロスの皺がきれいに取れると、浮いていたティーセットがその上にピタリと収まった。
「うわー、良くできたねえ」
「あはは」
アルマーザが手を叩くと、アラーニャがちょっと上気した。これは見かけよりも結構難しい技なのだ。
それを見ていたニフレディルも言った。
「良かったですよ。皆さんが来ても気を散らさなかったのは立派です」
「ありがとうございます」
それからニフレディルが一同の方を見て尋ねた。
「それで、一体どうしたのですか? みんな揃って」
「ああ、それなんですが……」
エルミーラ王女が彼女に先ほどの話を伝える。
「まあ……」
ニフレディルが目を丸くしてメイを見つめた。
「いやあ、だからみんな大げさなんですって」
だがニフレディルは首を振る。
「いえ、これは放置すべきではありませんね」
「え?」
訝るメイをニフレディルがじっと見つめる。
「メイさん、今あなたに潰れられてはみんな困るだけではなく、とても悲しむ人がたくさんいるのですよ?」
「潰れるって……」
青い顔のメイにニフレディルが首を振る。
「いえ、誇張ではありません。私はそんなことになってしまった人をこれまで何人も見てきましたから」
「えっと……」
メイが目を白黒させる。
それからニフレディルがエルミーラ王女に言った。
「ではよろしいでしょうか? これより彼女の心を覗いてみることになりますが?」
「はい。よろしくお願いします」
王女がうなずくと近くにあった椅子がふわっと浮き上がって、すーっとメイの前に飛んでくる。
「ではそこに座って下さい」
「はい」
恐る恐るといった様子でメイが腰を下ろすと、ニフレディルがその後ろに立って頭に手を置いた。
「ではその日の晩のことを思い出してください」
「え? でも……」
「大丈夫ですよ。みんないますから」
「でも……」
「大丈夫……」
ニフレディルがそうささやきかけると、メイがゆっくりと目を閉じて眠ってしまったかに見えた。だが……
《え?》
メイの表情が急に歪み、体がブルブル震え始めたのだ。
続いて喉から声にならない喘ぎがこぼれ始めて……
「嫌! うわ、あ、嫌あああああ!」
メイが絶叫をあげた。
「メイ!」
思わずサフィーナが駆け寄ってその手を取った。だがメイはあらぬ方向を見つめるだけだ。
《うわ、これって……》
思わずアルマーザも腰を浮かせるが……
「大丈夫ですよ?」
ニフレディルがメイに囁きかける。
「大丈夫ですよ? さあ、こちらにいらっしゃい」
その声と共にメイの顔を歪めていた恐怖が去って行くのが分かった。
「あの……」
サフィーナが涙目でニフレディルを見つめている。
「大丈夫です。今はもう眠っているだけですから」
ニフレディルが彼女に微笑みかける。
それから振り返ると彼女は一同に向かって言った。
「それでは私が今見た物をお伝えします」
一同がうなずくと彼女は話し始めた。
「彼女はあの夜と同じ場所にいました」
「あの夜?」
サフィーナが尋ねる。
「ええ。あなたが彼女を助けてくれたあの夜、いたのと同じ場所です」
「同じ場所?」
不思議そうなサフィーナにニフレディルが言った。
「ああ……あなたがあれを見たわけではありませんからね?」
それから彼女はエルミーラ王女に言った。
「やはりあれは見に行かない方が良かったですね」
「あれって?」
王女は首をかしげるが……
「トゥバ村ですよ。壊滅した」
「あ……」
王女が目を見張る。
「あそこには私も行きましたが……しばらく食事が喉を通らなくなりました。おかげでちょっとメイさんの方まで気が回らなくって……」
「あの光景を……思い出すって言うの?」
王女の問いにニフレディルは首を振る。
「いえ、もっと良くない物です」
「あれより良くないって……」
ニフレディルは語り出す。
「私の見た場所は、真っ暗な丘でした。メイさんはそこにたった一人で立っていました。あたりには黒ずんだ小山があちこちにあって、ひどい臭いがあたりに立ちこめていました」
一同は息をのんだ。
「彼女は気づいていました。ここで決して振り返ってはならないということを。しかしそう思えば思うほど、背後に何があるのか気になって怖さが増していくのです。そこでついに思わず振り返ってしまったのですが……」
「振り返ると?」
王女の問いにニフレディルは答えた。
「最初に見えたのは同じ光景でした。しかしやがてあたりにあった黒ずんだ小山のあちらこちらに目が開いて、その眼差しが彼女をじっと見つめはじめたのです。しかもその数はどんどん増えていって、やがてはどちらを向いても無数の眼差しが恨めしそうに彼女を見つめる中、彼女はどこにも動けなくなってしまいました」
「えええ? それってまさか……」
「そうです。その小山とは彼女が殺したアロザール兵の屍の山でした。そして死んだ兵士たちが彼らを殺したメイさんを見つめていたのです」
「まあ……」
エルミーラ王女が息を呑んだ。
「そんな恐怖の場所から彼女を助け出してくれたのがサフィーナさんでした」
「え?」
一同がサフィーナに注目する。
「誰も気づかなかった中、彼女だけがそれに気づいてフィンさんを呼びに行って……それから仲良くなったのですよね?」
「え? あ……」
サフィーナが赤くなる。
「しかしそれでその恐怖が拭い去られたわけではなくて、それ以来、彼女がいつも一緒にいたからメイさんは平静を保っていられたのですが……その日の夜、目覚めて彼女がいないことに気づいたとき、闇に一気に呑まれてしまったのです」
「まあ……そうだったの……」
エルミーラ王女が驚いた表情で今は安らかに眠っているメイを見つめた。
「それでこの後、メイは?」
「大丈夫です。闇というのは恐れて逃げ惑っていたらそれに呑まれてしまうものですが、こちらから立ち向かっていけば克服できる物なのです。それに彼女は一人ではありませんし」
ニフレディルはその場にいた一同の顔を見る。
「そうなんですか……まあ、それでは……」
エルミーラ王女がやにわに立ち上がると、寝ているメイのほっぺたをぴしゃぴしゃ叩いた。
「メイ! 起きなさい!」
それを見たニフレディルがちょっと慌てる。
「もう少し寝かせてあげた方が……」
「いえいえ、寝るのは言うべきことを言ってからですわ」
それから彼女のほっぺたをつまみ上げる。
「ふぁいっ!」
思わずメイが目を覚ます。
その顔を王女がのぞき込んだ。
「目が覚めたかしら? メイ」
「ふぁい、えと、えと?」
メイはまだ寝ぼけているようだが……
「何でもあなた、すごく怖い夢を見てたんだって?」
「え? あ……」
「アロザール兵の幽霊が出てきて、あなたをじっと見つめてたんだって?」
「え?」
それを聞いた途端にメイの顔が青ざめるが―――そこでエルミーラ王女が真剣な顔で首を振る。
「でもそれはダメよ?」
「え?」
「それはあなたの責任じゃないのよ?」
「え? え?」
混乱した様子のメイに王女は話した。
「あなたがマグナフレイムを開発したのは、私があなたを秘密兵器開発担当に任命したからですよね? 違いますか?」
「え? それは……はい」
メイがうなずくと王女も満足そうにうなずいた。
「そしてあなたはその任務を完璧に果たしたのですよ? だからそれは誇るべきことなのです。確かにその結果がみんなの想像を少々超えていたのは事実ですが、その責任はあなたにはありません。命令を出した私にあるのですよ?」
「え? でも……」
そんなメイを王女は真っ正面から見据える。
「だからいいですか? もしまたそんな幽霊が出てきたら、私の方に回しておくこと。担当はこちらだと言って。分かりましたか?」
「え? はい……」
勢いに呑まれたメイが思わずうなずくが……
それから王女はニフレディルに尋ねた。
「それでリディール様、サフィーナがいればメイは頑張れるんですね?」
「はい」
「そして頑張っていれば直るんですね?」
「時間はかかるかもしれませんが、直りますよ?」
王女はにっこり笑った。
「それは良かった……では、サフィーナさん。もうしばらくの間、メイをサポートしてくれますか?」
「え? あ、うん……」
サフィーナが曖昧にうなずくが―――何やら目が泳いでいる。
それを見たアルマーザはピンときた。
《あ、これってもしかして……》
そこでアルマーザが口を挟んだ。
「あのー、実は……」
「はい?」
王女が首をかしげる。
「サフィーナがその夜、どうして抜け出したかなんですが……」
聞いていたサフィーナが赤くなった。
「え? いいじゃない。もう……」
「いや、あんたにはそこが重大なんでしょ?」
「ん……」
「どういう理由だったのです?」
王女が不思議そうに尋ねる。
「えっと、それがですねえ……」
確かにメイがいる前では話しにくいのだが―――そこでアルマーザはその理由を王女の耳元でささやいた。
それを聞いていた王女は最初は目が丸くなるが―――やがてにたーりと怪しい笑みが浮かぶ。
「あらまあ、そうだったの~ それはいけないわ~」
「あ、な、何話したんですかっ!」
メイがアルマーザに食ってかかるが、その間に王女が割り込んだ。
「ふふっ。メイ? なに? あなたサフィーナにしてもらうばっかりで、終わったら一人で寝ちゃうんだって?」
………………
…………
……
「ぬあ」
一瞬の沈黙の後、メイは訳の分からない叫びを上げてぼしゅっと真っ赤になった。
そこに王女が畳みかける。
「ダメよ~? 自分ばっかり楽しむんじゃなくって、これこそギブアンドテイクというものなのよ~」
メイはしばらく目を白黒させていたが……
「えと、サフィーナ、もしかして……怒ってた?」
「え? いや、それほど……」
サフィーナがうつむいて答えるが……
「うわー、うわー!」
メイが頭を抱えてぐるぐる回り出す。
《うわ、メイさん、大丈夫ですか?》
思わず心配になってしまうが……
するとメイはいきなりぴょんと跳び上がって、アウラの前に行くと大きく頭を下げた。
「あの、アウラ様! あたしにも教えてください!」
アウラがびっくりして目を丸くする。
「教えるって、何を?」
「だからサフィーナを楽しませてあげる技ですっ!」
聞いていた一同が思わず絶句するが―――アウラはあっさりと首を振った。
「えー? 無理よ?」
「えーっ。どしてですか?」
「だって……」
それからアウラはしばし考え込むと、エルミーラ王女が手にしていた扇子を指さす。
「あ、ちょっとそれ借りていい?」
「え? いいけど?」
王女が不思議そうに扇子をアウラに手渡す。
アウラは受け取った扇子を閉じると、やにわにメイの頭をぱしりと叩いた。
「痛っ。何するんですか?」
「いや、だから……」
再びアウラがぱしりと叩く。
「あの、痛いんですけど」
「だから避けるの」
「え?」
ぱしり。
「避けるって、どうやって避けるんですか?」
「だから……」
そこでアウラはやにわに振り返ると、同じようにサフィーナを叩こうとしたのだが―――彼女はさっとそれを避けた。
「こんな風に」
メイがびっくりしてサフィーナに尋ねる。
「どうやったらそんな風に避けられるの?」
「どうやったらって……アウラが叩こうとするから避けたんだけど……」
………………
…………
全然説明になっていない。
「えええ? そんなあ……」
落胆するメイにアウラが言った。
「だからメイなら別にそんなこと覚えなくてもいいんじゃない?」
「え? じゃあどうすれば?」
「サフィーナなんだから、直接聞いたら?」
「直接って?」
「だから、何して欲しい? って直接聞いたら?」
………………
…………
……
メイはしばし沈黙して―――またぼしゅっと真っ赤になる。
それを見ていたサフィーナまで真っ赤になる。
と、そこで二人をニコニコしながら見ていたニフレディルがエルミーラ王女に言った。
「それでは問題は解決ということでよろしいですか?」
「本当にありがとうございました。ニフレディル様」
それから王女が共に真っ赤なメイとサフィーナに言う。
「ほら、あなた達は?」
「あ、その、ありがとうございますっ!」
「あの、ありがと」
「いいえ、どうと言うことはございませんから」
ニフレディルはいつも通りに毅然と答える。
「うわあ……すごいなあ……」
横でアラーニャがつぶやいた。
それはアルマーザも同感だった。実際彼女がいなければこの問題はこんなに簡単に解決はできなかっただろう。
と、そこでニフレディルが二人に言った。
「アラーニャさん。軍事作戦が一段落して私の手が空いたらそろそろ始めましょうか」
「え? 本当ですか?」
アラーニャの表情がぽっと明るくなる。
「ええ。だからアルマーザも覚悟しておいてね?」
「あ、はい……」
精神魔法の練習にはアルマーザの協力が不可欠だという。
《うわあ……そしたらどうなるんだろう……》
日に日に大魔法使いへの道を歩み続けているアラーニャを見て、アルマーザはちょっと複雑な気持ちだった。
―――ちなみにそれからしばらくの間……
《おーい、いくらあいつだって幽霊は斬れないだろ……?》
エルミーラ王女がアウラを独占してしまった結果、フィンは寂しく一人寝の夜を過ごさねばならなかったのだった。