第5章 メイ、事故る
天陽宮から水月宮に向かう渡り廊下に冷たい風がビュンと吹き抜けた。
《うひゃー、さぶいぃぃぃっ!》
本来ならとっとと水月宮に駆け込みたい所なのだが、今アルマーザが押しているワゴンには大量の本が山積されているのであまりスピードが出せないのだ。
あの伝説的な祈念式典からしばらくが経過している。
これから連合軍のバシリカ攻めが本格的に行われるということで、カロンデュール大皇と都の魔道軍、そしてアリオール以下のレイモン軍は既に南に出陣して行った後だ。
そしてその後に続くアイフィロス軍のしんがりが今日明日にも出立すると、アキーラは本当に空っぽになってしまう。
そうなってしまうとメルファラ大皇后以下、ベラトリキスの面々は本当にやることがなくなってしまった。
《えっと……週に一度くらい、各地から来た人たちに顔見せするくらいでしたか?》
それも城のバルコニーから手を振っていればいいだけなので、それ以外のときは本当に暇なのだ―――アルマーザが大量の本を運んでいたのはそんなわけであった。
《ってか、次回からはみんな自分で行ってもらいますからねっ!》
アルマーザは毒づいた。どう考えてもこの仕事は割に合わない。ついつい仏心を出したのが墓穴であった。
まあ、確かに今の天陽宮にはちょっと入りにくいのは確かなのだが―――カロンデュール大皇はイーグレッタを初めとして、ほとんどの侍女をそこに残していった。さすがに戦争に行くのにそんな女性達を大量に侍らせるわけにもいかないからだ。
しかしそうすると残された侍女達の間で何かの駆け引きが始まっているのか、何とも居心地の悪い雰囲気なのである。
《ファラ様も都にいたときはずっとっこんな感じだったんですかねえ……》
だったら本当にちょっと寂しい生活だったのだろう。
しかしここなら気が向けばいつでも水月宮や辰星宮に遊びに来られる。昨夜もそんな調子で久々に集まってパーティーをしていたのだ。
こちらの食事が美味しいのは間違いない。
しかし解放作戦中のようにみんなでわーっと食べるのも楽しかった。
そこで久々にあの時のように自前で食事を作って食べる会を開いていたのだが、そこでサフィーナに持って行ってやる本の話をしていたら、何だか他の奴らまでが我も我もと注文しだしたのだ。
アルマーザは天陽宮には慣れていたのでつい気軽に話を受けてしまったのだが……
《何ですか? この量は……》
ワゴンに山と積まれた本を見るとため息が出てくる。
《これだったらアラーニャちゃんを連れてくればよかったんだけど……》
彼女の魔法の練習になるに十分な量だ。
しかも図書室では高い本棚の上まで本が一杯で、いちいち梯子を持ってきて出し入れしなければならないのだが、彼女ならあっという間だし……
その上天陽宮付属の大図書室の司書という人が年配のおばさんで、結構気難しい方なのだ。汚したり無くしたりしたりしたら、たとえベラトリキスといえどもめっちゃ怒られるのは間違いない。
《ってか、いつになったら精神魔法の練習が始まるんでしょうかねえ……》
もうすぐと言われて既に数ヶ月は経っている気がするが―――しかし今現在ファシアーナとニフレディルほどに実戦経験のある魔導師は他にいない。すると色々な所から問い合わせがあったり、やっぱり前線に来てもらえないかなどと頼まれるのを断ったりで大忙しだったのだ。
でも今いるアイフィロス軍が行ってしまえば本当の本当に手が空く筈なので―――そんなことを考えながらアルマーザは重いワゴンを押して水月宮に入った。
「ほえーっ」
暖かな空気に心底ほっとするが……
「えっと、まずはミーラ様ですが……今の時間は広間でしょうか?」
ワゴンを押して月虹の間に入ると、果たして中ではエルミーラ王女とリモンがのんびりしている所だった。
王女はアルマーザの押しているワゴンを見て目を見張った。
「まあ、それって昨日の?」
「全部合わせたらとんでもない量になりましたよ?」
横にいたリモンも目を見張っている。
「えっとミーラ様の分はこれですが……」
「まあ、そんなに?」
王女も目を丸くする。
「これでも抜粋してもらったんですよ? ウィルガの大地に関する本は書棚一杯あったりして、これとこれとかが当時の真っ当な記録だそうで、この辺のが当時語られていたいろんな噂話を集めたものみたいで、これは“草原を駆け抜けた山猫”っていう、メラグラーナさんが主役の小説なんだそうで」
「んまあ、ありがとう」
王女がにっこり微笑むが、なにやら怪しげなのは何故だろうか?
ちなみにメラグラーナさん―――今ではナーザさんは既に先日シフラの方に発った後だ。せっかくなのでアロザールの調査には昔の仲間に手伝ってもらうことになったらしい。
それからアルマーザはリモンに尋ねる。
「えっと、サフィーナは?」
「庭でアウラ様と稽古しているわ」
「あ、そうですか」
だったら彼女の分はメイの部屋に持って行ってやるとしよう。
そこでアルマーザはワゴンを押して彼女の部屋に向かったのだが……
「あれ? メイさんは?」
部屋の中ではコーラが掃除をしているだけだ。
「あ、クリンとまた行っちゃいましたが」
「あはは。好きですねえ。この寒いのに本当に……」
もちろん彼女はハミングバード―――彼女のもらった素敵な馬車にのってドライブしているのだ。
ちなみに最近では何だか二回に一回はクリンが同乗しているような気がする。おかげでその暇を捻出するために朝早くから夜遅くまで働いている姿をよく見るが……
「クリンちゃんも好きなんですねえ」
「まあ、あの子は昔っから馬とかに乗るのが好きで」
「コーラさんは?」
「え? 私はそれほどでも?」
しかし一度彼女が乗馬する姿を見たことがあるが、見事にピタリとハマっていたのは間違いないが……
《まあ、レイモンじゃ誰だろうと馬に乗れないと生活できないみたいだし……》
実際解放作戦中には伝令とかはみんな女性だったが、誰もがみんな凄く上手だった。
そこでアルマーザはサフィーナの本をテーブルに置いた。ついに彼女はレイシアンの歌に挑戦し始めたらしい。
《あはは。最初は絵本みたいな物だったんですけどねえ……》
まさに愛の力は偉大……
………………
…………
ぷふっ!
というわけで続いてアルマーザは辰星宮に向かった。
《うわー、また寒いんですよねえ……》
ちょっとだけ軽くなっているとはいえ、まだまだワゴンの上は本の山だ。
水月宮を出るとその前庭でアウラとサフィーナが稽古しているのが見えた。
「サフィーナ、その前屈みになる癖は直しなさい」
「あー、うん」
サフィーナがうなずくが、再びアウラとの立ち会いが始まると、最初のうちはともかく追い詰められてくるとやはり前屈みになっていく。
「ほらー」
「あ……」
それを見ていたアルマーザが思わず声をかけた。
「あははー、先生に教わった癖が抜けてないんですねえ」
アウラが不思議そうに彼女を見る。
「先生?」
アルマーザはうなずいた。
「あ、村でこの子、猫に教わってたんですよ。だから猫の先生なんです」
アウラの目が丸くなった。
「そうだったの?」
「ん」
サフィーナがちょっとはにかんで答えると、アウラは大きくうなずいた。
「ああ、だからかあ……あの突っ込みも?」
「ん」
「へえぇ……」
アウラが何やら納得しているいるようだが……
「あ、サフィーナ。あの続き、部屋に置いときましたからね?」
「ん? ありがと」
これ以上二人を邪魔してもしょうがないし、何よりも寒い。というわけでアルマーザは辰星宮に向かった。
辰星宮の太白の間は本来ならば高貴な客人を迎えるための客間なのだが、今ではヴェーヌスベルグ娘たちの巣窟と化している。
「はーい。持ってきましたよ!」
アルマーザがワゴンを押して中に入ると、仲間の娘たちが広間の各所で好き勝手にくつろいでいた。
「えー? 何それ?」
「どうしてそんなにたくさん?」
アカラとアーシャが首をかしげているが……
「あ? 何言ってんですか? あんた達のリクエストをみんな持ってきたらこんなになっちゃったんですけど!」
そこでアルマーザは順番に本を配り始める。
「えっとアーシャにはこれだけ」
「え? これ全部?」
アーシャの目が丸くなる。
「そう。これでもほんの一部なんですよ? ミュージアーナ姫に関する本なんてまだまだあるんだから」
「そうなんだ……」
アーシャはかなりびっくりした様子だ。
「で、アカラの言ってたのはこれね」
「え? こんなにあるの?」
彼女も目を見張った。
「全十五巻だそうで。しかし料理でバトルってどうやるんでしょうねえ?」
「さあ。でも面白そうじゃないの」
何やらこちらにはシェフが料理で戦いながら親の仇を探す小説があるらしいという話をしていたら、アカラがひどく興味を示したので借りてきてやったのだが―――まあどうでもいいのだが。
「えっとルルーのは……」
アルマーザはワゴンの下段から巨大な本を引っ張り出した。
「えー? 大きい……」
「でもこれがその服飾大事典なんだそうで」
「へえ……」
ルルーがにっこり笑ってその重たい本を持ち上げて床の上で開くと……
「うわあ、確かにすごいわあ……」
古今東西の様々な服がイラスト付きで解説されているのだ。彼女の目がキラキラし始めた。
《当分これで大人しくなりそうだわ。ルルーは……》
続いてまた十冊ほどの束をハフラに渡す。
「“夕闇に乙女は咽ぶ”の続編はこれだって」
「あ、ありがと」
「この作者の本、他にも一杯あるって」
「あ、そうなんだ」
ハフラがにっこりと笑う。
《何かハマってますよねえ。こっちに来てから……》
幾つか読んではみたのだが、アルマーザには今ひとつこのロマンス小説というのはピンとこないのだが……
「えっと、それからシャアラ、これがアイフィロスのことが書いてある本。とりあえずこれ読んだらあそこの国と歴史が一通り分かるそうで」
「お、サンキュ」
そう言って彼女がその本を受け取るが……
「でも何でまたアイフィロスなのよ?」
「え? だって最近よくアイフィロス人を見かけるだろ? でもメイさんとかに聞いてもよく分からないし」
「ん、まあそうなんだけど……」
というか、シャアラが本を読みたがるとか、どういう風の吹きまわしなのだろうか? てっきりマジャーラに対抗して弓の練習とかをしてると思っていたのだが……
―――というのは、昨日の雑談でこちらでは鴨肉がなかなか手に入らないという話が出てきたのだ。
鴨は水鳥だがこの付近は草原地帯で、そんな水辺があまりない。コーラが言うにはかなり遠くの川まで行かないといないそうなのだが、それを聞いたマジャーラが遠くてもいいからと撃ちに行く気満々になっていたのだ。
そして最近はアロザール兵とかいう“でかい的”しか射てないから腕が落ちてるかもと、今日は朝から練習中なのだ。この二人はそういう所は息が合うと思っていたのだが……
ま、誰が何に興味を持とうとこちらには関係ないのだが……
「んで、リサーンは?」
「お城の方に打ちに行っちゃったんじゃない?」
「へえ……何か本格的にハマってますねえ……ってか、借りて来いって言ってたの、これなんだけど……」
そう言ってアルマーザはみんなに詰碁の本を見せた。
辰星宮には最近時々ティア様の父親であるパルティシオン様がやって来るのだが、彼が碁というゲームが凄く得意なのだという。そして何かの加減でリサーンがその碁を習ったら、妙に気に入ってしまって最近はあちらこちらに行っては碁を打っているのだ。
「あれってどこが面白いのかしら?」
「さあ、何とも……」
見ていても黒石と白石を交互に置いていくだけで、何をやっているのか今ひとつよく分からないのだが……
ともかくこれで借りてきた本は配り終えた。
「ってことで、ものすごく大変だったので、返すときはみんな各自返してきてくださいねっ!」
「えーっ?」
何だか嫌々そうな返事だが、こちらだって慈善事業をしているわけではないのだ。
「それに司書のタキアさんですけど、怖そうな顔してますが凄く優しいですから。本のことなら直接色々尋ねた方が早いですよ?」
「は~い」
「でも本を汚したり傷つけたりしたら知りませんよ? 注意して扱ってくださいねっ!」
「は~い」
というわけでやっと仕事に一段落がついたので、アルマーザが水月宮に戻ろうと玄関まで出たときだ。
そこにカサドールが白い幌のついた黒い二輪馬車に乗って現れた。
「あ、アルマーザ殿。マウーナはおりますか?」
「あ、いますよ。呼んできましょうか?」
「お願いします」
そこでアルマーザが再び広間に戻る。
「マウーナ! カサドールさんが来たけど」
「えっ、本当?」
マウーナは何やらおめかしした格好で奥で寝そべっていたが、それを聞いて飛び起きるとそのまましたたたっと玄関まで駆けてくる。
「走って大丈夫なの?」
「大丈夫よっ!」
彼女のお腹は随分大きくなっているのだが……
アルマーザはとりあえず彼女に付き添って表まで出る。
「マウーナ! 走ったりして……」
カサドールが少々青ざめた表情で同じ反応をするが……
「大丈夫だって!」
マウーナはけろりとしている。
「今日は寒いけどその格好でいいの?」
「うふ 大丈夫よ!」
そう言ってマウーナが助手席に乗り込むと、カサドールが羽織っていた大きなマントを彼女にもかけてやる。
「それ、二人入れるんですか?」
「そうなの」
なるほど。そんなアイテムが存在していたのか。うむ……
「それでは」
「はい。行ってらっしゃい」
アルマーザが手を振るとカサドールは馬車を発進させて、とことこと行ってしまった。
《カサドールさんは凄く安全運転なんですけどねえ……》
某所にいる手綱を握ると性格の変わる小さな秘書官の人はわりとマジで心配だったりするのだが……
そんなことを思いながら水月宮に帰ろうとしたときだ。今度は天陽宮に続く渡り廊下の方から誰かが大きな蓋付きのお盆を持ってやって来るのが見えた。
《えっと……あれはアヴェラナさん?》
天陽宮に来ている大量の都の若い侍女たちの一人だが、ちょっと回りから浮いている感じがあって何となく名前を覚えていたのだ。
アルマーザが彼女に会釈をすると、アヴェラナはこくっとうなずいた。
「えっと、それは?」
「大皇后様よりティア様と皆様へと。頂き物のお菓子です」
「あ、それじゃあたしが持ってきましょうか?」
「あ、よろしくお願いします」
アルマーザが盆を受け取ると、アヴェラナは大きくお辞儀をしてすたすたっと去って行った。
そこで盆を持って広間に戻ると……
「あら、アルマーザ、何なの? それ」
アーシャが尋ねた。
「ファラ様からの頂き物みたいですよ」
アルマーザが盆をテーブルに置いて上蓋を取ると、中から大きなケーキが現れてふわんと良い香りが漂った。
「うわあ……」
「よっしゃ! お茶の用意だ!」
「OK!」
一同がてきぱきと準備を始める。
「えっとティア様は?」
アルマーザが尋ねるとルルーが答えた。
「あ、夕べ遅かったからまだ寝てるかも」
「これなら起こしちゃっていいんじゃないですか?」
「そうよね」
こうして時ならぬお茶会が始まった。
大皇后からのお裾分けとあって、そのケーキはまさに絶品であった。
「うわあ……これ美味しい!」
「あはっ。マウーナったら残念ね」
「どうする? 残しとく?」
「でも今日は二人で食事もしてくるんでしょ? いいんじゃない?」
「そうよね」
そんな話をしながらお茶を頂いていると……
「でも、本当に仲いいのよねえ。あの二人……」
「そうよねえ。マウーナなんかニコニコしちゃって」
「でも……やっぱり来られないって言ってるんでしょ? カサドール」
「そうみたいだけど……」
二人の間の問題は相変わらずであった。
マウーナはこちら風の生活は無理だと言うし、カサドールもヴェーヌスベルグでみんなと一緒に暮らすのをためらっているのだ。
「どうしてなのかしら?」
「カサドールはマウーナだけを大切にしたいって言うんだけど……」
こちらではそれが当然だという。
しかしヴェーヌスベルグでマウーナが彼を独り占めしていたら、みんなから白い目で見られてしまうのだが……
「このままだと子供だけ連れて帰るしかないのかしら?」
「ん、まあ、いざとなればそうするしかないけど……でもカサドールも子供と別れるのは嫌みたいだし……」
と、いつもこの件に関してはこんな感じで行き詰まってしまうのだ。
そこでアカラが尋ねる。
「でもねえ、ハフラ。男の人って“結婚”ってのをしてからしばらく経ったら、“浮気”ってのをしちゃうんでしょ?」
「ええ。私の読んだ本ではことごとくそうだったけど」
「ってことはさ、要するにそれって建前ってことで、本心では他の子とも付き合いたいって思ってるんじゃないかしら?」
ハフラはうなずいた。
「私も多分そうなんじゃないかって思ってるけど……」
「だったらヴェーヌスベルグまで来たらそんな建前、気にしなくていいんじゃない?」
「うーん。そんな気もするんだけど……でも……」
「でも?」
「私の読んだ本では浮気した男はみんな破滅するの」
「え?」
「この前の本だと男は捨てた奥さんに刺されて死んじゃうし、その前のは浮気した奥さんの旦那と決闘して勝ったんだけど、その家来に復讐されて殺されてたし……それってもしかして……」
「もしかして?」
「こちらじゃそんな呪いがあったりするんじゃないかって……」
………………
…………
……
ハフラの言葉に一同は顔を見合わせた。
「でもそんな呪いがあるなんて話、聞いたこともないし……」
「あたし達を心配させないために黙ってくれてるとか」
………………
…………
……
「……じゃあ浮気したらカサドールも死んじゃうの?」
「さあ……本当にそうなるかどうかは分からないけど」
一同は再び顔を見合わせる。
《確かに呪いってのはありますからねえ……》
百年以上も実際にそれと付き合ってきた彼女たちだ。呪いの存在には敏感にならざるを得ないのだ。
「それって……ティア様だったら実際の所は知ってるんじゃないの?」
「でもお菓子の話をしても起きないくらい熟睡してたじゃないの」
「まあ、じゃあ後で起きたら聞いてみましょうか」
「そうね……」
彼女たちがそんな話をしていたときだ。
バタン! と広間の扉が開いて、息せき切って駆け込んできたのはアウラだ。
「あれ? アウラ様、どうしたんです?」
アウラは全力で走ってきたと見えて、大きく息を荒げている。
それから数回深呼吸をすると……
「メイ、事故ったって」
《あ! やっぱり……》
アルマーザがまず思ったのはそれだったが―――見渡せばみんなも同じだということを知るのに魔法は不要だった。
「えっと、それで今は?」
「水月宮に病院馬車で運び込まれてる。それにクリンは肩を脱臼したとか」
「えーっ⁉」
それは一大事だが―――ともかく一同は水月宮に走った。
メイが意識をしっかり取り戻したのは午後になってからだった。
「大丈夫なの? 本当に!」
心配そうなリモンに……
「あ、はあ、まあ何とか……まだちょっと頭がクラクラしてますが……」
メイがとりあえずはまともに答えている。
《ふわあ、ひとまずは安心ですかねえ……》
ニフレディルの見立てでは、彼女は少々強く頭を打っていたようだが骨折などは無く、しばらく安静にしていれば直るとのことであった。
それよりも問題はクリンの方なのだが……
「本当に大丈夫なの? クリンちゃん」
パミーナが心配そうに三角巾で左手を吊っているクリンに尋ねているが……
「え? 大丈夫ですよ? このくらい!」
彼女はけろっとしている。
聞けば何度か落馬したせいで、肩が外れやすくなっているそうなのだが……
《いや、それって良くないんじゃないんですか?》
ニフレディルもそれを聞いて顔をしかめていたのだが……
《でも、都まで行かなければ完全には治せないっていうし……》
都にはそういう魔法手術のできる魔導師もいるという。聞けばティア様も以前落馬して肩を脱臼したのを治してもらったらしいが……
しかし都はちょっと遠いし、それにお金も半端なくかかってしまうわけで―――まあ、ともかくここは死者が出なかっただけでも良しとしなければ……
そんなことを思っていたときだ。
「遅くなり申した!」
部屋にラルゴが入ってきた。
「メイ殿の馬車を回収して参りましたが……」
するとメイがいきなり起き上がって……
「あー、ハミングバード、どうでした?……はわぁ?」
尋ねた途端にまた目を回す。
「ダメよ。いきなり起きたりしたら。頭を打ってるんだから!」
リモンがメイを叱りつける。
「はわぁ」
そこでラルゴがみんなに説明した。
「はい。完全に横転していて、幌は破れており、車体にも大きな傷がついておりましたが、とりあえず動く状態でしたので引いて帰って参りましたが……走るとギコギコと異音がしていて、本格的な修理が必要でしょうな」
聞いていたメイが心底ほっとした様子で答える。
「うわあ……廃車じゃなくって良かったあ……」
「もうこの子は! 自分の体の方を心配しなさいよ!」
リモンがあきれ顔でつぶやいている。
《ですよねー》
リモンの気持ちはよく分かる。
周囲で見守っていた者達もみんなそんな表情だ。
そこでメイが尋ねた。
「あのー、それで修理代って……あー、どのくらいかかります?」
「かなり本格的に手を入れなければなりませんが……まあ新調するのよりは安いのは確かでしょう」
ラルゴが笑って答える。
「そうですか~……」
メイが何やらしょんぼりしている。それもそのはず。先ほどエルミーラ王女から、新しい馬車が欲しければ今度は自前で買えと言い渡されていたところなのだ。
まあそれは仕方がない。事故ったのは100パーセントメイの責任なのだから。
と、そこでエルミーラ王女がラルゴに尋ねた。
「それで結局事故はどういう状況だったのですか?」
ラルゴはうなずいた。
「ああ、はい。確かにクリンの言ったとおりの場所でした」
「でもそこではそう簡単には横転しない筈なのですよね?」
「はい。普通はそうなのですが……」
ラルゴは首をかしげている。というのは……
―――メイが搬送されたあと、話を聞いて各所からラルゴを初めとする様々な人が駆けつけてきた。
そこで彼らの前でクリンが事故の状況を説明した。彼女が言うには……
「えっと、私とメイ様が走っていたのはアキーラの南にある牧場でした。開けた野原の中に道が走ってて、遠乗りに最高の所なんですが……あの、ちょっと調子に乗っちゃってて、メイさん、どんどんスピードを上げちゃって、それにローチェも強い子ですから、ちょっと速すぎたかもしれませんが……」
一同はため息をつきながらうなずいた。
「それであの道、途中に右にカーブしてる所があるんですが、そこに差し掛かった所で急に左に膨らんで傾いて、それで馬車から投げ出されてしまったんです。慌ててメイ様はお守りしたんですが、あはは、ちょっと……」
クリンは三角巾で吊った左手を見て苦笑いする。
《笑い事じゃないんですけどねえ……》
一同はみんなそんな表情だ。
「でもメイ様、完全に目を回していて、動かしたら良くないと思ったんで、近くの牧場の母屋に走っていって、牧場主の人に助けてもらったんです。親切な人で、あたしの肩もはめてくれて、それからメイ様とあたしを牧草一杯の荷馬車で運んでくれたんです。それからアキーラの城門で救急馬車を呼んでもらって、こちらまで来ました」
いや、クリンちゃん、こういう状況でなかなか立派な対応なんじゃないですか? 普通なら慌ててパニックになったりするもんだし……
一同もみんなそんな表情でうなずいている。
と、そこで話を聞いていたラルゴが尋ねた。
「事故を起こしたのは、杉の木が二本立っているカーブか?」
「はい。その先の右手すぐに母屋があって……」
「ああ、あそこか」
ラルゴはうなずいたが……
「しかし……本当にあそこなのか?」
「はい。間違いありませんが」
「ふーむ……」
ラルゴが考え込んでしまったので、エルミーラ王女が尋ねた。
「何か気にかかることでもございますか?」
「いえ、もしクリンの言うとおりなら、少々飛ばしていた所でエクレールが転倒するような場所ではないのですが……」
「そうなのですか?」
「我々も暇なときにはよく走る所なのでよく知っているのですが……」
一同の目がクリンに集まる。
「え? でも、本当にそこなんですが……それにまだハミングバードがそこにあると思いますし」
「ああ、それなら回収がてら現場を検分して参ります」
「まあ。それではよろしくお願いします」
ラルゴは即座に事故現場に向かった―――
といったやりとりがあったのだが……
「確かにあの場所でメイ殿のエクレールは横転しておりまして……」
と、そのときそれを聞いていたメイが言った。
「あ、そういえば今日、すごく風が強かったじゃないですか? 確かあそこで急に強い向かい風が来たんです! それで浮き上がっちゃったかも……」
「え? あっ!」
ラルゴが驚愕した表情になる。
「どうしました?」
王女の問いにラルゴが答える。
「あの、幌なんですが、あれが風に煽られて車体が浮いてしまったのなら……エクレールは軽量に作られてますし、メイさんたちも軽いですし……」
元々エクレールという型の馬車には幌はついていなかった。それをメイの注文によって特注の幌が付け加えられていたのだ。
「あの幌のせいで?」
「はい。あれはエクレールのスピードに負けないように普通の物よりも丈夫にできているのですよ。しかしそれが仇になったか……確かに重心も上がってしまうし……」
「それではあの幌を取り払えばひっくり返らないと?」
「多分……」
と、そこにメイが口を挟む。
「えー? でもあれがあるからカワイいんだけど……それに夏場はあれがないと日焼けしちゃうし……」
それを聞いて思わずアルマーザは突っ込んでいた。
「だったらもう少しゆっくり走ればいいんじゃないですか? カサドールさんみたいに。あの馬車も結構カワイかったけど」
今日彼がマウーナとデートに行った馬車にも綺麗な幌が着いていて、シートも柔らかそうでよかったのだが……
「あれはギグなの! カブじゃないんだから!」
メイが即座に却下する。
「はあ?」
馬車の種類のことを言われてもさっぱりなのだが。
「んー、それじゃあの幌を取り外しできるようにしたら……やっぱり強度が足りないですか?」
メイが食い下がっているが……
「でしょうねえ……」
ラルゴがため息をつきながら答える。
「ってことは、風に煽られても浮かない幌があればってことで……」
「いやいや、それはちょっと無理でしょう?」
「えっとでもー……」
メイがまだ何か言いたげだが―――そこでまたアルマーザが尋ねる。
「それじゃもう少しスピードが出ないようにするとか?」
「そんなことができるのですか?」
王女がラルゴに尋ねるが……
「ん、まあ、例えば重しを乗せて重くしてやれば……しかしそれをしては本末転倒かと」
「そーですよー!」
メイも断固拒否の構えだ。
「それではやはりあの幌を取り払うしかないということですね?」
「えーっ!」
王女の言葉にメイがあからさまに顔をしかめるが……
「でもこのままだと直ってもまた風が強いと転んでしまうのではないの?」
………………
…………
メイがまさにぐぬぬといった表情になる。
確かに今のままではまた同じ事故が起きるのは必定だ。
「じゃあ、メイ。あれの幌は取ってしまいなさい。もしくは重しを乗せるか。そんな危ない物にあなたを乗せてはおけないから」
エルミーラ王女の言葉にメイが真っ青になる。
それから頭を抱えてうなり始めた。
《いや、ちょっとそこまで悩むことですか?》
アルマーザが少々呆れていると……
「あ、それじゃこんなのはどうですか? ほら、風が強いときは前屈みで傘をさすじゃないですか。あんな感じで幌を前に傾けるとか」
「えっと、幌は傘じゃないんだし……ですよね?」
と、パミーナがあきれ顔で言ったのだが―――ラルゴがはっとした表情で考え込んだ。
《あん? マジですか?》
確かに風が強いときでも風の方に傘を傾けていれば飛ばされないわけだが……
「あの、ラルゴさん?」
「いや、私の一存では何とも。これについては親方とも相談してみなければ……しかしもしかしたら……」
「えええ?」
一同は一様に顔を見合わせるが―――メイから出てくるアイデアはおおむねは迷案ではあるものの、ときたまとんでもない名案が混じっていたりする。
「えへっ! それじゃお願いできますか?」
「はい。そうしてみましょう」
メイは満面の笑みだが―――でもやっぱりスピードを出し過ぎないようにするのが一番いいように思うのだが……
それから三日後のことだ。
「うひゃあ、雪が~!」
借り物の四輪馬車―――メイ曰く、これはブレークと呼ばねばならないらしいのだが、そのの御者台でアルマーザはため息をついていた。
今日は朝からどんよりと曇っていていかにも降りそうだったので、暖かい室内でのんびりしていようと思っていたのだが……
「うわあ、やっぱこっちは暖かいわー。この時期にはベラでももっと降ってたのに」
しかし馬車の乗客―――もちろんメイはこの寒さには全然堪えていないようだ。
「えー? そうなんだ?」
一方その横に座っているサフィーナもこの寒さには辟易している。
《全くメイさんってこんなところは頑丈なんですよねえ……》
ヴェーヌスベルグの冬は夜は冷え込むものの、昼は晴れていればわりと暖かいし滅多に雪も降らない。なので朝晩は布団に潜っていたらわりと何とかなるのだが……
「ねえ、アルマーザ、もっとスピード出ないの?」
メイがちょっといらいらした様子で尋ねる。
「アキーラの町中ですよ? 人も多いし、それにこの馬車じゃお尻が痛くなっちゃいますよ」
「ううう……」
これに乗ってみるとメイのハミングバードがどれほど高級だったかよく分かる。
《あのシート、ふかふかだったし、それに本当に揺れないんですよね。凸凹道でも……》
確かにあんなすごい馬車に乗っていれば少々飛ばしたくなる気持ちは分からんでもないのだが……
「えっと、このあたりじゃなかった?」
「たぶんそうですが……」
今走っているのは道の両脇に大きな家が建ち並んでいるアキーラの高級な住宅街だ。
しかし似たような場所が多く、目的地がよく分からない。
そこで道行く人に尋ねてみると……
「あの、すみません。ポロス通りってこのあたりですよね?」
「あ、それなら二つ先の通りだ」
「ありがとうございますー」
アルマーザは言われた方向に馬車を進めた―――彼女たちがこのような場所を走っているのは次のような訳があった。
―――今日の朝、やっとメイが完治して朝食の席に現れた。
ここの暮らしでは朝食、昼食はおおむね各離宮単位で取られるのが常だ。そのためこの水月宮の食堂にはエルミーラ王女以下フォレスの面々、大魔法使いたちにアラーニャ、そしてアルマーザとサフィーナというメンバーが普通だったが、そんなわけで数日ぶりに全員が揃っていた。
「ふわあ、もう大げさなんですよー。昨日にはすっかり治ってたのに」
メイがこぼしているが……
「大げさじゃないでしょ? 一つ間違えたら首を折ってたのよ?」
エルミーラ王女がため息をつきながら突っ込んだ。
「え? あはは。でもほら、大丈夫だったじゃないですかー」
メイが笑ってごまかそうとするが……
「それはクリンさんが庇ってくれたからでしょ?」
今度はリモンに怖い顔でたしなめられる。
「ん、まあそうなんだけど……クリンちゃんは?」
「もちろん休んでます。肩を脱臼してるんだから、一ヶ月くらいは来られないでしょうねえ」
「え? ああ、まあそうですよねー」
これに関してはまさにクリンが一番の被害者なのだ。
そこでアルマーザがメイに言った。
「そのうちお見舞いに行ってあげないとですね」
「あ、うん。もちろん!」
そんな話をしていると、コーラが食後のお茶のワゴンを押して入って来た。
「皆様。お茶をどうぞ」
彼女はにこやかにお茶を配り始めるが―――そこでアルマーザが何の気なしに尋ねた。
「あ、クリンちゃんの様子はどうです? 復帰できるのはいつくらいに?」
ところがそれを聞いたコーラがいきなり沈み込んでしまったのだ。
「ん? どしたの?」
「え? いえ、クリンはもう戻ってきませんので……」
「ええっ?」
それにはそこにいた一同が全員驚いた。
「どーしてですかっ⁉」
メイが身を乗り出して尋ねるが……
「いや、そのお父様がものすごく怒っていて……」
「クリンちゃんのお父様が?」
「はい。メイ様に怪我をさせるなど言語道断。二度と会わせられないって……」
………………
…………
「はいぃぃぃ?」
一同は顔を見合わせる。
「えっとでも、大怪我をしたのはクリンさんでしょう? この子ちょっと頭を打ってボケてただけで?」
エルミーラ王女の問いにコーラは首を振る。
「はい……でもお父様はもうカンカンで……」
………………
…………
一同はまた顔を見合わせ―――それからメイが弾かれたように立ち上がる。
「えっと、あの、王女様? ちょっとクリンちゃんの家に行ってきていいですか?」
「え? それは構わないけど?」
「コーラさん、お家ってどこにあるんですか?」
「え? ポロス通りですが……」
コーラの答えにメイが大きくうなずいた。
「あ、そこなら大体分かります!」
彼女はアキーラ潜入作戦のとき以来、けっこう町中には詳しかった。
「んじゃ、サフィーナ!」
「ん」
サフィーナがうなずくが―――それから彼女はアルマーザを見る。
「えっとアルマーザ、おまえにも来て欲しいんだが」
「え?」
「も一人いてくれた方がいいと思うんだが……」
それからサフィーナは同席していたニフレディルに尋ねた。
「今日こいつ、何か用事ありますか?」
「いえ、特には……確かに彼女も一緒の方がいいかもしれませんね。当事者でない中立の立場として」
それを聞いたエルミーラ王女もうなずいた。
「まあ、そうね。じゃあアルマーザ、ついて行ってもらえるかしら?」
「あ、はい。そういうことなら……」
確かにクリンの父は激怒しているいうし、メイも事情が事情だ。頭に血がのぼることもありそうだ。そんな場合にサフィーナだけでは確かに心許ないし……
というわけでその三人でクリンの実家に向かうことになったのだ。
問題は城の厩舎に行ったときに発生した。
彼女たちは御者付きの馬車を借りようと思ったのだが……
「えー? 御者の人がいない?」
馬丁がすまなそうに頭を下げる。
「申し訳ございません。戦でそもそも人手が不足しておりまして、残りも先約がございまして……天陽宮のお方ですので……」
一同は顔を見合わせるがない袖は振れない。
「あー、まあそれじゃ馬車だけ貸してもらえますか? 自分で操って行きますから」
「承知しました。申し訳ございません」
―――しかしそういって出てきた馬車もかなりのおんぼろだった。しかも屋根もついていないし……
しかしえり好みをしている場合ではない。一行はその馬車を借りて一路クリンの実家に向かったのだった―――
そんなわけで一行はポロス通りに差し掛かった。
ここはアキーラの高級な住宅街で、道は良く舗装されており両脇には大きな家が建ち並んでいる。
「うわー。クリンちゃんとかコーラさんっていいとこのお嬢さんだったんですねえ……」
何だかアルマーザなどよりもずっと生まれが良さそうなのだが……
メイも少々呆れた様子で答える。
「あはは。そうよねえ。うちもちっちゃな農場だったし」
「ってか、本来ならあたし達があの二人の従者やっててもおかしくないんじゃ?」
「あはは。そうよねえ」
今メイ達の世話をしてくれているレイモンの侍女は、諸般の理由でアリオールの腹心の部下の家族から出されていた。
コーラやクリンも例外ではなく、彼の父親はガルンバ将軍の下で長年一緒に戦った、特に将軍の信頼厚かった武将の一人だという。
《結構怖そうな人だって聞いたけど、大丈夫でしょうかねえ……》
何だか心配になってしまうが―――まあともかくアルマーザはまだ気楽な立場だ。
しかしメイは平気そうな顔はしているが、やっぱりさっきから随分そわそわしているのが見て取れる。
《まあ、ともかくお父さんの怒りを静めないとってことですよね?》
そんなことを考えながら馬車を走らせていると、大きな門構えの屋敷が現れた。
「ここでしょうかねえ?」
「ああ、多分」
そこでアルマーザが馬車を止めて降りようとしたときだ。いきなりメイが飛び降りると、たたたっと通用門の前に走って行って、呼び鈴を引いたのだ。
《あー、そういうのはあたしの役割なんじゃ?》
一応ここではメイが主人でアルマーザとサフィーナがその御付ということになるのだが―――彼女は相当に慌てているようだ。
しばらくして中から門衛が顔を出す。
「誰だ?」
「あの、バローレス屋敷というのはこちらですか?」
「そうだが?」
不審そうな声が聞こえる。しかし……
「あの、私、メイと申します。クリンちゃんのことでバローレス様にお話が……」
「メイって……ベラトリキスのメイ書記官様でございますか⁉」
途端に声の調子ががらりと変わる。
「えっと……はい。そうですが」
最近ではもうメイは書記官と間違えられても突っ込まない。
「少々お待ちを!」
それからいきなり扉がギーッと開いて門衛が出てくるが、彼は馬車に乗っていたアルマーザとサフィーナにも目を留めてぽかんとした。
「あ、彼女たちはサフィーナとアルマーザですが……」
メイが紹介すると、門衛の目が更にまん丸になる。
それから慌てて気を取り直したように……
「ともかく、どうか外は寒いですので中にどうぞ」
こうして三人は屋敷に招き入れられた。
《へえ……コーラちゃんもクリンちゃんもいい所に住んでるんですねえ……》
屋敷はまさに武人の館らしく派手な装飾は何もなかったが、いかにも質実剛健として機能的だ。というか、今住んでいる水月宮がレイモンでは例外なのだが、それでもここはアルマーザの育ったテントに比べれば雲泥の差だ。
そうこうしていると奥から慌てた様子の侍女がやってきて、三人を客間へと導いた。
そこでは既に頭に白い物が混じったがっちりとした男性が待ち構えていた。
間違いなく彼がコーラとクリンの父親のバローレス氏だが……
「申し訳ございませんでしたっ!」
彼がいきなり膝をついて彼女たちに謝ったのだ。
「えっと、その……」
その勢いに押されて三人が口ごもっていると、バローレス氏は凄い勢いで喋り始める。
「皆様方がお怒りなのは承知しております! 救国の英雄であるメイ様に怪我をさせるなど、あやつめのしでかしたことはまさに言語道断。腹に据えかねているとは存じ上げますが、大丈夫でございます。ご安心を。もはや二度とメイ様に仇なすことのないよう、あやつめはこちらで厳重に処分いたしますので、どうかそれでお許し願いたい!」
聞いたメイがちょっと青ざめる。
「え、ちょっと、処分って……」
「もちろん辺境送りでございます」
「辺境……送り?」
バローレス氏はうなずいた。
「はい。辺境ではいろいろと治安が悪く、危険な動物もよく現れます。それ故にレイモン軍では辺境警備隊を組織しておるのです」
「辺境警備隊って……でもクリンちゃんは女の子だし……」
「いえ、女でも伝令だの輜重だのとできることは多々あります故」
確かにレイモン軍には結構女性兵士がいた。
彼女たちは前線で直接戦うことはしなかったが、後方支援の分野には結構な頻度で混じっていたのだ。アキーラ解放作戦が上手くいったのは、そんな彼女たちの存在も大きかったのだが……
「えっと、でもそんな所に行ったらいつ帰ってこられるんですか?」
「さあ……」
「さあって……」
「早くとも十年はかかりましょうか。だからこその辺境送りで……」
「えー? ちょっとそれって……」
メイが慌てて断ろうとするが、それを聞いたバローレス氏が逆に青ざめた。
「もしや……そのような生ぬるい処分では許せぬと?」
「はいぃ?」
彼は再びひざまずいて頭を下げる。
「それでしたらもうあやつの身柄はお引き渡しいたしますので、存分にご処罰なさってください。どのようになろうとこちらは全く関知致しませんので!」
「いや、だからそうじゃなくって! あたしのせいでクリンさんに怪我をさせてしまったから……」
メイの声が半分悲鳴がかっているが……
「それこそ自業自得という物。メイ殿を傷つけたことに比べれば、まさに些細な話でございます」
彼の方も全く聞く耳を持たない。
「いや、私だって大した怪我じゃなくって、それにあのとき馬車を操ってたのは私だし、クリンちゃんが喜ぶからちょっとスピードを出しすぎただけで……」
バローレス氏の目がまん丸になった。
「あやつが煽って……メイ様を事故らせたということですか⁉ なんとまた卑劣な真似を……」
「だーかーら、違うんですって! 私が謝りに来たんです‼ クリンちゃんを怪我させてしまってごめんなさいって‼‼」
………………
…………
バローレス氏はぽかんとしてメイを見つめた。
「……何ですと?」
「いや、だから謝ろうって……」
「……何とお優しい……あのような愚か者を哀れんで頂けるとは……」
バローレス氏はぽろぽろと涙を流し始めた。
《あははは! なんかもう、すごいんですねえ、お父さんって……》
アルマーザ達は父親という存在を知らない。この間のパルティシオンもそうだったが、このバローレス氏も彼女にとってはひどく新鮮であった。
「だから、ともかく私は怒ってませんし、クリンちゃんに早く帰ってきてもらいたいんです。そして前みたいにお仕事をしてくれたらそれでいいんですが……」
「何と……それは真でございますか?」
メイが大きくうなずいた。
「もちろんです! だから怪我が治って復帰できるのはいつくらいになりますか?」
「そんなもの、メイ殿がお望みとあれば今すぐにでも」
「いや、だから……」
メイは何かを言おうとしたが、その前にバローレス氏は振り返って控えていた侍女に叫んだ。
「おい。クリンを呼べ!」
侍女はうなずいて即座に出て行く。
「えっと、だから……」
メイが口をぱくぱくさせているうちに、だだだーっと三角巾で左手を吊ったクリンが現れた。
「メイ様~~~」
そう言って彼女もメイの前にひざまずく。
「あ、クリンちゃん!」
そんな彼女にバローレス氏が言った。
「何とメイ殿はお前をお許しになってくれるそうだ」
「う~~ありがとうございます~~」
「いや、だから。ほら、せっかく仲良くなれたんだし、今後もずっといられた方がこちらもいいし……」
………………
…………
……
何やら不穏な間が開いた。
そして……
「ずっと……でございますか?」
バローレス氏が驚きの表情でメイを見つめる。
「え?」
何だか分からないメイ達に向かって、彼はまた大きく頭を下げる。
「承知いたしました。ではこやつをメイ殿に差し上げることに致します」
「は?」
「クリン。分かったな? これより一生、命を懸けてメイ殿にお仕えするのだ」
「分かりました! お父様!」
クリンが爽やかにうなずくが……
「ちょっと! 一生って何ですか? それに私、春になったらフォレスに戻るんですけど? 一緒に来ないといけないんですよ?」
メイが慌てて突っ込むが……
「はい、当然ですが?」
「よろしくお願いしますっ!」
バローレス氏はぽかんとしているし、クリンはまた大きく頭を下げる。
「いや、だから、その……」
メイが目を白黒させているが……
《いや、ちょっとこれって……》
さすがにちょっといきなりこの展開はどうかと思うのだが、しかし今ここで押し問答しても埒があかないかもしれない。
そこでアルマーザはメイに囁いた。
『あ、メイさん、ほら、向う側も興奮してるみたいだし、落ち着いて後でもう一度話すことにした方がいいんじゃないですか?』
メイもそれを聞いてはっとした様子で答える。
『え? あ、まあ、そうかな?』
『それにいざとなればアリオール様に相談するというのもありますし……』
『あ、そうよね』
そこでメイは大きく一息つくと二人に言った。
「ともかく、これについてはまた後でもう一度お話ししませんか?」
「え?」
「とても大切なことなので急に話を決めすぎても良くないと思うんですが」
「あ、それはまあ……」
「だからクリンちゃんはまずは腕をしっかり治してね。最終的な結論はそのあとにしましょう」
「はいっ!」
というわけでどうやらその場は何とか収まったが……
《あははは。どうなるんでしょうねえ……》
こんな展開になるとは想像もしていなかった。
そんな調子で三人はバローレス屋敷から戻ってきたのだが……
「しかし何だかメイさんの従者になる気満々ですよね。クリンちゃん」
アルマーザが尋ねるとメイが大きくため息をついた。
「うー。あたしの専属とかになっても仕方ないのに……」
「そうでもないんじゃ? メイさんだってもう有名人なんだし。それにサフィーナだって専属の護衛みたいな物でしょ?」
「え? サフィーナはほら、またちょっと……」
「ん……」
二人が赤くなるが―――まあ確かにメイがサフィーナを雇っているわけではないわけで……
とりあえず決定は先延ばしにしてきたが、少なくとも春になるまでには決めなければならないだろうし……
「でもクリンちゃんってすごくいい子なのよね……」
困ったことにその通りなのだ。
あの笑顔とか一生懸命な所を見ていると、無碍に断るというのも悪いような気がしてくるのだが……
「でも彼女のことを考えれば、心を鬼にしてお断りしておいた方がいいかもですが……」
「うー。そうよね」
三人がそんなことを話しながら水月宮に戻ってくると、入口のあたりでコーラがそわそわしながら待っていた。
「あ、コーラさん」
アルマーザが手を振ると、コーラがたたたとやってくる。
「あの……どうなりましたか?」
顔が少々青ざめているが……
「ともかく辺境送りはなくなりましたよ」
「そうですか……」
アルマーザが答えると彼女はいかにもほっとした様子だ。
「でもその代わりに、何でか一生メイさんにお仕えするとかいった話になってしまって……」
「えっ?」
コーラの目が丸くなる。
「何だかずっと仲良くしていたいって言ったら、そんな話になっちゃって……」
メイがそう説明すると……
「でもそれって名誉なことでは?」
コーラが不思議そうに答える。
《この子もそういう考え方なんですか?》
本当に自分ではそういうつもりはさらさらないのだが、ベラトリキスという冠はレイモンの人々にとってはどうも相当に重たいらしいのだ。
「だってあたし春になったらフォレスに戻っちゃうし、そうしたらもう滅多に会えなくなるのよ?」
しかしコーラは首をかしげる。
「でも、あたし達どこかに嫁いだらそんな感じになりますし。メイ様の所にいられるのならクリンだって嬉しいんじゃ?」
「あ? いや、でもそのね……」
そうなのだ。こちらでは結婚というのをした場合、女が男の家に行くと決まっているそうだ。
そしてそうなるとなかなか実家には戻れないことも多いらしい―――この間借りた本がそんな女主人公の話だったが……
「それよりも、あの子が行って本当にお役に立てるのかしら?」
彼女はそちらが心配そうだ。
―――と、そのときサフィーナがぼそっと言った。
「でも、クリンがいたらちょと嬉しいかも……」
「え?」
三人が彼女を見る。
「ほら、メイを守るとき、も一人欲しいって言ってただろ?」
………………
…………
アルマーザとメイは顔を見合わせた。
「あー? それじゃクリンちゃんが?」
「ん」
「でもそれって危ないでしょ?」
メイが心配そうに尋ねるが……
「でもコーラもクリンも剣、使えるよね?」
と、サフィーナがコーラに尋ねると……
「え? はい。多少は……」
彼女は素直にうなずいた。
「ええっ? そうなの?」
メイが驚いて尋ねるが……
「はい。武人の娘なのだからその程度はと小さい頃から……」
それを聞いたメイが振り返って尋ねた。
「サフィーナ、聞いてたの?」
「んにゃ?」
彼女は首を振る。
「じゃあどうして分かったの?」
「だって足捌きがそうだし」
………………
…………
確かにアルマーザも、彼女たちの歩く姿は何だか綺麗だなとは思っていたが……
「んで、どっちが強い?」
サフィーナが尋ねると……
「えーと、まあどっちもどっちですが……」
「それじゃちょっとあたしと立ち会ってみて」
「え? 私がですか?」
コーラが目を見張る。
「クリンとどっこいどっこいなんだろ?」
「まあ……」
そこで四人は一旦メイの部屋に戻った。部屋の隅にはサフィーナの練習用の薙刀や木剣が置いてある。
「使えそうなの、あるか?」
「えっと……じゃあこれを」
コーラは迷わず短めの木剣を手に取った。
《へえ……本当に使えるんですか?》
それから一同はいつもサフィーナがアウラと練習している庭に出た。
「あの……この格好でですか?」
コーラはメイド服を身に纏ったままだが……
「実戦だったらそれが普通だ」
「あ、はい」
また彼女は素直にうなずく。
そこでサフィーナが薙刀、コーラが木剣を手にして向かい合った。
《うわ、結構様になってますね……》
コーラの構えはすらりとして美しい。確かに経験者のそれだ。
「んじゃ……」
そう言った途端にサフィーナがいきなり打ち込んでいった。
「きゃっ!」
慌ててコーラがそれをはじくが、次々に飛んでくるサフィーナの打ち込みを防ぐだけで精一杯だ。
やがて彼女は庭の端に追い込まれてしまった。
「こ、降参ですぅ!」
「あ、うん」
サフィーナが薙刀を収める。
「ですので、多少と……こんなのではお役に立てませんよね?」
ところがサフィーナは首を振った。
「んにゃ? これなら何とかなる」
「ええっ?」
それには他の一同もびっくりする。
そこでサフィーナが説明する。
「コーラは最初のもかわしたし、そのあとも何とか受けきってるし。クリンもこのくらいならできるんだろ?」
「え? まあ、できるとは思いますが……」
コーラが曖昧にうなずくが……
「クリンはなあ、メイを敵の攻撃から守らなきゃならないんだ。そうやって受けててくれたらその間にあたしが間に合うから」
「そうなのですか?」
「ん」
「まあ……」
コーラが嬉しそうに笑った。
《ああ、確かにそれはそうですよね……》
サフィーナがいるのであれば敵を撃退できずとも、ある程度時間が稼げればそれでいいのだ。
「確かにこんな風に腕の立つ人は貴重ですよね。メイさん」
身の回りの世話ができるだけならそんな人材はごまんといるだろうが、更に腕が立つなるとその数は限られてくるだろう。
アルマーザがそう言うとメイもうなずいた。
「あ、うん。それはそうなんだけど……でもやっぱりフォレスは遠いから、じっくり考えてから結論を出して欲しいんだけど……」
「承知しました。伝えておきますので」
確かに彼女がいたらサフィーナの悩みの一つは解決しそうだが―――ここにも一人、人生の転機を迎えようとしている娘がいたのだった。
それから二日後の夜のことだ。
「シアナ様~! これ片付けちゃいますよ~!」
「ふあ~い」
今日もまたファシアーナは自室で酔っ払っている。アルマーザは空の酒瓶とグラス、それに夜食の入った盆を持って流し場に下げに行った。
《何てか、飲んだくれてなければわりとカッコいい人なんですけどねえ……》
このような面ばかり見ているので今ひとつ信じられないのだが、都の魔導師達にとって彼女とはまさに畏怖すべき存在だった。
《何か態度が全く変わるんですよね……》
こちらにやってきているのは都でも一流の魔導師ばかりなのだが、そんな彼らがファシアーナの姿を見ると一様にぴたりと畏まってしまうのだ。
そしてそんな彼女と懇意なアルマーザに対しても妙に丁寧だし……
《あたしは関係ないと思うんですけどねえ……》
そんなことを考えながら水月宮の玄関ホールに差し掛かったときだ。
「あっ! アルマーザ様っ!」
何やら聞き慣れた声がするが―――見ると大荷物を抱えたクリンだ。
相変わらず左手は吊っているが、右手で大きなカバンを下げて、背中には剣を担いでいるのだが……
「クリンちゃん? どうしたんです?」
思わずアルマーザが声を掛けると、彼女は満面の笑みで答えた。
「メイさんをお守りしに来ましたっ!」
「はいぃ?」
いったい何の話だ?
「姉ちゃんから聞きました! サフィーナ様がメイ様をお守りするために手伝って欲しいとおっしゃってるって。だからやってきましたっ!」
は? 確かにサフィーナはそのような話をしていたような気がするが―――でもあれは襲われるような事態になった場合にどうするかの話であって、今来られてもどうしようもないのだが?
「で、その剣は?」
「お父様がだったらこれを使えと下さったんです!」
………………
…………
《コーラさん、いったい何話したんですか?》
彼女は明日が休みなので、今日の夕方実家に戻っていた。そこでクリンに先日のことを話したのだろうが、どう考えても正しく伝わっていないような気がする……
「えっと、クリンちゃん? 今ここでメイさんが襲われるようなことはないから大丈夫なんだけど……」
「え? そうなんですか?」
アルマーザは脱力した。
「当たり前でしょう? この後宮に侵入することなんて簡単にはできませんから。分かるでしょ?」
「でも……」
「それにまだ怪我、治ってないじゃないですか?」
「あ、それなら相手の攻撃を身を呈して守るくらいのことはできますから!」
あー……
《何か思い込んだら一直線の子なんですねえ……》
アルマーザはため息をついた。
それはともかく……
《えっと、それでどうしましょう?》
もう夜も更けている。このまま帰れというのも可哀想だ。
レイモンの侍女たちには専用の宿舎があって普段はそこに寝泊まりしているのだが、こんなに急ではそこでも準備ができていないだろう。
「あー、じゃあしょうがないから今晩はここに泊まっていってください。今後どうするかは明日メイさんと相談しましょう」
「分かりましたっ!」
クリンがキラキラと輝く目で答える。
《えーっと……それで部屋をどうしましょうか……》
水月宮の各部屋はそれこそクリンやコーラの手でいつでも泊まれるように整えられていた。しかし侍女の立場で客室を使ったと知れたらまた怒られてしまうかもしれないし……
「あ、じゃあここにしましょう」
アルマーザが案内した部屋を見てクリンが目を輝かせる。
そこはメイとサフィーナの部屋に隣接した控えの間だ。もし本当に彼女がメイの専属従者となったのなら、ここが彼女の居場所になる。
「うわあ! ありがとうございますっ!」
「あ、それからもうメイさんもサフィーナも休んでるから、静かにしててくださいね。色んな物の場所は分かりますよね?」
まさにクリンが踊り出しそうな様子なので、こう釘を刺しておく。
「はいっ! もちろんですっ!」
ともかく今晩はゆっくり休んでもらって、明日どうするかを考えることにしよう。
《ま、このくらいサービスしていいでしょ》
彼女が一生懸命なのは確かだし、間違いなくメイの命の恩人でもある。
というわけでアルマーザも自室に戻った。
夜も更けていた。
同室のアラーニャは既に寝息を立てている。
《あは アラーニャちゃん、いつ見てもカワイいなあ……》
彼女の寝顔も最高なのだ。
それからアルマーザも寝衣に着替えると自分のベッドに潜り込む。
そうしてしばらくうとうととしたときだ。
「メイ様ぁぁぁぁっ!……ひやぁぁぁぁぁ!」
ガッターン!
「きゃああああ!」
「あん? なんだお前! クリン?」
《え?》
アルマーザは飛び起きた。
それからガウンを引っかけるとメイの部屋に走る。
「えっと、どうしたんです……って……」
彼女がそこで見たのはひっくり返ったサイドテーブルに、その横で抜き身の剣を握って腰を抜かしているクリン。その向こうには―――全裸のサフィーナが、同じく全裸のメイをかばうように立っていた。
「何でクリンがいる? その剣は?」
サフィーナがクリンに尋ねているが、クリンはあわあわと言葉が出てこない様子だ。
そこで代わってアルマーザが答えた。
「いや、さっきいきなりやってきて、今日はもう遅いからと泊めてあげたんですよ」
「はあ?」
サフィーナもメイも訳が分からないという表情だが―――まあ当然だが。
「それより、どうしてこうなってるんです?」
アルマーザが尋ねるとメイが答える。
「いや、ほら、ちょっとサフィーナが上手だから、その声が出ちゃって……そしたらいきなりその扉が開いて、クリンが飛び出してきて……」
アルマーザはなんとなく事態を理解した。
「あー、ほら、多分それ、メイさんが悲鳴を上げたって思ったんですよ。きっと。それで助けに入ったんでしょ?」
クリンはうんうんとうなずいた。
「どゆこと?」
サフィーナがぽかんとしている。
そこでアルマーザは説明した。
「ほら、この間クリンちゃんにメイさんを守ってもらう話したじゃないですか」
「え? うん」
「それを多分今日、コーラさんが話したみたいなんですが、それで今すぐメイさんを守るために必要だって勘違いしたみたいで、それで今日来ちゃったみたいなんですよ。その剣もそのためにお父さんがくれたそうで」
「はあぁ?」
「はいぃ?」
メイもサフィーナもぽかんとしているが―――まあ、それは仕方ない。それよりも……
「あー、ちょっとその、服着てもらった方が……」
「あ!」
「あっ!」
二人が今の姿に気づいて慌ててガウンを引っかける。
「クリンちゃんも立てますか?」
「あ、は、はい……」
アルマーザが話しかけると、クリンも慌てて立ち上がったが―――まだ抜き身の剣を握ったままだ。こうして見るとなかなか上等そうな剣だが……
「それから剣もしまって」
「あ、はい……」
それからアルマーザは二人に向かって……
「えっと……それからどうしましょうね? 夜も遅いし今日はあの部屋に泊まってけって言っちゃったんですが……」
そう言って扉が開け放たれている侍女の控えの間を指さしたのだが……
「えっと……」
「ん~……」
二人が何やら絶句しているが……
《あはは。やっぱ途中でやめろとかいうのは可哀想ですよね》
そこでアルマーザはクリンに手招きする。
「あはは。やっぱり部屋変えましょうね。それじゃクリンちゃん。こっち来て」
「はいぃ……」
クリンは呆然とした様子で従った。
《新しい部屋はなるべく遠くの、喘ぎ声とかが聞こえない所じゃないとまずいですよねえ……》
彼女は体は大きいがまだ十五才なのだ。あの光景はちょっと刺激が強すぎたに違いないわけで……
《えっと……今日はフィンさんは来てないし、ミーラ様の所にアウラ様は行ってないし……》
この水月宮の夜は怪しく華やいでいることが多い。しかし今日ならメイの部屋の近くでなければ大丈夫そうだが……
《でも、ま、あたしの部屋の近くなら確実でしょ》
今日はアラーニャは先に寝てしまっているから、彼女たちがクリンをびっくりさせることはないわけで……
《しかし、十五才っていったら……あはは!》
ヴェーヌスベルグの娘たちはそのくらいの年になるとお姉様方から色々な手ほどきを受けることになるわけだが、もちろん初めてのときはしばらく体がカッカして寝られなかったりしたわけで……
《あ、でもこれで諦めてくれたらもしかして色々解決?》
と、アルマーザは思ったが―――クリンの決意の固さはその程度ではどうにもならないのであった。