ベラトリキス最後の作戦 第8章 ベラトリキス最後の作戦

第8章 ベラトリキス最後の作戦


 それから数日の後、アキーラ城の小広間ではエルミーラ王女主催の小夜会が行われていた。

 主賓はアイフィロス王国のアルウィス王子とヴェンドリン王子である。

 広間の中央には大きな円卓が置かれて、その周囲には王女と王子達の他に着飾ったアウラとメイ、そしてアーシャが座っていた。

 王女達の後方にはリモンとサフィーナがフォレス親衛隊の制服を着て控えている。

 リモンの方は泰然としているが、サフィーナは何やら落ち着きがない。

《ぷふっ! サフィーナったら緊張してますね?》

 彼女は今後フォレス王家に仕えることになるが、今回が正式の初仕事になるのである。

 そしてその周囲でもてなしている侍女達に混じって、アルマーザ、リサーン、ハフラそしてルルーの顔があった。しかし彼女たちはティアによって念入りに地味メイクをされていたので、顔バレする心配はほぼ無かった。

《それにさっきからアーシャの胸とかに目が釘付けだし

 エルミーラ王女がせっかくだからと、あの式典の“サブヒロイン”だったアウラとアーシャを同席させていたのである。

《アウラ様もこうやって座ってるとまさに貴婦人なんですよねえ。喋らなければ……ってか、そりゃアーシャも同じだけど。ぷっ》

 というわけで王子達やその従者達の視線はその三人に集中していて、他の侍女や秘書官などは完全にスルーされていた。

《ま、計画通りなんですけど……》

 これでアルマーザ達が安心してあたりを監視できるわけで―――と、もちろんこれは“ベラトリキス最後の作戦”の一環であった。


 ―――あの後、水月宮でベラトリキスの作戦会議が開かれた。

《あはは! 何かみんな目がキラキラしてますね?》

 久々の全員集合だ。こうやって揃ってみると解放作戦のときのように何かわくわくしてきてしまうが……

「……でもそんなので血を分けた兄弟を殺したりするのかしら?」

 アカラが不思議そうに首をかしげているが、それに答えたのはフィンだ―――もちろんこのような大切な作戦だ。彼に来てもらうのは当然である。

「王家っていうのはどこでもそういうことはあり得るんだ。特に今のアイフィロスなら全然不思議じゃないな」

「そうなの?」

 そこでフィンが説明を始める。

 アイフィロス王国は元々都との関係が非常に深く、ベラ派のシルヴェスト・サルトスとは長年敵対する間柄であったが、レイモンという共通の敵ができたおかげで小国連合に加わったという歴史を持っていた。

 アイフィロス王国で特筆すべきことは、その王家や貴族の間では都の公家との関わりというものが非常に重要視されていたことだ。

 そもそもアイフィロス王家そのものが白銀の都の大公家の一つ、マグニの一族に由来している。その他の貴族もそれなりに都の公家の血筋を引いていて、それがどこかということが家系の重要なステータスとなっていた。

「……だからル・ウーダって名乗ってこの紋章とかを見せれば、まああの国なら住む所には困らなかったんだけど」

 そう言ってフィンは家紋のついた短剣を見せた。

「でもそのおかげで、あの国で王侯貴族が結婚するときは、その血筋の優劣ってのがすごく幅をきかせてて、何てかすごく面倒なことになってるんだよな」

 現在のアイフィロス王家では世継ぎのアルウィス王子の母后は小公家のヴァリノサ系、その弟ヴェンドリン王子の母后は大公家のマグニ系―――ただし国王の家系に比べればかなり末席の分家ではあったが―――というわけで、都の格式では後者の方が段違いに高かった。

 そしてヴェンドリン王子の母后は非常に気位の高い人で、常々そのことに不満を漏らしていたという。

 と、それを聞いていたメイが王女に言った。

「そういえばヴェンドリン王子って王女様の婿候補でしたよね」

「あらまあ、そんなこともあったわねえ」

 王女が何やら遠い目で答えているが……

「あは。そういえばフィンさんもそうでしたよねえ」

「あ?」

 フィンの目が丸くなるが―――それを見た王女がニコッと笑う。

「まあ……でもその方はどこぞで煮え油をかけられて揚げ焼きにされていたのでは?」

「あ、そうでしたね。じゃあもう無理ですね

「…………」

 そんな与太話はともかく、アイフィロスなら現在進行形でそういう話が起こっていても不思議ではないということだ。

「んじゃともかくそのヴェンドリン派がアルウィス王子を殺す理由はあると?」

 リサーンの問いにフィンがうなずいた。

「そうだな。王子がどこかで事故死でもすれば、もちろん王位継承権はヴェンドリン王子に行くわけだし」

「でもそれでこんな強引なことをする?」

 リサーンの問いに娘たちが口々に話し始める。

「そうよねえ……強引ってか、サルトス兵に偽装したってのがもう不思議なんだけど」

「それって顔が見られないようにするためでしょ?」

 確かに彼らは庇のある兜をかぶっていたため、シャアラもアカラも顔はよく見ていなかった。

「それはそうだけど、でもどうしてサルトス兵なのかってこと。別にレイモン兵でも良かったんだし」」

「そうよねえ。あの頃はサルトス軍ってみんな帰っちゃった後だったわよね?」

 事件当時サルトス軍は既にシフラに戻っており、アキーラに残っていたのは公使と少数の伝令部隊だけであった。そのサルトス人がわざわざ軍服を着て他国の王子を襲うなど正直あり得ない話なのだが……

「黒幕がアイフィロスとサルトスの仲を裂きたいと思っていたとしても……これじゃあまりにも不自然ですよねえ」

「ああ……確かに」

 メイの問いにフィンもうなずく。

「ってか、あんな風にいきなり襲いかかるんじゃなくって、とりあえず言いがかりでもつけて、喧嘩になってつい殺しちゃったって形にしないとダメなんじゃないの?」

「そうよねえ」

 リサーンの言葉に一同はうなずく―――そうなのだ。これは暗殺事件にしても何だかすごく杜撰な気がするのだが……

「その黒幕が単にサルトスが嫌いだったとか?」

 シャアラの問いにフィンが首をかしげる。

「んまあ、アイフィロスとシルヴェスト、サルトスは元々仲が悪いし、特にサルトスは田舎って見下していたのは間違いないだろうけど……」

「あー、それじゃあのイービス様を見て舐めてるとか? 何かのほほんとしてるし……」

 途端にエルミーラ王女がぷっと吹き出した。

「だったらその黒幕とやらは大馬鹿ですね。あの方、正直言って底知れないですよ?」

「あはは。あのアラン様の姪なんですよね」

 メイも笑ってうなずく。

「ええ。私ならもうとりあえずは絶対敵に回したくありませんけど」

「でも、敵がバカならばやりやすくていいんじゃないんの?」

 アカラの問いにシャアラが首を振る。

「そりゃそうだけど……でも舐めてはかからない方がいいよな?」

「分かってるけど……それでその敵をどうやっておびき出すの? あたしたちがもう一回密会すればいいのかしら?」

 ハフラがうなずいた。

「そんな感じかしら? でも、密会相手がベラトリキスのシャアラとアカラだなんて分かったら、それでも襲ってくるかしら?」

 一同はしばし考え込むが……

「あー、そんなことしたら……今度はレイモンをガチで敵に回すことになるわよね?」

「あはは。そりゃビビるよな。きっと」

「それじゃどうするのよ?」

「えーっと……」

 一同は首をひねる。そこでリサーンが……

「えーっと……それじゃあの日ケンカしてたのはこの二人じゃじゃなくって、普通の町娘だったってことにしたら? 相手はあんたたちの正体を知らないわけだし」

 しかし……

「町娘がサルトス兵だか何だかを撃退したの?」

「あー……」

 アカラに尋ねられてリサーンが頭を抱える―――と、そのときサフィーナがぼそっと言った。

「でもコーラもクリンも結構強いぞ?」

「え? あ! それよ!」

 リサーンがびしりとサフィーナを指さすが……

「えー? コーラとクリンに密会させるの?」

 アカラがまた首をかしげるが……

「いや、だからあの学校に行ってる娘って設定にしておけばいいのよ。あくまで設定で、実際にはシャアラとがが行ってもいいんだし」

「おお! ナイス!」

 というわけで市場で王子達を助けた娘たちの正体は、ヴァレンティア学院の女子生徒ということになった。

 だが……

「でもそのちょっと強いけど普通の町の女の子が、どうやって王子様と連絡を取るの?」

「え? だってこの間手紙を届けてくれた子の学校なんだから……」

「ホリーさん経由で? でもそれだと彼女、危なくなったりしないかしら?」

「え? あ……」

 アルウィス王子の身辺は敵に見張られているとみるべきだった。そこに彼女を介して何度もやりとりをしていたら、その子が巻き込まれる危険性は否めない。

 一同は考え込んだ。確かにそうすればコンタクトは取れるだろうが、基本無関係の娘が敵のまっただ中にいるわけで―――とそのときだ。エルミーラ王女が顔を上げる。

「あ、そういえばメイ、さっきヴェンドリン王子が私の婿候補だって言ってたわね?」

「はい? 言いましたけど?」

「そうそう。それなら私が王子様達を招いたって不思議じゃないわよね……というより、どうして忘れてたのかしら。こんな機会滅多にないっていうのに

「えーっ? 王女様、ヴェンドリン様と結婚する気なんですか?」

 メイが目を丸くするが……

「まさかあ……いやでも、あら? わりと悪くないかしら?」

「えーっ⁉」

「だって大皇后様とはもうお友達だし、レイモンだってそうだし、シルヴェストとは前から友好国だし、メイはサルトスの女王様とお友達だし……ほら残るのはアロザールとアイフィロスだけじゃない」

 メイは一瞬絶句するが……

「えーっ。いや確かに。でも……」

 王女がまた怪しい笑みを浮かべる。

「ふふっ。それって向こうにとっても言えるんじゃない? 今ならもう田舎の変態王女じゃないんだし ならばこちらからお招きしたら絶対来てくれるわ!」

「確かにそれはそうでしょうけど……でもヴェンドリン様と会ってどうするんですか?」

 王女はニコッと笑った。

「え? 私は今、王子様“達”って言わなかった?」

 再びメイの目が丸くなる。

「えーっ⁉ じゃあアルウィス様も一緒に招くんですか?」

「だって、相手なら別にアルウィス様でもいいじゃない? それにもしかしてそうなったらヴェンドリン王子が国を継いで八方丸く収まったりして……」

「………………」

「ふふ。ともかくどうなるか、まず品定めしてみないと。そうでしょ?」

「あー、まー、そーですがー……」

 というわけでエルミーラ王女がアイフィロスの二人の王子を招待して夜会を開くことになったわけだが―――


 宴はたけなわであった。

 円卓を囲む王女達と客人の前には見事な料理が並んでいる。それには間違いなく美食に慣れていると思われる王子達も目を丸くしていた。

「いかがでございますか?」

 エルミーラ王女がにっこり笑いかける。

「いえ、まさにこれは絶品と申し上げるしかございません」

 アルウィス王子が感服したように言った。それを聞いてメイが説明を始める。

「あー、そうなんですよ。私こちらの料理長さんとも親しくさせて頂いているのですが、何でもその方の師匠がバシリカの宮廷料理長をしていたこともあるという方みたいで」

「ほう。そうなのですか……」

「レイモンというのはそれまでは正直田舎だったみたいで、こちらの郷土料理といえばシンプルなステーキとかシチューで、パンも黒いのだったりするんですよ」

「ああ、確かにそのようなイメージはありましたね」

 ヴェンドリン王子が相づちをうつ。

「でもルナール王がウィルガを滅ぼして併合した後は、バシリカから料理人がやってきて、こんな立派な料理が出せるようになったそうなんです」

 メイが王子達に向けて料理のウンチクを話し始めたが……

《さて……作戦開始ですね?》

 この夜会の目的はもちろん、アルウィス王子の敵をおびき寄せるための第一段階であるが、この料理のウンチクというのが作戦開始の合図なのである。

 もちろんそのことはヴェンドリン王子は知るよしもないことだ。

 だがアルウィス王子の方は、もしかしてあの事件に関わっているのでは? と、内心は疑っているに違いない。王女の意図に関しては皆目見当がついていないだろうが……

 実際ヴェンドリン王子の方は素直にこの場を楽しんでいるようだが、アルウィス王子の方は何やら落ち着きがないのが見て取れる。

《それはそうと二人とも真剣ですよね?》

 王子達はエルミーラ王女に対してまさに高位の貴婦人に対する態度で接していた。その眼差しにはこの機会は絶対に逃さないぞという意気込みが感じられる。

《何かそれまでは散々だったみたいですけど……》

 あのときも王女は自分のことを田舎の変態王女とか言っていたが、後からメイに聞いたらこちらに来るまでは本当にそんな評判だったのだという。

 しかも彼女はフォレスの王位を継いで女王となることを宣言しており、そうなれば彼女と結婚する男は王婿(おうせい)という何やら微妙な立場にならざるを得ないというのだ。

 そしてとどめに彼女には既に子供がいるのだ。その父親がなんとベラ首長国の国長様だというのだが……

『そんなややこしいコブ付きの姫のところに、まともな縁談なんて来ないんですよ。普通……』

 と、メイも苦笑いしていたのだ。

 ところが今やエルミーラ王女は“暁の女王”という字で知られており、レイモンと都そしてベラにまで強力な人脈があり、更にはベラトリキスの活動の実質的指導者であったことも知る人ぞ知るのだ―――そんな姫と結婚できれば王婿とはいえ、むしろ小国の国王となるよりも価値が高いのでは?

 そしてフォレス王国の側もアイフィロス王国との関係が深まれば大いに利益があった。

 これまでは旧界―――すなわちフォレス、ベラ、エクシーレの領域の貿易相手は主にシルヴェストやサルトスであったが、その市場がアイフィロスや都にまで広がれば、その交易の仲介で儲けているフォレスも多大な利益があげられるのだという。

『多分あちらの方々も悩んでるでしょうね? ふふっ

 エルミーラ王女がそんな風に黒く笑っていたが―――確かにこうなってみるとアイフィロス王国の王位とエルミーラ女王の婿のどちらが得かは、俄には判断がつけがたくなっていたのだ。

 宴の場ではメイがレイモンの料理に関して話し続けていた。

「でも古くからのレイモンの人は、そんな軟弱な食い物は食事じゃない! とか言ってたそうで……アリオール様から聞きましたが、お父上のガルンバ将軍もそう言って白いパンは食べなかったそうなんですよ」

「あはは。あの方ならさもありなん……」

 アルウィス王子が笑う。

《あはは。さすがに王子様ですね。何てかその辺の男とはやっぱり何か違いますよね?》

 ベラトリキスのエルミーラ王女の相手ともなると、大抵の男はガチガチに緊張しているのが端からも分かったものだが、彼もヴェンドリン王子もまさに自然体だ。

 そんな彼らを前に、メイもいつもの調子で話し続ける。

「そんな風だったんで、ウィルガからやってきたパン屋さんとか、最初は結構苦労したらしいんですよ?」

「そうなのですか?」

「はい。だから……ほら、実は市場に有名なお菓子を出す粉屋さんがあるんですが……」

 それを聞いた途端にアルウィス王子が派手にむせた。

「げほっ!」

「あ、いかが致しましたか?」

 エルミーラ王女が声をかけるが……

「いえ、ちょっとむせてしまいまして……大丈夫です」

 と、そこで近くに設けられていた側近の席から、体格の良い若者が駆け寄ってきてハンカチを手渡しながら、王子に二言三言話しかけた。

 彼がオトゥールという従者なのは、こっそりと隠れて見ていたシャアラとアカラが確認している。

 そして横にいたヴェンドリン王子も何やら動揺しているようで、目が泳いでいる。

《これって……間違いないですか?》

 アルマーザがちらっと王女の顔を見ると、彼女の口元にも何やら楽しそうな笑みが浮かんでいた。

 メイもそれをちらりと見てから話を続ける。

「あ、それでその粉屋さんなんですけど、ウィルガから来て店を出したんだけど全然売れないんで、苦肉の策としてその場でお菓子を作って出すことにしたそうなんです」

「ほほう……」

「それが若い女の子とかの間で人気になって、それからなんだそうですよ。白いパンとか、あと、こんなホワイトソースがけのお料理とかが普通に食べられるようになったのは」

「そんなことがあったのですか」

 アルウィス王子がうなずくが―――と、そこでエルミーラ王女がふと思い出したような様子で言った。

「ああ、そういえばメイ。その粉屋さんでしたっけ? あのケンカの話は」

「あ、そうですけど?」

 二人の王子は吹き出したりはしなかったが、まさに虚を突かれたという表情だ。

 しかし王女はそれには気づかない様子で話し始めた。

「あ、ケンカというのは、こちらに務めていた侍女から聞いたのですが、何でもその粉屋に来ていたお客が兵隊とケンカを始めてしまったそうで」

「ほう……」

 ヴェンドリン王子が平静を装った様子で相槌を打つ。

「ところがそれを仲裁したのが、その子の先輩の女生徒だったとか」

「女生徒……ですか?」

 王女は大きくうなずいた。

「そうなんですよ。その子、ヴァレンティア学院に行ってるそうなんですが、一年先輩の女生徒が二人そこに居合わせて、そのうちの一人が兵隊に小麦粉の袋を投げつけたのでケンカはうやむやになってしまったそうなのですが……あたりが小麦粉だらけで大変なことになってしまったとか」

「兵隊相手にですか? なんと勇敢な……」

 アルウィス王子が相槌を打つが……

《あら? 王子様、話を合わせてきましたよ?》

 彼ならば王女の話が実際と違っているということは一番よく知っている。王女も彼に向かってにっこり笑った。

「そのヴァレンティア学院なんですが、レイモンの武官の師弟を教育する学校らしくて、そこでは男子生徒も女子生徒も剣とか武道を習うそうなんです」

「ほう……しかし女生徒が、ですか?」

 ヴェンドリン王子が信じられなさそうな表情だが……

「だってレイモンの方々ならあまり不思議ではないかと。私どももアキーラを解放するまで、多くのそのような勇敢な女性の方々に協力して頂きましたし」

「ああ、確かにそうですね。レイモンの女性がいなければ、あのような偉業が成し遂げられることありませんでした」

「素晴らしい方々なのですね」

 そんな相づちを打ちながらも、二人とも顔がこわばっているのがこちらから見ればよく分かる。

《さて、それじゃ……》

 アルマーザが王女を見ると、彼女がちらっとメイに目配せして席を立つのが見えた。

「あ、ちょっと失礼致します」

 それから王女がアルウィス王子の横を通り過ぎる際に思わせぶりに微笑みかける。

《さて、王子様はこれに気づきますかねえ?》

 気づかないほどのバカなら死んでも仕方ないんじゃ? ということになっているが……

 だがそれを見た王子の表情が変わる。どうやら王女の意図に気づいたようだ。

 と、そこでメイが言った。

「あ、それでお二方は祈念式典にはいらっしゃったんですよね?」

「あ、それはもちろん……」

 ヴェンドリン王子が答える。

 するとメイがアウラとアーシャの方に手を差し伸べながら言った。

「二人の舞、いかがでしたか?」

 ヴェンドリン王子が大きく頷いた。

「いや、それは見事な物でした。あれほどの物は見たこともございませんよ」

「ありがとうございます。あ、でもあのときは結構ひやひや物だったんですよ?」

「ひやひや物とは?」

「実は舞の練習の途中で、アウラ様の錫杖がアーシャさんの頭に当たってしまって」

「えっ? あれが……ですか?」

「そうなんですよ。おかげでアーシャさん完全に伸びちゃって……」

 ―――というようにメイがヴェンドリン王子向かって練習の裏話を話し始めた。

 その隙にアルウィス王子が手洗いに行くような様子で立ち上がった。

 ヴェンドリン王子はすぐにそれに気づいたようで、ちょっと眉をしかめると近くにいた従者に目配せするのが見えた。その従者も軽くうなずくと同様に手洗いに行く風に立ち上がった。

《あは。これも計画通りですか?》

 見回すとリサーンやハフラ、ルルーなども、それとなく配置を変えはじめている。

 そこでアルマーザも自分の位置についた。

 彼女の場所はかがり火が焚かれたバルコニー脇の窓の近くだ。

 そしてしばらく待っていると―――バルコニーにエルミーラ王女とアルウィス王子が、ちょっと夜風に当たろうかといった様子で現れた。

 この時期このあたりは気温の寒暖が激しいのだが、今日はかなり暖かく風の心地よい夜だ。

《メイさんとか三月に夜風⁉ とかびっくりしてましたが……》

 フォレスとは大変寒い所らしいが―――それはともかく見ていると先ほどのヴェンドリン王子の従者が周囲を伺いながら現れる。そしてバルコニーに面した窓の前にあった大きな観葉植物の鉢の陰にこっそりを忍び込んだ。

《うんうん。上出来ですよ?》

 その場所はいい感じに陰になっていて、バルコニーでの密談を盗み聞くには何故かとても適している場所だったのだが―――もちろんそれは“敵”に話を聞かせるための仕掛けで、昨日ずいぶん時間をかけてセッティングしておいたのだ。

 そしてアルマーザの場所からだとそこを観察することができるのだが、向こうからはこちらはほぼ見えない。

 と、王女が何かを指さしながら、ちらっとこちらを見た。

《スタートですね?》

 アルマーザはOKのサインを送った。

 王女は軽くうなずくとすっとアルウィス王子の横に移動して、夜景を鑑賞しているかのようにバルコニーの手すりに寄りかかった。

《さあて……》

 見ていると―――アルウィス王子がピクリと何か驚いた様子を見せる。

 それからエヘンエヘンと二回咳払いした。

《おーっと……》

 そして彼は何やら小声で王女に話し出したようだが、口元は見えるが声は聞こえない。

 しかし聞いていた王女がいきなり驚愕した様子を見せると……

「え? あそこで襲われていたのがアルウィス様なのですか⁉」

 王子がまた小声で何か言うが……

「あら、ごめんなさい。でも一体誰に……」

 王女も声を顰めるが、彼女の声はぎりぎり聞き取れる。

「ああ、まだなのですか……でも心配ですよね。それでは何でもおっしゃってくださいな。協力できることは致しますから」

 王子が少し驚いた様子を見せる。

《お? アルウィス様、ぶっつけ本番の割には……》

 アルマーザが少々感心していると……

「もちろんですよ」

 王女がうなずいて、それから少し首をかしげる。

「え? 連絡ですか……それなら私宛に文を送って頂ければよろしいのでは?」

 王子がまた驚いた様子だが……

「だっていきなり私からではおかしいでしょ?」

 王女様ももう―――楽しそうですね?

 そして王子が何かをつぶやくと……

「はい。もちろん秘密にしておきますわ」

 王女が小声で答え、それから軽く礼をするとその場を離れる。少し置いて王子もバルコニーを出ていった。

 その間、謎の人物はそれをずっと観察していたが、二人がいなくなるとまたコソコソとその場を離れていった。


 ―――もちろんそれは仕組まれたお芝居だった。場所のセッティングと同時に何度もリハーサルを行ったおかげで一昨日はほとんど徹夜になりかかったのだ。

 そのお芝居とは、まず最初にエルミーラ王女がアルウィス王子に以下のように書かれた紙片を見せたのだ。


あなたを襲った敵の正体を暴きたいとは思いませんか?

OKならば咳払いを二度して下さいませ。

それからこれからお見せする台本通りに話を合わせて下さいませ。

なお、既に見張られておりますから決して後ろは振り返りませんように。


 続いて見せた台本というのが以下のような代物だ。


実はあの娘たちの話なんだが、あそこで襲われていたのは私たちだったのだ。

え? あそこで襲われていたのがアルウィス様なのですか⁉

しっ。声が大きい。襲われたことは秘密なのだ。

あら、ごめんなさい。でも一体誰に……

まだ分からない。

ああ、まだなのですか……でも心配ですよね。それでは何でもおっしゃってくださいな。協力できることは致しますから

え? いいのか?

もちろんですよ。

しかし、姫とどう連絡をとれば?

え? 連絡ですか……それなら私宛に文を送って頂ければよろしいのでは?

え? 姫に?

だっていきなり私からではおかしいでしょ?

承知した。くれぐれもこのことは内密に。

はい。もちろん秘密にしておきますわ。


 何でも相手に唇が読める者がいるかもしれないからと、こんな仕儀になったのであるが―――ともかく、ヴェンドリン王子側がこれを聞いたら間違いなく何か行動を起こすことであろう。そうすれば……

《うふふふふっ!》

 確かにこれって王女でなくとも癖になってしまいそうである



 その数日後、アルマーザはアラーニャと一緒にカフェ・アルバーダでお茶していた。

「あー、やっぱここのって、美味しいですねえ」

「うん」

 ここにはつい先日来たのだが、あのときは話の途中で腰を折られてじっくりと味わうことができなかった。

 しかし今日はまだ十分時間に余裕がある。その間はこうしてのんびりとお茶とお菓子を堪能していられるのだ。

 そこにつつっとポットを持った金髪のウェイトレスがやってきた。

「お茶のおかわりはいかがですか?」

「あ、お願いします

 アラーニャが頼むと彼女が優雅な仕草でお茶をついでくれるが……

「あは。見事にハマってますね?」

「そう?」

 彼女がちょっとはにかむが―――もちろんその金髪のウェイトレスというのはリモンである。

 最初に聞いたときはちょっと驚いたのだが、彼女は元々エルミーラ王女付きの侍女だったという。それがアウラに薙刀を習って腕を上げた結果、今では親衛隊の主要メンバーなのだと……

《うーん……やっぱり一国の王女付きって、エリート中のエリートなんですよね?》

 少なくともその仕草には非の打ち所が無いわけで―――しかし聞けば彼女は決してそんなに身分の高い家の出ではないという。

《そういえばメイさんもそうでしたっけ?》

 いつかちらっと聞いたのは王女が何やら不埒なことをしでかした結果、彼女の元にはそんな従者しか来てくれなくなったとか何とか―――しかしこの二人を見ていれば、むしろそれがラッキーだったと思えてくるのだが。

 それはともかく、今現在このカフェ・アルバーダの中にはベラトリキスのメンバー以外はいなかった。

 アルマーザたちの他にあちらこちらに客として座っているのが、アウラとメイとサフィーナ、ファシアーナとニフレディル、ハフラとリサーン、アーシャとマジャーラとルルーなど。ウェイトレスがリモンで、一番奥の特等席に背中を向けて座っているのがアカラとシャアラだ。

 マウーナはそろそろ臨月なので留守番だが、ここにベラトリキスの実行部隊がほぼ勢揃いしていたわけだ。

 アカラとシャアラの向い側はまだ空き席だが、もちろんそこはアルウィス王子と従者オトゥールの予約席だ。

 だが……

《やっぱ、あれって変ですよねえ……》

 他のメンバーはそれぞれに似合うドレスやスーツを着用しているのだが、アカラとシャアラが著ているのはコーラやクリンの通っているヴァレンティア学院の制服なのだ。聞けば学院の生徒なら公式の場には制服を着ていくのが習慣なのだとか。

 そこで二人のために制服を調達してもらったのだが―――服に袖を通したシャアラとアカラの姿にクリンは目が点になっていたし、コーラもしばらく絶句したあげく『お、お、お似合いですぅ……』とかどもっていたし……

《確かにもう五歳若かったらあの二人でも何とかなったんでしょうが……》

 しかし今更設定を変えるわけにもいかず、こうして背中を向けて座ってもらっているわけだ。

 彼女たちがこんなことをしているのはもちろん敵をおびき寄せて一網打尽にするためだ。

《結構込み入ってるんですよね?》

 ぼけっとしていると自分でも混乱してくるのでここらで状況を整理しておくと……

 まず状況の“設定”として、エルミーラ王女はコーラ経由で市場のケンカ騒ぎをたまたま知っていたが、それに王子が関わっていたことは知らなかった。

 ところがあの夜会でアルウィス王子に聞いて初めてそれが彼だったと知るが、相手に関しては不明のままだ。

 そこで王子に対して自分に出来ることはすると約束したのだが、そのための情報交換の手段が必要だ。

 しかしこれは普通に正式ルートでの手紙のやりとりで十分であった。

 なぜならベラトリキスの重鎮でもあるエルミーラ王女からアルウィス王子への正式な書簡を、迂闊に開封するわけにはいかないからだ。そんなことが表沙汰になったら国際問題である。

 そしてあの後、実際に文がやり取りされた。

 最初に台本通りに王子から手紙が送られてきた。

 当然のことながら王子は王女の意図を知らないわけで、一体自分はどうしたらいいのだ? という内容だったわけだが……

《その手紙が実は王子様からミーラ様への指示書ってことだったんですよね》

 すなわちその手紙は―――あの市場で助けてくれた二人連れの学生にお礼を言いたいが、つなぎをつけてもらえないだろうか。しかし迎賓館に呼ぶのは避けたい。もし敵に見張られていた場合、後々彼女たちに危害が及ぶかもしれない。そこでここは身分を隠してどこかでこっそり会うことにした方がいいと思うが、どこか良い場所はないだろうか?―――という内容だったとするのだ。

 それに対する王女からの返信が以下のような物だった。


アルウィス様

承知致しました。確かに彼女たちは王子様を襲った敵の顔を見ておりますから、そのような危惧もございましょう。

それに彼女たちはあなたが王子とは知らないので、いきなり迎賓館に呼び出したりしたら卒倒してしまうでしょうから、お二方は旅の商人ということにして、あの後しばらく各地を回っていて最近戻ってきたことにして下さいませ。

そのような待ち合わせの場所ならば劇場の近くにカフェ・アルバーダという洒落たお店がございます。そこに二人を待たせておきますので土曜日の朝十時半にお越し下さい。行き帰りにはくれぐれもご用心なさって下さいませ。

エルミーラ


 そしてその手紙にはもう一枚……


お送り致しました手紙は普通に厳重にしまっておいて下さい。それでも敵は何としてでも盗み見るでしょうから。ただしこの紙片だけは確実に処分をお願い致します。

エルミーラ


 ―――といったメッセージが同封されていた。

 バルコニーでの立ち話は敵に聞かれているはずなので、敵方は何としてでも王女から来た手紙を盗み見ることだろう。そして学生に顔を見られていたともなれば、まず絶対に口封じしなければと考えるはずだ。

 実際はシャアラたちは顔を覚えてはいなかったが、サルトスの兜は下からのぞき込めば顔が分かる作りになっているので、相手にその可能性は否定できない。

 その場合敵は王子達の行き帰りの途中を襲うという可能性もあるが、学生も一緒に始末できるとなれば、間違いなくここに襲撃をかけて来るはずなのだ。

 もちろん王子の道中はラルゴに頼んでレイモンの部隊にそれとなく護衛してもらう手はずになっているが……

《ふふっ。まさに飛んで火に入る夏の虫ですね?》

 思わず笑みがこぼれてしまうが……

「アルマーザも王女様みたいな笑い方するようになったのね?」

 アラーニャにニコニコしながら突っ込まれる。

「えーっ⁉ そんな心外な~」

「あーっ。心外なんて、言っちゃいますよ?」

「あーん。アラーニャちゃん、ずいぶん意地悪になったでしょー」

「知りませーん

 ―――などとじゃれていると、カフェの扉が開いて男の二人連れが入ってきた。

 一瞬店内に緊張が走るが、現れたのはアルウィス王子とオトゥールだ。

「今日こちらで予約をしている者だが」

「承知しております」

 リモンが二人を導いて奥の席に通した。

「こちらでございます」

「あ、ありがとう」

 そうして王子達が向かいに座っていたアカラとシャアラを見て―――目が丸くなった。

「あん? 似合ってないってか?」

 シャアラがむすっとした声で答える。

「だってしょうがないじゃないのー。そういう設定なんだし」

 アカラも同様だ。

「いや、何というかお二人ともお若く見えますよ?」

 王子の何とも苦しそうな褒め言葉に、あたりの者達は吹き出さないように我慢しているが……

「まったく、女兵士って設定だったら良かったのにな」

「あはは。まあ、そうですね」

「まあいいけど、ともかくお久しぶり

「ああ、ほんとにそうですね……それで、その……」

 王子が何やら言いにくそうに口ごもるが、アカラがあっさりとお腹をさすりながら答える。

「あ、この子? だったら大丈夫よ? ヴェーヌスベルグでしっかり育てるから」

「しかし……」

「だってどっちがパパか分からないんだし。それって困るんでしょ?」

「いやまあ……」

 王子はしどろもどろだ。

「ミーラ様がね、そういう面倒な子は後顧の憂いにならないようにさくっと殺されちゃったりするからって脅かすのよ?」

「いや、まあ……」

「何か王子様ってのも大変なのねえ?」

 それを聞いた王子が力なく笑った。

「あはは。そうだな。家の力が弱いと……」

 そこにシャアラが口を挟む。

「家の力っていえば、ファラ様もそうみたいなんだよな」

「あ、はい。そのようですね……」

 今メルファラ大皇后の実家であるジークの家はもはや存在しないも同様だ。

 メルフロウ皇太子の没後、その妃であったエルセティアが家督を継いでいたが、その彼女の失踪後はジークⅦ世の甥が後を継いでいた。しかしもはやその勢力はカロンデュール大皇のダアルの家とは比べるべくもない。

「だから都から一杯人が来ると何だか落ち着けないみたいでさ……解放作戦中はすごく楽しそうだったのになあ」

「そうだったのですか……」

 何やら沈んだ雰囲気になってしまったが―――そこでアカラが話を変える。

「あ、それはそうとミーラ様、王子様がわりとノリが良かったって褒めてましたよ?」

「え? そうなのか?」

 王子が意外そうな表情になるが……

「あのときも棒読みにならずに演技までつけてくれてって」

「あはは。いきなりあんな物を見せられたときには驚いたよ。しかしエルミーラ様も何とも不思議なお方だ」

 アカラがうなずく。

「あは。そうなのよ。あの方、何だか一番度胸が据わってるんじゃないかしら」

「ってか、こういう“作戦”が好きなんだよね。ミーラ様って」

「そうそう。大喜びで計画立ててたし」

 それを聞いていたオトゥールがぽつっと口を挟む。

「しかし……本当に来るのでしょうか?」

「うーむ……」

 王子も考え込むが、アカラが答える。

「あ、でもミーラ様、もし来なかったのなら敵は大馬鹿か、それとも大天才のどちらかね、なんて言ってたけど……」

「大馬鹿か大天才?」

「そうなの。相手があの手紙を盗み見できないぐらい間抜けだったらいいけど、これを罠と見抜いて来なかったのなら侮りがたいって」

「ああ……確かにな……」

 王子が真剣な表情になるが……

「でもま、その場合は間違いなく前者だろってさ」

 シャアラの言葉に王子が首をかしげる。

「どうしてです」

「だってあの襲撃、すごく杜撰だったじゃないか。暗殺するのにあんな目立つ格好してきてさ。だからあたしも気がついたんだけど」

「ああ、確かにそれはそうですね」

「それにあの人たち、どうしてサルトス兵の格好なんかしてたのかしら?」

 アカラの問いに王子がまた首をかしげる。

「さあ……叔母上はあまりサルトスが好きではないからでは?」

「えー? そんななの?」

 それを聞いたオトゥールが言った。

「私も何度かあの田舎者達が、と言っていたのを聞いたことはありますが……」

「でも一歩間違ったら国際問題だったってミーラ様とかメイさんが言ってたけど……まさかその叔母さんって、サルトスと戦争したがってるの?」

「そんなことはあり得ませんよ」

「じゃあどうしてなんだろうねえ?」

「ふーむ……」

 その点はこちらでもかなり問題になっていた。

 確かにあのときは王子達が油断していたため、シャアラ達がいなければ成功していたかもしれなかった。

 しかし目撃者がわんさといる場所だ。そこでサルトス兵がアイフィロスの王子を殺したとなれば、間違いなく国家間の大問題になってしまうのだが?

 だが今アイフィロスがサルトスと事を構える理由がない。そもそも両国は国境を接しているわけでもなく、むしろそういう国同士は仲良くしておくというのが国際関係の鉄則らしいのだが……

 しかしどうも上には上がいるがごとく、下には下がいるのである。

 以前エルミーラ王女が捕らえられて塔の上に幽閉されたとき、彼女はシーツのロープで脱出したのだが、敵がその失態を隠すことに専念してくれたおかげ逃げ延びることができたという。

《まあ、そういう連中だったんならいいんですけどねえ……》

 メイもいつか言っていたが、ゲームならば敵が強い方が面白いが、命がけの実戦では敵は弱い方が心が和むのだ―――などと考えていると……

「は……くちん!」

 アラーニャがくしゃみをした。

「寒いですか?」

「あ、ちょっと……」

 今の時期は気温がそれほど高くない。

 しかし彼女は今、どうかするとお臍がでてしまいそうな丈の短いトップスを身につけていた。

「それじゃ温かいお茶をもらいましょうね」

「うん」

 だが止むに止まれぬ事情があって、彼女は厚着ができないのである。というのは―――ちょうどそのとき店の扉が開いて三人連れの娘が入ってきた。

《来たかっ⁉》

 みんな平静を装ってはいるが緊張が一気にみなぎってくるのが分かる。

『アラーニャちゃん!』

『うん』

 彼女が小声で答えると両手をトップスの下に差し込んで両おっぱいを支えた。それから―――ウェイトレス姿のリモンがちょっとピクッとすると、入ってきた客の元に行って残念そうな様子で告げた。

「お客様。申し訳ありません。ただいま満席でございまして……」

「えーっ⁉ もう?」

「申し訳ありません」

「でもあそこ空いてない?」

 娘の一人が奥の空き席を示すが……

「申し訳ありません。予約席でございまして」

「あー……ショック!」

 娘たちは本当に残念そうな様子で帰って行った。

 それからリモンが振り返ると、アラーニャに向かって親指を立ててにっこり笑う。

「あは。大成功ですね?」

「うん」

 もちろんこれはアラーニャが入ってきた三人の心を読んで、ただの客だったのでそのことをリモンに心話で伝えたのだ。

 彼女が短いトップスを身につけていたのは、彼女の“魔道具”を迅速に使うために他ならない。

 その“魔道具”なのだが、これがとても素敵な物なのは間違いないのだが、人目のある場所では使いづらいという残念な弱点を持っていた。

 そこでその欠点を克服すべく様々な努力が行われていたのだが、それを使うときには乳首の先でターゲットを指し示すようなイメージ―――なんだそうで、要するにおっぱいを覆ってしまったら効果がゼロではないにしても激減してしまうのであった。

《アラーニャちゃん、成長著しいですねっ

 まだまだ未熟な精神魔法だが、それでもこのようにトップス越しに発動できるというのは、ここ最近の不断の努力の賜なのである!―――のだが、まだおっぱいを触らずに使えるほどではなかったので、こんな寒い格好で我慢しなければならなかったのだった……

 彼女がここでちょっと不幸な目に遭っていたのは、直前に計画の変更があったためだ。


 ―――作戦会議のときに少し問題になったポイントがあった。

「で、あそこで待ち伏せるのはいいけど、敵さんどうやって襲ってくるのかしら?」

 リサーンの問いに、アカラが答えた。

「どうやってって、襲ってくるんだから一気にこう、やってくるんじゃ?」

 だがシャアラが首を振る。

「あー、でもあそこってわりと縦長だし、テーブルもあっちゃこっちゃ置いてるし、奥の方にいたら行き着くのに結構かかるよな? だったら十分に身構えられるんじゃ?」

「ああ、そうねえ……オトゥールさん、結構腕が立ちそうだったし。体にも大きな傷が一杯あったし……」

 あははは。そうだったんですね?

「だよね。不意打ちされなきゃ、そうそう簡単にやられるってことはないよな」

 それを聞いていたハフラが答えた。

「だとしたら、お客の振りをして近づいてきて、短剣でいきなりぐさり、とかかしら?」

「あー、そんな感じ? でも知らない人が近づいてきたら、やっぱり警戒するでしょ?」

「そうよねえ……どうやったらそんなに自然に近づくことができるのかしら?」

 一同は考え込んだ。と、そのときマジャーラが言った。

「あー、それとは違うけどさ、あの店、人気店だから満席ってることもよくあるよな? この間も出て行く客がいなかったら入れなかったし」

 それを聞いてアルマーザが答える。

「あー、そうでしたね。じゃあうっかり満席になってたら、刺客の人たちはどうするんでしょうね?」

 それですごすご帰るとかになったら大間抜けだが……

「ってことは……席を予約しておく?」

 アーシャが言った途端にリサーンが大きくうなずいた。

「あー! それって悪くないかも!」

 ハフラもそれを聞いてうなずいた。

「そういえばこの密会はばれてないって設定なのよね? だとしたら最悪、後から付けられたってことはあっても、待ち伏せされるとは思わないわよね?」

「うんうん。ってことは、当日その時間帯に別な予約が入ってたら、それが敵ってこと?」

「そうなるわね」

 だとすればその予約席はそのままにして、あとはさっさと身内で回りを固めてしまえばいいわけだ。

「あはは。意外と簡単かもね?」

 ―――という調子で大船に乗った気持ちで作戦当日の朝を迎えたのだが……

「えー⁉ 予約が一件もない?」

「そうみたい」

「どういうことよ?」

「気づかれた?」

「それだったらしょうがないけど……」

「じゃあプランBで行くってこと?」

「そうなるわよね……」

 あの後、何らかの理由で敵が予約せずにいきなり襲ってくる可能性も考慮して、そんな場合のプランも考えていたのだ。

 しかし予約してくれていればその客を中心にマークすればいいのだが、この場合はそうはいかない。

 そこで刺客用の予約席を残しておいて、ほかの客が来たら満席という形で帰ってもらうことにしたのだ。一般の客を巻き込むわけにはいかないからだ。

 ただそのためには刺客と普通の客を区別する必要があった。そのため投入されることになったのが新米精神魔導師ことアラーニャちゃんであった!

 現場はファシアーナやニフレディルも一緒なので、どちらかというと実践練習と言った方がいいような物だったが。

 ちなみに相手の同意なしに心を読むようなことは、女王の禁忌で禁止されていた。しかしこれは人の命がかかった非常事態であって、そういうときには後から報告書を出しておけば問題ないのである。

 そしてそんな書類を書くプロフェッショナルの秘書官殿もいらっしゃるわけで、これに関してはノープロブレムなのである―――


 などと回想している間にも、王子達とアカラ&シャアラの話ははずんでいた。

「オトゥールさんはずっと王子様の従者を?」

 アカラの問いにオトゥールが少々はにかんだ様子でうなずく。

「はい。子供の頃から一緒に育ちました」

「へえぇ」

「ま、だからこいつだけは信頼できるんだがな」

 王子がにやっと笑う。

「いいわねえ。あたしとシャアラもずっと一緒なんだけど……」

「そういえば皆さんのいる西の果ての国とはどのような場所なのです」

 王子の問いにアカラが答えるが……

「あ。ヴェーヌスベルグっていうんだけど」

 ………………

 …………

 ……

 王子たちの目が丸くなった。

「ヴェーヌスベルグだって?」

「あの……呪われた?」

「あ、知ってた?」

 あっけらかんと答えるアカラに、二人の顔が青くなる。

「それはもちろん……しかし、そこの女と関係した男は皆、死んでしまうと……」

 アカラがにこやかにうなずいた。

「うん。そうだったのよ。でもその呪いってね、アロザールの呪いと同じ根っこだったみたいで、だからアロザールの呪いが効かなかったら、あたし達の呪いも効かないのよ?」

「えっ! そうだったのですか?」

 二人が驚愕して彼女たちを見つめる。

「うん。だから王子様もオトゥールさんもまだ生きてるんだし」

「じゃなかったらそろそろ足腰立たなくなってる頃じゃないかなあ……あはは!」

「あははははは」

 二人の顔はしばらく引きつり笑いをしていたが、しばらくして王子がはっとしたような表情になる。

「ということは……ティア様はヴェーヌスベルグの女王ということに?」

「ん? そうだけど?」

 アカラが答えると、王子とオトゥールが顔を見合わせて、何やら挙動不審になるが……

《あ? もしかしてこれって……》

 アカラやシャアラもそれには気づいたようだ。

「あ、もしかしてあの本?」

「えっ⁈」

 シャアラの問いに二人が口ごもるが……

「“ヴェーヌスベルグの女王”なんだけど……読んだ?」

 ………………

 …………

 二人はしばらく絶句するが―――その表情はどう見てもYESだ。

 そんな二人にシャアラが笑いかける。

「あははー。あれ読んで来たって人、結構いるんだよな。そんなに流行ってるのか?」

「あー、まあ、ある意味古典の一種なんで……」

 王子が苦笑しながら答えるが、するとアカラが言った。

「へええ。でもティア様は、三文作家が適当にでっち上げた与太話って言ってたけど……」

「そうなのですか?」

「だって、実際はあんな砂漠のテントに二人っきりとかじゃなくって……」

 と、村の“日常”を赤裸々に語り始めるが……

《あー? こんな時間から……》

 王子達も興味津々ではあるが、今ここでそれはどうなんだ? と目を白黒させている様子だが……

 ―――そのときだ。ドアが開いて新しい客がやってきた。

 見ると三人連れで頭からすっぽり魔法使いのローブを着ている。その先頭の魔導師があたりを見回して尋ねた。

「こんにちは。入れますか?」

 女性の声だが……

《これってまさか……》

 これも想定された事態ではあるのだが……


 ―――作戦会議ではその他にも様々なことが語られたわけだが……

 ルルーが言った。

「でもその刺客ってどんな格好してくるのかしら? まさかサルトス兵の格好はしてないわよね?」

「いくら何でもそりゃないでしょ? 甘党のサルトス兵とか……ぷぷっ!」

 思わずアルマーザが答えるが――― 一同もごつい兵隊がケーキを食べている姿を想像したと見えて、頬が緩んでいる。

「ま、せめて女の子とデートって感じよね?」

「まあ、それだったら有りかな?」

「でも実は女の刺客がいたりしたら?」

「えーっ?」

「まあ、絶対いないとは言わないけど……アウラ様やリモンさんみたいなのがそんなにいるとか、あまり思えないんだけど」

「そうよねー」

 確かにいないと言い切ることはできないが、あのとき襲ってきたのも男だし、なかなかそういう人材は少ないだろう―――というか、こちらにそんな奴らがゴロゴロいるのが普通ではないのだが……

「じゃあ……女装してくるとが……」

 ………………

 …………

 一同は顔を見合わせて吹きだした。

「確かにレイモン女装兵団というのはあったけど……」

 解放作戦の終盤には回復した男たちが女装してあちこちで作戦を展開していたわけだが……

「あれも昼間は活動してませんよ?」

「それじゃ……男女混合のグループって感じかしら」

「そうねえ……あー、でもその刺客って顔を見られたらまずいんでしょ? 先に来て待ってたりしたら、オトゥールさんとかがとりあえずは顔を見るんじゃ?」

「あー、ヴェンドリン王子の手の者だっていうなら、顔見知りの可能性もあるわよね?」

「ってことは顔を隠して来るってこと?」

「仮装舞踏会じゃないんだし……」

「それじゃ恥ずかしそうにずっとうつむいてるとか」

「それでも横顔で分かったりしないの?」

 そんなことを口々に話していると、ふっと誰かが言った。

「んー、あ、それじゃ魔法使いのローブを着てたら?」

「あ、確かにあれなら……」

 魔法使いのローブにはフードがついていて、それをかぶったら顔も見えなくなる。おかげでフィーネさんの正体がばれずに済んだわけで……

 一同がその場にいたフィンの顔を見て爆笑する。

「いや、ありゃ魔道士の正装なんだから男の魔道士だって着るぞ?」

 フィンが顔を赤くして反論するが―――魔導師のローブにも男物と女物があって、彼が着ていたのが女物だったのは事実である。

「でもこの辺、魔法使いは少ないし。逆に目立つんじゃないの?」

「あー、でも都の魔道軍が少し帰ってきてるんでしょ?」

「ってことは一応有りってこと?」

「どうなんでしょう?」

「というか、刺客が魔法使いってことはないの?」

 その言葉に一同が顔を見合わせるが、そこでファシアーナが口を挟んだ。

「んまあ、でもそういう奴が銀の塔にいたら即刻処分だからな。うまく逃げおおせてもまあ、一生お尋ね者みたいなもんで……ベラでもそうだろ?」

「はい。そうですね」

 エルミーラ王女もうなずく。

「ただ、逆に地下に潜ってそういう裏仕事をしてる場合もあるから……でもアイフィロスの王族がそんなのを雇ってるってバレたら、まあただじゃ済まないだろうけどな」

 無いことはないにしても、可能性は低いということか?

「ま、それにそういう奴だったら、もうアラーニャなら一発で分かるしな?」

「あ、はい!」

 魔法使いというのは何というか心に独特の輝きあるそうで、ファシアーナやニフレディルとアルマーザを比べたらそれはもう歴然なのだそうだ。

 というわけで、敵が魔法使いの扮装をしてくる可能性もあるということになっていたわけだが―――


 アラーニャがトップスの下に両手を差し込み意識を集中した。

 そして……

「いらっしゃいませ。あちらの席が空いておりますのでどうぞ」

 そう言ってリモンが例の予約席を指し示したのだ。

《来たーっ!》

 敵確定である。

 一瞬、緊張があたりを走り抜けるが、これはまさに想定内の状況だ。一同はまた普通の客のように歓談を続けた。

 それよりもむしろやってきた刺客の方が何やらそわそわしている様子だ。

 三人はリモンに示された席の方に向かっていったが、その視線は奥の王子達をずっと注視していて、あたりの状況は全く目に入っていないようだ。

 もちろんみんな見かけはただの町娘風だが……

《普通はせめてどこに誰がいてとか確認しますよね?》

 もし自分が相手の立場なら、まずそういう位置関係を頭に入れて、終わった後の退路も考えてから行動すると思うのだが……

 そして三人が予約席の前まで来た瞬間、女魔導師の後ろにいた二人がばっと駆けだして王子達の席に向かった!―――のだが……


 べたーん!

     どかっ!


 二人はいきなりつんのめると、派手にすっ転んだ―――両側に座っていたリサーンとマジャーラに足を引っかけられたのだ。

《あは。だから周りをよく見てないから……》

 どうやら馬鹿のふりをして相手を油断させようという作戦ではなく―――ただの馬鹿だったと見える。

「ぬおっ!」

 転んだ魔導師が慌てて起き上がるが、そのときには彼らはアウラを始めとする、とてもよく切れそうな刃物を持った一団に取り囲まれていた。

 次いで彼らのローブがいきなりめくれ上がると、スポンと抜けて宙に浮かぶ。もちろんニフレディルの仕業だ。

 その下からは抜き身の剣を手にしたいかつい男が現れた。

「お? お前、確かヴェンドリンのところにいなかったか?」

 その男を見てアルウィス王子がにやりと笑う。

「おのれ……」

 男たちがうめくがこの状況ではどうしようもない―――と、その隙に“女魔導師”が逃げようとするが……

「どちらにいらっしゃるのですか?」

 同じく薙刀を手にしたリモンが立ちはだかった。

「違うんです! 私、ちょっと頼まれただけで……」

 しかし彼女はぎろっとリモンに睨まれて薙刀を突きつけられると、そのままへなへなとくずおれた。

 次いでハフラが入り口まで走って外に向かって合図すると、すぐにラルゴが部下を連れてどやどやと入ってきた。

 彼は取り囲まれて座らされている刺客たちを見て言った。

「暴漢とはこ奴らですかな?」

「あー、そうです。奥の方をいきなり襲おうとしておりまして……証人は私たちですので」

 そう言って出てきたのはメイだが―――その姿を見た刺客たちの目が丸くなった。

「メイ……秘書官?」

 一人がそうつぶやく。そして残りの女たちを見回して……

「ベラトリキス?」

「あー、ちゃんと書記官じゃなくって秘書官って覚えててくれたんですねー」

 メイがにこやかに答えると、男たちはがっくりとうなだれた。

《あはは。メイさんって意外に認知度は高いんですよねー》

 メルファラ大皇后以外のメンバーがわりと名前だけなのに対して、彼女はその風貌とベラトリキスが公式に現れるときには大抵トップに出てくるということもあって、その容姿はかなりよく知られていたのだ。


 ―――かくして刺客たちは捕らえられ、ラルゴたちに連行されていった。

「これってどこで裁かれることになるの?」

 それを見送りながらアカラがつぶやくと、メイが答える。

「ま、アキーラで騒ぎを起こしてるからまずはこっちでしょうけど、そのままアイフィロスに引き渡されて最終的にはエルゲリオン王が裁くことになるんじゃないですか」

 エルミーラ王女もうなずいた。

「まあ、そのようなところでは?」

「そうなったら大丈夫なんでしょ?」

 アカラが王子にそう話しかけると、王子もうなずいた。

「ああ、それなら間違いはない」

「良かったわねえ」

「ありがとう。しかし、なんと言っていいのか……」

 アルウィス王子が一同の顔を見渡して、何やら感極まっている。

「えー? そんなの当然でしょう。この子達のパパなんだから」

「いや、でも……」

 シャアラがそう言うが、王子達は言葉が出てこない。そこにアカラが言った。

「あ、それよりも、この子達の名前、考えてくれる? まだ男か女か分からないから、両方」

 王子はうなずいた。

「もちろんだ。ただ今すぐというわけには……」

「あとでお手紙をくれてもいいのよ? もう少しここにいるし」

「西に発つというのはいつ頃になるんだ?」

「五月くらいかな? その頃なら安定してくるから」

「分かった。必ずいい名前を考えるから」

「ありがと

「んじゃ頼むよ?」

 アカラとシャアラがそういって微笑む。

 それからアカラが持っていたポーチの中から、上等の封筒に入った手紙を取りだした。

「あ、それとミーラ様からお手紙預かってるんだけど。上手くいったら渡してって」

「え?」

 王子が一瞬ぽかんとして、それから顔がにやけてくるが―――アルマーザはその中身を知っていた。

 その内容は、フォレスは夏は涼しいし風光明媚なので一度避暑に来ないか、というごく普通のお誘いであった。しかしそれを見せながら……

『うふっ。楽しい夏が過ごせそうね

 と、何故か例の黒い笑みを浮かべていたのだが……

 その後メイに、ただの避暑なのにどうしてミーラ様はあの怪しい笑みを? と、尋ねたら……

『あはー、そういえばエクシーレを忘れてたとか言ってたし、セヴェルス様も呼ぶ気なんですよ。きっと』

『セヴェルス様?』

『エクシーレの王子様なの。婿好捕にもなってて……でもそうしたらロムルース様も絶対来ちゃうだろうし……そんな三人が揃ったらもう……あはははは』

 これが終わった後も、彼女の苦労はまだまだ終わらないようだった。