ベラトリキス最後の作戦 第9章 宴の終わり

第9章 宴の終わり


 時は五月。既にこちらでは初夏の気候になっていた。

 爽やかな風がさあっと吹き抜けると東の地平線から朝日が顔を出し、灰色がかった草原を黄金色に染めていく。

 その輝きを受けながら草原を道行く一団があった。

「おーい! 気をつけて帰れよー!」

 マジャーラが大声で叫ぶと、旅人の一人がこちらに手を振るのが見えた。シャアラだ。

《よく通る声だよな……あそこまで届くのかよ?》

 少々驚きながらフィンはその一団に目を凝らす。

 それはヴェーヌスベルグに帰っていくアーシャ、シャアラ、アカラ、マウーナと彼女の息子ソラールだ。

 彼女は例の最後の作戦とやらが終了した数日後、元気そうな男の子を出産していた。

《すっごい喜びようだったもんなあ……》

 ヴェーヌスベルグで男の子が生まれたというのは、少なくともこの百年来初めての出来事なのだ。

 そしてシャアラとアカラも身籠もっている。

 シャアラの子は男の子だったらカストール、女の子だったらイリス。アカラの子は男の子だったらポリュクス、女の子だったらフローラという名前だ。

《いや、王子様、本気で考えてくれたみたいだよな……》

 何だかすごく昔の神話から引っ張ってきてくれたようなのだが―――それはともかく、おかげで彼女たちが戻る時期に関しては少々紛糾した。

 最初はみんなと一緒にアキーラ奪回一周年記念式典の後にするはずだったのだが、そうするとシャアラやアカラが臨月近くになってしまう。しかし出産を待っていては秋になってしまってマグナバリエ山脈が超えられない。そこでそろそろ安定してくるこの時期に帰ろうということになったのだ。

《ああ……本当に終わったんだなあ……》

 いつかはこんな時が来るとは思っていたが―――フィンは不思議な気分だった。

《ってか、この何年か、本当に滅茶苦茶だったもんなあ……》

 彼らは今、アキーラの郊外にある見晴らしの良い丘の上にいた。

 そこは地元民に“見送りの丘”と呼ばれていて、南へ向かう街道が眼下によく見渡せる。

 周囲には仲間の姿があった。

 故郷に帰っていく彼女たちを見送るため、残っていた者がみなここに集まっていたのだ。

 フィンの横にはまずアウラがいた。

 その先にはメルファラ大皇后が黙って彼方を見据えており、その側でパミーナが涙ぐんでいる。

 その向こうにはエルミーラ王女とメイとリモン。反対にはファシアーナとニフレディル。その後ろにアリオールとラルゴにアイオラ、その横にはリエカと少年ネイ、そして牧羊犬のメローネまでが何やら寂しそうに旅行く仲間達を見送っていた。

《ネイも元気そうだな……》

 彼とメローネはリエカの元に引き取られていたが、そこではどうやら幸せに暮らせているようだ。

 そして彼らの前には残りのヴェーヌスベルグの面々―――ティアにキール、アラーニャ、ハフラ、リサーン、マジャーラ、サフィーナ、アルマーザ、そしてルルーが旅立つ仲間に向かって大きく手を振っていた。

《何か残ってる連中の方が多いんだよな……》

 ヴェーヌスベルグからやってきたのはティア達も含めれば十三人。しかし今帰って行くのはそのうちの四人+一人だけだ―――いや、正確にはもう一人……

「あはは! 冗談かと思ったらマジやっちゃいましたねえ……」

「そうねえ」

 メイと王女が呆れた様子で会話しているが―――というのは、一行は各自の乗っている馬の他に、お土産などの荷物を乗せた荷馬が三頭という構成であったのだが、赤ん坊を抱いたマウーナの横を併走している荷馬には、何やらもぞもぞしている大きな袋が積んであったのだ。

《ったく、あいつら……》

 フィンはため息をついた―――というのは……



 それを遡ること一月ほど前。連合軍の凱旋式が行われてしばらくしてのこと。

 フィンはちょっと相談に乗って欲しいとティアに辰星宮まで呼び出された。

《全く……何の話なんだ?》

 この数ヶ月、フィンはこれまでにない平穏な日々を過ごしていた。

《いつ以来なんだ? これって……》

 思い起こしてみれば―――結局の所、ティアがメルフロウ皇太子の妃となる話が持ち上がったときからずーっと彼は、何がしかの心配事を抱えて生きてきていたのだ。

 メルフロウのとんでもない正体の判明からのあの山荘事件。メルファラ姫の出現とカロンデュールの結婚。しかしその裏事情を知っている彼は都では非常に微妙な立場にならざるを得ず、ついに出奔するが……

《そしてアウラに出会った後というもの……》

 何やら乾いた笑いが出てきてしまう。

 フォレスではとんでもない姫と関わり合いになってしまうし、ベラとエクシーレを両方敵に回した戦争になってみたり、中原視察に行ったと思えばいきなり命を狙われるし、そこでレイモンの都攻めの話を聞いた後のことといったら―――もはや本当に分けが分からない展開になっていったのだが……

 しかしあのコルヌー平原での大勝利が、そのあたりの厄介ごとを全てを消し飛ばしてくれたのだ。

 かつての最大の敵だったレイモン王国は今では最大の盟友となっている。

 危険な謎を秘めたアロザール王国も今では完全に牙を抜かれた状態だ。まだ何か隠し球を残しているのなら、これほどずるずると撤退していくことはないと思われるからだ。

 いずれにしても状況はもうフィンの手を離れて、各国の国王たちの手に委ねられている。

 もちろん様々な局面で意見を求められることはあっても、彼の肩の上に乗っていた重荷はすっかり下りてしまったのだ。

 連合軍がバシリカに向かって進軍していった後は、彼はのんびりとアウラと戯れたり、父親と碁を打ったり、ロマンゾ劇団の音楽劇を鑑賞しに行ったり、郊外を遠乗りしてみたりとまさに悠々自適の生活であった。

《ま、フォレスに戻ったらまた色々あるんだろうけど……》

 これからあの王女―――ゆくゆくは女王様に仕えていく以上、このままずっと平穏ということはなさそうではあるが、ともかく今のこの平和をフィンは心ゆくまで満喫しているところであったのだ。

 しかし……

「……というわけで、もう少ししたらアーシャ達が帰っちゃうんだけど」

 ティアが言った。

 あたりにはヴェーヌスベルグの娘達―――アーシャ、マウーナ、シャアラ、マジャーラ、ハフラ、リサーン、サフィーナ、アルマーザ、アカラ、ルルー、そしてアラーニャが全員勢揃いしている。

 その真ん中で赤ん坊にお乳をあげているのがマウーナだが……

《いや、だからせめて胸を隠してだなあ……》

 何というかもう目のやり場に困るのだが……

「その前にマウーナとカサドールの決着をつけておかないとまずいと思うの」

 ―――要するに話とはこのことだった。

 娘たちは一斉にうなずいた。

 いつぞや、これに関しては二人と話した記憶はあるのだが……

《でも、こういうこと訊かれたって、正直分からないんだよなあ……》

 あのときも通り一遍の話しかできなかったし、あまり役に立てたとは思えないのだが……

《しかしどうしてまた今、俺を?》

 向こうだって分かっていると思うのだが?―――フィンは嫌~な予感がしていた。

 確かに彼女たちはあの解放作戦中は、まさに頼れる仲間達であった。

 しかし有事に有能な人間とは、得てして平時にはただのトラブルメーカーだったりするわけで……

《ってか、アイフィロスの王子様を押し倒しちゃうとかさあ……》

 フィンはシャアラとアカラの方をチラリと見る。二人のお腹はそろそろ見て分かるくらいに大きくなっているが……

《しかもどっちの子か分からないとか……》

 いつぞやエルミーラ王女が妊娠したときもそんな騒ぎが持ち上がっていた気がするが―――それはともかく……

「じゃなきゃ本当に別れ別れになっちゃいそうで……そんなことになったら可哀想でしょ? お兄ちゃん?」

 ティアにいきなり振られてフィンは慌てて答えた。

「ん? まあ、それはそうだが……」

「んで、まずね? 二人が一緒にいたいって思ってることは間違いないのよ」

「みたいだな」

 あれからもマウーナとカサドールが二人でいる姿は何度も見ているし、端から見ればまさに仲睦まじいカップルであった。

 そして彼女が出産したときにはカサドールがもう一番おろおろしていて、産まれた後は真っ先に駆けつけて祝福していたのだ。

「で、これから二人で一緒に暮らすとなると、マウーナがカサドールと結婚してこっちに残るか、ヴェーヌスベルグにカサドールが行って一緒に暮らすか、ってことになるわよね?」

「まあ、それはそうだな」

「でもね。マウーナがこっちに残るっていうのは、あたしもちょっと無理かなって思うの」

「そうなのか?」

 ティアはうなずいた。

「うん。まあこれがアカラとかルルーとかアルマーザとかだったらもしかしてって思うんだけど、マウーナってずっと男仕事だったし」

「え? そうだったのか?」

 ヴェーヌスベルグで彼女達がどのように暮らしていたかということは、あまりゆっくり聞く機会がなかったが……

「そういえば彼女、すごく弓が上手だったよな? じゃああっちじゃずっと狩りをしてたとか?……ん? でも、そういえばメイが狩りは苦手みたいなこと言ってた気がするが……」

「あー、それって鴨は苦手って話じゃない?」

 シャアラがそう言うと、マウーナもうなずいた。

「あれって寄ってくるのをじーっと待ってなきゃならないし、いらいらしてくるのよ」

「こいつ本当に辛抱がきかないからなあ」

 そこでフィンが尋ねると……

「んじゃ何を狩ってたんだ?」

「マディブよ?」

 マウーナが答えるが……

「マディブ?」

「うん。砂漠にいるおっきなネズミなの」

「ネズミ⁉」

 と、そこでティアがニコニコしながら口を挟む。

「これがねえ、結構美味しいのよ! そんなに臭みもないし、ウサギくらいの大きさがあるから食べ応えもあるし」

「はあ……」

 とにかく食い物に関しては適応力のある奴だと思っていたが―――そこでマウーナが言った。

「あれねえ、わりと群れになって住んでるんだけど、見張り役みたいなのがいて、それが上半分体を出してあたりを見張ってるのよ」

「それを撃つのか?」

 彼女はうなずく。

「そ。近寄ったら逃げちゃうから、遠くから撃たなきゃいけないの」

「だからマウーナじゃないと難しいのよ」

「へえ……」

 確かに、そんなのを日常的に撃っていたのなら弓も上手になるわけだが……

「じゃ、何? 家庭的なことは全然ダメなのか? そういや裁縫とかは得意じゃなかったか?」

 ティアが苦笑する。

「裁縫はね。でも他はねえ……お料理とかは壊滅的みたいだし」

 それを受けてアカラが言った。

「うん。下ごしらえしてもらうのはいいんだけど、味付けは絶対任せられないから」

「あはははは。どうしてなのかしらねえ?」

 マウーナが朗らかに笑っているが―――確かに嫁の料理がまずいというのは結婚生活においては多大なマイナスとなり得る要素ではあるが……

 そしてティアが続ける。

「で、ここにいるみんななんだけど、得意なことは得意なんだけど、それ以外はからっきしだったりするんで……」

「からっきし?」

「そうなの。あっちだとみんなでわーっと仕事するから、できないことは任せちゃえばいいんだけど」

 確かに彼女たちの仕事っぷりはそんな感じだったが……

「でもこっちじゃ女の子ってみんな家の切り盛りを子供の頃から躾けられるでしょ? だから下手でも何もできないわけじゃないんだけど、みんなの場合、本当にダメなんで……だからちょっとこっちで家を構えるってのは難しいかなって思うの」

「あー、そういうことなんだな……」

 確かにそれはハードルがちょっと高そうだが……

「ってことで、カサドールにはヴェーヌスベルグまで一緒に来てもらって、そこで暮らすのがいいんじゃないかなって思うんだけど」

「こっちがダメならそうするしかないだろうけど……あっちじゃカサドールの仕事がないとか?」

 ティアは首を振る。

「ううん? 仕事なら一杯あるのよ? 馬とかラクダとかの世話なんかもあるし、畑仕事だって、あといろんな力仕事にはいてくれたら絶対に便利だし」

「じゃあ、何が問題に?」

「それが、あっちに行ったら子作りしてもらわないといけないのよ」

「子作り⁉」

「だからヴェーヌスベルグに来た男っていうのは、まずそれが第一なのよ」

「あー、まあ確かにそうかもしれないが……」

「で、そうすると村のみんなと順番にしてもらうことになるんだけど」

「え? あ……そういえばそんなのがあったな」

 いつぞやこいつから聞いた気がするが―――ヴェーヌスベルグでは男と寝る順番がルールできっちり決まっているという。

 まず十分に成熟していてまだ身籠もったことのない者が最優先。次に身籠もったが流れてしまった者、最後にまだ余裕があれば経産婦といった感じだったが……

「ってことは……マウーナはもうカサドールと寝られないのか?」

 ティアはうなずいた。

「普通の順番ならもう最後ね」

 あはははは! 確かにそれは困ってしまうかもしれないが……

「でも彼の場合、彼女がヤクートで見つけてきたって扱いにできるから、もうちょっと間に割り込めるかもしれないけど……でもカサドール、イルドみたいに一晩に五人とか相手にはできないだろうから……」

 あははははははは!

「あ、でもサポート役ならできるのよ?」

「サポート役?」

 そういえばそれもあのとき聞いたような気がするが……

「うん。ほら、これって場合によったら一生に一度、みたいなことになっちゃうんで、失敗しないようにサポートするんだけど」

 あー、そうそう。そうだった……

「まず女の子の方は先にじっくりとほぐしておいてあげるの」

「ほぐすって?」

 思わずフィンは尋ねていたが……

「あ、だからおっぱいや乳首をくりくりしてあげたり、舌で舐めてあげたり、それで体が熱くなってあそこがトロトロになってきたら……」

「あー、分かった分かった!」

「それから男の方も、若ければ裸を見ただけでギンギンになってたりするけど、そうじゃなかったら勃つまでにいろいろしてあげなきゃならないこともあって」

 あはははは!

「その人の好みがあるから一概にどうするとは言えないんだけど、例えばこう手でしてあげたり、しゃぶってあげたり……」

 あはははは!

「人によっては目の前でオナニーしてあげると喜ぶ人もいるし」

 あはははははははは!―――ってか、いつもながら真っ昼間から若い娘たちがする話じゃないだろうがっ!

「そういうサポート役なら別にマウーナがやっててもいいから、何もできないわけじゃないのよ?」

 そう言ってティアがにたーっと笑う。

「何なら直前までマウーナとやってて、最後に入れ替わったっていいんだし

「ぶはっ!」

 あのなあ!

「って感じでカサドールに説明したのよ。毎回違った子とできるし、そんな風にみんなでサポートもしてあげるから楽しいわよって」

「ああ、まあ……それで?」

 するとマウーナが答えた。

「そしたら何でかカサドール、怒り出しちゃって」

「怒った?」

「馬鹿にしないでくれ! 俺はそんなことをして欲しいんじゃない! お前だけが欲しいんだ! って言うんだけど……」

 ………………

 …………

 あー、これって結局『兄さん兄さん。いい子が一杯いますよ。若い女の子がよりどりみどり抱き放題。いかがです?』みたいな勧誘だよなー。真面目な奴ほどドン引きしちゃいそうな……

「でもそんなことされたらこっちだって困るし」

 マウーナがむすっとした顔で言う。

「え?」

「だって男の人をあたしが独り占めにしてたりしたら、それこそみんなから白い目で見られちゃうから。だからあたしをそんな悪者にしたいのか! って言ったら、訳分かんないとか言ってケンカになっちゃって……」

《あー、確かにヴェーヌスベルグの感覚じゃそうなのかもなー。でも普通は訳分からんぞ?》

 と、そこでティアがため息をついた。

「とまあ、こんな調子で色々難航しているのよ」

 そこにハフラがぼそっと口を挟む。

「それにもっと誰かに来てもらわないとあの人、死ぬかもしれないし」

「あの人?」

「ザフォートさん。村にこっちの様子を伝えてくれた」

 ………………

「あっ!」

 そういえば、全ての始まりはザフォート―――妻子を殺されて世をはかなんでやってきたアキーラの商人であった。

「あの人、生きてるわよね? きっと」

「ああ……そうだな……」

 彼はアロザールの呪いを克服してヴェーヌスベルグにやってきたのだ。ならばヴェーヌスベルグの呪いも彼には効かないはずで……

「あ、でもそれじゃどうして死ぬんだ?」

「だってあの人、結構年くってたし、村のみんなを相手するなんて……」

 あはははは! 確かに若くて精力が有り余ってたってハードだぞ? あれって……

「だから人助けだからって言っても、やっぱり話にならなくって……」

 まあ、そうだろうが……

「あー、状況はなんとなく分かったんだが……でも俺にどうにかしろと言われてもなあ……」

 するとティアがにやっと怪しい笑みを浮かべた。

「いや、どうにかしろって言うわけじゃないのよ? ちょっと尋ねたいだけで」

「尋ねたいって、何を?」

「えっと、お兄ちゃんも男よね?」

「あ? そりゃそうだが?」

「じゃあ、そういうことを言われたら、男なら絶対心が動くわよね?」

「あ? まあ、そりゃ内心はそう思うかもしれないけど……」

「要するにそれって我慢してるってことなのよね?」

「あ? まあ、そういう言い方もできるかもしれないけど……それってやっぱりマウーナを思ってのことだろ?」

 ティアがまたにたーっと笑う。

「うんうん。そこなのよ。そこでどうして男が好きな娘のことを思うあまりそんなやせ我慢をするのか、そのスペシャリストのお兄ちゃんに、その気持ちを聞いてみようって思ったのよ?」

「はあ? なんだそりゃ?」

「だってお兄ちゃん、アウラお姉ちゃんと別れたあと、他の女の人は抱かないって決めて、ずーっと我慢してたんでしょ?」

「ぶはーっ!」

 いや、だから……

「綺麗なメイド奴隷さんの誘惑にもずっと耐えたって言ってたわよね?」

「いや、だからあれは……」

「だからちょっとそのときの気持ちをみんなに話してくれると、この問題の解決の糸口が見つかるかもしれないのよ?」

 何か嫌~~な予感がしていたわけだが、こういうトラップだったか!

 しかし彼を見つめる娘達の目は真剣であった。

《ぐっぞ~……》

 確かに彼女たちが男の気持ちに関して無知であるというのは仕方のないことであった。そして彼女たちと二番目に長く付き合っている男がフィンなのだ。

《キールもイルドもこういうことには役立ちそうもないし……》

 フィンは大きくため息をつくと話し始める。

「えっと、そりゃ生身の男だったら、好みの娘を見たらそりゃぐっとくるのは仕方ないさ。でもそう誓ったんだ。誓いってのは、たとえそれがどんな誓いだったとしても、誓った以上は都合でコロコロ破っていいもんじゃないだろ?」

「そんなもんなの?」

 マウーナが首をかしげる。

「そんなもんなんだ!」

「ってことはカサドールもそうなのかしら?」

「さあ……でも結婚っていうのは一人の相手と一生添い遂げるって誓いだと考えれば、彼がそれを破りたくないって思うのはまあ当然だと思うが」

「んー、だからあたしが相手なんだから、そんな誓いなんてしなくていいのに」

 マウーナは全くピンときていないようだ。

「いや、こっちで生まれ育った奴ならそれが当たり前なんで。そう簡単に変えるわけにはいかないんだよ。特にレイモン人はそういう面では保守的みたいなんで……」

 フィンはこの数ヶ月、父親とともによく地元の囲碁サロンにも出入りしていて、生粋のレイモンの男達とも交流していたのだが、そこで彼らが滅ぼしたウィルガ王国に対する複雑な感情を知ることとなったのだ。

 ウィルガ王国は八百年の歴史を持った大国であったが、その間にバシリカを中心として華やかな文化が咲き乱れる。

 例えばあの後宮の素晴らしい建築などはまさにその代表だ。アキーラ城で出てくる料理もそうだし、この間来ていたロマンゾ劇団にしてもそうだ。

 その一方であまり表には出せない闇の文化も花開いていた。

 バシリカの遊郭“エクスタシス”といえば、かつてはこの中原では白銀の都の“バーボ・レアル”と並び立つもう一つの頂点であった。

 また男娼文化というのもここ独特だし、さらにはあのヴェルナ・ファミューラ―――チャイカさんを生み出した、八百年の裏歴史がある。

 かつてのウィルガ貴族は表向きは道徳を重んじ芸術を愛でるという建前になっていたが、裏ではまさに放蕩の限りを尽くしていたのだ。

 例えば遊女を一度に五人買って、そのうちの一人を相手している間に残りの遊女達を互いに絡み合わせてその様を眺める―――などというのはそのささやかな一例であった。

 そんな彼らの二重性はレイモン人から見たらまさに不徳の極みであった。

 ウィルガ王国の滅亡後、レイモンはその文化をそれなりに取り入れたが、それに染まったわけではなく、彼らの伝統的な質実剛健さに強い誇りを抱いていた。

 特にウィルガ貴族の性的な放縦さは退廃の象徴と思われて嫌悪されていた。それ故にウィルガは滅びたのだと……

 しかし男であればそういうことに内心興味がないはずがないのだが、だからこそそれを口に出すことは恥ずべきことであって、もしそれ目当てでヴェーヌスベルグ行ったと思われたらレイモン人としての誇りを喪失してしまうことになる―――カサドールはそう感じたのではないだろうか?

《ってことは……ちょっと簡単じゃないよな? これって……》

 身についてしまった倫理観というのは、そう簡単には覆せるものではないわけで……

「でもこっちの人でも結婚したら浮気くらいするんでしょ?」

 マウーナが尋ねる。

「いや、まあな。世の中には本音と建て前ってものがあって……でもそれは決して良いことではなくて、誓いを破っていることには違いないんだ。だから結局はトラブルになるわけで」

 と、そこでハフラが口を挟んだ。

「あ、だからそういうことをしたらダメよっていう意味で、みんな死ぬのね?」

「あ? 何の話だ?」

 それに答えたのはティアだ。

「いや、この間彼女にね、ロマンス小説で浮気した奴はみんな死ぬんだけど、そんな呪いがこちらにあるのかって聞かれて」

「なんだそりゃ?」

 そこでティアがまた何か言い出そうとしたところに、マウーナが言った。

「えっと、それはともかく、お互いずっと我慢しなきゃならないの?」

 フィンは少々言葉に詰まる。

「えっと……まあ、ほら、こっちでも例えば郭に行くぐらいなら、それほど言われることもないだろうけど」

「でもそれじゃあたしは?」

「ミーラ様も行ってるって言ってたじゃない」

 不満そうなマウーナにリサーンが言うが……

「えー? どうせなら男がいいんだけど」

 あー、そりゃそうだが……

「あはは。いや、こっちでもあるみたいだが。お助け制度、みたいな奴は」

「お助け制度?」

「あ、だからな、若い子って金ないから郭なんか行けないんで、そういう子に近くの奥さんが手ほどきしてあげたりすることがあるらしいんだが……」

 そんな話は都を出奔してから初めて聞いたが、いわゆる平民階級ではわりと普通に行われていることらしい。都にいるときは曲がりなりにも小公家なので、郭に行く費用くらいは何とかなっていたので知らなかったが……

「へー。そんなのがあるんだ

 マウーナの目が輝くが―――おいおい!

「いや、だからね? そういうのも決して推奨されてることじゃなくって、あんま良くはないんだけど黙認されてる、みたいな感じで……」

「ふーん……でもまあ、抜け道みたいなことはあるってことね?」

「いやまあ、何というか……」

 と、そこでティアが口を挟む。

「あー、そういえばお兄ちゃん。あの、ボニー君だっけ? 彼とは……したのよね?」

 ぶはっ!

「いや、だからあれは……」

「それって、確かに女とはしないって誓ったけど、相手が男だったからOKってことよね?」

 いや―――心の中でそういうことを考えたことはあるが……

「なるほど。そういう抜け道があるんだ!」

「でもヴェーヌスベルグに男はいないし。いたって男としてたらもったいないじゃないの」

「そーね……」

 だから何の話なんだ?

「んじゃ、本当にお兄ちゃんは女の子とは何もしてないの?」

「え?」

 女とは何もしていないかって?

《いや、確かにやばかったことはあったが……リエカさんとかリエカさんとか……》

 でもあれは……

「あ? どしたの?」

「え? いや、だからないって!」

 だがそこでサフィーナがぼそっと突っ込んだ。

「本当なのか?」

「どうしたの? サフィーナ?」

「いや、何かそぶりが変だし」

 ………………

 …………

《しまったーっ! 彼女、プチ・アウラだった!》

 アウラは別に魔法が使えるわけではないのだが、細かいそぶりで結構嘘がバレちゃったりするのだ。その薫陶を受けた彼女なら……

 思わず口ごもるフィンにティアがにた~っと笑いかけた。

「ふふふ? それじゃアラーニャ真実審判師に登場してもらっちゃおうかな?」

「おい、お前にそんな権限……」

「あたし女王だし!」

「あ゛ーっ!」

 小さいながらもヴェーヌスベルグは国のようなものだし、そこの女王とそこの魔導師ならば……

「あのー、真実審判ってまだやったことないんですけど」

 アラーニャが素直に首をかしげているが……

「何事も初めてってのがあるのよ」

「おい、やめろって! だから事故みたいなのはあったけど、自分からやったことは一切……」

 ………………

 …………

 しかしそこで思わずフィンの脳裏にあの海水浴での思い出が浮かび上がってしまった。

《あ、あそこで理性が決壊してたなあ……》

 チャイカさんの身の上話を聞いてしまった後、色々ともう我慢できなくなってつい抱きついてしまいそうになったら日焼けで動けなかったとか……

「一切?」

 ティアがじとーっとした目で見つめる。

「あー、だからもうそんな不可抗力みたいなことはあるんだって! そうじゃなきゃ死ぬ、みたいな場合だったらしょうがないだろ‼」

 思わずフィンはそう口走っていたが……

 ………………

 …………

 ……

 あたりに妙な静けさが漂っている。

「ん? 何だよ?」

「なるほど。不可抗力ね?」

「確かに不可抗力なら仕方ないわね」

「おい。何言ってるんだ?」

 一同がにっこり笑う。

「あ、ありがとう。今日は本当に来てくれて助かったわ」

「だからどうする気なんだよ?」

 しかしあとはこちらで何とかなるからと、フィンはその場を追い出されてしまったのであった……



 ―――そうなのだ。あの荷馬に乗せられている袋の中にはカサドールが入っていた。

 彼は昨夜、最後のお別れだからと辰星宮に呼び出されたのだが、そこで薬を盛られてこうして拉致されていく最中なのである。

《まったくもう……》

 確かに不可抗力といえば不可抗力であるが……

「それにしてもいきなりアキーラ城を眠らせたときのことを教えてって言って来たときにはびっくりしちゃいましたが」

「でもま、それが一番平和的な方法だったんじゃないの?」

「でしょーけどねー」

 メイと王女が話しているが―――最初はカサドールの宿舎をみんなで襲おうかと話していたらしいのだが、それでは怪我人が出るかもしれないから、こういう安全確実な方法でやることになったとのことで……

「あ? 見て! 止まったわよ!」

 目を凝らしていたリサーンが叫んだ。

「何か話してる?」

「うんうん……あ! 袋下ろし始めた!」

 彼女たちは本当にみんな目がいい。

「あ、本当ですねえ」

 横でメイが望遠鏡を取りだして覗いているが―――袋からカサドールと思われる誰かが出てくるのがフィンにもかろうじて見えた。それから道脇の草むらの中に走って行くが……

《あはははは!》

 それだけでそこで起こっていたことを理解するには十分であった。

 何故ならカサドールは昨夜薬を盛られて、それからずっと眠っていたのだ。飲ませたのはそんなにきつい薬ではないので、普通の目覚めは迎えられただろう。ただし袋の中で。

 その彼にマウーナが言ったのだ―――『一緒に来るって約束するなら出してあげる』と……

 カサドールは迷っただろうが、一つ切羽詰まった問題があった。昨夜から彼はずっと用を足していなかったわけで……

《ひでーよなあ……》

 まさに究極の選択である。

 一緒に行くと約束するか、それとも袋の中で糞尿まみれになるか?

 そんな極悪な女達に浚われて無理強いされたということならば、十分な不可抗力と言えるであろうが……

 ―――そんなことを考えていたら、カサドールが茂みから現れた。

 そのときには彼が積まれていた馬には馬具がつけられていて、彼がひらっとそれにまたがるとマウーナの馬と寄り添うようにして、一行とともに進み始めたのだ。

「おーっ! やった!」

「マウーナ、良かったわねえ!」

 拍手喝采する残ったヴェーヌスベルグ娘たちを、残りのメンバーが苦笑いしながら眺めている。

 やがて街道が緩くカーブして森の陰に隠れていく場所にさしかかった。そこで一行が停止して振り返り、こちらに手を振るのが見えた。

 丘の上の一同も手を振り返す。

 それから一行は再び前に歩み始めると、その姿が森の端に消えていった。

 一同はしばらくそれを眺めていたが、やがて振り返って互いに見つめ合う。

《本当……に行っちゃったんだな……》

 全員の心の中にそんな思いが去来していた。


 ――― 一つの時代が終わり、新たな世界秩序が出現していた。

 バシリカからアロザール軍が撤退し、カロンデュール大皇を旗頭とする連合軍が凱旋してきたのが一月ほど前。

 その後に戦後処理の会議が行われて暫定的な国境線が決められた。

 当初の予想通りシルヴェストがシフラまで、サルトスがセイルズまで、アイフィロスがトルボまで進出し、レイモンは大中央平原のロータとクルーゼ村まで縮小した。

 アロザールは元の海浜地方のみとなる。

 本来ならこの機に乗じて一気にアロザールに攻め入って謎の大魔法などの秘密を引きずり出したいところなのだが、それまでの各国の被害が大きくそうする余裕がなかったのだ。

 また国境線が決まったと言っても、特に大平原の中央部には明確な境界となる地形がないため、これまでも常に国境紛争が行われていた地域だ。

《ともかくこれで一段落はするだろうけど……》

 時がたち、各国の復興が完了すればまたそのような争いが起こる可能性は高い。

《アイディオンがその歯止めとなるといいんだけどなあ……》

 戦後処理会議で明確に決まった事実が、大河アルバの中流にあるアイディオン湿原に大皇后の離宮を築き、その周囲を都の直轄地とすることだった。そして何かもめ事があればその中立地帯で交渉を行うようにすると。

《これでしばらくの間は……》

 この大いなる危機から世界を救ったメルファラ大皇后が存命の間は、多分それほど致命的な事態にはならないだろうが……

 しかし大皇后が各国の政治に口を出すわけではない。

 彼女はそれを見守っていくことしかできない。

 大皇后とその女戦士達(ベラトリキス)の役割は終わり、世界はまた各国の為政者とその国民の手によって動かされていくことになるのだ。

 そのとき、メイがつぶやくように言った。

「はあ……何だかピンときませんよね? 帰ったら、やあ! とか言って出てきそうで」

「そうね」

 エルミーラ王女もうなずく。

 彼女たちも同じらしい。

 まさに何かぽっかりと穴が空いてしまったような気分だ。

《考えたらそんなに長い付き合いじゃないんだけどなあ……》

 初めて出会ったのがちょうど今から一年前だ。

 一年というのは決して長い期間ではない。

 しかしまさに濃密な付き合いだった―――特にアーシャとマウーナとは……

《あはははは!》

 自信を持って言えるがフィンはアーシャのおっぱいとマウーナのお尻の感触を一番よく知っている男である。

 何の因果かアロザールの呪いの“解呪方法”が分かってしまったおかけで、フィンは連日それに勤しまねばならない立場に追い込まれたのだが……

《あはははは! でも結局一度もしてないんだよな……ちゃんとは……》

 もしかして、ちょっともったいなかったか?―――いやいや……

 一方、シャアラとアカラに関しては、個人的にそれほど親密だったわけではないが、彼女たちはまさに信頼できる仲間達であった。

 シャアラは主にスズメ組で常に最前線で戦ってくれていた。

 そこでは敵への斬り込みは主にアウラとリモンが行い、ヴェーヌスベルグのメンバーは弓での支援と魔法使いのガードが基本分担だった。

 だが実戦ではどうしても敵に迫られてしまうことは避けられない。そんなときにファシアーナやニフレディルをきっちりと守り切ったのが、マジャーラとそして彼女だったのだ。そのため二人は特に魔法使いの二人からは大きな信頼を勝ち得ていた。

 そして作戦中の食事や寝床の準備、着物の支度などはアカラがいなければどうしようもなかっただろう。

 戦いで傷つき疲れて帰ってきた彼女たちを常に受け入れてくれる場所があったというのが、彼らが戦い抜けた極めて大きな要因だった。

 その場所を用意してくれたのがパミーナとルルー、そしてこのアカラであった。

 この一年で彼女たちはまさにフィンの家族同様になっていたのである。

 そして、この別れはこれから起こる多くの別離の第一弾に過ぎないのだ。

 実際に今ここにいるメンバーを見渡すと、ルルーとアイオラが既に旅支度だ。彼女たちも今日これからシフラに旅立っていくのである。

 ルルーはこちらでちゃんとした縫製技術と服飾デザインを学びたいという明確な目標を持っていた。

 最初は単に地味な子だなと思っていたのだが―――こうやって前を見据える彼女の横顔には、はっとするほどの魅力があった。

《すごくいい顔してるよな……》

 その先にはさらなる別離の時が迫っている。

 エルミーラ王女が一行がフォレスを発ってから丸二年が経過していた。彼女たちもそろそろ故郷に帰る時期だ。

 ただ一同は二ヶ月後のアキーラ奪回一周年記念の式典に出ることになっていた。確かにレイモン人にとってはまさに大きな節目だ。そこで一同は最後のお勤めとしてそれに出てから各自の故郷に戻ることになっていた。

 そこで本当のお別れだ。

 式典が終わればエルミーラ王女一行―――王女にメイ、リモン、サフィーナ、それに結局クリンがフォレスに向かって旅立つことになっていた。

 その一行にはハフラと何故かリサーンも混じっていた。

《ハフラって何か学究的なところがあるからなあ……》

 そんな彼女にとってこちらの世界は知識の宝庫だった。そしてアイザック王の図書館とはその一つの頂点で、世界の古代遺跡に関する資料がたくさんそろっていた。

 そこで彼女は勉強した後、故郷に戻ってあの呪われた山やその他のまだ調査されていない遺跡を新たな視点で調べてみたいと考えていた。

《ハフラの話を聞いたらアイザック様も興味津々だろうし……》

 アイザック王は元々古代遺跡の研究をしていて、それが昂じたせいでエルミーラ王女の不良化につながってしまったのだがら―――その彼が西にある未知なる遺跡の深層の扉に興味がないわけがない。

《アイザック様も一緒に行っちゃうかもな……》

 そうなればそのときはエルミーラ王女が女王として君臨することになるわけだが……

 ―――ともかくかようにハフラに関しては目的が明確だったのだが……

《リサーンって結局何がしたいんだ?》

 その言い訳としてはハフラ一人では心許ないからとかなのだが……

《この二人ってどういう関係なんだろう?》

 少なくとも二人はものすごく馬が合っているのは確かだ。

 スズメ組とヒバリ組で戦っていたときは見事に息が合っていたとファシアーナやニフレディルも舌を巻いていた。

 だからお互いに心配だというのは事実なのだろうが、二人がベタベタしている姿はあまり見たことがない。

《むしろマジに碁を打ちたいのか?》

 最近フィンは結構リサーンと碁を打っていて、彼女がめきめき強くなっているのが分かる。

《こういうときが一番面白いのは間違いないんだけど……》

 ヴェーヌスベルグに戻ってしまったら碁を打つ相手がいないのは確かだなのが……

《ま、いてくれて面白いのは確かなんだが……》

 リサーンとハフラの二人とミーティングすることはよくあったが、一緒に作戦を練るのは楽しかった。彼女たちは頭が切れたし、例えば小鳥組のように独特の発想力があってそれに助けられたことも多かった。

 そんな彼女たちをエルミーラ王女もかなり気に入っているようだし……

《ま、確かにハフラにしてもサフィーナにしても、知り合いが多い方が嬉しいだろうし……》

 サフィーナといえば、ヴェーヌスベルグ娘達の中では最も付き合いの深い相手だったのは間違いない。

《最初はちょっと小さな子だなってイメージしかなかったんだが……》

 しかしその彼女がとんでもない猛獣だったとは、まさに夢にも思わなかった。

《あの逃避行作戦じゃ……》

 今から考えたらまさに危機一髪だった。正直フィンの力だけではあの状況は打開できなかったと思うのだが……

《そして結局彼女とは……あは

 結局ヴェーヌスベルグ娘の中で唯一ちゃんとやっちゃった―――というのが、彼女だけだったりするわけで……

《しかしメイは大人気だな……》

 そもそもこんなに多くのヴェーヌスベルグ娘がこちらに残る最初のきっかけがサフィーナだった。何でか彼女がメイにぞっこん惚れ込んで、専属護衛という名のお嫁さんになったのが始まりなのである。

 その彼女はまるでアウラの子供時代とも思えるような肢体をしていたのだが、さらにはアウラから薙刀だけでなく夜の技の手ほどきまで受けて、まさにプチ・アウラという存在となっていた。

 そんな彼女をエルミーラ王女は親衛隊に加えることにしていた。

『うふ。アウラとリモンとガリーナと彼女がいたら、何だか四天王みたいでかっこいいわよね?』

 ―――などと言って笑っていたが……

 そしてこれまた何故か水月宮の侍女をしていたクリンまでが王女付の侍女としてフォレスまで来ることになっていた。

《ゆくゆくはメイの専属従者となるための下準備だとか何とか……》

 こうしてフォレスに来たときよりも大所帯になって帰って行くことになったのだ。

 一方、メルファラ大皇后の一行は都に戻っていく。

 都には彼女とパミーナの他に、ティア、キール/イルド、アラーニャ、アルマーザ、そして何故かマジャーラが同行することになっている。

 ティアとキール/イルド、そしてアルマーザは以前から約束されていたとおり、都で魔法修行するアラーニャの付き添いである。アルマーザは道しるべとしても多分これからもずっと彼女と一緒であろう。

《しかしマジャーラがなあ……》

 何やら彼女はこの間やっていたロマンゾ劇団の双星双樹を見て、演劇にハマってしまったらしい。そして何でかあのイーグレッタの小娘ラクトゥーカと仲良くなっていて、その娘がまた重度の演劇オタらしく、その影響もあってかとうとう都まで来て劇を見倒して帰ることにしたというが……

《どう見てもガチの戦士系なんだけどなあ……》

 実際ヒバリ組ではシャアラとともに実戦を何度もこなしてきたわけで―――まあ、普通の人間にこんな贅沢ができる機会はそうそうない。彼女が望むのなら別にいいのだが……

 ―――そして、フィン自身が視察旅行に出てから四年近くが経っている。

 彼もまた彼の戻るべき場所―――フォレスに帰るときが近づいている。

 ただその前に一旦アウラとともに都に行って息子のアルマリオンを受け取ってからになる。だからまずは都行きの一行とともに出立することになるが、パロマ峠が雪に閉ざされる前にはフォレスを目指さねばならない。

 その後だが、以前は都との間を行ったり来たりというつもりであったが、彼はクォイオで死んだことになっていて、その生存を知られてはいけない存在だ。しかし都には知人も多い。

 そこでエルミーラ王女はむしろメイを外交官としてあちこち派遣して、フィンには軍事や政治のブレーンになって欲しいと考えだしていた。

《メイは最初はえーっ? とか言ってたけど……》

 しかし王女が『あの赤い馬車を専用で使ってもいいんだけど?』とか言ったら、何だか急に乗り気になってくるし……

《まったく馬車に乗れれば何でもいいのか?》

 実際、彼女はベラトリキスのメイ秘書官として、中原では知らぬもののない存在となっていた。

 またフィンがかつて外交官となって欲しいと言われた理由は、都へのパイプがあったからこそなのだが―――今ではもうそんな物は不要だ。

 確かに王女の考えはもっともであるのだが……


 ―――ということは、ファラとはもう滅多に会えないということなのだ……



 アーシャ達の姿が森の端に消え去っていった。

「はあ……」

 メルファラは思わず大きなため息をつく。

 それからあたりを見渡すと―――そこにいる仲間達も皆、同様な気持ちだということが見て取れた。

 彼らとは後もう少しだけ一緒にいられる。

 しかしアキーラ奪回一周年の記念式典が終われば、とうとう別れの時がきてしまうのだ。

《都に……戻るのですね……》

 白銀の都は彼女の故郷だ。普通ならばそれは喜ばしいことのはずなのだが―――彼女はあまり嬉しくなかった。

 都の生活―――それはまさに贅を尽くしたものだ。足らぬ物など存在しない。彼女が望めばいかなる物でも手に入る。だが……

 メルファラの胸中にこの一年間の思い出が駆け巡る。

 このレイモンで過ごした一年は、まさに最高の一年だった。夏の暑さは少々辟易するが、でもこの土地や人々が彼女はとても好きになっていた。

《これって……あのとき以来ですか?》

 彼女の人生にはかつて一度だけ、このように高揚できた日々が存在する。それはル・ウーダ兄妹と都落ちの計画を練っていたときだ。

 あのときもまた最初の予定とは全く違う結末になってしまったのだが―――今回のこれと比べたら……

「ふふっ……」

 思わず笑みが漏れてしまう。

 それにしても、どうしてティアやフィンと一緒にいると、こんなことになるのだろうか?

 メルファラは二人の横顔を見た。

 彼らとはもうしばらくは一緒にいられる。

 ティアは魔法修行のアラーニャの付き添いで、何年かは都に滞在することになるだろう。

 またその仲間のアルマーザやマジャーラも来てくれるというから、その間は話し相手には事欠かないだろう。

 しかしフィンはアウラとともに一旦都まで来るが、アルマリオンを受け取ったらフォレスに向かうという。すると少なくとも夏の終わりには都を発つののだろうが―――そうなると今度はいつ会えるのだろうか?

 最初はフォレスと都の間を使節として行き来するという話であった。しかし色々と落ち着いて考えてみると、極悪人として処刑されたことになっているル・ウーダ・フィナルフィンが都に現れるのがまずいことはよく分かる。

 またティアもアラーニャの修行が終わればヴェーヌスベルグに戻っていくという。

《確かに彼女の居場所も都にはありませんし……》

 メルファラの出自に関しては未だに秘密なのだ。それ故に都で彼女はジアーナ屋敷で一人寂しく暮らさざるを得なかったのだ。その状況が変わらない以上、また同じことになってしまう……

 しかしヴェーヌスベルグには彼女の友人達と、そしてなすべき使命がある。

《一応女王様なのですよね……》

 国というよりは大きな村の村長レベルではあるが、それでも彼女はそこの長なのだ。

 しかもヴェーヌスベルグでは大きな変化が起ころうとしている。

 呪われた女達による閉ざされた世界が、これからはもっと外に開かれていくことになるのだから……

《大丈夫なんでしょうか……》

 少々心配になってしまうが―――でもあちらならば彼女は一人ではない。

 相方のキールは意志は弱いが思慮深い性格だし、ヴェーヌスベルグの娘達も田舎育ちではあるが、決して愚か者などではない。それにいざとなったらレイモンを始めとする各地へのパイプもできている。

 彼女は彼女で何とかやっていけるに違いない……

《それなのに……》

 メルファラはまたため息をついた。

 ここにいる中で一番未来が見えていないのが彼女自身であった。

《ティア達が帰ってしまったら……》

 そうすれば彼女は白銀の都の大皇后として、カロンデュールと共に生きていくことになるのだが……

《………………》

 彼との関係がこれで改善されたというわけではなかった。むしろ二人の間は更に離れてしまったような気がしていた。

 しかし、エルミーラ王女やアウラと出会ってからというもの、彼女たちから色々と怪しいことを教わっている。おかげで彼女もまた普通の女なのだということを認識はできたわけだが……

『それを大皇様に見せてあげたらいかがですか?』

 エルミーラ王女がそんなことを言っていたが……

 確かに今ならばできる気がする。

 あの頃は閨のことなど何も分からず、ただカロンデュールの為すがままであったが、今度はもっと自分からいろいろとしてやれそうなのだが―――正直、あまり気乗りがしなかった。

《本当に……楽しかった……》

 気づくとこうして彼女は過去ばかり振り返ってしまうのだ―――宴はもう終わったというのに……

 と、そのときだ。

「ファラ様? ご気分が優れませんか?」

 話しかけてきたのはエルミーラ王女だ。

「いえ? 別に?」

「そうですか? でもすごく寂しそうなお顔をなさっていたので」

「………………」

 メルファラは思わず黙り込む。そんな彼女に王女が微笑みかけた。

「本当に行ってしまいましたね」

「そうですね」

「私たちももうすぐお別れしなければなりませんが」

 メルファラは胸がずきっとした。

「はい……」

 それから不承不承うなずくが、その次の王女の言葉に驚愕する。

「その前に……思い出を作っておきませんか?」

 ………………

 …………

「思い出? ですか?」

 思わず彼女の顔を見ると―――そこには何やら怪しい笑みを浮かんでいた。