ベラトリキス最後の作戦 第10章 ベラトリキス本当に最後の作戦

第10章 ベラトリキス本当に最後の作戦


 その日フィンはカフェ・アルバーダの一席にいた。

「やけど、大丈夫ですか? フィンさん」

 向かいの席にはパミーナが座っていて、心配そうに彼を見つめている。

「あー、大丈夫だよ。あはははは」

 そうは答えたものの、やはり口の中がかなり痛くて、美味しそうなケーキがあまり味わえそうもない。

《くそ……うっかりしてたよなあ……》

 今日、彼はパミーナとのデートだった。

 しかしこのアキーラでフィンはデートという物をしたことがない。

 そこで色々尋ねた結果、市場を巡ってカフェ・アルバーダでお茶することになったのだが……

『それだったら粉屋の揚げパイは絶対外せませんよ?』

 と、メイだけでなく他の娘たちもお勧めのその店に立ち寄ったのだ。

 時期は六月。よく晴れているので少々暑い。

 しかし真夏の暑さではなく、薄着ならうっすらと汗をかく程度で、時々吹き抜ける風が心地よい。そんなデート日和だったのだが……

《うー、パミーナさん……スタイルもいいもんなあ……》

 従って彼女もまた夏向きの、胸の谷間がしっかり見えるドレスを着用していたわけだ。

 しかもここに至るまで、二人はずっと腕を組んで歩いていた。

 すると彼女の胸が左腕にぴったりとくっついて―――柔らかくて気持ちのよい感触に頭の中がピンク色に染まっていたというのは、男ならば致し方のないことだ。

 そして実際にその粉屋のパイというのは美味しそうだった。

 甘い系統のパイだけでなく、肉やチーズの入った小腹が空いたときに良さそうな物もあって、そこでフィンはチーズパイを注文したのだが……

《パミーナさんが食べてるのって、結構カワイいし……》

 最近ずっとがさつな連中に囲まれていたこともあって、彼女が何とも娘らしくパイを食べる姿に思わず見とれていたわけだ。

 と、そこでふっと目が合ってしまう。慌てたフィンはその内心をごまかすため思わずがぶりと自分のパイにかぶりついてしまったわけだが……

「もっと早く言っておけばよかったんですが……すごく熱いですよって」

 すると中からぶしゅっと溶けたチーズが噴出し、口の中を大やけどしてしまったのだった。

「あははは。でも美味しかったよ。本当に」

 注意していれば本当に絶品だったのだが―――などというのはともかく、どうして彼がこんな所でパミーナとデートしているのかというと、それには以下のような経緯があった。


 ―――その日フィンは急に水月宮の月虹の間に呼び出された。

 今回はエルミーラ王女からということだったのだが、来てみれば王女一行だけでなく、ティアとヴェーヌスベルグの連中、そしてメルファラ大皇后までが勢揃いしていた。

「あの、いったいこれは?」

 恐る恐るフィンが尋ねると、エルミーラ王女がにっこりと笑う。

「一周年記念まであと一ヶ月を切りましたね?」

「はい」

 その笑みが何かを企んでいるときの物だということは、フィンにももう見間違えようがなかった。

《これは……》

 フィンは嫌~な予感がした。

「それが終わったらみんなそれぞれ故郷に帰ってしまうことになりますが……」

「はい」

 それはそうだが……

「そこでちょっと忘れていた約束があるのですよ

「忘れていた約束? ですか?」

 そんな物があっただろうか?―――すると王女がまたにっこりと笑う。

「ほら、最初にクォイオの村でリーブラ様と出会ったときにした約束ですよ?」

「え?」

 クォイオで?

「あのとき私は、もし上手くいったならここにいるみんなでリーブラ様に素敵なお礼をして差し上げます、と約束致しましたよね?」

 ………………

 …………

 ……

 言われてみればそんな約束があったような気はするが―――あれってその場の勢いだったんじゃ⁈

「え? あ?」

「うふ そうしたら本当に上手くいってしまったじゃないですか? だったら私たち、約束を果たさなければいけませんよね

「え? え?」

 フィンは思わずあたりを見回すが―――そこにいる娘たちはみな、何やら期待を込めたような表情でニコニコしている。

《ま・さ・か……ここにいるみんなと⁉》

 いや、それって何て言うか、その……

 言葉の出ないフィンに王女は再び怪しく微笑みかけた。

「うふ ここにいる皆さんとでも構いませんが……でもそうすると帰ってしまったアーシャさんたちやシフラに行ったルルーさんが不公平になりますので……」

 は? お礼してくれる方が不公平って―――なんか本末転倒してないか?

「そこで代表者にお願いすることに致しましたの」

「代表者?」

 王女はまたにこーっと笑う。

「もちろん私たちの代表者と言えば……」

 彼女は側にいたメルファラ大皇后に手を差し伸べる。

「ファラ様以外ございませんよね?」

 ………………

 …………

 ……

「はいぃ??」

 フィンはぎりぎりと軋みながらメルファラの顔を見る。すると―――彼女はぽっと赤くなって下を向いた。

 ………………

 …………

 ……

《マ ジ で ?》

 あまりのことに声が出ないが―――そこにエルミーラ王女が言った。

「この機会を逃すともう二度とそんな機会、無いように思いますが……いかがですか?」

 ………………

 …………

 ……

 この機会を逃すと⁉

「えっと、あの、それって……」

「うふ お嫌ですか?」

「い、いや……でもいったいどうやって……」

 彼女は今天陽宮に滞在していて回りを都からの侍女で固められている。

 カロンデュールも戻ってきているし、とても彼女と二人きりになることなんて―――と、そこでまた王女がにっこりと笑った。

「そのためにちょっとした計画も考えているのですよ?」

 計画?

 話を聞いていた一同がまたみな、にっこりとフィンに微笑みかけた―――


《そういう計画ってか、悪巧み、好きだよなあ……》

 要するに王女は暇を持て余していた。

 アキーラ解放が達成されてしまった後、彼女が主体的に動く必要はなくなっていた。もちろん様々な会議に呼ばれて意見したりはしていたが、あくまでオブザーバーの役割だ。

 そんなときにはこれまでなら例の息抜きをしていたところだろう。しかしここでは彼女は超有名人だ。田舎の小国の無名の姫ではない。そんな彼女が郭に出入りしたとなれば大騒ぎになるのは間違いない。

 というわけで王女は少々ストレスを溜めていて、この“ベラトリキス本当に最後の作戦”をまさにノリノリで計画してくれたのだった。

 もちろん話を聞いた連中たちも同様だ―――そうして考えられた作戦とは以下のような物だった。

 アキーラ解放一周年記念式典が終われば彼女たちは別れ別れになってしまう。そこでその前に一緒に戦った仲間達で最後のお別れピクニックを行うことにするのだ。そうすること自体には何の不自然もない。

 参加者はこちらに残っていた仲間たち―――メルファラ、パミーナ、ファシアーナ、ニフレディル、エルミーラ、アウラ、リモン、メイ、サフィーナ、ティア、キール、アラーニャ、アルマーザ、ハフラ、リサーン、マジャーラである。

 その日はみんなで田舎に遠乗りして、持って行ったお弁当を食べて夕方くらいに帰る予定になっていた。もちろん護衛部隊にもついてきてもらうが、あまりガチガチに固められると気が休まらないので、遠巻きに警護してもらうことにする。

 ところが当日の朝、パミーナが体調を崩してしまって参加を断念してしまうのだ。

 仕方なく残ったメンバーでピクニックに行くことになるが―――実際に行くのはメルファラに扮したパミーナで、パミーナの自室で休んでいるのがメルファラ本人なのだ。

 メンバー全員がピクニックに行っているので水月宮は空だ。そこにフィンが忍んでいって、彼女に“お礼”をしてもらう、という算段であった。

 しかし後宮に入るにはフィンでもそれなりの理由が必要である。アウラと過ごすときでも、門衛にはいつも話は通していた。

 今回はパミーナの見舞いに来たという触れ込みにするわけだが、そうすると彼女と親しくなければ怪しまれる、ということでこんな準備工作―――彼女とデートをさせられていたのだ。

《でも、俺がベラトリキスと一緒に活動してたことは、門衛なら知ってるんだが……》

 その仲間を心配してきたと言えばほぼ間違いなく通してもらえると思うのだが……

《絶対からかわれているよな、これって……》

 奴らのニタニタ笑い、あれは間違いなく面白がってるに決まっている!

 だが、パミーナとのデートが嫌なわけではない。

《パミーナさんとは結構前からのつきあいなんだよな……》

 彼女と初めて出会ったのは、あの山荘事件の後だった。

 メルファラがカロンデュールの后になることで、ジークの家とダアルの家の確執は終わることとなった。しかし事の詳細は表沙汰にはできない。そこでエイジニア皇女の遺言でメルファラ皇女は秘密裏に別々に育てられたことになったわけだが、それを信じてもらうためにはメルフロウ皇太子とメルファラ皇女が共に人々の前に姿を見せる必要があった。

 そのときにメルファラ皇女の替え玉になったのが、このパミーナだ。

《遠目には本当によく似てたもんな……》

 彼女は顔や髪の色は違っていたが背格好はよく似ていた。

 その上メルファラのドレスがそのまま入るくらいにスタイルも良かった。なのでかつらをつけて顔をヴェールで覆っておけば、ばれる心配はほぼなかった。

《とはいえ……腹が据わってるのも確かなんだよな……》

 メルファラ皇女のお披露目のときには都中の貴族が集まった。そんな中で彼女を演じるというのは、並大抵の度胸ではないと思うのだが……

《それに今回だって……》

 アロザールへ向かう大皇后に付き従ってきた侍女は結局彼女だけだった。

 その後の戦いではまさに明日をも知れぬ毎日だった。

 普通だったらパニックになってもおかしくない。

 しかし彼女は常にそこで黙々と彼らの“家”を支え続けてきたのだ。

 まさに縁の下の力持ち、ベラトリキスのお母さんみたいな存在だったわけで―――そんな感慨を抱きながら彼女を眺めるが……

《あは 何だか色っぽいよな……》

 ついつい目が彼女の胸の谷間に向かってしまうが……

《いかんいかん……》

 さっきもそれで口の中を火傷してしまったわけで……

《でも……あー、何だろう?》

 この一年、何だか女の裸にまみれて暮らしてきたようなのだが……

 ヴェーヌスベルグの連中は人がいる前でもすぐ裸になるし、風呂なんかにも平気で入ってくる。確かにそんな姿を見たらそそられてるのは確かだが、何というか色っぽいというのとはまた別で……

《要するに羞恥心ってのがないんだよな、あいつら……》

 そもそも裸というのはみだりに他人―――特に男に見せるものではないわけで、普通の女ならばそうならないように色々とガードするものなのだ。

 その先を知りたいと願う男心と、それを一見拒みつつも決して拒否するわけでもないという女心との間に色っぽさという概念が生まれてくるのだが……

《アウラも結構そういうところがあったからなあ……あの滝壺とか……》

 あの頃の彼女は極度に男嫌いだったが、そんなガードというのにはあまり縁が無かった。

《ま、そうなる前に斬られてたんだけどな……ははは!》

 それに対してパミーナは、まさに普通の女性であった。

 当然これまで彼女が裸を見せたようなことはないし―――と思った途端、急に彼女の素晴らしい胸やボディーラインが気になって仕方なくなってしまうが……

「ん? どうしました?」

 パミーナが不思議そうにフィンを見た。

《いやいや!》

 ここで彼女に欲情していてどうする⁉

「あー、そういえばアルマーザの特訓は何とかなってるのか?」

 フィンはごまかした。

 パミーナはうなずいた。

「ええ。アルマさん、とっても飲み込みが早くて」

「そうなんだ。確かに器用そうだしなあ」

 ヴェーヌスベルグの娘たちは概ね得意不得意がはっきりしていたが、彼女は例外的に何でも上手にこなすことができた。そこで作戦中もあちこち手の足りないところに入ってもらうことが多く、彼女がいなくなったら“全体が平均的に困ってしまった”わけだが……

《よく見ると結構美人だし、スタイルなんかもいいんだが……》

 スペックから言ったらかなりの上級品なのだが……

《どうしてあんなに色っぽくないんだ?》

 彼女と一緒にいても何故かそんな気分にはならないのである。人間とは不思議な物だ―――というのはさておき、今回の作戦ではそのアルマーザが重要な役割を担っていた。

 彼女がパミーナに付き添って残ることになっていたのだ。

 当日は侍女たちには休みを出してあるので、水月宮は空っぽになるはずだ。しかしいつ何時予期せぬ闖入者が現れないとも限らない。そこで現場を見張る要員が必要になるのだが、その役を彼女にやってもらうことになったのだ。

 彼女はここ最近ずっとパミーナと一緒に仕事もしていて十分親しくなっているし、アラーニャと心話ができるようにもなっているので、何かあった場合にも連絡が取りやすい。

 また、パミーナが身代わりとして行ってしまうと、メルファラの身の回りの世話をする者が別に必要になる。それもアルマーザに任せることになったのだが、エルミーラ王女などとは違って彼女はみんなパミーナに任せきりなのだ。そのため、世話の仕方の特訓をしなければならなかったのである。

「最初はずいぶん驚いていましたよ? ファラ様のドレスの着付けってこんなにめんどくさいんですかって」

「あはは。俺にはよく分からないけど、そうなんだ?」

「はい。でももうすっかり覚えてしまって、都の作法なんかもずいぶん身についてきましたから、もう少ししたらデュール様のお世話だって任せられそうですよ」

「へえぇ。そうなんだ……」

 そもそも大皇や大皇后の侍女というのは、まさにエリートだ。都の場合は家柄とかも関わってはくるが、少なくとも侍女としての一級のスキルが無ければ話にならない。

《確かにそういう能力は高いんだけどなー……》

 ―――そんな調子で雑談をしているうちに、陽が少し傾いてきた。

「さてこれからどうしようか?」

「もう少し市場を見ていきませんか」

「そうしようか」

 二人はカフェを後にして、市場の散策を始める。

 市場は完全に以前の活気を取り戻していた。

《前、アキーラに滞在してたときはこんな感じだったもんなあ……》

 あのときはレイモン軍の動向を調査するため走り回っていて、市場をゆっくり見て回ることはできなかったが―――しかし……

《うわ……》

 こうやって歩いているとまたパミーナが左腕にくっついてくるわけだが、そうすると彼女の胸の感触がまた直に伝わってきてしまうわけで……

《こんな感じで歩いたのっていつ以来だ?》

 思い起こしてみると―――アウラとこんな感じになったことはないし、そうするともっと前か? もっとずっと若い頃、知り合いの娘と何度かデートしたことはあったが……

《いや、ちょっと違うけどあのとき……》

 フィンの脳裏にあの森の奥で起こったことが蘇ってきた。

 大怪我をして何とか岩棚の上に飛び乗ってファラと二人で身を寄せ合って耐え忍んでいたとき、ほとんど絶命しかかっていた彼に彼女が抱きついてきて……

『こうしていればあなたが生きていることがよく分かりますから……』

 ―――彼女がそう言ったときだ。

《いや、マジやばかったもんな、あのときは……》

 おかげで思わず蘇生してしまったのだが―――あの感触をどうして忘れていたんだろうか?

 そう思った途端に今度は頭の中がそれで一杯になってしまう。

 そして……

《あれを……今度は?》

 ………………

 …………

 ……

 そのことをはっきりと認識した瞬間―――フィンはボッと顔が熱くなった。

《ファラをこの手で……今度は……》

 そのときだ。


「フィン? どうしました?」


 メルファラの声がした。

「うえっ⁉」

 と、思ってあたりを見回すが―――そこにはニコニコしているパミーナがいるばかりだ。

「あは。似てました?」

「え? じゃあ今のは……」

「私も色々と練習しておかなければいけませんし

「あはは。そうかー。上手だねー。彼女の声真似」

「ありがとうございます!」

 というか、これって本番になったらどういうことになってしまうのだ?



 ―――そして作戦当日が訪れた。

《いいんだよな? 本当にいいんだよな?》

 後宮へ向かう通廊でフィンは何度も自問していた。

 とうとうこの日がやって来てしまったのだ。もし止めるのなら今しかないが―――今更それは不可能だ。

 気づけば彼は後宮の玄関前にいた。

 そこには不埒な者の侵入を阻止すべく、二十四時間常に門衛が立っている。

 フィンは彼らに少々慌て気味に尋ねた。

「えっと、パミーナが倒れたと聞いて……」

 門衛はにっこりと笑った。

「これはリーブラ様。いえ、それほどの重病ではないそうですが、大事を取って今日はお休みになっているそうです」

 フィンは大げさにほっとした様子を見せると……

「あの、じゃ、ちょっと見舞ってきていいですか?」

「ああ、どうぞ。お越し下さい」

 門衛たちはあっさりと道を空けた。

《これって……効果があったのか?》

 今まで一人で来るときには原則アポは入れていたが、会議の帰りなど王女やメイと一緒の時などはいつもそのまま入っても特に何も言われなかったのだが―――まあ念には念を入れておくに超したことはないわけだが……

 フィンは後宮の庭園へと続く回廊に足を踏み入れた。

 ここを通るときにはいつも少々浮かれていた―――その先にアウラが待っていたからだ。

 最近は諸般の理由でなかなか彼女と一緒に過ごす時間が取れなかったからだが……

 しかし今日待っているのは、彼女ではない。

《いいんだよな? 本当にいいんだよな?》

 あれからというもの、彼は何度も何度もそう自問していた。

 これまでフィンは想像の上でも彼女を抱いたことはなかった。

 そんなことをしたらもう歯止めが効かなくなってしまう―――そう思ったからだ。

 だがそれで忘れられたと思っても、カロンデュールの后となった彼女を見ていると心が苦しかった。

 その理由は明らかだった。

 だから決壊してしまう前に都を出奔したのだ。

 そんなことになったらあの山荘で命がけで行ったことが無に帰してしまうからだ。

 だが、いくら旅しても彼女への思いは断ち切れなかった。何かがあるとすぐに彼女からもらった宝剣を手に取ってしまうのだ。

 そこでアウラという素晴らしい伴侶を得られて、やっと決別できたと思った。うっかりあの剣に錆を浮かせるなんて、その前ならば考えられなかったからだ。

 それなのに―――レイモンの都攻めの話を聞いたときには自然と体が動いていたのだ。

 考えてみれば彼女を守るべきは都であり大皇だ。フィンごときの出る幕ではないし、そもそも彼が行って何ができる?

 それが普通の判断だ。

 だが―――結果的にはそれが吉と出た。

 もし彼が動かなければ―――結局アウラが都のメルファラの屋敷に乱入するようなこともなく、彼らはフォレスからその事件を眺めていたことだろう。

 都にエルミーラ王女一行が行かなければ、レイモンの都攻めの顛末は少々変わったかも知れない。

 しかしアロザールはあの呪いを前々から準備しており、やがてレイモンは破れてアルクスがメルファラを妃に要求したのはほぼ間違いなかった。

 そうなったら都にそれを止められただろうか?

《都にだって骨のある人はいただろうから……》

 例えばあのハヤセ・アルヴィーロ氏が失脚していなければ、彼ならば断固反対を貫いただろうが―――ただそれがどのような結末になったにしても、フィンはそれをただ傍観することしたできなかった。

《そしてあの時のことを一生悔やんでたんだ……》

 そう。彼がその前に一つの決断をしていれば、彼女をそんな辛い目に遭わせずに済んだのだ。

 彼女が『行って……大丈夫ですね?』と尋ねてきたときに『やはりここに残ってくれ』と答えていたならば……

 そのときならまだ修正は可能だった。

 あの結婚の最大の意義は、ジークの家とダアルの家の和解にあった。

 悲劇の全ては両家の確執から始まっていたからだ。

 カロンデュールとメルファラが結ばれることによって、その禍根が根底から消え去ったのは間違いない。

 だが、婚姻がお流れになったところで特にダアルの家に不都合があるわけではなかった。

 確かにカロンデュールはメルファラの美貌に参っていたが、彼はまだ彼女の正体を知らなかったし、他にも美女はたくさんいる。

 むしろ困るのはジークの家だが、ジークⅦ世の犯した罪はまさに大逆だ。いかなる裁きを受けようとも文句の言えない立場なのだ。

《だってあのときはあれが最善だって思ってたし……》

 長年にわたる両家の確執が終了するということには計り知れない価値があった。

 そして大皇后というのは世界中の女の中でも最高の地位だ。

 自分なんかと一緒に来るよりも、大皇后になる方が彼女は幸せなのだ―――そう思ったから、彼女を引き留めなかったのだ。

《でも……》

 あの場所で彼女と一度だけ口づけをした。

 それは彼女が彼にしてくれたのだが―――その意味とは?

 その思い出がフィンの心の中に刺さった小さな棘となっていた。

 もし彼女とカロンデュールの間が良好であったならば、それも忘れることができたかもしれない。

 しかし蜜月は短く、時と共に両者の間に溝ができていくのが見えてくる。

 フィンはその秘密を知っているという立場上、大皇と大皇后の近くに居ざるをえなかった。

 だが、彼女に触れることはできなかった。

 大皇と大皇后とは白銀の都の象徴そのものだ。そうなってしまった彼女はまさに彼の手の届かない存在となっていた。

《そして……逃げたんだよな……》

 フィンは力なく笑う。

 彼はいたたまれなくなって都を出た。

 再び戻るつもりはなかった。

 この秘密を永久に心の底に秘めたまま、どこかでひっそりと暮らそう―――そう思って旅をしていたのだ。

《それなのに……》

 何だか乾いた笑いが出てきてしまう。

 どうしてこんなことになってしまったのだろうか?

 全てはあのトレンテの河原でアウラと出会ったときに始まった。

 そこからの起こった出来事といえば……

「ははは……」

 いや、何だったんだ? とんでもないトラブルに巻き込まれまくりで、命の危機も数知れず、一歩間違えれば常に奈落の底といった人生を歩む羽目になってしまったわけだが……

 そうしてクォイオで二人は再会した。

 彼女の姿を再度見られるとは思ってもいなかったのに……

 そうして自分でもよく分からないうちに、この中原に訪れていた大いなる危機は回避されていた。

 控えめに考えても、まあよく頑張ったと言っていいと思う。

《そしてそのお礼って事なんだが……》

 フィンはクスッと笑った。

 これがその報酬だとしたのなら、まさに全然割が合わない。

 何しろ彼女とこうして肌を合わせられるのは今日この一日限り。

 明日以降、彼女はもう二度と手に届かないところに行ってしまうのだ。

 彼はあのとき―――あの天窓からメルフロウが着替えをするのを覗いた瞬間から、彼女に恋い焦がれていたのだ。

 それなのに、その想いと矛盾した行動を取ってしまったが故に、その後の人生ではそれを無かったことにし続けざるを得なかった。

 それ故にアウラと分かれたときに間抜けな誓いを立ててしまった。

《あそこで引き留めていたら……》

 そこからは全く別な物語が始まったことだろう。

 その物語にはアウラもエルミーラ王女もメイも出てこないだろうが―――しかし別な登場人物に出会えていたのも確かだ。それが誰かは今となっては知る由もないが……

 ともかく、彼女と触れあえるのは今日この日だけなのだ。

《……なんて後悔しても始まらないよな?》

 本来ならその一日さえ無かったはずなのだ。

 まさに人生における奇跡の一日―――フィンがそんなことを思いながら足を進めていくと、庭園の中に見慣れた水月宮が現れた。

 その前でアルマーザが彼を待っていた。

「あ。フィンさん。いらっしゃい! ファラ様、お待ちですよ」

「ありがとう」

「それではこちらにどうぞ」

 彼女が先導して歩き始める。

 そして……



 どくん……どくん……

 心臓の高鳴る音が聞こえる。

 メルファラはパミーナのベッドの中ですっぽりと布団に潜り込んでいた。薄手の布団だとはいえ、この時期には少々暑いのだが……

 こうしているとまだ小さかった頃を思い出す。

 あの頃もよくこうして布団に潜り込んでいた。その暗闇と暖かさが心地よかったからだ。

 外の世界は苦手だった。

 ただ広いばかりの無味乾燥な空間にしか見えなかった。

 彼女はそこに価値ある物を見いだせなかった―――あの頃は本当に一人ぼっちだった。

 身近にいる人間はハルムートとルウ、それに屋敷の使用人が数名。そしてときたま訪れる父親、ジークⅦ世のみ。

 彼女と年の近い友人は誰も居なかった。あの砂浜で二人に出会うまでは……

 まさに運命の出会いだった。

 灰色だった世界がいきなり輝きだした。

 彼女は外の世界にも美しい物があるのだと初めて気づいたのだ。

《ティア……フィン……》

 だがその時は長くは続かなかった。

 夏の終わりに父親が現れて、彼らと交際するのを禁じられてしまったからだ。

 再び彼女は灰色の世界で一人暮らすことになる。

 しかし、前とは違った事があった―――その思い出があるというだけで、そんな世界に耐えていく勇気がわいてきたのだ。

 そして期せずしてティアと再会したとき、まさに止まっていた時が動き出した。

 そこでフィンとも再会した。

 しかしそのことにはそれほどの意味はなかった―――そのときの彼女はそう思っていた。

 彼はティアと仲良しのちょっと意地悪なお兄ちゃんというスタンスで、今後家族づきあいをしていくル・ウーダ一家の一人に過ぎない―――そう思っていたのだ。

《あのときは……本当に失礼な事をしてしまいましたが……》

 夜会の招待状がブッキングしてしまったとき、ティアの代わりに来てくれたフィンを完全に放置してしまったのだ。

 ところがその後、ティアが何とデュールのプロポーズを蹴って自分の所に来てくれたのだ!

《はあ……》

 メルファラはため息をついた。

 どうしてあの頃の自分はあれほどまでに愚かだったのだろう?

 そのときのティアはまだ彼女がメルフロウだと信じていたのだから、それはまさに最大の裏切りだったというのに……

 そしてこれまた驚天動地なことに、彼女が正体を明かした後もティアは一緒にいてくれたのだ。

 それがどれほど嬉しかったか、そしてどれほど浅はかであったか―――それを思い知らされたのがあの夜話茶会であった。

《本当にあのときまで、私は何も気づいていなかった……》

 そもそも、メルファラは女なのだ。

 女のメルファラが皇太子になれるはずがなかった。

 女のメルファラが妃に世継ぎを産ませることなど不可能だった。

 そんな簡単なことなのに―――あの湖畔でフィンに言われるまで、彼女は何一つ気づいてはいなかったのだ。

 本当に乾いた笑いが出てきてしまう。

 そのとき彼女がどんな陥穽に填まっていて、どんな窮地にティアたちを追いやっていたのか? その張本人が何一つ知らなかったというのだから……

《でも……》

 また思わず笑いがこみ上げてくる。

 それからというもの、まさに充実した日々だったからだ。

 囚われた罠から脱出すべくただ足掻いていただけだというのに……

 一歩間違えば破滅が待ち構えていたというのに……

《楽しかった……》

 彼女の人生にそんな時期が三つある。

 一つは銀の湖の畔で彼らと出会い遊んだとき。

 一つはここで彼らと共に陥った罠から逃れようとしたとき。

 そしてもう一つがこのレイモンの平原で彼らと共に戦ったときだが……

《あのときが一番心細かったでしょうか?》

 山荘が襲撃されて山の中を逃げ回り、最後は大怪我で死に瀕していたフィンと狭い岩棚の上で体を寄せ合っていたとき……

《まさに奇跡でしたから……ティアが間に合ったのは……》

 だが―――最高だったのはそこまでだった。

 その後の人生は、外からは世の頂点に登りつめていったように見えただろうが―――彼女には坂道を転げ落ちているようだった。

 確かにカロンデュールは優しい人だ。

 彼がOKしてくれたからこそ、ジークの家とダアルの家は和解できた。

 やがて彼は大皇となり、彼女は大皇后となった。

 物語ならば、そして二人はずっと幸せに暮らしました、という大団円だ。

 だが……

《あのとき……もっとはっきり言った方が良かったのでしょうか?》

 あの山荘の一室で、傷つき疲れているフィンに対して、彼女は精一杯の勇気を振り絞って言ったのだ―――行って、大丈夫ですね? と……

 そして彼は、行ってらっしゃい、と答えた。

 だから彼女は行った。

 だが別れ際、体が勝手に動いていた。

 気がついたら彼女はフィンの唇にキスをしていた。

 そのときは自分でも驚いたものだが―――今はその理由は明らかだ。

《私は……彼と行きたかったのです》

 そもそも最初はみんなで都落ちする計画だったのだ。

 しかしそこにいる誰もが都から離れたことがなかった。誰もが見知らぬ外の世界に二の足を踏んでいた。

 そこにフィンが起死回生の名案を思いついてしまう―――彼女とカロンデュールが結婚すれば何もかもが丸く収まると……

 誰もがそれを良い案だと思った。

《でも……》

 本当にそれは良い案だったのだろうか?

 何が良くて何が悪いのか?

 あのときフィンと一緒に都を落ちていたら、もっと幸せに暮らせていたかもしれない。

 だが彼女たちはアロザールが世界を蹂躙するところを、ただ呆然と見ていることしかできなかっただろう。

 それとも“メルファラ大皇后”などという者が存在しなければ、アロザールは侵略をしなかったのだろうか?

「ふふっ」

 愚かしい!―――自分にそれほどの価値があるとでも?

 美貌という点なら都に彼女に匹敵する者は他にもいた。例えばハヤセのアンシャーラ姫とか……

 もしティアと再会していなければ、結婚していたかもしれなかった人……

《彼女も素晴らしい人でしたが……》

 しかしあの頃はちょっと姫は苦手だった。

 美しく、自信に満ちていて、色々な人たちに囲まれていて―――メルファラが持っていない物を全て持っているように思えたからだ。

《彼女は今どうしているんでしょうか?》

 姫の父親、ハヤセ・アルヴィーロ氏はレイモンと通じた咎で失脚し、その後はアイフィロスに落ちていった。そのときに彼女も同行して、その後の消息は聞かないが……

《レイモンと通じた咎とか……》

 今となっては笑うしかないが……

 本当に何が良くて何が悪かったのか?

 大皇后とは、大皇―――大聖の直系で、この世で最も尊敬されている男の妻だ。すなわちこの世の女性の頂点なのだ。

 そんな存在となることができたのに―――その生活は退屈だった。

 毎日毎日が謁見の日々。いろいろな者達がやってきて美辞麗句を並べるのを、ただ笑って聞いているだけの役割。

 そして二言目には良い世継ぎをと―――自分は女なのだからそれは仕方ない。彼女の定めだ。

 そのためにカロンデュールと同衾したのだが―――それはまさにそういう行為を行ったというだけだった。

 最初は彼の方がやたらに盛り上がっていたのが、だんだんトーンダウンしてくるのが分かる。

 しかし彼女にはどうしたらいいか分からなかった。

 そして身籠もることはできたが、運悪くその子は死産であった。

 それから彼とは疎遠な日々が続く。

 そんな中で唯一の友であったフィンとティアが両方とも失踪してしまう。

 彼女は全てを失った。

 まさに孤独な日々だった。

 ―――だがそこに新しい奇跡がやってきたのだ。

《彼女が乱入してきたときには……》

 今でも笑いがこみ上げてくる。

 そしてその翌年、彼女の招きに応じてエルミーラ王女一行がやってきてからというもの……

《驚きました……》

 ファシアーナの露天風呂で彼女たちから教わったことには……

 そのときメルファラは女の喜びという物があったことを初めて知った。

 エルミーラ王女とアウラに挟まれて絶頂に達したとき、自分が女だということをまさに思い知ったのだ。

 聞けばアウラも以前は何も感じなかったという。しかしフィンと出会って、彼とならすごく気持ちよくなれるようになったのだと。

『そんな彼女に比べたらファラ様なんて全然大したことがありませんわ』

 そうエルミーラ王女が笑っていたが……

 アウラの場合、遊女も含めて数名がかりで愛撫してやっても何も感じられなかったそうだが……

『こういう悦びを得るためだけなら特に愛情は必要ないのですよ。相手が信頼できればそれで十分ですから』

 エルミーラ王女はそんなことも言っていた。そして……

『私の結婚相手は国の都合で決まることになるでしょう。その相手を愛せるかどうかはわかりません。でも楽しむことならできるでしょうね』

 聞けば彼女が本当に愛しているのはベラの国長、ロムルースだという。

 そして彼女はとんでもない方法で思いを遂げて、国には彼との息子が待っているという。

 そんな王女に愛されるなんて、その方はとても素晴らしい人なんでしょうね? と尋ねたら、何故かアウラもメイも微妙な顔をしていたが……

 それはともかく、メルファラには分かっていた。

 彼女には自分からそんなことをする勇気はないことを。今ここから逃げ出さずにいるというだけで、まさに必死なのに……

 だが―――頭の中にはそんな混乱が渦巻いているのに、なぜか彼女の体は喜んでいた。

「あ……」

 乳首と衣が軽くこすれるだけで軽い電気が走る。

 秘所が既にとろりとした液体で溢れかえっているのが感じられる。

 デュールを待っているときにはこんな風になったことはなかったのに……

《フィン……》

 それは間違いなくこれから来るのが彼だからだ。

 彼を愛しているか? と聞かれたらよく分からないと答えるしかない。

 だが彼を信じているか? と聞かれたのなら自信を持って答えられる。もちろん! と……

 でも……

 これから起こることを悔いることはないだろう。

 だが……

《これで……本当に決別できるのでしょうか?》

 一度触れあってしまったなら、むしろ離れられなくなってしまうのでは?

 だとすれば、やはり何もせずにおいた方がいいのだろうか?―――この日に至るまで、彼女の頭の中にはそんな思いが渦巻き続けていた。

 そしてとうとう今日の朝、遠乗りに出立する直前でも、まだその考えが頭から離れなかった。

 そこでパミーナが急に腹痛を起こして、一旦みんなで水月宮に戻って……

『それじゃファラ様、お召し物をお脱ぎ下さい』

 アルマーザがそう言ったときにも、頭の中は果たしてこんなことをしていいのか? という思いで一杯だったのだが……

 しかし気づいたら彼女は服を脱いでおり、パミーナの寝衣に手を通していた。

 目の前でアルマーザが手際よくパミーナに彼女の服を着せていく。

 そして偽物のメルファラが遠乗りに出かけるのを見送ると、偽物のパミーナが彼女のベッドに潜り込む。

 全てが滞りなく行われた。

 そう。その心とは裏腹に、全身がそれを求めていたからだ。


「ファラ様! フィンさんが来ましたよ!」


 アルマーザの声がする。

 メルファラの体がかっと熱くなる。

 それから恐る恐る布団から顔を出すと―――扉の前に立っているフィンと目が合った。



《ファラ……》

 布団の中から彼女が見つめている。

 その視線を受けたフィンは体が痺れた。

 メルファラは彼をじっと見つめるだけで身じろぎもしない。

《えっと……》

 頭の中が真っ白だ。これから彼は一体どうしたら良いのだ?

 思わず二三歩前に出ると―――彼女がビクッと震えて、それからベッドの上に起き上がった。そして……

「フィン……」

 その口が彼の名前を呼ぶ。

「あ、やあ……」

 ―――って、何だ? この間抜けな挨拶は……

 だが、それでも少しだけ心にゆとりが生まれた。そこで彼は彼女に言ったのだが……

「えっと、いい天気で良かったな」

 ―――いや、何言ってるんだ? 俺って。カーテンが閉め切られていて、外の天気なんか分からないだろ?

「ええ」

 だが、彼女ははにかんでうなずいた。

 それから……

 それから……

《えっと……えっと……つまらない話しててもしょうがないし……》

 でもそれならば―――始めるしかないわけだが……

《始めるって……どうやって??》

 ………………

 …………

 ……

 これがアウラの場合なら全く悩むことはなかった。二人がその気になったらもう自然と始まってしまうからだ。

 だがフィンはメルファラを恋人としてその腕に抱くことなど想定したことがなかった。

 そんなこと、しようにもできなかった。

 いや、都にいて皇太子妃となった彼女の側にいたころ、心の中を何度かかすめたことはあったが……

《んなこと考えてたら、いつかどうかしちゃいそうだったし……》

 彼が都を落ちたのは彼女と決別するためだった。

 彼は彼女を忘れなければならなかった。

 しかしまさに因果は巡り、今、彼の前には彼女がいる。

 だが……

《俺、ファラのこと何も知らないんだ……》

 その事実に気づいてフィンは愕然とした。

 彼女と共に過ごした時間というのは、あるようで無かった。

 デートしたことはもちろん、ゆっくりと雑談をしたような記憶さえあまりなかった。

 フィンは彼女が何が好きで何が嫌いか分からなかった。

《これで?》

 もしここで迂闊なことをして彼女を傷つけてしまったらどうなる?

 そんなことになったら……

 そんなことになったら……

 と、そのときだ。メルファラが布団から抜け出すとベッドの端に座ったのだ。

「こんな季節に布団の中は暑いですね」

「あ、ああ……」

 見ると寝衣の胸元から豊かな乳房が覗いていて、その谷間がうっすらと汗をかいている。

《うわ……》

 フィンの眼差しは思わずそれに吸い付けられるが―――すると彼女はすっと立ち上がってフィンの前に立った。

 それからおもむろに帯を解き始める。

《え?》

 フィンはぽかんとしてそれを眺めていた。帯を解いてどうする? どうするって……

 帯が床に落ちると―――彼女は彼の見ている前で寝衣をするりと脱ぎ捨てた。

 その下に彼女は何も着けていなかった。

「うえっ⁉」

 フィンの喉からおかしな声が漏れる。

 だがメルファラは気持ちよさそうに深呼吸をした。

「ああ、こうすると涼しくて気持ちいいですね」

「あ、そうだね……」

 また間抜けな答えを返すフィンに、彼女が微笑みかけた。

 そして彼に問いかけた。

「私はどうですか?」

「え?」

「私は美しいそうなのです。皆がそう褒めてくれるのですが……フィンはどう思いますか?」

 思わず彼女を見つめるが―――彼女は今、一糸まとわぬ姿だ。

 彼女の裸身に視線が釘付けになる。

《綺麗だ……》

 生まれたままの彼女をこれほどまで間近に見たのは初めてだ。これまではあの天窓から覗いた着替え姿が全てだったのだから……

 彼女の体は完璧なまでに均整がとれていた。

 ふわりと波打ったブルネットの髪の間から、きらめく二つの瞳が彼を見つめている。

 豊かなのに形を綺麗に保った乳房の上に、濃いピンク色の乳首がちょこんと乗っている。

 肩から腰、そして太ももに続くラインはまさに理想のカーブを描いていて、その間にあるお臍の窪みの下にはブルネットの小さな森が茂っていて……

 背筋にゾクッと電撃のような感覚が走る。

「どうでしょう?」

「綺麗だ……」

 フィンはただそれだけしか答えられなかった。それを表現する美辞麗句など、何一つ思い浮かばなかったのだ。

 だがその答えを聞いて彼女はほっとしたように微笑んだ。

《どうしてこれほどまでに彼女は美しく生まれてきたんだ?》

 この世で一番娘を望んでいなかった男の元に、この世で一番美しい娘が与えられてしまったのだ。

《本当にあんな生まれじゃなくって、ちゃんとした姫として育てられてたら……》

 そう思ってフィンはクスッと笑った―――なぜなら、そんなことになっていたら彼女は間違いなくフィンなどの手が届く存在ではなかった。

 そうなっていたなら彼と彼女の運命が交わることなどなかった。

 なのにここでこうしていられるというのは―――何かが間違っていたからだ。

「どうしました?」

 メルファラが不思議そうに尋ねるが、フィンはそれには答えず彼女の柔らかな髪を撫でた。

 彼女がピクリと緊張するが―――身を引くようなことはしなかった。

《間違ってて良かったじゃないか……》

 だから今こうしてこの体に触れることができる。

 彼女が彼を受け入れてくれようとしている。

 その潤んだ瞳は、まさに恋する乙女だ。

 そして―――恋をしていたというのなら、彼もまたそうだった。

 あの屋根の上で彼女の正体を知ってしまったとき、そのときからずっと彼女に恋い焦がれていたのだ。

《どうしてあのときもっと自分に正直になれなかったんだろう……》

 おかげでそれからの人生という物は……

「ふふふふっ」

 何度考えても笑いしか出てこない。

「どうしました?」

「あ、いや、不思議だなって思って……」

「そうですね」

 フィンは思わず彼女を見つめる。

《彼女もそう思っているのか?》

 フィンは彼女と心が通じ合った―――そう思ったのだが、メルファラはちょっと赤くなると目を背ける。

 それから何か言いたそうに口ごもっていたが、やがて彼の顔を見ると言った。

「私にもフィンを見せて下さいませんか?」

「えっ?」

 メルファラがぽっと赤くなる。

「私だけが裸というのは……ちょっと恥ずかしいので……」

 ………………

 …………

 ……

 うわあああああああ!

 フィンは慌てて服を脱ぎ始める。

《やっちまったよ!》

 何か間抜けなことをしでかしそうだとは思っていたが、これって最悪なんじゃ⁉

 彼女の見つめる中、フィンは着ていた服を脱ぎ捨てた。

 恥ずかしいと思っている暇もなかった。

 そして彼もまた彼女の前で一糸まとわぬ姿になったのだが……

《あたた……》

 彼の物は既にいきり立っていた。

 メルファラの視線がそれに釘付けになる。

「えっと……あの……」

 体がカッとしてくる。

 ちょっとこれはどうフォローしたら?―――そう思った瞬間だ。いきなり彼女がフィンの前に跪いたのだ。

《え?》

 それから彼女は手を差し伸べると―――フィンの腰にある古傷を撫でた。

「あ……」

 そう。その傷は……

「あのときのですか?」

 彼女が上目遣いに尋ねる。

「はい」

 あの山荘の襲撃で、彼女を守って戦ったときに受けた傷。

 メルファラはその傷をじっと見つめると―――そこに頬ずりをした。

《えっ》

 思わず体がすくんでしまうが―――それに合わせていきり立っていた物が彼女の目の前でびくんと揺れる。

 メルファラが驚いたようにそれを見つめた。

《あ、うわ……》

 ちょっとこれって―――そんな思いが駆け巡った瞬間だ。彼女がそれを下から上にそっと撫で上げたのだ。

「うあっ⁉」

 フィンは思わず声を上げていた。

「あ。痛かったですか?」

「いや、そうじゃなくって……むしろ上手というか……」

「うふ。ミーラ様やアウラから色々習ったんですのよ?」

 彼女が恥ずかしそうに笑う。

「あ?」

 そういえば確かあのアホが、彼女は王女たちとはずっとそんなだった、とか言ってた気がするが……

 エルミーラ王女の郭遊びはまさに年季が入っていた。

 アウラから聞いた話では王女は自分が楽しむだけでなく、遊女たちと色々雑談していることも多いという。

 しかしそういう場所での雑談となれば、話題は自ずから限られてくるわけで―――そしてそんなときには張り型を使って実演して見せたりすることも良くあったとか何とか……

 そんな王女から色々習ったということは……

「遊女の方々はこれを舐めたり口に含んだりするそうですが……」

「んえっ?」

 んな、まさか彼女が⁉

「それはあまり上手にできそうもないので、これで我慢して下さいね」

「いや、その、あはははは!」

 ちょと残念―――じゃなくって!

 むしろいきなり逝ってしまわないように我慢しなければ!―――フィンがそんなことを考えていると、メルファラがぽつっとつぶやいた。

「デュールにもこうしてあげれば良かったのでしょうか?」

 !

 聞けば彼との間はあまり上手くいっていなかったというが……

「いや、そうだな……喜んだだろうな。きっと……」

 それは間違いない!

 するとメルファラはまた上目遣いに彼を見上げてにっこりと笑った。

 それからすっと立ち上がると、後ろを向いてフィンに背中をぴったりとくっつけて立った。

《え?》

 彼女はフィンの両手を取ると、彼女の両乳房に導く。

《え? え?》

 手のひらに素晴らしく柔らかで繊細な感触が広がっていくが……

「みんなこの胸が素晴らしいと言うのですよ?」

「え? あ……」

「アラーニャさんなんか、これで魔法がパワーアップしてしまって……」

「あはははは!」

 あのときは目隠しだったが……



 メルファラは少々驚いていた

《自分がこんなに大胆になれるなんて……》

 今彼女はフィンに後ろから抱きすくめられて、両乳房を彼の両手に委ねている。

 フィンはしばらく無言で彼女の胸の感触を味わっていたが―――それから彼女の乳首を優しく摘まんだ。

 びんっ! と電撃のような感覚が背筋に走って……

「あ、あぁん!」

 思わず喉からそんな声が上がってしまう。

「大丈夫か?」

 フィンが慌て気味に声をかけてくるが……

「大丈夫です。もっと……お願いします」

 その答えを聞いてフィンはしばらく絶句する。

 それから彼はおもむろに彼女の乳房と乳首を愛撫し始めた。

「あ……あぁん! あぁん! あぁ……」

 彼の指が動くたびに喉からそんな呻きが漏れてしまう。

《あ……すごい……》

 エルミーラ王女やアウラにこんな風に愛撫されて絶頂に達したことは何度もあったが……

《フィンってこんなに上手だったのですか?》

 あのときもこんなに早くこんな気持ちになったわけではない。

「あうっ! あうっ!」

 お尻のあたりで何か固い物が暴れている。

 王女やアウラには無かったものだが―――そう思った瞬間、まさに子宮がずんと疼く。

 そして……

《あ……》

 フィンの右手の指が胸からだんだん下の方に下がっていくのに気がついた。

《これって……》

 それがどこを目指そうとしているか彼女は分かっていた。

 こんな風にエルミーラ王女やアウラに秘部をまさぐられたことが何度となくあったからだ。

 だが……

《フィンの指が⁉》

 これから彼女の最も敏感な部分に到達しようとしているのは、他ならぬ彼の指なのだ。

 そう思った瞬間、指はまだ届いていないというのに腹の底に甘い感覚がうねり始める。

《来るわ……》

 そして―――興奮して膨らんでしまったクリに彼の指先が触れた瞬間……

「あっ! あああっ!」

 快感の波が湧き上がり、メルファラは思わず床にへたり込んでいた。

「だ、大丈夫か?」

 フィンが慌てて彼女の横に跪くが……

「うふ……すごく良かったです……」

 メルファラがそう言ってフィンの顔を見つめると―――彼の表情にもまた変化が現れていた。

 フィンが彼女を見つめる。

 その眼差しの奥には赤々と情欲の炎が燃え始めている。

「ファラ……」

「フィン……」

 彼女の体の中でも赤い炎が燃え始めた。

 それから―――フィンがやにわに彼女をぎゅっと抱きしめる。

 顔と顔がすぐ側にある。

 二人はしばらくそのまま見つめ合っていたが―――やがてメルファラは目を閉じた。

 唇に柔らかな物が押し当てられた。

《!》

 その間からさらに柔らかな物が入り込んできた。

《!!》

 メルファラはそれに自分の舌を絡み合わせる。

《ああ! フィン……》

 初めて味わう彼の味……

 あのときはそんな余裕は全くなかったが、今ならじっくりと堪能できる!

 しばしの間、二人はそうやって互いに互いを貪り合った。

 それからゆっくりと唇を離すと、再び二人は目と鼻の先で互いの瞳を見つめ合った。

 お互いの息づかいが聞こえてくる。

 心臓が早鐘のように打っている。

 そして―――フィンがもう一度ぎゅっと彼女を抱きしめると、やにわに立ち上がる。

 メルファラは為すがままに従った。

 二人はそのままベッドの上に倒れ込んだ。

 再び唇を合わせて、舌と舌を絡み合わせる。

 お腹には彼の固い物が押しつけられている。

《これが……私の中に入ってきて?》

 そう思った瞬間、炎が業火へと変わっていく。

 フィンが体を起こしてベッドに横たわるメルファラをじっと見つめた。

 彼が何を思っているのか彼女には分かった。

 彼女が何を思っているのか彼はもう知っている。


《俺はファラが好きだった!》

《私はフィンが好きだった!》


 あのときお互いに言えなかった言葉……

 そのために何を失ってきたのだろう?

 そのためにどれだけ遠回りをしてきたのだろう?

 そのせいで―――彼と彼女には今のこの瞬間しかない。

 だが今、間違いなくこのかけがえのない時を得ることができたのだ。

 願わくば―――この時が二人の一生の思い出となりますように!

 何か辛いことがあってもこの瞬間を思い出して笑って生きていけますように!


《そう。燃やし尽くそう! 何もかもを!》

《そう。燃やし尽くしましょう! 何もかもを!》


 今、この瞬間を永遠とするために!


 メルファラは足を大きく広げると彼が入ってくるのを待った―――のだが……

「あのー、すみません」

「あ?」

「え?」

 何故か入ってきたのはアルマーザだった。