エピローグ 青天の霹靂
アロザール王国のコラリオン離宮に再び夏が到来しようとしていた。
まだ盛夏というわけではないから吹く風は心地よいが、日差しはもう真夏同様だ。
そんな離宮の一室にチャイカは控えていた。
背後の衝立の奥からは……
「ああ……ああん……あ、ああ、いいです……」
―――女の喘ぎ声が聞こえてくる。
チャイカはそれを聞きながらため息をついた。
《全くアルクス様はもう……》
あれ以来ずっとこんな調子なのだ。
アロザールの呪いの解呪方法が発見され、満を持して投入した秘密兵器が完膚なきまでに打ち破られた後は、アロザール軍は撤退に次ぐ撤退だ。
かつては旧レイモン王国の版図をその手にしていたというのに、結局今は昔ながらの海浜地方が残るだけだ。
しかもそれは単に連合軍側が無理をしなかったからだ。各国はそれぞれ大きな傷跡を抱えていて、まずはそれを建て直すのが急務だったためで、それが一段落したら再度全力で迫ってくるのは間違い無かった。
そんな良くない情勢ということが、門外漢のチャイカにさえ分かるというのに……
「いやん……ああん……あ、そこです……あ……」
断続的に喘ぎ声が続いている。
チャイカにもアルクスがアロザールという国の真の支配者であることは分かっていた。だから、そこらの侍女に手当たり次第手をつけようと別にそれは構わない。
しかし……
《こういうときこそ、本当のお力をお見せにならなければいけないのでは?》
既に国内はガタガタの状態だ。
それを必死になって支えているのがアルデン将軍を筆頭とするアロザール生粋の旧臣たちと、外様のフィーバスであった。
だがこの状況を打開するには何か途轍もなく強力な力が必要らしいが、どうも秘密兵器はあれで打ち止めで、こうなっては為す術がないらしい。
《相手を見くびりすぎたのでしょうかねえ……》
あの戦いの立役者であるメルファラ大皇后とその女戦士たちの中にフィンがいることをチャイカはよく知っていた。あの白き魔法のフィーネというのが彼なのは間違いない。
そして時々思ってしまうのだ。
もしあのとき彼と一緒に行っていたら―――そうしたら彼女もあの中に含まれていたのだろうか? と……
《ふ。あり得ませんね》
馬鹿馬鹿しい。彼女にそんなことが許されるはずがないのだ―――と、そんなことを考えていたときだ。
「あ、そちらは今……」
「分かっております!」
このキンキン声は……
バタン! と部屋の扉が開くと現れたのはコレット姫だ。
部屋の外から侍女たちがオロオロしながら中を覗いている。
姫はにこーっとチャイカに笑いかけた。
「あの、アルクス様は今……」
「存じております! そこをお退きなさい!」
そう言ってチャイカを押しのけると、姫は衝立の向こうに消えていった。
そして……
「何をなさっているのですかっ!」
「あ? 何だよ?」
「あなたはあっちへ行きなさい!」
「は、はいっ!」
その声と共に半裸の娘が逃げてくる。
チャイカが上着を着せてやると、娘はこくっと頷いて出て行った。
と、同時に……
「アルクス様っ! あなたという方は……」
「あ? って、あああ⁈」
「今がどのような時か、お分かりにならないのですかっ!」
「あ?」
「このようなときに、あんな女と戯れることしか、できないのですか!」
「あ?」
「仮にもあなたは、一度は世界を、この手にしようとした身。一度負けたくらいで、その体たらく。私は、見て、おられませんがっ!」
「あ?」
「私はサルトスからこちらに、嫁いで参りましたが、嫁いできた以上、アロザールの女でございますっ!」
「うあ!」
「あなたは、国民たちに、未来を指し示す必要が、ございますっ。なのにこのような、ところで、端女といちゃいちゃ戯れてないで、しゃんとしてご自身の責任を全うして、下さいませっ!」
「あうあっ!」
「はあ……お分かりになりましたか?」
「あ、ああ……」
「それでは!」
それから衣擦れの音がすると、コレット姫が現れた。それを見たチャイカが声をかける。
「姫様、お待ちを。裾が汚れております」
チャイカがハンカチを出して汚れを拭くと、姫が少し赤い顔でうなずいた。
「まあ、ありがとう」
そしてそのまますたすたと帰って行ってしまった。
扉の外でオロオロしていた侍女たちが、慌ててその後を追う。
《全く……姫様も……》
チャイカはため息をつきながら衝立の向こうに回った。
そこでは床のクッションの上で、下半身をむき出しにしたアルクスが呆然としていた。
「おい、なんだよ? あれ……」
「アルクス様があまりお相手をして差し上げないから……」
「いや、だからって、いきなり跨がってきて、説教しながら腰振るか?」
「でも、ご満足頂けましたでしょう?」
「…………」
「コレット様はこのように人目のあるところで燃えてしまわれる質なので……」
「いや、そうだけど……ってか、すごいことになっちゃったな……」
コレット姫の教育が始まってから一年近くになるが、単にお堅いだけだった姫が今ではまさに大輪の妖花として咲きほこっている。
《彼女の中に露出癖の蕾を見つけたときにはもしやと思いましたが……》
まさか真っ昼間にこのような公衆の面前で事に及んでしまうようになるなど、想像もしていなかったが……
《人とは面白いものですねえ……》
そんなことを考えていると……
「それじゃもう一人の方は?」
「順調でございますよ」
「そうか。ふふ。楽しみだなあ……」
アルクスがにやけ笑いをするが―――チャイカは首を振った。
「しかしお言葉ではございますが……」
「あんだ?」
「コレット様のおっしゃっていたことももっともかと存じますが……」
アルクスがぎろっとチャイカを睨む。
「あー、お前まで俺に意見する気?」
「申し訳ございません。しかし国がなくなってしまったら、女たちも居なくなってしまいますし……」
アルクスがむっとした顔で答える。
「ふん。あんな奴ら、皆殺しにするだけなら簡単なんだがな……でもそんなことしたら、それこそあの大皇后様まで道連れだし……」
チャイカは思った。
《この期に及んであのお方にご執心というのはいかがなのでしょうか?》
アルクスがむっとした顔でチャイカを睨むが、すぐにふんと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
と、そのときだった。部屋の扉が開くと城からの使者がやって来たのだ。
「アルクス様はいらっしゃいますか?」
そこでチャイカが出迎える。
「いらっしゃいますが、今はちょっと……」
彼はまだ下半身裸のまんまだ。
「でしたら至急登城するようお伝え願います。城にシルヴェストからの使者が参っております故」
………………
…………
……
衝立の向こうからアルクスが答えた。
「シルヴェストから⁉」
「はい」
「なんの用だよ?」
「それはまだ……ともかくお急ぎ下さい」
「ああ……」
何か普通でないことが起こっているのは、チャイカにも分かった。
フィンとメルファラはぽかんとしてアルマーザを見つめた。
いくら何でもこんなところに割って入るなど、いかなアルマーザでも―――そう思ったときだ。
「それが、たった今アラーニャちゃんから連絡が来たんですが……」
「ああ」
フィンが不機嫌そうに答えるが……
「アラン様が裏切ってアロザールについたそうです」
………………
…………
……
その言葉の意味が二人の脳内に浸透するまでにはしばしの時間が必要だった。
「ん、何だって⁉」
フィンが目を丸くしてアルマーザに問い返すが、彼女は残念そうに首を振る。
「ですので、アラン様が裏切ってアロザールについて、アロザール軍と共にバシリカを占拠したそうで……城で緊急の会議が開かれるそうです。つきましてはフィンさんにもすぐに来て欲しいと……」
フィンはしばらく目を丸くして固まっていたが―――そそりたっていた彼の物がメルファラの目の前でへなへなと縮こまっていった。
《ん・な・ん・と・い・う・こ・と‼‼》
体の中で燃え盛っていた真っ赤な炎が、冷たく青白い炎に変わっていった。
シルバーレイク物語 第15巻 ベラトリキス最後の作戦 おわり