アルマーザのシンデレラストーリー 第2章 ティア、お茶会をする

第2章 ティア、お茶会をする


 その週末の午後、水月宮の月虹の間には和やかな雰囲気が漂っていた。

 中央にしつらえられたテーブルを挟んで、先ほどからカロンデュール大皇とティアが楽しげに歓談を続けている。

「ああ、そうだったのか……わざわざ消防団の結団式などにどうして顔を出すのかと思っていたら……」

 カロンデュールの言葉にティアがうなずく。

「そうなのよ。大活躍だったのよ? 彼女たちがいなかったらアキーラの解放作戦ってもっと大変になってたんだから」

 二人の話を聞きながらアルマーザがちらっと振り返ると、横にいるコーラの表情が強ばっている。

《あはは。まだちょっとですか?》

 ―――というのも無理はない。

 この水月宮はエルミーラ王女などのプライベートエリアだ。なのでよほどの理由がない限りはここにカロンデュール大皇のような貴人を迎えるようなことはなかった。

《まあ、あたしたちも貴人っちゃあ貴人なんですけどね》

 しかしアルマーザたちはみんな他人に傅かれることには慣れていない。そこでここに仕えているコーラやクリンなどとはもう家族同様の間柄になっていたのだ。

 しかし相手が大皇ともなるとそうはいかない。

《あのときは他にアラン様とイービス様でしたよねえ……》

 ここにそんな客人を迎えるのはあれ以来なのだ。

《でも、あのときのアラン様は……》

 どう見てもそんな悪い人には見えなかったのだが―――人は見かけによらないとは言うが……

「えっと、お茶、入れ替えなくていいでしょうか?」

 コーラの問いにアルマーザはちょっと考えてから答えた。

「まだもう少ししてからにしましょう」

「はい」

 そしてあのときはピンチヒッターみたいな物だったのだが、今ではアルマーザがティア女王の“筆頭侍女”―――フォレスでは“御側方”みたいな言い方はせず一番偉い侍女はそう呼ばれるそうだが、いつの間にか彼女がその役割になってしまっていた。

 もちろんあの女王様の御付というだけなら仲間内誰がやってもいいようなものではある。しかし……

《あはははは!》

 残った連中といえばリサーンだったりハフラだったり、マジャーラだったりサフィーナだったりで―――ここは彼女がやるしかないのである。

 そんなことを考えている間にも、歓談は続いていた。

「しかし……本当に信じられないな……最初は二十三人だったとか……」

 カロンデュールがためいきをつきながら首を振った。

「あははは。まったく! でもそうでもしなきゃみんなバラバラにあちこちに逃げるしかなくって」

 大皇は一瞬ぽかんとするが、それから顔が少々青ざめる。

「え? しかしそんなことをしたら……」

 ティアがあっさりとうなずく。

「そーなの。絶対誰かが捕まってひどい目に遭ってたから。それだったらもうこれっきゃない! みたいな?」

 カロンデュールは再びため息をつきながら首を振る。

 それに関してはアルマーザも同感だ。

《今から考えたら嘘みたいな話ですよね……》

 二十三人―――それにはネイまでが含まれているのだが、始まりは本当にその人数だったのだ。

 それが何だかあれよあれよといった感じで、自分たちがそんなことを成し遂げたと言われても未だにピンとこないのだから……

 なので公式にはあれは都の秘密作戦だったということになっている。あの恐ろしい呪いは尋常の方法では対処不可能で、大皇后自らが危険を冒してその作戦を遂行しなければならなかった、とかいったシナリオで……

 実際、“現実”に比べたらその方が遙かに信じやすい物語だし―――なんてのはともかく……

《大皇様、久々に楽しそうですよねえ……》

 このお茶会を企画したのは大成功だったようだ。これまではいつ見てもやつれた表情だったのが、今日は何だかつやつやとしている。

《こんなことならもっと前からやってれば良かったですよねえ……》

 だが、困ったことに公式にはカロンデュール大皇と黄昏の女王ティアは今回が初対面なのである。

 彼女はあくまで西の果てにある隠れ里の長で、失踪したル・ウーダ・エルセティアとかいう姫とは無関係なのだ。

 その里は世界に大いなる危機が訪れたときに大皇を助けるべく黒の女王が用意していた秘密の里で、彼女たちはその使命を果たした後はまた果ての里に戻り、いつか再び同様の危機が訪れたときにまた現れるであろう―――とかいった設定になっていた。

《ぷふっ! 何度聞いても笑えますが……》

 本当は知る人ぞ知る呪われたヴェーヌスベルグだったりするのだが―――そしてそこの女王様は何だか別な方面でもかなり有名だったりする。

 あの本は天陽宮の図書室の秘密の部屋にもあったのだが、確かに実情を正しく描写しているとは言いがたい。実際は一人に対して五人くらいでかかるのが普通だし―――なんてのはともかく、そんな怪しい女王が大皇をプライベートに呼び出すわけにはいかないし、逆だともっとややこしいことにもなりかねない。

 おかげで二人が会えるのはずっと公式の場しかなく、そこでも他人行儀にしていなければならなかったのだ。

 だがそれも都に戻るまでと我慢していたところに今回の騒ぎである。そこで大皇がひどく憔悴しているのを見かねてティア女王が午餐にお誘いしたという建前になっていた―――そんなことを思い返していると、コーラが話しかけてきた。

「あのー、お菓子が届きましたがどうしましょうか?」

「あ? そろそろそんな時間? じゃあお茶を入れ直しましょうか」

「はい」

 コーラがお茶とお菓子の準備を始めた。

 その間にもティアとカロンデュールの会話は弾んでいた。

「……しかし、君は本当に信じられないような冒険をしてきたんだなあ……」

「あははは。何てかもう、成り行きで……」

 あっけらかんと笑うティアを見て、カロンデュールは首を振る。

「まさか本当に動く飛空機があったとは……」

 ティアが大きくうなずく。

「あたしも本当にびっくりしちゃった。ってか、もうちょっとチャージが足りてれば、すぐに帰って来られたんだけど……おかげであの砂漠を歩いて渡る羽目になったのよ?……あ、実際に歩いたのはキャミーなんだけど?」

「キャミー?」

 カロンデュールが首をかしげる。

「ラクダなの。カワイいのよ?」

「そうなんだ。私は絵でしか見たことがないが」

「あー、そうよねえ。都みたいに寒い所じゃ可哀想だものね。でもアキーラになら少しいるんだって。そういう動物を飼うのが好きな人がいるそうで。見に行ってみる?」

 だがカロンデュールは笑って首を振った。

「いや、機会があればでいいが……それより何だ? その砂漠の中に不思議な場所があったというが……」

 ティアはうなずいた。

「あ、ヌルス・ノーメンのこと? 多分本当にそこだったんじゃないかって思うんだけど、何だか四本足の変な奴が庭の掃除とかをしてるのよ? びっくりしちゃった」

 カロンデュールは不思議そうにうなずく。

「何度聞いても不思議な話だ……あの機甲馬にしても、東の帝国の遺物がなぜ今、唐突にこんな風に現れてきたのか……」

「あのアロザールのアルクス王子とかフィーバスとかいうのが怪しいんでしょ?」

「それはそうなのだが、アルクスというのはまだ年少だというし、フィーバスはベラの長の一族だが、あちらにもそんな魔法が伝わっていないのは明らかだ」

「そうよねえ……」

「だからアドラートはその背後に何か邪悪な力が動いているのではと心配しているのだが……」

「邪悪な力って……どんな?」

 魔道軍の総帥、マグニ・アドラートは大変な博識で知られているというが―――カロンデュールは首を振った。

「彼にも確かなことは分からないのだ……ともかく我々は今、途方も無い危機のさなかにいるのかも知れないと。それをまさに黒の女王のご加護の元、君たちが退けてくれたからいいような物、もしそうでなければ……」

 カロンデュールの言葉にはまごう事なき恐怖の響きがあった。

「あはは。どうなったのかしらねえ……」

 ティアも、そしてアルマーザもそう問われたら笑うしかない。

《本当にどうなってたんでしょうねえ……》

 それについてアルマーザもつらつらと考えることはあるのだが―――はっきり言って分からない。ティアがあんな大冒険のあげくにヴェーヌスベルグにたどり着かなければ、この結果はなかったのは確かなのだろうが……

《それを言うなら、何もかもが……ですよね?》

 ぶち切れたアウラが大皇后の屋敷に乱入しなければ、エルミーラ王女たちがこちらに来ることもなかったわけだし。

《フィンさんだって……》

 彼が勝手にレイモンに潜入してアロザールに捕まって、何故かそこで出世して大皇后のお出迎え役になっていなければ、もちろんこれもどうにもなっていなかっただろう。

 あのクォイオの宿屋に全員が集合できたというのは、まさに奇跡だとしか言いようがない。

《それが黒の女王のご加護だったってことなんでしょうか?》

 だとすれば―――もう少し分かりやすく示して欲しかったものだが……

「えっと、準備できました」

 コーラがお茶とお茶菓子を乗せたワゴンを押してきた。

「あ、ありがと!」

 それをアルマーザが代わってティアとカロンデュールの元に運んでいく。

「きゃあああ! すごくいい香り! 美味しそう!」

 途端にティアが目を輝かせる。

「そうだな」

 カロンデュールも少々驚いた様子だ。

「厨房のパティシエさん、若い頃はバシリカの王宮に勤めてたそうなんですが……」

 アルマーザはお菓子を順番に説明していった。

「なるほどな」

「うああ……綺麗ねえ」

 この人は既によだれを垂らしそうなのだが……

「ティア様は食べ過ぎない方がいいんじゃないですか?」

「あん? こんな時くらいいいじゃないのよっ!」

 むっとした顔でにらまれるが―――彼女にとってはいつもが“こんな時”のような気がするのだが……

 そして二人は出されたお菓子に手を付ける。

「ほう……」

 それは美食に慣れたカロンデュールにとっても満足いくものだったようだ。

 その間にティアの分はほとんど無くなっている。

《あーもう。女王様なんでしょ?》

 この御方は何というか、食べ物に対するストライクゾーンがやたら広いのだ。

 ヴェーヌスベルグで出てくる料理は、確かに不味いことはないと思うが、控えめに言っても野趣に溢れる代物で、あまり都のお姫様のお口に合うとも思えないのだが―――そんなことを思っていると……

「それにしても君は昔から本当に美味しそうに食べるなあ」

 カロンデュールがニコニコしながら言った。

「え?」

「あの蜂蜜パンを食べていたときそっくりだ」

「…………んえーっ!」

 ティアが赤面する。

《何なんでしょう? 蜂蜜パンって?》

 アルマーザが首をかしげていると……

「思えばあそこで私たちが出会ったというのもまさに運命だったのだなあ……」

「あははははっ。そうね」

 この笑いは―――何かごまかそうとしているな?

「今でも覚えているぞ。あのステージで一緒に踊ったことを」

「んえーっ!」

 そんな彼女にカロンデュールがたたみかける。

「ダンスパーティーには数限りなく行ったものだが、あれほど楽しかったことはなかったな」

「んえーっ!」

 ティアが何だか目を白黒させているが……

《要するに何か恥をさらしたというわけですね?》

 ま、この女王様が色々と自爆をすることに関してはみんなもう慣れっこである。

《だから一緒にいて楽しいんですけど……》

 そこで思わずアルマーザはティアに尋ねていた。

「ティア様~、何やっちゃったんですか~?」

「あはははは。いやまあ、その半月亭ってところに行ったらデュールがお忍びで来てて、酔っ払って一緒に踊っちゃったのよ」

「あー、なんだ、そうだったんですね」

 アルマーザがそう答えると……

「ん? 君はあまり驚かないようだな?」

「あ、まあ、ティア様ですから」

 まあ、この程度なら普通かなという感じではあるが―――それを聞いたカロンデュールがにやっと笑った。

「な、何よ! それ……」

 ティアがアルマーザをにらむが……

「あはは。君は浚われた後もやっぱり君のままだったんだな」

 ………………

 …………

「それってどういうことーっ⁉」

 ということは、都にいたときもやっぱりこんな調子だったわけですか……

 むくれるティアをしばらくカロンデュールは微笑んで見つめていたが、ふと尋ねる。

「それはそうと……まだ詳しく聞いていなかったな?」

「え? 何を?」

 ティアが首をかしげる。

「どうして君がヴェーヌスベルグの女王をやっているかということだが……」

「あ、まだ話してなかったっけ?」

「話せば長くなるとかで……あと、くるくるがどうとか?」

 ………………

 …………

 ……

「ぶはーっ!」

「げほーっ!

 ティアとアルマーザが同時に吹きだした。

「どうしたのだ?」

「い、いや……」

 アルマーザはティアにささやいた。

『あの話するんですか?』

『え? いや、どうしよう?』

 さすがにこの場であのネタはまずいんじゃないのか?

「何か差し障りでも?」

 不思議そうなカロンデュールにティアが慌てて言う。

「いやー、まあちょっとそのー、あはは。で、どうしてあたしが女王をやってたかっていうんだけどー、それはねー、ちょっと結構深刻な理由があって……」

「深刻な?」

 カロンデュールがちょっと眉をひそめた。そこでティアがまた大きくうなずく。

「そうなのよ。デュールもヴェーヌスベルグの女たちが呪われていて、交わった男たちはみんな死んじゃってたってことは知ってるわよね?」

 彼は一瞬目を見張るが、それからうなずいた。

「ああ。それは聞いた。そしてその呪いの根があのアロザールの呪いと同根であったということもな」

「そうなの。それが分かって本当に良かったんだけど、あたしが来たときにはまだそんなこと分からなくって、だから子孫を残すのはとても大変だったのよ?」

「それは……そうなのだろうな」

「そのためにあっちではヤクート・マリトスってのをしなきゃならなかったの」

 カロンデュールがちょっと考え込む。

「ヤクート・マリトス? 古い言葉だな……夫を狩る?」

「あはは。よく知ってるわねえ。その通りだけど」

「いや? 古典の授業で習わなかったか?」

「えっ? あー、そうね。確かに習ったかな? あはっ」

 と言いつつティア様、目が裏返ってますが……

「しかしそれって……どこからら夫を浚ってくるというのか?」

 その言葉にティアが手を振った。

「ううん? そんな野蛮なことはしないのよ? そんなことしたら悪者になっちゃうじゃないの」

「まあそうだが……」

 いや、実際ヴェーヌスベルグはあちらでは結構恐れられてて、むしろ悪者だったのは確かなのだが―――ティアはえへんと咳払いすると指を振る。

「ヴェーヌスベルグでヤクート・マリトスっていったら、踊るのよ?」

「踊る?」

「そう。ラクダの上に乗って、裸になって踊るの。村の外で。そうしたら恋人がいなかったり、奥さんに死に別れたような男の人がついて来てくれるの」

 カロンデュールの目が丸くなった。

「それを……君がやったというのか?」

 ………………

 …………

「ぶーっ!」

「げほーっ!」

 思わずまたティアとアルマーザが吹きだした。

「そんなことしてないって!」

「ですよー。ティア様じゃさすがに無理だし……」

 ………………

 …………

「あ?」

 ティアがぎろっとアルマーザをにらむが……

「だってほら、うちにはアーシャがいたし、マウーナだってほら」

「まーそうだけど……」

 まごうことのない事実を突きつけられてティアがむっとする。

「ははは。なるほどな?」

 カロンデュールがにこーっと笑う。

「あ、なに? デュールまであたしがビヤ樽みたいだって言うの?」

「そんなことは言ってないだろう?」

 カロンデュールが少々慌てるが……

「そーですよ! ティア様! さすがに一番太かったときでもあそこまでは行きませんでしたよ?」

 ビヤ樽というのはこちらに来て初めて見たが、これは確かに断言できる。

「じゃ、どこまで行ったって言うのよっ!」

 ティアが食ってかかってくるが……

「だから今はその話じゃないでしょ? ティア様があれやったってお話をするんじゃないんですか?」

「え?」

「あれ? とは?」

 カロンデュールの問いにティアはどうやら本題を思い出したらしい。

「あー、そうなのよ。ともかく踊ったのはアーシャなの。でもそのときはヤクート勝負で、もう一人ヴェガってすごい子がいて……」

「ヤクート勝負?」

「うん。実はそのときアルスロの家とオッソの家が仲違いしてて、そのアーシャとヴェガのどっちが女王様になるかで揉めてたのよ」

「ほう……」

「アーシャってすごく踊りが上手いでしょ?」

 カロンデュールは大きくうなずいた。

「ああ。あのシャコンヌを見たときはまさに身震いがしたものだが……」

 ティアはうんうんとうなずいた。

「でもヴェガはあれよりもっと凄かったりするのよ?」

「そう……なのか?」

 カロンデュールは想像がつかないといった表情だ。

 確かに現物のヴェガを見ていなければ俄には信じがたい話だろうが―――ただしアーシャもあれから自信をつけているので、あのときのままではないのだが……

「んで、ヤクート勝負っていうのは、両方でヤクートに行って、たくさんの男の人を連れてきた方が勝つって勝負だったんだけど」

「ああ」

「あのときはもう、正直アーシャには勝ち目がないって状況で、みんな凄く落ち込んでたのよ。ところがそんなところにあの子たちが来たの」

「あの子たち?」

 ティアはうなずいた。

「そう。ヴェガの取り巻きの子たちでね、わざわざ遠くから偵察にやって来て、うちの家族の悪口を言い出すのよ。アーシャなんてヴェガの足下にも及ばないーとか、マウーナはお尻が大きすぎるーとか。挙句の果てによ? あたしのことまで……」

「ビヤ樽って言われたのか?」

「そーなのよ。ひどいでしょう?」

 ティアは顔をしかめる。

「あはははは。まったくそれはひどいな」

 カロンデュールが笑い出すが……

《いや、そうは言われてないと思いますが……》

 確かどこがウエストか分からないとかだったはずだが―――それにあの頃は決して間違ってなかった気がするし……

「んで、ちょーっとあたしキレちゃって、それでやっちゃったのよ」

「やった?」

 ティアはまたうなずく。

「そうなの。ってのがね? そのヤクートなんだけど、何てかその、すごく素朴っていうの? こう、裸になってラクダの背中に乗ってこう踊るんだけど……」

「ラクダの背中って、狭くないのか?」

 カロンデュールが首をかしげるが……

「あ、背中には大きい輿が乗ってるから、十分そこで踊れるの」

「ほう……それで?」

「ところがそれだけなのよ」

「それだけ?」

「まあ要するにそうやって踊ってるだけで……あ、あとはパンフルートの伴奏とかもあるけど。ともかくそれだけなのよ」

「ふーむ」

 そこでティアはにこーっと笑う。

「だからね、あたしそれにシナリオと演出を加えてみたの」

「ほう?」

「シナリオっていってもイメージみたいなものなんだけど、砂漠で巫女が祈っていたら、その祈りに応えて天から白の女王の御使いが降臨して……みたいな感じなんだけど」

「うむ」

「ほら、そのころにはアラーニャちゃんがね? もう魔法がずいぶん上手になってたから……」

 カロンデュールが目を見張る。

「ということは……魔道演出を?」

 ティアはうなずいた。

「そーなのよ。といっても一人で歌を歌いながらだからそこまでややこしいのじゃないんだけど。あとそれとね。リブラってすごく歌の上手い子がいたから彼女にソロをやってもらって、あとバックコーラスも。アルマーザも歌ってたのよ?」

「君も参加したのか?」

 カロンデュールが振り返って彼女の顔を見る。

 アルマーザは大きくうなずいて答えた。

「あー、はい。あのときは楽しかったですよねー。それでアーシャがシャアラとマジャーラの手の上で踊ったんですよね」

「手の上で?」

 カロンデュールが驚いてティアの顔を見る。

「そうなの。アラーニャちゃんが支えてるから落ちることはないんだけど、でもそこでちゃんと踊るのは難しくって、何度もみんなビショ濡れになっちゃって」

「びしょ濡れ?」

 一々訳が分からなそうなカロンデュールにアルマーザが説明した。

「あー、落ちたら怪我するから、オアシスの湖で練習してたんですよ。わりと秋だったんで寒かったですよねー」

「うん。そうそう」

 彼女とティアがうなずき合うが……

「ほう……それをみんな裸で?」

 カロンデュールは思わずそう尋ねてしまってから、慌てて目を泳がすが……

「あはっ! そーなの

「いやあ、あたしも正直感動しましたが。夜空に三人の姿が浮かび上がって、最後にアーシャがびたっとY字バランスを決めたときとか……」

 あれが最初に成功したときには、まさに背筋がゾクゾクしてきたのを覚えている。

「ほう……」

 カロンデュールが何やら呆然と宙を見つめているが……

「やっぱデュールも見たかった?」

 ティアがニヤニヤしながら尋ねるが……

「えっ? あ……あはははは。確かにな」

 何だかばつが悪そうだが……

《別に恥ずかしがらなくてもいいと思うんですがねー……》

 そこで彼女がティアに尋ねた。

「やっぱ見せてあげたら良かったんじゃないですか? あのときにはシャアラもいたんだから」

「あはは。でも戦勝祈念式典じゃさすがに……」

「そうですか? あたしたちは気にしませんでしたけど」

「あはは。そっちが良くてもこっちがダメなのよ。ねえ。デュール」

 彼もまた苦笑しつつ答えた。

「あはははは。そうだな……ちょっとな……で、それでそのヤクート勝負というのはどうなったんだ」

 ティアが胸を叩いた。

「あは。そりゃもちろんこっちの圧勝で!」

「まあそうだろうな」

「それで帰ってからみんなでお祝いをしてたのよ。そうしたらそこにヴェガがやってきて、アーシャに言うの。確かにあたしは負けたけど、でもアーシャ、あんたに負けたんじゃないからなーって」

 カロンデュールが目を見張る。

「ということは?」

 ティアが胸に手を当てる。

「そう。負けたのはあたしになんだから、あたしが女王をやるべきだって言い出しちゃって」

「それで?」

「そうしたらアーシャも全くその通りだって言い出して、そのうえエルダ様までがやってきちゃって……」

「エルダ様?」

「あ、先代の女王様だったんだけど、彼女までがあたしを女王に推薦しちゃうもんだから、それで断り切れなくって、でまあ、次の女王になることになっちゃったの」

 カロンデュールは納得したようにうなずいた。

「なるほど……そんなわけだったのか……」

「そーなのよ。都にいた頃はずっとルナ・プレーナ劇場に入り浸るしかなかったんだけど、それが役に立っちゃった。あは!」

 カロンデュールはティアとアルマーザの顔を見比べながらうなずいた。

「それでずっとそのヤクートの演出をやっているというわけか?」

 ティアが首を振る。

「え? いや、そういうわけではないのよ? 振り付けとかするときにミアに手伝ってもらったんだけど、そうしたら彼女すっごくやる気になっちゃって、翌年なんかこんなの考えたんだけどどうですか? とか言ってくるんで見てみたら、それがもう凄くてね……」

「ミア?」

「ああ、向こうで最初にお友達になった一人なの。彼女も来たがってたんだけど子供ができちゃってたから諦めるしかなくって」

「そうなのか」

「それにね、リブラやダーラ叔母さんなんかもすごくやる気になって、こっちはすごいコーラスのアンサンブルができちゃって」

「ほお……」

「ヴェーヌスベルグの子たちってさすらいの一族の末裔だっていうんだけど、ほら、さすらいの一族って旅芸人してる人多いじゃない。だから才能があるのよね。みんな」

 カロンデュールは納得したようにうなずいた。

「なるほど……それでは翌年以降はそのミアさん主体にヤクートの演出をしていたわけか?」

 ティアが笑ってうなずいた。

「あ、翌年はベドロの家が担当でそこにミアも手伝いに行ったんだけど、そうしたらそこのラクーナって子がまた面白いアイデアを一杯出してくるし。もうあたしの出る幕とかなかったりして。あはは」

 それを聞いたカロンデュールはしばらく口ごもった。

「ん? どしたの?」

 ティアが首をかしげる。

「いや、そうすると君のやる仕事は無くなってしまったということか?」

「え? いや、もちろん女王様なんだから色々と他にもお仕事があるのよ? 村の中でもめ事が起こったらちゃんと裁定してあげたりしなきゃならないし」

「……君がか?」

 カロンデュールは少々驚いた様子でティアを見る。

「あ、なに? あたしだってケンカの仲裁くらいできるのよ?」

 ティアがむっとした顔で答えるが、彼は何やら微妙な表情だ。

 そこでアルマーザが思わず口を挟む。

「あはー。でも火に油を注ぐことも結構ありましたよねー」

 ティアがじろっとアルマーザをにらむ。

「しょーがないじゃないのっ! あたしはヴェーヌスベルグ生まれじゃないんだから、まだ色々知らないことがあるのっ!」

 そこでカロンデュールがまたしばらく口ごもった。

「ん? どしたの?」

 彼はさらにしばらく口ごもったあげく、ティアの顔を見る。

「それで……これからもずっと女王を続けるのか?」

「えっ?」

「今の話だと、ヴェーヌスベルグの仲間たちはもう自分たちでやっていけるのでは?」

 ………………

 …………

 ……

「えっ?」

 確かにヤクートの演出とかはミアとかラクーナとかが頑張ってるし、歌もリブラたちがいるし、ティアがいなければならないというわけではなくなっているが……

「それにヴェーヌスベルグの習慣についても、もちろん彼女たちの方が詳しいのだろ?」

「え? そりゃ、まあ……」

 そしてカロンデュールがティアの目を見据えて尋ねた。


「帰ってくることはできないのか?」


「え?」

「覚えているかい? まだ都にいたとき、君を妾妃にしようという話が出たことを」

「え? そりゃまあ……」

「その後すぐに君がいなくなってしまったから有耶無耶になっていたが……こうして君は帰って来てくれた。そして君があちらにどうしても居なければならないという理由がないのなら……帰ってきてはもらえないだろうか?」

「え? え?」

 ティアの目がぐるぐると回っている。

《ありゃあ。これって思いっきり心が動いてますね?》

 アルマーザたちにとって彼女はかけがえのない友となっていた。

 だが彼女たちにそれを止めることもできない。

 彼女が来てからというものこの何年か本当に楽しかったのだが、彼女はそもそも都の姫なのだ。ならば彼女の本来の居場所は都にあるのが筋なのだし……

《でも……》

 そうするとアラーニャちゃんと、そしてキール/イルドはどうするのだ?

 確かにしばらく彼女は都で魔法の訓練をするだろうが、それが終われば村に帰って行くことになる。キール/イルドも当然それに同行する。

 だが……

《あの二人……大丈夫なんでしょうか?》

 ティアと彼らの間の絆はアルマーザたちとの絆より遙かに深い。

 ティアたちがヴェーヌスベルグに来た理由とは、元はと言えば呪われて死ぬ運命のキール/イルドを看取るためだった―――そのために自分たちが呪われることも厭わずに……

《まあ、あの人には呪いも避けて通っちゃったみたいなんですけどね……》

 だがもちろん最初にそんなことになるなんて誰も思っていなかったわけで……

 凍り付いてしまったティアにカロンデュールが言った。

「あ、だから、今すぐ答えを出す必要はないが、考えておいてくれないか?」

「あ、うん……」

 ティアがかくかくうなずくと―――カロンデュールがにっこりと笑った。



《本当のことなのでしょうか?》

 メルファラは呆然とした足取りで自室に向かっていた。先導するパミーナも表情が硬い。

 今日も朝からカロンデュールとは別々のスケジュールで、昨日のお茶会がどうなったのか聞く機会がなかったのだが、先ほどそこでで彼とぱったり出会ったのだ。


 ―――カロンデュールはいつになく機嫌が良かった。

《昨日のティアとのお茶がそんなに楽しかったのでしょうか?》

 このところ彼が本気で参っている様子にはメルファラも気づいていたのだが、彼女にはどうしていいか分からなかった。そこに彼女がああやってお茶会を開いてくれたのだ。

 その話を聞いたときから彼のテンションは上がっていたのだが、それだけでこれほどまでに元気が出るのだろうか?―――そう思ったときだ。

「喜んでくれ。ファラ。ティアが戻って来てくれるぞ!」

「はい?」

 一瞬彼が何を言っているのか分からなかった。

「君も覚えているだろう? 以前彼女を妾妃に取り立てようとしていたことを」

 言われて一瞬戸惑ったが―――それからかつての記憶が怒濤のように蘇ってくる。

「ええ……って、まさか?」

 カロンデュールはニコニコ笑いながらうなずいた。

「そのまさかだ! 昨日その話をしたら、彼女が了承してくれてな」

「そう……だったのですか?」

「どうした? 嬉しくないのか?」

「いえ、急なことなのでちょっとびっくりしていて……」

「だろうな。ともかくこれで都も楽しくなるぞ」

「そうですね……」

 と、そこではそのような話だったのだが―――


 それはメルファラにとっても青天の霹靂だった。

《昨日のお茶会でそんな話になるなんて……》

 ティア―――それはメルファラにとって最も大切な友人だった。何しろかつては結婚していたことさえあるのだから……

《彼女が……また一緒に?》

 思わず頬が緩んでくる。

 そんな風に心乱れた様子で自室に戻ると、そこではアルマーザが片付けを行っていた。

「あ、ファラ様。お帰りなさい」

 メルファラが会釈すると、パミーナが彼女に言った。

「ごめんなさいね。手伝わせちゃって」

「仕方ありませんよ。パミーナさんの方が大変でしょう? それにシアナ様のお部屋よりはずーっと楽ですから」

「あはは。それはそうだけど……」

 と、そこでメルファラはアルマーザに尋ねた。

「あなたは昨日のお茶会にいましたか?」

「え? はい。お給仕してましたが?」

 アルマーザはうなずいた。

「それでどのようにして?」

「はい?」

 アルマーザが首をかしげる。

「なのでどんな風に決まったのか聞いておきたくて」

「はい? 何が決まったんです?」

 アルマーザはぽかんとしている。

「え? だからティアの妾妃の話ですが?」

 ………………

 …………

 ……

 アルマーザは面食らった様子だったが、やがて驚愕した表情になる。

「えーっ⁈ 決まっちゃったんですか?」

 こんどはぽかんとするのはメルファラの方だ。

「デュールがあちこちに言いふらしているようですが……」

 アルマーザはひどくびっくりした様子で答える。

「えーっ? 知りませんよ? いや、確かにティア様と大皇様はすごく楽しそうにお話ししてて、それから都に帰ってこないかって話にはなってましたけど……でも、考えておいてくれってだけで、そのときはそれだけでしたけど?」

 メルファラとパミーナは顔を見合わせた。

「ともかくティア様に確認した方がいいんじゃありませんか?」

 アルマーザの言葉に二人はうなずいた。

「そうですわね。デュールはちょっとそそっかしいところがありますから……」

 そこで一行はまずは水月宮に向かったのだが……

「あれ? 誰も居ませんねえ」

 いつもなら近づいただけで人の気配がするというのに、今日はがらんとしている。

 すると奥からコーラが出てきた。

「あ、皆様、いらっしゃいませ」

「今日は他のみんなは?」

 アルマーザが尋ねると彼女は答えた。

「それが、辰星宮に行ってしまいました」

「辰星宮? 全員で?」

「はい。それが先ほどマジャーラ様が血相を変えて現れて……」

 一同は顔を見合わせた。

《マジャーラさんが?》

 ということは何か別件なのか?

「一体何が⁉」

「それが……」

 コーラが語るには次のような状況だったらしい。


 ―――今日の午後も水月宮の月虹の間では、エルミーラ王女にアウラ、リモン、メイ、サフィーナ、それにティアとハフラ、そしてリサーンなどがゴロゴロしていた。

 するとそこにマジャーラがひどく慌てた様子でやってきたのだ。

「どうしたのよ? そんなに慌てて……」

 リサーンが尋ねると……

「いや、イルドの奴、出て来なくなっちまって」

「イルドが?」

 何の話だ? と、一同は顔を見合わせるが、マジャーラは蒼い顔で続けた。

「それが、午後暇だからあいつに、ちょっとやろうぜって誘ったのにさ。なのに出て来ないんだよ。あいつが」

 ………………

 …………

 ……

「「「「「「「「えええええ?」」」」」」」」

 その場の一同が思いっきり全力で突っ込んだ。

「んな、どういうことです?」

「あのイルドさんが?」

「何か悪いもんでも食べたのか?」

「いや、その程度であいつがやめるわけないだろ?」

 イルドとはまさに心根の底からドスケベであって、そんな機会を逃すことなどあり得ない。それはもう太陽は東から昇るというのと同列の真理なのだ。

 何しろ変身したら精力がリセットできるという超便利体質だ。前に何人別な女を相手にしていようお構いなしなのだ。ついでに奴が腹を壊しているところも見たことがない。


 そのイルドが別段の理由もなく、マジャーラのお誘いを断った⁇


「あの、何か訳でもあったんですか?」

 メイが尋ねるとマジャーラがうなずいた。

「あ、それでキールもしょんぼりしてるんで、理由を尋ねたんだよ。そしたら……」

「そしたら?」

「ティア様が大皇様と結婚することになったからだとか……」

 ………………

 …………

 ……

「「「「「「「えええええ?」」」」」」」

 今度は残り全員の視線がティアに集まる。

「え? 何よ? そんなことまだ何も決まってないわよ?」

 彼女が慌てて弁解するが……

「えっと……まだってことは、何かそんなお話が出たりしたんですか? 昨日のお茶会で」

 メイがじとっとした目で尋ねた。

「えっ? あー、まあ、ちょっと……あ、でも、まだ決まった話じゃないし、考えておいてくれないかって言われただけだし」

 一同はまた顔を見合わせる。

「あー、確かにティア様、以前そんなお話があったんですよね。都に居た頃」

 メイの問いにティアがうなずく。

「うん。それはそうなんだけど……」

「それをまたってお話ですか?」

「え、だから、勢いでそんな話は出たけど、何も決まってないんだから!」

 一同は顔を見合わせる。

 まあ、確かにそういう話が出る可能性はある。

「それ、ティア様、誰かに話したんですか?」

 ティアは大きく首を振る。

「ううん。誰にも? アルマーザやコーラにも口止めしてあるし」

「んじゃ、キールだかイルド、どこからその話を聞いたのかしら?」

 ハフラがつぶやくと、マジャーラが呆れたように答えた。

「あー、それが……イルドのアホ、どうやらイーグレッタさんの水浴をノゾいてたみたいでさ……そうしたらラクトゥーカちゃんがやって来て何だかそんな話になったとかで……」

 ………………

 …………

 ……

「「「「「「「「はああああ⁉」」」」」」」」

 一同は騒然となった。

「ああ? あいつそんなとこノゾいてたの?」

「天陽宮周辺には出入り禁止だったんじゃ?」

「あー、でもあの池の反対側の茂みは一応辰星宮のエリアで……」

「ってことはこれまでもずっとノゾいてたわけね?」

「ちょっと、あいつ絞めないとダメなんじゃないの?」

 リサーンが手際よくロープを取り出し始めるが……

「いや、とりあえず今はどうしてそれをラクトゥーカちゃんが知ってたかじゃないですか?」

 メイの言葉に一同は少し正気に戻るが―――またマジャーラが答える。

「それが彼女が言うには、大皇様がルンルン気分で言いふらしてるとか」

 ………………

 …………

 ……

「「「「「「「え゛~~~~~っ!」」」」」」」

 全員の視線がまたティアに集まるが……

「知らないってーーーーっ! まだ何も返事してないんだし!」

 ………………

 一同はまたまた顔を見合わせるが―――そのときアウラがぼそっと言った。

「あ、そういえばさっきアラーニャ、辰星宮の方に行くって言ってなかった?」

 ………………

 …………

 ……

「「「「「「「「え? あーっ!」」」」」」」」

 というわけでそこにいた一同が全員辰星宮に向かったのだった―――


 三人は顔を見合わせた。

「これって……大丈夫なんですか?」

 パミーナが心配そうに言うが……

「いや、ともかく行きましょう」

「ですね」

 そこで彼女たちも辰星宮に向かった。

 すると前庭に人が集まって何やらガヤガヤやっている。

 見ると真ん中にキールとティア、それにアラーニャがいて、その周囲を他の女たちが取り囲んでいる。

「だーかーら、まだ何も決まってないんだからーっ!」

 ティアの叫び声が聞こえるが……

「でもそういう話は進んでいるんだよね?」

 キールが冷静に答えている。

「んー、まあ、そういう話は出たけど、まだ何も決まってないのっ!」

 キールはふうっとため息をつく。それを見て一瞬ティアは安堵した様子だったが……

「それでティアはどうするんだ?」

「え?」

 絶句したティアに再度キールが尋ねる。

「ティアはどうしたいんだ?」

「え? そりゃまあ……」

 だがその先の言葉が出て来ない。

 それを見てキールは再び大きくため息をつくとうなずいた。

「だよね。はあ……本当に今日までありがとう」

 ………………

「あ? 何言ってるのよ?」

「いや、今まで君みたいな人が僕たちなんかと一緒にいてくれたというのが、おかしかったんだ」

「いや、だからね……」

 キールは首を振る。

「いいんだ。本当だったら僕たちはあの悪霊屋敷にずっと閉じ込められたまま、時が来たら砂漠に放り出されて乾いていたところだったんだ。それが今は全く違う。都に行けばアラーニャも本物の魔法使いになれるんだろ? それ以上何を望めばいいんだ?」

「いや、だからね……」

 するとアラーニャがティアの手を取った。

「デ ィ ア ざ ま ー わ だ じ だ ぢ は だ い じ ょ う ぶ で ず が ら ー ど う が お じ あ わ せ に ー ……」

 目から滝のような涙がボロボロこぼれているのだが……

『あちゃー……』

 アルマーザのつぶやき声が聞こえるが―――これほど大丈夫でない人はメルファラも初めてだ。

「ちょっとー、だからーっ!」

 そこでキールがアラーニャの肩を抱く。

「アラーニャ。ほら、まだ今すぐ別れる訳じゃないから。都に行って、訓練には何年もかかるんだろ? その間は一緒に居られるから」

「わ が っ て る げ ど ー ……」

「いや、だからーっ!」

 ティアが大きく手を振っているが―――そこでまたキールが尋ねる。

「でもティア。大皇様のこと、好きなんだろ?」

「んえっ⁉ んなこと……」

 盛大にティアの目が泳ぐ。

 それを見たキールがまたまた大きくため息をつく。

「いいんだ。君には本当に、心の底から感謝しているから……だから、本当に君が望むようにしてくれていいんだ……」

 と、言いつつキールも必死で涙を堪えている様子がありありと見える。

《もう……絶対に嘘がつけない人たちなのですよね……》

 確かにメルファラは知っていた。ティアがデュールのことを好きなのは間違いない。

 だがもう一つ彼女には確信があった。彼女がここで本当に悩んでいる理由は―――そこで彼女は前に出た。


「ティア。そうですよ? 本当に貴女の望むとおりにしていいのですよ?」


「え?」

 ティアたちとそれを取り巻いていた女たちが一斉に振り返る。

「ファラ……」

 彼女の目がまん丸になるが―――そこでメルファラは尋ねた。

「ティア。一つ尋ねますが……貴女はもしかして私のために悩んでいませんか?」

「えっ⁉」

 その表情を見て彼女は確信した。

 彼女は小さくため息をつくと彼女に言った。

「確かに……私はデュールとあまり上手くいっていません。貴方がいてくれたらと思うこともあります……でもミーラ様もおっしゃっておりましたが、誰かの犠牲の上に誰かが助かるというのはあまり面白くないことなのでは?」

「いや……犠牲ってわけじゃないんだけど……」

 メルファラはじっとティアの目を見つめる。

「でもあなたはイルド様がお好きなのでしょう?」

 その言葉を聞いたティアが絶句する。

 ………………

 …………

 ……

「んえっ……んな、んな奴……んな奴……」

「あんな奴?」

 ………………

 …………

 ……

「ん、まあ、そりゃちょっとだけは……」

 そう言って彼女は目を逸らす―――しかしその頬は明らかに紅潮していた。

 メルファラはにっこりと笑った。

「あなたにあなたの時間があったように、私にも私の時間がありました」

 そう言って彼女は横で見ていたエルミーラ王女に微笑みかける。

「だから以前デュールとできなかったことが、今ではできそうな気がしているのですよ」

 王女がぽっと赤くなる。

 カロンデュールとは夫婦でありながら、夜の楽しみというものがなかった。そのときは自分には多分何かが欠けているからだと諦めていたのだが―――王女と共に過すことで自分にも女の悦びというものがあることに気づかされていた。

 この間フィンと未遂になってしまったときも、あそこで結ばれていたならさぞ素晴らしい結果になっただろう、という予感はあった。

 メルファラにとってカロンデュールは決して嫌な相手ではない。

 ただあの頃はどうして良いか分からなかっただけで―――ならば、今ならば彼とももっと楽しい時を過ごすこともできるのでは?

「だからティア、あなたがもし私と彼の間のことを気にしているのであれば、それは思い過ごしですよ? それは私たち二人の問題ですから」

「でも……」

 メルファラは首を振る。

「大丈夫です。私ももう前の私ではありませんし……」

 ティアは驚いたように彼女を見つめて―――その瞳が潤んでくる。

「……いいの?」

「はい」

 メルファラはにっこり笑ってうなずいた。

《大丈夫ですよね? きっと……》

 そうは言いつつ、こちらに関しては百パーセントの確信があるわけではなかった。


 ―――なお、その後大喜びで出てきたイルドはノゾキの罪でふん縛られて、その日は何もできなかったのであった。