アルマーザのシンデレラストーリー 第3章 動き出した時間

第3章 動き出した時間


 ―――などという騒ぎがあってからしばらくして。季節は夏真っ盛りだ。

《うひゃあ、暑いですねえ……》

 アルマーザは月虹の間でだらけていた。

 今日はメルファラには予定が入っていないので、彼女ものんびりできるのだ。

《しかし、久しぶりですよねえ……》

 ここしばらくずっとレイモンとアイフィロスの高官の間で、今後の両国の国家関係に関する協議が行われていた。そうすると大皇と大皇后も必要に応じて会議に参加せざるを得ないのだ。

 何しろ両国はつい先日までは不倶戴天の敵同士だ。それが協力して戦っていこうというのだ。お互い意見の合わないところも多々出てくる。そんな場合に大皇や大皇后が仲裁役を務めることで何とか収めて来られたのだ。

《大皇様、残って頂けなかったら大変でしたよねえ……》

 もしそうなっていたらとっくに会談は決裂までにはいかないにしても、もっと難航していたに違いない。

 だがそれだけに彼らの責任は重大だった。おかげでカロンデュール大皇が参ってしまっていたのだが……

《でもあれ以来元気ですよねえ……》

 ということは―――ティアはまだ断っていないのだろうか?

 あの後メルファラが、大皇には自分から言おうか? と、尋ねたのだが、彼女ははっきりとこれは自分の問題だから自分で言うと答えたのだ。だからみんな放っておいたのだが……

 だがあの女王様のことだ。『言ったわよ? 確かに自分で言うって言ったわよ? でもその期限がいつだとは言っていないから。だから……』などとごね始めないとも限らない。

《これはちょっと後で突っ込んどいた方がいいですかねー?》

 アルマーザがそんなことを考えていると、扉が開いてエルミーラ王女とメイが会議から帰ってきた。彼女たちもそういった会議にはよく呼び出されていたのだが―――王女はそのままいつもの席に座り込むと、大きくため息をついた。

「はあ……もう……」

「あははは」

 メイも何だか力のない笑みを浮かべている。

「どしたんですか? お二人とも?」

 アルマーザがメイに尋ねると……

「それがねー、何かまた帰れないみたいで……」

「え?」

「ほら、もうちょっとしたらみんな国に帰る予定だったでしょ? ところが何だかそれが怪しくなっちゃって……」

 メイはため息をついた。

「あ? でもフォレスへの道は通れるんじゃ?」

「それはそうなんだけど……」

 メイは状況を説明し始めた。

 アラン王が裏切ってアロザールに付いたため、現在中原は南北の国が対立してにらみ合っている状態だ。

 ここで彼らにとって最も重要なことは、レイモンとアイフィロスの協力関係を打ち立てることだ。そのためにカロンデュール大皇に中原に残ってもらって、いろいろと調停をお願いしているのである。

 その一環としてもうすぐ大皇と大皇后、それにベラトリキスも一緒にアイフィロス王国を巡幸する予定になっていた。

 それが終わったらフォレス組はそのまま本国に戻るつもりでいたのだが……

「何てかもう、予想外に色々面倒で……」

 またメイがため息をつく。

「そんな大変なんですか?」

「それがねえ、何かある度に一々意見が食い違うのよ。もう勘弁して欲しいんだけど……」

「へえ……そんなにですか?」

 メイがうなずいた。

「そうなの。さっきも巡幸が終わった後、大皇様と大皇后様がどうなさるかってので大揉めしてて……」

 アルマーザは首をかしげる。

「巡幸の後どうするかってって……やっぱ帰るしかないんじゃ?」

 メイが苦笑する。

「ところがアイフィロスが、大皇様にはもう少し国に留まっていてもらえないかとか言い出しちゃって」

「国って、アイフィロスにですか?」

「そうなの。何てか、要するにファラ様はずっとレイモンにいてずるいとか」

 アルマーザは呆気にとられた。

「はあああ? 子供じゃないんだから……」

 メイは笑って首を振る。

「いや、言い方はもっと持って回った言い方だったんだけどね、要はそんな感じで……で、そうしたら今度はレイモンの方もいろいろ言い出しちゃって、それで大皇后様はアキーラに、大皇様がラーヴルにって話も出たんだけど、二人が別々なのもやっぱり変だし……」

「そりゃまあ、そうですよねえ」

「だったら中間のメリスにしようかって話も出たんだけど、あそこはちょっと前線に近いし、大皇様とかが長期逗留できるような場所もないしで、まあ結局それなら都に戻っても同じって事になって、まあそれは何とかなったんだけど……」

「はあ? それって元通りじゃないですか」

 最初からそういう予定だったはずだが……

「そうなんだけど……はあ、もうそういうことが一々面倒くさくって……」

 メイは大きくため息をついた。

「大変なんですねー。でもそれでどうして皆さんが戻れなくなるんです?」

「あ、それでね、会議が終わった後ね、やっぱりあたしたちも一緒に来てくれないかって話になっちゃって……」

「来るって、都にですか?」

 メイはうなずいた。

「そーなの。ほら、王女様ってレイモンともアイフィロスとも都とも中立の立場でしょ? だからこんな場合の調停役に色々うってつけなのよ」

「あはー。そうなんですねー」

 そもそも大皇様がこちらに残ることになったのも、エルミーラ王女が一肌脱いだからであった。

「だから今いなくなられるとすごく困るみたいで……」

「あー……」

 大変納得のいく話ではあるのだが……

「それに王女様って、お父様のアイザック様がアラン王とは親友で、サルトスのイービス女王様は、ほら……」

 メイが苦笑いを浮かべて自分を指さす。

「あ、お友達ですもんねー。あの魔法使いの人とも……って、考えたら結構すごい立場ですよねえ。皆さんって……」

「そーなの。だからこの南北対立自体の調停役になれるかもしれないし……とか言われたら、無碍にもできなくって……」

「はいぃ⁈」

 アルマーザは一瞬呆然としたが、確かにエルミーラ王女たちはそれが可能な立ち位置にいるのだ。

「あははは。そーなったらすごいですねー……って、それならもうしばらくみんな一緒って事ですか」

 彼女たちとまだ一緒にいられるというのであれば、それは嬉しいことではあるのだが……

「そうなりそうなんだけど……」

 そう言ってメイが王女の顔を見ると―――王女が力なく笑った。

「最初は半年の予定だったんだけどねえ……」

 アルマーザはうなずいた。

「あー、これで三年目でしたっけ?」

 彼女たちはアルマーザたちと出会う更に一年前からこの中原に来ていたのだ。

「もう絶対ディーンは私の顔なんて分からないわ……」

「あ、ミーラ様のお子様でしたっけ?」

「そうなの。出てきたときは九ヶ月だったのに……」

「あー、それじゃもうあっちこっち駆け回ってますよねー」

「そうよねえ……」

 王女はまたため息をついた。

《あはは。さすがのミーラ様も少々ホームシックですか……》

 いつも毅然としていて人にあまり弱みを見せない人なのだが―――とは言いつつアルマーザたちも村を出てから一年半近い。最近では砂漠のテントで寝ている夢をよく見たりするが……

「それで明日は?」

 王女がメイに尋ねる。

「あー、トルボ防衛に関する会議で……」

「あー……あれ……」

 王女が天を仰いだ。

「それも大変なんですか? そういえば今トルボってどうなってるんですか?」

 アルマーザが尋ねるとメイが答えた。

「あー、南からサルトス軍がやって来て遠巻きに陣を張ってにらみ合ってるって話なんだけど……」

「言われてたとおりですねえ」

「そうなの。でも当然このままのわけないから対策しなきゃならないんだけど、未だに戦いの指揮権をどうするかで揉めてて……」

 またメイがため息をつく。

「えっ⁈ そうなんですか⁇」

 なんだかそれってすごくヤバい話に聞こえるのだが……

「その辺がはっきりしないと迂闊に援軍も出せなくて……あ、ここらは一番フィンさんが大変で……そう言えば今晩も遅いみたいですよ?」

 メイは近くで話を聞いていたアウラに言った。

「えー、また?」

 アウラは心底残念そうだ。確かにここ最近フィンはあまり水月宮に姿を見せない。彼もまた城で軍事関係の会議に出突っ張りなのだ。

 そしてメイがまたまた大きなため息をつく。

「なんで……これが決まらないとまた今週も週末はなし、みたいな……はあ……」

 こちらの方の理由はもちろん明らかだ。

「そういえばあの馬車、ハミングバードでしたっけ? 乗れたんですか?」

 メイが虚ろな目で答える。

「それがー……試走で町を一周しただけで、あとは全然……はあぁ……」

 心底残念そうだ。

「まあ、このところ天気もイマイチですから。そのうち乗れますよ」

「だといーけど……」

「もう、元気出して下さいよ」

「うー……」

 と、そこでエルミーラ王女がふっと顔を上げた。それから近くのソファでだらけていたティアに尋ねた。

「そういえば大皇様、先ほどお会いしたら、相変わらずすごくウキウキしてらっしゃるご様子でしたが……」

「んがぐっ!」

 ティアがおかしな声を上げる。

「あの……もしかして?」

 途端に彼女が弁解を始める。

「いやー、言おうとは思ってるのよ? でもほら、ちょーっと機会がその、あはははっ!」

 あー、やっぱりまだ断れてなかったんだ―――その場の一同が顔を見合わせた。

 そこでアルマーザが言った。

「でも大皇様も結構お忙しいですよ? 放っといたらなかなか会える機会ないんじゃ?」

「んまー、そうなんだけど……」

「やっぱりそういう機会って、こっちから作らないとダメなんじゃないですか?」

「こっちから作るって……?」

 ティアがアルマーザの顔を見る。

「例えば……またお茶会を開くとか?」

 ティアがちょっと考え込む。

「それもいいかしら……あ、でも、もしかして……夕食会の方がいいかな?」

「夕食会ですか?」

 何か違いがあるのか?

「ほら、その方が何てか、飲み物とかで勢いもつけられるし……」

 ………………

 …………

《あー、酒の勢いを借りるというわけですか……》

 まあ、この際しょうがないかもしれないが―――と、そこで話を聞いていたメイがにっこり笑った。

「あ、それじゃそういう場、あたしがセッティングしましょうか?」

「え? メイちゃん、忙しくないの?」

 首をかしげるティアに……

「いやー、ほら、会議ばっかりだとこっちも気が滅入ってくるんで。いい気分転換になりそうだし、任せといて下さいよ!」

 そう言ってメイが胸を叩く。

「え? メイちゃんが作ってくれるの?」

 ティアの目が丸くなるが、メイは首を振った。

「いやー、さすがにそこまでは……でもほら、ゼーレさんと一緒に献立を考えたりするくらいなら」

 ティアがにっこり笑う。

「あー、じゃお願い。ありがと」

「どういたしましてー」

 というわけで今度はカロンデュール大皇を夕食会に呼ぶことになったのだったが……



《さーて、ちょっと緊張しちゃいますねー……》

 それから数日後、水月宮の月虹の間ではカロンデュール大皇を迎えた夕食会が始まろうとしていた。

「それじゃコーラさんも頑張りましょうね」

「はいっ!」

 彼女の表情は前回よりは落ち着いている。

《まあ、こんなのは慣れですからね》

 アルマーザだって最初に“お方様”をさせられたときには相当に緊張したものだが―――というわけで彼女は部屋の中を見渡した。

《さーて、お食事の準備は万端ですね》

 それについてはメイがいろいろと尽力してくれたおかげで、大変素晴らしいものとなっている。

 中央におかれたテーブルには所狭しと山海の珍味が並んでいる。

《ややこしい作法の物じゃなくて良かったですよね……》

 こういう会食だと料理がシリアルに出されていくことも良くあるのだが、そうなるとアルマーザが付きっきりになってしまうし、出し方にも色々手順とか作法とかがあって甚だしく面倒くさいのだ。

 だがこんな感じで最初から置いておいて適当に取って食べてもらう形式にすれば、時々空いた皿を片付けたりするくらいで二人の会話を邪魔することも少ない。

《メイさん、これでやっとドライブに行けますね》

 トルボ要塞の指揮権に関する話はあの後やっと片が付いて、久々に週末は空いていたのだ。ところがこの会食の準備のせいで、またぞろ週末は一杯一杯だった。

 だが、これはティア様やアラーニャちゃんの一生の問題だ。なのでスピードを出すなと苦言を呈するのは少し控えておいてあげよう―――などと考えていると、着飾ったティアが現れた。

 そして開口一番……

「うっわーっ! おいしそう!」

 ―――まさに予想通りの反応である。

「あとでメイさんにお礼を言っといて下さいよ?」

 アルマーザがじとっと見つめながらそう言うと……

「分かってるって! でも……うわあ。さすが元宮廷料理人ね。うー。いいなあ。ミーラ様。あんなお料理上手な秘書官がいて……」

 まだ言ってますよ? この人は―――と、彼女が料理の方にじりじりと近づいていくのだが……

「つまみ食い、禁止ですよ?」

「え?」

「え、じゃないでしょ? 当たり前じゃないですか!」

 ヴェーヌスベルグでもこういうときはみんな揃ってから食べ始めるものなのだが―――などと話していたら……

「大皇様がいらっしゃいました!」

 コーラが少し上気した顔でやってきた。

「うわーっ!」

 ティアが何やら慌てているが……

「大丈夫ですか? ちゃんと言えるんですよね?」

「わ、わーってるわよ! 入れて差し上げて」

「あ、はいっ!」

 コーラがはじかれたように扉にむかう。

 ―――そして彼女に案内されてカロンデュールがひどく上機嫌な様子で入ってきた。

「お招きありがとう。ティア!」

 まさに爽やかな笑顔だ。

《あはははは!》

 何だかもう歯が輝いているように見えるのだが……

《やっぱ……良くなかったですか?》

 もしかして―――お付き合いをお断りするというのであれば、後宮の裏手にでも呼び出して、ごめんなさいって言って逃げた方がお互いダメージが少なかったのでは?

 ―――などと気づいてももはや後の祭だ。なるようになるしかない。

「あはは。来てくれてありがとう。ささ、そちらへ」

 ティアがカロンデュールを上座に誘う。

 彼は席に着くと所狭しと置かれたテーブル上の料理に目を見張った。

「これはまた……」

 そこでアルマーザは料理の説明を始めた。

「暑い日が続いていますので、冷たく爽やかなお料理をメインに構成しております。こちらは川マスのマリネでテルネラ産のオリーブオイルを使用しております。こちらはドゥーロを使ったブルスケッタ、こちらは子牛のレアステーキのピーニャソースがけで……」

 カロンデュールが目を丸くしてその説明を聞いていると、ティアが言った。

「あはは。メイちゃんのプロデュースなのよ? 素敵でしょ?」

「メイと言えばあのエルミーラ殿の秘書官の?」

「そーなの。元は宮廷料理人だったんだって。いいわよねー。お料理上手の秘書官って……」

「あはは。そうだな」

 カロンデュールはものすごく上機嫌だ。

「それでは最初に乾杯なさいますか?」

「そうだな」

 そこでアルマーザはワインクーラーからワインのボトルを取りだした。

「こちらはアイフィロス、シャンヴール産の二十五年物になります」

「ほう……そんな名品が?」

 アルマーザがワインを注ぐと黄金色の液体がグラスに満ちた。

「乾杯」

「かんぱい!」

 カロンデュールはワインを一口味わうと、またにっこりと笑みを浮かべる。

「うむ。素晴らしいな。都でもなかなか手に入らないのだが……」

 これはアイフィロスのエルゲリオン王からメルファラ大皇后に献上された品の一つであった。シャンヴールというのはアイフィロスでも最高のワイン産地だという。

 最初はそんなこととは知らずにみんなでがぶ飲みしていたら、メイが後から空きボトルの山を見て蒼くなっていたが……

《でももうちょっとあったと思うんですがねえ……》

 ケースでもらっていたのに何故か残りがほとんどなくなっていて―――絶対誰かくすねているに違いないのだが……

 それから二人は和やかに食事を始めた。

 カロンデュールはまず白身魚のマリネを一口口にして、目を見張った。

「素晴らしいな……これをメイ秘書官が作ったのか?」

 ティアが笑って手を振る。

「いや、メイちゃんは献立を考えたんで。作ってくれたのはゼーレさんたちなの」

「ゼーレさん?」

「あ、アキーラ城の料理人さんたちでね、すごく腕がいいのよ」

 カロンデュールはうなずいた。

「いや、確かに。ここの料理は絶品だが……レイモンとは無骨なイメージがあったのだがなあ……」

 ティアもまたうなずいた。

「あ、確かに昔はそうだったみたいなんだけど、ウィルガの料理人さんとかがこっちに来てからすごく良くなったんだって……」

「なるほど……」

 それから彼は黄色っぽいソースのかかった子牛の薄切りステーキを口にして、また目を見張った。

「これもまた……何とも爽やかな風味がジューシーな肉と見事に調和して……」

「あはは。それ、今度は間違いなく本物なんだそうで」

「本物?」

 ティアの言葉にカロンデュールが首をかしげる……

「ほら、デュール、メイちゃんがアキーラ解放のときに捕まっちゃったって話は聞いてるわよね?」

「ああ。それは聞いているが? 何でもそこで料理を作らされていたとか?」

「そーなの。そのゼーレさんたちがね、腹が立ったんで太守にメッチャ不味い料理を出してたんだって。男の料理人が動けないからこんなのしかできないーとか言って」

「ふむ?」

「そのときにメイちゃんが試食させられたのが、これのゲロ不味版だったそうで」

 そう言ってティアはステーキを指さした。

「あははは。そうなのか……」

 そんな感じで二人は料理の話で盛り上がっていった。

《あはは。まあ最初は当たり障りのない話から始めますよね》

 確かにアルマーザでも彼女の立場なら話を切り出しにくいのは確かだ。

 続いてカロンデュールは黒っぽいパンの上に様々な食材の乗ったブルスケッタを取り上げるが、ベースになっているパンを見てまた首をかしげる。

「あ、それ、ちょっと色黒いけど、食べてみてよ。すごく美味しいから」

「ほう……」

 カロンデュールはおっかなびっくりそれを口にするが、途端にまた笑顔になる。

「うむ。何とも麦の香りが口いっぱいに広がって、歯ごたえも素晴らしいし……」

「それ、ドゥーロっていうレイモンの伝統的な黒パンなんだって。普通は白いパンで作るんだけど、これで作ったらまた全然違った感じになるでしょ?」

「そうだな」

「でもこれ、古くなるとガチガチになっちゃって、文字通り歯が立たなくなるのよ。なので最近は若い子には人気ないみたいで」

「あはは。それはそうかもな」

「あと色々食べ物が変わったって言ってたわね……例えばほら、デザートとかで美味しいお菓子が出てくるでしょ? でもあんなのは昔は超高級品で、普通の人は食べられなかったんだって」

「ああ……だろうな。ウィルガを滅ぼすまでは本当に田舎だったようだからな」

「そうなのよ。古い人に聞いたらね、子供の頃のお菓子っていうのは黒っぽくてボソボソしてるのばっかだったって……あ、でも作戦の途中でね、そんなお菓子をよく差し入れてもらったんだけど、意外に美味しかったわよ」

「そうなのか?」

 それはアルマーザにも記憶があった。黒っぽい粗挽きの麦粉を固めて焼いたようなもので、ほのかに甘くて、お茶に合わせると結構行けたが……

《あと、携帯食にも便利だったんですよね……》

 小鳥組作戦の時には大抵それを持って行って、待機しているときに囓っていたものだが……

「でもね、最近は上等の小麦粉なんかも普通に手に入るから、ケーキなんかもみんな食べられるようになったのよ?」

「ほう」

「あ、そうだ。町にねえ、カフェ・アルバーダっていうすごく美味しいケーキ屋さんもあるのよ。知ってた?」

「いや、知らないが……」

「んじゃ今度こっそり行ってみる?」

「はは。それは楽しそうだな」

 カロンデュールがにこやかに笑っているが……

《ちょっと! なにデートの約束してるんですか?》

 今日の夕食会の目的を覚えているのだろうか? この女王様のことだから、美味しい物を目の前にしたら理性が飛んでしまうというのはひどくありがちなのだが……

《しかしまあ……もう少し見てましょうか……》

 もしかしたら何か考えがあるのかもしれないし―――無いだろうけど……

「あ、それでね。そのカフェ・アルバーダでなんだけど……」

 そこまで言ってティアがあっと口を塞ぐと、アルマーザに手招きをした。

「ん? どしたんですか?」

『あれって秘密だったっけ? アルウィス王子の……』

 アルマーザは小さくうなずいた。

『あー、あの刺客は内々にアイフィロスに引き渡されてましたから、表向きには何もなかったことになってるんじゃ?』

 と、それを聞いていたカロンデュールが尋ねた。

「ん? もしかして襲撃事件か?」

「え? デュール知ってたの?」

 ティアの問いに彼はうなずく。

「アイフィロスのアルウィス王子が何者かに襲撃されたという話なら……だが、それに君たちが関わっていたのか?」

「あははー。実はね、ほら、シャアラとアカラが妊娠してたってのは聞いたでしょ?」

「ああ。父君は不詳だという話であったが……」

 カロンデュールは少し首をかしげる。

「ほんとに不詳なんだけど、ただアルウィス王子かその従者のオトゥールって人のどちらかってことで」

「ああ?」

 彼の開いた口が塞がらない。

《あは。まあそうでしょうけど……》

 そこでティアが例の王子襲撃事件の顛末をカロンデュールに話した。

「……そんなことになっていたのか?」

 カロンデュールは驚きを隠せなかった。

「あはは。そうなのよ。アルマーザもその場にいたんだから」

「君がか?」

 アルマーザはうなずいた。

「あー、はい。うちの連中はみんな作戦に参加しまして」

 カロンデュールは首を振る。

「はあ……しかし、そこまでこじれていたのか? あの王家は……」

 ティアも小さくため息をつく。

「あー、そうみたい。本当にどうして兄弟仲良くできないのかしらねえ」

 アルマーザもそれについては同感だ。

「そうだな……しかしシャアラ殿とアカラ殿の父君が……」

「あはは。こっちも聞いたときは目が点で。それでそうそう。アラーニャちゃんに心話で連絡してきたのよね。リディール様が」

 アルマーザは大きくうなずいた。

「あははー。ありゃびっくりしましたが……劇を見た後、丁度そのカフェ・アルバーダでみんなで大盛り上がりしてたところにいきなりですよ?」

 だがカロンデュールはさすがに心話に関しては驚かなかった。だが……

「あはは。それはびっくりしただろうな……しかし、劇とは?」

 アルマーザは軽く意表を突かれた。

「え?」

「だから何か劇を見ていたのだろう?」

「あ、はい。あのときロマンゾ劇団っていうのが来てて、“双星双樹”ってのをやってたんですが……」

 それを聞いたカロンデュールが目を見張る。

「あのバシリカのロマンゾ劇団か?」

「デュール、知ってるの?」

 ティアの問いにカロンデュールがうなずく。

「ああ。名前はな……」

「あたしも見たけど、すごかったわよ? ルナ・プレーナ劇場でも大入り間違いなしよ!」

「ほう……それは……」

 と、そこでティアの目が遠くなる。

「あー、そういえばルナ・プレーナ劇場じゃ最近何がかかってるのかしら?」

 するとカロンデュールがさらっと答えた。

「そうだなあ。こちらに来る前はアストラールの新作がかかっていたようだが……お気に入りのデルビスとパライナも重要な役で出演していたな」

「へえ……大皇様って劇にお詳しいんですね?」

 思わずアルマーザが尋ねると、彼はティアの顔を見て笑った。

「あはは。君が好きだったからな」

 ………………

 …………

「えっ⁉」

 ティアがいきなり真っ赤になるが……

《えっじゃないでしょ? 何、勘違いしてるんですか?》

 カロンデュールもそれに気づいたようだ。

「君は“劇が”大好きだったからな」

 ………………

「え? あ……」

 ティアがそれに気づいてさらに赤くなるが……

「もちろん君のことも好きだが……」

 ………………

 …………

 ……

「え? あ……」

 ティアは頬を染めてうつむいてしまった。

《ちょっとー……》

 いい感じになってどうするのだろうか?―――と、アルマーザが首をひねっていると……

「君。空になってしまったのだが」

 カロンデュールが空いた瓶を指さした。

「あ、申し訳ありません」

 彼女は新しいボトルを取りに、いったん控え室に戻る。

 そこではコーラが何やら心配そうな様子だ。

「ティア様、大丈夫なんでしょうか?」

「あははー。ですねー。でもまあ何とかなるでしょ」

「だといいんですが……」

 全く、こんな若い子にまで心配されてしまって―――そんなことを思いながら新しいボトルを持って戻ってくると……

「……それより君の離宮はどうしようか?」

「えっ? あたしの?」

 何やら話題が変わっている。

「もちろんだよ。ジアーナ屋敷でも構わないのだが、あそこはケチが付いてしまったし」

「あはは。そうよねえ……」

「ダアルの家にも離宮はたくさんあるが、さすがにあそこと比較されるとなあ……」

「いや、別にあんな大きな所じゃなくてもいいけど」

 ………………

《って、あっちに住む気なんですか?》

 そこでアルマーザは彼女のグラスにワインを注ぎながらささやいた。

『何の話をしてるんですか?』

『わ、わーってるって!』

 ………………

 アルマーザはじとっとした目でティアを見つめる。

『ともかく頑張って下さいね』

『もちろんよっ!』

 その様子を見ていたカロンデュールが少し首をかしげる。

「ん? どうしたんだ?」

「いや、何でもないのよ。それより……」

「何だ?」

 ティアは何度か咳払いをした。

「えっとほら、それでなんだけど……考えてみたら、ほら、都じゃその……ル・ウーダ・エルセティアってのはちょっとまずいんじゃないかなあって思うんだけど……」

「ん? どうしてだ?」

 不思議そうにカロンデュールが首をかしげる。

「だってほら、ジアーナ屋敷からいきなり消えちゃったんだし。変に思われるでしょう?」

 だがカロンデュールは首を振った。

「ならば黄昏の女王ティアでいいだろう? 君の兄君だって今ではリーブラ・トールフィンなんだし」

「あー……でもほら、都には知ってる顔も多いし。特にリアンとかエイマとか……」

 またカロンデュールは首を振った。

「というかそもそもそんな心配は不要だろう……例えば君も私の依頼で秘密裏にヴェーヌスベルグまで行って、そこから黒の女王の末裔の一族を連れてきた、とでもすればどうだ?」

「え?」

 カロンデュールはにっこりと笑う。

「本当のことを言うより、そちらの方が信じてもらえそうだろう? 今のは例えばだが、そんなシナリオを考えればいい。それこそ君の兄上がそういうことは得意だろう?」

「あー、まあ……でもお兄ちゃんってほら、すごい極悪人ってことになっちゃってるじゃない。やっぱりそれって……」

 カロンデュールは首を振る。

「彼は彼、君は君だと私がはっきり言えばいいことだ。むしろ君の兄がそんな闇に落ちてしまったからこそ、君が行かなければならなかったとか、そんな話にもできそうじゃないか?」

「え? ああ……」

 カロンデュールはティアをじっと見つめた。

「それに私は事実を知っている。以前にも助けてもらったし。だから彼が君の兄上ということは誇らしいことだ。それをみんなに言えないということは本当に心苦しいが……でも本当に彼には感謝しているのだよ」

「え? ああ……」

 ティアが口ごもるが……

《ちょっと。言いくるめられてませんか?》

 アルマーザはだんだん心配になってきた。

 見ると食事はほとんど終わってしまっている。

《これはデザートの時間ですが……》

 そこでアルマーザは控え室に戻るとデザートのアイスクリームの用意を始めた。

「ティア様……大丈夫なんでしょうか……」

 相変わらずコーラが心配そうだが……

「いや、多分大丈夫だと思うけど……」

 だんだん自信がなくなってくる。

 なにしろこれはアキーラ城のパティシエさんにニフレディル様が協力して作った最高のアイスクリームなのだ。見るからに美味しそうだが……

《こんなの食べたらティア様、脳が溶けちゃったりしませんよね?》

 何かとっても満足してしまって今日はここまでとか言い出しかねないのだが……

《いや、それってお料理をただ食いしただけでしょ? もう……》

 とは言っても出さないわけにはいかない。

 そこで仕方なく彼女はアイスクリームを乗せたワゴンを押して出て行った。

「デザートでございます」

「おお、これは……」

「きゃああああ! 美味しそうっ!」

 ………………

 そこでアルマーザはティアにアイスクリームを渡しながらこっそりと囁いた。

『えっと、大丈夫なんですよね?』

『えっ?』

『えっじゃないですよ? お話は?』

 ………………

『あ、もちろん忘れてないわよ? 大丈夫だって』

 アルマーザはまたじと~っとした目でティアを見つめると、小さくうなずいて後ろに控えるが……

《本当の本当に大丈夫なんですよね?》

 アルマーザの心配をよそに、彼女は出てきたアイスクリームをぺろりと平らげてしまった。

 カロンデュールはそんな彼女をニコニコしながら眺めていたが……

「それで? 何か心配事でもあったのか?」

 先ほどのやりとりが聞こえていたようだ。

「え? いや、その……」

 ティアが慌てて目を泳がせる。

「その何だ?」

 ………………

「あ、ちょっと……」

 ティアはグラスに残っていたワインを一気に空けた。

「えっと、えっと、そのね……」

「何なんだ?」

「えっと、その、実はね?……」

 と、そこでティアがアルマーザに空いたグラスを差し出す。

「あ、はい」

 彼女がグラスにワインを注ぐと、ティアはまたそれを一気に空ける。

《ちょっとその飲み方、拙くないですか⁉》

 見ていたカロンデュールも少々驚いた様子だが……

「大丈夫か⁉?」

「あ、もちろん! んでね……」

「ああ」

「あれなんだけど……」

「あれ?」

「そうなの。あれなんだけど……」

 ………………

 …………

 そして彼女はまたアルマーザにグラスを差し出した。

《えっと……》

 あんまり飲ませたらぶっ潰れてしまうのだが、この御方は……

 そこで今度は半分だけ注いでやると、ティアは何やら不満そうな顔で見つめるが―――またすぐにそれをぐびっと空けてしまった。

「どうしたのだ?」

 さすがにカロンデュールが心配を始める。

《ですよねー。ちょっとこれは……》

 そう思ったときだ。

「あのね。その、やっぱりその……お断りしようかなーって……」

 ………………

 …………

 カロンデュールがぽかんとする。そして……

「何を、断ると?」

 ティアが大きく深呼吸をする。

「えっと、ほら、その……あたしがデュールのお妃になるって話なんだけど……」

 ………………

 …………

 ……

「何と?」

 カロンデュールが身を乗り出す。

「えっ?」

「いま何と?」

「いや、だからお妃になるお話なんだけど……やっぱり無かったことにしてほしくて……」

 ………………

 …………

 ……

 カロンデュールの顔から血の気が引いていった。

「どうしてなんだ⁉」

「いや、ほら、その、やっぱりちょっと置いとけない人がいたりするから。アラーニャちゃんとか、そのイルドとキールとか……」

 彼の目がまた丸くなる。

「イルドとキールだと……あの男のためにか?」

「……ん、まあ、そういう感じで……」

 カロンデュールが激高して立ち上がる。

「あんな男のどこがいいんだ!」

「いや、本当にあたしもそれはそう思うんだけど。本当にダメな奴だし、がさつだし、デリカシーはないし、キールはヘタレだし……」

 ………………

「そこまでダメだというのなら考え直してはもらえないか?」

 ティアが思わず顔を上げる。

「え? いや、ダメってわけでもないのよ? あたしを連れて来てくれたんだから。でもやっぱ元凶はあいつじゃないのよ。ぬーっ!」

 カロンデュールは静かにティアを見つめた。

「だよな? そもそもあいつは君をジアーナ屋敷から浚っていた奴なのだよな? おかげで君はひどい苦労をすることになったのだろう?」

 ティアがうっと口ごもる。

「いや、それはそーなんだけど……でも……でも……」

「でも?」

 ティアは彼を見据えると―――清々しく逆ギレした。

「それを言うならデュールだってそうじゃないのっ!」

「あ? 私の何が?」

「どーしてファラに優しくしてあげないのよ!」

「え?」

 今度はカロンデュールの目が泳いだ。

「ファラだってあんなに素敵なのに、え? 何だかずっと夜も別々なんだって?」

「え? それは……」

 またカロンデュールの目が泳ぐ。

「どーしてなのよっ! 彼女が愛しくないのっ?」

「もちろん愛しく思ってるさ……」

「だったらどうしてファラのこと相手してあげないのよーっ!」

「それは……」

 カロンデュールが目を逸らすが……

《げげげ。何か雲行きが怪しくなってきたけど。どうしましょうか?》

 まさかこんな展開になるとは―――ここで何かクールダウンできそうな物は……

《アイスクリームのお代わり、持ってきてもらいましょうか……まだ残ってましたよね?》

 そこでアルマーザはコーラに指示を出そうと控え室の方を見たのだが……

《あれ? コーラさん?》

 なぜか彼女の姿が見えない。

《えーっ⁉ どこ行っちゃったんですか?》

 でも今、この場を離れるわけにはいかないし―――と、アルマーザが慌てているとカロンデュールがすっと立ち上がった。

「少し暑いからあちらに行かないか?」

 彼は庭の方を指さした。

「あ、うん……」

 二人はグラスを手にするとベランダに向かった。

 そこは風通しが良く庭園もよく見渡せた。そのためベラトリキスのメンバーが夕涼みするためのガーデンテーブルやカウチチェアが幾つも置いてある。

 その一つに二人は並んで座った。

「君」

 カロンデュールが目配せしたのでアルマーザはまた二人のグラスにワインを注ぐ。もちろんティアの分は少なめだ。

 彼はグラスのワインを一口すするとしばらく目を閉じてそれを味わっていたが、やがて目を開くとティアをじっと見つめた。

「遙か前……都にいた頃からのことだ。いつでも彼女の視線はある人をずっと追っていたのだが……」

「え?」

 ティアの目が泳ぐ。

 カロンデュールは大きくため息をついた。

「私は彼女のことを全然知らないらしい……彼女は、君の兄上がが好きなのか?」

「ぶはーっ。」

 ティアが大きくむせた。

「えーっ? どうしてかなー?」

 あからさまに誤魔化そうとする気満々だが……

「見れば分かるだろう? あの眼差しは」

 ―――まあ、普通の観察力なら気づくのは間違いないわけで……

「あは、あは、あは」

「いつの間に? 単なる臣下だと思っていたのだが……」

「いや、それはね……」

「確かにあの日のお膳立てをしたのは彼だったそうだが、ファラが彼の話をしたことはなかったし、彼も黙って姿を消してしまったのだが……」

 そこでカロンデュールはティアの目をじっと見る。

「最初から二人は好き合っていたのだな?」

 ………………

 …………

 ……

「いや、えっと……んまー、その……あーっ! もう!」

 ティアはまたぐびりとワインを飲むと、少々座った目でカロンデュールに言った。

「だって! 本当にバカなんだから! お兄ちゃんは! あそこでファラを連れて逃げてりゃ、何もかも上手くいってたってのに! でも、でも……」

「でも?」

「お兄ちゃんがそうしたのは、ファラとそれからデュールのためだったのよ⁉」

「私の?」

 ティアは座った目でカロンデュールをにらむ。

「そーよ! ジークの家とダアルの家の確執を終わりにしたいからって、それで……だからファラもその気になって……」

 カロンデュールが目を見張ると、次いで天を仰ぐ。

「あはは……そんなことのために?」

「そんなことって……」

「そうだな……確かにあの頃の私たちにとってはとても重大なことだったかもしれないが……」

 カロンデュールは笑い出した。

「何がおかしいのよ⁉」

 だが彼は首を振る。

「だってそうじゃないか。そんなこと今の今まで思い出しもしなかった……そうだろ? ファラはみんなと中原の解放を行って、この私が今はレイモンのアキーラにいて、君は西の砂漠で大冒険をしてきて……それに比べたらそんなこと、心底どうでもいいことじゃないか?」

「あ、まあ、そりゃ……」

 カロンデュールは大きくため息をつくとつぶやいた。

「そうか……時間が流れ出したのか……」

「え?」

「なのにあの山荘で、私たちの時間は止まってしまった……」

「あの……どういうこと?」

 そこでカロンデュールはティアの顔を見つめる。

「本当ならばファラはフィンと時を過ごすはずだったのだろう? 私とではなく……そして私は……」

 と、そこでいきなりカロンデュールはティアをカウチチェアに押し倒した。

「ちょっと! 何するの⁈」

 ティアがもがいたが、両腕を捕まれて動くことができない。

「覚えているかい? 私が君にプロポーズしたことを。あれは本気だった。あの半月亭の夜、私は本当に君に恋していたのだ……だが、君は行ってしまった」

「ちょっと! デュール! やめて!」

「そして私は美しい后を得ることはできた。だが彼女の視線はついにこちらには向かなかった……」

「ちょっと、やめて! 痛いって!」

 彼女が本気でもがいているが……

《うわー! どうしましょう!》

 行って止めた方がいいのか? だが―――そんなことをしていいのだろうか?

 アルマーザが焦っている間にも事態は進展していく。

「結局私を見ていてくれたのは誰もいなかったってことか?」

「そんなことないって!」

「でも……みんな帰ってしまった。私を一人残して……」

「だからファラがいるじゃない!」

「彼女はフィンが好きなのでだろう? 私ではなく」

「そんなことないって! あなたともう一度始めたいって!」

「私と?」

 カロンデュールがピクリとする。

 ここぞとばかりにティアがたたみかける。

「そうなのよ。だってお兄ちゃんにはもうアウラお姉ちゃんがいるんだもの。ファラだって分かってるの。あのときのままではいられないって。だから最後に……」

「最後に?」

「あ……」

 ティアの目が泳いた。

「最後に……どうすると言うんだ?」

 カロンデュールが恐ろしく冷たい声で尋ねる。

《ヤバい! ここは……》

 アルマーザが思わず飛び出そうとしたときだ。


「だから最後に私は彼と思いを遂げようとしたのですよ。フィンと」


 静かな声がした。

 一同が振り返ると―――そこにはメルファラが立っていた。

「あまりにも遅いのでつい来てみれば……」

 そう言って彼女はカロンデュールをじっと見る。

「デュール。あなたはティアを力ずくで?」

 ………………

 カロンデュールが真っ青になった。

「いや、ファラ、そんなつもりは……」

「でも彼女が痛がっていましたが……」

 彼は慌ててティアから手を離す。捕まれた後に赤い手形がついている。

 そしてしばらく呆然としてから―――次いで愕然とした表情となる。

「いま、何と言った?」

 メルファラはまた静かに答える。

「彼と……フィンと思いを遂げたいと申しましたが?」

 ………………

 …………

「今でもあいつのことが好きなのか?」

 その肩が小さく震えているが……

「好きなのは確かです。でも彼と道を共にするかと言えば、違います」

 カロンデュールは驚いてメルファラを見つめた。

「道を?」

 彼女は静かに続ける。

「デュール……私はあなたの后です。道を共にするのならあなたしかいません。でも、それが本当に理解できたのはつい最近で……だから決別しなければならないのです」

 そう言って彼女はしばらくカロンデュールを見つめた。そして……

「でなければいつまでも過去に囚われてしまいそうだったから……そうして改めてあなたと一緒に歩みたいと思うのです」

 カロンデュールが驚いた眼差しで彼女を見つめる。

 メルファラもじっと彼を見返す。

 二人の頬が少し紅潮した。

「私たちはまだ互いに何も知らないようなもの……でも二人が望むのならば、ゆっくりとでも知り合っていけるのではないでしょうか? 私たちは夫婦なのですから……」

「ファラ……」

「だからお願いしたいのです。一度だけ、彼と思い出を作りたいのですが、よろしいでしょうか?」

 カロンデュールはメルファラの顔をじっと見た。

「……そうしたら、帰って来てくれるか?」

「はい」

 二人は―――おずおずと互いの手を握った。



《うひゃー……どうなることかと思いましたが……》

 アルマーザは心底ほっとした。

 しかしどうしてあんなベストタイミングでメルファラ大皇后が現れたのだ?

《それはともかく……みんなにお茶くらいは出さないといけませんね……》

 そこで彼女が控え室に戻ると、そこではコーラが何やら陶然としていた。

「どうしたんですか?」

 ………………

 …………

「えっ⁉ あっ、え?」

 彼女がいきなり正気に戻る。

「一体何があったんです?」

 コーラが真っ赤になった。

「あ、いや、それがティア様と大皇様がケンカを始めたんでどうしようかって思ってたら、いきなり後ろから大皇后様に抱きすくめられちゃって……」

「えっ?」

「それで耳元で『じっとしていなさい』って囁かれて……それでそのままお二人の話を聞いてたんですが、あそこで一人で出て行っちゃって……」

 あー、大体の状況はつかめた。もっと前に彼女は帰ってきていたのだが、あの様子を見て出て行けなかったということらしい。

《なるほど……だからあのときコーラさんがいなかったんですねー》

 ささやかな疑問は解けたわけだが……

「ともかく皆さんにお茶を出しましょう。準備してください」

「あ、はいっ!」

 と、二人が作業を始めたときだ。扉を乱暴に叩く音がした。

《あ? 誰ですか? こんなときに……》

 アルマーザは少々むっとして扉を開くと、そこには城の兵士が血相を変えた顔で立っていた。

「どうしたんですか?」

 何かただ事ならない様子なのだが……

「大皇様はこちらにいらっしゃいますか?」

「はい。いらっしゃいますが?」

「城で緊急の会議があるので至急いらっしゃるようにということなのですが」

「緊急の会議って……こんな夜中に?」

「それが……トルボ要塞が陥落したとのことで」

 ………………

 …………

 ……

「はいぃーっ⁉」

 アルマーザは耳を疑った。

 トルボ要塞というのは確か今、南から来たサルトス軍と対峙している場所ではなかっただろうか? だがフィンたちの話ではあそこが陥ちることはまずないので、そこは心配しなくていいとのことだったのだが……

「ともかくお入り下さい」

 アルマーザは使者を中に通す。

《何なんですか?》

 などと彼女が考えても分かるはずがなかった。