エスケープ・フロム・アキーラ 第4章 ダンサー・イン・ザ・ダークナイト

第4章 ダンサー・イン・ザ・ダークナイト


 ロータを発ったレイモン軍は、その日はクルーゼへの道程で野営をすることになった。

 メイたち一行は幸運にもまた宿屋に泊まることができた。これまでは予め宿屋に予約を入れていたので問題なかったが、これからはそうもいかない。

 まともな食事が準備できていないかもしれないし、場合によったら泊まれずに溢れてしまうこともあるだろう。

《でもあの馬車の中ならテントよりも寝心地良さそうだし

 馬車で寝るというのはとても楽しいことなのだが、なぜかみんなその話になるとうんざりとした顔になってしまうのはどうしてなのだろうか?

 ―――というのはともかく……

《うー……まだかなあ……》

 予定の時間は過ぎてしまっているのだが……

 宿屋の食堂にはメイの他に既にメルファラ大皇后、エルミーラ王女、ティアにパミーナ、イーグレッタとラクトゥーカ、コーラ、クリンなどが集まっている。

「遅いわねえ……」

 ティアがこぼすが……

「仕方ありませんよ。大切な話なんだし」

「まあそうなんだけど……」

 そうやって更にしばらく待った後、やっと残りのメンバー、ファシアーナにニフレディル、ハフラにリサーン、アウラ、リモン、マジャーラ、アルマーザにサフィーナといったベラトリキスのメンバーに加えて、三人の若い魔法使いがやってきた。

「あー、ごめーん。遅くなっちゃって!」

 リサーンが手を振るが……

「大丈夫ですよ。そっちの話も重大なんだし。それで何とかなったんですか?」

 メイが尋ねると彼女はうーんとうなる。

「ん、まあ、結構大変だなってことは」

「あはは、それは仕方ありませんけど……」

 シフラ戦では王宮に小鳥組作戦で突入することも考えられている。

 そして目標がシフラと分かった今、突入計画の最終調整が行われていたのだが、そこに小鳥組のエキスパートである彼女たちも呼ばれていたのだ。

 もちろん作戦に彼女たちが参加するわけではないが、そのための有益な助言は与えられるからだ。だが……

《お城の図面はあるって言ってたけど……》

 シフラは元はレイモンの都市だったから城の見取り図はあるのだが、アラン王も小鳥組作戦の事は知っているわけで、そうすると内部が改装されている可能性もあるらしい。

《うーん……大丈夫なのかなあ……》

 色々心配事は多いのだが、でもそれはあちらに任せるとして、ともかくこれで全員が揃った。これからはこちらの任務をこなさなければならない。

 そこでメイは魔導師たちに挨拶する。

「クアン・マリ様、フックス様、リストーリ様も来て頂いてありがとうございます」

 三人は黙ってうなずいたが彼らも少々緊張気味だ。

「えっと、それでやっと場所をお知らせできるようになりました。ここまで来ればもう想像は付いてるかと思いますが、クルーゼです」

 一同の概ねはうなずいた。ただしコーラとクリンはいきなり参加要請したので未だにぽかんとしているが……

「クルーゼは明後日到着の予定なので、練習は今日と明日しかできませんが、よろしくお願いします」

 そこでコーラが恐る恐る尋ねてくる。

「あのー……一体何のお話なんでしょうか?」

「あ、それがね、これから大変な戦いに行くでしょ? そこであたしたちがみんなを勇気づけるための慰問公演をしようってことになってるの」

「はいいぃ⁈」

 いきなりそんなことを言われたらびっくりするのは仕方ないだろうが……

《いやあ、こっちもこんな大事になるとは思ってもなかったけど……》

 軽い気持ちで発言したら何だかあれよあれよという間に話が大きくなってしまって―――事の発端は今回の作戦の全貌が明らかになったあの会議のときだ。


 ―――その会議はフィンとアリオールの他にレイモンの将軍、魔道軍の総帥などの最高指導者たちによる秘密会議で、そこにエルミーラ王女とメイも参加していた。

 メイは唖然とした表情でフィンの説明を聞いていた。

「……なので私たちは最初から最後まで全力で事に当たらねばならないんです。中途半端に手を抜いたりしたら、そこで敵に見透かされてしまいますから」

 一同はうなずいた。

 ともかく色々ややこしくてまだ完全に理解できてはいないのだが、少なくとも今彼の言わんとすることは分かったわけだが―――と、そこでエルミーラ王女が言った。

「ということは私たちもそうしなければならないということですね?」

「え?」

「皆様が全力を尽くす以上、私たちも同様に行わなければ。せっかく皆様に同行するわけですから」

 フィンはアリオールと顔を見合わせる。

「ああ、まあ確かに……しかし……具体的には?」

 王女はにっこり笑う。

「例えば、クルーゼのあたりでファラ様に演説して頂くとか?」

 二人はうなずいた。

「あ、確かに。大皇后様のお言葉は何にも代えがたいですからね」

 まさに乾坤一擲の戦いに赴くのだ。そんな彼らを励ましてやる言葉は絶対に必要だ。

 だがそれだけでいいのだろうか?

 それが全力というわけでもないような気がするのだが―――そこで思わずメイは口を挟んでいた。

「でもファラ様のお言葉だけでいいんですか?」

「はい?」

「いや、こんな大変な場合なんだから、ファラ様だけじゃなくってあたしたちも何かしてあげられるといいかなーって……」

「それはまあ……しかし一体何を?」

「えっとそれは……」

 もちろんその先はノープランであるが―――と、そこで将軍の一人が言った。

「例えばあの祈念式典で見せて頂いた舞のような物があれば、それこそ勇気が奮い立つでしょうが……」

 エルミーラ王女が目を見張る。

「アウラとアーシャさんの?」

 将軍は笑って手を振った。

「いや、無理だとは分かっておりますが、私は未だに目に焼き付いておりましてな……」

「ああ、アーシャ様が帰ってしまわれましたから……あれと同じ物というのは無理でしょうなあ……」

 他の将軍も残念そうにこぼすが―――それを聞いていたエルミーラ王女がはっとした表情になってメイを見る。

「もしかしてアルマーザさんなんかどうかしら?」

「え? ああ……確かに踊りは踊ってますね」

 最近は水月宮のステージでイーグレッタと一緒によく踊っていて、まあ変な踊りが多いのだが―――でも確かに彼女ならOKしてくれそうだが……

「アルマーザ様が?」

 将軍が尋ねると、エルミーラ王女がにっこり笑って答えた。

「彼女もなかなかの才能ですのよ? そのおかげで大皇様もお元気になられたりして」

「ほう……」


 ―――というわけでその話をアルマーザに打診してみたわけだが……

「え? 構いませんよ? あはは。遊んでたのが役に立っちゃいましたね

 彼女は予想通り二つ返事でOKしてくれたわけだが……

「あー、でもあれってイーグレッタさんの伴奏がないと様にならないんですけどねえ……」

 メイもうなずかざるを得ない。

「ああ、確かに……でもイーグレッタさんがこの遠征に付いてくる理由がありませんよねえ」

 正直命がけの旅だと言ってもいい。彼女の立場ならアキーラに残っていてもいいし、その気になれば都に帰ることもできるだろう。

 ところがアルマーザと一緒に恐る恐るその話をイーグレッタに持ちかけてみたところ……

「まあ……そういうことでしたら私も同行いたしましょう」

 彼女もまた二つ返事で同意してくれたのだ。

《あはははは。ラクトゥーカちゃんはまた目がまん丸だったけど……》

 そしてせっかくなので彼女も伴奏に加わることになってしまったのだった。


 ―――などというおもしろい話がティアの耳に入らないわけがない。

 彼女は呼びもしないのにやってきた。

「なになに? アルマーザの公演をするんだって?」

 メイはうなずいた。

「あ、まあ、ほら今度の戦いって国の命運がかかってるじゃないですか。だから出征する兵隊さんたちを鼓舞するためにってことで」

「へえ。でもそれってどこでするの? まさか劇場とかじゃないわよね?」

「そりゃ。一万人もいますし、どこかの野原とかじゃないですか?」

「ああ、そんな野外ステージね……あー、でもそれって昼間?」

「え? いや……どうなんでしょうねえ」

 基本昼間は行軍とかをしているし、午後は夕食の準備とか色々だし、休みの日なんてのもあるわけないし―――ってことは……

「あれ? 夜になっちゃいますか?」

 夜だと暗くて見えないのでは? 回りを松明で照らせば何とかなるか? メイがそんなことを考えていると……

「じゃあやっぱここは魔道演出っきゃないんじゃない?」

 ティアがにやっと笑う。

「魔道演出⁈」

「少なくとも照明がいるでしょ? 一万人が見てるとなると、拡声の魔法使いもいるかもしれないし……」

「えっとそれ、シアナ様とかにお願いするんですか?」

「他にも魔法使いは一杯いるじゃないの。何とかなるんじゃ?」


 ―――というわけで今度は近くでゴロゴロしていたファシアーナの元に向かった。

「ほう? そりゃ面白そうだなあ」

 彼女はすぐに乗り気になった。

「それじゃシアナ様にお願いできますか?」

「いや、あたしはそういうちまちましたのには向いてないし、だいたい一人じゃ無理だから」

「それじゃリディール様に?」

「あいつでもいいけど、もっと向いた奴らがいるよ。ちょっくら呼んでくるから」

 そう言って飛んで行ってしまって、連れて帰ってきたのがクアン・マリ・マイウス、フックス、リストーリの三人だった。

「お、こいつら使っていいから。みんなルナ・プレーナ劇場でバイトしてた奴らだからな」

 三人とも最初は面食らっていたが、魔道演出をすると聞いて彼らもすぐにやる気になった。

「いや、もちろん協力は惜しみませんが、一体どういう内容なのです?」

 一番年長のフックスが尋ねるとティアが答える。

「あ、細かい手順はこれから決めるんだけど、ファラ様がみんなにお話になるのと、アルマーザの踊りに、あと歌を歌おうかと。やる時間帯が夜になりそうだからステージの照明と、拡声。それに効果なんかもちょろっとって感じで」

「踊りに効果は加えるのですか?」

「あ、それはできればでいいの。時間も無いし。基本はアルマーザがイーグレッタさんとラクトゥーカちゃんの伴奏で踊ってるのを見せてあげればいいから」

 三人はうなずいた。

「ああ、それだけなら何とかなりますね」

 と、そこでアルマーザが彼に尋ねた。

「効果って例えば? そんなに難しいんですか?」

 フックスがにっこり笑う。

「あー、ちょっとやってみせましょうか?」

 そこで彼がクアン・マリ・マイウスに目配せをする。

 するとアルマーザの回りに光の球が幾つも現れて、回りを周回し始めた。

「おわあ! 凄いですねえ!」

 続けて今度は近くにあったスプーンが四本一緒に浮かび上がって、アルマーザの周囲で踊り始める。

「うわ! カワイイですねえ」

「こんな感じで踊りに合わせて小道具を動かしたり、ダンサーを宙に持ち上げたりもできますが……」

「へえ……」

 アルマーザの目がキラキラし始めるが……

「しかし振り付けがしっかり決まっていて練習も積まないと、なかなか息が合わないんですよ」

「あー……」

 そこでティアが言う。

「なので、今回はその辺はアバウトでいいように構成するから」

「はい。承知しました」

 こうして魔道軍の若手魔導師たちの協力も得られることになったのだ―――


 というわけでこのような大所帯の大プロジェクトとなってしまったわけだが……

「いやあこっちから行くかと思ってたらみんな来ちゃったのはびっくりしたわよねえ」

「そうよね。やたら遅いとは思ってたけど」

 リサーンとハフラが何やら話しているが―――というのはこのプロジェクトは極秘で進める必要があったからだ。

 何しろこんな公演をクルーゼでやることが知られてしまったら、当然メリスやトルボを攻めるのはフェイクだとバレてしまう。

 なので公演の準備は一般兵などには知られないよう極秘裏に行わなければならなかった。

 また関係者に対してもその場所と日時は秘密で、こちらから許可が出るまでは公演の話をすることも厳禁であった。

 なので旅の間リサーンなどがよく不審げな顔でメイを見ていたわけだが……

《あはは。最初はこっちからあっちに駆けつけるって思ってたわけね》

 彼女たちは総勢百名ほどの集団だ。この程度なら普通の旅人と大差ない速度で移動できるから、決戦前に大河アルバ付近に駆けつけて公演すると思っていたのだろう。

 しかしそのためには一日で今回の合流地点近くまで行くくらいのスピードが必要だったわけだが、彼女たちは本隊と同様ののんびりしたペースで移動していた。

「だからてっきりロータかとも思ったんだけど。メイさん知らんぷりだし」

「んじゃクルーゼしかないわよね」

 トルボを攻めるのが目的だったのであれば公演はロータで行うのが適切だ。しかしそれもなかったとなれば結局本命はシフラで、クルーゼで公演をすることは予想が付いただろう。

 だがコーラとクリンは未だに呆然としている。

「それでその、私たちは一体何をすればいいのでしょうか?」

「あ、そこでね、せっかくだから一緒に歌って欲しいの」

「歌、ですか?」

「うん。この曲なんだけど……」

 メイは口ずさんでみせる。

「あ! その曲ですか?」

「うん。知ってるでしょ?」

「はい」

 この曲は“草原を渡る風”という、レイモン人なら誰でも知っている古謡であった。

《これだったら全員で歌えるだろうし♪》

 人々を鼓舞するためにはまさにうってつけなのだ。

「というわけで、これからは情報解禁なので色々話しちゃって構いません。あと練習も暇なときにおおっぴらにやってもいいですから」

「あは わかりましたーっ!」

 アルマーザが何やら大喜びだ。

 こういうのだと普通は萎縮してしまう人が多いというのに、彼女の場合は目立てれば目立てるほど嬉しいらしい。

 と、そのときクアン・マリ・マイウスが手を上げる。

「あ、はい。何でしょう?」

 彼は魔道軍の魔導師の中では一番若手で、ちょっとハンサムだ。しかも“クアン・マリ”というのは都の小公家の一つで、例えばフィンやティアの“ル・ウーダ”よりも格上だったりするが……

「あ、あれからこちらでも色々話し合ったのですが、クルーゼでは皆さんのステージも用意しようかということになりましたので、ご期待下さい」

「ステージ? ですか?」

「えっと、どういうことです?」

 エルミーラ王女も不思議そうに尋ねるが……

「それは見てのお楽しみということで」

 マイウスはにっこり笑う。

 何やらもしかして更に大がかりなことになろうとしているのだろうか?



 その翌々日の昼前、彼らは予定通りクルーゼ村郊外に到着した。あいにく天候はどんよりと曇っているが、まあ雨に降られないだけマシであろう。

「へえ。あそこがクルーゼですか。ほとんど町ですねえ」

 クリンが感慨深そうに言う。彼女もこんな遠くまで来たのは初めてなのだ。

「東西と南北の交易路が交わる地点だからね」

 と、本で読んだ知識はあったがもちろんメイも自分の目で見るのは初めてだ。

《あれがクルーゼの砦かあ……》

 クルーゼ村の西側には小高い丘があってその上には砦が聳えていたのだが―――正直かなり可愛らしい。数百人入ったら一杯になりそうな小砦だ。

《あれじゃねえ……》

 当然アラン王もレイモンがその首狙いの一点突破をやって来ることは十分に想定しているはずだ。となればまずその経路にあるクルーゼには防衛拠点を作っておきたいところだろう。

 しかしこんな小砦を強化している時間的余裕はなかったようで、ここで防衛するのは諦めたと見える。

 このあたりは中央平原の本当にど真ん中だ。

 だが平原といっても完全に平たいわけではなく、結構起伏がある。

 クルーゼから東の地域はその名に恥じない大平原が広がっていて、畑や牧場の点在する豊かな地域だが、逆に西の地域は起伏が激しく土地が痩せていて農耕に向いていない。そのためウィルガ王国もラムルス王国もあまり重要視しておらず両国の緩衝地帯となっていた。

 一方そんな地形は盗賊などが隠れ住むには好都合で、あの“ウィルガの大地”もこのあたりを根城に活動をしていたという。

 そんな地域だったのでここは旧ラムルス王国領であったが、国境を守る要塞のような物は作られず、主に盗賊などから地域を守る警備隊の砦が点在しているだけだったのだ。

 またその後ここはレイモン王国に所属することになるが、そうなると前線はもっと東で、ここは内陸の補給拠点でしかない。そこを強化する理由もなく現在に至る。

 一行は砦を遠巻きに取り囲んだ。

 もちろん砦の守備隊はまずは門を固く閉めて籠城の姿勢を見せる。ここでちょっとでも足止めができればそれでも十分な戦果になり得るわけだが……

 レイモンの指揮官と魔導師が前に出た。

「我らはレイモン王国より来た。砦の守備隊よ。お前たちにレイモン王ガルンバ・アリオール、及び白銀の都カロンデュール大皇の名の下に命ずる。東への道は空けておくので、正午までに砦から退去せよ。以上だ!」

 その言葉があたりに朗々と響き渡った。

「な、何だと? 戯れ言を抜かすな!」

 守備隊長が健気に言い返してくるが……

《あはは。声が裏返ってるし……》

 特にあんな上から見た一万の軍勢はまさに壮観だろうし……

「だが、そこにいたら危険だぞ? 午後から撤去の作業を開始するからな?」

「はあぁ?」

 わけが分からないという様子だが―――そこで指揮官が横にいた魔導師に軽くうなずいた。

 彼が振り返って何か合図を出すと、控えていた魔導師数名が前に出て意識を集中し始めたのだ。

 途端に……


 グゥォボッ!


 といったような大音響が轟くと―――砦の櫓の一つがもげた。

 櫓はそのまま宙を移動して丘の麓にドスンと着地した。それからちょっと間を置いて―――櫓の中にいた兵士が慌てて逃げ出すのが見える。

「危険だというのは分かって頂けたかな?」

 それに返答はなかった。

 だが、しばらくして砦の門が開くと、中から守備兵たちが出てきて我先に逃げ始める。

《あははは。あれじゃねえ……》

 前述の通りここの砦は盗賊程度を想定して造られた物なので、都の大魔導師の本気の前には藁の家同然なのだ。まあ、シフラなどのちゃんとした要塞ではこうはいかないのだが……

「行ってアラン王に伝えよ! 伏して許しを請えば大皇様の温情もあり得るとな!」

 こうしてクルーゼ砦は無人となった。

 しかし驚いたのは更にその後だ。一行が昼食を食べ終えたときだ。マグニ総帥が配下の魔導師たちに命じたのだ。

「それではお前たち。やりなさい」

 その後のことはまた驚くばかりだ―――文字通りに魔導師たちが砦の撤去作業を開始したのである。

 石造りの城壁はバラバラに壊され、砦内の木造の家屋もあっという間に板きれの山となる。

「綺麗に壊せるもんなんですねえ」

 思わずメイが総帥に尋ねると……

「ははは。都ではそういう技術はむしろ磨かれておりましたからな」

 魔法とは攻撃のためだけではなく、このような建設現場などでも極めて有用だ。メイも魔道大学に行ったときにそういうことは習ったのだが、実際に砦を解体するのを見たのは初めてだ。

《あ、まあ、ぶち壊したのは見たけど♪》

 解放作戦ではまずディロス駐屯地を攻略したのだが、あのときはファシアーナとニフレディルの二人であそこを焼き尽くしていた。まさにその後は宿舎の燃えかすと瓦礫の山になったわけだが―――今ここではほぼ建材の形を保ったまま建物をパーツ単位に壊している。まるで積み木でも崩しているようだ。

 彼らがそうしたのは理由があった。

 続いてその建材が丘の麓の広場に次々に飛んでいくと今度は平たく積み上がっていく。やがてそこには大きな半円形の台状の構造物が出来上がっていくのが分かった。

「もしかして、あれがステージですか?」

「はい。そうですよ」

 確かにこれはちょっとした野外ステージだ。丘の中腹から見下ろせる場所なので一万人でも余裕で鑑賞できそうだが……

「あー、でも凸凹ですよねえ?」

 四角い岩が積み重なっているだけなのでその上で踊るのはちょっと無理そうなのだが……

「もちろんまだ完成ではありませんからな」

 総帥はにっこり笑う。

 やがてステージの形が完成すると魔導師たちががその回りを取り囲んだ。そしてまた何か意識を集中しているが―――と、ステージの上が赤く輝きだしたのだ。

 輝きはどんどん増していって、やがて真っ白くなる。

「うわ! 熱いっ!」

 これだけ離れていても凄い熱気だが―――その熱で岩がどろっと溶けた。だがステージの周囲は加熱されていなかったので、溶けた岩が大きな半円形の容器に溜まるような形になった。

 続いて今度は急激に光が弱くなって赤黒くなっていくと、今度は逆にあたりが寒くなる。

 終わった後には冷えて固まった一枚岩のステージが出来上がっていた。

「うわ……すごい……」

 確かアキーラ城への突入作戦でファシアーナが似たようなことをやったらしいが、それとは規模が段違いだ。

「お気に召して頂けましたかな?」

「すごいです! マグニ様!」

 総帥はにっこりと笑うとまた配下に指示を出す。

「それではあれもちょっとやっておけ」

 魔導師たちはうなずくとステージから少し離れたところに行って大きな円陣を作った。

「何を始めるんですか?」

「あ、弾作りの練習ですよ」

「弾作り⁉」

「見ていれば分かりますよ」

 すると円陣の中央の地面がまた赤黒く光り始め、やがて真っ白い輝きになるとそのあたりがどろっと溶けて溶岩の池になる。続いて溶けた溶岩がふわっと宙に浮かぶとまん丸な球体になった。

 そして今度はまたそれが急速に冷却されて大きな黒い岩の球になって、少し離れたところにドスンと落ちた。

 後には大きな穴が残されている。

「もしかして、要塞攻めに使う弾ですか?」

「はい。こんな物を持ち歩くわけにはいきませんからな」

「ほえー……」

 魔導師たちはさも当然といった表情だが、それ以外の者たちはみんな唖然としている。

「それではもう少し作っておきましょうか」

 彼らはその後三つそんな岩球を作ると、ステージの回りに置いた。

「あは。遠くから見るとカワイイですね」

 ステージの回りに丸い飾りがついたみたいだ。

 それから下っていって出来上がったステージにみんなで上がってみると……

「あはっ! すべすべしていい感じですね!」

「あはは。こりゃ失敗できないよなあ」

 後から聞けばここでは岩弾を作る演習だけの予定だったそうなのだが、岩や土の溶解・凍結というプロセスは同じなのでついでにやってしまえということになったらしい。

 こんな立派なステージまで用意してもらえたとなると、それこそこちらも本気でかからねばならないわけで……



 その日は薄ら寒い風の吹く星のない夜となった。

 普通ならばこんな日は毛布にくるまってとっとと寝てしまうに限るのだが、今日は野営地中に何やら異様な緊張感というか、期待感が渦巻いていた。

 兵士たちの野営地は出来上がったステージを取り囲むように配置されていた。もちろんそうなれば彼らはそこで何かが起こると想像できるわけだ。

 本営の方から美しい音楽が流れてきたという噂も広がっている。

 ―――ということは?

 残念ながら正月に行われた戦勝祈念の式典を見られた者はあまり多くはなかった。関係各国の国王級の賓客の前で開かれたため、一般の兵士たちが見るのは叶わなかったからだ。

 だが彼らはその噂だけは聞いていた。

 ―――ということは?

「あははは。ちょっと緊張して来ちゃいますね」

 そんな空気がビシビシと伝わってくるので、メイの体もぞくぞくしてくる。何しろ成り行きでこのイベントの司会進行をする羽目になってしまったわけで―――しかも……

《うー……この格好、やっぱ恥ずかしいわよねえ……》

 着用している衣装を見ながら思った。

 あの解放作戦中、メイは色々と交渉ごとを行う役目を担っていたわけだが、そこでは少々ハッタリをかますためかなり場違いな格好をさせられていたのである。

 最初の頃は貴族風のドレスだったのだが、そのうちルルーなどが調子に乗り始めて、やがてアルエッタが合流した後にはもう怪しさ大爆発な格好にエスカレートしていったのだ。

 いま纏っているのはその最後期に着せられた一番派手な服の一つで……

「メイさーん。セリフ噛まないで下さいね? こっちまで緊張しちゃいますからー」

 などとリサーンがほざいているが……

「分かってますって!」

 ってか、どうして彼女が緊張するのだ? みんなと一緒に口パクしてるだけだろ?―――彼女はちょっと音痴なのでティアにそうしてろと言われているのである。

「大丈夫ですよー。練習でもほらできてたじゃないですかー」

 アルマーザもニコニコしながら元気づけてくれるが……

「それはそうですけどね」

 身内の間での練習と本番はやはり違うわけなのだが……

《ってか、もうこの人は本番に強すぎるでしょう?》

 彼女は全くいつもの調子だ。言うだけならよく緊張しますねーとか口走ってはいるが、見た目は全然そうではない。

 だがその横のアラーニャは結構顔が引きつっている。

《まあ、こっちが普通なんだけど》

 彼女もまた結構な大役を任されているわけだが、でも全く余裕がないというわけでもない。ヤクートでは一番目立つところで一番目立つ格好で頑張ったらしいし―――などと考えていると、ポロロンという音がした。

 あちらの方ではイーグレッタがリュートの調弦をしている。

《さすがはイーグレッタさん♪》

 彼女もまた大きなステージに慣れていると見えて、全く普段と同じ様子だ。

 だがその横のラクトゥーカはさすがに結構本気でぶるっているのが分かる。

「ラクトゥーカ? おまえちょっと力抜けよ」

「あっ! はいっ!」

 マジャーラが元気づけているが、彼女は相当に表情が固い。

「だーかーら、こちょこちょーっ」

「きゃはーん! やめてくださいっ!」

 ラクトゥーカが飛び上がる。

「何するんですかー!」

 彼女は相当のくすぐったがりやなのだそうだが―――あはは。これで少しは緊張が解けただろうか?

 そんなことをしている間に開演の時間だ。

『それじゃみんな位置について下さい』

 メイが囁くと、その後ろにメルファラ大皇后を中心にエルミーラ王女とティア、ファシアーナ、ニフレディルが並び、更にその後ろにはパミーナ、アウラ、リモン、サフィーナ、アルマーザ、マジャーラ、リサーン、ハフラが並んだ。

 彼女は大きく深呼吸すると……

『それじゃよろしくお願いしまーす!』

 と、舞台脇に合図する。

 ステージ脇に潜んでいた魔法使いたちがうなずくのが見えて……


 パァン!


 そんな音と共にいきなり上空に明るい光が現れてステージ上のベラトリキスたちを照らした。人々にはまるで闇の中からいきなり現れたように見えたに違いない。

 中央のメルファラ大皇后やエルミーラ王女、それにティア女王様は見事なドレスを身に纏っており、それ以外の者たちもそれぞれの正装だ。アウラ、リモン、サフィーナはフォレス親衛隊ので制服で、ヴェーヌスベルグの娘たちはアルマーザを除いてはあの戦勝祈念式典で着用していた、アルエッタがデザインした晴れ着である。

 アルマーザはもちろん今日の花形なので、大皇の送別会で着ていた物を今度はちゃんとサイズが合うように仕立て直した華やかなドレス姿だ。

《よっしゃ! じゃ、行くぞー!》

 メイは再度深呼吸をすると前に出た。

「みなさーん。こんばんわー」

 その声は拡声の魔法によってあたり一面に響き渡る。

《うわー……》

 自分の声がこんな風に聞こえるとちょっと驚いてしまうが、それはともかく……

「えっと、ベラトリキスの秘書官、メイでーす」

 そう言って手を振ると……


「うおおおおおっ!」


 あたりから歓声が沸き上がった。

《うひゃあ! 凄い迫力っ!》

 これに呑まれてしまわないように頑張らねば……

「もうお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、これよりちょっとした舞台を行いまーす。色々と不安なこともあるでしょうが、しばらくはそれを忘れてご覧下さい!」

 その言葉と共にステージ上の女たちが左右に分かれるが、中央にアルマーザが一人残り、その後方にイーグレッタとラクトゥーカがスタンバイしていた。

「最初はカワウソのアルマーザさんです」

 続いてメイたちはステージ脇に退出する。

《後はよろしくお願いしますね

 まあ彼女のことだから大丈夫だろうが―――果たして……

「あ、どもー。アルマーザでーす」

 彼女は優雅に一礼すると、ピタリとポーズを取った。

 一瞬あたりが沈黙するが―――そこにイーグレッタのリュートが華麗な音曲を奏で始める。

 それに合わせてアルマーザが舞い始めた。

《あはは。あれが半分即興とか。何てかすごいですよねえ……》

 練習は何度も見ているのだが毎回なんか違っているし、今の踊りもまた違っている。

 とにかくアルマーザは曲に合わせて適当に踊るのが得意で、しかも単調にならずにその場の勢いでどんどん変化していくのだ。むしろ同じ振り付けを再現することのほうが苦手だったそうで―――リサーンなどが言っていたが……

『いつも変な振りを混ぜるからヤクートとかやらせてもらえなくって』

 ヤクートとは伝統的にどのように踊るかというのも決まっているのだそうである。

 しかしそういった堅苦しい場でなければまさに水を得た魚だ。こういった楽しい曲やヘンテコな曲に合わせて踊るというのは彼女の真骨頂なのである。

 彼女の舞にあたり一同が引き込まれていった。

 そしてイーグレッタの音楽が一段落すると、続いて朗々としたバイオリンの音が響き渡った。

 それに合わせてアルマーザの踊りにもアクセルがかかってくる。

《ラクトゥーカちゃん、立派じゃないの!》

 どうやら彼女も本番に強いタイプらしい。

 彼女はイーグレッタの小娘だがバイオリンが上手なので抜擢されたのだという。

 どういう郭でもトップを張るためにはそれなりの才覚が必要となる。

 ご存じイーグレッタはその音楽の才で知られていたが、彼女のお付きになれたというのはラクトゥーカにも十分な才能があるということだ。

 実際これまでも既にあちこちで彼女と共演はしていたそうだ。しかしそれは主に郭の中のことなので観客の数は知れているし、客もイーグレッタ目当てなのでまともに音楽など聞いてはいない、ということでわりとのんびりと演奏はできていたそうだが……

《でもこれって全然違うわよねえ……》

 いま彼女は一万の観衆に凝視される中で弾いているのだ。まあ、それこそ観客の概ねはアルマーザの舞に釘付けなのだろうが……

 そうこうしているうちに最初の楽章が終わった。

 アルマーザが一息つくと、あたりから怒濤のような拍手が湧き上がる。

《さすがに大受けですね

 これは幸先のいい始まりだ。何しろこの後にはさらに大仕掛けが待ち構えているわけで……

 アルマーザはしばらく息を整えると、再びピタリとポーズを取る。

 それと共にイーグレッタが美しい和音を弾き始めると、ラクトゥーカが哀愁に満ちた旋律を奏で始めた。

《あはは。これからが本番ですよ?》

 それに合わせてアルマーザが舞い始める。

 今度は前とは打って変わってゆったりとした優雅な舞だ。

《アルマーザさんって、やっぱ体柔らかいわよねえ……》

 彼女は今、体を反対側に反らした形でくるくると回っているが―――サフィーナもそうなのだが、ヴェーヌスベルグのみんなの運動能力というのは大した物なのだ。

 そしてイーグレッタの特訓でアルマーザはこんなスローな曲でも見事に踊れるようになっていた。

 しかしここに来て彼女の舞だけでなく、ラクトゥーカの奏でるバイオリンにも人々が魅了されていることがよく分かる。

《いや、もの凄くいい曲だもん……》

 練習では結構ダメ出しされていたのだが……

 彼女は父親からバイオリンを習ったそうなのだが、彼は村の楽士で酒場での演奏が仕事だった。そういう所では辛気くさい音楽は流行らないので、彼女もハイテンポなダンス曲などが得意だったのだが、このゆったりと美しい旋律を隅々まで歌わせるというのはなかなか大変らしいのだ。

 この曲も元は遙か昔から伝わるオーケストラとギターの協奏曲だというが、それをリュートとバイオリンに編曲したものだという。

 ギターの部分と低声部はリュートが担当するが、オーケストラ部がバイオリン一丁にかかってきてかなりの難度と表現力が必要なのだそうで……

《いや、これって……》

 何かもう歴史に残る名演といっていいのでは? まあ、あまりこういう舞台を見たことはないのだが……

 こうして第二楽章はアルマーザとイーグレッタ、ラクトゥーカの三者の掛け合いと行った様相で進行していった。

 人々がまさに息をするのも忘れて見入っているのが分かるが……

《さて、そろそろかな?》

 やがてリュートによる華麗なカデンツァが始まった。

 それに合わせてアルマーザの動きが激しくなっていくが―――あたりから低いどよめきが上がる。

 というのはそこでジャンプのシーケンスが始まったのだが、そのジャンプが段々と高くなっていくことに人々が気づいたのだ。そしてそのクライマックスで……


「おおおおおお?」


 ―――アルマーザが宙に浮き上がってピタリと停止したのである。

 それから何と彼女はそのままゆっくりと舞い始めたのだ。

《あはは! さすがアラーニャちゃん!》

 もちろんこんなことは魔法使いの協力がなくては不可能なのだが―――これにはメイたちよりも魔導師たちの方が驚いていた。

 というのは……


 ―――このイベントに都の魔導師たちの協力が得られると分かった後だ。

 アルマーザが魔道演出の説明を聞いたあと、イーグレッタに言った。

「あ、それじゃせっかくだからぴょんぴょん高く跳んだり、空中で止まったりとかも混ぜちゃいましょうか?」

「え? でも今からではちょっと間に合わないでしょう?」

 イーグレッタが首をかしげる。

「どしてですか?」

 というか、先ほどその理由の説明はあったと思うのだが―――それにフックスが再度答える。

「だからそれにはまずきちんと振り付けが決まっていて、こちらもそれに合わせて練習しないとなかなか合わないのですよ。期間もないし、練習もあまりできないとなれば……」

 ところがそこでアルマーザが……

「でもそれならアラーニャちゃんにやってもらえば?」

「え?」

 魔法使いたちがぽかんとする。

「あー、でもまだちょっとおっぱいが必要でしたけど……」

 しれっと答えるアルマーザに彼らはさらに混乱する。

「どういうことです?」

「いや、だからアラーニャちゃんにあたしの中に入ってもらって、あたしがやりたいって思ったことをやってもらうというか、そんな感じで」

 ………………

 …………

 魔導師たちが驚いた。

「それって、読心と念動を同時にということですか?」

「はい。まあ、だからまだおっぱいが必要で……」

 その説明で彼らはアルマーザの言わんとすることを理解した。だが……

「今のは本当ですか?」

 フックスが信じられないといった表情でファシアーナに尋ねるが……

「あー、まあこいつらならな」

 それを聞いた三人はしばらく目を丸くしていたが……

「いや、それができるのなら我々は構いませんが……怪我をしないようにしてくれれば……」

「あ、それならもう色々遊んでますから。飛んだり跳ねたりくらいならもう自由自在で。でも空中で踊るとなると、ちょっと練習が必要ですかねえ」

「なんと……」

 魔導師たちは顔を見合わせた―――


 二つのしかも性質の異なる魔法を同時に使うというのは相当の高難度なのだという。

 だがアルマーザとアラーニャ―――この二人はあの事故以来、ああいうことは控えるかと思いきやますます調子に乗っていた。

 もちろんアルマーザを持ち上げるというだけならば普通の魔導師でも問題ない。

 しかし宙で彼女を舞わせるというのは、その振り付けがきっちりと分かっていないと不可能だ。しかもアルマーザはその場の思いつきでコロコロ振り付けを変える癖があったりするわけで、まあ普通は無理というのが相場であった。

 ところがアルマーザとアラーニャは前々から心話でつながりまくっていて、暇なときには二人羽織みたいなことをして遊んでいた。おかげでアラーニャはアルマーザがこうしたいと思った意図や気持ちを即座に理解して、このように実現してやることが可能になっていたのだ。

 すなわちアルマーザが即興で振り付けを変更しても、彼女ならそれに追従することができるのである。

 これはもうアルマーザが道しるべだったからこそなのだが、このような例はなかなか無いのだという。

 そしてもちろん舞台の袖ではアラーニャが諸肌脱ぎで彼女のサポートをしていた。

《あー、今晩ちょっと寒いけど、頑張ってねー

 一同が呆然としているうちに第二楽章が終了した。

 と、アルマーザがくるっと一回転して飛び降りると同時に、華やかな第三楽章が始まった。

 それに合わせて彼女は舞台狭しと飛んだり跳ねたりし始める。まるで軽業を見ているようだが―――しかも複雑なリズムなのにぴたっと音楽と動きが合っている。

《あはは。まさに調子に乗ってますねえ》

 確かここはもう好きにしろと言われていたはずだが―――彼女はステージ中を踊り回り、片や宙高く飛び上がってくるくる回ったり、片やあり得ない形でピタリとポーズを決めてみたりと、まさに遣りたい放題だ。

 一同が唖然としているうちに曲はクライマックスを迎え、最後にアルマーザが高~く飛び上がってひねりを加えて着地すると同時に、イーグレッタが最後の音を響かせた。

 あたりは沈黙に覆われた。

《え?》

 メイは一瞬焦ったが―――やがてあたりは、おおおおおっという怒濤のような拍手と歓声に埋め尽くされた。

 それを見たアルマーザが手を振って語りかけようとするが……

「ひなはーん……」

 そこまで言って崩れ落ちそうになって、おかしな形で止まる。

《え?》

 と、そこに舞台の袖からニフレディルが飛び出してくると、彼女を支え直した。

《えっ???》

 メイも思わず駆け寄るが……

『だからペース配分に注意しろって言ったでしょ?』

『はわー』

 そんな会話が聞こえるが―――そこで小声でニフレディルに尋ねた。

『あの、どうしたんですか?』

『この子、バテちゃって』

『はあぁ?』

 そこに上着を羽織ったアラーニャもやってきた。

『アルマーザ、大丈夫?』

 アルマーザがかくかくうなずくと、ニフレディルに言った。

『あひゃあ……あれ、リディール様でしたか?』

『そうよ。でなきゃ頭を打ってたから』

『あはー、ごめんなひゃい』

 見ていた方は分からなかったのだが、どうやら後半彼女は完全にバテていて、どこかでずっこけて頭を打ちそうになっていたということらしいが……

《いや、ここじゃヤバいでしょう?》

 メイは背筋が冷たくなる。何しろステージは固い一枚岩でできているのだ。

《もう、すぐ調子に乗るんだから……》

 ―――とため息をついていると、観客たちがなにやらざわめき始めている。

《あはは。ともかくここは!》

 そこでまたメイが前に出て一堂に向かって言った

「ただいまの踊りはカワウソのアルマーザさんでしたー。盛大な拍手をお願いしまーす」

 再び大歓声に包まれる中、アルマーザが一堂に向かって一礼するが……

《あはは。これってアラーニャちゃんよね?》

 そのお辞儀の仕方、どう見ても彼女がアルマーザの体を動かしていると見える。

 考えてみたらこの曲は合わせたら二十分近くあるのだ。その間魔法のサポートがあるにしても、ステージ中を全力で駆け回っていたようなもので……

《あははははっ!》

 いや、むしろ凄い体力だと思うが……

 そこでメイは振り返えると合図した。

「んじゃ、次、行くわよー!」

「はーいっ」

 それと共にステージ上に再びベラトリキスたちが現れた。それにはコーラとクリンも混じっている。

 再びメイが一同の前に進み出た。

「あー、次はあたしたちみんなで歌おうと思います」

 そして彼女が目配せするとマジャーラが中央に進み出た。

『じゃ、よろしく』

『ああ』

 彼女がうなずいた。

 続いてイーグレッタの伴奏が始まると、マジャーラが歌い始めた。


「おおおお?」


 また低いどよめきが上がる。そう。この曲―――“草原を渡る風”はレイモン人なら誰でも知っているソウルソングと言うべき曲なのだ。

 そしてもう一つ驚くべき事に、マジャーラの歌声は拡声の魔法を使ってもいないのにあたりに朗々と響き渡っていることだ。

《しかも結構上手いんですよね……》

 普段は彼女が歌うのは聞いたことがなかったのだが―――ティアが言うには……

『あー、あっちじゃアーシャを支えたりとかそっちをやってもらってたから』

 なんだそうで。でも今回シャアラがいなくなって一人じゃバランスが悪いということで、支え役は無しで代わりにソロを歌うということになったのだ。

 こうして彼女がワンコーラス歌うと、続けて残りが合唱でそれに加わった。

 そしてマジャーラが会場に向かって促すと、兵士たちの間からも合わせて歌う声が聞こえ始める。

 やがてあたりは大合唱となった。

 その歌声がまさに草原を駆け抜けていく。

 そして曲の最後の節が終わると―――またベラトリキスたちが左右に分かれて道を作った。

 その間から現れたのは真っ白な衣に身を包んだメルファラ大皇后だ。


「おおおおおお?」


 再びあたりからどよめきが上がる。なにしろその姿は心なしか―――ではなく、明らかに光り輝いているのだ。

 人々は息を呑んだ。

《あはは。そりゃ驚くでしょうねえ……》

 もちろんこれも魔道演出の一つである。

 先ほどのアルマーザも光らせようかという話もあったのだが、彼女が好き勝手に踊りすぎるため追従が難しく、こうして光の大皇后を文字通りに光らせるということになったのだ。

 大皇后はしばらく黙ってあたりを見渡した。

 あたりはしんと静まりかえる。

 そこで彼女は話し始めた。

「私たちはいま、大変な危難の時を迎えております。終わるはずだった戦いが終わらず、友になろうとしていた者たちが討ち滅ぼされ、三方を強力な敵に取り囲まれています。それは普通ならばまさに絶望的な状況だと言えるでしょう」


 ―――それは現在の状況を端的に表す言葉であった。

 メルファラは沈鬱な様子でうつむき、言葉を切る。

 しかし再び顔を上げると人々をまた見渡した。


「しかし私は知っております。絶望的というのならば更にもっと絶望的だった状況を覆した人々がいるということを」


 ―――もちろんその人々が誰かということは彼らが最もよく知っていた。

 あたりからおおっといった低いどよめきが上がる。


「あなた方はあの呪いに打ち勝ち、祖国を取り戻しました。やってきた敵の化け物をあの平原で屠りました。それに比べれば今度の危難に対抗するのはむしろ容易いと思うのです」


 ―――容易い? 人々はいま自分たちの置かれた状況を再考するが……

 再び彼女は人々を見渡した。


「なぜなら、あの男は所詮人間にしか過ぎません。ただの裏切り者でしかありません。ならばそんな輩にあなた方が負ける道理がございません!」


 ―――確かにそれはそうだった。あのとき戦っていたのはまさに未知なる脅威であった。

 だが今の脅威は彼らにも良く理解でき、対抗することが可能なものなのだ。

 再び人々の間から低いどよめきがあがる。


「確かにそれが容易なことだとは申しません。多くの血が流れるのも避けがたいでしょう……でも私は信じております。あなた方はそれを可能にする方々なのだと!」


 ―――“可能”。その言葉は彼らが最も欲している言葉だった。

 メルファラは両腕を天高く差し伸べて宣言した。


「あなた方の勝利を確信致します。皆様の上に大聖と、白と黒の女王たちのご加護がありますように!」


 あたりを大歓声が埋め尽くす。

 彼女の姿をメイも息を呑んで見つめていた。

《うひゃあ……凄いわあ……》

 ファラ様というのはこういうときには途轍もない迫力があるのだ。まさにその姿、その言葉は人々の心の奥底に刻みつけられたことだろう。

 それを聞いたメイたちも得も言われぬ達成感を感じていた。

 彼女たちもまた使命を果たしたのだ。

 元々兵士たちの士気は高かったとはいえ、それでもこれから行われるシフラ要塞攻めが内心不安なのは否めなかった。実際に兵士たちはかなり神経質にもなっていた。

 そんな彼らに対してメルファラ大皇后とその女戦士たちの応援は何にも代えがたい力なのだ。

 自分たちがレイモンの人々にとってそんな存在となってしまったというのは、未だにちょっと信じがたいことではあるのだが……

 でもそうなってしまった以上は彼女たちも全力で勤めを果たさねばならない。

 それほどまでにこれからの戦いは厳しい物なのだから。

《うふふふ……多分どこかから見てるわよね?》

 そう。彼らが、そして彼女たちがどれだけ本気かは、これから戦う相手にも知っておいてもらわないといけないのだから……