第5章 東南東に進路を取れ!
それから三日後―――レイモン騎馬軍団がアキーラを発ってから丁度十日目の午前中、メイたち一行はセイルズの町郊外に達していた。
「いいんですよね? 本当にいいんですよね?」
先ほどから横で手綱を握っているクリンが目をうるうるさせながら何度も同じ質問をしてくるが……
「うん。大丈夫よ。本当に。ただラルゴさんの指示には従ってね」
「はいっ!」
まあ確かに彼女が少々舞い上がっているのは仕方が無い。メイだって自分で手綱を握れるのであれば有頂天になっていただろうが……
前を見渡すと広大な平原が広がり、その真ん中を緩くうねった一本道が走っている。
そして後ろを振り返ると―――そこにはレイモン騎馬軍団一万騎が勢揃いしていた。
《あはー! やっぱこう見たら凄い迫力よねえ……》
これから何が起こるのかというと、それはもちろんセイルズに向かって全騎で突進するのだ。
そして彼女たちがその先導役――― 一万騎の先頭を突っ走るのである
横を見るとラルゴの乗った騎馬が見える。反対側にはサフィーナも同行している。
もちろん実際の指示は彼が出すわけだが、それでも一万騎がハミングバードの信号旗に従って動くというのは間違いない。
「うふふふふ!」
いやいや、考えただけでゾクゾクする状況ではないか!―――と、どうしてこんなことになっていたかというと……
―――素晴らしい舞台があった翌日、一行はクルーゼを出立した。あの後も天候は完全に崩れることはなく、夜中にパラパラと小雨が降っただけで今日は持ち直しそうな気配だ。
《あー、雨にならなくて良かったー》
さすがにそうなればあのステージも中止だっただろうし―――と、そんなことを考えていると……
「あれ? おかしいですよ?」
ハミングバードの手綱を握っていたクリンが不思議そうにつぶやいた。
「ん? どしたの?」
「いや、左の方から陽が差してるんですが」
「あ、そうだねー」
雲間から日の光が差し込んでいる。
「でも私たち、シフラに向かってるんですよね?」
「あれー? そうだっけ?」
………………
…………
クリンの目がまん丸になる。
「ちょっと、なんですか? あれも嘘だったんですかーっ!」
「あははは。ごめん。そうみたい」
「ぶーっ!」
いや、本当に心苦しいのだが、メイはここまで彼女に嘘をつきっぱなしなのである。
クリンとコーラは厳格な武人の家で育てられた。そこで嘘をつくことは人として最も恥ずべき事である! と教育されてきたという。
《いや、まったくそれはその通りなんだけど……》
でもどうしても世の中そうも行かないことはあるわけで……
「いやね、ほら。敵に手の内を読まれたらまずいってことがあるでしょ?」
「むーっ!」
「でほら、この間クリンちゃんも言ってたでしょ?」
「何がですかっ!」
「食料が十日で足りるかなって」
………………
クリンが少しびっくりした顔で振り返る。
「節約して食べたら、ってことになってたけど、やっぱ足りるわけないわよね?」
「それは……そうですけど」
「そこで、戦う前に仕入れておこうってことになってるの」
………………
クリンの目が丸くなる。
「仕入れるって……あ! じゃあセイルズでですか?」
「うん。そう」
セイルズの町はクルーゼの南方にある大都市だ。大河ヘリオス沿いにあり、各地からの街道や水路の集まる交通の要衝である。そしてこの時期、冬に向けて大量の小麦など食料品が集積されている。そのため一万人分の兵糧とはもちろん大変な量になるが、そこでなら十分に仕入れることが可能なのだ。
そしてそこから一気に北に攻め上ればシフラ到着は予定より二日ほど遅れるが、十分な兵糧の元、じっくりと焦らずに攻撃ができるのだ。また敵方は西からの侵攻を予想していただろうから、その思惑を外すことにもなる。
「でね、そこでクリンちゃんにも一働きしてもらおうと思って」
「え? 私にですか?」
「うん。実はね……」
こうして彼女に計画を説明したところ、嘘をたくさんついたことは全面的に許してもらえたのだった―――
「さて、それでは行きましょうか」
ラルゴが言った。
「はいっ!」
クリンが満面の笑みで信号旗を前方に向かって振り始める。
振り返ると騎馬軍団の兵士の同様の手信号が、まるで波のように後ろに伝わっていくのが見える。
《へええ……》
そしてそれが全体に伝わったとおぼしきタイミングで……
「それじゃいきまーす!」
クリンがぴしりと手綱をならしてハミングバードを発進させた。
それとほぼ同時に後方から轟音が聞こえてくる――― 一万の騎馬が流れるように動き出したのだ。振り返るとあたかも大地が動き出したかのようだ。
《あはー。気分いい!》
いや、単独で突っ走るのももちろん楽しいが、こんな軍団の先導というのは格別、というよりもはや唯一無二の体験だ。体がゾクゾクしてきてしまう。
軍団が発進して全体の動きが安定したところで、またラルゴが言った。
「じゃあクリン、加速だ」
「はいーっ」
クリンは今度は加速のサイン―――信号旗を二度ずつ前に振り始める。
それがまた全体を渡っていくのを確かめて、クリンは再び手綱を鳴らすとローチェを速歩で走らせる。
途端に後方の地響きも大きくなる。
「うひゃあああ……」
思わず声が出てしまうが―――これは騎馬軍団の行軍速度では最高速度なのだ。
馬の速度だけならさらに駆足、襲歩ともう二段階上げられるのだが、そういうのは戦闘での突撃や離脱の際にしか使われない。行軍でそんな足を使ったらあっという間に馬がバテてしまうし、この速歩も特に急いでいる場合にしか使わない―――すなわちこんな光景には滅多にお目にかかれないのである
《いやあ、これでも十分凄いんだけど……》
見ている者にとってはまさに大迫力の光景だろう。
やがて道が緩い上りになり低い丘の上に達した。そこからは銀色に輝く広い川の畔に大きな町が見える。
「あそこですね!」
「ああ」
メイが尋ねるとラルゴがうなずいた
セイルズが見えてくると今度はメイが少々武者震いしてくる。
《あはは。責任重大だなあ……》
この作戦の最初からメイはセイルズの食糧確保には付いてきて欲しいと言われていた。交渉を和やかにするためと、食材の調達はかつての仕事でもあったため相場などにも詳しかったからだ。
しかし当然このことは誰にも喋ることができなかった。
途中で兵糧を確保するということが知れるだけで、一行がセイルズを経由するというのがばれてしまうような物だ。このあたりでそんなに大量の食料を入手できるところなど他にはない。
《それで節約しろって……》
いや、本気で可哀想だった。実際ロータよりクルーゼの間、兵士たちは皆かなりの空腹を我慢しつつ行軍していたのだ。
だがこうしてセイルズに向かうことが明らかになって、彼らも必要な分は食べられるようになったのでそのことに関しての文句は出なかったのだが……
《うー、でもみんなかなり貧相なもの食べてるのよねー……》
彼らが食べているのは主に干しドゥーロ―――日持ちのするカチカチのパンと削った干し肉、それに水だ。こういう状況なので贅沢は言えないのは仕方ないのだが……
それに食糧事情に関してはメイたちもそろそろかなり寂しくなってきていた。
アキーラからロータまでは新王国内なので宿屋でちゃんとした食事が食べられたのだが、ロータから先はもはや敵地だ。
それでもクルーゼまでは宿屋付近の場所で野営したため、VIPはそこそこの食事を取ることができたが、それ以外―――例えばコーラやクリンなどもそういった携行食になる。
そして特にクルーゼから先になるとスピードが重要になってくるので、VIPでも宿屋に泊まれずテントや馬車で寝ることになる。すると食事も野外料理になってくる。
しかし大した料理道具を持ってこられるわけではない。なので昨夜みんなが食べたのは干し肉シチューに兵隊たちと同じ干しドゥーロだった。
ただ、これはちゃんと作れば意外に美味しかったりする。
干し肉というのは煮たらいい出汁がとれるのだ。それに加えてメイはジャガイモや干しキノコ、干し野菜、各種ハーブも持ってきていて、これは実は田舎の貧乏農家なら冬のごちそうメニューなのである。
固いパンもそのスープに浸して食べれば柔らかく味もしみて結構行ける。
《大皇様とかも意外に喜んでくれてたし》
さすがにこういうのは初めてだと言って最初はおっかなびっくりだったのだが、一口食べたら納得の表情でペロリと平らげてくれたのだ。
《さすがにこればっかだと段々飽きてくるだろうけど……》
しかしセイルズで買い物ができればもう少し改善できるのは間違いない。
―――そんなことを考えていると……
「あはぁ でもメイ様の服、カワイイですねえ」
クリンが話しかけてくる。
「ええ? 恥ずかしいんだからね?」
「でも似合ってますよー?」
いや、まあ、体が小さくて童顔だからこういう子供服のようなドレスでも似合ってしまうのは運命なのだが……
もちろんこれは先日のステージの司会でも着ていたルルーの置き土産である。
何しろこれから彼女はセイルズに兵糧の調達に赴くわけだが、曲がりなりにもここは敵地である。どういう障害があるか分からない。
そこに彼らは全くのアポなしでいきなりやってきて一万人分の食料を寄越せというわけだ。もちろんただでとは言わないにしても、交渉が難航する可能性は多々ある。
《あんまり荒事にはしたくないんだけど……》
最悪の場合は一万の兵士たちにそれぞれ必要な分を取ってきてもらう―――まあ、平たく言えば略奪ということになってしまうわけだが、そもそもここはつい最近まではレイモン王国の町だった。そんなことは絶対に避けたいのである。
というわけでこの交渉は何としてでも成立させないといけないわけだが、まあそうなるとまずは全力でハッタリをかまさなければならない。
そもそも騎馬軍団の先頭を突っ走っているというのもそうだ。
彼女たちは指示に従って旗を振っているだけだが、外から見たらまさに草原を疾走するピンクのカブリオレがカーテンをなびかせながらレイモン騎馬軍団を導いているように見えるわけで……
最初はセイルズに行く使節団にメイが同行するというだけだったのだが、彼女が無理を言ってハミングバードを行軍仕様に変えてしまったため、せっかくならば有効利用しようという話になったのだ。
まず交渉ごとにはこうやって相手を呑むという要素が重要なのだが―――その思惑通りセイルズの人々はこの光景に仰天した。
一行が近づいていくと町外れに人だかりができているのが見える。
「クリン。停止だ」
「はいっ!」
彼女が停止信号を出すとまたそれが全体を伝わっていき、軍団は町の外れでピタリと停止した。
《さーて、これからが本番ですねっ!》
メイはラルゴ、そして反対側のサフィーナと顔を見合わせた。
「クリン。行くよっ?」
「はいっ」
彼女がハミングバードを発進させる。ここでは信号旗は振っていないので軍団はついてこない。その後からラルゴとサフィーナの二騎が続くだけだ。
やがて彼女は人だかりの前まで来ると馬車を止めた。その中にはサルトスの軍服を着た兵士も混じっていた。この町に駐留している守備隊のようだが、みんな茫然自失といった表情だ。
メイはその中の隊長の記章の付いた兵士に向かって手を振った。
「あー、すみませーん。商工会の建物ってどちらですかー」
警備隊長が少々面食らった様子で答える。
「お前たち、何しに来た」
「あ、ちょっと買い物がしたいんですけど、商工会の所まで案内してもらえませんか?」
「買い物、だと?」
そこでメイは後ろを指さす。
「あ、ほら、後ろのみんな、アキーラからやってきて、手持ちの食料が尽きちゃったところなんで、ちょっと買っていきたいんですが」
隊長は目を白黒させる。そこにラルゴが尋ねた。
「よろしいだろうか?」
「ん、分かった……」
「ありがとうございますー」
そこで彼らは隊長に先導されて町の中に入る。
道の両脇から町の住人が不安に満ちた表情で見守っているが……
《あはは。まあそうだよねー……》
事前の調査ではここはサルトス王国の支配下にあるが、駐留しているのは数百の警備隊だけだということが分かっている。
セイルズはシフラなども要塞都市とは違って普通の町だ。そこでこの数を相手にするのはまさに論外だ。もし町の外の軍勢が一気になだれ込んで来たりしたら―――人々が恐れるのも無理はない。
《そんなことにならないといいんだけど……》
一行はやがて商工会の建物の前に来た。さすが大都市のセイルズで、なかなか立派な建物だ。
メイがそこで馬車から降りると、ラルゴとサフィーナも馬から下りた。
「あ、クリンちゃん、ハミングバードと二人の馬もお願いね」
「はーい」
彼女が手慣れた様子で馬をつなぎ馬車を車庫に入れている間に、メイ、ラルゴ、サフィーナの三人は商工会の建物の門をくぐった。
中では町長らしき初老の男性が同じく呆然とした表情で待っていた。
「あの……皆様は……」
「あー、ちょっと急ぎの買い物がしたいんですが」
「買い物……ですか?」
「はい。ちょっと一万人ぐらいの食べ物なんですが、食品の卸をやってる人、集めて頂けますかー」
町長は目を丸くしてかくかくうなずくと、すぐに人をやって呼びにやらせる。
しばらくして町の各所から食品卸の商人たちが集まった。
商人たちは怪しい格好のメイ、レイモンの高級将官の軍服を着たラルゴ、フォレス親衛隊の制服に薙刀を持ったサフィーナを見て、こちらもまた震えおののいている様子だ。
《あはは。やっぱり身なりっていうのは大切よねっ!》
こういうのは相手に舐められたら終わりである。
ガルサ・ブランカ城の厨房にいた頃、メイはお使いでいろんな商人のところを回っていたのだが、当然最初は『何だこの小娘は?』という目で見られるわけである。あげくにぼったくられたりして何度も痛い目にあわされたのだ。
そこで食材の相場をみんな覚えておいて、おかしな値段を提示されたらその場で文句を言うようにしていたら、やがて顔を覚えられて一目置かれるようになってしまったわけだが……
《おかげで厨房の小っちゃな細かい小娘とか呼ばれちゃったりしたんだけど……》
ところがそのせいで今度はエルミーラ王女の秘書官見習いになってしまったのだが、そうすると今度は王女直属の侍女の制服を着ることとなる。
すると今度は最初から相手の態度が違うのである。認められるためにやったあの苦労はいったい何だったのかと、少しばかり空しくなってしまったのだが―――などというのはともかく、仕事である。
メイは商人たちに向かって挨拶した。
「あ、私ベラトリキスの秘書官メイと申します。こちらはレイモン騎馬隊の第一連隊のラルゴ連隊長です。その後ろはまたベラトリキスの黒猫のサフィーナさんです」
「「「「ははーっ!」」」」
商人たちは大慌てで頭を下げる。彼らとてその名を知らないはずはない。しかしそれがいきなり目の前に現れるとは思ってもいなかっただろうが……
《よしよし。いい調子みたいね♪》
そこでメイは早速商談を始める。
「えっと、単刀直入に申しますと、今日は町の外にいる兵隊さんたちの兵糧を買いに来ました」
商人たちは目を丸くする。それから一人が代表して尋ねた。
「えっと、何人いらっしゃるのですか?」
「えーっと、レイモンの騎馬隊の人たちが一万と飛んで八十人。それと大皇様や大皇后様、私たちとその護衛が百十五人なので、合わせて一万と百九十五人ですね」
「はあ……」
「んで、そのみんなの十日分の兵糧として、こちらに書いてきましたが見てもらっていいですか?」
そこでメイはポシェットから必要な物資をメモした紙片を取りだして渡す。
商人たちはそれを取り囲んで読み始めるが……
「しかし、いきなりこれだけの物をと言われましても……」
「あ、人手とかならご心配なく。外に一万ほどありますので」
「……しかし、多くの物は既に売り先が決まっておりまして……」
「あ、もちろんですよね。だからその分高く買い取らせて頂きますが」
それを聞いた商人たちは顔を見合わせると、ごそごそ相談を始めた。
《あはは。あの顔はどのくらい吹っかけるか考えてる顔だな?》
まあ、彼らにとってこれは絶好の商売チャンスである。こういう所を逃しては商売人失格だ。
やがて彼らは計算を始めて見積もりを出してくる。
「これですとこのぐらいになってしまうのですが……」
メイとラルゴが今度はそれを覗き込む。
『何だこれは?』
『あはは。ずいぶんぼったくってきましたねえ』
金貨三百五十枚とか、相場の二倍以上だぞ?―――まあ、ある程度予期はしてきたわけだが……
「えー? でも結構こちらは豊作だったって聞きましたけど」
「いやあ、昨年の作付けの頃にはまだ人手が足りませんで……またそのせいで魚などはかなり値上がりしておりまして……」
本当か? 確かに男は動けない者も多かったかも知れないが……
「えー? あんまりいじめないで下さいよー。金貨百八十枚くらいになりませんかー? それでも結構儲けは出ると思うんですけどー」
「いや、しかし取引先との関係もございまして……」
「ここじゃ違約金ってそんなに高いんですかー?」
商人はうっと言葉に詰まる。
「それではこのあたりでどうでしょうか?」
と、今度は金貨二百九十枚を提示する。
《あはは。まだまだ高いなあ……》
メイはため息をついた。
「あー、でもこれじゃ即金じゃお支払いできないんですけど」
商人たちはまた顔を見合わせる。
「いくらぐらいまでならお出し頂けるので?」
「あー、二百枚くらいまでなら何とかなりますけど……」
商人たちはどうしようかといった顔だ。
《あはは。最初に三百五十とか付けた手前か?》
言い値からあんまり値引きしすぎるといい加減な商売をしていると思われてしまうわけで……
そこでメイはうなずいた。
「分かりました。それじゃ二百四十枚でどうですか?」
「しかし今、二百枚までと?」
「あ、だから……」
メイは商人たちの顔を見回す。
《この中で一番欲深そうな奴は、と……》
そこでメイは端にいたちょっと脂ぎった商人に言った。
「あの、あなたの分は掛け売りにして頂けませんか?」
「え? いや、それは……」
まあ当然だ。一見の客に掛け売りをする商人など普通はいないわけだが―――そこでメイは彼に囁いた。
「あの、もしかしてご存じありませんか? レイモンの解放作戦中になんですが私たち、けっこうツケで物を売って頂いてたんですよ」
「え? はあ……」
商人はわけが分からないという表情だが……
「その際にですねえ、メルファラ大皇后様の署名で証文を作ってたんですが、そうしたらその証文が何でか今、結構な高値で取引されてたりして……」
「え?」
「もちろんあなたの分もファラ様に署名して頂きますし、何ならおまけでキスマークとかもつけてもらったりして……そうなったらまさにこの世に唯一無二の……」
商人が目を白黒させるが……
「あ、では私がそれでお売り致しましょう」
そこにいきなり別の商人が割り込んできた。
「こら、何を言っている? 交渉しているのは私だぞ!」
「いや、メイ様はここにいる全ての者と交渉なされているのでは?」
「勝手なことを言うな!」
二人がケンカを始めそうになるが……
「あのー、いや、キスマークくらい幾つでも付けられますけど?」
とりあえずメイが割って入るが……
「「いや、枚数が増えれば価値が下がるだろ?」」
二人が同時に答えた。
《あはは。欲望全開ですね》
―――というわけで、結局何だかだで金貨百二十枚を現金で支払って、残りは掛け売りということになったのだった。
ちなみに金貨二百四十枚というのはほぼ当初の予定の額で、実はそのくらいの現金もあったのだが、半分は支払いが後でいいというのはまあなかなかの成果だっただろうか。
《いやあ、ラルゴさんの出番がなくって良かったわあ……》
どうしても相手がごねたような場合は軍事力を背景にごり押しせざるを得なかったのだが、このように平和裏に事を終えられたのは―――やはりファラ様は偉大なのである。
翌日の朝。
「ふわー……眠い……」
メイはハミングバードの中で大あくびした。
何しろ昨夜は購入した兵糧の分配を手伝って深夜まで起きていたのだ。何しろ一万人分だ。通常ならこれは輜重隊の荷馬車にまとめて乗せるわけだが、今回の場合は各小隊単位に分配しなければならないので手間がメチャクチャかかるのだ。
しかしともかくこれで大仕事は終わったわけで、後は結構のんびりできるはずだが―――などと考えていると……
「あのー、メイ様?」
クリンが尋ねてくる。
「ん、なーに?」
「どうして正面から朝日が昇っているんでしょうねえ?」
「あ、それはね、あたしたちがアコールに向かってるからよ?」
………………
…………
……
彼女はしばらく絶句した。
「あ、あの、アコールってサルトス王国の中じゃないですか!」
「あ、そだねー」
「メ・イ・様~~~~っ!!!!!!」
クリンがぎろっと怖い顔でにらむ。
「あー、分かった分かった! 言うから! 今度こそ本当のこと言うから!」
「とか言ってまた嘘つくんでしょう!」
「いや、本当。ここまで来たらもう嘘つく必要ないんで!」
―――というわけで、そろそろ作戦の全貌を明かすときが来たようだ。
フィンがメイに思いっきりドライブさせてやるぞと言った日の午後、緊急の秘密会議が開かれた。
そこにはフィンとアリオールの他に、少数のレイモン軍の高級将官とマグニ総帥、そしてなぜかメイとエルミーラ王女も呼ばれていた。
「えー? どうしてここにあたしたちが呼ばれたんでしょう?」
エルミーラ王女も首をかしげる。
「さあ……軍事的なことはお任せしているはずなんですけどねえ……」
しかし呼ばれたということは何か用事があるのだろう。ここはまず話を聞くしかない。
一堂が揃ったところでまずアリオールが話し始めた。
「さて、ここで我々は重大な決断をする必要が出てきた。そこでまずあなた方に集まって頂いたわけだが」
「こんな少人数でそのような決断をなさるのですかな?」
マグニ総帥が尋ねるが……
「そうする必要があるかも知れないからです」
アリオールの言葉に総帥は首をかしげる。
「それでまずリーブラ殿の話をお聞き下さい」
彼が何か変わった策でも出したのだろうか?
そこでフィンが立ち上がって話し始めた。
「えっと、まず私たちの置かれている状況を再確認しようと思います」
彼はかいつまんで現状の説明を始める。
現在レイモン王国は三方向を敵に囲まれている。南のバシリカにはアロザールの精鋭第三軍、北東の元アイフィロス王国にはサルトス軍、南東のシフラにはシルヴェスト軍で、その総勢はレイモンの三倍だ。
従ってこれらとまともにやり合うのは不可能だ。三方から同時に攻められたら持ちこたえることはほぼ不可能だ。
そこで彼らはこれまで敵軍の要のアラン王がいるシフラを一気に攻めようと画策してきた。
そこにフォレス・ベラ連合軍が介入してシルヴェストを背後から脅かしてくれたわけだが、それで相手が混乱するかと思いきや、アラン王は何と首都グリシーナの放棄という荒技に出たのである。
当初は連合軍の動きに呼応してこちらも動くつもりだったのだが、結局一月ほど時間をロスしてしまったという結果になっただけだった。
もう一刻も猶予はない―――そこで再度彼らは全力でシフラを攻略しようとしていたところだったのだが……
「しかしここで慌てて間違った事をしてしまったら元も子もありません」
フィンは一同を見渡した。
「まず、我々の選択肢はそれだけではないということを、もう一度再考しておく必要があります」
「他の選択肢ですか?」
将軍の一人が尋ねる。
「はい。我々には実はまだアイフィロス方面を攻めるという手が残っているのです」
「しかしあちらは……」
当初連合軍がそちらに向かえばそちらという可能性も考えられていたが、連合軍がグリシーナに向かったためお蔵入りしていた話だ。
フィンはうなずいた。
「はい。確かに連合軍は来なかったわけですが、でも少なくともグラテスは押さえられているので、相手はそちら経由では撤退できません。なので例えばメリスを取ることができれば王国内のサルトス軍は孤立するわけです」
それを聞いていた将校の一人が尋ねる。
「ふーむ……しかし、そういうことをしていたらバシリカやシフラが動き出すのではないですか?」
フィンはうなずいた。
「はい。悠長に攻めていたらそういうことになるでしょうね。しかし……」
そこで彼はまた全員の顔を見渡した。
「その前に一気に潰してしまえばいいんです」
「一気に? ですと?」
「はい。例えばメリスならば守りが弱いので、シフラを攻められるような軍なら更に簡単ですよね?」
「しかし大河アルバやアルト川がある。自然の要害だ。そこに防衛線を張られてしまったらそう簡単には抜けないだろう?」
だがそこでフィンはにっこり笑う。
「はい。ですから、相手が防衛線を張る前に突破してしまえばいいのです」
「なんだと?」
「大軍が動けばもちろん相手方にも知られてしまいますから、普通に行ったら待ち構えられてしまいますが……」
フィンは再び一同を見渡すと、にっこり笑った。
「でも相手の四倍の速度でこちらが移動していたらどうでしょう?」
「は?」
一同はぽかんとした。
「この侵攻を騎馬軍団だけで行うのです。レイモン騎馬軍団であれば通常の進行速度の四倍は叩き出せますよね? そうなると相手には十分な準備の余裕がありません。そこを一気に蹴散らすんです」
「しかし、騎馬隊だけで兵糧はどうするのだ?」
「十日程度なら各兵士に持たせることも可能なのでは?」
そうしてフィンはまずメリスを攻略する作戦の説明を始めた。
「……このようにすればメリスを一気に落とすことが可能です。そして保険のために歩兵部隊も来ていますから、何かトラブルがあってもまだ作戦は継続できるでしょう」
一同は唖然としてフィンの話を聞いていたが……
「確かに……まあ不可能ではないかもしれないが……」
将校の一人が首をかしげながらつぶやく。その彼にまたフィンが言った。
「まずそこが大切なところなのです。我々にはこのような選択肢があるということが。そして選択肢はまだあります」
「他にも?」
「はい。メリスではなく、トルボ要塞を攻略する事も同様に可能です」
そして今度はトルボ要塞を攻略する作戦について話し始めた。
「このようにトルボを取ってしまえば相手は全体が完全に孤立します。そうやってサルトス軍を殲滅できれば、その後の戦いはさらに有利に戦えるわけです」
「うーむ……」
「しかもここでちょっとした小細工も可能です」
「小細工とは?」
「例えばメリスを攻めるふりをして途中で転進してトルボに向かうことです。騎馬軍団だけなら難しくはありません」
一同は目を見張る。
「おお、なるほど……」
「それで相手が慌ててメリスに援軍を送ってくれれば、さらにトルボ攻略はやりやすくなりますね」
一同はうなずいたが―――また一人が尋ねる。
「しかし敵が孤立したとは言え、アイフィロス王国は広い。彼らを殲滅するには時間がかかるのでは?」
そこでフィンが昨夜メイに話したようなことを説明する。
「……こうして大皇様の檄があればアイフィロス王国内でそれに呼応してくれる勢力も現れるはずです。となれば相手にとってはますます厄介なことになるわけです」
「なるほど……ふーむ、しかし……」
一同は半信半疑だが―――そこでまたフィンが言った。
「いや、この作戦を実際に行うかどうかはともかく、こういう作戦もあり得る、ということが明らかになればいいんです」
「というと?」
「このようにメリスやトルボを攻略する事が可能であれば、そうするふりをしてやはりシフラを攻めるという作戦も取れるようになるからです」
一同がおおっと声を上げる。
「これまではシフラはレイモン全軍の三万で攻めるという計画でした。まあ普通にやればそれでも足りないでしょうが……しかし考えてみれば今回の戦いはアラン王の首を取ることです。シフラを占領することではありません」
フィンは続ける。
「だとすれば重要なのは最初の突破力で、魔道軍の全力を攻撃に集中して城門をぶち抜いて一気に突入できれば、一万の軍でも相手を大混乱に陥れることは可能ですよね」
一同はうなずいた。
「だとすれば例えばベラトリキスがやった小鳥組作戦なども利用できます」
「えーっ? あたしたちが?」
思わずメイは尋ねていたが……
「いやいや、さすがにあなた方にそんなことは。私どもでも空くらいは飛べますからな」
―――それに笑って答えたのはマグニ総帥だった。
「あ、あははは」
考えたら当然だった……
そこでまたフィンは軽くうなずくと続けた。
「というわけで、アイフィロス方面を攻めると見せかけて相手を混乱させて、その隙に一気にシフラを攻略するという作戦も可能なわけです」
「しかし、いずれにしても兵糧は心配だな」
「たとえ騎馬隊であってもシフラまで十日はかかるな。とすれば十数日分は持って行かなければならないし、あまり荷物が多すぎても……」
将軍たちがいろいろ話し始めるが……
「あ、まあそうなんですが……実はシフラの南にはセイルズがあります。ここもシフラ同様に十日で行き着けるわけですが……」
一同は一瞬ぽかんとするが……
「もしかしてそこで兵糧を仕入れると?」
フィンがまたにっこりと笑う。
「はい。あそこならばそれは可能ですよね?」
「それから一気に北を目指すわけか?」
「はい。そして例えば最初に我々が兵糧を十日分しか持たずにメリスを目指したとなると、相手としてはますますシフラはあり得ないという印象になるでしょうし」
「ふーむ……」
一同は考え込んだ。
「で、アリオール殿はどのようなお考えで?」
「ところが、そのどれでもないのだ」
………………
…………
……
「はあぁ?」
「リーブラ殿の話にはまだ先があってな」
アリオールがそう言ってにやっと笑った。一同がびっくりした眼差しでフィンを見ると、彼もまた微笑んでうなずいた。
「はい。実は、確かにこうすればシフラを攻略することは不可能ではないとは思うのですが、ただこれには一つ問題があって……」
「問題ですかな?」
「はい。というのは私たちはこれまで、アラン王を倒せばこの戦いは終結すると考えてきたのですが……もしそうでなかったとしたらなんですが……」
………………
一同の目が丸くなる。
「どういうことです?」
「ここで例えばの話なんですが……この戦いの黒幕が実はサルトスだったとしたらどうなるでしょう?」
………………
…………
……
その言葉の意味がメイの脳に染み渡るのには少々時間が必要だった。
「えーっ⁉ イービス様が⁉」
思わずまた彼女は叫んでいた。
「いや、まだそう決まったわけじゃないんだけど……」
フィンが慌てて首を振るが……
「でも……」
「どういうことです?」
エルミーラ王女も尋ねる。そこでフィンが答えた。
「いや、それこそメイ、君が昨夜言ってたことだけど」
「はい? 何を?」
「この戦いにどうしてサルトスが協力しているかって言ってたよね?」
「あ、まあ……」
確かに最後にそんなことを口走った気はするが―――聞いていた将軍の一人が言った。
「えっと、それはイービス様はまだお若いし……ということなのではありませんでしたか?」
だがそこでフィンは首を振る。
「確かにそういう話にはなっていました。しかし、ここにイービス女王について詳しく知っている方はあまりいませんよね? だからお二方に来て頂いたんですが……」
メイとエルミーラ王女は顔を見合わせた。
「まあ確かに……」
いや、確かにメイがここではイービス女王の人となりを一番よく知っているわけだが……
「でもあの方、そんな悪い人じゃありませんよ⁉」
メイは思わずそう答えたが、将軍の一人がにべもなく言った。
「人は見かけによらないこともありますが……」
………………
そう言われてしまったら身も蓋もないのだが―――そこにエルミーラ王女も続ける。
「少なくともイービス様は賢いお方ですよね? 確か大学で学位も取ったんだっけ?」
「あ、はい。考古学でしたけど」
「ならばそう簡単には騙されたり言いくるめられたりはしないかも……言われてみればかなり得体の知れないところもございましたし……」
ああああああ?
《確かに、そう言われればそんな気が? いやいやいやいや……》
メイが目を白黒させていると、フィンが一同に言う。
「いや、今その可否を詮索していても仕方がありません。ここで重要なのは今のところこれを否定する材料がないということです。そして仮にですよ? 仮にもしこれが真実であった場合なんですが……」
フィンは一同を見渡した。
「アラン王の首を取ったところで戦いは終わらないかもしれないのです」
………………
…………
……
人々は沈黙した。
彼らはその言葉の意味を噛みしめる。
「シフラ戦は間違いなく多大な被害が出ます。敵も味方も、一般市民にもです」
メイはゾクッとした。
そのことはこれまでは考えないようにしていた。
何しろそこにはルルーやアルエッタもいるのだ。
「我々がその戦いを推し進めようとしていたのは、それが戦いを終結させるための最短距離だと考えていたからです」
「………………」
「しかしそれがそうでないとしたなら……我々はむしろ相手の策に填められているのかもしれません」
「策、ですと?」
「例えばアラン様が実は囮にされているとか……」
「………………」
フィンは続ける。
「考えてみたら今回の戦いにおいて、実際に戦闘を行ったのはまだサルトス軍だけです。しかも彼らはアラン王の指揮下に入って遠くアイフィロスに攻め込んでいます。普通じゃあまり考えられないことですよね?」
確かにそれはそうだった。このあたりは若いイービス女王がアラン王に言いくるめられてしまったからだということになっていたのだが……
「で、この戦いなんですが、これを相手方から見たらどうでしょうか?」
「相手方から?」
「はい。我々のことは、相手から見たらまさに手負いの獣のように見えるのではないでしょうか?」
一同は沈黙した。
それはまさにその通りだったからだ。
「そんな獣の首に縄をかけたいとして、うっかり最初に突っかかったりしたら一番ひどく噛みつかれてしまいますよね?」
一同は黙ってうなずいた。
「だとしたら誰かに先にやらせておいて、両者が弱ったところにとどめを刺すのがスマートなやり方では? とくにあちらのような急造の同盟だったりしたら」
「まあ、確かにな……」
「ここでサルトスは最初にアイフィロスを攻略しました。しかしある意味彼らは一番たやすい敵を選択したとも言えるわけです」
一同は顔を見合わせる。
「しかし彼らがこうやって先に手を汚した以上、続きはシルヴェストかアロザールがやらなければなりません」
フィンは再び一同を見渡す。
「そして……イービス女王は今、この戦いで最も安全な場所にいるわけです」
………………
…………
……
確かに彼女のいるガルデニアはまさに中央平原の反対の極――― 一番遠い場所だった。
「でも……」
メイは涙で目がくらんでくるが―――それを見たフィンが慌てて手を振る。
「いや、彼女が黒幕じゃなくって、例えば魔法で操られているとかもあるわけだし……」
「ではやはりアロザールか⁉」
将軍の一人が激高して立ち上がりそうになるが―――フィンがまたそれを抑える。
「いえ、かもしれないし、そうではないかもしれません……今ここでそれを詮索していても仕方がありません。だから今ここで我々がすべきことは何かというと……」
一同はフィンを見つめる。
「サルトスに行って確かめることなんです」
………………
…………
……
「何と?」
一同がまたぽかんとするが―――フィンは笑った。
「これまでずっと色々な作戦を説明してきましたが、そこでレイモン騎馬隊はセイルズまで行き着いていましたよね?」
人々の目が丸くなり……
「そこからならサルトスはもう一息ですよね?」
人々は唖然とした。
「実は今回私の提案する作戦の目的地はアコールなんです。現在サルトス本国は非常に手薄な状況にあります。従って相手はアコールでも全面的な抵抗はできないでしょう。なので話し合いに応じるしかありません。そこで相手の手の内を確認して、もし騙されていたり操られていたならそれを是正してやることができるでしょう」
「ということは、もしや……」
「はい。それでイービス女王が納得してくれれば、サルトス軍は少なくとも中立化、場合によったら味方になってもらえるかもかも知れません」
「なんと!」
「そうなると中原の版図はどうなると思いますか?」
人々は現状の勢力図を思い浮かべる。
アイフィロス方面はサルトス軍が占拠しており、当然サルトス本国もそうだ。
そしてグリシーナにはフォレス・ベラ連合軍がいるわけで―――メイは思わず言った。
「えっと、もしかして今度はこっちがあっちを完全に包囲してたり……してます?」
「うん。そうなるよね?」
フィンがにっこり笑ったが―――そこでまた将軍の一人が尋ねる。
「しかし、実際にサルトスが黒幕だったら?」
フィンは小さくため息をつく。
「その場合は……仕方ありません。全力でその元凶を押さえにいくしか……しかし、私たちはシフラでも攻略可能な軍を率いていくのです」
あはははは!
一同は顔を見合わせたところにアリオールが言った。
「というわけで、私はリーブラ殿の策に乗ってみようかと思うのだが?」
「いや、それにしても……」
多くの者たちはまだ半信半疑の様子だが……
「確かにちょっと回り道かも知れませんが、でもこれだともう一つ、せっかくグリシーナを取ってくれた連合軍の行為が無駄にならずに済むんです」
一同はあっとうなずいた。
「小国連合の時代にグリシーナとガルデニアの間をつなぐア・タン越えの街道が整備されたと聞きます」
それまではグリシーナからガルデニアに向かうにはベルジュとアコールを結ぶ主街道を経由するのが普通だった。
しかしアコールとベルジュは対レイモン最前線だ。そこが戦地になってしまうと両国の連絡が困難になる。そこで保険としてそれまでは険しい山道だったその経路が馬車でも楽に超えられるように拡幅されたという。
「なのでガルデニアまで行けば連合軍と合流することもできるんです」
「おおおお」
うわあ、何これ―――もしかして、魔法?
だがしかし……
「えっと、でも中原を突っ切っていくんですよねえ?」
メイが尋ねると、フィンはうなずく。
「そうだな。端から端まで横断することになるな」
「回りはやっぱり敵ばっかりだし、横から攻められたりしないんですか?」
「あ、それは大丈夫だよ」
フィンは笑った。
「そうなんですか?」
「うん。まずレイモン軍は平原での戦いは最強だから。でも向こうから突っかかってきたりした、そういうことになるよね?」
「あ、まあ……」
「なので僕たちがやってきたと知ったら相手は砦とかに籠もって防衛に徹するしかないんだけど……」
「はあ」
「でも僕たちはその鼻先を通り抜けていくんだ。しかも通常の四倍の速さでね。だから相手が気づいたときにはもこちらは遙か先ってことなんだよ」
「ほえー……」
分かったような分からないような話だが―――と、そこでアリオールが言った。
「それでなのだが、この軍勢に大皇様や大皇后様、それにベラトリキスの皆様にも付いてきて頂きたいと考えているのだが」
「え?」
メイとエルミーラ王女がぽかんとする。そこでまたフィンが説明した。
「いや、これは本当にどうするか色々考えたんだけど……騎馬軍団が行った後、歩兵部隊は残るからアキーラの防衛は可能だとは思うんだけど、でも相手としても大皇様の身柄を抑えてしまえば形勢逆転なんで、必死にそういうことをやってくるかもしれなくって……」
続けてアリオールが言う。
「それでどこか分からないところに疎開してもらおうかとも思ったのだが……ならばこの際、騎馬軍団についてきてもらった方が安全という結論に至ったのだ」
「そうなんですか?」
フィンがうなずいた。
「うん。実際、思惑通りに行けばこちらでは戦闘は起こらないし……でもいない間にアキーラが攻められる可能性は結構高いし……」
「でもイービス様が黒幕だった場合は?」
フィンは笑って首を振る。
「いや、さすがに正直それは無いと思うし……仮にもしそうだった場合でも戦力差は歴然だから、君たちに危険が及ぶことはまずないよ。それに……」
「それに?」
「イービス様と何か交渉することになったら、メイやエルミーラ様にいてもらった方がいいかもしれないし」
「あはははは!」
いやまあ、そうなのかもしれないが……
「というわけで、我々はアコールを目指したいと考えているわけなのだが、ここで一つ重要なことがある。それはこの作戦の真の目的を敵に知られたら絶対にいけないということだ」
一同はうなずいた。
確かにこちらがいかに速く動けても、行き先がばれていたら対策されてしまうだろう。
例えば各地の橋を落とされたり街道を塞がれたりしたらかなり困るし、森林地帯のような場所では待ち伏せとか色々な妨害工作はある。
「なのでこのことを知るのはここにいる者だけで、まず我々は全力でメリスを攻略しに行くという触れ込みで出陣することになる」
一同はうなずく。
「そしてそう見せかけて実はトルボと、さらにそれがフェイクで本命はシフラと最後まで相手に信じさせなければならない」
まあ確かにその通りだが―――そこでフィンが言った。
「……なので私たちは最初から最後まで全力で事に当たらねばならないんです。中途半端に手を抜いたりしたら、そこで敵に見透かされてしまいますから」
要するに最初は全力でメリスを、その次はトルボを、最後はシフラを全力で攻めに行っているように見せなければならないということか?―――と、そこでエルミーラ王女が尋ねた。
「ということは私たちもそうしなければならないということですね?」
「え?」
「皆様が全力を尽くす以上、私たちも同様に行わなければ。せっかく皆様に同行するわけですから」
フィンはアリオールと顔を見合わせる。
「ああ、まあ確かに……しかし……具体的には?」
王女はにっこり笑う。
「例えば、クルーゼのあたりでファラ様に演説して頂くとか?」
二人はうなずいた。
「あ、確かに。大皇后様のお言葉は何にも代えがたいですからね」
まさに乾坤一擲の戦いに赴くのだ。そんな彼らを励ましてやる言葉は絶対に必要だ。
だがそれだけでいいのだろうか?
それが全力というわけでもないような気がするのだが―――と、こうしてあのときの話につながってしまうのである。
こうしてクルーゼでのアルマーザの慰問公演が決まったり、セイルズでお買い物をするときにもこの際だからとメイが抜擢されてしまったのだ。
いや、最初はさすがにそんな大役無理でしょうとお断りする方向だったのだが……
《くそー。騎馬軍団率いて走ってみないかとか、卑怯な申し出をしてくるし!》
まあ、基本は商売人との交渉ということで、やってみれば何とかなったわけだが―――というわけで……
「ってことで、あたしたちはアコールに向かうの。今度は本当に本当だからね」
「はあ……」
クリンはもう完全な白丸眼だ。
いやもう、やっとコソコソと秘密にしなくて良くなって気分もすっきりだが……
《でも本当にシフラとか攻めなくて良かった~!》
正直ここまで彼女がこの旅でわりと余裕ぶっこいていられたのは、最初からこの結末が分かっていたからに他ならない。
でなければさすがの彼女でもちょっと耐えられなかっただろう。
シフラを攻めるとなるともはや手段を選んではいられないのだ。あそこで魔導師たちが演習していた魔法はシフラ攻めとなれば本気で全力投入されていたのだ。あのマグナフレイムもまた然りで……
《…………》
トゥバ村の惨劇からは彼女は何とか立ち直ることができた。
それはサフィーナがいてくれたことに加えて、やっつけたのが憎き敵兵だったからだ。アロザール兵の蛮行はまだ記憶に新しい。そんな奴らだからひどい目に遭ってもまだ心が痛まずに済んだ。
だが、シフラの人々はそうではない。
彼らの多くはごく普通の市民だ。そこを守るシルヴェスト兵にしても、彼らはアロザールの蛮行から町を救った人たちなのだ。
彼らとは今年の正月に顔を合わせているが、みんな礼儀正しい人々だった。
そんな彼らを彼女が考案した兵器で虐殺しなければならなくなったとしたら……
《うううう……》
考えただけで背筋が寒くなる。
「ん? どした? メイ」
併走していたサフィーナが声をかけてくる。
「ん、いや別に?」
まあ、もう余計なことを考える必要は無い。ともかくメイの役割はこれで終わりだ。
後は結末がどうなるか見届けるのみだ。