エスケープ・フロム・アキーラ 第6章 旅路の果て

第6章 旅路の果て


 セイルズを出立して三日後、一行はアルンドーの村にいた。

 ここは旧レイモン王国の最大勢力圏で、当時のサルトス王国との国境の村であった。すなわちレイモンの果てだ。

《あは。久々の宿屋泊まりね》

 クルーゼを出てからというもの、特に速度が重要なので一行は野営を繰り返していた。メイもそういうのは嫌いではないのだが、やはり何日も連続だとさすがに柔らかな布団が恋しくなってくる。

《セイルズでもあんまりゆっくり寝られなかったしなあ……》

 しかしここから先は今まで一度もレイモン領になったことのない地域だ。ここまでならば地図もあるので野営地の選定なども計画的に行えるが、この先はそうではない。

 そこで今日の昼過ぎにはこのアルンドーに着いたのだがここで野営することになり、VIPメンバーは村の宿屋に泊まれることになったのだ。

《確かに思いっきりドライブできたもんね……》

 フィンは嘘は言わなかった。そしてこれだけ走りまくれればメイだってちょっとは一休みしたくなってくるわけで……

《しかし広い場所よねえ……》

 窓からはヘリオス平原が一望の下に見える。レイモンもそうだったが山育ちのメイにはこういう平べったい平原は、何度見ても不思議に感じられる。

《クリンちゃんとかがフォレスに来たら、あっちの光景が不思議に見えるのかな?》

 しかし草原といってもレイモンとはまた趣が異なっている。

 レイモンが乾燥気味なのに対しこちらはわりと雨が多い。昨日もちょっと降られてしまったが、生えている植物もこちらは結構異なっている。

 またそのためこのあたりは豊かな穀倉地帯だ。

 今日も見渡す限りの小麦畑の中を走ってきたのだが、丁度植え付けの時期なので、ちろっと芽が出た茶色い畑があたり一面にどどーんと広がっていたのだが―――と、このような場所なのでアルンドーは防衛拠点としてはあまり適していない。そのため小国連合時代にはサルトス王国はここには手を出さず、アコールとベルジュを結ぶ線が最終防衛ラインであった。

 だがここは現在はサルトスの勢力下だ。だからセイルズを超えたら気を抜くなよと言われていたのだが……

《でも何ーんもなかったんだけど……》

 普通ならばちょっとくらいの抵抗はあってもいいはずなのだが、そういうのも全然ない。シフラから追撃軍が発したという話もない。

 セイルズを発った時点で一行がサルトスの本国を目指しているということは、あちらにも分かっているはずなのだが―――しかし各地に少数のサルトス警備兵がいたが、レイモン軍が来たら黙って通せと言われているらしく全くの無抵抗だった。

《まあ、確かにここでケンカ売っても仕方ないんだけど……》

 ということは相手はアコールに全軍集結しているのだろうか?

 しかしサルトス国内の残存勢力をみんな集めても数は足りないだろうし、そういうことをしている余裕もないはずだ―――だから普通ならセイルズの警備兵のように結構慌てていてもおかしくないのだが……

《まあ、あたしが考えてもしかたがないんだけど!》

 こういうのは専門家に任せておくしかない。しかし彼らも一様にあまりの静けさを不気味に感じているようだ。

《でもどうなるんだろうなー……》

 メイの出番があったりするのだろうか?

 ここにいる中では彼女が一番良くイービス女王の人となりを知っている。なので場合によっては交渉に参加してくれとも言われている。まあそうなったとしても、おまけでくっついているしかないわけだが。

 しかし……

《うー、イービス様、本当にどうして……》

 のほほんとしてつかみ所の無い人だったが、悪い人ではなかったと思うのだが……

 しかし……

《最初は窓からだもんなー……》

 冬の寒い夜、窓の外にぺったりくっついていたのを見たときには腰を抜かしそうになったわけだが……

《あげくに食事をねだられるし……》

 勢いに流されて夕食を作ってあげたら、その後も寮より美味しいからとか言って頻繁にやって来るし。

《あはは。普通だったらただの迷惑な人だし!》

 何だか遙か昔の思い出のような気がするが―――だがあの川遊びの時は……

《あはははは!》

 まさに最初にリアルに死にかかったのがあのときで、そんなことはもう二度とごめんだと思っていたら……

《あはは。あの後何度あったかなー……》

 どうしてこんな一介の農場の小娘がそんなにたくさんの命の危機を乗り越えているのであろうか? 何だか本当に納得がいかないのだが……

 それはともかく……

《あのときはイービス様もキレてたのよね……》

 川遊びの襲撃犯が捕まった後、ロムルースのところに犯人を寄越せとねじ込んできたわけだが。そのときには今考えたらさらっと怖いこと言ってるし……

《でも話せば分かる人なのよね……》

 あそこで彼女はメイの話を聞いてくれたのだ。普通なら聞く耳持たなくともおかしくないわけで―――実際ロムルースだけだったら処刑は免れられなかったかも?

《あ、ミーラ様がいたから大丈夫だった?……でももしかしてそれって内政干渉って言うんじゃ?》

 などというのはともかく、その彼女が騙されるということは?

《よっぽど真に迫った嘘をつかれたって事なんだろうけど……》

 でもそれってどんな嘘だ? ちょっとアロザールと組んでレイモンを滅ぼそうと思うが一緒にやらんか? とは言われないよな?

 そもそもアロザールと組むという時点で普通は反対するだろう?―――ということは組むことを知らされてなかった?

《でもそれなら、事態が明らかになったらやっぱり兵を引くわよねえ……》

 ということは―――やはり何もかも分かっていて味方しているのか?

 黒幕かどうかはともかく、少なくとも共謀しているのは間違いないのか?

《だとしたらやっぱり操られているのかなあ?》

 そういう魔法があることはよく知っているが……

 でもそれなら誰が操っているのだろうか?

《普通に考えればアラン王だろうけど……それともアロザールが?》

 フィンたちはそういう可能性は低いとは言っていたが。そんな能力があれば例えば正月のバシリカ包囲戦のとき、こちらに内紛を起こさせたりした方が効果的だっただろうということで……

 それにアラン王とイービス女王を同時に操っていることにもなるわけだし……

《うーむ……》

 やっぱりその線も薄いのだろうか?

 まあともかく魔法で操られているのであれば、それを解いてあげられる魔法使いはこちらには何人もいるわけで。

《でもそうするとイービス様はガルデニアにいるんだから……》

 アコールから更に奥地に攻め込んでいくことになるのだが……

《いや、それとも少数で潜入してって作戦になる?》

 ってことは―――あー、まあ、メイには関係のない話だが……

 そんなことを考えていると……

「あ、メイ様。お茶を持ってきました」

 クリンがお茶とパンケーキの載った盆を持って入ってくる。

「宿屋の人がこんなのですみませんって言ってましたけど」

「いや、パンケーキができるだけまだいいじゃないの。兵隊さんたちなんか……」

 彼らが食べられるのは“秘書官ケーキ”なのだから……

「え? でもあれ、人気ありますよ?」

「えー? そうなの?」

 何というか元宮廷料理人としては土下座して恐縮するしかないような代物なのだが―――というのは……


 ―――セイルズでの兵糧の仕入れにメイが参加すると決まったときだ。

「分かりました。で、どんな物を買い込むんですか」

 ラルゴがうなずく。

「うむ。リストは用意してある。まあ基本は携帯できて腐りにくい物になるがな」

 そこでメイは出されたリストを見た。。

「えっとどれどれ。えー、あー、干しドゥーロ、ドライソーセージ、干し肉、干し魚……ああ、こんな感じになりますよねえ。でも……」

「でも何だ?」

「いくらセイルズでも一万人分もあるんですか? 予約もなしに」

「いや、さすがに無理だな。だからこれはありったけでいいので、足りない分は小麦粉を買ってもらっておけばいい」

「小麦粉……ですか?」

「そうだが?」

「それ、どうやって食べるんですか?」

 パンを焼いたりしてられないだろうし……

「そりゃ水に溶いて塩で味を付けて、スコップの上で焼く」

 ………………

 …………

 なんじゃそりゃ?

「えーっ⁉ そんなのカチカチになっちゃいますけど?」

「今は戦時だ。そんなわがままは言っていられないが?」

「えー?」

 しかしいくら何でもそれでは―――


 というわけで、メイは独断でふくらし粉とドライフルーツも追加することにしたのだ。

 これに牛乳とか卵とかがあればわりと立派なパンケーキにもなるが、さすがにそこまでは無理だ。しかしこれでもふくらし粉と刻んだドライフルーツを混ぜて焼いたら最低限のケーキもどきにはなるわけで……

「まあ、小麦粉焼いただけに比べたらそりゃまあ美味しいだろうけど……」

「いや、焼きたてだったら結構いけますよ。私も食べましたけど」

「あ、そうなんだ」

 彼女たちも兵隊たちと同じような食生活なのだ。そして彼らの間ではその残念なケーキもどきが“秘書官ケーキ”と呼ばれているそうなのだが……

「でもふくらし粉入れすぎて風船みたいになっちゃった所も結構あったみたいで」

「あはは」

 分配するときにはちゃんと説明したんだけど―――などと考えていると……

「あー、ただいま」

 サフィーナが戻ってきた。

「えー? また泥だらけじゃないの」

「いや、まだよくこけるから。でもだんだんコツ、掴めてきたし」

「そうなの?」

 何だか三日前ほどから彼女は夜遅くまで薙刀の練習をしている。何でも必殺技が完成しそうだとかで……

《そんなにすぐにできるものなのかしら?》

 と、メイが思っているとクリンが彼女に言った。

「あ、サフィーナ様の分もありますよ」

「ありがと!」

 彼女は服を着替えて戻ってくると、美味しそうに夜食のパンケーキを食べ始めた。

 メイはニコニコしながら彼女の顔を眺める。

「ん、何だ?」

「いや、ほら、必殺技ってどんなのかなーって」

「できたらメイにも見せるけど……でも……」

「でも?」

「その前に相手の頭をかち割れないといけないんだが」

「はいぃ?」

 相手の頭をかち割ったのならもう必殺技を使う必要もないのでは?―――とメイが尋ねようとしたときだ。

「でもアウラ、大丈夫かなあ」

「ん? アウラ様がどうかしたの?」

「ここ最近なんか暗いし」

「そうなの?」

 エルミーラ王女と公式の場に出るときにはいつも彼女が護衛だが、この旅の間はあまり顔を合わせていなかった。

「ん。何かセイルズを出てから急に。そんでいきなり必殺技やろうとか言い出すし」

「へえ……フィンさんと一緒にいられないからじゃ?」

「いや、むしろ昼間は良く一緒にいないか?」

「あー、そう?」

 行軍中はメイのハミングバードが馬車隊の先頭なので、後ろの方はよく見えないのだ。

 暗いといえば―――アウラが初めてガルサ・ブランカ城にやってきたときは結構暗かった。メイもちょっと怖いなと思った記憶があるが……

《でもその後すぐにすごく明るくなったのよね……》

 それはフィンと仲良くなれたかららしいのだが―――と、そこでメイは思い出した。

「ああっ!」

「どした?」

「いや、王女様に聞いたんだけど……確かフォレスに来る前にはアウラ様、サルトスにいたんじゃなかったかしら?」

「サルトスに?」

「うん。それであの傷なんだけど……」

 サフィーナの目が丸くなる。

「あれ、つけられたのか?」

「うん」

 メイはうなずくと共に……

《確かそのときもっとひどい目に遭ったって話も……》

 それを思い出してしまうのかも? 確かにそれでは暗くもなってしまいそうだが……

「あー、ともかく必殺技、早くできるといいね」

「ん。わりともうすぐ何とかなるかも」

「へえ」

「あ、そうだ。できたらメイ。名前をつけてよ」

「え? 必殺技の?」

「ん」

「あは! 分かった!」

 ま、ともかく今あまり深刻なことを考えていても仕方がない―――というより考えていたくない。ならば早々に寝ることにしよう。



 それから二日後。メイとフィン、アウラ、サフィーナの四人は馬でアコール要塞に向かって進んでいた。

「えっと……本当にどうしてなんでしょう?」

「さあなあ。皆目見当がつかないんだが……」

 併走するフィンも首をかしげるばかりだ。

 何しろ彼らはこれからレイモンを代表してのトップ会談に向かおうとしているのだ。

 どうしてこんなことになったのかというと……


 ――― 一行はついにアコール郊外に到達し、そこに布陣した。

 ここに来るまでも至って平穏な道行きだった。

《本当に敵地なのかしら?》

 確かにサルトス軍の主力は全てアイフィロス方面に展開しているので、こちらはがら空きだ。抵抗は少ないだろうとは予測されていたのだが―――しかしそれでも例えば橋を落とすなどの嫌がらせは可能だ。しかし間にはそんなに大きな川はないので効果は限定的であるが……

 しかしそんなささやかな妨害も全くなく一行はアコールに達していた。

《どういうことなんだろう?》

 などと考えても仕方ない。メイはもう事態をただ見守るだけである。

「ふわー……」

 横でマジャーラが大あくびをした。

「あー、暇だな。いま何やってるんだ?」

「あ、アコールに使者を送ってるところですよ」

「へー」

 彼女たちの前方にはサルトス王国の防御の要、アコール要塞が聳えている。

 ここはかつてのレイモン王国の侵攻に備えて建造された場所で、さすがにここを攻めるのは一筋縄ではいかないだろう。

 要塞の門は固く閉じられて跳ね橋も上がっている。ここで彼らが徹底抗戦する可能性はあるのだが……

《でもそんな様子も見えないのよね?》

 だとしたら城壁の上とかに敵兵の姿が少しは見えてもいいのだが、要塞は静かな物だ。

 むしろその方が何か不気味なのだが……

《ま、ともかく使者が戻ってくるまでは待ってるしかないのよね》

 一体どのような結果になるのだろうか? このまま戦闘が始まってしまうのだろうか?

 フィンたちの予想では、何らかの話し合いの場が設けられるはずだということだが……

 そんなことを考えながら待っていると、何やらレイモン兵が慌てた様子でやってきた。

「メイ様はこちらだと聞いて伺いましたが」

 ???

「はい。私はここですが?」

 すると兵士がやってきて跪く。

「ちょっとアリオール様のところまで来て頂けますか? 護衛の方も一緒に」

「は?」

 メイとサフィーナは顔を見合わせる。

「あたしなんかに何の用なんです?」

 こんな状況でメイを呼び出す理由など思いつかないのだが……

「それが、先ほど使者が戻って参りまして、先方は話し合いに応じるそうなのですが、その際の会談相手にリーブラ様とメイ様を指名してきたそうなのです」

 ………………

 …………

 ……

「はいぃ⁉」

 一同は唖然とした。

「いや、どうしてあたしなんですか?」

「分かりません。理由を問いただしたのですが、先方もそのように上に指示されたと答えるだけで」

 一同は顔を見合わせる。

「えっと……あの……」

 混乱した表情でエルミーラ王女を見るが……

「ともかくアリオール様のところに行ってらっしゃい。あとアウラも」

「あー、はい……」

「あ、うん」

 そこでメイとサフィーナ、そしてアウラは本陣に向かった。

 そこには既にフィンの姿もあった。

 彼女の姿を見てアリオールが言う。

「あ、メイ殿。良く来て下さった」

「あの……一体どういうことなんですか?」

「分からん。先方もそう言われたとの一点張りだそうで。で、お二方に来て頂いたわけだが」

「メイ、何か心当たりはないか?」

 フィンが尋ねるが……

「いや、全く何も思い当たりませんけど」

「だよなあ……」

「えっと、大体私たちと話してどうするんですか? そもそもレイモン人でもないのに」

 アリオールは首をかしげる。

「全くその通りなのだが……」

 フィンもメイも単なる外国人だ。しかもこれがメルファラ大皇后とかエルミーラ王女などならまだ分かるが、単なるその秘書官とか客人で、レイモンを代表して話ができる立場ではないのだが?

「ただ、お二方は我々の事情に関しても知悉しておられるのは確かなので、話を聞いてきていただくというのは有りかもとは思うのだが……」

「ああ、まあそうですね」

 フィンもメイも重要な会議にはずっと出てきて、現在レイモンが置かれている状況に関してはよく分かっている。

「ただ一つ心配なのは、お二方があちらで人質に取られる可能性だが……」

「え? あー……」

「しかし、僕たちにそんな価値がありますか?」

「うむ……」

 あははは。メイとかフィンの命を助けるためにレイモンが国を諦めるなんて可能性は……

《ないよねっ!》

 これがメルファラ大皇后ならばまあそういうこともあり得るわけだが……

「それが分かっていれば相手方もそんな無駄なことはしないと思いますが」

「うむ……では行って頂けるか?」

「仕方ありませんね」

 フィンはうなずいた。

「メイ殿は?」

「あー、分かりましたー」

 どうして断ることができようか?―――というわけで何故かフィンとメイは急遽レイモンの使節としてアコール要塞に行くことになってしまったのだ―――


 と、こんなわけで彼らは要塞に向かっているのだが―――しかしまさに正念場である。

《この会談の行方如何では戦いが始まっちゃうのよね?》

 とは言ってもこちらは向こうの言うことをはいはいと聞くしかできないわけで。勝手に判断して答えるわけにもいかないし……

《何してればいいんだろう?》

 特にメイなんかに何の用があるというのだ?

 だが考えていても仕方がない。こうなったら当たって砕けろだ!

 振り返ると二人の後からアウラとサフィーナがついてくる。

《この二人がいれば安心だし!》

 少々の修羅場でも何とかなりそうだし―――まあそんなことにならないよう祈るばかりだが。

 近づいてくると要塞の大きさに圧倒される。

「大きいですねえ……」

「サルトスの守りの要衝だからなあ。初めて見たけど」

「ああ、そう言えば視察ではこちらに来れなかったんですよね?」

「あはは。いきなりレイモンに行っちゃったからなあ」

「で、アウラ様が都に乱入と?」

「だってフィンがあっちに行ったかと思って……」

 アウラがばつが悪そうに答えるが……

 いや、本当にそこからわけの分からないことになっているのだが―――そうでなければそもそもメイが中原に来ることさえなかっただろう。

《あの頃はハビタルがものすごく遠くだって思ってたけど……》

 今回の行軍だけでその倍以上は走っているのだが……

 やがて一行は要塞の正門の前に来た。

「私はリーブラ・トールフィン、こちらはベラトリキスのメイ秘書官。後ろは護衛のアウラとサフィーナです。開門、お願いします!」

 フィンがそう叫ぶと、やがてがらがらという音が響いて跳ね橋が降りはじめた。

 一行が橋を渡ると正門横の通用門が開いて、サルトスの軍服を着た門番が現れる。

「お待ちしておりました。こちらにどうぞ」

 一行は彼について要塞内に入った。

《うわあ、広いなあ……》

 ここにならば一万の兵士でも余裕で収容できるだろう。

 だが今は人の姿もまばらで閑散としている。やはりサルトス軍はほとんどがアイフィロス方面に駆り出されているようだ。

 メイは小声でフィンに尋ねた。

『これだったら本気で攻めたらあっという間ですよね?』

『まあな……魔法使いの攻撃もあまり想定されてないようだしな……』

『そうなんですか?』

『思いのほか城壁は薄いし。高さはあるけど』

 なるほど。確かにレイモン王国には魔法使いがいなかったので、そこまで壁を頑丈にしなくても良かったということか。

 そんなことを思っているうちに四人は要塞の中央付近にある本営の建物に招かれた。

「ではここでお降り下さい」

 四人は馬から下りると屈強なサルトス兵に囲まれる。

《うわあ……ここの護衛兵は強そうだなあ……》

 正直あまりケンカはしたくないのだが―――そう思っていると……

「その武器もお預け頂けますか?」

 護衛兵がアウラとサフィーナに言った。二人がちらっとフィンを見るが……

「そうしてくれ」

 そこで二人は薙刀を護衛兵に渡す。

 こうなるとちょっと心許なくなってくるが―――しかし、案内の兵士の態度は丁重だった。

「ではこちらに」

 そうして四人は立派な応接間に通された。

 サルトスとは質実剛健なイメージがあるが、そこはかなり豪華な丁度が置かれている。

 天井からは見事なシャンデリアが下がってあたりを明るく照らしている。壁面には写実的な絵画が織り込まれたタペストリが下がり、部屋の中央には巨大な木を輪切りにして作られたと思われる見事な円卓が置かれていた。

 その向こうでベラ式の一級魔導師のローブを纏った赤毛の女性が待っていた。

「あー、メイさーん。お久しぶりでーす!」

 彼女はにこやかに手を振った。

「え、アスリーナさん⁉」

「はい! あ、皆さんもどうか席にお着き下さい」

 促されるままにメイたち四人は用意された席についた。

 そこで彼女がフィンに丁重に挨拶する。

「あ、以前一度お会いしたと思いますが、私、アスリーナと申します。サルトスの宮廷魔導師をしておりますが、今回の件を女王様から任されましたのでこうしてまかり越しました」

「あ、はい。リーブラ・トールフィンと申します。こちらは……」

 フィンが護衛の二人を紹介しようとしたが……

「あ、もちろん存じておりますよ? アウラさん、それにサフィーナさんですよね?」

「あ、どうも」

「ん、ども」

 彼女が相手ならちょっとは安心だが―――アスリーナがニコニコしながら言った。

「しかし、すごいスピードですねえ。さすがレイモン騎馬隊ですねえ」

「あは。まあそうですね」

「皆さんがセイルズからこちらに向かったという話を聞いて大急ぎでやってきたんですが……昨日は一日中馬に乗ってたんでお尻が痛くなっちゃいましたよ。あはは」

「あ、はい……」

 メイとフィンは顔を見合わせる。

《何なんだろう? この異様にフランクな感じは……》

 フィンも同様のことを感じているようだが―――と、そこに侍女がポットとカップを乗せたワゴンを押して入ってきた。

「あ、お茶とお菓子をどうぞ」

「あ、どうも」

「田舎の菓子ですからお口に合うかどうか。さあどうぞ」

 アスリーナがニコニコとこちらを見ているので、メイはそれを頂いた。

《ん? おお! これは上等だぞ?》

 出されたクッキーはナッツが入ってちょっとスパイシーだ。しかしミルク入りのお茶に良く合っている。

《あ、いいな、これ……後でレシピ教えてもらえないかなー》

 などと考えていると……

「あっ、これ!」

 そんな声が聞こえたので振り返ってみたら、アウラがぱくぱくっとそのクッキーを食べてしまうところだった。

「おい! アウラ!」

「え? あ?」

 アウラはアスリーナが目を丸くして見ているのに気づいてちょっと赤くなるが……

「お気に召しましたか?」

「うん。こちらにいたときよく食べてたから」

「まあ、アウラ様はこちらご出身で?」

 アウラがピクリとするが……

「ああ、このあたりにいたこともあったそうですが」

 フィンが慌ててフォローするが……

「そうですか。お代わりいります?」

「え? うん」

 アウラがあっさりとうなずく。

《あはははは! ちょっと何やってるんですか! アウラ様……》

 最近ちょっと正念場ばかりで忘れかかっていたのだが、彼女はフォレスにいた頃からこういう人であった。

 だがそれはそうと……

《えっと……あたしたち何しに来たんだっけ?》

 アスリーナと旧交を温めに来たわけではないはずだが―――と、そのときだ。アスリーナが居住まいを正す。

「えっとそれじゃそろそろ本題に入りたいと思いますが……」

 一同は息を呑んだ。

「それでどうしてアラン様はあんなことを?」

 ………………

 …………

 ……

 え?

 彼女、何言ってるのだ?

 横を見るとフィンも同様にぽかんとした表情だ。

「えっと、何をおっしゃってますか?」

 フィンが尋ねると、アスリーナがニコニコしながら答える。

「いや、だからどうしてアラン様はあんなことをしてるのか、そろそろ教えて下さいな」

「はいぃ?」

 フィンも、もちろんメイも返す言葉がないのだが―――それを見たアスリーナがニコッと笑う。

「まーたまた、勿体ぶらないで早く教えて下さいよ?」

「いや、だから私たちはそれを尋ねに来たのですが?」

 フィンの答えにアスリーナがぽかんとする。

「はあ? 何おっしゃってますか?」

 全く話が噛み合っていないのだが……

「えっと、あの、どういうことです?」

 メイが尋ねると彼女は答えた。

「だってあなた方、アラン様と示し合わせてあんな大芝居を打ってるわけでしょ? こっちだけ蚊帳の外なんてずるいですよ。そろそろ突き上げも厳しいんで、ちゃーんと説明しなきゃならないんですよねー」

 ………………

 …………

 ……

 いや、マジ何言ってるのだ? この人?

 フィンとメイが顔を見合わせる―――と、そろそろアスリーナも不審に感じてきたようだ。

「あのー、どうしたんですか? 何か言えないわけでも?」

 そこでフィンが答える。

「いや、芝居なんて打ってませんが……」

 ………………

 …………

 ……

「はあぁ?」

 今度はアスリーナが首をかしげて絶句する。

「でもアラン様はおっしゃいましたよ? そのうちリーブラ殿がそうそうたるメンバーを連れて訪ねてくるからって」

「えっ⁉」

「でなきゃいかなアラン様でも、さすがにうちの軍を任せるとかあり得ないでしょ?」

「え? ああ……でも本当に芝居なんかしてませんよ?」

「でも実際に皆様、約束通りに来ましたよね? こうやって」

 フィンとメイはまた顔を見合わせる。

 そこでメイが言った。

「あの、ごめんなさい。アスリーナさん。ちょっとそちらで起こったこと、最初から話して頂けますか?」

「え?」

 アスリーナは不思議そうだったが、事の次第を話し始める。

「あれはバシリカの攻囲から戻って国に帰ろうとしてたときですが、ある夜アラン様がこっそりと尋ねて来られたんですよ」

「はい」

「それでですよ? いきなり、何も言わずにサルトスの全軍を貸してくれないかと、こうなんですよ。もちろんイービス様もさすがにそんなこと無理だって答えたんですが、そうしたら誰も見たことのない世界を見てみたくはないか? なんて言い出すんですよ」

「誰も見たことのない世界?」

「はい。で、何ですかそれはって尋ねたんですけど、何だか全然要を得なくって。イービス様がその軍で何をするのかって尋ねても、それは見てのお楽しみだ、とか」

「はあ……?」

「あげくに老い先短い男の最後の道楽とか言いだすんで、いやだから軍はおもちゃじゃないんですよって断ったら、お前たちにも決して悪いようにはしないから、とかしつこいんですよ。もうわけ分かんなくて」

「はあ……」

 何なんだ? 本当に……

「そこでイービス様が、からかいに来られたのならまたの日にって帰ってもらおうとしたら、アラン様、分かった分かった。教えてやろう。ちょっとアロザールと組んでレイモンと戦ってみようと思っているのだ、そうで」

「はあぁ⁉」

 メイとフィンはまたまた顔を見合わせる。

「いや、さすがにびっくりしましたけど。で、それに加担しろってことかって尋ねたら、ニコニコしながら、まあそういうことだが、と」

「ニコニコしながらですか?」

 アスリーナは大きくうなずいた。

「そーなんですよ。冗談なのか本気なのか。ともかくそんなこと、もっと詳しい事情が分からなければお断りするしかないって言ったら、いや今は言えないのだが、でもそれもしばらくの間だ。すぐにリーブラ・トールフィン殿がそうそうたるメンバーと一緒に訪ねてくるだろうから、細かいことは彼に聞いてくれと、こうなんですよ」

「はあぁ?」

 二人は唖然とするしかなかった。

「いや、確かにリーブラ様のことをアラン様がすごく買ってるのは知ってましたから。本当にアキーラの解放の手際は素晴らしかったと常々おっしゃってましたし」

「あ……どうも……」

 フィンが苦笑いするが……

「それでピンときたんですよ。アラン様とレイモンの間に何か密約ができていて、多分それを取り持ったのがリーブラ様だって。で、ほらそういう事情だと敵にはもちろん、味方にも秘密にせざるを得ないこともままあるでしょう?」

 あはははは! 確かにっ!

「で、まあ、アラン様を信じてみる気になったわけですよ」

「えっと……」

 フィンが目を白黒させているが……

「で、今回リーブラ様に来て頂いたわけですが」

「いや、その……」

 フィンは頭の中が真っ白な様子だが―――そこでメイが尋ねる。

「あのー……それで、私はどうしてですか?」

「あ、そりゃメイさんとは久々にお話しがしたかったので」

 あはははは! こちらはただのオマケと……

「しかしそれであっさりアイフィロスを滅ぼしちゃったのはちょっとびっくりしましたけど……まああそこの王家って結構いけ好かないところだったから、そこまで心が痛んだわけじゃあないですけど」

 あはははは!!

「で、そうしたら今度はフォレスとベラの連合軍が攻め込んで来ちゃって。あ、これは絶対に何かあるって思ってたんですよ。じゃなきゃ普通あんなタイミングで来たりしませんよね?」

「え? ああ、まあ……」

「そしたら今度はアラン様がグリシーナを放棄しちゃったりして。もうこんなのあなた方が示し合わせてやってるとしか思えないじゃないですか?」

 いや、言われてみれば確かにそう見えるかもしれないが……

「で、どうなんですか?」

 アスリーナが真面目な顔で尋ねると、そこでやっとフィンが答えた。

「いや、だからアラン様との間に密約なんてありませんが」

「はい?」

 アスリーナがぽかんとする。

「私たちはアラン様とは正真正銘敵対しておりまして、この間まで本気でシフラを攻撃しようとしてたんです」

「えー? シフラを? まさかあ……」

 アスリーナは笑って手を振るが……

「いや、こちらには都の魔道軍も付いておりますし。その全力をぶつければ……」

 それを聞いて彼女は愕然とした表情になった。

「……じゃあどうしてこちらにいらしたんですか?」

「それは……この件に関するサルトスの動きが解せなかったからですが……」

「あー……どうしてアラン様に協力してるかってことですか?」

「はい。で、最初は何か上手いことをいって騙されてるとか、魔法で操られている可能性を考えていたわけですが……」

「はあ……」

「でももう一つもっとまずい可能性に思い至ってしまって……」

「まずいといいますと?」

「サルトスがこの件の黒幕だという可能性ですが……」

 ………………

 …………

 ……

 アスリーナはしばらく絶句した。

 それから今度は目が丸くなっていく。

「この件の黒幕って……イービス様が?」

「はあ……」

 ………………

 …………

 ……

「ぶぁっはっは~~~~~~~~~~~っ!」

 アスリーナは腹を抱えて笑い出す。

「ぎゃーっはっはっは! 受けるーっ! 今年最高に受けたジョーク! それ! 黒幕⁉ イービス様が、黒幕~~~⁉ だーっはっはっはーっ!」

 笑いながら彼女はテーブルをガンガン叩き、最後は息も絶え絶えになった。

 メイとフィンは顔を見合わせながらその様子を見ていたが―――やがてやっと彼女は笑いの発作から抜け出すと……

「あり得ません! そんなこと!」

 と、きっぱりと答えた。

 しかしそこでフィンが尋ねた。

「いや、でもこちらの立場からしますと、仮にですよ? もし仮にそうだったとしたら、アラン様を倒しても戦乱は終わらないですよね?」

 アスリーナは一瞬ぽかんとしたが、やがてうなずいた。

「あ、まあ……そういうことになるでしょうけど……」

「だとしたらその元凶を抑えるしかないじゃありませんか」

 ………………

 …………

 ……

 再び彼女の目が丸くなる。

「あの……それってことは、本気であたしたちをやっつけようとしに来たと?」

「はい。まあ、もし本当にサルトス王国が黒幕だった場合はですが……」

 ………………

 …………

 ……

「えーっ?」

 アスリーナの顔から血の気が引いていくが……

「いや、そんな可能性はまずないと思ってましたよ? だからまずはどうしてアラン様に協力しているかを尋ねて、騙されていたのなら誤解を解こうと思って来たんですが」

 アスリーナは慌てて答える。

「いや、だからそれはアラン様とレイモンがグルだって思ってたからですけど? 例えばアロザールに止めを刺すのに、あそこって本国の湿地帯に籠もられたら厄介ですよね? なんで内側からどうにかしようと思ったとか? そんな感じで国内は納得させたんですけど、色々と疑い深い人たちも多くて、だからリーブラ様が来て本当の目的を教えてくれるのを待ってたんですけど……」

 と、そこでメイが言った。

「って、そうやって見事に騙されちゃったってことですよね? それって……」

「え? あ……」

 アスリーナは愕然とした表情になる。

「ってことは、私たちが争う理由はないってことですよね?」

「そうなればもちろんそうですけど……えーっ⁉」

 アスリーナは頭を抱えた。

 いや、イービス女王は少々の事には騙されないと思っていたが、まさに上手い理由があったものだが―――というか、賢くなければあれでピンときたりしないわけで……

 そこでフィンが言った。

「ここからはイービス女王様のご判断でしょうが、我々は争う理由のないところと争うつもりはありません。なのでそちらもそうして頂ければ……」

 アスリーナはうなずいた。

「もちろんですが……いや、さすがにこんなこと、私の判断では答えかねますが……あ、でもガルデニアに早馬を送りますから、ちょっと明日まで待ってもらっていいですか」

「もちろんです。アリオール様や大皇様の添え書きもお付けしましょうか?」

「ああ、そうですね。助かりますね」

 アスリーナはかくかくとうなずくと衛兵を呼び出して色々と指示を与え始める。

 それが一段落した後、彼女はほっとした表情で言った。

「いや、しかしリーブラ様、本当に来てくれて助かりました」

「いや、まあ……はい」

 フィンも大きく安堵のため息をつく。

《いやあ、こんなことだったなんて……》

 メイもほっと一安心だ。そこで……

「でもこれで私たちが本気でシフラを攻めてたらどうなっちゃってたんでしょうねえ?」

 と、軽い気持ちで尋ねたのだが―――アスリーナは腕組みをしてちょっと考えると……

「えー? さあ、こっちはそんなこと無いって思ってましたからねえ……でも、もしそんなことになったら、アラン様がレイモンに裏切られたって考えちゃったかも、ですねー」

「はい?」

 えっと、確かにそういうことにはなるが……

「そうしたらアラン様はイービス様のおじさまですし、落とし前つけるためにも、全力で攻め込んじゃってましたか? きっと」

 そう言ってニッコリと笑った。

 ………………

 …………

 ……

 メイとフィンは呆然と顔を見合わせた。

《あははははははははっ》

 いや、マジどうなっていたんだ?



 その翌日。サルトス王国とレイモン王国は停戦した。