第2章 続々! 私を郭に連れてって
翌日の午前、メイとアウラ、それにガリーナが広間に集まっていた。
「それじゃ行きましょうか」
「うん」
「はい」
三人が玄関ホールまで出てくると、管理人のリトリーさんが現れた。
「皆様、どちらまで?」
「あ、今回はちょっとそのあたりです。多分すぐ帰ってきますので」
「ああ、はい」
ちょっと不思議そうな彼女を後に、三人は白亜御殿から出るとエレベーターホールに向かった。
どうしてかというと……
―――昨晩、メイの部屋にアウラと、あとガリーナに来てもらって作戦会議を行ったのだ。王女にアウラの随伴を頼まれたわけだが、うまくいった場合のその後の段取りを考えれば彼女にいてもらった方がいいからだ。
しかし……
「えっとそれでアウラ様、そのタンディさんのいる郭ってどこなんですか?」
「さあ?」
アウラは首をかしげる。
「さあって……」
「ガルデニアで部屋を持ててるって聞いただけだし」
「あー、そうなんですね」
と、最初から暗礁に乗り上げていた。
《またこんな調査なの~⁉》
メイがため息をつくとガリーナが言った。
「あ、でも多分部屋持ちならば名も知れていると思いますし」
「あ、まあ、そうですよねー」
確かにこれならば全く雲を掴むような話ではないわけで―――
要するに地元の若い男に聞けばまあ絶対に何らかの手がかりは得られるはずなのだ。そういった男たちならば城の中にはうようよいる。そしてこの近くならエレベーターホールが一番人が多かったとそういうわけだ。
彼女たちが現れると待機していたサルトス兵がぴんと敬礼する。
「お出かけですか? ならば少々お待ちを」
今は籠が下の階にあるので引き上げなければならないからだが……
「いえ、それには及びません。ちょっとあなた方にお尋ねしたいことがあるだけですから」
メイがそう答えると衛兵は首をかしげた。
「尋ねる……といいますと? 私どもにですか?」
まあ不思議がるのも無理はないが……
「あ、はい。えっと兵隊さん、それで郭にはよくいらっしゃいますか?」
………………
…………
……
「はあぁ⁉」
その質問に真面目そうな兵士は固まってしまった。
メイは慌てて手を振る。
「あ、いえ、ちょっと人捜しなんですよ。実はこちらのアウラ様の昔なじみがこちらの郭で部屋を持てているそうで。タンディさんっていうんですがご存じありませんか?」
兵士の目が丸くなった。
「いえ、私は……しかし……あいつなら……」
「あ、じゃあその方をご紹介頂けないでしょうか?」
「は、はっ!」
兵士は詰め所に駆け込んでいって、しばらくしてもう一人の兵士を連れて戻ってきた。
「此奴が知っておりました!」
「え? ほんと?」
アウラがにじり寄る。連れて来られた兵士がたじたじしながら答える。
「あの、ディーレクティアの若妻タンディなら存じ上げておりますが……」
「若妻? あはっ! そんな二つ名なんだ!」
アウラが小躍りする。
「えっとあの、そのタンディさんってヴィニエーラって郭から来た方ですか? グリシーナにあった」
メイの問いに兵士は首を振る。
「いえ、そこまでは。しかしそれ以外でタンディという名の部屋持ちは存じ上げませんが……」
「いや、ありがとうございます。“ディーレクティア”ですね? 行って見てみればすぐ分かりますから!」
「は、はーっ!」
「それではお邪魔しましたーっ!」
「ははーっ!」
呆然とする兵士たちを後にして、三人はいったん来迎殿に戻ると管理人のリトリーの元に向かった。
「いかがなされました?」
彼女が首をかしげるが……
「あ、ちょっとまたアスリーナさんと面会したいんですが……」
何しろ町に出るには前述の通り案内人が不可欠だ。また彼女たちが出かけることも予め知らせておかなければならない。
「承知しました。使いをやりますから戻ってお待ちください」
「お願いします」
アスリーナは忙しいのでいきなり行ってもなかなか会えないのだ。
―――というわけで昼食の後、三人は白亜御殿からさらに上へと向かう道を辿っていた。
こちらにはガルデニア城の本殿があって、普段はそこにアスリーナやイービス女王が住んでいる。
坂道を上がると平坦な広場になって、そこにはこれまでで一番大きな城が聳えていた。三階建てでいかにも無骨といった佇まいだが、とても頑丈そうなのは間違いない。
壁面は他の城同様に灰色がかった石でできているが、二階の壁の一部が他に比べて色が薄いのが明らかに分かる。
《あはは。あそこがアスリーナさんが吹っ飛ばしたところなのよね》
彼女が魔法修行中に力余ってやってしまったらしいが。
《シアナ様も感心してたけど……》
パワーだけなら達人級なのだそうだが―――それはともかく、一行は城の玄関に向かい、門衛に話しかけた。
「あ、ども。メイです。こちらはアウラ様と親衛隊のガリーナです」
「どうぞお入りください」
話は通っていたようで一行は簡単に中に入ることができた。
それから別な衛兵が三人をアスリーナの執務室まで案内する。
中に入ると彼女がお茶を飲んでくつろいでいた。
「あ、メイさん。アウラ様、いらっしゃい。えっと、ガリーナさんでしたっけ?」
「あ、はい。ガリーナと申します」
「どうぞどうぞ。そちらに」
三人は執務室のソファに腰を下ろした。
「それでどうしたんですか?」
アスリーナはアウラとガリーナの顔を眺める。
二人は王女の護衛としてはよく来ていたが、こうして二人だけというのはあまりなかったからだ。
そこでメイが言った。
「それがちょっとまた誰かに町を案内して欲しいんですが」
「あ、今度はアウラ様方がどこかに出かけたいと?」
「はい」
「で、どちらまで?」
「それがディーレクティアって場所なんですが……」
「ディーレクティア?」
………………
…………
アスリーナはぽかんとした表情になり、それから……
「って、あのディーレクティアですか⁉」
そう言って真っ赤になった。
「あー、多分そのディーレクティアだと思いますが……」
メイが答えると彼女はますます挙動不審になる。
「え? でもディーレクティアって、その……」
あははっ! そういえばこれが普通の反応なのよね!
メイは慌ててフォローする。
「いやですね、そこにアウラ様の昔からの知り合いがいるみたいで、久々にぜひ会いたいからと、そういうわけで……」
「そ、そんな昔からのお馴染みだったと?」
………………
…………
お馴染みって―――いやいやいや!
「いや、お客だったっていうんじゃなくって、ほら、あまりお話してませんでしたっけ? アウラ様が昔、グリシーナのヴィニエーラって所で夜番をしていたことは?」
「夜番?……って何です?」
あははっ! 淑女なら普通そんな知識ありませんよねー。
「いや、そのほら、要するに郭の警備担当というか。ときどきガラの悪いお客が来て暴れたりすることがあるじゃないですか。そういうのを懲らしめる仕事といいますか……」
「あ、ああ……」
アスリーナは納得したようにうなずいた。
「そこで一番仲良しだったタンディって遊女の方が、そのディーレクティアでお部屋が持ててるみたいで……」
アスリーナはうなずいた。
「あー、そういうことでしたか。まあ、それは大丈夫だと思いますが……えっと、それで行かれるのはアウラ様と……あと?」
「あと私とガリーナさんですが」
またアスリーナの目が丸くなる。
「え? メイさんも⁉」
………………
…………
うぬーっ!
確かにそういう事情では彼女が同行する必然性はない。
「あはははは! 実は……少々込み入ってる話なんですが、そのですね……実はエルミーラ様がその、郭でご休息をちょっとお望みだったりして。あはは」
………………
…………
……
アスリーナの目が丸くなる。
「エルミーラ様……が⁉」
「あ、はい」
「あの……マジですか」
「あーはい。マジですー」
「えっと……あの噂って本当だったんですか?」
「あーはい。本当ですー」
アスリーナの目がもっとまん丸になるが―――ともかくメイは話を続ける。
「あ、それでですね。王女様がそこにお出かけになるとなったら、さすがにお忍びでってわけにはいきませんので……」
「そりゃそうですよ」
「でもほら、だからといってお城に遊女を呼ぶとかはちょっと……あれですよね?」
………………
…………
……
アスリーナの目がさらにさらに丸くなる。
「お城……に?」
「あ、はい……」
「遊女……を?」
「はい……」
「呼……ぶ?」
「……?」
何だかとんでもなく動揺しているようなのだが?
「あは、あは、あは、あははははっ!」
アスリーナはほとんど錯乱気味だ。
「ど、どうしたんですか?」
いや、そこまで慌てなくてもいい気がするのだが……
「いや、でもそれって……」
何だか埒があかないので、メイはともかくその先を続けた。
「あ、だからともかくお城に呼ぶのはダメだと思うので、それで仲立ちしてもらおうかと」
「仲立ち?……って何です?」
「あ、だから郭って、表だって通いづらい人のためにそういう仲介サービスがあるそうなんですよ。ですよね?」
メイがガリーナに確認すると、彼女がうなずいた。
「はい」
「でもそういう場合信頼できるお馴染みでないとダメだそうで。でもそれならアウラ様がそのタンディさんに頼めるんじゃないかなって話になって、それでともかく会いに行ってみようとそいういわけで……」
それを聞いてアスリーナはしばらくのあいだ呆然としていたが、やがてうなずいた。
「あ、まあ、そういうわけでしたら……はあ、しかし……場所は分かりますが……」
「あ、いや、だからさすがにアスリーナさんにお願いするわけには。道案内の方さえ紹介してもらえれば。アウラ様とかガリーナさんなら護衛はいらないと思いますし」
しかしアスリーナは首を振る。
「いや、でもメイさんもアウラ様も大切なお客様ですから……あ、それじゃディアリオ君に頼みましょう」
「ディアリオさんって……あの?」
「はい。彼ももちろんガルデニアの町なら隅から隅まで知ってますから」
「あはは。そうでしたねー」
―――というわけで彼が彼女たちの道案内兼護衛として同行することになったのであった。
翌日の午後。メイ一行はまたあのブレークに乗ってガルデニア東区の高台を走っていた。
今日手綱を握っているのはメイ本人だ。
《あはっ! やっぱり自分で走らせるのは楽しいな♪っと!》
ここ最近、馬車の後部座席ばっかりであまり自分で動かすことができなかった。しかし公式の場に出るような場合はメイも重要人物の一人なので、そうやって王女の横に座っていなければならない。またクリンがメイ以上の馬車好きで、一昨日は彼女とどっちが操車するかで揉めたりもして……
《ま、お姉さんがこういう場合譲らないとねっ♪》
そんなことを考えていると……
「あ、次の角を左斜め前に行って下さい」
隣のがっちりとした体つきの剣士―――ディアリオが言った。
「わかりましたーっ」
彼はイービス女王の最も信頼する護衛でハビタルにいた頃からの顔見知りだが、今日はちょっと機嫌が悪そうだ。
このブレークには彼とメイ、そして後ろにアウラとガリーナが乗っているが、彼女たちがお客で彼は道案内という立場なので馬車を操るのは本来は彼の役目だ。それを強引にメイがさせてもらっただけでなく……
《あは。何か火花っていうのかな?》
斜め後ろに座っているアウラとの間に何やら少々険悪な空気が漂っている。
《道さえ間違えなきゃ後は寝てていいからとか言うし……》
アウラは空気を読むという概念を知らない―――まあ、最近はフォーマルな場ではとりあえず黙っているということは覚えたようだが……
それに加えて行き先が行き先だ。多分内心ではそんな場所に女ばかりで行くとか、こいつらどこかおかしいだろ? とか考えているのは間違いなく―――まあ常識的には確かにその通りなのだが。
ま、それはともかく今日は少々空気は冷たいがいい天気だ。フォレスだとこの時期はもう完全な銀世界で、馬車ではなく橇で移動しなければならなくなっている頃だが―――などと考えていると……
「あ、見えてきましたよ」
「え? どれです?」
ディアリオが高台の崖っぷちを指さしている。そこに白くて窓のない建物が建っているのが見えた。
「あー……何だか景色のよさそうな場所ですねえ……って、窓ないんなら見えないか……」
メイがつぶやくとディアリオが言った。
「いや、屋上に上がれるので、そこからの景色は素晴らしいですが」
「あ、ディアリオさんも行ったことあるんですね?」
「まあ、それは……」
そう答えてちょっと赤くなるが、いや彼だって普通の男だからその程度当然のことであろう。
メイは彼の指示に従って、ディーレクティアの前にたどり着いた。
《いやあ、この町って本当にややこしいのよね……》
ここでもまっすぐ行けそうに見えた道は行き止まりで、たどり着くには回り道をしなければならなかった。それはそうと……
「えっと、時間はもう大丈夫なんですよね?」
メイは振り返ってアウラに尋ねる。
「さすがにもうみんな起きてるでしょ?」
すでに午後も遅い時間なのだが、遊女たちは昼夜逆転しているのでこのぐらいが起床時間なのだという。そこで個人的な用事で訪ねる場合は今から宵の間ぐらいの時間でないと迷惑なのだそうだ。
「あー、それじゃすみません。車庫入れ、お願いできますか」
「分かりました」
ディアリオに手綱を渡すと、メイとアウラとガリーナは先に郭の通用口に向かった。
「あのー、ごめんください」
中に入ってメイが声をかけると、奥から郭の小娘と思われる少女が現れた。
「はい。なんでしょう?」
彼女は少々驚いたようすで三人を見つめている。
今のメイ一行はコート姿で、アウラとガリーナは肩から細長い布の袋を掛けている。その中身は当然折りたたみ式の薙刀だが、郭の通用口には普通は滅多に来ない客だろう。
そこでメイが尋ねた。
「あのー、ちょっとお伺いしますが、こちらにタンディさんというプリマの方がいらっしゃいますよね?」
「あ、はい」
彼女が訝しげに答える。
「その方、昔グリシーナのヴィニエーラという所にいたかどうかご存じですか?」
「え? はい。そうですけど?」
彼女が不審そうにそう答えた途端、アウラが飛び出していった。
「あ、ほんと? じゃ呼んできてよ。あたしアウラっていうの。そこで一緒だった」
「え?」
小娘は一瞬ぽかんとしてから、今度はまん丸な目でアウラを見つめる。
「えっと……アウラって、タンディ姐がいつも言ってるアウラお姉様ですか?」
「え? いつも言ってるの? あたしのこと」
それを聞いた小娘は目だけでなく口までがまん丸になり―――それからはじかれたように飛び上がった。
「あのっ! ちょっとお待ちくださいっ!」
そう言って奥に駆け込んで行ってしまった―――と、そのときだ。
「えっと……その方は見つかったのですか?」
振り返るとディアリオが馬車を車庫に入れて戻って来ていた。
メイはうなずいた。
「あ、あの様子じゃ多分そうなんじゃないですか?」
「そうですか」
ディアリオは何か落ち着かない様子だが……
《あはは。普通初めてだもんね》
多分客として郭に来たことはあっても、こんな風に郭を訪れたことはまずないはずだ。となれば少々緊張するのは仕方がない。メイも初めての時はずいぶん緊張したものだが……
《ってか、これって……》
郭の通用口から出入りするのに慣れてしまった人生というのもどうなんだろう?―――そんなことを考えていると、奥の方からどやどやと人がやってくる音がすると、若い女性が走り込んできた。
下着の上にガウンを羽織っているだけのようで何やら素敵なお御足が丸見えなのだが……
「あーっ! 本当にアウラじゃないのっ!」
彼女はそう叫ぶや否やアウラに抱きついた。
「アウラーーーッ!」
アウラも彼女を抱きしめ返す。
「タンディ!」
二人はしばし抱擁し、それから離れるとお互いをまじまじと見つめた。
「うわあ。タンディ。立派になったのね」
「あは。そんなー。もう……」
彼女がぽっと赤くなるが……
《この方がタンディさん?》
こういった郭で部屋が持てているだけあってさすがという体つきだが、ちょっと童顔なせいか艶っぽさというのはもう一つ感じられない。
《いやいや、イーグレッタさんとかと比べちゃダメでしょう?》
間違いなくあの方はトップ中のトップなのであって―――しかし……
《あ、でもあの兵隊さん、“若妻タンディ”って言ってたわよねえ……》
こうして見ると初々しい新妻というイメージにはぴったりだ。
《イーグレッタさんだと逆に?》
 あの姿で「あなた~ 」とか甘えられても何か全然ピンとこないが。うむ。なるほど。
」とか甘えられても何か全然ピンとこないが。うむ。なるほど。
と、そのとき後ろの娘たちの間から遊女がもう一人前に出てきた。
少し細めだがしなやかな感じで、ちょっと変わったオーラを纏っているというか―――その姿を見るなりアウラが言った。
「あーっ! アミエラじゃないの。あんたもこっちに?」
「覚えていてくださったんですか?」
アウラが彼女の手を取る。
「もちろん。今も痛いの大好きなの?」
「そういう言い方って! まるで私がMみたいじゃないですか!」
あたりから笑い声が上がる。
「もしかして他にもいるの?」
アウラが振り返ってタンディに尋ねるが……
「いえ、ここは私とアミエラだけなの」
彼女は残念そうに首を振った。
「あー、そうなんだ」
アウラも同様にため息をつく。
《へえ……この人たちが……》
メイは彼女がフォレスにやってくる前のことはあまりよく知らなかった。何しろ彼女のあの胸の傷だ。迂闊なことを尋ねたら傷つけてしまうかもしれないし、一方アウラは自分からはそんなことをペラペラ喋ったりはしない。
《何だか今までとは全然違った笑顔なんだけど……》
間違いない。ここにはメイ達の知らないアウラがいるのだ。
―――と、そのときだ。
「もしかしてあの方……ディアリオ様じゃ?」
娘たちの方からそんな声が聞こえてくるが―――ディアリオとはそんなに有名なのか?
《あ、でも御前試合の準決勝だっけ?》
もしかしてここでは強い剣士というのは娘たちのヒーローなのでは?―――そう思ってメイが振り返ると、彼が少々慌てた様子で小さく首を振る。
《あ、内密にしときたいんだ?》
そこでメイはにっこり笑ってうなずいた。
「あはは。まーた間違えられてますよ?」
ディアリオがぽかんとするが、メイは構わずに振り返って娘たちに言った。
「彼、そのディアリオって人とすぐ間違えられるんだそうで。でも違うってバレたら今度はすごくがっかりされちゃって、ちょっと可哀想なんですよ」
「えーっ⁉」
遊女たちが残念そうな声を上げる。
振り返るとディアリオがまだ呆然としているが、メイは彼の腰をぽんとたたくと……
「大丈夫ですよ! 頑張って本家より強くなっちゃえばいいんです。そうしたら今度はあなたの方がが本物なんですから!」
「あ……ありがとうございます」
ディアリオが何やら不服そうな顔で礼を言う。
そんなことをしている間にも奥から次々に遊女たちが出てくるが……
《あはぁ! 何か壮観になってきた……》
この時間は遊女たちは起床してこれからの準備をする時間だが、当然みんな寝起き姿だ。中にはうっかり薄衣一枚でやってきて鳥肌を立てている娘もいる。
「タンディ姐、本当にその方がヴィニエーラのアウラお姉様?」
「ねえ側に行ってよろしいかしら?」
「あ、抜け駆けはずるいわよ?」
そんな調子で娘たちがじわじわとにじり寄ってくるのだが―――その様子にはディアリオもたじたじだ。
《えっと、このままだと……》
どうしてくれようと思っていたときだ。
「ちょっと! あなたたち、何をやっているの?」
奥から白髪の老婦人が出てきた。どうやらこの郭の姐御さん―――支配人のようだ。
「それがタンディ姐のところにヴィニエーラのアウラお姉様がいらっしゃったの」
遊女の一人がそう答えると……
「えっ?」
老婦人は驚いた様子でタンディの側にいるアウラを見つめる。
「で、こちらの方々は?」
それからその横にいるメイとガリーナを指して娘たちに尋ねた。
「え?」
娘たちはぽかんとするが……
《あはははっ! もう全く眼中になかったみたいですねっ!》
そこにアウラが言った。
「あ、彼女がメイ。こっちがガリーナ。あたしと一緒に二人ともミーラに仕えてて」
「はい?」
いや、その説明じゃ分からないよね?
そこでメイは大きくお辞儀をして答える。
「あ、申し遅れました。私、フォレス王国のエルミーラ王女様にお仕えしておりますメイと申します。アウラ様とそちらのガリーナさんは、今は王女様の親衛隊に属しておりまして……」
そしてメイは羽織っていたコートを脱いで、フォレス王家の紋章が縫い込まれた秘書官の制服姿になった。続いてアウラとガリーナも同様にコートを脱いで親衛隊の制服姿になる。
「あ、もしかしたらベラトリキスのメイとアウラと言った方が分かりやすいかもしれませんが……」
姐御さんも娘たちも目をまん丸にしてメイ達の姿を見つめた。
「あ、それでこちらのガリーナさんとこちらの剣士の方は、お城からの護衛と道案内をしてくださった方で……」
そこまでメイが話したところで姐御さんがあっといった表情になる。
「ん、まあ、失礼いたしました! こんな玄関の寒いところで。ほら、お客様をご案内しなさい」
一瞬遅れて娘たちも慌ててうなずいた。
「はーい 」
」
こうして一行は郭の中に招き入れられた。
一行が通されたのは郭の応接室だ。一般客用ではないのでそこまで淫靡な内装ではないが、それでも一級の郭だけあって丁度はかなりの高級品だ。
彼女たちの向かい側に姐御さん―――名前をメテオラというそうだが、彼女とタンディ、アミエラが座っており、その後ろには何故か郭の娘たちがぎっしりだ。おかげで部屋の中はむっとした娘たちの甘い香りで満たされてしまっているが……
ちらっとディアリオの方を見ると、間違いなく目のやり場に困っている。
《いや、あはは。だよねー》
こんな中で男一人では誰だってこうなるだろう。
「それで、今日はどのようなご用件で?」
メテオラが尋ねる。メイはうなずいた。
「あ、はい。まずはアウラ様がヴィニエーラの頃から親しかったタンディさんに会いたいというので……それでまあこんな時間にお伺いしたんですが」
「まあまあ、そうだったんですか」
「タンディ、もしかして忙しいんでしょ?」
アウラが尋ねると彼女ははにかんだようにうなずいた。
「え? まあ……」
こんな立派な郭の部屋持ちならば予約がずいぶん先まで埋まっていて当然である。
「とにかく顔を見たかったの。元気で良かった!」
「アウラ……」
二人が何やら別世界に入りかかっているが……
「えっとそれで今日はそんなにお時間を取らせるつもりはないんですが……ちょっと一つだけお伺いしたいことがあって……」
「どのようなことでしょうか?」
「実は私どもの主君のフォレスのエルミーラ王女様なんですが……えっと、その、実はこういう郭遊びをするのがちょっとご趣味でして……」
………………
…………
メテオラも一緒にいた娘たちも目が丸くなった。
「えーっ⁉ じゃあ本当だったの?」
娘の一人がつぶやくのが聞こえるが……
《あはは! 噂はここまで広がってるんですか?》
メイはうなずいた。
「あー、まあ、本当なんですが……それで、こちらではそういう女性客というのはいかがな物でしょうか?」
ガルサ・ブランカのアサンシオンの場合は最初はドン引きされたという話だが―――メテオラは笑って答えた。
「え? あ、まあ、時たまいらっしゃいますのでそれは大丈夫ですよ?」
「あ、そうでしたか」
とりあえずは第一関門はクリアだが……
「あ、それでですね。そのエルミーラ王女様がこちらをお訪ねする場合なんですが、お忍びでっていうのが少々大変で……結構な護衛の人が必要になってしまいまして……」
メテオラは一瞬考え込んで、それからうなずいた。
「ああ、それはそうでしょうねえ」
「そこで大変不躾なお願いなんですが……その、ちょっと仲立ちして頂く方をご紹介頂けたりはできないかなーっと……」
彼女の目が丸くなる。
「仲立ち……ですか?」
その意味は理解した様子だが……
「あー……」
天井を睨んで考え込んでしまった。
《あはは。さすがにいきなりってやっぱりなあ……》
と、そのときだ。
部屋の外から小娘が青い顔で駆け込んできたのだ。
「姐御さん! あいつらがまたやってきて……今度は七人も」
「ええっ⁉」
メテオラが青くなる。
それと同時に表の方から騒ぎの音が聞こえてきた。
「ん? どしたの?」
アウラがその小娘に尋ねた。小娘はいきなり見慣れぬ格好をした女性に尋ねられて一瞬絶句するが……
「それがまたこないだのチンピラがやってきて店の前に居座るんで、グートスさんが追い払ったんです。そうしたらそいつが仲間を連れてきて……」
「あ、そいつら、やっつければいいのね?」
アウラがやにわに立ち上がる。
「ちょっとアウラ様一体何を……」
ガリーナが慌てて尋ねるが……
「だから、そいつらやっつけに行くだけだから」
それを聞いていたディアリオが立ち上がる。
「おい、ちょっと待て! 一人で行くのか?」
「ザコ七人でしょ?」
「待て。怪我されたら困る」
「するわけないじゃない」
そう言って彼女がつかつか行ってしまったので、ディアリオが慌てて後を追う。
その様子にアウラは振り返りもせずに言った。
「んじゃ足手まといにならないでよ?」
「あんだと?」
確実に二人の間でバチバチ火花が飛んでいるが……
《ああ? えっと……》
ともかくメイとガリーナもその後を追った。
その後からメテオラと娘たちまでぞろぞろとやってくるが……
そうやって一行が玄関ホールにやってくると、そこでは大勢が夜番らしい男を袋だたきにしているところだった。
《うげっ》
いきなりの修羅場にメイは肝が潰れるが……
「ちょっと! やめなさいよ!」
凜とアウラの声が響き渡った。
男たちが手を止めてこちらを見る。
《うわあ……なんかヤバそう》
男たちは剣士崩れのようで結構図体大きいし、手には抜き身の剣を持っている。
しかしアウラは全く動じていない。
「何やってんのよ。そんなところで暴れられたら迷惑だから、出て行きなさいよ」
「あんだと?」
「だから迷惑だって言ってるの。とっととどっかへ消えなさいよ!」
「なんだと? このアマ舐めてやがるのか?」
男は剣を構えてにじり寄ってきた。
「あんた、そんな物向けて、死ぬ覚悟はできてるんでしょうね?」
その言葉と同時にアウラの薙刀がカチリと継ぎ合わされた。
「なんだとぉ?」
そこに男が斬りかかってきたが―――次の瞬間、石突きが顔面にたたき込まれて男は悶絶した。
「死にたくなかったら、とっとと消えなさい?」
そう言ってじろっとアウラが男たちを睨むが……
「あんだとぅ?」
男たちは引き下がる代わりに逆上するという道を選んだ。しかしそれは人生最大の判断ミスだった。
「このアマァァァ!」
そんなわめき声と共に男の一人がアウラに斬りかかってきたが―――そのときにはもう男の右腕は胴体から離れて床に転がっていた。
その横では別な男が飛び込んできたディアリオに一刀両断されていた。
残った四人はさすがに一瞬躊躇するが―――今度はそこにアウラとディアリオが突っ込んでいく。
それから瞬きするほどの間に四人の男は全員床に這いつくばっていた。
アウラとディアリオがちらっと顔を見合わせると、互いの口元ににっと笑みが浮かぶが……
《ひぃぃぃ……》
メイはもう呆然とその光景を見つめるしかない。と、そのときだ。
「うわ! 何なのよ? これ」
振り返るとガウンを羽織ったすらっとした女性が出てきたところだった。
「それがロッタ姐……」
遊女の一人が彼女に状況を説明しようとするが、その前に……
「それに何でディアリオ様がこんな所に?」
彼女は彼を見て首をかしげる。
「いえ、彼はディアリオ様じゃないそうですけど」
「え? どうして?」
ロッタと呼ばれた遊女が驚いてそう言った娘を見た。
「そっくりさんなんだそうです」
ところが彼女は一瞬ぽかんとすると、吹き出した。
「はあ⁉ んな強いディアリオ様が二人もいるわけないじゃん。ってか、ディアリオ様。覚えてらっしゃいませんか? 私ですけど。ロッタです。道場で一度お手合わせして頂いたじゃないですか?」
ディアリオがあっと言った表情になる。それを見たロッタが娘に言った。
「ほら、そうじゃない。誰よ? そんな大嘘を吹き込んだのは?」
そこで娘たちが一斉にメイを指さすが……
《え? ええええええ⁉》
ちょと待てーっ!―――しかしロッタもメイの変わった制服に気づいて唖然とした表情になる。そこにディアリオが言った。
「いえ、メイ様のせいではありませんよ。内密の任務中でしたので機転を利かせてくださったのです」
「メイ……様⁉」
びっくりした表情でロッタがディアリオを見て、それからメイを見る。
「あ、この方、ベラトリキスのメイ秘書官様で、こちらが疾風のアウラ様と護衛の方なんだそうです」
娘の一人がメイ達を彼女に紹介すると、ロッタは真っ青になって床に這いつくばった。
「んな、そんな方々とは知らず、大変申し訳ないことをいたしましたっ!」
メイは慌ててその横に駆け寄る。
「いえいえいえいえ、こちらも急に押しかけてしまって、全然気にしてませんからっ! どうかお立ちくださいっ!」
と、そんなことをやっている間に、アウラがタンディに尋ねていた。
「で、何でこんなゴミがたむろしてるのよ」
彼女が事情を説明し始める。
「あ、それが、まあ案内人なんだけど……」
「案内人?」
「ほら、この町って道が分かりにくいから、案内人って仕事があるの」
「うん」
「でね。案内人って道案内だけじゃなくって、いろんなお店の紹介もするのよ。居酒屋とか宿屋とか、郭なんかもそうだけど。で、紹介されたお店の方も案内人に紹介料を渡して、まあ持ちつ持たれつでやってたんだけど……」
「うん」
「一昨年ね、このあたりの案内人を取り仕切ってた元締めの人が亡くなって、その後釜になった奴らなんだけど、そいつらが質の悪い奴らで……」
「質が悪いって?」
「古くからいた案内人は追い出すわ、お客を自分たちがやってるぼったくりの店に連れてくわ、元からの店からは法外な紹介料をせびるし、払わなかったらあんな風に店の前で暴れて営業妨害したりして」
「城の兵隊は何してるのよ……って、あ、戦争行ってるの?」
タンディはうなずいた。
「そうなの。おかげで最近ずっとこんな感じで……」
「へえ。サルトスにもこんなクズいるのね」
そのときだ。
「違いますよ。こいつらラムルス人ですから」
メテオラが吐き捨てるように言った。
「え?」
驚くアウラにまたタンディが説明する。
「あの、こういうのってラムルス人が多いのよ。みんなってわけじゃないけど」
そのあたりはメイも話は聞いていた。
ラムルス王国はサルトスの隣、シフラからセイルズ周辺にあった大国だったが、両国はあまりそりが合わなかった。
この二国は国境線を巡って長い間争ってきた歴史があり、国民性も異なっていた。
ラムルスはウィルガ同様に退廃気味な文化の国だったのに対し、サルトスは質実剛健を旨とする国である。普通ならば相容れないところなのだが、中原にそれどころではない脅威が現れる―――レイモン王国である。
それによって滅ぼされてしまったラムルスからは多くの難民がシルヴェストやサルトスに流れ込んできて、現地人とこういった軋轢を生んでいたのだ。
「うーむ。なんか色々あるんですねえ」
思わずメイがつぶやくとメテオラが言った。
「結構困っていたんですよ。ありがとうございます……あ、それじゃメイ様。先ほどの件なのですが?」
「え?」
「仲立ちの件ですよ。引き受けさせて頂きます」
彼女がにっこり笑う。
「え? いいんですか?」
「はい。もう皆様方は恩人でございますので」
「あはー。ありがとうございますっ!」
 やったね と思っていたときだ。
 と思っていたときだ。
「でも疾風のアウラ様ってめっちゃ強いんですねえ。びっくりしちゃった」
ロッタが感心したようにつぶやくと、横にいた娘が言った。
「この方、ヴィニエーラのアウラお姉様でもあるんですって」
「え?」
ロッタがまじまじとアウラを見つめる。
「タンディがいつも言ってる、あの?」
「そんなにいつも言ってるの?」
アウラがちょっと赤くなってタンディを見つめると……
「だってぇ、私がぁ、お姉様の初めての 女
女 だったんだしぃ……」
だったんだしぃ……」
彼女がもじもじし始める。
《えーっと……ああ、そうだったんだ……》
だが彼女は普段からよっぽど言いふらしているらしく、他の娘たちはそこには全く無反応だった。
続けてロッタが尋ねる。
「いやあ、しかしそんな方がどうしてディアリオ様と一緒に? 確かすごく男嫌いだって言ってたよね?」
「あら、そうよねえ?」
タンディが不思議そうに顔を上げる。
と、そこにアミエラが言った。
「もしかしてディアリオ様が勝ったとか?」
………………
…………
……
あたりに妙な沈黙が訪れて……
「「「「えっ! ええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?」」」」
娘たちが一斉に叫んだ。
「何よそれ!」
わけが分からないアウラが突っ込むが、娘の一人が答える。
「だってお姉様ってお姉様より強い男とじゃないとダメなんでしょ?」
「あ? いつそんな話になったのよ。それに負けてなんかないし」
アウラがその娘を睨むと彼女が小さくなるが……
「確かにまだ戦っておりませんので」
ディアリオが笑いながら口を挟んだ。
だが、アウラはぎろっと彼の顔を睨みつけると……
「戦ったって負けないし」
「あ?」
二人の間にバチバチと火花が飛び始める。
………………
…………
「じゃ、やる?」
「そちらがその気なら」
やにわに二人は薙刀と剣を構えて相対するが……
《うわあああああ!》
ってか、両者持ってるのは真剣ではないかっ! しかもさっきの血がまだ付いてるしっ!
メイは慌ててその間に入った。
「ちょっと! ちょっと待って! そんなこと王女様やイービス女王様の許可なくしてやっちゃダメですって!」
二人がうっといった顔になる。
「それにここ片付けないと……」
床にはまだ先ほどのごろつきが這いつくばってピクピクしているのだが……
「あ、ごめんね。汚しちゃって」
「いえいえ……」
メテオラも目を白黒させているが―――ともかくこうして一行は任務達成できたのだった。
それから数日後。メイとアウラはまたガリーナと共に王女ご休息の警備体制に関する会議を行っていた。
メテオラさん―――ディーレクティアの姐御さんに紹介された場所はクーリア家という貴族の屋敷で、表向きにはそこで行われる音楽会への招待ということになっていた。
そこでその日の午前、彼女たちはメテオラと共に会場の下見に行ってきたのだが……
「しかし凄かったですねえ。あそこ」
「はい。私もびっくりしましたが……」
メイが思わずつぶやくとガリーナも同様にため息をつく。
このクーリア家の当主は大変な音楽好きで自分の屋敷にコンサートホールを作って定期的に演奏会を行っていた。それはおおむねは本当に純粋な音楽会だったが、ときどきこうして特別な客を招いて行うコンサートもあったのだ。
そこではよく長大な音楽劇とか、ある作曲家の全作品の一挙上演会というイベントも行われていた。例えばレイシアンの歌とかは序夜を含めると三晩かかるのだが、これを一晩でやってしまうのである。
《やる方もやる方だけど見る方も見る方だし……》
そんなことをやって客が来るのかと思ったら、結構それ目当てに遠くから来る客も多いという。すなわちそのコンサートに行くと一晩帰ってこないこともよくあるのだ。
しかしそんな場合だと途中リタイアする観客も現れるわけで、そのような客のために寝る場所がないと困るだろう。
なので最初はそんな場所で行うのかと思っていたのだが……
―――それを聞いたメテオラがクスッと笑って首を振った。
「いえいえ、これじゃああまりにも無粋でしょう?」
彼女が見せてくれた部屋はかなり狭く、確かにちょっと上等な宿屋の一室という風情だが少々気分が乗らない場所なのは事実である。
「ここは仮眠をとるための部屋なので……こちらにどうぞ」
それからメテオラはおもむろに階段を下っていくと、やがて地下室にたどりついた。
「えっと……ここは?」
何だか普通の地下倉庫のようなのだが―――と、メテオラが壁の燭台をぐりっと回す。すると……
ぎぎぎぎぎ……
そんなきしむような音がして、壁が開いて隠し扉が現れたのだ。
「えええっ⁉」
メイとガリーナ、それにアウラも思わず声を上げる。
小説とかにはよく出てくるが、実際に見たのは初めてだが……
「さあこちらへ」
メテオラが隠し扉を開くと、その先は暗いトンネルになっていた。しかしあまり長くはないようで先の方が明るくなっている。
一行がおっかなびっくりトンネルを抜けて、その先の階段を上ると……
「おお?」
そこは森の中の東屋だった。
横には清らかな小川が流れていて、石畳の歩道が延びている。少し先の石橋を渡った先には小ぶりながら見事な離宮が建っていた。
一行がその中に入ると……
「うわ、すごいですねえ……」
まさに贅を尽くした宮殿の中だ。これまでのサルトス風の少々無骨な家屋敷とはなにやら一線を画した空間だった。
しかし同時になにやらひどく見覚えがある場所で……
「あれ? ここって……」
メイだけでなくアウラもキョロキョロとあたりを見回している。
「どういたしました?」
メテオラがちょっと首をかしげる。
「あの、もしかしてここってウィルガの人が建てたとか?」
メイが尋ねるとメテオラが少々驚いた様子だ。
「あらまあ。よくご存じで」
「あはは。いや、実は私たちずっとアキーラの後宮に住んでおりまして、あそこが結構こんな感じだったんで」
「まあまあ、そうだったんですか」
それからメテオラが離宮の中を案内し始める。
見事な彫刻で飾られた玄関ホールを抜けると、ゆったりできそうなリビングに、大きなベッドのある寝室、さらには広い風呂場なども完備しているが……
「あ、これって……あはははは!」
その中を見てメイとアウラは顔を合わせて苦笑いした。
「あら、こちらも?」
メテオラが謎めいた笑みを浮かべるが……
「あは。まあ……」
思い出すとちょっと顔が火照ってきてしまうが……
「えっと、何がどうしたのです?」
そんなメイ達をガリーナが不思議そうに見ている。
《あ、ガリーナさん、知らないんだっけ》
漠然と見ていたら単にいろんな飾りのあるお風呂場にしか見えないわけで……
「あ、いや、ここ、いろいろ仕掛けがあるんですよ」
「仕掛け? ですか?」
メイは湯船の横の少し窪んだところを指さした。
「あー、例えばですね。あそこに寝っ転がると、あれに足が乗せやすいでしょ? そうしたらほら……」
ガリーナは一瞬ぽかんとするが、次の瞬間ぼしゅっと赤くなる。
「ん、な……」
「あとほら、あの噴水なんかも出てたらほら……」
「え?」
「ちょうどいい高さでしょ? 洗うのに」
………………
「あ、あああ……」
こういうしょうもない発見を主にしていたのはヴェーヌスベルグの連中なのだが、そうすると諸般の理由でメイもそういうことに少々詳しくなってしまうわけで―――
などというのはともかく!
「それにしてもよくあんな場所に建てたわよね」
アウラが驚き顔で言った。メイも……
「全く。あれじゃ魔法使いでもない限り外部から侵入するのなんて無理ですよね?」
離宮の立地は狭い谷間の中で三方が険しい斜面になっている。流れる小川は少し行った先で滝になっている。後から滝の下にも行ってみたのだが、ほぼ垂直な崖になっていて登るのはほぼ不可能に見えるのだが―――ガリーナはじっと考え込むと……
「そうですねえ。後はフォレスの山岳部隊ならもしかすれば……」
「えっ⁉ そりゃまあ、あの人たちなら……」
確かに不可能ではないかもしれないが……
「ではとりあえず庭に二名ほど配置しておきましょうか」
「ちょっと心配しすぎなんじゃ?」
だがガリーナは首を振る。
「まあ念には念をと。それにあとはほとんど警備は要りませんし」
当初のイメージでは館の敷地内にある離れのような場所を考えていた。ガリーナが知っていた例ではそんな感じだったそうで、するとその周囲を見張るためにはそれなりの人員が必要になってくる。
これが単なる逢い引きとかならともかく、エルミーラ王女は超VIPである。その警護には万全を期しておかねばならないわけで……
「あれなら後は地下室の入口さえ固めておいてもらえば、他は不要でしょう」
「はい」
「なので……これだったらロパス様以下、親衛隊の方々で間に合いそうですね。ネブロス連隊の方にも声を掛けなければならないかと思っておりましたが」
「ならなくて良かったわよね」
アウラの言葉にガリーナが安堵したようにうなずく。
「まったく。あまり人数が多いと変装していてもそれだけで目立ってしまいますし」
護衛の規模が大きくなればなるほどガリーナの役割も大変になってくる。普段顔を合わせない者が含まれていたらなおさらだ。
そこでメイが言った。
「あ、借りる軍服の数とサイズ、後で教えてくださいね」
「分かりました」
今回出かける際には護衛はみんなサルトスの軍服を着ていくことになっていた。フォレスの軍服だとそれだけで目立ってしまう。なので人数分の軍服をアスリーナに言って借りてこなければならないのだ。
「それで馬車は結局二台で?」
これもメイが借りてこなければならない。
「さすがに一台じゃ狭いでしょう」
当初の予定では馬車に乗っていくのはエルミーラ王女にメイ、コルネの三人だった。
アウラ、リモン、ガリーナ、サフィーナはフォレスの親衛隊メンバーなので、馬車周囲の護衛として馬で行くことになっていたのだが、そこに首を突っ込んできたのがリサーン、ハフラ、マジャーラである。
彼女たちはエルミーラ王女などとは違って今ここでの任務という物は特にない。そのためけっこう暇を持て余していて、何やら楽しそうなイベントがあると聞いたら即座に参加したいと言い出したのだ。
馬車は一応六人乗りだが、特にマジャーラみたいのが乗ると間違いなく狭い。
護衛をしてもらうかという案も出たのだが、これはエルミーラ王女個人の趣味の話だし、彼女たちもベラトリキスの一員だ。そこでお客として来てもらうことになったのだが……
「でもあの方たち、本当に一部屋でいいんでしょうか?」
ガリーナが心配そうに言う。
馬車はともかく離宮もそこまでは大きくはない。寝室は合わせて三つしかなく、すると確実にどこかが相部屋になってしまうわけだが……
「あ、それなら大丈夫ですよ。あっちでもそんな感じだったみたいだし」
これに関しては間違いなく無問題である。というか、男一人に五人がかりとかいった文化で育った住人なので、むしろそちらの方が気が休まるんじゃないかとも思われるわけで……
それを聞いたアウラもニコッと笑う。
「来た子たちの方がびっくりするかもね」
「あはは。まあ……」
「で、呼び出す方々はもう決まったのですか?」
ガリーナの問いにアウラが首を振る。
「まだ。明日行って決めてくる。タンディとアミエラは決定なんだけど」
今回の場合、どういった遊女を呼び出すかという所も問題だった。
こちらから郭に行くのなら見せ場にいる娘たちから自分で選ぶということも可能だが、今回はそうもいかない。そこでアウラが行って見繕ってくるということになったのだが……
「ま、わりと誰でも良さそうだし」
「あ、それはそうですね」
先ほどその三人に、相手の好みとかはあるのかと尋ねてみたのだが……
―――それを聞いたマジャーラは首をかしげる。
「え? 相手の好み? んなの気にしたことなかったけど」
「気にしたことないって⁉」
「あー、だから何かその辺にいる暇そうなのをとっ捕まえてただけだし」
………………
「ってことはもしシャアラさんが暇だったりしたら?」
「ああ、あいつだとレスリングになっちまうからな。どっちが上かで」
「あはは。じゃあやはりあまりマッチョじゃない方がいいと?」
「ああ、強いて言えばそうかな?」
だそうで、側にいたハフラとリサーンに尋ねると……
「あ、ハフラみたいにねちっこいのじゃなければ誰でもいいけど?」
「リサーンみたいなのって淡泊すぎて嫌」
なんだそうで、作戦では息ぴったりだったのに、こちらの方はまったく相性が合わないのだった―――
そんなわけで確かにわりと誰でも良さそうだった。
「それでは人数は?」
ガリーナの問いにアウラが答える。
「これだったら六人でいいかな? って、あ、メイは?」
「えっ⁉」
振り返るとアウラとばちっと目が合った。
「えっと、本当にお茶してるだけでいいの?」
………………
「ど、どういうことですか?」
「だからもう一緒でもいいんじゃないの?」
「え? なんですか? どうしてそうなりますか?」
「だってサフィーナといつも……」
「いやいやいやいや、あれは幽霊を追っ払ってもらってるだけですからっ!」
………………
「そうなの?」
「そーです!」
いや、興味がないというわけではないのだが、ここでこう決壊してしまったら、何か大切な物を失ってしまいそうな、そんな気がするわけでっ!
「では呼ぶのは六名ですね」
「うん」
それを聞いたガリーナがほっとため息をつく。
「じゃあこんな感じで……今回は比較的楽そうでよかったです」
「ガリーナいつも大変だもんね」
「あはははは」
エルミーラ王女はベラで何度も襲われてからというもの、アイザック王に郭遊びを禁止されていたのだが、ガリーナが来て警備計画をきっちり立ててくれたおかげでまた王女はご休息に行けるようになっていたのだ。
そんな感じで一息ついていたときだ。
「あ、皆さんこちらでしたか」
やってきたのはアルマーザだ。
「はい。どうしたんですか?」
メイが尋ねると……
「あ、あのミーラ様のご休息の件なんですけど……」
一同は顔を見合わせる。
「あと四人追加できたり……します?」
「四人⁉」
メイは大変嫌な予感がした。
「えっと……その四人って?」
「あ、それが皆さんのお話をファラ様とデュール様にしたら、お二人とも何だかとても面白そうだっておっしゃって。それであと私と、ついでにイーグレッタさんもどうかなってことで……」
………………
…………
……
「え、えええええええええええええええええええええええええ⁉」
ガリーナが天を仰ぐ。
「えっとその四人って、ファラ様とデュール様とあなたとイーグレッタさんということで?」
メイも慌てて復唱する。
「はい。あ、ちなみにティア様は不参加だそうで。けっこう悩んでましたけど、さすがにデュール様を振っちゃったせいで来づらかったんですかねえ」
………………
「ってことでその四人で間違いありませんよ? で、聞けば馬車にはまだ空きがあるって話だったし」
「いや、その……」
ちょっと待て! これって―――見るとガリーナがテーブルに突っ伏している。
それを見たアルマーザがああっという顔になる。
「あ、やっぱりまずかったですか?」
ガリーナが首を振る。
「いや、ちょっとこれは……」
「あー……無理なら仕方ありません。断ってきます。お二人とも楽しみにしてらっしゃったんですが……」
ガリーナが愕然とした表情で顔を上げる。
「大皇様と大皇后様が?」
「まあ、そうですけど?」
「いや、ちょっと待ってください……」
ガリーナが天井を見つめて一心不乱に考え始めるが―――やがてまたがっくりと頭を落とす。
「いや、やっぱりこれは……といいますか、大皇様と大皇后様がいらっしゃるとなると、私どもだけの警備ではダメで、都と、あとレイモンと、ああ、イービス女王様にも話を通しておかないと……そうするとサルトスも関わって来るでしょうし……ああ……」
「やっぱり無理ってことですか?」
「ああ、まあその……」
「そうですか」
アルマーザがうなだれて引き返そうとしたときだ。
「何騒いでるの?」
やってきたのはハフラだ。
「あはは。ほら、アルマーザさんがミーラ様のお出かけに、ファラ様と大皇様も来られないかって言ってきて……」
メイが答えると……
「寝室はもう一つあったから何とかなるんじゃ? ミーラ様たちが一部屋で、あたしたちが一部屋で、大皇様やファラ様も最近は一緒なんでしょ?」
それを聞いていたガリーナが答える。
「いえ、警備体制がちょっと複雑になりすぎて……フォレスだけでなく、都やレイモン、それにサルトスまで関わってくるので……」
「ああ……」
ハフラが納得したようにうなずく。
「はあ……ともかく戻って謝ってきますよ」
アルマーザがすごすごと帰ろうとしたときだ。ハフラが言った。
「えっと、でもそれなら向こうから来てもらうっていうのは?」
「向こうから?」
ガリーナが首をかしげる。
「遊女の方々に来てもらうんですけど」
「だからそれは……」
それができないから仲立ちしてもらってという経緯だったのだが……
「でもこれなら大皇様名義で呼び出すこともできますよね?」
………………
…………
……
「えっ⁉」
ハフラの言葉に一同が顔を見合わせる。
「あ、まあ、確かに……」
エルミーラ王女やイービス女王名義で遊女たちを城に呼び出すのは憚られるという話だったのだが、これが大皇様ならば問題ないのでは?
それならばそのどさくさでエルミーラ王女などがお相伴にあずかっていたとしても……
《バレないわよね?》
しかも警備に関しては今のままで特に弄る必要はないし―――もしかしてナイスなアイデアなのでは?
 
 
		



