第5章 剣術御前試合 PartII
そんなドタバタはあったにしても少し前に比べたら大変平穏な日々が過ぎていき、月日はそろそろ年の瀬に差し掛かっていた。
その日の午後、メイはお茶とお菓子の乗ったワゴンを押して来迎殿の裏庭園に向かっていた。
《おー、やっぱいい景色よねー》
彼女たちが滞在している白亜御殿はガルデニア城の中腹に位置していて、その裏庭園からはガルデニアの市街が一望の下にできる。だが……
《うほー……でもやっぱ高いのよねー》
庭園は高い崖の上で、手すりの先を覗くと絶壁の下に衛兵の詰め所の屋根が小さく見える。山側も切り立った崖になっているので、ここは完全に閉じられた領域なのだ。
《ま、おかげでのんびりできるんだけど……》
表にはそこかしこに衛兵が立っていて一挙一動を監視されているみたいで落ち着かないが、ここではこうしてのんびりできるのだ。
《さてと……で、みんなはどこでやってるんだろう?》
メイがキョロキョロしながら木陰の小径を抜けていくと……
「えーっ⁉」
そんな叫び声が聞こえてきた。
《あれ? この声はコーラさん?》
何を驚いているのだろうか? メイがその方に行ってみると……
「いや、別に担ごうとかそんなんじゃないから」
「でも……そんな……」
話している相手はアヴェラナだった。
《え? なに話してるんだろう?》
彼女が務めるのは大皇や大皇后の滞在する大観殿だが、そこの裏庭園とも地続きなので普通に来ることはできる。またこの間のようにメッセージを持ってくることもよくあるので、彼女がここにいて別段不思議ではないのだが……
《でもコーラさんに何の用なんだろう?》
そう思って近づいていくとその気配にアヴェラナが振り返った。そこで挨拶しようとしたのだが―――彼女はメイをじろりと睨む。
《え?》
それから振り返るとコーラに言った。
「あ、それじゃ考えといてね?」
「え? でも……」
だが彼女はそのままそそくさと引き上げてしまった。
《え? なんで睨まれたの?》
何か嫌われるようなことをしただろうか? そんな記憶はないのだが―――それよりも……
「アヴェラナさんとなに話してたの?」
コーラに尋ねると……
「…………あ? え?」
彼女は何か固まっていて初めてメイに気づいたという様子だ。
「あ、だからアヴェラナさんとなに話してたのかなって」
「あ……」
途端に顔がぽっと赤くなる。
《えっ⁉ なに?》
それから彼女は何やらもじもじし始めると……
「それが……マイウスさんが付き合って欲しいって……」
………………
…………
「えっ⁉ マイウスさんって、あの?」
「そうみたいなんですけど……」
マイウスといえばクアン・マリ・マイウス。都の魔道軍の若きエースの一人だ。今は大皇様の護衛のために大観殿に詰めているのだが……
「マイウスさんがコーラさんを?」
「そうみたいで……でも……」
「えーっ⁉ いいお話じゃないの!」
正直、ちょっとカッコいいんじゃないかって思ってたりもするわけだが……
「でも……私なんか……」
あー、確かに少々悩むのも仕方ないか。何しろ“クアン・マリ”というのは都の小公家。その辺の王家と同格の血筋だし、彼女はレイモンの武家の娘で普通ならあり得ない取り合わせではあるのだが……
「でも別に向こうがいいって言ってるんでしょ? だったら後はコーラさんの気持ちだけじゃないの?」
「ええっ⁉ でも……」
彼女がますますもじもじし始めるが―――この様子だと間違いなく脈有りだ。
「大丈夫よっ! 私たちみんな応援するから!」
「あ……はい……」
コーラが赤くなってうなずいた。それからメイがワゴンを押しているのを見て慌て出す。
「あ! メイ様にそんな! お手伝いしますっ!」
「あ、これは大丈夫だから、あ、それじゃ中でクリンちゃんの手助けしてくれる? もうみんな散らかしてばかりで」
「あ、分かりましたっ!」
コーラは来迎殿の中に駆けていった。
《あはっ! なんか初々しいなあ……》
こんな感じのカワイらしいエピソードって何だか新鮮なのだが……
《いきなり妊娠したり、いきなり夜伽したりとか、そんなんばっかだったし……》
そのうえメイ本人も気づいたら夜な夜な……
《いやいや! 幽霊を追い払ってもらってただけだからねっ⁉》
うむ。こうして大人になってくんだよねっ! そう。人としての宿命に逆らうわけにはいかないんだからっ!
などと少々錯乱しながらメイがワゴンを押していくと、その先からカコンカコンと木剣がぶつかりあう音が聞こえてきた。
《あ! こっちこっち!》
そちらに向かうと森がぽっかりと開けて、そこでアウラ、リモン、ガリーナ、サフィーナがロパスたちと立ち会い稽古を行っていた。
「みなさーん。一休みしませんかー」
彼女がそう声をかけると……
「あ、メイだ!」
アウラがにっこり笑って振り返る。
《あ、なんか懐かしいシチュエーション!》
ここ最近はなかなかこんな機会はなかったのだが、かつては練習している彼女たちにお茶菓子を持っていくのは彼女の日課のようなものだった。
「それじゃ一休みしようか」
「はい」
一同ががやがやとやってくる。
メイはお茶とお菓子を配りながら尋ねた。
「みんな調子はいかがですか?」
するとアウラが答える。
「うん。大丈夫じゃない? あ、ガリーナがまだちょっと固いかな?」
「それはそうですよ。いきなり試合なんて……」
ガリーナがちょっとむっとした様子で答えるが……
「大丈夫よ。いつも通りにできれば。でしょ?」
アウラが振るとロパスも答える。
「ガリーナ殿もずいぶん鍛錬を積んでこられたようですので」
「しかし……」
彼女が少々蒼くなっているのも致し方ないことだった。なぜなら来たる正月の宴で彼女たちはサルトスの剣士と親善試合を行うことになってしまったからだ。
《いやあ、こっちの剣士ってみんな強そうなのよね……》
サルトス王国はその御前試合が世界中に知られているように、強い剣士を輩出することで有名だった。そんな剣士たちと大皇や大皇后、イービス女王などの前で戦うのだ。少々緊張してしまうのは当然なのだが……
《でもどうしてこっちの三人は平気なんだろう……》
アウラが平気なのはまあ当然として、リモンやサフィーナもいつもと全然変わらない様子で―――まあ、これまで文字通りに命がけの実戦を繰り返してきたのだ。別に負けても大したことのない親善試合が気楽なのは何となく分かるのではあるが……
と、どうしてそんなことになってしまったかというと、それは数日前に遡る。
その日、メイとアウラ、ガリーナ、それにエルミーラ王女はイービス女王に呼ばれてガルデニア城の第一層にある大法廷に向かっていた。
「あの日の騒ぎについての裁判ですよね。それなのにどうして王女様まで呼ばれたんでしょう?」
「さあ……」
エルミーラ王女も首をひねっている。
あの日の騒ぎとはアウラ達がディーレクティアでやくざ者を叩きのめした件なのだが……
《要するに地元のチンピラが小銭をせびりに来てただけでしょ?》
その手の騒ぎなどどこにだってある話だ。確かに今ガルデニアでは多くの兵士がアイフィロス方面に展開しているため、こういう奴らが少々のさばっているらしいのだが……
《それに一々こんな大げさな裁判を開くのかなあ?》
今回の審理はイービス女王本人が行うという。そのため法廷も一番大きな大法廷だ。だが端から見ると女王がこんな些事に関わっている余裕などなさそうに見えるのだが……
そんなことを考えながら一行が法廷の控え室までやって来ると、アスリーナが彼らを迎えた。
「あ、どうもわざわざご足労をおかけしました」
「いえ。それは全然構わないのですが……もしかして彼女たちが何か不始末でも?」
エルミーラ王女がメイとアウラを見る。
それは真っ先に訊かれたことなのだが、あそこでそんなまずいことをしたとも思えないのだが―――放っておいたらあの夜番の人がどうなっていたか分からないし、別に誰も殺してしまったわけでもないし……
《まあ……半死半生だったのは確かだけど……》
よく生きてたなとは思うが、ともかく死んではないしっ!
「いえ、そういうわけではなくって」
アスリーナが首を振った。
「実はあいつら、前々から東町では評判の悪い奴らだったんで、まあこの際ちょっと懲らしめておこうということになって」
「あ? はい……」
それは構わないのだが―――メイ達に何ができるのだろうか?
「それで、これからメイさんたちにはちょっと証言をして頂きますが、それで、ほら、そこに引き出されている奴らなんですが……」
アスリーナが控え室の窓を指さした。メイ達が行って覗いてみると、そこから法廷内のチンピラたちが見えた。みんなまだ包帯でぐるぐる巻きだが……
「あ、あのときの奴らですね」
「うん。そうだね」
「間違いありませんが?」
メイとアウラ、それにガリーナがそう答えるとアスリーナがうなずいた。
「では呼ばれたら、そのように証言して頂ければ結構ですので」
「それは構いませんが……他には?」
アスリーナは首を振る。
「いえ、後はイービス様に任せておいて頂ければ」
「はい。分かりました」
まあそれだけなら大したことではないが……
《それならあたしたちだけでも十分だったんじゃ?》
どうしてエルミーラ王女まで呼ばれたのだろうか? 一行は腑に落ちない様子で窓から裁判を眺めた。
そこではそのチンピラたちの親玉と思われる男が何か抗弁していた。
「……ですので、それにつきましてはこちらに少しばかり管理の不行き届きがあったかもしれませんが、何分若くてやんちゃな連中ですし、ついかっとなって行き過ぎてしまうこともございまして……」
メイは王女と顔を見合わせた。
「何だか部下が勝手にやったで収めようとしてますねえ」
「そうねえ」
こういう奴らはまあ大抵そうやってトカゲの尻尾切りで、自分だけはのうのうとしているものなのだが……
《でも指示がばれたって、お店を少々揺すったくらいじゃ大した罪にはならないわよねえ……》
しかもあのチンピラたちは完全な返り討ちに遭っているし、良くて罰金程度なのでは?
そんなことを考えていると……
「そーですか~、それではちょっとこの方々に会ってみてくださいね~」
そんな女王の言葉と共に、メイ、アウラ、ガリーナの三人が法廷内に呼び出された。
法廷内の人々の視線が彼女たちに集まる。
メイの立場上このような場にはよく出入りしていたが、こんな風に注視されることはあまりなかったのでちょっと緊張してしまうが……
「えっと~、みなさん、この方々をご存じですよね~?」
イービス女王がメイ達を指さした。
チンピラたちがこちらを、特にアウラの姿を見て蒼くなる。
「へ、へい。あのときあっしらをボコボコにした一人で……」
続いて女王がメイ達に尋ねる。
「皆さんはこの方々をご存じですよね?」
「はい。ディーレクティアに押し入って乱暴狼藉を行ってた人たちですが」
メイがそう答えると、イービス女王がにこ~っと笑ってチンピラたちに尋ねた。
「あなた方~、この方々が誰かご存じですか~?」
チンピラたちは顔を見合わせる。
《あれ? あの後あたしたちの正体は話してたと思うけど……って、そのときはもうみんな這いつくばってたか?》
まあ覚えていなくとも不思議ではない。
「えっと~、皆様は“大皇后の女戦士たち”はご存じですよね~」
「え? へえ……」
「この方々はですね~、そちらの小柄で可憐な方が~、フォレス王国のエルミーラ王女様の~、というか暁の女王エルミーラ様って言った方が分かりますか~? その秘書官を努めてらっしゃいます~、メイ様なんです~。ベラトリキスのメイ秘書官って言った方がお分かりかもしれませんが~」
チンピラたちの目が丸くなった。もちろんその名はサルトスでも既に轟き渡っていた。
「そしてそちらの方が~、同様にエルミーラ様の護衛官のアウラ様で~、同じく~、疾風のアウラと言えばご存じですよね~」
チンピラたちの目がさらに丸くなる。
「その後ろの方も~、エルミーラ様の護衛官をなさっている~、ガリーナ様なんです~」
チンピラたちは茫然自失といった表情だが……
「それで~、みなさん自分のしたことがお分かりですか~? そんな方々を襲うというのがどのようなことなのか~?」
………………
…………
……
チンビラたちはまだ訳が分からないという様子で目を白黒させているが……
《あはははっ! これってもしかして……》
イービス女王の意図はどうやら……
「それって~、大皇后様~、ひいては大皇様に弓引くことなんですよ~。もしこの方々が~、怪我したり死んでたりしたら~、どうなってたと思いますか~? 」
チンピラたちの顔が青ざめていく。
「もう大皇后様は激怒なされたでしょうねえ~。アコールのレイモン軍も怒って攻めて来ちゃうかもしれないし~、そんなことになったらガルデニアは火の海だし~」
イービス女王がチンピラたちに微笑みかける。
「何よりもですね~。私の国で~、そんな方々が殺められたなどということになれば~、私の面目が丸つぶれなんですよ~」
チンピラたちはまさに真っ青になった。そこでイービス女王は彼らの親玉に向かって言った。
「それでですね~。バルガさ~ん。あなたの部下が~、そんなことを企てていたんですけど~、それをあなたは知らなかったんですか~?」
「へ?」
バルガは面食らった。それから慌てて……
「いや、知りません! 私は何も!」
だがイービス女王はじろっと彼を見つめる。
「そんなことを信じろと~? あなたの部下が~、あなたの知らないところで勝手に国家転覆を企んでいたと~、そうおっしゃるわけですか~?」
「んな、そんな大それた事できるわけないじゃないですか!」
「ですよね~。まあそれはそうだと思います~。私もあなたがそんなこと企てられたとは思ってませんが~」
バルガはちょっと安心したような表情になるが……
「じゃあ~、誰に頼まれたんですか~?」
「は?」
「こんなことを企むとしたら~、例えばアロザールとか~、シルヴェストとか~」
「んなっ……」
「そんな奴らが暗躍してるとなると~、ちょっと放置はできませんよね~?」
「いや、知りません! 私は関係ありませんっ!」
「あくまで知らないと言い張るのですか~?」
「だから知らない物は……」
「そうですか~。でも~、だからといってすぐに放免はできませんよ~」
「え?」
「実は~、今回の件をお聞きになって~、大皇様も大変ご懸念なさっておられて~、背後関係を調べるために真実審判師を派遣して下さいました~。なのでこれよりそちらでじっくりお話してもらうことになりますので~」
バルガは絶句する。
「もちろん~、嘘さえついてなければ罪を問うことはございませんので~。それでは~」
女王の合図で一行は連れて行かれてしまった。
メイ達は呆然とそのやりとりを聞いていたが、アスリーナが言った。
「あー、というわけでみなさん、ありがとうございましたーっ!」
「いえー、私どもは何もしてませんがー」
「正直、困ってたんですが……あ、こんな所で立ち話も何ですから、控え室に戻りましょう」
「あ、はい……」
一行が戻るとそこにはお茶の支度ができていた。
「さあ、どうぞどうぞ。イービス様もすぐいらっしゃいますから」
「あ、はい……」
一同が席に着くとすぐにイービス女王も現れた。
「あ~、今日は本当にありがとうございます~」
「いえいえ、こんなことでしたらいくらでも」
メイが答えたところで、エルミーラ王女が尋ねた。
「それにしても、あの者達は何をしでかしたのですか?」
それを聞いたイービス女王とアスリーナが顔を見合わせる。それからアスリーナが話し出した。
「実はですねえ、本当に困ってたんですよ。あいつは今、東区の案内人の元締めをしてる奴なんですが、大変評判の悪い奴で、地元からも苦情が絶えなかったんですが……」
「あー、ディーレクティアの姐御さんとかも言ってましたねえ」
「そうなんですよ。ところが結構悪賢い奴で、本人は手は下さずに、あんな風に手下が勝手に暴れたとかで逃げられちゃうんですよ」
「あー、悪い奴ほどそうですよねー」
「本当ならもっとじっくり捜査してやりたい所なんですが、何分ここ最近人手が足りなくって……でまあ、今回の騒ぎを利用させてもらったわけですが」
「あーっ! ということは、これにかこつけて何か別件を?」
「まあほら、真実審判してたら関係ないことまでついバレちゃうってのはよくあるでしょ?」
「あははは、それはそうですけど……」
ははは。そんな風にアロザールの捕虜をよく脅してたっけっ
「でも……あの者達がそれほどのことをしていると?」
エルミーラ王女がちょっと心配そうに尋ねる。
《あ、そうよねー……》
真実審判とはいわば最後の手段みたいな物で、フォレスでも特別な事件以外にはあまり行われなかったのだが……
と、そこでイービス女王が言った。
「ウェストンさんを殺したのは間違いなくあいつですから~」
「え?」
続きをアスリーナが補足する。
「ああ、バルガが元締めになる前は、ウェストンって方が元締めで、その方は立派な方で……ちょっと強面でしたけど、結構お世話になってたりして」
「あ? じゃあ町歩きのときに?」
「はい。何度お世話になったことか」
確かに分からないときには案内人に聞くのが一番いいに決まっている。
「そんな方が急死してしまって、その前日まではピンピンしてたっていうのに。それで後釜に入ったのがバルガで、あいつが毒を盛ったらしいのは明らかなんですが、そのときも実行したと思われる娘が死体で見つかったりして……」
「うわあ……」
「結局、決定的な証拠はなくって……その他にもいろいろときな臭い噂が絶えない奴なんですよ」
「そうだったんですか」
「ということで~、アウラ様があいつらをぶちのめしてくれて~、大変助かりました~」
イービス女王そう言って小さく頭を下げると、アウラがにこやかに答える。
「あ、うん。他にもいるのならやっつけてもいいけど」
「えっ?」
女王の目が丸くなるが―――慌てた様子でアスリーナがたしなめる。
「ちょっと! イービス様! やめてくださいね。仮にもお客様なんですよっ!」
「う~ん……」
何やら残念な表情だが……
《いや、そんなこと頼まれたらアウラ様なら絶対にやっちゃうから! 血の雨が降っちゃうからっ!》
と、メイが安堵していると―――イービス女王が居住まいを正す。
「あ~、そうそう~。それで本題なんですが~」
「えっ?」
本題? 今までのは前振り⁉
一同が顔を見合わせていると、またアスリーナが説明する。
「実はこれに先立ちまして、ディーレクティアの皆さんにもいろいろお話を聞いてたんですけど……」
「はい」
「そこで何ですか? ディアリオ君とアウラ様が決闘しようとしてたとか?」
………………
…………
エルミーラ王女が驚いた。
「え? そんな話があったの?」
メイが慌てて答える。
「いや、些細なことだと思ったんで王女様にはお話してませんでしたが……ちょっと言い合いになってただけだし……」
「まあ……」
それを聞いたアスリーナが言った。
「あ、じゃあやっぱり本当だったんですね? いや、遊女の方々がアウラ様に勝ったら結婚できるから、ディアリオ君が決闘を申し込んだとか言ってまして。ディアリオ君は否定してましたが」
「いや、そういうのではなかったんじゃないかと……」
確か、あのときはどっちかというとアウラの方からケンカを売ってたような気がするが……
「まあその経緯はともかく、ほら、ハビタルでも立ち会いしようって言っててお流れになっちゃったじゃないですか? それでこの際だから正式な親善試合をどうかなというお話なんですが……」
「あ!」
そうそう。メイが最初に死にかかったあのエストラテ川の川遊びのときに何かそんな話になっていた気がするが……
そこでまたイービス女王が尋ねる。
「で~、ディアリオの方は構わないって言ってるんですが~、そちらのご意向はいかがでしょうか~?」
「ん? あたしは構わないけど?」
アウラがあっさりと答える。
「まあ、アウラが良いと言うなら、こちらは構いませんが?」
エルミーラ王女も同様にあっさりと答えると、イービス女王がにっこりと笑った。
「そうですか~。あ、それでですね~、エルミーラ様のところには~、薙刀使いの方が他に三名いらっしゃいますよね~」
「あ、はい」
「それで~、試合を組んでも一試合だとちょっと間が持たないんで~、この際なんですが~、四対四の団体戦なんていかがかな~って思うんですけど~……どうでしょう?」
………………
…………
……
「んえっ⁉」
ガリーナのおかしな叫びが響き渡る。
「えっと……私が出るんですか?」
彼女は顔面蒼白だ。
「なに? 相手ってみんなディアリオみたいなの?」
アウラの問いにイービス女王が首を振る。
「い~え~。そういう剣士は今はちょっと出払ってまして~、いまお城にいる衛兵から強そうな人を見繕うことになりますが~」
「あー、じゃあ大丈夫なんじゃない?」
アウラがあっさり答えるが……
「えっ⁉」
「リモンもサフィーナもいい練習になると思うし」
「えええっ⁉」
「で、試合っていつ?」
アウラが尋ねると……
「あ~、お正月の宴の余興にどうかって思ってるんですが~」
「わりともうすぐだけど……うん。いいけど?」
「よろしいですか~?」
イービス女王がエルミーラ王女に確認するが……
「アウラがそう言うのなら大丈夫だと思いますわ」
王女もあっさりと首肯する。
「ありがとうございます~。でしたらそのように手はず致しますので~」
「ちょっと! アウラ様! エルミーラ様!」
ガリーナ一人だけが顔面蒼白だが―――何やらそんな勢いで四対四の親善試合が決定してしまったのだった。
―――ちなみに例のバルガ一味だが、真実審判の結果、国家転覆の容疑は晴れたものの、それ以外の余罪がボロボロと出てきてやっぱり親分は斬首で子分は辺境送りになったという。
というわけで、親善試合の日がやってきた。
《うわー……すごい人出……》
メイが今いるのはガルデニア城の第一層にある剣技場だ。全体が楕円形で中央には角の丸い長方形の試合場があり、周囲にはすり鉢状に観客席が設けられている。
客席正面の最も観覧に適した場所に貴賓席があって、そこにカロンデュール大皇とメルファラ大皇后、イービス女王やアスリーナにエルミーラ王女、さらにはティア様やヴェーヌスベルグ娘たちが勢揃いしているが―――メイはその真ん中で小さくなっていた。
客席はほぼ人で埋まっている。だがそれでもアスリーナ曰く『見物人は少ないからのびのび戦えますよ!』なのだそうで……
というのも、有名なサルトス御前試合が行われるのは北区の一万人は収容できる専用のアリーナで、それこそ世界中から見物客が集まってくる大イベントなのだ。
今回は急遽決まった親善試合なので場所はこの城内の剣技場で、観客も城の関係者のみに制限されていた。ただし……
「アウラお姉様、大丈夫かしら……」
「大丈夫に決まってるじゃないの」
「でも相手のディアリオ様もお強いんでしょ? それに結構いい男だし」
「どちらを応援したらいいのかしら……」
下の方からずっとそんな会話が聞こえてくるが―――もちろん彼女たちはディーレクティアの遊女たちだ。この親善試合のきっかけとなった彼女たちは、アウラやカロンデュール大皇の口添えもあってこうして招かれていたのだ。
というのは―――と、ゴォォォォンと銅鑼の音が鳴り響き、一同の目が試合場に向けられる。そこに三人の遊女が楽器を携えて現れた。その後ろからすらりとした麗しい女性が二本の剣を携えてやってくる。
あたりから低いどよめきがあがった。
《うわあ……やっぱロッタさんってカッコいいなあ……》
そう。最初はアウラがタンディたちも呼びたいと言い出したのだが、城の関係者だけなのでと立ち消えになりかかったところに、大皇が彼女の舞を再度見てみたいと言ったのだ。その効果はてきめんで、それでは前座にロッタの剣舞を、ついでに他の遊女たちの招待もOKということになってしまったのである。
音曲が鳴り響き、ロッタが舞い始めた。
《うわあ……やっぱすごいなあ……》
こんな観衆の前でもまったく物怖じせず、堂々としたものだ。
物怖じと言えば……
《ガリーナさん、大丈夫かなあ……》
今回の試合は彼女が一番テンパっていたが―――そうなるのはむしろ当然で、親善試合なので勝敗は関係ないとはいっても、形式上はどう見てもフォレスとサルトスの対抗戦だ。しかもサルトス剣士の強さは世界に轟き渡っている。
『いつも通りやれば大丈夫よ』
とアウラは涼しい顔だが……
《というか、リモンさんも最初は青ざめてたのに……》
だがそんな彼女にエルミーラ王女が『この次は優勝して三国一強くなるって言ってたわよねえ?』と言ったら『もちろんです!』と答えて普段通りになるし……
《サフィーナはどうして変わらないのかしら?》
彼女の場合は状況があまりよく分かっていないからだと思うが―――ともかくみんな普段から練習はものすごくやってるしロパスたちとも特訓していたから、まあそんな残念な結果にはならないとは思うのだが……
《初見で薙刀の太刀筋に対応するのは相当の上手でも難しいって、ロパスさんたちも言ってたもんね……》
彼らはフォレスではトップクラスの剣士揃いだが、最初の頃は今に比べてまだ全然未熟だったリモンにも手こずっていたのだ。
《リモンさん、あれからめっちゃ強くなってるし……》
そんなことを考えているとあたりが割れんばかりの拍手で包まれた。ロッタの舞が終わったのだ。
《うわあ、とうとう本番か……》
何やらメイの方が少々緊張してきてしまうが―――と、そこに舞い終わったロッタが上がってきて大皇と大皇后に向かって挨拶をした。
「今日はお招きありがとうございました」
「ああ」
彼がうなずくと、メルファラ大皇后が声を掛ける。
「今日も素晴らしかったですね?」
「お褒め頂いて恐縮でございます」
ロッタは深々とお辞儀をすると、続いてイービス女王とエルミーラ王女に挨拶する。
「皆様方もよろしくお願い致します」
「はい~」
「はい」
二人はにっこりとうなずいた。
それから彼女はメイにも頭を下げた。
「メイ様も、どうかよろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ」
それからロッタが少々緊張気味にメイの横に座る。
《うわ、やっぱ身長差が……》
どうせ大人と子供ってみんな思ってるだろっ! などと勝手にやさぐれつつチラリとその横顔を見ると、その表情はかなり強ばっている。
《あ、まあこれは仕方ないわよねえ……》
何しろ四方を大皇やら大皇后やら国王やら宮廷魔導師やら異国の王女やら謎の女王様などに取り囲まれているのだ。緊張するのがむしろ当たり前で―――と、どうしてそんなことになっていたかというと、それは彼女とメイがこの試合の解説役になっていたからだ。
ロッタは本人が有段者で剣術についての造詣が深い上、サルトスの個々の剣士に関しても非常に詳しかった。しかもカロンデュール大皇とは既に親しい間柄というわけで、解説役にはうってつけだったのだ。
だが彼女でも薙刀術に関しては詳しくない。そこでこちらからも解説役を出す必要があったわけだが……
《ガリーナさんがいたら一番良かったんだけどなあ……》
だが彼女は試合でそれどころではない。そこでメイにざっくりと白羽の矢が突き刺さってしまったのである。
確かに彼女はアウラ、リモン、ガリーナ、サフィーナ全員と仲が良く、練習や実戦もずっと目の当たりにしてきた。ガリーナからは薙刀術の理論に関する説明を受けたこともある。なので適任なのは確かなのだが……
《うーん……でもいいのかなあ?》
メイに剣が使えるわけではなく、正直聞きかじりの知識でしかないのだが―――そんなことを考えているとエルミーラ王女がロッタに尋ねた。
「今日出てくるサルトスの剣士は、どんな方々なのですか?」
今回の試合はフォレスとサルトス四対四の団体戦だが、勝ち抜き戦ではないので各自決められた相手と対戦することになる。
先鋒のサフィーナと対戦するのがドラートという剣士で、次鋒のガリーナの相手がザイル、副将のリモンがジャルダン、そして大将のアウラの相手が当然ディアリオだ。
「あ、はい。ディアリオ様についてはご存じと伺っておりますが、残りもみなネブラ道場から選ばれた剣士でございます」
「ネブラ道場ってサルトスで一番の道場なんですよね?」
メイが尋ねるとロッタがうなずいた。
「はい。道場の対抗戦では長らく首位を明け渡したことがございません。しかし現在、トップ級の剣士の多くが前線に行っておりまして、今回出場するディアリオ様以外の三人は道場では中堅といったところでしょうか」
「中堅といってもお強いんですよね?」
メイの問いにロッタは小さくうなずいた。
「それはまあ、並のところに比べれば自信はございますが……」
「あ、ロッタさんもネブラ道場なんですよね?」
「あはは、まあお情けで在籍させて頂いております」
「でも三段なんでしょ?」
ロッタは微笑んだ。
「うふっ。まあ私を相手にするとつい油断する者もおりますれば」
それは確かに男なら誰だって彼女相手に平常心を保つのは難しそうだが―――でもそれだけで勝てるほど甘い世界ではないと思うし。この表情を見ても絶対に謙遜してるって思うんだけど……
話が一段落したところで、メイはまたあたりの観客を見渡した。
《それにしても多いなあ……でもやっぱり兵隊さんがメインかしら?》
兵士が剣術の試合に興味がないはずがない。しかも今回はベラトリキスというまさに滅多に見られぬ特別な相手で、なおかつスペシャルなゲストまで来るとなれば―――そんなことを考えていると、客席の反対側に嫌な姿を見つけてしまった。
「うげっ!」
思わず声が漏れてしまうが……
「どうされました?」
横のロッタが不思議そうに尋ねる。
「あ、いや、あそこにヴォルフ様がいるんで」
彼女がメイの指す方を見ると……
「あっ」
と、彼女も驚いて小さな声を上げた。
「あは。ロッタさんも聞いてますか?」
「え? 何をですか?」
「ヴォルフ様があの後アムルーズから遊女を呼んだ話なんですが……」
ロッタはぽかんとした。
「そうなのですか?」
あれ?
「えっと、それで驚いたんじゃなくって?」
「あ、いえ、ちょっとラダル兄弟の姿が見えたもので」
「ラダル兄弟?」
「道場の先輩なんですが、二人とも才能はピカイチなのに素行が悪くて破門になった人たちで……」
「ピカイチですか?」
「はい。ちゃんとしてれば御前試合に出場だってできたくらいの」
それって凄く強いのでは?
「へえ……破門なんていったい何やらかしたんです?」
「年端もいかない少女に乱暴したのですが……」
うげっ! それは嫌な奴らだな―――思わずメイもそいつらの方を見る。
ヴォルフ様とその取り巻きの後ろにいるガタイのいい奴らだろうか? いやまあ、どうでもいいが……
そんなことを話しているとゴォォォォン! と銅鑼が鳴った。
《うおっ! とうとう開始か!》
それとともに観客が静まると……
「それではこれよりフォレス王国とサルトス王国の親善剣術試合を開催いたします」
審判の声と共に両国の選手が現れて大皇一同の前に整列した。
周囲からおおおっとどよめきがあがる。
《うわあ、やっぱりみんな大きいなあ……》
こうして並んでみるとよく分かるが、アウラたちに比べてサルトスの剣士はみんな一回りも二回りも立派な体格をしている。
「一同! 礼!」
その号令に合わせて選手たちが礼をすると、あたりから拍手が沸き起こる。
それから女王陛下の式辞などがしばらく続いた後に……
「赤! フォレス親衛隊、サフィーナ殿! 白! ネブラ道場、ドラート殿!」
―――という声が響き渡り、第一試合が始まった。
剣技場の右の扉からサフィーナ、左の扉からドラートが現れる。観客から低いどよめきがあがるが、その間から……
「「きゃあああ! ドラート様ぁぁぁ!」」
そんな黄色い声が沸き上がる。もちろんディーレクティアの遊女たちだ。そんな彼女たちにドラートが笑顔で手を振った。
「彼はモテるんですか?」
メイがロッタに尋ねると……
「まあ、ネブラ道場の剣士は大体がうちのお得意なので」
「あは。そうですか。そりゃそうですよね」
彼女がプリマをやってる郭なのだ。考えてみたら当然だった―――と……
「サフィーナァァァ!」
後方から大きな声が響き渡る。マジャーラだ。
それを聞いたサフィーナがこちらを向いて手を振る。メイも小さく手を振り返すと、彼女がにっこり笑うのが見えた。本当ならば全力で応えてやりたかったのだが、解説者という立場上自重しなければならないのだ。
次いで二人は試合場の開始線まで来て、互いに礼をする。
《うわっ、こうやって見ると、本当に小っちゃいなあ……》
サフィーナの体格はメイよりちょっと大きいだけで、ドラートと比べたらまさに大人と子供なのだが……
「まあ……」
横のロッタも驚いている様子だ。
《うふふっ! でも見かけだけで判断しちゃダメなんだからね?》
あたりを見回すと、イービス女王やカロンデュール大皇などは何やら不安そうだが、エルミーラ王女やメルファラ大皇后、それにヴェーヌスベルグの連中は余裕の表情だ。
メイも彼女の戦いっぷりを見ていなければ、心臓がどうにかなりかかっていたところだろうが……
「えっと……制限時間は五分だったんですよね?」
メルファラ大皇后がロッタに尋ねた。
「はい。五分の三本勝負で、決着がつかなければ延長五分の一本勝負になります」
「一本とは足を払っても良いのですよね?」
ロッタはうなずいた。
「もちろんです。サルトス剣術での一本とは『真剣ならば戦闘不能となるような打突』とされております。なので当然足を斬られても一本になります」
「そうですか。都ではそうではなかったので」
「このサルトスでは問題ございません」
メルファラが満足そうにうなずいた。
《あは。ファラ様も心配してくださってるんですね?》
なにしろ彼女たちはもうみんな家族のようなものなのだ。
そんなことを考えていると、審判が手を上げた。
「始めっ!」
その声と共に両者が中段に構える。
ドラートはぴたりと静止している。一方、サフィーナはちょっとかがむと、そろーりといった様子で横に回り込み始めた。
それからちょっと止まると、たたっと逆に回る。
剣士がそんな変わった動きに合わせて向きを変えようとした瞬間―――サフィーナがいきなり身を沈め、一気に突入して足を払った。
ドラートが慌てて飛び下がる。
《入った⁉》
おおっとどよめきが上がるが―――審判はピクリとしたが旗は上がらない。
試合には審判が二人いて、共に旗を上げれば一本となるのだが……
「すごい踏み込みでしたね……」
ロッタが少し驚いた声だ。
「今の、もしかしてちょっとかすってませんでしたか?」
彼女がうなずく。
「そのようですね。これはドラート殿も油断はできませんね」
それから再び二人は対峙するが、サフィーナがまた同じように不規則に回り込み始めて、再度一気に突入するも―――今度は完全にかわされてしまった。
「あー、やっぱさすがに同じ手は食いませんよねえ」
「そうですね」
ロッタがさも当然といった様子でうなずく。
それから何度かそんな攻防が繰り返されるが……
「ドラートさんは攻めてきませんね」
「出方を見ているのでしょう。見慣れない相手の場合は、まずは相手がどのように攻めてくるかを見極める必要がありますから……そろそろ行くんじゃありませんか?」
再びサフィーナが回り込み身を沈めて出ようとした瞬間だ。ドラートがそれに合わせて動いた。剣を下ろして足払いに来るサフィーナの薙刀を制して、そこから踏み込もうとしたのだが―――なぜか彼の剣はは空を切って……
「イヤァァァ!」
ゴスッ!
鈍い音が響き渡った。
「あっ!」
サフィーナの叫び声がする。会場が静まりかえり……
「い、一本!」
二人の審判が赤の旗を上げた。
ドラートが頭を押さえてうずくまっている。
そう。足狙いと見せかけて一気に振りかぶっての面が見事に決まったのだ。
「ごめんな。痛かったか?」
慌ててサフィーナが声をかけるがドラートはうつむいて答えない。どうやら本気で痛かったようだ。
彼女は今度は審判に尋ねる。
「これ、止めるの難しくって……あの、叩いたら反則なんじゃ?」
だが審判は首を振った。
「いや、故意でなければ反則ではないので」
「そっか。ども。あ、マジごめんな?」
「あ、ああ……」
ドラートが気を取り直すように首を振っているが……
《あははははっ! あれじゃ必殺技は無理よねえ……》
彼女には“必死剣ねこのつめ”という必殺技があるのだが、寸止めルールのこの試合では使いようがないのであった。
そんな光景を見ながらロッタが驚いた声でつぶやいた。
「あれが届くのですか?」
それにメイが答える。
「あ、あれは繰り出し面ですね。薙刀の場合、持ち手を後ろにずらすことでリーチを伸ばせるんですよ。でもいつもそう持っていたら取り回しにくいんで、最後の瞬間にだけすっと伸ばすんです」
その説明に彼女は納得したようにうなずいた。
「なるほど……」
そして会場横の大きな対戦表に、サフィーナに◯、ドラートに✕がつけられる。
それから二本目が始まるが……
《あはは。明らかに血が上ってるな? あれは……》
フォレスの親衛隊の稽古でもよく見た光景だが、一見小娘にしか見えない相手に見事に決められると、男とはどうしても平常心ではいられなくなるようだ。
ドラートはむきになってサフィーナに迫ろうとするが、また彼女が面を打つ素振りを見せたので構えが上がった瞬間、今度は足を払われてしまった。
「一本!」
また赤旗が二本上がる。
「あ、今度はちゃんと止められましたね」
まだリモンが寸止めが下手だった頃、それでびっこを引いていた新人をよく見かけたものだが……
「勝者。サフィーナ殿!」
会場は一瞬静まりかえり―――それから割れるような拍手が沸き上がった。
それを聞いたサフィーナがびくっと驚いた様子であたりを見回す。
《あはは。こんなのには慣れてないもんなあ……》
大勢に囲まれるということはベラトリキスの一員としてはよくあったが、彼女個人がこうして囲まれたのは初めてなのではないか?
「あの体で……あんな上下の揺さぶりがあるんですね」
ロッタが感心したようにつぶやいている。
「まあ、これがみんなが使ってる薙刀の特性なので」
「そうなんですね……」
彼女の目が何やら真剣になっている。
二人が下がっていくと、再びゴォォォォンと銅鑼の音が鳴る。
「赤! フォレス親衛隊、ガリーナ殿! 白! ネブラ道場、ザイル殿!」
今度はこの二人の戦いだ。
「「ザイル様~~~っ!」」
再び遊女たちの声が響くが、ザイルはちらっとそちらを見ただけでまた正面を向いてしまった。
《あは。さすがにあまり油断できないって思ってるんでしょうね》
目の前でサフィーナが文句のつけようのない二本勝ちを収めたのだ。少なくともこの相手が侮れないということは分かったに違いない。
「ガリーナさーん!」
前の方から別の娘の声が聞こえる。コルネだ。
ガリーナの場合一番無名なので応援者が少ない。同様にメイが応援できないので、コルネに任せていたのだ。
それを聞いたガリーナがニコッと笑ってこちらに手を振る。
《ガリーナさん、結構落ち着いてるみたいですね》
と思った瞬間だ。
「ガリーナ様ぁぁぁ! 頑張って下さいねっ!」
遊女の間からそんな声が上がるが―――その方を見た途端にガリーナの顔が強ばった。
《え? あれは……ルーチェお母さん……》
確かあの翌日は一日中ヘロヘロだった気がするが―――だが彼女はすぐに気を取り直した様子で、キリッと前を向く。
《あはは、大丈夫……よね?》
彼女はベラの薙刀の全国大会で準優勝の経験がある。本番に強いのは間違いない。
しかしそれに対するザイルという剣士も相当に強そうだが……
「始めっ!」
二人が互いに剣と薙刀を構えて相対した。
ガリーナの構えはいつでも背筋がピンと伸びてとても綺麗だ。
「ガリーナさんはみんなの中では一番正統派なんですよね」
「正統派ですか?」
「さっきのサフィーナとかに比べたら」
「あ……」
ロッタが口ごもる。多分変な動きだなと思っていたのだろうが……
「ガリーナさん、ベラでは小さい頃から薙刀をやってたそうなんです。それは長い薙刀だったんですが、故あってアウラ様に入門することになって」
「そうなんですか」
しばらくは二人はそうやって睨み合っていたが、やがてガリーナがじりっじりっと間合いを詰め始める―――と、そこで彼女が一気に飛び込んで頭の上で薙刀がぐるっと回ると……
「キエェェェイ!」
そんなかけ声と共に左からの袈裟懸けの一撃が襲いかかる。
ザイルが慌てて避けるが切っ先が彼の右腕をかすった。
「ダァァァァッ!」
ガリーナはそこから突き、今度は足と狙うが、それもギリギリでかわされてしまった。
二人が一旦間合いを取るが―――ロッタが目を丸くしている。
「全部かすってますね……あれ、結構痛いんですよ」
それはザイル本人が一番よく分かっていた。彼の目の色が変わる。
「いや、でもザイルさんも凄いですよ。普通初めてだとあれは食らっちゃう物なんですが」
そうやって新人が瞬殺される姿は何度となく目にしていたのだが、さすがにサルトスの剣士だ。
二人が再び対峙すると、今度はザイルの方がじりじりと間合いを詰め始めた。
「ですよ。行かないと……」
ロッタがつぶやく。
《あはは。やっぱり内心では絶対サルトスの味方ですよね?》
やがて剣と薙刀の切っ先が触れあうほどの距離になった瞬間、ザイルがくるっと剣先を回して薙刀の裏を取ると一気に小手を打った―――のだが……
「イヤァァァァ!」
再び赤の旗が二本上がった。
「えっ⁉」
ロッタが驚いたように身を乗り出すが―――ガリーナの薙刀の刃先がしっかりとザイルの右手首を捕らえているの対して、彼の剣はギリギリ届いていない。
会場はまた一瞬静まって、それからおおっとどよめいた。
「あ、これ、ガリーナさんの得意技なんですが、相手の小手に合わせて先に打っちゃうんです。多分剣で同じことしたら相打ちになると思うんですが」
「ですよね……いや、それって……」
ロッタの顔が少し蒼い。
それ以上に対戦相手のザイルが動揺しているようだ。
「えっと、相打ちの場合はどうなるのですか?」
そこにまたメルファラ大皇后が尋ねた。
「あ、はい。その場合は五分なので勝敗には関係しませんが、両者に共に✕がつけられることになります」
「え? 勝敗には関係しないのに?」
ロッタはうなずく。
「あ、はい。今回のような試合では。しかし例えば勝ち抜き戦一本勝負のような場合は、✕とは要するにそこで死んだということなので勝ち抜けはできません。すると強い相手を身を呈して止めるというような形になるのです」
「あ、ここは俺に任せて先に行けーっ! みたいな感じですね?」
「はい。しかしザイル殿は間違いなく、悪くとも相打ちのつもりで行ったと思うのですが……」
「あー……相打ち狙いに行ってできなかったら、ただの……」
ロッタが真剣な表情で答える。
「そうです。犬死にです」
ということは……
《けっこう相手の人の精神的ダメージ、あるってことなんだ?》
試合場では再び二人が対峙しているが、ザイルの方が明らかに肩で息をしている。
そしてまたガリーナがじりじりを間を詰めて、一気に攻め込んでいく。ザイルは何とかその攻めを捌こうと頑張っているようだが、踏み込むタイミングを伺っているうちに時間切れになってしまった。
「勝者。ガリーナ殿!」
今度は即座に周囲から歓声が上がる。
「見事ですね……」
ロッタの声が少々震えているように思うのだが……
「まあ~、これってどういうことなの~⁉」
イービス女王の声がした。
「あー、崖っぷちですねー……」
隣のアスリーナも首をかしげているが……
《あー、でも残りはリモンさんとアウラ様だしなー……》
こういう場合なんと言えばいいのだろう?
続けての試合は……
「赤! フォレス親衛隊、リモン殿! 白! ネブラ道場、ジャルダン殿!」
再び遊女たちの黄色い声が響くが、ジャルダンはもうちらりとも見ない。
《あははは。結構緊張してきてるかな?》
これを団体戦として見ればもう勝ちはなく、引き分けるためにも残り二連勝しなければならない。彼にとっては全く後がない状況なのだ。
「リモンさーん! やっちゃえーっ!」
「リモンさん! 大丈夫ですよ!」
後ろからマジャーラとハフラの声が聞こえる。二人ともヒバリ組でずっと戦ってきた戦友だ。
《あは。もう全然心配してないみたいね》
でも油断は禁物なのだが―――果たしてリモンはその声に小さく会釈するといつものキリリとした表情に戻る。
《うん。全くいつも通りみたいだな……ということは……》
対してジャルダンの動きにはメイの目にも硬さが感じられるのだが……
「ああ……ちょっと力を抜かないと……」
ロッタが心配そうにつぶやく。
「始めっ!」
開始の声と共に二人が相対するが―――いきなりリモンがつつつつっと間を詰めていく。
「え?」
ロッタがそうつぶやいた瞬間だ。
「キェェェェェェッ!」
彼女が一気に踏み込んで手練の持ち替え左袈裟をたたき込むと……
「一本!」
赤旗が二本上がった。
まさに一瞬の出来事だった。
会場は静まりかえり、やがて大きなどよめきで包まれた。
「あれは……さっきの……」
「あー、はい。あれはリモンさんのもう必殺技みたいなもので。アロザールと戦ってたときもあれでずいぶんやっつけてたんですよ?」
「そうなんですか……」
ロッタがすこし青ざめている。
《いや、同じ技でも迫力が違うのよね……》
ガリーナも先ほど同じ左袈裟を使っていたが、彼女の技は何というか優雅なのに対して、リモンの技はまさに鬼気迫っているのだ。相手は先に気迫で斬られていた、とでも言うべきだろうか?
試合は二本目が始まるが、ジャルダンは二本取り返さないと先が無い。だが……
「キェェェェェェッ!」
リモンが再び左袈裟で斬り込んでいく。それをジャルダンはギリギリでかわす。
だが、そこからリモンが畳みかける。続いて鋭い突きの連続から持ち替えての薙ぎ上げ、また持ち替えての反対側の胴、といったようにリモンの刃が次々に、文字通りに襲いかかっていく。
ジャルダンはそれを避けているうちに試合場のラインギリギリまで追い詰められてしまった。
「ああっ!」
ロッタが悲鳴のような声を上げるが、ジャルダンはそこですっと回り込んで一挙に下がって間を取った。
「はあ……」
ロッタが安心したようにため息をつくが……
「うわあ、ジャルダンさん、よくあれを凌ぎましたね。大抵あのまま場外になっちゃうのに」
「ですね……」
彼女はさもほっとした様子だが―――と、そこでまたメルファラ大皇后が尋ねた。
「場外でも一本なのですか?」
ロッタが慌てて振り返る。
「あ、はい。試合場から出てしまった場合も無条件で一本でございます」
「そうなのですか? やり直しではなくて?」
「はい。試合場の外は絶壁になっていると思え、と教えられております」
「そうなのですね」
実戦では足場の悪いところに追いやられたら負けのようなものなので、自分が今どこに立っているかということは常に留意して戦わなければならないためだ。
「しかし……もの凄い連続技でしたね……しかもジャルダン殿の間合いのギリギリ外から……あれでは……」
ロッタの声が震えている。
「ああ、リモンさんは細かい技はあまり得意じゃない方なんで、ともかくああやって圧倒するスタイルなんです。なんで“暴風のリモン”なんて呼ばれてしまって」
「まさに……」
場外が一本になるのはフォレスでも同じで、それは薙刀組にとっては結構有利に働くのだ。
リモンの一撃一撃はフェイントなどではなく、どれもが入れば“必死”だ。相手はそれをかいくぐっていかないと勝ち目はないが、ちょっとでも弱気になるとこうして押し込まれてしまうのだ。
ただし―――両者が再び対峙しているが、共に肩で息をしている。
《あれって見てるだけで疲れるのよねえ……》
アウラがあれに勝ちたければ逃げ回って相手がへたばるのを待てと言っていたが……
しかし相手もサルトスの剣士。逃げ回るのは性に合わなかったようだ。
今度はジャルダンの方から間を詰めていくが―――だがまた先に動いたのはリモンだ。
「キェェェェェェッ!」
彼女の左袈裟がまた襲いかかるが、今度は彼はそれをかわした。しかしリモンの攻撃は止まらない。彼女がまた一気呵成に攻め込んでいくが―――彼女が再度持ち替えて右からの袈裟懸けをたたき込んだ瞬間だ。ジャルダンはそれを受け止めて一気に踏み込もうとしたのだが……
「あっ!」
ロッタが叫ぶ。
彼の受け太刀がなぜか空振りして、リモンの薙刀の切っ先が彼の喉元に突きつけられていたのだ。
「一本!」
場内が静まりかえる。
「勝者! リモン殿!」
審判の声が響き渡って、それからしばらくしてから怒濤のような拍手がわき上がった。
「あれは……?」
「ああ、右の袈裟のときはよくやるんですけど、相手が受けようとしたところを繰り込んで……」
「繰り込むというと、手前に引っ込めるのですか?」
「あ、はい。そうやって空振りさせてそれから突きと」
「なるほど……」
ロッタが感嘆したように目を閉じる。
それにしても……
「凄い拍手ですねえ」
観客の拍手がまだ続いている。
「それはもちろん。あんな素晴らしい技を見せて頂ければ」
「そうなんですか」
何かこう、下手したらブーイングとかが起こるんじゃないかと心配していたのだが―――サルトスの観衆は目が肥えているのであろう。
そして……
「赤! フォレス親衛隊、アウラ殿! 白! ネブラ道場、ディアリオ殿!」
ついにこのときが来てしまったが、その途端に……
「「きゃああああ! アウラお姉様ぁぁぁ!」」
「「ディアリオ様ーっ! がんばってーっ!」
遊女たちの間からもアウラの応援が聞こえるが、もちろんタンディとアミエラだろう。
アウラとディアリオがその声をの方を向いて、二人とも笑顔で手を振る。
「「「「きゃあああああっ!」」」
遊女たちはもう気絶しそうな様子だが―――アウラがあたりをぐるぐる見回してまたニコッと笑うと観客席の左の方に小さく手を振った。
そこにはフィンとパルティシオンの姿があった。
《あはは。そりゃそうですよね?》
彼らが見守っていないわけがない。
それにしても……
《二人とも余裕よね……》
先ほどまでのサルトスの剣士は、特に三人目の人は相当にガチガチだった様子だが、今出てきている二人はもうまったくの自然体だ。
まあ、アウラの方は納得いくのだが……
「ディアリオさんって御前試合の準決勝まで行かれたんですよね?」
「はい。あれは……もう七年前ですか。準決勝まで行かれて、そこでデューシスに負けたんですが、その年の優勝が彼でしたね」
「へえ……それじゃ敗者復活戦があれば二位だったかも?」
ロッタは首を振る。
「いえ、剣術の敗者とは死んでおりますれば復活というのはありませんので」
「あ、そうなんですね」
何ともサルトスっぽい感じだが……
「しかし……あのアウラ様とはどのような方なのですか?」
メイは苦笑しながら首を振った。
「あー、それがよく分かりません」
「分からない?」
ロッタが不思議そうに彼女を見る。
「ともかく滅茶苦茶強いってこと以外は。ガリーナさんとかが言ってたんですが、まるで風みたいだって。だから“疾風のアウラ”なんですが」
「風みたい、ですか?」
「何でもこちらの動き出しが見切られてるんだそうで、打ったと思ったら打たれてたとか……分かります?」
ロッタの目が丸くなる。
「まあ……まるでディアリオ様じゃないですか!」
「え?」
「私も一度立ち会わせて頂いたことがあるのですが、まさにそんな印象でしたよ。ここぞと打ち込んだのに完全に空を切っていて、逆に何故か取られていて……」
「えーっ? じゃあ風対決ですか?」
「ということは……」
ロッタの目が輝き始める。
試合場では二人が対峙しており、やがて……
「始めっ!」
試合が始まった―――のだが……
「おおっ⁉」
会場から低いどよめきがあがる。なぜならディアリオは中段にピタリと構えているのに対して、アウラは薙刀を肩に担いで横を向いているのだ。
「あれは?」
不審そうにロッタが尋ねるが……
「いや、アウラ様、最初っから結構本気ですよ?」
「えっ⁉」
「あ、あの構えですか? あれで意外にちゃんとした構えなんですよ。その気になればあそこから一瞬で上段とか八相とか、脇構えにも移行できるし、踏み換えれば中段にもなるし」
「あ……」
「本人曰く、省エネの構えなんだそうで。だから馬鹿にされてると思って熱くなったりしたら思うつぼですよ」
「そうなんですか……」
「大体相手が雑魚だったらもう、薙刀を地面に立ててるだけだったりするし。アウラ様がああいう風に構えてるってことは、相手を認めてるってことなんです」
そのことは対するディアリオも一瞬で見抜いたようだった。彼の顔ににやっと笑みが浮かぶと、すっと剣先を下げて下段に構える。
「下段⁉」
ロッタが驚いたようにつぶやくが……
「あ、さすがディアリオさんですね」
「え?」
また彼女が不思議そうにメイを見た。
「あ、薙刀相手にするのはあれがわりといいみたいで」
フォレスでもロパスなどの熟練の剣士が薙刀組と対するときにはみんな下段に構えていた。
「何でも、どうせ先手は取られるんだから相手の動きがよく見えた方がいいそうで。あと、下からの攻撃にも対処しやすいとか」
「ああ……」
ロッタが納得したように何度もうなずくと、鋭い目で二人の戦いを食い入るように見つめ始めた。
《ああ、なんかもうこれって剣士の顔なんじゃ?》
間違いない。彼女はまごうことなき“女剣士のロッタ”なのだ。
そのことはここに来ている多くの剣士たちが悟ったようだった。最初はざわめいていたのが、やがてしんと静まって二人の一挙一動に視線が集中している。
最初に動いたのはアウラだった。
彼女は薙刀を担いだまま、すすすっと横に回り込んでいく。それに合わせてディアリオが向きを変えようとした瞬間だ。アウラの体が僅かに沈んで踏み込もうとする気配を見せたが―――ディアリオが同時に僅かに後ろに下がると、アウラはそれ以上踏み込まなかった。
二人の口元に笑みが浮かぶ。
「ああ……」
ロッタがうめく。
《多分今の一瞬に凄い駆け引きがあったと思うんだけど……》
メイにはそれ以上のことは分からないが、彼女はなにやら察している様子だ。
それからまたアウラが同様に回り込み始める。
会場は痛いほどの緊張感に包まれているが―――またアウラがすっと身を沈めてディアリオが今度は少し横に動く。それからまた対峙に戻るかと思った瞬間、アウラが一気に飛び込んでいった。
彼女の薙刀が一閃するが……
「おおっ⁉」
会場から低いどよめきが上がる。
アウラの薙刀とディアリオの剣が空中で交差したままピタリと停止していた。
そのまま二人は動かなくなる。
《ええ?》
こういうのはあまり見たことがないが……
「どうなったのです?」
再びメルファラ大皇后がロッタに尋ねる。
「いえ、アウラ様の薙刀の勢いをディアリオ様が殺したのですが……」
「どうして動かないのでしょう?」
「多分動けないんです。互いに相手の動く瞬間を狙っているのではないかと……」
そのままジリジリと時間がたっていくが―――と、そのときだ。
「ブェーックショイ!」
観客席で誰かが派手にくしゃみをした―――その瞬間、二人ははじかれたように飛び離れる。
《あ? 誰よ⁉》
こんなときに緊張感のない奴だが―――そう思ってその方を見ると……
《あん? ヴォルフ様?》
ではなく、その隣にいた少し禿げたおっさんがあたりからじろじろ睨まれている。
《あ、確か何度か一緒にいたっけ?》
誰か知らないがヴォルフ様の取り巻きの一人のようだが……
―――ともかくそのせいで試合は仕切り直しだ。
再びアウラが薙刀を担ぎ、ディアリオが下段に構える。
それからまたアウラが回り込み始めるが―――今度はディアリオもそれについて回り始めた。
「おおっ」
会場からまた低いどよめきが上がる。
そして―――ディアリオが一気に踏み込んでいった。
《うわっ!》
だがアウラはその一撃を間一髪でかわすと、逆襲に転じるが、ディアリオもそれをギリギリでかわしていく。
《………………》
そんな果てしのない応酬が続き―――また二人がぱっと離れた。
さすがの二人も肩で息をしているのが分かる。
「ぷはあぁぁ……」
横でロッタまでが大きく息を吐く。まさに息をのんで今の応酬を見つめていたのだ。
そしてまたアウラとディアリオが向き合って……
「おおおおっ」
またまた低いどよめきがあがる―――なぜならディアリオが今度は上段に構えたのだ。
そしてそれを見たアウラもまた同じく上段に構えた。
「これは……」
ロッタの目が見開かれた。
《これで決めるってこと?》
こういう条件での斬り合いでは薙刀の方がリーチが長い分有利なのだが、もちろんディアリオは知っていてやっているに違いない。
《ってことは?》
メイにはもう見守るしかないということだ。
あたりが静まりかえる。
二人は驚くほどの集中力で向き合い、しばらくぴくりとも動かなかったが―――やがてディアリオがほんの僅かずつだが前に出はじめた。
人々は息をのんでその一挙一動を見守っていたのだが……
「待てーっ!」
審判が二人を止めたのだ。
………………
…………
……
「えっ⁉」
一体何が?
「あーっ!」
ロッタが天を仰ぐ。
「えっと?」
「いや、時間切れなので……」
「あ、もう?」
誰もが時間を忘れていたが、審判はルール通りにしなければならなかった。
あたりからブーイングが飛び始める。
「あーっ、勿体なかったですねえ……見たかったですが」
ロッタもさも残念そうだ。
「ですよねー」
だがいくら残念でもルールはルールだ。
「えっと、このあと延長戦ですよね?」
「はい。そうなのですが……」
しばしの休憩ののち再び延長戦が行われたのだが、今ので二人の緊張の糸が切れてしまったようだった。
延長戦ではまたアウラが肩に担いでディアリオの下段という攻防が繰り広げられるが、両者ともに決定打に欠けて、結局この試合は引き分けに終わった。
あの時間切れは本当に残念だったが、ともかくまさに息をのむような名試合だったのは間違いないだろう。
かくしてフォレスとサルトスの親善試合は三勝一引き分けでフォレス側の圧勝という結果に終わった。
試合後、まだ観客の興奮が冷めやらぬ間、カロンデュール大皇が感心したようにつぶやいた。
「いや、見事な試合であったな」
「そうですね」
メルファラ大皇后も満足そうにうなずいているが―――アスリーナとイービス女王の声が聞こえる。
「ディアリオ君、負けちゃうかと思いましたが……どうなってたんでしょうねえ」
「さあ~」
フォレス側の身としては嬉しい限りなのだが、彼女たちと仲の良いメイは手放しで喜べる気分でもなかった。
とそのときイービス女王がロッタに話しかけた。
「ねえ~、ロッタさ~ん」
「あ、はいっ!」
「私ね~、剣術にはあまり詳しくないんだけど~、今回の試合ってどうだったの~?」
ロッタがうっと言葉に詰まる。
「えっと……ディアリオ様とアウラ様に関しましては、まさに達人の技。どちらが勝っても全く遜色のない名勝負だったと思います。ただ……」
「あ~、残り三人よねえ~?」
あ、やっぱりイービス様、ちょっと怒ってるんじゃ? だがロッタは首を振る。
「いえ、残りの方々に関しても決して侮っていたというわけではないと思いますが……この結果では言い訳のようになってしまいますが……」
「じゃあ~、やっぱりフォレスの皆さんが強かったと~?」
「大変な研鑽を積まれていたことは間違いないと思います。ただ研鑽という意味では、こちらの道場の者も決して後れを取っているわけではないと思うのですが……」
イービス女王はちょっと首をかしげる。
「ではどうしてこんな結果に~?」
「それは……間合いでございましょうか?」
「?? 何なの~? それ~」
ロッタは説明する。
「すなわち自分の相手の間の距離のことですが……要するに打ち込んで相手に届く距離が薙刀と剣では異なっておりまして、フォレスの方々は自分だけが相手に届く距離を常に保って戦っておりまして……これが剣術では自分の間合いは相手の間合いで、敵の剣が届く場合は必ず自分の剣も届くというのが真理なのですが……そうですよね? メイさん」
いきなり振られてメイは少々慌てるが……
「あ? はいっ。なのでそんな間合いを保つことに全てを賭けてるって言ってましたね。ガリーナさんが」
ロッタが小さくうなずく。
「多分彼らも手合わせしてそのことには気づいたとは思うのですが、そんな剣術にはない間合いの攻防に即座には付いていくことができず、あのような結果となってしまったかと」
「まあ~……」
分かったような分からないような女王にメイが補足する。
「あ、何て言いますか、あの薙刀術ですが、すごい初見殺しみたいなところがあって、慣れれば結構ついてけるんですよ。ロパスさんたちとかがそんなで。最初はリモンさん一人に五人抜きされちゃったりしてたのが、今じゃもう互角以上ですから」
イービス女王はうなずいた。
「まあ~。そうなんですね~。でも~、実戦だったら最初にやっつけられちゃうんですよね~? 慣れる前に~」
………………
…………
「えっ? あ、それはまあ……」
メイが曖昧にうなずくと、イービス女王は独り言のように言った。
「これってもしかして大変なのかしら~? 薙刀持った軍隊とかがやって来ちゃったら~」
え?
《薙刀を持った軍隊⁉》
そんなことは考えたこともなかったが―――だが考えてみたら……
《あれ? 結構強かったりする?》
少なくともリモンやガリーナにはアウラのような天賦の才があるわけではない。彼女たちはひたすら努力してあの技術を身につけたのだ。だがサルトスの剣士たちもそれに負けない研鑽を積んできたのにあの結果だったわけで……
《普通の人が同じだけ研鑽を積んだら、薙刀の方が勝てる⁉ のかしら?》
だとしたら?―――と、そこでエルミーラ王女が口を挟んだ。
「いや、あまりご心配には及びませんよ?」
「どうしてですか~?」
イービス女王が首をかしげるが……
「うふ。私もその可能性は考えてみたことがあるのですが……」
え? そうだったんだ……
「これって女性用の武術なんです。女性だけの軍隊とか普通は作れませんから」
それを聞いたイービス女王がまた首をかしげる。
「え~っ⁉ でも~……」
その表情を見たエルミーラ王女がにっこり笑った。
「いえ、私も以前アウラに尋ねてみたことがあるんですよ。これだったら男も薙刀を持ったらもっと強くなるんじゃないか? って。そうしたらアウラ、そんなの勿体ないって言うんですよ」
「勿体ない~?」
王女はうなずくと、振り返ってロッタに尋ねる。
「はい。例えば剣術だと鍔迫り合いというのがありますよね? そうなったら男と女じゃ勝負になりませんよね?」
彼女はうなずいた。
「それはそうですが……」
王女はニコッと笑う。
「なので、そうなる前に片を付けてしまうのがあの薙刀術の神髄なんだそうですが……」
「では……もしそうなってしまったら?」
ロッタが尋ねるが……
「降参するしかないそうで」
………………
…………
その答えにロッタが目を見張った。
「ということは……せっかく体力に恵まれていても、逆にそれが活かせないということでしょうか?」
王女はにっこり笑う。
「はい。なので勿体ないのだと」
「なるほど……」
「へえ~」
ロッタとイービス女王が納得する。
そこにさらにエルミーラ王女が言った。
「あと、始めたばかりでは逆に剣士の方が強いそうなんです」
「そうなのですか?」
ロッタが首をかしげるが……
「はい。自分の間合いが掴めていないと、相手にあっという間に入られてしまうんだそうで」
「あ!」
彼女が思わず口に手を当てる。
《あ! 確かに軍隊となると新兵も当然いるわけで……》
そういった兵は当然剣術の素人だが、そんなレベルでは逆に弱いと……
「あと、薙刀だと密集隊形がとれないから、集団で使うにはあまり向いていないとも言ってましたね」
あはは! 確かに薙刀使いの側に近づくのが大変危険なのは、サフィーナの護衛訓練のときに思い知らされるわけで……
「なので、やっぱり私の親衛隊とかそういった場合でないと、なかなか薙刀部隊というのは難しいんですよ」
それを聞いていたアスリーナが思わずつぶやいた。
「あー、だったらフォレスの薙刀軍に蹂躙されちゃうってことはないってことですね」
「まあ~、良かったわ~」
何やら二人が安心した様子なのだが……
《フォレスの薙刀軍が蹂躙⁉》
いや、フォレスとサルトスが戦争することなどあるわけが―――いや、でも彼女たちの立場ならそういうことも想定しておかねばならないのか?
《ないよね? そんなことあるわけないよね?》
そんなことないはずだが―――いや、でもマジそんなことになったら……
