ふたりのミニミニ大作戦 第7章 予期せぬ出来事

第7章 予期せぬ出来事


 ―――というわけで、二人の決死の旅が始まった。のだが……

《いやあ、何事にも想定外ってあるのよね~

 ふかふかでスベスベなシートに頬をすりすりしながらメイは幸せを噛みしめていた。

 彼女たちがいま乗っているのはディーレクティア所有の遊女送迎用のランドーだ。

 馬車にも色々と型があるが、このランドーというタイプは“カボチャの馬車”ともよく形容される基本的に高級な車種で、エルミーラ様のフェザースプリングやフレーノ卿のブルーサンダーなどもタイプとしてこれに属している。

 だがあちらは一品物であったり同型車があったにしても特注品で、目にできるだけで幸せな品なのだが、いま乗っているランドーは汎用車なので確かにあちこちでその姿は見かけていた。

 しかしそれでも一般民が容易に買える品ではなく、基本的に貴族、豪商などの金持ち、そして高級遊郭の遊女などでないとなかなか乗ることはできないのだ。

《彼女たち、最初からついてるわよね》

 遊女たちは普通は郭で客を待っているのだが、ときどき“お呼ばれ”して出ていくこともある。そうやって呼び出せるのは馴染みの、しかも高位の貴族などだが、この馬車はそんな場合に使用される物で、そうすると必然的に乗れるのはプリマクラスの遊女のみである。

 だが今回女衒が新人の娘たちを連れてくるためにこのランドーが使用されていた。

《いつもこうとは限らないみたいだし……》

 郭にとって彼女たちはまさに金の卵である。なので待遇は決してひどくはないのだが、それでも新人のためにこんなランドーを使うというのは、わりと例外的なのだそうだ。

 それが今回使われている理由は、戦時なので“お呼ばれ”が減ってしまってスケジュールが空いていたからだそうだが……

《うふっ 大きな災いの後には小さな幸せがやってくるのよねっ?》

 などとメイがニヤニヤしながらシートに頬ずりしていると、向かいに座っていたサフィーナが大きなあくびをした。

「メイって本当に馬車に乗ってると幸せそうだな?」

「あ? だってこんなにいい車だし。滅多に乗れないのよ?」

 実際、こちらに来るときに乗ってきたファイヤーフォックスは名車ではあってもやはり長距離旅行用で、乗り心地という点ではどうしてもこれには劣ってしまうし、彼女の愛車ハミングバードはスピードが命だ。

「でも座ってるだけだと……ってか、メイ、寝てるけど、退屈だろ?」

「ええ? 窓の外見てたら退屈じゃないでしょ?」

「だって森ばっかだぞ?」

「いや、森にだって色々な表情があるのよ?」

「そんなもんか?」

 どうしてだろうか? メイは外を見ていたら全然退屈ではないのだが……

「それよか、ポーチ。落ちてるぞ?」

「え? あっ!」

 ゴロゴロしているうちに床に落としてしまったらしい。メイは慌ててその可愛いポーチを拾って埃を払う。

「お母さんの大切なスパイスが入ってるんだろ?」

「そうよねっ!」

 確かにこれはとても大切なポーチだ。中身は実家の秘伝のスパイスだ。辛いことがあったらこれを使いなさいと母親が持たせてくれた―――ということになっているもので……

《サルトスじゃお袋の味なのよね。これが……》

 実際に娘が田舎から出てくる際にそうやって持たせてくれることは良くあるというが―――そんなことを話していると、開いた前部窓の方から下品な声が聞こえてきた。

「……しかしいい仕事だよなあ。あっちこっちから綺麗な娘っ子を連れてくるだけで儲かるなんてさあ」

 それに答えたのはやや甲高い男の声だ。

「はは。端から見たらそりゃ美味しいように見えるかも知れませんがね。言うほど楽じゃありませんよ?」

 下品な声は今回雇った新人の護衛で、もう一人が女衒のスラードだ。

 彼はシフラ出身のラムルス人で、齢は五十過ぎ。頭にちらほら白い物の混じった一見ごく普通のおじさんだった。だが親が郭道具屋で各地の郭を転々としていた関係で、若い頃から遊女や小娘に慣れ親しんでいたことからこの道に入ったという。

「でもさあ、やっぱ余得ってのがあるんだろ? 最初にまずは味見できるとかさあ」

 この護衛は―――本当にダメな奴だなあ……

 それに対してスラードがたしなめるように答えた。

「一番誤解されるところなんですけどね? 普通は、特に生娘にはそんなことはしませんよ? 売り値が下がってしまいますから」

「あー? そうなのか?」

 そりゃそうだろう!

「その娘をどう育てるかってのは郭の領分ですから。私たちは最高の素材をありのままに届けるってことに徹してないとダメなんですよ」

「えーっ? じゃあ綺麗な娘っ子と一緒にいてもずっと見てるだけってのか? それって辛すぎね?」

 そんなダメな護衛の素直な感想にスラードが苦笑する。

「ま、そんなことが無くもありませんがね。よく自分で売り込んでくる娘もいるんで、そんな場合は実演してもらうこともありますけどね」

「実演? やっぱラッキーじゃん。それって」

 護衛は何やら興味津々だが……

「そうでもないですよ? そんな娘ってのは大抵ダメで、どうやって断ろうかって考えてたら楽しんでなんかいられませんから」

「えー? そうなんか?」

「はい。そういう娘ってなかなかの美人で、地元じゃちやほやされてきた娘なんですがね。だから大抵逆ギレされちゃって。でも、そのくらいの美人なら郭には掃いて捨てるほどいるんでねえ……」

「あー、そりゃそうか」

「その中で頭角を現そうと思ったら、そこにプラスアルファする何かが備わってないとダメなんですよ」

「プラスアルファする何かって何だ?」

「そりゃ人それぞれで。それに最初はまだ表には出てないなんてこともよくあるし」

「どうやってそれを見つけるんだ?」

「そりゃ経験に基づく勘としか」

「どんな経験をすりゃそんな勘が身につくんだ?」

 この護衛は―――そんな勘を身につけてどうする気だ?

 だがスラードは話し好きと見えて、そんなアホな護衛の質問にも丁寧に答える。

「そうですねえ。私の場合はほら、親が道具屋をやってたから、親にくっついて小さい頃からあっちこっちの郭に出入りしてたんですがね」

「お! そこでやりまくってたと?」

 この護衛は……

「違いますよ。そう簡単にさせてもらえるわけないでしょ? でもそうすると小娘の頃からの知り合いがたくさんできるんですよ。するとですね。そんな娘が十年後、どうなってたかを見ることができるんですよ」

「お、おう……」

「そうしたらこの娘カワイいなって思ってた娘が鳴かず飛ばずで、何だか地味だなあって思ってた娘が部屋持ちになってたりして」

「へえ?」

「で、色々考えるところがあったんですよ。いったいその違いは何なのかってね」

「何なんだ?」

「一口じゃ難しいですけどね。やっぱまずは見栄えってのが重要で。それも顔立ちだけじゃなくって体つきとか抱きごこちとかね」

「あ、そりゃそうだよな? えっへっへ」

 何かため息しか出てこないが……

「でもね。それだけじゃなくて、何て言うか一番の鍵はコミュニケーションなんですよ」

「こみにけーしょん⁉」

 護衛のぽかんとした様子が目に見えるようだが……

「そ。あなたと私はいまこうしてコミュニケーションしてるでしょ?」

「てことはおしゃべりな娘がいいってのか?」

「ちょっと違いますね。いくら話し好きでも相手のことを放っぽって一人で喋ってるようなのはダメで、話しかけたらこう、楽しい答えが返ってくる娘がいいんですよ」

「あ、なるほどな」

「そしてコミュニケーションってのは会話だけじゃなくって、体が触れあうことでもできるでしょ? 」

「触ったら、あん とかいうやつか?」

「そうそう。でもワンパターンに喘いでるだけじゃなくって、時によっては変わった答えを返してやれないと飽きられちゃうんですよ。ちょっと焦らしてみたり、怒ってみたりとか」

「へえぇ」

「あと、本番が始まっても自分だけがそれに耽ってたらダメで、相手に合わせて自分も逝くようにしないと」

「へえ? そんな器用なことができるんか?」

「だからまあ、大抵は逝ってる振りなんですけどね。でも男がそれ見て興奮できればいいわけで。で、またこの娘を抱きたいって思ってもらえれば、まあ勝ちってことで」

「あー、なるほど。商売だもんな」

 へえ。何かちょっと勉強になった気がするが……

「ってことでね、そういう才能を見極めるのが女衒の腕なんですよ。だから見栄えだけ見てたんじゃダメで。なまじ美貌の娘ってのはむしろ平凡な遊女になりがちでね」

「へえぇ」

「だから売れっ娘になれそうな上玉を見つけるってのは大変なんですよ」

「で、後ろのがそんな上玉だってのか?」

 いきなり護衛は失礼なことを言い出すが……

「私が見る限りかなりのもんですよ?」

「そうなんか? どっちもただの発育不良だろうが?」

 それを聞いたスラードが心配そうに振り返った。

《あはははー。確かにあたしたちに対する暴言の数々……》

 当然彼もメイ達が大皇后の女戦士たち(ベラトリキス)だということは知らされていた。

「あー、気になさらずにっ! その人ただのアホですのでっ!」

 彼は首をかしげながら前を向く。

「ま、あんたの好みじゃないのは分かりますがね、世の中にはいろんな奴がいるんですよ」

 そうらしいのだが―――そう。彼が言うにはこの世界でメイとサフィーナは努力次第では一流になれる素質があるのだそうだ……


 ―――スラード一行と合流したのは昨日の夜のことだった。

「……そうしたら今回の人さらいくらいは撃退できると思うんだけど、そんな誘拐団がいるとなったら今後ずっと危ないわけでしょ? なので根本的な解決をしようと思って」

 リサーンの話をスラードは目を丸くして聞いていた。

「で、スラードさんもちょっと危ない目には遭いそうなんだけど、護衛と違って女衒の方は抵抗しなければ殺されてないから。メテオラさんが有能な女衒って貴重だからって言ってたけど。だから人さらいが出てきたら抵抗せずに逃げてね?」

「はあ……しかし……」

 彼はその場に来ていた一同―――今話しているリサーンにハフラ、アウラ、リモン、マジャーラ、アルマーザ、アラーニャ、そして……

「確かにそれができれば一番いいんですけど……」

 その真ん中でひらひらしたドレスを纏ったメイとサフィーナを心配そうな表情で見つめた。

「お二方がその、囮になられると?」

 リサーンが胸を叩く。

「あ、二人ともあたしたちの仲間だから。そこは信用してもらっていいわよ? サフィーナなんかはこの間の親善試合で勝ったし……」

 えっと、あたしはか弱い乙女なんですけどっ!

「メイさんなんかはアキーラ城の敵を全部眠らせて解放を勝利に導いたのよ?」

 いや、あれは単なる成り行きという奴で……

「そこを疑うわけではないのですが……」

 再び二人の姿を見比べる。

「あ、ほら、連れてきた娘の歳、十三と十四っていったでしょ? だからこの二人じゃないと」

 いや、確かに他に適任者がいないのは事実だが―――若い子ならいるが、クリンちゃんとかアラーニャちゃんとか。だがしかし……

「そりゃまあ、素人なら騙されちまうとは思いますが……」

 ………………

 …………

 その言葉にリサーンがしばらく絶句して……

「え? 分かるの?」

 慌てた様子で尋ねる。

「そりゃ分かりますよ」

 一同は顔を見合わせた。

 ここぞとばかりにメイは主張した。

「それってやっぱプロにはバレちゃうってことですよねー? ってことはすごく危ないってことですよねーっ!」

「困ったわね。女衒が連れてくるような娘じゃないって分かったら何されるか……」

 ハフラも腕組みして考え込む。

「そうそう!」

 あっははー。これじゃしょうがないよねー! とメイが安堵しかかったときだ。

「いや、そういうわけじゃなくってですね……」

 ………………

 …………

「え?」

 一同はぽかんとしてスラードを見る。

「失礼ですが……お歳は二十歳くらいですか?」

「え? まあ……」

 メイは曖昧に答える。

《実際には二十二だけど……》

 それを聞いて彼はうなずいた。

「なら、まだまだ間に合いますね」

「間に合うって……え? 何が?」

 スラードはメイとサフィーナをもう一度眺めると話し始める。

「いや、一部にですね。根強い需要があるんですよ。あなた方みたいなのには。ほら、娘が子供の姿でいられる期間っていうのは短くって……」

 あ?

「子供に遊女の手管を教えたって、物になる頃にはおっぱいが大きくなってたりするしでね。いつまで経っても子供の姿でいられるっていうのは、まさに生まれつきの天分なんですよ」

 あ? あ?

「なんで、二十歳っていうんならまだギリ間に合いますよ。(ねや)の技術なんて物は努力次第ですぐ身につきますしね。ってか、ちょっとたどたどしい方がそれっぽいですし」

 いや、だから実際には二十二だから……

「えっと、もしかしてこの二人って郭に高く売れると?」

 ハフラの問いにスラードはうなずいた。

「ええ。買ってくれるところはいくらでもありますよ。例えば……ちょっと遠いですがハビタルのアンゲルッススってところならもう確実に……」


 あ ん げ る っ す す ⁉


「ぶーっ!」

 思わずメイは吹きだした。

「ん? どうしたの?」

 リサーンが首をかしげるとアウラが思い出したようにうなずく。

「あ、アンゲルッススね。そういえばメイ、確かそこのプリマと知り合いだったっけ?」

「んぎゃーっ!」

「ええ? アンゲルッススのプリマと?」

 スラードが驚愕の表情でアウラを見る。

「うん。確か、ペペローネ? っていってた?」

 アウラがリモンを見ると……

「そうだったわね」

 彼女もうなずいた。

 スラードの目が更に丸くなる。

「ペペローネって……あの子ですか? まさに天使だった……」

 あは! あは! あはっ!

 あ、あの記憶は心の底の闇に葬ったはずなのに! いや、じゃないと例のリ―――がフラッシュバックするからそうそう。ファーストキッスはぺぺちゃんと……

「どーでもいいでしょっ! それが何なんですかーっ!」

 メイが錯乱気味に叫ぶと……

「いや、だからそんな貴重な娘さん方を危ない目に遭わせるなんて……」

 ………………

 …………

 ……

 その目―――は本気で心配している目だ!

《あははははっ! 女衒さんの立場からいえば、そんな素質のある娘たちを囮に使うなんて勿体ないということですねっ!》

 だがしかし……

「あ、スラードさんが彼女たちを連れててもおかしくないんなら、後は心配しなくていいですから」

 リサーンがにこやかに言った。

「それはそうですが……」

 いや、だから―――あ! そうだ!

「あ、でもほら、依頼書には年齢が書かれてるんですよねっ! それじゃやっぱり……」

 実際と違うことがバレてしまったら―――だがしかし……

「いや、娘の年齢は書いてませんが……人数だけで」

「えーっ⁉」

 などということがあったわけで―――


 というわけで、何故かメイとサフィーナは“上玉”なのだそうである。

「そんなもんか?」

 下品な護衛は首をひねっているが―――その点に関してはこちらもそうなのだが、スラードは首を振った。

「そうなんですよ。というか、そもそも郭ってどういう場所か分かりますか?」

「そりゃ綺麗な娘っ子が抱ける場所だろ?」

「間違いじゃないですけどね? でもそれだけならその辺の宿屋の親父に言えば、結構いい女を連れてきてくれますよ? 村の若後家とかが小銭稼ぎにやってたりするんで」

「そうなのか?」

「はい。でもそんな女と郭の遊女ってのは、まさに天と地の差があるんですよ。でなきゃどうして客があんな高い花代をはずむと思うんですか?」

「そんな高いのか?」

「高い娘は高いですよ? それこそ都のバーボ・レアルの部屋持ちとかだと、一晩で金貨が飛んでいきますからね?」

「ええっ⁉ そりゃすげえ……」

 うわ! 確かに―――金貨とか一般民なら一ヶ月働いてやっと一枚ってとこだぞ?

「って、いったい何がそんなに違うんだ? 何かすごい超絶のテクがあるとか?」

「ま、普通よりそういう手管には長けてるのは当然ですが、でもそれだけじゃないんですよ」

「じゃあ何なんだ?」

「それはね? 夢なんです」

「夢ぇ?」

 下品な護衛がぽかんとする。

「男ってのはねえ、いつになっても子供の部分があるんですよ。それでね、本当にガキの頃って、女ってのはまさに手の届かない存在で、いつかそれをこの手に抱きしめるときのことをまさに夢見てるんですよ」

「はあ」

「でもね。いざ思いを遂げてしまったら何かこう、物足りないっていうか、これでいいんだろうか? 何かが違うんじゃないかって思ってしまうんですよね」

「あーまあそうかもな」

 いや、お前だけは言うな!

「でもまあ、人は生きてかなきゃならないわけで。それに現実の女だって大抵はそんなに捨てたもんでもなかったりするしで、やがてそんな現状に満足してくことになるんですがね」

「あ、まあそうかもな」

 この男の現実ってのはちょっと違ってる気がするが……

「でもね。やっぱりそれでも男の心の奥底には疼いているんですよ。見果てぬ夢っていうのがね。もしかしているんじゃないだろうかって。あの夢に見たような女がどこかにって」

「あー、確かにそうかもな」

 いや、あんだけ相手にしていなきゃ、もういないんだって!

「でもね。郭ではそんな女に出会うことができるんですよ」

「そうなのか?」

「はい。美人でスタイルが良くって、教養もあって舞いや音楽にも通じていたりするのに、あんたにはやさしくって、辛いことがあったら親身になって話を聞いてくれて、しかも床上手で夢のような夜が過ごせる女とね」

「おおぉ!」

 護衛が何やら興奮しているが……

「一流の遊女ってのはそんな男の夢をかなえてくれる存在なんですよ。そんな素晴らしい女を今晩だけは独り占めにできる場所。それが郭なんです」

「へえぇ。いいところなんだなあ」

 メイが内心、そんな女がこの世にいるのか? と突っ込もうとしたときだ。

「でも現実にはそんな女なんていないんですけどね」

「えっ⁉」

「身も蓋もない言い方すれば、遊女ってのはそんな女の演技をしてるんですよ」

「ええ? 何だよ……それじゃ」

 護衛が何やら落胆しているが―――スラードは首を振った。

「いや、違うんですよ。彼女たちはね、本気なんです」

「あ?」

 え?

「そもそもそんな都合のいい女なんて現実じゃあり得ませんから。でもその役割を本気で演じることはできて。それはもちろん花代を稼ぐためなんですがね」

「えっと……」

「騙そうとしてるんじゃないんですよ。彼女たちはみんな客にそんな夢を見てもらおうと必死なんです。確かにそりゃ演技なんですけどね? でも本気の演技なんです」

「はあ……?」

 えっと、何かもしかして、彼女たちって結構すごいのか?

「そういうことをその辺の娘にやれって言ってもそりゃ無理で、どうしたってわざとらしくなっちまうもので。だから郭じゃ小娘の頃から訓練してそういう遊女に仕上げていくんですよ」

「へえ……」

「はい。だからあたしたちの仕事はそういう才能のある娘を見つけ出してくることなんですよ。決して簡単なことじゃないです」

「へえ、そうなんだ。しかし……理想の女っつっても、人それぞれなんじゃないのか?」

 スラードは笑ってうなずいた。

「そりゃまさにそうですね。だから郭には色々あるんです」

「どんな?」

「例えば先ほどの美人でスタイルが良くって、教養もあってってタイプですね。これって要するに世間一般の男の共通して抱いてる美女のイメージで、そんな娘を揃えてるところがまず一つ。一番有名なのが都のバーボ・レアルで、サルトスじゃアムルーズとかですけどね」

「ああ」

「でもそういう究極の美女ってのじゃなくて、もっと親しみやすい女がいいっていう男もいるわけで」

「まあそうだな」

「そんなのだと……例えばほら、ディーレクティアならタンディちゃんですけど。知り合いでしたよね?」

「いや、あれ行かせてもらえなかったんだよなー」

 当たり前じゃ!

「そうでしたか。いや彼女なんか絶世の美女ってのとはまた違うんですけどね。あの笑顔と甘えっぷりがまさに若妻って感じで……でも、あの子もまた同じなんですよ」

「同じって?」

「彼女はね、それこそ夢の若妻で現実には存在してないんですよ」

「あ?」

「結婚するとね、最初は夢のような生活でも、あっという間に現実ってのが目の前に現れてくるもんで……最初はそれに抗っててもやっぱり疲れてしまうんですよ。男も女も。それで彼女はね? そんな疲れた男の前に現れた永遠の若妻なんです」

「お、おう……」

「彼女の部屋ってのはね、一晩だけ素敵な新婚の時に戻れる魔法の部屋なんですよ。でもあくまで一晩だけ。朝日が昇るとその魔法は解けてしまうんです」

「要するにそれも演技ってか?」

「まあそういうことですが……でも客の方だって分かってて来てるんです。そんな彼に最高の夢を見せてあげるのが彼女の役割で、それがもう絶品だから人気があって部屋も持ててるんですよ」

「へえ……」

「でも中には勘違いする客も結構いるみたいで、よく粘着されたりもしてるみたいですけど」

「そうなんか?」

「はい。大体彼女、実際は女相手のときの方が燃えるんだとか」

「え?」

「何でも前の郭にいたときそこのお姉様に仕込まれたんだとかで」

「へえぇ」

 あはははは。

「そして後ろのお二方ですけどね」

 あ?

「女の一生の間である意味一番輝いているのが少女時代なんですがね。それは最も儚い時間でもあって」

「あー、まあそうかもな」

「まさに、おいそれとは手を出せない存在なんですけど、そんな美を愛でたいという男の夢を叶えてくれるのが、彼女たちのような永遠の少女たちなんです」

 あはははは。

「どんな女性の美という物に対しても時間というのは最大の敵で、時と共に必ずそれは失われて行ってしまうんですが……」

「あー、まあそうだな」

「少女の美というのはまさにその極致で、それを時の中に留められたとしたら、まさに奇跡なんです」

「お、おう……」

「彼女たちこそが少女という概念の本質、イデアの顕現と言うべきでしょうか」

 ………………

 …………

 ……

 護衛はわけが分からずにぽかんとしているが―――メイ達は何やらそんな大層な存在だったらしい……

《えっと……大丈夫かしら? このおじさん……》

 何やら目が据わっているようにも見えるのだが……

「だからこそ子供を浚っていこうなんて奴らは絶対に許せないんですよ。そいつら何も分かっちゃいない! いくら浚ってっても決して満足なんかできない。そんな少女なんてまさに男の夢の中にしか存在していないんですからね!」

 なんか分かったような分からないような、まあ、少女誘拐が許せないという所には同意だが―――などとスラードが力説していたときだ。

「うおーっと!」

 護衛がそんな叫びをあげて馬車を急停車させたのだ。

《あ? もしかして?》

 小窓から見ると前方に二頭立ての黒塗りのベルリン―――箱形の馬車が道を塞ぐように止まっているのが見えた。

「あれね!」

「分かりました」

 スラードが小さくうなずく。

「おい。何だよ。邪魔だぞ。何してるんだよ」

 下品な護衛がわめくが、ベルリンから覆面をした二人の屈強そうな男たちが降りてくると……

「あー、ちょっとその中の娘たちに用があるんだが」

「何だとぉ? じゃあてめえらが人さらいどもか?」

「人さらいとは人聞きが悪い。ちょっとエスコートしていこうってだけなんだがな」

「ざけんな!」

 そう言って護衛は剣を抜こうとしたが……


「ぐわあぁっ!」


 覆面男が抜く方が遙かに早く、下品な護衛は深々と胴体を貫かれていた。

「てめえ……」

「お前素人か? 胴ががら空きなんだよ」

 それから男は護衛を御者台から引きずり落とすと、道の外へ蹴転がした。

《あはは……やっぱ可哀想だなあ。こんなんばっかで……》

 ―――もちろんこの下品な護衛というのはイルドである。いつぞやの愛の逃避行作戦の時と同様に、相手を信頼させるにはここで護衛に死んでもらうと効果的なのである。

《殺しても死なないとひどい目ばっかに遭わされるのよねー……》

 それはともかく、メイはサフィーナと顔を見合わせると軽くうなずいて……

「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」

「いやあぁぁぁぁっ!」

 二人で大声で叫んだ。

「お前たち……」

 スラードが気丈に男たちを睨むが……

「ほら、死にたくなかったら降りろよ!」

「あんな風になりたいか?」

 二人が彼に剣を突きつける。

 道ばたからイルドの足が伸びているのが見える。

 スラードはがたがた震えだすと……

「た、助けてくれっ!」

「はいはい。命までは取らないからな?」

 男たちはスラードを御者台から下ろすと慣れた手つきで縛り上げた。

「ま、今後は護衛にはもう少し奮発してやりな」

 それから男がランドーの扉を開ける。

 メイはサフィーナに思いっきり抱きついて……

「きゃぁぁぁぁぁぁっ!」

「いやあぁぁぁぁっ!」

 また二人で大声で叫ぶ。

「静かにしろよ? でないと……」

 男が怖い顔で睨むので、二人はピタリと黙った。

「はい。いい子だ。じゃあちょっとこれを飲みな?」

「え?」

「いいから飲めって。ちょっと眠ってもらうだけだから。じゃないと……」

 そう言って血のついた剣を突きつける。

 いいも悪いもない。二人は突き出された水筒から中の飲み物を飲んだ。

《あー、そこまで不味くないじゃないの……》

 薬の苦みは感じるが、意外に上等そうなお茶に砂糖も入っているので、それほど抵抗なく飲むことができた。

「じゃあこっちに来な」

「え? でも荷物は……」

 ランドーには当然彼女たちの私物の入ったトランクが積んであるが……

「そんな暇はない」

 ………………

 メイは先ほどのポーチを大切に抱えると、サフィーナと共に黙って男たちのベルリンに乗り込んだ。

《あ、まあまあね》

 郭のランドーのようにはいかないが一応シートは柔らかい。荷馬車みたいな物を想定していたのだが、それよりははるかにマシである。

「んじゃ行くぜ。中でゆっくり寝てな」

 そうしてベルリンが走り出すが……

《うわ、やっぱ揺れるなあ……》

 まあファイヤーフォックスには比べるべくもないが―――などと考えているといきなり瞼が重くなってきた。



 荷馬車がゴトンと揺れた。

「あたっ!」

 アルマーザのお尻の下には大きなクッションが敷かれていたとはいえ、荷台というのは正直乗り心地はイマイチである。しかもすっぽりと幌がかけられているので外の景色を見ることもできない。

《うー……これじゃ気晴らしにもならないわよねー……》

 白亜御殿の生活が嫌なわけではないが、こちらに来てからというものずっとあそこに籠もりっきりである。

 ただ彼女の場合けっこう雑用も多くて、例えば大皇様の身の回りのお世話とか、夜のお相手とか―――おかげで他の連中ほど暇を持て余していたわけでもないのだが、でもときには外の空気を吸いたくなってくるというのは人情であろう。

《あー、やっぱりもっと強硬に主張してた方が良かったかなー》

 出発前の打ち合わせで誰が御者をするかでちょっと揉めたのだが、諸般の理由でリモンになったのだ。ハフラは見張りをする必要があったので、結局彼女が馬車の中ということになってしまったのだが……

《うふっ。こうなったら……》

 アルマーザは再び馬車がごとんと揺れるのを待ち構えると……

「あーっ!」

 そんな叫びをあげて隣に座っていたもう一人の仲間―――アラーニャにしなだれかかった。

「あん、何ですか?」

 彼女がカワイい声を上げる。

「いやー。ちょっと馬車が揺れるんで~」

「そんな揺れてないでしょ?」

 彼女が押し返してくるが、またそこで馬車がゴトンと揺れた。

「きゃ~」

 アルマーザは倒れてしまわないように思わずアラーニャの体にしがみついたが……

「やーん」

「あ、ごめーん」

 ついうっかりと彼女のおっぱいをむぎゅっと握ってしまった。

「何がごめんよーっ」

 彼女がアルマーザを突き飛ばす。

「もう……」

 ちょっと怒ったアラーニャちゃんはもちろんとてもカワイいわけで―――何しろここ最近彼女は都の魔道軍に混じって訓練していたため、大半の時間をアコールで過ごしていたのだ。

《おかげでアラーニャちゃんの、特におっぱい成分が不足してたし……》

 別のおっぱい成分はかなり補給できたのだが、やはり彼女のおっぱいは魔法のおっぱいだ。他には代えがたい何かがあるわけで……

 そこでまた馬車がゴトンと揺れたので再び彼女のおっぱいを狙って抱きつこうとしたのだが……

「あら?」

 何故か世界が上下逆さまになった。

「あれ? あれ?」

「ダメですよーっ。もう」

 目の前に逆さまのアラーニャちゃんの顔がある。もちろんそれは彼女の魔法の仕業なのだが―――そこには一つ見過ごせない問題があった。

「あれーっ⁉ どうしておっぱい使ってないんですか?」

「このくらいもう無しでも大丈夫なの!」

「えーっ⁉」

 もちろんご存じかとは思うが、彼女が魔法を使うときには“素敵な魔道具”を使う必要がある。彼女がそれを使って魔法をかけているときのちょっとはにかんだような顔がまた魅力的だったわけで……

「そんなーっ! おっぱいを使わないアラーニャちゃんなんてアラーニャちゃんじゃないよーっ」

 彼女がそんな魂の叫びをあげたときだ。


「えへんっ!」


 向い側に座っていたガタイの大きな兵士が咳払いした。

 あ、言い忘れたがこの馬車の荷台には彼女たちの他に六名のサルトス兵士が乗っていた。その他に馬具なども色々載っているため、結構狭いことになっているのである。

 しかもその隊長というのが、あの親善試合でリモンと戦ったジャルダンなのだ。

 おかげでいきなり二人の間に火花が飛び始めるので、彼女が御者をやるということになってしまったわけだが……

 どうしてそんなことになっていたかというと―――と、そのとき馬車がこれまでになく大きく揺れた。

「きゃっ!」

「あはっ!」

 今まで二人はこんな風に散々遊んでいたため、アルマーザは即座に魔法のバランスが崩れていることに気がついた。

《あわわ!》

 このままでは頭から荷台に突っ込んでしまう。そこで彼女は体を捻って受け身を取ろうとしたのだが……

「危ない!」

 気がついたら彼女はジャルダンにお姫様抱っこの形で受け止められていた。

 ………………

 …………

 ……

「あ、どもー……」

 あたりに安堵の空気が流れて……

「アルマーザ様っ! 危ないことはしないとあれほど……」

「あ、いや……あはは」

 確かに魔法が危険なことは身をもって知ってたりはするわけだが……

 それから彼はアラーニャもぎろっと睨む。

「あはは。ごめんなさい」

 それからジャルダンはまたアルマーザを見つめると……

「あなたの身に何かがあったら申し開きができませんから!」

「いや、だからそんな大げさな……」

「何を申されますか!」

 アルマーザはため息をついた。なぜなら彼らは今回の作戦のサポートだけでなく、彼女のお目付役も命じられていたのだ。

 というのは、今回の作戦に参加しようとしていることがカロンデュール大皇の耳に入ったところ、何やら大変に心配なされてしまって、最初はそんな危ないことはするなと言われてしまったのだ。

《でもあの二人が体張ってるんだし……》

 メイさんやサフィーナはまさに大切な仲間だ。万全の体制を敷くため場慣れした彼女も参加したいと断ったら、今度はイービス女王の方に圧力がかかって結局こんな有様になってしまったのである。

「あ、それでそのー、そろそろ下ろしていただけたらと」

「あ!」

 ジャルダンが慌てて彼女を座らせると二~三回咳払いをする。

 さすがに今のはちょっとはしゃぎすぎだったようだが―――それはそうと彼らが来てくれて助かったのは事実だ。

 荒事には男手があった方が何かと便利だし、サルトス軍の制服というのはいろんな状況で効果があるのだ。

 今回の作戦で何か想定外の事態が発生した場合、色々な人たちに“お願い”をする必要が出て来る可能性は大いにある。

 だがベラトリキスには決まった制服はない。

 彼女たちの見てくれはただの武装した娘の集団で、むしろ怪しいのは彼女たちの方だ。なのでそんなときには彼らの制服のご威光が大変有効になるのである―――そんなことを考えていると、御者台に面した窓が開いてハフラが顔を出した。

「さっきからドタバタ何をやっているの?」

「え? いや別に大したことではないですよ?」

「そう? じゃあみんな気を引き締めてね。どうやら前で何か起こってるみたいだから」

 一同が顔を見合わせる。

「え? ついに出ましたか?」

「そうみたい。だからちょっと飛ばすわよ」

 一同が顔を見合わせてうなずくと、ハフラがリモンに声を掛ける。

「それじゃ」

「分かったわ」

 彼女の声と共に荷馬車がスピードアップした。

 ただでさえ乗り心地の悪い荷馬車が更に激しく揺れ始める。

《うひゃあああ、揺れる~~~》

 こうなると迂闊に喋ったら舌を噛みそうだが―――そんな揺れは長くは続かなかった。

「あっ!」

「出たみたいね」

 そんな会話が聞こえて馬車が停止した。

「みんな、仕事よ」

 ハフラの声に、一同一斉に馬車の荷台から降りた。

 目の前にはメイ達が乗っていたカボチャ型の馬車が道を塞ぐように止まっていて、道ばたには縛り上げられたスラードが転がっている。

 その先の草むらから血のついた両足が伸びているが……

「キール! 大丈夫?」

 アラーニャが一目散にそちらに駆けていくと、草むらから彼が顔を上げた。

「ああ、まあ大丈夫だな」

「良かった!」

 しかし彼の服は血まみれで、お腹の部分に大穴が空いている。兵士たちがそれを見て目を丸くするが……

「それよりスラードさんが」

 キールが指さすので慌てて兵士の一人が彼の縛めを解く。

「大丈夫ですか?」

「あ、ああ……大したことはありませんが……」

 スラードは蒼い顔で答えるが―――それから血まみれのキールを見て驚愕の表情になった。

「あんた……ええ⁉」

 一応彼にもキール/イルドの特異体質のことは説明はしてあったのだが、実際に見るまでは、というか見てもすぐには納得がいかないものだ。

《あはは。まあこっちも最初は正直ビビりましたからねえ……》

 これにあれだけ便利な特性―――精力がリセットされるというのがなければ最後まで気持ち悪い人と思われていたかもしれないが……

「で、奴らはどうだったの?」

 リモンが尋ねる。

「あ、はい。このあたりを走ってましたらいきなり馬車が前を塞いでいて、それから二人、覆面の男が出てきてそちらを、その、彼を刺して放り出しまして」

「うん」

「それから私を縛り上げて、彼女たちを乗せ替えて行ってしまったのですが……」

 一同は顔を見合わせる。

「二人は何か飲まされてた?」

 ハフラが尋ねる。

「はい。ちょっと眠ってもらうとか言っていたので眠り薬だったのでしょうが」

 再び一同は顔を見合わせる。

「まさに予想通りですねえ」

 アルマーザはハフラに言った。

「ええ。幸先いいわね」

 彼女もうなずく。

 奴らはこれまで少なくとも四回襲撃を繰り返してそのうち一回が未遂だったが、襲われたときの手口はまさにこうだった。

「ということはこの後も?」

 ジャルダンが尋ねるとハフラが答える。

「ええ。計画通りに行く可能性は高いわね」

 あたりに少し安堵の空気が広がる。

《最初が肝心でしたからねえ……》

 万全の体勢を整えてきたのは確かだが、それでも本当に予想通りに行くかどうかはやってみないと分からない。しかしこれで相手はこれまでの成功体験を元に行動しているのはほぼ明らかで、ならばこの後も予想通りに動いてくれるはずだ。

《それじゃ……うふふっ!》

 人を呪わば穴二つというが、相手を陥れようとするなら自分も陥れられる覚悟をしておく必要があるのだ。

《ふふっ。君たちそういう覚悟はあるのかな~♪》

 このあたりはハフラとリサーンの一番の得意分野で、こうやってアロザールの部隊を何度もきりきり舞いさせてやったものだが―――そんなことを考えていると、前方からたくさんの蹄の音が聞こえてきて、やがて十頭ばかりの馬の集団が現れた。

《おーっ。さすが様になってますねえ……》

 その馬の集団を率いているのは二人の若い娘―――コーラとクリンだ。レイモン出身の彼女たちだ。こういう馬追は得意中の得意である。

「あ、ここよ!」

 ハフラが手を振ると一団は馬車の前で停止する。

「あ、みなさん、大丈夫ですか?」

 コーラが心配そうな顔で尋ねる。

「ええ。誰も怪我はないわ」

 ハフラがしれっと答えるが……

「そう……ですか?」

 血まみれのキールを見て少々青ざめているが、彼女にまたハフラが尋ねる。

「それであいつらは?」

「あ、やっぱり次の脇道を入っていきました」

「そう。ますます幸先いいわね」

 彼女がにっこりと笑う。

「それじゃ乗り換えましょうか」

「おお」

 サルトス兵たちが荷馬車の荷台から馬具を取り出して、コーラたちが連れてきた馬に乗せ始めると、すぐにそこには馬に乗った一団―――ハフラとリモンを先頭に、アルマーザとアラーニャ、ジャルダン以下六名が揃った。

「あ、それじゃ後はお願いね」

「「はいっ!」」

 ハフラが声を掛けるとコーラとクリンが笑顔でうなずく。

 もちろんスラードとキール、それに二台の馬車をここに置いておくわけにもいかないので、彼女たちがガルデニアまで移送するのだ。

 それからコーラは後ろの荷馬車に向かい、クリンはカボチャの馬車の扉を開けると道ばたに佇んでいたスラードとキールに言った。

「あ、お二人はこちらにどうぞ」

「いや、でも……」

 スラードがどうするか迷っている様子だが……

「いーですから!」

 クリンは二人を馬車の中に押し込むと、満面の笑顔で御者台に座る。

《あはは。何だか楽しみにしてましたもんね》

 彼女はメイに負けず劣らずの馬車好きで、こんな上等な馬車を御する機会を逃すわけがなかった。

 スラードとキールの二人は今回は確かに無事だったが、最悪スラードは怪我をする可能性もあったので、二人を連れ帰る役は必須だった。

「それじゃ行きましょうか」

「おおっ」

 一同は追跡を開始した。

 しばらく行くと街道から脇道が分岐している地点があって、そこに馬に乗った大柄な娘―――マジャーラが待っていた。

「こちらに?」

「うん」

 ハフラの問いに彼女がうなずく。

「二人は?」

「ついさっき行ったけど?」

 ハフラは小さくうなずくと今度はサルトス兵の一人に尋ねた。

「これってリーデル村まで行くのよね?」

「はい。間違いありません」

 彼はこの地域の出身で付近の地理に詳しかった。

「じゃ、行きましょ」

 一行は脇道に入り込んだ。

 ここまではまさに順調だ―――と、このあたりで今回の作戦について少々説明しておいた方がいいかもしれない。

 ―――さて、メイさんとサフィーナに囮になってもらったのは敵のアジトを突き止めるためだが、そこは当然ながら警戒厳重であろう。とすれば少人数で突入するわけにはいかず、それなりの手勢が必要になる。

 襲撃があったのはガルデニアに向かう地域では重要な街道なので、少々他の旅人がいてもおかしくはない。だがさすがにそんな大勢が物々しい様子でついていったらバレてしまう可能性は大ありだ。

 そこで考えたのがこの作戦で、まず追っ手を後ろからだけでなく前にも先行させておいたのだ。逃げる方は当然後に注意が向くから、先行する方までが追っ手だとは気づきにくいものだ。

 そして先行組を馬追の一団に、後行組を行商人の荷馬車に偽装して、馬車には人員と馬具を積んでおけば、こうしてあっという間に追跡部隊が現れるという仕掛けである。

 先行組はアウラ、リサーン、マジャーラ、コーラにクリンと共に“ダンテ”という牧羊犬が一匹含まれていた。こいつは馬追が得意なだけではなく、鼻もよく利くまさに心強い味方なのだ。

《何せお母さんの秘伝のスパイスですからねえ……》

 あれは人間が嗅いでもつんと独特の香りがしていたから、彼ならもう絶対に間違えることはない―――というわけで先行組のアウラ、リサーン、そしてダンテ君がまずはメイ達の乗せられた馬車を追跡していったのだ。

 後行組はさらにその後から十分に間を取って追跡を開始する。

 あたりはうっそうと茂った森の中の、馬車一台が通れる幅しかないような脇道だ。通常ならこの道でいいのかと心配になってしまいそうなのだが……

《あはは。まさに予想通りですからねえ……》

 なにしろ先ほどの襲撃地点は、計画時点で幾つかに絞り込まれていた襲撃予想地点の一つとぴたり一致していたのだ。

 今回の誘拐犯はそれまでの犯行地点からそのアジトはガルデニア北東のクラーウィス地方にあると考えられた。

 さて、ここで犯人の立場になって、娘をさらった後どうするかを考えてみると……

《まずは街道沿いに逃げていったりはしないわよね?》

 この街道は先ほども言った通りガルデニアに向かう主要な街道だが、そこまで道幅が広いわけでもないので、馬車ですれ違う場合には両者細心の注意が必要だ。すれ違いざまに当たった当たらないで揉めることも珍しくない。

 なので後ろから無理矢理に先行車を追い越そうとしたらさらにトラブルになりやすい。

 しかしさらった娘を乗せてそんな目に会うのは避けたいはずで、できる限り早く本拠地に向かう閑静な間道に入りたいはずだ。

《とすれば、そのちょっと手前が襲撃地点ですよね?》

 実際にこれまでの襲撃地点を見たら全てがその条件に合致していた。そこで今回の経路でそんな場所はどこかと調べたら僅か数カ所しかなく、その一つが見事に当たったというわけだ。

《この調子だと何もしなくてもいいかもしれませんねえ……》

 アジトに踏み込むときにはさらに心強い味方がいるわけで―――そんなことを考えながら間道を進んでいくと、前方に馬に乗った二人と一匹の姿が現れた。アウラとリサーン、それにダンテ君だ。

 後行組の気配を感じてリサーンが振り返ると、静かに来るように合図をする。

 一行がゆっくりと二人のところに来ると、木々の間から箱形の馬車がゆっくり走っているのが見えた。

「あれよ」

 リサーンが指さす。

「気づかれてない?」

 ハフラが尋ねると彼女はにやっと笑う。

「もちろん!」

 そこで二人と一匹を加えた追跡部隊は、慎重に気づかれないようにメイ達の乗せられた馬車を追っていった。

 しばらくそんな追跡が続いていたが、やがてまたトップのリサーンが全体に止まるよう合図をする。

「受け渡すみたいよ?」

 彼女の指す方を見ると森の木々の間から小さくあの馬車が見えて、その先に馬に乗った誰かがいるのが見えた。

「あ、本当ですね。来たのは……やっぱ二人ですか?」

 アルマーザが尋ねるとリサーンがうなずく。

「うん。これもバッチリね」

 未遂のときの実行犯は娘たちをこんな森の中で依頼人に受け渡す手はずになっていたが、今回も同様の段取りだったようだ。

 そんな会話を聞いてジャルダンが首をかしげる。

「二人って……見えるんですか?」

「え? あ、ほら、あたしたち砂漠育ちだから、目はいいのよ。そこのお馬鹿さんを除いては」

 そう答えてリサーンがハフラを見る。

「あ?」

 ここからいつもならナイフが飛び交ったりするのだが、今回は彼女もじろっとリサーンを睨んだだけだった。

《まあ、ハフラは前から本ばっか読んでましたからねえ……》

 だがリサーンも最近は詰碁の本ばかり読んでいるからあまり油断はできないと思うのだが―――というのはともかく……

「お、受け渡し、終わったみたいだな?」

 マジャーラの声に振り返ると馬車から実行犯たちが降りて、やって来た男たちが代わりに乗り込んでいる。実行犯は男たちの馬に跨がると、こちらに引き返してきた。

「あ、こっちに来ますね」

 アルマーザがつぶやくとリサーンがアウラとリモンに向かって言った。

「それじゃ。向こうの奴らに気取られないように、十分引きつけて」

「うん」

「分かったわ」

 こういうのもあちらで散々やって来たので、二人とも落ち着いたものだ。

 二人はのんびりとした雰囲気で馬を進めていった。

 やがて男たちとすれ違ったところでアウラがいきなり話しかけた。

「あんたたち女の子さらったでしょ?」

「あ?」

 いきなり因縁をつけられて男たちも面食らうが……

「首に金貨八枚かかってるから。おとなしくジェイルまで来たら命は助かるわよ?」

「てめえ! 賞金稼ぎか⁉」

 男たちが剣を抜こうとするが……


 ドスッ!

  ドスッ!


 そんな鈍い音と共に二人は馬から転げ落ちた。

 もちろんアウラと、同時に反対側からリモンの薙刀の峰が二人の首筋にたたき込まれた音だ。

《いやー、いつ見ても見事ですねー》

 こういう光景もこれまで何度も見てきたが……

《それにしても二人とも容赦ないんですよねえ》

 彼女たちの太刀筋には微塵の迷いもなかった。アルマーザなどはもしかしていい男なんじゃ? とか思って少しばかり躊躇してしまうものなのだが……

「よっしゃーっ!」

 リサーンのかけ声と共に一同は現場に急行する。そして彼女とマジャーラ、ハフラとアルマーザがそれぞれ組になると、一気に二人の男の手足を縛り上げた。

 そんな手際をジャルダンたちが目を丸くして見ていたが……

「あ、こいつら馬に乗せるの手伝って!」

「お、おう……」

 兵士たちが手伝うと……

「ありがと! こんなときに男手って便利よねー」

 そんなリサーンの様子に、兵士たちは何と答えていいか分からない様子だ。

「ほら、うちの村って女ばかりだったじゃない? だからみんなこういうのに慣れてないとまずいのよ」

「そうなんだな」

 ジャルダンはなにやら感心している様子だ。

 まあそれに加えて例の解放作戦でその技に磨きがかかっているのも事実だが―――気絶した実行犯たちを馬に縛り付けると、一同は追跡を再開する。

 しかし馬車の轍は残っているしダンテ君もいるしで、まさに簡単なお仕事だった。

 そして……

「あ、ここで曲がったみたいね」

 間道からさらに細い脇道に向かって轍が曲がっている。

「えっとこの先は?」

 ハフラが先ほどの兵士に尋ねる。

「確かサバーナの館だったと思いますが」

「それって?」

「このあたりの小領主ですよ」

「じゃあそいつかしら?」

 リサーンが尋ねる。

「そこをスルーして別な場所とかは?」

 だが兵士は首を振った。

「いや、これは館まで一直線です」

 一同は顔を見合わせる。どうやら悪党の根城に行き着いたようだ。

「小領主ってことはやっぱり結構大きな館なの?」

 リサーンの問いに兵士はうなずいた。

「それなりに」

「それじゃやっぱり応援が必要ね」

 ハフラがそう言ってアルマーザの顔を見た。

「えへ。それじゃひとっ走り行ってきますね!」

 それを聞いていたジャルダンが驚く。

「え? アルマーザ様が? そんなこと我々に任せてもらえば……」

「あ、いや、ちょっとアラーニャちゃんの魔法のテストも兼ねてて」

「え?」

「いや、心話って色んなところで使えると便利でしょ? でもほら、あたしは魔法が使えないから、場所とかが限られちゃうんですよ」

 だがジャルダンたちは魔法には詳しくないと見えて、その説明ではちんぷんかんぷんのようだ。

「ともかく護衛をつれていってください」

「あー、そりゃ構いませんが……」

 んな面倒な―――とは思ったが、彼らだって王命を受けてやって来ている身。何かあったら可哀想なことになりそうなので、アルマーザは兵士二人と共にまっすぐリーデル村に向かった。

《あそこまでだと一時間くらいだから、往復二時間か……ここが踏ん張りどころよね?》

 囮になった二人にとっては一番危険な時間帯だが―――まあ“高級な商品”だ。いきなり何かされちゃったりすることはないと思うが……

《それに普通なら……》

 大抵の男ってのはやっぱり大きなおっぱいとかお尻が好みのはずなので。そういう意味でも二人は安全間違いなしなのだが―――ぷふっ!

 などと考えつつしばらく進んでいくと見覚えのある景色が現れた。

 低い丘の上に小さな村がある。リーデル村だ。中央の時計台のある宿屋は一昨日の夜泊まったところだ。

《あ、なるほど! こうつながってるんですね?》

 この村はクラーウィス地方の交通の要なので、ここから各地への街道が発している。そして逆にここからだとこの地方のどこにでも、急げば一時間くらいで行けるのだ。

 三人はまっすぐその宿屋に向かった。

 入口をくぐると中は食堂になっていて、その奥で赤毛の女性が数名の旅人風の男たちと一緒にお茶を飲んでいるところだった。

「あ、アスリーナさーん」

 アルマーザが手を振ると、彼女が意外そうに答えた。

「え? アルマーザさんじゃないですか。どうしてあなたが?」

「いや、ちょっと心話のテストをしようかと思いまして。そのために一昨日、わざわざアラーニャちゃんとここに泊まってて」

 現地調査でここに来る必要はあったが、本来なら宿泊まではしなくて良かったところを無理してお願いしたのである。

 彼女の場合はそれで一発で話が通じた。

「あ、なるほど。そうなんですか。うまくいくといいですねー」

「はいー」

 魔法使いには“心話”という能力が使える者達がいる。それで例えばシアナ様とリディール様なら二人がどこにいても話をすることができるのだ。

 しかしその二人と違ってアルマーザは魔法が使えない。なので彼女が心話をするには、アラーニャから話すときはアルマーザに“伝心”し、アルマーザが話したいことをアラーニャが“読心”するという違った魔法を組み合わせる必要がある。

 その方式で一番問題になるのが、どうやって相手を見つけるかということだ。

 相手が目の前にいれば簡単なのだが、それでは普通に話した方が遙かに早い。

 しかし二人が遠く離れていた場合、魔法使い同士ならばそれでも分かるらしいのだが、アルマーザみたいな凡人の心は石ころみたいな物で、ちょっと離れたらどこにいるか分からなくなってしまうという。

 しかしそんな石ころでも“二人がよく知っている場所”であれば見つけることができるそうで、逆にそんな場所であればそれが遙か遠く離れていても大丈夫なのだそうだ。

《だからヴェーヌスベルグにいればどこからでもOK、とかシアナ様、言ってたけど……》

 それをすぐに確かめることはできないが、要するにそんな場所をあちこちに作っておけば、そこに彼女がいれば心話が可能だということになるわけだ。

 というのはともかく……

「それで本拠地は分かったんですか?」

 アスリーナが尋ねた。

「はい。ここの郊外のサバーナって小領主の所みたいで」

「分かりました」

 彼女が回りの男たちに目配せをすると、彼らはうなずいて一斉に散っていった。

 彼らがここにいたのは外でもない、誘拐団の討伐部隊の本隊だからだ。

 前述の通りアジトを押さえるためにはそれなりの人員が必要だが、それでぞろぞろと犯人を追いかけていたら相手に露見してしまう可能性がある。

 しかしこれまでの検討でアジトがこのクラーウィス地方にあることはほぼ確実になっていた。そこで予めこの地方の中心にあるリーデル村付近に偽装したサルトス兵を集結させて、場所が分かったら一気に突入という手はずになっていたのである。

《しかし、アスリーナさんも何てか堂に入ったもんですよねえ……》

 彼女はイービス女王の腹心でサルトス王国の宮廷魔導師という立場だが、それだけでなく例の“荷物運び”のときにも大活躍で、特にサルトス軍の兵士からは絶大な信頼を得ているのだ。

《……にしても、ご本人が来てくれるとか……》

 彼女がとんでもなく忙しいというのはアルマーザもよく知っていた。

 このサルトス王国というのはちょっと前まではレイモンや都と敵対していて、それがメイさんたちのおかげでこちらの味方になってくれたのはいいのだが、サルトス軍の主力は未だアイフィロス方面にいるし、レイモン軍がアコールに駐留しているし、ガルデニアにはカロンデュール大皇やメルファラ大皇后が滞在していたりもするしで、まさにてんてこ舞いという状況なのだ。

《そこにこんな話を持ちかけちゃったんですけど……》

 誘拐団のアジトを特定するのはともかく、潰すにはアルマーザ達だけでは足りないのは明白で、その人員を貸してくれとお願いしたときには彼女も目が点になっていたが……

《なんで話は立ち消えになりかかったんですけどねえ……》

 さすがにそのために人員を割くというのはちょっと無理ということで、やっぱりこの計画は諦めて護衛だけに専念しようかということになりかかっていたのだ。

 ところが何故かその夜、女王の命令でいきなりOKということになってしまったのだ。

《何でもこの地域の大守がヴォルフ様の腹心の一人で? そこでこんな不祥事があったら、うふふ なんだとかで……》

 あのイービス女王様ってわりと腹黒いところがあるように思うのだが―――まあ、こちらのエルミーラ様も似たり寄ったりなんで、ともかくアルマーザとしてはこういう高度に政治的な話には首を突っ込まないようにしておくのが吉であろう。

「じゃ、私たちも行きましょうか」

 アスリーナが立ち上がる。

「あ、ちょっと待って下さい?」

 せっかくやって来たのにまだテストが終わっていないわけで。

《あー、アラーニャちゃーん。早くぅぅぅ!》

 一昨日の夜はここの食堂でみんなで美味しい食事をして、ちょっとお酒も頂いちゃったりして盛り上がってたから忘れないとは思うのだが―――それともその後、久々にアラーニャちゃんとちょっとムフフな夜も過ごしちゃったりしたし……

《あ、やっぱあの寝室に行かないとダメかな

 そこでじっくりとあの夜の記憶を再現すれば―――あ、その前に宿屋のお風呂に入ったときからかな? あのときは久々にアラーニャちゃんの可愛いおっぱいを見てつい興奮しちゃって……


『ちょっと! 何考えてるのよっ!』


 頭の中で声がした。

「あ、アラーニャちゃんだーっ

『何よーっ? そのはっ!』

「だってほらー、やっぱりここに来たらめくるめくあの愛の夜の思い出がー……」

『それどころじゃないの!』

「え?」

『館が燃えてるのっ!』

 ………………

 …………

 ……

「は?」

 彼女はいま何と言った?

『メイさんとサフィーナが連れてかれた館が燃えてるの!』

「え? ええええええっ⁉」

『見て!』

 その言葉と共に、頭の中に彼女の視界が飛び込んできた。

 畑の中に塀で囲まれた結構大きな館があるが、そのほとんどの窓からもくもくと煙が上がっている。幾つかの窓からは炎が吹きだしているのも見える。

「えええええ? どうして……」

『分からないの。でももう待ってられないから、先に行くから』

「分かった! こっちもすぐ行くから!」

『うん』

 彼女の心話が途切れると、アスリーナとバッチリ目が合った。

「何かトラブルみたいですね?」

「あ、それが、何だか館が燃えてるとかで……」

「はいぃ⁉」

 アスリーナの目も丸くなった。

「ともかく急ぎましょう」

「ええ」

 一行は全力で館に向かった。