第8章 危険な女たち
ごとごととあたりが揺れている。
《はにゃ?》
メイは薄目を開けてあたりを見るが―――薄暗くて狭い部屋の中で固いベッドのような物の上に横たわっている。
《えっと~……》
だがこの空間はメイをなぜか心安らかな気分にしてくれる。
《あ、そっか。馬車の中か……》
彼女は客室のシートの上に寝ていたのだ。普通の人には長さが足りなくて窮屈なのだが、彼女ならばちょうど良いサイズなのだ
では何の心配も無いわけで―――いや、そうか? それにどうして窓を閉め切っているのだ? 隙間から光が差し込んでいる以上、外は昼間のようだが……
《えっと……そもそもどうして馬車になんか乗ってたんだっけ?》
頭がどうもはっきりしない。
視線を横に向けると向かい側の薄暗がりの中、眠っている少女が見えた。
《ん? サフィーナ? でも、どうしてそんな格好……》
何だかとっても可愛らしいドレスを纏っているのだが―――と、そこでおぼろげながらも記憶が蘇ってくる。
《あ、そういえば何かの作戦中だったんだっけ?》
確か―――そうそう。少女誘拐団を捕まえるために囮になってたような……
………………
…………
……
《え?》
では今はその作戦の真っ最中ということか?
背筋がぞわっとするが……
《あ、でも……》
確か誰かが、今回は何もしなくていいって言ってたような気もするが―――えっと、どうしてだっけ? 理屈は良く思い出せないが……
《あー、でもだったら……》
何もしなくていいというのなら話は楽だ。
それに今はひたすら眠い。
メイは再びまどろみの中に落ちていった。
―――それからしばらくして……
《ん?》
彼女は再び目を開ける。
さっきと違って何か違和感があるが―――それはすぐに分かった。あたりが揺れていない。馬車が止まっているのだ。
《えっとー……》
そういう場合どうすれば?
《って、何もしなくていいのよね?……今回は》
相変わらず頭ははっきりしないし、体も重い。
と、そのとき外から会話が聞こえてくる。
『ありゃ、旦那方、いらっしゃってたんですかい?』
『ああ。若旦那様がお待ちかねでな』
『ええ? 何そんな慌ててるんですか? 上手くいくかどうかも分かんないってのに』
『でも上手くいったんだろ?』
『そりゃまあ』
『見せてみろ』
外で足音がして―――続いて客室の扉が開く。
《うわっ!》
急に差し込んできた光に目が付いていかない。
『これか?』
『へい』
『ほう……』
何か嫌な視線を感じるような気がするが……
『それじゃあちらに乗せ換えろ』
『へい』
誰かが入ってくる気配がするが……
『おい! 起きてるか?』
「はにゃ?」
何だか頬をピタピタ叩かれているようだが……
「はわ?」
『まだ薬が効いてるみたいだな。ほら、早く』
『分かりやした』
それとともにいきなり体を抱き上げられる。
《えーっ⁉》
思わず暴れようとしたが―――体に力が入らない。
《えっとー……》
彼女は抱きかかえられて、そのまま別な馬車に乗せられた。
《え? これは……》
今までの馬車と違ってずいぶん上等だが? さっきまでのはわりと安物のベルリンっぽかったが、今度のはまたランドーだ。しかも……
《うお! こ、これは……》
横目でちらっと見ただけで分かる。これは間違いなく超高級車だ!―――しかも……
《うお! こ、こ、これは……》
彼女はそのランドーのシートに寝かされたのだが―――それは柔らかく滑らかなベルベット張りだ。
《ってことは……》
………………
…………
……
《あはっ 幸せっ!》
メイは再び心地よい夢の世界へと旅立っていった。
―――それからしばらくして……
あたりがゴトゴトと揺れている。
《ん?》
何か、この揺れ方はさっきと違うような―――と、そこで先ほどの記憶が蘇ってきた。
《あれ? えっと……》
そういえば馬車を乗せ換えられたような気がするが……
《この内装、さっきの馬車じゃないわよね?》
それはどう見ても明らかだし、さっき夢現で聞いていた会話とも合致するわけだが……
………………
…………
……
《えっと……そんな予定あったっけ?》
計画では彼女たちは誘拐団のアジトに連れて行かれたら、あとはそこでじっと待っていればいいだけだった。そうすればやがてみんなが助けに来てくれることになっていて……
《……って、別な馬車に乗ってる⁉》
………………
…………
……
メイは飛び起きた。
今度は体はシャキッと動いてくれた。薬はそろそろ抜けたようだ。
だが向かいのシートではサフィーナがまだすやすやと眠っている。
「サフィーナ!」
メイは小声で話しかけるが、彼女は答えない。
それから彼女の頬をつついてみるが……
「ん~」
彼女は目を覚まさない。あのお茶をたくさん飲んだのか、薬が効きやすい体質なのか、それはともかく……
メイは馬車の窓を開ける。そこは―――どこかの森の中だった。
《あーっ! これじゃ全然分からないじゃない!》
そこで今度は彼女は前部窓を開ける。
「あのー……」
「あ? 起きたのか?」
御者が答えた。
「えっと、その、ここはどこですか?」
「メレーナの森だが?」
………………
そんなことを言われても分かるはずがない。
「あのー、いったいどこに向かってるんですか?」
「グラドゥス城だが?」
………………
そんなことを言われてももちろん分かるはずがない。
それはそうと……
「あのー、ちょっとお手洗いに行きたいんですけどー」
これは実際にそうだった。ということは捕まってからそこそこ時間がたっているということだろうが……
「あー? もう少し我慢できないか? 城はすぐそこだから」
「えーっ……」
我慢できないわけでもないが―――そんなことを思っていたら外が明るくなった。
見ると馬車は森を抜けて畑の中の道に入っていた。前方に丘があって、その上に石造りのがっちりとした城がある。
「あそこまで我慢できるか?」
「あー、まあ……」
そのくらいなら―――と、そのときサフィーナが身じろぎした。
「んー……」
「起きた?」
「え? あー……」
まだ彼女は薬が効いていると見えて、視点が定まっていない。
「も、着いたのか?」
「それが、何か違うみたいなのよ」
「は?」
サフィーナが目をこすりながら体を起こす。メイは小声で彼女に囁いた。
「何だかアジトから別な場所に連れてかれてるみたいで」
「え? どしてだ?」
「どうしてって言われても……」
メイもまだ目が覚めたばかりで頭が百パーセント回っているわけではない。
そうこうするうちに馬車は城に登る坂道に差し掛かる。
そこからは周囲に広がる田園風景と、その先の深い森。遠方には雪を被ったア・タンの峰を望むことができた。
「お~、結構いい景色だな~」
サフィーナは暢気だが、メイはひどく心配になっていた。
《えっと……どうしてこんなお城に連れて来られてるのよ?》
計画にはそんな話はまったくなかったし……
《まさかドッキリとか?》
一番危ない目に遭った彼女たちをねぎらうために、エルミーラ様とかが仕組んでいたとかなら分からないでもないが……
《いや、それってけっこう洒落にならないでしょ?》
こんなときにふざけないで欲しいのだが―――それに頭の片隅に何かが引っかかっている。
《えっと……何だっけ?》
先ほど夢現で男たちの会話を聞いていたような気がするが―――そんなことを考えているうちに、馬車はグラドゥス城の城門をくぐった。
《おわー……》
その先にはまさにサルトス風の質実剛健とした石造りの城塞が聳えていた。
馬車がその正門前に来ると、眼鏡をかけた三十過ぎくらいのメイドが待っていた。
御者が馬車の扉を開くと、彼女が深々とお辞儀をする。
「よくぞいらっしゃいました」
とりあえずは歓迎されているようだが―――メイとサフィーナは顔を見合わせる。
「おい、どうした? トイレに行きたいんじゃないのか?」
「え? ああ、まあ……」
それを聞いたメイドが手を差し伸べる。
「ではこちらに」
いいも悪いもない。二人は彼女の後に従って城内に入った。
城は無骨な内装ではあったが良く管理されていると見えて、お手洗いは清潔でキチンと掃除も行き届いていた。
しかし中は複雑で、廊下はジグザグに曲がっているし、あちこちに階段やスロープもある。
《うわあ、ガルデニア城もこんなだったけど……》
サルトスの城はこんな造りが基本なのだろうか?
続けて二人は食堂に通された。
「お腹が空いてるでしょう? ちょっと待っていて下さいね」
そう言ってメイドは姿を消した。
メイとサフィーナはあたりを見回す。こういう城ではわりと普通の使用人用の食堂のようだ。
窓の外を見るとそろそろ日が傾いている。
二人は顔を見合わせた。
「んで、どうしてこんなところにいるんだ?」
「それが、分からないのよ。何も聞いてないでしょ?」
「ん。何も」
いったいどういうことなのだ?
そろそろ頭もはっきりしてきたので、ここでもう一度状況を整理してみる。
まず、計画ではメイ達が囮になって誘拐犯にさらわれる。それを追跡部隊が追いかけて、彼女たちがアジトに連れ込まれたら突入して一網打尽にすることになっていた。
その際に突入メンバーを揃えるのに少々時間がかかるので二~三時間は我慢しておかねばならないが、高級な商品の彼女たちがぞんざいに扱われることはないので、ただおとなしく小さくなっていれば良い―――ということだった。
《ともかくさらわれるところまでは計画通りだったんだけど……》
そこで二人は薬入りのお茶を飲まされてずっと眠っていたので、その後のことは定かではない。
ただあの夢現の会話が現実だったとしたら、彼女たちはどこかで馬車を乗せ換えられたわけだが……
《でも、そんなことが起こったら……》
こういう計画には当然、想定外の事態も発生しうる。そうなった場合にはその場で犯人達を捕らえて尋問するプランに変更することになっていた。
それだと親玉を逃がしてしまう可能性はあったが、それでも組織に関する詳細な情報は分かるはずだ。
《……んで、再度の載せ替えって……計画にはなかったわよね?》
すなわちこれは“想定外の事態”なのだが……
《ってことは、その時点で取り押さえられてなきゃいけないんだけど……》
なのに追跡部隊はそうしなかったわけだ。
それはどうしてだ?
《あー……でも……》
馬車を乗せ換えられたというのは確かに想定外だが、そこまでまずい事態でもないという気もする。それに……
《あ、そういえばあのランドー、上等だったわよね?》
そんな馬車でやってくるとしたら金持ちの顧客ということで―――ならばそんな大物を押さえるために敢えて見逃すという判断を下す可能性はあるわけで……
《あはは。そういえばイービス様、ヴォルフ様のあら探ししてましたもんね……》
この地域のそこそこ偉い人が絡んでいるとなれば、そちらを優先ということは考えられる。
―――ということは?
《あはっ! だったら安心ね》
計画は抜かりなく進行中なのだ。ならば果報は寝て待てということで―――だが……
《あれ?》
まだ何か引っかかるのだが……
《えっと……“敢えて”ならいいんだけど……実は本当に見逃したとか?》
………………
…………
考えてみたら顧客がその辺の道ばたで待っていたりするだろうか? あれが例えばアジトの中での出来事だとすれば、追跡部隊から受け渡し場面は見えないのでは?
《え?》
アジトを発見してからそれを包囲するまで少し時間がかかる。その前に反対側から行ってしまったとすれば……
《え? 見逃されてる可能性……ある⁉》
背筋に冷たい物が走るが……
………………
…………
だが……
「あ! あははははっ!」
「ん? どした?」
サフィーナが不思議そうにメイを見る。
「あ、いや、だからまあ安全だから心配しなくていいから」
「そうなのか?」
彼女は不審そうだが―――そこでメイは話し始めた。
「だからね? まず追跡部隊があたしたちのこと、敢えて見逃したとするでしょ?」
「ん」
メイはその場合を説明する。
「ああ、そうか。じゃあ大丈夫なのか?」
サフィーナがにっこり笑ってうなずくが―――メイは首を振る。
「ううん。もう一つ、アジトの中で受け渡されて、追跡部隊からは見えなかったってこともあり得るんだけど……」
サフィーナの顔色が変わる。
「え? それってまずくないのか?」
だがメイは首を振った。
「ううん。それが大丈夫なの。だってその場合もアジトへの突入は予定通り行われるでしょ? そうしたらあたし達がいないってことが分かるんだけど、そこで誘拐団を尋問すればやっぱりこの場所は分かるはずよね? アラーニャちゃんもいるし」
「あ、そだな」
「もちろん少し時間はロスするけど、やっぱり待ってれば大丈夫なのよ」
サフィーナがうなずいた。
「ん。分かった」
―――というわけで少々想定外の事態だとはいえ、特に心配することはないということが分かれば……
《ん? まだ何かある?》
心の隅にまだ何かが引っかかってるような気分なのだが―――と、そのときだ。
「ぐぅぅぅ」
サフィーナのお腹が鳴った。
二人は顔を見合わせて吹きだした。
「サフィーナのお腹、正直ね?」
「いいだろ? メイはどうなんだ?」
「そりゃまあ……」
言われてみたら急にお腹が減ってくるが―――そこに先ほどのメイドが食事を持って戻ってきた。
「さあどうぞ」
出されたのは従業員用とおぼしきパンとシチューの夕食だが……
《あ、でも美味しそう!》
シチューには肉と野菜がふんだんに入っているし、立ちこめるスパイスの香りが鼻をくすぐる。パンも焼きたてのふわふわでまだ温かい。
「それじゃいただきまーす!」
メイがシチューを人さじすくって口に入れると……
《うわーっ! 味も絶品よね?》
横目で見るとサフィーナも同様にパクパクと食べ始めている。
これは美味しい! スプーンを動かす手が止まらないっ! この味付け、是非レシピを聞いて帰らねば! などという思いが頭の中を駆け巡るが―――そこでメイドと目が合った。
「え?」
彼女がにっこりと笑う。
「まあ、二人とも元気なのですね?」
………………
…………
……
え?
考えてみれば―――メイ達は人さらいに襲われて、護衛の人は殺されてしまって、無理矢理薬を飲まされて、どこかも分からないこの場所に連れてこられた身の上だったわけだが……
《うげっ! 疑われてる⁉》
そんな娘たちなら食事も喉を通らないほど怯えていたりするのが普通なのでは?
「いや、その、すごーく美味しかったんでっ!」
「ん」
サフィーナも慌ててうなずくが―――だが……
「お代わりがいるなら言って下さいね。まだありますから」
そんなことは気にならない様子だった。
「あ、はい……」
さすがにここでお代わりまでするわけにはいかないが―――しかし……
《この人……何なんだろう?》
何だか不思議な雰囲気の人だ。
眼鏡を取ると結構な美人に思えるし、その醸し出す独特の色香というものがメイにもびんびん感じられる。何かほのかに良い香りもするし、男だったらついムラッときてしまうんじゃないのか?
しかしその一方で起居振舞はなにか超然としていて、表情がひどく読みづらいというか……
《それはそうと、この人、あたし達のことどう思ってるんだろう?》
彼女がこの城のスタッフである以上、メイ達がさらわれてきたということを知っているはず?―――でもないのか?
単にどこかから連れてこられた娘たちを世話しろと言われているだけなら、まあこんな対応でもおかしくはない気はするが……
そんなことを考えつつ、メイ達は食事を終えた。
「あの、どうも。美味しかったです」
「そう。では今度はこちらに」
メイドは二人を別なフロアに誘った。そこは城の上層で、ここの城主などが居住している場所と思われた。
下のフロアとは違って床には絨毯が敷かれ、相変わらず分かりにくい通路にはあちこちに彫刻などの飾りも置かれている。
そこを抜けて案内されたのは浴場だった。
「さ、こちらで旅の疲れを癒やして下さい」
「あ、はい……」
メイとサフィーナは顔を見合わせるが―――いいも悪いもない。
二人は服を脱ぐと浴場に入った。
《うわ……結構広い……》
しかも内装も豪華だ。使用人などが使う場所とは違うことが一目で見て取れる。
二人は恐る恐る湯船に浸かった。
《うわあ! いい気持ち》
こんな状況でも気持ちのいいお風呂は気持ちがいいものだ
メイの場合少々嫌なことがあっても、お腹いっぱい食べてお風呂に入ってぐっすりと眠れれば明日も頑張ろう! という気分になれるのだが……
《うう、これって……その……あれよね?》
そう。これまではその事実から可能な限り目を逸らそうと努力してきたわけだが……
「もしかして……これからここの奴らの相手しなきゃならないのか?」
サフィーナがいきなり核心を突いた。
「あ、あははは……」
そう。彼女たちは大切な商品だった。すなわちそれは客に買われるまでは傷つけないよう大切に扱われるわけだが……
《買われた後は……どうなるかな? あははっ!》
こんな娘たちを闇で大枚はたいて購入するような客が、そんな娘たちをどのように扱うかというと……
………………
…………
……
「あ、えっと、ここ来てからどのくらい経ったっけ?」
「え? 一時間くらいか? もうちょっとかな?」
「う……それじゃ来るまではもう少しあるかしら……」
「そだな。それにもっとかかることもあるんだろ?」
「あ、まあ……」
パターンBではさらにもう少し時間がかかりそうだが―――もちろんそいつが彼女たちをいきなり殺したりはしない。
だがしかし―――いきなり何をされるかといえば……
………………
…………
……
《うへえっ!》
逃げるか⁉
そうできれば最善なのは間違いないが、しかし逃げるにしてもガルデニア城に比べたら小さいといっても十分に大きな城だ。通路は込み入っているし、衛兵とかもいるだろう。その上サフィーナは武器を持っていない。となれば脱出はほぼ不可能と思われるのだが……
《もしかして、これってものすごい……ピンチ?》
いや、しかし―――メイは思い直した。
なぜなら、彼女たちは“とても高い買い物”だったはずなのだ―――とすれば、いきなりそんな物を壊してしまったりするだろうか?
《えっとそういう場合、あたしなら……?》
彼女がハミングバードを手に入れたときは、まずはその周りをぐるぐる回ってそのフォルムを目に焼き付け、それからおずおずとその車体を撫でて感触を確かめ、シートに頬を寄せてその肌触りを楽しみ、実際にぶっ飛ばしたのはそれらを味わい尽くした後のことだったわけだが……
《じゃあ相手もそうするかしら?》
まずはその見かけをじっくりと堪能した後、服を一枚ずつ脱がしていって一糸まとわぬ姿にして、じっくりなで回したり抱きしめたりしながらゆっくりと時間をかけて楽しもうとするのでは?
《うげーっ!》
いや、好きでもない奴にそんなことをされるなど、考えただけでもおぞ毛が立つが―――だが……
《でもそれなら間に合う⁉》
追跡部隊の方だってこういう場合は急ぐはずだ。顧客のところに送られたと分かればメイ達がどういう状況にあるかは想像できるはずだし、気色悪いのをちょっとだけ我慢していれば間に合ってくれるのでは?
《じゃ……もう少し流れに任せてみとく?》
ここで最悪なのは、迂闊なことをして彼女たちの正体がバレてしまうことで……
メイは腹を決めた。
「あ、サフィーナ」
「ん?」
「ともかくここはしばらく相手の出方を見ましょ」
「それでいいのか?」
メイはうなずいた。
「大丈夫よ。待ってれば助けは来るから。だから……とりあえずはゆっくり浸かってましょ」
「ん。分かった」
そこで二人はじっくりと湯船に浸かり、体の洗いっこをしたりしてできる限り長風呂を楽しんだ。
やがてさすがにのぼせてしまったので、仕方なく上がることにする。
そうやって二人が湯気を立てながら出てくると……
「ん? 服はどこだ?」
「あれ?」
入るとき脱いで畳んでおいたはずだが―――二人がそれを探してうろうろしていると、またあのメイドが現れた。
「お風呂はいかがでしたか?」
「あ、良かったですが……あの、あたし達の服なんですが……」
「あ、あれは洗濯に回しておきました」
「え? じゃあ……その……」
まごまごしている二人を見て彼女はニコッと微笑む。
「こちらにございますよ」
そういって近くの棚の上から箱を下ろしてくると、中から真新しい下着を取りだした。
二人はそれを身につける。なかなか上等で肌触りの良いものだが……
「あの、それで、上は?」
この格好で出歩けというのか?
だが、メイドはまたにっこり笑う。
「そのままで構いませんよ?」
「はいぃ?」
「でもこれって……」
サフィーナもメイドに尋ねるが……
「ですから構いませんから」
彼女は取り付く島もない。
「でもこんな格好じゃ……」
「寒いのなら部屋を暖めさせましょうか?」
「あー……いや……」
そういう問題ではないのだが―――と、メイ達が目を白黒させていると彼女が言った。
「お二人は遊女志望なのですよね?」
………………
…………
……
うわ! 確かにそれはそうだったっ!
もしこれが本物の遊女だったら、こんな“厚着”だったりはしないわけで、この程度で取り乱すわけにはいかないのだが……
「あ、それはそーですがー、私たちまだ素人なのでー、とてもご満足頂けるとは思いませんのですがー……」
「いえ、そのことは若旦那様も承知しておりますから。お気になさらずに」
………………
…………
……
えーっ⁉
メイとサフィーナは顔を見合わせる。
《えっとこういう場合どうすれば……》
二人は立派な遊女になるべく女衒と共にディーレクティアに向かう途中ということになっていた。ならばそういうことをする覚悟はできていて当然だ。確かにこれは少々異常な事態ではあるが、やるべきことは大差ないわけで……
だとしたらここで慌てたり暴れたりしたら不自然か?
だとしたら……?
《うー……行くっきゃないの?》
他に選択の余地はなさそうだ。
そこでメイはサフィーナに小さく会釈すると、彼女もうなずき返した。
それを見たメイドが彼女たちに先立って歩き出す。
二人はその後を付いていくが……
《うげーっ!》
これは、やっぱりちょっと、その、何というか、心の準備ができてないというか……
そもそもメイは男の裸というのをまだじっくりと見たことなどなくて―――いやまあ、フィンが解呪をしてるのを覗いたりはしていたが、面と向かってご対面となったらいったいどうすればいいのだ?
《いやまあ、話だけは聞いてるんだけど……》
ここ最近ヴェーヌスベルグの連中とつるむことが多々あったが、彼女たちは普通の日常会話からそちら方面にシームレスに話題が移動するなんてのは日常茶飯事だ。おかげで男のアレの特徴とか扱い方とかは―――主にキールとかイルドのモノに関してだが、けっこう知識はあったりはするのだが……
《でも自分でするなんて思ってもなかったし……》
まさに人ごとだったので気楽に聞き流していられたのだが―――だが自分でやらなきゃならないと思ってしまうと、何やら胃のあたりがキリキリしてくる。
《やっぱ隙を見て逃げる⁉》
そんな気持ちも募ってくるが二人は城の中枢部に来ているらしく、あたりにはちらほらと衛兵の姿も現れていた。
彼らはもちろんメイとサフィーナに興味津々だ。
《うわあ……これじゃ怪しい動きなんてできそうもないし……》
しかもサフィーナは今は丸腰だ。彼女が薙刀を持っていればこの程度なら蹴散らせたかもしれないが……
そんなことを考えているうちに一行は立派な部屋に通されてしまった。
そこは城主の私的な応接間といった感じで、部屋の奥の立派な椅子には小太りの男が横柄なようすで座っていた。
その横には衣装箱らしき物が幾つも積んであって、部屋の入口の両脇にはがっちりした体つきの護衛が二人立っている。
メイドは奥の男に向かって深々とお辞儀をした。
「連れて参りました。若旦那様」
男はにやけた笑いを浮かべる。
《うえーっ!》
何というか、その顔は決して造作が悪いわけではないのだが、この締まりの無い感じがえも言われぬ気色悪さを漂わせているのだが―――間違いなくこいつはこれまでもこうやって誘拐団から娘たちを買っては慰んでいたに違いない!
「ほう。これはなかなか……さすがにプロは見る目が違うなあ……」
何やら甲高い声の響きも不快感を増長させている。
「ほら、もっとこっち来い」
男が手招きするが……
え?
メイとサフィーナは顔を見合わせる。
「はやくしろよ!」
男が急かすので、仕方なく二人は前に進んだ。
その姿を見て男はまたにた~っとした笑いを浮かべて、じろじろと二人を見つめ始めた。
《うげーっ!》
視線だけで気持ち悪い。
「うふっ。カワイいなあ……どっちからがいいかなあ……」
背筋がぞわぞわしてくる。
《って、どっちから?》
そりゃ二人同時というわけにはいかないだろうから、順番があるだろうが……
《サフィーナとあたしで?》
えっと、そういう場合メイはどうしたらいいのだ?―――と思った瞬間、サフィーナがメイをつついた。
「え?」
彼女がニコッと笑いかけるが……
《え? まさか彼女があたしをかばって?》
そんな……
だが代わりにメイが先というのも―――彼女の心の中に恐るべき葛藤が生じた。
のだが……
「うふふ。じゃあ君」
男がメイの顔を見る。
「ひっ!」
サフィーナがかばうように前に出るが……
「そんなに怖がらなくていいじゃないか~。ほら、どれがいいかな~」
そう言って横に置いてあった衣装箱の蓋を取った。
《え?》
その中には―――色とりどりの子供用のドレスが収まっていた。
「ふふふ。どれが好きかな~? 好きなのを選んでごら~ん?」
男が猫なで声で言う。
《えっと……要するにこいつ、あたし達で着せ替えをしようと?》
もしそれだけだったら―――まあ我慢できないこともないが……
《でも……それだけのはずないわよね?》
こういう大の男がそうやって眺めているだけなんてあり得るのか? その後はもちろん……
《あははははっ!》
だが、これで時間が稼げる! それは間違いない。だとしたら―――メイはドレスを選ぶため、箱に近寄った。
―――だがそのときだ。
「しかし若旦那様?」
メイドが彼に言った。
「ん?」
「ご命令には従いましたが、この方々は成年なさっているようですが?」
「あ?」
………………
…………
男は目を丸くして固まってしまった。
「先ほど湯浴みして頂いたとき確認致しましたが」
「は?」
え? あー、確かに上がったあと二人ともしっかり裸を見られたのは確かだが……
男はしばらくあんぐりと口を開けて呆然としていたが、それから二人の足を交互に見る。
「ええぇ⁉」
男の口から間の抜けた声がこぼれた。
それからつかつかとメイの前にやってくると―――やにわに彼女の下履きを引き下ろした。
「んぎゃああああああああああああああああっ!」
おもわずメイは絶叫して前を隠すが……
「はあぁぁぁぁ⁉」
男は間抜けな声をあげる。
それからサフィーナに向き直ると彼女の下履きも脱がそうとするが……
「何すんだよ!」
彼女は素晴らしい反射神経で飛び下がった。
だが男は手を出して彼女ににじり寄る。
「見せろ!」
「何を?」
「お前もこいつみたいにボーボーなのか?」
「あ? 毛が見たいのか? だったらそう言えよ」
サフィーナはそう答えると……
「ほれ」
自分から下履きを下げて見せた。
もちろんメイもサフィーナも身長体重などは少女のままだが、成熟すべき所は成熟している。従って彼女たちの秘所にはもう豊かな茂みが育っていた。
それを見た男ががっくりと膝をつき、さらに両手も床についた。
「何だよ……これは……」
何やらひどく落胆しているようなのだが……
「どういうことだよ?」
それから男は振り返ると入口に立っていた護衛を睨むが……
「いや、あっしたちは旦那に言われたとおりにしただけで」
彼らは慌てて手を振った。
「じゃあどうしてこんなババアがやってくるんだ?」
は?
《ババアだと⁉》
こいつ、言うに事欠いてまだ二十二歳の乙女をババアだと⁉
《要するにこの若旦那……真性のロリコン⁉》
そこに先ほどのメイドが口を挟んだ。
「いえ、決して不思議ではありませんが?」
「あ?」
「ディーレクティアなら別におかしくありませんが。妖精系をもっと拡充しようとしていたのでは?」
「はあああ?」
ロリコン若旦那は呆然と彼女の顔を見上げるが―――やがて納得したようにがっくりと首を垂れる。
それから今度はがんがんと床を叩き始めた。
「何だよ! せっかく最後だからって思ってたのによ。こんな外れ引くとか! こんなんだったらとっととぶっ潰しときゃ良かったじゃないか!」
そこまで悔しがることか? メイは半分呆れかかっていたが……
《って、あれ? ぶっ潰すって……何を?》
何か聞き捨てならないセリフのような気もするが―――突っ込むわけにはいかない。
そんな若旦那にメイドが変わらぬ調子で尋ねる。
「で、いかが致しますか?」
「は?」
男は死んだような目つきで彼女を見上げた。
「ご用がないのであれば、この子達は下がらせてよろしいですか?」
………………
…………
……
男はがっくりとうなずいた。
「とっとと連れてけ!」
そのやりとりを聞いていた護衛の一人が言った。
「全く旦那は……カワイいじゃねえの。どこが気に入らないんだか……」
男はそれを聞きとがめると大声でわめいた。
「あ? お前ら本当に分かっちゃないな。本物の天使とこんなパチもんが同じに見えるようなら、とっとと目医者に行って目玉を入れ替えて来い!」
あー? 誰がパチもんだって⁉ 何かもう甚だしくムカつくのだが……
《でもともかくこの場は乗り切れたってこと?》
ぐぬぬぬ。とりあえず貞操の危機は去ったようだが―――でも、代わりに何か大切なモノを引き換えにしてしまったような気もするが……
と、そのときだった。
「いったい何を騒いでおるのだ⁉」
そう言いながら入ってきたのは少し禿げた中年の男だった。
「あ? 父上……どうしてこちらに?」
男は四つん這いになっているロリコン男をじろっと見つめた。
「もちろんお前たちがちゃんとやったか確かめに来たのだが?……で、何でそんな格好をしている?」
「あはっ!」
ロリコン若旦那が弾かれたように立ち上がる。
「いやそれが……」
「何だ? まさか始末できなかったのか?」
「いや、そういうわけではなくって……」
若旦那がぷるぷる首を振る。
「じゃあ何だ?」
「それが……あの女衒、年増なんかを連れておりまして……」
「はあ⁉」
大旦那は驚いた表情でメイとサフィーナを見る。
「年増⁉ この子達が?」
それから確かめるように側にいたメイドの方を見る。
彼女は黙ってうなずいた。
「そうか。それは残念だったな」
「だから父上、他にご存じありませんか?」
「ご存じ⁉ 何を?」
「だから別の入手経路ですが……」
それを聞いた大旦那はぶるぶると肩をふるわせ始める。
「馬鹿者がぁっ!」
その声に思わずメイ達も身を縮ませる。まさに怒髪天を衝くという有様だが……
「いい加減にしろ! 大体お前もそろそろいい年なのだからそんなお人形遊びはやめて、ちゃんとした嫁を取れ!」
「でも父上……」
「口答えするな! お前のそれがどれほど危ない橋だか分かっているのか?」
「そりゃまあその……」
「だからとっとと手を切るために命じたのだが……」
それから大旦那は入口に立っていた護衛をぎろっと睨む。
「ちゃんとやったんだろうな?」
二人の護衛は直立すると……
「へえ。もちろん!」
「言われたとおりあいつら全員たたっ斬って、館もしっかり燃やしてきましたぜ」
「だったらいいが……」
それからまた馬鹿息子をぎろっと睨む。
「ただでさえ最近はいろいろ風向きが変わってあのお方の権勢も弱まってるのに、あの小娘にそんなことが露見したらどうなると思う?」
「いやまあ……その……」
大旦那は馬鹿息子に説教を始めた。
―――だが、そのときメイの頭の中は真っ白になっていた。
《え? あいつらを全員たたき斬って? 館もしっかり燃やして⁉》
たたき斬られたって誰が? まさかアウラ様たち?―――のわけがないから、だったら誘拐団一味のことか? 焼かれたっていうのはそのアジトのことで⁉
………………
…………
……
《えっと……でもそれじゃ追跡部隊は⁉》
メイの想定では彼女たちが乗せ換えられた後、仲間がそこに突入して捕まえた奴らを尋問してこの場所を知ることになっていたわけだが……
《それじゃみんながここを知る方法は?》
「ん? どうした?」
いきなり白目になったメイに気づいてサフィーナが囁くが……
「いや、その……」
―――もしかしてこれって正真正銘の孤立無援ということでは⁉
その間にも大旦那が馬鹿息子にねちねち説教を垂れていたが、そこに先ほどのメイドが割り込んだ。
「あの、それで大旦那様。この娘たちはいかがいたしましょうか?」
「あ? そんな物は……」
そう言って振り返った大旦那とばっちり目が合ってしまった。
《あ? もしかしてこの人、どこかで見たことが?》
彼女はついその顔を注視してしまったのだが……
「ん? 何だ?」
「いえー。何でもっ!」
「特にご用がなければ下がらせても構いませんか?」
あ、そうそう。ともかくこの場は離れて今後のことを考えなければ―――だが大旦那は首をかしげる。
「いや、ちょっと待て」
「え?」
それから旦那はメイとサフィーナの顔をじろじろと見つめ始めた。
《なに? もしかして……あたし達の顔知ってるの⁉》
この大旦那はそれなりに地位がありそうな奴だが、だとしたらメルファラ大皇后とその女戦士たちの謁見の場にいた可能性がある。とすれば彼女たちの顔を覚えている可能性もまたあるわけだが……
《いやあ、でも普通の人ならファラ様のことしか見てないわよねっ!》
重ねていうが普通の人間がメイなどのことを気にすることがある筈もなく―――しかし……
《でもこの人、あの変態の父親なのよね?》
もしかしてそれが親譲りの性癖だったとしたら?
………………
…………
大旦那が首を捻った。
「ん? まさか……そんなことがあるはずないが……」
何をブツブツ言ってるのかな?
と、そこに護衛の一人が口を挟んだ。
「んで、その娘たちはいったいどうするんですか? 要らないっていうんならあっし達が頂いたって構わないんですがねえ」
はひ⁉
だがそれを聞いたロリコン若旦那がわめいた。
「何を寝ぼけたことを! そいつらには結構な元手がかかってるんだ! お前らなんかには勿体ない!」
「でもそれじゃどうするんですかい?」
「これだったら他に買ってくれる奴がいるだろ。そうすれば幾らかは取り戻せる。お前ら、すぐにキレてぶっ壊しちまうだろうが。そんなことをされたら元も子もないだろうがっ!!」
「壊すなんて人聞きの悪い。大体旦那こそ……」
―――と、そこで大旦那がまた一喝する。
「やかましい! ベレーロ! それにラダル共も! 気が散る! 黙れ!」
一同はまた黙りこくるが―――ベレーロが馬鹿旦那の名前というのはどうでもいいが……
《ラダル共って……ラダル兄弟⁉》
そちらの名前には聞き覚えがあった。
《確か……あの剣技場でロッタさんが言ってたわよね?》
何だかすごく強いけど身持ちが悪くて破門になったとか何とか……
《それに確か少女に乱暴をしたとか⁉》
もしかして―――そんな奴らに払い下げられそうになっていたのか? それってものすごい人生の危機だったような……
だがそこでもう一つ、心の奥底から蘇ってきた記憶があって……
「はにゃっ!」
メイは思わず声を上げてしまった。
「ん?」
大旦那が不思議そうに彼女を見るが……
《じゃあこの人……あのときくしゃみをした……》
アウラとディアリオの戦いが膠着したとき、派手にくしゃみをして緊張をぶち壊してくれたおっさんではないか! 距離はそこそこあったが、でもこうやって見ればこの頭の禿げた感じ、確かにあのおっさんに間違いない!
《……ってことは?》
このおっさんはヴォルフ様の腹心の一人ということではないか?
背筋がすーっと冷たくなり、こめかみから冷や汗がたらーっと流れ落ちる。
「ん? どうしたんだ? 暑いのか?」
メイはぷるぷると首を振る。
そんな彼女を見て大旦那は更に考え込んでいたが―――それからふっと顔を上げると、変態息子の衣装箱に目を向けた。
それからつかつかとその箱の前に歩み寄ると、中をかき回し始める。
「あーっ! 大切に扱って下さいよ!」
「黙れっ!」
大旦那は息子をまた一喝すると、その中から黒っぽいド派手なフリルの付いたドレスを引きずり出した。
「ステラ!」
「はい」
先ほどのメイドが近寄っていくと……
「これをそっちに着せてみろ」
そう言ってメイを顎でさした。
《え?》
ステラと呼ばれたメイドが言われたとおりフリフリのドレスを手に近づいてくるが……
「大旦那様の命でございますので」
そう言って彼女がすっぽりとそのドレスを被せる。メイが仕方なく手を通すと、彼女が背中のボタンを留めた。
サイズはけっこう丁度いい。生地も上等だし結構な職人の手に成るのでは?―――というのはともかく……
《この服って……》
メイがおずおずと大旦那の方を見ると、彼もまた目を丸くして彼女を見つめていた。
「んな……まさか……しかし……」
ものすごーく嫌ーな予感が的中する。
「あなたは……ベラトリキスのメイ秘書官? ですか⁇」
《んぎゃああああああああああああああああああああっ!》
そうなのだ。こういう派手なひらひらしたドレスはアキーラ解放作戦の頃から公の場では着せられていて、まあ捕虜とかに変なハッタリを効かせるには有益だったのだが、いつの間にか彼女のトレードマークのようなことになっていたのだ!
「んななな、何のことでしょうか?」
「いや、しかし……ではそちらは黒猫のサフィーナ……様?」
「んあ?」
言い当てられたサフィーナも固まってしまう。
《と、ともかくここは……》
どうにかしてごまかさねば!
「い、いや、どうしてあたし達がそんなお方だと? そんなに似てるんですか?」
大旦那はうなずいた。
「ああ、はっきり覚えておりますが……ガルデニアに大皇后様のご一行がいらっしゃったとき、先頭にいらっしゃいましたよね? 何だか変な馬車に乗って」
ハミングバードが変だと⁉
「変って何をがーっ……うげほっ! げほっ!」
思わず叫んでしまいそうになって慌ててごまかすが……
「あん?」
もはや思いっきり怪しまれている。
「ともかくー、あたしたちはー、しがない田舎の村の育ちでー」
だが大旦那は眉を顰めると尋ねた。
「ほう? どちらの田舎で?」
声が冷たい。
「あ、あたしはー、メレンタでー、そちらはペクテンでー」
これは本物の彼女たちの出身地だが……
「ほう? メレンタですか? いいところですな。桃は美味いし」
………………
…………
……
桃⁉
ちょっと待て!
《確実にこれってカマかけよね⁉》
もちろんメイもサフィーナも桃がメレンタの名物かどうかなんて知らない。
しかしこういう場合は大抵―――迂闊にYESと答えたら『は? メレンタでそんな物は取れないぞ?』とか言われるパターンだから……
「え? そうでしたっけ?」
「あ?」
「いや、故郷で桃なんて取れたかなーって……」
ところが大旦那はぽかんとした。
「は? メレンタといったら桃でしょう? あの大きな……まさかご存じないと?」
しまったあぁぁぁぁぁぁっ!
あたりを見回すと―――大旦那だけでなく馬鹿息子やラダル兄弟、それにステラまでが驚きの表情で見つめている。
《このおっさん、単に感想を述べてただけ?》
完全な裏目だった。
そして彼は今度はサフィーナに尋ねた。
「それではペクテンのことはいかがです」
「えっ⁉」
「あなたの故郷のことでしょう?」
「ん……」
口ごもるサフィーナを見て大旦那は二人に尋ねる。
「やっぱり……でもどうしてそんなお方がこのようなところに⁉」
うわーっ! もうダメだ! 完全にバレたーっ!
《ってか、そんなの想定になかったんだからっ!》
そもそも彼女たちは可哀想なさらわれた娘の役で、とにかく怯えた様子でじっとしていればいいだけのはずだったのだが―――それがどうして敵の親玉と対決しているのだ? しかも孤立無援でっ!
「ということはまさか……」
絶句したメイを見て大旦那はつぶやくと、馬鹿息子を見た。
「こいつのことを……調べていたと?」
「えっ⁉」
息子もぽかんと父親を見返すが……
《いや、だから単に誘拐団のアジトを暴こうとしてただけでっ!》
だがそこからなぜか顧客のところに連れて来られてしまって、結果的にその販売ルートの一部も暴いてしまうことになって―――おかげでちょっとこのヴォルフ様の腹心のバカ息子が、誘拐団の大口顧客だったってことが明らかになってしまったってだけで……
《ぶーっ!》
そりゃ大物が釣れればそれに超したことは無いと思っていたが、ここまで大物が引っかからなくてもいいのにっ!
もうこうなったら……
「あはははは。バレてしまったらしょうがありませんね」
開き直るしかないっ!
「実は、ちょーっとイービス女王様に頼まれて、巷を騒がせていた少女誘拐団を摘発すべく、囮役を買って出てたんですよっ!」
聞いた一同が顔面蒼白になる。
「いやあ、最初はどうしようかって思ったんですけどね? イービス様やアスリーナさんて、お二人がハビタルに留学してた頃からの知り合いだったりするもんでですねー。頼まれたら嫌だとは言えなくってー。あははっ!」
一同はさらに呆然とした表情でメイ達を見つめる。
「だからですねー。こうなったらおとなしく私たちのことは解放した方が身のためですよ? そしたら女王様だって無碍にはなさらないと思いますしーっ!」
………………
…………
……
あたりに沈黙が下りた。
《あ? え?》
バカ旦那はあんぐりと口を開けている。
ステラも目を見張り、手を口に当てて凍り付いている。
大旦那はまさに能面のような表情で―――それからぐるっと振り返ると馬鹿息子と、そしてラダル兄弟に向かって告げた。
「お前たち……いいな? 彼女たちはここには来なかった」
「へ?」
三人が驚いて彼の顔を見る。
「わしは彼女たちのことなど知らん。お前たちも知らん、そういうことだ」
………………
…………
……
ちょと待てーっ!
《それってどういうことよっ!》
だが、この状況ではその意味は確定的に明らかで―――三人もすぐにそれは理解したらしく表情が真剣になる。
「分かったな?」
「はい。父上」
《はいじゃないがーっ!》
こ、これは……
《ここは……もう何があっても逃げるしか……》
だが、部屋の入口にはラダル兄弟が立っているし、窓もぴったりと閉まっている。これで逃げるなど不可能だが……
「えっと……彼女たちをどうなさるのです?」
ステラが大旦那に蒼い顔で尋ねるが……
「お前が知る必要はない」
「え? でも……」
「余計なことは考えるな。それよりもついて来い」
そう言うと大旦那はすたすたと部屋の外に向かった。
ステラは一瞬躊躇していたが……
「あ、せめて……」
そう言って馬鹿息子のコレクションから一番上にあった真っ赤なドレスを取り上げると、まだ下着姿のサフィーナに渡す。
それからきびすを返して大旦那の後を追っていった。
二人が出ていって部屋の扉がバタンと閉まると、若旦那がラダル兄弟に言った。
「あー、お前らも、分かってんな?」
「へい。でもその前に……」
兄弟の一人が言った。
「あ? 何だ?」
「だからどうせここに来てないってんなら……」
そう言ってメイとサフィーナの方を見てにや~っと笑う。
「あ? 物好きな奴だな。別に好きにすりゃいい。だが後の始末はきっちりしろよ?」
「それはもう。承知でさ。へへへっ」
二人はまさに舌なめずりを始めそうな勢いだが……
《ちょと待てーっ!》
今回は超余裕の任務だった。そのはずだった……
なのに……
なのに……
――― ど う し て こ う な っ た ー っ !?
