ふたりのミニミニ大作戦 第10章 必死剣 ねこのつめ

第10章 必死剣 ねこのつめ


 一同は全速力でグラドゥス城に向かっていた。

 先頭はこの地域に詳しいサルトス兵で、その後ろにアスリーナ、リサーン、ハフラが続く。その後からアウラとリモン、マジャーラとアルマーザにアラーニャが来て、さらにそれをジャルダン以下サルトス兵二十数名が追っていた。

 だがもう日はとっぷりと暮れていた。しかもあたりはずっと深い森の中だ。そのため明るい月夜でも道は薄暗く、全速力といってもそこまでの速度は出せない。

《うわあ……いつまで続くんでしょう?》

 アルマーザはちょっとイライラしてきた。

 レイモンにも森はあったが、そこは平原のあちらこちらに島状に点在していたのに対して、こちらはもう行けども行けどもずっと森の中なのだ。

 こんな真っ暗で単調な景色が続くと本当に目的地に近づいているのか分からなくなってくる。

 だが先頭を走っていくサルトス兵の足取りは確かだから、ここは彼に任せておくしかない。

 それよりも……

《メイさん達……大丈夫でしょうか?》

 ここまでの道中、みんなで現在の状況を色々整理し直していたのだが―――結局、可能性は三つあった。

 一つはラバドーラ卿が領内の誘拐団を退治していたら、そこでメイ達を発見して保護したという可能性だ。

 その場合どうして素直に知らせずに、子供に手紙を持たせるなどという回りくどい方法を取ったのかだが―――でも何かそんな事情があった可能性は否定できず、ともかくこの場合なら二人は安全なのでそれほど心配はない。

《アスリーナさんはずいぶんと残念そうな様子でしたけど……》

 まあ、それはそれとして―――二つ目はラバドーラ卿やその子息が誘拐団の顧客だった可能性だ。

 その場合メイ達を彼らの城に連れて行くことは自然だ。そして誘拐団を壊滅させたのは、彼らが例えば報酬などを巡って仲間割れを起こしたためだとすれば説明は付く。

 ただその場合いったい誰が追跡部隊に情報を流したのだろうか? またその理由は?

《……とすると結局、誘拐団にもラバドーラ卿にも敵対する第三の勢力があったってことになりますよね?》

 たとえば別の誘拐団が両者をつぶし合わせて漁父の利を得ようとしていたとか?

《全く、ハフラって変なことをよく思いつくんですよねえ……》

 ともかくそのような可能性も考えられた。

 そして三つ目は―――この情報が偽で彼女たちを明後日の方向に導こうとしている可能性だが……

《そんなことを考えてももはや無駄なので……》

 そのときはもはやサルトス国家をあげて、メイさん達の弔い合戦をしますとアスリーナが言っていたが……

《何か本当に仲いいんですよねえ。アスリーナさんとメイさんって》

 聞けばベラの魔道大学に留学していたときに知り合ったのだとか。そこで何故かメイさんが彼女と今の女王様にお夜食を作ってあげることになって、それ以来ずっと手紙のやりとりもしていたのだとか。

《おかげでサルトス暮らしがすごく快適なんですよね♪》

 初めはそんなほとんど聞いたこともない彼方の国に行って大丈夫なんだろうかと少々心配だったのだが―――ともかくそんなことを考えていても始まらない。

 それよりも懸案はまだあって……

《ってことで二番目の可能性が一番問題なんだけど……》

 その場合、そこで彼女たちがどんな目に遭うのかだ。

《えっと……これまでは二人は高級な商品なんだから丁重に扱われるって話だったんですよね?》

 そう。金目当てならばなるべく高い値段で売れるように商品に傷をつけたりはしないはずだ。とくに生娘だとそうなのだという。

《でも……メイさんって生娘っていうんでしょうか?》

 男の人とは未経験と言っていたが、サフィーナとならもう……

《あの子の張り型も使っちゃったとか言ってたし……》

 そのあたりはともかく、見かけだけなら二人ともとてもカワイい少女だ。少なくとも無碍には扱われないとは思われるのだが……

《でもそれがお客に渡っちゃったって事なんですよね……》

 そう。今の彼女たちは誘拐団から買われてきた娘たちという立場であって、そんな客が高い金を出してどうしてそんな娘達を買うかというと……

《なんかアスリーナさんたちとか、真っ青になってましたが……》

 夜な夜な“陵辱”ということをされてしまうらしいのだ。

 アルマーザ達の感覚では夜な夜な? それってわりとラッキーなのでは? というイメージだったのだが、聞くとまずそういう奴らは女の子を大切には扱ってくれないらしい。

 例えば郭に行けば綺麗な娘たちとじっくり楽しむことができるわけだが、そこでは当然お客の方にも礼儀というものが求められる。特に遊女を虐ぶるなどは論外で、そんなことがあれば怖~い夜番がやって来て叩き出されてしまうそうなのだが……

《そんなのが好きな奴ってのがいるんですねえ……》

 そういう奴らは結局、闇で娘たちを買ってきてはそうやって虐ぶって楽しんでいるそうで―――だからさらわれてきた方はまさに悲劇だ。そんなことをされていたらいずれは弱って死んでしまったりするが、すると誰にも看取られることなく文字通り闇に葬られてしまうのだという。

 ともかく……

《メイさん達……大丈夫ですよね?》

 まあ、客の方でも高い金を出して買ってきたわけだから、いきなりぶっ壊したりはしないだろうが―――という話なのだが……

《ともかく、まあ夜になるまでなら何とか? みたいなんですが……》

 だがもう日はとっぷりと暮れている。

 まだ宵の口なのでもう少し時間はありそうだが―――それまでどうにかして耐え忍んでくれれば活路は開けるだろう。

 ただ、もう一つ心配事があった。それは……

《まさか正体がバレちゃうなんてことは?……ないでしょうけど……》

 それが最悪の可能性だった。

 ラバドーラ卿はあのヴォルフ様の古くからの取り巻きだという。そこで女王がそんな彼らの不始末を虎視眈々と狙っているらしいのだが、もしそんな行いをしていることが知れたりしたらもはや最後だ。

 そんなところで彼女たちの正体がバレたとしたら……

《もちろん……大人しく返してくれるわけないですよね?》

 だが―――その場合、彼らがいったいどいう行動に出るのか? そこが不明だった。

 そもそも人買いの組織から娘を買ってきたら、それがたまたまベラトリキスのメイ秘書官と黒猫のサフィーナだったとか……

《あー……頭抱えちゃうでしょうねえ……》

 正体がバレたってことは、彼女たちが囮捜査中だということもバレるわけで、ならばその捜査がどんなものかは聞き出さないと自分たちが危ないわけで……

《ってことは……拷問されてたり?》

 ちょっと、考えたくもないのだが……

《でもその場合……命だけは大丈夫?》

 相手にとっては彼女たちが最後の切り札になるのだから、その安全を保証する代わりに自分たちを逃がせとかいった交渉をしてくる可能性は十分あるわけで……

 アルマーザは首を振った。

《ってか、グラドゥス城ってラバドーラ卿の息子が城主なんですよね?》

 アスリーナの話では、その息子というのは領地にこもっていてあまり登城してきた記憶がないそうで、だったらメイ達を見てもただのカワイい女の子だとしか思わない可能性もわりとあって……

《だったらまあ、ともかく今晩まで頑張ってもらうってことですね?》

 そうすれば何とかなる! 今はそう信じて突っ走るしかないのだ!

 などと考えながら馬を走らせていると―――急にあたりが開けた。

「うわあ……」

 一行は森を抜けて見晴らしの良い尾根の上に出てきた。

 空は満天の星空に明るい月が出ている。

 向かいの山の上には点々と明かりの灯った城塞らしき建物が見えるが……

「あれ?」

 リサーンが尋ねると先頭の兵士が答えた。

「そうです。あれがグラドゥス城です」

「んじゃ、わりともうすぐね?」

 だが兵士が首を振る。

「いや、まだ結構かかります」

「え?」

「間に深い谷がありまして、いったん下の村まで下ってまた上がることになりますので……」

「下るってどのくらい?」

「あちらに見えるあたりまでですが……」

 彼の指さした先にかすかに村の明かりが見えたが、確かにずいぶんと距離がありそうだ。

 一同は顔を見合わせた。

 と、そのときだ。

「あのー……それじゃ飛んでいきませんか?」

 アラーニャが言った。

「え?」

 ベラトリキス一同がはっといった様子で顔を見合わせるが、アスリーナ以下、サルトス兵たちはぽかんとしている。

「飛ぶって?」

 アスリーナが尋ねるが―――それにリサーンが答えた。

「あ、あっちでやってた小鳥組作戦なんだけど。それで行ける数だけ先行するってのはどうかなってことで」

「小鳥組って……あ!」

 アスリーナがうなずいた。

「えっと……魔法使いに何人かが捕まって、飛んでいったというあれですか?」

「うん。あのときはシアナ様とリディール様にお願いしてたんだけど……アラーニャちゃんももうできると思うし……」

 そう言ってリサーンがアスリーナの顔を見る。

 ………………

 …………

 その意味を悟って彼女が面食らった。

「えっと……あの、私が?」

「あー、アスリーナさん、飛ぶのって苦手でしたっけ?」

「いえ、しかし……」

 彼女は一瞬躊躇していたが、すぐにうなずいた。

「分かりました。で、どうするんですか?」

 リサーンがあたりを見回す。

「えーっと、それじゃ、アスリーナさんはあたしとアウラ様とマジャーラとダンテ君で、アラーニャちゃんはハフラとリモンさんとアルマーザでいっかな?」

「分かったわ」

 ハフラがうなずく。

「それじゃダンテくーん」

 リサーンが抱き上げると、彼は暴れもせずに大人しく従った。

《あはっ! いい子ですねえ……》

 初めてだとちょっと怯えたりもするのが普通だが……

「それじゃアスリーナさんは後ろから腰をしっかり抱えてもらって……」

 だが彼女とハフラはヴェーヌスベルグ風の細長い剣とともに、弓矢も背負っていた。

「って、それが邪魔だろ?」

 マジャーラに指摘されて……

「あー……んじゃ、あんた持っててよ」

「えー? あたしが?」

 仕方なくマジャーラが弓矢を代わりに担ぐ。

 それを見たアスリーナがリサーンの腰に手を回した。

「こうですか?」

「そうそう。で、アウラ様とマジャーラは両脇で……」

 二人がアスリーナと腕を組む。

「これで飛ぶんですか?」

「はい。あっちじゃ後ろにもう一人いたんですけど、初めてでしょ?」

「そりゃ三人とかは……あ、それじゃちょっと練習していいですか?」

「あ、どうぞ?」

 そこでアスリーナと一緒に三人と一匹がふわっと浮き上がった。

「急旋回とかするとよく吹っ飛ばしたりするから注意して下さいね」

「あ、分かりました」

 それから彼女はあたりをぐるっと飛び始める。

 その間に今度はアラーニャの回りにアルマーザ、ハフラ、リモンが集まる。

「どう並びましょうか?」

 彼女の問いにアルマーザが答えた。

「あ、それじゃ左右にハフラとリモンさんで、あたしを前にでどう?」

「アルマーザが前?」

 アラーニャが何かちょっと嫌そうな顔なのだが……

「いや、だってアラーニャちゃんだって本格的なのは初めてでしょ? だから必要ならこれ使っていいから」

 そう言ってアルマーザは自分の胸を指さした。

 アラーニャはしばし絶句していたが……

「あ、もう……しょうがないですけど……変な声、出さないで下さいよ?」

 いや、そりゃちょっと無理なんじゃ?―――という顔を見て彼女が睨む。

「落ちても知りませんからねっ!」

「はい」

 そこでハフラとリモンが左右に、アルマーザが前という隊形になったところで、練習していたアスリーナがふわりと着地した。

「ああ、とりあえずは何とかなりそうですね」

 それにリサーンが答える。

「あそこに行くだけだったら急旋回とかはないし。あとは着地のときに速すぎないように注意すれば」

「あ、分かりました」

「で、そっちは?」

 アラーニャが大きくうなずいた。

「大丈夫ですっ!」

「それじゃ行きます。皆様はできるだけ急いでやって来て下さいね」

「……承知しました!」

 一行は驚き顔のサルトス兵たちに見送られて、ふわりと空に浮かび上がった。

 空はよく晴れていて上は見渡す限りの星空だ。

 背後には明るい月も出ていて、目が慣れたら辺りの景色もおぼろげながらよく見える。

《おおっ! 久しぶりっ!》

 レイモンでもときどきこんな夜間飛行は行われたが、その前後に実戦などというものが控えていたせいで景色をゆっくりと楽しむことはあまりできなかったが……

《って、いや、今回だってメイさんとかサフィーナの危機なんですよね?》

 あまり物見遊山というわけにはいかないだろうが―――などと思っていると……

「うわ! アスリーナさん、速いわね?」

 彼女たちにぐんぐん引き離されていくのだが……

「ちょっと! 速すぎない?」

 ハフラが叫んだ。

「え?」

 アスリーナが振り返って速度が少し下がるが、でもこちらももう少しは速度を上げなければ……

「アラーニャちゃん、それじゃ

「あ、もう……」

 と言いつつ、彼女はちょっとはにかみながらアルマーザの袖口に両手を差し込んできた。

《あっ! はん

 その手のひらが彼女をおっぱいをやさしく揉みしだきはじめると―――速度がびゅんと上がってすぐに先行していたアスリーナ達に追いついた。

「あーっ! お待たせしましたーっ

「あ、はい……」

 アスリーナが何やら呆然としているが―――ともかく一行はそのまま直進して、二羽の小鳥はみるみるうちにグラドゥス城に近づいていった。

「着地、注意してね?」

「はいっ! 大丈夫ですっ!」

 ハフラの言葉にアラーニャが元気よく返事するが、背中から彼女の緊張が伝わってくる。この飛行魔法は急旋回時と共に着地のときが一番事故が起きやすい。

《フィンさん、大変でしたもんね……》

 愛の逃避行作戦のときにはそのせいでひどい目に遭っていたが―――と、そこにアスリーナが声をかけた。

「あ、アラーニャさん! もう少し速度を落として!」

「え? はい」

 特に夜の場合は速度が分かりにくいものだが―――彼女に合わせて速度を落として実際に丁度良かった。

 両者が綺麗に着地したところでリサーンが尋ねた。

「アスリーナさん、夜間飛行、よくやってたんですか?」

「あはは。夜にイービス様を寮までいつも送ってましたので」

「あー、そうなんですね」

 何やら彼女も色々大変だったようだが―――それはともかく、一同の眼前にはグラドゥス城の大きな城門が建っている。

「さーて、それじゃ……」

 リサーンがそう言って歩き出そうとしたときだ。

「あらっ?」

 アラーニャがいきなりふらついて倒れそうになったのだ。

「うわっ!」

 アルマーザが慌てて彼女を支えるが……

「どうしたんです?」

 一同が振り向くが―――これは明らかに魔法の使いすぎだ。

「アラーニャちゃん、ヘロヘロじゃないですか! どうして?」

「ら、らいじょうぶ……れす……ちょっと目まいが……」

「いや、全然大丈夫じゃないでしょ?」

 あそこからここまで飛ぶくらいでこんなになるか? と、思ったときだ。

「あ! そういえば館の火事を消そうとずいぶん努力してくれてたっけ?」

 リサーンが思い出したように言った。

「あーっ!」

「らから……」

 アラーニャは気丈に歩き出そうとするが……

「ともかくその状態で来てもダメよ」

 ハフラが引き止めた。

「でも……」

 そんな彼女にアスリーナが言った。

「そんな状態で魔法を使ったら制御できなくなることもありますから……ここで休んでてもらって、後続が来たら一緒に来て下さい」

「あ……はい……」

「アラーニャちゃん。こっちは大丈夫だから」

「あ、うん……」

 そこで彼女を休ませると、残りの一同はグラドゥス城の門に向かった。

《さて……ここからが正念場なんですけど……》

 ラバドーラ卿というのはサルトスでも有力者の一人で、正体不明のたれ込みがあったというだけではその配下の城に強引に踏み込むわけにはいかない。なので少なくとも最初は低姿勢で行く必要があるのだが……

 そんなことを考えていると、アスリーナが城の通用門の前に立った。

「あ、開門お願いしまーす!」

 その声に門番が顔を出して、女ばかりの一団に不審そうな目を向ける。

「ん? 誰だ? お前たちは……」

「あ、私、ガルデニア城の宮廷魔導師をしてます、アスリーナと申します。後ろに控えている方々は大皇后の女戦士たち(ベラトリキス)の皆様で、ちょっとこちらのご城主に面会したいのですが」

 それを聞いて門番は肝を潰したようだ。

「アスリーナ……様ですか?」

「あ、はい。これ、見えます?」

 彼女が王家の紋章入りの指輪を差し出す。

「しょ、少々お待ちをっ!」

 門番は慌てて引っ込んでいった。

 一同は顔を見合わせる。

「あの調子だと……やっぱりいい人の線はなさそうね」

 リサーンがハフラに言った。

「みたいね」

 ここの城主が誘拐団を壊滅させたついでにメイ達を保護したのなら、彼女たちが来ることは分かっているはずだからこんな対応にはならないはずだ。

《ってことは?》

 ここの城主が誘拐団の顧客でメイ達を買っていったということになるわけだが……

《あ、でも?》

 門番は彼女たちが来ることを全然想定していなかったように見えるということは?

《メイさん達の正体はまだバレていないってことですか?》

 彼らが追っ手の存在を知らなかったのなら当然びっくりするだろう。

《仮にもしバレていたとしたら……》

 その場合は彼女たちの到着を予想して何らかの対応策をとるはずだ。

 何しろこのことが露見したら彼らは破滅だ。

 だが、いったいどういう対策があるだろうか? 来る途中いろいろ考えていたのだが……

《まずこっちのことは分かってるはずですよね?》

 その場合メイ達から囮作戦に関しては聞き出しているだろうから、こちらの陣容―――アスリーナにベラトリキス、サルトス兵多数が来るということは分かっているはずだ。

《それと正面から対決って……無理ですよね?》

 少数なら始末してしまうという選択肢もあるだろうが―――とすれば、どうにかしてメイ達はここに来なかったということにするしかないようだが……

《でも……その証拠を完全に消すというのも大変ですよね?》

 こうしてダンテ君も一緒にいるわけだし、彼女たちが来た以上その姿を見た者もそれなりにいるはずだ。そして消えたのがメイ達となれば、ファシアーナやニフレディルまで出てくるのは間違いなく、とぼけきることはまず不可能だ。

《だとしたら……もう逃げた後?》

 彼らにとっては可及的速やかに逃走するしか手がないと思われるのだが―――その場合にメイ達を連れて逃げるかどうかだが……

《やっぱり連れて行きますよね?》

 いざとなったときの交渉材料と考えればそうするしかないわけで……

《まあ、だとしたら二人は間違いなく無事だとは思いますが……》

 と、そのときだ。門番が戻ってきてこう言ったのだ。

「お待たせしました。お通り下さい。ベレーロ様がお会いになるそうです」

「えっ⁈」

 一同は顔を見合わせる。

 もちろんみんな上のようなことを考えていたのは間違いなく……

《ってことは、正体はバレてないってことですね?》

 もしくはもう一つの可能性もあるが、それは考えないことにして――― 一同は城の中に通された。

「けっこう大きなお城ですね」

 篝火を焚かれた通路を抜けながら、リサーンがアスリーナに尋ねる。

「あー、しばらく内戦をしてた時期がありまして、このあたりは結構戦場になってたんですよ」

「あ、だからこんな構造に?」

「ですね」

 ガルデニア城ほどではないにしても、複雑で分かりにくい構造になっているのは一見して分かる。

 そんな話をしているうちに一行は城の玄関ホールに導かれた。

 一同が目配せをする。

《ここですよね?》

 だまし討ちがあるとしたらまず注意しなければならない地点だが―――しかしホールに待ち伏せの気配はなく、その先には数名の衛兵と共にここの城主のベレーロと思われる小太りの男と、その横に少し禿げたガウン姿の中年男が待っていた。

 その姿を見てアスリーナが声をかけた。

「あ、ラバドーラ卿じゃないですか! こちらにいらしてたんですか?」

「あ、ああ……」

 中年の男がもごもごと答えるが……

《あん? この人……足が震えてない?》

 それだけでなく横にいる城主の方も何やらまったく落ち着きがなく挙動不審だ。

「そ、それで、アスリーナ殿や、皆様方が、い、いったいどうしてこのような場所に?」

 震え声で尋ねるラバドーラ卿にアスリーナが答えた。

「あ、それがですね、この地域で若い女性が二人、行方不明になっておりまして、私たち、彼女たちを探していたんですよ」

「そ、そうですか。そ、それは大変ですな……」

「そういう話をご存じありませんでしたか?」

「い、いや、全く……」

「そうですかー……」

 アスリーナが大仰にうなずくと、一同の顔を見た。

 ともかくこの二人はどう見ても様子がおかしい。もし本当に知らなければここまでビビる必要はないわけで……

「あ、それでちょっとお願いがあるんですが……」

「な、何でしょうか……」

「ちょっとここにその対策本部を作りたいんですが、お城の片隅を貸して頂けませんか?」

「えぇっ⁈」

 ラバドーラ卿が仰天したような声を上げる。

「あ、ほら、日も暮れてしまいましたし、後続の部隊も来るんで……」

「こ、後続……ですかっ⁈」

「あ、はい」

 もう彼はしどろもどろだ。

《こりゃどう見ても黒っぽいんですけど……》

 しかし、何やらこの期に及んで慌てふためいているという様子なのだが?

《どういうことなんでしょう?》

 アルマーザが不審に思っていると、リサーンが抱いていたダンテ君が何やらもぞもぞしている。

 それを見たハフラが彼女に小さくうなずいた。

 リサーンはにやっと笑うと……

「あっ!」

 と言ってダンテ君を離した。


「ワン! ワン!」


 彼が一目散に城の奥に駆けていく。

「あーっ! 逃げちゃったーっ! 誰か捕まえてーっ」

「分かったわ」

 ハフラとリモン、そしてアルマーザが彼の後を追おうとするが……

「ちょっと! どこへ行く?」

 ラバドーラ卿が慌てて立ち塞がった。

「あ、だからダンテ君を連れ戻さないと。その子達の臭いを覚えてるから」

 ハフラの答えを聞いた卿の顔がみるみる真っ青になった。

 ………………

 …………

 ……

 そして……


「やれ! やってしまえっ!」


 後ろに控えていた兵士達にそう叫ぶと、自身は脱兎のごとく逃げていった。

「あ、父上っ!」

 城主もその後に続く。

《えっと? 今さら逃げる⁈ どういうことですか?》

 その様子を見ていた衛兵たちも一瞬唖然として、それからばらばらと彼女たちの前に立ち塞がるが―――彼らもまた相当に困惑しているようだ。

「そこをどきなさい!」

 衛兵たちにリモンが命じるが彼らは動こうとしない―――忠誠心でというよりはパニックで茫然自失だからに見えるが……

「そう」

 その言葉と共に彼女の薙刀が一閃する。

「うぎゃっ!」

 兵士が剣を取り落とし手を押さえてうずくまる。他の兵士が仰天して硬直すると、その間を彼女は駆け抜けていった。アルマーザとハフラもその後を追う。

「んじゃあたしたちは!」

 リサーンがラバドーラ卿たちが逃げた先を指さした。

「うん」

 ―――こうして彼女たちは二手に分かれて互いの目標を追っていった。

《しかし……》

 ともかくこいつらが黒確定なのは確かだが―――この対応は何なんだろう?

 せめて味方の振りをして引き入れてだまし討ちとか、そのくらいは予想していたのだが?

 ともかく今は……

《メイさんとサフィーナ、ですよね?》

 まずはこの二人を助け出さなければ……



「こんのガキは!!!!!」

 ラダル兄の背後に青白いオーラが燃え広がった!

《うぎゃあ! 完全に逝っちゃってるうっ!》

 男がここまでブチ切れたのを間近で見たのは初めてだ。

 だが……

「おい。何怒ってるんだよ?」

 サフィーナは涼しい顔だ。

「死ね! ゴルァ!」

 ラダル兄がサフィーナに殴りかかるが―――彼女はそれをさらりとかわした。

 単なる反射神経だけでなく、相手の動きを感じ取るアウラのような才能だ。簡単に捕まることはないだろうが……

《でもこの部屋じゃ……》

 逃げているばかりではいずれ部屋の隅に追い詰められてしまうだろう。そうなったら―――メイの胃がぎゅっと縮む。

 と、そのときだ。

《ん?》

 サフィーナがなにかハンドサインを出している。あれは?―――ラダル兄がブチ切れてサフィーナを追い回しているおかげで、メイはフリーだ。そして彼女の示した先には、剣立てに立てかけられたラダル兄の剣があって……

《あれでどうするの?》

 ―――などと考えている暇はない。

 メイは跳ね起きると一気に剣に向かってダッシュした。

「サフィーナ!」

 そして剣を取りあげると彼女に差し出すが……

「てめえ!」

 ラダル兄が今度はメイの方に向かってくる。

《ひえぇぇぇっ!》

 メイが腰を抜かしそうになったそのときだ。


 バコンッ!


 そんな鈍い音と共にばらばらっと何かが床に散らばると、ラダル兄はそのまま前のめりに突っ伏した。

《え?》

 見るとサフィーナの手には取っ手だけになった水差しが握られている。どうやらそれをラダル兄の脳天でたたき壊したようだが……

 ………………

 …………

 ……

《やたっ!》

 これは……

《あの訓練が役に立った!》

 ―――サフィーナがメイと一緒に暮らすようになってすぐの頃だ。

 メイもいろいろと国家機密を知る立場だ。出歩く際には護衛があったほうがいい。

 だが、王女と違って秘書官にそこまで多数の護衛は出せない。従ってメイの護衛はサフィーナ一人という場合が多くなると聞いて、ハフラやリサーンも含めて護衛訓練を行っていたのだが……

《いや、一人だと色々大変なのよね……》

 サフィーナはアウラ同様に目がいいので、害意を持って近づいてくる者を見つけ出すのは上手だったのだが、問題はその後だ。

《あたしをかばって戦うのって、特に薙刀だと大変だし……》

 結論から言うと、やはりサフィーナ一人でメイを守り切るのはかなり困難だということだった。

《クリンちゃんが来てくれてずいぶん助かったんだけど……》

 戦えるメイドが側にいてくれるのはまさに心強かった。

 だが、それでもまだ不十分だ。

 そこでそんな場合にメイも協力したらどうかという話になったのだ。

 もちろん彼女が前に出て戦うわけにはいかないが、そもそも相手の目的はメイなのだ。となれば彼女の動きを無視することはできないはずで―――そこで例えばサフィーナが不利なときにメイが牽制して相手に隙を作らせるような作戦をいろいろ考えては実践していたのである。

 さっきのハンドサインはそんな中の一つだった。

 ―――というのはともかく、とっととこんなところからはおさらばしないと!

「サフィーナ! 逃げるわよ!」

「でも服は?」

「え?」

 二人は共に素っ裸のままだった。

 ………………

 …………

 ……

「服っ! 服っ!」

 メイは慌ててベッドの上の下着を取るが……

「それ、あたしの」

「え?」

 確かにそれは彼女の下着だった。

「えっと……じゃああたしのは?」

 あたりを見回したが、見当たらない―――と焦っていると、倒れていたラダル兄がもぞもぞと動き出した。

《ぎゃーっ!》

 こうなったら下着などにこだわってはいられない。

 メイは先ほどまで来ていた黒っぽいひらひらしたドレスをそのまま被った。

「サフィーナも早くっ!」

「ん」

 彼女も大急ぎで赤いドレスをそのまま羽織る。

「背中っ! 背中っ!」

 それから慌てて背中のボタンを止め合うが……

「……このガキ共は……」

 ラダル兄が頭を押さえながら体を起こしてくる。

《えっと……》

 メイは慌てて剣を取りあげてサフィーナに渡すが……

「あ?」

 彼女がまごついている。

 ロックがかかっていて簡単には抜けないようになっているのだ。

 ラダル兄がふら~っと立ち上がる。

「サフィーナ! こっち!」

 メイは扉に向かって走った。横にぶら下がっていた鍵を取ると、扉を開けて外に出る。

「早く!」

「ん」

 サフィーナが続くと、メイは扉を閉めて鍵をかけた―――のと、ほぼ同時だ。


 ガチャガチャ! ドカン! ドカン!


 ノブを強引に回したり扉を叩いたりする音が始まった。

「このガキ! 開けろっ!」

 いや、開けるわけないから!

《ひえぇぇぇ……危機一髪……》

 扉はかなり丈夫だ。これならすぐには出てこれないだろうが―――メイはへたり込みそうになった。

 のだが……

「あ、戻ってきた!」

 サフィーナが廊下の向こうを指さすと、ラダル弟が慌てた様子で戻ってくる。

 そして扉の前にいる二人を見て目が丸くなった。

「おまえらどうして……」

「いやあ!」

 二人は全速力で反対側に逃げ出した。

「待て! こいつら!」

 ラダル弟が追いかけてこようとするが……

「おい! ここを開けろ!」

「え? あ……」

 そんな会話が聞こえたので振り返ると、ラダル弟が部屋を開けるために鍵を探し回っていた。

《うわっ! これじゃあんまり時間稼ぎにならないじゃないのっ!》

 だがともかく今は逃げるしかない。

 二人は客室の廊下を走り抜けると、その先は上り階段になっていた。

 階段を上がりきると、そこは中庭に面した回廊だった。

《うわっ! 広っ!》

 中庭は細長い長方形で、城がそれを“コ”の字状に取り囲むように建っていた。今いる回廊は三階くらいの高さで中庭をぐるっと取り囲んでいて、それに沿って点々と灯火が連なっている。

 回廊への出入り口はいま上がってきた階段と、ぐるっと回った反対側の端、途中のコの字の奥に見える扉の三カ所しかないようだ。

《うわあ……これなのよね? サルトスのお城って……》

 ガルデニア城もそうだったが、こちらの城の設計は知らないとすぐ迷ったり困ったりするようになっていた。

 廊下がやたら曲がりくねっていたり、分かりにくい分岐点があったり、ここのようにやたら長い通路なのに出入りできる口が少ないというパターンもよくあったが……

「ん? あれって?」

 サフィーナが奥を指さした。

 中庭の奥には二階くらいの高さにわりと広めの“演壇”があった。多分下に勢揃いした兵隊たちに城主様がいろいろと有り難いお話をするためだろうが……

「あれ、エレベーターだよな?」

「そうね」

 そこには今の回廊から演壇に上がり下りするための、一人乗りのエレベーターが付いていた。

 それに関してはここに来た当初、アスリーナにガルデニア城を案内してもらったときに色々見せてもらった記憶があるが……

 ともかくこんなところで立ち止まってはいられない。

 二人は長い廊下を突っ走った。

 だが奥の扉付近にまで来たときだ。

「あ! あんなところにいやがる!」

「あのガキどもは!」

 振り返ると先ほどの階段からラダル兄弟が上がってきたところだ。

《うわ! もう来たっ!》

 急がなければ!

 だが―――このまま回廊を逃げ続けると?

 サフィーナはともかくメイの足は遅い。あの程度のアドバンテージではあっという間に追いつかれてしまう。

 少し先には出口の扉がある。

《でも? ……ダメよね?》

 ―――そこから出ても大して状況は変わらないに違いない。

 その先に隠れる場所とかがあればいいが、そんなことはまず望めないだろう。

 こちらに来てからずいぶん城の中を連れ回されたが、長くぐねぐね曲がってはいてもあまり分岐のない通路が多かった。あの先も同様だとすれば、むしろ一本道の廊下が続いている可能性の方が高くて―――仮に部屋とかがあって逃げ込めても、袋のネズミになる可能性も高いし……

 ではいったいどうすれば?



 アルマーザとリモン、そしてハフラは逃げたダンテ君を追っていった。

 彼の足取りは確かだ。この様子なら確実にメイ達の臭跡が残っているのは間違いない。

《賢いね~。ダンテ君は!》

 当初の予定では彼の出番が来ることはないはずだった。彼を連れてきたのは何らかの手違いでメイ達を見失うようなことがあったときの保険のつもりだったのだが……

 聞くところによるとガルデニア城で飼われている軍用犬の中でもエースだという。空を飛んでいたときも大人しかったし、ここでも単独で突っ走っていったりはせず、ある程度行ったところで後続のアルマーザたちを待っていてもくれる。

 おかげでこんな風に込み入った城の中でも、追跡はとても簡単だった。

 そして彼が今、足を止めてとある部屋に向かって吠えている。

「あそこね?」

 三人は全力でその部屋の前に向かったのだが……

「あー、ここって……」

 トイレですね―――そう言おうと思ったときだ。

 リモンが肩をわなわなと震わせ始めると、恐ろしい声でつぶやいたのだ。

「こんなところに連れ込んで! いったい何をしようと……」

 ………………

 …………

《え?》

 アルマーザとハフラが思わず顔を見合わせる。

「あのー、だからトイレに行きたかったんじゃないですか? どっちかが?」

 ハフラが彼女に言った。

「え?」

「だってほら、ずいぶん馬車に乗せられてきてたわけだし?」

 ………………

 …………

 リモンの顔が赤くなる。

「あ、まあ……そうよね?」

 そう言って何度か咳払いした。

《あはは。リモンさん、相当にカッカきてますよね?》

 アルマーザはこれまで小鳥組として何度も出撃をしていた。

 その際にスズメ組はファシアーナ、アウラ、リサーン、シャアラ。ヒバリ組はニフレディル、リモン、ハフラ、マジャーラがほぼ固定メンバーだったが、各々残り一人はアルマーザとマウーナ、アーシャ、サフィーナがそのときの都合で入っていた。

 そのため彼女はアウラとリモンの戦いを共に後ろから見守ってきたのだが……

《リモンさんって見かけによらずすごく熱いんですよね?》

 一見普段は物静かで超然としているように見えて、その戦いっぷりはまさに鬼神のごときだ。

《アウラ様の方がよく分からないんですけど……》

 彼女の場合、敵をなぎ倒していくときでも何だかいつもと変わらない様子で―――なのでリモンと初めて出会ったときにはちょっと怖い人かなとも思ったのだが、こうして一緒にいるととても優しかったり、食いしん坊だったり、そしてこんな場合にはちょっと早とちりだったりもするのだ。

 彼女とメイの間には何か深い絆があるのも間違いなかった。

《でもあんまりそのことは話してくれないんですよね……どっちも……》

 聞くところによると都にいた頃、リモンとメイ、そしてパミーナが何やら大変な目に遭ったことがあるとか。

《パミーナさんも詳しくは話してくれませんでしたが……》

 そのときどうやら特にリモンにとって大変辛いことが起こったらしいのだが……

「ともかく一応中を」

「そうね」

 そこで三人はトイレを調べたが、特に変哲のない普通のトイレだった。

「ダンテ君。それから?」

 ハフラがそう言って撫でると、彼はまたワンと吠えて走り出す。

「こっちに向かったのね?」

 一行はその後を追った。

 再び曲がりくねった通廊を抜けると、今度は従業員用と思われる食堂にやって来た。

「あ、何だかいい匂いがしてますね?」

 食堂内も無人だったが、奥の厨房には美味しそうなシチューがまだ鍋に残っていた。

「おかしな物を食べさせられたりはしてないみたいですね」

「そうね」

 臭いはまだ続いている。一同はさらにその先に向かった。

「でも……敵は出てきませんね?」

「そうね……この広さならもっといてもいいと思うんだけど」

 こういう場合もっと抵抗があるかと思ったのだが、そもそも城内には人があまりおらずがらんとしている。

「昔は戦争があったっていうけど、今じゃ用済みなんじゃないかしら」

「あー、そうなんでしょうね」

 今回の作戦のためにこの地域の地図はずいぶんと眺めたものだが、現在はサルトス王国のさらに奥地で、ここ何十年かの戦略的には重要な地域ではない。だがこのあたりで内戦をしていた頃には、あたりを一望できるこの城は重要な拠点だったのは間違いないだろうが……

 そんな話をしながら次に一同がやってきたのは……

「ここは……」

「お風呂場ですね」

「風呂場?」

 またリモンの声の調子が変わるが……

「いや、長旅で埃もかぶってるだろうし……」

「それは……そうよね……」

 やはり高いお金を出して買ってきた“美少女”たちだ。頂く前に綺麗にしておきたいのは間違いないだろうから……

《まあ、ここでも大丈夫だったでしょうけど……》

 一行は風呂場の中を調べたが、そこにも彼女たちの姿も手がかりになる物はなかった。

「でも……これだと……」

 ハフラが心配そうに言った。

「どうしたの?」

「臭いが消えちゃわないかしら?」

「え?」

 一同は顔を見合わせる。

「それって……」

 リモンが青ざめていく。

《確かに……そんなことになったら……》

 アルマーザも背筋がぞっとしたが―――だが、ダンテ君はここでもないと分かるとまた自信ありげに吠えて更に先に向かった。

「あ、ともかく服は着替えなかったってことですか?」

「ええ。もしくはポーチは持って行ったか」

 リモンがほっと安心した表情になる。

 そしてまた彼女たちが彼の後を追っていくと、どうやら城の高位の人物が居住すると思われるエリアにやって来た。


 ワン! ワン!


 そこでダンテ君が吠えている。

「何だ? こいつは!」

 そんな声が聞こえるが―――アルマーザたちがやってくるのに気づくと……

「何だ! お前たちはっ!」

 バラバラッと衛兵たちが立ち塞がった。



 だが―――運はまだメイ達二人を見放してはいなかった。

 メイはエレベーターがこの階に止まっていることに気がついたのだ。

《あ、これよっ!》

 ならば、残る選択肢はこれっきゃない!

「サフィーナ! こっち!」

 メイはエレベーターに走った。

「え?」

 サフィーナが少し驚いた様子だが……

「大丈夫よ!」

 二人は扉を開いてエレベーターに乗り込んだ。

 エレベーターの“籠”は文字通り大きな手籠のような形状をしていて、半円形の金属棒でできた“持ち手”部分が丈夫なロープで吊されていた。

 ロープは天井の滑車で向きを変えて籠の床に空いた穴を貫通して下に伸びている。

 籠の後部には操作用のレバーが付いている。

「はやく閉めて!」

 サフィーナが籠の扉を閉めるとメイがレバーをガクンと下に下ろすと―――固定していたロックが外れて籠がすうっと下がり始めるが……

「サフィーナ! 急いで!」

 二人が籠を縦に貫通しているロープを下から上に思いっきり引き上げると、ぐんと降下速度が上がる。

 下の階に近づいたところで、今度はロープを上から下に引いて速度を落とす。

 籠はガタンと演壇のある階に到着した。

《うは! 使い方聞いてて良かったあ!》

 二人はエレベーターの外に出るが……

《えっとそれで何か……挟むものは?》

 彼女はサフィーナが持ってきていた剣に目をとめた。

「それ、貸して!」

「え? うん」

 メイがその剣をエレベーターの扉につっかえようとしてよく見てみると……

《あら?》

 さっきは抜けなかったのだが―――この留め金をこう回せば……

 ロックが外れて剣がするっと抜けた。

「あ? 抜けるのか?」

「あはは。よく見たら簡単じゃない……じゃ、これ」

 メイは剣をサフィーナに渡すと、鞘をつっかえ棒にしてエレベーターの扉が自動で閉まらないようにした。

《ともかくこれで一安心ね……》

 二人はほっと一息をついた―――と、それには少々の説明がいるだろう。


 ここサルトスにはエレベーターという物がある。

 都の銀の塔にも似たようなものがあったが、あれは魔法使いが魔法で操作しているのに対してこちらのエレベーターはすべて人力だ。

 ガルデニア城にはメイン通路のあの大型エレベーターの他にも、あちらこちらにこんな一人乗り用エレベーターがあった。

 大型は前述の通り専門の係員が操作するが、一人用は乗った人が自力で動かす仕組みになっている。

 このエレベーターもまた同じだ。

 そしてこれについてガルデニア城を案内してもらったときにアスリーナから色々と教わっていたのだ。


 ―――話を聞いても何だかピンとこないのでメイは尋ねた。

「ええ? 自分で自分を引き上げるって、そんなことできるんですか?」

 するとアスリーナがニコニコしながら説明を始めた。

「大丈夫。魔法じゃないんですよ?」

 その基本的な仕組みはこうだ。

 まずエレベーターの籠を吊すロープがある。それが上階の天井にある定滑車で真下に向きを変え、籠の床に開いた穴を貫通している。

 ロープは下階の床下の定滑車で今度は上に向きを変え、エレベーター脇を通って上階のもう一つの定滑車でまた下に向かい、その先に釣り合い用の錘が下がっている。

 釣合錘の重さは籠が空ならば上がっていくが、誰かが乗れば下がっていくくらいに調節してある。

 こうすると下がるときは自重で自動的に、上がるときは籠を貫通しているロープを引くことで、けっこう軽い力で籠を上昇させることができるのだ。

 ちなみに急いで下りたいときにはロープを引き上げればいいのだが、速すぎると床に激突して壊れたりするからむやみにやるのは禁止である。

「あはは。そうやってカンカン鳴らしてたらもう、メッチャ怒られましたから」

 アスリーナが笑った。

「カンカン?」

「あ、重量オーバーすると鐘が鳴るようになってるんですが、飛び跳ねたりしたらそれが鳴って面白かったみたいで。あはは」

 もちろんそういうことをするのは主にあのお方だったようだが―――というわけで基本はこれだけなのだが、それではまだ色々と足りないところがある。

 まずは……

「でも、それってロープから手を離したら落ちちゃいますよね?」

 下るときはともかく、上がるときには困るのではないだろうか?

「ふふ。だからそれを防止する機構があるんですよ」

「防止する機構?」

 アスリーナはエレベーターの籠の後ろに回って説明する。

「ほら、見てください。この籠、後ろがこの平行の鉄枠に填まってて、枠沿いに上下するようになってるでしょ? 枠にほら、ギザギザした凸凹があって、籠に付いてるこの大きな歯車が引っかかってて」

「あー、はい」

「“らっく”だとか“ぴにおん”だとか言ってましたが、これに連動してる、ほら、この山が斜めになってる小さな歯車ですが、ほら、この金具のせいで一方向にしか回らないようになってるでしょ?」

「あー、上がるときカラカラいってたのはこれですか」

「はい。“らちぇっと機構”とか言うそうですけど」

「へえ……でも、下るときは?」

「あ、そのレバーを下に下ろすと金具が上がって機構が働かなくなるんですよ。だから上がるときには上、下がるときには下に下ろすんです」

「なるほど……」

 ―――というように手を離しても勝手に落ちることはないのだった。

 だがそれに加えてまだ必要な仕組みがあった。

「えっと、それでエレベーターの籠が他の階にいたときってどうすれば?」

 各階に止まっているときは勝手に動かないようにロックがかかるらしいが……

「ああ、まずはこれを引っ張ります」

 そう言ってアスリーナが横にぶら下がっていた紐を示した。

「これで他の階にいる籠のレバーを遠隔操作できるんです。そうすれば下から上なら自動で上がってくるし、上から下の場合はその外のロープを引っ張って下ろすんです」

 そう言ってエレベーターの外側に下から上に向かって伸びるロープを指さした。

「へえ……」

 と、そこで横に一緒にいたクリンが尋ねた。

「あの、でも……途中で扉が開いちゃったりしませんか?」

 籠の扉は引き戸になっていて、彼女だと腰くらいの高さしかない。

「あ、それは大丈夫ですよ。どっちかの階に止まってるときしか扉は開きませんから」

「え? そうなんですか?」

「はい。あとほら、フロア側の扉があるでしょ。あれも連動していて、籠がその階に来てるときしか開けられないようになってるんですよ。また扉が開いてるとレバーが動かせなくって、うっかり開いた状態で出発することもできないんです」

 と、そのためのややこしい仕掛けも見せてもらったが、そのときはみんなほえ~という感想しか出てこなかったわけだが―――


 そうなのだ♪

 なので、こうやってつっかえ棒をして扉が閉まらないようにしておけば、エレベーターは上からは動かせないのである

《ってか、アスリーナさん、詳しいのよね……》

 こんな難しい機械仕掛けをすらすら説明してくれたのだが―――それはやっぱり元はと言えばあの女王様のためらしい。

《確かあの案内人さんも言ってたわよね……》

 変な子供の三人組が東区の職人街を邪魔して回っていたとか何とか……

 と、そのときラダル兄弟がエレベーターの上に到着した。

 そしてメイ達が下にいるのを見て……

「ちっ! 下りやがったか?」

 そう言ってラダル兄がエレベーター横にぶら下がっていた紐を引っ張った。

 だが……

「あ? あ?」

 そんな声をあげながら紐をがんがん引っ張っている。

《いや、そんなことをしてもムダなんだけど……》

 どうやら彼らはエレベーターの機構に関しては詳しくないらしい。

「兄貴! だからはやく逃げようぜ。捕まったらヤバいって」

 弟が何やらたしなめているが……

「黙れ! あいつらをぶっ殺してからだ!」

 恐ろしく物騒なセリフが聞こえるが―――だがまあ、下りて来られないのならどうということはない。それよりも……

《捕まったらヤバいって……それじゃ、追っ手が到着したってこと?》

 さっきの犬の鳴き声はやっぱりダンテ君だったのか?

 メイとサフィーナは顔を見合わせてにっこり笑う。

「じゃ、ともかく」

 こんなところに長居は無用だ!

 二人は演壇の奥にある扉に向かった。

 この先に逃げればまず捕まることはないだろう―――というのはガルデニア城でこんなエレベーターがある場所では、それを使わずに別な階まで行こうとするととんでもなく遠回りすることになっていからだ。

 アスリーナも言っていたが……

『だからうっかり何か落としたりして、扉が閉まってないのに気づかないで行っちゃったりしたら、もう大顰蹙なんですよ』

 遠隔操作ではエレベーターが動かせなくなるので、遠路はるばる大回りしなければならないからだ。

 そしてこの城が同様な設計思想になっていたとすれば……

《ともかく奴らからは逃げられるわよね!》

 そして追っ手と合流できれば―――そう思って扉を開けようとしたのだが……

 ………………

 …………

 ……

「あれ?」

 扉はびくともしなかった。



「そこをどきなさい!」

 リモンの声が響き渡る。

 だが衛兵たちはそこから動こうとはしない。リモンがじろっと睨んで薙刀を構えるが―――そこでハフラが言った。

「ねえ? さらわれた女の子はどこにいるのかしら?」

 衛兵たちの目が泳いだ。

《この様子は……どうやら知ってるみたいですね?》

 それには残り二人も気づいたようだ。

 そこでハフラが前に出ると彼らに向かって言った。

「私たちは大皇后様の女戦士(ベラトリキス)。さらわれてきた二人も私たちの仲間なんだけど?」

「え?」

 衛兵たちがぽかんとした表情になる。

「下には宮廷魔導師のアスリーナさんも来ていて、今は逃げたラバドーラ卿とここの城主を追ってるんだけど?」

「んな……」

「もう全部バレてるんだけど? ここで抵抗しても無駄よ?」

 衛兵たちはそれを聞いて手向かう気力を完全に失ったようだ。

「それで二人はどこ?」

 衛兵の一人が少し先にある立派な扉を指さした。

「あそこね?」

 一同はうなずくとそこに向かった。

 そこはどうやら城主の部屋と見えて上等な絨毯に立派な調度が揃っていた。奥の大きな椅子の横には衣装箱が幾つか積まれているが……

「いませんね?」

 中は無人だった。

「あそこは?」

 ハフラが部屋の奥にある別の扉を指さす。

 リモンがだだだっと駆けていってその扉を開いたが……

「ここにもいないわ」

 アルマーザたちも行って覗いてみるが、彼女の言うとおりだ。そこは城主の寝室らしかったが、そこにも二人がいた気配はなかった。

「城主の何とかって人は下にやって来てたのよね?」

「そうですね。ってことは?」

 二人は風呂に入った後この部屋に連れてこられたわけだが、それは当然城主が二人を頂くためだとすると、奥の寝室に連れ込まれるのが普通なのだが……

《でもベッドはきちんと整ってるし、二人がいたって感じじゃなかったし……?》

 では二人はどこに行ったのだ?

 そこで一同はもう少しその部屋を調べてみると……

「あら? まあ……」

「どしたんです?」

「これ……」

 そう言ってハフラが部屋の中の衣装箱から可愛らしいドレスを取り上げた。

「うわ……カワイいですねえ……」

 衣装箱にはそれだけでなく、様々な色やスタイルの少女向けのドレスが入っていた。

「これを……着せられたっていうの?」

 またリモンが肩をふるわせるが……

「あー……まあそうかもしれませんが……」

「いや、結構似合うんじゃ? あの二人なら……」

「……まあ、そうね」

 リモンも不承不承うなずく。

 要するにあの城主はここで二人にドレスを着せ替えて遊んでいたということだろうか?

《それって……》

 うー、何かちょっと気色悪いが―――だがまあ、ある意味二人は無事なわけで……

「それで二人はどこに行ったのかしら?」

 ここに閉じ込められていないとすれば?―――ならばまたダンテ君に頼るしかないわけで……

 一同は部屋から出ると衛兵たちは逃げ去った後だった。

「ああ、残ってもらってればよかったですね」

「ああ、そうね……」

 ハフラもしまったという表情で、側にいたダンテ君に尋ねる。

「メイ達の臭い、他にはない?」

 すると彼はまたワンと吠えて、さらに先の方に向かっていったのだ。

「こっちね!」

 そこからまた彼について行くと、一行は城の客間が並んでいるエリアにやってきた。

 こういう大きな城だから客が来るときは大勢来たらしく、廊下の両面にホテルのように扉が並んでいるが―――その一つの前で彼が吠えた。

「ここ⁈」

 ハフラがその前に立って中の音を聞くが、誰もいる気配はない。

 扉に鍵はかかっていない。そこで一同が部屋に入ってみると……

「なに? ここ……」

 そこには長らく人が住んでいたようで、かなり生活感が溢れていた。

 二つあるベッドは毛布などがぐちゃぐちゃで、床には男物の服が散らばっている。

 サイドテーブルには食べ終わった食器があって―――床には壊れた水差しの破片が散らばっていた。

「これは?」

 ハフラがその一つを拾い上げるが……

「血⁈」

 それについている赤い染みは明らかに血のようだが……

 一同は顔を見合わせる。

《ここでいったい何が?》

 アルマーザはそう思ってあたりを見回した。

 この部屋は確かに高級な客室らしいが、この様子はどう見ても高貴な人間が泊まっているようには見えないのだが?

 そう思ってあちこちを観察していると、ベッドの上に白っぽい布きれがあるのに気がついた。

「ありゃ?」

「ん? なに?」

 それを取り上げてみると……

「これって……女の子の下着ですよね?」

 二人の目が丸くなる。

 それから部屋の中をぐるっと調べると―――ベッドの向う側にもう一組の下着が落ちているのを発見した。

「下着が二組⁈」

 数は合うわけだが……

「あ、でも二人が今日着ていたのとは違いますよね?」

 今日の朝、二人がドレスアップするのを手伝ったのでよく覚えているので、彼女たちはこういうスタイルの下着は着ていなかったのは間違いないが……

「こちらに来て着替えさせられたのかも」

「あ、それはそうですね」

 さっき二人はお風呂に入っていたわけだし―――だが、この下着にはもう一つ気になる点が……

「えっと……これって……」

 その下履きには何やら真新しい染みが付いているのだが―――それを見た二人の目がまた丸くなる。

「これって、興奮したら出てくる方……ですよね?」

 ちょっとねっとりした感じで、恐怖のあまりお漏らししたのとは違うのだが―――リモンの肩がまたわなわなと震え始める。

「いったい……何をされたっていうの? こんなところで……」

 今度ばかりはアルマーザもハフラも同じ思いだったが……

《でも、あれ?》

 これって本人がけっこうその気になってないとこうはならない物なのだが?

 ということは?

《メイさんかサフィーナがここでその気になって何かしてた⁈》

 いや、いったいどういう状況なのだ? それに血の付いた破片は?

 などという謎解きはともかく、今は二人の行方が先決なのだが―――と、そのときだ。

 遠くで鐘のような音がしたのだ。

 ………………

 …………

 一同は顔を見合わせる。

「今の、聞こえた?」

「ハフラも?」

「鐘みたいな音、よね?」

 ―――と、ハフラがばっと窓際に行って窓を開ける。

 そこからは城の中庭がよく見わたせた。

 真っ暗な中庭には各所に篝火が点々と焚かれていて、奥の演壇のような場所に赤いドレス姿がチラチラとしているが……


《赤い? ドレス?》


 一同は顔を見合わせる。

「あそこよ!」

 彼女たちは部屋を飛び出してそちらに向かおうとしたのだが……


 ワン! ワン!


 ダンテ君が反対側に走っていく。

「あ? どっちに?」

 一瞬一同は混乱するが……

「彼を追うのよ!」

 そう言ってリモンがそちらに向かった。

 確かにそうだ。こちらの城とか町はまっすぐ行ったら行き着かないようになっているわけで……

《ダンテ君が一番間違わないわよね!》

 ここは彼を信じるしかない!



《え?》

 これって?

 扉の向う側から閂が下ろされているらしい。

 確かにもう夜だ。戸締まりはしっかりしなければならないが……

《ええっ⁈》

 メイとサフィーナは顔を見合わせる。

 あたりには篝火が焚かれていて、演壇の周囲はよく見えたが―――他に出られそうな口は見当たらない。


《もしかして……閉じ込められた⁈》


 メイは演壇の端にも行ってみたが、そこは垂直の壁で下は石だたみだ。暗くて高さがよく分からないが、飛び降りたらやっぱり足が折れそうだ。

《他に出口は⁈》 

 まさに一難去ってまた一難!

 だが……

《でもこれって……?》

 この演壇の出入り口は奥の扉かエレベーターしかない。彼女たちがここから逃げることは不可能だが……

《でも入っても来れないのなら……》

 やがては追っ手がやってくるだろうし、そうすればあいつらだって逃げるか捕まるかするだろうし……

《だとすれば……ここで単に待ってれば?》

 メイがそう思ったときだ。

「この! この! このぉぉぉぉっ! あ?」

 遠隔操作用の紐を力任せに引っ張っていたラダル兄が、おかしな声を上げた。

 見ると……

《うわ…… 紐、切れてるじゃない……》

 メイは吹き出しそうになった。

 ただでさえ動かせないエレベーターが、これではもうどうしようもない!

 だが、ラダル兄はそれで完全にブチ切れた。

「このガキ共は……おい! そいつを寄こせ!」

 そう言って弟から彼の剣を奪い取った。

「あ、何すんだよ!」

「やかましい!」

 そしてそれをベルトに差すと―――上階のフロア扉を乗り越えて、エレベーターのロープを滑り降りてきたのだ!

「あ?」

 いや、あんなことしたら……

「うぎゃっ! 熱ちっ!」

 手を火傷するだろうが―――と思うまもなく……


 ドカッ!

      カーン!


 ラダル兄が下階に止まっているエレベーターの籠に飛び降りて、重量オーバーの鐘が派手に鳴った。


《んぎゃあああああああっ!》


 ラダル兄がエレベーターのドアを開けると、突っかかっていた鞘がカランと床に転がる。

「ふっふっふっふ」

 まさに目が完全に逝っている。

《ちょっと……》

 メイはへなへなと崩れ落ちそうになった。

 だがそのとき、サフィーナが彼女の前に立ちはだかると、無言で剣を構えた。

《サフィーナ……》

 確かに彼女はメイを守ってくれるとは言ったが……

「メイ、下がってろ」

 いいも悪いもない。メイは後ろに下がって彼女の邪魔にだけはならないようにする。

 だが……

「ふっ」

 サフィーナの構えを見てラダル兄が鼻で笑った。

 その理由はメイにも明白だった。

《あの剣じゃ……》

 彼女が手にしているのはラダル兄から奪った長剣だ。それは奴のような体格と腕力があって初めて振り回せる代物で、サフィーナにはまさに不向きだった。

 実際彼女の構えは端から見ていてもふらふらしていて―――と、ラダル兄がずかずかっと近づいていって、いきなり片手で斬りかかった。

 サフィーナはそれを受けたが―――勢いで吹っ飛ばされてしまう。

「ああっ!」

 思わずメイは顔を覆うが―――サフィーナは倒れてはいない。多分自分で飛んで勢いを殺したのだ。

 メイはほっとため息をつくが、状況は何も変わっていない。

「ふふふ。どうしたよ?」

 ラダル兄がまたずかずかと近づいていっては乱暴に斬りかかる。

 まともに受け止めたら一気に潰されてしまうので、彼女は飛んで逃げるしかない。幸いなことにこの演壇はかなり広いから、そう簡単に追い詰められることないだろうが……

《でも……》

 状況を打開するには逃げてばかりではなくこちらから攻撃しなければならないのだが……

「兄貴! 早くしろよ!」

 弟の声が聞こえるが……

「やかましい! こいつだけは簡単には死なせねえ!」

「だから女王の手勢が来てるんだって!」

「黙ってろ!」

 ラダル兄は完全に理性を失っている。

 だが、それでも彼がサフィーナをすぐに殺さずに虐ぶろうとしているのなら、まだ望みはある。

《その間に追っ手が間に合えば……》

 城には既に来ているようだから、もうちょっとだけ引き延ばしていられれば何とかなるかも―――だが……

「さーて、そろそろ遊びは終わりだぜ」

 サフィーナが歯を食いしばる。

《ええっ⁈》

 ―――そのときだ。


「サフィーナっ!」


 遠くから、とても聞き慣れた声が聞こえた。

《え?》

 声がした方を見ると―――回廊の端に見慣れた金髪の姿が見えた。

《リモンさん⁈》

 その後からさらに二人、これまた見慣れたシルエットが現れる。

《それにハフラ、アルマーザ!》

 間に合った!

 間に合ったのだ!

 メイは全力で叫んだ。

「リモンさーん! みんなーっ!」

 三人が手を振るのが見えるが……

「ぬあぁぁぁっ! 死ねやぁぁぁっ!」

 ラダル兄がサフィーナに斬りかかった。

 彼女は辛うじて横っ飛びで避けるが、今度はバランスを崩して膝をついてしまう。

《ああっ!》

 と、そのときだ。

「兄貴! 来やがった。ありゃヤバいって! 先に行くぞ?」

 そう言って弟が脱兎のごとく逃げていったのだ。

「あ、この野郎!」

 兄が地団駄を踏むが、その隙に何とかサフィーナは体勢を整えることができた。

 だが……

「こいつ……」

 相変わらず奴はブチ切れている。そしてじりじりとサフィーナに迫っていった。



 赤いドレス姿は間違いなくサフィーナだった。

「リモンさーん! みんなーっ!」

 その後ろで手を振っているのは―――メイだ! 黒っぽいドレスを着ていたので最初は気づかなかったが、間違いない。彼女もいる!

 二人はともかく無事だ!

 だが同時にとんでもない危機にさらされているのも確かだった。

 大きな男が何やらわめきながらサフィーナに斬りかかっている。一見大雑把な斬り込み方だが―――彼女が手にしているのは同じような長剣だ。

《うわ! あれじゃ……》

 多分どこかで奪ったのだろうが、あんな重たい剣を彼女たちは扱いきれない。

 それでも何とか男の攻撃を避けてはいるようだが、このままでは時間の問題だ。

《えっと……でもどうすれば?》

 そのときだ。

「それでどうにか牽制して!」

 リモンがハフラの弓を顎で示すと、そのまま全速力で走り去っていったのだ。

「え?」

 残された二人は一瞬呆然とするが―――確かに彼女は弓矢を持っている。このくらいの距離、静止した的ならば外さないだろう。だが、今は夜で距離感が分かりにくいし、相手も動いている。さらにはサフィーナたちに当たらないようにもしなければならず、そして何よりも……

「この手すりじゃ……」

 ハフラがつぶやいた。

 回廊の手すりは彼女の胸ほどの高さがあった。これでは下に向かって撃てないのだが……

 だが方策がないわけではない。

《あー、あたしが?》

 ちょっとため息がでてしまうが、今は躊躇している場合ではない。

「それじゃね! っと!」

 アルマーザはハフラの両足を手で抱えた。

「何するのよ?」

 ハフラが面食らった声を上げるが、んなのは無視して……

「よっこらせっと!」

 そんなかけ声と共に彼女を全力で抱え上げたのだが―――その重さに足がふらついた。

「あーっ!」

 ハフラが悲鳴を上げる。

「だから重いんですよっ!」

「あん?」

 彼女が険悪な声をあげるが……

「いいから、撃って!」

 むっとした様子で彼女は弓を構えた。

 だが、とりあえずは下に向けられたが、土台のアルマーザがふらつくので狙いが定まらない。

「ちょっと! 止まってよ!」

「そんなこと言われたって! ほら、はやく!」

「あー、もう……」

 アルマーザに急かされてハフラは矢を放った。



 ラダル兄がにっと笑ってサフィーナに斬りかかろうとしたその瞬間……


 パシッ!


 ―――彼の足下で矢が弾けた。

「あ?」

 ラダル兄が飛び下がる。

《え?》

 見ると回廊の途中からハフラが弓を構えているのが見えた。だが、あの手すりはメイだと首しか出ないくらいに高かったが……

《えっと……ハフラさん、あんなに背が高かったっけ?》

 などというのはともかく―――彼女たちはみんな弓が上手だ。しかし、あの距離で動き回る相手に、しかもサフィーナに当てないようにするのはかなり難しいと思うのだが……

 だがラダル兄はそれで少々頭が冷えたようだ。

 奴はちらちらとあたりを見回すと、どうやらこうなったら彼もまた袋のネズミになりかかっていることに気づいたようだ。

 だとしたら?

 ラダル兄がじろっとメイに目をとめる。

《あははっ! そういう場合はやっぱり人質よねっ!》

 そんなことになったらもう、みんな簡単には手を出せなくなってしまうわけで……

《ぎゃーっ!》

 メイは慌ててサフィーナの後ろに回り込むが……

「邪魔だ!」

 ラダル兄がサフィーナを剣で弾き飛ばすと、だだっとメイの方に向かってきた。

《いやあああああああっ!》

 メイは全速力で逃げるが、演壇はそこまでは広くない。これではすぐに捕まってしまう!

 ―――と、思ったときだ。


「サフィーナ!」


 真上から声がした。

《え?》

 見上げると回廊の手すりから息を荒げたリモンが顔を出していて……

「これを!」

 彼女の薙刀をサフィーナに投げ渡したのだ。

「サンキュ!」

 サフィーナは手にしていた剣を放り出すと、しっかりとリモンの薙刀を受け取った。

「やっちゃいなさい」

「ん」

 リモンの言葉にサフィーナが小さくうなずくと、そこから一気にラダル兄に斬りかかる。

「うわっ!」

 奴が弾かれたように飛び下がる。

「くそっ!」

 そして向き直るとそれまでは片手で振り回していた剣を両手で持ち直し、下段に構え直したのだ。

《え?》

 この構えは―――あの試合でディアリオがアウラに見せたものではないか?

「ちったあ面白くなってきたじゃねえか」

 奴が不敵に笑う。

 だがこれまでの相手を小馬鹿にしたような表情ではない。口元に笑みは浮かんでいるが、その眼光はまさに獲物を狩る野獣のそれだ。

《あーっ! そういえば……》

 あの試合のときにロッタが、ラダル兄弟は素行が良ければ御前試合にも出られるほどの手練れと言っていたような―――だがサフィーナはまったく臆する様子はなかった。

 彼女もまた鋭い鷹のような眼光でラダル兄をにらみ付ける。

 そして―――ちょっと屈むとそろそろっと横に回り込み始めたのだ。

 それからちょっと止まって、たたっと今度は逆に回る。

 あの試合でも見せた動きだが―――ラダル兄はそんな彼女を視線で追うだけで、その構えはびくともしない。

《うわ……これって……》

 サフィーナはヴェーヌスベルグ娘たちの中では一番小さかった。最小のメイに比べても、ちょっと大きいだけだ。

 体が小さいということは戦いでは大きなハンデだ。

 だがそれで何もかもが不利になるわけではない。

 例えば相手の下半身への攻撃では逆にそれが強みとなる―――何しろ普通に構えただけで切っ先が相手の臍くらいに向かってしまうのだから。

 剣士同士の戦いでは通常は腰から下への攻撃はないため、並の剣士ではそれだけで慌ててしまうのが常だ。

 すなわち、このように低く構えて左右に動きながら隙を見て足や腹部への攻撃を繰り出すというのは、サフィーナが得意とする基本攻撃パターンだった。

 だが……

《うう……全然慌ててないわよね……》

 ラダル兄は変態でも剣の腕は確かだった。あんなに落ち着いて下段に構えられては、つけ入る隙がないのだが……

《でも……》

 その程度のことはまさに想定済みなのだ♪

 サフィーナは左右に動きながら、ちょっ、ちょっとラダル兄の足を狙う素振りをしていたが、そこでいきなり振りかぶって面を打った。

「うおっと!」

 ラダル兄が飛び下がるとその眼前すれすれを薙刀の刃が通り過ぎる。

「うひゃあ。危ねえ……伸びてくるねえ……」

 と、いいながらあれは余裕の表情だが……

《くっそー……あれも効かないのか……》

 そう。低い攻撃しかなければ、相手に低く構えられたら詰んでしまう。だが薙刀の場合“繰り出し”を使うことでリーチが伸びて、サフィーナでも十分に相手の面を狙うことができるのだ。

 あの試合で取った最初の一本がまさにそれだった。

 そうして油断したら頭をかち割られると分かったら今度は、並以上の剣士であっても足下の備えが疎かになりがちで、あのドラートという剣士は二本目を食ってしまったのだ。

《あのときは明らかにカッカ来てたけど……》

 だが、目の前のラダル兄はむしろ何やら楽しそうな笑みを浮かべている。

《うわあ……こういうのがいちばん嫌なんだけど……》

 だが、先ほどと少し違うのは今度は奴は中段に構えていることだ。

《あれってやっぱり面を警戒してるのよね?》

 下段という構えは当然下からの攻撃は避けやすいが、頭部はがら空きだ。なので上からの攻撃にも備えて構えを変えたのだろうが……

 それだけでなく―――と思った瞬間だ。

 再びサフィーナが低く突っ込んでいって足を払うが、ラダル兄はそれを最小限の動きで避ける。それから更に彼女は持ち替えて反対側の足を、更にはそこから突きの連続技を繰り出すが、それもギリでかわされてしまう。

 そしてまた再び今度は面打ちに来た瞬間だ。

《えっ?》

 打ち込んでいったサフィーナの薙刀をラダル兄がピタリと受け止めたのだ。

 剣と薙刀が空中で交差した状態で二人の動きが停止した。

《うげっ! こいつ……やっぱ達人級なのか? 変態のくせに……》

 これは―――アウラとディアリオが戦ったときと同じだ!

 剣士が薙刀使いと戦う場合、相手の方がリーチが長いため先に攻撃されてしまうのはやむを得ない。そこで重要なのがその攻撃をどう防ぐかということだ。

 だが後ろに逃げていては永久に相手に剣は届かない。そこで踏みとどまって相手の攻撃をいかに捌くか? それが肝要になる。

 最も普通の手段は相手の剣を受け止めることだが、そうするとリモンがあの試合で見せたように、薙刀を繰り込んで相手を泳がせての突き、という返し技を食らうこともある。

 だが……

《何かほとんど音しなかったわよね……》

 刃と刃がぶつかったら普通はカキーンと音がするものだが、今は何かシュッというような音がしただけだ。

 ラダル兄はまさに達人の技でサフィーナの薙刀の勢いを殺したのだ。

 奴の剣は中心から全くぶれていない。こうなると繰り込んで突いても無駄だ。

《えっと……》

 この先は? もしかして先に動いた方が負け? だとしたら?

 ―――と、そのときだ。


 バシッ!


 ラダル兄からちょっと離れた所にまた矢が当たった。

 その瞬間にサフィーナが飛び離れる。

「ちっ!」

 ラダル兄も舌打ちして二三歩下がる。

 見ると回廊からまた―――今度はアルマーザが弓を持って、ハフラに肩車されているのが見えた。

《ナイスサポート!》

 メイが手を振るとアルマーザも手を振り返す。

 ともかくこれで膠着は解けたわけだが、でも状況が芳しくないのは相変わらずで……

《え?》

 と、そこでサフィーナがポンポンと何度かジャンプをしたのだ。

 そしてラダル兄をにらみ付けると―――薙刀を大上段に構えた。

《ああっ!》

 もしかして彼女は―――と、思った矢先だ。

「イヤァァァァァァッ!」

 そんなかけ声と共にサフィーナがラダル兄に突進した。

 ラダル兄の目が丸くなり、剣を構え直すが―――ところが、その直前で彼女はつんのめって前に倒れてしまったのだ!


《ああっ!》


 ―――と、誰もがそう思ったに違いない。

 だが、そこから彼女は“飛んだ”のだ。

 そして―――奴の右横をすり抜けると、薙刀の石突きを使ってカエルのように着地した。

 ………………

 …………

 ……

 ラダル兄が振り返ろうとするが―――不自然に体がねじれて、ずでんと倒れ伏す。

 その股間から腹部にかけてざっくりと開いた傷から、血がドピュッドピュッと噴き出し始める。

「サフィーナっ!」

「ふう……」

 彼女がそのまま尻餅をついた。


 ―――アウラはその弟子たちにそれぞれその特長にあった戦い方を伝授していた。

 リモンはその心の強さを前面に出した敵を圧倒する連続技、ガリーナは長年研鑽してきた長薙刀の技術を活かした捌きのテクニック。そしてサフィーナは元々ヴェーヌスベルグ風の剣術に熟達していた。

 ヴェーヌスベルグには女しかいなかった。中では大柄なマジャーラやシャアラでさえ男の剣士に比べれば平均以下の体格だ。

 そのため元から彼女たちは力に任せず、細長く軽い剣での素早い突っ込みと捌き、突き主体の剣術を編み出していたのだ。

 しかしサフィーナは体が小さかったのでそれでもハンデが大きかった。そこで彼女は“猫先生”に教わって、彼女にしかできない低い突っ込みを身につけていたのだが―――それだけだと相手に低く構えられたら後が続かない。

 そこでアウラは彼女に薙刀を持たせて、上段の攻撃もできるようにしてやったのだ。

 頭が割られる恐れがあるとなったら、誰だって構えを上げざるを得ない。だがそうすれば足下が空いて、サフィーナのあの“猫っ跳び”が生きてくるのである。

《まるで猫なのよね。本当に……》

 いったい何が起こったかというと―――サフィーナは上段に構えて一気に突進した。

 そこで前につんのめって倒れてしまったかに見えたのだが、実はそこから猫が獲物に飛びかかるように思いっきり前にジャンプしていたのだ。

《あれで三~四メートルくらい軽く跳ぶのよね……》

 その際に彼女は薙刀の刃を上に向けて、そのまま水平に跳びながら万歳のように両手を挙げると―――その切っ先は相手からは、地面すれすれから高速で前進しつつ下から薙ぎ上がってくるという、他ではあり得ない太刀筋になる。

 そこから手の代わりに薙刀の石突きを利用して着地するが―――そんな太刀筋は分かっていても逃げるしかなく、知らなければラダル兄のような手練れであってもその結果はご覧の通りで……


《そう! これぞサフィーナの必殺技! “必死剣・ねこのつめ”なのだっ!》


 アウラでもこれは無理だと笑っていたが―――ちなみに技名が“必殺剣”ではない理由は、かように相手にヒットする瞬間は本人も宙を飛んでいるために、寸止めというのが原理的にできないためだ。“必殺剣”という場合には生殺与奪の権利はこちらにあるわけだが、これは発動すれば最後、もう相手の運命は定まっているという意味で“必死剣”なのである!

 ―――などとメイが何者かに解説していると……

「サフィーナ! メイ! 大丈夫?」

 上からリモンの声がした。

「ん。何とか」

「そいつは?」

 見るとまだラダル兄はピクピクしてはいるが―――サフィーナが首を振った。

《あ、これは無理よね……》

 腰の下に大きな血だまりができている。内股には大きな動脈が走っているし、この出血ではちょっともうどうしようもないだろう……

「ともかく、こっちに来られる?」

 確かにそれはそうだ。こんな場所には長居したくない。

 そこでメイは駆け寄ってサフィーナに手を貸す。彼女は立ち上がるが―――いきなりふらついた。

「きゃっ!」

 メイが慌てて彼女を支えるが……

「うわ……足が、力が入らない……」

 まさに今の一撃に文字通り全力を使い果たしたのだ。

「大丈夫よ」

 メイが肩を貸して、二人はよろよろとエレベーターに乗り込んだ。

 ラダル兄が引きちぎってしまったため別の階からは操作できないが、こちらからなら問題ない。メイは扉を閉めてレバーを上げると、ロープを引いてエレベーターを上昇させる。

 カラカラっという音と共に軽々とエレベーターは上がっていった。

 そして上の階についてカチンとロックがかかると……

「メイ! サフィーナ!」

 リモンが飛び込んできて二人を抱きしめた。

「おーい! 大丈夫ですか!」

 後ろからはアルマーザとハフラがやってくる。

「あはははは。まあ、何とか……」

 そう思った瞬間……

《ありゃ?》

 メイも何だか腰が抜けて座り込んでしまった。

「それにしても……」

 リモンが赤い顔でサフィーナに言う。

「あんた、下着どうしたのよ?」

「え? ああ、着てる暇なかったんで……」

「え?」

 リモンが首をかしげる。

「いやもう、すごい格好でしたけど……」

 アルマーザがニヤニヤしながら言う。

「そりゃしょうがないだろ!」

 サフィーナがちょっと赤くなった。

 ―――と、そのときメイは思い当たった。

《うわ……後ろから見てたから分かんなかったけど……》

 そう。あの技はどうしても着地の際には大股開きにならざるを得ないのである。

 そしてあの勢いだ。着ていたドレスの裾は思いっきりまくれ上がっていて……

《あはは! あっちから見てたら……》

 そりゃ大変な格好だったのは間違いないが……

「あー、それで……下着の替えって……ないわよね?」

 メイは一応尋ねてみるが……

「そりゃないけど……え? メイ。あなたも?」

「あ、まあ……」

 一同が顔を見合わせる。

「ちょっと……何されたの? まさか……」

 リモンが蒼白になるが……

「あ、いや、ちょっとその、時間稼ぎというか何というか……」

「時間稼ぎ⁈」

「だからあいつらの部屋に連れてかれて、もうダメかって思ったら、そしたらサフィーナがこの城には幽霊が出るとか言い出すし……」

「幽霊?」

 三人が驚愕の表情でメイを見る。

「幽霊って……まさか……」

「え? あはは」

 メイとサフィーナが顔を見合わせて苦笑するが……

「んじゃ、あそこであんたたち、幽霊怖~い! とかやってたの?」

 リモンがじとっとした表情で尋ねた。

 メイは慌てて答える。

「いや、だからそこでサフィーナが機転を利かせてくれたんだって! あ、ほら、あいつらあの変態城主と違ってあたしたち見てする気満々だったじゃない?」

「あ、まあな」

 サフィーナがうなずいた。

「で、ほら、郭の前座とかでそうやって遊女同士で絡んで見せたりするでしょ? だからそんな感じで時間が稼げるって思ったんでしょ?」

「え?」

 サフィーナがぽかんとした顔になった。

 ………………

 …………

「え? 違うの?」

 彼女は首を振る。

「いや、だからあいつらやる気満々だったし、しょうがないからつきあってやろうと思ってたんだが、でもメイ、ガチガチだったし、あのままじゃ痛いだろうなって思って」

「え?」

「そしたら何でかあいつら、メイが喘いでるの見て嬉しそうにしてるし。そしたら今度はメイの方が本気になっちゃうし」

「はい?」

「で、やってもらってたら、それもあいつら喜んで見てるし……あ、でも時間稼ぎにはなってたな。確かに。うん」

 ………………

 …………

 メイは尋ねた。

「あの……なあに? あのままじゃ痛いって……」

「ん? だから体がほぐれてないと痛いじゃないか?」

「んえっ⁈」

 もしかして―――彼女はあそこであいつらとやる気満々だったと?

 でも、メイの準備ができていなかったから、そのためにほぐしてくれていたと?

《いや、だから……》

 ………………

 …………

 ……

 メイは魂が抜けた。

 ―――そこでリモンがサフィーナに尋ねる。

「それで結局どうなったの?」

「あ、それでな、そろそろいいかなって思ってたら、何だか犬の鳴き声が聞こえて、それで弟の方が見に行って」

「ええ」

「そしたら残った兄貴の方がメイと始めようとしてさ」

「ええっ⁈」

 リモンが驚愕の表情になるが……

「んで、ちょっと安心したんだ」

 ………………

 …………

 ……

「安心⁈」

 一同が顔を見合わせる。それを見てサフィーナがうなずいた。

「ん。だからメイ、初めてだし、あんまり大っきいのじゃどうかなって思ってたら、あいつの、そうでもなかったんで」

 リモンがぽかんとする。

「あいつの?」

「ん? だからあいつのちんぽだが?」

 リモンが真っ赤になって絶句する。

「それで?」

 ―――そこでハフラが続きを尋ねると、サフィーナがうなずいた。

「ん。で、そう言ったら、何でかあいつブチ切れちゃってさ……」

「まあ、それで?」

「何かもうどうしようもないから、それでメイに手伝ってもらってあいつぶちのめしたんだけど、とどめさしてる余裕がなくって」

「それで……追われていたの?」

 サフィーナがうなずく。

「ん。部屋に鍵かけて閉め出したと思ったら、弟の方がもどってきちゃってさ」

 ………………

 …………

 ……

 ハフラとアルマーザは、はあっとため息をついて首を振った。

「サフィーナったら、あなたねえ」

「そうですよ。どうしてそこまで余裕だったんですか? さすがにあそこでって……」

 少々のことには動じないヴェーヌスベルグの娘たちも呆れかえっているが……

「ん? だってステラが助けは来るって言ってたから」

「ステラ⁈」

 絶句していたリモンも顔を上げる。

「あ、ここのメイドの人なんだけど。いなかった?」

「いえ、私たちは見てないけど……」

「その人が助けは来るって言ってたの?」

 リモンの問いにサフィーナが答える。

「ん。そしてこれもくれたんだ」

 そしてポケットから秘伝のスパイスの小袋を取り出した。

「まあ……」

 三人は顔を見合わせる。

「それじゃこっちにも味方の人がいたってことなの?」

 ハフラの問いにサフィーナが首をかしげる。

「こっちにも?」

 そのやりとりを聞いて、メイの魂が少しばかり戻ってきた。

「えっと、そういえばみんなどうしてここが分かったの?」

 考えてみれば、本来なら彼女たちはこの場所を知る由もなかったはずなのだが―――それにハフラが答えた。

「あ、それがあたしたちが行ったら誘拐団のアジトが燃やされてて……」

「あ、やっぱり……それ聞いてもうダメかって思ってたんだけど……」

 ハフラがうなずく。

「ええ。でもそこで見回りに行った兵隊が手紙をもらってきて、それにメイさん達がこのグラドゥス城に連れてかれたって書いてあったの」

「ええっ?」

 いったいどういうことだ?

 そこでアルマーザが言った。

「ともかく、あっちにもこっちにもあたしたちの味方がいたってことですよね?」

「そうなるわよね?」

 三人が首をかしげているが―――そこにサフィーナが言った。

「んじゃあの人に訊いたら分かるんじゃないか?」

 メイもうなずく。

「ああ、そうよね! それにステラさんなら下着の場所も分かると思うし!」

 幽霊を退治したり全力で走ったりでさっきまでは体が火照っていたのだが、こんなスースーする格好ではそろそろ夜風が身に染みはじめていた。