第2章サルモ波止場の宴
それから三日後、一行は川の上で小舟に揺られていた。
船縁の向こうにサルトスの深い森の景色がゆったりと流れていく。
ここは“大河ノクス”と呼ばれるこの国では最も長大な河川だ。だからこの付近でもそこそこの川幅はあるのだが思ったほどには流れは速くない。
それでもアウラは落ち着かなかった。
船というものには元々あまり慣れなかった。何といっても足元が不安定なのが気持ち悪い。
しかもいま乗っているのはかなり華奢で細長い小舟だ。
そこに合計八名―――アウラ一行五名に加えてジェニーと“案内人”が二人だが、大きな船ではないのでそれで満杯だ。
《転覆したりは……しないわよね?》
この季節にそんな目に合うのは願い下げなのだが―――アウラは泳ぎはそれほど得意ではない。もしここで舟がひっくり返っても自分だけなら何とかなるかもしれないが、他人を助けている余裕はないだろう。
《あのときは大変だったものね……》
川で船といえばまずあのエストラテ川での舟遊びを思い出すが―――そのときはメイがほぼ死にかかっていたが……
彼女を初めとしてフォレスの仲間たちはおおむね泳ぎが下手だ。山中の小国なので夏でも川や湖の水は凍えるほど冷たい。生まれてこの方一度も泳いだことがないという者も珍しくなかった。
《でもまあ、こっちなら何とかなるかしら?》
いま一緒にいるヴェーヌスベルグの連中は砂漠育ちの割には泳ぎがうまい。村の中央に大きなオアシスがあって、暑いときにはみんな裸で泳いでいたからなのだそうだが……
しかし、渡りに舟とはよく言ったものだ。
―――あの翌日、ジェニーが連れてきたのは人相の悪い大柄な男だった。
おかげで狭い下宿はすし詰めだ。
「えっと……その人は?」
ティアが尋ねると彼女が笑顔で答えた。
「あ。こちらは密輸業者の案内人、バラーダさんです
」
一同は顔を見合わせる。
《密輸業者?》
だが、言われてみれば納得だった。
《密輸業者なら普通の人が知らないルートを知ってるってことよね?》
そんな男と知り合いとは―――一同がジェニーをじとっと見つめるが……
ところがそんな彼女たちを見るなり、男の方も何やら意外な様子でジェニーに食って掛かる。
「ええっ? 他にももう少しって……こいつらをか?」
「下りなら八人まで大丈夫って言ってたじゃないのー?」
「そりゃまあそうだが、ピクニックに行くんじゃないんだぞ? あんただけならともかく、こいつらまでとか、無理だって」
何やら話が食い違っているようだが……
「何が無理なのよ?」
ティアが尋ねると……
「だから道中道が悪いところも多いし……」
そう言って男が首を振るが……
「あ、それなら大丈夫よ? みんな足は丈夫だし」
ティアがあっさりと答える。
確かに砂漠育ちの彼女たちの足腰はまさによく鍛えられていて、少々足場の悪いところでもするする歩いていけた。都育ちのティアでもこの何年かの生活のおかげで体力的にはあまり不安はない。
《これがミーラとかだったらちょっと考えちゃうけど……》
だが男はまた首を振る。
「それだけじゃなくって、ヤバイ奴らが出ることだってあるしさ。この人数を守ってやれる保証なんてできないって」
ところがそれにもあっさりとティアが答える。
「あ、それも大丈夫だけど?」
「あ?」
「まー、この方々なら大丈夫なんじゃないかしら?」
ジェニーも横から口を挟む。
「大丈夫って?」
男はわけが分からないといった表情だが―――一介の密輸業者が見ただけで相手の力量を推し量れなくとも無理はない。
《またあれやるしかないみたいね……》
アウラは愛用の薙刀を取り出した。
「あ、何かない?」
彼女がカチリと軸をつなぎながらみんなに尋ねると……
「これなんかどう?」
ティアが棒の付いたキャンディーを取り出してきた。
「どうしてそんなもの持ってるんですか?」
アルマーザが突っ込むが……
「いーじゃないの!」
キールが担がされていた荷物がやたら大きいとは思っていたが……
「あー……じゃ、ちょっとこれを咥えてみて」
ティアがキャンディーの軸を男に咥えさせようとする。
男は面食らっていたが不承不承言われるがままにすると……
「あ、動かないでね?」
ティアそう言った瞬間、アウラがぶんと薙刀を振り下ろして―――キャンディーだけがころりと床に転げ落ちた。
「ひぇぇぇぇっ!」
男が思わず尻餅をつく。
「分かったかしら?」
ニヤニヤ見下ろすティアに、男は仰天した様子だ。
「ああ、まあ、確かに……あまり護衛は要らないみたいだな……」
解放作戦の間も彼女たちの腕が信じられないという者は多かったので、こんなデモンストレーションはよく行っていたのだ。
「じゃあ、OKでいいかしら?」
「ああ。分かったよ」
男がこくこくとうなずいた。
そこでティアが尋ねた。
「それで、ここからどうやってシフラまで見つからないように行くの?」
ガルデニアからシフラに向かう一番普通のルートは、まず街道を西に向かいアコールを経由してセイルズまで行って、そこから北に折れてシフラに向かうのが一般的だ。
このコースならセイルズからシフラまでは船を使うこともできる。
もしくはアコールから北へ向かう街道でベルジュに行き、そこからシフラに向かう経路もある。ただこちらは途中が山がちで少々治安が悪い。
ところが現在アコールから先は両コース共に戦闘地域になっていて簡単には通り抜けられないのだ。
その当然の質問に男はニヤッと笑って答えた。
「それはな、大河ノクスを下ってくんだ。そしてサルモまで行って、そこから大河ヘリオスを遡ればセイルズに行けて、そこからシフラまでは目と鼻の先だろ?」
一同は頭の中で経路を想像するが……
「え? あの川下っていけるの?」
ティアの問いに男は首を振る。
「いや、途中に滝とか激流があるからまあ普通は行けねえとしたもんだが……」
「それじゃどうするのよ?」
「だからこそそんな場所を行くんだよ」
男がニヤリと笑った―――
言われてみれば当然の話だったが、大っぴらには運べないものを運ぶ場合は人目につかない道を行く必要がある。
だがそんな道がなぜ人目につかないかには理由がある―――すなわち何らかの理由で通行が困難だからだ。
困難といえば、そもそもガルデニアを出ることからしてがそうだった。
各城門には検問が敷かれていて通行証がなければ出入りもできなかった。
それに関してはバラーダが偽の通行証を用意してくれたのでクリアできたのだが、ゲートの兵士たちはみんな彼女たちの似顔絵を持っていた。
《ティアの荷物がいきなり役に立ったのよね……》
キールが担がされていた荷物にはメイク道具も入っていたのだが、あの解放作戦中にも役立ったように全員がまるで別人になっていたため検問に引っかかららずに済んだのだ。
それから丸一日歩いて大河ノクスの河畔に到着したのだが、その道が既に馬車も通れないような細くて険しい間道だった。
河畔には密輸業者御用達の宿があって一行はそこに宿泊することはできた。だがサービスはまさに最低限で、とりあえずベッドで寝られただけでも良しとするしかない場所だ。
《みんなぶうぶう言ってたけど……》
アウラが一人で彷徨っていた頃にはこんなベッドでも有り難かったものだが……
そして今日からは船旅だ。
《そういえばハスミンの村が密輸業者だって言ってたっけ……》
フィンと共にシルヴェストに行ってあのトラブルに巻き込まれて、一度はそこを頼って帰ろうということになっていたのだが……
《また関わることになるなんて……》
それまでアウラは密輸業者など単に悪い奴らとしか思っていなかった。
だが今回案内してくれたバラーダは人相はあまり良くなかったが、話してみればけっこう気さくな男だった。
―――夕べの宿で食後の雑談をしていたときだ。
バラーダはかつては自分で密輸もしていたが、今は大河ノクス沿いを通る業者の案内をすることを生業としているという。
そこでアルマーザが彼に尋ねたのだ。
「へえぇ……それにしても、密輸業者ってどんな物を運んでるんですか?」
それってかなりセンシティブな話題なのでは? と、一同は一瞬焦ったのだが……
「ああ、よくあるのが宝飾品とかだな」
バラーダは別に気にしないという様子で答える。
「え? それって輸入禁止なんですか?」
アルマーザの問いに男は笑って答える。
「んなこたーない。ただ、まともに運んできたら国境でけっこうな関税をふんだくられるからな」
「そんなに取られるんですか?」
「ああ。物によっちゃ五割くらいぼったくられるぞ」
聞けば国によっても違うが、そういった贅沢品には大抵そんな法外な関税がかけられているという。
「だからまあ、それを払わなくていいってんなら、他よりもお安く売っても利益は多くなるわけだ」
そのため各地に国境の検問をスルーするための密輸経路が作られてきた。
「ってかな、関税とか称して実は国境の役人が懐に入れてるなんてこともよくあってな。だからむしろ親切な商売なんだよ? 商品が欲しいお客様に良い品をお安くお届けしてやれるんだからな?」
この手の話はフィンならば喜んで聞いていそうだったが、アウラには今ひとつピンとこなかった。
「へえぇ……でも運悪く見つかったらどうなるんです?」
アルマーザの問いにバラーダはニヤッと笑う。
「あ? まあそういう場合は仕方ないからそいつにいくらか握らせることになるな」
「え? そんだけで?」
「そんなもんだよ? 運んでたのが禁制品だったら少々面倒なことになるが、まあ関税の節約の場合ならそんなもんだな」
「へえぇ……」
今ひとつ納得の行かない様子の彼女に男はまたニヤッと笑う。
「ふっ。そいつらだって取り締まってるのはそっち目当てだからな。むしろ俺達がいなくなったらあっちの方が困るくらいで」
「そうなんですか?」
バラーダはうなずいた。
かつて中原に小国がたくさんあった頃は、馬鹿正直に表街道を通るとこうして値段が跳ね上がってしまうので、国と国の間を縫うように複雑な密輸ルートができていたという。
そしてそこを通る密輸業者と取り締まる役人の間には、そういったなあなあの関係ができあがっていた。
ところがレイモン王国が興ってその領域内では輸送が自由になると、そこで暗躍していた密輸業者と共に肥え太っていた汚職役人もまた悲惨な末路を迎えたという。
「じいさんが昔は良かったって良く言ってたがな」
「おじいさんの代から密輸業者を?」
「いや、もっとその前からだが?」
「へえぇ……何かすごいんですね」
アルマーザに素直に褒められて男の方も何やら嬉しそうだったが―――かように密輸業者というのも意外にまっとうな職業らしかった。
《ま、どっちでもいいんだけど……》
アウラにとっては賞金首でなければ有象無象の首の一つでしかないわけで―――そんなことを思っていると、またアルマーザが尋ねる。
「あ、そういえば、こんな密輸経路って、例えばさらった女の子を連れてったりすることもあったりするんですか?」
男が眉をひそめる。
「あ? どうしてそんなことを聞くよ?」
「あ、ほら、この間裁判が行われてたじゃないですか。どこかの領主が人さらいをやってたとか」
バラーダがふんと鼻を鳴らす。
「まあ……そんな奴らがいるのは確かだが……まともな奴ならそんなのに手を出したりはしないからな?」
「あ、いや、バラーダさんがそうだなんて言ってませんよ?」
アルマーザが慌てた様子で手をふる。
「そんなんが見つかったりしたらそれこそ経路ごとぶっ潰されちまうからな。だからまあ、そんな奴らはもっと上等な経路を使ってるのさ」
「上等な経路?」
「どこかのお偉いさんの紋章の付いたご立派な馬車とかに乗ってな、汗水垂らすこともなく悠々と出入りできるのさ」
男が吐き捨てるように言った―――
《確かにけっこう疲れそうな仕事よね……》
この船にはバラーダの他に案内人がもう一人乗っていて、その男が船首、バラーダが船尾に立って長い竿で船を操っている。
その間にイルド、アラーニャ、アルマーザ、アウラ、ティア、ジェニーが縦一列に座っている。
ちなみに彼がイルドになっているのは、旅の途中にはいろいろ力仕事などもあるだろうからと最初から変身していたのだが……
《びっくりしてたわよね……》
みんな何度も見ていて慣れっこになっていたが、彼の変身能力というのは一般から見たらやはり驚異的だった―――というか、実は都やベラの魔導師から見てもそうだったのだが、一般民は魔法のことをあまり詳しく知らない。そのため少々驚きはしても、魔法の一種という説明でとりあえず納得してくれているようで……
《ってか、ジェニーさんって……》
アルマーザが彼らの変身による精力リセットの話をしたらそちらに食いついていたくらいで……
アウラがそんなことを考えていると……
「何かもう全然大丈夫じゃないの?」
後ろからティアの声がする。
それはアウラも少々感じていたところだった。船に乗る前はここから先は大変危険だから指示に従わなければ命の保証はないぞとかさんざん脅かされて、みんな少々ビビっていたところなのだが……
「あっははは。そんなこと言ってられるのも今のうちだぜ?」
バラーダの声がする。
果たせるかな、そんなのんびりした船旅は長くは続かなかった。
「さて、そろそろだぜ」
バラーダの声に前方を見ると……
「んえーっ!」
アルマーザがおかしな声を上げた。
《ええぇっ⁉》
アウラも思わず声を上げそうになった。
なぜなら、行く手で川が途切れて消えているように見えたからだ。
「滝ぃぃ⁉」
「おら、黙ってないと舌を噛むぞ!」
そんな声と共に船がその先に突っ込むが……
「きゃあああああっ!」
そこは滝とまではいかなかったが、川が斜めに傾いていて一挙に激流となって下っている。そこに乗り込んだ船はぐんぐんと速度を上げていった。
《!!!》
人間相手なら少々の奴らが出てきても恐れることはなかったが、こういうのは話が別だ。
アウラは声を出さないでいるだけで精一杯だった。
と、再び川は緩やかな流れになった。
「うわあ……凄かったわねえ……」
ティアの声が聞こえるが……
「あ、まだ始まったばかりだぜ?」
「え? まだあるの?」
「アコールまであとどんだけあると思ってるよ?」
「あは? あははははっ!」
大河ノクスの急流下りは想像以上にヤバかった。
最初こそ比較的のんびりした流れだったので油断していたのだが、この激流から先はまるで階段のように急流が続いていた。
そんな場所を抜けてまたゆったりした流れになったと思ったら、今度は川の両脇が切り立った崖になってくる。
そして川床からはあちらこちら大岩が顔を出していて……
「ぎゃーっ!」
「あひーっ!」
先程からティアやアルマーザの悲鳴が止まらないが―――そんな岩にぶつかったら間違いなく転覆どころか船が粉々になってしまいそうだが、船首と船尾の二人の案内人が竿で突いてそんな岩をひょいひょいと避けていく。
《うわー……》
まさに匠の技と感服するしかない。
こんな激流を見たら思わずベラでエルミーラ王女の探索を行ったときのことを思い出すが……
《ミーラ……知らないで乗ってたのよね……》
彼女がフランの領主の館から逃げ出したあと小舟で川を下ったのだが、彼女はあの川の途中に大滝があることを知らなかった。
そのまま乗っていたら間違いなく彼女はエルヴールの滝の下で小舟もろともバラバラになっていたことだろう。
だが彼女は運良くその前に川に転落していたおかげで一命をとりとめたのだが……
そんな場所を幾つも超えて川が大きく蛇行している場所でバラーダは船を泊めた。
「さて、この辺で昼にしようか」
「…………」
一同はすぐには声が出ない。
「あはは。まあ初めてじゃな」
そう言って男が昼食の弁当の包みを出して、もう一人がお茶を沸かし始めた。
食事をして人心地付いて、やっと一同は話をする元気が出た。
アルマーザがさも感嘆した様子で言った。
「うひゃー。凄かったですねえ……確かにこれじゃ素人は通れませんねえ」
「はは。まあな」
「しかし……あれで事故ったりはしないんですか?」
またバラーダがニタっと笑う。
「そんなこと滅多にないから大丈夫さ」
「あはは。それは安心ですねー」
アルマーザが引きつった笑いを浮かべる。
と、そこでそれまで黙っていたアラーニャが尋ねた。
「あのー、でも下って来るのはいいんですが、反対に遡るときってどうするんですか?」
確かにそれはアウラもそこはかとなく疑問に思っていたところだが……
「あ、そりゃな。ロープで引っ張るんだが」
「え?」
「見てなかったか? 両岸に道が付いてただろ? そこからロープで引っ張って上がるんだよ」
確かに崖が両岸に迫っていたような川岸に岩を刻んで作られた小道があったのは覚えているが……
「えーっ? それって大変なんじゃ?」
ティアが目を丸くして尋ねるが……
「だから、大変なんだよ。なので下るときはこうして乗ってけるが、遡るときにはああいうところはみんなで引っ張って上がるんだ」
「あははははっ!」
「さて、食ったらそろそろ出かけるぞ」
バラーダの言葉にみんながえーっと言う顔になるが……
「でなきゃ日が暮れちまうからな。こんな所で野宿は嫌だろ?」
それはまさにその通りだった。
その翌日も良い天気だったのは幸運だった。
「おーっ! これは絶景ですねえ」
崖の上に突き出した岩の上でアルマーザが感嘆している。
「おい。あんまりそっち行くと危ねえぞ?」
「あ、大丈夫ですよ。こういったのは。ア……リブラちゃんもいるし」
「はあぁ?」
そんな彼女にバラーダとあとジェニーも少々顔が青いが……
《こっちなら平気よね……》
昨日の激流下りはかなり肝が冷えたのだが、これならばアウラもかなり安心できた。
彼女たちがこんな場所を歩いているのは、このあたりに大きな滝があってさすがにそこを船で下ることは無理なので迂回をしているからだ。
なのでいま通っている道は完全な山道だ。急な上り下りはあるし足元はごつごつして滑りやすいし、藪をかき分けて行かなければならない場所も多い。そして所によってはこのような絶壁の上に出たりもする。
「んで、もしかしてここを下るんですか?」
「ああ。そうだよ。でも大丈夫だ。ヤバイ場所には鎖も付いてるから、落ち着いて降りれば問題ない」
一同は顔を見合わせる。
《まあ、それでもいいんだけど……》
天気も良いしそれもまた楽しそうだとアウラは思ったのだが……
「ねえ、ミアさん。ここだったらいいんじゃない?」
「あ、そですね」
ティアとアルマーザが何やら話しているが―――それを聞いてアウラが尋ねる。
「ここならもう?」
「まず大丈夫ですね」
「じゃああれを?」
「それっきゃないでしょ?」
そんな会話を聞いて、バラーダが尋ねた。
「ん? あれって何だ?」
「あー、飛び降りても大丈夫なんじゃないかなって」
「はあぁ?」
バラーダは絶句した。
「降りた先はあそこでいいんですよね?」
アルマーザが崖下に見える平地を指差した。
「ああ、そうだが……まさかあんた……」
「あ、こっちのリブラちゃんが見習い魔導師なんですよ」
「え? そうだったのか?」
「はい。とっても優秀で」
いきなりのことにバラーダとその仲間、それにジェニーもぽかんとした顔だ。
「だから魔法で飛び降りたほうが早いでしょ?」
「そりゃまあ……」
それは紛れもなく明らかだ。彼らはのんびり物見遊山しているわけではない。可能な限り早く先を急ぎたいわけで……
ただし隠密行動中の彼女たちにとっては注意すべき点があった。それは、迂闊に大きな魔法を使うと他の魔法使いに見つかってしまう危険があることだ。そのためガルデニアを脱出する際にはアラーニャの魔法が使えなかったのだが……
だがガルデニアから遠く離れたここらならそれも問題ないらしい。というのは、魔法使いは遠くから別の魔法使いを見つけられるのだが、その条件がなかなかややこしいそうなのだ。
例えばニフレディルとファシアーナのようにお互いをよく知り尽くしている間柄だともう世界のどこにいても見つけられると言うし、逆に全く知らない相手だと隣の部屋にいても分からないこともあるという。
そして相手のことをよく知っているだけでなく、その場所に関してもあらかじめよく知っていないと特定ができないのだ。
《確かにここなら……》
こんなサルトスの山の中を熟知している者など地元の猟師やそれこそ密輸業者くらいしかあり得ない。
そう思ったらアウラはちょっとわくわくしてきた。
《フィンとよくやったわよね……》
こんな絶壁から飛び降りるというのは地面に激突しないのであればとても素敵な体験だ。
ここにいる連中はみんな多かれ少なかれそんな経験があるので全く心配していなかったのだが……
「マジ大丈夫なのかよ?」
バラーダが少々蒼い顔で尋ねる。
確かに一般人が天下の大魔法使いを乗り物代わりに使ったりしたことはないだろうし、そもそも魔法使いと関わったこと自体ほぼないだろう。
アルマーザがニッコリ笑って請け負った。
「大丈夫ですよ。んで、どうしましょうね。リブラちゃんならもう四人くらい余裕ですけど、念のため二人二人三人で行きましょうか?」
「ま、そうね」
ティアがうなずく。
「んじゃどんな組み合わせにしましょうか……」
―――というわけで、最初にアウラとティアとアルマーザが見本も兼ねて降りることにする。もちろんアラーニャがアルマーザを後ろから抱えて、アウラとティアが左右から腕を組むというスタイルだ。
「じゃ、行きますよ?」
「あはぁ
」
「もう……」
相変わらずアルマーザはこの調子だが……
「うわあ……」
アラーニャと腕を組んで空に飛び出すと、久々の開放感で思わず声が出てしまう。
《本当に凄いのよね……》
彼女の才能には本当に舌を巻く。初めて出会ったときにはまだおっぱいで物を動かすことしかできなかったのが―――といってもそれならば大きなものでもかなり自由自在だったが、ファシアーナやニフレディルについて研鑽した結果みるみるうちにその能力を伸ばしていったのだ。
《フィンがひどい目に合ってたけど……》
あの
愛の逃避行作戦
のときには若葉マークの彼女と飛んで最後は顔面から地面に突っ込んでいたが……
《サフィーナがちゃんと着地できてるんだから、あいつが鈍いだけなんだけど
》
などと考えているうちに一行はあっというまに着地してしまった。
《えーっ?》
アウラはちょっと残念だった。これがフィンとの場合ならもっとゆっくりと落ちていくのでじっくりとあたりを眺める余裕があるのだが……
「それじゃ」
そう言ってアラーニャがひゅんと飛び上がっていく。
《ま、これが本当なんだけど……》
小鳥組のときのファシアーナやニフレディルはこんなスピードではなかったが―――などと考えていたらすぐにイルドと密輸業者の相方が降りてきて、次いで今度は……
「ひゃあぁぁぁ!」
と、なにやら間抜けな声を上げながらジェニーとバラーダが降りてきた。
「どうだった? 早かったでしょ?」
「あ……」
バラーダは目を白黒させているが……
「これだったら予定より早く行けそう?」
ティアが尋ねるとうなずいた。
「そうだな。この先もう一箇所こんなところがあるが……」
それを聞いた彼女がニヤッと笑う。
「それじゃ、早く着いたのならお風呂、沸かしちわない?」
アルマーザが即座にうなずく。
「あ、いいですねえ。どう?」
「はいっ!」
アラーニャも嬉しそうに答えるが―――確かに魅力的な提案だった。
今回の旅に出てから既に四日目だが、川の水で体を拭いたりはしたものの風呂には一度も入れていない。城では毎日お風呂には入り放題だったので、思いの外みんな気持ち悪くなっていたのだ。
というわけで一行は足取りも軽く先を急いだのだが……
「あ?」
一行が森の中の少し開けたところに差し掛かったときだ。先頭を行く案内人が怪訝そうな声を上げた。
《え?》
見ると前方にガラの悪そうな男が三人出てきたのだ。
振り返ると―――後方にも同様に三人現れている。
全員が帯剣しており、どう見ても友好そうな雰囲気ではない。
《もしかして……盗賊?》
旅に出る前にさんざん言われた中に、道中には盗賊が出ることもあるという話があった。
そもそも密輸業者とは隠密行動が基本なので、大人数の護衛に囲まれていることは稀だ。そして荷物を奪われたからと通報するわけにも行かない。なので時たま彼らを狙った盗賊が出ることもあるそうなのだが……
《でも今回は大丈夫だったんじゃ?》
盗賊の狙いは当然密輸品だ。だが彼女たちは大して金目の物は持っていない。路銀の金貨がいくらかはあったりするのだが、まあそんなのを狙ってわざわざこんな山の中に出てくることもないだろうという話だったのだが……
「ちょっと! どういうこと?」
後ろでジェニーがバラーダに食って掛かっているが……
「いや、んなの知らねえって!」
「あたしたちをさらおうっていうのかしら?」
ティアが言ったのだが……
「んなこたねえだろ?」
「どうしてよ?」
「だってなあ……」
確かに先日関係した女衒の襲撃事件で聞いた話では、さらう娘がかなりの上玉でなければペイしないという。そういう意味ではここにいる者たちは―――まあ、アルマーザならわりと行けるかもしれないが、基本、郭でやっていけるようなタイプではない。
ただ人質にすればそれなりの価値はあるかもしれないが……
《それも無理よね?》
その場合脅迫状を王宮に届けなければならないわけだが―――ところが、混乱していたのは彼女たちだけではなかった。
「あ? 何で女ばっかなんだ?」
「金塊を運んでるんじゃないのか?」
前の男たちがそんなことを言い合っているが……
《え? 何か人違い?》
アウラがそう思ったときだ。
「お前ら……もしかしてボルザ達を襲うつもりだったのか?」
バラーダが彼らに言う。
「ああっ?」
盗賊たちの顔色が変わる。どうやら図星だったらしい。
「だったら悪りいな。ちょーっと予定変更があってな」
アウラたちは顔を見合わせる。
それからアルマーザがジェニーに尋ねた。
「どういうことなんです?」
「だからほら、みんな急いでたじゃない。それで代わってもらってたの」
そもそもこんな人気のないところで盗賊が出るということは、金塊輸送の情報が漏れていたということだ。それで彼らは待ち構えていたのだが、そのあてが外れてしまったのだろう。
「あー、何か残念だったわねえ。私たちお金も大して持ってないし。ちょっと通してもらえますか?」
ジェニーがしれっと尋ねるが……
「そんなただで通れると思っているのか?」
男たちがぎろっと彼女を見る。
《あー、またこのパターン?》
この手の奴らは絶対にこんな反応になるものなのだが……
「えっと、幾らくらい? 皆さんに銀貨一枚ずつくらいなら差し上げられますけど?」
「あんだと?」
男たちが激高する。
「それじゃ奮発して二枚ずつでは?」
確かメイが城で料理人をしていた頃は一日の賃金が銀貨一枚とかだったそうだから、本来なら決して悪くない条件だと思うのだが……
「あ、ふざけんな!」
「へっへっへ。それじゃやっぱり体で払ってもらおうかな?」
アウラはため息をついた。男というのはどうしていつもこんななのだろう?
彼女は周囲を確かめる。
道はそんなに広くない。二人並んで歩くのが精一杯だ。両側は木々の生い茂った森でその中では動きがとれないから側面から襲われることはなさそうだ。
また敵に飛び道具を持っているものもいないようだ。
ただみんなサルトスの剣士崩れだろうか? 一応素人ではない足運びだが……
《でもまあ……》
ディアリオはおろか、あの試合に出てきた他の剣士と比べても雲泥の差なのはひと目でわかる。
「んじゃ、後ろは」
「はいな!」
アルマーザがささっとティアたちの護衛につく。
それを確認するとアウラはつつっと前に出た。
「おい……」
その様子を見たバラーダが焦ったような声を上げるが……
「あ、みんなは後ろの奴らに集中してくださいね」
アルマーザが彼らに言う。
「お、おう……」
敵はそちらにもいる。バラーダと案内人が後方の敵に剣を構えた。
その間にアウラはカチリと手練の薙刀の柄をつなぐと、すとんと石突を下にして薙刀を立てた。
「この……」
それを見た男たちが二人並んで突進してくるが……
「うぎゃっ!」
「ぐわっ!」
―――薙刀のふた振りで男たちは絶命した。
後ろの男が目を見開いてその光景を見つめていたが―――その屍を飛び越えてアウラが薙刀をもうひと振りすると、その男も彼らと運命を共にした。
「えあ?」
後ろにいた奴らが妙な叫びをあげるが……
「お前らもとっとと……」
「くたばっちまいな!」
その隙にバラーダとその仲間が一斉にそいつらに襲いかかる。
事態が飲み込めず呆然としていた敵はそのままあっさりとやられてしまった。
「ひゃあああっ!」
「へへっ。もう大丈夫だぜ?」
「あ……ありがとう!」
見るとジェニーがイルドに抱きついていて、奴の手がその背中からだんだんお尻の方に伸びているのだが……
「ちょっとイールード?」
それを見たティアがすごい形相で詰め寄る。
「あ、何だよ?」
「それに、ジェニーさんもっ!」
「えー? だって怖かったから……」
その剣幕にジェニーもちょっと引いているが……
「いーから離れなさいっ!」
ティアが彼女からイルドを引き剥がす。
「あんたねえ、どさくさにまぎれて……」
「だからまだ何もしてないって」
「してからじゃ遅いんじゃ! ボケがーっ!」
ティアがイルドをぽかぽか叩き始めた。
《何かいつもどおりね……》
イルドという奴は体力はあるのだが、戦いとなるとからきしダメだった。ただ便利な体質があるのでこのような場合はともかく身を呈して護衛対象を守れと言われていたわけで、今回もそうしたのだろうが……
《油断も隙もないのよね……》
奴の女への手の速さと言ったらもう達人級だ。
旅の間に恩人のジェニーさんに何かあったらまずいので、ここまでは厳重に隔離されていたわけだが……
「にしても……」
バラーダが感服したといった様子で言う。
「あんた、大した腕だな……」
「あ、まあね」
「しかしその武器って……」
一同が一瞬言葉に詰まる。確かに薙刀というのはこのあたりでは珍しい武器だった。そしてその薙刀使いというのがこのあいだ御前試合に出てきてサルトス剣士を薙ぎ払っていったという話はまだ記憶に新しいわけで……
「あ、すごいでしょ? ディーネさんってあの方々と同じ道場で習ってたそうなんですよ?」
アルマーザが出任せでフォローするが……
「へえ? そうなのか?」
「あ、まあ……」
バラーダはそれで納得したようだった。
まあベラトリキスの本人たちがこんな場所をウロウロしているとは思わないだろうが……
「ともかく先を急ぎませんか?」
アルマーザが言った。
「そうよね」
確かにこんなところであまり時間を潰していたくはない。
だがそのときだ。
「あ、ちょっと待って? せっかくだから……」
そう言ってジェニーが死んだ盗賊たちの懐を探りだす。
「えー? それって……」
アウラもまるで自分たちが強盗みたいじゃないかと思ったのだが……
「でもこいつらが持ってても仕方ないでしょ?」
まあ確かにそれはそうだった。
そこで調べてみたのだが―――そいつらは大したものは持っていなかった。全員の分を合わせても銀貨が二十枚そこそこで、それ以外に目ぼしい物は何もなかった。
だからこそちょっと大きな仕事をしようとしていたのかもしれないが……
《これだったら銀貨をもらって帰ってたほうが幸せだったんじゃ?》
アウラは思った。しかし……
「あ、ねえねえ、こいつらもしかして賞金がかかってたりしないかしら?」
ジェニーがまだ食い下がっている。
「あ、だったら合わせて金貨十枚くらいならいくかも?」
アウラが思わず昔の癖でそう答えてしまうが―――バラーダが言った。
「あー、そうかもしれないが、こいつらの首を抱えてガルデニアまで戻るのかよ?」
………………
…………
それは確かに願い下げだった。
《ま……それよりお風呂のほうがいいわよね……》
服には返り血も少しついてしまっているし―――というわけで一行は先を急いだ。
その後しばらくはわりと平穏な旅路だった。
アコールの少し東で大河ノクスはヘリオス平原に出て、そこからは広く滔々とした流れになる。
一行はそこでバラーダと別れて小さな帆船に乗り換えると、北風を受けて川面を滑るように下っていった。
途中何度か検問はあったが、アコールから先はアロザールの勢力範囲だ。もはや彼女たちの顔で正体がばれる心配はない。
こうして大河ノクスの河口にあるアトラという村までは大過なくやってくることができた。
おかげでまた少々油断していたのだが……
「おえーっ!」
「んぐっ……」
「ア……リブラちゃん……大丈夫ですか? うぷっ……」
―――サルモの波止場で一行はへたり込んでいた。
そう。アトラからサルモまでは半日ほど海路を行かなければならなかったのだが、この時期の海は少々時化ていた。
《うっ……地面が……》
アウラも先程からあたりがゆらゆら揺れていて、胃は完全にひっくり返っている。
「大丈夫ですかー? みなさん」
ジェニーが心配そうに一行を見下ろしている。
「ジェニーさん、何ともないんですか?」
アラーニャが不思議そうに尋ねるが……
「え? まあ、何度か船には乗ったことがありましたから」
「何だよ? お前らだらしねえなあ」
イルドはピンピンしているようだが……
「あ? 船の上じゃずっとキールだったじゃないのよ? そういうのはみんな彼に押し付けて……」
そう。キールも同様にヘロヘロになっていたのだが、船を降りたところで奴が入れ替わったのだ。
「だからほら、やっぱり船倉にこもってばかりじゃなくって、デッキにいれば良かったんですよ」
「だって……」
ジェニーはそこで水平線を見ていれば船酔いしないとか言っていたのだが……
《でもすごい波なんだし……》
アウラの身長を超えるような大波が次から次に押し寄せてきて、それほど大きくもない船を前後左右から揺さぶってくるのだ。人間相手ならともかく、大自然相手では彼女にもどうしようもなかった。
だが船員の言うことには今日はまだ波は静かな方だったらしい。ひどいときには二階建ての屋根くらいの高さの波が来たりするそうで……
《この人たち……何か変なんじゃないかしら?》
確かにここの波止場にいる男たちは、これまで見てきたアロザール兵とは一味違っているようだった。
あいつらなら彼女たちがこんな風にしていたら絶対何かちょっかいをかけてきそうなものだったが、ここの男たちはそんな姿など全く目に入らないといった様子で荷揚げ作業に没頭している。
《フィンも生粋のアロザール人は結構いい奴らだって言ってたけど……》
アウラがそんなことを思っていると……
「ともかくちょっとあそこまで行きませんか?」
ジェニーが波止場の奥ののぼりの立った店を指差した。
「えーっ?」
一同が怪訝そうな声を上げる。さすがにいま何か食べるという気分ではないのだが―――だがジェニーはニコニコしながら続けた。
「船酔いに効くお茶があるんですよ」
「え? そうなの?」
一行は渋々立ち上がってその茶屋に向かった。
そこは遠目にはなにか貧相に見えたのだが、近づくと意外に立派な木造の建物だ。
《へえ……》
これまでは大抵どこに行っても家屋といえば石造りと相場が決まっていて、木造といえば掘っ立て小屋のようなものだったのだが……
店の中もけっこう小綺麗で、テーブルや椅子も使い込まれてはいるが清潔だ。
そこで一同は船酔いざましのお茶を頂いたのだが……
「あーっ……確かに……」
苦かったが胃がスーッとして気持ちがいい。
そこでしばらく一休みしてアウラはやっと人心地着いた。
ティアが大きくためいきをついた。
「大変だったわねえ……ともかくお風呂に入りたいんだけど……」
船旅の間、ジェニーがああ言うからとみんなちょっとはデッキに出てみたのだが、波をかぶってびしょ濡れになってしまったのだ。
《そうよねえ……あの川岸以来だし……》
あの盗賊騒ぎの後に着いた川岸でアラーニャが作った露天風呂以来、彼女たちはゆっくりお風呂に入れていない。
「じゃあちょっと早いですが宿を取りましょうか?」
「そうですね」
一行は店を出ると宿を見つけてまずはゆっくりと風呂に入った。だがそれでもまだ宵の口だ。
そこでジェニーがまた言う。
「それでみなさんどうします? 宿で食事も出るんですが、この近くに美味しいお店があるんですよ?」
「美味しいお店?」
「はい。もう新鮮な魚をふんだんに使ったお料理の出る店で……」
「え? うんうん。行く行くっ!」
ティアがいきなりよだれを垂らさんばかりだが―――確かにお城の料理ばかり食べていたということを割り引いても、道中の食事は貧相だった。アルマーザもアラーニャもうなずいている。アウラももちろん異存はない。
そこで一行はその店に向かった。
店は賑わっていた。
店内は結構広く、たくさんのテーブルは既に半分方埋まっている。
ホールの端には小さなステージがあって音楽も奏でられている。
一行はそのテーブルの一つに陣取って料理を注文した―――といってもアロザールの料理など分からないからほぼジェニー任せだったが……
「それと……せっかくだから一杯いただきません?」
ジェニーが何やら飲みたそうな様子だ。
「え?」
「こちらのお米で作ったお酒、召し上がったこと有ります?」
「いや、ないけど……」
「いっぺん飲んでみる価値がありますよ?」
というわけで一行はそのお酒で乾杯することになったが……
「えーっ? これ美味しい!」
「お米なのにすごく甘いんですねえ」
ジェニーが勧めたお酒は甘いのに全くくどくなく、さらっとまるで水のように喉を通っていく。
《へえぇ……》
アウラは別に酒飲みではなかったが、これは確かにいけると思った。
しかも……
「うわー! なにこれ?」
それに続いて一同の前に大きな魚の煮付けがどかんと丸ごと運ばれてきたのだ。
山国のフォレスではもちろんのこと、ベラでもこんな大きな魚はあまり見ることができなかった。その上……
「うわーっ! 美味しい!」
魚を煮ている汁がまた絶妙で、ほろほろと崩れていく身に絡んで口の中に旨味が広がっていく。
「うわー……メイさんがいたら大喜びでしたね? これって……」
「そうね。どうやって作るんだーって厨房にまで行っちゃったりして……」
などと思わず内輪ネタに走っていると……
「メイさん?」
ジェニーが尋ねる。
「あ、友達にメイっていう料理人の子がいるんですよ」
アルマーザが慌てて誤魔化す。
「へえ……そうなんですね。でもこの魚の煮汁ってこの店秘伝なんだそうですよ?」
「そうなんですか? 残念がるでしょうねえ。あちこちで美味しいものがあったらそのレシピを聞いて回ったりしていて」
「そんなにあちこちを回ってたんですか?」
「あ、まあ、サルトスに来るまでにもいろいろと……」
―――といった調子で一同はしばらく歓談していたが、そこでアルマーザがジェニーに尋ねる。
「えっとジェニーさんはここまでって言ってましたっけ?」
彼女はうなずいた。
「あーはい。しばらくはここでまた商売してようかと……ほら船乗りとかその家族とかには占いの需要は結構ありまして……」
「あははは!」
確かに来たときのことを思い出したら、占いが繁盛するのは納得行くが……
「あー、やっぱり航海安全を?」
「それもありますけど、男が寄港先で浮気しないかとかいうのも多いですねえ」
「あはは。そうなんですか」
と、そこでティアが尋ねる。
「ここでまたってことは、前にも来たことが?」
ジェニーはうなずいた。
「あー、はい。まだ戦争が始まる前に少々……」
「ああ、このお店も知ってましたもんねー」
「はいー。ここって百年以上続く老舗なんだそうですよ?」
「へえ……」
「あのときは本当にのどかでいい所だったんですけどねえ……」
ジェニーがしみじみとつぶやいた。
その話はフィンやアリオールなどからも聞いていた。
アロザール王国は元は海辺の小国だったが、その土地柄南の大海でとれる海産物をほぼ独占していた。それを狙った北の大国ウィルガが何度も進出してきたが、彼らはそれをことごとく跳ねのける。
そこで今度は北の平原の小国にちょっかいをかけたところ逆に滅ぼされてしまって、中原はレイモン王国が支配することになったのだ。
それに危機を抱いたシルヴェスト王国のアラン王が小国連合―――シルヴェスト、サルトス、アイフィロス、そしてアロザール各王国を束ねてレイモンと対峙する。
そこで比較的裕福だったアロザールは外部から傭兵をたくさん雇い入れて軍備拡張していったのだが……
《それがあんなことになっちゃったのよね……》
アウラがちょっとカッとして都に乱入し、エルミーラ王女一行が呼び出されて来てからというもの、その後の波乱万丈の展開で何が起こっていたのかは今ひとつよく分かっていないのだが……
《それは今もそうなんだけど……》
彼女がティアやジェニーという人と一緒にこんな海岸の村で絶品の魚を囲んで酒盛りをしているなど、まさに数日前までは夢にさえ見ていなかったわけで……
「しかし美味しいわねえこのお酒」
「リアンさん、飲み過ぎたら潰れてしまいますよ?」
「大丈夫だって! まだまだよ?」
「あ、みなさんいける口ですねえ……」
一行がそんな会話をしていたときだ。
「あれ? あの曲って……」
ステージの方から何やら聞いたことのある曲が流れてきたのだ。
「あれ? カモメの歌じゃ?」
アルマーザが言った。
《カモメの歌?》
―――といえばアキーラで
愛の逃避行作戦
をしたときにフィンが練習させられていた曲だが……
「そうそう。あの曲よね」
「え? あれってこんな曲だったの?」
アウラが思わず口を挟む。
「あれ? ディーネさん、聞いたことなかった?」
「あいつが歌ってたのしか……」
それを聞いてジェニー以外の一同がなにやらひどく微妙な笑顔を浮かべる。
「実はね? 本来のカモメの歌はこんな歌で……」
そしてティアが音楽に合わせて歌い出す。
《ええ? そうなんだ……》
あのときの“特訓”は主にヴェーヌスベルグ娘たちのたむろしていた辰星宮の中で行われていたため、アウラは戻ってきたフィンがソロで練習しているところしか知らなかった。
彼とはわりに長い付き合いだから音楽に関してはまるでダメなことは知ってはいたが……
と、そのときだ。
「上手いなあ! ネーチャン!」
一コーラス終わったところで近くのテーブルから声がかかった。
ティアはフィンと違ってとても歌が上手だ。またちょっと低めのよく通るいい声をしている。
「え? 良かった? 本当?」
そして彼女は褒められたらすぐに調子に乗る。
「じゃあ今度はみんなで歌ってみない? 覚えてるでしょ?」
「え? うん」
「覚えてますけど……」
アラーニャとアルマーザがうなずいた。
「じゃ、もっぺん最初からお願い!」
そこでバンドが再び曲を最初から奏で始める。すると―――ティア、アルマーザ、アラーニャが綺麗にハモりながら歌い始める。
周囲からおおっという声が上がる。
《うわあ……》
アウラもちょっと感動した。
開放作戦中、夜にちょっと余裕があるようなときには彼女たちがこんなコーラスを披露してくれることがよくあった。だがみんなが“ベラトリキス”になってしまって以来、そんな機会もめっきり減ってしまっていたのだ。
《辰星宮にはあまり行けなかったし……》
アキーラで暮らすことになってからは、アウラはエルミーラ王女の護衛として基本的に水月宮にいた。あそこはあそこでまた楽しかったのだが―――と、ティアたちが一コーラスを終えて二コーラス目に入ったのだが……
「おおぉっ?」
周囲からどよめきが上がる。
《へええ?》
これまでは三人でハモっていたのがティアとアルマーザの二人に変わり、アラーニャが高く澄んだ声でオブリガート旋律を重ね始めたのだ。
こういうのも開放中にはわりと聞けていたのだが……
《ええっ⁉》
何やらあたりのざわめきが減ってきた。見ると来ていた客がみんな三人の歌声に聞き惚れているのだ。
「上手なんですねえ……」
小声でジェニーがつぶやく。
「うん。みんな上手いのよ?」
「ディーネさんは?」
「あ、あたしは歌はあまり……」
踊りならばナーザに教えてもらったのがあるのだが―――そんな話をしているうちに曲が終わるが……
《え?》
あたりはなぜかしんとしている。
《え? え?》
何かまずいことをしたのか?―――そう思ったときだ。
「「「「おおおおおおおっ!」」」」
周囲から大歓声が上がったのだ。
足をどんどん踏み鳴らしている者もいる。どうやら予想以上の大受けだったようだ。
「イエーイ!」
ティアたちも一瞬焦っていたようだが、また調子に乗って手を降っているが―――と、そのときだ。
離れた席にいた大きな男がすっくと立ち上がると、酒瓶を掴んですたすたとこちらにやってきたのだ。
《何する氣よ?》
アウラは身構えるが……
ドカン!
そんな大きな音を立てて男は酒瓶を彼女たちのテーブルに置いた。
「飲めやっ!」
男が何やら怖い声で言うが……
呆然としているアウラたちにジェニーが言った。
「あ、なんかすごく感動しちゃったみたいですよ?」
「え?」
まるで喧嘩腰に見えるのだが……
「こちらじゃこうやってお酒をおごるのは、親愛の印なんですよ?」
「へえ……」
そこでおっかなびっくり一同が盃を受けると、男はにったりと笑った。
「他にも歌えるんか?」
「え? ああ、ごめんなさい。こっちの歌で知ってるの、あれだけなの」
ティアの答えに男は見るからに落胆した様子だ。
周囲の客も何やら残念そうな声を上げる。
「んじゃ、ちょっとやっちゃいます? えへっ」
と、言い出したのはアルマーザだ。何やらお酒が入って顔が赤いが……
《あ? もしかして?》
そう思った途端に彼女が立ち上がると、とととっとステージに向かった。
「あ、何か楽しい曲、やってもらえます?」
楽団員は一瞬面食らったが、すぐにリズミカルな曲を奏で始めると、それに合わせてアルマーザが踊り始めた。
「「「おおおっ」」」
あたりがどよめく。
《彼女、上手いのよね……》
ヴェーヌスベルグの娘たちはみんな踊りのセンスがあるが、その中でも特に優れていたのがアーシャ、マウーナ、そしてこのアルマーザだ。
彼女はサフィーナ曰く“イカサマな踊り”が得意で―――すなわち音楽に合わせて即興でこんな風に見事に踊ることができるのだ。
《すごいわねえ……》
アウラも踊りは得意と言っていいが、その振り付けは誰かにしてもらわないのダメなのだが……
「いいぞーっ! ネーチャン!」
「はーい! じゃあもう一曲行っちゃいましょうか?」
「おおおおおっ!」
彼女は素面でも相当のお調子者なのだが、酒が入って完全にアクセル全開になっていた。
というわけで、その後は遅くまで大盛況になってしまったのだった。
―――こうして一行が宿屋に帰り着いたのは夜遅くで、みんなぐでんぐでんだ。
「あはー。楽しかったれすねー」
「そーねー。うふふっ」
「………………」
「あ、リブラちゃーん……寝たららめれすよー」
アラーニャはもうほとんど潰れていて、アルマーザとジェニーに両肩を支えられている。
《これって……良かったのかしら……》
そんな思いがそこはかとなく脳裏に浮かんでくるのだが―――彼女たちは確かファラ救出のための隠密行動中だったのではなかろうか? これでは逆に目立ってしまったのでは?
だがアウラも先ほどから睡魔と必死に戦っていた。
「あー、おやすみー」
「おう……な」
ティアとイルドが彼女たちの部屋に入っていく。
「えっと……お二人ののお部屋は……」
「あー、ここれーす」
ジェニーとアルマーザがアラーニャを別な部屋に連れ込んでいる。
アウラもその隣の部屋に入ってベッドにバタンと倒れ込む。
《あー……ちょっと飲みすぎちゃった……》
こんなところを襲われたら―――と思ってももはや瞼が重くてどうしようもない。
と、そのときドアが開いてジェニーが入ってきた。今日は彼女と相部屋なのだが……
「ディーネさん? もう寝ちゃいましたか?」
「あは?」
意識が朦朧としている。
「寝ちゃいましたか? うふ。そうですか……」
そう言って彼女が何やらニヤリと笑ったような気がしたが―――アウラはそのまま深い眠りに落ちていった。
翌日の朝、ガンガンする頭を抱えながら宿屋の食堂に降りていくと、そこにいたのはジェニーとアルマーザだけだ。
「おはよう……他は?」
アルマーザがまだ少々寝ぼけたようすで答えた。
「あー、リブラちゃんはまだ寝てます。リアンさんとイルドもそうなんじゃないですか」
「へえ……あのイルドが?」
「みたいですよ?」
イルドというのは色々と問題の多いやつではあるのだが、早起きというのはその数少ない美点の一つだったはずだが……
《寝姿をノゾくためってのもあったみたいだけど……》
ともかく昨夜は少々ハメを外しすぎたというのは間違いないが……
「ディーネさん、おはようございますっ!」
何だかジェニーは朝からとても元気そうだが……
《お酒に強いのねえ……》
ともかくこういう場合は朝のコーヒーが有り難い。
そうやって朝食をとっていると、ティアとアラーニャも起きてきた。
「なに? あいつまだ寝てるんですか?」
「そうなんだけど」
「へえ。珍しいですねえ」
まあ、ここまでの旅はそれなりに大変だったのは間違いない。そして彼はティアとアラーニャの荷物をみんな担がされていたわけで……
《ま、少々疲れてても仕方ないかしら……》
ティアの荷物にはいろいろ本当に必要なのかどうか不明な代物がいっぱい入っていたりするわけで……
「で、これからどうしましょう? ジェニーさんはここまでですから」
アルマーザがティアに尋ねる。
「あ、そうねえ。どうする?」
「セイルズ行きの船はいっぱい出てるみたいですけど……」
昨日尋ねてみたときには、いつもより多いくらいの船が行き来しているということだった、
現在アロザール軍がセイルズに駐留しているが、ここサルモは本国との重要な中継地点だ。そのため色々な物資の輸送が増えているからだと言う。
「でもそれって乗せてくれるのかしら?」
一同は顔を見合わせるが―――またジェニーがにっこり笑う。
「あ、大丈夫だと思いますよ? 船長にちょっと多めに渡して、セイルズに家族がいるの
とか言って、ほっぺにちゅってキスしてあげたりしたら……」
「あはは。なるほど……」
アウラだったら絶対お断りなのだが、アルマーザとかがいれば何とかなるだろうか?
―――実際その作戦はうまくいって、その日の午後には一行はジェニーと別れてセイルズ行きの船に乗り込むことができたのだった。





