第6章 “L”よりの手紙
「ルン♪ ルンルル♫ ルンルンルン♪ ルン♪ ルンルル♫ ルン♪」
城に向かう馬車の中で何やらティアが楽しそうに鼻歌を歌っている。
その気持ちはアウラにもよく理解はできたが……
《まだそこまで浮かれるわけにはいかないと思うんだけど……》
ファラの救出はまだこれからなのだ。上手く行ったと思った瞬間が一番危ないというのは、世の理だとは思うのだが―――しかし彼女自身も同様で、気を引き締めるためには少しばかり努力が必要だった。
《何か前よりもずっと簡単みたいなんだけど……》
予行演習のときはかなりギリギリの勝負になってしまった。あのときは一歩間違えばアルマーザが本気で危なかったのだが、今回は上手く行けばまったく無血で済みそうなのだ。
「ねえ、ディーネさん。やっぱり占いって当たるのかしら?」
彼女が上機嫌に尋ねてくるが……
「さあ……」
それに関してはまだよく分からないとしか言いようがない。本当にこの調子で彼女が救出できてしまえば確かにそうだったということなのだろうが―――と、そこで馬車がガタンと揺れる。
「あっと……」
アウラは横の大荷物が座席から落ちないように押さえた。今回はこの荷物とティアが救出の鍵なのだ。
秘密組織の人たちがいろいろ調査してくれたおかげでファラの居場所はほぼ確定していた。その話だと彼女はシフラ城の南東の塔に幽閉されているという。
その部屋からは東のヘリオス平原の素晴らしい光景が見渡せるそうだが、シフラ城は市街の東寄りに位置しており、城の東側は崖に面してテクネ川の流れる低地へそのまま落ち込んでいる。
―――それは言い換えればアラーニャがいれば街の外から彼女を救出してそのまま逃走が可能だということだ。
ともかくこういう作戦は救出もさるものながら、その後の逃走経路の確保が大変なのだ。
ガルデニアを脱出するときもそうだったが、ここのような周囲が城壁で囲まれている大都市はそこをどうやって出入りするかだけで色々と策を講じなければならない。今回はそれをすっ飛ばせるだけでも大変楽なのは間違いない。
問題はいきなり行って窓を叩くわけにはいかないということだった。さすがに部屋の前には見張りがいるし、中に侍女が来ている場合もあるだろう。
と、そこでまた組織の人が耳寄りな情報を持ってきてくれたのだ。
《あれがこんなに役に立つなんて……》
その情報とは、その高貴な客人が当地のスタイリストの腕前に満足していないという話だった。
《ファラってそんなに神経質だったかしら……》
ヘアスタイルにとことんこだわる娘がいることは良く知っているが、彼女は今ひとつそういったポイントには無関心に見えたのだが―――だが都の標準が当たり前になっていたら田舎では満足いかないということはあるのかもしれない。
それはともかくこれの何が幸運だったのかと言うと、仲間にそういうことに大変詳しいメンバーがいたということだ―――ティアだ。
その腕は開放作戦中や今回ガルデニアを脱出する際にも存分に発揮されていたわけだが、要するに彼女ならば都出身のスタイリストという触れ込みで堂々と城に入れるのである。
それで試しに城の女官相手に腕前を披露してみせたら、それをそのお客人がたいへん気に入ってくれたらしく、ぜひ来て欲しいということになったのだ。
そんなヘアメイクの道具というのはなぜか相当の大荷物になってしまうわけで、荷物持ちのお付きがもう一人付いていても怪しまれないのである。
こうして彼女の元にたどり着くことができれば、そこで窓を開けてアラーニャを呼び寄せて即座にトンズラという算段だ。
《髪のセットって時間がかかるのよね……》
おかげで逃走の時間もけっこう稼げそうだし……
ただ、少々の懸念は城には間違いなくシルヴェストの魔導師がいることだった。なので運が悪ければアラーニャの魔法が気取られてしまう危険もあるのだが……
《大丈夫なのよね?》
それに関してはアルマーザがその可能性は低いと言っていた。
魔法の察知というのは注意していれば分かるが、ボケッとしていたら容易に見落とせるようなものなのだそうだ。なので意識的に探索しているのでなければ大抵は気が付かれないそうで、しかも魔導師が複数いれば仲間と間違えられることも多々あるらしい。
それでも魔法を使う時間は最短に留めておいたほうがいいので、そのため今回のような手順となったわけだが……
《うーん……大丈夫なのかな……》
あまりにも簡単すぎる話というのも逆に心配になってしまうのだが……
「うわっ!」
いきなりティアが叫んだ。
「どうしたの?」
「いや、すごく大きな魚が跳ねたんで……」
「ええ?」
思わずアウラも馬車の外を覗く。
そこには周りに木立がある池があって、馬車の中からもそこで泳いでいる魚影がよく見えた。
「これ取っちゃダメなんてね……」
「そうよね。こんなにいるのに……」
シフラにはこんな池や水路が各地にあって、そこにはたくさんの魚が泳いでいた。それを見た一同の最初の感想は、晩御飯のおかずには困らなそうな場所だなということだったのだが、現地の人に聞くとこれを取るのは禁止なのだそうだ。
何でもこれはいざというときの非常食なのだそうで―――その伝統はここが山の水上都市になったときに遡るという。
先日リラがちょっと話したようにシフラはかつては普通の台地上の城塞都市だったが、ウィルガとの戦争で一度陥落して、そのあと再度取り返したという歴史がある。
そのときには城壁を魔法使いにぶち破られて、そこから敵軍がなだれ込んできたという。そこで当時のラムルス王が考えたのが、城壁の周りに水堀を作って壁を破られても簡単には突入できないようにすることだった。
そのために王はテクネ川の遙か上流から水を引くという大工事を行い、このシフラ周辺と内部に掘割を縦横無尽に巡らせたのだ。
そして市内の掘割に住む魚はいつか籠城戦をする場合に備えて捕獲禁止になったという。
《まあ……魚は外堀とか下の川に一杯いるみたいだから……》
魚料理は結構出てきてなかなかに美味だったので、まあ無理して法を犯す必要はなさそうだが……
しかしその王の功績は町の防衛力を増強したということよりは、その街を“美しく”したということで人々に讃えられていた。
―――というのはこの都市は台地の上に建設されているため、元々水を得るためには深い井戸を掘らなければならず、本来は水が貴重な場所であった。
だが人が居住すればどうしたって汚物が発生する。するとどうしても街全体が臭ってきてしまうのだ。
《どこでもそうだったけど……》
アウラがこれまで行った街はどこでも、特に下町の方はそうだった。それが当然だと思っていたから気にも留めていなかったが、このシフラに来るとそれが決して当たり前ではないということが分かるのだ。
すなわちその王が決断した大事業によって得られた豊富な水のおかげで、そんな汚物を迅速に流し去ることができるのだ。
そしてもう一点、さらにこの街の地下に作られた下水道網だ。
実はその王の代には排水は水路にそのまま流されていたという。ところがそうすると水路の下流にあたる地域には流れてきた汚物が溜まってしまって、上流の地域とほとんど戦争になりかかってしまった。
そのためその孫の代に汚水を流すための専用の地下水道が作られて、その結果シフラは中原で最も清浄な都市となり、その二人の王は稀代の名君として讃えられているのだ。
《確かにいいわよね……この街……》
そう。リラ奥方のお母さんの言ったことは間違いではなかったのだ。
そして何よりも嬉しいのは、この街では町家であっても風呂に入り放題のところだ
アウラは体が汚れていると気分が悪いのだが、一人でいた頃はそれが大変だった。
宿に泊まってもせいぜいシャワーだったり、ひどいと手桶いっぱいの水で体を拭くだけに留めなければならなかった。
なのでそんな場合は寒い冬であってもよく川で身を清めたりもしていたが……
「うぷっ!」
アウラは思わず吹き出した。
「ん? どしたの?」
「ううん、ちょっと思い出して……」
そうそう。フィンと出会ってあの渓谷を下ったとき、彼女がそんな風に水浴びしている所にあいつがやってきて……
《近寄っただけで跳ね上がって川に尻もち付いたんだっけ……》
彼と出会って良かったことは、その後はわりとお風呂に困らなくなったことかもしれない。
エルミーラ王女と一緒にいればもちろん、都に行った後もずっとそうで……
「ぷっ」
「どうしたのよ?」
「あ、だから開放作戦中もお風呂には困らなかったなって……」
「え? あー、まああいつが毎日沸かしてくれてたもんね」
まあ、その後ノゾクのが目的だったとはいえ―――こういうのを何だろう? 物事には二面性があるという奴だろうか?
そんなことを思っていると……
「うわあ」
「どうしたの?」
「すごい建物。劇場かしら?」
外を見ると馬車はシフラの中心街に差し掛かっていた。そして彼女の指す方には大きな石造りの建物が建っている。
《そういえばナーザも最初はここにいたって言ってたっけ?》
フォレスにいた頃は何やら口を濁していたが、こちらに来て彼女の正体はバレてしまっていた。
彼女はシフラ生まれで、舞踊の才能があったため幼少期からここのファルシアーナの劇団に入っていたという。
だがそこで起きたのがあのシフラ攻防戦で、その結果ラムルス王国は滅亡。彼女はやがてウィルガの大地という反政府組織に属して、“メラグラーナ・フェレス”の名で知られることになったとか……
アウラが彼女から習ったあのシャコンヌの舞が最初はあのような劇場で舞われていたのかと思うとちょっと感じ入るところもあるが―――などと思っていると……
「あそこかしらねえ。ロテリア劇団ってのがやってたところは?」
「さあ……」
それに関しては主にマジャーラとラクトゥーカが盛り上がっていたが―――何でもかつてここにあった女ばかりの劇団で、男役も女がやるという変な劇団だったそうだが……
しかし聞いた話では、だから良家の子女は見に来たらダメだと言われていたらしいが、それでもなぜか座席もロッジもは身なりの良い若い娘たちで満杯だったとか。
だが、大きな建物といえばアウラは別の場所―――郭の方に興味があったのだが……
《はあ……》
それに関しては既に残念なお知らせを受けたあとだった―――シフラにはヴィニエーラから来た遊女はいないようなのだ。
《こんなに大きな町なのにどうしてなのかしら?》
これまではわりと行った先各地で彼女たちに出会うことができたのだが―――だが、仮にいたとしても今回会いに行くわけにもいかなかっただろうし、ある意味運が良かったのだろうか?
そんなことを思っていると……
「うわっ……何だかカワイいお店があるわねえ……」
馬車は商店街に差し掛かっていたが、彼女の指差す先には華やかなブティックがあった。
《ここってそういうのでも有名だったっけ……》
アウラは今ひとつ可愛い服とかには興味はなかったのだが、それを見た他の娘たちの目がキラキラし始めるのは嫌と言うほど見てきた。
「うわ……あのドレス……綺麗じゃない?」
「え? まあそうね……」
「うう……ここでお買い物……してられないのよねえ……」
「そりゃそうでしょ」
これからファラを助け出したらその足でトルボに向かって突っ走る予定なのだから。アウラが郭に行けないのと同様に彼女にも少々我慢してもらわなければ。
「それにアルマーザとかも残念がってたし……」
「仕方ないじゃない」
シフラといえばもう一点。ここにはアルエッタとルルーがいるのだ。
彼女たちが行った後まさかこんな事になるとは誰も思っていなかったから、その気になればまた会えるだろうと気軽に考えていたのだが……
《でもねえ……》
特に問題だったのがアルエッタがあのドゥーレンの娘だということだ。彼は対レイモンの諜報組織を辞した後も別な方面でアラン王の下で働いているという。
《それじゃさすがに会いに行くわけにはいかないし……》
ルルーは対外的には目立たなかったが、彼女たちにとってはなければならない存在だった。
《服とか破いて帰ったりしたら……》
思わずアウラは吹き出した。
「ん? どしたの?」
「あ、ほら、シャアラとかルルーによく怒られてたなって思って」
「ぷっ。そうね」
戦って帰ってきたらどうしたって返り血を受けたり服が切り裂かれていたりするものだが、そんな場合は彼女が真っ先に飛んできて『あんたの怪我なんざ放っときゃ治るけど、服は勝手に直らないんだからねっ!』と、裸にひん剥かれていたものだ。
《でも翌朝にはきちんと直ってるのよね……》
おかげでみんな彼女には頭が上がらなかったが―――その彼女がアルエッタと意気投合してしまって、服飾デザインを勉強するためにと一緒にシフラに行ってしまったのだ。
だから二人はこの町の何処かにいるはずなのだが……
《こんな来方じゃなければ本当に良かったのに……》
まだ数日間の滞在だがアウラはこの街が好きになってきていた―――そんな風に思えるのはちょっと不思議だ。何しろここは敵地のど真ん中なのだ。
しかもここが今、戦時中だということもなかなか信じがたかった。
ここはラムルス王国が滅びた後は長らくレイモンの支配下にあった。それが変わったのはつい最近で、そんな場合は街も城も大混乱に陥るのが普通だ。実際セイルズでは、特にアロザール軍が来たときには略奪されて大変だったというが……
《アラン王の悪口いう人ってあまりいないみたいなのよね……》
かつてレイモンがアロザールに占領されていたときは、人々の憎悪の思念が空気中に薄黒く満ちているかのように感じられたものだが、このシフラではそんな気配は全く感じられない。
もちろん街中のそこかしこにシルヴェスト兵が配置されているのだが、何かもう既に街の人と馴染んでいるようで、その光景に溶け込んでしまっている。
最大の理由はこの街でもアロザールの呪いが蔓延していたのをアラン王が解いてくれたかららしい。もちろんこちらはシルヴェスト方式だが……
またシルヴェスト軍は統制が取れていて町を荒らすようなこともしなかったという。
《ま、どうでもいいんだけど……》
そのため余計な心配をしなくてよければそれに越したことはない。今はファラの救出に全力を集中すべきときなのだ―――などと考えていると……
「お城! 見えてきたわよ!」
馬車は商店街を抜けると堀沿いの通りに出た。
堀の向こうには尖塔が何本も立った立派な城が聳えている。堀がかなり広いので城は湖の上に建っているかのようだ。
《ここの水も綺麗ね……》
こういった水堀はハビタルの長の館の周りにもあったが、あそこの水はもっと濁っていた。しかしこちらは青く澄んでいて、少し先に水鳥の一団がぷかぷか浮かんでいる。
馬車はしばらく堀の脇を走ると城の正門前の大橋のたもとに着いた。ここから橋を渡っていくことになるが―――この場所からだと城のメルファラが囚われているという尖塔がよく見えた。
《あの塔の上にファラ、いるのね?》
確かにあんなところに幽閉されたら普通は逃げられないとしたものだが……
《彼女たち、もう着いてる頃よね?》
アルマーザとアラーニャ、そしてキールの三人とは出がけに別れてきたが、彼女たちは隠れ家から馬車で市外に出てあの塔の下で待機することになっている。
その場所は先日あらかじめ偵察してきたが、下から見上げると塔の上まではものすごい高さだ。しかしアラーニャならもうそんなところは一飛びだ。だとすれば……
《あとはあたし達がちゃんとすればいいのよね?》
さすがのアウラもちょっと緊張してくる。
ファラを救出すれば付近の隠れ家に潜んでいるリラとアルテラに合流して、そこで馬に乗り換えて全速でトルボに向かうのだ。
そうすれば途中までサルトス軍が出迎えに来てくれるはずなので、彼らと合流できればそこでミッションコンプリートだ。
《アルテラさん、大丈夫よね……》
ここはスピードが重要なので馬で突っ走らなければならないのだが、彼女は今ひとつ運動神経が良くない。本人は大丈夫だと言っていたが―――何もかもが上手くいきすぎの今、少々懸念事項があった方がいいのかもしれない。
《ま、いざとなれば二人乗りすればいいんだし》
そんなことを考えているうちに馬車は橋を渡り城門にたどりついた。
それを見て門番が二人やってくる。
「中には誰が乗っている?」
「はい。お呼び頂いた都のスタイリストのリアン様とその従者でございますが?」
「あ? そのような者たちがいたか?」
アウラとティアは思わず顔を見合わせる。
《え? まさか話が通ってない?》
二人は一瞬焦ったが……
「あー、はい。そのような予約は入っております」
横からもう一人が言った。
「あ、そうか。分かった。なら通れ」
「ありがとうございます」
二人は安堵の息をつく。
「もう……予約くらい覚えときなさいよねっ!」
ティアがぶつくさ言っているが、まあ確かにこんなところで無駄な時間は食いたくない。
馬車は城門をくぐって城内に入ると、そこは広い中庭になっていた。
《へえぇ……》
何だか想像以上に広く見えるのだが―――地図で覚えた知識というのは実際に見てみると結構印象が違うものだ。
このシフラ城の構造に関してはアウラはほとんど把握していた。
前述の通り、最悪の場合はここに突入することもあるということで、その作戦は綿密に立てられていたからだ。ファラがシフラにいると聞いて助けに来ようという気になったのも、その点が非常に大きかったと言って良いだろう。
ただ、こうして実際に来てみるとやはり驚くことばかりなのだが……
《これだったら街中の人、入るかも?》
ここでは戴冠式のような大イベントが行われるときには城門が開放されて市民がみんな見物にやってくるという。それを聞いたときには都の銀の塔ならばともかく、普通の城の中庭に街中の人が? と、少々疑問に思ったものだ。
彼女のよく知っているガルサ・ブランカ城やアキーラ城にも中庭はあったが、そちらはもっとこぢんまりとしている。そんなイベントがある場合は街の広場とかで行われるのが常だったのだが―――そんなことを思っているうちに、馬車は城の通用門の前に到着した。
二人は顔を見合わせる。ここからが正念場だ。
アウラは道具の入った荷物を背に担ぐ。それと同時に馬車の扉が開いて、御者がティアに手を差し伸べた。
「ありがと
」
彼女はにっこりと笑ってその手を取ると、優雅な仕草で馬車から降りた。さすがにかつては皇太子妃ともなったことのある都出身の貴族だけあって、その気になれば彼女はそのように振る舞うことができるのだ。
それからすたすたと通用口に向かうと、そこで待っていた侍女が尋ねた。
「リアン様でしょうか?」
「はい。リアンでございます。こちらは助手のディーネ。お見知りおきください」
そう言ってティアが優雅に一礼する。
「いえ、こちらこそ」
侍女も深々と礼を返すと……
「ではこちらでございます」
そう言って先立って歩き始めた。
《へえ……中も綺麗なのね……》
城の中も手入れが行き届いていて埃一つ落ちていない。
一行は長い廊下や広間を幾つも抜けるとメルファラが幽閉されているという塔の基部にある階段の入口までやってきた。
「そのご婦人の部屋ってこの上?」
「はい」
すると……
「よしっ!」
そう言ってティアがたたたっと階段を駆け上がり始めたのだ。
この塔は角型なので階段は四角くぐるぐると回りながら上がっていくが……
《え? ペース早くないかしら……》
この階段は結構長いはずなのだが―――果たして……
「うわっ……きつっ……まだあるの?」
「まだ三分の一ほどですが?」
「えーっ……」
ティアはへばった。
《ちょっと急ぎすぎでしょ……》
気が急く気持ちもよく分かるが、こんなところで体力を使い果たすわけにはいかない。それからは休み休みで何とか塔の上の部屋の前にたどりついた。
「うわあ……あなた、ここにお食事とか持って上がってるの?」
「え? はい」
「それって疲れるでしょう?」
「いえ、まあそれほどでも……」
そう言いつつもその侍女も結構息が上がっている。下っ端というのはいつでも大変なものなのだ。
部屋の前には衛兵が一人見張りをしていた。
「あなたが都のスタイリストの方ですか?」
「あ、はい。リアンと申します」
「奥方様がお待ちですのでどうぞ中に」
衛兵が扉を開けると丁寧に二人を中に促した。
「どうもありがとう」
二人は部屋に入る。アウラは一礼して扉を締めると振り返って部屋の中を見回した。
四角い部屋には南と東の二方向に大きな窓がある。西側は上の見張り台に続く階段下になっていて、そこには洗面所への扉がある。
床には鮮やかな絨毯が敷かれていてその奥に天蓋の着いたベッドが置いてあるが―――カーテンが閉まっていてその薄絹の向こうに女性の人影が見えた。
「ファラーっ!」
彼女に向かってティアが走り寄る。アウラもそうしたかったがまずは任務だ。
《あの東の窓の下ね?》
そこから見下ろした先にアルマーザ達が待っているはずだ。
アウラがそこに近寄って窓を開こうとしたときだ。
「きゃーっ⁈」
ティアの叫び声がしたのだ。
《えっ⁈》
振り向くと―――ベッドの上の女性が彼女を捕まえて短刀を喉に突きつけているのだが⁈
その女性は明らかに……
《ファラじゃないし!》
どういうことだ? と、思った瞬間だ。
今度はバタンと洗面所の扉が開くと中から抜き身の剣を担いだもじゃもじゃ髪のいかつい男が出てきたのだ。
《こいつ……》
その姿、見忘れる筈がなかった。
「エレバス!」
「よう。久しぶりだな」
アウラは状況を確認する。
ティアを捕らえている女性は―――素人ではない。距離も遠い。
彼女の薙刀は背にしている箱の中だ。いま取り出して組み立てている暇はない。
だとすれば?
…………
……
《あー、やっぱり占いなんて当てにならないじゃない……》
アウラは思った。
「はあ……」
フィンは思わずため息をついた。
その日の午後、ガルデニア城の本殿ではメルファラ大皇后探索に関する会議が行われていたのだが……
《今日も結局進展なしか……》
彼女が姿を消してから一月以上が経過している。その間、当然のことながら全力を上げて探索を続けていたのだが、はかばかしい結果は得られていなかった。
「はあぁ……本当にどうなってるんでしょうねえ……」
メイのため息が聞こえる。
「そうねえ……」
エルミーラ王女の声にも力がない。
会議の帰りに王女一行と一緒になったので何となく同行していたところだったのだが、この状況が大きなストレスになっているのは彼女たちも同様だった。
《アウラ……》
こんな場合にはたいてい彼女が一緒だったのだが、いま彼女たちの護衛に付いているのはガリーナとサフィーナだ。
横目で見ると王女の表情にも生彩がない。
《そりゃそうだよなあ……》
メルファラやリモンはともかくも、ティア一行ならば早々に見つかるだろうと誰もが思っていた。さすがにお腹が減ったからなどということは無いにしても、どこかそのあたりでウロウロしているのを見つかって保護されてくるだろうと。
ところがその彼女たちまでが行方はおろか、手がかりさえ得られていないのだ。
《あのバカ……どこに消えちまったんだ?》
状況が状況だけに国を挙げての探索ができないところももどかしい。
当然ながらメルファラ大皇后が行方不明になりましたなどとは、敵国はおろか自国の一般人や兵士にも知られるわけにはいかないからだ。
《ってかなあ……どうしてあっちは動かないんだ?》
これがこちらの大失態なのは明白だが、逆に相手側はこれ以上ない切り札を手に入れたことになる。それを利用すれば現在の戦況すら容易に逆転できるほどの―――それなのにここに至るまで相手側からの接触は全く無いのだ。
《どういうことなんだ?》
まさに意味不明なのだが―――ともかくこのような状況もそろそろ限界に差しかかっていた。
「えっと……それであのお返事、どうしましょうか?」
「そうねえ……困ったわねえ……」
王女とメイの会話が聞こえてくる。
当初の予定では大皇と大皇后一行は春になったらア・タン越えの街道を抜けてグリシーナに向かうことになっていた。そこでフォレス・ベラ連合軍と合流し、グラテスを経由して都に向かうのだ。
さすがに今はまだ峠越えは無理だが、そのための準備は開始しておかなければならない。それに関する問い合わせがあちらこちらからやってきているのだが……
《結構人手が食われるんだよなあ……》
道行くのはVIP中のVIPだ。
しかもアラン王がそれを黙って見過ごすとは到底思えない。どれだけ慎重に準備しても慎重すぎることはないだろう。
なのに今後の相手の出方によっては事態が急変するかもしれない。そうなったときに人手が足りずに対応できなかったりしたら……
《それが……目的なのか?》
相手がアラン王なら絶対ないとも言い切れないのだが……
《いや、でもそんな迂遠なやり方よりも、とっとと手札を切ったほうが早いよな?》
ここで相手から『大皇后様はお元気か?』などと仄めかされただけでもこちらは疑心暗鬼で動きが取れなくなってしまうわけで……
と、そのときサフィーナがメイに言った。
「なんかまだかかりそうだよなあ」
「うん……」
「パミーナ、大丈夫かな。結構疲れてたみたいだけど」
王女とメイが顔を見合わせる。それから王女がはあっとため息をつくと答えた。
「仕方ありませんね。もうすこし頑張ってもらわなければ……」
「だよなあ……」
サフィーナも沈鬱な表情だ。
懸念事項はまだまだあった。
まずはメルファラの影武者をしているパミーナがそろそろ限界にきていることだ。
何しろ彼女がそうしていることは極秘中の極秘で、城内でもほんのひと握りの人間しか知らない。
彼女はこれまでも何度となく大皇后の代役をこなしてきたのだが、それは長くて数日で終わる比較的短期間の任務だった。ところが既に一ヶ月以上ぶっ通しで、しかも終わりが全然見えないのだから。
《でもこればっかりは彼女にしかできないし……》
体調が良くないということで概ねは引っ込んでいるのだが、そうすると今度はご懐妊ではとかの噂が流れるし―――そのせいで今日は人前に姿を見せざるを得なかったのだ。
そんなことを考えているうちに、一行は白亜御殿の前に着いた。
そこでフィンが別れを告げようとしたときだ。
「あ、リーブラ様? 午後は何か?」
エルミーラ王女が話しかけてきた。
「え? 別に予定はありませんが……」
「それでは久々にお茶でもしていきませんか? ちょうどそんな頃合いですし」
確かに会議が短かったせいでそろそろ午後のお茶の時間だ。
帰っても特にすることもない。
「あ、それではお邪魔してよろしいでしょうか?」
「はい。もちろん」
ということで久々に来迎殿でお茶をすることになった―――のだが……
「あっ、どうもー!」
「おかえりなさいませ……」
白亜御殿の玄関でメイが挨拶すると門衛が敬礼して扉を開けてくれるが……
《うわっ……何かきつそう……》
ここの担当はフォレスの兵士が行っているのだが、その表情が青ざめている。
もちろんその理由はこの白亜御殿の警護が彼らの任務だからだ。
ここの周囲をフォレス兵、レイモン兵、都の魔導師、サルトス兵らががっつり固めていたにも関わらず、最重要の客人を連れ去られてしまったのだ。
そういった場合には当然まず内通が疑われるわけで、彼ら全員に過酷な取り調べが行われた。その結果は結局全員がシロだったのだが、彼らがその任務にしくじったのは紛れもない事実で、そのストレスは半端なかったのだ。
白亜御殿の中もまさに空気が淀んでいた。
ホールを抜けて中庭に出ると王女たちの住む来迎殿とカロンデュール大皇の滞在する大観殿が並んでいるが―――特に大観殿の方は真っ黒いオーラに包まれているようだ。
「大皇様は……相変わらず?」
「ああ、はい……そのようですね……」
フィンが尋ねると王女が力なくうなずく。
この事態を受けてカロンデュール大皇がこれ以上なく憔悴していたのだ。
なぜなら姿を消してしまったが彼の后なのだから―――ということで誰もがそれには納得しているのだが……
《それだけじゃないんだよな……》
彼の身近にいるフィンたちにとっては、一緒にアルマーザとティアまでがいなくなってしまったことが大きなダメージだったのが分かっていた。
レイモン開放の立役者はメルファラ大皇后であって、彼の役割はまさにその配偶者であるという一点に過ぎなかった。表向きは彼が彼女に指示してあの奇跡を起こさせたということになっているのだが……
《一番分かってるのは本人だしな……》
大皇のことはフィンも昔からよく知っていたが、一言でいえば本当に優しい人だった。
だから彼は内心では彼女を見捨てたことにひどく心を痛めていた。
それなのにここに来て、世界を救うために愛妻をあえて敵地に送り込まざるを得なかった悲劇の名君にされてしまったのだ。その心中の苦悩いかばかりであったことだろうか。
それを知ってその心を癒やしていたのが、あのアルマーザだったのだ。
《何てか……あいつらじゃないと無理だったんだろうなあ……》
ヴェーヌスベルグの連中はまさに色々個性的―――というか非常識で、そんな要素が多々ある中には他人との距離感がバグっている、というのもあった。
そもそも大皇様とは伝説の大聖と黒と白の女王直系の、まさに雲上人なのだ。都だけでなくこの世界中で彼を畏れぬ者などいないはずなのだが……
ところが彼女はそんな彼の心に真正面から入り込んでいって、そのハートを掴んでしまったのだ。
《おかげでファラとの間も上手く行きだしたっていうのに……》
なのにその彼女までが姿を消してしまったというのだから……
《イーグレッタさんじゃダメなんだよなあ……》
彼女はバーボ・レアルのトッププリマ。まさにプロ中のプロなのだが、だからこそ大皇の心にずけずけと踏み込むような真似はしなかった。
それを癒やすための存在が“后”とか“愛妾”と呼ばれるものなのだが、隙あらばその座を狙って群がってくる虫除け―――というのが彼女の一番の役割だったからだ。
というわけでカロンデュール大皇が相当に参っているという話は漏れ聞こえてくるのだが……
《かと言って何ができるってわけでもないしなあ……》
しかも、これまでは彼の様子はメルファラ大皇后、アルマーザ、パミーナ、それにイーグレッタ御付のラクトゥーカなどを通じてかなり具体的に伝わってきていたのだが、今ではその全員がいないか手が離せないため本当に漠然とした様子しか分からないのだ。
フィンは無力を噛み締めていた。
一行が来迎殿の玄関ホールに入ると、管理人のリトリーが現れた。
「あ、ただいまーっ」
メイが挨拶する。
「お帰りなさいませ。お早いお帰りですね」
「あー、会議じゃあまり話すことがなくって……」
「そうでしたか……」
彼女にもその意味が分かって表情が暗くなる。
「ともかくお休みください」
そこで一行は昼間はいつもたむろしている居間に向かった。
中はがらんとしていたが、すぐに一同の気配を感じてコルネが現れる。
「え? もうお帰りですか?」
「そうなのよ」
王女がため息をつきながら答える。
それを聞いてコルネが明るい声で答える。
「それじゃみなさん、お茶に致しますね? えっと……フィンさんも?」
「あ、うん……」
フィンがうなずくと、ガリーナが彼女に尋ねた。
「あの二人は?」
「奥にいますけど?」
「じゃ、やろっかって伝えもらえる?」
「えっ? ガリーナさん、お茶は?」
「私はいいです」
そんな会話を横で聞いていた王女が言った。
「まあ、一休みくらいしていったら?」
だがガリーナは首を降る。
「いえ、それには及びませぬゆえ」
そう言って一礼すると奥に消えていった。
「どこに行ったんだ?」
フィンが尋ねるとメイが答えた。
「あ、裏庭ですよ」
「裏庭?」
「特訓なんです」
「特訓⁉ って何の?」
「コーラさんとクリンちゃんの薙刀の特訓なんですけど」
「え? どうして?」
あの二人はとりあえず剣も使えるから別にそんな必要はないということになっていたと思うのだが?
メイが小さくため息をつく。
「あ、それがですねえ、公式の場だと四人いないとちょっとまずくて……」
「えっ……あ!」
王女たちの周りではそんな問題も持ち上がっていたのだ。
先日の御前試合でフォレスの女戦士たちが完勝したという話はサルトス中に響き渡っていた。なのでエルミーラ王女が公式の場に出るときには、特に兵士たちの間からはその護衛戦士の方が衆目を集めることになっていたのである。
それが急に二人に減ったとなるとまたいらぬ噂を立てられてしまうかもしれない。
「それで二人が代役に?」
メイはうなずいた。
「そうなんですよ。で、何かあった場合に構えくらいは様になってないとってことで」
「あー……なるほどねえ……」
剣と薙刀では身のこなしとか足さばきが全然違うというし……
「あ、でも、リモンって金髪だったよね?」
「はい。だからコーラさんが金髪のかつらを被ってですね……」
「あはは。そうなんだ……」
「おかげでコーラさん、マイウスさんともなかなかゆっくりできないみたいで……」
「え? マイウスってあのクアン・マリの?」
「はい」
「あの二人、つきあってるの?」
「あ、話してませんでしたっけ? そうなんですよ。こちらに来る途中にほら彼女、魔導軍の先導をしてたじゃないですか。そこで見初められちゃったって話で」
「へえぇ……」
確かに彼女はすらっとしていて、その乗馬姿は確かによく映えていたが……
「それでほら、魔導軍の人、今回のでめっちゃ怒られてたじゃないですか」
「ああ、そうだね」
「それでコーラさんが差し入れのお菓子、持っていってあげたりして、それで最近急接近だったんですけど……」
メイが目を伏せる。
「あー、薙刀の練習で会えなくなったんだ」
「そうなんですよ」
何だかとんでもないところにも色々と波及しているようだが―――と思ったときだ。
カチャーン!
「あわわわわっ!」
奥の方から何やらそんな音と声がした。
王女とメイが顔を見合わせる。
「またかしら?」
「あはは。あ奴め、ちょっとたるんでおりますねえ。一度シメてやったほうがよろしいんじゃないでしょうかねえ? あはは」
「あなただってこの間あの資料、全然違ってたじゃないの」
「えっ? あれはタマタマですって! 恒常的ドジっ子と一緒にしないでくださいねっ!」
「だーれが恒常的ドジっ子だって?」
そう言ってコルネがお茶とお菓子の乗ったワゴンと共に現れた。
「ちょこっと音が出ただけで何も壊れてませんからねっ」
何だかいつもどおりだなと思って彼女を見ると―――その表情もやはりやつれ気味だ。
「あー、コルネ、忙しいのかい?」
フィンが尋ねると……
「あは。まあ、ほら人手がちょーっと減ってしまいましたので……」
彼女が苦笑しながら答えるが……
《あー、確かにリモンもいないし、コーラやクリンまで取られちゃったらそりゃ……》
仮にも王女様の身の回りの世話をほとんど彼女一人でやることになっているわけで―――それなのに状況が状況だけに、簡単に加勢を呼ぶというわけにもいかないのだ。
《ってか、リモンのこともなあ……》
間違いなくエルミーラ王女周辺では彼女がいなくなったということが最大の問題だろう。
何しろ彼女はここにいた仲間たちの中では最も古くから王女に仕えてきた、最も信頼の厚い護衛、そして侍女なのだ。
《確か、湯浴みとかは今でも彼女に任せてるって言ってたよなあ……》
そんな彼女が不在だというだけでも日常に多々不便はあるだろうし、それよりも何よりも……
《だってなあ……状況だけを見れば一番怪しいのは確かだからなあ……》
そう。メルファラ大皇后の誘拐に彼女が関与しているのではないかという根強い風説だ。
だが他に怪しい人物が見つかっていない中で、一人大皇后と共に姿を消してしまった人物なのだ。それに……
《まさに側近中の側近なんだから、彼女が関与していたら何でもできそうなんだし……》
もちろん彼女がそうしたという証拠も一切見つかってはいないのだが、人々がそう考えるのも無理はなかった。
そのことはエルミーラ王女もよく分かっているがゆえに……
《厳しいよなあ……》
そんな言葉が漏れ聞こえてくるのをじっと我慢している姿はフィンから見ても痛々しかった。
だが……
《だからといって俺に何ができるってわけでもないし……》
そんな調子であたりがどよんとしてきたときだ。
「あ? 王女様、メイさん、もう帰ってるんだ」
「早かったんですね」
「あれーっ? フィンさんも?」
やってきたのはリサーンにハフラ、そしてマジャーラの面々だ。
それにメイが答える。
「あはは。話すことがなくって……」
「あー……それって……」
口ごもるリサーンにメイが言った。
「しょうがないからまあ、お茶でもと……みんなもどう?」
だがマジャーラが首を振った。
「いや、さっき頂いちゃったんだよね。こんな早いとは思わないからさ」
「あ、そう……」
「それよかさ、サフィーナ、今晩暇か?」
それを聞いて彼女がマジャーラを睨みつける。
「暇じゃねーよ。見回りの当番だってあるんだし」
「えーっ……」
「だからそっちこそ暇なんだからさあ、そっちでやってりゃいいだろ?」
「あー? こいつらと?」
それから三人が互いを見つめ合って、何やらげそっとした表情になる。
《何の話なんだ? もしかして……》
フィンがそう思ったときだ。
「あ、そう言えばみんなでフィンさんにお礼をするって話、ありましたよね?」
いきなりハフラがフィンの顔を見て言った。
「あ、そうそう。ファラ様が代表してお礼するのって、結局取りやめだったのよね?」
リサーンもそんなことを言い出す。
「ちょっと待てっ! 何を言ってるかな?」
「そりゃもちろん……って、王女様が言い出したんですよねー。あれって」
リサーンの言葉に王女がにこ〜っと笑う。
「あら。そうだったわねえ
」
「ちょ、ちょっと! 何の話ですかっ!」
いや、何かはもうよーっく分かってはいるんだが……
「まあ、お忘れになったの? 私達みんなからの素敵なお礼の話を
」
「いや、だからあれは……ってか、どうして急に今?」
それに答えたのはメイだった。
「あー、それがですねえ。ほら、イルドさんとかキールさんがいなくなっちゃったせいでですねー……」
………………
…………
……
「ぶはーっ!」
フィンは思いっきり理解した。
《そのせいでこいつらが性欲を持て余してるってかーっ⁉》
このヴェーヌスベルグ娘たちに“恥じらい”という概念はなかった。
それがこれまで大きな問題にならなかったのは、それを全力で受け止められる奴が存在していたからで―――何しろちょっと油断した隙に妊娠してきた奴が既に三人もいるのだ。
《あははははっ!》
本当に失われて初めてその価値がこれほど明瞭に分かるとは……
絶句するフィンに助け舟をくれたのはメイだった。
「あー、でもこういうのってやっぱりアウラ様の許可はいりませんか?」
「あ、そうそう。そうだって!」
いや、そういう問題か? と思いつつもフィンは全力で肯定する。
「でも、アウラ様だっていないんだし。いーじゃん。ちょっとくらい」
「そうよねえ。アウラ様なら許可してくれると思うし」
こいつら、悪魔かよ! いや、確かにあいつならそう言いかねないのだが……
「いや、だからそういう憶測のもとに行動するのは、なんてか、ほらな!」
フィンはよっぽど情けない顔をしていたのだろう。メイが苦笑しながら言った。
「やっぱり本人がいないところで決めつけるのは良くないんじゃないですか?」
「そうそう!」
「だから今日はしょうがないからサフィーナ、行ってあげたら?」
「んー……しょうがないなあ」
サフィーナが不承不承にうなずくが……
今日は?
「よっしゃ!」
「うっふーん!」
「じゃ、今晩ね」
「あー、分かった分かった」
三人はにこやかに去っていった。
「はあ……」
メイが大きなため息をつく。
「それにしてもサフィーナ、人気なんだな?」
「あはは。アウラ様に仕込まれた技がありますからねえ……」
「アウラに仕込まれた? って……うあっ!」
フィンは顔が熱くなる。そう。彼女には薙刀の他にもう一つ素晴らしい特技があって……
《そういえばリエカさんを練習台にしてたんだっけ……》
メイとサフィーナが親密になった晩のことはフィンもよく覚えているのだが……
《いや、あのときはちょっと貸し出されたりしちゃったんだよな……あはは!》
ヴェーヌスベルグ娘たちの中では唯一、フィンはこのサフィーナと関係をもったことがあった。だが……
《あれを関係と言っていいのか?》
あの夜は二人でしっぽりというのとはもはや真逆で、まさにどさくさ紛れに気がついたら彼女が彼の上で腰を振っていたという有様で……
《うう……でも凄かったよな……》
まさに子供の頃のアウラだったらさもありなんと……
《うわっ……》
想像してしまっただけで体の一部が奮い立って来るが……
《いや、だから……》
子供のアウラって何だよ⁉ それじゃまるで―――などとフィンが錯乱していると……
「うふ
リーブラ様? アウラがいないと夜がお寂しいですか?」
「ぶはーつ!」
そういう身も蓋もないことを王女様がおっしゃるのはどうなんでしょうかーっ!―――と心中絶叫しながらも、それは紛れもない事実だった。
彼女と再会してからというもの―――あー、その後しばらくは置いといて―――やっと二人でゆっくりできるようになってから、こんなにも離れ離れになることがあるとは想像もしていなかった。
《これからはもう離さないって約束したのにさ……》
おかげでこの一月以上そちら方面にはとんとご無沙汰なのだ。だから油断したら即座にこんな妄想が捗ってしまったりするわけで……
「あー、でも郭に行ったりするのはちょっとまずいですよ?」
メイが余計なことを言う。
「分かってるって!」
途轍もない秘密を抱えているおかげで迂闊な行動はまさに厳禁なのだ。
「でもそれならばやはり身内でいろいろと処理なさった方がよろしいかもしれませんね
」
「は?」
王女が何やら怪しい笑みを浮かべているが……
身内で処理ってもしかして?
「アウラにならば私から口添えして差し上げてもよろしいですし
」
「え?」
って、この人まさか……
「
皆
さ
ん
では……お嫌ですか

」
………………
…………
……
ぶーっ!
《なんてことを言い出すんですかっ! このお方は!》
だが、決して嫌というわけでもないのがまた問題でっ。
そもそも三人とも―――というか、ヴェーヌスベルグの娘は全員、その裸身を間近でじっくりと拝ませてもらったことは数限りなくあった。
みんなそれぞれに健康的にそそられる体で―――そりゃ男だったらぎゅっと抱きしめたくなるのはもはや避けようがないのだ。
それに加えて一ヶ月禁欲中だ。フィンの脳内からはリアルな妄想が―――というより実体験の記憶がわらわらと溢れ出してきた。
《そういえばアーシャとマウーナが……》
………………
それは決して思い出してはいけない思い出だった。
あのとき彼は心の中ではその二人を何十回、何百回となく蹂躙していた。両の手のひらは彼女たちのおっぱいやお尻の感触を今もまざまざと覚えているし、彼のモノがその柔らかな肉襞の中を掻き分けていく感触も……
《うぎゃーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!》
その他の娘にしても、フィンが風呂に入っているからと遠慮するような連中ではない。
気がついたらそんな裸の娘たちの間で身動き取れなくなっていたようなことも日常茶飯事だった。
それでも劣情が爆発せずに済んだというのは……
《あはははははっ!》
まだヴェーヌスベルグの呪いの解き方が分かっておらず彼女たちが自重していたことと、やむにやまれぬ理由で彼が一日中おおむね賢者タイムになっていたせいで……
「でも普段がいつもイルドさんとかなのに、フィンさんで大丈夫でしょうか?」
何やら小娘がとんでもなく失礼なことをほざいているような気がするが……
「あははは。えっとですねえ。今日お呼び頂いたのはこのようなお話をするためで?」
フィンが突っ込むと王女がにこーっと笑う。
「いえ、これは成り行きでございまして
他にもちょっとお尋ねしたいことがございましたので」
「あはは。では本題の方に参りませんか?」
王女はため息をついた。
「仕方ありませんわね。それでは……」
仕方ないのかよっ!
「それじゃメイ?」
「あ、あの話ですか?」
「はい。リーブラ様に尋ねてみようということになったでしょ?」
何だ? こんな展開、何となく記憶にあるが……
「一体何の話です?」
メイが大きくうなずいた。
「あ、それがですね、ファラ様をどうやってこのお城からさらっていったかなんですけど」
「ああ……」
「このお城ってもう本当に警戒厳重ですよね。普通に出入りしようと思ったらゲートが何重にもなってるし、途中にエレベーターなんてのもあったりするし。それにあちこち絶壁だらけだし」
「そうだな」
「なので、そういうところを通ろうと思ったら、変装したり荷物に隠したり色々しなければなりませんよね?」
「ま、そうだな」
「でもその線で調べても何も出てこないじゃないですか」
「ああ」
「ってことはやっぱり、もっと違った方法だったんじゃないかなって」
それが分からないから苦労しているのだが……
「違った方法って? 例えば?」
「空を飛んでいったとか?」
………………
…………
フィンはため息をついた。
「はあ? だから魔法使いがこんなにウヨウヨいるところでそりゃ無理だって話だっただろう?」
だがメイは首を降る。
「いや、だから魔法で飛んだんじゃなくってですね、別な方法で」
「別な方法って?」
そんな物があるのか?
「はい。例えば飛空機で来たとか……」
………………
…………
……
「はあ⁉」
飛空機―――だと?
「それだと魔法使いも気づかないんじゃないですか? というか、ティア様だってそうやって都からさらわれちゃったじゃないですか」
「え?」
言われてみれば、確かにあいつの話が寝言でなければそのとおりだ。そして、まさに魔法使いの大本場である都のジアーナ屋敷からあのボケは知られずに連れ去られてしまったわけで……
「でも、あれってあの村に置いてきたんだろ?」
「そりゃそうですが、アロザールならもしかして持ってたりするんじゃ?」
………………
…………
……
フィンは目を見張った。
《あ、あり得る……かも……》
アロザールは謎の呪いや機甲馬を持ち出してきた。だったらそんなものを持っていてもおかしくはないが……
「でもそれだったら……どうして使わなかったんだ?」
フィンは尋ねた。
「え?」
「そんなんがあればアキーラの後宮からでもさらって来れたと思うし。あそこだって空はがら空きなんだから」
「さあ……どうしてでしょう?」
メイは首を傾げる。
コルヌー平原の戦い以降アロザールの戦線は一挙に崩壊して、そのまま連合軍に本国にまで押し込められてしまったのだ。
もしそんな能力があるのなら、どうしてそのときに使わなかったのだ?
《だからこそアロザールにはもうそんな奥の手はないって話だったんだが……》
だがそこでメイが言った。
「でも……例えばですよ?」
「例えば?」
「使うのがもったいなかったとか?」
………………
…………
「はあぁ?」
「だって敵国への潜入なんかに使ったら、傷ついたり壊れちゃったりするかもしれないじゃないですか」
「いや、でも国の危急のときなんだぞ?」
「でもそれにハミングバードを使えって言われたら私だってちょっと考えちゃいますけど……」
「あー……」
この娘のそういった謎の感覚はともかく、確かにアロザールにならそういう手段があっておかしくはなかった。
《でもそれじゃどうして今頃?》
最大の問題はそこだ。
大皇后誘拐を戦線崩壊前にやっていれば、彼らは未だに中原の覇者だったはずだ。
それに……
《どうしてそのことをこちらに言わないんだ?》
一発逆転できる手札を手に入れたというのに、それを使わない理由は?
頭を抱えてしまったフィンにエルミーラ王女が言った。
「まあ、そんなにお悩みにならずに。このような可能性があるかもということを頭の隅にでも留めておいて頂ければ」
「あー……はい」
それに何よりももしこれがこの通りだったとして―――だから何ができるというのだ?
《はあ……》
つまるところは相手の出方を見ることしかできないということなのだ……
そんな調子でまた場がどよーんと曇ってきたときだ。
「あ、エルミーラ様、それにリーブラ様も」
管理人のリトリーが慌てた様子でやってきたのだ。
「どうしました?」
メイが尋ねると……
「それがお城の方から急使がやってまいりまして、シルヴェストからの使者が来たので、今すぐ登城してほしいとのことです」
一同は顔を見合わせた。
「シルヴェストからですか?」
「そう申しておりましたが」
「わかりました」
幸いにも先程戻ってきてからそのままだ。一同は即座にガルデニア城の本殿に戻った。
《とうとう来たか……》
本殿の会議室で息を整えながらフィンは思った。
これまでは全く身動きが取れなかった。
だがこうなれば兎にも角にも相手がどういう要求をしてくるかで、こちらにも動きようというものが出てくる。
《いったいどう出てくる?》
ほぼ間違いないのが現在の戦況に関してだろう。
今は圧倒的にシルヴェストとアロザールの連合が不利だと言っていい。正直こちら側としてはこのまま何もしなくても良いくらいなのだ。
そもそもアラン王の変節はその国内にも疑問を持つ者が多々存在している。そのうえシルヴェスト本国には今はフォレス・ベラ連合軍が駐留していて、アラン王のいるシフラは本来はレイモン領だった場所だ。
そんな歪な状況では長期戦になればなるほど不利になる。アラン王としては早期決着するしかなく、だからこそ大皇后の誘拐という手段に出たのは間違いないだろう。
《でも……あんまり図々しいことは言えないぞ?》
メルファラ大皇后はレイモン国民からはまさに女神のように慕われているのだ。迂闊なことをしてそんな彼らをブチ切れさせたら、フィン達にはもう止められない。
《こっちだって一枚岩じゃないんだし……》
アラン王ならば当然そんな事情は百も承知だろう―――そう考えたらメルファラ大皇后を人質にするという作戦は決して上策ではないと言うか、少なくとも匙加減が大変に難しそうなのだが……
そんなことを考えていると会議室の扉が開き、シルヴェストの使者がサルトス兵に囲まれて入ってきた。
使者は何やら尊大な様子であたりを見回しているが……
《ん?》
フィンはちょっと違和感を覚えた。
男は大柄な体躯で明らかに武官らしく、正直デリケートな交渉事には向いてなさそうに見えるのだが?
《いやまあ、人は見かけによらないってこともあるし……》
だが彼は連れてこられた場所に何やら落ち着かない様子だ。
《ん? けっこう動揺してる?》
ここは城の上階にある、機密事項を扱うときに使うあまり大きくない会議室だ。
普段は中央にテーブルがあるのだが今は謁見のために取り払われていて、奥にイービス女王と宮廷魔導師のアスリーナにサルトス軍の最高司令官ブランコ将軍が、壁際にアコールから派遣されてきたアリオールの腹心ラルゴ、都の魔導軍の総帥マグニ・アドラートに大皇后の警備隊長ハルムート。反対の窓側にはエルミーラ王女とメイにネブロス連隊長、そしてフィンがいた。
通常は他国からの公式の使者を迎えるのならば階下の謁見の間でもっと大勢の中で行われる。この使者がここにいるメンバーの重要性を理解していなければ、少々不思議に思うかもしれないが……
ともかく使者は跪き、まずは女王に向かって形式的な挨拶の言上を述べた。
「イービス女王陛下におわしましてはご機嫌麗しゅう存じ上げます」
「はい〜。よくいらっしゃいました〜。それで〜、伯父上からは〜、いったい何を言付かってきたのでしょう〜?」
女王は何気なくそう答えたのだろうが―――何故かその使者はうつむいて肩をブルブルと震わせ始めたのだ。
《あん? 何だ?》
この女王様がいつもこんな調子なのはあちらだって承知のはずでは? 女王即位後はアラン王に色々と助言を求めていたというし、アキーラに来たときにも大抵二人で一緒に行動していたんだし……
そう思った瞬間だ。
バタンと使者は立ち上がると、ギロリと女王、そして周囲の者たちを睨みつけると言い放ったのだ。
「某はシルヴェスト王国を代表して申し上げる! 我らは決して屈さぬと!!」
………………
…………
《はあ?》
フィンは何か聞き損なったのかと思ってあたりを見回すが―――そこにいる人々にはみな同様の表情が浮かんでいた。
「某は、御身らのその薄汚い蛮行によって我らが一歩でも退くとお考えならば、それは大いなる間違いだということを告げに参った!」
彼が何かひどく怒っているらしいことは伝わってくるのだが……
「御身らの愚行は全くの無駄、無益、徒労であり、我らを結束させる結果にしかならなかったということを某はここに申し上げる!!」
そう言って使者がイービス女王をびしっと指差した。
彼女はしばらくぽかんとしていたが……
「えっと〜、あなた〜、いったい何言ってるんですか〜?」
それを聞いた使者は更に激高する。
「何をもなにも……まさかご自分で為されたことを、ご存じないとおっしゃるか⁉」
それをまたぽかんと見つめていた女王があたりを見回して尋ねた。
「ちょっと〜、この人が何言っているのか分かる人〜、いませんか〜?」
もちろん手を挙げられる者は誰もいない。
使者は完全に真っ赤になった。
「此の期に及んで某を愚弄なさるかーっ⁉ 我が主君を手にかけておきながらーっ!!」
………………
…………
……
は?
彼はいま何と言った?
あたりがしばらくしんとして……
「え? もしかして……アランおじさまが、殺められたと?」
イービス女王が尋ねる。
「何をとぼけておられるかっ! 陛下でなければここにいる何者かがそれを指図したのは明白! それを知らぬとごまかされるのかーっ!!」
女王がまたしばらくぽかんとしてから尋ねる。
「どうしてそれが明白だと〜?」
「我が主君アラン様は先日、御身らの送り込んだ薙刀使いの手によって身罷られたのだ!!」
………………
…………
……
《 な ぁ ぎ ぃ な ぁ た ぁ つ ぅ か ぁ い ぃ ぃ ぃ ! ? 》
フィンは眼の前が真っ暗になった。
ん……まさか……
ん……まさか……
ん……まさか……
《 ア ウ ラ の 奴、 や っ ち ま っ た の か ー っ ? 》
いや、だがいくら何でも彼女一人で―――ってか、もう少し他にもいるが、アイツラだけでアラン王を暗殺することなんて絶対ムリだ! あり得ない! 不可能だって!
「それは……本当なのですか?」
エルミーラ王女が尋ねた。
「もちろん! この首に誓って!」
使者の答えを聞いて王女がよろっとよろめくが……
「うわうわうわーっ!」
サフィーナとメイが慌てて支えたので事なきを得たが……
《何……だって?》
まさか本当に? アウラが⁉ アラン王を????
―――と、そのときだ。
「それで〜、その刺客の首は〜?」
イービス女王が尋ねたのだ。
「は?」
今度は使者がぽかんとする。
「刺客の首ですが〜?」
………………
「それは……ございませぬが?」
「え〜っ⁈ 持ってきてないんですか〜?」
「それは……」
女王はじと~っと使者を見つめた。
「それじゃあ〜、どうしてその刺客が〜、こちらの手の者だと言うんですか〜?」
「あ?」
「確かに〜、薙刀は〜、こちらでは珍しい武器ですが〜、でも〜、その気になれば誰だって手にすることはできますよ〜?」
「此の期に及んでとぼけなさるおつもりかっ!」
使者がそう答えた瞬間だ。
バタンと女王が立ち上がると流暢に言い放ったのだ。
「おだまりなさいっ! 私に対してならともかく、大皇様やレイモン、フォレス、ベラの方々全員に対するそのような根も葉もない言いがかり、暴言の数々、断じて認めるわけには参りません!」
使者の顔が蒼白になる。
《えっ? こんな喋り方、できるんだ……》
エルミーラ王女やメイもびっくりした顔で彼女を見ているが―――そこでイービス女王がにこ〜っと笑った。
「どうせ〜、国内の反対派に暗殺されたのを〜、こちらのせいにしようとしているのでしょう〜?」
「ん……なんと?」
使者が一瞬でまた真っ赤になる。
「そうでないという証拠は〜、あるんですか〜?」
「んな……」
使者の顔は赤を通り越してもはやどす黒くなっているが……
《あ、いや……そういう証明はけっこう難しいもんなんだけど……》
だが使者は言い返すことができず、口をパクパクさせている。
それを見て女王が言った。
「その痴れ者の首を刎ねてシフラに送り返しなさい」
場が凍りつく。
《うひゃあ! これは止めたほうがいいのか?》
だがそもそもここはサルトスの宮廷でフィンには何の権限もない。
口出しをするならばそれ相応の理由が必要だが―――使者がかわいそうだというのでは止める理由にならないし……
エルミーラ王女も同様の表情だ。
「ほら、どうしました?」
女王が警備兵を促す。
呆然としていた兵士たちは慌てて使者のもとに殺到した。
「何と無体なーっ! これが光の大皇后の傘下に集う者たちのすることかー!」
使者はそんなことを叫びながら暴れだそうとするが、屈強なサルトス兵士たちだ。すぐに床に押さえ込まれてしまった。
だがそのときフィンは使者の言葉が引っかかっていた。
《え? それじゃこいつ、もしかしてファラの誘拐のことは知らない?》
―――と言うか、考えてみれば自分たちで大皇后を誘拐しておいて王が暗殺されたらこちらにだけ文句をつけてくるとか、図々しいにも程があるわけで……
などとフィンが考えている間にも……
「それでいかがいたしましょう?」
「そうねえ〜。ここでは絨毯が汚れてしまうから〜、刑場まで連行して下さ〜い」
「承知いたしました」
「何ということだーっ。こんな暴虐、許されん! 許されんぞーっ」
―――などといった修羅場が目前で展開しているのだが……
そのときだった。
「ちょっと何をしているのです?」
振り返ると会議室の入口に高級なドレスを纏った年長の女性が立っていた。
《あれ? この方は……ダフネ様?》
彼女は前王妃で、なおかつアラン王の妹姫にもあたるお方だが―――彼女に向かってイービス女王が答える。
「あら、お母様〜。いえ、失礼な使者の首をちょ〜っと刎ねるだけですので〜」
「お待ちなさいっ!」
そう言って彼女が女王のもとに駆け寄った。それから懐から何やら紙片を取り出して女王とボソボソ話していたが……
「え〜〜〜っ⁉」
突然イービス女王が素っ頓狂な声を上げる。
「ですから……」
「分かりました〜」
それから女王は振り返ると一同の方を見た。
「えへん。それでは母の執り成しもございましたので〜、この男の首を刎ねるのは中止致します〜。その代わり〜、髪の毛を剃り落として裸馬に縛って放り出してくださいね〜」
兵士たちは一瞬唖然としていたが、それからうなずいた。
「ははっ!」
「んな、何とーっ?」
だが使者はそのまま兵士たちに連れて行かれてしまった。
………………
…………
……
フィンはあたりを見回した。
《うーん……とりあえず血を見ずに済んだのはいいのか?》
他の皆も訳が分からないという表情だ。
《だが……いったい何だったんだ?》
そもそもこちらにアラン王を暗殺する理由なんてないのだ。
戦況はこちらの圧倒的有利だし、仮に王がメルファラ大皇后を拉致していたのならば彼女の身にも危険が及ぶ結果になるのだし。
《でもまさかアウラが……マジで?》
あいつのことだからそんな機会があったからやっちまった、ということも考えられるが……
《いやいや、無理だって!》
フィンは首を振る。
どうやってあいつがそんなにアラン王に肉薄できる? いかなアイツだって立ち塞がるシフラ城の衛兵をみんななぎ倒していくなど不可能だ!
《あ、でも……》
考えてみれば彼女たちは気づかれずにガルデニアを抜け出してるのだ。ということは……
《そんな手引があった?》
………………
…………
……
いやいやいや!
一体誰がだ?
アロザールは今はシルヴェストの同盟国だし、ここにいる各国がそんなことを独断でするはずがないし!
………………
それよりも……
《結局ファラをさらったのはシルヴェストじゃないってことだよな?》
そういう結論になるわけだが……
「一体なんだったんでしょうねえ?」
「さあ……」
横でメイとエルミーラ王女も首を傾げているが……
《それよりもえっと……》
これからどうすればいいのだ―――というか……
《あの使者からその薙刀使いに関してもう少し聞き出した方がいいんじゃないか?》
アウラたちの行方に関わっているかもしれないし―――そう思ったときだ。
「あ、みなさーん。すみません。ちょっとこちらに集まっては頂けないでしょうか」
アスリーナが一同に向かって手招きしたのだ。
一同は不審そうに彼女とイービス女王の近くに集まる。
それを見てイービス女王が小声で言った。
「実は〜、母の所に〜、密書が来てたそうで〜」
「密書? ですかな?」
マグニ総帥が驚いた声を上げる。
「し〜っ! あまり大声を出さないでくださいね〜」
「あ、はい……」
「実は〜、お母様と伯父様の間には〜、秘密の連絡経路があったそうで〜」
「えっ⁉」
一同から思わず声が上がる。
「何でも〜、戦争になっちゃったりしたときとかに〜、お母様とこっそり連絡を取るためとかで〜」
一同が顔を見合わせる。
《うー……アラン王ならそういったこと、やりかねないよな?》
それはともかくそんな経路からやってきた手紙となれば……
「それで〜、ちょっとこれ読んで〜」
女王がアスリーナに手紙を渡す。
「あ、はい……」
彼女がその紙片を受け取って目を走らせるが……
「え?」
途端に驚愕の表情になった。
「はやく〜」
「あ、はい……」
そこで彼女は読み始めたのだが……
ダフネ様
残念なお知らせを致さなければなりません。去る三月十六日の夜、わが主君レギウス・アラン・ノル・シルヴェストが暗殺者の手にかかって逝去致しましたことをお伝え致します。
この凶行に皆様方の連合が関与していないことは承知しておりますが、これにより今後の政局がたいへん不安定になったのも事実でございます。そこでそのことに関する会合を秘密裏に開催致したいと考えております。
つきましては次の満月の夜アコールにて、私めより説明を差し上げたいと存じますので、その場にイービス女王様、マグニ・アドラート総帥様、ガルンバ・アリオール将軍様、エルミーラ王女様、リーブラ・トールフィン様など、決して口外できないような秘密を共有できる方々に集まっていただきたいと存じます。
ちなみにこれより後、失礼な使者がそちらに向かうかと存じますが、彼にはこのことは知らされてはおりませんので、あまり無碍な取り扱いはなさらないで下さいませ。
L
アスリーナは読み終わると手紙を一同に見せた。
人々はそれを見て顔を見合わせた。
「L とは……誰なのですか? 文面や文字からは女性のようですが?」
マグニ総帥が尋ねるが、女王もダフネ様も首を傾げる。
「さあ〜、私には思い当たりませんが〜、お母様は〜?」
「いいえ、私も存じません」
この内容だと手紙を書いた人物は少なくともアラン王の側近だと思われるが……
《それに何だ? 俺まで名指し?》
他のメンバーはみんな国家元首級なのに?
などと思っていると……
「しかしお母様〜、どうしてもっと早く持ってきてくれなかったんですか〜?」
「知りませんよ。本当に先程届いたのですから」
そんな滅多に使われないような秘密経路だから、途中でトラブルでもあったのだろうか?
それはともかく……
「満月は、一週間後ですかな?」
「そのようですね」
場所がアコールである以上は物理的な危険はなさそうなのだが……




